はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
マクラクマさんですね。
何ですか?これは解文になっているみたいな感じですか?
いや、そんなことないですよ。
あ、そうか。
マクラクマさん。あ、でも解文だねこれ。
ほら、なってるじゃねーかよ。
すごい。
俺さ、昔さ、朗読得意だったんだよね。
嘘つけ。
え、これほんとか。
これほんとに。
ほんとかよ。
俺さ、学語の授業の時さ、読むじゃん。
はいはい。
ごめんなさいね、お便り内容と関係ないの。めっちゃ得意だったし、自分の番早く来いって思ってたわ。
え、朗読、学校のその、現代文とかでしょ?
そうそうそう、丸読みとかそうじゃん。
現代文とかの授業において、早く自分の番来いって思ってるやついんの?
思ってた。いや思ってる思ってる。めっちゃ思ってた。
なんだそいつ、変なやつだな。
基本目立ちたがりだから。
いやまあ、にしても、気のせいだよ。
気のせいですか?
いやいや。
今日の、今の部分のお前だけを見る限りは気のせいだ。
起きたばっかやねん、毎回。
そうね。
毎回。
まだ現在時刻、9時52分ですからね、朝の。
いやもう今日はね、これがメインテーマですよ。
はい、そうね。
アートと、
アートとクリエイティブ。
クリエイティブ。
違いについてという。
ねー、なるほどねー。
なんか、昔撮ったアート志向とデザイン志向についての、なんか2みたいな内容な気がします。
うんうんうん。
うん。
そうだね、その考え方がそのアート志向、デザイン志向だったけど、今回はなんかあり方みたいな話だもんね。
そうですね。
ちょっと今日はこれについて話していきたいと思います。
じゃあちょっとタイルトルコールをします。
今のもうギリだったけどな。
なんで今日こんな下回らないんですかね、私。
タイトルコールしますよ。
はい、お願いします。
俺はそうは思わない、第87回目。
漫画家のおねもとです。
デザイナーのアンボです。
この番組は漫画家とデザイナーが、俺はそうは思わないを語りながら最高のクリエイターを目指すポッドキャスト番組です。
はい。
さあ、そうですね、アートとクリエイティブの違い。
学術的ですか、その、学術的価値とはなんだけど、まず。
うーん、なんかこのラジオ全然追ってない人のために、まずアートとはからなんですけど。
そうそう。
ああ、なるほど。
アートとはからなんですけど。
はい、俺らがどう思ってるか、そもそも。
そもそもね、アートとはっていうところからなんですけど。
僕らは、というか僕は、まあもう、自分の主観であり、もう自分の気持ちであり、自分のやりたい100%でやっていることがアートであるというふうに捉えています。
ほとんど同じみたいなもんですね、アートってだから。
まあ、そうだね、その価値基準が自分にあるか、その他者にあるかみたいなとこが。
そうですね。
その、あの前ね話したときは、アートとデザインっていうとこだったら、デザインはやっぱクライアントとか、その消費者がいないと成立しないというか、そのためにやるもんだよねっていう感じだけど。
そうだね、うん。
アートはね、ちょっと。
自分が良ければそれでいいという。
うん、そうだね。なんか点数つけるのの基準、最高判断が自分みたいなイメージあるけど、アートは。
で、なんか対してクリエイティブとかエンタメとかデザインって、本当に消費者、視聴者、読者ありきっていうイメージがすごくあります。
そうだね。
その、そちらに向けて作っているというイメージ。
これが、なんか大きくアートとクリエイティブアートとデザイン、アートとエンタメの違いだなというふうに僕は考えているんですけど。
そうですね。
うん。まずここからなんですけど、まずこのお便りを読む、読んで一番最初に僕がずっとアートについて思っていることを言うと。
ほう、アートについて思っていることがある。
僕がずっと思っていることは、これアンボにも何度か喋ったことあるんだけど。
え?
