はい、始まりました。normalize.fmの、今日は第90回の収録になります。
今日は、ちょっとね、久々の収録になってしまったんですけれども、私が若干ね、収録をサボっていたせいで、ちょっとね、間が空いちゃったんですけども、今日もね、元気にやっていきたいと思います。
はい、で、今日のゲストなんですけれども、今日は久しぶりの2回目の登場になるゲストのパターンの会になっておりまして、前回出てもらったのが、ちょっと調べたらね、2023年の9月とかなんで、結構前に出てもらってから間が経ってるなーっていう感じなんですけども、
今日のゲストはですね、株式会社Kの代表の宇都宮さんに来ていただきました。宇都宮さん、今日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。デザイナーの宇都宮勝明と申します。
はい、ちょっとね、2回目の登場、前回の時は収録で初対面っていう感じだったんですけど、その時よりはね、ちょっと打ち解けた会話ができるのかなと思ってはいるんですけども、今日もね、早速始めていきたいと思います。
まずはちょっと、最初に簡単にでいいので、自己紹介を、2回目になっちゃうんですけど、自己紹介をお願いしても、はい、よろしいでしょうか。
はい、デザイナーの宇都宮勝明と申します。
今年の5月末ですね、これまで共同設立していたSEAというデザイン会社があったんですけども、そこを退職しまして、
開けてすぐですね、6月1日なんですけども、株式会社Kという名前でデザイン会社を設立しまして、この度改めてではあるんですけども、独立しましたというところですね。
お仕事は基本的にこれまでとは変わらずではあるんですけども、企業さんのブランディング活動と呼ばれるような活動ですね。
こちらを外部支援するような立場で、主にウェブが中心でお手伝わらせてもらっているというような感じが多いかなというところですね。
今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
いやー、もうなんかちょっと私の話からしちゃうんですけど、最近本当にノーマライズFM全然更新実はしてなくて、
多分3ヶ月ぐらい、4ヶ月ぐらい下手したら空いてるんですけど、でもなんかその深い理由があったわけじゃなくて、
なんかなんとなく気が乗らなくて撮れないっていう感じの時期に突入してたんですけど、
なんかその宇都宮さんが独立されたっていうのを見て、なんか話したいなと思って声をかけました。
えー、嬉しいな。
それなんか一つのちょっとこう、あの契機というかきっかけになったんですね。
そうなんです。だからなんか別に何か取り立ててトラブルがあったとかなんかそういうわけじゃなくて、
なんとなくこう乗らない時期だったんですよ。
ありますよね。
で、なんかこうやる気出ねえなーみたいな感じで、
一回こうタガが外れるとしばらくこう学校とかもそうだと思うんですけど、
一回休むとなんか行きたくなくなっちゃうみたいなのと一緒で、
なんかこう1ヶ月に1回ぐらいコンスタントに更新してたのが途切れちゃって、
なんかもうちょっと一回ちょっと逆に離れてみようかなって思ってて、
で、なんかそうぼんやりしながら、
まあでも待ってくれてる人もいるかもなーみたいな感じでこう思ってた中で、
なんかその宇都宮さんが独立したっていうこうめでたい知らせをなんか目にした時に、
あ、なんかこの話題すげえいいかもと思って。
だからまあ急にちょっと声かけちゃった感じだったんですけど。
ありますよね。なんかね。
で、ちょっと外部からのきっかけでよしみたいな気持ちにちょっと切り替わるみたいな。
いや本当に、なんかそれでちょっとなんかこうまたすごい自分の話ばっかりしちゃうんですけど、
なんかこう最近あのちょっと自分でデザインとか勉強してみたりしてて、ちょっとだけなんですけど。
あーなんかね、以前Xでもちょっとだけ拝見しましたよ。
はい、それを宇都宮さんがね、そういうことだと思いますよってこう優しく教えてくれたXのやりとりがあったんですけど。
はい、ありましたね。
なんかちょっと最近勉強とかしてて、なんか宇都宮さんと話したい欲がこう溜まってたんですよね。
で、そこへ来てこう独立したよみたいなわかりやすいこう声かけやすいネタが出てきたから、
今しかないと思って、それで声をかけたっていう感じですかね。
はい、なのでちょっとあのまずはなんかその独立された経緯とかちょっと聞けたらいいなって思ってたんですけど、
なんか宇都宮さんの中ではこの独立っていうのはどういった背景、話せる範囲でもちろん構わないですけど、なんかどういう背景があってこういう風になったんですか。
そうですね。背景だけ話すとすっごいシンプルな話で、もうちょっとこの2つ側面があって作ることっていうのと作るものっていうのの順度をもうちょっと高めていきたいなっていうところがすごいシンプルな背景なんですよ。
作ることっていうところでいくと、結構私、これまで比較的大企業さんもお仕事することが結構多くて、その大企業さんの中でプロセスを積み重ね上げていって、いろんな制約がある中でお仕事をしていくっていうケースがすごく多かったんですね。
そうしていくと、方法論みたいなのってある程度固定化されやすくなってくるというか、この方法論で積み上げていくっていう風にしていくと比較的、特に日本の大手企業さんとかの場合であれば進めやすいとかね。
あるんですよね、すごくね。それはその通りで、もちろんそれに依存したからといって型にはまったものが作られるってことでは全然なくって、もちろん発想のプロセスはそれとはまた別であるわけなんですけど、とはいいながらも、ある種の方法論は固定化しやすいっていうところがあって、ちょっとそのジレンマというか、もやもやと思う時もあったんですよね。
一方で、これは前職のCEの時だったりとかでもそうなんですけど、そういうプロセスとは全く全然違うプロジェクトがあったりするんですよ。
例えば、CEの実績をこれまで見られた方ですごくいいと思ってるんで、ぜひご一緒にお仕事したいですみたいに来る場合とかあって、関係性がもう、そこで信頼値が積み重ねられてたりもするし、
あと、ある種一本摺りのような形で来るので、ある種お互いへのリスペクトがあるというか、かつ関係性もほぼ1対1みたいな感じで作られるんですよね、すごくね。
そうすると、すごくミニマルな形で物事って進んでいって、これまで積み上げてきたようなプロセスみたいなのを全部飛ばしたりとか、あえて全部飛ばしたりとかするような、ある種の本当の1対1の勝負というか、そういうケースもあるんですよね、物作りにおいてね。
それが自分、実はすっごい好きで、何ていうか、無駄なものが一切なく、かつ言い訳が聞かない世界なんですね、プロセスでロジカルに積み上げていって、だからこうですっていう作り方ももちろんあるわけだし、
特にそれが大手の企業さんだったりステークホルダーが多かったりすると、デザインの理由みたいなところで必要になってくるわけじゃないですか、説明しに行って、このデザインって何でこんなデザインなんですかっていうときにこういうような背景があって、こういう理由からみたいな理論設然と皆さんが説明しやすくできる、すごい大事なことで、
だからその方の否定するつもりはないんだけれど、自分はそれよりも、なんか全部すっ飛ばしちゃって、超ミニマルな状態で、真剣勝負の一発でこう、こけたらやばいみたいな、そういうところの方が結構好きなんですよね。
そういうところで作られたものの方が自分にとって納得のいく仕事ができているという実感もあって、やっぱりこういうものづくりをもっとしていきたいなってすごい思ってたんですね、ずっと。
やっぱりこのね、昨今のあんまりの急激な変化、特にAI文脈におけるって考えていくと、人と人とが出会ってものを作るって、そもそもこれからどうあるとより良いんだろうかとか、人が作る理由って何だろうって考えていくと、
なんかそういうそのスペシャルな一対一の関係性みたいな方が、より人間が作る理由っていうのは見出しやすいというか、一つの在り方だろうなって思ったんですね。
で、ちょっとじゃあ一回そっちに振り切ってみようかなっていうのが、今回すごくあった、作ることへの純度を高めるっていうところですね。
あって、同様に作るものへの純度を高めるっても今の話の延長ではあって、より不純物みたいなものを削いで削いで削いだ先に生まれるものってどんなものが生まれるんだろうなとかっていうのに自分自身がすごい関心があるんですよね、今ね。
そこにちょっと進んでいきたいなと、特にその作るものっていうところでいくと、やっぱりこのAI文脈とかそうですけども、平均解ってすごい即座に作られる、かつ溢れていくってなってくるわけじゃないですか、ここから。
そうなると、じゃあそれこそ人間が作るものって何が求められるんだろうって、やっぱり回答を出す必要があるっていうのもあって、そこも含めて純度を高めていくっていうのがまず今自分がやれる一つの道筋なんだろうなって思ったんですね。
かつ、自分のようなタイプは多分そっちに行かないと生きていけないんだろうなっていうのをなんとなく思っていて、じゃあ一気に振り切っちゃおうみたいに思ったっていうのが、この間の経緯。そんな感じでしたね。
へー、面白い、面白いっすね。前回出てくださった時が、ちょっと繰り返しになりますけど、2023年の9月。だから、もうすぐ4年っていうぐらいの。
いやー、そうですよね。
3年ですかね、3年前か。
3年ですもん、すごいですよね。
その時も似たような話されてたんですよ、宇都宮さんは。
あ、そうでしたっけ。
あのー、要は、その時おっしゃってたのは、もっとクライアントと作り手が溶け合って、そこで生まれるものってあるよね、みたいなことをおっしゃられてたんですよ。
確かに言ってた気がする。
その現場で、現場で人が出会ったことで初めて起こることってあるじゃん。で、そここそが大事なんじゃないって話をしてたんですよ、確か。
確かにしてた気がする。
で、多分それがより研ぎ澄まされちゃったというか、より深いところに行ったのかなっていう感じがちょっと聞いてて、思いましたし。
なんだろう、なんかその、これもちょっと前回の話を掘り返しちゃうんですけど、その宇都宮さんの中にある物資をされてたとか、いろんな経験をしてきたっていうことが、
これやっぱり何でしょうね、今回の決断に少なからずつながってるのかなっていうのをちょっと私話し聞きながら感じたというか、
なんか一対一の、それこそもうバータリ的な一対一の本気のぶつかり合いみたいなことって、多分なんかその一心不乱に木に向かって掘ってる物資と同じじゃんってちょっと思っちゃった。
かっこいい。
なんかこう、仏像、相手は木というものなんだけども、そこはやっぱ自分とその対話があってこうできていくわけじゃないですか、仏像とか彫刻っていうのが。
なんかすごい職人っぽいっていうか、一点もののものをやっぱ作っていく、なんか職人っぽいですよね、なんかその姿勢が。
確かに。
そうですね。だからやっぱ伝統工芸とかに向かう道の方のすごい狭い方ですよね。そっちに向かっちゃってるのかもしれないですね、自分がね。
いやでもすごい面白いと思いました。なんか、私結構今回その第2回目の、宇都宮さんと2回目の収録になるとは言っても、
直近どんな発信されてるかとか、一応ちょっとチラッとこうサイト上に書かれてることとか、最近SNSで発信されてることとかチラッとですけどね、見たりしてて。
でもやっぱりなんかこう、話し言葉で聞くとやっぱ全然解像度が違って聞こえるというか、そういうことだったんだってなんかすごい腑に落ちましたね、なんか聞いてて。
いやーやっぱね、本当なんていうか、物を作るとはみたいなのに、すごい問いをつけつけられてると思うんですよね、今ね。
