1. 俺思 | 週刊漫画家と装丁デザイナーのPodcast
  2. #87 アートとクリエイティブ..
2025-03-30 55:36

#87 アートとクリエイティブの違い

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今度はあんぼの動画データが途中で飛んじまったぜ!

ビデオポッドキャストがちゃんとうまく行く日は果たしてくるのか!?

生花めっちゃ面白かったです。


▼トーク内容▼

アートとクリエイティブの違い/アートとは/その人自身に価値があること/学術的価値について/5歳児のアートに学術的価値はあるか?/エンタメを重ねた先にあるもの/それぞれのアートとクリエイティブの割合/AI時代どうやって生きていく?


【お便り📮】https://onl.la/R6BtCwu

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【Instagram】https://x.gd/Kt5LB

【根本】https://twitter.com/mone_blossom

【あんぼ】https://twitter.com/ambo__atsushi




サマリー

このエピソードでは、アートとクリエイティブの違いについて議論が展開されます。根本さんとあんぼさんは、アートの学術的価値や個人の創作意義、さらには漫画やアニメといったクリエイティブな作品の位置づけについて対話します。特に、子供の絵や大人の表現における価値の違いが考察されます。また、ハニュー・ユズル選手のインタビューを通じて、アートの基礎と表現に関する見解が共有されます。このエピソードでは、アートとクリエイティブの違いについて、美大生や漫画家としての経験を基に、自己評価や作品の価値について考察されます。クリエイティブにおいては、読まれることが重要であるという認識が強調されます。また、漫画やデザインにおけるアーティストとクリエイターの役割について深く掘り下げ、AIの進化がクリエイティブ作業に与える影響についても触れられます。最後に、アートは自己表現の場としての意義を持ち、クリエイティブは様々な媒体での創作活動を通じての意義が語られます。

お便りの紹介とアートの意義
ラジオネームマクラクマさんからお便りいただきました。ありがとうございます。
ありがとうございます。
あんぼさん、根本さん、初めまして。
初めまして。
初めまして。
オーストラリアでバナナファームの仕事をしながら、このポッドキャストを聞いています。
すげえな。
第一話から聞き始め、毎回お便りを書きたくなるほどに楽しませてもらっていました。
そしてついに最新話まで追いついたので、人生で初めてのお便りを書かせていただきます。
質問です。アートとクリエイティブの違いについてどのようにお考えですか。
私は漫画やアニメ、絵画、クラシック音楽に興味があり、仕事中様々なことを考えています。
その中の一つがアートとクリエイティブの違いでした。
ある画家の方が、アートは学術的価値のあるもので、それ以外の創作物はクリエイティブに分類されると言っていました。
もちろんクリエイティブを下に見ているわけではないとも補足されていました。
この意見になるほどと思う部分もありますが、一方で俺はそうは思わないという気持ちもあります。
例えば、美術の歴史を深く理解した人が書く考察に値する絵と、子供が描く絵のどちらもアートと呼ぶのは、
学術的価値という点で確かに別枠のように感じます。
しかし、漫画やアニメなどはクリエイターと呼ばれる人々が生み出しているものの美的精神的な事象を表現した作品であり、
見方によっては研究の積み重ねから生まれる学術的価値のあるものにも思えます。
長くなってしまいましたが、はじめとのお便りということで気合が入りました。お許しください。
アートとクリエイティブの違い
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
マクラクマさんですね。
何ですか?これは解文になっているみたいな感じですか?
いや、そんなことないですよ。
あ、そうか。
マクラクマさん。あ、でも解文だねこれ。
ほら、なってるじゃねーかよ。
すごい。
俺さ、昔さ、朗読得意だったんだよね。
嘘つけ。
え、これほんとか。
これほんとに。
ほんとかよ。
俺さ、学語の授業の時さ、読むじゃん。
はいはい。
ごめんなさいね、お便り内容と関係ないの。めっちゃ得意だったし、自分の番早く来いって思ってたわ。
え、朗読、学校のその、現代文とかでしょ?
そうそうそう、丸読みとかそうじゃん。
現代文とかの授業において、早く自分の番来いって思ってるやついんの?
思ってた。いや思ってる思ってる。めっちゃ思ってた。
なんだそいつ、変なやつだな。
基本目立ちたがりだから。
いやまあ、にしても、気のせいだよ。
気のせいですか?
