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2023-11-01 26:24

【3-3】言葉やユーモアで同一性や違いを感じる

国や民族によって使う言葉は異なる。同じ国でも地方によっても使う言葉は異なるし異なることによって同一性を感じたり伝わらない人に対して差を感じさせることもある。何にユーモアを感じるか、またそのユーモアを発揮できるようになるのは言語習得の最高峰だ。多様性の時代、伝わらないから排除するのではなくてインクルーシブに過ごすときにどう過ごせば良いかが感じられる話をしました。

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サマリー

日本のユーモアと言葉遊びの特徴や、言語や方言による同一性との関係について議論されました。彼らは言葉やユーモアを通じて同一性や違いを感じる現象について考察します。

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お茶漬けナイトです。この番組は、何かしらの海外と関わる経験を持つことで、日本を客観的に見る、または見たことのある3人が、様々なトピックについて議論して、社会的、または個人的な幸せを語ることができたらと思って始まった番組です。
えり、ゆう、まさの3人でお届けします。
言葉遊びと国・地域のユーモア
海外の人のユーモアって、ウィットに飛んでるみたいな感じの話のネタの作り方じゃない?
なんか、アイロニーとかもある気がして。
そうだね、なんかそれで言うとさ、結構アメリカ人とイギリス人の間とかでも、ユーモアの質とか違うなーとか。
ほうほう、どんな違いがあんの?
なんか、なんて、どう説明するんだろう、でもそれで言うとウィットとか、なんて言うんだろう、ちょっと秘密。
私の中では、イギリスのユーモアの方がちょっとこう、なんか皮肉、なんて言うんだろうな。
なんか、アメリカのユーモアはどちらかというと、どう説明するんだろう、なんか、でもなんかちょっと違うなーって思う。
だからこう、コメディアンとか見ててね、どう言うんだろう。
そうだね、やっぱお笑いって面白いよね、そういう意味で見ると。
私はやっぱそこで、なんか昔からそうだけど、日本のお笑いが、なんか私はわからないことが非常に多くて、
なんかね、結構一時期、これが実は悩みだった、高校生の時とか。
お笑いの話になるからね、男女の芸人が好きだとかね。
なんかね、わからなくて、人の中でなんでわからないの?みたいなことがよくある。
俺ちょっと気持ちわかるわ、それ。俺もあったもん。
あ、そうなんだ。
それこそ、ウィットに飛んでる芸人さんってやっぱたまにいるじゃん、日本の芸人さんでも。
そういうのは結構好きで、すごい頭使ってる感も秀逸だなーみたいなとか、
たまにさ、特番でやってる一本グランプリってのがあるんだけど、あれは好きじゃないの。
頭いい?みたいな。なんでそんなこと思いつくの?みたいな。
ああいうのは好きなんだけど、ビズム系とか。
ただ単に人をいじるだけみたいなのは、たまにそれもわかんなくてね、なんで面白いのかなーみたいな。
何も笑わずに過ごすみたいな。
わかる、なんか似てる感も、それはすごくわかる気がする。
否定するわけじゃないんだけどね、それはそれで楽しいと思う人がいるわけだから全然いいんだけど。
ユーモアで同一性を感じるときなかったかも、うち。
なんかこの人とこの人は同じだな、そうやって思ったときは落語は一緒で、落語家の人がどうやって喋るかとかはやっぱりスキルやし技術やし、伝統があるからもちろん一緒で、
日本のコメディとかやったらさ、コメディアンの人がコントをするかとかさ、漫談でいくかとかさ、
そういうスタイルによって、そういうフレームワークって言ったら変やけど、あるやん。
でも人と人の間、別にパフォーマンスとかじゃないときのユーモアで、同一性を感じることって結構少なかったから、
なんか今すごいコンセプチュアライゼーションに悩むというか、
なんなんやろね、でもうち例えば5人姉妹やねんけど、全員ちゃうんやんか、なんか話し方とかも、何におもろいかっていうのとかも、