それぞれ回答、それぞれの立場で回答があるはずだと思うから、そこになんか唯一のものはないんですけれど、
自分のようなタイプの人間はこういう方向性は1個あるんだろうなっていうよりも、そっちに行かないとなんか静かに朽ちていってしまうそうで恐ろしいなみたいなですね。
そういう怖さもあってですね。
そうですね、みんな感じてると思いますよ。私自身もそう、デザインとかちょっと勉強してみようかなっていうのはまさに、もっと自分自身が変わっていかないといけないなっていう感覚があって、
プログラムだけ書いてりゃいい、言われた通りにやってりゃいいっていうことじゃなくて、なんかもっと本質的なものを理解する姿勢でいないといけないのかなってちょっと思った感じ。
ざっくり言うとそんな感じの心理があって。で、なんか結構そのWebGL総本山みたいなメディアを運営してる中で、よく私が言っちゃうっていうか書いちゃう言葉があって、私はデザインに詳しくないんでって、そういう枕言葉付きの言い訳をしちゃうんですよね、すぐ。
うーん、よくないですね。
で、なんかその、そうそう、デザイン素人なんでわかんないんですけどみたいな枕言葉付きで、こういい感じに見えるとか見えないとか、なんかこうふわっとしたことばかり言ってるなっていう自覚があって、なんかちょっとちゃんと、
そこを自分の中で少なくとも納得した言葉で書けるようにした方がいいのかなっていうとこもあって、それでなんかちょっと、デザインってどんな、そもそもデザインって何?みたいなことをやっぱり最初に考えて、
はい。
で、まあいろんな本とか読んでみると、はじまりはウィリアム・モリスがいて、アーツ&クラフツがあって、みたいな話があるわけじゃないですか。
で、それを見てたときに、いやこれ今、全く今と一緒やんと思って。
いや、ほんとっすよ。まさにそうですよ。
あのXで書いたら、宇都宮さんがそうだと思いますよっていうふうに言ってくださったっていう感じだったんですけど。
いや本当になんかその工業製品がこうイギリスで産業革命が起きて、工業製品が粗悪な工業製品が大量に作られる中で、そのウィリアム・モリスがいろんなことに憂いながらも、どうあるべきかってことを考えていたっていうのが、まさに俺たちが今直面してるものじゃんっていう。
いや、ほんとそうっすよね。だから特にその家中にいる、よりこだわって作っている方であればあるほど引き裂かれるような思いをたぶんされてる方多いと思うんですよね、今ね。
そうですね。
でも一方で時代はやっぱりもう不可逆なものなので、この流れは変わらないしむしろ加速していくっていうところの中。
で、じゃあっていうのがたぶん今だと思うんですよね。
そうですね。だからこその今やってみようっていう独立された経緯の話はすごいなんかわかるし、なるほどなって思いましたね。
これはでも歴史の流れで見ていくとあんまり良い手じゃないと思うんですけど。
そうかもしれないですね。
モリスの話で言えば、いやもう工業製品なんか知らんと。
わしはわしの思う良い最高のものを作るんじゃんみたいな話だと思うんですよね。
それってやっぱりすごく、やっぱり逆に世界を閉じてしまうことにもなりかねないし、逆行してしまう可能性も高いので、すごく注意する必要があると思いますよね。
ただ一方で、じゃあ工業製品なのか手工業なのかみたいな、二項対立っていう話では当然なくて、その中でも、例えばプロダクトデザインの流れで見ていくと、もちろんその後で、
例えば手工業、クラフトの良さっていうのを活かしながら工業製品の中でうまく取り組んでいく。
それによってすごく質の高いものを逆に作っていく。
かつ、その質の高いものが大量生産化すらできていくみたいなんですね。
そういう流れっていうのも当然あったりするところがあって、それによってプロダクトデザインの歴史ってどんどん優れたもの。
かつ、より良いものが多くの人に手に渡るように進化してきているっていうところもあって、それもあって今っていうところだと思うんですよね。
だから、どうしてもやっぱり今、二項対立って考えがちではあるんだけれど、極力この流れはもう止まらないものなので、
この流れの中で今まで作っていた良さみたいなものをどう変換していけるのかみたいなのこそがやっぱり知恵を働かせないといけないんだろうなみたいな。
頭では分かってるんですけれど、さあどうやろうかみたいなところですよね。
それで、じた渡していくみたいな感じがこれからずっと続くんだろうなと思ってるんですよね。
そうですね。本当にそうですよ。だから、100年後、200年後の人類は多分今のこの時代に何らかの名称をつけるんでしょうけど、
我々がアールヌーヴォー、アールデコ、モダニズムとかって呼んでるのと同じように、50年100年経ったらこの時代のことを何とかって多分言うんでしょうけど、
デザインの勉強してて思うのは、全然デザインとか、あるいはアートとか、そういったものに興味ないまま生きてきた私でも知ってるようなデスクライトの形とかってあるじゃないですか。
知ってるソファーの形とか、椅子のデザインとかってあって、勉強していくと、これってこんな昔からあったんだみたいな感じで。
やっぱり、いろんな時代背景とか、いろんな問題とかいろいろある中で、やっぱり苦悩した中で出てきたものって不滅のものってやっぱあるんだなって思って。
我々は多分、今の時代もそれを目指していかなきゃいけないのかなって、すごい勉強してて感じるんですよね。
たぶん宇都宮さんのアプローチって、それに通ずる部分があるっていうか、普遍的な誰にとってもフィットするものとはちょっと違うかもしれないけど、
今、この時代、この瞬間に我々にしか作れないものを作っていきたい、それに特化していきたいってことだと思うんで、すごい夢感じました。
そうですね。やっぱり根本にあるのって、人がものを作るっていう上で、その人のために作るわけじゃないですか、やっぱり。
だから人の役に立つものとか、人が心地よいと思うものを目指して作っていくっていうところって、それってその時代に多分関わらないことだと思うんですよね、きっとね。
だから、例えばその椅子の形みたいなのを仮に例にとるなら、大きな流れ目で見れば大きい変化がないっていうか、
それは人間の体の構造上、そういう形であれば人間は心地よく感じるとか、体に負荷が少ないとかっていうものがあって、その形になっているっていうところがあると思うんで、
そういう人間のためにみたいな視点で考えるならば、多分大きくは変わらないはずなんですよね、きっとね。
そこは多分変わらないっていうものの中で、あとは時代ごとの変化で使う素材が変わっていったりとか、装飾の在り方が若干変わっていったりとかみたいなのはあるかもしれないし、
地域ごとの特性みたいなのによってとか、あと気候の違いとかでも、そういう変動要素はごとでちょっとずつ変わってるっていうのはあると思うんですけど、
大物っていうのはそんなに変わるはずがないっていうところはありますよね、やっぱね。
そうですね。本当にたまたまなんですけど、マジでデザインの勉強とかやり始めてみると、
工業化が進んで技術がこういうふうに良くなったから鉄パイプで椅子が作れるようになりとかってストーリーがあるじゃないですか。
たぶん今の時代にも何かのストーリーがみわくみわくと紡がれていて、やっぱ我々家中にいるからわかんないけども、
二内手の人間間違いなく二内手ではあるはずだから、やっぱなんかやっていかなきゃいけないんだなって。
いや本当にその、何鉄パイプを使うだなんてみたいな話なわけじゃないですか。
そうそうそう、そういうことですよね。
それしからんみたいになるわけですよね、ある人にとってはね。
でもこれでもすごい耐久性あるし、量産もしやすいし、かつこれ見方変えたら美しいよねみたいな思う形もあるわけで、そこでその価値観の転換が起きるわけであって。
拒否感を起こすのは当然人間ってね、見慣れたものをやっぱり良しとするから、新しいものを真逆であれば、その当事者であればあるほど拒否感って起きやすいと思うんだけれども。
そことのバランスをいかに距離感を保てるかみたいなのもありますよね、すごくね。
あとある種のいかに面白がるかみたいなところもあるかもしれないですし。
そうですね、いや面白がるかなり大事な気がします。
ね、ですよね、ほんと。
なんかやっぱりデザインの勉強ってこう、なんだろうな、なんかアートとデザインって全然違うものだけど、
まあ隣接してはいて、やっぱいずれもこう、面白さとか楽しさとか、すごいっていう感動の気持ちとか、やっぱそういうものがないと成り立っていかないというか。
いや、ほんとそう思います。
そういう感じがするし、なんですかね、やっぱりこう、いろんな、私ほんとに全然歴史勉強してるだけで具体的に何もデザインやったりしてないんで、
今はただのデザイン歴史オタクになっちゃってるだけなんですけど、いやほんとにね、なんかいろんなこと考えちゃうんですよ。
だからなんかこう、デザインをやってる人たちとなんかこういう話をしたいなって思った時に、
まあデザイナーさん知り合いたくさんいるけど、なんか宇都宮さんがパッと浮かんだんですよね。
それはすごい嬉しいです。
そう、なんか話したい相手っていうか、こういう話できそうな相手ってパッて最初に浮かんだのが宇都宮さんでしたね。
それは嬉しい。
でもさっきのね、その面白がるな話の延長でいくと、そうですよね。
これ道の世界なんじゃないかなと思うんですよね。
そうですね。
何らかその技術の発展だったりも含めてだ、社会の変化も含めてだけど、それを組み合わせると今こんな感じなんじゃない?みたいなのだと思うんですよね。
それで、ああいいねっていう人が増えてくれば、それが一つの流れになってくる。
で、ある種の必然になってくるっていうところですね。
時代の変化や技術の変化を適応されたようなものとしてですね。
だからやっぱりそこの部分って、じゃあなんで起きるんだろうっていうと、なんか多分楽しかったんでしょうね、きっとね。
そうですね。
いや、そりゃそうですよ。やっぱ面白いって思わないと。
できないですからね。
で、そのじゃあ面白いって何で生まれるかみたいな話でもあるんですけど、なんか自分はね、時代の変化とかそういうものって、なんだろうな、そういうところへの感度の高さとかいろいろあると思うんですけど、そういうのってあんまりどうでもいいと思ってて。
やっぱりさっきもちょっとお話したような、これをしてると楽しいとか、これをしてると時間を忘れるとかあるじゃないですか。
それってもうちょっと言葉に変換すると欲望だと思ってて。
例えば、人によってはこのアニメーション超気持ちいいとか、このアニメーションを作る、届きたいがために一晩頑張るとかあったりすると思うんですよね。
その欲望の部分って自分はすごい嘘がないと思っていて、それに向き合ってる人が一番楽しいに直結してる人なんじゃないかなと思ってるんですよね。
で、なんかその場その場のトレンドだったりで、それ風なことを言う人ってたくさんいると思うんですけれど、それはすごく頭で考えたものだと自分は思っていて、
その通りですっていうのは思うんだけれど、多分そういうものが何か大きく変えることっていうのは自分はないんじゃないかなっていうふうには実は思ってたりするんですよ。
だからその欲望みたいなのに向き合ってる人っていうのはやっぱり一番強いんだろうなと思うし、自分も多分向き合うのはそこなんだろうなってすごい思ってて。
それで言うと、さっきの自分はその研ぎ澄ませていくっていう行為に欲望があるんですよね。
はい。
なんか添いで添いで添いで、最後浮き上がってみたものを、これ美しい族みたいな、そういう感じなんですよね。
これは一個の例ではあるんですけど、やっぱり添いでいくことにすごく関心があったりするところがあって、なのでそれはあくまで自分の欲望なので他の人とは違うかもしれないんだけれど、