いやいや。
今日の、今の部分のお前だけを見る限りは気のせいだ。
起きたばっかやねん、毎回。
そうね。
毎回。
まだ現在時刻、9時52分ですからね、朝の。
いやもう今日はね、これがメインテーマですよ。
はい、そうね。
アートと、
アートとクリエイティブ。
クリエイティブ。
違いについてという。
ねー、なるほどねー。
なんか、昔撮ったアート志向とデザイン志向についての、なんか2みたいな内容な気がします。
うんうんうん。
うん。
そうだね、その考え方がそのアート志向、デザイン志向だったけど、今回はなんかあり方みたいな話だもんね。
そうですね。
ちょっと今日はこれについて話していきたいと思います。
じゃあちょっとタイルトルコールをします。
今のもうギリだったけどな。
なんで今日こんな下回らないんですかね、私。
タイトルコールしますよ。
はい、お願いします。
俺はそうは思わない、第87回目。
漫画家のおねもとです。
デザイナーのアンボです。
この番組は漫画家とデザイナーが、俺はそうは思わないを語りながら最高のクリエイターを目指すポッドキャスト番組です。
はい。
さあ、そうですね、アートとクリエイティブの違い。
学術的ですか、その、学術的価値とはなんだけど、まず。
うーん、なんかこのラジオ全然追ってない人のために、まずアートとはからなんですけど。
そうそう。
ああ、なるほど。
アートとはからなんですけど。
はい、俺らがどう思ってるか、そもそも。
そもそもね、アートとはっていうところからなんですけど。
僕らは、というか僕は、まあもう、自分の主観であり、もう自分の気持ちであり、自分のやりたい100%でやっていることがアートであるというふうに捉えています。
ほとんど同じみたいなもんですね、アートってだから。
まあ、そうだね、その価値基準が自分にあるか、その他者にあるかみたいなとこが。
そうですね。
その、あの前ね話したときは、アートとデザインっていうとこだったら、デザインはやっぱクライアントとか、その消費者がいないと成立しないというか、そのためにやるもんだよねっていう感じだけど。
そうだね、うん。
アートはね、ちょっと。
自分が良ければそれでいいという。
うん、そうだね。なんか点数つけるのの基準、最高判断が自分みたいなイメージあるけど、アートは。
で、なんか対してクリエイティブとかエンタメとかデザインって、本当に消費者、視聴者、読者ありきっていうイメージがすごくあります。
そうだね。
その、そちらに向けて作っているというイメージ。
これが、なんか大きくアートとクリエイティブアートとデザイン、アートとエンタメの違いだなというふうに僕は考えているんですけど。
そうですね。
うん。まずここからなんですけど、まずこのお便りを読む、読んで一番最初に僕がずっとアートについて思っていることを言うと。
ほう、アートについて思っていることがある。
僕がずっと思っていることは、これアンボにも何度か喋ったことあるんだけど。
え?
なんかその人が書くことに意味があることだと思ってます。
あー。
その人がやっていることに。
書くことで。
そう、その人がもうやってることに意味があるとアートだなというふうに思っています。
あー。
なるほどね。
僕はまだその領域にいないのでクリエイティブを積み重ねなくてはいけない立場の人間だと思っているんですよ。
なるほど。
その消費者にずっとこう答えていくうちに、その人というブランド的なものが立ち上がって、
何するにもその人だからとかその人の○○みたいなのができてきたらもうそれはアートではないかと。
そう。
あー。
ごめんなさい、全然学術的価値の話じゃないんですけど。
漫画とアートの境界
やっぱその人の人間の価値の話をしていて、宮崎駿ってジブリ映画いっぱい作るじゃないですか。
はい。
昔ってめちゃめちゃエンタメだったじゃないですか。
あの、ラピスタとか。
その、なんだっけ。
もののけ姫とか。
僕たちは、なんだっけ。
どう生きるか。
どう生きるかが。
あれ、あれは結局俺は見てないんだけど。
あれスーパーアートですよ。
って言ってたよね。
あのー、まあ面白い面白くないではなく、これはもうエンタメとしては作られてないなって感じたんですよ、僕は見て。
宮崎駿監督の最新作、僕たちはどう生きるかは。
あの、千と千尋とかラピュタとかの頃のエンタメではなく、本当に宮崎駿が作りたいものを見せられているという気持ちになったので。
でもそれって宮崎駿にもう価値がある。一定価値がある。
宮崎駿という人間が作るアートにみんな興味があるっていう状態が生まれているからできることだなと。
そこにお金も発生するし、協力してくれる人もいっぱいいると。
それで映画が公開されることになるという。
それって価値があることじゃね?っていうのがアドバイスする見方です、僕の。
結局、今なんか学術的価値の意味調べたけどさ。
任意の学問においてこれまで確認されたことのない事実や原理が明らかになったことによって生じる情報価値って書いてあるんだけど。
つまり、映画界という分野において宮崎駿という今までに無かった、大が言ってた誰が作ったかというブランド力みたいなところが、その情報として価値がある。
そうだね。
ってことはもうそれは宮崎駿という存在はもう学術的価値になってたんじゃない?
多分なってると思う。映画界では。
アニメ映画界では学術的価値のある人でしょ、あの人って。
じゃあ、このお便りにあった、誰かが言ってた学術的価値があるかどうか、あってはいるよね。
おおむね同じなんでしょうね、言ってることってこれ。
でも俺はそうは思わないという部分があるわけだからな。
そうですね。これでこの下に書いてあるのが、美術の歴史を深く理解した人が描く考察に値する絵と子どもが描く絵のどちらもアートと呼ぶのは、
まあ確かに別枠、学術的価値という点で確かに別枠のように感じるが、
しかし漫画やアニメなどはクリエイターと呼ばれる人たちが生み出しているので、見方によってはこれって学術的価値あるんじゃねっていう話。
漫画やアニメね。
真っ暗くまさんから見たら、漫画とかアニメは作ってきたクリエイターと呼ばれてるという認識?
そうだよ。クリエイターと呼ばれてる人たちが生み出しているという認識。
なるほど。
じゃあ、鳥山明とかってクリエイター?
