創発思考の基本概念
どうも、シゴクリラジオの大橋です。
今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
挨拶がね、どうもになりました。
万能な挨拶というわけで。
挨拶ね、あれなんですよね。
いろいろ変えていった方がいいのと、あとリアルタイムっていうのがないじゃないですか。
これ非同期配信収録側なんで。
どうもとか、大橋ですとか、何か変えていこうかなと思って、どうもになりました。
一旦、定着するかわかりませんが、やっていきたいと思います。
この番組ですね、シゴクリラジオはパーソナリティ、私大橋が仕事クリエイターとして活動しておりますが、
その仕事クリエイター大橋が仕事作りに関して話をしていく番組です。
なんか技術とかね、あるのかなって感じですし、マインドセット、マインドセットはあるかもしれない。
だけど楽しんだり遊ぶというかね、心が最も大事で、それに応じてチャレンジする、試していく。
こんなことを仕事にできないかな、仕事にしなくてもいいんですけどね、やってみたいなっていうところ。
正直なところ、自己実現的なところもあるんでしょう。
また、別にこれやってみたいっすっていうのは、別に自分のリスナーのあなたですが、
それぞれの人の夢とか大きなものでなければいけないなんていうものは未尽も思っていないです。
例えば今ですね、手前の前にブックカバーがあるんですけど、ブックカバー作りたい、やってください。
そういう時に何が自分を止めているのかと。
それを止め続けると、やらないことが当たり前になっちゃうんですよね。
それが一番まずいかなと。
それは究極、人の考え方の集団である社会に対して、社会が構成する一つになるので、何もやらない社会になっちゃうんですよね。
それが嫌なんですよね、ということを思っています。
ネガティブに言うと嫌だけど、ポジティブに言うと、挑戦する人やある人を増やすというか、やっていこうと。
少なくとも自分も込みで、自分がやるやらないという時にやっていこうかなというふうに、舵を切れるのはそういうところがあるのかなという話で、
今回はそんな関連するような話として、創発志向みたいな、志向を伝えたいわけじゃなくて、
そういう感覚でやってますよということをお伝えする。
まさに、しごくりというよりも僕の考え方みたいな話を少し話していきたいと思います。
もしご興味があれば引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
アイディアの生成と評価
はい、しごくりラジオの大橋です。
創発志向、創発を作るクリエイティブの層、創造の層、あ、ごめんなさい、クリエイティブの層ですね。
創造の層に発するで発と。
創発ということは結構好きです。
僕の定義は物理か学問かわかりませんが、そんな話は置いておいて、
アイディアって、要はあるものとあるものが組み合わされるということをアイディアが生まれるとか、
それを出すということが多いですが、それがそういうところを捉えたときに、
想定していないものが生まれる。
例えば、好きではない方が多いかもしれませんが、
コーヒーと炭酸、アイスコーヒーと炭酸飲料を混ぜてコーヒー炭酸というのを作りますと。
コーヒー炭酸というのがコーヒーでいいじゃん、炭酸でいいじゃん、別々で飲んだ方がいいじゃんと言ったら、
コーヒー炭酸としては失敗してるじゃないですか、たぶんね。
コーヒー炭酸というのがいいよねというふうになった瞬間が新しくなっている。
かつそれが、その人が想定していなかったものだったら、爽発なんじゃないかなと思ったりします。
アイディアを出していって、その可能性や期待値が想定以上であったみたいな感じですかね、ひとまず。
というのをやっていこうというか、を考えているんですよね。
考えているというのは別にずっとそういうことを考えて感じてきたんじゃないかなという話なんですよ。
じゃあいきなり、その爽発思考というふうにならずにステップというか段階があるんじゃないかなと思ってまして、
要はですね、これはもっと言えばアイディアを出す、もしくはそれをやってみる、チャレンジするというのは、
ある種の僕の中で基本動作、基礎動作ではあるんですけど、そうじゃない人もいるじゃないですか。
あとそれをやれている人が過小評価しがちだなとよく思うんですよね。
これをやっているからそれが普通だけど、いや普通じゃないですよみたいな。伝わってますかね。
四国理の仕事作りですね、仕事クリエイトというところのポイントは、
これは何度も言っていますし、今回初めての聞き方ももちろんいらっしゃると思うので、また何度も説明していくんですけど、
これを毎回何度も説明することで間違っていたら自分も間違っているなと思うし、適宜アップデートしていくという意味で何度も何度も言っています。
まず自分が普通だと思っている、だけど他人から見たらそうじゃない、普通じゃない、普通じゃないというのは価値があるという意味ですね。
異常でそれまでやめてくれというのは一旦価値じゃないんで。
つまり自分は、例えば僕だったらITのことを知っている、セキュリティとかね、わからないけど修正するね、アップデートするとかそういうのも別に苦はないですよね。
でもそれ調べたやつに嫌だとか、これ結局どういうことかわからない、めちゃくちゃあるじゃないですか。
っていうようなことでもいいですよ。
例えば歩き方みたいなことをマラソンしたりウォーキングしたりもしくは体調を崩されたりして、歩き方すごい大事なんだみたいな。
姿勢でもいいし気持ちとかもそうだし、歩くってことを高めていく、普段やっていることを高めるってことを知っている人はそれが普通になっていますよね。
だけど他の人から見たら歩くのに詳しいよね、だから何か詳しいよねっていうのは絶対あるんですよね、絶対ある。
ただそれは世の中で序列をつけてランキングつけてってことじゃないですよ。
ランキングつける人はもうあんまり減ったのかな。相対的なものですよ。ってことを理解しているはずなんですよね。
理解しているんだけど、自分の番になるというかタワーになると自分は何もないものと思ってしまう。
これは多分、自分について考えたり、自分はこう思うんだよねってことを言いたりてない、いわゆる簡単に言うと語りたりてない。
