1. 空地的ジンブン学
  2. ジョン・ケージをネタツイから..
2025-10-23 58:26

ジョン・ケージをネタツイから救いたい 学

松崎、中村ふたり&野外回/長時間配信の流行は睡眠の質を低下させている?/中村「“寝物語”という言葉はエロい」/最近は音楽を聴いている/ポストクラシカルの名盤、マックス・リヒター『スリープ』/アンビエント・ミュージックの聴き方/レンタル何もしない人、ジョン・ケージ論争/松崎はケージが好きだ/ネタツイ化するコンセプチュアル・アート/松崎「ここはきゅるりんディストピア」である/Kawaiiはグロいものを覆い隠している?/Twitterをみると世界がTwitter化する/ネットニュースがネタツイ化している/ニュースよりもネタツイ、炎上の方が身近/情報は生活よりも先にある/「きゅるりん」はコペルニクス的転回の擬音?/コンセプチュアル・アートをネタツイから救い出す/新聞の圧縮文体/松崎「ネタツイ・エモ・血糖値スパイクの時代」/認識の転換としてのコンセプチュアル・アート/権威のない現代/中村「Twitter Blueに入りたい」/モンドセレクションは買える/中村「私たちは死なないのではないか?」/ChatGPTの中に“私”がいる/埴谷雄高の「霊界」=インターネット/ショート動画の良し悪しはフェチ的/YouTubeのアンビエント系動画の丁寧な暮らし感/丁寧な暮らしは、権威のない“正統”への志向??/中村「近代はまだ続いている!」/権威へのカウンターとしてのネタツイ/オペラは高い/Laura day romanceの物販に灰皿があるのはなぜ?/きゅるしての物販にはタバコケースがある/ネットはストリートになりえない/Xはインフラではない/サンプリングはもはやカウンターではない/TLではすべてがフラットになる/中村「私たちはもう死んでいる」/松崎「すべての意味を脱臼させたい」/嫌な大人「かわいいだけじゃだめだけど、かわいいだけじゃだめですかって言いたくなる気持ちは分かるよ」/NEW KAWAIIとNEO KAWAIIは何がちがったのか/ネタツイで人を救えるか


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サマリー

ジョン・ケージの影響とコンセプチュアルアートについての議論が展開され、現代社会における情報の扱いや価値観の変容が語られます。また、キュルリンディストピアという概念を通じて、ネタついの影響やそれに対する懸念が示されています。ポッドキャストでは、ネット社会における情報の流れや認識の変化について議論されています。特に、ジョン・ケージのアートやエモ記事の影響が現代のコミュニケーションに与える影響が考察されています。このエピソードでは、ジョン・ケージの『4分33秒』が持つ文化的意味や、クラシック音楽やオペラへのアクセスの難しさについて語られています。また、インターネット時代における権威の変化や、ヒップホップのサンプリング文化が現代の音楽に与える影響についても考察されています。今回のエピソードでは、ジョン・ケージの『4分33秒』とその文化的影響について考察されています。特に、現在の軽薄な時代における意味探求の必要性や、ケージが促した音楽の新たな視点について語られています。さらに、田舎文化と都会文化の違いについても語られ、特に砂糖の重要性や都会人の自己認識がテーマとして取り上げられています。また、オモクロチャンネルを通じての東京一極集中に関するエンタメ的アプローチについても論じられています。

ジョン・ケージの影響
こんにちは。
空地的ジンブン学ということで。
先に名前言っていくんじゃないの?
最近、オモコロウォッチ聞きすぎてさ。
あれってニュースオモコロウォッチって言ってから始まるじゃん。
だから、もう名前は知ってること前提なんだよね。
で、その後に全員が大喜利をしながら、自己紹介するじゃん。
それやるの?
いや、やらないけど。
ということで、松崎です。
はい、中村です。
えっと、中村です。
板橋 平和クラブから来ました。
いいよ、つまらない大喜利は。
ダメだな。
大喜利うまくなりたい。中村です。
今回は藤原くんお休みということで。
なんか忙しいらしいからね。2人で撮ることになりました。
しかもなぜか野外になってしまったという。
なんか趣旨変わってくるよね。
なんかアウトドア派が。
ジンブン学でもないよね、今。
なんか酒飲んでるみたいになるから一応。
レッドブレン。
やっぱ、缶乗ってるとギョってなるもんな。
缶AKガムね。
これはすごいね。
こういうYouTubeね。
こういうYouTube。
なんか今回は焚き火のYouTubeみたいな。
焚き火って何?
焚き火してるYouTubeみたいな、その絵面なんじゃないかって。
だから、もう2時間くらい撮るべきだね、これ。
寝落ちね。
なんかあれってさ、なんかさ、
配信ってさ、単純にさ、長ければ長いほど儲かるから長いんだけどさ。
そうだそうだそうだ。
単純に。
でも、なんか正直こっちらしか知ったもんじゃないじゃん、そんなことは。
確かに。
配信長いコンテンツが多分コロナぐらいから増え始めて、
明らかに睡眠の質がね、みんな悪くなってると思う。
あれのせいで。
どうなんだ?
あれを聞きながら寝るっていうのは。
寝落ち危ないもんね。
寝落ち危ないし、
まあ、普通にブルーライトとかもあるしね。
そうだね。
だから、
あとなんか、寝る前のルーティンをあれにするっていうさ。
はいはい。
そうそう、だから、それをやめて寝物語にしてるって話は、
結構前にしたと思うんだけど、BOTGASTで。
寝物語ってなんか、エロかと思う。
エロに聞こえるけど、エロじゃないな。
エロに聞こえないよ。
そうです。
予備とかでしょ。
だって寝る物語ですよ。
そんな中学生みたいな話なの?
あの、あれですね。
最近はもう、
音楽聴いてますね。
なんか、
いわゆるミニマルなエクスペリメンタルみたいな。
はいはい。
ポン、ポン、ポン、ポン、チャーンみたいなやつ。
なるほどね。
暗闇の色みたいなこと。
でも、暗闇の色ってだから、睡眠導入に使うには、
原田一個が出てくるとギョッとしちゃうから。
マックスリヒターのスリープでしょ。
ああ、なんかそういうのがあるんですね。
マックスリヒターのスリープってあるアルバムがあって、
あれは普通に医学療法士と一緒に作ってるから、
本当に寝れるっていう。
8時間くらいあるんじゃないかな、確か。
はいはいはい。
あの、あれだよね、ポストクラシカル。
8時間!?
