2024-03-24 51:37

#教会のABC 24/3/24

ヨハネ15:1-172024年3月24日礼拝説教。米国のピナクルミニストリーのゲイリー・ハリソン先生のメッセージを日本語の通訳と共にお届けします。「教会とは何か?」そのABC・基礎について次の3点を取り上げます。A - Abide in Christ・キリストに留まる、B - BEAR MUCH FRUIT・多くの実を結ぶ、C – Caring; We Need to Love with abandon・思いやり:私たちは無償の愛が必要である.


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00:07
ヨハネの福音書15章1節から17節
私は誠のブドウの木、私の父は農夫です。
私の枝で実を結ばないものは全て、父がそれを取り除き、
実を結ぶものは全て、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
あなた方は、私があなた方に話した言葉によって、既に清いのです。
私に留まりなさい。私もあなた方の中に留まります。
枝がブドウの木に留まっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、
あなた方も私に留まっていなければ、実を結ぶことはできません。
私はブドウの木、あなた方は枝です。
人が私に留まり、私もその人に留まっているなら、その人は多くの実を結びます。
私を離れては、あなた方は何もすることができないのです。
私に留まっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。
人々がそれを集めて、木に投げ込むので、燃えてしまいます。
あなた方が私に留まり、私の言葉があなた方に留まっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。
そうすれば、それは叶えられます。
あなた方が多くの実を結び、私の弟子となることによって、私の父は栄光をお受けになります。
父が私を愛されたように、私もあなた方を愛しました。
私の愛に留まりなさい。
私が私の父の戒めを守って、父の愛に留まっているのと同じように、
あなた方も私の戒めを守るなら、私の愛に留まっているのです。
私の喜びがあなた方のうちにあり、あなた方が喜びで満ち溢れるようになるために、私はこれらのことをあなた方に話しました。
私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合うこと、これが私の戒めです。
人が自分の友のために命を捨てること、これよりも大きな愛は誰も持っていません。
私が命じることを行うなら、あなた方は私の友です。
私はもうあなた方をしもべとは呼びません。
しもべなら主人が何をするのか知らないからです。
私はあなた方を友と呼びました。
父から聞いたことをすべてあなた方には知らせたからです。
あなた方が私を選んだのではなく、私があなた方を選び、あなた方を任命しました。
それはあなた方が行って身を結び、その身が残るようになるため。
また、あなた方が私の名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。
03:05
あなた方が互いに愛し合うこと、私はこれをあなた方に命じます。
以上です。
今日はこのところからゲストのゲイリー・ハイソン先生をお迎えします。
ゲイリー先生はアメリカのウィスコンシー州からいらっしゃいました。
そして長年、本当に小規模、14人ぐらいの小さな教会でずっと勃開されておられて、
日本の教会の事情にもそういう意味では、何て言うんでしょうかね、身を、心を寄せてくださる先生です。
バフデスト教会連合ではですね、10年少し前からパスターズスクールという牧師の訓練を担っていただいて、
今はそれはやってないんですけれども、その関係で今年少し日本に来てくださるということで、
ニジダの教会では10年ぶりのですね、ご奉仕となります。
それでは拍手をもって、期待してお迎えしましょう。
ここに皆さんと共にいることはですね、特権であり喜びです。
まあ、自分で言うのですけど、通訳者牧師を私はとても尊敬しています。私ももちろん、ゲイリ先生を尊敬しています。
いや、だいたい15年ですね、足掛け、いろんなところで一緒に働いてきました。
私たちはアメリカのチームで毎週お祈りしているんですね。
必ず毎週、皆さんのためにニジダ教会のことを覚えて祈っています。
この教会を神様が育て、また立て上げてくださるように祈っています。
ですから、皆さんに御言葉をお届けすることを本当に嬉しく思います。
クリスチャンとして知らなければいけない、知らなければいけない基本を今日お話しします。
例えば、IKEAとかで自分で組み立て式の家具を買ったり、組み立てたことはありますか?
