2022-07-31 26:20

#116 善行は報われる 22/7/31

ガラテヤ6:9-10の礼拝説教。2022年7月31日録音。新型コロナウイルス感染症の拡大が第7波を迎え新たな変異株も次々生まれています。その上猛暑です。そんな中で私たちの心が挫けそうになるかもしれません。パウロは私たちに「挫けないで」と語ります。ガラテヤ人への手紙は4章までが前半と5章からの後半に分かれますが後半部分には教会やこの世でクリスチャンはどう生きるべきかが教えられています。今日の箇所はその後半の総まとめのとして「善行は報われるから挫けないで」と励ましの言葉が語られています。1.失望もあきらめもせずに、2.収穫の時の希望、3.すべての人に対して善を行いましょう、の3つの点から学びましょう

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00:08
失望せずに善を行いましょう。 諦めずに続ければ、時が来て、狩り取ることになります。
ですから、私たちは、機会があるうちに、全ての人に、特に信仰の家族に、善を行いましょう。
以上です。 今日はこのところから、善行は報われる、と題して御言葉を
お届けします。 みなさん、おはようございます。
今日はですね、暑い日であり、またコロナも蔓延しております。 本当に今日はズームでのですね、オンラインの参加の方が大きい
礼拝になっておりますけれども、このような礼拝堂と、またオンラインと一緒にですね、 神様、礼拝できることを感謝します。
新型コロナウイルスの感染拡大が、いよいよ第7波を迎えましたね。 そして新たな変異株が生まれています。
2.275と言われてますがね、あの、SNS上であだ名がついて、ケンタウルスというね、そういうあだ名がついていますけれども、
しかも今日はこの暑さの中です。そういう、 いつ終わるかわからないコロナ禍、そして
暑い中で私たちの心もくじけそうになるかもしれません。 しかしパオロは私たちにくじけないで、そう語るんですね。
このガラテアビトの手紙、私たちの教会では、1章の1節から順番にこう学んできました。 去年の6月からだったと思います。
で、これは大きく2つに分かれまして、1章から4章までが、 難しく言うと神学的内容、いわゆる信仰とは何ぞやという、
簡単に言うと、信じる者、イエス様を信じる者は罪許されて救われるということ。 いいことができなくても、イエス様の十一華を信じれば罪許されて救われるということが、
いろんな言い方で書いてあります。 そして、5章から後半部分はですね、その信仰を持っただけではなくて、どうやって生きるかが書いてあります。
難しく言うと、倫理的な教えが書いてあります。 そして、その5章から始まる信仰の実践の教えがございます。
信仰の実践の教えからですね、 今日のところは、その実践の取りまとめの部分が、この2節に書かれています。
6節、9節、10節。 その2つの部分の、どうぞそこ、イエス様のところに座ってください。
そこはですね、善行は良いことは報われるから、くじけないでし続けようという、そういう勧めです。 その中から、今日は3つのことを学んでいきます。
まず最初、失望も諦めもしないでということです。 読める方は前の部分にもあります。読んでみましょう。6章、9節、3、はい。
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失望せずに善を行いましょう。 諦めずに続ければ、時が来て借り取ることになります。
これはですね、この絵何かというと、梨です。 皆さん覚えてますか、今年の5月4日、埼玉県に雷と氷が降りましたね。
実は、その時にですね、埼玉県の久喜市では、氷が降った、たった20分しか降らなかったんです。
でも20分しか降らなかったですけども、甚大なこの被害を農家に、特に梨の農家にもたらしたと、埼玉新聞で書いてありました。
これ、その当時の直径2センチの梨です。 ここにですね、この絵、わかりますかね。
この部分、もうちょっとこの傷がついただけでも、この梨は食べれない、売れなくなってしまう。
そういう被害がこの氷にぶつかってなりました。 しかも、こういうことですから、この剪定作業、良いもの悪いものを選別する作業が通常の3倍もかかるようになってしまった。
そして、そういう中でですね、
農家の人はがっかりしている。 鈴木さんという農家の方のコメントを埼玉新聞がこう載せているんですね。
ここ、前にも書いてあります。 「梨は久喜市の特産品だが、かつてに比べて梨農家はめっきり減った。
後継者が不足し、地域で残っている農家はわずか4件だという。