ずっと起きてるやん。
寝てる時にも意味あるんだから。
寝てる間にもかかってるんじゃない?
そうだろうね。
導入に8時間かかる。
ポストクラシカル、アンビエントの一応名盤だよね。
名盤だけど、絶対全員寝ちゃってるからさ。
ちゃんと聴いてないって。
アンビエントをちゃんとアンビエントさせて…
アンビエントってみんなどうやって聴いてんの?
よくわかんないんだけど。
アンビエントって、だってあれはブライアン・イーノの…
っていうか、元はエリック・サティの家具の音楽に遡るわけでしょ。
で、あれって、だから家具のようにそこに鳴ってるだけでいいっていう、
自律的に聴かないっていうのが、
そもそもサティのアイディアで、
それの発展系がイーノのアンビエントなんだよね。
だからあれっていうのは結局、
その場で鳴ってる音楽と場で鳴る音っていうのが、
の並列として扱うっていう。
なんか切断されてるよね、だから。
スピーカーから流れてんのも、ここでこう鳴ってんのも、
同じ音楽だと捉えるっていう構想だよね。
すごいね、現代音楽っぽい考え方だね。
刑事みたいなことだよね。
刑事ね。
刑事が4分33秒が定期的に炎上するっていうね、ツイッターの。
その話はやっぱりいろいろ思うことがあるみたいな。
どう、というと?
珍しく、ちゃんと刑事好きなのよ。
珍しくっていうのもあれだけど、
ジョン刑事好きやねっていう人ってさ、
実際あんまりいないんじゃないか説っていうのがあって。
キュルリンディストピアの概念
そもそも。
レコード屋のジョン刑事の棚ってそんなにデカくないもんね。
刑事って結局4分33秒か、
来日した時にステージ上でカップヌードル作ったかとか、
そういうなんかこう。
パフォーマティブなところを。
面白パフォーマティブみたいな。
だから芸人みたいなことよね。
だから向井修徳がタバコを食えながら拳銃持ってるみたいな。
あのイメージで。
それにしたらナムガーバーガール好きな人いっぱいいるけど、
でも俺普通にジョン刑事のプリピアドピアノのための
そんなところは絶対ないだろうね。
結構普通に日常的に刑事のそんなところ聞くし。
だからちょっと刑事がああなるの嫌だなっていう思いはあるんだけど。
だから何だろうな。
いつも思うのは、
あとマレセル・デュシャンの泉ってあるじゃん。
あれは弁儀に偽名だけどサインして、
サインをしてしまうっていうことで
弁儀っていうのを作品として提示できるんだっていう。
それもなんかあれだね。
コンセプチャルアートの始まりだけどさ。
なんかおもちゃにされそうだね。
あとあれね、
それの発展系として赤瀬川玄平のトマソンっていう。
何だっけトマソン。
トマソンっていうのは、
例えば普通の家で工事、
増築前は普通に役立ってたんだけど、
増築しちゃった結果2階に
開けてもどこにも出られないドアがついてるとか。
あとどこにもついてない階段とか。
上がって登るだけの階段とか。
上がって下るだけの階段とか。
のを見つけるみたいな。
だからそういう非芸術みたいな、
脱芸術みたいな流れっていうのがさ、
現代美術ってあるわけじゃん。
そこでいろんなコンセプチャルな試みがあるんだけどさ。
そういうのが全部ネタついに回収されてしまう、
キュルリンディストピアなんですよ。
キュルリンディストピア?
キュルリンディストピアいいんだけど。
2025年ですよね。
今年出てたキュルリンってしてみてのEPのタイトルが
キュルリンワンダーランドなんだけど、
いや嘘だろって俺はずっと思う。
キュルリンディストピアの言い間違いだろって。
確かにここはキュルリンディストピアだね。
そもそもまた話がずれちゃうけど、
キュルリンが持ち上げられてるってことが、
すべてのグロい社会をキュルキュルとかかわいいとか
塗りつぶしてるっていう。
あれね、だからやっぱり
時代系の濃いメイクの人間は肌への負担が大きいから
年を取ると肌が老化が早くなるみたいなことやね。
いいガールズのドリームアミが髪染めすぎて髪傷んでるとか。
別にそれがどうとかじゃないけど、
そういう追い隠しだよね。
そういう上書きだわけじゃん、キュルキュルって、キュルリンって。
そういう意味でキュルリンディストピア2025年において、
そういうコンセプチャルアートとか現代音楽みたいなのが
全部ネタ追加していくっていうことの
怖さみたいなのはすごい感じるんだよね。
ニュースがネタ追加になってるのも怖いしな。
ネタ追加と炎上の境目ってあるようでないからさ、意外と。
自分の外側の世界がツイッターって
ツイッターって一日一時間見てるだけでも世界がツイッターに見えてくるから
そこが怖いから。
だから自分の外側にある世界がニュースじゃなくて
ネタ追加と炎上に見えてくると
東京とか結構ね、怖いよね。
それはキュルリンディストピアかも、ここは。
情報と生活の関係
キュルリンディストピアなんですよ。
キュルリンディストピアを私も今、あなたも生きています。
でもさ、だからあれだよね。
音楽ネタとかの見出しのつけ方とかも
考えたことない。
ちょっと面白発言みたいなところだけ
怪奇格好で切り取ったりするじゃん。
だからあれもさ、ニュースとネタ追加の狭間が曖昧化してるし。
そうだね。
俺これと思ったのはなんか
最近起きた出来事について考えるとき
全部ネタ追加と炎上だから
でもテレビのニュースは見てるんだよね。
でも明らかにレイヤーが普段接してる
世界のさらに下のイメージなんだよ。
もっと自分に近い場所にあるんだよね。ネタ追加と炎上なんだよ。
なるほどね。
生活がもっと近くにあってね。
わかんない。生活がもっと遠くにあるのかもしれません。
何を笑ってるんだよ。
でも確かに生活よりネタ追加の方が先にあるんじゃない?