すごく面倒くさいんですけど、最初に何で書いてあったのでしょうか?
全部のピースがあるか、まず確認してくださいと言われたわけですね。
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352個の部品とかネジを誰がそれを1個ずつ確認したいと思うか?
でも彼女はその通りやるんですね、私の妻は。
私はもうそんなことをせずに、すぐドライバーを持って作業を始めてしまいます。
何の指導も必要ありません。私はいつも素晴らしいプロジェクトを始めます。
部品が残っているかもしれませんが、少しワブワブしているかもしれません。
でも、いつも写真のように見えています。
最近、猫箱のエンクローゼーションを作りました。素晴らしいキットでした。
すべてのものが絵にあるように書かれていて、それがうまくできたわけです。
その中には、このスペアパート、余分なものが入っているわけです。
ご存知のように、ABCは、英語の最初の3つの文字ですね。
でも、それはですね、ABCというと、基本からの3段階みたいな、そういう基礎という言い方もあるんですね。
意味もあります。
私はですね、そういう基本ABCを学ぶこととか、それを教えるということがすごく好きなんですね。
そういう簡単で分かりやすい説明書が好きなのは、簡単で、そしてそれを実行するのが、やはり簡単だからです。
教会を考えてもですね、時々複雑すぎるということがあるんですね。いろんな意味で。
特にですね、教会論とか教会について学ぶときに、いろんな経験を持った人が、いろんな専門域を持った人が、それを集めてくるわけです。
例えば、神学的な先入観も一緒にそこに入ってしまうんですね。
だからもう、私からしたらそれはカオスの状態なんですね。
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でも、簡単なのはです。幸いなことにイエス様は、基礎のABCを教えてくださっています。
それはまさに聖書、神の言葉にあるわけですね。
ぜひ皆さん、私と一緒にイエス様のその最後の晩餐の部屋に来ていただきたいんです、今。
彼が十二弟子、十字架を前に彼らに語った大事なメッセージを一緒に耳を傾けていきましょう。
今日読んだ、ヨハネの福音書、その著者ヨハネは、二十一章のうちの五章をその最後の晩餐の時の説教に当てています。
約二十%以上を、そのたった短い部分にも当てるほど大事にしているんですね。
どうですか、ヨハネがどれだけ大事にしたかということがわかるでしょうか。
実は、それはイエス様が十字架にかかる前の言葉のエッセンスなんですね、大事な。
この十五章は、大事な言葉がギュッと詰まった場所です。
実はこれはどういうことかというと、たとえますと、教会の鍵を弟子たちに渡したようなメッセージなんですね。
三年間イエス様と過ごした弟子たちが、このようなことを尋ねるのは当然だと思うんですけれども、
イエス様、あなたの心に何があったんでしょうか。
イエス様、あなたは死ぬ前に、十字架につく前に、何を私たちに伝えたいんですか。
イエス様、あなたは私たちに何を掴んでほしいと思っているんでしょうか。
今日の目的はとても簡単です、メッセージの。
三か所そのものが、それを教えているからです。
もちろん私は英語の聖書からお伝えしますけれども、
私の聖書には同じ言葉がいくつか何回も繰り返されているんですね。
三つの言葉が主にあるんですけれども、それはなぜかというと、これらのことを覚えていなさい、実行しなさいというメッセージが込められているからです。
12:08
とどまりなさいということが十回、多くの実を結びなさいというのが七回書かれているんですね。
愛しなさいというのが五回使われています。
とどまって、実を結び、心を配って愛しなさい、ですね。
これはですね、聖書のどの教えよりも優れているかもしれませんし、イエス様が教会に臨んでおられるまさにABC基礎であるかもしれないですね。
簡単ですので、いつも覚えていることができます。
ですから、皆さんもこの基本を再確認するのに役立つと思います。
そして、私たちがこの基本をどうやって実行しているのかを考えていきましょう。
