建築と時代背景
はい、どうもこんにちは、やじまです。
こんにちは、ほそやまです。
今日も始まりました、やじま・ほそやまの桶屋ラジオ。
こちらの番組は、普段広報PRの仕事に従事するやじまとほそやまが、
身の回りの日常のあれやこれやについて、広報PR視点も少し織り交ぜながら、
合戦をしつつ、雑談する番組です。
さあ、やじさん、今日も近況トークからいきたいと思いますが、
はい。
何かありますか、ほそやまさん、近況は。
そうですね。
今日、11月12日で、実は一ノ鳥の日なんですよね。
はいはいはい。
去年、鳥の市行きましたよね、やじさん、一緒に。
行きましたね。みんなで行きましたね。
みんなで行きましたよね、新宿の花園神社に。
っていうのをふと思い出して、最近私ちょっと引っ越しをしたんですけれども、
ちゃんと引っ越しするときも、そこで買ったヘビのお着物を、
段ボールに丁寧に詰め、ちゃんと最近も飾っております。
今年もこの季節かなと思って。
早いですね、一年あっという間ですね。
早いですね。どうですか、置いてからどうでした、お着物。
購入されましたよね。
買いましたね。結構大きいやつ買ったんですけど、
そうですよね。
縁起物なんでね、そこはケチるらないほうがいいかなと思って。
なんであれですよね、また返却というか、新しい来年度のやつを買いに行かないといけないし、
あと来年年男なんで、来年馬年ですよね。
そうですね。
なんでちょっとそれはもうちょっと奮発しようかなと思ってます。
縁起がいい。じゃあビッグサイズ決定ですね。
そうですね。
今年は2度取りまでっていうことらしいので、2回しかチャンスがないですから、
今日か24日、月曜日かに買いに行きましょう。
はい、行きましょう。
よっちさん最近どうですか。
僕はそうですね、今日は11月12日。
まだシワスニは早いんですけど、先行して忘年会の予定がめちゃくちゃ入ってきて、
あと僕も去年から僕のお客さんとか日頃お付き合いのあるメディアの方を招いて、
あるクラフトビールの店を一日貸し切りにして、入れ替わり立ち替わりで、
忘年会みたいなのをやってるんですけど、
ちょうど昨日そのご案内を取引先とかメディアの方たちにお送りしてて、
で、なんかもう一年早いなっていうのと、
あと結構もう皆さんなんか予定が入り始めてて、
この12月上旬中旬みたいなのから、
そうなんですよね。
もうなんか年末の足跡が近づいてきたなみたいな、
近づいてきましたね。
年末感が出てきました。
そうですね。
毎年何件くらいあるんですか、忘年会って。
いやどうなんすかね、
まあでも本当に多いときはほぼ毎日のように行くとか、
はしごするとかね、
日本僕は断らないんで、
誘われたものについては、
スケジュールが空いてる限りなるべく行くっていうスタンスなんですけど、
ちょっと肝臓が心配ですね。
そう、肝臓とのね、兼ね合いですね、もう。
ここからは。
はい。
どうですか。
賑やかな年末になりそうで。
そうですね、はい。
じゃあそんな足跡が近づいてきた、
今日この頃ですが、
ちょっとじゃあメイントークに移ってゆきと話していきましょうか。
中村博のリボンチャペル
うん。
はい、じゃあここからはメイントークに移りたいと思います。
前回ちょっとやじさんの旅行の話からの本の話を広く聞いたので、
今回ちょっと私の推しというか、フェチというか、
その話をちょっとしながら雑談もできればなと思ってるんですけれども、
私のお題はですね、建築でございます。
ん?ごめんなさい、ちょっと音が一瞬途切れた。
なんかネットワークが調子が悪いですね。
ネットワーク調子悪いですね、すいません。
意気込んで言ったんですけど、
昔からのお題というか、私が話すテーマは建築です。
