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2024-12-18 21:39

vol.17 篠田さん、『企業変革のジレンマ』を熱く語る(2)「聴く」こと「応答する」こと

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篠田さんが語る、宇田川元一先生の本『企業変革のジレンマ』(日経BP 日本経済新聞出版)についてのお話、今回は168ページの3行から「聴く」ことと「応答する」ことを深く掘り下げていきます。ピーター・ドラッカー氏の「事業の目的は顧客の創造である」という言葉に始まり、そこから対話における「withoutジャッジメントの聴く」と、「他者を通じて己を見て応答する」がからみあってつながり、「自分が変わる可能性」に開いていくという、今回も世界が広がるダイナミックな展開に。篠田さんの「すみません、この勢いでですね、この本、どのページを開けてもなんかしゃべれそうな気がしてる」という熱い鼓動とともにお聴きください。

サマリー

このエピソードでは、篠田さんがピーター・ドラッカーの概念やメリンダ・ゲイツの支援活動を通じて、顧客の創造や対話の重要性を探求しています。特に、教育支援を受けた女の子たちの変容に焦点を当て、聴くことや対話がもたらす変化について語られています。企業変革のジレンマについて議論も展開され、「聴く」ことの重要性や対話の本質について深く掘り下げられています。また、withoutジャッジメントという概念を通じて、変化に対する柔軟性や許容性について考察が行われています。

宇田川先生の本、今日は168ページについて
組織を考えるメディア、Organize。このポッドキャストは、エールの篠田さんと山田で、組織を考える、捉え直す上で、我々が面白いと思った視点や観点をお知らせしていこうという番組です。
篠田さん、今回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回はたっぷり篠田さんの宇田川先生の本への愛を語っていただいた感じでしたが、半分で終わってしまったので。
そうなんですよ。前半って言ったよねって、前回の終わりに。ちゃんと覚えていただいてありがとうございます。
紙の本で言うと具体的に、前回、主に取り上げたところって165ページから166ページなんですけど、
今日は168ページについて。
大学の授業でテキスト読んでるみたいです。
この、ある部分について、きっかけにオーガナイズと聴くっていうことのつながりを感じたことを話してみたいと思うんですね。
この168ページでおおって思ったところは何かっていうと、ピーター・ドラッカーって聴いてらっしゃる方も多くの方ご存知かなと思うんですけど、
経営学、マネジメントっていう概念を整理した方なんですよね。
そういう人なので、ピーター・ドラッカーって本当にこう非常に大事な概念をいくつも整理してるんですけども、
私も大好きで大事だなと思ってる概念は、その事業の目的は何か。事業の目的は顧客の創造である。
英語で言うと、to create a customerということをドラッカーは言ってるんですよね。
これは、これについてこの宇田川さんは何を言ってるかっていうと、
これ非常に、顧客の創造という概念を経営の中心に据えたことはとても納得がいくと。
なぜならば、それは顧客という他者を通じて自分たちの見ている現実を刷新しつつ、
人々が社会に参画する可能性を開くものだからだという説明をしてるんですよ。
つまり、この対話っていうのは他者を通じて、
己を見て応答すること。
応答することっていう、この対話っていうものの、
宇田川さんの整理と、その顧客の創造っていうものを言ってみれば、
相似形だっていうふうにつなげてるんですよね。
ここが本当そうだなって思ったのと、
メリンダ・ゲイツさんの変容
加えてですね、これちょっと個人的な話になるんですけど、
ここで言ってること、同じことですけど、私の言葉で置き直すと、
つまり顧客の創造っていうことは、聴くっていうことですよ。
お客さんの言ってることを聴く、without ジャッジメントで聴くことで、
私が見てる、この自分たちの事業のありようとか、お客さんの現実っていうのを
見方を刷新するっていうことなわけですよね。
これ読んだ時に思い出したのが、メリンダ・ゲイツの本で読んだことなんです。
今はね、ビル・ゲイツと離婚して、ゲイツ財団も離れてしまいましたけど、
一冊本を書いていて、彼女は、その時はまだビル・ゲイツの奥さんで、
ゲイツ財団も一緒に運営してたんですよね。
彼女は、特に世界でも貧困なのに苦しんでるような地域の、
特に女性、女の子とか女性の課題に注目をして、
女性に経済的、あるいは教育の支援をすることが、
社会全体を良くするんだっていう、つながりを実際に見出して、
そこの支援を、力を入れてたんです。
その文脈におけるエピソードなんですけど、
インドで、インドってまだカーストの考え方が色濃く残っていて、
カーストに生まれて、経済的にも非常に困難な状況にある、
教育も全然受けてないような、女の子たちを助けて教育する、
全寮制の学校があります。
そこにメリンダ・ゲイツさんが行ったり、ずっと支援をしているんですね。
その時に、そこに初めて入学した女の子たちって、ほんとにほとんど喋んない。
それが、だんだんそこで教育を受けていくうちに、お話ができるようになって、
その中で、空手だか柔道だかをやってた女の子たちが、
驚くべきことに、何人かがインドの国内大会でものすごい上位の成績を取って、
国の代表として日本に派遣されるまでに、
それぐらい、能動的に活動できるようになったっていう、こういう話なんです。
これ何が起きたかっていうと、この子たちは、
それまで、この学校に入るまでは、要は人間扱いされてないので、
その社会の制度の中で、誰も彼女たちの話聴いてないんですよ。
この学校に来て初めて、
あなたはどういう人なの? あなたは今何を考えてるの?
