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2018-09-16 39:43

2018/09/16:キリストの受けられた試練

2018/09/16 聖日礼拝
中川利行師
ルカの福音書 4:1-13
00:01
おはようございます。ちょっと静止を広く時間いただきまして、メッセージに移ってまいります。
みなさん、おはようございます。
私も、昨年3月をもって、日本医薬機器集団の一人の、本当に、おるかおらないかわからないようなちっぽけな器だったんですけれども、
40年の報酬を終えさせていただいて、そして、近くにある教会、MyoudaniChurchに寄せていただいて、
多くのみなさんが祈ってくださって、心から感謝します。
小さい者も、家族も、MyoudaniChurchのために、また、両教区に28の教団の教会があります。
たまに、いいか、祈らせていただいて、本当に、つくだらないですごしておりますので、
また、聴講して、たまたまお忙しい先生ですので、
人生の世界観光で行って、教団の若者の先生方と研修会を受けられるということで、
ピンチヒッターというか、在校で御用するように頼まれまして、
語られる、特権与えられたこと、本当に神様と、MyoudaniChurchに感謝しております。
それでは、一言、ここにおられます神様、お祈りを捧げまして、そして、メッセージに移ってまいります。
アグルル、恵みの神様、あなたの帰りにと、まぶりに導きのうちに、私たち先週1週間も、
高齢の方も、ふりもと兄弟も、今日も出席しておられます教会学校の生徒、婦人会の方々、
小さい私たちも、このMyoudaniChurchの礼拝堂で集まって、
主よ、誠の神様を礼拝し、また御声を聞く聖書を通して、
聖霊が語ってくださる私たちに語りかける御言葉に耳を傾ける良い時をお供えくださったことを感謝します。
今も言いますように誠に取りに足りないものですが、
あなたが御所の中に握りしめてくださって、尊い御用を最後まで全うさせて下さいますように。
また、先ほども祈られました、この御病気のため色々な需要で、礼拝に寝ていられない方があるでしょうか。
よく私も分かりませんが、お一人お一人を慰めあげまし、
同じ恵み祝福をお一人お一人豊かに注ぎ給わんことを、
尊い祀るイエス様の名前を通してお祈りいたします。
それでは、この教会で私も来て、現役であった時も3度か4度くらいあったんですが、
いい子だなと思ってなかなか教会もしてもらえなかったんですが、
03:00
お隣の方とですね、どうぞ、御挨拶をどうぞして下さい。
それでは、先ほど読んでいただきました、
ルカリオルフクイーショーの4章の1節から13節のところから、
今日準備しましたメッセージを、神様のメッセージをお伝えさせていただきます。
この前の祈祷会も、家内側が放送させていただいていると言っておりますが、
私ももう長年、交互役で、教団のあれは交互役でするということで決まっちゃうんですね。
公式の、教団、教区の集い公式には交互役でやってますので、
馴染んでおりますの交互役ですので、私の話の中に交互役が出てくるかも分かりませんが、
容赦して下さって聞いて下さい。
ですけど、もう2、3年前から、私も方針にたまにかけていただいてます。
三田福音教会でも、新会役を使っております。
教団、教会の中にも、新会役聖書を使っている教会、あるいは共同教会を使っている教会も多々ありますけれど、
内容は同じであることを、皆さん聞いておられますし、聖教ですので、福音が書かれてあるんですね。
キリストと十字架と神の愛が、またイエス様が死んだら救われるという単純なことですけれども、
そういうことが共通して書かれてあります。
聖書は、創世紀の最初のページから最後まで、一言で何が書いてあるか。
イエス・キリスト・メシアという方は、世界の救い主です。
聖書を読む方は、あなたの救い主ですということが書いてあるんですね。
単純なことですね。キリストはメシアである。救いであるということが書かれてあります。
このことを知るまでにも、時間がかかる方があるかもわかりません。
人生の苦難や、いろいろなことを知れて、絶望して、教会に行って、あるいは教会のクリスチャルの方を導き返して、
教会に行って、そして信仰を持ったという方々もおられると思うんですが、
聖書は、イエス・キリストが、世界の私たちのニョダリ教会、サンダウクン教会の、