あ、建築。
そうなんです、建築。
なんか建築ずっと昔から好きでっていうのは、
父親も兄もそうなんですけれども、建設、建築関係の人っていうところがあって、
あ、そうなんですね。
そうなんですよ。
昔から家が建つと見学に行ったりとか、住宅の方に最初は興味があったんですけれども、
だんだん商業ビルとかそういったものに興味が出てきて、
一番10年前にですね、ガツンとした出会いがあったんですけれども、
それがとある建築家の作品を新建築っていう雑誌で見たときに、
ありますよね、ビビッときちゃったことがありまして、
その建築家の方が中村博さんっていう方で、
そこに写っていた建設物が広島にあるリボンチャペルっていう教会なんですね。
ごめんなさい、ちょっとまた音が途切れた。
ごめんなさい。
私のラブの話してるんですけど、すみません。
もう一回いいですか、ごめんなさい。
いいですか。
建築家の方が中村博さんで、
建築物が広島のリボンチャペルって言います。
リボンチャペル。
リボンのような形をしたチャペルで、
写真を見ていただくと本当圧倒されるんですけれども、
色はグレー一色なんですけど、
ぐるぐるって螺旋回転状になっているチャペルなんですよ。
それが瀬戸内海沿いのちょっと高い位置にあるんですけれども、
ポンってたたずんでいて、
瀬戸内海の広い自然の中と融合している感じがすごい美しくて、
この建築は誰なんだっていうので、中村さんのファンになったっていうことがありました。
今写真見てますけど、すごい独特な形してる。
ヘビみたいな、ぐるぐるのリボンみたいな。
そう、リボンみたいな。
外側に螺旋階段の階段があって、
入り口が2つあるので、神父と神老がそれぞれの階段から登っていって、
途中ですれ違って、てっぺんでゴールするみたいなのを表してる。
ちょっとロマンチックじゃないですか。
これを見たときに、面白いなって、
建築ってもっとハードで奇抜でっていうイメージが私の中ではあったので、
こんな自然と滑らかな形をしたものがあるんだっていうことに衝撃を受けて、
そこから中村さんを調べていったんですけど、
この方、人の振る舞い、動作を建築に表すっていうことが得意な方で、
これは教会でしたけど、他にも墓地の隣にある休憩棟とかも作っていて、
それも得意なんですよね。
墓地に行くってことは、亡くなられた方にご挨拶に行くってことだと思うんですけれども、
どうしても気持ちってハイテンションにはならないわけで、
目線もちょっと下がると思うんですよね。
それに合わせて休憩棟の屋根もすごく低く低くしていて、
目線があえて下がるように、下げるようにしていて、
人の気持ち寄り添うっていうことを大事にしている建築作るんですよね。
熊健吾と負ける建築
面白いですよね。
面白いですよね。
中村さんファンなので、色々ずっと調べてるんですけれども、
実は中村さんって、あの有名な熊健吾さんの事務所でしばらく働かれていて、
熊健吾さん?
熊健吾さんの事務所で働かれていて、独立をした方なので、
熊さんのエッセンスも取り入れられてるっていうところが、なるほどって感じの方です。
なんかあんまり、熊さんってなんかもうちょっと木材とかね、
もうちょっと自然と調和するみたいな印象。
そうですね、まさしく。
ちょっとまたテイスト違いますよね、このリボンチャペルとか見ると。
確かに、そうですね。
その素材みたいな、マテリアルみたいなところはちょっと違うんですけれども、
でもその自然と融合みたいなところは、やっぱり熊さんのエッセンスがあるのかなと思ってまして、
熊さんおっしゃる通り、自然と人との掛け合わせみたいなのを大事にしてるなと思って、
で、熊さんもちょっと話してもいいですか?