梨農家の鈴木さんは、近年続くコーン障害、そしてコーンが故にダニ対策、ダニが増えている。
その対策、台風など収穫までの苦労を挙げ、今回の氷被害については、
大きくならなければわからない、小さい傷もある。 収穫する、最後までわからないと不安を口にした。」というんですね。
この農家の方のお話があります。 氷の被害にあった農家の方の声を紹介しましたが、
今日の6章9節の失望、 失望と諦めということを書いてあります。
実はこの2つの言葉は、ギリシャ語で似たような意味があるんですね。どんな意味か。
それは、がっかりするとかですね、 意気消沈する、疲れて、くじける、そしてやる気をなくす。
さらに言うと、退屈になる。 そういうことがこの2つの言葉に込められています。
この失望と諦めって言葉。 で、このどうして失望や諦めを、
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良いことをする。 みんな良いことをしようと思って決心します。
そして良いことを決心しても、 失望と諦めが襲う。 その原因の一つは、今この農家の方にあったようにですね、
労苦して一生懸命やったのにも関わらず、 その努力が台無しになる時にがっかりします。
そればかりではなくてですね、 だんだん大きくなってくるとわかるかもしれませんが、
他の人からの妨害とか、他の人との人間関係によって、 やる気をなくすということがあるんです。
ある学者はですね、こう言ってですね、 良い行いが正しく評価されず、その努力の報いを他人に横取りされれば、
失望もし疲労感も溜まる。 まさにですね、私たち良いことをしても誰も認めてくれない。
そうするとがっかりしますよね。 より疲れます。
それどころか、自分がやったことをですね、他の人がですね、 さもその人がやったかのように手柄を横取りされたら、
なおさらやる気をなくしてしまいます。
そしてもう良いことをするのをやめようとか、 そういうふうに心がくじけてしまいます。
そして人との関係の原因があるけれども、 もう一つはですね、自分自身の中に原因がある場合があります。
ちょっとこれは聖書の、クリスチャンに向けての 勧めでもあるんですけれども、
内側に起こる葛藤というのがあるんですね。
今日しか聞かない人はわかんないかもしれませんが、 これまでパウロが、私たちの罪の性質のゆえにですね、
悪いことに誘惑される肉の弱さということを語ってきました。 そこでですね、学者もこういうこと言うんですね。
霊と肉との思いに挟まれた、 クリスチャン個人の葛藤において、
肉に巻くことと、善行を肉に巻くことですね、 その誘惑に負けて、
悪いことをしてしまう、そうやって肉に巻く、 そういう善行を放棄することもパウロは視野に入れているようだ。
肉っていうのはですね、聖書でいう肉っていうのは、 別にその焼肉とかじゃないんですね。
人間の、この罪の性質を肉の性質って言うんです。
霊というのは神様信じた人の中に与えられる神様の清い霊です。 その霊と肉が心の中で葛藤を起こしているということをパウロは言っているんですね。
そして時にですね、イエス様信じる人もですね、 その葛藤に負けて肉に巻く、悪い行いに身を染めてしまうことがある。
それも、この失望して良い行いをくじくという原因になるとパウロは言っている。
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おそらくですね、これらの葛藤はパウロ自身、 このガラテア人の手紙を書いた偉大な使徒パウロも経験していました。
特にですね、パウロは当時のローマ帝国の中で、 キリストの福音を伝える大伝道者でしたけれども、
迫害になって石打ちになってですね、3回以上死にそうになったり、 船に乗ってて遭難したり、そういうたくさんの労苦を体験しました。
そればかりでなく、彼は自分が生み出した教会、そこをですね、偽教師に乗っ取られて、 その自分が生み出した教会からですね、
パウロは批判されてですね、横取りされてしまう。
そういう苦しみをパウロは預かっていましたから、 ここでいう疲労感や失望感を誰よりも知っていた。
その上で励ましの言葉を当事者として私たちにも、 ガラテアの人たちに述べています。
2番目、では収穫の時の希望ということを見ていきましょう。
先ほどの聖句をもう一回挙げましたので、 読めるか読んでみましょう。3回。
失望せずに善を行いましょう。 諦めずに続ければ、時が来て借り取ることになります。
2番目ですね、この時が来る、そして借り取る。
実はですね、時という言葉、聖書はもともと何語で書かれています? 新約聖書。何語で書かれているか知っている?
