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2023-11-15 26:30

【3-4】フィードバックで変化が起こらないと絶望するときの秘訣

建設的に前向きにフィードバックをしたとしても相手が全く聴いてくれない、もしくは変わらないときには絶望を感じてしまうというゆうの自己開示から、えりがその人に宿る子どもの側面に着目して傷を癒しながらアプローチするという話をしてくれました。

【出演&SNS】

Eri Ochiai @eri.yournextchapterjapan (Instagram)

Yu Lucy @yu.lucyyy (Instagram)

Masataka Shintoku @masataka_shin (X (旧Twitter))

お茶漬けナイト - Ochazuke Night @ochazukenight

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サマリー

フィードバックによる絶望を乗り越えるには、相手の発言の意図や影響を受け止め、その人の内面を癒すことが大切です。一対一で対話できることが重要であり、フィードバックは一対一の対話を通じて行うべきであると言われています。

フィードバックの難しさと発言の意図
お茶漬けナイトです。この番組は、何かしらの海外と関わる経験を持つことで、日本を客観的に見る、または見たことのある3人が、様々なトピックについて議論して、社会的または個人的な幸せを語ることができたらと思って始まった番組です。
えり、ゆう、まさの3人でお届けします。
なんかさ、そういうさ、自分が気づいたときに、うわー、これ聞いてもうたー、みたいな。これ笑ってあかんやつやし、発言に問題あるなーって思ったときに、うちは人を選ぶから。
なんかこの人なら、私のフィードバック受けてもらえるやろうとか、この人だったら私が感情的にならずに伝えられるだろうみたいな人にはできんねんけど、それが耐えやすくない人にどうしたらいいと思いますかっていう。
それはもう本当深い問題だよね。それとも多分今のこの会話の話だけじゃない、ほんといわゆるフィードバックもそうだと思うんですよ。
しかもさ、思うけど、やっぱり今まで話してきたその、ユーモアってある意味、誰かが冗談とかジョーク言ったときって、ある意味その場の形とか土台を作ろうとしている瞬間でもあるじゃん。
そこでみんな笑うとさっきもさ、会議の初めにアイスブレイカー的な、その空間を作っている作業だから、そこでフィードバックするとさ、
土台がさ、なくなるわけじゃん。
ぶっ壊れる。
リスキーなことではあるよね。だからそれで人を選びたくなる、ゆうの気持ちはすっごいよくわかるし、むしろそれがだから正解なんじゃないかなって思うから。
なんだろうね、でもタイミングってやっぱすごい大きいよね。
なんか、コールインとコールアウトってあると思うんだけど、なんか、なんだろうな、なんかその人と一対一でフィードバックする。
なんか後からフィードバックするとか、みんなの目の前でその人が言ったことを訂正させるっていう方法があると思うんだけど、
なんか、私はあんまり、みんなの前でフィードバックをさせるっていうのができなくて、
でもめっちゃ大事なんやろうな、そういうことできるって思う?
なんか、なんでできないかって言ったら、なんか多分その正しいとか正しくないかみたいな基準で話が始まるやん。
この発言が悪いか悪くないかみたいな。
だからその時に、なんか、なんていうのかな、自分がさ、どんだけ一生懸命勉強したとしても、絶対間違えるときはあって、
で、自分の癖も見つめ直さないといけない瞬間ってたくさんあって、
その、なんていうのかな、だから自分はその完璧な辞書じゃないわけ。
その、この発言がなんで悪いかみたいな説明できたとしても、自分が同じ失敗をしないかって言ったらそうじゃないから、