熊さんの面白い、調べてて気づいたことがあって、
熊さんって負ける建築っていうものを提唱してるんですよ。
この負ける建築って建築に勝ち負けなんてあるのかっていう話なんですけれども、
たまたまそれも、私大変え物伝え屋で熊さんの負ける建築の本を手に取ったことがあって、
本当にこれを言ってるんだって思ったんですけども、
何かって、20世紀のバブル時代とかそのもう少し前とかって、
結構建築物って本当象徴というか建築家の作品みたいなアートみたいなものが多くて、
すごい色も奇抜だったりとか尖っていたりとか、
どうやって活用していいのかわからないような象徴となるものが多かったと思うんですけども、
その当時は熊さんって言ってしまうとあまり目が出なかったらしいんですね。
東京のお仕事が全然なくって北海道とかに行っていたっていうことが本にも限ってあったんですけれども、
そこでご自身で提唱したのが負ける建築っていうあえておっしゃっていて、
それがそういった象徴的なものじゃなくて、
今ある自然とか町とか人に融合した建築こそが負ける建築であって僕の形であると、
そういう話をして、そこから今も大ブレイクじゃないですか。
負ける建築の時代背景
だから時代にすごくマッチしたんだろうなっていうふうに思うんですけれども、
結構象徴の国立競技場とかもね、木を表してでもちょっと滑らかな感じで、
吹き抜けで開放感があってっていう、
ザ・ハリド氏が作った象徴的なものではなくて、
もう少し自然に近寄った形の建築されてましたよね。
ちなみに、たぶんそこのクマさんのコンセプトみたいなのが、
時代が追いついてきたのか、むしろ時代がそういうものを求めてたのか。
かもしれないですけど、どういうところが時代のニーズにあったんですかね。
負ける建築っていうコンセプトが受けた要因ってどういうところなんだろうって。
そうですね、ワプル崩壊までは日本経済もイケイケだって言って、
みんなバンバンお金使ってスクラップアップビルドじゃないですけど、
どんどん建物を建てようって勢いがあったと思うんですよね。
でも1988年から90年くらいで崩壊して、
あと1995年の阪神淡路大震災があったりとか、
いろんな震災とかがあった時に、
もう少し建築を考え直そうってしたのは1個あるんじゃないかなと思って調べてる限りだと。
なので、合わせにいったっていうよりも時代がついてきた、マッチしたってことなのかなと思います。
これはあれですかね、日本だけじゃなくて世界的にもそういう潮流というか感じなんですかね。
バブルは日本の話だと思うんですけど、SDGsとかESGみたいな流れとか、
そういう環境とか地球というか、強制していくみたいな概念みたいなところともマッチしたみたいなところも一緒あるのかなと思ったんですけど、
建築オタクの小沢さん的にどう見られてるのかなっていう。
新しい建築の形
おっしゃる通りだなというか、
そういう流れにやっぱなっていくんだなっていうのは思ってますよね。
SDGsっておっしゃっていただいたような形とか、
熊さんがどんどん海外案件がやっぱり増えてるのも1個その証拠というかになるんじゃないかなって思いますけどね。
その後調べないとですけど。
そうですね。
新しい建築の形もそうですけど、時間の使い方みたいな形で忙しくなっていたのを、
もう少し自分らしい時間取り戻そうとか、
あと多様性認めようみたいな話で何か無理に目立つことを作るんじゃなくて、
その人のそのままを表すというか、それに寄り添うみたいなところが求められてたんじゃないかなと私は思います。
もう1個、熊さんが大事にしてるのって、広場とか場を作るっていうのすごく大事にされていて、
例えば神楽坂の赤城神社とかも行ってみていただけるとわかるんですけど、横幅の広い階段があって、
その階段が普通15センチ20センチとかの段差のところ、5センチってすごい低い階段がこう連なってるんですよね。
そうするとその横幅が広くて段差が低いと子供たちも遊びやすいし、
人はそこに腰をかけて談笑したりとか、お祭りがあると食べ物食べたりとか、
違う空間が出来上がるっていうのがあって、
それが神社だけじゃなくて、いろんな場で熊さんってそういう階段の広場のスペース作ることが多くて、
なので建築で何かそういう余白みたいなの作ると、
人がその場をどう活用しようかって行動が変わるみたいなところは設計してやってるんだろうなと思います。
おもしろいですね。
赤城神社も、赤城神社ってあれですよね?神楽坂?
そう、神楽坂の神社ですね。
あれも熊さんが設計したの?
そうなんですね。知らなかった。
そうなんですよ。
そういうね、なんか場を作るみたいなところは熊さんらしいなと思って。
単純にその機能性とか様式美みたいなところだけじゃなくて、
もうちょっとその余白というか揺らぎというか、
そこでなんかそういうコミュニティとかその安らぎというかなんていうんですかね、
そういうものも含めてデザインされてるっていうことなんですかね。
おっしゃるとおりですね。
それが好きです、私は。
おもしろいですね。
東京駅周辺の高層化
富士山は建築とかいかがですか?