デザイン思考の重要性
なんかそんな気がしています。だから語ればいいんだよっていうのもある種の問題解決というか課題解決になるので、語りが多分あった方がいいんじゃないかと思います。
ただ語りも、自分が何か言いたいだけとか支配したい人もいらっしゃるじゃないですか。
これがまた面倒くさい。だから語る場とかって結構大変なんですよね。
これを分かっている人は多分やったことがあるか、そこでいろいろ感じたことがある人かと思います。
別にこれはやったことないからダメだとかいうことじゃなくて、やったことない人は分からないんだと思います。
ここで一番よく問題なのが、解像度が高い側は知ってて問題であったりいろいろやってるんだけど、
それがお客さんという相対的に解像度が低い人、別にウェブ制作でも写真でもイラストでも文章を書くでも、それこそ経営コンサルでもいいんですけど、
解像度が高い側は知っているが、解像度が低い人に対してお客さんとなってもらうので、それが分かってもらえないみたいなのがある。
というかそこがたぶん仕事作りとか仕事の面白さじゃないかなと思いますね。
なぜならそれが成立するだけじゃないですか。お願いする。
だからそこでコミュニケーションでつなぐ。もしくはその工夫のしがいがあるから面白いと思うというところです。
話を戻すと自分が提供する側となるとか、もしくは提供する側だとちょっと分からないですけど、会社とか所属したりすると別にそれできていると思っているかもしれませんね。
だけど自分がやるとか、一人とか個人とか、フリーランスでもいいし、自分で会社を立ち上げてもいいんですけど、やり始めると一応新規に作ることになるじゃないですか。
能力を再定義したりとかスキルを再定義する、もしくは価値を再定義する。
自分が定義していたものじゃなくて、自分はこういうものなんじゃないかなってこと。
価値を新しく作るというよりも再定義の方が近いんですが、既にあるものをこうじゃないかというふうに定義していくって感じがします。
その時にまさに今言っているように、自分が価値があるとか分からなくて普通なんだけど、人にとっては価値があるみたいな。
それいいよね、詳しいよね、やってよみたいな。
が、ごめんなさい、ちょっと長く言いましたけど、主語繰りとしてのそのギャップがポイントです。
だからこのギャップを見ていくためにはまず自分について知らなきゃいけないですし、同時に他人とか社会とかの興味を追わなきゃいけないということで、もう半分説明になっているんですけど、
まず最初に、ごめんなさい、一旦そこの部分は置いておいて、まずその創発思考っても何なのかってところのステップとして、まず全体は3つあって、最後が創発です。
一つ目がアート思考みたいなやつです。
アート思考っていうと、絵を描いてとか、画家的なとかってことじゃなくて、その要素もあるんですけど、
シンプルに自分がやりたいことをストライクとかド直球にまずやる、まず自分ということを言っています。
勢いとかノリみたいな感じでもいいです。
これは意思ってやつで、さっき言ってたように、じゃあブックカバー作りたいっていうのは、僕はアートだと思っていて、
そのブックカバーがアート的かとかっていうことじゃなくて、そのマインドというか精神の流れのことをアートっていうふうに言っています。
それはお間違いなく。
芸術とか、先に言ってないですけど、芸術か活動とかそういうことを言いたいわけじゃないです。
ただここで当たり前なんですけど、例えばお勤めの人がいて、資料作成でもいいですけど、工場で働いている方でも全然いいですけど、
この動かし方は効率が悪いですと。このやり方おかしいと思った。仕事の仕方がね。
だから俺はこうする、私はこうするっていうことを言うと。
でもそのロジックというか根拠がなくて、俺はこうなんだと。
左から右に動かすんじゃなくて、右から左に動かしたいんだと。俺はっていう。
それはあなたが思ったことだから別に否定しないけど、それだけでは単にオラオラというか、俺のことを聞けみたいになるわけじゃないですか。
それは何ですかってなって、パワーハラスメントみたいなところの場で、その人が力を持ってたらそれが通りますけど、通りますよね。
でもそれに対してストレスだったりそれに対して嫌な人は辞めていくし、なんで部下が辞めてくるんだろう。
もしくは組織の事情作用みたいなものがあれば、その人はその仕事を辞めたり、もしくはどこかに行くということになりますよね。
とりあえずアート志向ですね。自分がやりたいやり方をやるのはいいんですよね。
でもそれはどういう作品を出すとかアウトプットをするとかっていうことになるから、今の会社の中での仕事の業務を変えたいときに俺がやりたいやり方をやるっていうのは、ある種わがままじゃないですか。
だからダメじゃなくて、それだけではダメって感じですね。だからそのパワーは使ったほうがいいです。
だから何事もですが、光と影というか光と闇でもいいですけど表裏一体みたいな、使うパワーはいいんだけどそれだけではよろしくないかなみたいなのってめちゃくちゃある。
というか大体そうじゃないですか。少なくとも視点が1個っていうのもめちゃくちゃ危ない。
少なくとも最低2つで3つは欲しい。4つ5つ。多用というところまでいければ見えてるんじゃないかなと思います。
次に行くのは、そうじゃなくて、あなたが言いたいのはその仕事の仕方っていうのは自分の左から右にじゃなくて右から左に動かしたいってわかるけど、
それは他の人のことを踏まえてないよねっていうのがまさにデザイン思考みたいなやつがあって、デザイン思考ってことはどうでもよくて、本当にどうでもいいです。
言葉がね。考え方は大事だと思います。これを結局人のこととか他の人がどう思うかみたいなことになっていくかなと思います。
つまり自分が左から右じゃなくて右から左っていうんじゃなくて、左から右ってなってるのは何でだったっけとか、
右から左にしたら怒ってくる人いたけど何でだったっけとか、怒らなくてもそれはちょっとやりたくないですっていう風に言ってくる人は何でだったっけっていうように、
他者の視点の重要性
他の人から見た視点ってことですよね。当たり前かもしれないですけど、あーどしこが事故だったら他者の視点になる。