韓国にある諸教会の、欧米の教会の、アフリカの教会の、教会の救い主かしらは、イエス・キリストだけでいらっしゃいます。
06:03
皆さん、クリスチャルの方、心の中で、アーメンと唱えとられるんじゃないかと思うんですけれども、
それは、永遠に変わらないことなんですね。
そのことを覚えつつ、お話しさせていただきたいと思うんですが、
今日、司法の説教題にも書かせていただきましたように、
キリストの受けられた試練、誘惑のことについて、語らせていただきます。
イエスさんが受けられた試遊というのは、賛同の試遊という方、
信徒の方々も何度も何度も聞かれて、また聖書を読みなってご存知のところでございますが、
祈りつつ準備しましたメッセージを、どうかお聞きください。
そして、ここでお話したいと思うんですが、よくご存じ方がありますが、
この部下の四章の一節から十一節とほとんど同じことです。節は同じなんですね。
マタイによる福音書、四章の一節から十一節の中にも平行記事が書かれてございます。
部下を読んで、またマタイによる福音書、立体的にいろんなことが教えられることがございますので、
またマタイの方も、今、平行記事で事例改定でもご覧くださったらいいと思います。
平行記事でございます。いい聖書を読みましたら、新約聖書でも旧約聖書でも、
平行記事はここですよと書いてある聖書もありますので、皆さんもご存知だと思っております。
それでは、これから書いてある内容を、私、お話しさせていただきます。
もう、先ほども読んでいただきましたが、一節二節をお読みいたします。
聖霊に満ちたイエスは、ヨグザンから帰られた。
そして三魂に導かれて、アラのにおい、四十日間、悪魔の心に憐れた。
その間、何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。
そして三節、四節と続いてまいります。
イエス様がヨルダン川で洗礼を受けになりました。
このところからご存知だと思うんです。
イエス様はもともと、ヨセフさんとマリアと一般の家庭で、家は何の仕事をしているのか、大工だったんですね。
ですから、大工の子供として、一般の人として、人間として、お暮らしになられました。
ですけど、洗礼を受けられた後、交渉街に入られたんですね。
孫と自分は神の子であること、姉妹もご自覚なさって、また洗礼もすることを言ってですね、
旧約の予言で書かれてある、メシア、世界の救い主がお生まれになったことを予言。
旧約聖書は、イザヤもいろんな予言者が、やがてイスラエル民族、アブラハムの人の中から、メシアが生まれるんだということが、旧約聖書の中に記載されてあります。
09:00
キリストがお生まれになって、その旧約の予言が成就したわけなんですね。
そういうことだったんですが、このところに書かれてございますように、イエス様はヨーダン側で洗礼をお受けになりました。
その時、他のところに書かれてあるんですが、天から鳩のように洗礼が下ったということが書かれてありますね。
鳩のように食らって、そしてイエス様は洗礼に満たされて、政府に書かれてありますように洗礼に導かれて、またこの荒野に導かれて、
40日間、何も食べないで、サタンの主誘というか、試み合われたということであります。
ですから、説教題は私はキリストの伺いだし、先生方によったらキリストの賛同のしようと、表現がタイトルといいますか、その題は違うかもわかりませんけれども、
そういうことで、皆様それぞれ何度もお読みになったところから、今日はお話ししようとして準備してまいりました。
先ほど言いましたように、マタイによる福音書にも書かれ、またそれに関連したことは他の聖書にも書かれてあるわけなんですが、
今朝はこうしてテキストにルカによる福音書を選ばせていただきましたので、ルカという人が書いたこのキリストが荒野で、
あくまでも40日間に考えていただいたわけなんですが、40日間何も食べないで、水も飲まないで耐えられたということで、どういう、
お腹が空いただろうし、本当にいろんなところで戦いを覚えられたのではないかと思うんですが、40日間、主誘というか試みをお受けになられました。
そして、今日のところで、そういうところの精霊もおられた、精霊とともにおられた、精霊が導かれたというセイクがあるわけなんですけれども、
このことが、著者はルカの一つの重要に書いておるところなんですね。
