悲しみと向き合う
10月22日5時48分もまいりました。
朝はライブ始めますということで、
ちょっと、あまりにも悲しいことが昨日あって、
眠れなかったと言ったら眠れたんだけど、
でもやっぱり悲しくて、
辛くて、きつくて、なんか、忙しく、
本音で話そう。
博多弁モードに切り替えるよ、本音で話そう。
忙しくさ、忙しくしたら、悲しみはさ、
に触れなくていいんだよ。苦しさとかさ、悲しみとかってさ、
忙しくしてたら、見なくていいじゃんね。
そうすることもすごくできるんだけど、
でも多分今は、
私は悲しみを避けたくないじゃん。
もう悲しみをちゃんと悲しみとして、
辛さを辛さとして、しっかり味わって、味わい尽くそうって、
決めたんじゃんね。
怒りも、悲しみも、辛さも、その歯がゆい気持ちも、
全部味わい尽くしてやろうって思ったんよね。
多分、どの感情も味わうために、
この世に生まれてきとるのね、人間って。
諸行無常、色速絶句、善の世界でそう言われてる理由がちょっと、
今わかった感じがして、
本当にさ、深い悲しみに、昨日、はーってきた時に、
誰かにしたら喜びなんだけど、私にとっては絶望で、
その時に言葉が出てこないっていう状況になって、
こんなにも辛いんだ、こんなにも悲しいんだっていうことがあって、
悔しかった時に、私は喜んだふりをしたいよ。
でも本当は悔しかったんだよね。
なんかその時にざわつきを感じたから、
ちゃんと悲しいなら悲しみ切ろうって、
悔しいなら悔しいって相手に伝えなくていいんだよね。
徹底的に悲しみと苦しみと、
妬みと、苛立ちと、
発狂するこの気持ちを、
寄り添っていこうと思って。
私は小説にこういった時、いい時も悪い時も全部小説のネタとして、
感覚の喪失
全部メモをとっているんだけど、
深い悲しみの時って、言葉がマジで降りてこなくて、
心情的には全身が、全身の筋肉が固まって、
音が聞こえているのにも関わらず、音がなくなって味覚もなくなり、
本当に周りの色がなくなって、白黒に見えるような状態に入るんだよね。
だから音も味覚も感覚も全部すごい閉ざされた感じになって、
全部の神経を通して、
全てが絶望の淵に入っていくっていう感じなんだけど、
たださ、面白いことに、
絶望を感じ切ろうって思った。
何が起きたかっていうと、少し筋肉の力が抜けたんだよね。
だからやっぱ避けることじゃないんだなって、
ネガティブな感情は受け入れようと思って。
ほら、配信者の人ってさ、
喜びとか、楽しいとか、
そういったポジティブな感情の方を発信するけど、
ネガティブさがあるから、ポジティブさがあるから、
その両方を含めて人間を生きる、なんて思うのね。
まあ、そうは言っても悲しいものは悲しいし、
辛いものは辛いから。
ちょっともうとりあえずそれは味わう。
私は味わう、積極的に。
味わおうと今してるんだけど。
ってさ、喜びばっかりじゃないもんね。
なんかね、まあ嬉しかったんよ、とあることがあって。
嬉しかったんよ、私は。
でも嬉しい花畑の状態から、
地獄に突き落とされたような感じがして、
これはなんだろうね。
誠実さゆえの不器用さっていう感じかな。
これはもう、逃げない逃げない。逃げない逃げない。
徹底的に悲しい。
喜びとか嬉しいとか楽しいとかって、
とても発信しやすいんだけど、
人間ってね、喜怒哀楽という感情を
窃盗売りされて、それをコミコミプランで
人間世界にやってきてるからね。
味わうんだよね、どうしても感情の。
また言ったらポジティブだけの人間だったら、
それはもう病気だから、そんな人間はいないわけでね。
ああ、でも楽しかったなあ。
今年は楽しかったな。
楽しかったから、余計に絶望は酷いんだろうなあ。
あんな時はウジの仲間になりましょう。
悲しくて、悲しくて。
やっぱり自分の幸せはね、自分を幸せにするのは自分だね。
絶対的に小説に落とし込もう。
なんか、感情って面白くてさ、
味わい切ったらさ、なくなるんだよね。
喜びってめっちゃ味わい尽くすじゃん、嬉しいから。
だからなくなるんだよね、喜びとか嬉しさって。
でも怒りとかさ、悲しみとかさ、不甲斐なさとか、