生活よりネタ追加の方が先にあるのは
多分俺より松崎の方がTwitter見てるからだと思う。
生活って結局
丁寧な暮らしって言葉があるように
自主的に維持しないと生活って成立しないじゃん。
でもネタ追加ってスマホ開いたら飛び込んでくるからさ。
自律的じゃないっていう。
多立的だっていう意味でさ。
情報の方が生活より先にあると思うんですね。あらゆる。
そうだね。確かにそういう意味だよ。
生活って自分で立て直さないと。
立て直すというか、自分で維持しないと
生活足りないから。
TDによって情報過多になってるのもあるな最近。
神父とかさ、
例えば自分の今まで手が及ばなかった範囲の物事が
全て分かるわけよ。
今までなんとなく好きだったなって思ってた
この機材とかの
電子回路と歴史について
なんとなく分かるようになるとか。
だからすごい楽しいんだけど
それで頭の中が情報でパンパンになっていくから
より生活よりも情報が先に出てくるわけよ。
全てにおいて。
ってなってくると
生活に手が及ばなくて
及ばないんじゃないな。
そこで力関係が一転するんだろうな。
展開しちゃって
キュルディン・ディスポピアになるしかないっていう
自分の生活も。
私もキュルディン、だから
キュルディン氏が
そう、展開してお目目がキュルキュルしてる。
読み替えでもあるからね。
本当に
なるほどね。
コンセプチュアルアートをいかにして
ネタ追いから救い出せるかっていうのが
それはあるかも。
あるんだよなってことはずっと思ってる。
だから
コンセプチュアルアートをいかにして
ネタ追いから救い出せるかっていうのが
あるんだよなってことはずっと思うよ。
でも結局さ
権威なんじゃないの?
権威づけるってこと?
そう。
今機能的なのは
一番現在において。
権威って成り立つんすか?
成り立てたくなってはきてはいるけど
だって批評は死んでるんだよ。
でもまだあと20年くらい生きるんじゃないんすか?
結構短いね。
批評の男子もさ
やっぱり批評が死んでるとはいえ生きてるからさ
本当に死んだものって誰も話しないからね。
それはそうかもしれない。
でもどうなんだろうね。
そういう意味で何回も話してるけど
BTSの批評を書くとBTSのファンダムから
それはあなたの意見ですよねって言われて
批評が成り立たなくなるみたいな話も
僕は考えちゃう。
ちょっと話飛んでるな。
なんかあれだわ
例えば新聞
これジムウォッチで言ったな
それとは別の話にしたいから話すけど
その新聞
バイト先でさ
俺さ新聞に載せる原稿書いた時があったで
バイト先を送って
でなんか
情報の圧縮と流れ
ある程度長いあらすじを書いて
送るみたいなのをやってて
新聞ってそれやってめっちゃ思ったんだけど
本当に圧縮すんだよ
400文字を200文字以下にすんだよ
180とか
だから
ジムウォッチで上田が言ってたのは
どっちも言ってたから
それがその書き方のままネット記事で使われてると
だから問題が起きてると言うし
状況がぐちゃぐちゃになるみたいなこと言ってて
逆にネットでいくらでも書けるからこそ
いわゆるエモ記事みたいなのが反乱してる
そうだね
いらない絵も
だからね
困っちゃうね
いくらでも書けるということは
何も書けないということに等しいよね
私たちにとっては
だからやっぱりさ
ネタついとエモと血統地スパイクの時代なんだよ
本当に
ドカブリ記述と
あとネタついと
エモね
全部その瞬間の
一瞬のガッとくる何かで
全てが過ぎていくっていう
普通に世の中全体の写真を見た時に
世の中が良くなっていきそうに見えないっていうのもあるよね
切な的に生きてる人間が
そうそうそう
だからそういう意味で
コンセプチュアルアート的なものがさ
結局はあれって何て言うの
認識の再編成みたいなことではあるじゃん
今まで画家が絵を描いてたものに対して
展開していくというか分解していくというかね
逆分していくみたいなイメージじゃん
でそれを便器にサインするだけでも
サインするんだっていうのは
かなり批評的なアプローチではあるわけじゃん
そうだね
一種の開脚精神も確かに
ちょっと冷笑的でもあるのかもしれない
今の視点で見たら
でもだとしてもね
そういう認識の転換みたいなさ
ことすら
タイムラインにある面白い一個になって
すぐ流れていくっていうのは
生活の実感は変わらないからね
認識の転換
いよいよライラックしかなりたくないんじゃないかっていう
怖いね怖いこと言うね
いよいよライラックしかなりたくないんじゃないか
っていう気はしてくるわけよねそういう意味で
はいはいはい
なるほどね
なんかそういう意味でも
あれだよね
なんていうんだろうな
だから結果的に近代現代が終わって
なんかヒエルキーみたいなものから
開放されつつはあると思うのよ
逆に言えばね
そう
それがこの結果という
本当にやっぱりタイムラインがフラットである
すべてがフラット化しているっていう
ことはやっぱり
未だにあるんじゃない
平面だからね
なんかそうだね
やっぱり
認証マーク欲しいしね
え?ツイッター?
