文芸文庫から出ますからね。
誰が買うんだよ。
本当に。
指差しやね。
でもハニア豊か対談集もこのまま出てたよね。
ハニア豊かって暑いのに。
わかんない。
文芸文庫の中では暑いんじゃない?
ハニア豊かってその…
川崎長太郎とハニア豊かしか出してないからね、
最近文芸文庫は。
ハニア豊かってネタ追いとかにされそうだよね。
ネタ追いにするにはちょっと…
怖いか?
怖いし、本読んでない人。
そうか。
村上春樹と違ってさ、
パブリックイメージがないよ。
いやでも、
ハニアの文体は村上春樹ぐらい分かりやすいよ。
まあそうか、確かに。
なんかなんか、
時を打つ鐘の音がどうとか。
ハニアはだから、
まあ司令はね、
ドステフスキーの悪霊と、
実はあんまり関係ないんじゃないのと僕は思ってるんで、
それ自体はあんまり書いてないですね。
そう考えるとやっぱり村上春樹の文体ってキャッチーなんだよな。
キャッチーだよね。
だって大江健三郎って誰もいじんないもん。
悪文だから。
そうだね、大江健三郎とかに近い。
ハニアだからそんな文章がキャッチーで上手い人ではない。
大江の悪文は意図的に悪文らしいけどね。
あれはかなり…。
まあ、どんなの書いてて。
松崎は何について書いてる?
僕はですね、日記と注釈っていうタイプ。
読みました。
あれはいつかな。
9月28日の日記を書いて、
その日記の出てくる固有名詞とか、
あとはその日記を自分で読んで後で考えたこととかを、
注釈に注釈をつけていくっていう。
日記って結局ありのままの私になりがちだと。
そこの日記っていうのって一種レイヤーがないっていう。
すごい一面的になっちゃうから。
そこに別の時間軸の私とか、
あるいはそこの文脈っていうのを外から補強していくことによって、
日記っていうのを一つ、もう少しこう…。
倫理的でもないけど、
もっとフィックスとして成り立つんじゃないか。
重層的に。
本にする際にするということでね。
日記っていうのをそういう一種の。
結構面白かった。
だから前に出た青いやつ。
田中コミワサを読む3月。
3月みたいのに彼の延長性があるなというのを思いました。
あれは田中コミワサを読む日記兼田中コミワサみたいな感じで。
それが前回の文振りで出した本なんだけど、
3月の1日から31日までの、
俺と含め3人で書いたんだけど、
全員の日記が並列に載ってるんだけど、
読書会を週に1回やってコミワサを読む。
その日はその読書会の記録が入るっていうことで、
読書会と前後でなんとなく読んだ後と読んでないこととか。
本を読むという経験自体っていうのを本にできないかみたいな。
そういう試みだった。
あれはすごい良い本でしたね。
だからそれの延長線で、
日記っていうのをどう書き直すかみたいな。
日記を書き直したものは小説だとまでは言わないけど、
結局テクストって時間っていうのが重層化されてるわけじゃん。
だからそこを日記っていうものに付与できるかなみたいなことを思ったのと、
あとは日記再評価が俺の中で来てて、
日記っていうのが唯一、
あらゆるものを等しく扱えるなっていう気はしてて。
俺の日記は内容を軽く触ると、
普通に日記なんだけど、
アイドルを見るということ。
アイドルというか他者を推すということについて書いてるくだりがあってから、
急に家帰ったらカレー作りだすのよ。
カレー作りながら、
なぜか菊池成吉について考える。
っていうのが全部等並列に扱ってあるっていう。
そういう意味で非芸術みたいなことを最近はずっと考えてて、
結局書きかっこつきの芸術じゃないものを文学はどう扱えるのかみたいなことを考えて、
俺はそこに大差はないと思うから基本的に。
だからそういう意味でそれを全部並列に扱える装置として、
日記っていう装置があるなっていうことを考えたっていうことを言うと、
頭テキストになった感じだけど。
もうちょっと植物的な楽しみはありましたよ。
普通にテキストの快楽もね。
注釈を読む楽しみってあるしね。
そうそう、注釈を読む楽しみ。
あと結構別におもろ注釈だからね。
そうね。真面目な注釈でもよくない。
自分で書いたやつで覚えてるのは、
菅秀美の新刊を買ったらその分だけ財布にお金がないって日記に書いてあるでしょ。
注釈振ってあって、当たり前だって書いてある。
そういう結構ネタ追いみたいな文章ではあるけど。
だからそういう文章が載ってますね。
あとは幸雄太郎君の最果てた非論。
ツイートかなんかを分析してみたいな感じでね。