なんか、だからその不完全な人間として、こう、フィードバックをするっていうことへの、なんか慣れが足りてないっていうか、
なんかそのフィードバックするときって、なんか自信持ってできるときって、
割と状況がクリアで、自分はこうやって見てたんです、みたいな、
自分のレンジで見えたことをそのまま伝えるけど、正しい正しくないのを話しになったときに、
こう、なんていうのかな、その自分が正しいということを前提に話す、クオリティの話、
だけど自分は不完全であるってことを同時に認めるっていうのを、なんかこう求められるようなフィードバックだなって、
そのクオリティの狭間に自分はすごい悩むし、なんか言ったところで伝わるかっていうのもそうじゃないけど、
なんかそのフィードバックを、こういった正しさを基準としたフィードバックのときに、
最近あったことやねんけど、例えばね、出上げたほうが楽やから、
これセクハラかもしれへんねんけどっていう前置きの後に質問してくるみたいな、
で、ほんまうちからしたら、なんでそんな前置きをあえてすんの?って思ったわけ。
人によって異なるフィードバックへの反応
じゃあ言うなよって思うねん。セクハラの可能性あるの?って言うなよって思うねん。
でもそれをフィードバックしようと思ったときに、
多分何がセクハラかわからないからそういう前置きをされたと思うんですけど、
本当にその後にする言葉が、本当にご自身で判断できなかったセクハラの発言だったときに、
あなたはどういうふうに、あなたがもたらした影響をどういうふうに解消するというか、解決させようとできるんですか?みたいな。
だから言ったことの意図と影響って全然ちゃうから、
やっぱりその人がその同じ言葉を言われて、どんだけ過去に傷ついてきたかわからないかもしれないことを、
あえてあなたは自分で判断をあえてに委ねて、セクハラかもしれないけどって言って、
話を持ってこようとしているアタチュードがおかしいっていう話をしたことがあるんですけど、
そのときもめっちゃ悩むわけ。自分がセクハラ発言してないっていう確証もないし、
絶対過去に来てきてるし、自分気づいてないときに。
全部含めて不完全な自分ですが、気づいたんでお伝えしますっていうことのスタンスをどれだけ利用してもらえるかみたいな。
がすごく悩みどころ。
それさ、でも優が今までの人生の中でさ、完璧じゃなかったから言ったらあかんっていうのはさ、
それはそんなことないんじゃない。もう気づいたそこにもう事実としてあるわけだから、
言ってあげていいことだと思うし、なんで言ったら、もしその仮に相手が、いやいやあなただってやってきたじゃないですかっていうのは、
それも別の事象の話だからさ、そもそもあなたもやってきたじゃないですかという話を出すこと自体がおかしい。
多分、今の話のフォーカスはあなたがやったことなんですからっていう話であって、
って思うなあと思うんだけど、それちなみにそれ言ったらさ、どういう返答だったの?ごめんなさいだったの?
いや、そんなんじゃなかった。なんかもう癖やからって言われて。
あーね。
俺、それはエクスキューズだと思うんだけど、そのセグハラかもしれないけどっていうのは、
ただ俺このエクスキューズも結構程度があると思ってて、
もしかしたらセグハラかもしれないからごめんねっていうそのエクスキューズもあると思うけど、
俺まあまあ多いんじゃないかなと思うのは、もうセグハラかもしれないけどもう許せよっていうぐらいの、
かなり強みのある方もあると思う。
俺は言っていいのであるっていうぐらいの勢いで言ってるパターンもまあまああると思う。
だからそれ癖やからって言ってる時点で反省の色ないじゃん。
どっちかって言うと俺それ後者なんじゃないかなと思って、もうごめんねじゃなくて許せよっていうと。
まあなんかどういう日とかにもよるかもしれないけど、
自分が正しいか正しくないかみたいな焦点で、
しかも誰かを傷つけるかもしれない発言についてフィードバックを受けた時に、
ディフェンシブになる気持ちすごいよくわかっていて、
