00:04
おはようございます。
働く人に送る精神分析チャット、第1017回お送りします。
7月11日、木曜日、8時2分です。
今日からですね、ちょっと、まあ、こんな決意はどっかに書いてるわけじゃないんで、すぐ落とすかもしれないんですけどね。
ちょっとこう、空白があってもいいやと。
普通、空白って消すんですよ、この種のものでは。
私は空白がそもそも起こらないので、あんまりね、しゃべっていて、しゃべることなくなるってことはなくて、しゃべっているうちにどんどん増えていく。
これはこれで問題もあるんじゃないかと思うんですけど、まあまあ、とにかく減ってはいかないんですね。
なので、こういう空白はなくそうと思えば、しゃべって潰していけてしまうんですが、これからはこういう空白を極力減さないようにしようと思いました。
別に宣言するほどのことではないし、3日くらい経ったらすっかり忘れている恐れもありますが、とりあえずね、やってみようと思います。
前のような何かのノリが失われるというようなことがもしあって、前が良かったということがありましたら、コメントいただければですね、元に戻すかもしれません。
お知らせがございまして、今日は告知というよりお知らせで、おかげさまでですね、3ヶ月チャレンジは満席となりまして、現在募集を締めさせていただいております。
ご参加いただいた方にはですね、継続の方も含めまして大変ありがとうございます。
今日はその話をちょっとしたいと思っているんですけれども、もしこんなに早く締めるなんて聞いてないよという方がいらっしゃいましたらですね、私の方にダイレクトで何らかの形で、
NextでもFacebookでもメールでも何でも結構なので、あるいはこれへのコメントでも結構なので、お知らせいただければ対応させていただこうと思います。
こういうコメントに推進と通信欄のように使うのはよろしくないという説もあるんですけど、別にこの3チャレはほとんどコメントらしいコメントをいただくということが、言ってしまうと若干1名の方しかいらっしゃらないんですよ本当に。
だから全然困りませんので、ただこれのコメントって見つけるのが遅れたりするんですよ。
03:00
今これ喋ったから多分ちゃんと見つけられると思うんですけど、出通知がすげえいい加減な感じがSpotifyのこれはするんですね。
なかなかそれがどういう形で来てるのかよくわからないので、一番何にも私の連絡経路をご存じないという方はそんなはずはないと思うんだけど、ないという方はですね、
公式サイトが私の実はあります。
佐々木翔吾で検索していただくと、多分URLはnokibaウェブになってるんじゃないかと思うんですけど、そこからコンタクトという欄がクリックできるところがあって、そこから連絡いただけます。
もうそっちもですね、別にスパムまみれとかになってないので随時チェックできますんでね。
そこからもしよろしければコメントなりをしたいという方はですね、あるいはサンチャレがそんなに早く生まれるはずがないというふうに思われた方はですね、もしそれでもチェックがあればですね、お知らせください。
チェックがあればっていうのはおかしいな。
もしご希望がございまして、でも7月30日ぐらいまでは悩むつもりでいましたっていう方はご連絡ください。
あと一枠ぐらいは調整が効くかもしれない。
これって結局私の毎週60分セッションの時間を生ませていただいてるんですけど、そこが絶対重ならない方の場合はいくらも飽きはあるんですよ。
ただ、普通はこの時間になっちゃうよねっていう、時差がある方とかはだから非常にいいんですよね。
でも時差がない日本にお住まいでお勤めだと必然的にこのような時間、平日のこのような時間になるでしょうって方はやっぱり人気が、人気がってのおかしいけど競争率がありますからね。
そっちの方で上限が結構一桁に絞らせていただいているわけなんですけれども。
もし時間が非常に不思議な時間でも全然OKって方であれば、もしかすると対応させていただけるのでコメントいただければ対応の可能性は探らせてもらいます。
併せてですね、そんな状態なのにそういうこともやるのかって思われるかもしれませんが、1週間限定で空いている枠を90分で提供っていうのもずっとサービスとして今後も継続させていただく予定ですので、