これで人の求めているものをやればいいんですよねっていうと、はいパチパチパチってもしかしたら終わる方もいらっしゃるかもしれません。
ただこれ一つだけ問題があるというか、かなり問題なんですけど、人の言っていることをやればいいみたいな風にもなるんですよ。
言ってることわかりますか。つまり他の人とか他の人がやっているデータとか、それこそアンケートの意味ですけど、
みんな左から右でやってくださいって言ってるから、じゃあ左から右でやればいいよねっていう風になって、それで終わる。
そんなのってどうですか。まずくないですか。
左から右でやっているってことをやると、じゃあ自分は右から左だと思ったけど、それで左から右っていうことをやっていくにして、
左から右っていうことでもういいんだと。それでもう自分は右から左でやる必要ない。自分のその意見とか関係ないよ。
つまり自分は関与する余地がなく関係なく、何も関係ないのだと。無力感みたいなやつって言えばいいんですか。
自分が関与することが無力だみたいなのになりやすい。人が言っていることをそのまま受けてやればいいんだと。
それが評価されるんだみたいなところってあるんじゃないかなと思います。
これはこれで良さそうだけど、例えば完全に僕の話をすると、僕はそれでは面白くないというか、
そんなの別にできるじゃないですかってなって話が終わる。なのでここで止めない方がいいかなと思います。
それだと要はここで止まる場合、人が言われたことをやっていればいいってことになって、
じゃあ自分の意思は何なんですかってなって、相対的にアート思考がめちゃくちゃ弱くなるので、
デザイン思考とアート思考
じゃああなたはやりたいことをやってくださいって言われた時に、人が言われたことがないんだ、人に言われていることがないんだっていう状況になって、
いわゆる駆動するトリガーというか動くパワーがなくなるんですね。これ怖くないですか?
めちゃくちゃ怖いなと思って、慣れているとね。
なのでデザイン思考って良さそうに聞こえるかもしれないけど、別に人の言われたことだけやれってことじゃないと思いますよ。
デザイン思考みたいなやつはね。
だけどそれだけやっていると自分がどうということにならなくなるんですよ。人の考えでいいですよ。
人の考え方をなぞればいいですよってなっちゃう。
安排というか、自分が考えたくないという人にとってはそういうのがいいかもしれないですけど、そういう思考に逃げないほうがいいですよね。
思考に逃げないというのは常にある考え方に逃げるというか照らし合わせて、そこで考えないというのはあまりお勧めしないというところですね。
最後に創活思考というのがあって、創活思考って僕が勝手につけてるんですけど、最初のアート思考の自分の勢い。
俺はこう思う。俺は右から左がいいと思うよっていうことを言いつつも、それで止まらずに、今度は左から右という人の考え方も理解してて、
で、リスナーのあなたも考えていただきたいんですけど、その場合どうします?
自分はこういうのがいいんだけど、それが他の人の考えとは対立してたり、もしくは対立までいかなくてずれたりする。
その場合どうします?ってところなんですよね。
ここでここをやらないというか、それは難しいからダメなんだ、自分か人かどっちかですよねっていうのはかなり論理的な方だと思います。
AかBかみたいに考えちゃう。
でも世の中ってAかBかなんかなくて、AよりのBとかBよりのAとか、AだったりBだったりしてる。
さっきAだったら5分後にBになったりしてる。5分はないのかな。
状況によってはなぜかAがAだったと思ってたけどBになったり、Bだと思ってたらAになるみたいなことで、分かんねえみたいな。
多分それが僕が観測する社会なのと、そんな風にきれいに決まってないのが社会。
それは分かりやすいのが、感情的にはAだが、論理的にはBみたいな。
会社的にはAだが、個人としてはBだ。どっちやねんみたいな。
しょっちゅうないですか。
そういうのを乗り越える、もしくはどちらでもOKにしていくっていうのが創発かなと僕は思ってます。
それはクリエイティブとか創造だと言っても、そういうことは好きじゃないんだけど、言っとかないと他のことがなくて言ってるんですけど、
提案と言ってもいいでしょう。
だから提案も、人によっては営業のこと提案だと思ってる人もいたりするし、営業のこと提案と言って提案してくる人もいますから、
ここの理解はね、結構重要というか丁寧にやっていただきたいというか、
僕からもそこは簡単に理解できますよとは思わないんですよね。
だけどそれがこの創発っていうのが、じゃあAでもないBでもないってCだって時のCを思いついたから押し付けだってことにならないようには、
当然自分は右から左ですよっていう主張があっても、他の人が左から右って時に両方を踏まえた上でじゃあどうですかって。
本来の批判とか批評とかっていうのは、よくしていこうっていうのがあるはずなんですが、
どうもそこをそぎ落とすというか、どっかに落としてきて、なんかね、どっか行っちゃったんかなみたいな。
だから言語化されてないからダメですっていうのもちょっとね、非言語の領域は扱わないんだとか思いますし、
それは分かった上でやってもいいですよ。ないものとするとか。
だから想定外とか想定してなかった意外なものっていうのを入れる余地がそこにあるからですよね。
いわゆるここでは遊びとかいう話になります。
それを想定していない人はその創発ができないって感じもしますよね。
あとは気を照らすみたいなことをもしかしたら思っている方がいるかもしれませんが、そういうことではもちろんないですね。
そのAとかBとか、いわゆる人とか自分とかっていう考えを踏まえつつ、新しいものとか意外なものを出していくっていうこと。
創発思考の実践
それはもちろんAとBを踏まえているっていうことが大前提なんで、
それはAに対するB、要は自分が右から左だけでやりたいですよね。
あなたがやりたいだけですよねって言われたら終わりだし、そうなっていては踏まえてないですよね。
それは人の意見とか他の人が言っているやつですよね。
左から右ってやつですよねってなったら、それもただ他のことを言っている人が言っているだけですよねってなりますよね。
だから自分のアイディアとか独自のアイディアっていうのは、単にアートっていうことでは成り立たず、