恥ずかしさっていうのはさ、見ないふりして蓋をするから、残ってるんだよね、心にね。
なんとの勉強した時に、感情は体の臓器に残ってるっていう話があって、
感情は怒りでしょ。
それを私は読んだ時に、確かにって思ったんだよね。
だから、もう、昨日の夜8時ぐらいかな、
すっごい悲しいことに気づいちゃって、
絶望して、辛くて、逃げたくて、恥ずかしくて、
何を私は期待をしていたんだと、
バカじゃないの?っていう気持ちが自分の中に出てきて、
言語化できない、この言語化できない気持ちをどうにか言語にして、
小説に落とし込もうと思って、
昨日もひたすらね、ずっと書いてた。
ずっと文章にしてた。
で、分かったのが、本当に辛くて悲しい時は、
音、色、匂い、味覚が全く感じなくなるんだなっていうのを、
自分自身を通して感じたのと、
筋肉もすごく固まって、視野もすごく狭くなるっていうのが、
自己発電の重要性
夜の8時から、結局私また眠れなかったんだよね。
浅い眠りしか。
で、6時間後に書いた自分の文章を見て、
なんか文章にしててよかったなって思って、
忘れるんだなって、こんなに深い悲しみの中にいて、
こんなに深い怒りの中にいても、
なおも人間は忘却をし、忘れるんだなって気づいた時に、
ちょっと面白いな、人間って思ったのと、
悲しいなって思ったのと、
ほんとね、涙とかあってよかったわって思った。
めっちゃ可愛いカモガサン。
この悲しみをどうしたらいいものかと思ってたら、
自分の目から頬に向かって、
ポロポロっていうよりも、
下と下と涙が落ちてきてて、
どうしようもない絶望ってこういうふうに
人間の体は表してくれるんだなって思うと、
涙があってよかったなって思った。
きっと分析してみると、
いろんなものから私も逃げたかったんだろうなって思ったし、
見ないフリをしたかったし、
やりたくないことはやりたくなかったし、
あーって思ってさ、
違うことに夢中になって、
やりたいこと、本当にやりたいことからめんどくさくて、
逃げていたんだなっていう思いにも気付けてね。
そう思うと、一つの学びになったのかなーって、この悲しみが。
1週間ぐらいは引きずる、この思いを。
なのできちんと、丁寧に、味わい尽くします。
分かった?結局は自分次第や。
やっぱり自己発電や。
本当に自己発電。
いかに自分自身を自分で満たすかに限るっていうのを、今回のことを思った。
依存するのも自分、自己発電するのも自分、
自分をご機嫌にするのも他人ではなくて自分なんだよね。
それを他人に、うっかり受け渡していたなっていうことに気づいて、
受け渡しがちだよね。
帰った。
ちょっと生劇台本の方にもあげよう。
あ、そうだ!
そうだ。
今ね、東京404っていう小説を私は書いてて、
404っていうのはないっていう意味なんだよね。
ホームページとか表せられないときに表示されるんだけど、
その表現って面白いなって思ってて。
自分が東京で出会った人たちのこととかをちょっと主人公にして書いてるんだけど、
ちょっと生劇の台本も一本書いてみよう。
なんかね、私はボロ臭い、ドロッドロした、
人間のネガティブな感情をいかに言語化して作品に落とし込むかっていうのを、
今回の私はこの悲しみを意地でも、
足の先から頭の先までしゃぶりついて、
味わい尽くそうと思ってるから。
でもね、本当に思ったことがジェットコースターみたいだなって思ったの。
花畑に連れてってくれて幸せだったんだけど、
一気に地獄に落とされて、
ずるいなー、ずるいなーって思った。
悲しみの受け入れ
そして、自分が自分を相手に受け渡していたんだなってことにも気づいたから、
今一度自分の不在をね。
うー、めっちゃ風邪だから。
本当ね、自分不在ってこんなにも不安定な気持ちになるんだなって。
今度お友達とランチ行くことになってるから、
お友達と一緒にお話しよ。
よかった、お友達がいて。
マアモちゃん、悲しみに浸るの時間も丸。
外なんですね。朝早いですね。
おはまも。
おはよう。
いいんですよ。
悲しい時は悲しくていいんですよ。
いやー、悲しいよ。
悲しいさ、ちょっと。