めっちゃ忙しくなってくると1週間で1枠しかないとかになっちゃうかもしれませんが、僕は今のところそこまで忙しい人間ではないので、併せてこちらもご利用いただければと思います。
既にこちらは何名かの方にご利用いただいておりまして、こちらも併せてお礼申し上げますね。
あとですね、明日、例のToDoリストは捨てていい?〇。〇ついてると言われてます。が発売になります。
06:04
これは私がですね、なんていうのか、皆様が佐々木は変設したと思っている方がいらっしゃったら、どうして変設したのかが書いてある本といったことになります。
先日ですね、おかしえつおさんが、メルマガかな?何て言ったっけあのメルマガ?タイトルをど忘れする。毎日見てるのにな。信じられないですね。
失敗って何なんでしょうねっていうふうに思っちゃうんですけど、毎日見ているタイトルが目から消えるってどうよっていう感じがしますけれども、とにかくメルマガが送られてきましてね。
この中に私の昔書いた、多分そのメルマガにあったと思うんですけど、それも記憶がもう信用できなくなってきたんでやめますが、
昔8年ぐらい前に書いた記事を大橋さんが紹介してくださっていて、そこに書いてあるのを読むと、そんなに変設してなくてびっくりって思ったんですよ。
8年前って2014、15年だと思うんですけど、あんまり言うこと変わってないんだなって、もうコロナの前ですからね。
思ったんですよね。微妙なニュアンスの違いはあるけど、これは変設とは言わんだろうっていう表現のあやだよねって言っても通るような。
別に過去との整合性は私も捨ててるんでいいんですけど、全然違うこと書いてても全くいいんですけど、全然違うことも言ってますしね間違いなく。
言うほど違ってないよねってのは確認して驚きました。
だから、ある意味この変設が良かったんだなって思うんですよ。
この変設によって私が言ってることは他の人とは結構違うってことがですね、多分昔は真逆のことを言ってても、
大体佐々木と大橋とJ松崎は同じようなことを言ってるぐらいに。
例えJ松崎さんが逆算で行くんですと、昔はおっしゃってましたからミッション立てるんですと言ってて、
私はミッションはありません。逆算は無理ですとか言ってても、佐々木とJの言ってることはほぼ同じだぐらいに思われてたんで、
これが変設というものによってですね、私の言ってる話はみんなとは似てないぞっていうことが、
それ言って読者さんとかご利用者さんとかが減ってるとかフォロワーさん減ってるとかあると思うんですよ。
それは悪いことではないと思うんですね。
もうなんか順算とかいうやつは見限ろうとか思われてるかもしれませんけど、
あるいはこのミッション立てないやつはもう死んだ方がいいぐらいに思われてるかもしれませんけど、
でもね、5年ぐらい経つと、そうして見放されたとしてもですね、
5年ぐらい経つと結構ミッション難しいねっていうことになって、僕のことが思い出されたりするんですよ。
こういう経験って結構僕あるんで、一時的にというのかな、一時的と勝手に僕が決めつけるのもなんなんですが、
09:07
見捨てられるのは大変良いことだというのは言い過ぎであるにしてもですね、そう悪いことではないなと思うんですね。
最近は本当に長生きしたってことなんだと思うんですよ、これは。
やっぱりね、大学時代ダメですよ。
ちょっと女子のクラスの女の子にちょっと嫌な顔されたら死にたくなってましたから、
この状態で仕事してると多分言いたいことなんて言えなくなるんですよね。
でも今はまあ、おっさんだし図太くなるわけですよ、端的に言ってしまうとね。
だから別に過去との話の整合性とかも全然取れなくても、全然取れなくていいと思ってるわけではないかもしれないんですけどね。
でもまあ、取れないですよね、やっぱりね。
そうじゃないと、もう10歳の時から真理を知り尽くしている人になるしかないんですよ。
途中で言うこと変えないってことは、どこかで間違ったことは言わなくなるっていう話になりますからね。
無病の人にならなきゃならないんで、さもなければ何も言わない人になるか、どっちかになっちゃうんで。
私のこの職業からして、無病は無理だし、無言も無理なんで、とにかく喋るっていう。
少々怪しくても、自分の中でこれで納得がいくっていう線があったら、それについてはもう半発入れず喋るぐらいに。
だから無言がないんですよ、この番組でもね。