ツイッター欲しいか
欲しいだろ
だって俺の発言が全部公式になって
認証ついてない人より上になるんだぞ
優先のが
怖すぎるよねツイッターすぎるよ思考が
いやそれが1000円で買えるんだよ
やばすぎるあの商売
確かに
お墨付きが1000円で買えると思うよ
そう
1000円で買えるお墨付きなんかないよ
あの唐揚げ対象ぐらい
あれ買えるもんなモンドセレクションは買える
モンドセレクションは絶対買えるから
いいよその話は
いいよ
でもどうなんだろう
結局私たちは今生きてて
私たちはいつか死ぬんだっていう
根拠的な命題
へのさ
はさ
依然としてあるわけじゃん結局
だからそこが
結局
ドーパミン中毒的にさ
ただ横滑りしていくだけ
になっていくんじゃないかっていう
私たちもう死なないんじゃないですか
って思ってくれる
意識がクラウドに
本当にね
チャットGPTと会話してると思うけど
あっち側に
自分がいるもんな
チャットGPTやってるとき
怖すぎるだろ
あっち側にもう一人で自分がいて話しかけていくとかじゃなくて
チャットGPTが考えた
私的なるもの
がだんだん大きくなっていくから
はいはい
私って死なないんじゃないかなって感じもしてくるよね
霊界ですか
霊界ですよ
霊界ってクラウドのことだったのかもしかして
カニが豊かの霊界って
カニが豊かがいったい
不可能性の無限の宇宙であるところの
霊界が
可能性の無限の宇宙であるところの
インターネットだったっていう
すごく現代的な必要ではあるな
でも
もう何
知らないほうが怖いけどな
知らないほうが怖いよ
これ生と死がないから怖いって話
生と死がないから
全て刹那の
刹那の
快感快楽に
本当に畑とか
やった方がいいんだろうね
幸せに生きるために
スマホ立って
東京から離れて
畑やるのが一番
地方移住話になってくるの
地方じゃなくてもいいけど
東京の方がいいと思うけど
毎日
少しずつね
畑の快楽って
収穫まであるから
そういうものがね
勉強とかもね
やっぱ変わったなって感じがするね
勉強とかあと
俺は結構楽器やってるから
コード理論とかスケールの練習とか
ギターとかベースとか結構見るんだけど
今まではだから
俺が学んできたのはずっと
YouTubeの縦型動画10分だったわけよ
15分20分長いの30分
横型ね
動画20分で
解説してくるみたいな
前置きからちゃんと解説するみたいな
だからいわば
新聞記事の前よね
縦型動画になったことによって
新聞記事がというか
その場その場で
まず尺が短いじゃん
そもそもの
いきなりフックを作らなくちゃいけないし
それはもう横型動画でもあったけど
それ以上に作らなくちゃいけないし
っていうので
得られる情報がすごいインスタントになってるから
よりね
これはもうすごい加速してる
楽器やってる人にしか使わないと思うけど
この場所ではこれを弾いとけみたいな
ことがどんどん加速してって
でも
権威もないからさ
この平面のインターネットだからさ
この馬の骨の
この馬の骨の言ってることが正しいのかどうか
分かんないんだよ
なるほどね確かにね
ってなってくると
なんか最近ね
セッションとかフリージャスとか流行ってるから
なんか
多分ね行き詰まり感あるんだと思うな
さすがに
日本人が貧しくなってバークリーに留学できない
っていうのもあるしね
でもやっぱそうなると
文体か
声質か顔かになってくるわけだよね
多分
その破綻材料っていうのが
文体声質顔
部屋の
綺麗さ
すごい感覚的かつ植物的な
綺麗すぎると信用できないし
汚すぎても信用できないからね
確かにね
アンビエントとかYouTubeとかにあるアンビエントとか
めっちゃ全員机綺麗じゃない?
机綺麗系アンビエントって呼んでるんだけど
あれのこと
あの
丁寧な暮らし的な表装だもんね
でもアンビエントは
本当にそれが強いから
なんか
テクノ
アンビエントテクノの後に
フェリメントか
あの
すごい類型化されてる感じが怖いよ
松崎が見てないからだけど
聞いてる人が分かればいいけど
ハードコアアンビエントしか見てないから
ハードコアアンビエンスだっけ?
アンビエンス
ハードコアアンビエンスしか見てないことあるんですか?
アンビエント系だと
だから俺はさ
そこもさ
フリークとプレイヤーが結びついてくるから
インターネットによって
機材フリーク
機材大好きな人と
プレイヤーが
エレクトリックミュージックって結びつくから
YouTubeにある
機材紹介の動画と
プレイヤーの動画は同じチャンネルにあるんで
同じ人がやってるんだよ基本的には
あの
だから
それもね
すごいあのなんだろう
その場の刹那になってる感じはするわ
あの
なんだろう
そこで流れてるいい音
複雑な音
シンセのいい音を
楽しん
聞き返すことは二度とないねだいたい
一回聞いてなんかいい音だなと思って
寝て起きてまた同じ動画を見て
なんかいい音だなと思って
見て寝てみたいなことが繰り返される
だからこそ
LP作んなきゃ
CD作んなきゃいけない時代だなとも思うんだけど
逆にね
逆に
そうしないと生きていけないよああいう人たちは特に
アンビエントとか
カラーミュージック
テクノハウスとかの人たちはね
そういう意味でさ
今思ったのがさ
最初のケイジの話に戻ると
ケイジの話にも接続されるんだけどさ
アンビエントが
丁寧なクラッシュ的な表層と
結びつけられる
の方に寄ってるっていうのが
すごい現代的な気がするんだよね
つまりこの
いわゆるそういう西洋とかの
正当なアート
っていうのが一つあるとして
でアンダーグラウンドとかサブカルチャー
みたいなものがあった時に
それってさっき言ってたような
権威が成り立たせるわけじゃん
そのいわゆる
正当なクラシックとか
そういうまあ
アンビエントもそこにちょっとロックとかも入ってくるけど
頭がいい音楽なわけではあるじゃん
インテリジェント
でそれはちゃんとこう
今までの歴史の積み重ねの結果
アカデミックでもある
歴史を見てるよね
そういう音楽っていうものが
すごいすべてがフラット化した時に
歴史がない
くてテイストだけ残ったっていう
のの結果として
丁寧な暮らし的な表層に
行き着くっていうのはありえると思う
無印がCD売ってたの思い出したわ
今サブスクでも聴けるしね
アンビエントっぽいような
あとあれだよね
ハロウィンとかやってるやつもあるし
無印のBGMみたいな音楽ね
そういう意味で
アンビエント的なものが
すべてがフラット化された時に
どう残るかっていうと
権威がなくなった時にどう残るかっていうと
丁寧な暮らし的な表層に残っていく
っていうのはある気がする
文化と権威の変化
なるほどね
そういう意味では
近代がいまだに続いている
ということかもしれない
中世が終わって
確かに
結局その中3階級が
一億総中流
ではない
逆に
ネオリベラリズムになったからこそ
いわゆる親ガチャ論争とかが
増えてるわけだけど
文化資本とか親ガチャとか
そういう話が増えるけど
そういう人たちが
その上で
目指すものとしてあり得る
っていう気はするし
逆に正当なものが
残らなくなる
っていうのは分かるんだよ
だからそれこそ
4分33秒がネタついになる
っていうのも自然な気がするんだよね
なぜなら
もはや今
明確に
文脈っていうものを
死に絶えてるから
多分思うより
それが結局一種の
西洋のお金持ちの
インテリのものでもあるわけじゃん
そこに対するカウンターとしての
ネタついっていうのを考えることも
できると思う
ネタついとかね
上級国民とかでね
上級国民って
懐かしいな
最近あんま言わなくなってる
浸透してるから
刑事的なるものって
上級国民とかのものだ
っていう流れもあると思う
そこに対して丁寧な暮らしとか
逆の
いわゆる地雷的なものとか
一種の
オペラとクラシック音楽のアクセス
カウンターとして成り立ってるからこそ
っていう文脈も
考えられると思う
丁寧な暮らしの人って
ライブにはいくけど
クラシック聴きに行かないからな
クラシックって一番整ってて
丁寧な音楽じゃん
俺もね
ベルクのオペラ今度やるのよ
あれどこだっけ
国立劇場か
11月にやるから
行くかと思って
チケ台見たらさ
Z席まであるんだけど
C席とかが
12000円とかするわけ
オペラだからね
オペラだからと思うけど
爆笑だよね
一番高い席も
34000円とかするわけじゃん
でもさ
2.5次元俳優の演劇に
15000円出せるじゃん
そんな厳しい?