個々のその欲望に対して忠実であればあるほど、多分ユニークなものって世に生まれやすくなると思ってるんですよ。
で、それの真逆が最適解の方だと思ってるんですね。
なるほど。さっきの最初の話につながってくる部分ですよね。
そうそう。AIだったりを使っていって、最短距離で最適解に結びつくっていうのはその個の欲望の真逆の行為だと思っていて、
いかにそっちに行かないかというか、いかにそこに抵抗するかみたいなのが、もうなんかある種の人間の尊厳と言っていいぐらい、自分にとってはすごい大事な問題で結構構えたりするんですよね。
そっか。だからこそ、今それに賭けてみたいっていう思いが背中を押したというか、それが独立につながっていく要素の中の一つだったっていうことなんですかね。
そうですね。多分そうじゃないと生きられないんだろうなみたいなことを思ったっていうところですね。
なるほどな。でもすごい、俺は今の話すごいよくわかるというか、なんだろうな。
なんかその欲望だけがこう、結局は自分を動かしているのって最終的にはそれじゃんみたいなのは、なんか思うことやっぱ私も結構あるんですよね。
結局何が自分にとって一番大事なんだっけとか、結局自分は何をしたかったんだっけみたいなことって、なんか意外とそういうこと向き合わなくて、ふらーっと生きていけちゃう人も世の中には多分いると思うんですけど、
なんか私とかは結構考えちゃうし、なんか最近やる気を失ってノーモライズFMを更新しないでみたいになってたのって、
多分なんかどっちかっていうと、自分の欲望に正直になりすぎちゃったゾーンにちょっと入ってたんですよね。
他のことどうでもよくなっちゃったっていうか、自分の欲求欲望だけで過ごしちゃってたっていうか、社会性を捨ててしまったというか。
多分私、皆さんから見て私どういうふうに見えてるかわかんないけど、結構やっぱこう発信したり、ノーモライズFMしかり、いろいろ発信したり喋ったりみたいなのって、
なんか私にとってやっぱちょっと無理してるんですよ、きっと。
仕事をすることも含めて、誰かのために何かしてるのすごく好きだし達成感もあるし、それによってお金を稼ぐことができたりってもちろんいいこともあるんですけど、
究極の自分の一番真にある欲望みたいなものって、例えば家族と一緒にいたいとかそういうことだから、やる気が起きなくなっちゃったっていうか、仕事とかできなくなっちゃうみたいな感じになってて。
でも結局その社会性を捨ててしまって、完全に欲望のままになりすぎてしまうと、やっぱそれはそれで生きていけなくなっちゃうから、やっぱそこは折り合いはつけなきゃもちろんいけないんですけど、
でもなんかそういう感じのメンタリティだからこそ、なんか今宇都宮さんがおっしゃってた、結局は欲望になっていっちゃうよねみたいなことって、
そのネガティブな捉え方だけじゃなくて、ポジティブな意味でも、それ大事にしなきゃいけないよねっていうのは、すごくわかります、私は。
わかる気がします、ほんとに。
いやー、疲れますからね、基本的に。
そうなんですよ、ほんとに。なんかもういろいろやんなっちゃったっていうか、俺何のためにこんな頑張ってんだろうみたいになっちゃって。
で、結構その、なんだろう、めちゃくちゃ忙しい時って、そういうなんか帰り見ることさえも忘れちゃうじゃないですか、忙しい。
で、なんかほどよく暇になっちゃったからダメだったんですよね、たぶん。
そのほどよく暇になっちゃって、考え込めるようになっちゃって、それでなんかこう、いろいろ嫌になっちゃったっていうか。
確かにね、そのタイミングありますよね。考えなきゃいいのにって言うんだけど、考えちゃうんですよね。
いや、ほんとにそうなんだよな。だからなんか、すごい正直な話もしちゃうと、今期弊社、まあ私一人の会社ですけど、もう今期は確実に赤字なんですよ、仕事してないからですね、単純に。
本来やらなきゃいけない分量の仕事をしてないし、あとはスクールの参加者の方が例年だんだんちょっとずつ人数的には落ち着いてきてるとか、そういう意味でも法人としての売り上げの規模がちょっと下がってるんですよね。
だけどなんかもう嫌になっちゃってるから、もうそのまんまで嫌って感じになっちゃって。で、そうすると今度は逆に不安が募ってくるんですよ。あれ、こんなことしてていいんだっけ。
確かに。そうなんですよね。
どんどん残高なくなっていくぞ、こんなことしてていいんだっけみたいな感じになってって、それでなんかもう負のスパイラルループみたいな感じで。
わかるなぁ。
それでこの半年くらいね、なんかぼんやりしちゃってたんですけど、でもなんか最近そのデザインの勉強をし始めたりとか、少しずつリハビリじゃないんだけども、社会性を取り戻していこうとしているところで、
だからなんか仕事もないからないでいいやってこう、なんか大の字で寝っ転がってるみたいな状態じゃやっぱいけないなと思って。
人の役に立てる人間になっていかないと結局家族も守れないしなとかって思うと、もうちょっと頑張るかと思ったし、
私なりにいろいろ考えて、やっぱ今この時代にまず何やるべきかなって思ったときに、なんかプログラムを極めていくのもいいけども、なんかやっぱ掛け算できる人間じゃなきゃダメだなと思ったんで、
ちょっと今まで手を伸ばしていなかった領域として、でも自分の身にすごくなりそうだなっていう直感もあって、
デザインについて真面目に向き合おうかなっていうふうに考え始めたのが、ここ3ヶ月、4ヶ月ぐらいっていう感じでしたね。
写真とかもやってたから、写真って結局ちょっとデザインによってる部分が一部あるんで、
プログラマーとしての自分のアイデンティティーと写真が好きな自分のアイデンティティーと、そこにデザイン入ってきても、
なんか相乗効果こそあれ、あんまデメリットっていうか悪い要素ないなっていう感じでして、すごくなんか面白えなと思ってやってるんですけど。
いや、めちゃくちゃいいですね。
で、しかもやっぱりのくささん、ずっと見てきてるわけじゃないですか、ソウホンさんで。
そうですね。
あらゆる国内、海外、デザイン見られてきてるわけだから、そのストックってすごいものがあると思うんですよね。
そこちょっとクエスチョンマークなんですよね。
多分ね、見るって本当に大事なことで、見て、もう無理に言語化とかしなくて全然いいんですけれど、
見ているっていうことの蓄積の力ってすごいあると思ってるんですよ。
いや、それはおっしゃる通りだと思います。
で、だんだん見れば見るほど、いいデザイン、良くないデザインって分かるようになってくるじゃないですか、自分なりに。
そうですね。
あとこういうデザインが自分は好きなんだなとかっていう傾向も分かってきたりとかもあったりすると思うので、
やっぱりその量は絶対に裏切らないと思うんですよね。
その見てきている蓄積っていうところとあとは合わせて、アカデミックである必要は必ずしもないんですけど、
歴史的な視点だったりも含めて見ていくとか、デジタルデザインじゃない部分の視点でも見ていくみたいになってくると、
やっぱり複合的になりやすくなってくるので、きっと厚みが増してくるはずだと思うんですよね。
それはきっと何年か後とかで振り返った時に、たぶん必ず点で結びついてくる、線として結びついてくる可能性はすごい高いと思うので、
めちゃくちゃいいと思いますよね。
予感だけはあって、たぶんプラスになることはあって、もうマイナスになることはないなっていう確信はあって、
さっき宇都宮さんがおっしゃってた、見れば見るほどっていうのもなんとなくわかってはいて、
デザインを体系的に自分の知識にしてないんで、確かに言語化できないんですよ。
言語化できないんだけど、良い悪いは見分けられるんですよね、ある程度。
それって本当に、たぶん私だけじゃなくて、他の全ての日本国民というか、世界中の人たちが無意識にやってるじゃないですか。
街中の看板、テレビのCM、ウェブで見るもの、何でもかんでも、いちいち言葉にしないけど、やっぱり良いものには意識を引っ張られてるし、誰もが。
絶対に、そのデザインされたものの影響を受けてるし、やっぱりそれを理解したり言葉にしたりする力がないだけで、
やっぱり見てる数は裏切らないっていうのは確かに、そうなんだろうなっていうのはすごい感じますね。
そう思います。私、前にもちょっとお話したかもしれないけど、キャリアがめちゃくちゃ遅いんですよね。
38のタイミングでデザインを学び始めたっていうところがあって、めちゃくちゃ遅いんですよね。
遅いんですけど、それまでの間って私ディレクターをしていたのがあって、デザインはデザインで好きだったんで、めちゃくちゃ見てたんですよ。
でもディレクター時代って、じゃあそれをどう結びつけていけばいいのかっていう手段だったり、発露の仕方が分かんなかったんで、ただ見てただけだったんですね。
でもデザイナーになろっかなって思って学び始めてくると、それまでの点がビャーって線で繋がりだした瞬間があったんですよ。急にやってると。
で、これはいけるって思ったんですね、その時に。
なんでそのカチュアは結構分かんないんだけれど、積み重ねてきた量とかって絶対に嘘はつかないので、
何かのタイミングで、たぶん独撮さんでしかない結びつき方ってすると思うんですよ、きっと。
はい。
積み重ねてさえいれば。
そうですね。
だから、すごい良いと思いますけど。
しかもデザインっていうところに視点が向かったっていうことは、そこに注意が払われたっていうことだと思うんで、これから結合がしだすんじゃないかなと思います。
そうですね。
蓄積はしてたけど、それをどう生かすかっていうところの視点っていうところまでは、そこまで注意が払われてなかったものが、これからちょっとデザイン結びつき始めそうだぞっていうところが見えてくると、勝手に結合しだしてくると思うんですね、きっとね。
起きるんじゃないですか、これから先。
そうですね。そうだったらいいなとは思うんですけど、結構3Dプログラミングとかも全く一緒なんですよ、結局。
CGの原理とか、3Dプログラミングに使う数学とか、そういうものを知らないままいくらやっても、表層的なことしかできないんですよ、結局。
WebGLとか使って何かをやるっていうときに、最近は本当にAIが何でもやってくれる、確かに何でもやってくれるんですけど、基本を全然わかってないまま表層だけで頑張ってても、それって結局いける高さが決まっちゃってるというか、
AIが示してくれる可能性までしかいけないから、その場合って。
多分、3Dプログラミングの勉強とかしてても、何でサインコサインの勉強なんかせにゃいかんのだっていうところから始まるし、
でもやっていくと、だからベクトルとかサインコサインとか必要なんだっていうのが、まさに点と点がつながって、
こういうことやるためにはこういう理屈を知ってる人があるんだっていうのがバーってつながる瞬間ってやっぱあるんですよ、プログラミングの中でも。
WebGLスクールとか見てても、そこに到達した人っていうのは急に、急にいくんですよ、バーって。
そこに到達するまでってつらいから、もうわけわかんない難しいっていう思いに負けそうになる。
だけど、続けてた人だけが急に、急にいきなり加速する世界線に入っていくんですよね。
多分デザインっていうものについても絶対同じ地平があるはずで、私だけにしかできない世界っていうのが多分やっぱあるというか。
はい、そう思います。
WebGLをずっとやってきたり、あるいは記事を執筆してきたっていうような編集的な能力であったり、
写真を一生懸命やってきたとか、なんかそういうものが組み合わさったときって、
なんかやっぱりシステムでは作れないものっていうか、になっていくのかなっていう気はしますよね。