ツイッターに上げてる詩とインスタに上げてる詩でレイアウトが違うんだと。
そこからいわゆるプラットフォームと文字っていうのはどうみたいな話を広げつつ、
現代詩を書くっていう話までどう書くかみたいな話に接続されていくみたいな。
あとは藤原君の小説と、
あとは浴子さんと今井さんのエッセイっていうか気候文っていうか。
気候文っていうか小説みたいなのが載ってる。
全体で見たら100ページくらい。
100ページくらいかな。
意外と分厚くなった。
ワンコイン500円です今回は。
みんな買ってね。
秋知ボリューム6.5なんだっけ。
イン・ザ・サマーね。
イン・ザ・サマー。
イン括弧ドア・ザ・サマー。
夏の後エモくなってるんじゃないか説あるよ。
前も夏の日だったし。
イン・ドア・ザ・サマーって書いてイン・ザ・サマーって読むっていう。
これニジコンの曲名から取ってきたんだけど。
知らなかった。
次ね11月23日の日曜日に。
どこだっけあれはビッグサイト。
OKビッグサイト。
自己主義の宮殿こと。
いいよそういうの広告じゃないな。
東京ビッグサイトで刊布されるんで。
他にもたぶんいっぱい面白いもの出せる人がいるんでね。
ついででもいいんでね来てくれるといいなみたいな。
とても喜びます。
感謝です。
ということで本編。
本編。
こっからが本編。
落語ってこと?
うん。
最近読んだ本。
最近読んだ本について紹介していきましょうって意外とやんないからね。
そうそう実はね何を読んでるのかとかね。
うんあとお互いが何を読んでるのかもいまいち分かってないじゃん。
そうそうそう。
なんか。
はいじゃあどうしよう。
俺からやるかな。
どうぞどうぞ。
えっとまずじゃあ交互に1冊ずつやるか。
2冊でいいのか。
2冊でいいの考えてるから。
うん。
この見えますかね。
多分見えないと思うんですけど。
まあ声優出すから。
えっと。
タイトル。
バークリーメソッドによって俯瞰される20世紀商業音楽史。
ゆうと観音を教えた学校。
著者木口なるよし。
えーと大谷芳生かな。
うん。
はい。
ですね。
これはあのあれですね。
まず。
うん。
あの商業音楽史。
うん。
って書いてありますけど。
うん。
これ商業音楽史とも私微妙に違うのは。
うん。
メソッドを中心にした商業音楽史なんですよ。
だからなんだろう。
その。
だからバークリーメソッドっていうアメリカにあるバークリー音楽院の。
そう。
出してるメソッド。
メソッド。
に沿って。
あの音楽理論。
に沿って。
沿って。
商業音楽を歴史化していくってことだよね。
沿ってっていうことでもないな。
沿ってでもないのか。
うん。
そのバークリーメソッドというもの自体の話をずっとしてるね。
まあそうか。
うん。
あの。
まあだからそもそもだから最初はあの内容までちょっと言っちゃいますけど調律の話から始まる。
そうだね。
これあの映画っていうか美学校かな。
うん。
のあの講義。
講義を本にまとめた本なんですけど。
あの最初の調律のところでまずそのなんだいわゆる今一般的に使われている音楽。
音階の考え方があのまああの20世紀以降よねっていう話をするための前振り。
ピアノというのがあの純正律っていうのがあるじゃん。
うん平均律より前にある。
純正律あのドレミファソラシドってピアノで弾いたのは平均律。
うん。
で純正律っていうのは基本あのピアノでは弾けません。
はい。
大きいのはなぜかというとまあ音の周波数の話になるんだけど音と音がこうハーモニーを叶えるとき2つの音が鳴ったときに
うん。
あのウーとウーで鳴ったときにこうすごい気持ちいい場所があるんですよ。
うん。
うわーみたいな。
うん。
それを積み重ねていったのがコードなんだけど。
うん。
そのでそれが本当に気持ちいいのって。
うん。
なんかあのドレミファソラシドのピアノの鍵盤からは高かったら低かったですよね本当は。
はいはい。
でもそれを無理やりまとめてあのピアノという形にした。
はいはい。
12個に割っちゃった。
はいはい。
オクターブからオクターブの距離を。
だからあれなんだよね。
全部の音の差が一緒なんだよね。
そうそう。
ドとレとミとミ。
だからデジタル化したと。
うん。
これなんか松崎が一緒に解説してくれるのは松崎もサウヤリを読んでるっていうね。
そうそうそう。
ことなんですけどねあのデジタル化したっていう気持ち悪い言い方してますけど。
うん。
でそっからでバークリっていうのも。
うん。
デジタル化なんですよ音楽バークリメソッドっていうのは。
