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2025-06-11 12:21

独り言24 物理学者 シュレーディンガーについて感想

物理学者のシュレーディンガーについてしゃべっています。
湯川秀樹さんの本を読んでいてシュレーディンガーに興味を持つようになって、シュレーディンガーが書いた本を直接読みたいと思って最近読んでいます。
それで感想を書きたいと思っていますが、力不足で大雑把な感想を話すにとどまっています。
シュレーディンガーにとってはお父さんの存在が大きいものだったようで、彼の書いた自伝を読むと、彼の父は微笑ましいお手本のような存在として彼の家庭に存在しているように自分には感じられます。

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サマリー

シュレーディンガーに関する考察が展開され、彼の著作や哲学的な視点が語られます。特に、彼のヴィーガンに関する考えや物理学へのアプローチについての洞察が提供されます。

物理学者シュレーディンガーの影響
そうですね、物理学者が書いた本を自分は結構読むことがあります。
と言っても、物理学については自分は全然詳しくなくて、物理の学校の授業のテストなども全然いい点が取れずにいたという感じなんですが、
理科系は何だか苦手だなぁと思って、完全に文系の科目にばかり力を入れていたんですが、
そういう自分でも、物理学者、例えば湯川秀樹さん。 湯川さんが書いた随筆、昔の思い出について書いている文章なんかは、
文系の人間でも、理科系の科目が苦手で、物理が苦手だとか、そういう人間でも素直にどんどん読むことができて、楽しむことができるというので、
自分は元々は、湯川さんの本とかを読む習慣はなかったんですが、ある時に自分は小林秀夫の文章を好きになって読むようになっていて、
小林秀夫の文章を面白いので、あっち読んだりこっち読んだりという風になっていると、だんだん物理学の方面にも関心を持つように自分もなっていくようになっていて、
小林秀夫が結構物理学に割合興味を持っていて、
小林秀夫も専門的な物理の学術的な文献なんかはそっちはわからないんだけども、物理学者が書いた文章、専門的知識がなくても読める文章というのは自分にはすごい面白いというようなことを言っていて、
それで小林秀夫が、例えば湯川さんと、物理学者の湯川秀樹さんと対談をしているのを僕は読んだりして、面白いなと思って、だんだん湯川さんの本を読むようになったりしています。
湯川さんの本を読むうちに、例えば友永信一郎さんの名前も随分出てくるものだったので、自分はだんだん興味も惹かれて友永さんの本も読むようになっています。
それで湯川さんと友永さんの本をいろいろ読んでいると、だんだんとボルンとかボーアとかハイゼンベルクとかシュレーディンガーとかそういう人の存在を随分身近に感じるようになっていて、
それで自分はボルンの本を、ボルンがアインシュタインと昔書館で交流をしていて、手紙のやり取りをしていたらしくて、それが記録に残っていて、それで自分はその本を結構読んだりして、面白いなと思っていたんですが、
それを通じて随分ボルンという人に対して親しみを持つように今はなっています。他にもシュレーディンガー、湯川さんがシュレーディンガーの文章を読んで強い印象を受けたという、
強いエネルギーを感じて、随分ある時期面白がって読んでいたようなんですが、そういう話を聞いて読んで自分もシュレーディンガーの本を読みたいなというふうに思って、シュレーディンガーの本を2冊ぐらい読んだことがあります。
自伝みたいなシュレーディンガーが自分の一生を振り返るみたいな本を読んで、面白いなと思ったことがあります。
その中でちょっと思い出せる内容としては、シュレーディンガーが今、ヴィーガン、動物食をしないとか、そういう風なスタイルをとるヴィーガンについて話をしていて、
ヴィーガンというのは人によって考え方がどうもいろいろ違うようなんですが、ヴィーガンというものが人によって徹底する度合いが違うという話をシュレーディンガーがしていて、
ヴィーガンの行き着いた、一番徹底した状態で行われていた人間というのはシュバイツア博士だったと思うんですが、その人の名前をシュバイツア博士の名前を挙げていて、
その人は植物すらも食べたりとか人間のために利用するということを自分はしないというふうに決定して表明して、それでそういうスタイルを貫いていた人だそうです。
物理学と哲学の交差点
そのためにどうも我視したような話を読んだように思うんですが、そういう人の話を読んでいて、シュレーディンガーという人がそういうヴィーガンの人の話とか生命についてとか、そういうようなことをいろいろ書いてるんですが、そういうのを読んでいると