新約聖書はギリシャ語で書かれています。 ギリシャ語の時という言葉には2種類あって、
一つにはクロノスという言葉です。 それはですね、クロノグラフといってストップウォッチでよく表すように、
流れていく時間をそのクロノスと言います。 ここではそのクロノスではなくて、カイロスという時間です。
あのポケモンでカイロスというのがいてね、なんか調べたら、 ちょっとギリシャ語と関係していて、カイロスというのは区切る。
切り取るという意味もある。 だからこのクワガタポケモンがカイロスだというのを見たんですけれども、
このカイロスというのは決定的な時、 チャンスや機会を得るというふうに表されているように、
出来事と関係あるこの時という意味がこのカイロスであり、 ここでいう時が来ての時なんですね。
実は英語の聖書ではそのニュアンスを上手に訳しています。
NIVという世界で一番読まれている聖書は、 これ、at the proper time、適切な時にと訳している。
New American Standard Bibleといって、 ギリシャ語に一番近い訳し方と言っている聖書では、
in due time、然るべき時にと言っているんですね。 あとNew Revised Standard Versionといって、
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学術的に高い評価を受けている聖書では、at harvest time、 ハーベストというのは収穫ですね。
収穫の時にというふうに、 このカイロスという言葉をしっかり訳している。
何が言いたいか、それはですね、 農夫には労苦があっても必ず収穫の時が来る。
同じように、私たちの善行、良い行いにも、 労苦が伴います。
でも、私たちがした良い行い、それは、 然るべき時が来たら、必ず報いられる。
そういう希望が、私たちにここで語られているんですね。 だから、がっかりしないで、必ず報いられるよ、とパウロは言っているんです。
そしてパウロは、同じ苦労を経験した者として、 上からではなくてですね、隣から私たちを励ましています。
それが3番目です。 すべての人に対して善を行いましょう。
じゃあ、続きの10節読める方、読んでみましょう。
ですから、私たちは機会があるうちに、 すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。
実はですね、この言葉は、命令ではなく省令です。 書いてあります。難しい字ですね。
命令ではなく省令。この違いわかりますか? つまり、英語で言うと、レッツ。レッツゴー。
一緒に行こう。 お前が行けじゃなくて、一緒に行こうという、このレッツという。
レッタースという省令が、この言葉のニュアンスです。 パウロもですね、私も労苦しています。辞めたくなります。
皆さんもそうでしょう。でも、一緒に頑張りましょうよ。
後でまた答えるわけですね。 上からの命令ではなくて、隣からの励ましですね。
さあ、そういう励ましの中で、パウロはですね、ごめんなさい。 こういうことを言ってるんですね。
報いられますよ。ですから、報いられますから、
良いことをするチャンスが訪れる度に善を行いましょう。
実はですね、さっきのカイロス、覚えてますか?カイロス。この、