なんかその人が書くことに意味があることだと思ってます。
あー。
その人がやっていることに。
書くことで。
そう、その人がもうやってることに意味があるとアートだなというふうに思っています。
あー。
なるほどね。
僕はまだその領域にいないのでクリエイティブを積み重ねなくてはいけない立場の人間だと思っているんですよ。
なるほど。
その消費者にずっとこう答えていくうちに、その人というブランド的なものが立ち上がって、
何するにもその人だからとかその人の○○みたいなのができてきたらもうそれはアートではないかと。
そう。
あー。
ごめんなさい、全然学術的価値の話じゃないんですけど。
やっぱその人の人間の価値の話をしていて、宮崎駿ってジブリ映画いっぱい作るじゃないですか。
はい。
昔ってめちゃめちゃエンタメだったじゃないですか。
あの、ラピスタとか。
その、なんだっけ。
もののけ姫とか。
僕たちは、なんだっけ。
どう生きるか。
どう生きるかが。
あれ、あれは結局俺は見てないんだけど。
あれスーパーアートですよ。
って言ってたよね。
あのー、まあ面白い面白くないではなく、これはもうエンタメとしては作られてないなって感じたんですよ、僕は見て。
宮崎駿監督の最新作、僕たちはどう生きるかは。
あの、千と千尋とかラピュタとかの頃のエンタメではなく、本当に宮崎駿が作りたいものを見せられているという気持ちになったので。
でもそれって宮崎駿にもう価値がある。一定価値がある。
宮崎駿という人間が作るアートにみんな興味があるっていう状態が生まれているからできることだなと。
そこにお金も発生するし、協力してくれる人もいっぱいいると。
それで映画が公開されることになるという。
それって価値があることじゃね?っていうのがアドバイスする見方です、僕の。
結局、今なんか学術的価値の意味調べたけどさ。
任意の学問においてこれまで確認されたことのない事実や原理が明らかになったことによって生じる情報価値って書いてあるんだけど。
つまり、映画界という分野において宮崎駿という今までに無かった、大が言ってた誰が作ったかというブランド力みたいなところが、その情報として価値がある。
そうだね。
ってことはもうそれは宮崎駿という存在はもう学術的価値になってたんじゃない?
多分なってると思う。映画界では。
アニメ映画界では学術的価値のある人でしょ、あの人って。
じゃあ、このお便りにあった、誰かが言ってた学術的価値があるかどうか、あってはいるよね。
おおむね同じなんでしょうね、言ってることってこれ。
でも俺はそうは思わないという部分があるわけだからな。
そうですね。これでこの下に書いてあるのが、美術の歴史を深く理解した人が描く考察に値する絵と子どもが描く絵のどちらもアートと呼ぶのは、
まあ確かに別枠、学術的価値という点で確かに別枠のように感じるが、
しかし漫画やアニメなどはクリエイターと呼ばれる人たちが生み出しているので、見方によってはこれって学術的価値あるんじゃねっていう話。
漫画やアニメね。
真っ暗くまさんから見たら、漫画とかアニメは作ってきたクリエイターと呼ばれてるという認識?
そうだよ。クリエイターと呼ばれてる人たちが生み出しているという認識。
なるほど。
じゃあ、鳥山明とかってクリエイター?
クリエイターでしょ。
クリエイターか。そっかじゃあアーティストではないのか。
なんかもうアーティストに片足突っ込んでるけどね、鳥山明とかさ、井上武人子とかさ。
そうだね。それこそ、あれ。やべ、名前で忘れちゃった。
チェンソーマン。
チェンソーマン、藤本辰樹。
そうそうそうそう。
藤本辰樹。
うわ、なんか、結構クリエイターアトリカルアーティストみたいなイメージあるけど。
アート入ってるよね。なんかどうなんすかね、最近これのジャンプがすごいある気はするんすよ。アーティストかクリエイターかのジャンプ。
あー。
その境界線。
はいはいはい。
なんかその、一定その成果を出さなきゃアーティストになれないというわけでもない、なさそうな感じしないすか、最近は特に。
そうだね、なんか一個こう、まあ宗教までいかないけど、その藤本辰樹一派みたいなのをなんか、空気感はあるよな。
ある。そうなんだよな、それをなんか、本当に深く狭い界隈が認めることができちゃったら、それってもうアーティストとも言えるんじゃねっていう。