僕はそうですね、建築はそんなによくわからないんですけど、
古地図とかを、古地図って言っても明治大正昭和の初期ぐらいの古地図を見て、
今、自分が見ている景色が、
昔はここにこういう建物とかこういう施設があったんだみたいな、
そこに文化的な、例えば新宿二丁目とか、よく飲みに行きますけど僕は、
昔はあそこはね、赤銭地帯って言って、
赤銭地帯。
高床の売春地帯というか、
売春防止法っていうのが適用されて、
そこが町が廃れちゃったところに、
ゲイバーみたいなものの文化が生まれたみたいな、
そういう歴史があったりとか、
あるいはそういう町の区画とか見ても、
このエリアはそういうエリアです、みたいな名残みたいなのは、実際よく見てるとあったりするんですよね。
そういうのが好きで、古地図とか、建築っていうか、この建物にこういう歴史があったんだとか、
そういうのを調べるっていうか、読むのが好きで、
最近というか、面白かったのは、
東京駅の周辺のビルが高層化してる理由に、
東京駅の丸の内の駅舎があるじゃないですか、
あれの復元?復旧?が関わってたっていう話で、
東京駅の丸の内の駅舎って、歴史ある赤いね、ありますけど、
あれ1914年か何回、辰野金吾っていう建築家の、有名な建築家の方が建てられて、
第二次世界大戦の空襲で、建物の3階部分と駅の中央にあるドームが消失しちゃって、
それを復元しようみたいな流れが、90年代後半ぐらいかな、石原栃次の時代にあって、
復元するにはめちゃくちゃお金かかりますと、500億ぐらいかかるんですけど、
それをどうやって捻出するかっていうので、空中券取引っていうのを使って実現したんですけど、
空中券取引。
要は建物って、検閉率と容積率っていうのはエリアごとに決まっていて、
敷地の中に建物を建てられる割合っていう検閉率っていうのが決まってたりとか、
あるいはその建物にどれぐらいの高さの建物を建てられるかっていう容積率っていうのが決まってるんですけど、
エリアごとに決まっていて、
東京駅の駅舎を復元するために、費用を捻出するために、石原栃次の時代に、
この丸の内エリアだけ、容積率を倍々取引でできますよっていうトックにしたんですよね。
そんなトックがあったんですね。
東京駅の駅舎のエリアっていうのは、本来的には9階建てぐらいの建物が建てられるんですけど、
東京駅の駅舎って復元したとしても3階部分までしかないんで、
残り6階部分の容積って浮くわけですよね。
その浮いた容積を三菱自社とかに、周辺のデベロッパーに売却して、
結果として、東京駅は容積率を売ってお金を得て復元できて、
その周辺の新丸ビルとか、日本郵便の駅舎がJPタワーっていうのがあるんですけど、
あれもリニューアルされて、すごい高層ビルになったと思うんですけど、
やっぱりビルって高くすればするほど、テラントとかも入ってお金、収益得られるんで、
なんでそういう体的にもメリットがあるということで、
なんで、東京駅周辺にある新丸ビルとか、グラン東京ノースタワー、サウスタワーとか、
丸の内パークビリーディングとか、その周辺のビルがのきなみ高さが高い、
本来の規定されている容積率以上に高いビルを建てられるようになって、高層化が進んだっていう話ですね。
そんなたらくりがあったんですね。
そういうのを知るのが面白いなと思って。
面白い。そうですか、確かに。
30何階まで、あの高さを出すのは、もともとは、それまでの法律だと出せなかったけど、
それを一時的に石原都知事が設けたっていうこと。今はなんですかね。
いや、特定容積率適用区域っていうのは、丸の内の周辺のエリアだけ適用されている。
他のエリアでは、僕が見た限りだと、他のエリアで適用されている例はないっぽいんで、
本当にこの東京駅の駅舎を復元するための費を捻出するために、ちょっとこう、むりくりそういうトックみたいなのをしたっぽいですね。
そうなんですか。ちょっと見方が変わりますね、東京駅の。
たとえばその新丸ビルって38階建てなんですけど、本来だったらせいぜい30階とか、それぐらいしか建てられないのが、
東京駅から使ってないその容積っていうのを買い取ったことで、
より高いビルを建てられて、テナント修理を得られて、みたいな、そういうことみたいです。
面白い。フル地図からそういった話がわかるんですか?載ってるんですか?