人の意見を開催してさらに自分にする。
だから自分、人、自分とか、人でもいいですよ。
人、自分、自分でもいいし、人、自分、人、自分みたいな感じで繰り返してやっていく。
これがまさに僕の観点というか視点では社会活動というか集団というか社会に所属しているというか、
社会に所属しているというか言わなくてもいいんですけど、生きている、生活しているというのはそういうことかなと思います。
孤独で一人だけで生きていなければ必ずそれは起きている。
コミュニケーションしてというふうに思っています。
それがざっくり言うとアートから始まりデザインになり創発する。
だからもうちょっと違う言い方をすると、俺、他人、他人、もしくは社会、
その俺と社会を巻き込んだ何か考え方、アイデアという感じですか。
その時に自分も含まれている。
自分を主張すると社会をどこかに置いてきて、社会とか他人を主張すると自分が消えるので、
そうじゃなくて、両方いるよね。社会の中には自分がいるし、自分の中にも社会がいるよねということを、
僕は言いたいし言っているし、それが今回の大きな築きとなります。
だから、仕事クリエイトといったときに、僕がやっているアート活動みたいに見えている方もしかしたらいるかもしれないし、
見えているんだろうなと思うんですけど、別にアートをやりたいわけじゃなくて、
俺がこのペン回しいいでしょ、動画撮ってみせてオラオラってやっても見ないじゃないですか。
やってみてもいいんですけど、さすがにダメだと思うのでやらないですけど、
でもそれをやってもいいわけですよ。やってみてダメだな、改善する。
というよって、めちゃくちゃ自分がやってみて、意思があってやりたいがある時でやっているじゃないですか。
それをやった方がいい。だけど、デザインというか、他の人から見たら、
いやそれ別に見てもあんまり意味がないというか、なんだろうねってなって終わる。
だけど本当にペン回しになりたい人がいて、別に僕ペン回しは上手くないですけど、
そういう人にとっては勝ちかもしれないというのが他の人から見たもの。
それを踏まえた上で、あなたはどうする、自分はどうするということでペン回しの仕方をまた考えてやってみるとか、
どう考えたらダメなのかもしれない、違うものはないかという風に考えるということが、
まさに仕事をクリエイトするとか、創発思考の中身とか、創発思考そのものかなと思う。
なので社会といった時に僕も含んでいるし、僕といった時に社会も含んでいると思います。
勝手に僕が生まれて何か言ってるわけじゃないんで。
大冗談という変な上から目線でどうということは全くないんですけど、
僕が仕事作りとかをやるので、それをアート活動として見ている方というよりも、
そこを考えてデザインして、人の需要に合わせてニーズ化をやっているだけというわけでもなく、
そこをさらに超えてこうしていきたいですよね。
だから当たり前なんですけど、言っていることは主張は変わらないですけど、
これやっておけばいいよねみたいな予定調和は結局いらないというか、別に自分がやらなくていいなと思います。
それでいいやっている人はそれでどうぞ。
ただそれをやり続けると多分社会って変化するし、変化を適応していかなければいけないので、
厳しいのかなと思います。ずっとそれをやっていればいいよというのは多分ない。
そこは批判するというか、違うんじゃないかなと思います。
だけどそれは人によって生き方とかいろんなものがありますから、
全部否定したいわけでも全然ないし、壊したいわけでもないですよ。
自分は違う。だから自分はそれを反面強制させていただいて、
いや僕は自分はこういうふうにやってくる。
だから逆もあるじゃないですか。
いやそんなふうにいろいろやって散らかしてダメだよって新しいことじゃなくて、
故障を防げてしっかりやって専門性を身に付けていくんだみたいな人いるじゃないですか。
いやめちゃくちゃわからないですけど、だから無理ですね。
だから考える方の違いって言えばいいですか。
で仮にそれが同じ社会をみんなが多様性、
まあ多様性はちょっと違うんですけど、
何か新しいものを作っていこうという、そういう立場の人でも言うわけじゃないですか。
別に言ってもいいんだけど。
その人はその人なりに専門性を高めた中で日々何かアップデートして、
こちらから見えないだけでやっているとしたらそれはもう事実じゃないですか。
僕からは見えないけどね。
それはそれで言うなら、その主張があるならそうですかってことになって、
同じ山を登るんだけど違うところから上がっているよねっていうケースって結構あるんですよ。
でもこのケースって一緒にはできないんですよね。
山の登頂でしたら出会えるけど、でもああそうなんですねっていうので、
でもその見方はできないかなとか、その見方は自分はないかなという時は、
相手のことは結局ここで言えばデザイン思考というか、
相手の考え方とか違う人の考え方、他者の考え方なんだねみたいな風に、
吸収されてしまうというか収束されてしまうわけです。
自分と他人という風に分けてしまうとね。
じゃない見方ができるかって話で、
何々さんが言っているっていうようなやり方っていう風に見ることができますね。
そうすると自分と他人というただの2つのパターンじゃなくて、
3つ、4つ、5つという風に放射線状というかちょっと表現が難しいんですけど、
山の下には、山って立体で円錐状ですよね。
円錐状に広がっているじゃないですか。
創発思考の概要
そのどこの地点からでも上がれるし、
どこからでもやっていいよねっていう風に考えてもらえばいいかなと思います。
それをPとか言っても何でもいいんですけど、
数学的に何か分かりませんけど、
P1が自分で、P2が人で、そのP1がP2じゃなくて、
P3、P4、P5、PNという風に下の地面というか土地、
陸か、陸?山登る前の下の足元では、
どこから上がっていってもいいですよねっていうことだと僕は考えています。
みんな到達する地点は一緒だったらもちろん思わないけど、
あったし、その山にその同じ山登らなくてもいいしとか、
いろいろ言えます。
そこのPの地点を選ぶだけでも、同じ山でもあるの?というのが総発だし、
P1、P2というのが既に提示されているなら、