なんとなく物理学とか科学、サイエンスですね、そういう誰にでもわかる万人に不変の学問を打ち立てるみたいなものと別に、わかる人にはわかるけどわからない人にはわからないみたいな、そういうような
まあちょっと思い切った言い方をしちゃえば神秘主義とか、他にもまあ、刑事上学的というか、つまり何が言いたいかというと、科学というものと哲学というのがあって、物理学者っていうののタイプが多分2種類とかにまず分かれて、
実験物理学者と理論物理学者に分かれると思う、そうですね、理論物理学者に分かれるみたいな話をどこかで聞いたように思うんですが、まあ自分もそうだろうなと思っているんですが、
物理学者と言っても、いろいろ実験を重ねて、それをもとに理論を形成していく、他にも証拠を立てていくという、そういう人、実験がすごくうまくって、そういう実験を繰り返すことに重きを置いている人というのを実験物理学者、実験が下手な物理学者というのもどうもいるみたいで
いろいろ物理学者とか科学者の、どうやって科学者になったかみたいな本を読んでいると、自分は実験が苦手だけど、まあ実験が苦手なんで科学者にはなれないだろうと思っていた。それだけれども哲学が好きだったので、哲学者になろうと思っていた。
けれどもある時に理論物理学者という、実験物理学と哲学の中間にあたるものとしての理論物理学者というポジションがあるということがだんだんわかってきて、だんだんそれが自分に向いているんじゃないか、自分はそれに向いているんじゃないかという風に考えるようになったという、そういう人の話を読んだことがあって、
まあシュレーディンガーというのは、自分は昔まで、最近までそんなに意識したことがなかったんですが、まあそういう一般に科学者、実験を繰り返す人っていう実験物理学者っていうものよりも、元哲学者よりの思想とかなんかそういうようなものに近い、まあ理論、そういうどちらかというと哲学者によっている人なのかなということを、
最近思うようになっています。まあこういうのはその物理学とか、そういうものにもっと詳しくて知識がある人からすると、まあ最初から当たり前の、まあそんなことは当たり前のことじゃないかっていう知識なのかもしれないんですが、最近そういうことが自分は初めて意識するようになって、それで面白いなということを思うようになっています。
まあそれでシュレーディンガーの書いた辞典というか、昔を思い出しての随奏みたいな文章を読んで、その中に随分あからさまに、あのまああからさまというのはちょっと違うかもしれないですけど、まあシュレーディンガーという人は、やっぱり理論物理学とか哲学寄りの人で、実験物理学というのとはまたちょっと違う感じなのかなと。
というふうなことを自分はまあ素人意見なんですが、素人の考えとしてそういうことを思いました。それで
まあアインシュタインの、まあちょっと話はまた戻るんですが、まあいろんな物理学の物理学者の本を読んで、あの例えばボルンとかボーアとか
まあボーアの文章なんかちょっとかじって書簡のやりとりを読んだぐらいなんですが、アインシュタインが書いた専門の物理学とかそういう専門知識ではない本の紹介文とかそういう素人でも理科系知識がなくても読みやすいものっていうのを読んだりして面白いなということを思ったりしています。
それでまあ自分がこういう物理学者についてあれこれ喋りたいっていうふうに思ったのは、まあ自分の中でなんだがいろんな知識がごちゃ混ぜになって、あのごったにみたいになって、そのなんだがそういうものを
いろいろちょっと整理して、何か整えたいなというそういう欲求が自分の中にあるんだなということを思っています。
いろいろボルン、どういう知識があったかとか、なんかボルンとかプランクとか、あの例えばアインシュタインと一緒に本を出したポーランド人がいるんですが、そういう人の名前とかなんかそういうのが思い出せそうで思い出せなかったり
ヘルムホルツとかいろんな名前が頭の中をごちゃごちゃ巡っているんですが、そういうもののなんとなく整理があんまりうまくいってないので、こうやって喋ることでちょっと自分の今までごちゃ混ぜに、闇鍋みたいにどんどん放り込まれてきた知識を
ちょっと整理して、もっと何がどこにあるか分かっている状態っていうのにちょっと近づけていけたらいいなということを思っています。
いろいろ思いつきでその場その場で考えたことを喋っているので、結構聞き苦しかったり、話す内容がごちゃごちゃしていて分かりづらかったりということが結構いろいろあるんじゃないかなと思うんですが、
もしここまで聞いてくださった方がいましたら本当にお付き合いいただきましてお聞きいただいてありがとうございますとお伝えしたいです。ここまでとさせていただきます。
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