クリエイターでしょ。
クリエイターか。そっかじゃあアーティストではないのか。
なんかもうアーティストに片足突っ込んでるけどね、鳥山明とかさ、井上武人子とかさ。
そうだね。それこそ、あれ。やべ、名前で忘れちゃった。
チェンソーマン。
チェンソーマン、藤本辰樹。
そうそうそうそう。
藤本辰樹。
うわ、なんか、結構クリエイターアトリカルアーティストみたいなイメージあるけど。
アート入ってるよね。なんかどうなんすかね、最近これのジャンプがすごいある気はするんすよ。アーティストかクリエイターかのジャンプ。
あー。
その境界線。
はいはいはい。
なんかその、一定その成果を出さなきゃアーティストになれないというわけでもない、なさそうな感じしないすか、最近は特に。
そうだね、なんか一個こう、まあ宗教までいかないけど、その藤本辰樹一派みたいなのをなんか、空気感はあるよな。
ある。そうなんだよな、それをなんか、本当に深く狭い界隈が認めることができちゃったら、それってもうアーティストとも言えるんじゃねっていう。
あー。
なんか、正直分かんないことやっててもね、漫画として分かんないことやってたとしても、もうその深く狭い界隈が持ち上げてたらそれってもう、もうアートやんみたいな。
うんうん。
エンタメから外れてたとしてもね。
じゃあやっぱ漫画やアニメの中にもクリエイターとアーティストがいるわけだよな。
これめっちゃあると思いますよ、あの漫画やアニメの中でもその見方によってはめっちゃ学術的価値あるし、あのこれって一種アートだよねっていう漫画とかめっちゃあります。
あの、おしみ修造先生の漫画とか。
確かにね。
なんか半分アート入ってるなと思いながら読んでるんだよ俺。
うんうんうん。
でも読めるからな、読めるしめっちゃ面白いからさ。
面白い。
めっちゃエンタメなんですけど、おしみ先生は。
確かにな。
思いますね。
一番漫画はそれこそ混ざってる分野かもしれないね。
なんかイラストとかだと、絵画とかだとさ。
そうなよ。
アートとクリエイティブの考察
なかなかね、エンタメってこう難しいイメージあるけど、そのアートとクリエイティブの混在してるのが漫画アニメな感じするな。
そう、漫画アニメ映画は結構なんか脚本っていうものがあるんですよ、そもそも。
で、脚本上はエンタメしていたとしても、演出だったり絵作りがめちゃめちゃアートによるみたいな人がいるんで。
確かに。
で、それを求めてる人もいるんですよ、やっぱり。
分かりにくい難解な絵作りだけど、感じ取れるものがいっぱいあるんだよ、この作品はっていうさ。
そうだね。
そうって。
そこにはまる人がいるしな。
それって結構半分アーティスト入ってるようなと思いますね、作家性としてはその人も。
確かに。
うん、いるよな。
それがだから。
似男先生とか。
お便りである考察に値する何、絵という作品みたいな部分か。
そうですそうですそうです。
子供の描く絵。
でも子供の描く絵もさ、もちろんクリエイティブじゃないけどさ、もちろんアートになると思うんだけど、
それってさっきのなんか、新たな価値というか、絵を描くという、学問なのかわかんないけど、
というジャンルにおいて、なんか子供の頃の描く絵の面白さみたいなのってあるやん。
ある。
それで言うとその、学術的価値に含まれてるのかもしれないな。
子供の描く絵という、ジャンル、枠組み自体が。
えー。
俺ちょっとそうは思わないかも。
うそ、なんで。
なんか俺学術的価値って、ある程度の基礎を確実に収めた人が出せるものだと思ってるんです。
あー、なるほど。
なんかじゃあ裏付けみたいなものが必要ってこと?
そう、裏付け、基礎に裏付けされた、なんか本当にちゃんとしているものっていう。
ははは。
ハニュー・ユズル選手も言ってたんですよ。
何を。
ハニュー・ユズル先生なんかのインタビューで、
えーと、その芸術についてどうお考えですかみたいな。
すごいなそれ、誰が聞いてんだそれ。
あなたのスケートリンク上での芸術についてどうお考えですかみたいなインタビューに対して、
全ての基礎の上に芸術はあるんでって言ってるんですよ、ハニュー選手も。
かっこよ。
だから僕は全ての基礎をちゃんと美しく飛ぶように練習したその先に、
芸術はあると思って飛んでいますっていうことを言ってるんで。
僕は子供が思うがままに持ったクレヨンで描いた絵は、学術的価値とはまた違うとは本当に思ってます。
でもアートではある?
うん、アートだよ。だって思うがままに描いてください、さあどうぞってアートじゃないですか。
そこに思うがままに描くというその感性という裏付けじゃダメなの。
感性。
学術的価値。
俺マジで感性というものを信じてねえからな。結構本気だ。
でも3歳、まあうちの子3歳だけど、3歳の感性があるわけや、それは。
ありますよ。
3歳の人生経験から描くなんていうのもなかなか難しいわけで、
やっぱ3歳の思う目の描き方とか、その子供が思う感性、感覚の中で生み出された絵は、
なんだろう、もう学術的価値にはなんないの。
学術的価値本当にあると思ってるよ、それ。
え、なんかだからその学術的価値が、なんだろう、その学問、一個の学問の中にある新しい、なんだっけ、発見というか、
っていうのであれば、まあ3歳の感性っていうジャンルはあるかなとは思っちゃう。
3歳の感性って収めてないからなーっていう気持ちがすごいあるんですよね。
収める。
今どこで、あの履修してないっていう感覚。
え?
大人の表現とアートの基礎
もう、履修してないじゃん。
俺とアンモさ、あのさ、先週さ、池花やりに行ったよね、初めて。
はい、行きました。
あのー、原宿の、やべー名前忘れちゃった。
小杉湯だ。
小杉湯だ。小杉湯の地下1階でやってる池花をやりに行ったんです。
はい。
めっちゃ楽しかったんです。
はい。
で、2人ともめっちゃ初心者だったじゃないですか。
うん。
俺に至って表も裏もわからないと。
そう。
お花の。
花とか木のね。
そう。で、2人さ、とも思い思いに作るわけじゃん。
何の知識もないままね。
はいはい。
あれって学術的価値はありますかって話なんですよ。
3歳児の絵と同じだと思うんですよ。
いや、待てよ。それは違う。
いや、違くないよ。違くないよ。
え、嘘。
何ですか。違くないと思うんですよ。
一緒?その。
一緒。
3歳の。
やってることを3歳児の、さあクレヨンとって描いてくださいねとやってること同じなんですよ、あの時。
マジ?
3歳の感性と29歳の感性はなんか順度違くない?