ヒト行伝というのも書いたのは誰か、著者はルカさんであります。ですから、精霊に満ちたという表現をよく使っておるんですが、
ヒト行伝、前はヒト行伝、今はヒトの働きと進化薬になっておりますけれども、ルカが書きました。ですから、どういうことかと言ったら、我々もそうです。
本当に、韓国の教会も非常に精霊はあらない。今は精霊の時代ですからね。
イエス様は天に帰られて、天のチーナブサム様の右の座で、大祭司として、教団、教会のためにも、そしてまた、教団の、ルーテルの派の教会であっても、聖公会でも、カトリックの教会でも、
チーナブサム様の右の座にあって、鳥梨の祈り、世界のために鳥梨の祈りをしていらっしゃるわけですね。
そのことは、クリスチャーの方はご存じあると思いますが、そういうことですので、ルカという人が、大体、他の十一列車はみんなユダヤ人だったんです。
12:10
彼はジリシャ人だったんですね。ジリシャ人ですけど、イエス様は本当にミシアだとわかったわけなんですけれども、ルカがどれほど精霊に対する関心が深かったかということ、この言葉からも、私たちは知ることができるわけなんですね。
精霊のことが、福音書の中に他にも書かれてあります。もう今は、皆さんその辺り聞いておられると思います。
イエス様は天に帰られた後、イエス様は十一弟子に、一人はガギって死んでしまいましたから、十一弟子に。
また、七十二人とか、イエス様の体制中、お嬉しさを与えて、そして伝道を宣教なさったわけなんですけれども、いろいろなところで精霊ですので、目には見えないんですね。
イエス様も目には見えない。ミタマも目には見えない。天の神様も、読みましたならば、神様はご自身を隠しておられる、隠れておられる神だという表現が書かれてあるセイクマンですね。
神様が今までの歴史中、一度も見る状態で出られたことはありません。出られたのはイエス様、神の御子イエス様。神が人となられたお方なんですね。
ですから、我々はキリストを見ることによって、天のちがう神様を知ることができるわけですね。イエス様もそういうことをおっしゃっているセイクもございます。
ですから、先ほど言いました、精霊のことについては、ルカは書の働きが50回書いておるわけなんですね。ですから、新約聖書の中でも、本当に精霊ということをよく強調しております。
そして、今日の内容の中に入っていくわけなんですが、今日のところを見ましたら、第2回のところですかね。
イエス様は、保護薬、あるいは神科薬のことでいうか、私自身が説教の内容を読ませていただきましたならば、このように言っているんですね。
悪魔に対して、悪魔がキリストに私を拝むなら、世界にあるすべてのもの、世の中の国々の権力も自分はそういうものを持っているんだ。だから私を拝んだら、それをあげようということを言っておるんですね。
彼が言うにはですね、それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです、というようなことを言っております。
こういうところといろいろなところで、私も今回の準備のために、今朝のこの礼拝のために準備して祈ったとき、以前知らなかったことも、こういうことも知ったら最悪だなと思って、今日の礼拝の準備のために恵みをいただいたことがあるんですが、
15:16
今日のところを見ましてもですね、イエスタも悪魔に対してですね、悪魔が言った誘いをこうしなさいと言っていることに対してですね、悪魔の主張を拒否しておられないんですね。
悪魔の神様というのは悪魔の神でもあります。あなたの神だというような表現をして、ですから悪魔がキリストに言ったことについて、お前は悪魔だから間違っているなという表現をしないで、あなたの神がキリを表現しています。
そしたら4節と6節、8節を読みますが、悪魔に対してイエスは答えられた。人はパンだけで生きるのではないと書いてある。何も始めたら、そんなことを言ったとしても、お前の言っていることは間違っている。デタラメなことを言うのではないと申し上げているんですね。それを聞いておらないんですね。肯定も否定もしていらっしゃいません。
また6節と先ほど言いました8節も読みますが、先ほど言いました悪魔が言った言葉ですが、こういった、この国々の一切の権力と栄光等をあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
