こんにちは、Notable Radioへようこそ。この番組は、ゼロ歳児を連れてアメリカへのワンオピ留学を経験し、頑張る女性のためのコミュニティ、Notableを運営する私、沙耶子が、セルフリーダーシップを育むための考え方を毎回約15分でシェアするポッドキャストです。
サブMCのリチャードです。今日のテーマは、自分の枠を外れることを難しくしないという内容で、沙耶子さんとお話していきます。
Notable Radio。
はい、沙耶子さん、今週もよろしくお願いします。
お願いします。
自分の枠を外れることを難しくしない、ということで。
ね、なんか、くどい、もう恋なんてしないなんて。
言わないよ、絶対。
みたいなね、二重否定に見える感じの。
確かに。
自分の枠を外れるっていうのは、大事なこととされがちですよね。
あ、そうね。
されがちというか。
されがち。
自分の枠、自分の枠っていう言葉は、要するに手なりでやってるみたいな。
うんうんうん。
本当はこうなりたいけど、今こうだし。
今こうだしの方にとどまってることを自分の枠。
うんうんうん。
というのかな。
そうそうそうですね。
自分にとっての当たり前とか、自分にとってのそういうことをとどまり続けてるっていう感覚。
で、なんかこの話したいなって思ったのが、結構いろんな、なんていうか、今のノータブルのコミュニティのメンバーの中だけで、
希望の方にワンオンワンっていうか、コーチングみたいな感じの時間を設けさせていただいてるんですけど、
なんかその中で結構いろんな方と話したいって思ったのが、
大前提ね、ノータブルに来てくれてる女性の方たちが結構意識が高くて、
もう頑張ってらっしゃる方が多いからっていうのも、もしかしたらあるのかもしれないんですけど、
自分の頑張りとか、自分の枠から外れた挑戦とかっていうものを、すごく過小評価してる人結構多いなっていう気がしたんですよ。
私、話をしたりとか、日々のスラックとかで見てて、わぁ、すごい頑張ってるなとか、
すごいいつもと違う挑戦というか、努力をされてらっしゃるんだな、
それは行動だけじゃなくて、内省としてもされてらっしゃるんだなって思う人も、
私、全然こういう癖があって、全然変われない感覚があるんですみたいなことをおっしゃる方がいたりとかっていうのがあって、
みんな何かを変えていくとか、枠を超えるとかっていうことを、すごいハードル高く捉えてるのかなってちょっと思ったっていうのと、
同時に、逆に私何もできないんですみたいな、自分の枠から外れることとか、挑戦とか何もできなくて、
ちょっと怖がってる方とか向いて、超えるとか挑戦をするっていうことのハードルが高いから、
本当は挑戦してるのに、挑戦してないって自分のことを必要以上に認めてあげられてないっていうパターンと、
もしくは挑戦っていうものがこうでなければ挑戦じゃないから、私にはそれができないと思って、そもそもしないとか、
なんかそういうことが実は、頑張る女性に多く巻き起こっていることなのかもしれないなーなんて。
なるほどなー、いやーなんかめちゃくちゃ私個人的な体験でその話ありますよ。
ある?
あるあるある、なんか分かるなーって思いながら聞いたんですよ。
うん、めっちゃ分かるよね。
めっちゃ分かる。挑戦をしてないなー自分って僕も悩んでたんですよ。
何を隠そう、私が会社を辞めてね、妻の海外駐在についていくためにリクルートを辞めて、
ついていったわけだけれども、その辞める前の最後の上司との面談で僕がもらったフィードバックって、
お前って本当に挑戦しないよな、というものだったんですよ。
どういう経緯だったかっていうと、上司には半年前ぐらいから伝えていた。
妻の海外駐在が決まっているから、そこについていくから会社をあと半年辞めると。
分かったと。じゃあこの半年間っていうのはこういうことを挑戦しようなという話があって、始まったわけで、
いろいろやるぞって打ち上げたものはあるんだけれども、
僕は営業でしたが、一応営業の業績としては達成できると。
9月に辞めるけど、7月末ぐらいでこれはいけたと。
後は後ろに組織に迷惑をかけないように引き継ぎをとにかく頑張るということで、
9月末で10月1日の飛行機に乗る予定だったけど、僕は9月末まで出勤したんですよ。
一応有給消化を何日かしたけど、最後の日も一応仕事をして帰ったと。
なんとか引き継ぎで収まるようにやったんだけど、
それのことは達成が見えた段階で、一旦どこまでいけるかみたいのはやめたよねと。
そういう意味で挑戦しないっていう。
まとめ始めたよねというところ。
そういうとこだぞっていう。お前達成、ゴール見えちゃうともうやんなくなるよなみたいなところがあるよなと。
そういうところはお前のそのてっぺんを決める行為になりかねないというエールだったと受け取っている。