順度違うとしても、やってること同じなんですよ、あの場において。
まあまあ、やってることは一緒だな。
だって何の、俺ら本当に何の納めもしてないんですよ。
そうね。池花についての。
池花に対して。
してないな。
してないんですよ。
それってイコール3歳児がクレヨンをいっぱい渡されて、さあ今からお絵かきをしましょうって言ってる状態と変わらないんですよ、僕はあの場において。
あれに学術的価値があると思いですかって話なんですよ。
いやだから、そのまあ何歳以下みたいなのはちょっとわかんないけどさ、
まあ5歳以下とかぐらいの子の、
なんか予備知識のないものづくりみたいなのは、
もうというそのジャンル、5歳以下が作るものという価値がある気がしちゃうんだけど。
29歳以下が作るものなんて価値ないけど。
でも5歳以下の人間なんてそのさ、世界的に見たらさ、
5歳以下の人間なんて世界的に見たら何億人かいるわけじゃないですか。
はい、たぶん。
じゃあその何億人が描いた絵には全員価値があるの?って話になってこない?
そんなわけはないじゃん。
いや、あるんじゃねえよ。
学術的価値ってそういうことじゃないよ。
いや、そんなわけないじゃん。
だって何億人いる5歳以下の絵にみんな価値があったら意味わかんないですからね、結構。
なんでよ。
いやいや、意味わかんないでしょ。
ダメだろ。
なんの価値があるって。
本当に、アートって絶対評価だから。
絶対的な評価があるものだから、アートって。
本当に。
相対とかじゃない。
そこにみんな価値があったらもうめちゃくちゃやで、みたいなこの世界って思っちゃいますけどね。
そうなっちゃうのか。そういうもんなのか、なるほどな。
基本的にだから子供が描いた絵は子供が描いた絵だよって思う。
いや、多すぎちゃダメというか、めちゃくちゃじゃないって普通に。
それにそんな一手すげえ価値があったら、世の中。
でも価値をどうなんだろう。
じゃあ治めてる人たちなんなの?ってなってこない?そうなってきたら。
子供の絵の方が価値あるよねってなったら、おかしな話にならない。
価値に差があるかどうかわからないけどさ。
そうですね。
価値があるかどうかって言ったら、どうなんだろう。
親だからってのもあるけどね、もちろん。
価値はあると思いますよ、もちろん。そりゃあそう。
価値を否定してるわけじゃなくて。
そこに学術的ではないと。
うん、本当に。
治めてる人か治めてない人かってよっぽど違う、ここは。
じゃあその、アートの、でもアートではあるわけで。
アートではある。
それじゃあ何的価値だろう。
アートには学術的価値と、もう一つ、こういうものがある。
だからそれがお便りにもあった子供の絵とかが含まれるわけだけど、
それってじゃあなんなのってことか。
マジで楽しく描けたね価値ぐらいな感じだと思う。
楽しく描けたね、だよ。
あー、なるほどね。そういうことか。
そういうことだよ。
もうそこに価値がある。3歳が楽しく描いてる、5歳以下が楽しく描いてるという価値。
そうそうそう、楽しく上手に描けたねっていう価値はありますけども。
でも例えばその3歳児がさ、ピカソとかさ、ゴッホみたいになったとするじゃないですか、将来的に。
そうなった場合、3歳の頃に描いた、その上手に描けたねが取ってあったらめっちゃ価値あるものになるよね。
そのブランドがある。もうその人として学術的価値がある人が、
さらに楽しく描いた価値を持った絵を持ってたら、すごい。
これがゴッホが3歳の時に初めてクレーンを手に取って描いた絵かーとはなるよね。
あー、なるほどね。そうなったらそれは学術的価値のあるもの?
いや、あるでしょ。あるでしょ。だってゴッホってすごい履修した人だから、最終的に。
自殺するまで追い込まれた人だからね、アートで。
じゃあだから、未履修価値ってことでしょ?その5歳以下のものは。
でも学術的価値になり得るということか。
まあその人の人生次第ではないって感じじゃないですか。
本当に俺、アートってその人の人生そのものだと思ってるんですよ。本当に。
まあ、そうだよね。そのなんか、受け手にこう受け取ってほしいとか、
受け手を意識してっていうことでは、まあ多少あるかもしれないけど、そこが本質ではないもんな。
だからある意味では、今80億人ぐらい地球上に人間いますけど、
80億のアートの価値があるんですけど、ある意味では。
ただそれは、その評価が80億に対してみんな一定評価があるわけではないから、
その中で突出した1億人ぐらいがアーティストになるんじゃないですか?何かで。
いや、1億人もいないだろうけど、アーティストって。
なるほどね。
っていうイメージはめっちゃあって。
だからさっき、5歳以下の何億人が全員アーティストなわけなくない?っていう話をめっちゃしてたんですよ。
まあ、アーティストはそういう。
確かにな。
アーティストであるかどうか。
でもまあ、アーティストな感じにするけどな。
もう5歳以下はもうみんなアーティストでしょ。
そうですか。
人間をアーティストかクリエイターで分けるなら、5歳以下はアーティストなんだろうな。
5歳以下は確かにクリエイターではないから、アーティストではある。それはめっちゃ思うわ。
どちらかというと。で、やっぱなんかね。
おもろいね。
大人になるにつれて何者でもなっていく。
そうなんだよね。そうなんだよ。最初はね、みんなね。
価値を失っていくから。
自分のさ、やりたいとか、描きたいとか、これ好きとか、なんとなくこれいいかもで描くからさ、最初って。
そうだね、ほんとだよ。
なんとなくこれいいかもすらないけどな。ぐちゃぐちゃやってるだけだからさ。
いやなんか、昨日ちょうど仕事で、周囲車のほうに打ち合わせ行く機会があって。
はい。
行ったわけですよ。神保町第3ビルのほうかな。神保町第3ビル。名前合ってるかわかんないけど。
バクマンでよく見る、周囲車でね。
あそこですね。
いややっぱあそこ行くたんびにさ、高校生の頃初めての持ち込みのことをなんか思い出すんだよね。
うん、わかるよ。
アートの価値と自己評価
それこそ初めてのさ、作品なんて、なんかちょっといいなとかさ。
その時自分がハマってる作品のなんか似た感じみたいな。
そうだね。
のを描いただと思って、なんか俺ヒーローみたいなのを描いてたんだよね。
なんか見たことあるわ、それ。
なんか見たことあるわ、それ。
みたいなやつ描いてたなと思って。
あれはでも、学術的価値もなければ、読者というか消費者無視したクリエイティブなものでもない。
価値もない、そうだね。
あれはでも、自分にとってやっぱ価値があったから、あれはじゃあ結局アートなのかな。
まあね、自分にとって価値あるから、作ったものって。
そうそう、それはあるよ。
それはそうなんですよ。
しかも、初めての、描き切った、31ページ?45ページ?忘れちゃったけどの漫画って、大きい価値ではあったよな、高校生の。
そうだよね。別に学術的価値もクリエイティブ価値もないけどっていうことよね。
自分に対しての何か価値があるのか。
いや、それはあるんじゃない?