ですから、もしあなたが私を拝みながら、すべてをあなたのものにしよう。5節。イエスは答えて言われた、私は先ほど言いました悪魔ですが、悪魔に対してもあなたのためである死を拝み、主にだけ使います。
だからイエスはおっしゃっている、悪魔の神様も本当の神様なんだということですね。あなたのためという表現をしていらっしゃいます。ですから、そういうことで、このところからはいろんなことを聖書から直接教えられるわけですね。
この白衣の中でも、サタンがいざなってきた時も、この世を支配する者とイエス様はおっしゃっている、言っておられる部分がございます。そこを聖書を開きますので、一度最初私を呼んで、よく聖書を開くように御称されて一緒に呼んだりするわけなんですが、
ヨハネによる福音書の次の章にヨハネがございます。14章30節。あとで16章11節ですが、聖書を開いておりたいんですが、ヨハネによる福音書の14章の30節です。
18:08
私の聖書、神科学では、ページが新しい時間によって神科学は同じなんですが、ページが違っています。211ページです。ヨハネによる福音書の14章の30節ですね。神人が周辺にいる人に対して、あるいは出来先に向かっておっしゃっています。
私、最初に読みますので、皆さんも後で声を出して読んでいただきたいと願っています。
ここからでもニエス様が本当に大能な神様の力、元能な力を持っている方がわかるんですね。それでは皆さんと一緒に30節、声を出してお読みください。
私はもうあなた方に多くは話すまい。この世を支配する者が来るからです。彼は私に対して何もすることはできません。
ニエス様は、今も現実にこういう面があるんです。ニエス様が終わった時代でも、この世の続世間、世間を支配する者という表現をしておられるんですね。この世を支配する者。
もう一箇所、今度私だけ読みますので、ヨハネのところを開いておられますが、もう2章後の16章の11節をお開きくださいませんでしょうか。
私が持っている聖書では214ページ、今日はサタンがニエス様を誇られた、あるいは教会にプリティアにも誘惑を誘ってきますので、そういう学びをしてそこに働かせていただいています。
それでは、私だけ読みますので聞いてください。キルスが言われた言葉です。裁きについてとは、この世を支配する者が裁かれたからです。サタンというのはこの世を支配するんですね。
私たちがある意味で教会に行って一緒になっていても、教会から離れニエス様から離れたら、まずどこへ行くかがわからない。サタンの支配か。続世間のところに戻っていくんですね。
サタンはある意味において、みなさん私たちが救われた者はもともと自分の輩下、自分の良民になったのです。キリストによって奪われてしまったのです。また自分の政治を脱開した。
逆気になって、教会に対して、クリスチャンたち、私たちにこの誘いというか、試みてくるんだということも、私たちが身を覚まして知る必要があるんですね。裁きについては、この世を支配する者が裁かれたからです。
けれどね、最終的にお互い様が裁かれる理由があるんだということを、聖書は私たちに教えております。
で、そういうことでございます。それで、第二の誘惑のことについてですね、バートンという人はそのように言っております。お聞きください。
21:12
主有者と彼は言っているのは、これはサタンのことですね。主有者が狙った目標は、第一の場合と同じように、第二回目の誘惑のことですね。
でと、彼の目的から逸らし、御父の意思から彼の意思を引き離し、彼に一種の独立を打ち立てさせようとするところにあった。どういうことかというと、
神様、皆さん聞いて、神告白を出します。私たちは信じている。聖書を渡している。我々は先に言ったように神様は信じている。父なる神、御子を送ってくださった。今も変わらない。おらんですね。目には見えないんです。おらんですね。支配しておらんですね。御子、救い主イエス様。
救い主イエス様は、今も霊石としてこのところにも、皆さんの心の中にお住まいですが、見る状態では、遂に帰っておられます。その後、慰め主、弁護者、助け主、救い主、イエス様と同じような神である、精霊がこのところに臨んでおられるわけなんですけれども。
そういうことで、私たちはどういうことかというと、三民一体の神様を分けようとしたんですね。父なる神様と御子イエス様を分離させようとしたということがわかるわけですね。
そしてどういうか、自分は力を持っているか、神様の人類救済という大宣教命令というか、これをもう潰してしまってですね、自分の悪魔の支配を永遠に続けようとしたんだということを、このバートンという人は言っておるわけなんですね。