いやいや
本当にそれって上級のものなのかな
値段での話でもない
空気感とか
だしさ
つまり
1回3万のオペラを
見に行くか
ってなるだけの
蓄積っていうものもあるじゃん
それはこう
オペラをさ
オペラは人生で何回も見てこないと
成り立たない
だからそういう意味でクラシックとか
考えた時に
明らかにその一種
金持ちじゃないと参入できない
っていうのは実際あると思うんだよね
もしくは疑似金持ちになるしかないよね
自分の中に歴史を作って
自分の中で権威を
超過して歴史を作って
疑似金持ちになっていかないと
成り立たない
でもそういう意味でやっぱ
こんなに景気が悪い世の中で
オペラを
日常的に見て
オペラっていうものをある程度
興味と理解っていうものを
持てるっていう環境がなさすぎるっていうのは
ジョン・ケージと文化消費
実際あるから
そうなった時に丁寧なクラシック的なものとか
だから丁寧なクラシックって結局
一種
一種
高尚なものではあるんだよね
いわゆるヒップホップ的なものっていうか
アウトローにではない
アウトローではないが
そういういわゆる
ヒップホップ的なものでもないっていう
今までの
権威に裏付けされた
ものとは違う
っていう何かね
正規文化と
社会と密接に結びついてるよね
丁寧なクラシって
丁寧なクラシの価格帯と
全部同じだもんな
丁寧なクラシ系の
家具とか
物質とかって
例えば置物とか
タバコ吸わないか
灰皿とか
丁寧なクラシでもタバコ吸う派閥もあるからな
いつも思うんだよな
ローラディーロマンスのツアーグッズにライターがあるっていうのがさ
なんかこう微妙に
いやローラディーロマンスは
丁寧なクラシでもなくて
ベッドカバーにあるのは分かるんだけど
いやローラディーロマンスは
多分俺らよりも
世代が上のサブカルチャーだから
そういう
また90年代の名残だよね
タバコ吸うっていう浦和区行為というか
ちなみにキュルリンディストピアのね
総本山
キュルリンとして見てのグッズにはね
タバコケースがあるよ
あれ一応なんか
アイドルカルチャーだと
チェキを入れるんだと思う最近は
取ったチェキを入れるっていうのが一応目的なんだけど
でも見慣れないから
ライターじゃなくてタバコケースってガチ必要じゃん
そうそう
だからキュルちゃんのタバコケースに
タバコを入れて喫煙所に来る人がいるかもしれない
おじさんってタバコケースかもね
昔はソフトの人は使ったっぽいよね
ソフトのケースは
今でも結構たまに見ますよ
おじさんが使ってたでしょ
おじいちゃんも使ってた
でもなんか
あれかな?だから荷物の中に
放り込んだりとかするときに便利なのかな
潰れないから
いやそうなんだ
ライターでもないんだ
ライターでもない
ベッドカバーのライターはデカすぎるんだよ
あれはジョークだよね
いいわ
その話いいわ
でもなんかそういう意味で
今喋ってて思ったけど
刑事4分33秒を
ネタついになるっていうのは
一つの
逆に言えば明確な
カウンター的な
行為でもあるっていう
だから
そもそも
4分33秒を理解するっていうことに
どれだけの
文化消費という言い方も
労力
前時代からの労力もあるし
だからそれが
それを準備するだけの
ものが社会的に
実際ないし
でも
それをどう扱うかっていう
地平だと
それはないんだろうね
確かにあるから
歴史の中に確かにあるものだから
ネタついになる
4分33秒もそうですし
あと
ネタついになりやすいのって
デュシャンもなるし
あと村上春樹ね
あれもまたちょっと話違うけど
そういう意味でネットは
元々ある程度権威的なものを
村上春樹ってやっぱり
ネット以前の世代のものだから
構造は同じだね
そういうのを霊嬌的にね
権威を霊嬌的に扱うっていうのはネットとしてあるから
ネットはそういうことをずっと
生きてるからね
そういう意味でやっぱ
ネットが広くなって
ネットの範囲が広がってるっていうのはあるんだ
ネットストリートですよ
でもネットは
ストリートほどなんだろうな
ストリートなり得ないのではないか
結局
なんでだろう
ネットストリートなり得ないのではないかと思ったんだよな
なり得ないんじゃない
やっぱタイムラインにこういうの流れてくるからね
そうだね
結局接続されちゃうんだよね
全員いるんだよ結局は
見えてないんだけど
アングラじゃない
最近なんか冷静に思ったのが
公式アカウント
いっぱい載ってるじゃん
でも全部さよく考えたら
そこの怖さもあるよね
はいはいはい
四季業が作った公式と
あとNERVとね
そもそもXが
X社のプラットフォームだっていうのは
改めて思った
別に言わされ尽くしてるけど
あくまで四季業が作ったプラットフォームが
こんなに全世界の
だって今時さ
バンドとかでさ
Twitterがないじゃん
逆に
本当に売れてて
必要がない人くらいしか思いつかない
だからだいたい情報とかあるわけじゃん
本当に
ウェブサイト作れるやつ
インターネットと現代音楽の変化
別に当たり前じゃないじゃん
実際よく考えたら
Twitterやってないといけないっていうのが
本当にそう
言っちゃうんだけど
全員が
トイレマジックに持ってますかみたいな
レベルなわけじゃん
顔の製品と一緒なわけじゃん
一発製品って考えたら
一アプリだからね
そこもやっぱ
すごいなっていうのは改めて思うけど
ちょっと話が変わるけどさ
サンプリングとかってさ
もともとだから
ヒップホップで使う
サンプリングね
ビニールから
音を取って
音で波形を刻んで
曲にして
その上に声を乗せていくっていう
ヒップホップのサンプリングっていうのが
もともとはだから
今の話だと
刑事的なもの
西洋の近代的な
近代で含まれた
権威的なもの
を引きずり下ろす形で
始まってるわけじゃん
ここで仮に正当なもの
正当な芸術っていう風に呼んでおくか
正当な芸術
を引き下ろすために
サンプリングっていうのがあって
でそれが2000年代
終えて
何だろう
多分そこでだから転換点があって
世界のインターネットの普及とともに
サンプリングがだからさ
そういう気持ち良さはもうサンプリングじゃないんだよね