自分に対しての最初の方に言ってた、自己評価でのアート。
そうだね。
それはじゃあ何的価値なの?
ん?自己評価でのアート?最初に言ってた。
そう。学術的価値もなければ、クリエイティブでもないわけよ。
そうだね。
でも、その枠組みで言ったら、自分が良ければいいという部分があるわけだったら、それはじゃあアートになるわけで。
いや、それはもうマジでオナニーですよ、それは。
完全なる?
完全なる。それはもう、そうです。
自分だけが気持ち良ければいいは、美大生が陥るやつですね、オナニーですね、最終的に。
そうなんだ。
俺さ、美大生がさ、美大生とか写真学生がさ、たまにさ、ヌードを撮るときあるんですよ。
あれ第二病とか第三病と呼ばれてるんですけど。
え、それ人の?自分の?
なんか人とか自分のとか。ヌード写真を撮って作品として提出する時期があると。
時期が。
あれ第二病とか、第二病と言われるんですけど。
中二じゃなくて第二なんだ。
そうそうそうそう。あれってなんか本当に価値があるものと、なんか自分が出したいものがもう分からなくなって、
もうどこにこうクリエイティブを向けたらいいか分からない状態で出すヌードなので、
まあ本当になんかもう一番オナニーに近いというか。
へえ、そうなんだ。
うん、これ結構美大とか写真学科あるらしいんですけど。
写真学科すぎるだろ。
それもう。
いやなんかそういう、本当そういう時期ってありますよね。でもなんか。
へえ。でも確かになんか、ヌードデッサンとか。
瞑想に瞑想重ねて。
それこそね、ヌード写真とかやってたら、ちょっとこうやってる感あるな。
そうそう、そうやってる感も出るからさ。
ね、風景撮るとまたちょっと。
ヌード撮影って。
ひと味違う感じもあるよね。
そう。あれ第二病なんですよ。
へえ、初めて聞いた。第二病なんだ。
第二、美大あるある第二病なんで。
そう、なんかそういうこともありますね。
そうか、なるほどね。
へえ。
ただ、
いやでも、僕は本当にこうなんか円溜めを積み重ね、積み重ね、信頼を得ていくっていう段階にいる人間なので、
本当に学術的価値についてすごい語れるわけじゃないんですけど。
でも、なんか俺は本当に、
でも昔はね、なんかこう写に構えてさ、
かっこいいコマ描いてやろうとかさ、
なんか何回な、読み解くのに時間がかかるような風景描いてやろうとか、
ひとコマに二個も三個も意味を乗っけて、
こうなんか読者さんに、頭のいい読者さんに読み取ってもらおうみたいな、
こうなんかすごい写に構えてアートに行こうとしてた時期もあるんですよ。
漫画に対してね。
はいはい。
もう今完全になくなったね、それ。
完全にない、今。
それはなんで?
読んでもらえないからっすよ、そんなことしても。
私はアーティストではないですよ、という。
そう、ついてこれないんすよ、そんな。
僕みたいなもんの、僕みたいなもんの壮大なオナニーについてくれる人はいないんすよ。
だから、円溜めを作り続けないといけないっていう。
確かになんか大学、それこそ、それ漫画学科あるあるの第二病かもしれないけどさ、
あの、課題とかでなんか読み切り描きましょうっつって、
じゃあ20ページ前後描いたとして、
20ページ前後で描けることなんてすごく限られてるわけで、
それなのに、いやこいつにはこういう背景があってとか、
その、いやお前が考えてるそのなんか裏設定みたいなものはもうどうでもいいんだよっていうやつを書きたくなる、喋りたくなる時期あるよね。
あれ第二病だったね、漫画。漫画描いてるこの第二病。
第二病じゃない。いや、ここがこう繋がっててみたいな。
わからない。
繋がってるかもしれないけど。
そう、読者わからんから。
繋がってるからなんなの?みたいな。
いやマジであるね。
あとさ、結末を濁すとかね。
あと、バッドエンドにするとかね。
なんかね、あれね第二病なんですよ。
確かにね。
漫画描きあるある。
マジで結末はもうお任せします。
あの、読者が汲み取ってくれるんで、みたいな。
意味深な終わり方していくみたいなね。
バカかよって。
お前の作品とお前にまだそれほどの価値はないぞと。
そうだね。
お前の作品を最後まで読んで汲み取ってくれる人はいないんだぞと。
第二病に言いたい、これは。
クリエイティブの重要性
確かに読者に委ねる系ラストは、読者に委ねるラストでなきゃいけない作品なときのみって起用されるよね。
そうだね。そうなんですよ。
これやりました。僕もやりました、昔。
嘘?