そういうことを私たちも知りたいと願うわけですね。ルカは誘惑の手を尽くした後で、本当に記録された三回の誘惑の後ですね、今もその辺りを覚えたいと思うんですが、もちろんここに書かれてある教会は、生きた信仰を持っている方は、牧師も神徒の方もそうです。
私たちはいつもイエス様の中に生き、イエス様を信じて、キリストの中に生きております。けれどもですね、何とか神様の業を妨害したい。サタンもまだ裁かれておりませんので、21世紀の今も生きておくんだということを私たち知って、誘惑していくのと言ってですね。
本当に聖書を読んでいきたいのうちはあるので、キリストのしもべとして生涯を全うしたいなと願うわけですね。ですから、このイエス様に対する誘惑の洗礼を受けられた三度の修行を受けられたんですが、この時はサタンの最高の厳しい誘惑だったんですね。
24:00
そしてこの聖書にも書かれてありますが、悪魔はしばらく内座、イエスから離れたということが書かれてあります。ここで我々は思いたいと思うんですが、少し言語とか外国語、英語も出てまいりますけれど、誘惑という言葉が書かれてあります。
これはですね、英語ではセプテーションという言葉が使ってあるんですが、ギリシャ語ではパイラザインという言葉が使ってあります。英語で言うとですね、そういうことを我々も信じています。
何か悪いことを試みるということは、何か悪い意味を受け取ってしまうんですね。人を誘惑して、そして悪いことをさせるという、パイラザインという誘惑。
ですけど、これは英語的、福音はですね、世界のいろんな宣教室を調べたら、イスラエルから大体地球を反対に回ったことは、西回りに行ったんですね、ずっとヨーロッパ。ヨーロッパに伝えられて、そしてヨーロッパからアメリカへ行って、アメリカから他のループもありますよ。
大体、体制は地球を西側にして日本にも来たということですが、その間では語学的にはラテン語に変わったり、ギリシャ語に変わって、原始の言葉に変わって、それでも本当にこの福音が伝えられておるわけですね。
ですから、この誘惑そのものはですね、何も悪いことはないんですね。言語側が言うと、神様は皆さんや私でも、いろんなことを試みてもですね、より一層、私たちを信仰的にも人間としても、聖教者は強いものにするために、そういうところを通される試練があるんだということを、我々は覚えたいと思うんですね。
それは一つの旧約聖書の例といたしましたら、神様がアブラハムにですね、与えられた遺策をですね、遺策を遺策を、サラと共にいつも遺策、遺策を言って、神様は本当に、アブラハム、ちょっとおかしくなったんじゃないか、私のこと忘れて、本当に子供のことばっかりするということで、神様がアブラハムに対して、アブラハムの信仰を試すために、モリアの山に遺策を捧げなさいということが書かれてありますように、
試みたということですね。ですから、単に誘惑するだけじゃなしに、このパイラザインという言葉の中、深い意味がありまして、そういうところを通して、皆さんは私たちを、神様がですね、やられたら、なおその後よくなるように、強い信仰を持つようにしてくださるんですね。
少しお話ししましたら、金属がですね、やはり役立つためには、鍛え抜かれた、時々テレビなんかでは各会社の製品をですね、こういうことにして、以前よりも良い製品ができたというのを、テレビでも放映しておることはありますが、やはりですね、人を神様の目的に沿うものとしてですね、試練というか試みをして、より一層良い製品を作り出すんですね。
27:19
まあ皆さんご存じですが、車もですね、市場に出す、オープンして出す前に、何千時間走行競技をしてですね、そしてだんだん良い車、走行試験なんかをして、良いそういう製品という車を出していくわけなんですね。
だからそれを通っていくときに、それを受けた後、競技したら、本当に良い車ができて良い製品ができるように、私たちも本当に良い、強い悪魔のいざにあっても負けないの、と言ってですね、本当に聖書を読むことが、祈ることが、神様の念の心を求めることが本当に楽しみになってくる、そういう神道として神様は引き上げてくださるわけですね。
今のことについてですね、このような試験があってオーバーしたことなんですが、ユダヤ人という人はこのように言っているんですね。
尊き神、聖なる神。神は人に栄誉を与える前に、まず試練を与えて、念ごろに調べられる。そして試練に耐えたものを引き上げて、名誉ある地位を与える。