でもまあ、無言も作ろうと。
作ろうとは思ってませんが、許容しようとは思っています。
長くなってしまいましたけどね、なんだかね。
今日はその、3ヶ月チャレンジというものについて久しぶりに、
これは野の医者との兼ね合いで散々喋ってきたことでもありますが、
改めましてそのパーソナリティ障害みたいな話と、
これね、もうちょっといい表現ないのかなとも思うんですけど、
人格障害と言ったりされてしまうんでね、パーソナリティディスオーダー、これの略ですからね。
どうしようもない部分も大きいんですけど、ちょっと言葉として厳しいなとは思うんですよね。
もう少しマイルドなケースも、私たちが扱うというのはおかしい。
でもまあ、盛り上げていくのは多分にこの領域のマイルドな世界だと思うんで、
それに合わせてちょっと喋っていこうと思っているんですね。
トゥードリストは捨てていい?〇のやつは是非。
明日が発売。このぐらいまで僕ちょっと今待ってるんですよ。
新しい試みですね。
著者は今本のマーケティングをするというのはもはや仕事の一環みたいになっているので、
それについて新しい考え方を常に模索していこうぐらいには思っていますんで。
12:02
やっぱりカズマカジオさんがこの中では巨大な存在だったんですけど、
各努力の5倍うる努力しろっていう。無理なんですよ僕にはね、そんなことは。
5倍が無理ならロングでいこうみたいな気持ちになったんですよね。
各長さの5倍のうる長さを持とうみたいな、そんな感じ。
幸い今回書いた時間短いわけですよ、この本の特徴は。
だから5倍うる長さを持つ時間を持つのはこれはできるなと思ったんで、
ここのちょっと努力をしてみようと。
むやみにある短い期間に集中的にうるっていう努力は、
まあその種の努力も多少はしますけど、
この種の能力は僕はほぼないっていうことが分かってきたので。
だからJマスザキさんにすごいそこは頼っていて、
ありがたい限りでいつもドイツに向かって手を合わせようと思ってるんだけど、
まあ思ってるだけなんですけど。
とりあえずですね、そんなことを考えながら、
これですね、これが間が空いちゃうってやつなんだけど、
今、本を広げていきたいなと思っているわけです。
今日の話はPD、パーソナリティーディスオーダーさんじゃれの兼ね合い。
で、私は最近松木邦博さんの話しかしてない気がするんですが、
パーソナリティーディスオーダーってやつね、
例えば回避性人格障害とか、
境界性人格障害とか、分裂消失人格障害とか、
脅迫性人格障害とか、さまざまな名称、演技性人格障害。
ありますね、あります。
パラノイドもあったよ、妄想性人格障害とかね、
いろいろあるわけです。
いろいろあるとされてきました。
この10だか11だかの項目の、
どれにどういうふうに当てはまるのかみたいな話が、
ビジネスショー界隈でも大にぎわいになったことが実はあるんですよ。
話の本書いてなくて俺よかったって思ってるんですよ内心。
性剛性なくていいとはいえ、あれ書いてたら、
自分としてはどうしても後で罪悪感を持つよねっていうような、
ただ私のところには幸いその種の話は来なかったという。
やっぱり僕がですね、心理学ジャーナリストとか、
肩書きに乗っけてるのはかなりなんちゃってだと、
世間的には見なされていますよねっていうのがよくわかるんですよ。
こういう話は来ない、僕のところには。
で、この11種類ある人格障害と呼ばれている、
パーソナリティなんでね、それを人格とまず訳すのが、
難しいって思うんだけど、そうなってるんでしょうがないですね。
ここにビジネスショーが入ってくるっていうのはでも、
15:08
わかる気はするんですね。
松木邦博さんが定義してくださっていて、
人格障害とは行動の病なんだ。
僕これがやっぱりですね、目から鱗というか、
非常になるほどそうだって思ったんですよ。
というのはどういうことかというと、
まずそれは松木さんが書いている通り、
行動に現れてるでしょっていうことをまず、
要するに事例から入ってるわけですよ。
引きこもり、これは行動ですよね、明確な。
そして難しい行動とされます。
あるいは自傷とか、接触とか、
家庭内暴力とか、不登校とか、
すべて行動に現れてる。
行動を取らない行動みたいなのもあるんだけど、
そのある種の行動の回避や、
あるいはやや暴力的なっていうようなところから、