やったよ。
もうこれは投げっぱなしエンドだなみたいな作品作ってさ。
そうなんだ。
別に浸ってたけどさ。
あれは痛いね。
第二病だね。
第二病でしょ、あれ。
第二病なんだよ。
確かにな。
なんか振り返ってるシーンで終わるみたいなのが書いてたけど、いやもう第二病でしょ。
振り返ってるシーンで終わるって、お前。
なんか意味深な顔で終わるみたいな。
そうそうそうそう。
なんとも言えない、これどの表情なの?
なんかこう、ちょっと不敵に笑ってるように見えるけど悲しんでるようにも見える。
なんとも言えない顔で終わるラストとかあるよね。
そして別に、書いてる本人もそこまで意図的でもないっていうね。
そこまで。
なんとなく書いてるだけみたいな。
そう、なんとなく書いてるんですよっていう。
時期はありますよね。
ああ、そうだね。
面白い。
あの時はそうだね。
そこからやっぱ、そんなんじゃそもそも食っていけないですよと。
誰がどう評価すんねんっていうことに気づくと。
クリエイターになっていく。
そうですね。
もう真摯に僕はエンタメを作らないといけないと。
僕は真摯にデザインを作らないといけないと。
そうだね。
もうデザインなんてね、それこそ。
クリエイティブでしかないから。
それこそね、読まれなきゃ意味ない。
読んで読まれるための。
だからそれこそどんなに作家の方が作るものが
どんなにアートだったとしても
それを手に取ってもらえるように
クリエイティブしていかないといけないというところが
そうだね。
デザイナーではあるからね。
あるけどね、アート×アートな場合もね。
そこはでもちょっと本当にそれこそさ、やっぱやり尽くした人というか
本当に技術求められるなというか。
なんか一個信頼感を求められるよね。
そうだね。
クリエイティブってある程度さ、ルールあるやん。
ある。そうなんです。
この続きはセオリーがあるやん。
漫画もあります。
アートだとね、ちょっとセオリーないものでいいものを作るって
やっぱまあ普通にちょっと怖いよね。
うん。
非常に。
まあしかもそのセオリーを無視するものもやっぱり
セオリーを履修した人がやるから意味があるっていうのは
そうだね。
もう言われ尽くしてる話じゃないですか。
最初からねバチバチのそのだからアート×アート
中身もアート作品で
まあ外側というか外側のデザインもアート作品ってなると
本当にそれしかやってこなかった人たちはなかなかね難しいというか
そうなんですよ。
ちゃんと技術のある方々がタッグを組んでこそ成立する
アートではあるよね。
本当裏付けされた基礎と技術があってアートが生まれるって
結構これはもう万物に共通していると僕は思っている
真理なんですよ一つ。
アーティストになりたい?
アートの領域までの人間になりたい?
うわーこれちょっとね考えたことねあんまりなくて実は
基本エンタメ寄りでいたいと思ってます。
今はそう思って。
今はね。
でやっぱ目指してるエンタメ像って
やっぱり稲垣理一郎先生みたいな原作者。
アイシールド。
そうアイシールドドクターストーン
あとトリリオンゲーム。
やっぱもう出す作品出す作品が全部面白くて
ちゃんと価値を生んでお金が出るっていう
で見る人みんな幸せにできるっていう
それってエンタメじゃないですか。
そうだね。
なんかそれ以上のこと考えたことないですね僕は。
確かにな。
アーティストになりたい?
いやー俺はもうその
やっぱ
ちょっと前も話したけどさ
前回の時も
俺自身は別にそんなクリエイティブじゃなくて
周りの人がクリエイティブな人が多くて
その人に応える形で
自分もクリエイティブやっていきたいと思ってるから
もしかしたら今後だからその
アートを求められることがあるわけやん。
ものを作っていく中で
その人との出会いの中で
ってなったらそこの領域もできないといけないと思うと
だから
全部できる人にならないとなったら
デザイナーって時も
求められたものに対して応えられる
人にならないとなと思ってて
そんなこと言ったらじゃあ動画もあれこれもみたいになるんだけど
そこまでというかそういう話よりかは
今はそのグラフィック
平面のものとか
印刷物というジャンルに関しては
どんなものでもできるデザイナーみたいな
ガチガチのセオリーに沿ったものもできるし
尖ったアートなものもできるし
とか
なんかその求められたものにちゃんと応えられる人が
そうだね俺が目指してるとこだな
それできたら強いしな
どっちもできるし求められたことちゃんと出せますよってなったらね
それがだからそうだね
作家さんとはまたジャンルの違うとこじゃん
うん確かに
デザインとアートの関係
自分が作り出したものしっかりと
芯持って売れるものを作れる人というよりかは
そういう人たちの要望に何でも応えられるような人
ガチだな俺が目指してる
だから普通にクリエイターなのかな
アーティストではないと思うけどね
要望に応えるって時点で結構クリエイトだからね
だとは思うね
最近漫画描いててやっぱ思うのは
2対8ぐらいだなと思ってますね漫画は
あと2
あと2のエンタメ8ぐらい
自分の場合はね
でこの2と8がどう出現するのかなんですけど
まず1のアートが初期衝動なんですよね漫画は
もうこれが描きたいみたいな
俺で言うと今ビリオンブレイクっていう漫画を連載してるんですけど
可愛い女の子が
強い気持ちで戦ったり悔しがる姿が見たいっていうのが1なんですよ
あとテニスが描きたい
初期衝動ね1
これはもうアートなんですよ
俺がやりたいことだから
でもそっから先の8は
あのー
エンタメなんですよ
クリエイティブでエンタメで
どうしたら読者さんにもっとこの主人公が好かれるか
もっとこの主人公を応援してもらえるか
もっと続きが気になるか
もっとわかりやすくできるかを積み重ねる8があって