すべてを数値化してこう。
そう。
あの商業音楽いわゆるそのハリウッドとかだからバークリのそのバークリ大学を始める前の。
うん。
あのえっとなんだっけ名前。
そこはいいんだよ。
まあ人が。
うん。
人があの大学を教室をやっててバークリメソッドの原型を。
うん。
でなんかその教え子たちがあのグレミラーだったり。
はいはい。
あのベニー・グッドマンだったり。
クイン・シン・ジョーンズだったり。
クイン・シン・ジョーンズだったりするっていうので。
アメリカのねポップミュージックの王道のね。
そう。だから師匠だよね。
師匠たちがね。
だからあのクラシックの和製楽ではどうにもできなかったポップスに対するメソッドとして生まれたのがバークリメソッドであるという話。
でそれをバークリメソッドという内部からそのメソッドの内部仕組みからこういう仕組みだからこれって外の社会のこういうことに接続されるよねっていう風にこういわば転倒して考える。
本当は逆なんですよ。
その社会がこうだからこういう状況があったからこういうものが生まれてバークリメソッドが作られた。
なんだけど順番を逆にしてバークリメソッドを紐解いてだからこうなんだっていう風にやっていくっていう。
その転倒の仕方ってのは聴口なりよしっぽいよね。
僕は聴口なりよしの名前の作り方めっちゃ好きなんですけど。
だから南アフリカのフランスカフカ、UCRPGのアルバムとか東京大学のアルバートライガーとか。
あれってアメリカのフランスカフカもあるからね。
そうなんだ。
こつなるものをくっつけちゃうっていう。
聴口なりよしがスターだっていうのがあるよね。この本を読んでて思ったのは。
あとこの本のすごいところは大谷義斗と聴口なりよしの二人の会話を一つの僕で統一するっていう。
そうなんだ。
だから一人で喋ってるんだよこれ結局。
これなんかね。
あとね。
貫末は先読んじゃったんだけど。
大谷義斗が基本的に返算しててみたいなことは書いてあったけど。
二人で喋ってるけど交互に喋ってるけど本当の講義は。
本だと半雑になるから全部僕は一つでまとめてるっていうのが。
よくわからないけど謎のクイアネスがあるよね。
聴口なるよしが。
全部他の計画で働いてるんだよ。
これすごいよね。
これ編集2年かかったっていうのも。
理論の話とか本当にぐちゃぐちゃになるじゃん。
二人で話したら。
実際ね。
それを2年かけて編集したっていうのが。
最後に書いてあったけどね。
結局モダン誌なんですよこれは。
モダンを再興しようという。
それをバークリーメソッドっていうモダンの音楽を形作った技法を中心にっていうことですね。
でもね。
でもあれはどうなんだろう。ディスプレイで読むことに最適化されて。
てかあれは多分菊池成吉って2007年くらいからニコニコチャンネルやってるからさ。
ニコ動の文章なんだと思う。
なるほどなるほど。ブログの文章。ツイッターじゃないんだよね。
菊池成吉の文章なんてね、世の中に死ぬほどありますからね。
インターネットの世の中に興味がある人は読んでほしい。
なんかあの、やっぱりあの、なんだろうな。
ああいう神経質な文章っていいよね。
注釈つけるみたいなことだよ、ほんとに。ずっと。
常に文章の中で自分の言ってることに注釈つけるみたいな。
あれは後藤明星とか小島信夫とか違う意味での饒舌帯っていうかね。
まあ笠口なんかにだいぶ近いと思うけどね。
そういう意味ではあれなんだよね。音楽的でもある気もするよね。
だから通送低音があって上物があるみたいな。
そういう思考っていうのを音楽的な構造として文章にしちゃってるという捉え方もできるな、あの文章。
ジャズっぽくもあるよね。
ちょっと別に本筋の話があるんだけど、
でも同時にずっとそこの方でなんか、ん?と思ってるのも全部こう。
たまにアドリブソロ弾いてる時ありますからね。
このテーマを聞いてテーマに戻ってくるまで大胆にこう。
あの中華料理屋の話してる時間とか。
菊池成吉がニコニコチャンネルでやってるあの、
大公共のラジオデイズ、大恐慌のラジオデイズはやばいからね。
あの前ずっとあの、魚君と、違う大森もときとトモチカが似てるっていうだけの話で30分くらいして、
あと魚君がスカパラで一緒にやってたじゃん。
あの時にバスサックスを吹いてて、普通バリトンでいいだろうと思ったんだけど、
なんでバスなのか考えた時に、これはブラックバスのバスなんだ。
みたいなことを、バスって魚いるからなって言うようなことをずっと言ってるだけだけど。