っていうことをじっくり聴いてもらう機会が、ただただ積み重なった。
それが、ここまで人を変えていった。
で、それを見たメリンダ・ゲイツ自身が変わるんですよ。
なるほどね。
その様子にずっと伴走していくうちに、この子たち、
こんな困難な状況から、他の事例も彼女たくさん見てるから、
こんな困難な状況から、自分を取り戻し、
自分の主体性っていうものを発揮できるまで、どんどん変容していったと。
それを見てる自分は何者、どうなんだっていう矢印に自分が向くんですね。
で、それが一つきっかけになって、
ゲイツ財団の中での彼女の関与の仕方ってものすごい積極的になっていって、
個人の変容の物語でもあるんです。
っていう話をすみません、ちょっと長かったんですが、
この顧客の創造、してるってこういうことだなと思ったんですよ。
単にそのかわいそうな女の子たちっていうふうな固定観念で、
メリンダ・ゲイツさんは接してたわけじゃなくて、
支援者として、直接学校の運営してるわけじゃないんだけど、
その学校を経済的に支援してるものとして、
ちゃんと足を運び、この生徒たちと対話を重ねていったんですよね。
で、それによって、ちゃんと教育成果が出る子たちが現れ、
それを見て彼女自身も変わり、
それでゲイツ財団の活動内容が変わって、
新たな顧客創造につながるっていう、
この大きなイノベーションと社会の発展が、
実は聴くとか対話っていうことを重ねることによって起きてるんです。
「自分はすべてをわかっていない」という態度
このメリンダ・ゲイツのエピソードは、
私が聴くっていうことを理解する前に読んで感銘を受けてたんですけど、
聴くっていうことを知って、改めてひも解いて、
そういうことかって。
実はそれがエールにジョインしたいなと思うきっかけの一つにもなったので、
すいません、めっちゃ熱をこめてしゃべってしまった。
なるほど。
めちゃくちゃ深いと思ったんですよね。
前回もそうでしたし、今回も、
社内のコミュニケーションとしてっていう括りで、
我々の事業を特に多くは捉えられがちで、
その価値ももちろんありますっていうことと、
この宇田川先生の対話というキーワードで、
社会との対話、外との対話みたいなことに、
開かれたときに起きることっていうのが、
すごく地続きなんだけど、
意外と語られないし、
僕らもそんなに焦点をあてて語ってきてない、
意識も向けてないなって感じはあるんだなっていうのは、
改めて聞いててすごい思いました。
まさに今のご指摘の通りで、改めて前回も紹介したこの本の、
同じ章のところに戻るとすると、
新しい事業ってどういうところに作るの、いきなり世の中で流行ってるからって
ぜんぜん自社の事業と関係ない飛び地に作るんじゃなくて、
自社の経営資源と、自社の課題、あるいは自社の現場課題と、
社会課題、お客さんの任務、この3つの交点のところに作るんですよ、
っていう話が繋がってくるんですよね。
自社の課題っていうのを理解するには、
エールがよくお手伝いしている社内のコミュニケーションっていうことが、
やっぱりよりお互いに聞けるようになることで、
例えば経営陣がより現場に耳を傾ける、
営業部門が開発の方に耳を傾けるっていうことをする、
あるいは上司が部下の話に耳を傾けるっていうことで、
より自社の課題っていうものが、
解像度が上がったり共有されたりするんだけど、
同じ力で外部にも、その同じスキルと態度を持って外部に関わると、
新しい事業っていうものが作りやすくなるよねっていう。
この模式化の一番すごい遠大にうまくいった例として、
さっきのメリンダ・ゲイツの話をした。
さっきのメリンダ・ゲイツの話はもちろん、
すごく象徴的で、すごく心を動かされるエピソードだよね、
だよねっていうのがあった上で、
起こってる構造でいくと、
やっぱり前回もあった、知らないことに自分があるという前提に立っている、
そこに開かれているみたいなことから、
そのカースト下位でこんなにもう苦労していたこの子が、
聴いてもらうことによってこれだけ変わるっていう事象を、
他人事として、外のものとして、私とは違うと見なさず、
それが自分に返ってくるということが、
すごく知らないことに開かれている姿勢みたいなことと、
共通している感じがすごいしますね。
本当そうなんですよ。
見てみれば、
アメリカの大富豪の、
要はフィランソロフィストである私と、
かわいそうなお嬢さんたちっていう、
この構図に、
メリンダ・ゲイツさん、少なくともその本を読んだり、
実際その活動とかも私は割と関心を持って見ているんですけど、