で最後の出口にまた1アートあるんですよ
これが本当に判断に迷った時の
自分がやりたいところってどこだっけ
を見つめる1なんですよ
だから1のアートを2つに
挟まれた8のエンタメで作られてるのが
俺は今は自分が描いてる漫画はそのバランスだなと思ってますね
デザインのプロセス
なるほどね
えーじゃあなんだろうなデザイン
デザイナー今は
それだったらでも
あーどうなんだろう
なんとも
まあその割り振り方にもよるけど
ほとんどでも台と同じかなと思うね
だから1.5対8.5とかじゃない
最初の書庫として先方に出すわけで
それってまあ会社によってやり方違うけど
うちの会社だと
一人でやるというよりかは何人かでやって
社内で
コンペじゃないけど社内で数案出して
それを先方に方向性決めていただくみたいな感じなんだけど
だからそこの書庫の段階は
エンタメ
まあその求められてるものと自分がいいと思うもの
自分がこうしたいと思うもののアート
だから半々0.5、0.5かな
で1を出して
であとは先方と
編集さんなのか作家さんなのかの要望
だから編集の方は売れるために調整していく
で作家さんは一番作品を知ってるわけだから
細部を見てくれる
っていうところもその
クライアントに100%答えるから
だからクリエイティブ8やったとして
でその最後の
とは言いつつも
ここはやっぱりこっちの方が
デザイナー目線での位置を持っておきたいみたいな感じかな
最後に迷った時に位置を使うというよりかは
その位置は一旦持っておいて
調整していく中でも
だとしても合理的に考えたらこうかもしれないけど
だとしてもこっちの方がやっぱり
この雰囲気出るよなとか
先方が言ってる要望に対してプラスアルファできる
こっちの方がいいんじゃないっていうところの位置を
デザイナー視点として持っておくっていうので
そうなんだ
だから
位置がなんか
随所に確認みたいなところで入っていくみたいな感じかな
そこちょっと漫画家と違うね
そうだね
だから
結局それが元に戻してくださいって言われることもあるから
最終決定権みたいな部分は俺らにはないから
デザイナーにはないから
でも漫画家はあるわけで
だから最後に使うよりかは
って感じだね
漫画家は結構最後の
漫画家は最後の出口をアート出さないと
本当の意味では価値なくなっちゃうので
本当に悩んだ時の最後の出口はアートだと思ってます
なるほどね
その人が描いた意味がなくなっちゃうんですよね
面白く描くこといくらでもできるんですけど
確かに
その人が本当に思ってることを描かないと乗らないんですよね
本当の熱みたいなものって
売れる作品というかね
システム的に作ることは確かに
多分できるだろうけど
AIとかで
できる時代かもしれないけど
そこに
付加価値じゃないけど
その作品で生きていくというかね
ってなった時にやっぱり
その本人という
ブランドみたいな部分はなくなっていってしまうよね
作者が乗っかってるのが最後の位置ですね
アウトプットの出口の最後の位置な感じがしますけどね
これは多分人によるんですけどね
作家さんによると思いますこの考え方
僕は今こう思ってますね描く時に
デザイナーもそうだろうな
いろんな人いるからな
やっぱだからそれこそ最初の
俺がだから0.5、0.5で出す初行を
もうアート強めでいって
そしたら先方がこれもこっちすごくいいですねってなることだってあり得るし
ありますね
しかもなんか今の分かんないけどね今
俺がデザイナーとして今の会社に入ってからは
やっぱり先方がいてこそだし
先方の要望にどれだけ応えられるかみたいなとこだけど
結構上の人から聞く話だと
昔とかは編集者さんとかってよりかは
デザイナーの意思決定が結構強かったとかって話は聞くしね
時代によって違うんですか
だからデザイナーのそちらが言うのであればじゃあそうなんですねになる
感じでは
物作れる人とかが少なかったりするとそうなんか分かんないけど
そういうデザイナーさんも全然いるだろうし
判断する力のある
威厳のある人も今もいるだろうけど
そうだね
その人が正義という人もいるだろうけど
今現時点で俺は違うから
アーティストとしての動き
いろんな人がいるけど
結局はクリエイターだなって思っちゃうねやっぱ
なんか今って結構みんなそれなりにクリエイティブできるよね
それなりに
それこそさちょっと仕事辞めて動画編集勉強して
そっちで食べていけるようになりましたとかさ
すごいよね
自学で
とかさなんか前ってのそんなないのに
1からやり始めようと思ってすごくない
すごい
すごいけど
ハードルは下がってるなって感じますね
そうだね
その選択肢取れる時点でねもう
すごい時代だなという感じではあるよね
私ツールもすごいんよ
俺最近動画編集してるんだけどさ
そうだこれはね動画になってます
こんなすごいって
それ何どういうすごさなの
僕ね動画編集自体は本当に中学生ぐらいの頃からやったことあって
それすごいね
なんか
それなりにはできるんですよそれなりには
ラジオとかやってて
面倒くさがっててやってないだけでできるんですけど
いやもう最近触り直した時びっくりしたのがやっぱAI機能ね
AI機能びっくりしただから
何どこで使うのそのAI機能は
例えば今ってあの映像と音声別撮りしてるんです僕ら
そうだね
これあの昔だったら一個一個映像に音声くっつけて映像をミュートするって作業をしなきゃいけなかったんですよ
あの頑張って拍手に音合わせたりしてね
頭合わせたりして自分で手動で
今それをやってんのかと思ってた俺
今ねそれほとんどやんないっす
あの突っ込んだらAIが勝手に合わせてくれるんですよ
合うんだそれで
そう自動に合うんですよこれすごくて
一応頭撮ってるけど俺がやる作業今なくて
あそうなの