皆さん、私、車を良いように訓練して訓練して、本当に市場を出す前に会社が良い車を出すように、神様も、皆さん方、私たち本当に、本当に神の子に、クリスチャーにふさわしいもののために、皆さんお一人、私たちにとってには、病のことや金銭的なことや、いろんな学校に行っても落雷するといい点を取られなかったとかですね、そういうことをどうして、より一層今のために試されるんだ、そういう意味合いがあるんだということも考えてきています。
それで、最後のところになりますけれど、こうした中にあって、みんな願うのは、私も今日まで、40年、献身する前にも十何人かありましたから、勝ったり負けたりのところでよく、前代先生方がおっしゃっていたことを忘れもしないんですが、皆さんもそういうことを聞いている。
クリスチャーもですね、エレベーターに上がったかなと思ったら下がったり、13階に上がったなと思ったら地下に上がったり、上がったり下がったりする、そういうクリスチャーの人がおられることを言って、自分もそんなところあったなと思いながら聞いたことがあるわけなんですけれども、そのことについて、今から皆さんもそういうことをして、
ユン先生のメッセージや博解メッセージのことを聞いて、あるいは修養会で学んだことを、ご自分の信仰生活で活かしておられるわけですが、それでは今からですね、そういうサタンの死優というか、試練が私に襲ってきて、それの防護、防護策というか、支える方法のことについてお話を進めていきたいと思います。
30:14
日々の生活の中で、あるいは道具的な、そしてサタンの依頼なりに勝利する方法であります。第一番目はどういうことか、今日のところから教えられたことからもお話ししたいと思うんですが、先ほどちょっと言いましたように、今日の中には来ないと思います。
一つだけ言ったら、水野先生と教団委員長に言われて、ドキッと気をつけなければならないなと思ったんですが、去る3月11日に西側教会で建築式があったんですね。しっくり述べられて、いろいろなことをお話しされたんですが、そのときは我々も気をつけなければならないなと思ったんです。
サタンというのは、素晴らしいチリストの教会ができた第二のサタンの、もう一つのサタンの教会をそばに作るんだということをおっしゃっておられた。なるほどな、気をつけるようにということを教えてもらえるなと思って恵みをいただいて帰ってきたんですが、
一つはイエス様のことですが、3度の使用を受けられたときに今日のこと、最終的にどういうか言いましたら、イエス様は神の言葉、旧約聖書の神の言葉を用いてサタンの居座内に調理しておられるわけなんですね。サタンを撃退されました。
ですから私たちも、神様の御言葉を自分が感銘を得た、あるいは書物を読んだ、礼拝のメッセージを聞いた、いろいろなことを思い出して、我々はサタンに書く方法は、やはり神の言葉、精霊に導かれて書かれたセークというか、これを用いてサタンを撃退することができるわけであります。
2番目の防護策、私たちがこのような感悪な時代であっても承知する方法でありますが、2つ目のことについては、それはいつも私たちはイエス様とつながっておく必要があるわけなんですね。
よき執事会である七平二十三編で、誰が主は私の執事会であって、私が通すことはないと言っていますが、あれは物資だけではなく、礼的、信仰的にも自分、神様、ヤーウェイ、イエス様はまだこの時代に生まれておられませんが、ユダヤ教の人は唯一神ヤーウェイとか、他の表現でアドナイとかいう表現が教薬聖書にあるので、唯一の神様がおられるんだという、そういう信仰が彼ら持っておりましたもので、
やっぱりですね、ダビデがそのように表現していますように、イエス様に従っていくことですね。
そして仏像の枝のところでもイエス様は、ヨハネの福井書でも書かれておられます。
私は武道の地、あなた方はその枝である。私は武道の地、私の父は天の父は農夫であるという、ヨハネの福井書の中にも押し立てられるんです。
33:06
私たち、先ほど神の言葉を使う前にですね、自分が神様から離れておったら勝利する方法はないんですね。やっぱりキリストにつながっておる必要があります。
悪魔に勝利する者は、それでまた豊かな実を実らすことができるんですね。
ブドウの枝がですね、いくら良い美味しい実を実らそうとしても、幹から離れてですね、養分とかあるいは水分を吸い上げて、そして良い美味しいブドウを実らすことは不可能ですよね。