まず最初、ABCのA、英語ではabideなんですけれども、とどまる、イエス様にとどまるという意味です。
実はイエス様の時代、その地域はワインを作る社会だったので、土壌ということを非常に理解していました、大事にしていました。
その土壌、太陽、天気、そして栽培の完全な組み合わせを大事にしたんですね。
実はフランス語でテロワールというらしいんですけれども、それは最適を生み出す土壌、土の状態をテロワールというそうなんですが、
彼らは、実と土壌の関係を知っていたんですね。
実は彼らがワインを言う時に、地域の名前をワインに付けます。
例えば、地域としてブルゴーニュワインとか、ボルドーワイン、シャンパーニュ、そしてそれらの地域の名前を大切に守っているんですね。
イエス様は言いました、私はブドウの木で、あなた方は枝です。
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イエス様を神様をワインドレッサーというと、剪定人と考えると、イエス様は神様に深く留まって、そしてその枝を神様が剪定するということがわかるわけです。
イエス様を土壌として、土にブドウの木が深く根ざす時に、豊かな実りが与えられるということですね。
例えば、日本語では留まると言うんですけれども、それはどのような意味があると思いますか。
例えば留まると言うとですね、ある人は聖書を勉強したり、祈ったり、またイエス様のことを行うことを実践すると考えるかもしれません。ある意味はそう当たっているでしょう。
同時にですね、私は違うイメージを留まるということに対して思っているんですね。
例えば皆さんはお家とか場所で、そこにいるとすごく心地よいと感じるところがありますか。
違いがわからと思いますけれども、ある過程では、きちっとしていなきゃいけないというふうに緊張するかもしれませんね。
アメリカではですね、靴脱がないんですよね、家の中で。
だけども、そのためにですね、絶対靴で上がっても床やカーペットに汚さないでね、というルールもある。
そして家の中では、直訳するとお利口に振る舞って、汚さないようにしてね、という暗黙の了解がある場合があるわけです。
あのですね、私たちの友達にですね、その友達のお姉さんが妹姉妹が、床に非常にうるさい人がいるんですね、きれいかどうか。
床とか掃除にうるさい人がいて、例えば、カーペットの筋がまっすぐになってないといけないとかですね、床には一個もゴミが落ちてはいけない、そういうふうな方がいらっしゃるわけです。
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それでですね、例えば夕食とか晩御飯を食べたり招待されていた人がいても、パン屑が落ちるとすぐ掃除機で掃除するってぐらいなんですね。
で、ある日ね、友達のキャロルさんが掃除した後のその家に落ちたんですね。
それで、この彼女が掃除した後に、カーペットの上にある人がですね、上がって、その上がったカーペットを見て、そのきれい好きの息子さんがどうなるかっていうふうに緊張して見てたんですね。
そっかそっか、キャロルさんが多分ゲストとして行ったと。で、その掃除する人のお孫さんがですね、片手をのんで見ていたときに、そのお孫さんがですね、掃除好きのおばあちゃんが怒るよって言ったんです。そしたらそのキャロルさんがそうだねって言ったんですね。
で、じゃあって何をしたかと言うと、キャロルさんはお孫さんの手を取って、踊りましょうって言ったんです。
踊ってですね、いっぱいですね、靴の跡をわざとつけたんですね、その絨毯の上に踊りながら。
まあ私たちはですね、教会に来て聖書を読んだり、イエス様について学んだり、イエス様を知ることができます。
で、その掃除好きの人の家のようにもしかしたら、カーペットがまっすぐ整っているように、クリスチャンの行いもまっすぐでなければいけないということを悪くしているかもしれません。
しかし私たちはイエス様のカーペットの上で踊ることができるでしょう。
イエス様と一緒にいることを喜び、イエス様が愛する者を愛する、くつろぐことができるでしょうか。
