独り言による読書遍歴の振り返り
読書遍歴、僕の自分の読書遍歴について時々形にしておきたい。
そういうのは、こういう独り言の録音の形でもいいんですけど、文章とか
何かしら形にして残しておきたい。残しておきたいというかは、形にして他の人に見れるような状態にしておくと
直接知っている人たちに、こんな感じで自分はやってきました、みたいなことをパッと見せることができて
そうすると、何かしらプラスの、ちょっと化学反応みたいなものがあって
何か意外な面白い反応が向こうから返ってきて
それによって自分に良い変化が発生するかもしれないということを期待しています。
それで、何か
文章で書けたら一番いいんですが、とりあえずはこうやって喋りの方で
ちょっと出るものを出しておいて、という感じでやっていきたいと思っています。
それでまあ自分の今のここ
もう何年間か10年ちょっとぐらいの流れで言うと
基本的に小林秀夫を中心に読んでいます。
小林秀夫を読むというよりかは、小林秀夫がいろんな批評文を書いているので
小林秀夫がいろんな文章を書いているけれども、その文章の中の主題になっている
例えばゴホホが書いた手紙について
小林秀夫がゴホホの手紙をいろいろ片っ端から読んで、それでこう思った、ああ思ったとかそういうことを書いている文章というのがあったら
そういうものを読んでいると、だんだん自分は自分も小林秀夫の文章越しにゴホホの書簡を読むんじゃなくて
自分も直接ゴホホの文章を読みたいなという、そういうふうにだんだん気持ちがなってくるので
それで自分は小林秀夫の文章を読んでいると
だんだんとゴホホの文章を読むようになる。ゴホホが直接書いた文章を読むようになる。そういうことが例えばまずあります。
他にも小林秀夫はイギリスの首相経験者のチャーチルのことを書いている文章があって
それでその本の中でチャーチルの文章を読んでこう思った、ああ思ったとかそういうことを書いている文章があって
それを読んでいると自分はだんだん自分も
自分もこうやって小林秀夫に紹介されて案内されてっていうだけじゃなくて
自分も直接チャーチルの文章を読みたいなというふうにだんだんなっていく
そういう流れがあったなと思っています。それでそういう流れで例えばバルザックとかボードレールとか
アランとかプラトンとか
他は マサムネ白鳥とかもそうですし
ロンゴとかツレズレ草とか源氏物語とか元折信長とか
上げていくと多分100人ぐらいはいるのかなと思っています。前に
人に説明しようと思って一体そういう小林秀夫を介して知った
文章を残している人間が何人いるのかということを
リストを自分なりに作ってみたことがあってその時に 自分がその手元に持っている作家
小林秀夫に案内されて知った作家でなおかつ自分が本を1冊以上持っている作家
っていう作家のリストを作ってみたところ85人ぐらいだったように思います
それでちょっと 本のいろんな整理がそんなにうまくいってないので
見落としもあるかもしれないとか そういう
ことをいろいろ入れていくと大雑把に言えば100人弱っていう感じなのかなというふうに思っています
それで自分の今の
文学らしい文学のレパートリーというのは基本的に小林秀夫を出発点とした
スポーツとメンタルの書籍
作家群 古いところで言うとプラトンとか論語とか
そういう感じになって
新しい人ってなるとだいぶなんか 新しい人って言っても自分の場合はあんまり最近の作家を知らないので
一番新しい人とかでも 何か数年前に亡くなったとかそういう感じになっていくような感じになっています
それで 小林秀夫グループ
小林秀夫系の作家たちっていうのと別に
それとあんまり関係なしに自分はスポーツとメンタルみたいな本を好んで読んでいます
もともとサッカーの岡田竹志さんが好きだなぁと思っていたんですが
将棋記事の羽生義晴さんと岡田竹志さんが対談をしている本が最初だったんでしょうかね
岡田竹志さんの本を多分ちょこちょこ読んでいくうちに そこからだんだん広がっていって
岡田竹志さんが2010年のサッカーのワールドカップの監督を務めていた時に
その時に白石豊さんっていう運動スポーツの研究をしている
スポーツの研究をアカデミックにしている 学術的にして論文とかを書いているらしい白石豊さんという人と
岡田竹志さんが出会って意気投合してそれで岡田竹志さんが白石豊さんにメンタル面とかでいろいろ
コーチングというか対話を通じていろいろ