キリストにブドウの枝がブドウの幹につながっておれば水分と養分をいただいて、そして豊かな美味しいブドウをやるように、私たちクリスチャンもイエス様とつながることによって、イエス様からの恵み、慰めを得ることができるわけです。
これが二番目の防護策であります。
で、三番目のことでありますが、これも普段聞いて皆さんもご存知のことです。
復活してですね、今も生き人材しておられるイエスの中に隠れ込むことですね。
聖書、旧約聖書にあるんです。
主は私の砦とだけですね、お城だ、ような表現が、著者は書いております。
ですから私たちはキリストの中、人材の中に隠れ込む必要はいない。
大夫来てもですね、やっぱり頑丈な建物の中に居る限り、土砂崩れの地盤はこういうことは悲しい出来事でしたけれども、しっかりとした建物の中に居る限り、少々の恐怖が増えてきても守られるわけですね。
ですからキリスト教会の神様は、我々の神様はどこを開いても生きておられるんですね。
そのことを信じて今週一週間も過ごしたいと思うんですが、聖書の神、私クリスチャンの神様は生きておられます。
ですからイエス様の避難所である、主は私の砦とか、主は私の避難所とか、そういう聖句が旧約、紙片とかいろんなところで表現されてあるんですが、その中に隠れ込む必要があるわけなんですね。
一か所それを聖書が言っている聖句を開きたいと思うんですが、支援の27編という言葉を開きたいと思います。
この支援の著者が言っている言葉ですね。
皆さん聞いて下さっていいですか。支援27編の1節です。
紙が書いたこの聖句でありますが、今から3000年前の人物イスラム王でしたが、
主は私の光、私の救い、誰を私は恐れよ。主は私の命の鳥で、誰を私は怖がろう。
36:08
主は私の光、私の救い、誰を私は恐れよ。
主は私の光、私の救い、誰を私は恐れよ。主は私の命の鳥で、誰を私は怖がろう。
主は私の光、私の救い、誰を私は恐れよ。主は私の命の鳥で、誰を私は恐れよ。
私たちにとっても、御精霊は、唯すまことの、聖徒が明かしている神様は、私たちの光、希望も、新しい力も与えてくれます。
救い、また命の鳥であることを、覚えたいと思うわけなんですね。
ですから復活していくある、この神様に耐えるというか、この方の中に隠れ込む必要があります。
そして一言、私もそういうことを若い時読んで、ああなるほどな、わかったんですが、みなさん失礼ですが、みなさん私は、みなさんが信仰歴は長いんだ、こういう信仰知恵を持っているんだ、みなさんが直接例で、
サタンとしても、失礼ですが、絶対に負けてしまいます。サタンの方が長く生きております。
力強い、イエス様と対抗したような悪魔ですから、みなさん次回にキリストと戦おうとしても、我々は負けてしまうんですね。
ですから避難所の中に隠れ、イエス様がつくまで背後に回るというか、イエス様を避けたっていただいております。
それでイエス様が勝利された後、イエス様の後、ぼつぼつですね、私に従ってきなさい、トーセッターも。
イエス様に従っていくとですね、サタンはどうすることもできない。みなさん、私たちどうすることもできないんですね。勝利ある日々の生活をすることができるわけであります。
そして最後にお祈りをさせますけど、先ほど見慣れ、現実のこととして、日本も7月からですね、本当に悲しいことでしたが、大きな命を失いました。
8月、9月と、政府が新聞なんかに書いておった、災害大国日本という、だからお互いの命はみんなで守りなさいよということ、啓蒙したことを載せておりましたが、
日本列島に臨んだ西日本豪雨台風20号、21号、北海道で震度7の大地震が起こりました。
39:02
そのことを見ましてもですね、今日、礼拝出ておられますお一人お一人、私もそうなんです。人生というのは、最後の最後まで何代の連続なんですね。
そういうことを私たちが覚えて、勝利者なるイエス様と一緒、神と共に愛をするお互いになりたいと願っております。
すると勝利ですよ。イエス様はいつも勝利。最後、ヨハネの福音書を書いたり、イエス様はさばに、彼は私に何もする力がないんだとおっしゃってます。
キリストにあって、我々は日々勝利することができます。
それでは最後、お祈りをさせていただいて、司会の方とバトンタッチいたします。
39:43

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