なんかそれをぼんやり希望を抱いてるというか、そうなったらいいなって思ってるんですけど。
本当そういうことだと思います。極論言うとそれが人生なんだとすら思っちゃいますね。
そうですね。
いや本当にそうですよ。
宇都宮さんがその最初に出てくれた1回目の時も、なんか今思えば今思えばってこう何個も過去を振り返って、今思えば今思えばって宇都宮さんいろいろおっしゃってくれて、
それでご自身の言葉で、私の人生って今思えばばかりで構成されてるんですけどっておっしゃってましたけど。
言ったような気がする、確かに。
でも結局人生ってやっぱそういうものっていうか、自分が接してきたもの、考えてきたこと、見てきたこと、やってきたことの積み重ねでしかないから結局。
だからなんかこの先にすごい不安も感じるし、AI本当にどうなっちゃうんだろうって思うこと毎日あるけど、
やっぱここでなんか何もしないままだと何もしなかった人になっちゃうから。
やっぱなんかやっていかなきゃいけないんだろうなってちょっと思ってるんですけどね。
ただ答えはわかんないです。だからすごい不安ですけど、不安は抱えてはいるけど、やっぱなんか自分の中で信じたものをやっていくしかないのかなって思ってますけどね。
実際でもデザインの世界の皆さんはどういうふうに見てるんですか、そのAIのことを。
いやもちろん人によるんでしょうけど、なんかプログラマー目線だと半分諦めてるとかあるんですよ。
結局そのプログラミングってコードを書くということについては任せるしかない。
そういう世界になっていくのかなっていうちょっと諦めみたいなもの多分あるんですよね、プログラムに関しては。
だってもう絶対機械がやったほうが早いんだから、人間がやるべきフェーズがちょっと変わってきちゃうというか、
趣味として書くの自体が楽しいっていうことは趣味として残るかもしれないし、なんか続けていけると思うんですね。
別になくなっちゃうわけじゃないから、やりたい人はそういうふうにやればいいから、昔ながらのやり方で。
ただなんか仕事っていう意味では、人が関与しないってことは絶対ないから、何かしらあるんですよ、やることは。
でも今までみたいな一個一個アルファベットを打ち込んでいく作業っていうのは多分する必要がなくなってしまうから、
仕事にはなんなくなっちゃうのかなっていうちょっとこううすら諦めみたいなのが多分多かれ少なかれ、プログラマーとかデベロッパーの中にはうすらあると思うんですけど。
一方でなんかデザインの人たちってどうなんだなって気になってますよね。
でもそれで言うと近いところはやっぱりあると思いますね。
今でもまだデザインは若干まだフェーズが違うとは思うと、もうちょっと後ろのフェーズではあるんですけれども、プログラミングに対して。
なのでフィグマでデザインとか今も自分もしてますし、そういうふうな形で関与っていうのはそこまで大きい変化はまだないではないんだよ、ところがあるけれど、
特にやっぱりある課題があって、こういう状況で、こういう時代背景で、こういう競合関係があって、こういうターゲットでみたいになってきた場合に、
求められる回答ってあると思うんですよね、ある程度。
そういう場合であればこういう打ち手が適正であるっていう傾向っていうのはあるわけで、こういうビジュアルデザインであるべきだよねっていうのもある程度傾向化されるわけだから、
そこってやっぱりどんどん高速化していく、自動化してくるっていうのは当然あって、そこはもう加速していくし、そういう意味でのデザイナーが関与していくっていうところはほとんどなくなっていくだろうとは思うんですよね、きっとね。
クライアントサイドでも完結してしまうっていうところも多くある。
そこは一つあるっていうのもあるし、その領域はどんどん広がっていくのももちろんある。
なのでこれまでのいわゆるデザイナー像みたいなものっていうのはもうやっぱり存在しなくなるんだろうなっていうのはすごく思いますよね、まずね。
だから画面の前で何かデザインしていくみたいなのはすごく少なくなってくるだろうと思うっていうのはまず一つありつつ、
一方で人間に残される領域どこなんだろうみたいなところでいくと、
なんとなか今思っているのは大きく二つありそうと思っているのが、
一個は責任を負うことですね。
それはよく言われますよね。
ここはやっぱりきちんとした心理眼を持って、
かつこれまでの多様な視点だったり多様な経験ももちろん含めてだし、
確かな目、あなたがこう言うんだったらこうなんでしょうって思ってもらわないといけないっていうところですね。
その役割を担う人間かつ責任を負う人間としてのアートディレクターっていうところですね。
これはやっぱり求められるだろうなと思います。
ある種、やっぱりクリエイティブディレクター化していくっていうところなのかもしれないですよね、すごくね。
確かに。
そこは一つあるだろうなと思います。
でもそれはとても限られるとは思うんですけどね、担える人っていうのは。
なんかかなりスター性のある人じゃないといけないのかなっていう気はしますけどね。
いけない。
やっぱりここは狭きもんだと思いますね。
ただ一方で求められる。
平均解が溢れれば溢れるほど求められるっていうのは間違いないと思うので、これは一つある。
あとはもうちょっと、さっきの話にも通じるんですけど、
欲望に向かう点っていうのはあるんじゃないかと思っていて、
自分はこれ好きなんだよね、みたいなことがあるじゃないですか。
意外にそういうのって人も好きだったりするところってあると思うんですよね。
市場は狭いかもしれないけど、そういう層っていうのはあり得る。
それが広がっていくとある種のトレンドにもなっていくみたいな。
結構そういう風に時代って作られていくとは思っていて、
その起点って人間の欲望が作ってると思ってるんですよ、自分は。
AIでは作れない部分だと思っていて。
その、なんだろうな。
より自分の欲望に忠実に作っていく、よりある種の偏りとか過剰さですよね。
そこを全肯定して踏み入れていくっていう人っていうのは、
バラバラと全世界的に増えていく可能性はあるだろうなと思ってるんですよね。
数は少ないとは思うんだけど、そこに向き合うのって結構覚悟が求められるので。
でもそれはすごくプラスなことなんじゃないかなと思っていて、
これまでデザインに関与してない人がそういうところにも入ってくる可能性あるわけじゃないですか。
そうですね。
それも面白いですよね。全然予定不調和なものができてくる可能性もあるし。
そういう方向性、だから、すっごい平たく言うと、
技術の民主化がもたらすすっごい変なものみたいなことだと思うんですけれども。
でもそれはすごい希望があるなって自分は思いますけどね。
なるほどな。
それが職業デザイナーとしては多分違うと思うんですよ、これまでのいわゆるね。
いろんなお客様のいろんな課題に対してきちんと答えていくのがプロであるみたいなね。
そういうデザイナー像とは全く違う像だとは思うんだけれど、
だからそういう意味でのデザイナー像が多分解体していくんじゃなかろうかっていう気もするんですけどね、自分はね。
これまで正当とされてたものがむしろコモディティ化されてしまうっていう部分があると思うんだけれど。
じゃあ逆に出てくるのって、そういう終焉にあるすごい偏ったものみたいな方が、
なんかすごい今は未来があるなって思いますね。
なるほどな。だからステージは変わるんだろうな。
プログラマーも多分、自分でポチポチコードを書くっていうのとは違うステージにプログラマーがいくやざるを得なくなるっていうのと同じで、
デザイナーもやっぱりステージが変わっていくというか、
多分今、結構今のウェブ界隈、勝手に私が観測している範囲のウェブ界隈のことを今ちょっと雑にウェブ界隈って呼んじゃいますけど、
やっぱブランディングに舵きっている組織、チーム多いなっていうのがここ何年かの年間であるなって思ってて、
多分それはだから来るべきこの時代にやっぱり見据えてみんな知らず知らず走り出しているというか、
ステージを変えていっている中の一つなのかもしれないですよね。
ただ目に見えるものを作るではなくて、精神というか企業の心みたいな部分を美意識みたいなことを一緒に考えて作っていくっていう、
そういうデザインの世界っていうのは平たく言えばそうやってブランディングだから、
平たく言えばですね、雑にまとめるとそういうことだと思うんで。
その通りだと思います。
だから機械、例えばAIがめちゃくちゃ進化して、
じゃあカルティエとかファッションブランドのすごい有名なカルティエとか、
他にルイビトンとか色々ありますけど、
そういう組織がやってきたブランディングと同じことをやってくれるか、今後もやり続けてくれるかって考えると、
多分それはできなさそうな感じがどうしてもしちゃうというか、
なんかこれなんでできなさそうに思っちゃうか、すごい個人的なただのバイアスの可能性もあるんですけど、
やっぱそこはなんか人間が作っていくのかな、
多分そういうことをやるのがデザイナーなのかなっていう風に今俺ざっくり感じてしまったんですけど。
いやいやいや、まさにまさに。
結局私の独立の理由の背景にあるものが一個そういうところだったりしていて、
多分物を作るっていう行為がすごくスペシャルなものになると思ってるんですよ。
なので、ある企業さん、あるブランドみたいなものを唯一のものとして捉えて、
それを完全オーダーメイドの世界ですよね、平たく言っちゃうとね。
っていう風な形で体現していく。
それでそのブランドであったりみたいなところの存在を、唯一性を高めていくみたいなところ。
そこが多分人が人と出会って物を作る。
その結果で何を出したいかっていうのが一つの多分回答だとは思うんですよね。
じゃなければ別にAIに作ってもらえばいいじゃんっていう話だと思うんですよ、きっと。
なのでそこに多分製作会社も含んだ、いわゆる製作って呼ばれるものを今後も続けていくにあたっての一つの方法は
やっぱりそういうより唯一のものを作るっていうところに関わっていくっていうところですね。
そういうあり方なんだろうなっていうのはやっぱりすごく思いますね、一つね。
だから一つの方法論を当てはめていろんな会社さんでやっていくみたいなところの
さっきの自分がちょっと感じていたようなジレンマというか
そういった部分は危険だなって思っている危機感ってやっぱりそこに一つあって
もちろんその方法論が全てがダメかというと一部使っていたりとか全部を否定するわけではないんだけれども
根底にあるのはその唯一のものを作るとか、唯一のものを形にするとか、その唯一のものを肯定するみたいなことですね。
だからそこなんだろうなっていうのはすごく思いますね。
僕らが多分一つ一つ向き合うものとして。
本当にそうですね。
だからすごい矛盾したこと言ってるようだけど、そういう意味ではやっぱり変わんないっていうか。
伝わります。
そういうことをやってきた人たちが今の世界を作ってるじゃないですか。
私すごい、ちょっと不勉強であれなんですけど、資生堂さんの例明記というか
すごい有名な資生堂さんのビジュアルデザインを作った日本人のデザイナーさんの方の勉強室の時に、ちょっと名前忘れちゃってるんですけど。
名前を覚えとけよって感じなんですけど、ちょっと調べますね。
山田さんだ。
はいはいはい。
その資生堂のデザインを、ビジュアルデザインを、ビジュアルアイデンティティーみたいなものなのかな。
そういうものを作ったデザイナーさんということで。
とりあえず本でそういう名前を見て、なるほどなって一回検索してみるじゃないですか。
画像検索してみるんですよ、大体そういう時に。
画像検索して出てくるデザインの、なんか今売ってても全然不思議じゃない感がすごいんですよ。