私たちは機会があるうちにという機会、このチャンスという言葉も同じ、 カイロスというギリシャ語が使われています。
つまりですね、 私たちの周りには良いことをするチャンスがいっぱいある。
だから、あなたに良いことをするチャンスが訪れたら、 それを積極的に行いましょうとパウロは勧めているんです。
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そして、じゃあこの良い行いとは一体何でしょうか。 善行と難しく言いますけど、善行とは何でしょうか。
実はここでは、良い行いとは自分から他の人に向けてなされる良い行いのことを言います。
そしてパウロはこれまでの言葉の中でそれを キリストの立法と言い換えていますね。
それに関してパウロはセイクで主に2つのことを言ってきました。 五章の13、14節ですね。
自分、自由を肉の働く機会としないで、 愛をもって互いに使い合いなさい。
ここから読んでみましょう。立法全体はから3回。 立法全体はあなたの隣人を自分自身のように愛しなさいという一つの言葉で全うされるのです。
いわゆる隣人愛。 二番目、6章についてこう言っています。読んでみましょう。3回。
互いの重荷を負い合いなさい。 そうすればキリストの立法を成就することになります。
こうやってパウロはキリストの立法、つまり自分の隣人を自分のように愛して、 その人の重荷を負いなさいと教えてきました。
じゃあ、あなたの隣人は誰ですか? 今日のこの聖書の箇所では2種類の人がいるって言うんですね。
まず最初は、後ろから見ますが信仰の家族って書いてあります。
この信仰の家族とは、もうよくわかると思いますが、 私はクリスチャンですけれども、ここにいる方はクリスチャンの方が多いと思いますが、
クリスチャンの仲間、自分の教会や他の教会のこの信仰の仲間のために良いことをしなさいと言っているんですね。
信仰の家族に善をこらえましょうという言葉の背景に、 実はこのガラティアの教会の中で喧嘩があったんですね。
ファウルは、犬同士の噛み合いとか、猛獣が獲物を噛み殺す、そういう言葉でたとえています。
噛み合い食い合って虚栄に走り滅び合わないようにと警告しているように。
そこから考えられるのは、まず自分の教会の中で、ここでは偽物の教えが入ってきました。
最近ある政治家との関わりが話題になっている偽の教えがありますね。あれは教会でないですから気をつけてください。
そこまでひどくなくても偽の教えが当時のガラティア教会に入ってきて、そこの影響を受けた人と
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信仰のクリスチャンの間で争いがあった。 それを収めるべくファウルは警告してきたんですね。
こういう偽物の福音だけじゃなくて、私たちは些細なちっちゃな違いからも残念ながら争いが起こりますね。
些細なことが争いの種にならないように気をつける。 ある学者はこんな良いことを言ってるんですね。
私たちは良い行いという種を蒔く。 その種は私たちの共同体、仲間に属する他の人の人生や生活に蒔かれるのである。
英語の解説ではですね、皆さんのレジュメにもありますけど、こう言ってますね。
The seed is good works sown in the lives of other people of community.