あー。
なんか、正直分かんないことやっててもね、漫画として分かんないことやってたとしても、もうその深く狭い界隈が持ち上げてたらそれってもう、もうアートやんみたいな。
うんうん。
エンタメから外れてたとしてもね。
じゃあやっぱ漫画やアニメの中にもクリエイターとアーティストがいるわけだよな。
これめっちゃあると思いますよ、あの漫画やアニメの中でもその見方によってはめっちゃ学術的価値あるし、あのこれって一種アートだよねっていう漫画とかめっちゃあります。
あの、おしみ修造先生の漫画とか。
確かにね。
なんか半分アート入ってるなと思いながら読んでるんだよ俺。
うんうんうん。
でも読めるからな、読めるしめっちゃ面白いからさ。
面白い。
めっちゃエンタメなんですけど、おしみ先生は。
確かにな。
思いますね。
一番漫画はそれこそ混ざってる分野かもしれないね。
なんかイラストとかだと、絵画とかだとさ。
そうなよ。
なかなかね、エンタメってこう難しいイメージあるけど、そのアートとクリエイティブの混在してるのが漫画アニメな感じするな。
そう、漫画アニメ映画は結構なんか脚本っていうものがあるんですよ、そもそも。
で、脚本上はエンタメしていたとしても、演出だったり絵作りがめちゃめちゃアートによるみたいな人がいるんで。
確かに。
で、それを求めてる人もいるんですよ、やっぱり。
分かりにくい難解な絵作りだけど、感じ取れるものがいっぱいあるんだよ、この作品はっていうさ。
そうだね。
そうって。
そこにはまる人がいるしな。
それって結構半分アーティスト入ってるようなと思いますね、作家性としてはその人も。
確かに。
うん、いるよな。
それがだから。
似男先生とか。
お便りである考察に値する何、絵という作品みたいな部分か。
そうですそうですそうです。
子供の描く絵。
でも子供の描く絵もさ、もちろんクリエイティブじゃないけどさ、もちろんアートになると思うんだけど、
それってさっきのなんか、新たな価値というか、絵を描くという、学問なのかわかんないけど、
というジャンルにおいて、なんか子供の頃の描く絵の面白さみたいなのってあるやん。
ある。
それで言うとその、学術的価値に含まれてるのかもしれないな。
子供の描く絵という、ジャンル、枠組み自体が。
えー。
俺ちょっとそうは思わないかも。
うそ、なんで。
なんか俺学術的価値って、ある程度の基礎を確実に収めた人が出せるものだと思ってるんです。
あー、なるほど。
なんかじゃあ裏付けみたいなものが必要ってこと?
そう、裏付け、基礎に裏付けされた、なんか本当にちゃんとしているものっていう。
ははは。
ハニュー・ユズル選手も言ってたんですよ。
何を。
ハニュー・ユズル先生なんかのインタビューで、
えーと、その芸術についてどうお考えですかみたいな。
すごいなそれ、誰が聞いてんだそれ。
あなたのスケートリンク上での芸術についてどうお考えですかみたいなインタビューに対して、
全ての基礎の上に芸術はあるんでって言ってるんですよ、ハニュー選手も。
かっこよ。
だから僕は全ての基礎をちゃんと美しく飛ぶように練習したその先に、
芸術はあると思って飛んでいますっていうことを言ってるんで。
僕は子供が思うがままに持ったクレヨンで描いた絵は、学術的価値とはまた違うとは本当に思ってます。
でもアートではある?
うん、アートだよ。だって思うがままに描いてください、さあどうぞってアートじゃないですか。
そこに思うがままに描くというその感性という裏付けじゃダメなの。
感性。
学術的価値。
俺マジで感性というものを信じてねえからな。結構本気だ。
でも3歳、まあうちの子3歳だけど、3歳の感性があるわけや、それは。
ありますよ。
3歳の人生経験から描くなんていうのもなかなか難しいわけで、
やっぱ3歳の思う目の描き方とか、その子供が思う感性、感覚の中で生み出された絵は、
なんだろう、もう学術的価値にはなんないの。
学術的価値本当にあると思ってるよ、それ。
え、なんかだからその学術的価値が、なんだろう、その学問、一個の学問の中にある新しい、なんだっけ、発見というか、
っていうのであれば、まあ3歳の感性っていうジャンルはあるかなとは思っちゃう。
3歳の感性って収めてないからなーっていう気持ちがすごいあるんですよね。
収める。
今どこで、あの履修してないっていう感覚。
え?