フル地図にまつわる、このエリアにこういう歴史があったとか、そういう本をめちゃくちゃ持ってて、
空中券の取引の話でいくと、後で参考のリンクを貼りますけど、
時代の地図でめぐる東京建築マップっていう本があって、
エリアごとに、例えば昭和初期はこういう地図でこういう建物があって、
今も現存してる建物にはこういう歴史があったんだみたいな、
建築と背景の重要性
こういう衣装とかこういう建築が工夫されてるみたいな、そういうのを解説してる本なんですけど、
すごい。
僕は建築自体に興味があるっていうよりかは、
そういう、こういう経緯があって今こうなってるみたいな、背景を知るのがすごい興味があるんで、
こういう類の本をめちゃくちゃ持ってます。
さすが。知らなかったな。
そういう街歩き、たぶん穂沢山さんは建築とかビジュアルっていうかね、
そういうものを見て楽しむっていうのだと思うんですけど、
僕は今見てる景色の裏側にこういう歴史とかこういう背景があったんだっていう、
コンテキストみたいなのを知るのが面白い。
なるほど。そうですよね、確かに。
そういう背景でいろんな経済とか、いろんな法律だったりとかも含めて関わってきての、
そういうものになってるわけですからね、間接になってるわけですから。
そこを確かに調べていかなくちゃな。
面白いですね。
今持ってらっしゃるその本は今も売ってるんですか?もう廃盤なんですか?
今も全然売ってると思いますね。
だからそういう本を見つけたらとりあえず買うっていうのは僕の日課ですね。
日課というか趣味みたいなもんですね。
ちょっと後でまたそのリンクも教えていただけると嬉しいです。
前回浅井涼さんの話を矢地さんがしてたので、
本屋さん行きましたけど、すごい大きいですね。ハード本ですね。
そうですね、結構分厚いですね。
ちょっとした辞書ぐらいの、小さい辞書ぐらいのサイズ感ですけど、
でもページめくると文字のサイズ自体は結構大きいんで、
あと単純に話が面白いんで、そんなに長さは感じないです。
小説からこういう古地図から、そうか広く時代背景みたいなのを追ってるんですね。
そういうの考えるのは好きね。
新建築の写真のビジュアルで満足してたな私。
いやいや、でもそういう建築とかね、
それを見るのが目的で、さっきの広島のリボンチャペルでしたっけ。
そういうのもしかしたら地域の活性化とかになるかもしれないし、
予備水になってね、そういうのがね。
そうなんですよね、おっしゃる通りで。
建築家と設計をしたものを作る建設会社の方、
ゼネコン含めいろんな設計建築会社の人も含めて、
それぞれの役割分担がある気がするので、
ゼネコン関係の方って、こういう中村さんとか熊さんみたいな建築家は
ゼネコン博士だってすごくプリプリしてる方もいらっしゃいますけど、
だけどああいう方々が思想も含めて、時代拝見とかも含めて、
設計しなければ生まれないものだし、
人の行動も変わらないよなって私は思うので、
そこのバランスというか、お互いの役割分担なんだろうなと思って、
楽しみにいつも建築をやってます。
建築による行動変容
まちづくりとか建築とか、鉄道とかもそうかもしれないですけど、
そういうのによって人の行動変容するじゃないですか。
はい、そうですよね。
古くは東急沿線とかで町を再開発したみたいな話とかもね、
深掘っていくと面白いですよね。
確かに、そうですよね。
生物の池袋の再開発とかね、
ああいうのも面白いですよね。
そうですね、あとそうすると不動産会社さんの町とかも入ってきて、
深く広がっていきそうです。
そうですね。
掘っていこうと思います、町。
はい、ということでもうそろそろおしまいの時間ですかね。
そうですね、はい。
今日はいろいろ私の建築話と言いながら、
もうやじさんにがっつり深掘っていただきましたけども、
また次回もちょっと違うテーマでね、話をしていきましょう。
はい、じゃあまた次回ですかね。
また感想やメッセージお待ちしてます。
はい、じゃあまたお会いしましょう。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。