そうだね
それはもう最近ずっと思ってて
これのものを
盗んで使ってやるっていう
それはパクリだと言われる時代だからね
そうですね
ていうね
なんか
てなるとね
で結局今だから
スノップが疑似金持ちが
疑似金持ちを引用し続けてるみたいな
状態になってきてるわけじゃん
いや本当に
2025年の人が
2010年のスノップが作った音楽を
引用してみたいな
でそこにさ
2025年重ねてみたいな
これがまだこの先もどんどん続いてってみたいな
そういう意味では確かに
サンプリングがこう
うんなんか
ありふれ
なんかどっちかというとだからその
段々その2010年代に入って
ありふれたもので音楽を作るみたいな
方向にチェフトしてったんだよね
なんか
そう
それの行き着く先が
そら仕事
吉村くんって友達と話したと思って
チリーンとかさ
いろんなやつポーンとか鳴らしてさ
それで曲作るやつあるじゃん
あれってすごいのよ
なるほどね
手段と目的がまず到着してる
でまぁエンタメとしては面白いけど
だし今波形で
どんな音でも波形いじっちゃえば
全部音になるから
ハイハット音になるから
っていうものを
自分の作品だとして
出してるっていうのがなんだろうな
その
そこもだから
ちょっと例章があると思うんだよな
インターネットの
いわゆるポップミュージック
それをやってるのって基本的にアマチュアだから
商業音楽
今度はだから西洋の正当な
芸術ではなく
消費社会における
芸術の勝者たち
正当なじゃないのなんだろう
えーっと
えーっと
なんだろうな
正当な
芸術ではなくて
また違う言い方
商業的な音楽に対する
例章みたいな
でそのポンポンやって作って
商業的に
売れてる音楽の
カバーをするとかね
あの
ちょっとなんか
今バッと話しちゃった
だからネットが
だからそのツイッター
インスタグラムSNSだと
動画サイトが特に
全然ストリートにならないっていうのはね
なんか
これはこれで
ここからどうしていこうってなるよね
まあそうなんだ
すべてがタイムライン上でフラット化していくからな
だから誰も権威も何もないまま
すべてが混ぜっかえされてるだけっていう
取り方もできる
だからこれはあれですね
ハニア豊か的には
私たちは乗っていれば宇宙に入ってしまったかもしれない
実は
実は私たちはもう死んでるのかもしれない
急に?
だからそうだよ
霊界があるんじゃないんだよ多分これ
ここが霊界なの?
暑くない季節だな
暑くない季節で
人間というものが死にたい
まあまあそうなんだ
ハニアになぞられるのは
遊びだから
そう考えたら
いろいろ啓示も納得してきたけどな
今なぜか
流言が下がってきた
啓示的なものっていうのは
確かに一種の
選ばれた
人のものでしかなかったってことは
考えるべきなんだよねやっぱりそこは
そこを何か
安直に擁護するべきことでもない気もするよね
もともと昔のクラシック音楽っていうのは
だって家にピアノがある
っていうのが
最低限なわけじゃん
基本的に
シューベルトとかが楽曲とかを書いてるのは
昔は
公共曲の
ピアノ編曲版がいっぱいあるわけ
あれは何であるかっていうと
演奏会とかって結局都市部しか
貴族しか行けないから
じゃあ地方の貴族とか
地方のちょっとお金がある農民とか
そういったらその楽譜
音楽と家族の思い出
ピアノだけで楽譜で
公共曲の編曲版とかを
ピアノってそれがすごい楽器だからね
しかもそれをお母さんが弾くわけじゃん
大体
お母さんが弾いて家族みんなで歌うとか
聴くとか
すごいそういう小っちゃい
楽しみだったわけで
だからそれがやっぱ
複製芸術の時代になって
録音物ができて
今すぐここのアップルミュージックで
そこがフラット化していく中で
それを
知ってる人たちだけの中で
アクチュアリティを持ってた
4分33秒が
レンタル何もしない人によって
終わるっていうのは
とうとう名前が出ました
自然な機決
なのかもしれないんだが
でも
それって結局
王様を引き下した以上
何もないんじゃないかって
気がするの
そこから何が始まるのか
そこで引き下したらいいものの
何が代々されるのか
ってことが見えてこないんだよ
結局引き下して
揉めて終わるわけじゃん
本当に
革命が成功しない理由の一つだよね
世界革命が
行われないと
それを全て
かわいいが塗りつぶして
上書きしていくんだっていう
気がするんだよ
今は明らかにそういう軽薄さの時代ではある
真面目であることは大事だよ
生活において
でも今は軽薄でポップであることが
大事な時代ではある
全て塗りつぶしていっちゃうんだ
すぐに場所をずらしていっちゃうんだ
でもその軽薄さが
軽薄として成り立ってない気がするんだよね
はいはいはい
一種の切実さじゃ
だから
シリアスと裏返しの軽薄さね
あんまり
なんだろう
松崎みたいなことよね
いや俺は
人格の話じゃなくて
だから俺とかはそうなんだけど
シリアスの場面ほど軽薄に振る舞ってしまう
ノリだよね
なんか
やっぱ全ての意味を脱究しないと死ねないんじゃないか
説だからね俺は
全てを意味付けるんじゃなくて
全ての意味を脱究させないと
救いっていうのはないんじゃないかっていう
そうだね
最後に残ったものだからね
だからさ
フリッパーズギターじゃなくてさ
フルーツジッパー
やばいキクチナリオシみたいになってきちゃったよ
フルーツジッパーとフリッパーズギター
だからフルーツジッパーの
ニューカワイイっていうのはさ
アイドルに収まらないじゃん
その一種
ニューカワイイだけ流通してる言葉ではあるじゃん
軽薄と真面目の対立
だからニューカワイイもそうだし
あとカワイイだけじゃダメですかも
結局はそうなわけじゃん
カワイイだけじゃ
ダメな世の中だからこそ
あえて私はカワイイだけじゃダメなのですかと
言いたいのですっていう
ゼクシーなんだよあれは
だからつまり結局こう
フルーツジッパーの新曲は
何がにしてても
ニューカワイイっていうブリッジがあるの
だからどんな状況でも
ニューカワイイよねっていうのは
これは明らかに根本的な
解決ではないわけ