なんかそういう風にね、菊池成吉はね、言ったんだけどね、
あのばっかでしたのは、チッと吹くのはね、
あのいろんなものを接続してることじゃなくて、それは断ち切ることやね。
なるほどね。
それを聞いた時にね、この人ね、ほんとずっとね、ずっと接続されてっちゃう人なんだろうなと思ったのよ。
まあ逆に言えば。
実際に、生活で。
そうそう。
これはこうじゃない、っていう風に断ち切ることが違うっていうこと。
だから、何だろう。
確かにね、この大谷芳生のマイルスの論文とかも読みたくなるね、これを読むと。
この後にね、この後だっけ?東京大学のアルバトライダー。
そう、アルバトライダー。この間末出てくるけど。
これぐらいからちょうどだから、その講演と大学を教えるっていうことと。
だからまあ、グラウンドゼロから始まった菊地成吉が、ここで一個転換点がまたあるわけよね。
あとあれもあるしね、その後にマイルス・ジューイ・デイビス三世研究っていう、マイルス・デイビスだけで2人で印刷、定期間で出してる。
あれすごいね。
本もあるし。
そうそう、おぬぬめです。
次。
なんか、最近僕ね、ジャズやりたくなってきてるんで、なんかそういう感じですね。
まずはバックリメソッドをちゃんと勉強しながらジャズをやろうと思って。
実際、しかもそのなんだろう、トラディショナルなジャズをちゃんとやりたいって。
やっぱ生活にさ、楽器の練習があるって違うもん。
なるほどね。
塗りつぶせないからね。
だし、元身体だからさ、人間としての呪いでもある、希望でもあるからさ、自分が人間であって生活があるっていうのは。
チョコザップ的なことだね。
そう。で、音楽っていうのはすごい数理化しやすいんだけど、
数理化しやすいんだけど、人間の身体とか情動に非常に結びついているっていう、またね、
他の芸術とは違うというかね、感じはね、読んで思いましたね。
やっぱ音の波形があって、音の振動数を振動を数として表すところからデジタル化が始まってるんだけど、音楽は。
でも、にしてもその、なんだろう、その完璧じゃなさというかね、
まあだから自然なんだよね、音っていうのは。自然から鳴ってるもんだから。
それをメシアンみたいに鳥の音がまた作ってみようとしたりとか、
試行錯誤していくっていう、なんかこの近代現代があって、っていう、
はい。
確かにメシアンの鳥のアルバム、鳥のカタログはあれだもんね。
インヤバンだもんね。
あれは一種の、セダンヌがサント・ヴィクトラルソンを描き続けて、結局描けねえやってなっていって、
一種のこうアブストラクトアートに近づいていくみたいな、そういう、だからあれはいわゆる、
現代美術っていうのは結局純粋四角の断念から始まったんだっていうことを岡瀬健次郎は言うわけだけど。
ああ、なるほどなるほど。
そういうところでも近いんだよね、ずいぶん。
うーん。
という気はするけどね。
まあロマン派がメシアンで終わるというね。
なるほど、そういう捉え方もできる。
そうそうそう。
その、感情が、とか情動で全てが作れると、
はいはいはい。
人間の万能化みたいなリネサンスが始まった。
で、そっからあれか、ブーレーズの管理された偶然性と、
そうなんだ、ブーレーズがある。
4秒、3秒の管理されない偶然性っていう。
西洋だから、そこにずっと主体というものとやっぱりずっと向き合い続けたっていうのが西洋だよね、やっぱり。
多分、話またズルズルしちゃうけど、そういうブーレーズが、ブーレーズの楽譜っていうのは偶然性が起こるようにできてるんだよね。
ああ、そうなんだ。
偶然性を意図して配置するっていう。
ああ、それ聞いたことある。
ルーマルトサンズメートルが一番代表曲だけど、あれは一応偶然が起きるように計算されてるんだけど、
だから一種、私、ロマン派的なものじゃなくて、もっと遠くにある、作品っていうものをもっと、
発露じゃなくて装置として捉えて、どう波及するかみたいな、観客に。
だからそういう意味でインスタレーションとかの始まりにも近いんだろうね、そういう。
まあ、明らかにタリウッド的なバークリシステムが始まった時期くらいから切断というものが起きるからね。
音楽と、もともと陶器映画に合わせて作られていた伴奏音楽から、音楽と映像というのがどんどん切断されていくっていう。
しかし並行しているという。
そういう。
そういう本。
はい。オスオヌヌメルツ。ちょっと高いけど。
高くもないか。中古。今まだ売っているのかな?