そうなんですよね、素敵なんですよね。
この山田さんのデザイン、特になんですけど、私が色々勉強していた中で特にビビったんですけど、
これ普通に今銀座のショールームとかに置いてあっても、全然普通っていう感じの見た目はしてるんですよ。
なんでこんなモダンなことができたんだって思うし、
なんかそれってやっぱり、なんか今宇都宮さんがおっしゃってる、なんだろう、
オーダーメイドのもの、その企業と自分が一対一で作り出したものみたいな、やっていきたい、できたらいいなって感じてることって
多分みんながずっとやってきたことなんですよね、結局。変わんないっていうのはそういうので。
なんかもう俺、施生堂のデザイン見て本当にびっくりしちゃって。
いや本当そうですよね。
何これと思っちゃって、なんか全然知らなくて、すげえなって思っちゃったんですよ、感動してしまって。
いや本当にだからデザイナーはきっとそういう感じの、何ですかね、なんかそういうとこやっぱ目指していくべきなのかなって思うし。
そうですね、やっぱその人が人のために作るっていうすっごい原理原則的なところっていうのは変わりようがないところがあると思うので、
そこに立ち返るのはやっぱり学びがいっぱいありますよね、すごくね。
いや本当になんかだから、いや本当そのデザインの勉強、ただ勉強してる、歴史を勉強してるだけなんですけど、
なんか今逆にそのよくAmazonとかで売られてるようなデザイナー向けの入門書みたいなの読んでも全くピンとこないです、今の時点で。
ここはこう文字詰めをすべきだ、なんかタイポグラフィーの本とか読んで、ここはこうすべきだ、すべきだって書いてあって、
全くピンとこないし、だから自分でやれって言われると全然できない、思い浮かばないのでできないんですけど、
でもなんか見て感じることはできるっていうのがすごい不思議で、
なんか勉強すればするほどその感覚でしかなかったものが、そういうことか、だからかっていうふうにこうだんだんなんかわかってきて、
そこになんかすごい今面白いゾーンにいます、それが楽しいゾーンにいますね。
なるほど。それで言うと、例えばプログラミングの世界とかだと、
ある種の創造性が求められるところってすごいあると思うんですよね。
例えば数学とかの世界でも同じようにあると思うんですけれども、
なんかね、そこは人間でしか切り開けないものって大いにあるんじゃないかなっていうふうにすごく思ったりするんですけども、
そういう面だとどう思います?
いやどうだろう、なんか数学とかって未解決問題とかあるじゃないですか、
数学の解けていない、説明できていないというか証明できていない問題みたいなのってあるけど、
なんかAIはそこを問題意識を持って、これが問題だって思いつけないと思うんですよ。
解かせたら解けるんですよね、たぶん。賢いから。
こういう未解決問題がある。
で、なんか最近結構数学の未解決問題をAIが解決、AIが解決ってたまにニュースになってるんですけど、
そもそも問題意識を持ってこれ解けないかもって思いつくのは多分人間しかできないっていうか、
これ未解決問題じゃんって気づく部分。
なんかAIにどんなに頑張ってもらっても解いてもらうことはできるかもしれないけど、
問いを立ててもらうことってできないじゃんって思うんですよね。
もしかしたらですけど、それはできるようになっちゃうのかもしれない。
確かにものすごいとんでもないAIが出てきて、
人間社会の倫理とか法律みたいなものも含めて何でもかんでも全部100%答えられるスーパーAIみたいなのもしかしたら出てくるのかもしれないですけど、
これちょっと面白そうだから考えてみようぜみたいなそういう感覚って、
やっぱ人間にしかできないじゃんってそこは信じたくなっちゃうというか、
思ってしまう。
多分数学とかも要は数字だから答えはあるし、
数学者の方たちはいつもいろんなこと考えてらっしゃると思うんですけど、
それと同じことはAIにはできないんじゃないかなってどうしても思っちゃうし、
プログラマーも何ですかね、プログラム書くのが楽しい人と結果だけが嬉しい人って全然違うし、
私は結構書いてるの楽しいタイプなんですよ、コード自分で書いてるの楽しいから。
そこは別に、ちょっと話広がっちゃうんですけど、
最近やっぱりプログラミングってものすごいエージェントが助けてくれるようになっていて、
今までの自分だったらちょっと勉強しないとできないようなことが、
言ったらやってくれるんですよ、マジな話。
WebGLのちょっと難しいやつとか、わかりやすいのは流体とかですよ、
ちょっとトップクラスのスタジオじゃないと実装できなかった系のやつとかを、
今って言えばやってくれるんですね。
私が感じるのは、一回その飴を舐めちゃうと、手で書けなくなるんですよね、やっぱり。
絶対そうですよね。
そう、言ったらやってくれるから。
例えばものすごくレギュレーションというか、規約的なものが厳しいクライアントさんと仕事しているときに、
自分の気分でAIにコードとか食わせられないとかっていう縛りがあるクライアントさんとお仕事してたとして、仮にですよ。
そしたら、じゃあAIに書いてもらうことができないから自分で書くわけじゃないですか。
そのときに、これAI使えたらもう3秒なのになとかって思っちゃうんですよ。
もう一回飴舐めちゃってるから。
それ避けられないなって。
すごくコード書くの大好きだし、自分でWebGLのコードをガリガリ書くの私すごい好きだし、今後も別にやめたくないけど、
そんな自分でもやっぱり、いやこれ言ったら3秒で終わるなって思っちゃうから。
思っちゃうことは避けられないっていうか。
だからなんかすごい、自分自身の中にあるジレンマにすごく苦しむっていうか。
だからプログラマーみんな多分今、一回やっぱりエージェンティックコーディングみたいなことやっちゃうと、
これもう言ったらやってくれるのになって思いながらコードを書かなきゃいけなくなる。
だから呪いみたいな感じで。
すごくね、つらいですね。だからそういう意味では。
つらいですね。
表現力の差っていう意味ではいかがですか?
いや表現力は多分追いつけないですよ、絶対に。それは絶対に追いつけないと思いますね。
例えば、これ例えてみて分かりやすいかちょっと微妙なんですけど、
例えばバケモノさんの事例とか見てると、
イージングが50、60にかかってるんですよ。
分かりやすい動きだけじゃなくて、時間の流れの中にイージングがかかっており、
さらに歪み方にイージングがかかっておりとかっていう感じで、
イージングが50、60、70、80にかかってて、
その上でさらにシェーダーでエフェクトをかけたりしたやつを全部を相対として見たときの、
我々が感じるものなんですよね。
気持ちよさ。
気持ちよさというか、そこで初めてこれ超なんか気持ちいいなとかいいなって思う。
さっき数学の問いは立てられないって言ったのと同じで、
こうしたら気持ちいいかなーは多分分かんないと思うんですよ。
多分、AIさんは。
もし人間まるまる完全にシミュレートできるレベルのAIさんがいらっしゃったら、
分かるかもしれないですけど、
その気持ちよさとか逆に苦しさとか気持ち悪さみたいなこととか分かる時代が来るかもしれないけど、
少なくとも今は、
あーこれいいわーさすがバケモノさんっていうふうには多分なれないんですよね。
なれないし、
じゃあ同じことやってって言ってもできないっすよやっぱり。
流体、誰でも流体できますよ。
ちなみに今、そのエージェンティックコーディングがあるんで、
流体やってって言えば誰でも流体使えます。
マジで。
もうそこまで来てます完全に。
だけど、
じゃあ流体使う必然性があるウェブサイトをデザインするっていう視点で考えた時に、
できないですよやっぱりそこは。
そのユーザー体験とクライアントの利益とブランディング等みたいなことも含めてウェブってデザインするわけじゃないですか。
そこに流体が流れる必然性は?みたいなことを、
AIはやっぱり考えられないと思いますしばらくは。
そうですね。
なるほど。
気持ちよさの更新がこれから図られやすくなるっていうふうにも言えるかもしれないですね。
その手段が開かれた。
無理に例えるわけじゃないんだけど、
例えばその絵画が写実性を求めていた中で写真が出てきたことにより、
ああもうリアルはこれでいいやんってなってしまったのと一緒で、
低の良い流体とかはもうこれでいいやんなんですよね、はっきり言って。
だけどだからといってじゃあその写真という機構が世界に誕生したことによって誰もが優れた写真家になれましたかっていうと、
誰もが優れた写真家になれたわけじゃなくて、
やっぱりそこには段階というかレベルがあるわけですよね。
なんかAIが出てきたことによって流体は使えるようになったけど、
それを正しく使うっていうところにはやっぱり個人差があるというか、
ただ雑に流体を置いただけのものと、
すべてしっかり考えた上で必要だから流体を使っているパターンというのの間には、
なんか超えられない壁はまだあるような気はしますけどね。
そうですね。だからその後における抽象絵画が出てきたような形ではあるかもしれないんですけど。
そうですそうです。だからここからまた多分なんか変なものが出てくるクエストなんですよね。
多分表現のルールが変わってくるんだと思うんですよね。
うん、本当に本当にそう。
だからそういう意味で見れば、しかもすごく聞いた目で見れば多分面白いんだとは思うんですよね、すごく。
そうそうそう、そうなんですよ。本当にそうだ。
今年WebGL Schoolとかでも去年と明確に違うのが、みんな課題を提出するのにAIを使ってるんですよね。
今年は本当に、去年まではあんまり使ってる人もいたんですけど、そんな感じなかったけど、
今年はもうみんなAIと一緒に作ってるんですよ。別にそれ悪いことだと私も思ってないし、
理解が深まるならいいじゃないですか、そっちの方が。
ですね。
勉強しやすくなっているわけだから。
私が限られた時間の中で教えきれないことも、むしろAIがサポートして、
受講者さんたちの可能性を広げてくれてると思えば、めちゃくちゃいい時代だなって思うんですけど。
でもなんかそれ、だからといってじゃあ、本人がやる気ないと結局ダメだし。
だからといってね、本人のやる気と本人が面白いって感じてくれないとダメだし。
そうそうそうそう。
あとさっきのね、サインコサインの話ではないですけど、原理原則みたいなところまで考えていけるかどうかも決定的な違いだったりしますしね。
結構皆さんが、受講者さんたちご本人がそういうふうにおっしゃってる方がちらほらいますね、やっぱり。
分かんないまま作ってるだけだっていう自覚があるんですよ、本人の中に。
それはそれで不安でしょうからね。
分かんないけど、できちゃっていて、もっと深めなきゃダメだなってことが分かりましたっておっしゃってくれる方が多いんですけど。
そこに自分で至れるっていうのが素晴らしいことじゃないですか。
理解できてないなってことをちゃんと受け入れているというか。
なんかそういう姿勢をなくして、言った通りにやってくんないみたいな感じでAIに対してイライライライしてるような人っていうのはやっぱ多分きっとどこかにはいて、
そういう人たちは何も生み出せないっていうか、ダメなんだろうなって思ってしまう。
あらゆる領域においても本当に共通だと思いますね。
でも結構、これもちょっと聞いてみたいなって思ってたんですけど、宇都宮さんもクリエイティブクラスで講師とかをされたり、
あとはコロソのコンテンツも提供されてたりとか、教える側の立場っていうのがきっと前に出てくださった時よりも、
今っていろんなことを経てきてると思うんですよ。
教える側の目線っていうのを見てきてると思うんですけど、そこはどうでしたか?