暫定的にあらゆる状況だから
滑ってくる
だからなんだろうね
酒飲んでゲロ吐いちゃっても
ニューカワイイわけ
何気ない一言で
友人を傷つけちゃっても
ニューカワイイわけ
その話怖いな
だから若気のイタリーで
乳頭しちゃってもニューカワイイわけ
だからそれって結局根本的な解決じゃなくて
塗りつぶしてくっていう意味で
フラットさの上に
もう一個フラットが
重なってくるだけであるっていう
でその上で
カワイイだけじゃダメなんですかって
言ってくるっていう
そういう意味で
カワイイだけじゃダメなんですかって言われた場合
どう答えるべきなんだろうね
えっと
カワイイだけじゃダメなんだけど
カワイイだけじゃダメですかって
言いたくなる君の気持ちは分かるようじゃない
うわー大人すぎ
嫌な大人すぎ
確かにな
でもそうだ俺も絶対そう答えるわ
そうそう
カワイイだけじゃダメだけど
カワイイだけじゃダメなのかなって思う夜もあるよな
君の気持ちが大事だよね
やばいよ
でも結局
意味脱究していきたいんだったらそうだよな
だからそういう意味でさ
チャイのネオカワイイの時代の方が
まだネオカワイイっていうのが
一種の社会運動として成り立ってたと思うんだよ
はいはいはい
これよくいろんな人が比較してるけど
ネオカワイイとニューカワイイは何が違うんだ
ネオカワイイっていうのは一種の
だからチャイは言ってしまえば
一般的にカワイイくないっていう
ことだったんだよね
でもそれをネオカワイイっていう
認識の転換なんだと
いう意味で
だから意味付けだよねどっちかというと
ポジティブだよね
ポジティブに
色付けしていこうっていう
革命なんだよね
あれは革命なんだよ
でもニューカワイイは明らかに
上書きによる
現状
修正だよね
革命と修正だ
言うことは思うし
話がなんか混乱してる
でもだからなんか
じゃあニューカワイイ塗りつぶした時に
あるいは4分33秒笑った時に
あえてネタ的に消費した後に
それでも残る
根本的な問題
っていうのに対する何かしら
だから本当は刑事とかの
試みというのはそこに対してアプローチする
ものであるはずだったわけじゃん
儚らずしも
彼自身の
今までの文化を引き受けた境遇により
それが効力を持たなくなっている
という
あるし
結局そこは別に
なんていうの
パラレルな話だと思うんだよ
選ばれた人だけど
やってること
選ばれた人がやってるから選ばれた人しか
分からないわけではないわけじゃん
本当にそう
難しくなってる気がするんだよね
それはこんなに
ジョン・ケージとテクノロジー
全てがフラット化したら誰も選ばれない
に決まってるから
それは私もあなたも選ばれてないわけじゃん
ってなった時に
昔のそういう権威的なものに対する
危機感が生まれるのは当然だし
でもそんな時に
権威ではあろうが何かしら
のそこには
怒ることがあるわけじゃん
刑事が4分33秒演奏する時に
怒る作用があって
自然で
でもその作用はもっと普遍的なもののはずで
それがどこに
全て
上書きされていく世の中で
それはどこに行くんだ
っていうことが
分からないよね
打ち切り縁路に向かってますけど
全然ね
ギリシャ悲劇が面白いもんね
それはそうだね
なんか
やっぱり神に
奉納するための
音楽でもいい音楽だからね
あんまりその
作った人の場所と
そこで起きたこととどう受け取るかっていうのは
関係ないよね
これが全部聴けるっていうのも
録音メディアが発達っていう
意図せぬ音楽の動きがあったからで
やはり
テクノロジーで変わっていくんだと思うけどね
そこら辺は
4分33秒
っていうのが何かしらの
ブレイクスルーだったなら
それと同じブレイクスルー
っていうのを
周波数を調節して
脳波に直接訴えかければいいのかもしれないよね
将来的には
頭に電極を
ケージの話と
その話が戻ってくると
無音なんだか無音じゃないのか
何を聞けばいいのか
4ケージがあれをやったときに起こった
何かしらのブレイクスルー
っていうのを全部
電子情報にして
脳みその電極に繋いじゃえば
電子情報にできるという前提に基づいてない?
あなたが
だからテクノロジーが発展するからね
テクノロジーの発展
そういう
だから
テクノロジーが発展したら
いわゆる
いわゆるケージが
ややこしい
ケージとケージね
ケージが降りてきた瞬間の
瞬間を
全部数値化できるように
やるんじゃないのか
でもそれ数値化できない
説もあるんだよね
まああるけど
あれだとなんだっけ
おかしくないけど
だからまあいいや
でもどうなんだろう
それをさ全部さ
電気情報でさ
電気情報でだから俺は
終わりの季節を
聞くんではなく
終わりの季節を聞いた時のノウハウは
頭に起こるようになるってことか
いやでもさ
それってさ
22世紀になったらドラえもんが出てくるみたいな
21世紀にドラえもんが出てくるみたいな
話で
そんな進みやしないよね
なぜなら生活っていうのは最大の呪いだからね
人間の呪いだよ
この身体と生活
結局飯食ってうんこしないといけないっていう
人間はね
最近やっぱ何が起きても生活があるってことが
一番
救いじゃなくて呪いなんじゃないかっていう
ことは感じるよね
なんか
わかる?
いやまあ救いでもあり呪いでもあるな
どっちもあるな
まあでも
特にその
うん
なんか
うまいもん食いたいな
最近もううまいもん食いたいなしか
絶望が残んなくてやばいんですよみなさん
だからやっぱり
エモと
ドカ食いはしたくないのよ
うまいもん食いたいなにドカ食いしたら
本当にドカ食いになっちゃって
一瞬の刹那しか残んないから
ちゃんとしたものを食べたい
あん肝とか食った瞬間のさ
それお前が内臓好きなだけだろ
あん肝とか肝焼きとかさ
肝好きなだけだろ
肝酸とかね
ガッツンってくる
やっぱゴマ油なんだよね
だからなんかさ
ディストピア飯としてさ
無限○○が流行るのは本当でさ
無限○○って結局
ゴマ油と醤油と
砂糖とコチュジャンとかなんだよ
はいはいはい
もう全ての要素がね
甘辛でゴマ油だと
完全に決まるっていう
はいはい
でもね今の話盛り上がったけど
分かんないんだよな俺
何が?