いや、新品は切れてる。
新品はないよね。
新品はちょっと切れてる。
だから中古で探していただくことになるけど、まあでも後悔ないと思います。
松崎君。
僕はね、テーマはDSです。
DS?
今日のテーマは。
え?3DSのDS?
ディープステイト。
ディープステイト、デジタルサチュレーション。
DSが通想定音なんだけど、一つ目はディアステージね。
アイドルの事務所なんだけど。
電波組の。
もともとは秋葉原にあるアイドルがライブをできるライブハウスがあって、
そこが秋葉原ディアステージなんだけど、そこが事務所化して、
電波組とか虹のコンキスタドールとか、それこそキュルリンチしてみてがいるところなんだけど、
で、私は最近アイドルのライブをぼちぼち見に行ってると。
昔から結構行ってたんだけど。
で、そうなってくると、ただ楽しいなだけにはなれない人間なので、
てか、っていう話から始まるけど、そういう意味で、
結局アイドルを見るっていうことは、他者を推すということとは何なのかっていう、
そこの倫理みたいなところに浮現されると思って。
そういう意味で、極論それが菊地成吉だろうが、ゴンだろうが、ルフィだろうが、
何かしら自分ではない他者に対して学ざすという行為そのものっていうのが、
何かしら、それを純粋に肯定できるものではないなっていう気はするんだよね。
っていう意味で、これね、アイドルコードです。
はい、ここに出るらしい。
制度社から出てるアイドルコードを託されるイメージを問うっていう。
これは元アイドルの人が、今は社会、いわゆるジェンダー論とかやってるような人が、
カルチャルスタジーとかね、文化社会学やってるような人が、
やってるこの神岡真田っていう人が書いてて、制度社から出てる、いわゆる人文書の方に論理される本なんだけど、
これは、現在のアイドル市場におけるあらゆるアイドルコードだから、
コードって何て言えばいいんだろうね、日本語で。
CODEのコードね。
そう、当てはめられるイメージみたいなことだよね。
定型みたいなことを一つずつ分析していくっていうので、
最初は何かその、疑似恋愛と推すこととか、
あとセクシャリティの問題とか、役割を越境するとか、
そういうクイアみたいな話とか、
あと容姿を商品化することとか、
年齢を重ねるということとか、
そういう意味で、最近の色んなアイドルの状況を分析しつつ、
それを社会学的な見地から話していくっていうほどの本でもないんだけど、
結構その、そもそも問題提起として書かれている本だから、
あんまりなんかその、
突っ込んだ話でもないから結構問題提起なんだけど、
なんかそういう、だからこう割と何だろうな、
まあだからこう、そんなに何て言うの、
得るものがあるわけではないんだよ。
ここでこういうことを書いたってこう思ったんだよみたいなことが言えるわけではないんだけど、
確認していくっていう。
確認していくし、問いが生まれるみたいな意味で。
ちょっと見せてもらってもいい?
始まりなんだけど。
だからそういう意味でなんか、
例えば男女今後グループっていうのができた時に、
男性ファンから、最初女性しかいなかったグループが男女今後になった瞬間に、
すごい罰金が起きた時にとか、
そういうことを色々分析しながら、
結局アイドルっていうのが一つの定型に囚われてるよねっていう話をしていくんだけど、
まあなんかそういう本なんだけど。
でも多分これってやっぱ一億総推し活時代ではあるじゃないですか。
アイドルに限らずさ、
あらゆるものに推しって言うじゃん。
最近なんかさ、コンビニとか推し弁当とか言い出してない?