思った通りの感じだったのか、なんかいろいろあったのか。
そうですね。
よく言われる通りではあるんですけれど、やっぱり一番、誰しもがそうだと思うんですけど、
やっぱり学び直しになるじゃないですか、教えるって。
そうですね。
やっぱりそこはすごい、まず自分が得られる直接的なものとしては大きかったっていうのはすごく思いますよね。
やっぱりいい加減なことは伝えることができないので、
改めてもう一回学び直しをしたりとか考え直しをしたりとかっていう、
その機会はすごい大きかったなっていうのはまず一個は、
極力わかったつもりみたいなものを減らしていけるみたいなところですね。
ここはやっぱり大きかったなっていうところと、
あとあれですね、一番思ったのは、クリエイティブクラスですごい思ったのが、
教えれば教えるほどわかんなくなるというか、
なんていうかですね、
特に結構短期集中型のスクールではあったので、
2週間おきに開催をするんですよね、クラスはね。
で、1週間単位でその課題をやってきてもらって、
で、その1週間、残る1週間は私が課題に対して採点するというか、
フィードバックするための整理に充てるみたいな機会になってくるんで、
そのフィードバックしたものを見て、また次の課題に取り組んでもらうっていう形が続いてくんで、
こうやってると1週間レベルですごい変わってくるんですよね。
最初のん?って思っていた人がいきなりすごい変化をしたりとかしてくるわけですよ。
なんか別人みたいな、誰かに教えてもらったの?ぐらいな感じで変化をしてくるわけですよね。
そうすると、あれ、この人はこんなものの考え方するんだみたいになってくるわけですよね、どんどんね。
なんでその、1人の人に接していながらも、わからなくなってくる。
人の能力のわからなさがわかるというか、
どこまで行ってもわからないなっていうのをすごい思っていて、
この人はこういう人みたいに判断するのがいかに怖いかというか、
いかにそれを留歩し続けないといけないか、判断の留歩をし続けないといけないかみたいな、
すごい思いましたね、やっぱりね。
思ったし、もう終わってから半年以上経ってるんですけども、
それぞれみなさん、別の世界で、外の世界で活躍されてたりとか転職をされてたりとかしていく中でも、
やっぱり変化も見られたりとかもするし、
わかんないなってすごい思いましたね。
人ってわかんないなってすごい思いましたね。
確かにな、そうですね。
なんか想像を超えてっちゃう人やっぱりいるし、
なんか優劣ともちょっと違うんだよな、なんか早ければ偉いってことじゃなくて、
そうそうそう、それもあるんですよね。
そう、なんか人によってそれぞれだから、
なんか素早くできることを偉さにしてしまうと間違えちゃうというか、
だから小数性で、割とマンツーに近いぐらいの流度でやってればやってるほどやっぱり質の高いものになっていくというか、
やっぱり私は結構一対他でやってるから、
なんかそんなに一対一って感じじゃないんですよ、正直。
向こうから結構アプローチしてくれないと、
こちらから全員に同じ量の熱量で一対一はできない、なかなかできないですね、仕組み的に。
でもクリエイティブクラスの場合って、
最初から一対一の前提というか、
割とお互いにフィードバックを受ける・返す・受ける・返すの繰り返しだと思うんで、
やっぱりそこは難しいですよね、スピード速さじゃないし、
もしかしたら受けた後の半年後に急にの人もいるかもしれないから。
そうなんですよね、そうなんですよ。
1個指標にしていたのは、今できてるできてないはあんまり大事じゃなくて、
でも1週間レベルででもやっぱり変化をするってすっごい大事だと思っていたので、
変化をしていける人はすごいやっぱり、自分は意図的に評価をしていくというかですね、
なるべくそこをちゃんと見ていくっていうふうにはすごくしていましたね。
多分それもあってどんどん変わろうとしてくれてたのかもしれないんですけど、
皆さんもそこに引っ張られてね。
そうですね、これはだからなんか正解わかんない、自分も正解わかんないですけど、
結構やっぱどうしても受け身な人は遅れてっちゃうというか、
それはなんか厳しい現実としてあるのかなっていう感じはするかな。
なんか言われたこと、例えばもらったテキストをただ読んだだけとかで終わっちゃうみたいな、
なんか悪気ないし本人にも、なんかそれをダメだよって言っちゃうのはちょっと厳しい言い方すぎるかなっていう気もするけど、
でも結局、だってみんな輝きたいから、輝く自分になりたいから受けに来てるんじゃんっていう前提を持ち出してしまった場合は、
やっぱり受け身でいるタイプの人っていうのは損してるというか、
それやっぱちょっと思っちゃうんですよね、どうしても。
なんか批判したいわけじゃないけど、せっかくお金払ってきてるんだったらもっとガツガツしたっていいんだよって思うことってやっぱあるんですよ。
やっぱり見てて思っちゃうことってあって。
それが自然体でできちゃう人っていうのもいて、
それはだからすごいラッキーな能力というか、
苦手な人がいるのも分かるけど、やっぱりそういう感じにした方が、せめて今だけはそういうふうにした方がいいんじゃんって思うことは結構あるかもしれないですね。
そうそう、たぶんそれで、一個もしかしたら役に立てたのかなって思ったのが、
盗むことをすごく推奨したんですよ。
クリエイティブクラスの一個いいところって、
ある種の公開プレゼンみたいな、公開競合プレゼンみたいな感じなんですね、要は。
一個の課題があって、みんなそれぞれ考えてくるんですけれど、考え方は全然違うし、回答も違う。
競合プレゼンって見れないじゃないですか、他は。
だけどこの場では見れるんですよね。
で、それってめちゃくちゃ学びがあって、
こういう視点で物を考えれば考えるんだ、この人はとかもあるし、こう考えればいいんだとか、こういうふうに伝えればいいんだとか、こういうふうにまとめればいいんだとか、
めちゃくちゃあるはずで、それをいかに全部いいとこ取りしていけるかが、たぶんすごい学びになると思うんですよね。
なんで、とにかく真似をしてほしいと。
隣のいい人、隣の人のいいところをどんどん真似してほしいっていうのをすごく強調して伝えていって、
そのいいところを真似ようとしてる人っていうのは結構意図的に見つけて、そこを評価するっていうのを結構してたんですよね。
そうすると掛け算のようにどんどん真似をし出すというか、お互いにいいところを盗み合うみたいなことを結構してて、
それも面白かったんですよね。お互いで影響し合ってる感じが結構見れて、
やっぱ真似を推奨するような環境を作るみたいなのも、やっぱいいなっていうのはその時思いましたね。
なかなか前に行きづらかったりとかっていうのはもちろんあると思うんだけれど、それぞれの支出として。
でも真似することはできるじゃないですか。
それをどんどんやっていってもらうみたいな、もうまず1個の取っ掛かりとしてはありかなっていうのをその時思いましたね。
そうですね。結構なんかデザイン、なんか私デザイン勉強してると思いますけど、やっぱり真似しないと始まんないっていうか。
そうですね。
なんかやっぱそこから入っていかないと、何事も始まっていかないっていう感じはしますね、やっぱり。
なんかさっきの資生堂のデザインにめちゃくちゃ感銘を受けたとかだったら、まずはそれ真似してみればいいのかなって思うし。
そう思います。
オリジナルが出てくる、どんな業界でもそうだけど、自分独自のものが出てくるのってもうひたすら真似した後じゃないですか。
なんかこの話、前回の物資の話の時にも似たようなことを話したっていう。
ちょっと急に思い出したけど、ちょっと親方の真似をして真似をして。
その先に個性があるわけだからっていう話、前回もしましたけど。
もう初めは我を忘れて真似をしまくればいいと思います。
いや本当にそうなんだよな。
本当にだからなんか分かんない自分とかを恥ずかしく思っちゃうっていうのももったいないし。
真似ればいいじゃんって。
とりあえずやってみればいいじゃんっていうふうにすごい私は思っちゃうこと多いんですけど。
なるほどな。
だから多分宇都宮さんの講座を受けられた皆さんは、宇都宮さんからもそうなんでしょうけど、
その宇都宮さんの作ってるものから盗むってこともあるのかもしれないし、
同じ境遇の仲間同士で創造効果をうまく生み出すことができたみたいなとこだったんですかね、きっとね。
宇都宮さん本人は、やっぱりみんなを見てて自分が感化されるじゃないですけど、
逆に学ばせてもらったみたいな部分もやっぱりありましたか?
