こんにちは、エールの山田です。この番組は、エール代表の櫻井さんの書籍『まず、ちゃんと聴く。』の内容を中心に、聴くや伝えるについてざっくばらんに対話しながら、深めていこうというポッドキャストです。
前回に引き続き、中村一浩さん、かずさんをゲストに、エールの櫻井さんと山田の3人でお送りしていきます。 では、かずさん、櫻井さん、今回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、後編も話したいことがいっぱいあるねっていうことを話していた上でなんですが、 前半を引き継いで、最初にぜひ1個置きながら始めたいなと思うのは、櫻井さんにとって聴くって何?
っていう問いを投げていただいたのに対して、かずさんも聴くってどう捉えてるのかなっていうのは、 ぜひ冒頭お話しいただけるといいかなと思っていますが、
どうですか、かずさん、聴くっていうのは。
はい、あの、さっきまさるがその、自分と人のこの境界っていうのかな、 が滲むというか、なくなっていくみたいな話をしたときに、
僕もその森に入ると自分と森のこの境界が消えていくというか、 自分であり森であるっていう感じになっていくのがあって、
で、実はさっきのそのまさるの声を聴きながら自分がこう浮かんでたイメージが、 聴くって、自分は場に身を浸す感じ?
なんかその空間に身を浸していくっていうことが自分にとって聴くだなぁと思っていて、
で、まあそもそもね、もう少し、なんていうのかな、各論で言うと、 やっぱり言葉を聴く前にその人の表情とか、体から出てくる何か質感とか、
変化みたいなことを受け取ってるし、 まあそもそも耳でね、聴く以外にも体全身で聴いてるっていうのがある中でいくと、
なんかいろんなこの情報を受け取っている、その全てがやっぱり聴くという行為だなと思っていて、
で、なんか身を浸していくと、その場にあるいろんなものが入ってくる、響いてくる。
同時に、なんか自分っていう体、もうこれ器だと自分は思っているので、なんかその内側から来る内臓でもいいし、
気持ち、感情でもいいし、湧いてくるものを含めて、なんかこう響きが場を満たしていく。
なんかそこに身を委ねて、まさに境界が緩んでくるっていう感じが、自分にとっての聴くだなーっていう感じが。
なんかして勝手に、あ、一緒だなーみたいな。まさるはそれを、ある種、仕事柄この1対1という、この状況における聴くっていうことを想定しながら話していて、
僕はどうしても対話なので、車座になっている場、みたいなことをイメージしながら説明しているっていう違いなのかなっていうふうに聴こえてた感じ。
湧いてきちゃったやつ聴いていいですか?
いや、なんか、その自分の状態とか場の状態を観察したりとか、自覚するっていうことってすごく、なんていうのかな、
聴くってことにも対話っていうことにもすごく大事な要素だと思う一方で、
えっと、全てのものを観察したり自覚するってことって無理なレベル、情報量がこの社会、世界にはあるじゃないですか。
で、さっき言ってくれたその内臓みたいなものとかまで含めて、本当は多分動いていたりとか反応してるし、そこだけにフォーカスがもしかしたらわかるかもしれないんだけど、
場が動いている中で、なんかこう意識して自覚化する話と、意識せずにもう影響しているものとか、自覚できないんだけどっていうものって、どう扱っているのかな、
かずさんは対話の時に、っていうのをすごい聴いてみたいなって思う。
なんか、観察とかの言葉って、便宜上使ってる感じがあって、自分のイメージって、なんかね、
まあ、これも便宜上だけど、一つ自分っていう存在から、こう、円になって、フィールドが広がっていく感じがあって、
なんか、何かに意識を向けるっていうよりかは、その全体を感じてる感じ。
だから、物事が同時にすべて起こっていくし、その変化が変化をまた起こしてるっていうことを、なんかこう、等しく感じてる感じがあって。
なんか、その中に、自分の中にある、何かのそのセンサーというか、何かに、何かが触れた瞬間だけ意識を向くだけであって、あまり自分から何かフォーカスを向けるっていうのはしてない。
なんか、むしろ逆に注意を引いてくるぐらいの、何かそういうものがあった時には、それを扱うっていうか、こう、ちゃんと反応、見逃さないようにするぐらいの感覚で、
常にこう、視覚的に言うとすごいワイドなアングルで多分見ているだろうし、感覚的にはすごい開いている状態でいるっていうことで、
その、何ていうのかな、注意を引いてくるものとか、なんかそちらから何か現れてくるものみたいなものを見逃さないようにしてるっていう感覚に近いんですかね。
まさになんかその、これは森リト(森のワークショップ「森のリトリート」)で学んだことなんだけど、それこそ森リトの最初にオリエンテーションというガイダンスをするときに、
私が見たから葉が見えるんじゃなくて、葉からのサインが来たので気づいて自分が見たっていう世界観を教わるんですけど、
なんかやっぱり自分が見逃して見るとかじゃなくて、向こうから来てる、すでに必要なものは。
で、その、じゃあ言葉変えればコーリングみたいな、呼ばれたものをただ受け取りさえすればいいっていうスタンスに変わってから楽になった。