周りの人が困る。
つまり行動が周りの人を困らせるという障害なんです。
っていうのは人格障害の特徴なんだっていう風に書いていて、
これはもう本当にそうだなと。
だからビジネス書に入ってきたんだなっていう風に、
理解したわけですよ。
松木さんの本には、
人格障害の本って多いんですけど多くない。
つまり僕はもっと出ていて欲しいんですね。
人格障害系の本、高いんで4000円くらいはするんで、
買って読み、買って読みっていうのを、
亀の歩みで進めておりますが、
この言葉を読んだ時に、
なんていうんだろう、そういうことは書いてあったかもしれないんだけど、
今までの本にも。
どっちかというとやっぱり演技性はすごく演技的になります。
A軍B軍C軍ですみたいな感じで、
分裂消失は私みたいな感じで、
こもって一人でいるのを好んで、
だから昔東京ライフ研究会のベックさんが仕事なので、
羊飼いの牙って書いたのは、
羊を飼っているように生きたがる。
羊を相手にしたがるわけですよ。
人との間では、
社会的に引きこもっちゃうけど仕事しなきゃいけないんで、
羊を相手にするわけ。
この羊がコンピューターとかになっていくわけですよ。
すごくざっくり言うと、
分裂障疑民が人っていうのはそういう傾向を持って、
これ結構厄介になってくると重度なケースにあるわけですね。
これは行動として変わっていくわけですよ。
その人の行動、行動を勝手に言うんですけど、
アクティングアウトって言ったりするんだけど、
行動として現れるということは、
心の中で処理できてないっていう意味に捉えるわけですね。
精神分析的には、精神力動的には、
そういうふうに捉えるわけですよ。
18:01
つまり意識困ってしまうということは、
その人は引きこもりたくなるような他人に患わされるとか、
プレッシャーがかけられるという、
これ心の苦しみですよ。
目に見えない心の苦しみです。
その人は普通だったら電車の中で、
電車の中で他の人を、
多少は他の人の目を気にするかもしれないけど、
まあそのままいじり出すじゃないですか。
でも警戒心が強すぎて、
他の人のことを気にしすぎて、
全然スマホを見たりできないっていうケースがあるわけです。
でもそれもわからないじゃないですか。
それだけである。
ところが、だから電車に乗るのはできなくなりました。
でなると、公情恐怖症っぽいですけど、
わかりますよね。
行動として現れるから。
この行動として現してしまうというのが、
ある意味、人格障害のもう一つの特徴だというふうに、
もう一つじゃない。
関連する特徴です。
行動化であり、
行動化をすることで、
ある意味ではですね、
その抑鬱ポジションに入るだけの、
知的な能力とか、
心の機能を備えているんだけど、
抑鬱ポジションに入るのが嫌だから。
行動化によって、
周りをある程度コントロールしながら、
独自の行動スタイルを押し付けていって、
割と周りはそれで苦労するっていうのが、
人格障害の、
割と松木さんが書いている説明なんですね。
これは多分DSM的には、
もっとただ行動の特徴を捉えていって、
こういう問題行動があって、
自分も周りも困っているなら、
人格障害ぐらいなノリなんだけど、
松木さんのは対象関係論から言ってるんで、
やっぱりどうして、
どういうふうに行動化していくのか、
という話をされるわけです。
どっちにせよ、
行動化が激しくなってくると、
ビジネス書界に、
性格分類もしているから、
分類っていうのは本を書きやすいわけですよ。
例えば11の性格特性があったら、
11章立てて、各章で特徴を書いて、
こういう人いますよねって言ったら、
本になるわけですよ。
言ってしまえば。
だから書きやすい。
この書きやすさのもう一つは、
この行動化というのは、
仕事に差し障る。
例えば、
回避性人格障害的なやつで、
怖そうな人はみんな回避するとか、
難しい事態に陥ったら、
それについては人に言えないとか、
なんだかよく理由はわからないんだけれども、
ある種の書類の提出は遅れるとか言うのは、
仕事と、職場にしても困るし、
仕事をしている本人は間違いなく困るわけですね。
そうだな。
支払いが遅れているような書類の提出については、
21:00
いつもできる限り隠しておくとか、
そういうことが起きるわけですよ。
行動化している。