岡田竹志さんが大会にどうどういう気持ちで臨んでいくかみたいなことを
整えていくみたいなそういう話を記録した本があって その本をきっかけに白石豊さんに僕は関心を持つようになって
それで白石豊さんが結構いろんな本を翻訳していて 例えばゴルファーのメンタルみたいな本とか
テニスとメンタルみたいな そういういろんなスポーツとメンタル
っていう感じの本がいろいろあってそういうものが自分は読んでみてすごく面白いなぁと思って
それなんで自分は
ここ10年ぐらいの自分の中のトレンドとして一つは小林秀夫を出発点にする
文学らしい文学のグループ そういうものがあってもう一つ別に
岡田竹志さんとか白石豊さんという人を中心にしたスポーツとメンタルみたいな そういうグループがあって
それで なんとなくそっちの方はちゃんと数えたことがないんですが
40人ぐらいの作家が なんとなくいるような感じなのかなと漠然と思っています
漠然と考えています
そういうのの中になんかそのサッカーの監督とかラグビーの監督とか
そういうものも含まれてという感じでやってきています それがまあ
今の自分の本のトレンドというか 中心のメインストリームの2つのメインストリームみたいな感じになっています
それでちょっと読書編歴について遡ってちょっと考えて思い出していきたいなと思っているんですが
まあ自分は 父が
父が結構 なんか
今で言う朗読 今で言うというか
今で言うというのは変な表現ですけど 朗読CDとか音読なんか朗読CDとかを結構借りて
子供である自分たちに兄弟とかに
聞かせようというそういう気持ちが結構強かったのかなということを 思い出します
それでまあいろんなレコードもあったしカセットもあったしCDもあったしっていう感じで
いろんななんか
あの 朗読作品とか他にもなんか小説を元にした
なんかラジオドラマみたいな そういうものを
結構 10歳前とか10代の時とかは結構いろいろ聞いたなっていうふうに思っています
なんかパッと浮かぶものだと シャーロックホームズシリーズ
とか 他にも
宝島とか スティーブンスンの宝島とかそれから
江戸川乱歩とか あと確かあの江戸川ポーの
黒猫とかそういうのも聞いた聞いてたのかなっていうふうに思います 他にもいろんなが何かしら聞いてたと思うんですけどパッとちょっと
トワイライトゾーンっていう作品があってそれは自分はすごく面白いなと思って今でも 思い出して
あの最近になって思い出してあれは良かったなぁと思って 小説版を入手したりしています
あの 日本の日本の小説版だとミステリーゾーンっていうタイトルになっていて
っていう感じでした でまぁそういうふうに朗読の cd とかあのラジオドラマみたいなものを結構
なんか 例えば8歳とか12歳とか14歳とかそういう間になんかずっと結構聞いて
なんだか親しんでたので 自分としてはなんか
その
まあ耳で読書みたいなそういう考えにすごく親和性を感じるし親しみを感じるし なんかそういうものに対してすごく自分は
あって当たり前のものみたいなそういう感じをすごく感じています
自分の兄弟もそういう性質が結構強くあの刻みつけられているように感じていて それで
なんか やっぱり最近どうしてるかとかちょっと
連絡を取り合うと あの
こういうのを聞いてるとか 最大
ちょっとアラームがなってあの録音がちょっと変わった状態になっちゃったかもしれないんですが 最近はこういうのを聞いてるよーとか
あのそういう相変わらず結構年を重ねていっても 朗読を聞いたり
みたいなことを自然とやってるんだなっていうそういう風な感じになっていて っていう感じでした
まあいろいろ活字の本を目で読むっていうことも結構やってはいたんですけども なんだろうな
13歳とか14歳とかぐらいの時には なんか変に暗いものを読んでましたなんかあのヘルマンヘッセの車輪の下とか
そういうのを読んでそれを読んで別に心が動かされるとかそういう 読んでこういう感想を持ったとかそういうのはほとんどない
たなんだがただ読んでたんですが まあそれ全体になんとなく暗く陰鬱な話だったけれども
学んだがその13歳14歳ぐらいの時に 結構
なんだが陰鬱な心模様になってたのかそういうなんとなく陰鬱なものを読んで車輪の下 とかを読んで
なんかまあ 読書ってのはこんなものだなぁみたいなそういう風な気持ちに何か妙になっている感じはあり
ましたね それで
まあそこから
高校の時は何か何か 高校の時はなんだが