なんかそれがこう、言葉にしちゃうと観察するって言葉になっちゃうじゃないですか、でも観察するっていう質感とはちょっと違う感覚があって、
なんか例えばエールのサポーターも、なんていうのかな、かずさんのね、本の中に書いてあった一節、最後のたぶん後書きに書いてあったんだけど、
今ここ、自分に起こるすべては繋がっていて意味があるっていう風に書いてあって、この感覚で1対1の1on1のセッションに入っていられたらすごくたぶんいいセッションになるんだけど、
一方で、なんか、1対1という場の設定もあるんだけど、本当に自分役に立っているのかなとか、この話してて大丈夫なのかな、意味があるのかなっていうことに、
なんか意識が行っちゃうことがあって、これをだからなんか観察するみたいなすごい自分視点、自分主語でその場を捉えようとすると、
なんかより悪い方向に回っちゃう感じがするんだけど、もっと今言ったような観察、なんか、その場で起きていることで何か起きるものを自分が捕まえるっていうか、
見逃さないようにするぐらいの感覚でその場にいたほうが、いいことが起きるんだろうなーみたいなことを思うんだけど、この感覚伝えるのすごく難しいなっていう風に感じますね。
うんうんうんうん。
なんか、今ので湧いてきたのを出すと、自分もよくあるのが対話をしてて、まさにそういう不安とか言いたいことを優先するのか、
なんかこう出されているものとか来るものを優先すればいい、どっちが優先なんですかって言われて、
まあ知りませんって言ってるんだけど、知らないから。
知るわけないじゃん、そんな。
それも含めて場じゃない?
うんうんうんうん。
だから、どれもが別に普通に場にあるから、それを同じように感じて、自分の方を取りたかったら取ればいいし、
どっちが優先でないと思ってて、それこそちょっと今日は山田さんがいるからね、山田さんに聴きたいのは、
さっき言った、それが僕はもっと長い時間・空間軸でやってるんですって時に、経営も多分一緒だと思ってて。いろんなことが起こってると。
でも今はこれだって何かを掴むわけじゃないですか。
で、どうしてるの?でいくと、なんか似たようなこと起こってるんじゃないかなと思ってて、経営の時どうしてるのかなと思って。
嬉しいなぁ、僕以外に山田さんに振ってくださるの、そういう問い。
初のケースかもしれないですね。
嬉しい、超嬉しい。
なんか僕、組織づくりにおいて必ず複数人でやるじゃないですかっていうのは結構大事な違いだと思っていて、
人間一人ひとり違うことを感じて絶対違う世界を見てるんですよね。
同じものは絶対見てないじゃないですか、どれを拾い上げるかも含めて。
なんだけど、じゃあ例えばこの3人が組織ですってなって何かを進めようと思ったら、
これを今見てるよねって合意しないと先に進めないですよねっていうのはすごい大事なステップだと思っていて、
今これ見てるよねって合意をしたからこれ選んだよねっていう順番がすごい大事だと思ってて、
合意するにはやっぱりそれこそ対話をするとか、お互いに聴く、聴き合うみたいなことがあって、
今とりあえずここまでは一緒に見たよね、だからこれ選ぶよね。
もちろん経営なので選ぶことは、いや俺は納得いかないけどってことはもちろんあってもしかるべきで、
満場一致じゃないことはあるけど、でもこの前提だからこうだよねって合意したじゃん、
だから次行動できるよねっていう順番がすごい大事だと思ってるんですよね。
残念ながらこの合意って100%の合意には絶対にならないんですよ。
もともと見てる世界が違うから。
それで合意が実はずれてたって何か選んでやってみた結果、
何か微妙に違和感ある、かずさんの言ってることちょっと分かんなくなってきたっていうと、
実は同じものを選んだと思った前提の合意がずれてたみたいなことって常に起こってるんだなって思ってて。
なんだけど、絶対ずれるんだけど一旦ここまで合意したよねって言うみたいなことがあって初めてその先に行けるっていう、
なんかそのなんか何ていうか循環をすごいさせてる感じがすごいしていて、
何か少なくともそこから目を背けないというか、
合意しようとする営みだよねっていうのが複数人で何かを一緒に作ることだなって思ってるので、
なんかその繰り返しに向き合い続けるっていうことが組織を作ることだなってすごいずっと思ってやってる感じはします。
どうやっての答えではないんですけど、
僕、組織作りとか組織に関わるって、
もう壮大な身体知だと思っていて。
いやー、きちゃった、きちゃった。
電車の乗り方と一緒じゃんみたいな話じゃないですか。
覚えるしかないんだよっていうのだなっていうのは、
みんな頭でわかると思っちゃうんですよ、組織作るとか。
特に人事の職能って、人事の専門性は別にあるんです、やっぱり。
僕より優れた専門家はたくさんいらっしゃるので、
そこは学べるんだろうと思うんですけど、
どう塩梅するとかって、もう自転車のバランス取りますを、
言葉で説明できんわみたいなのと一緒だなって思ってるので、
それは時間かかるなって思ってます。
はい、はい、はい。
わかった1個。
いきましょう。
だから森なんだと思った。
どういうこと?
