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2025-09-09 17:30

〈メンター最初の問い〉あとがき解説付きロングバージョン

「ながらで聴く未来ものがたり」Long Ver.約17分

まだ起きていない未来に触れる。近未来ショートショートから未来の可能性を探るプロトキャスティング。ちょっとした考察が加わるロングバージョン。

ノイズが大事!

 

今週は"学び"の未来をテーマに6つのストーリー

#毎日未来創造 

 

下記noteのSFショートショートを元にNotebookLMで音声化しています。

note URL:

https://note.com/daisaw33/n/naa99841c583e

サマリー

今回のエピソードでは、近未来SFショートショートの主人公ケンジが経験するメンターシップと学びの未来について考察されています。特に、メンターのソラがケンジに与える空の問いが思考に根本的な変化をもたらし、問題解決能力を育む新しいアプローチが深掘りされています。AIとの共同作業が進む中で、問いを立てる力が人間の創造性の源泉であり続けるという考察が示されています。ガラクタの山というメタファーを通じて、自己問いかけが新しい視点や解決策を生む鍵であることが強調されています。

学びとメンターシップの変革
ブク美
こんにちは。毎日未来創造をコンセプトに、本日もまだ見ぬ未来のプロトキャスト、その可能性を探ってみます。
今週のテーマは学びの未来です。今回はですね、ある近未来SFショートショート、エピソード4で紹介されたものと、そのあとがき的考察という2つの資料をもとに進めていきます。
物語の世界を通じて、これからの学びとか、あるいはメンターシップがどう変わっていくのか、じっくり考えていきたいなと。さあ、これを紐解いていきましょうか。
物語の主人公はケンジという青年でして、ビルダーと呼ばれる、まあ言ってみれば即興で物を作り上げたり、問題を解決したりする、そういう創造的なコミュニティに参加してるんですね。
でもどうもなんか輪に入れない。周りのビルダーたちは本当に呼吸をするみたいにアイディアを形にしていくのに、自分だけが取り残されているような、そんな孤立感を深めているんです。
彼らのやり方を必死に学習しようと試すんですけど、これがなかなかうまくいかないんですね。
ノト丸
ケンジが抱えている問題というのは、多くの人がどこかで経験したことのあるような、結構根深い課題に触れていると思うんです。
それは資料でも指摘されている、知っていること、knowingと、実際にできること、doing。その間に横たわる、なんか見えない溝の問題なんですね。
ブク美
知っているとできるの間の溝ですか?
ノト丸
はい。あなたも例えばリーダーシップの本を何冊も読んだけれど、いざチームを前にすると、どう振る舞えばいいかわからなくなっちゃうとか。
ありますね、そういうの。
あるいは成功した新規事業のケーススタディをもう徹底的に分析したのに、いざ自分で事業を立ち上げようとすると、何から手をつけていいか途方にくれるみたいな。
ブク美
うーん、わかります。
ノト丸
ケンジはですね、ビルダーたちの持つ流れるような想像性とか問題解決能力でさえも、例えば学校で歴史の年号を覚えるみたいに、あるいは数学の公式を暗記するように、正解に至るフローチャートとして学習して記憶すれば再現できるはずだと、無意識のうちにそう信じちゃってたんですね。
でも、皮肉なことにその学習に対する考え方、そのアプローチ自体が彼を縛って見動きできなくさせていたというわけなんです。
ブク美
まさにそうなんですね。物語の中でケンジはビルダーたちの行動を、ほんと文字通り一挙手 一投足細かく観察してノートに記録するんです。
誰がどんな工具をどんな順番で使ったかとか、どんな会話を交わしたかとか、まるで科学論論でも書くかのように分析して複雑なフローチャートまで作っちゃう。
ノト丸
すごい徹底ぶりですね。
ブク美
知識としてはもう完璧に理解したつもりになってる。でも、いざコミュニティでポンプが壊れるっていう緊急事態が発生して、
ケンジ頼むってみんなの期待が集まる中で、その壊れたポンプを目の前にすると全く手が動かない。