イエス様の心を動かしている者に私たちも感動して、イエス様と共にくつろぐことができるでしょうか。
どうですか、イエス様が誰に話しているか考えてみてください。それはイエス様と3年も共にした弟子たちです。
彼らはイエス様の言葉を聞いて、イエス様と共に働いて、イエス様と共に奇跡を行った人たちです。
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その彼らにイエス様が何を教えた、警告したでしょうか。
それは私に留まりなさい。
あなたの根を私の内に深く張りなさいと教えたんですね。
私たちは自分自身に根を下ろした中から私たちの身を結ぶという原則があります。
私たちはよく陥りがちというのは、私の方法でクリスチャンライフを送るというふうに考えちゃうんですね。
私の人生を私のやり方で生きる。もちろん私の人生は私のものではありますよね。
私たちは教会についても同じように考えてしまうんですね。
教会についてもイエス様のイメージや教えではなくて、自分のイメージで教会を建ててしまうということがあるんですね。
文化というものに知らず知らずのうちに囚われて、それをもとに教会を建ててしまって、イエス様の教えに立っていないということがなきにしもあらず。
例えば今イエス様が教会を試みているというか、健全性を調べたとしたらどうでしょう。
もしイエス様が私たちを個人的に吟味したとしたらどうでしょうか。
私たちはイエス様に根差した実を人生の中で結んでいるでしょうか。
あるいは自分自身に根差した人生の中でそういう実を結んでいるでしょうか。
3年もイエス様と共にいた弟子たちにこの基本イエスに根差すということを最後に思い出させたとしたら、なおさら私たちもそうであるべきなのではないでしょうか。
イエス様は言ったんですね。あなた方が私にとどまっていなければ、あなた方は私の弟子にはなれませんよ。
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2番目はBear、結ぶです、英語で。多くの実を結ぶということです。
イエス様は弟子たちに3年間訓練をして、時間を投資されたわけです。
3年間分かち合って、3年間一緒の時間を過ごしました、ただただ。
イエス様がしようとした弟子たちへの意志はこの3年間に集中したんですね。
イエス様はおっしゃったんです。もうこれらは全てあなたのものだから、行って実を結びなさい。
じゃあちょっと考えたいんですが、この実とは一体何でしょうか。
私たちはアメリカ人とおっしゃっていましたけれども、この実の扱い方ということにちょっと見逃している可能性があるんですね、実というもの。
時々です。よくあるのは、おそらくガラス屋人の手紙でしょうか。見たまの実ということで、内面的な実と考えがちですね。
もちろん私たちの中に神様の命が働いておりますが、それはもちろん良い考えですね、良い質問だったり、どうかって考えることは良い問いだと思いますが。
でも私が思うのは、ここでイエス様が教えているのはそれとはちょっと違うんじゃないかということなんですね。
もちろんね、ガラス屋五章二十ですからね、見たまの実、愛、喜び、平安、寛容など、それらはとても大事なことですね。
でも私はもうちょっと別の見方があると思っています。
ちょっとひっかけ問題にはなんですが、リンゴの木を見てみてください。
リンゴの木の理論的な結末は何ですか?
リンゴの実を結ぶことだと答えると、実は違うんですね。
本来は繁殖することであって、リンゴの実というのはその過程や手段に過ぎないんですね。
美味しい食べ物、果実は動物が食べられて、そして種がばらまかれていくということですよね。
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イエス様は弟子たちにイエス様の教えを受け継いで、その福音を広めなさいと命じているわけです。
あなたは本当の実を食べたのですから、その実を持って、食べたものを持って、その結果である福音を、良い知らせを伝えてくださいと弟子たちに委ねています。