もうちょい、もうちょい、もうちょいください。
あの、地球のリズムを知ると、違和感がわかる。
なんか違うのが。
だから組織であろうと、何であろうと、人がやってるじゃん、全部。
だからなんかおかしいの、ピンとはくるのね。
あ、これなんか違うっていう。
正しいかどうかわからない。
けど、なんか違うがわかるっていうのは、森で過ごして思った。
なんだろうね、これは。
なんかね、そういう波でありリズムであり何かを感じる。
で、これはなんかちょっとおかしい、なんかずれてるってわかる。
で、そのずれてるってわかるから仮説を持って見に行く。
で、そこでの経験でズレがわかってくっていう蓄積が出てくるけど、
なんかね、ピンとくるかどうかはこっちでも学んできたって感じする。
ちょっと僕全く言語化できないんですけど、すげーわかる気がします、今の。
嬉しい。
何も言ってない、何も言ってないんだよ。
何も言ってないんだけど、すごいわかる感じします、それ。
この時にちゃんと左脳を使って仮説検証する人は、言語化できるし蓄積できる気がする。
で、これがないとやっぱり、なんていうかな、達人の一人の技になっちゃう。
で、結構わかんないけど山田さんとか、まあそもそも自分も結構言語化こだわってるのはそこじゃないかと思ってて、って気がした、今。
それあえてもうちょっと聴いてみたかったんですけど、
かずさんは森の経験もあって、より加速した何かはあった感じがするんですけど、
なんか前後があるじゃないですか、遠い。
森での経験をされる前のかずさんもいらしたって。
あえて頑張って思い出すと何がより変わった感じされます、それって。
その差分がすごい知りたいんですよ。
いやー、ちょっと話して。考える。
考える時間。
いやー、なんか今までにない感じですね、山田さん、これ。
どういうことですか?
いや、これまでのこのラジオにない感じが回ってるのは、やっぱかずさんというこの
何か対話のプロというね、が作り出してるんだろうなって思って。
いや、いいですね、この。
いやー、ちょっと分かんないけど、分かんないなりにちょっとまずダラダラ出してみると、
さっき言った身体知、身体性みたいな話からすごいピンときてるんだけど、
自分は自分という存在こそ一番身近で一番偉大な自然だと思ってるのね。
なんで、例えばこの森リトを始めた山田博っていう人間は、やっぱりこの森っていう自然から学ぼうっていうのがすごく強くて、
自分はどっちかというとそれも大事なんだけど、その一つであるこの自然をもっと学びたいのね。
だから対話という表現を使って関わってるんだけど、
なんか、そこに対する信頼がすごく増してるのね、自分は。
ここで起こることは世界の相似形みたいな話っていうのもだし、
わいてくるってことは世界の声だっていう体感があって、
だから無駄なもの、無意味なものなんてなくて、むしろ止めてしまうことの方が世界に失礼っていうトーン。
その感覚を森を経て、特に強くなって、森から学ぶけど自分っていう、なんていうのかな、
禅でもそうでしょ、内なる宇宙みたいな。あの話に近い感じのトーンを持ってる。
ちょっとごめん、ここまで、丸。
どの辺まで届きましたか?
