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こんにちは、おいのっこりーです。3月3日、日曜日です。
今日はひな祭りで、先ほど家族でひな人形と一緒に、子供たちと夫と4人で家族写真を撮りました。
皆さんはどんな一日を過ごしているでしょうか?
今日は、自己評価と他己評価のズレに気づくには、という話をしてみたいなと思います。
自己評価、自分では自分のことをこういうふうに思っている、それなりの自己評価って皆さんあると思いますし、
また、自分に対して周りの人たちがどう思っているかという、自分で自分を評価する評価と周りが自分をする評価って、結構ズレがあるなというふうに思います。
それは何か良い意味でも悪い意味でもズレってあると思うんですけど、
昨日はちょっとその悪い意味でのズレを感じた時、これはどうしたらいいんだろうなっていうのをちょっと感じたので、ちょっと話してみたいなと思います。
昨日はですね、私は夫が仕事だったので、私の実家に子供たち2人を連れて遊びに帰りました。
で、ちょっと実家で少し遊んだりした後に、夕方から3、40分くらい車で離れた場所のお風呂屋さん、健康ランドみたいなところに行こうかっていう話になって、
車でお風呂屋さんに行ったんですけれども、私自身は車を持っていないんですが、
実家の車を借りて運転していったんですけど、もううちはですね、両親、母親はペーパー、完全なペーパードライバーで、
父親は運転はできるんですけど、もうだいぶ一緒に車に乗っていると、だいぶ父親の運転が危ないなっていうふうに感じているんですね。
もう父親は71になるのかな。年齢も年齢っていうのもあるんですけど、もともとちょっと父親の運転は危ないなっていう気は前々からしていたんですけど、
っていうのはすごく手っ張り症なんですよ。車の運転になるとすごく視野が狭くなって、ちょっとでも話しかけるとすぐに切れちゃう感じの父親なんですね。
もともとそういうのがある上に、さらに年齢も高齢になってきたっていうのもあって、かなりちょっと安全面が不安だなっていうのは前々から感じてたんで、
特に子どもたち、私の子どもたちを乗せるときは、より子どもってぐずったり、運転中にぐずったりとか、特に下の子なんかまだ小さいので泣いたりもするので、
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余計そういった子どもの声が運転に影響して危ないかなっていうふうに感じているので、あとはみんなの命も危ないって思っているので、
運転をするときは、子どもたちを乗せるときは、私が運転するようにいつもしてるんですね。
昨日も同じように、私が運転するよっていうふうに言って、運転しようとしたんですけれども、父親がですね、行き先であるお風呂屋さんに、
よく仕事で、そのお風呂屋さんの本当に近くまでよく仕事で月に1回車で行っているそうなんですね。
なので、自分は道もバッチリわかっているし、運転もできるから、自分が運転するっていうのをすごく言ってたんですよ。
そうなんですよ。一人で車に乗って向かうのと、また子どもを乗せて車に乗るのってだいぶ違うじゃないですか。
私たちが子どもの頃、小さいときは父親が運転していろんなところに連れてってくれたので、そういった経験があるっていう自分に対する自信もあると思うんですけど、
私が不安。私だけじゃなくて、母親もかなり父親の運転に不安がっているんですね。
なので、ストレートに危ないからって言わないように。
子どもの鳴き声って結構運転していて汗汗しちゃうし、私も汗汗しちゃうから余計に危ないだろうから、
私が運転するよ、赤ちゃんの鳴き声って自分は慣れてきてるからさっていう風に言って、運転をどうにか変わろうと提案したんですけど、なかなか引き下がらなくてですね。
父親も父親で、誰も自分の運転を信用してないみたいなところが余計気に食わなかったみたいで、なんか不機嫌になっていくんですよね。
運転をどうしようかななんて思っているうちに、車の中でわちゃわちゃやってる時に、下の子がぐずり始めて泣き始めてっていうのがあって、
余計に走り出す前から父親もてんぱり出して、いいよ運転最初は俺がするから途中で変わってみたいな感じで言い始めて、
で、エンジンをかけたはいいんですけど、なんか急に雨も降ってないのに、ワイパーがガシャガシャガシャガシャ動き出したり、
ウインカーを全然かける必要もないのに、ウインカーカチカチ鳴らし始めて、もうなんか見るからにてんぱってるなっていうのがわかる感じだったんですよ。
で、走り出した時にですね、道を出て右折する時に、もう右側から車が来てるのにも関わらずに、もうなんて言うんですか、車が来てても右に曲がろうとして結構危ない感じで早速事故が起きそうだったんですね。
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でもなんか母親もそういう父親の運転を見てると結構言っちゃうんですよ。危ないよとか言って。
でもそれ危ないよって言われたことに対しても父親がまた切り始めて、うるさいなーみたいな感じで言って。
もうなんかスタート段階からもう無理じゃんって、もう危なすぎるって思って。
で、分かった分かった、じゃあ道を分かってるなら、じゃあお父さんちょっとナビお願いしたいわって言って、私が運転するからナビお願いしてもいい?