教会を建て上げなさいと教えたのですけれども、なぜならばそうしなければ、そこで働きや繁殖が止まってしまうからですね。
イエス様はとにかく実を結ぶことを大事にしているわけですね。
ですから非常に大事な対比を用いています。
イエス様はとにかく身を結ぶことを大事にしていますが、
ですから非常に大事な対比を用いています。
例えばですね、1節には身を結ぶ、2節にはもっと身を結ぶ、
そして5節、8節にはもっとたくさんの身を結ぶというふうにどんどん増えている。
8節ではあなた方が多くの身を結ぶことによって父が栄光を受けるとされているんですね。
何かを証明するときに疑いを抱く人に何かを立証することをしても無駄なんですね。
でも大事なことはそれが、つまり福音が真実、真理であるということを、
そして神様の贖いというイエス様の贖いが本物であるということを証するということです。
イエス様と神様とつながって、私たちを通してこの命が流れ出るのであるならば、
私たちは必ず身を結ぶんですよと言っているんです。
そして私たちが身を結ぶのであれば、もっと身を結ぶように神様は枝葉を切る、剪定するということさえ約束しています。
それを約束しているという剪定を。
そしてその身を結ぶためのいわゆる剪定作業は、私はクリスチャンとして経験したんですが、時に痛みを伴う。
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私は理解しているのは、それは試練とか患難とか、そういう人間的には痛いものなんですけれども、
しかしそれは大事なことで結果、身を結ぶようになる。
なぜなら、そのような経験を通して福音が自分にとって真実であるという現実味をですね、その試練を通して私たちは知ることができるからです。
私はガーデナー、庭師としては最低な人間だった。
でも、上手な植木職人は、どうやったら良い身を結ぶかということを知っています。
実際ですね、最初の3年間は身を結ぶために厳しい剪定がなされているということです。
実は上の身を剪定することによって、3年間らしいんですけれども、上を切ることによって根っこの方が伸びて深く根ざすことができるというんですね。
それによって良い身をやがて結ぶ基礎ができるという。
私は自分が知ること以上の情報を皆さんにお伝えしていますが、
この説教を私があるところで知った後に、本当のブドウ栽培者が私のところに来て言ったんですね。
実はその人はこういう経緯があったそうです。1200個のつぼみがあったんですけれども、そしてブドウの木には60個のつぼみがあったんですね。
しかし、1200個のつぼみを取ったんですね。
そして60個だけ残したそうです。
60個の実のために1200個のつぼみを切り捨てるということが大事だと。
その剪定するということは、実は私たちがイエス様に焦点を合わせるために必要なことなくてはない。
なぜならば、父なる神様は福音において身を結ぶことを私たちに期待しているからだ。
33:03
しかし、言っているのは、6節では、実を結ばないブドウの木を集められて焼かれてしまっているんですね。
これは先ほども言いましたが、ブドウの木を育てている人たち、そういう社会であれば常識なんですね。
実を結ばない枝というのは、サックというのは、吸うことですね。
この吸うだけの枝であって、木のエネルギーを奪うから、木を落とされてしまうんですね、その枝は。
枯れたブドウの木はご存知のように、ほとんど価値がなくなってしまう。それは面白いですね。
もちろんですね、枯れたブドウの枝は、良い芸術作品になるかもしれません。
時々ですね、アメリカの教会なんかは、単なる教会の人が良い飾りでしかない場合が、残念ながらもあるわけですね。
でも、樹木としては役に立たない。
で、旧約聖書の時代にもあったんですが、神殿への捧げ物のためにはですね、毎年木材が捧げ物として捧げられるということが義務付けられていました。
しかし、ブドウの枯れた枝や蔓というのは、木材として捧げることは禁止されていたんですね。それは生贄として燃やすことがふさわしくないからです。
まあ、いろいろ無意味な解説みたいなものを伝えてしまったんですが、
彼らは罰せられるんですか?弟子たちは?