この行動化というのは、
でもその人は精神病ではないんですよ。
この書類を出すと、
自分はもうバラバラになってしまうとか、
この書類を出すことによって、
あらゆる人が自分の考えを
読み取ってワッシングしてくるとか、
思っているわけじゃないんですよ。
そこは常識的に、
この書類は出さなければいけないし、
出したからといって、
何も別に自分に特別な不利益で被るわけです。
少々の実績はあるかもしれないけど、
出せばいいんだってことは分かっているわけですよ。
そこに幻覚を見たり、
妄想を考えたりはしてないんだけど、
でもつらいんだよな、
というのが、
このつらさを心の中で処理しきれないんですね。
つらいことが分かってほしいから隠しておくとかが、
無意識と自意識が、
手を組みながらやるような流れになっていくから、
意外と本当に不思議なぐらい出せないとか、
そうは言っても、
2,3日躊躇するように、
それは自然の心情として分かるよね、
ではなくて2,3年になりましたとか、
いうことが起こるわけです。
あれ、この書類何なの?みたいなことが、
分かるというような話になって、
二度とこういうことをしないでください、
みたいなことを言われるんだけど、
二度も三度もする、
みたいな感じが起こるわけですね。
これはビジネス書、
絶対目つけるじゃないですか。
つまりそれはどういうことかというと、
仕事術の半径に取り込もうとする、
流れになりやすいということですね。
これが、
いや、この書類を出すとですね、
私の考えが社長に読み取られて、
その社長によって、
陰謀の世界に巻き込まれるんです、
みたいな話は、
ビジネス書には乗りにくいわけですよ。
そこまで言ってしまうと、
そういう話になってくると。
実は近いことがあるというふうに、
精神分析とか精神力度では、
説明しているように読めるんですが、
世の中一般はそうは絶対取らないので、
この話とさっきの人格の話は、
全く違うというふうに捉えられるので、
人格障害の方は、
ビジネス書の方に扱われ、
そうでない方はスルーされ、
そっちは専門書の方ですね、
みたいになるわけですよ。
人格障害はなぜ専門書の方ではないんだ、
というのは、
そういう感じがするからなんだと、
私は思うんですよね。
この話に、
さっきサンチャレの話をします、
と言ったんですけど、
私は人格障害の話をしたいというわけではなく、
サンチャレの話をしたいわけですね、
今日はね。
サンチャレの話をしますと言ったんですね。
この野良カウンセラーとか、
ビジネスのコンサルティングとか、
コーチングの領域に、
人格障害系は絶対入っているはずだと、
思うわけです。
それに対して、
いや、そういうものは野良の人が見ちゃだめで、
正式の人に任せなさいと、
24:00
おそらく正式側は言いたいという機運が、
全部の人にはないにせよ、
多くの人にあるに違いないと思うんですよ。
だけどそれについて、
少なくとも我が国では、
明文化された何かは、
一切ないし、
この話は絶対グレーゾーンの中に、
入ってくるだろうなって、
私は思うんですね。
サンチャレでも、
この種の課題は、
扱われているに違いないと、
僕は思って、
すごいいい加減な言い方になりましたけど、
扱われているに違いないというのは、
つまりこういうことなんですよね。
これも明文化されているとは言えないから、
そう言い切れるわけじゃないんだけど、
多分ですね、
現在、
精神症というものについて、
素人がアセスメントしては死んだんですね。
いけないという風に、
考えられている気がするんですね。
これは、
素人がアセスメントしてはいけませんよ、
第何条と書いてある条文があるとかではないんだけど、
明らかにそういうものはあると思うんですよ。
本当はそうした方がいいんだけどな、
ぐらいのノリってことですね。
でも、
素人が絶対にアセスメントしないと、
仮にするじゃないですか。
そうすると、
素人なる人たちは、
人格障害、精神病、
その他について、
一体判断ができないということになるわけですよ。
果たしてそうなった時に、
じゃあカウンセラーの人に、
どうやって患者さんを送るっていう事態が、
可能になるのかなっていうことを、
考えてしまうんですね、
私は。
つまり、
カウンセラーの人に任せましょうっていう話に、
いったんなったとするじゃないですか。