だから誰一人としてハマることがあんまなくて、ハマったとしたら芸人さんと同じ話し方をしたかっていうところを見ちゃいなかった。
そう。
なんかなんやろな、言葉遊び。
なんか言葉を使って、例えばそのさっきまさか言ってくれたみたいななんか皮肉さ、なんかイギリスやったらさ、
もう今起きてることと真っ逆の、もうアキュレートで真逆の言葉を言えたらおもろいみたいな、こういう言葉の遊びとか、
なんかその漫談とかやったらさ、どこにオチを持っていくか、なんかオチのとこって考えたように、
どこにオチとするのかとか、あとはなんかその、なんかすごい、
エリーが言ってくれたみたいに、アメリカとイギリスの何がおもろいかみたいなポイントを、
オチは両方ともつかめなくて悩んだときがあって、なんかどうしてもつかめへんみたいな、
でもなんか慣れたからおもろいのがわかるみたいなのもあるけど、
なんか全然なんか結構ユーモアというか、
何をおもしろいとするか、誰、どうやって話したらおもしろいとするかみたいなが、
なんかパターンが全然つかめへんくって、
だからさ、今めっちゃポンポン話してる二人すげーって思ってたから、話し聞いてた。
そうだね、それで言うとホントユーモアってさ、言語習得のさ、いろいろレベルで言うと一番上じゃん、
ある文化とか言語のユーモアを理解した上で、自分もそれを使えるようになる。
ユーモアと言語習得・方言
言語習得で言うとホントに多分最高レベル。
あとレトリックみたいな感じになるもんね、もはや。
ホントにやっぱそれって言語っていうか、もはやそうすると、やっぱそこでこう同一化っていうのか、
もうそこにさ、完全に馴染めて解き込めるようになるっていうことじゃん。
だからすごいことだよね、ある意味。
で、笑いを理解した上で、さらに自分もその同じようなタイプの笑いを取れるようになる。
なんか私はやっぱすごく、例えばアメリカのそういうコメディとか見てても思うのが、
イギリスもそうかな、ニトリアもそうかな、なんかやっぱりある意味タブーと、
普段の会話だったら言えないようなことを言っちゃうみたいな、結構しかもはっきりみたいな。
ちょっと言い方間違えたらものすごい失礼なことをパッて言うみたいな。
その理由もあって、でも日本でもあるか。
日本のコメディもそうかもな、そういうアイテムとか。
そうだよね、だからそこも面白いよね、ちょっと共通点もあるし、そこに笑いを求める点というか、
普通だったら言っちゃいけないことも、そういう場だったら面白いですよね。
確かに。
いやなんかさっきから思ったんだけど、ちょっと話が逸れるようで戻ってくるんだけどさ、
仕事の場でミーティングしますって時にさ、最初アイスブレイクとかしてさ、
結構笑いがバキュー起こるとその後のミーティングうまくいったりとか、ものすごくワケがあいあいとできたりするじゃん。
逆に最初からめっちゃ真面目にいくとさ、みんなぶっちょう面になってさ、話がなんかちょっと紛糾したりとかするじゃない。
だからそういう時にさ、こういうユーモアを使って笑いが起こったりとかするとうまくいくっていうことを考えた時に、
なんかあれなのかなって思ったのは、アメリカ島だけど、ヨーロッパってさ、国境ないしさ、
昔からだからそのいろんな民族が入り混じるみたいなところがあると、やっぱユーモアを使って最初に仲良くなるっていうのが必須スキルだったのかなって思ったりも想像しちゃったわ。
日本も島国だからさ、基本的に交わることってなくて、歴史上交わるときって戦争じゃん。戦いだったはずだからさ。
あんまり他民族と融和を図らなくちゃいけないっていうことを経験してないと思うから、あんまりユーモアっていうのがナチュラルに存在するものとして意識されなかったのかなって思ったりもしながら話してた。
それで言うと、やっぱり住んでて思ったのは、方言とかもちょっと絡んでくるけど、やっぱり自分たちっていう意識が強くあって、
例えば同じイタリアっていう国の中でも地域によっていまだにそうなんだけど、方言が全然違ったりとか、あとそこに住んでる人たちのアイデンティティも、私はイタリア人っていうよりかは、私はこの地域の人っていう感じだから、それで言うユーモアっていうのは多くの場合は、