じゃあすぐそこにコンビニあるから1回運転変わろうよっていう風に言って、結局運転は変わって終始私が運転して、父親にはナビをしてもらうという感じで終わったんですけど。
で、ナビを道もすごい分かってるって言ってたから、ナビなしで行けるのかなって思ってたらですね、車のナビに行き先を手を震わせながら入力していて、
もうなんかもうそれを見ててもうすごい焦ってるテンパってるっていうのがよく伝わってきてですね、本当に道分かってるのかなとか思いながら。
うちはいつもそのカーナビの車についてるナビじゃなくて、スマホのグーグルマップに行き先入力して車運転する時は使ってるので、
一応自分もグーグルマップに行き先入れて、スマホを立てて置いていたんですけど、それもまた気に食わなかったみたいで、自分は道を知ってるのに何でスマホをそうやって取り付けるんだみたいな風に思ったみたいで。
これも邪魔だとか言って、結局じゃあでも行き先が分かってるなら何でナビ入れるんだろうなとか思いながら、もうなんか初めからうまくコミュニケーションが取れず空気が悪いままスタートして、
どうにか道中話しながら父親の機嫌も良くなって、結局行って帰ってこれたんですけども、そんなことがありました。
帰ってからご実談母から話を聞いたんですけど、最後はですね、家に車で送って、私の家に車で行って、そっから私の家から実家までは父親が車で5分ぐらいなので、そこは運転して最後車で戻ってったんですけど、
自分の家の車庫、駐車場に入れる時も、自転車に結局ぶつけたんだよって母から後でLINEが来たりとか、で、あの後、俺には運転させなかったって言って不機嫌だったっていう、怒ってたっていうエピソードもLINEに届いたりとかして、
そういう父親の姿を見てですね、自分では運転できるっていう自信があるわけじゃないですか、道も知ってるし、自分ではできるって思ってることを周りができないって思ってることに気づきながらも、でもできるんだって貫こうとするので、
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周りからしたら残念だなって思っちゃうんですよ。ある程度の老いを認めて、危ない、車の運転はもうそろそろ危ないんだって思って、すっと身を引いて、
じゃあ任せるよって、任せることができる大人になれたらなって思うんですけど、でもいざ自分が年齢を重ねていった時にそういう風になれるのか、私ももしかしたら父親みたいに自分ならできるって思っちゃって、周りの人たちを少し困らせたりすることもあるのかなとか、ちょっとそんなことを考えました。
自分の評価と周りの評価って、やっぱり必ずしも一致しないっていうか、一致しないことの方が多いと思うんですよね。
自分のことが、自分が一番わからなかったりもするじゃないですか。だからそういった時に、ポジティブなズレだったらいいんですよ。自分ができないと思っていること、こんなことをしてもいいのかなって思っていることが、実は周りからしたらすごく知りたかったことだったり、周りからしたらすごい力を持っているっていうことだったり、
そういう場合はもうなんだろうな、自分では気づけない自分の力を周りが気づいてくれて、それに力を発揮していけばいいと思うんですけど、逆バージョンの場合、自分ではできると思っているけど、周りはいやいやもうちょっと厳しいよって思っている場合の、その評価のズレに気づくにはどうしたらいいんだろうなっていうのをすごく感じました。
家族だからもうはっきり、お父さん運転危ないからさって言う方が、父のためなのか、父の年齢もあり、気質もあり、そういうちょっと男的な、これはあれか、ジェンダーのあれだけ良くないのかもしれないですけど、プライド的なところもあるから言わない方がいいのか、
ちょっと昨日はすごいそんなことを考えました。ある意味ネガティブな評価の、自分と周りの評価の差を、評価の差に自分で気づけない場合ってちょっと残念な形になっちゃうのは残念だなって思いましたね。
なんかせっかくこういろんな経験を培ってきた人生の先輩でもあるわけですから、そういうね、そんな形でなんか残念な形で人生の終わりに近づいてほしくないなっていうのを、昨日は娘として思ったんですけれども、はい、なんかちょっとそんな話をしてみました。
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はい、なかなかと話してしまいすいませんでした。聞いてくださった方いましたらありがとうございました。では、さよなら。