あるね、推し弁。
だからその推しっていうものっていうのを、
あまりにもさ、この番組でずっと言ってるけど、
流通しすぎた世の中において、
それって推しって結局さ、
ポポチャムとかチーカーでもそうじゃん。
推しだね。
そういうのが自分でない他者っていうのを学ざして、
そこから何か自分が得てるわけじゃん。
だから一種の消費行動としてあるんだけど、
そこに対する、そこをどう擁護できるのか、
身に付けられるのか、
あるいはどういう態度っていうのが望ましいのかみたいな、
そこにためらうことじゃないけど、
そういう意味でこういう本を読むと、
そこまでではないかな。
でもなんかそういうね、
推しっていうものに対して、
少しでもちょっとした後ろめたさじゃないけど、
そういうのを思っている人が読んだら面白いと思うし、
単純に今の、
整理はされるだろうね。
整理はされるし、
あと今の社会状況における推しっていうのは多分、
かなり興味ある人が多いと思うから、
そういう意味で問いの始まりとして、
多分みんな俺正直やってると思うんだよね。
だってさ、例えばさ、またオモコロだけどさ、
オモコロって今週5更新してんの。
週5もさ、YouTube更新させていいのか?人に。
あとヒカキン、毎日更新してるじゃん。
ヒカキンが従ってるところもあるだろうけど、
でもヒカキンが毎日更新させてはいけない世の中になってるわけじゃん。
っていうところに対して何かしら思うところはあると思うし、
そういう意味でハイドルコードだけども。
画面の向こうに誰かがいるってこと自体を解体したいよね。
自体に対しての何かしらの考える契機にはなると思いますね。
っていう感じですよね。
じゃあもう一冊か。
なんか今ちょっと手元に持ってくるの忘れちゃってないんですけど、
原間沢樹の音楽から解き放たれるためにっていう、
フィルマート社から出てる本ですね。
結構分厚めの。
ちょっとね、今省略をちょっと。
いいよ、喋っていいよ。
音楽から解き放たれるためにっていうね、
いわゆる2000年代っぽい考え方というかね。
本の構造としては原間沢樹のディスクレビューと、
原間沢樹自身のエステートも批評もつかない文章と、
あとインタビュー。
原間沢樹が実際に行った大手化とか、デリ原上とかに行くんですけど、
これですね。
これは非常に、
やっぱりJリーダーというものについて一番扱っている。
これもだから、いわばバークリーの続きみたいなことだよね。
今こうやって見ると。
音楽産業、産業的に音楽を作るということ。
それを音楽として、その音楽が解き放たれるためにっていう。
それとしてサウンドリサイクルっていう概念。
サウンドリサイクルっていうのは、
実際原間沢樹がやっているベニダブとか、
サンプリングっていうことをサウンドリサイクルして唱え直すっていうのもあるよね。
本当をリサイクルし続ける。
持続可能みたいなことだと思う。
ベニダブっていう原間沢樹がいまだに代表やっている、
LAのラジオクップの話を結構ちゃんとするんだけど、
モダンというものが解体されたときに、
モダンというものが解体され、
20世紀が終わった後に残った荒野で、
何ができるかというときに、
それは解析でもなく、
計画に上滑りしていくのではなく、リサイクルだと。
リサイクルしてあると思うものを付け足していってっていう風に、
螺旋状に音楽が連なっていくっていうこと。
だからヒヒホトリも、
カラマズアキのこういうことをしてきましたよって本でもあるね。
私は。
第一端緒だからね。
そうそう。
これはすごい。
僕は大手科とレイ・原上のインタビュー見れてなかったんだけど、正直。
レイ・原上のインタビューは色んなところに載ってるやつだったけど、
俺持ってたわ。
あるあるだよね。
そうそう。
インタビューなんか意外とないからね。
俺もこの前秘書空間のゴダール特集を頑張って買ってきたらさ、
もう俺が持ってる浅田明のさ、
映画の20世紀に全部載ってたっていう。
だから今はレイ・原上について調べてて、
リミックスとかのバックナンバーとかメルカリずっと見てて、
出たタイミングのちっちゃな枠でもいいから、
ディスクレビューとかを探してるんだけど、
なんかね、とろーに終わらないことを祈っている。
リミックスってすごい良い雑誌だから。
90年代のクラブ雑誌で。
原甘紗明は妙に多分寄稿とかもしてたんじゃないかな?絶対。
小木厚紗原甘紗明。
現エレキング編集長の野田つとむとか。