救いを失ってしまうんですか?という疑問が浮かぶかもしれません。
これはですね、そういうことじゃなくて、イエス様はブドウ栽培者にとってはよく知られていたんです。
身を結ばない枝は役に立たないと言っているだけなんですね。
それを理解したら、ブドウを捧げることができるかもしれない。
しかし、ブドウの栽培者は、彼らがブドウを捧げることができるのを知っている。
彼らがブドウを捧げて、ブドウの栽培者が捧げたら、彼らがブドウを捧げることができるかもしれない。
レーザーのような焦点を当てて 神様は実を結ぶ枝を取り去ると言うのです
それはもっと 枝が実を結ぶために剪定をすると言うのです
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もし自分がですね 私たちが何か剪定されていると感じたら
まずそれを受け入れることが必要なんです
それは私も皆さんも 実を結ぶために成長することに必要なことだからです
私たちが命の源として 人生の拠り所として
根を張っているこの土壌からですね 私たちは実を結んでいるでしょうか そう考えてみましょう
私の人生は福音を明かしするために 整えられているのか
私の才能は神様が自由に用いることができるように 打たれているのだろうか
また私が実を結ぶように助けられる
ということでこの教会の中でどんな位置にいるのか 積極的な意味で
どういう位置に自分はいるのかなと 考えてみたことがあるでしょうか
私たちは教会として実を結んでいるでしょうか
聖書は神が実を結ぶと言っているんですね
まだ実を結んでいないと思うならば 神様はそのために私たちを準備していると考えることができる
それとも私たちはですね 脇に置かれる危険
剪定される危険に晒されているかとか 強い言い方をすると
実を結ばない 役に立たないというふうに 剪定される中にいるでしょうか
イエス様は言ったんですね もし私に留まらないのであるならば
あなたは弟子であり得ないけれども もし私に留まるのであるならば
私たちは実を結ぶでしょうと 発説していています
しかしもう一つですね この二つ留まること
実を結ぶということが 結びついていくために
最後にもう一個大事なことを 見ていきましょう
ケアリング 英語でケアは世話をする
そして無償の愛を注ぐということが あるんですね
イエス様はこのメッセージで 五回あなた方に愛することを
命じますということを言っています 五回 愛しなさい
39:04
この愛しなさいという命令は ちょっと上挙しているのではないか
例えばですね 愛そうとするのでもなく
恋に落ちるというのでもなくて 仲良くやっていく
愛しなさい 愛そうとしなさいとか
恋に落ちなさいというのでもなくて 仲良くやっていくというのでもないんですね
ちょっと表現 難しかったんですけど
言いたいことは シンプルにイエス様は
愛し合いなさい 愛しなさいと命じているんです
そして16節で 気がついてほしいことがあるんですね
大事な言葉で イエス様はあなた方が
私イエス様を選んだのでなくて 私イエス様が
あなた方を選んだと言っている
私があなた方を選んだんだと 言っているんです
それで重要なのは あなたは 実は愛することを
選ぶことさえできないんですよ という意味合いがあるんですね
実は これは言い換えると
イエス様が私の隣に 置いてくださった人々を愛する
そこに私たちは コミットする必要がある という意味合いがあるんですね
イエス様は それを成し遂げるために
非常に難しいことさえ 仰っているようです
大事な友のために 命を投げ出すということさえ
イエス様は仰っているんですね
もちろん 友のために 命を捨てる
これほど大きな愛は ありませんと イエス様は言っている
まず最初にイエス様は もちろん 私たちのために
命を捨ててくださった という 究極的な愛のもあります
実は弟子たちも究極的には 信仰のゆえに
命を投げ出したわけです
それは何を意味するか
それは私たちにとっては
自分の欲望に対して 死ぬということを意味しています
それは時に私たちの周りにいる
イライラさせるような人のために
愛を継ぐということに なるかもしれません
実は単なるそれは 要求ではなくて
イエス様は命じている ということなんです
42:01
なぜでしょうか
実はこの少し前の ヨハネの13章の34節35節が
皆さんの心を捉えた かもしれません
イエス様はこうおっしゃったんですね
私はあなた方に 新しい今しめを与えます
互いに愛し合いなさい
私があなた方を愛したように
あなた方も互いに愛し合いなさい
互いの間に愛があるなら
それによってあなた方が
私の弟子であることを 愛し合いなさい
私があなた方を愛したように
あなた方も互いに 愛し合いなさい