自分たち対外物みたいな。
そうなんだ、面白いね。
例えば夫の出生の地域だったら、フランスにすごく近いんだけど、やっぱりフランス人に対してのちょっとバカにしたようなジョークとか、自分たちはこうで、でも彼らはこうでみたいな、そういうことによっていろんなジョークとかがいっぱいあるよね。
ああ、そうなんだね。だから本当に同一性なんだな、じゃあ。
アイデンティティを感じるものだったりとか、その同一性を感じるものとして、言葉そのものもあるし、ユーモアもその言葉の上に立脚してるから、同一性を感じるものなんだな。
それでなんか面白いなって思ったのが、例えば私の夫はそこの地域で生まれ育ってるけど、でももっとそれを小っちゃい、だから州としてじゃなくて村単位とかで見ると、結構村単位で方言がちょっと違ったりするんだって、
そうすると、彼は方言を聞いてるとなんとなく何言ってるかわかるけど、自分は喋れないんだって、別に誰にも触ってなくて、そうするとそこの間でも方言がちゃんと喋れる人、しかもそこの村のとかそこの地域とか、人の間でのジョークがあったりして、
夫が言ってたのは、やっぱり10代、子供の頃とかもそれがついていけない、理解できない。でなると同じ学校の中でもいろんな地域の人が集まってきてるんだけど、そういう同じ方言とか同じ喋り方ができる人でちょっと仲良くなって、そこでのジョークみたいな。
それがわからなかったんだよ。だからこっち側のグループみたいな。
そうなんだ。
そのやっぱりユーモアとかジョークとかであれだね、なんか線引きを、それがわかるかどうかで線引きするみたいな。
面白い。
それって日本はあんまりどうなんだ私でも都会。
日本でユーモアで、ユーモアがわかるかどうかで線引きするってあんまり聞いたことないかな。
3歳に行った時に、大阪行った時におちわって言われるのがそれなのかな。
おちわの、全然話変わってまうかもしれへんけど、
英語話者の人で、デイティブの人と第二言語だった人たちと混ざって話した時に、
その話を拾えてない、第二言語だった人たちと、
面白い話ししてるから、面白い話ししててみんな笑ってるけどその子だけ笑ってないとか、
私だけ笑ってない時とかもあるし、
めっちゃ俺もある。
そう、3歳の時にさ、どうやって話したらいいのかなって思ってたんだけど、
その話を拾えてない、第二言語の話者がいた時に、
めっちゃ俺もある。
そう、3歳の時にさ、どうやったら楽しんでもらえるかなみたいなのを考えるわけ。
たまにさ、めんどくさいからさ、
うちが唯一の第二言語としての話者だった時に、
適当に笑う、笑うタイミングわかるよ。
話の流れ的にここで笑うな、あははみたいな。
波があるから。
だけど、なんか本当に話の展開が早すぎて、わからん時にぼーっとしてたとか、
他の人がわからんって思ってる、だから面白そうなのに何かわからないなーってなってる時に、
この状況どうしようって思う時がめっちゃ多いよ。
だからなーって。
俺めっちゃそれやったもん、思って。今でもあるけどなー。
そう、だからなんか今、ユーモアで線引きしてるっていうのは、
すごい自分が感じるものかもしれないし、
実は笑わせかそうとしてる相手には関係ないものかもしれないんだけど、
受け取る側なんかなーって思って。
すごいね、それを、
理由が自分が笑いについていけないんじゃなくて、
みんなでいて、誰かがそれをついていけてないことをわかってそれをどうしようっていう、
そういう状況っていうのがすごいなって思った。
そこまで周り、みんなが一緒に楽しめるっていうことを考えてくれてるっていうか、
私、例えばイタリア住んでて、すごい苦労したもんね。
最初の1年半ぐらいは会話がそもそもできないから、
途中からひたすらずっと周りに英語喋る人いなかったから、
みんなずっとイタリア語喋ってる人を聞いてると、だんだんわかってくるようになるから、
1年ぐらいすると、なるほどね、みたいななんとなくわかるように聞き取れるけど、でも答えられない。
1年半ぐらい経つと、さっきの、ここから落ちがみたいな感じがわかるようになって、
一応笑うけど、何が面白かったかちょっとわかんない。
そう、わかる。