なんか、みんなスタイフとかインスタとかスペースとかで幸せな配信をしてるじゃん。
それはいいことよ。すごく素敵なことよ。
でも私はね、ここは飾る場所とは私は思っていない。
スタイフは私の庭だから。
私の庭で私はのびのびと自分らしく配信することが幸せなので。
いやー、避けないよ。絶対に。
自分に失礼だもん。
悲しみとか怒りとかそこら辺を避けるとまたその出来事がやってくるから
徹底的に悲しみとこの恥ずかしさと悔しさと怒りと
ずるいって思うこの傲慢さと怠惰。
あと欲、強欲さというものを感じて小説に起こして
どの感情も全て資産になるから
どの経験も全て自分の資産形状するから
資産形状するために言語化して作品にして
自分の作品と求められている作品像が同じものに応募して作品を出す。
ただでは起きないからね、私は。
ただでは起きないよ、絶対に。
フリーランスってかっこよく聞こえるけどすごく地味で
フリーランスやってる女性の人はメンタルが強いからできるんだ
そうじゃないとできないんだよって言われたことがあって
でも実際やってる人に聞いたら
社会に不適合だからフリーランスやってるんだよねって言ってて
捉え方は人それぞれなんだけどさ
私の場合はやらざる得ない状況
子供の旗振りとかもあるし子供の病気のこととかもあったから
やらざる得ない状況で排水の陣でそうなってるんだよなーって思ったんだけど
思ったのが私は豆腐以上にメンタルは弱い
ただ豆腐以上にメンタルは弱いし不安定だけど
復活力があるんだよね、私の場合は自分自身に
復活する力、保証力っていうか
自然の世界ではないんだけど
杉木っていうのがあるんだよ、杉木
わざと木に切れ目を入れるのね
そこの切れ目に新しい木を入れるのよ
そうするとよりその木は強くなり
杉木の新しい木と融合し統合してより強くなるのよね
それが木の力なんだけど
私は自分自身に杉木の力があると思うんだよね
傷ついてもその傷の分だけ
這い上がるって感じ
起き上がる、這い上がる
わかりやすく言うとだるまみたいな
力はあるんじゃないかなと思う
本当はね、本当は弱いままでいたかったんだけどね
お母さんしてるとね
強くないとやってらんないんだよな
本当にそれは思った
お母さんというカテゴリーに入ってから
自分自身弱いままだったら絶対できないんだよね
だから私はお母さんになった
お母さんのカテゴリーに入った時に
勇者になったって思うんだよね
でも勇者は基本は女の子なので
女性は好きな人の前で女の子になるって言われてる理由は
あそこなんだろうね
お母さんっていう勇者になって日常を過ごしてるけどさ
女の子に戻りたいじゃない
だってキッスはそっちなんだから
自分の中でさ
そう思ったんだよね
結局は自己発電だよ
本当に決めた今回の自分の出来事で
自分の心の中には他人を絶対に入れない
自分のカトリックの教会みたいなのを
自分の心の中に作って
自分の神殿を作って生きていこうと思ってね
すぐね他人にかまってちゃんしてしまう癖があるから
これもいい気づきです
雑草って強いよな
人からどんだけ雑草を嫌いって言われてもさ
すぐにこんなに雑草が出てくるんだもんね
強いよね
多分私この絶望とこの悲しみと
この苦しみを味わい切れたら
人に優しくなれる気がするな
本当の優しい人って
苦しみを知ってる人だと思うんだよね
幸せなところしか知らない人は
人の真の苦しみや悲しみに
心から寄り添うことが難しいと思うんだけど
酸いも甘いも知っていて
闇の世界を知っていると
相手が何を欲してどうして欲しいかっていうのは
分かる
それは私が仕事としてやってるから余計に思うけど
バカ図もあるけど
多分自分の自己経験だよね
あとどれだけ自己対話をしているかによるんだと思う
自己の強さ
言語化と相手に寄り添える力と
相手を満足できる力ってね
いやーでもね
そうは言ってもやっぱり悲しいし
辛いしきついし
1週間ぐらいちょっと落ち込んどこうと私は思っています
普通に家事して普通に育児して
普通に仕事をして
辛いね
ちょうど金木犀が咲いてるのでね
わーめっちゃいい香り
子供たちを起こしてまいりまーす
ではねーばいばーい