P3を考えようというのが仕事クリエイターというか仕事作りだと考えています。
なので別に既にあるものをこれが儲かるからという風に言ってやるということは全く否定しないですけど、
それは多分アートの最初の部分ぐらいかなとか、
ちょっとかすってデザイン志向的な人の考え方とか、
人の意見を踏まえているんじゃないかなぐらいですかね。
だけど、それって当たり前ですけど、
人が言っていたことをやっているだけだから、
僕は面白くないというわけです。
そこですよ。それで面白い人、それでいいんだ、
お金さえ儲かればいいんだよねという人はそれでいいかもしれないです。
ただお金でも儲かればいいという人は、
単純に質問として倫理として反社会的とかね、
人を騙したりするようなことはやめてくださいよねということですよね。
そんなのは当然です。倫理に反しない、反社会的なことはしない、
お金は儲けるとなっていった時に、何になるんですかといった時に、
結局関わる人、商売であったら、ビジネスだったら、
お客さんが喜んでお金を払うということがなければ、
成り立たなくないですかって、それがもし削除しているようなことがあれば、
それを誤魔化すことが今はできないんじゃないかなと思います。
誤魔化している人もいるかもしれませんけどね。
それは知らない、僕が知り得るところではないです。
少なくともこれは信条ということになるんですが、
いわゆる考え方、価値観、人の考え方ですが、
僕はそれをやりたくないなというだけです。
現場からはそれだけです。
なので、そういう中でどこまで足掻いてやっていけるかというところかなと思います。
僕はちょっとよく分かっていないんですけど、
お金というものがあることで、結局人が幸せになっているのかなと考えると、
どんな主義でも結局何かをプラスとしている、それで権力とか力になるわけじゃないですか。
力になり得ないような仕組みができたら全然違うんでしょうけど、
何でそうなるかといったら、人はその力が欲しいんですよね。
自分の思い通りにしたり、それで強くなったり、自分が勝てるというところに、
快感を覚えるかは知らないですけど、人によるんでしょうけど、
そういうことを繰り返すんじゃないかなと思います。
だから、資本主義を否定するというよりも、資本主義でのお金の立ち回りを否定したところで、
新しい主義が生まれたところで、それがうまくいくかは非常に疑問というのもあります。
だから何もしなくていいよとも思わないんだけど、現状が100%ベストだとも思わないけど、
結局そこって人間の考え方とかの限界のような気がするんで、
人間大好きで人間すげえって思っている人だったら、
人間社会がどうっていうふうに思って、すごい支配的になっていくかもしれないですけど、
あんまりそこまで思わないですね、僕はね。
人間がどうっていうのが難しいですよね。どうなんでしょうね。
非常にそこは難しくて、別に僕も、別に結論も、
このラジオで結論が出ていることはないんですけど、
こうしていったりどうしていったりというのは当たり前ですけど、
この創発という思考においても、創発思考においても、
試行錯誤して一時体験とか一時経験をためて、そこでやっていくしかないんじゃないですか。
ないですよ、本当に。
ということに気づいている人はこのラジオを聞かなくてもいいし、
もし忘れてしまったら聞いてもらった方がいいかもしれないというぐらいです。
僕も忘れていたりするかもしれません。
忘れるぐらいの思考の免疫というか、保つことが非常に難しくなっているわけですかね、多分ね。
だからこんなラジオって言ったら、別にリスナーの人をバカにするわけじゃなくて、
こんなラジオでも聞いていただけるんじゃないかなと思っています。
正気になるって感じですかね。
自分で面白いと思ったことをやるっていう、
ただシンプルなことができていないのはやっぱりおかしくないですか。
それ嫌だなって思います。
僕の力はB6なんですけど、
B6なんですけど、その中でやっていけることがないかっていうのを探りながら日々生きていくと。
そういう生き方に対して、もしかしたら知らないですよ。
もっとデカいことやってくださいとか、スタートアップはないですけど、もっと何かないですかみたいな。
じれったいというかね。
もしかしたらそういう人がいるかもしれませんけど、それはちょっと余計なお世話というか、
なんて言うんだろうな。
それ何なんですか。金ですか。
知名度なんですかっていうことになりますよね。
人って欲との戦いでしかないから、その欲の戦いみたいなところを割とこなしてきた人とかは、どういうふうになるかは非常に興味があります。
多くの人は欲にとらわれて生きてるし、そんなようなものなんじゃないですか。
悟り絵とは言わないし、別に僕は悟り絵じゃないですよ。
だから宗教ですけど、お経を唱えて解放しましょうみたいになるのは分かります。
別に仏教だけじゃなくて、キリスト教やイスラム教とかいろいろな宗教があるじゃないですか。
いろいろあって、知らないですけど、そういう宗教に頼って宗教をよりどころにするというのも分からんでもないです。
だけど、結局その人が信じる神とか、その神との感覚をどういうふうによりどころにしているかだけだから、
良い宗教の人もいれば、別に変な犯罪を起こす宗教を信じているけど、別に犯罪を起こす人もいるわけじゃないですか。
っていうことですよ。って僕は考えてますよ。
そんなに簡単に一つのよりどころがあって、はいみなさん、その通りに大瀬のままになんていうふうにせずに、
めちゃくちゃいろんな解釈すると思いますよ。
思った以上にね。
というわけで今回まとめますと、創発志向という話でした。
結局それは仕事づくりの根幹を成すというよりも、それをやることがまさに仕事クリエイターであるし、
何かを仕事づくりしていたり、何か新しいことをやるには創発というのが重要なんじゃないかなという話でした。
最初にまず自分の意思のアートをやりたいとやると。
ただこれで止まるとただのわがままですよね。
アートとか画家のアーティストを別にわがままだと言っているわけじゃないですからね。
気をつけてくださいね。
次にデザイン志向ですね。
これは人の考え方を受けてやる。
いわゆる人の考えを向けてやりましょう。