もう、履修してないじゃん。
俺とアンモさ、あのさ、先週さ、池花やりに行ったよね、初めて。
はい、行きました。
あのー、原宿の、やべー名前忘れちゃった。
小杉湯だ。
小杉湯だ。小杉湯の地下1階でやってる池花をやりに行ったんです。
はい。
めっちゃ楽しかったんです。
はい。
で、2人ともめっちゃ初心者だったじゃないですか。
うん。
俺に至って表も裏もわからないと。
そう。
お花の。
花とか木のね。
そう。で、2人さ、とも思い思いに作るわけじゃん。
何の知識もないままね。
はいはい。
あれって学術的価値はありますかって話なんですよ。
3歳児の絵と同じだと思うんですよ。
いや、待てよ。それは違う。
いや、違くないよ。違くないよ。
え、嘘。
何ですか。違くないと思うんですよ。
一緒?その。
一緒。
3歳の。
やってることを3歳児の、さあクレヨンとって描いてくださいねとやってること同じなんですよ、あの時。
マジ?
3歳の感性と29歳の感性はなんか順度違くない?
順度違うとしても、やってること同じなんですよ、あの場において。
まあまあ、やってることは一緒だな。
だって何の、俺ら本当に何の納めもしてないんですよ。
そうね。池花についての。
池花に対して。
してないな。
してないんですよ。
それってイコール3歳児がクレヨンをいっぱい渡されて、さあ今からお絵かきをしましょうって言ってる状態と変わらないんですよ、僕はあの場において。
あれに学術的価値があると思いですかって話なんですよ。
いやだから、そのまあ何歳以下みたいなのはちょっとわかんないけどさ、
まあ5歳以下とかぐらいの子の、
なんか予備知識のないものづくりみたいなのは、
もうというそのジャンル、5歳以下が作るものという価値がある気がしちゃうんだけど。
29歳以下が作るものなんて価値ないけど。
でも5歳以下の人間なんてそのさ、世界的に見たらさ、
5歳以下の人間なんて世界的に見たら何億人かいるわけじゃないですか。
はい、たぶん。
じゃあその何億人が描いた絵には全員価値があるの?って話になってこない?
そんなわけはないじゃん。
いや、あるんじゃねえよ。
学術的価値ってそういうことじゃないよ。
いや、そんなわけないじゃん。
だって何億人いる5歳以下の絵にみんな価値があったら意味わかんないですからね、結構。
なんでよ。
いやいや、意味わかんないでしょ。
ダメだろ。
なんの価値があるって。
本当に、アートって絶対評価だから。
絶対的な評価があるものだから、アートって。
本当に。
相対とかじゃない。
そこにみんな価値があったらもうめちゃくちゃやで、みたいなこの世界って思っちゃいますけどね。
そうなっちゃうのか。そういうもんなのか、なるほどな。
基本的にだから子供が描いた絵は子供が描いた絵だよって思う。
いや、多すぎちゃダメというか、めちゃくちゃじゃないって普通に。
それにそんな一手すげえ価値があったら、世の中。
でも価値をどうなんだろう。
じゃあ治めてる人たちなんなの?ってなってこない?そうなってきたら。
子供の絵の方が価値あるよねってなったら、おかしな話にならない。
価値に差があるかどうかわからないけどさ。
そうですね。
価値があるかどうかって言ったら、どうなんだろう。
親だからってのもあるけどね、もちろん。
価値はあると思いますよ、もちろん。そりゃあそう。
価値を否定してるわけじゃなくて。
そこに学術的ではないと。
うん、本当に。
治めてる人か治めてない人かってよっぽど違う、ここは。
じゃあその、アートの、でもアートではあるわけで。
アートではある。
それじゃあ何的価値だろう。
アートには学術的価値と、もう一つ、こういうものがある。
だからそれがお便りにもあった子供の絵とかが含まれるわけだけど、
それってじゃあなんなのってことか。
マジで楽しく描けたね価値ぐらいな感じだと思う。
楽しく描けたね、だよ。
あー、なるほどね。そういうことか。
そういうことだよ。
もうそこに価値がある。3歳が楽しく描いてる、5歳以下が楽しく描いてるという価値。
そうそうそう、楽しく上手に描けたねっていう価値はありますけども。
でも例えばその3歳児がさ、ピカソとかさ、ゴッホみたいになったとするじゃないですか、将来的に。
そうなった場合、3歳の頃に描いた、その上手に描けたねが取ってあったらめっちゃ価値あるものになるよね。
そのブランドがある。もうその人として学術的価値がある人が、
さらに楽しく描いた価値を持った絵を持ってたら、すごい。
これがゴッホが3歳の時に初めてクレーンを手に取って描いた絵かーとはなるよね。
あー、なるほどね。そうなったらそれは学術的価値のあるもの?