でも誰もそこで、なんていうの、私を助けようと。
たまにだから、夫がいると、今のは何?みたいな、私が聞いて教えてくれない。
言葉やユーモアでの理解の違い
一応彼も気使うタイプだから、教えてくれたりしてたけど、
でもそれはやっぱり、彼の友達だからとか、私を引っ張って、
グループに参加するように頑張ってくれたのが夫だから、ありがたいんだけど、
でもそこで、なんて言うんだろう。
他の人が、エリーがもうちょっとわかるようにこういった方がいいかなとか、
こういうふうにとかっていうのは一度もなかったね、誰も。
でもそれさ、多分日本語で置き換えて考えてみたらさ、
そうだろうねって思うよね。
例えばさ、俺もめっちゃあったわけよ。
やっぱ前の会社で、みんながすごく英語をスピーディーに話してる中で笑ってても、
俺が分かんなくて、合わせて笑ってるっていうシーンは何回もあったから、
めっちゃそれは経験したんだけど、
そう、でも日本語で置き換えて考えたときに、
まずその、今の笑い何だったのって解説するのってさ、
さっきの話じゃないけど言うもん言ってたけどさ、
やっぱさ、笑いを解説するって虚しい話だったりするじゃんね。
とかさ。
えめんなよ。
後々解説する?
ぼけた人を目の前に解説するよりかは、
ディレイして解説する分には、
ああ、あんな感じのものかって、みたいな感じだけど、
めっちゃ辛いのが、
それを翻訳したとしても、
それが面白いかどうかっていう文化的価値観が、
そうだよね。
言語化できんねんな。
それがもどがすというか、
だから、たぶんそもそも別に他の人も一緒に笑かせようとする必要もないなって思ってんねんけど、そもそも。
だけど楽しい時間過ごしたいからそれが気になっただけで、
でも、なんかさ、言語でついていけへんのってさ、
なんかつらいやん、なんか。
そうなんだ。
だから、それを感じてほしくないっていう気持ちなだけであって、
笑いを理解してほしいっていう気持ちではないわけ。
なるほどね。
笑いを解説しましょうかって言ったときに、
解説できるような言語能力もないわけ。
でも、日本語やから言えるこのニュアンスをあなたには伝えられないし、
このイギリスのジョークやからおもろいねんでみたいな、
そうね。
なんかとかあるやん、言語が持ってくる文化みたいな。
うんうん。
なんかさ、それをさ、別にうちは処理する必要はないんやけど、
すごい気になる瞬間があって、
で、そのときに多分ボケを解説するよりかは、
今のは分かりにくかったよねって、
うん。
絶対なんか言えることとか、
なんかあ、うちわからへんかったけどとりあえずテキトーに笑っとったって言える、
なんかそういう。
ついたね。
笑わんで別に理解してんでもいいみたいなんか、
なんかノーマライズできたらいいなとは思うね。
うん、確かに。
だからこのまんまでええねんでみたいな。
それによってさ、あ、ごめん、過ぎちゃった。
笑いの解説と言語化
いやいやいや、最終的には私はあなたのこと気にしてるよ、
だけど別にそこで笑う必要もないで、でも気になるんやったら解説するで、
でも私言語能力足りひんから全部解説できひんで、それでもいい?みたいな。
なるっていう。
ごめんね、ごめん。
なんかそれでさ、今すごいゆうにもまさに聞きたいなって思ったのが、
例えばさ、そういう状況で自分は誰かがそのジョーク言ったことを理解してて、
でもさ、誰かが理解してないし、
で、ちょっと自分がその翻訳者的な立場になったときに、
例えばそのジョークがなんかこう人種的差別とか、
こうちょっとセクハラ的な、
なんかそういうときがさっきのさ、だからなんかテキトーに笑っちゃったけど、
なんかそんなに、なんかこう、
なんかそういうときって、私さすごくなりたいなって思うのは、
なんかいや、それは私は、そういうのは面白くないかって、
もうなんか笑わない、スパッと。
なんかそういうのになりたいけど、でも絶対つられて笑っちゃうタイプなんだよね。
で、今のはちょっとみたいな。
で、あまりにもひさすがにひどいときはもちろんなんか笑わないけど、
でもなんかこう、なんていうの、スッとさ、なんかやめる人もいるじゃん。
なんかそういうのって2人、なんていうの、どうしてるの?