もっと真面目にやらないとダメだなって思いました。
いやそれね、いやそれほんとそうですよ。
何が上から目線で俺喋ってんだろうって冷静になるときはありますよ、ほんとに。
あります。
ほんとにそう。
いやーそうだよなー。
ちょっとこれ唐突に今急に思い出しちゃったんで宇都宮さんどう思うか聞きたいんですけど、
なんか私も教える側の立場として、
やっぱなんか上から目線になっちゃいけないって言い聞かせてるとこあるんですよ、なんか常日頃から。
わかります。
だって自分たまたまWebGLに詳しいだけで、
みんなよりも優れた人間性を持ってるかどうかだってわかんないわけだし、
年だってたまたま上なだけで、
わかんないじゃないですか。
だからなんか上から目線、その講師という立場上を教える側だけど、
人として上から目線で喋んないようにってすごい気をつけてるつもりなんですね。
はい。
なんですけど、なんか結構その世の中のデザインを勉強しているときに、
割と世の中のデザイン指南系のやつ見ると、
だいたい指南する側は上からくるんですよ。
なんか私の感覚として。
そうなんすか。
ダメだね、それね。
いや、なんかその…
いや、怖いな。
いや、なんですかね、なんかこう…
大丈夫かな。
いや、デザインって、なんか今の私が自分なりに考えてどう紹介したかっていうと、
デザインってやっぱり積み重ねだから、
どうしても言語化されない部分ができてしまうもの。
はい。
その印象、感覚みたいな、
言葉だけではどうしても明確にシステム化できない部分って存在するから。
はい。
ってなると、やっぱり経験値の差とか見てきたものの差があるから、
教える側がどうしても感覚的なことも含めて、
説明しなきゃいけなくなる。
その、化されているものがちょっと重たいって言ったらいいのかな。
なんかこう、教える側に化されている制約が強いというか、
なんかこう、いい感じにしたいんだよねみたいなことをどうしても言わなきゃいけなくなるというか。
多分プログラムの場合だと、
いい感じにっていうよりは具体的にこうしろっていうのが割と言いやすい。
プログラムって結局システムだから言いやすいけど、なんか、
デザインってどうしてもその感覚の部分があるから、
どうしてもなんかこう、
上から目線な言い方っぽく言わざるを得なくなっちゃうのかなっていうのが、
今の私の結論なんですけど、
なんかこれは俺だけの感覚なのか、
みんなが感じていることなのかわかんないんですけど、
すごい上から来るなって感じるんですよ。
上から来るんですか。
多分悪気ないんですよ、みんな。
悪気はない。
俺が上から来てるなこいつって思っちゃう人も、
悪い人じゃなさそうなんですよ、まず人として。
別に悪気なさそうなんですよ。
でもそれはタチ悪いね、もっとね。
何なんだろうなって、すごい不思議で。
そうか。
ちなみにその感覚は、
どういう種類のものなんだろう?
その上からの種類の感じっていうのは。
いや何だろう。
いやこれでも、
本当普遍的なものかどうかわかんないです。
私が見たものがたまたまそうだったのかもしれなくて。
言語化しづらいものを伝えるときに、
上からのように感じてしまう。
そうだな。
何だろう。
どういう時なんだろう。
いや何なんですかね。
やっぱ俺がおかしいのかな。
いやいやいや、そんなことはないですよ。
そう感じるということは、
他の人も同じように感じる人はいるっていうことだと思うので。
いやでも、
あるんですよ、そんなに。
俺だけの可能性もあるな。
なんか自分がこう教える側の人間だから、
過敏になっちゃってるだけなのかなとかも思うんですよね。
いやでもわからない。
でも自分も、やっぱ過去を振り返ってみるとですよ。
お客さんに怒られたこととかもあったりしたわけですよ。
で、そういうところの中にたぶん潜んでるものにかな、
気もしなくもないですね、今の話は。
どうなんだろう。
怖い。
いやだから、
何でしょうね。
すごくこう、例えば、
俺が特に顕著に感じたのはある書籍だったんですけど、
言いませんけどある書籍の中で、
アートディレクター的な最終的な絵を決める人が著者なんですよ。
そこに登場人物として、
同じ会社のデザイナーさんたちが、
これでどうですか、これでどうですかって出してくるやつに対して、
添削をしてあげるっていう、
そういうコンテンツになっており、
ここはもっとこうしたほうがいいね、
ここはもっとこうしたほうがいいねっていうのを、
割とリアルな実情をさらけ出してくれるというか、
そういうタイプの本で、
書いてあることはめちゃくちゃ参考になるんですよ。
実際にこういうフィードバックがあるんだ現場ではっていうのがすごく見えて、
なるほどな、だからここの余白を削る必要があったのかとか、
要は提出した側は気がついてなかったけど、
レビューをしている著者の人は、
この案件はこういう案件なんだからここはこうあるべきだよね、
だからこういうふうに直してみたらどう、みたいなフィードバックを返すんですよ。
なんだけどもうその、なんだろう、
やりとりがすごく常に上から目線に感じちゃったっていうか、
なんかわかってきた気がする、そのニュアンス。
別に悪い人じゃないし、悪く言いたい、いじめたいとかでもないんですよ。
なんだけどもなんか、
この案件ってこれがゴールじゃん、だったらこうするべきじゃない、
みたいなこの言い方がなんだろう、なんかその、
だからね、難しいんですけど。
でもわかってきた。
なんかその、なんだろう、それは確かに、
アートディレクターさんの方が視野が広いし、遠くまで見通せてるし、
ゴールのビジョンも明確に描けてるんですよ。
だから、やっぱりその至らない部分はこっちサイドにあるっていうか、
その提出した側にあるし、
なんか言ってること全然すごい勉強になるんですけど、
なんでこうなっちゃうんだろうなっていう。
なんでこうなっちゃうんでしょうね。
わかってきたぞ。
なんかそれがすごく、
いやだから俺がやっぱ自分が教える側だから、
隠れになりすぎてるのかな。
これはね、明確に違うと思いますね。
そうなんですかね。
いろんな角度でいろんなことが言えるぞとは思っていると、
私は結構独立化だったりするところもあるので、
気をつけなきゃいけないなって思ってるところもあるんで、
どうしていこうかなっていう。
でもそれが必要な場合もあるじゃないですか。
やっぱりちゃんと伝えてあげる。
その、罪隠さずじゃないけども、
ちゃんと伝えてあげることも大事だったりするから。
そうですね。
でもそれもあるんですけれど、
もうちょっと根本的に言うと、
教えるってなんだろうっていうこともあると思ってるんですよね。
はい。
教えるとか分かるってなんだろうっていうこととか。
で、
ある種その、
今こういう条件でこういう状態がウォールであるんだから、
こうあるべきだよねって伝えることって、
もちろんできるし、
アートディレクターの役割ってそういうものではないって言われたら、
そこにも一部あるとは思います。
あるとは思うんですけれど、
本当に大事なのって、
その人が気づいてその人が作れるようになっていったり、
その人が成長していくことだと思うんですよね、自分は。
はい。
なので、
なんだろうな、
一つのものの見方をそういう形で直接的に伝えていくってやり方自体って、
すごい簡単なことだと自分は思ってるんですよ。
なるほど。
で、それが教えることかというと、
確かに教えることではあるとは思うけれど、
もうちょっと本質的なところにも目を向ける必要はあるなとは自分は思います。
なんだろうな、
今のそのアプローチって超具体のやり方なんだと思うんですね。
それが具体が求められるケースもあると思うし、
それを求める人はいると思うんだけれど、
であるにしても、
やっぱり可能性でしかないと思うんですよね。
こういうケースの場合で、
こういうものがゴールだったら、
例えばこういう切り口におけるこういうやり方は一つの手段としては。
で、その時には多分こういうような効果があるっていうようなことだと思うんですよ。
絶対的な一つのものではない、必ずないはずだと思うんですよね。
まずそれが一つすごく前提としなきゃいけないものだと思うし、
その視点で、その流度で直接的に話すのであれば他の切り口も話せるはずなんです。
他にはこういう考え方もあるし、こういう視点によってこういうアプローチもある。
その時にはこういうような効果も得ることができる。
逆にこういうアプローチもあるっていう風な形で考えた時に、
それぞれアプローチの違いと効果の違いっていうのがあるわけで、
で、じゃあその中で自分だったらどう思うっていうところはあると思うんですよね。
今回の状況を合わせて、じゃあ自分だったらどの選択肢っていうのがより適切だと思うみたいな形で考えていくっていうのもあると思うし、
それによってその複数の視点っていうのを極力持ちやすくするための指摘の伝え方みたいなのもある。
で、おそらくやっぱり直接的かつ偏りすぎているというか、偏りがあるっていうところ、
そこに何らかしらの上からのものっていうのが潜んでるんじゃないかなっていうふうに聞いていて思いましたね、すごくね。
なるほどな、だから多分人、人間同士の関係性とか、あるいはチームとかの空気だったりなんですかね、大事にしているものとかによって多分全然違うし、
なんか例えば上司も一緒になって悩んじゃう感じのチームとかも多分世の中には多分あるんだろうし。
うん、それも一個のやり方だと思います。
なんかそう、たまたまだからやっぱりその書籍を見たとき、その書籍だけじゃなくて、なんか私は結構普遍的にそれを感じてしまったとこあったんですけど。
でもなんか、私もすごい否定的っていうことよりも、なんでこうなっちゃうんだっていうことが不思議だったんですよ。
もうちょっと違うやり方ないのかなってすごい見てて感じてしまって。
そう思いますね。
そのアプローチ自体がやっぱり自分からすると短絡的な印象がとてもありますね。
結局それを手に取って読んでしまうと、その人もそういう見方になっちゃうじゃないですか。
限定されちゃうんですよね。
つまりこれが答えだって思っちゃうってすごい危険なことだと思っていて、答えって本当に多様にありすぎるほどありすぎるので、どちらかというとその考え方みたいなものが一番重要だったりすると思うので、
その考え方を伝えるっていうところにフォーカスされてればいいと思うんだけれど、答えの方に焦点が合ってるような印象があるので、そのアプローチ自体がやっぱりちょっと疑問を感じますね。
なるほどな。
でもなんかそういうふうなお話を伺っていくとやっぱり、またこうデザイン素人として思ってしまうのは、
じゃあ正解は一体いつどのタイミングで誰によって決まるんだっていうのが、なんかすごい難しそうっていうか。
そうね。面白いですよね。
そこはじゃあ一体、たぶんなんかその本、私すごい悪口言っちゃったんですけど、その本はすごくいい、たぶんいい本で、それはそういう作りになってるわけだから、
なんかそれを勝手に私がそういうふうに解釈してしまったっていうだけの話として皆さん聞いてほしいんですけど、
ただとはいえなんか、その本では例えばですけどそのアートディレクター役の著者の方が、正解を決める係の人なわけじゃないですか。
でその正解を決める係の人が、こうだと思うよって言ったことを示された側は、そこに向かって一生懸命頑張るっていう、まあそういう体裁の本だから、それはそれでいいんですけど、
じゃあ実際の現実世界の我々が直面している案件とか事例っていうのは、一体誰がどのタイミングでこれがゴールだって決めてるんだっていうのはすごい、