いや、あるでしょ。あるでしょ。だってゴッホってすごい履修した人だから、最終的に。
自殺するまで追い込まれた人だからね、アートで。
じゃあだから、未履修価値ってことでしょ?その5歳以下のものは。
でも学術的価値になり得るということか。
まあその人の人生次第ではないって感じじゃないですか。
本当に俺、アートってその人の人生そのものだと思ってるんですよ。本当に。
まあ、そうだよね。そのなんか、受け手にこう受け取ってほしいとか、
受け手を意識してっていうことでは、まあ多少あるかもしれないけど、そこが本質ではないもんな。
だからある意味では、今80億人ぐらい地球上に人間いますけど、
80億のアートの価値があるんですけど、ある意味では。
ただそれは、その評価が80億に対してみんな一定評価があるわけではないから、
その中で突出した1億人ぐらいがアーティストになるんじゃないですか?何かで。
いや、1億人もいないだろうけど、アーティストって。
なるほどね。
っていうイメージはめっちゃあって。
だからさっき、5歳以下の何億人が全員アーティストなわけなくない?っていう話をめっちゃしてたんですよ。
まあ、アーティストはそういう。
確かにな。
アーティストであるかどうか。
でもまあ、アーティストな感じにするけどな。
もう5歳以下はもうみんなアーティストでしょ。
そうですか。
人間をアーティストかクリエイターで分けるなら、5歳以下はアーティストなんだろうな。
5歳以下は確かにクリエイターではないから、アーティストではある。それはめっちゃ思うわ。
どちらかというと。で、やっぱなんかね。
おもろいね。
大人になるにつれて何者でもなっていく。
そうなんだよね。そうなんだよ。最初はね、みんなね。
価値を失っていくから。
自分のさ、やりたいとか、描きたいとか、これ好きとか、なんとなくこれいいかもで描くからさ、最初って。
そうだね、ほんとだよ。
なんとなくこれいいかもすらないけどな。ぐちゃぐちゃやってるだけだからさ。
いやなんか、昨日ちょうど仕事で、周囲車のほうに打ち合わせ行く機会があって。
はい。
行ったわけですよ。神保町第3ビルのほうかな。神保町第3ビル。名前合ってるかわかんないけど。
バクマンでよく見る、周囲車でね。
あそこですね。
いややっぱあそこ行くたんびにさ、高校生の頃初めての持ち込みのことをなんか思い出すんだよね。
うん、わかるよ。
それこそ初めてのさ、作品なんて、なんかちょっといいなとかさ。
その時自分がハマってる作品のなんか似た感じみたいな。
そうだね。
のを描いただと思って、なんか俺ヒーローみたいなのを描いてたんだよね。
なんか見たことあるわ、それ。
なんか見たことあるわ、それ。
みたいなやつ描いてたなと思って。
あれはでも、学術的価値もなければ、読者というか消費者無視したクリエイティブなものでもない。
価値もない、そうだね。
あれはでも、自分にとってやっぱ価値があったから、あれはじゃあ結局アートなのかな。
まあね、自分にとって価値あるから、作ったものって。
そうそう、それはあるよ。
それはそうなんですよ。
しかも、初めての、描き切った、31ページ?45ページ?忘れちゃったけどの漫画って、大きい価値ではあったよな、高校生の。
そうだよね。別に学術的価値もクリエイティブ価値もないけどっていうことよね。
自分に対しての何か価値があるのか。
いや、それはあるんじゃない?
自分に対しての最初の方に言ってた、自己評価でのアート。
そうだね。
それはじゃあ何的価値なの?