頭の中には書き留めたフローチャートがぐるぐる回ってるのに、目の前の現実に対してどの知識をどう適用すればいいのかさっぱりわからない。
完全な思考停止状態ですよね。その無力感と焦燥感の中で彼はついにメンター役のソラに感情的に詰め寄ってしまうんです。
「頼むから答えを教えてくれ!」って。君たちが当たり前のようにやっているその創造性の革新は何なんだ。どういう思考アルゴリズムで動いているんだと。
このケンジの叫び、胸に迫るものがありますよね。
ノト丸
何かについて知っているはずなのに、それを現実に生かせない、応用できないっていうこのもどかしさ。
情報のインプットに慣れてしまった現代で、あなた自身単に記憶された情報を再生しているだけなのか、それとも本当に自分の頭で考えているのか。
ふと不安になる瞬間ってありませんか。
ブク美
そこで非常に興味深いのが、メンターであるソラの対応なんですね。
ノト丸
ケンジの切実な、ほとんど悲鳴に近いような問いかけに対して、彼女は一切答えを与えないんです。
ブク美
答えを与えない。
ノト丸
問題解決の手順も、創造性の秘訣みたいなものも教えない。
ノト丸
代わりに、ワークショップの片隅に積まれた文字通りのガラクタの山、壊れた機械部品とか廃材がごちゃ混ぜになったような場所を指し指して、静かに問いかけるんです。
ねえ、ケンジ。そのガラクタの山は、あなたにどんな問いを立ててほしいって語りかけてる?
ブク美
ガラクタが問いを立ててほしいって言ってる?正直最初は、え?ってなりますよね。意味がわからない。
ノト丸
そうですよね。
ブク美
ケンジも当然混乱します。ガラクタが話すわけないじゃないかって。
でも、この一見全問答みたいな空の問いかけこそが、ケンジの思考の根本的な仕組み、言うならば思考のOSを強制的に書き換えるトリガーになった。
これ、後書き的考察の方でもう少し詳しく分析されてましたよね?
ノト丸
その通りです。あとがき的考察では、このソラの問いが持つ力を思考OSの書き換え、つまり問題に対する根本的なアプローチ方法そのものを変えることだと解説していますね。
ブク美
ケンジはそれまで何か問題に直面すると、これは過去の知識で言うと何に分類されるかな?とか、これに対する正しい対処法は何だったっけ?というように、常に自分の記憶データベースにアクセスして、既存の正解とか定義を検索するモードで思考してたわけです。
ノト丸
なるほど。過去を向いた思考。
ブク美
いわば過去思考ですね。しかし、ソラの「ガラクタはどんな問いを立ててほしいと言っているか?」という問いは、そのベクトルを180度転換させる力があった。
目の前にあるもの、つまりガラクタの過去の定義とか用途、つまりそれは何だったか?ではなくて、それがこれから何になり得るのか?
問いかけの力
ブク美
どんな新しい可能性を秘めているのか?それは何になれるか?っていう未来に抜けた探求を促すモードへと、思考のOS自体を切り替えさせた、ということなんです。
ここからが実に面白い変化ですよね。ケンジはソラに促されるまま、半信半疑でガラクタの山に近づいて、ぐにゃりと凹んだ古いチューバを手に取る。
最初の反応は、やっぱり過去の知識に基づいたもの。これはチューバだった。でも壊れてて音は出ない。もはや楽器としての用途はない。つまりただの金属ゴミだと。
しかし空の、「どんな問いを立ててほしい?」って言ってる?っていう言葉が、頭の中で反響するうちに、ふと視点が変わる瞬間が訪れるんですね。
まてよ、本当にこれはもう楽器でしかないのだろうかって。この形、なんか巨大なロートとして使えないかなとか。
いや、この真鍮っていう素材、溶かして別の部品を作る材料には?この環状の構造、水を効率よく流すための経路としてはどうだろうって。
ノト丸
まさに思考が解き放たれた瞬間ですね。一つのものが固定された意味から解放されて、なんか無限の可能性の塊として見え始めた。
ブク美
それでケンジは隣にあった壊れた泡立て機を手に取るんです。これも最初は泡立て機だったもの、料理には使えない。
でも次の瞬間には、いや、まて、このハンドル部分についてる歯車のメカニズム、これは回転運動を伝える小さな動力転達装置として機能しないか?
ポンプの動力源につなげられるかもしれない。次から次へと連想が止まらないんですよ。
問いが新たな問いを呼び、視点がどんどん変わっていく。チューバがロートに見えて泡立て機がギアボックスに見える。