わかりやすい。 私たちが良い種を蒔くのは、私たちと同じ協会や社会にいる隣人の人生や命の中に良い行いという種を蒔くんだよと言っています。
そういうことは、些細な違いを乗り越えている。 私たちがする良い行いの対象それは、同じ信仰の家族の人が第一議席。
しかしパウロはですね、もう一つ大事なことを言っています。
その二つ目はですね、全ての人に対して善を行いなさいと言っています。
ここでですね、今日ちょっとこちらの方にパワーポイント用意できなかったんですけども、
ガラティア人の中でですね、パウロがこう言っているんですね。
旧約聖書の難しい話だが、ちょっと想像して考えてください。
アブラハムという人知ってます? アブラハムに神様は今から5000年前に約束したんです。
あなたを通して全ての国の人は祝福されますよ。 あなたの子孫を通して世界中の人が祝福されますよとアブラハムに約束されました。
じゃあ誰がそのアブラハムの子孫なんですか? 祝福のもとよりとなる子孫なんですか?と言うとパウロはですね、ここで
イエス様を信じるクリスチャンはみんなそのアブラハムの子孫なんですよと教えているんです。
ですから私たち日本人であってもイエス様を信じて 神の民とされればですね
アブラハムに神様が約束したその神様の祝福を 全ての国の人々に
分け与える選びの器だということなんです。 私たちを通して神様の祝福はこの世界の人たちにその人がクリスチャンだろうがなかろうが
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それは届く。それが神様の計画だって言うんです。 例えばですね
神様のビジョンというのはこういうビジョンなんですね。 教会の人同士、クリスチャン同士が和合して互いに助け合って仲良くなって
それだけで固まっているだけじゃなくて、そこから教会外の人たち 教会と関わりない人たちにもですね
教会が協力しあってクリスチャンの人が出ていって神様の祝福を分け与える そういうビジョンが神様のビジョンです
私たちの教会例えばですね、がんの患者さんのささやかな支援をしています がん哲学外来カフェですね
でそのがん哲学外来カフェもですね、そういう
相手の人がクリスチャンでなかったとしても神様の祝福を届ける一つの 働きとして役立っているわけです
あるいはですね皆さんが 職場や
学校やお家で 誰かに仕えるならば
誰かのために良いことをするならばそれは何をしているかそれは あなたを通して神様の祝福がそこに届けられている
その人たちに及んでいるそういう意味があるんですね そしてあなたがするそういう良い行いは必ず時がくれば報われる
パールは言っています これはねどういうことかというと
私たちが日常生活のルーチンズってですね毎日考えもせずにやっている 働きとか仕事とかそういうものに新しい視点を与えて新鮮な意味を与えるんです
私はこれを通してこの人たちに神の祝福を届けているんだ そういう新しい視点新鮮な動機を与えるものですね
最後に 現実的に言うとですね実は
苦しみだけじゃなくて悲しい時もなお良いことをし続けていくということが起こる わけです
で 旧約聖書の詩編にはですねそういうのことがですね
こういうふうに書かれているんですね 126編5節6節読める方難しいかもしれませんが読んでみましょう3
涙とともに種を撒く者は喜び叫びながら狩り取る 種入りを抱え泣きながら出ていく者は束を抱え
喜び叫びながら帰ってくるとのようにですね 泣きながら種を撒く人はいつか喜びながらそれを狩り取るって言ってるんですね
でここのことを解説してある学者の人がちょっと難しいですけどいいこと言ってんですね 引用していますね
24:07
涙の現在に喜びの未来が待っている 命運を展示でくださいつまり辛い状況を変えてくださいとの
神への願いがその時に実現する しかしそのためには涙を流しながらもなお種を撒かねばならない
自分たちに与えられた日常を果たして行かなければならない イエス自身も涙の中で種を撒き続ける
しかし新約聖書の最後にはこう約束されている 神は涙をほどごとく拭ってくださると目史録21章の要旨ですね
私たちの撒く種なすべき良い行いは必ず報われるんですね そのことを覚えながらもう一度詩を読んでこの時終わりしましょう
はい涙とともに種を撒く者は喜び叫びながら狩り取る たねりを抱え泣きながら出ていく者はたばを抱え
喜び叫びながら帰ってくるお祈りします 黙祷しましょう
天の神様皆を賛美いたします コロナが冷めあらず
暑さも酷い中また なすべきことをしていても報われないと思うことが様々あるかもしれません
でも必ずあなたは時が来たら良い報いを与えてくださる 人生の終わりには一番良い報いを与えてくださると約束してくださっていることを感謝いたします
どうぞそのあなたの与えてくださる その報いを信じながら日々新たにあって良い行いに励んでいくことができます
隣人をあなたの 器として愛していくことができるように導いてください
この願いと感謝を救い主イエス様のお名前によって祈ります アーメン
それでは1分だけその場でそれぞれ黙祷してください黙って祈りながら神様に心を向け 答えてみてください
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