営業マンとしてもっと上のレベルに行くためには、そういう段階でそこでとどまらずに突き抜ける行動を続けるっていうのがリチャード・ニュースだった。
行動を続けるっていうのがリチャードには必要なんじゃないのっていうエールをもらったと思ったし、
僕にとってはすっごい刺さってしまって、確か面談の時においおい泣いてしまった気がするんですよ。
悔しいですみたいな感じで。
なので僕は、俺は挑戦しなかったっていうラベルを自分に貼ってイギリスに行ったんですよ。
で、イギリス行って主婦生活をして、一通り立ち上げとかも終わり、子供が学校に行き、僕は暇になったという時に、
どうしようかなって結構やることがなくなっちゃって、思い悩んだ時にコーチングを受けたんですよ、初めて。
その時、スミションの時の先輩がコーチングやってるってことで、コーチング受けてみたんだけど、
僕は最後の面談でも上司から挑戦しないよな、お前って言われて。
今も妻についてきただけで、別にイギリスで何かやってるわけでもない。
俺は本当に挑戦しないんですよねっていうのをポロッと言ったら、え、そうなんて。
お前スミションも辞めてるし、リクルートまで辞めてイギリス行ってさ、俺からしたらむちゃくちゃ挑戦してるけどねって言ってくれたのを聞いて、
あなたから見たらそうなんすかって思ったんですよ。
その時初めて純粋に、もしかしたら僕は見方を変えたら挑戦してるとも言えるのかってなった時に、
挑戦っていう言葉の定義を曖昧にしたままそれに囚われてたなっていうふうに気づいたって話があるんですよ。
なんかちょっとうるっとしちゃう。
いやーそうだ、なんか本当に会社とか上司からのフィードバックって、
たぶんおそらくすごく的確な面はあるんだと思うんですね、そのフィードバック自体は。
たぶんその最後の9月までのリチャさんの行動で、達成以上を目指さないっていう意味で挑戦はしてないかもしれないけど、
リチャさんの人生全体で見たら別に人格として挑戦をしない人ではない。
なんかこのフィードバックの言葉の難しさも感じるし、
でもなんかそれを私が同じことを言われたら、たぶん同じように悩むだろうなって思うし。
受けての問題でもあるとは言えるかもしれないんですよ。
だからこの話をね、上司がもし聞いたならばさ、
俺はリチャードにかなり背中を押したつもりだったって言うかもしれないっていう。
いやーたぶんね、悪意はないじゃないですか。
そう、だしたくさんもしかしたらポジティブなフィードバックを当時もらったかもしれないんですよ。
こういう面で助けられたとか、こういう面でお前は成長した、こういう面で素晴らしいと思ってると。
で、一つ言うならばっていうことで、
一個ピリッとスパイスをかけるみたいな仕上げのつもりで言ったことかもしれないけど、
僕の中ではそう言われたっていう。
刺さっちゃうんですよね。
そうそうそう。
だし僕もこの場で知らない人に説明するために物事を大げさに言ってる可能性もあるわけで、
だからそういう言葉の難しさっていうのはどこまでもつきまとう話だとは思うけれど、
まあでも僕には呪いとしてかかってたんですよ。
っていうことに先輩からのフィードバックをもらって、
いや俺からしたらお前めっちゃ挑戦してるけどな、
でここから何でもやれるわけじゃんかって言われたときに、
何にとらわれてたんだろうつまらないことにって思ったので、
だからさゆこさんの冒頭の話だけで僕はもうこんな気持ちでいっぱいですっていう。
いや本当にすごい。
とっても具体的というか、りちゃさんの経験に基づいた話で。
本当にそうですよね。
特にりちゃさんは中夫になったっていうのもありますけど、
そういう夫の仕事の関係で仕事を辞めるっていう女性の方が多いじゃないですか。
だから多分このリスナーの方でもそういう環境にいて、
今までは働いていたのに退道できて調整してない自分がいるなとか、
あとは育児しながらだから時短にしてて、
実は全然挑戦できてない自分がいるなとか思っている方がもしかしたらいるかもしれないんですけど、
でも人生全部で見たら何したって挑戦じゃないって思うんですよ。
本当に。
だって育児しながら仕事をするって、それまで経験したことがないことをやってるっていうこと自体で挑戦じゃないですか。
それが働く時間が短かろうともね。
私、住んだことがない場所に外国人として引っ越すってこともめちゃめちゃ大きい挑戦で、
その挑戦があるからこその自分ってどういう人間なんだろうって、
挑戦してるからこそそういうことが起きたり歪みが起きたりするわけじゃないですか。
だから、挑戦って言葉を花々しく何かを掲げて打ち取っていくこととか、達成していくこととか、
そういう定義にしていると、大切なものが見えなくなっちゃうよなって。
挑戦とはすなわち、みんながびっくりするような成果をあげることって思ってたかもしれない、僕は。
それはお金、売り上げの数字もそうかもしれないし、