まさに思考がこれは何だったかという過去の分析モードから、これはこれから何になれるかという未来への想像モードへと劇的にシフトしたんです。
このプロセスを経てケンジは最終的にガラクタの部品を組み合わせて見事にポンプを修理してみせると。
ノト丸
このケンジの体験は単なる物語の中の出来事として片付けるんじゃなくて、後書き的考察で深盛りされているように、これからの学びとかメンターシップのあり方を考える上で非常に重要な示唆を含んでいるんですね。
特にこれまでの教育とか指導が知識やスキル、つまり答えを効率的に伝達することに主眼を置いてきたのに対して、ソラがケンジに対して行ったようなアプローチというのは全く異なる役割をメンターに求めていると言えるでしょうね。
ブク美
答えを与えるのではなくて。
ノト丸
知識とか正解を直接教えるんじゃなくて、相手の中からその人固有のユニークな問いがまるで内側から湧き出てくるような、そういう状況とか環境、あるいは問いかけそのものをデザインすること。
ブク美
問いが生まれる瞬間をデザインする。
ノト丸
そうです。そしてその問いを起点にして本人が試行錯誤しながら、自分なりの答えとか意味を見出していくプロセスに辛抱強く寄り添って伴走すること。
これが、あとがき的考察で示唆されている新しい時代のメンターシップ像なんですね。
それはある意味で効率とは逆行するかもしれない。
でもケンジの例が示すように、表面的な知識の習得ではなくて、本質的な理解とか応用可能な考える力そのものを育む上では、もしかしたら不可欠なアプローチなのかもしれません。
あとがきではこのプロセスには教わる側の、できてもいい、間違ってもいいという心理的な安全性とか、メンター側のすぐに答えを出させようとしないという忍耐強さも重要だなんてことも指摘されていますね。
ブク美
なるほど。効率性よりも本人の内側からの発見を促す環境作りと伴奏、それが重要なと。
そして、この問いから始めるアプローチが現代の課題、特に生成AIとの関わりにおいてもヒントになるというお話もありましたよね。もう少し詳しく聞かせてもらえますか。
ノト丸
はい。ケンジの体験とこの問いのデザインというメンターシップの考え方ですね。
これは急速に進化する生成AIの時代における人間の独自の価値を考える上で非常に久しぶりに飛んでいると思うんです。
今の生成AIは膨大なデータに基づいて驚くほど多様で、時には想像的に見えるような答えとかコンテンツを生成することができますよね。
しかし、AIは基本的には与えられた指示とか問いに対して応答する存在なんです。
つまり、アウトプットの質とか独創性というのは、流力される問いの質に大きく依存するということになります。
ブク美
AIに良い答えを出してもらうためには、まず私たち人間が良い問いを立てる必要があるということですね。
ノト丸
まさにその通りです。ケンジがガラクタを前にして、「これは何だったか?」じゃなくて、「これは何になれるか?」と問い始めたことで、
全く新しい発想が生まれたように、私たちもAIに対して既存の枠組みにとらわれない、本質的で可能性を開くような問いを投げかける能力が今後ますます重要になってくるだろうと。
問いと創造性の関係
ノト丸
例えば、「AIに既存のポンプ修理方法のリストを教えて」と問うのと、「このガラクタの山の素材を使って水を汲み上げるための全く新しいメカニズムを既存のポンプの概念にとらわれずに5つ提案して」と問うのとでは、得られるアウトプットはもう全く異なるはずですよね。
ブク美
確かに全然違いそうです。
ノト丸
ケンジの体験は、単に過去のデータを分析・検索するだけじゃなくて、可能性への問いを起点として、多様な要素、物語でいうガラクタ、つまり情報とかリソースを組み合わせて、新しい価値、修理されたポンプ、つまりイノベーションを生み出すための一種のアイデア創発マトリックスみたいな、そういう思考フレームワークのヒントを与えてくれるんじゃないかと。
AIとの共同が当たり前になる未来において、この問いを立てる力こそが、人間ならではの創造性の源泉であり、価値であり続けるのではないでしょうか。
ブク美
これは非常に考えさせられますね。
問いの質が、AIとの協働の質、ひいては未来の創造性を左右する、と。