いやちょっと、僕もめっちゃシンキングタイムがいるやつですよ、これ。
シンキングタイム必要だなって思ってましたんで、編集必要かもなぁみたいな。(沈黙)
すごい今の聴いていて、何かがすごく受け取っている感じがあった上で、
自分はそれはどこで得たんだろうみたいな感じにすごいむしろ思考が行って、森のリトリートに僕も行かせていただいたこともあるし、
なんかいろんな機会、それこそエールでみんなしてスウェットロッジ入ってみましたねとか、なんかいろんなことやってきたなっていうのもありつつ、
どこかでその自分というもの自身が世界の一部であるっていう感じの感覚を持ち始めたのは結構、
僕自身が特に経営の中の組織をどう捉えるかっていう感覚にすごい土台を作ってるなって感じはするんですよね。
なぁ、どっから来たんだろうっていうのを、すごい、って思いましたっていう話と、
もう一個、これは海外の方と組織の話をすることがこの3年ぐらいすごい多いんですけど、
この感覚どこまで伝わるんだろうっていうのはすごい、この2、3年僕ずっとテーマで、
やっぱりなんとなく伝わるんですよ日本語でっていうこの感じが、僕の言語力の問題なのか、
あんまり伝わりきらんなっていうことは、なんかあるのかなっていうのはずっと考えてたので、
シンキングタイムがあればあるほど考え続けちゃうやつなので、一旦喋ってみました。
ちょっとそこに少しだけ乗せとくと、ずれて乗せれちゃうんだけど、
自分がやりたいことの一個に、なんかね、この日本社会ならではの何かを伝えたいって気持ちがあって、
何かっていうと、和語とか日本語を母語にした人の文化性、特性があると思ってるのね。
このことを自分はせっかく今大学にいるから、研究って側面からも含めて伝えたくて、
それは何だろう、これが特別なんじゃなくて、この特異性が社会に寄与するものがあると思っていて、それを伝えたいんだよね。
本当に全く同じようなことを僕思って、だから令和3年に令三社って会社つくっているのも、
結局日本人がすごいとか、なんか日本人である私って言われたいわけじゃなくて、たまたまこの文化圏で日本語という言葉を持ってる世界に
生きている私たちしか見えない次の一歩が何かあるはずっていうので、
そこの進化は日本の母語を持っている人がやらないと誰も世界中やってくれないから、我々やるしかないんですよっていうのが、
この一歩だと思ってやってます。 そうなんですよ。一緒ですね。本当ですね。山田さん。
そういうことをやってますね、お二人ともね。
いや僕にとってそれは対話なんですよね。だからダイアログって言いたくないのはそこで。
なるほど。 対話なんですよ。で、やっぱり話す、話すっていうところから伝えたいってのはずっとあって、
ここは何とか繋げたいんですよね。
なんかあの、僕2人ほどアカデミックな感じ、抽象度の高いところがそんなにすごい高いところ得意じゃないんで、
ちょっと具体でいくと、なんかね、経営をしてたり仕事をしている中で調子が悪くなってきた時に、
調子が悪いというかなんか自分の中でさっき言った感覚みたいな違和感に気づけなかったりするなってなった時に、
毎朝神棚の前で手を合わせてるんですけどね、朝起きた時。
なんか「私はあなたである、あなたは私である」っていうことを結構長いこと唱えるんですよ。
これ、これやってだいぶ戻ってくる感じがすごいあるのが、なんかさっきのかずさんの話からずっと考えてた時に、
なんかその感覚とすごい近いことを言っている。 いやーなんかすごいわかる気がする。
そういうことをずっと思いながら、でもこれよくわかんねーな、でもなんかこれここの気がするんだよなっていう。 そう思う、そう思う。
なんかそうなんだ。 その感覚を取り戻せた時になんかすごい
なんていうのかな、ちゃんと自分の中の宇宙と 世界という宇宙、外の宇宙とがちゃんと繋がっていく感じがある。
ある、ある。 すごい終わりですね、このラジオ。
いいのかな、これ。 そうなんです。これそろそろ時間だよっていうふうに言われている感じがしている中、
これ、いや多分終わり方とかないんだなって思いながら。
あのーこれラジオ、長いこと僕いろんなラジオ、社内でもやってるんですけど、
ラジオの収録が良かったかどうかのバロメーターの一つに、あの話した人が終わった後に、これ大丈夫だったかなって言うと大体すげー面白いっていう
あのパターンだっていうことがわかってるので、多分今回はバッチリ面白いんだと思います。
僕もいろんな経営者の方に組織の話、インタビューしに行って100人ぐらいしてるんですけど、終わった後に全く同じで、今日こんな話で良かったんですか?って
言われる奴が一番面白い奴なんですよ。
どうしよう、対話も一緒なんだけど。
20分話しますか、これから。 一応、とはいいつつ、終わっておきますか。
あの、ということで最後にぜひかずさん一言って、なんかどうでしたか、この前半後半、今回。
いや楽しすぎてて。なんだろうね、あの、僕のとっての対話、これも対話なんですけど、対話はいつもやっぱね、自分が変わる感覚なんですよ。
少なくとも今日会って始めた時から全然違うところに自分がいるから、めちゃめちゃ楽しかったし、ちょっと次何します?っていう感じになってる。
ちょっと前のめりになってます。落ち着けって感じでいるぐらいな気持ちに今いますね。あの、興奮してます、まる。