そこにとらわれすぎてないんですよね。
まさに聴くっていうことで、
彼女自身も知らないことがあると、
それを知ることで、
まず自分の仕事、プロとしてっていうこともだけど、
やっぱりね、自分個人としても、
自分個人の魂の成長みたいなところ、
なんかすごいコミットされてる感じなんです。
カソリックなんですよね、彼女は。
なるほどね。
ちょっと切り口違うんですけど、
プロフェッショナルとしての矜持みたいなことって、
ある面ではとても大事じゃないですか。
そこで役割を果たし、ちゃんと価値を出す、顧客に貢献する、
みたいなことっていうのと、
一方でそこにとらわれすぎず、
そういうものとしてもそこにいるみたいなことって、
すごく大事な、
聴くという言葉を我々が使っている時にも、
あんまりそうやって言語化したことがなかったんですけど、
そこはどっちもありますよね、みたいなことを結構、
我々語っている感じがしますね。
前半、それから先ほども触れた、
自分は全てを分かっていないのである、
というのが聴くっていう態度。
この宇田川さんの本で言う、
対話っていう態度の根底にあるんですけど、
自分は全てを分かっているわけではないっていうのが、
仮に人格、いくつもレイヤーがある人格の中の、
プロフェッショナルとしても全てを分かっているわけではない。
フィランソロフィストとしても、
本当に自分たちが出す寄付が、
どういう意義をもたらすかって、
本当には分かっていない、
分かっていないっていう、
学ばなきゃっていうものもあるし、
本当に個人として、自分はすごく恵まれた状況の中で生まれて、
今ここにいるけど、
たまたまそうじゃない状況で生きているこの人たちに、
向き合った時に自分は、
どういう生き方で
ここにいたらいいんだっけっていう。
なるほど。
両方を持って現場に立っている様子が感じ取れるんですよね。
なるほど。
同時に「どういうスタンスで自分はここにいるのか」
それはここまで激しい仕事じゃなくても、
本当に日本で、
企業で働いている私たちにも、
構造としては同じ。
そうですね。
プロとして自分はまだ全て分かっているわけではないっていうことと同時に、
自分は人としてこのサービスをご提供するとか、
この役割を果たすのに、
どういういかた、スタンスで自分はここにいるんだっけっていうことが、
本当にこれでいいのかなっていうことを常に、
ちょっと自分に、
他者からどう見えているかっていうのを、別に忖度とかそういうことじゃなくて、
問い続けるっていうのは、
めちゃくちゃ大事な態度だなって思います。
エールで、
多分篠田さんが関わり始められたぐらいの時に、
聴くっていう言葉にあえてフレーズをし、
そこに焦点を当てっていう中で、
そこの解像度をすごく高めてきましたっていうのと、
宇田川先生が対話っていう言葉を使っている時の、
最後はやっぱり応答をするっていうところまで、
なんか聴くということはその手前までぐらいの、
その状態を作れることにすごく焦点を当てている、
特に我々だとサポーターという社外で聞いてくれる方々の振る舞いとか、
姿勢とか技術みたいなことに焦点を当ててるけど、
さらにそれが起きた先に起きることっていうまで含めたのが、
対話っていう言葉に、
すごく同じこと見てるんだけど、
範囲がちょっと違うのかもなっていうのかもしれないなっていうのは。
「聴くこと」「応答すること」の先にある変化
そうですね。
範囲が違ったり、
ここはちょっと宇田川さんに機会があったら、
ぜひお尋ねしてみたいところなんですけど、
この本でやっぱり対話っていう概念を、
それ以上は細分化してないんですよ。
なるほど。
多分今、山田さんが整理してくれてたのは、
少なくともエールがいう聴くっていうのは、
対話っていうものをもうちょっといくつかのブロックに分けたときの、
大事な、
欠かせない要素として対話があるけど、
対話じゃなくて聴くがあって、
聴くとはちょっと別の行いとして、
応答って呼んでるところがどうもありそうだよねって。
ここをどういうふうに、
仮に対話っていうものを分けるとしたら、
宇田川さんはどういうふうにご覧になってるのかなっていうのは、
聞いてみたいところでした。
そうですよね。
そうですね。まさに今まで聴く、我々がずっと言ってる聴くという姿勢がなくとも、
特に仕事場面では、
そんなに支障が起きづらかった。
ある種同じ規格で同じ方向を向く、
同質な集団の中で、
効率よくでは必要なかったものが、
より必要になってきたよねって変化の、
個人の振る舞い側にすごく焦点を当ててる感じが、