お前そんな人食い込んですごいなとか、こんな方法でこんなことを成し遂げるなんて、行動力すごいなとか、発想すごいなとか、
成果の方にフォーカスしすぎてたかもしれない。
そのプロセスであるっていうことに、思いが寄ってなかったかもしれないし、
会社の自分の職務の範囲内でしか、挑戦っていうものを捉えられてなかった。
最後さんが言ってくれたように、人生単位で見たときに、挑戦と呼ぶべきもの、挑戦という呼ぶに値するものっていうのは、ものすごくたくさん転がっていて、
それに対して自覚的であるかどうかも大事だし、どんな尺度で見てるかによって挑戦の定義が変わるので、
もう生きてるだけで財源がたまっていく、こういう職業のこういうポジションは本当に勝ち組なんですよ、みたいなことが書いてあったのを見て、勝ち負けかと思って。
そもそも人生が何かの勝ち負けを競うゲームなのだとすると、自分が勝ち組にいるかどうかっていうのは問題になるのかもねって思った。
でも人生って勝ち負けを競うゲームではないから、
大平 そうなのよ。
誰かが言う勝ち組である、あるいは負け組であるっていう表現に当てはまったときに、自分の幸不幸は決定しないんだよなって。
大平 本当にそう思う。本当にそう思う。
これ尺度とか基準の話ですもんね。
大平 尺度とか基準の話だし、だからその勝ち組と思われることを得るために挑戦をしたいとかさ、勝ち組と言われるものを得るために頑張りたいって思ってると、ずれてきます。
そうだね。足元を救われるというか、どこにもたどり着けない。
大平 だからタイトルに戻るけど、挑戦をするとか、何か自分の枠から外れるっていうことを、その言葉自体を、売上を達成するとか、成果をあげるってことだけじゃなく、
もう少し緩く、優しく、自分にとって新しいことをやってみるぐらいの定義にしてあげても、いい場合ってあるんじゃないかなって思うんですよね。
面白いな。自分の枠というものが、内側からというよりは外側からどんどん強化されている気がするんですよ。大人になるにつれて。
大平 長い、せっかくの表現な気がする。
メタファーとして、自分が木枠を組んで、自分の土地はここだって言って枠を作ってるというよりは、周りに勝手にビルが建っているみたいな。
でも、結局そこから自分の土地を広げることはできないから、自分の枠にこだわっていくみたいな。そういうメタファーがふさわしくて、
本当は、その枠とか、周りに建てるビルとかを避けていって、ちょっと開けたとこまでいくと、本当は世の中でもっと広くてとか。
それっていうのは、高いところから見ないと分からないことかもしれないし、自分の人生を自分の人生として捉えると、うまくいかないことたくさんありませんっていう。
あ、自分だけの責任で起きてるみたいなこと?
そう、自分の人生を自分の視界からだけ見てると、本当にいろんなもの見えないし、今の挑戦の尺度の話も、自分というフィルターを通してしか世界を見てなかったら、尺度がいろいろあるってことに気づけない。
りく そうね、気づけないよ。確かに。
自分にとっては、1社目を逃げるように辞め、2社目も妻の仕事の都合ということで、何かに挑戦するために辞めたというよりは、家族の仕事の都合で辞めることを決意したっていう、出生のレールから降りたみたいな。
その消極的な判断として、自分のフィルターでは見ていたけれども、かつて同じ会社にいた先輩から見ると、一生も飛び出していって、りく。
ともやめて、奥さんのキャリアのためについていくって、お前は大挑戦だなみたいな見方ができるっていうことで、ここにおいては人の視点が自分の人生に入ってきた。
という出来事なので、だから自分の人生を自分のフィルターからだけ見てると、自分の枠を外れるなんてことはましてやできないですよねと。
ちょまど 確かにね。できない。そうかも。しかも、一回リチャさん経験したじゃないですか、他社から見た自分の人生の捉え方を一回経験すると、結局やっぱり全ては解釈なんだなっていう話になるじゃないですか。
おだしょー いや、そうだね。そうですね。
ちょまど でさあ、一回今までの人生の事実は変わらない。住所からリクルート辞めて駐在に行くっていう、事実は変わらないけど、解釈が変わることによって自分を肯定できたりとか、もしかしたら自分って大丈夫かもって思えたり、幸せかもしれないって思うじゃないですか。
おだしょー 結局、このナラティブ、自分にとってのストーリーが自分で組み立てられるようになったりとか、他社の視点を入れて自分で解釈できるようになると、どんなことがあったとしても、幸せにしかならないというか、強くなれる気がするんですよ。
おだしょー 感情はね、ある。悲しいとか嬉しいとか苦しいとか、絶対あるけど、でもなんかその最終的に自分でそのナラティブにできる、物語にできるようになると、幸せにしかなりようがなくて。なんか、それってそのさっきの勝ち組負け組の話で言うと、最強の勝ち組な気がするんですよ。