だけど、
誰をカウンセラーの元に、
どういう理由で送り込むんですかっていう問いが、
厳密に考えていくと、
成り立たない気がするんですよ。
だってアセスメントできないんですよ。
アセスメントできないということは、
あの人って、
抑鬱、
回避性、
人格障害の差があるよね、
ということが、
判断できないのに、
つまり、
健康な人なのか、
健常者なのか、
精神障害系の人なのかが、
分かりもしない。
健常の人に向かって、
精神症に行った方がいいですって、
言えないじゃないですか。
ということは、
家族であろうと何であろうと、
素人がその種の判断ができないということは、
そういうことは言えないということなんです。
本人が判断していくしかないんだけど、
本人だって、
アセスメントはできないんですよ、
多分話が相当おかしくて、
そんな風にはさすがになってないと思うんだけど、
もし、
素人がアセスメントすら一切できない、
ということになればですね、
結局のところは、
少なくともカウンセリングを
人に受けさせるってことはできなくなるんですよね。
診療内科に行くってのは、
話として内科だからね、
まだ分からなくはないんですよ。
もう病気っぽいものは全部内科、
みたいな話であるならば、
診療内科も内科だから、
27:00
お腹痛くなったら病院に行く、
熱が出たら病院に行く、
頭が痛ければ病院に行くという延長線で、
調子が悪いから病院に行く、
なんだか全然分からないけど、
ここがアセスメントしないってことですよね。
なんだか全然分からない。
だから診療内科に行くよね、
でもカウンセリングを受ける理由は、
何にもなくなるじゃないですか。
カウンセリングのホームページを見ていただくと、
分かるんですけど、
これは医療行為ではありませんって、
必ず書いてあります。
医療行為じゃないところに病人を送り込むのは、
おかしいじゃないか。
医療行為じゃないということは、
健常な人しか行かないということに、
理屈の上ではなりかねないわけですよね。
しかもアセスメントしようとは、
一切できないということになってくると、
そういうことになっちゃうわけですよ。
もう何か理由はよく分からないけど、
カウンセリングに自発的に、
ふらふらっと人が行く以外の、
生き方はありえないってことになるわけですよ。
これは、
全然現実的じゃないだろうな、
って思うんですね。
だから、私は、
ミオによっては完全に野良カウンセラーで、
と思うんですけど、
この野良とカウンセリングを分けるべき、
判断は一体、
誰がどういうふうにしたらいいんだろう、
という問題が、
この、
いわゆるビジネス界における、
個別セッションを、
行うことができている人たちと、
の間では、
必ずグレーゾーンが、
今言ったような事情で、
あらざるを得ないと思うんですよ。
絶対に、
そこにいる人が、
偏常な人もいれば、
そうでないというふうに、
正式な人はアセスメントできる人が、
含まれているんだけど、
そこにいる人たちは、
専門家ではないから、
そもそもアセスメントはできないし、
しなくてもいいんで、
だから、
ビジネスで困ってる人ならば、
そうなんですよ。
ビジネスとは限りませんけど、
困っている人は、
全て受け付けるしかないわけですよ。
個別のアセスメントは、
誰もしないわけだから。
診療内科に行って、
あなたカウンセリング受けた方がいいよ、
という人に紹介される、
というルートは、
正式なカウンセリングには、
あるんでしょうね。
それしかないんですよね、
逆に言うと。
これは変だよな、
私はいつも思うんですよね、
この件についてはね。
これで、
ノラカウンセリングを分けようというのは、
無理があると思うんですよね。
だって、
医療行為じゃない行為は、
全て、
全てある意味では、
ノラだろうと正式だろうと、
どっちだっていいわけじゃないですか。
医療じゃないんだから。
医療じゃないコンサルまで、
ファイナンシャルのコンサルだろうと、
企業コンサルだろうと、
税金のコンサルだろうと、
全てダメってことになるじゃないですか。
コンサルであるから。
そうすると、
30:00
一対一で人と人が、
顔見知りでもないのに、
ビジネスで喋るのはダメです、
という話にまでなっていくんで、
これはもうありえないですよね。