だからそういう風に癖だからって思う気持ちもすごいよくわかるんですみたいな話はするんだけど、
そこまで高圧的な感覚の人にはあったことないけど、
明らかにトキシックさ、自分のポジションを守るために周りの人にトキシックな発言をするみたいな人もおって、
その人には今までちゃんとしたフィードバックできてなくって、
そういうさ、程度があまりにもひどいみたいな人にさ、どうしたらいいやろな。
難しいね。程度が悪い人にフィードバックすると多分相当に、
自分への攻撃と捉えて100倍返しで返ってくるっていうのが想像できるわ。
自分のポジションを守りたいっていう力がかなり強く働くんじゃないかなって想像する。
そういう人に限っては。
そうね。
めっちゃポジションが高い人とか、自分はもう100%正しいって思ってる。
私がいないとこの会社もありませんって思ってる人とかもたまにいらっしゃるけど、
別にそれそうだったとしても、そう思ってたとしても、それが事実だったとしても、
その発言が良くなかったっていう事実は変わらないから、
変わんない変わんない。
でもその人がフィードバックを受け止められないって言ったら変だけど、
自分の声の攻撃だと思われる時に、どうしようもできないやんって思ってしまう自分と、
そういう人がめっちゃ上の立場みたいな、
自分に言った時の絶望?どうしよう?みたいな思うわけ。
フィードバックの効果と癒し
どうですか皆さん?みたいな。
その絶望っていうのは何に対しての絶望なの?
これはいつ変わるんやろうみたいな。
フィードバックを言って受け止めるのに時間かかりそうっていうくらいの態度の人は、
もう刺さってるなって思うねん。
だけど、いやそれ私間違えてると思ってないからくらいの態度。
でもありがとうみたいな感じの人もおると思うけど、
その人にもう刺さってないわけ。見た目は1ミリも刺さってないわけ。
もしかしたら持ち帰ってる可能性はあるけど、その人は。
でもうちから見た目、フィードバックに対して私は間違えてないと思うみたいな態度で、
でもありがとうくらいの勢いやから。
なんかそれを、今度の、今度もし私と会った時に、
例えばあなたからこういうフィードバックを受けたから、こういう風に考え直ってみたんだよねみたいな、
っていうのがあるって思えへんの。
だからなんかその、いつになったら変わるんだろうみたいな、
変わることを期待してフィードバックをしていて、
それが変わらないっていうことが長期的にわかったときに結構絶望する。
それはやっぱりそのフィードバックをするときに、
フィードバックをすることで、
ユウが期待してるのはその人が変わるであろう、言動が変わるであろうっていう、
それを期待してフィードバックをしてるんだよね、だからね。
そうそう、せっかく原発言とかやから、絶対にコンティニューしてはいけない癖やから、なんていうのかな。
なんかすごく遠回りかもしれないけど、
やっぱりこう、人って自分の間違いを指摘されるとすごくこう、
守りたくなる、防衛にならわっちゃうから、
癒してあげるってすごい大事だと思うんだよね、なんていうんだろう。
何かを正す、正すそもそもその前というか前提として、
なんかそれってなんでそうなんだろうね、みたいな。
なんかもうその、いい悪いはさておき、
なんか今その言ったそれって、えーみたいななんか興味を持って、
本人にそれを、そういえば私なんでそれ言うんだっけ、みたいな、
なんか、なんていうんだろう、ちょっと立ち止まって、そこでこう、
例えばそういうこう、私はこういうふうなやり方なんですとか、
結構なんかこう、自分はこうだから傾向がこうでとか、
エクスキューズのやっぱりそうする人って、やっぱりこう向き合えてない傷とか、
なんかがあると思うんだよね、根源に。
だからフィードバックはちょっとアプローチがだいぶ変わっちゃうけど、
なんかそこを癒すってすごく、あとは何だろう、
なんかその言葉じゃなくて、言ってることじゃなくて、
そこで表現しようと思ってる、なんかこう感情とか、