こうはっきり言っちゃうとちょっと恥ずかしいような感じもしますけどあんまり本を 読んでたかなぁっていう
なんか漫画を読む漫画ばっかり読んでたような気がしますね それでまあ大学に入って大学に入ったの
大学2年の時に19歳の時に なんか妙に本を読み始めまた読み始める感じになってその時に
結構遠藤修作とか そういう系を読むようになりましたね
あの僕の場合は父があの10代の時に亡くなってしまったんで 19の時にその
死生学とかなんかその人の 生き死にとかなんか死ぬってなんだろうみたいなそういう感じの
死生学っていう感じのタイトルが何か入ってたような本を 読んですごく心を動かされたことがあった覚えがありますねそれでその死生学
みたいな本を読んでいる中に遠藤修作の深い川っていう あの
小説の 一つの場面があの紹介されていて自分はそれを読んで
あーインドに行ってみたいなぁなんかインドに行って なんか父が
その亡くなったけれどもなんかそういうことが結構いろんなドタバタの中で なんかよくわからないままにそういうことが起こって自分は結構
なんとなく幼かったしなんか精神的にもあんまり なんだろうな
自分が今どういう気持ちとか感情を抱いているかとかそういうことに対して なんか
敏感にその都度自分の心の中身を察知したり なんか言葉とかでは認識して把握できるみたいなそういう感じがあんまなくて
なんとなくぼんやりしたあの子供時代を過ごした感じが10代を過ごした感じがあって なんか大学に入って時間に余裕ができて
ゆとり時間にゆとりができるようになって初めてなんだがそういう なんか自分の置かれている状況って何なんだろうどういうものなんだろうっていうことを
なんだか
あの なんか確かめたいなんか自分でちょっといろいろ考えて納得できる
なんか認識をに至りたいなみたいなそういうことをすごい 思った時期にちょうどそういう資生学
死ぬ生きる学みたいな本とか遠藤修作の本に出会ったのかなっていうそういう感じの こうと思っていますそれなんで
まあ大学2年の時に遠藤修作の本を読むようになってまあ遠藤修作の本を読むと 言っても深い川を読んで
でなが深い川を考えるっていう本を遠藤修作がそれもなんか出していて あとはなんかその遠藤修作の言葉集みたいなそういうものを
大学時代の読書体験
読んでっていうことをやってましたね であとはなんかそれと別に今思い出したのは大学2年の時に
あの創始とか老子の方創始とか老子 岩波文庫の本にすごいなんだが凝っているいろいろ
なんか系統していた時がありました なんとなく
その時は大学生によくあることだと思うんですけどなんか経由壮大みたいな感じになって なんか
その金なんかいろいろ なんて言うんですかね
なんか向こう見ずにいろんなものに飛び込むみたいなそういう気持ちにすごいなっていて それで
なんか なんてなく
うーんずっと
なんか 今思えば夢の中を生きてたみたいなそんな感じ夢の中っていうのは
なんか眠っている方の夢の中みたいな感じの なんか家族と
そんなになんか 心の中のものを話し合えるとかそういう感じがあんまりなくてなんかちょっと寝な
仕草みたいなそういう気持ちが心の根底にすごくあったのかなということを自分は 振り返って思っていて
で創始とか老子とかってなんかなんとなくそういう心の 状態にすごくマッチしやすい感じがあって
いろんな旅とかして なんだか
そういういろんなとこ 放浪するぞみたいなそういう気持ちですごく行った時に
老子と創始をすごい読んであった自分はあのなんかマルクスアウレリウスの えっと時勢時勢力かな
時勢力っていうタイトルでしたけどなんか パッと名前がマルクスアウレリウスの本を読んでその
老子創始時勢力の3つを なんか旅先とかにいつも持って行ってたみたいな感じが
思い出すとしますね思い出すとそういう感じがしますそれで なんかタイでツクツクなんかあの山林自動車みたいなのをタクシーに乗っている時に
なんか創始を 創始のなんか
一節を思い出してなんかすごい なんかその時はその時ですごい感動して
なんか勘極まる思いをしていた時があったんですが今思うとなんとなくそういうのは すごく
寝なし草敵で放浪的で なんか
今の自分は
そのそれからもうずっと時間が経ってなんだが その植物みたいに根っこを下ろしてその
自分の土地に根を下ろして根づくっていうことがすごい大事だっていうふうに思っていて そういう今から見るとその大学2年3年とかのなんか