では、これは全体として、私たちの日常とか仕事にどういう意味を持つんでしょうか。
ガラクタの山というメタファーは、かなり応用範囲が広そうですよね。
あなたの目の前にも、解決すべき問題、達成したい目標、あるいは単に整理がつかない情報の集積といった、あなた自身のガラクタの山があるのではないでしょうか。
そうした課題に対して、私たちはつい、外部の専門家とか、成功事例、あるいは検索エンジンとかAIに、正しい答え、最適な解決策を求めてしまいがちですけど。
でも、ケンジなアプローチを試してみる価値があるのかもしれないですね。
まず立ち止まって、そのガラクタの山をじーっと見つめて、この状況は、あるいはこの問題は、私にどんな問いを立ててほしいと語りかけているのだろうと、自分自身に深く問いかけてみる。
そのプロセス自体が、なんか新しい視点とか、突破口を開く鍵になるのかもしれないですね。
ノト丸
まさにその通りだと思います。
そして、あとがき的考察が最後に強調しているもう一つの重要なメッセージがあるんです。
ノト丸
それは、ケンジのポンプ修理というブレイクスルーは、彼に眠っていた特別な才能が突然として開花したというような、なんか神秘的な話ではないということなんです。
ブク美
才能開花、ではない?
学びの主体性を自分に取り戻す。
ノト丸
そうなんです。誰かや何かが与えてくれる正解を待つんじゃなくて、自ら状況に向き合って、自ら問いを立てて、試行錯誤の中から自分なりの答えとか意味を生成していく。
このある意味で面倒で回り道に見えるかもしれない一歩こそが、本当の意味での創造性、そしてAI時代においても価値を持ち続けるであろう深い学びに至る唯一の道筋なのかもしれない。
ガラクタの山と自己問いかけ
ノト丸
資料はそう示唆していますね。AIがどれほど進化して多くの答えを提供できるようになったとしても、この主体的に問いを発する力、そしてその問いから自分自身の学びを駆動させていく力というのは、私たち人間が意識的に守り育てていくべき本質的な価値なのではないでしょうか。
ブク美
これは重要な問いを私たちに投げかけますね。では、リスナーのあなかにいくつか問いを投げかけてみたいと思います。
このガラクタに問いかけるようなアプローチ、つまり、それは何だったかから、それは何になり得るかへと視点を転換する考え方を、あなたが今まさに直面している個人的な課題とか、仕事上のプロジェクトに具体的にどのように応用できるでしょうか。
なぜ、視点を過去の定義から未来の可能性へと変えることが、それほどまでにケンジに力を与え、私たちにも新しい道を開く力を持つのでしょうか。
そして、もし未来において最も価値あるスキルが、多くの答えを知っていることではなく、洞察に満ちた本質的な問いを立てる能力だとしたら、私たちは今、何を学び、どのように思考を鍛えていくべきだと考えますか。
明日も引き続き、学びの未来をテーマに、まだ見ぬ未来のプロトキャスト、その可能性の探求が続きます。
今回の話を聞いて、あなたの中に生まれた気づきとか、あなた自身の問い、ぜひ#毎日未来創造のハッシュタグをつけて、SNSなどでシェアしてみてください。あなたの考えを聞けるのを楽しみにしています。
ノト丸
最後に、今日の議論を踏まえつつ、さらに一歩深く考えるための問いを、あなた自身への宿題として投げかけてみたいと思うんですが、
ノト丸
ケンジの思考の変化を追体験してきましたが、もしかすると、私たちが本当に対峙すべきガラクタの山というのは、目の前にある具体的な問題とか課題、そのものではないのかもしれないな、と。
むしろ、学びとはこういうものだ、とか、問題解決とはこの手順で進めるべきだ、創造性とは特別な才能だ、といった、私たち自身の内面にいつの間にか積み上がってしまった凝り固まった思い込みとか、
古い前提知識、固定観念こそが本当のガラクタなのかもしれない。
あなたの中で新しい可能性を見出すことを妨げている古い定義や疑うことのなかった正解は何でしょうか。
その自分の中にある見えないガラクタに気づいて、それ自体にあなたは私にどんな新しい問いを立ててほしいの、と問いかけること。
そこから全く新しい未来への扉が開くのかもしれないですね。
ノト丸
♫創造日常
♪毎日未来
想像
17:30

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