例えばなんかじゃあセクハラ的な発言をしましたっていう時に、
発言じゃなくて、なんかそこの根底にある聞いてもらいたいとか、
なんかこうみんなにこの人ちょっと変わってると思われたいとか、
なんかそういう欲望とかがあるわけじゃん、
なんかそこを受け止めてあげるとかって結構なんかこう、
その人の言動を変えていく上で大事なんじゃないかなって、
私は結構なんか思うようになって、だから言葉自体を受け取るんじゃなくて、
その人のその発言してる時の全てを見るというか、
なんかどういうこう体の動きしてるとか、
どういう表情とか、そこでこう、なんかその前置きがあるっていう時も、
その発言の全て、言葉だけじゃなくて、全てを受け取った時に、
一対一の対話の重要性
それをこう、なんだろう、その言葉自体を言動を変えてもらいたいなって思った時に、
そこのこう、その人がなんでそういうふうに表現してるのかなっていう全てをこう、
興味を持つってすごく、変わるかどうかわからないけど、
やっぱ自分に興味持ってもらうってすごく嬉しいことだから、
なんかそうするともうちょっとほぐれるかなって思った。
あれだね、優とえりの話している、最初って言ったらいいのかな。
えりはやっぱり、さすがコーチングの観点で多分言ってて、
本当に一人一人の個を見て、その個をどのように変容を促すかっていう観点で
多分言ってくれてるんだろうなって思いながら話を聞いてて、
すごく参考になったんだけど、多分優が思っているのは、
ごめんもう少し、俺推測だけど、なんかその個それぞれも大事なんだけど、
どっちかっていうともうちょいマクロに変化を起こしたいっていうのが、
優の目的意識にはあるのかもしれないなと思った。
だからどっちかっていうと優の観点はルールベースっていうか、
そもそもその社会に対して、これはルール的にアウトなんだよっていうことを
もうちょい浸透させたいぞっていうビルを感じるから、
その個それぞれがどうのこうのっていうよりも、
あんたたちもルールから反してるんだから、さっさと変わってくれやっていうのはあるんじゃないかなって思う。
だからその、ある程度その社会の部屋歩きの中で、
特に上にいる人たちがアウトな行動をしている時に絶望を感じるっていうのは、
そういう人がたぶんたくさん来た時に、
全然社会変わらんやんっていうその絶望を感じるっていうこともあるんじゃないかなって思ってながら話し聞いてたりする。
なんか本当にその通りだなって、お二人の話聞いてその通りで、
でもなんか難しいのが、自分がそういうことを気にしてる人だから、
なのさらその人の、まさか言ってくれたみたいに、
ここがどうのこうのとか、なんかその人が、
確かに私がアチーブしようと思ってるゴールにたどり着くには、
その人がなんでそのことをしたのかっていうのを、
そういう下げる人はあんねんけど、
うちはそれをする責任はないなって、
なんかもう勝手にせんびきしてて、
なんでかって言ったら、なんかもうめっちゃ起きやすいことだから、
なんかもう何回も、私は同じ人じゃなかったとしても、
同じようなフィードバックをしてて、
こっちは疲れてんねんみたいな、
で、なんかきっとうちの中の期待っていうのは、
気づきの一歩になることは、
まあ善意で言ってるわけやねんけど、
その人がどう捉えようが、私の意図は善意で言ってて、
なんか別に悪意を持って、
お前ほんまふざけんなよみたいな感じで言ってるわけじゃなくて、
いや、言ったことがほんま微妙やったねみたいな、
けど別にあなたのこと嫌いとかじゃないで、
あなたのことを好きとか嫌いとか、
あなたのパーソナリティがだからどうかという話ではなくて、
事実を伝えただけっていうイメージやねんの。
でもこっちも気にしてるから、
相手がなんでそんなことを言ったのかみたいなところを、
掘り下げるまでも付き合いたくないっていうのが表現的にあって、
疲れるからさ、こういうの。
だからそこのね、
でもさっきえりが言ってくれたみたいにできたら、