聴くというキーワードには結構ありそうだなっていうのと、
もっとさらにそれをインタラクションが起きていって、
その先に起きてることみたいなことまでが、
すごく動的なそこの先のプロセスに入ってそうな、
いろんな印象がありますね。
そうですね。
実際どうなんだろう、
エールでサポーター活動とかしてると、
意識してないけど、やっぱり自分は変わりますよね。
インパクトを受けるから。
応答してます。言葉で、私はこう思いますって意見を、
サポーター活動してる時は言わないけど、
やっぱりその話を聴いた自分って、
聴く前の自分とはもう違ってますよね。
そうですよね。
応答っていう言葉がやっぱりすごく秀逸だなと思うので、
会話、カンバーセーションのことだけ言ってるわけでは決してなく、
リアクトすることすべてが含まれてる感じのニュアンスが聞こえるんですよね。
それには自分が変わるとか、
認識が変わるとかも含まれるなって思いますし、
やっぱりサポーターの方の話、
僕はそんなにたくさん聴く機会があるわけではないですけど、
社内でたくさん聴いてる他のサポーターの方の話を聴いてるメンバーからすると、
やっぱりクライアントの社員の方とのセッションをやった中で、
すごく心動く体験があったとか、
もともとあんまりやる気のなかった社員の方が、
回数重ねる中で、
いやもうこれ終わっちゃうの寂しいんですって言ってくるようになりました、
みたいなこととかの経験をすることで、
それが嬉しくてやってるみたいなこととかって、
おっしゃっていただくことが多いなって思う。
それも含めて相互作用はすごくしてますよね。
絶対してると思うんですよね。
そうですね。
逆に前回のとつなげていったときに、
私が知らないことがあるみたいなこともそうですし、
自分が変わり得るものであるみたいなものとかも、
ちょっと近いところにあるものとして、
あんまり知らないことがあって、
自分が変わり得るものであるみたいなものとかも、
近いところにあるものとして、
あんまりそういう言語化もしてない気もしますが、
聴くって姿勢を僕らが語ってるときに、
そこへの柔軟さというか許容性みたいなことって、
すごくいつも実は語ってるのかもしれないですね。
withoutジャッジメントは「変わる気満々」
そう思いますね。
本当そう思ってます。
withジャッジメントの方、
きくには2種類あるよってwithジャッジメントと、withoutジャッジメントの2種類があるって
エールでよくお話しますけど、withジャッジメントの方は逆に、
変化しないぞっていう態度なんですよ。
自分のジャッジを固定、ピン止めして、
それに照らすから。少なくともこのやり取りにおいては、
自分は定点に。
確かに。
それと対比すると、withoutジャッジメントの方は、
ある意味変わる気満々というか。
確かにジャッジメントするっていう場合って、
基準が自分の中にあるものに照らして、
イエスかノーかというか、どっちかにするっていう姿勢に、
基本なりやすいですよね。
決してそれが必要ないわけでは全くなく、
仕事場面ではそれを全力で発揮した、いい場面が
たくさんあるっていう上ですよね。
withoutジャッジメントだと自分が、
必ず変化するとか変わるわけじゃないけど、
変わる可能性にはすごく開いてる状態。
なるほど。
これあれですよね、宇田川先生のこの本の中で、
3行ぐらいしか書いてない話だって、
直前につぶやいてましたけど、この3行だけで
篠田さんこんなに語れるんですねって驚きが。
すいませんね。
そうなんです。この勢いでですね、
この本、どのページを開けてもなんか
喋れそうな気がしてる。
そんなの誰も興味ないと思うけど。
そんなことないと思います。いくらでもできちゃいそうなので、
そのうちぜひ勝手な要望として宇田川先生に
いつか来ていただいて、ご本人も登場いただいて、
話したりできると楽しそうですね。
ちょっと機会があったら。
お願いするだけはただですからね。笑
お引き受けいただけるかどうか全然わかんないけど。
勝手な願望として。
言うと叶うかもしれない。
言ってみると。
一旦前回今回で話して、もしかするとまた
次回以降いつかやっぱりこの本で語りたいが出るかもしれないですが、
そんな感じでまたこうやって紹介しながらも
いい回でしたね。
ありがとうございます。
ということでこの辺で終わりたいと思います。今回もありがとうございました。
ありがとうございました。
21:39

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