あとなんだろうね。
今っていろいろいるもんね。
これはね、そうね。
音楽のデジタル化って問題があるな、このバークリの先。
2000年代の先だと。
これはピアノがデジタルになったって意味とはまた別の、
実際に、いやMIDIじゃない。
MIDIはもう70年代だから。
MIDIじゃない。配信の話。
音楽がCDじゃなくなったっていう。
デジタル化っていうかインターネット。
レディオヘッドのインデインボーズが、
タダで売られるっていう話。
投げ線形式になるやつ。
投げ線形式になる。
時期もちょうどこの時期、2006年とかだと思うんだよね。
あとあれね、朝起きたらU2のアルバムが
iTunes持ってる人全員に入ってるやつね。
1曲目に入ってるやつね。
あれね、キモいよね。
で、俺U2さ、普通に聴いてたからさ、
なんか消えない曲がずっとあるみたいな。
でもなんかその、
なんかボノの嫌なところ出てるよね。
うん。
あの、ボノの落ち着く顔したというかね。
ボノってさ、無理矢理いい曲にしてくれるからね、毎回。
そうだよね。
だからU2の構造って。
まあ、それはともかく。
あの、
うん。
だから、まあちょっとね、音楽の歴史をね、なぞるという意味でも、
なんか続きという感じで。
うん。
あの、
で、だから結局その、
コミュニティを作るみたいなところに行ったね。
レーベルとか。
今原間沢木がすごいなっていう話ですけど。
レイ・原上っていうのも非常にね、
2000年代におけるすごい象徴的なミュージシャンというか
クラブミュージックが終わりを告げ、だんだん日本における
ディースコというものがあり、クラブというものがあり、90年代というものがあり、渋谷系があり。
それがミレニアム、世紀末。
こうやって2000年代に入り、レイ・原上が誕生し、震災の直後に亡くなるという。
結構歴史的な人間なんですよ、あの人。文明の中に置きやすいというか。
俺はレイ・原上って言ったらそこまでまだよく分かってないんだけど、
デジタル化の中でどう抗うかみたいなところなんだよね、結局レイ・原上も。
SC88 Proっていうカラオケの音源を作るような機械あるじゃん。
それをずっと使ってて、それだけで作るっていう。
だからもう本当に完全にMIDIだけで音楽を作る。
いっぱいあるけど、MIDIでMIDIじゃないことをするみたいな。
それがね、多分ね、僕が今考えてる限り、それは音響的なこととか、機材的な、サンプリング的な手法の話ではなくて、
音韻の話ではないかなと思うんですよ、レイ・原上の。音韻とポリリズムだね。
暗闇の色っていうアルバムがあるんだけど、暗闇の色ってさ、やっぱ旋回なのよ。
あれはなんか、また1個と違うハーモニーの作り方をしてるんだよね。
ハーモニーっていうのは、考え方としては、異なる2つの音があった時点ではハーモニー。
で、もう1個音があったら和製になるんだと。
ハーモニーっていうのは和製の下に見てるのよ、クラシックの伝統的なあれでは。
なんで2つでは和製にならないのかというと、中心がないからという言い方をするのよ。
これはタイ・イーフォーに基づいて、タイ・イーフォーっていう音楽のクラシックの技法があって、
2つの異なる、それぞれの異なる旋律を合わせていくっていう、
クラシックの考え方、横の繋がりが先にあって、それでたまたま繋がった瞬間の、が和音だとしてるじゃん。
バカみたいな話あるよね。バカの平均率が効いてると、左右ステレオで違う音が鳴ってるっていう。
そうそうそうそう。
が、ずっと続いていくっていう。
そうそうそうそう。
だからもう本当に異なる演奏者がいてっていう時代があって、
でなんか、
原上はだからね、そういう意味ではね、クラシックっぽい横の繋がりで音楽を作ってるんだよ。
基本的にはMIDIだし、やっぱりMIDIを象徴する、MIDIの次にある、象徴されるものとして、
やっぱりデスクトップの横スクロールの画面で音楽を作るっていう考え方があるから。
原上はそれでやってたわけだけど、
そこで、暗闇の色っていうのは1個の音を軸に旋回していくのよ。
だから天体なんだよね、考え方がやっぱり。
それが上下に出たりとか、いい音がずっと鳴ってて、それがぐるぐる回って、高い音が鳴ってオクターブが鳴ってっていう風に。
なんか、暗闇の色が一番すごいからね、原上って、そういう意味では。
ドビュッシーの月の光を逆再生するとね、暗闇の色ができるという。
あと、アタックの扱い方とかもね。
あれビートレースだしね。