クックで創始の一節を思い出して勘極まるみたいななんかそういう自分を振り返ると なんだが
自分自分のことながらあんまり シンパシーを感じないみたいなそういうふうな気持ちがするといえばしますね
まあその時はその時で真剣で一生懸命 なんかまあその時の自分なりに一生懸命いろいろ考えてその時の状況っていうものも
あったと思うんで あんまりあーだこうだ言っても仕方ないと思うんですけど
まあそういう大学1なんか2年3年の時っていうのは そういうまずは資生学とか遠藤修作とかそういうものに凝って
それと別に あのなんか放浪とか
なんかそういう感じの寝なし草的な気持ちとマッチしやすいって自分が思った 足なんか
老子創始マルクスあるエリウスの時勢6 まあそうしは何か
他の人の本読んでると掃除って読むのかとかなんか読み方がちょっと掃除であってるのか ちょっと
あやうなんか大丈夫かなっていうことを思ったりはするんですけど それで何か大学の終わるぐらいの時に大学の最後の年になって自分は
柴良太郎の本を読んで それでも a を県とか
峠を峠とかを読んでそれにすごい感化を受けました なんか
なんとなくそのまあ よく言うその死を恐れないみたいな
死を受け入れた状態で何か行動する心構えみたいながそういう なんか単力みたいなそういうものがなんかその萌えよ県とか峠の中にすごい描かれて
いて自分はそういうものにその時の自分はすごく魅了されました 今の自分は柴良太郎に対してそんなにその
シンパシーを強く感じるっていうのはあんまりないんですけど その大学の最後の年の自分はその柴良太郎の文章
社会人としての読書の出会い
に後描いている人物像みたいなのにものすごく あのなんか感化を受けましたね
それでなんだが その日和みみたいななんか様子見みたいな
そうなんか消極的な感じじゃなくてもっと エッジの効いた攻めの姿勢で生きていきたいみたいなことをすごい思ったり
で柴良太郎の文章をいろいろ読んでいる時に 結構その
なんか自転車とかで走ってたり道を歩いたりしている時に柴良太郎の文章がなんと なんか頭に浮かんでくるような感じがあって
自分はなんとなくそのまずなんか 遠藤周作とかの時にはそんなに感じなかったけれども柴良太郎の時にはなんだが
その文体文章とかをこう書けばいいのかみたいなものをなんとなくぼんやり 柴良太郎の文章からちょっと
なんか感化を受けたかなっていう こういうふうに書いていけば文章って書けるのかなぁみたいなちょっとヒントをもらった
ようなぼんやりと なんか
こんこんな感じで書くとなんか文章として成り立っていくんだみたいなそういうもの がなんとなく
もらう受け取ったものがあったのかなという気がしています それでその後
大学を卒業してから2年ぐらいの2年目ぐらいの時に あの思い出すのは
なんかしがな親と武者の工事さねあつさん この2人の文章
に随分感動したなぁということがありました なんか朗読 cd で
しがな親の和解とか あと武者の工事さんの方は朗読したただ愛愛としを朗読 cd で聞いて
愛としっていうのを朗読 cd で聞いていいなってなって それでその後武者の工事さんの
心理先生っていう小説を読んでそれで心理先生っていう小説の中の まあ描かれている世界
雰囲気っていうものに何か空気感とかに自分はすごく あの何か
なんか温かな感情を感じてすごく心を打たれる感じがあってそれで
ずいぶんそれを 心理先生を読んだ後はなんか感動してすごく
なんか思い出して涙がすごく出てくるみたいなことがずいぶんありましたね 和解をcd で聞いてずいぶんそれも心が動かされたし
そういうのが社会人2年目の時にありましたね それで
だけど思い返すとあの自分はいろいろ音読っていうことに関しては なんか何だろうな
この時点で例えば柴良太郎とか 総司とか
総司老司とか遠藤修作とか それが武者工事武者の工事さんとかしがなおやとかそういう人の先に全然自分は音読
声に出して読むということはしてなかったなというふうに思います 俺の
まあちょっと余談だけ余談ですけれどもししがなおやとか武者さんとかそのあたりを 読んだ時は藤沢周平とかも読んでましたね
藤沢周平とか 池並翔太郎もずいぶんあのなんか朗読 cd とかで聞きましたね
そういう藤沢周平と池並翔太郎もずいぶん 読みまったね
まあそういう感じでちょっと一旦ここまでという感じで ここまでもし聞いてくださる方がいたら本当にありがとうございますと感謝をお伝えしたいです
一旦ここまでです