これもただ人の言っていることをやっているだけですよということで、
それができない人にとっては価値かもしれないけど、
少なくとも僕にとってはそれは人の言っていることをやっているだけだから、
アイディアを入れていないんですよね。
オリジナルはないですよね。
というか感覚がありますね。
僕にはね。
それじゃない人もいると思いますよ。
これも別にデザイナーがダメとかそういうことじゃなくて、
で、何なんですかっていう。
人のやつを実現しているだけで自分はあなたが、
僕が関与している意味は何ですか。
だったら別にいいやってなるというのが僕の考えだと。
なのでさらに次行きましょうということになって、
創発志向となって、
これは要は自分の勢いを使いつつもわがままを止めず、
人間の欲望と倫理
デザイン志向ということで、
その考え方とかを別に参考にするんだけど、
それをただただやるんじゃなくて、
さらに高めて意外なものとか新しいものを出していきましょうということですね。
それは多岐にわたる。
だからよくイノベーションの説明であるのが、
馬を出してこれをより早く、
もっと速い馬があったらいいですという人はいるけど、
車というのは作れないというのはまさにイノベーションだと思うんですけど、
でも創発志というのはそういうことですね。
イノベーションをしましょうという風なのって、
すごいチンプな感じですけど、
実際はそうだと思います。
発想としての切り口や視点を変えていったら、
山のたとえをめちゃくちゃしてましたけど、
結局できると思うんですよね。
そのイメージが、ビジョンが、イメージがある。
そのアイディアを過小評価しすぎなんですよね。
なんでアイディアが過小評価されるかというと、
アイディアを叩きすぎなんですよ。
だからこれはクリエイターの人がもしかしたら落ちているというか、
僕は感じていますよ。
僕が感じているのは、アイディアを出せることが当たり前じゃないですか。
クリエイターとか、いろんなクリエイティブなことをしている人たち。
広告作るでもいいしね。
だけど、それが当たり前だからそれは普通だよねって言って、
クリエイター界隈ではそうでいいんですけど、
それはいっぱいの人にとっては全然当たり前じゃないですからね。
なのと、それを作品にする技術があるじゃないですか。
広告だったら広告、動画だったら動画。
その技術がない人にとってもすごいじゃないですか。
つまりアイディアと技術があるからクリエイターであり、
しかもそこでお金をもらっているってことだったら革命ですよ。
俺、聴いているクリエイターの人は革命を起こしている?
革命じゃないくてね。
ものすごいことをやっていると思うんですよね。
っていう人たちがあまりアイディアを出すのは
普通で形にならなかったら価値がないみたいなことを言いすぎるとね。
言うなとは言わないですよ。
分からんでもない。
分からんでもない。
だけどそれってアドバイスとしては
特にこれから何かやろうとする人にとっては
外役と言ったら怒られますが
何かあんまり意味ないなって思っているんですよ。
これは伝わる人がいるか分かりませんけど
例えば僕が仕事を作りたい、企業をしたいという時に
それダメだよねっていう風に言われて
やる気にならないじゃないですか。
だからそういう指導をする人がいないんでしょうね。
だからアイディアが良い悪いじゃなくて
アイディアないっすって来て
でもどうやったらいいか分からないっすって時に
こういう風ですっていう風に言えていく人があまりない。
クリエイターだったらクリエイトのする対象に固定されるってことで
それを包括するというか統括するような概念がないのかもしれないですよね。
さっき言っているように過小評価してしまうというか。
だからこういう考え方があると思うんですよ。
クリエイターっていうのはそういうアイディアを出して
自分で動けて作品を出していくのがクリエイターだから
僕が言っているようなアイディアを評価するようなものは
クリエイターではないと。
作品を出してなんぼだって。
めちゃくちゃ分かるんですけど
それちょっとストイックすぎないかなっていうか
何なんだろうなって思うんですよね。
クリエイターの役割
楽しいですかっていうふうなものを投げかけていくのと
それで他の人がやりたいかというと
ちょっと職人っぽくないですか。
職人っぽい。
だからそこまでいっちゃうと
AIを否定する側と入っちゃうと
ものすごい職人アンチAIみたいなところが
ものすごくあるのかもしれないですね。
そういう考えが支持されているならばね。
たくさんの人にね。
でもそうじゃなくて
アイディアっていうのはもうちょっといろんなところで
生活の中で実情の中で出てきていて
それを形にするっていうところも
もっとAIが入っていって形になっていくと
しやすくなっていくと。
そういったときに
もっと軽やかにやれるし
アイディア出していいんだよ。
やっていいんだよっていうふうにやって
そこで磨いていって練習というか
いろいろやっていってできていくっていうのが
僕は必要だなと考えています。
だからみんながみんなクリエイターになれとか
ってことは一切思わないんですけど
結局もっと詰めていくと
ここで言うのって作品とかって言ってますが
なんかもっと違う話で
自分が考えたことを
意見を出すっていうことが
怖いというか
評価されない社会になっちゃったってことです。
極論を言うとね。
だからしない。
だから別に日本側ってことはないですけど
海外に比べてね
起業する人が少ないとかって言うんですけど
起業する人が確かに少ないんだけど
起業したくない人は
起業したくない人もいると思うんですけど
態度を示すってこちらだっていうふうに言えない。
起業はしないぞって決めてる人っていなくて
単に起業を知らなくて
仕事クリエイトも知らないし
仕事クリエイトなんて一切知らない
何言ってんだこいつぐらいです。
見えてますよそれは分かってますよ。
その上で言ってるのは
そうじゃなくて
ここにね
メモ帳があるんですけど
メモ帳にこれね
ロールバーンか
ロールバーンか知らないですけど
これは先に使ってないですけど
あって
ここにねメモ帳にゴムバンド
ページがめくれないように
止まないように止める
ゴムですよね
バンドがついてるんですけど