なんかデザイン素人からすると気になっちゃうんですけど、そこにはどうなんですか。
いやでもそここそがね、面白いところだと思ってるんですよね、デザインのね。かつそここそが人間の多分ポイントなんだと思うんですけど、解剤するね。
なんだろうな。
すごい、まず直近で言うとその先輩だったり上司であるアートディレクターの言うことっていうのは、多分その人にとっての正解だと思うんですよね、一個はね。
今度もうちょっといけば、例えば営業の方がいたとして、営業の視点としてこのプロジェクトのゴールに対してちゃんと数値的な効果があり得るのかどうかみたいなものも正解の一個だと思うんですよね。
それを提案していった時にクライアントさんがいいかどうかと思うかみたいなところも正解かどうかだったりするじゃないですか。
で、今度世の中に出していった時にそれが売れるかどうかみたいなのも正解かどうかだったりするじゃないですか。
でももうちょっと一歩引くと、いや売れたはいいけど、全然これ美しくないよねとかもそうだし、これめちゃくちゃ地球環境に対して良くないよねみたいなのもあると思うし、そういう意味での正解とかもあったりするじゃないですか。
なんでめちゃくちゃ重層的なんですよね、正解ってね。
なんで、デザイナーとか人間っていう視点で見ていくと、多分そういう超重層的な正解に向けて、どの在り方で提示をしていくことがより天秤にかけた時に適正かみたいなところを、
もう常日頃揺れ動きながら悩みながら、今回においてはこれが正解だと思うんですけどって、責任取るんでっていう役割なんだと思うんですよね。
いや本当、今日の話全部繋がってますよね。
AIはやっぱり人間に残された役割は責任を取ること、一つ目は責任を取ることだってさっきおっしゃってましたけど、
この正解が何かを決めるってことも必要だわけですね。
そうなんです。だから、私今回のプロジェクトでAGを務めるツノミヤですと、今回の責任は私が負わせていただきますというもとで、
私はこれが今回のプロジェクトにおける適正な在り方だと思いますという話を説明し、責任を負うっていうことなのと、それを信頼していただくっていう。
だからやっぱり上から目線にならざるを得ないんじゃないですか、そうすると。
ああ、そういうことか。
だって、ツノミヤさんが決めるしかないんだから。
ああ、そうか。そういうふうにも捉えますね。
悪気はないけど、自分が決めるしかない。そこをだってやるべきだから。
そうね。
だから循環してるんじゃないですか、これ。
そうですね。やっぱり見方変換すればそれはやっぱり上からになりますよね。そういうことだと思います。
その瞬間瞬間においては、やっぱり誰かが責任を取らなきゃいけないから、その責任を取るという責任の範疇の中において、こうじゃない、ああじゃないって、
やっぱり一方的に突きつける側をやらなきゃいけない人が必ずいるっていうことなんでしょうね、きっと。
そうですね。だからこそ多様な目で見るっていうことこそが求められるっていうことだと思います。
よりフェアな立場に立ち続ける。立てることは難しいけど、そうあろうとするっていうことだと思いますね。
うーん、なるほど。いや、なんかすごい分かってきた。
だから結局、プログラマーで言うとプルリクエストっていう概念があるんですけど、
何かしらのプロジェクト、プログラムがあります。ライブラリとかで例えると分かりやすいと思うんですけど、
ライブラリの作者、オーナーがいますと。で、有志の第三者がこんな変更を作ってみたんで取り込んでもらえませんか?
これがプルリクエストなんですけど、結局そのプルリクエストを受け入れるかどうかっていうのはオーナーが権限を持っていて、
いや、これはライブラリの信念に合ってない変更だから入れませんとか、もっとこういうふうにしてくれたら入れられますよとか、
あるいはありがとう、すごくライブラリのことも考えてやってくれてるからこのまま入れるねとかっていう判断はオーナーがするんですよね。
で、結局このオーナーは上から目線じゃないですか。決める側だから。
だからなんかそういうことなんだ。だから俺は多分ちゃんとレイヤーを分けて見れてなかったというか、やっぱ素人だからなんかこう全然違うところから見ちゃってて、
全体的な構造が分かってなかっただけ。で、なんか勝手に上から目線だなって感じでたけど、でもよくよく考えたらプログラミングの世界もいわゆるオープンソースって呼ばれている、
みんなで開発するプログラミングの世界も結局やっぱ誰かオーナーっていう強力な信念を持った誰かがいてくんないと成り立たないんですよ結局。
上がふわふわだとめちゃくちゃになっちゃうから。
いやそうなんですよ。
だからその頭を張ってるオーナーが絶対に曲げない信念を持っててくれるプロジェクトの方がうまくいくんですよね結局。
だからそういうことなんだ多分。それがすごい分かりました。
そういうことだと思います。
すごいなんか腑に落ちました。だから多分必要なんだそれがやっぱり。
そうそうそう思います。
だから責任を負った大人同士が仕事をしていくっていうことだと思います。
そうですね。
そうだ、だからこそ自分が一番勉強しなきゃいけないし。
そうそうそうそう。
ってことですかね。
簡単に何か決めつけることもなかなかできないし。
そうですね。
いやなんかすごいスッキリしたわ。だからそうかなるほどな。
いや置き換えたら分かるわ。なんかOSSのプロジェクトのオーナーがレビューしてるんですよって言われれば確かにそういう問題になるなって分かる。
今なんか置き換わってますもんねいい感じにね。
いや分かりました。
なるほどな。やっぱだから無知だからそういうふうに見えちゃうんだな。
ちゃんとやっぱ勉強すると分かってくるんだ。
いやすごい分かりました今。
うつむき屋さんのおかげで。
なるほどな。
いや難しいっすねほんとに。
難しいっすね。
いやプログラムより難しいっすよやっぱり。
なんだろうその決める最終的に決めるっていうことの判断基準が多すぎるからそういう意味ではやっぱ難しいわデザインの方が多分。
なんかプログラミングはねある程度正解があるんですよやっぱり。
だってプログラムが動く言語を書いてるわけだからある程度は正解あるんですよやっぱり。
でもデザインの可能性って無限すぎて。
難しいなって思いますね。
難しいのはやっぱ立場ごとで全然違うんでやっぱり見方だったり目指すものだったりはね。
そこですよねやっぱりね。
全部言ってることはわかるんですけどっていうところの中でどう決めるかって難しいですよねやっぱりね。
そうっすね。
いやなんかあの前にビズハニの今村さんが出てくれた時に
その長く続いているブランドにすぐ勝つことはできないんですよって言ってて。
その通りだと思います。
そうおっしゃってたんですよね。
例えばライカみたいなドイツのシンセメイカ何十年もの歴史があるみたいなところにいきなりは勝てないんだとやっぱり。
なんかその話聞いてた時私うんうんって頷いてたけどやっぱ頭の中でよくわかってなかったんですけど。
なんか最近ちょっとなんかわかってきたというか。
そうその長さって決断の長さだと思うんですよね。
そう決断をし続けてきた長さなんですよね。
いろんな正解がある中で選び取ってきて今あの姿になっているということですよね。
そうなんです。選び取って責任を追い続けてきた結果組み上がってきているものがブランドっていうことだと思うんですよね。
そこはなかなかその簡単に何かを超えることっていうのはやっぱり難しいですよね。
いや俺もうなんか最近本当にいやもうあの時今村さんが言ってたのはこういうことだったのかなみたいなのがちょっと薄。
答え合わせが。
ちょっと薄わかるようになってきたな。
まあだから今村さんは結構その自分がデザインを起こすっていうことについてはなんか才能叶わないなって思ってしまったからそこを知識で補ってるんだみたいなことをおっしゃった。
まあざっくり言うとそういうことをおっしゃってて。
なんか私もその芸術的なセンスみたいなものとかってなんかそんなにある感じ自分ではしないですけど。
なんかやっぱこう知識として蓄積していき美意識を磨き神秘感を磨きってやっていった先だったら何かしら生まれてくるかもなみたいな気はしていて。
多分それをやり続けているのがなんか今村さんなのかなっていう感じはしましたね。
結果的にそのセンスと呼ばれるものも結局のところは知識であったり学び続けるっていうことを得た結果のものだと思うんですよね。
先天的に持ってるものっていうものではないので、どのような方であれやっぱ学ばないといけないっていうのは多分共通してると思いますね。
センスっていう名のもとにやっぱあぐらは組めないですよね。すごくね。
それすっごい危険だと思います。
そうですよね。いやなんか今日、いや本当やっぱ宇都宮さん呼んでよかったっすね。完全に俺の感想なんですけど。
よかった。
いややっぱ面白いっすね。なんかこういう話面白いですよね。なんかいろんな情報交換というか意見交換。
なかなか考えないですからね。立ち止まってね。
そうっすね。
いや本当なんか久々に今日ノーマレーズFM撮ってて、本当面白いなって改めて思いましたね。
やったー。嬉しい。そこは嬉しいな。
本当に本当に。
今日もですね2時間近く今喋ってきまして、これ時間が許せばいくらでも喋れるなっていう感じではあるんですけども、
今日は一旦このあたりで終わりにしたいと思います。
宇都宮さんちょっと久しぶりにこうやってお話しする感じでしたけど、めちゃくちゃ楽しい時間を過ごさせていただいて。
楽しかったな。
いや本当ね、最近デザインの勉強とかしてるせいでなんか私がすごい食いついていっちゃったんですけど。
いやー面白かったな。
多分みんながこう悩んでるようなこともね、なんか触れながら話せたと思うし、
なんかその宇都宮さんならではのお考えとかもなんか聞けたのかなって思うし、
すごくこのタイミングでお話しできてよかったなっていうふうに思いました。
いやー嬉しいです。本当楽しかったな。
2時間、なんか怖いですね。なんかあっという間過ぎて。
怖いですよ本当に。
いや本当に。2時間なんて喋れるかって最初思うんですけど。
いや本当に。
やっという間でしたね。
いやなんかあの、たぶんちょうど今会社作られて大変な時期だと思うんですけども、
ありがとうございました。本当にお時間作っていただいて。
とんでもないです。ありがとうございます。
こちらこそ呼んでいただいてるうちが花なので。
いやーそうですね。
いやでも本当に今日はすごくね、個人的には満足度すごい高かったというか、
やっぱ自分の中でホットなトピックがいろいろ話せたので。
それは一番です。
本当にありがとうございます。
ちょっとまた次回があるかどうかわかんないですけども、もしあったらまた呼ぶんで。
もちろんです。嬉しいです。
ぜひぜひよろしくお願いします。
本当に今日は長時間お付き合いいただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
ではあと最後、ノーマライズFMのいつものお知らせになりますけども、
シャープノーマライズFMというハッシュタグで皆様からのご意見ご感想など随時募集しております。
最近私自身がねちょっと更新サボっちゃってた中でこんなこと言うのもあれなんですけども、
もし感想とかね、ありましたらぜひ気軽に投稿などしていただけますと嬉しいです。
はいでは今日はこれで終わりにしたいと思います。最後まで聞いてくださってありがとうございました。