味がさ甘さに弱くてさ
あの
食い物が甘いのに弱いというか
そんな好きじゃない
甘辛がそんな好きじゃない
そういうレシピだと甘いもの入れない
俺もそんな甘辛は好きじゃない
やっぱり
甘いと腹立つからね
全てにおいて
俺が今思ったけど
田舎の家庭料理って
すぐ里入れて甘くするんだって
そうなんだよ
だからさお互いにさ
東京に出てきてる親じゃん
まあ母親はそうだね
だと
そういう田舎物の味付けを
いやそれ意味付きすぎだけど
うちの父親は
東京生まれ東京の人で
普通に甘いものが好きじゃない人
なるほどね
なんかねやっぱね
俺の親がねテレビちどりを見ながらね
醍醐がさテレビちどりで
田舎文化と都会文化の違い
料理するときあるの分かる?
絶対に甘辛だったら
うまいんじゃって言って砂糖とかバンバン入れるの
見てると田舎物だなって
言ってるの思い出す
でもうちのおばあちゃんの
食い物全部甘いことは分かってる
だからそういう意味でそういうのもある気がする
あと田舎物っていうか
あとそれはうちの親世代から
見たおじいちゃんおばあちゃん世代にとって
砂糖っていうのがすごいどれだけありがたいものか
あのあれね
大江健三郎が信じられながら砂糖を
コーヒーに入れるっていう話
砂糖を豊かに使えるっていうのが
どれだけすごい
ことだったのか
っていうのもある
だからさ
全然違う話だけどそういう意味で
本当の都会人っていうのはやっぱ都会生まれじゃない
というのはある
思う頃でも言ってたけど
いわゆる都会人的な
表彰ってものがあるわけじゃん
社会に流通される
あれっていうのは全然都会人じゃないっていう
そうだと思うよ
長田は都会人だもんね
だからオモクロの
俺がオモクロと和解した話は
次回でいいんだけど
オモクロと和解せよ
これ成熟だからね
創出したんだよ
これは成熟でしょ
折り合いつけられたってことでね
オモクロチャンネルと社会問題
最近なんか
普通に森霞好きだし
オモクロ面白いでいいかなっていう
はいはいはい
成熟漏水?
後退?
森霞が好きな
自分と向き合うっていうのはあるよ
結局
ああいう女性芸能人
が普通に
好きだっていうのは
そういう自分のおじさん性っていうのを
忌避するんじゃなくて
受け入れて是正する
という
なんとかなる
だから受け入れながら
肝込めは送らないっていうのを育てることが大事
確かに
肝込めは送っちゃいけない
3つあるだっけ
拒否、成熟、肝込め
っていう
成熟を選びたい俺は
成熟の地平に待つだけ
言えるのでしょ
そういう意味でオモクロの加藤が
地方だから
加藤だけ地方なんだよね
他の地方のメンバーも
結局みんな東京近郊とかで
ずっと住んでる人は
東京の人は
ファッションに気を使わないと
田舎から出てきたから
舐められちゃいかんと思って
僕たち3人はファッションに凝ってるんです
だから結局
永田は何年も着てる
ボーダーのTシャツだけで
会社に来れるんだ
服装はあるかもね
服装って
実際
フェチズムとして
フェティッシュに好きかどうかっていうのも
あるし
他人にどう見られるかだからね
だからその他人の目があるかどうかで
生活においても
やっぱり
分かんない
あんまりこの話すんなやめよう
俺が東京生まれ東京人だから
イッシェとオモクロチャンネルは
その東京
ここが変だよ
東京みたいなタイトルだった
それも
実はグロい問題を
うまく解読化してエンタメにしてるな
そういう意味での
和解なのかな
最近さ
なぜかオモクロチャンネルばっか見てるのよ
ばっかは見てないけど
昔全然全く見なかったの
シャバイと思ってたんだけど
なぜかずっと見てるんだよ
俺はね
2,3週間前ぐらい
めっちゃ先近だ
1ヶ月前ぐらい
なんでかっていうと
知らねえ単語と東京2と
聞き解解で
原宿への単純接触回数が増え
なんとなく原宿への親しみが出始め
それでふらっとオモクロウォッチを
聞き始め
原宿のポッドキャスト面白い
朝5時に更新されてるからね
水曜朝5時に更新されてるから
優しいんだが優しくないんだが
明日は通勤に聞けるよってことなんだろうね
それで見始めたけど
だから結局
オモクロって結局
昔は東京の
そういうところを
本当は社会問題だわけじゃん
一極集中とか
それをエンタメとしてパッケージする
っていうのが
頭が固い僕としては
ノンポリで嫌だなみたいな
感じだったんだけど
でもそういう
ゆるさ遅さみたいなの大事だよね
今インターネットだと
そういうゆるさだから
原宿さんは
未だに遅いインターネットを
夢見ているんだなっていう感じがする
それがすごいいいなと思う
だから建前と
本音っていうのを
成熟したね
わかるようになった
だから別にそれはそうじゃん
オモクロチャンネルが毎回さ
東京一極集中はどうなんだってことをさ
それはバーグハンバーグの仕事ではないやん
ではないしそれを毎回
シリアスにやる必要もないじゃん
でもそれってなんていうの社会問題を
そのまんまにしてるってこととは別なんだって
言葉は分かったっていう
成熟の話じゃないかもしれないね
松崎が成熟しましたっていうね
そう
そういう感じですかね
暗くなったかもわかるかな
最初から暗かったっけ?
どんどん暗くなってる
あんまね
夜の公演で男2人は
ロストウェイブみたいな話してるじゃん
ネットもさ
見ちゃいけない
動画なんじゃないか
悪いことしてそうだよね
格好も格好だしね
これをさらに外側から撮るとね
途中で革命とか言ってはっと思った
それこっきりだけど
ということでリスナーの皆様
革命分子の皆様
同志の皆様
ちょっとやめてよ
一歩前進二歩後退みたいな感じで
ちょっと僕スペル言えないんですけど
openspace.gin
atmarkgmail.com
openspace.gin
atmarkgmail.comまでメール
はいお便りください
txtは
アキチポッドキャスト
akaichipodcast
akaichipodcast
akaichipodcast
かな
ツイッターのユーザーネーム
まあアキチ文芸師として
それは出てくるんで
ということで皆様
お願いします
ありがとうございます
またバイバイ
58:26

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