こういうの思いついたと
ないときにね
いいじゃん
ゴムバンドつければいいじゃん
メモ帳に大事についてるんですよね
面白いなって思ったんです
当たり前かもしれないですけど商品としてあるから
知ってる人もいるかもしれない
だけどいいじゃんそれ
それ作ってみたら
っていう方が
僕はですね
創造的な社会だし
いい社会だなと思います
僕の英語では
僕が生きやすい
そうじゃないですか
自分が生きやすい人を
生きやすい社会を創造するっていうのは
別にねいいじゃん
否定したい人もいるかもしれませんけど
他の人のことを考えなきゃダメだ
っていう人もいるかもしれませんけど
自分じゃないかってなって
自分があってそれで
余裕があるというか
他の人との関わりっていうのがあるよね
って感じる人は社会だってなって
今度は
違うなとかこうした方がいいな
と思う人があれば
こうした方がいいというアイディアをぶつけていく
だからやっぱアイディアを
過小評価してる
ってことになっちゃうんじゃないかなと思いました
だからもっと違う言い方すると
アイディアを過大評価しろってことじゃないですよ
アイディアを出すってことを
もっとできる
そのレベルだと思うんですよ
アイディアを出すってことが極端に足りない
アイディアを実現する
技術とかは後からついてくる
クリエイティビティと社会
後からやればいいわけですよね
全部のアイディアやりたいわけじゃない
だからどうしたらいいのっていう
考える
結局アイディアって発想
アイディアって発想法
アイディアの思考法だから
結局考えられてないんですよ
アイディアがなかったり考えてない
こうしたほうがいいんだってわかってるけどやってない
そんなんじゃないですか
多分ね
っていう仮説を持っていくと
アイディア出しを
もっとやろうっていう風に
言ってても
仕事づくりってでかすぎて
わかんない難しい
アイディア出そう
それでいいのかなっていう風にも
今回からもしかしたら気づきとして
僕が今ね喋ってて気づいたんですけど
アイディア出すんでいいじゃん
っていうねアイディアね誰でも
出せますよっていう人もいるし
わかるんですよ僕もそう思う
だけどそのアイディアを
出してっていうところも
難しい人もいっぱいいる
し
多分出すっていうのも
誰に言う何に言うってことになってきて
結局受ける側がいるんですよね
聞いてもらうっていう人がいて
誰でもいいわけじゃなくて知ってる人とか
わかってもらえるのがあるから
これはもどかしいんじゃないかなってことで
人の反応がいると思うんですよ
なんで
別に宣伝してるわけじゃないですけど
仕事づくりスペースっていうのあるし
仕事づくりディスコードってあるんですけど
まだまだ届いてない
気がしますね
そこは全然いいですよ
これは僕のやっていく活動の中での
浸透がどこまでいくか
ってことのチャレンジになってくんで
そこは全然いいですよ
だけどそういう人って他にいたかな
って思っていくとあんまりいないですよね
アイデアをもっと出していく社会っていう
人はいたりするし
クリエイターの人でもそういう人いるでしょうし
別にビジネスマンの人でも
アイデアがっていう人
いると思うんですけど
でもそのまず
もっとなんか
合理的というか
なぜかアイデアを出したら
報われないとダメだっていうような人がいたり
その通りなんですけど
その前にアートで
こう思うっていうのがなかったら
やります
で仮にそのお金がもらえる
報酬がもらえるっていう風にやると
それがもらえなくなるとやらなくなるじゃないですか
それってアートじゃないですよね
だから
意思とかっていうレベルで
考えるっていうレベルで
こうしたらとか
こうしたらじゃなくて
こう考えるがないっていう
なっちゃった
なっちゃっているという
状況になるんですよね
すごい乱暴に言えば
考えてないからアイデアがないって感じです
アイデアは考えてないと
出ないです
か体験をして
ニュースを聞いて
これなんだろうねって思う
疑問を形成する力っていうのは
最近みたいにあったんですけど
これも時間かかるんですよ
だから時間かかるんですよ
じゃあ時間かかるから
子供の頃からやっておきましょうって話になるんですけど
もう残念ながら
これ聞いてる人は子供も
お子様も聞いてないと思うんで
残念ながらその時間って
過ぎてるじゃないですか
20歳以上という人を想定しますけど
あるいは今からやるしかなくて
それが後で
力になってくるには3年とか5年とか
かなり時間かかるんですよね
でもそれって
なんでそんなにかかるかっていったら
環境が整えられないからなんですけど
環境を整えることは
僕がいるので
これはかなり自信があるんですけど
自信だけなんですけど
僕がいろいろできるから
話できるんで
そこでそれがいいよ
それでいいよっていう感じで
アイディアを出していけば
わかんないです
これはあくまでもアートになってるわけじゃないですか
僕が価値があると思ってる
だけどそれが世の中の人に伝わってなくて
もしくは伝わっていても
そこまではないかな
っていう風になると
確かに仕事っていうのは
ちょっと
ハードルが高いんでしょうね
っていうのは思いますね
いろいろ複雑に
基礎というか
いろいろ組み合わせてやると
できるかもしれないと思うのが
多すぎて
そうじゃなくてできる人もいるんですよね
アイディアがあって
一気にやったり
論理で弾く人よりも
瞬発で一気にやる
行動タイプの人の方がそれをやれるようになります
論理で弾いて
カチャカチャやれる人も
それでそれを
極めていったら
論理力が結局
感情とかに結びつけることができたら
いいと思うんです
少なくとも論理だろうが感情だろうが何でもいいんですけど
ここでよくあるのが
成功体験じゃないけど
一気にやったらできたよっていう体験
っていうのが
少ないんじゃないかなって思ってますね
それがないと
寄る所がないから
それこそ神だとか
誰かが言ってたとか著名な人が言ってたとか
そういう風になっていく
みんなが言ってたとかね
なるんじゃないですかって思っちゃいましたね
という意味では
仕事作りスペースって
よくなくて仕事作りは全然いいんですけど
アイディアを出すってことになると
アイディアを出すのも
じゃあ何のアイディアってなりません?