そうだね。声が入りますけれどもね。
まあ確かに。
あれも、ちょっとレイ原上の話になっちゃった。
でも原山沢樹って結構俺はそこが関係ある人かな。
おすすめですね。
音楽に解き放たれるためには、なんだろう。
いわゆる音楽というもの、過去音楽というものに行き詰まり。
今のSNSの音楽クラスターを中心とした音楽の授与のされ方というものの奇妙さっていうのはあるじゃん。
なんだろう。
だからそれはさっき言ったように、ネタついて基本的には同じなんだよ構想が。
今まで権威的だとされたものに対してのカウンターで、私たちが見つけた良いものを整理し直すっていう。
それ自体はすごいなんともないんだけど。
なんだろうな。
そういう状況に陥ったっていうところの経過点が見れるっていうのもあるし。
結局ね、体がある以上、歴史と文明から逃れられないという。
そこを無視しているディスクガイドはあまり良いディスクガイドではないと思う。
というので、おすすめですという感じですね。
やばいな。
モダンの話になってる。
FM局のMCみたいな引き取り方しちゃったね。
どうしようもなくなったみたいになっちゃった。
べしとてつやかと思った、自分が。
じゃあもう一冊。
二つ目のGSね。
今回全然文芸っぽくないね。
二つ目のGSですよ。
ドミトリー・ショスター・コービッチね。
ディアステージ・ショスター・コービッチ。
ショスター・コービッチってあれだよね。
ということで私に説明。
ショスター・コービッチを語る。
赤いよ。
ショスター・コービッチって赤いからね。
雑言がおもろいんだよなって。
ショスター・コービッチはソ連時代を代表する作曲家ですから。
逃げていかなかった。
逃げていかなかった人でもあるし。
ショスター・コービッチは最後までロシアにいて、
なんなら高級曲10番を書くあたりで
圧力に負けて共産党に入党するので。
なんだけどこれショスター・コービッチ、
今年没後50年なんだよね。
ああそうなんだ。
今年出た本で、
あれですね。
著者は神山育夫っていう。
あれですよ。
カラマー族の兄弟の新役とかを。
ドフトエスキーの新役をやってる。
あれは公文社古典新役から
あれは15年前くらいに出て、
カラ卿という謎の略語が生まれ、
カラマー族が一躍流行った時代があって。
そのカラ卿ブームの立役者神山育夫。
持ってるわ。
カラマー族の周りの本をいっぱい出してます。
謎解きドフトエスキーとかいっぱい出してる。
ポップの本をいっぱい出してるよね。
新カラマー族の兄弟を書いてる人でもあるね。
カラマー族の続きの本みたいなのもあるね。
書いてる人が、
ロシア文学者でショスター・コービッチ大好きだから、
いろんな人とショスター・コービッチの話をしてるだけの本で、
オカダ・アキオっていう。
メインツもかなりね。
アサヌ・アキーラとか、島田雅彦とか。
あとは井上一義ね。
ショスター・コービッチの全曲録音を唯一日本人の指揮者でやってる人とか。
いろんな奏者とか音楽企業かどうか。
思想かどうか。
いろんな人と喋ってるっていう本なんだけど。
この分厚さね。
500ページあるから。
これ負けたよね。
4600円するからね、この本。
たけい。
誕生日だ。
これ母親からもらった図書館で買ったんだけど。
母親が何かの懸賞で当てた図書館で買ったんだけど。
これはショスター・コービッチの話よ。
これ赤いんだよ。
ショスター・コービッチについて500ページ話したんだけど。
面白い人と面白くない人との話があって、
あんま面白くないのは、2人ともショスター・コービッチ好きな人同士の話。
これは正直ファンの会話なんで。
ファンの会話って面白くないね。
これファンの会話なんでそんなに読むなって思うんだけど。
岡田明雄とか、音楽評価とかだと意外と岡田明雄は言論カフェのイベントの書き起こしなんだけど、
岡田がショスター・コービッチ嫌いでモーツァルトが好きだと。
亀山は逆にモーツァルトがわからん。
ショスター・コービッチが好きだみたいな人なの。
だからいろいろ話をしてくんの。
お互いの話をするから結構スリリングなんだけど。
結局ショスター・コービッチってのはマスの音楽なんだと。
マスの音楽であり、
一つの塊であり、
一方、モーツァルトっていうのはもっと繊細な個人の音楽であるっていう。
なんかショスター・コービッチの方が熱狂があるもんな。
だからそういう話とかをしてるんだけど、
一番俺が面白かったのは、岡田の話をしてるのが、