ん?自己評価でのアート?最初に言ってた。
そう。学術的価値もなければ、クリエイティブでもないわけよ。
そうだね。
でも、その枠組みで言ったら、自分が良ければいいという部分があるわけだったら、それはじゃあアートになるわけで。
いや、それはもうマジでオナニーですよ、それは。
完全なる?
完全なる。それはもう、そうです。
自分だけが気持ち良ければいいは、美大生が陥るやつですね、オナニーですね、最終的に。
そうなんだ。
俺さ、美大生がさ、美大生とか写真学生がさ、たまにさ、ヌードを撮るときあるんですよ。
あれ第二病とか第三病と呼ばれてるんですけど。
え、それ人の?自分の?
なんか人とか自分のとか。ヌード写真を撮って作品として提出する時期があると。
時期が。
あれ第二病とか、第二病と言われるんですけど。
中二じゃなくて第二なんだ。
そうそうそうそう。あれってなんか本当に価値があるものと、なんか自分が出したいものがもう分からなくなって、
もうどこにこうクリエイティブを向けたらいいか分からない状態で出すヌードなので、
まあ本当になんかもう一番オナニーに近いというか。
へえ、そうなんだ。
うん、これ結構美大とか写真学科あるらしいんですけど。
写真学科すぎるだろ。
それもう。
いやなんかそういう、本当そういう時期ってありますよね。でもなんか。
へえ。でも確かになんか、ヌードデッサンとか。
瞑想に瞑想重ねて。
それこそね、ヌード写真とかやってたら、ちょっとこうやってる感あるな。
そうそう、そうやってる感も出るからさ。
ね、風景撮るとまたちょっと。
ヌード撮影って。
ひと味違う感じもあるよね。
そう。あれ第二病なんですよ。
へえ、初めて聞いた。第二病なんだ。
第二、美大あるある第二病なんで。
そう、なんかそういうこともありますね。
そうか、なるほどね。
へえ。
ただ、
いやでも、僕は本当にこうなんか円溜めを積み重ね、積み重ね、信頼を得ていくっていう段階にいる人間なので、
本当に学術的価値についてすごい語れるわけじゃないんですけど。
でも、なんか俺は本当に、
でも昔はね、なんかこう写に構えてさ、
かっこいいコマ描いてやろうとかさ、
なんか何回な、読み解くのに時間がかかるような風景描いてやろうとか、
ひとコマに二個も三個も意味を乗っけて、
こうなんか読者さんに、頭のいい読者さんに読み取ってもらおうみたいな、
こうなんかすごい写に構えてアートに行こうとしてた時期もあるんですよ。
漫画に対してね。
はいはい。
もう今完全になくなったね、それ。
完全にない、今。
それはなんで?
読んでもらえないからっすよ、そんなことしても。
私はアーティストではないですよ、という。
そう、ついてこれないんすよ、そんな。
僕みたいなもんの、僕みたいなもんの壮大なオナニーについてくれる人はいないんすよ。
だから、円溜めを作り続けないといけないっていう。
確かになんか大学、それこそ、それ漫画学科あるあるの第二病かもしれないけどさ、
あの、課題とかでなんか読み切り描きましょうっつって、
じゃあ20ページ前後描いたとして、
20ページ前後で描けることなんてすごく限られてるわけで、
それなのに、いやこいつにはこういう背景があってとか、
その、いやお前が考えてるそのなんか裏設定みたいなものはもうどうでもいいんだよっていうやつを書きたくなる、喋りたくなる時期あるよね。
あれ第二病だったね、漫画。漫画描いてるこの第二病。
第二病じゃない。いや、ここがこう繋がっててみたいな。
わからない。
繋がってるかもしれないけど。
そう、読者わからんから。
繋がってるからなんなの?みたいな。
いやマジであるね。
あとさ、結末を濁すとかね。
あと、バッドエンドにするとかね。
なんかね、あれね第二病なんですよ。
確かにね。
漫画描きあるある。
マジで結末はもうお任せします。
あの、読者が汲み取ってくれるんで、みたいな。
意味深な終わり方していくみたいなね。
バカかよって。
お前の作品とお前にまだそれほどの価値はないぞと。
そうだね。
お前の作品を最後まで読んで汲み取ってくれる人はいないんだぞと。
第二病に言いたい、これは。