だから僕は結局その仕事とか
商売とかビジネスとかの方が
僕は楽しいからそうしてるっていうだけで
別に作品で
これをやりますっていう人もいいんですよね
だから別に結局は
仕事作りスペースに戻ってくるかなっていう風に
思いました
それはだいぶしっくりいきましたね
だからアイディアがいいと
実践と自己成長
だからその思考を取り扱うし
発想ことよりも
考え方マインドセットも取り扱うし
ビジネスとして
こういうのもやります
ニュースとしてこういうビジネス面白いね
っていうのも考えについて研究していく
ということもやりますということになっていくし
多分こういうのを
やってる人ってなかなかいないか
やっていても
水面下になるか
もしくは
お金をそれで稼いで
出さないとか
もしくはすごく閉じられた
コミュニティでやってる方が
多いのかもしれないなと思いました
ちょっと長くなりましたけど
だいぶ
僕は気づきがありました
あなたはですね
なんちゃら思考とかよく分からなかったかもしれませんけど
自分の意思
やりたい
もしくはこういうアイディアがある
あとはそれを
一人に聞いてみたり
話してみてやっていく
っていう体験
デザイン志向だったらその意見を聞く
というときに
人に会うことと自分のことのギャップを感じたときに
どうしているでしょうか
総括志向はそれを乗り越えて
じゃあどうするか
分からんからとりあえず今は仕事してるんだ
今は自分経験を積んで
今は勉強してるんだ
今はこういうことをやってるんだという方も多いんじゃないかなと思います
前向きな方に
そういうところでもがいていって
何が残せるか
というのはまさに僕自身が
そういう風に要はアイディアを持って
仕事を作ってみるということですね
分けるとね
ときになかなかそれはやれなかったりすると
別に傷をなめ合う場を
作りたいわけじゃなくて
そういうときに
今回大きく気づいたのは
アイディアを出すのも結構
アイディアの生成
一苦労ではなかったということをですね
アイディアって
出せないんですよ何も経験しなかったら
だから体験がその前提でいるし経験がいるし
勉強とかインプットもいるし
体験でまさにやらなきゃいけないんですよね
やらなかったらアイディアは
形にならないしもしくはアイディアには
アイディアも出てこない
衝撃的なことかもしれませんが
アイディアはそのまま
頭で考えても出るものじゃないので
体験や経験が必須なんですよね
でなると
なんか遊ぶスペース
という風になると全く伝わらないと思うんですけど
四国離スペースも
たぶん伝わりづらいよな
っていうのもあって
考えましょうよというと
哲学とか対話みたいになっちゃうんですけど
そういうことだけじゃないから
この着地になって
たってことで
悪くないんじゃないかな
あとは
どこまで
世の中的に
伝えられるかというだけで
価値がないなということは一切思ってないですね
むしろ僕は
それを普段そういう風にやっている中で
価値ないんじゃないかなと
思っているけど
別に僕の中では当たり前で
でも世の中の人から見たら
これは価値があるよという風に思って
もらうポイントがあるはず
という想定ですよね
まだ別にそれは価値があって
必ず
いわゆる
PFMか
プロダクト
プロダクト
違うPMFか
マーケティングフィット
スタートアップじゃないですけどね
だけどそのガッチしてこれでいけるぞという
感覚を得ているわけじゃ全然ないです
全然ないです
それは別に悪いとかいいとかじゃなくて
全然今は
手応えを感じて
四国離スペース行けるぞとか四国離行けるぞ
ということは全く思っていません
全く思っていませんと言われてもしょうがないですけど
ぜひ興味があったら
来てみてください
そういうところで
アイディアってなんだろうねとか
仕事ってなんだろうねというのが
そこからでもいいですよね
考えていって
どうやって作っていったらいいかとか
もしかしたら仕事づくりしないほうが
いい人もいるかもしれないですよね
それは別に否定しているわけじゃなくて
今集中したいことがある人はやらない必要がないですし
広げる必要もないと
そう
とか
その考え方を使って
アイディアを出すのもいいし
自分なりに
ハックというか
うまく使っていただければいいかなと思いました
ちょっと長くやられましたが
今回は以上となります四国離ラジオ大橋でした
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました
というわけで以上失礼いたします