私は自分が目標としていることをアチューブできるかもしれないし、
まさが言ってくれたみたいに、
もう責任のある立場なんだからっていう、
ちょっとルールはみ出てんでっていうのを、
ほんまにまくろみしたいっていうのもあって、
タイの話聞いて思いついてたんやけど、
子供を叱るときをイメージしてて、
例えばさ、子供がさ、
ちっちゃくて、コップいっぱいにお茶が入ってて、
それをテーブルまで自分で持っていこうとするとするやん。
そのときに床にこぼした。
お茶を。
ってなったときに、
こぼしてもらったん?アホやな。
ふこか?って言うんじゃなくて、
不確かにこぼした。
だからふかなあかんっていうのは、
普通ともあってんねんけど、
でもそういうときに効果的な話し方があって、
しっかりコップ持って、テーブルまで持っていこうとしたんだね。
こぼしちゃったね。そこか。
みたいなんやったら、
最初に相手が何をやったかを認めてあげて、
その上でフィードバックをする。
どうやったら改善できたかみたいなのを伝えねんけど、
子供と話すときって。
それをな、
自分の中で、なんで大人にやらなあかんねんって思って。
今の最後の言葉出る前は、
えりと同じようなこと言ってるなーって思いながらしてたけど。
面白いね。
やっぱりね、私ほんと思うけど、
ゆうと話してて、
私たちの人に対する興味っていうのが違うからね。
こっちのほうが面白い。
私は大人だけど、みんなが持つインナーチャイルドって言うじゃん。
そこがね、自分の中での興味を引くとこなんだよね。
対話をする際の心構え
そうなんだ。
なんだろうね。
どんな人でも持ってるじゃない。
何かそういう経験とか、
幼少期にあって、今も自分が大人になっても抱えてるものって、
それを変えるとかどうこうするとか、
それはもちろん本人がそうしたければいいけど、
私は知るっていうことにすごく楽しさを覚えるんだよね。
だからさっきの、いやもう疲れるんだよみたいな、
私そこが楽しいんだよね、むしろ。
面白いなあと思って。
すごいなあ。
うちはもうミニマムで終わらせたいって思っちゃうんだよな。
私逆なの。
そういう指摘はすごいエネルギーを、
でもさっきゆうもエネルギー使ってるもんね。
でも私はね、そこがうまくできないんだよね。
インナーチャイルドの話なんだけど、
うち触れていいんかなみたいな、
うちプロフェッショナル、えりはさコーチングのプロやん。
だから触れてもうまいこと持っていけるかもしれへん。
スキルがあるけど、
うち触れてはいけないんじゃないかなって、
ド素人やし、そういう気持ちもあって、
だからその人に質問するときに、
ネホリハホリって言うけど、
ネホラン徳って言うかな、ネホラン。
ネホラン徳って言うかな。
せいへんように見守るみたいな、
フィードバックの実践
触れてはいけないというか、
どういう感じかわからんから相手が、
そういうところも考えちゃうかも。
でもほんまに興味があるってすごいなって思うし、
結局ね、一対一で対話、
対話できるっていうことが大事というか、
フィードバックってはって言ったら終わりみたいな、
サーベイみたいな感じのフィードバックとかじゃなくて、
一対一でその人の価値観とか、
その人が何にフォーカスを置いてるからそこが欠落してるのかとか、
いろいろなことがあると思うんだけど、
その人一人の中でもダイナミクスって。
でも対話できるってなったら、
全然違うなと思ってて、
ワンオンワンでもシステム化して、
この1時間を上司とどういうふうに一番有意義に使えるかみたいなのを、
考えて話すよりかは、
たまにアジェンダなしのやりましょうみたいな時間もすごい大事だなと思ってて、
その対話をね、
こう、この、
なんやろな、
聖ハラハズリに対して、
どう持っていくかみたいなのね、
エリーをもう召喚したい。
いいストーリーだね。
今週はここまでです。
また次回お楽しみに。
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