そう一応ね
じゃあ俺は今そのこれね最初撮る前あのなんか321パンみたいな音合わせるのやってるけど
俺は台のためにやってると思ってたけどこれはAIのためにやってるの今
そうだね一応ねで俺が確認しやすいようにだね
AIがちゃんとくっつけた頭部分が揃ってるかを俺が確認するためにやってるんだけど
AIはその波形とかだけで合わせてるってことなの
そうAIはそれ気にしてないからっていう
えー
とか字幕とかもやっぱもう自動で出ちゃうね
つけないけどこのラジオには
字幕って自動でつけれんの
自動今のAIはすごいよ自動だよ
すげーな
すごいだからもうこれはね5年前10年前と本当に変わったなとハードルが一個
びっくりしてる動画編集一つ撮っても
なんかそうなるとよりさアートの学術的価値が上がるよね
上がる
やっぱ
本当になんかその道を治めた人にしか出せない価値って絶対にあるって
俺は信じている派なので
だからあんなに俺3歳児の絵否定派だったんですよね
いやそれは
学術的価値はねーよと
本当にあると思ってるみたいな
いや俺はその5歳以下数億人全員アーティストで学術的価値あると思っちゃってるな
俺思やな
そうかそんな
私クリエイター
それやっぱデザイナー
漫画家ってやっぱ01だからさ
なかなかね
いかにツールが便利になったところで
なかなかこう競合できない分野じゃん
だとは思うんだけど
デザインってね
なかなかしかも俺がやってるそういうグラフィック平面だったり印刷物とかだと
いや結構脅威だよね
サクッと条件入って売れるものとか作られちゃうことは全然あるだろうし
恐ろしいよね
そんなさ
ただか言うてねこんな偉そうにというかこんな勝手に喋ってるけど
俺まだ全然デザイナー新人だし
デザイナー歴も浅いし
っていうやつと
が一生懸命やるものと
例えばわからない
ここ50年分のデザインの知識ぶち込んだAI
ってなったらさ
ちょっと怖いよね普通に
普通に怖い
怖いけどそんな事態が来るからこそ俺人に価値があるんじゃねと思っていますね
来るからこそ
なるほどね
もう来るしこれは
来ちゃう
AIもねネーム切れちゃう普通に
そうだよな
そこで人というものが出てくるわけだな
そう
その人自身に出せないから
AIには絶対に出せない
AIにはねビデオポッドキャスターできないわけだから
今現在では
そうです
だからね
それをね
本当に自分自身にもうちょっと価値を出していかないといけない時代だなという風に
思っています
それは思いますね
っていう意味ではなんかアーティストになろうとしてるような
確かに
あーこれアーティストなのか
そうじゃない
今話した流れで言うとアーティストじゃないそれって
確かにここ数年は本当に
俺は根本大に
なろうと思って動いてます
その
どういう作品をというよりかは
だから漫画だけに限らず
このポッドキャストもそうだし
そうですね
ここ数年はそう思って動いてる
それはもうアーティストじゃないですか
これアーティストなのか
もう自分ですね
アートとクリエイティブの関係
なんか自分になろうみたいな感じなんですけど
しょうがないですね
アーティストと捉えられたらアーティストかもしれない
それは
難しいね
じゃないとなんかクリエイターとして死ぬなみたいなのは
ぼんやりずっと思ってるんで
なんか友達引っ張り出して
こういう活動してるんですよ
なんか少しでも
生き残りやすくなりそうな気がするので
うん
俺もだから
生き残るために
引っ張り出されやすいような
そのだから
なるほどね
引っ張り出されそう
この引き出し開けれそうみたいな引き出し入るみたいな
はいはい
ことに俺はだから今
そういうことをやっていきたいなと
そうですね
それこそ今日ねちょうど
今日夜
ダイエット飲み会で会いますけど
あーそうだ
他のね
ポッドキャストやってる人と
繋がることがあって
その人たちと飲んだけど
もしね
その人たちと何か作るってなった場合の
何か作ろうかなってその人たちが思ったとき
俺という
その引き出しが近くにあれば
そうだね
俺に連絡が来ればやるし
それが楽しい
そしてそういうことで何か
俺の名前だから
人間の部分が
残っていくみたいな
残していければと思うよね
そうだね
確かにそうなるともう
アート
クリエイターという枠でももうないのか
なんかそうなんだよね
その枠とかが
すごい溶けててジャンプしてる感覚が
ずっと僕あるんですよ最近
人とかに対して
これちょっと話すと長くなるんであんま話せないんですけど
もうなんか
なんでも溶けてるなって思います枠が
本当に思います
なるほどね
これそのうち話します
めっちゃ思ってるんで
そこですかね
今回は
オーストラリアへの想い
あのラクマクマさん
僕めっちゃオーストラリア好きで
何つった今
マクラクマさんだ
マクラクマさん
あのオーストラリア行ったら
ちょっと案内してください
お願いします
オーストラリア好きすぎやな
好きで
前後オープンとか1月に行くつもりなので
ぜひ案内してください
友達になってください
聖地なんですかオーストラリア
そうですね
四大大会のうちの一つがあるので
聖地っちゃ聖地です
よろしくお願いします
ビデオブレイク
ヒットさせて
みんなで行こう
さあ
というわけで
リスナーからのフィードバック
これは何回ですか
87回目
俺はそうは思わない
でございました
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お便りなどください
最近お便りちょっと多くて嬉しいですね
嬉しいです
よろしくお願いします
それでは今回も
パーソナリティは根本と
安保でした
55:36

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