うちその人に、その場で笑わんって決めたら笑わん。
なんかさ、もうだいたいうちのこと知ってる人って、うちがNPOで、
なんかフェミニスト系の活動をしてたのを知ってる人が多いから、
なんかそのチェックハラ発言した人に対して、
優が笑ってないってことは、みたいなメッセージを、無言のメッセージを送ったり。
で、その人に、なんかその人のこと大好きやったら、
ちょっと表現変えてもおもろかったかもしれへんな、みたいなことは言うけど、
その人のことはもうどうしようもない奴だな、みたいな人もおるわけ、うちの中で。
もう、その人にはちょっとなんもできひんかも。
なんかうちに説明責任もないし、なんか説明してわかってもらうっていうのが、
なんか無理そうかもって、勝手に決めつけちゃうっていうのがおって、
その時はさすがに悩む。
なんかもしここで気づきを、あの、なんか、
共有できる?できたら?とかっては思うけど、
だからなんか全部、全部のシチュエーションで同じことは起きひんのよな、うち。
なんか、なんともやけど。
マサは?
俺結構すぐ笑っちゃうからな。
笑いのバー低いからな。
もう、あの、なんていうの、考える時に笑ってる感じするからな、俺。
でも、もちろんその不快なものがあったら、笑わないかな。
笑わない。
別にいいもしないけどな、俺は笑わないっていうことをしてる気がするな。
なんかさ、たまにおるやん、なんか、
なんかな、わからへんねんけど、こう言ったら面白いみたいなんで、
こう、なんか、レイシストだったり、セクシーな発言をする、
こうやって言ったら面白いから言う、みたいな、
ちょいとわざわざしてる人に対しては、
まあまあしっかりしたフィードバックをすんねん。
なんか、これは正直ないと思いました、みたいなとか、
なんか、その方の立場でする発言ではないかなというふうに思いましたし、
とかっていうふうに、なんか結構重めのフィードバックだったねんけど、
笑えへんとき、なんかもう、こう癖でさ、パッて出てきて、
なんかあるやん、そのとき、なんかさ、
なんかその、自分がさ、しゃべれる言語の内容が、
その自分が生きてきた年齢によって、なんか、
日本語で表現できるものと英語で表現できるものが違うねんけど、うちの中では。
なんか、経験したものでしかしゃべれなくって、
で、その経験した言葉の言い方、
家族とか小学校とか中学校のときとか、
なんも学ばずに聞いたものを口から出るみたいな、
そっから出てくるものとかあるやん、
なんかそのときは、なんかめっちゃ笑えへんねんな、
なんか笑わないっていうよりか、笑えへん、気づいたら笑えへんくって、
で、ショックのほうが激しいっていうか、
なんか周りのことを気にする、
まあ、そもそも気にしてないから、
ショックが先にくるんかもしれんねんけど。
ショックね。
ショック一旦取り切ろうか。
今週はここまでです。また次回お楽しみに。
26:24

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