あなた方が私の弟子であることを
すべての人が 認めるようになります
どうでしょうこれイエス様が
信仰の現実ということを
見据えて命じておられる ということがお分かりでしょうか
私たちの信仰の信憑性は
教義とかですね
教理教えではなくて
力強い礼拝によってでもなくて
お互いの愛によって
信憑性が見てとれる 強化されるということです
イエス様は互いに 愛し合うことを命じられました
実はこの聖書の中には
イエス様が私たちを愛するための
道具を与えているだけではなくて
壊れた人間関係にどのように 近づいて回復するか
その道具さえも与えてくれています
その壊れた人間関係を
あがなうためにどうしたら 良いかということも
紹介されています
これはですね
サタンには決して成し得ない ことですよね
壊れたものを回復する
実はサタンが
教会の力を弱める最も有効な方法は
争いなんです
いわゆる地域と言ってますけど
この教会と関係ない人が 教会を見て
私たちと変わらないじゃないか 争いをしているのであれば
というわけです
私たちはどうでしょうか
45:01
特にアメリカ人は自己主張が強いですから
お互いのですね 意見の相違があるわけですね
私たちは自分の周りにいる人たちに対して
十字架の合図でですね
結び合わせることができるか
それは自分のためでもなく 相手のためではなくて
福音のためにそれができるか
イエス様は言うんですね
もし私が イエス様自身があなた方に
留まることがあるので
私たちはこう言うべきなんですね
もし私がイエス様に留まることが できないのであるならば
私はもちろん
身を結ぶこともできない
このABCというのは とても簡単なことです
しかし私たちがこの簡単なことを
ある意味最優先すべきことを
見失うと的外してしまうんですね
実は私たちはそれを見失うと
自分の好みとか欲望に 気を取られてしまうんですね
例えばですね アメリカ的な科学かもしれませんが
目標とするゴールが良い 正しいものであったとしても
実はその目標は最も優先すべき
第一ではない目標に 気を取られてしまっていることです
このような混乱や動揺とか
そして衝突の中で何が起こるか
これらの混乱や衝突の中で
先ほど紹介した簡単な基礎の ABCの原則を失って
剪定された枝の山の中に
投げ捨てられてしまう危険がある
私はですね
とても賢い友人がいましてですね
彼が彼女がこの実りについて 学んだ後に
私のところに来て こう言ったんですね
彼はですね
どうですかあなた 今後いませんか
実というのは自然に生まれるんですよ
48:01
しかしブドウ畑にはちゃんとブドウを植えて
育てなければいけない ということがあります
実を結ばせるのは神様だし 神様の仕事だ
でもそれは自然の説理が教えているように
神様がそうやって実を結ばせて
神の仕事があるけれども
私たちはそのブドウを育てて
そして植えて育てなければならない
それは私たちの責任なんですね 仕事なんですね
実は自然に結ばれていくけれども
ブドウ畑はちゃんと作られなければいけない
そして私たちはこの教会のABCに
正確に焦点を当てているかどうか
考える必要があるんですね
私たちは またあなたはですね
個人的に人格的に
イエス様の最後の言葉に
従うようにしているか
ということを考える必要があるんですね
逆にさらに言うならば
意識をして そして信仰を持って
その言葉 イエス様の言いましめを
果たそうとしているでしょうか
実は自然に結ばれますが
しかしブドウ畑は
作られなければいけないんですね
皆さんのこの
御言葉に耳を傾けてくださったことを
感謝します
恵みの神様感謝いたします
あなたは私たちのことを
非常に気にかけてくださっていることを
感謝します
簡単なこの
言いましめが私たちの人生を変えます
あなたをどのように喜ばせるかを
知ることができます
福音の実を結ぶ
そのためにあなたが
私を選んでくださったことを
感謝します
そして私たちが
互いに愛し合うこと
いたわり合うことを
教えてくださったことを
感謝します
あなたができるように
なしてくださることも
感謝いたします
どうぞあなたを
喜ばすことができる
そのような人生や生活を
送ることができるように
助けてください
51:00
神様この日本は
福音のために非常に難しい土壌である
ということを知っています
しかしどうか私たちがどこに行っても
あなたの福音の実を
結ぶことができるように助けてください
そしてあなたに
栄光を捧げることができるように
導いてください
この祈りをイエス様の名前によって
祈ります
それではいつも通り
1分ほど祈る時間を
51:37

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