そういうことは言えないと思うんですよね。
誰であっても、
どうであっても。
本人か。
本人が困っている人は、
みんな正式を受けましょう、
というのは、
おかしな話になるんで、
当然そうはならないわけですよ。
この領域の中に、
私は一番現実的に、
入ってくるのが、
いわゆるパーソナリティリスオーダーと
呼ばれている群、
から、
神経症水準のこの間、
そこに位置する人たちにとって、
一番必要とされるものが、
おそらく、
カウンセリングであり、
コーチングであり、
我々のようなノラであり、
ということになり、
あとはそれに対するアプローチが
違うと、
言った話なんだと、
今私はようやく理解しつつ、
RSSです。
私はね、
私の理解が遅れているとも言えますけどね、
これはね、
自分が知っているのかもしれないけど、
そこは僕にはもう分からないんでね。
で、
いわゆるタスク管理であれ、
仕事術であれ、
それこそ認知行動両方であれ、
認知行動両方というのは、
私は、
名称として非常に、
総合デパート的すぎると思うので、
行動両方であれ、
認知両方であれと本当は言いたいんですけど、
このようなものは、
常識的に扱うアプローチでもあると思うんですね。
もちろん専門的な知見を持ってって話になると思うんだけど、
でもやっぱり常識で扱う範囲内だと思うんですよ。
そこで僕が思うのはですね、
精神病水準の人は、
ダイレクトに野良のところに行ったり、
3ヶ月チャレンジに行ったりっていうのは、
ちょっとあんま考えにくいんですね、やっぱりね。
申し込むという行為自体に非常に困難があるはずなので、
自然とパーソナリティ系の話になって、
そして自然とパーソナリティ系の話になっていった中で、
あからさまに医療に向かった方がいいですという群は、
おそらく除外されやすくなっていく。
ここのまず見極めをするためにも、
僕は精神分析がいいと最近は思うんですね。
知識としてって話ですよ。
知識として。
例えば、
薬物依存ですとなった場合。
あるいは、
ここら辺からがですね、やっぱり、
グラデーションあるんですよ、結局。
グラデーションあるんだけど、
薬物依存です。
アルコール依存です。
あとは何だろうな。
33:00
でもグラデーションありますね。
例えば、
浪費みたいなものはどうするかって話は、
グラデーションはあると思うんですよ。
そもそも経済状況を完全に把握するというわけにはいきませんしね。
だからありますよね。
でもやっぱり毎月毎月借金してますっていう方が、
3チャレやりますってのはどうかなと思うんだけれどもですね。
わからないじゃないですか、それは結局のところ。
だからその辺なんですよね。
その辺をある程度わかるために、
アセスメントはできないんですけれども、
でもやっぱりある程度わかるためには、
知っておいた方がいいと私は思うんですよ。
知っておくことによって、
どうかなと思ったときに、
本当はその正式につなげるといい。
だけれどもそういう手鶴も実はないんですよね。
ないんですよ、これが。
そういう手鶴が世の中でそのうちできてくるといいなとは思っておりますけれども、
今のところはない。
そもそもお住まいがどこかによって、
つなぐことができる関係には、
内か外かって問題が常にありますから、
そういう意味でもないわけですね。
だけどこれを知っておくことによってですね、
例えば乱用みたいな話、薬物であれ、
セクシャルなものであれ、乱用みたいな話の場合は、
専門というものとつながりつつ、
こういうコーチングみたいなもの、
これをコーチングと僕は思いませんが、
コーチングみたいなものを併用するということは、
あり得なくはないなという、
性的乱脈みたいなね、
あり得なくはないなという感じもするんですよね。
だからやっぱりそれは把握できるかどうかわからないですからね、
その人が性的乱脈みたいなものであれ、
あるいは、
それに乱脈の範囲などというものも、
非常にまちまちになってきますので、
その人が、私はそう思っても、
その人は別にそうは思わないこともあるでしょうからね。
ただ、
だからむやみに安いといけないというのは、
そういうことにもつながってはくるんですよね、
やっぱりね。
これが3ヶ月じゃないのに、
3ヶ月で300円ですということになってしまえば、
もしかしたら、
3ヶ月で300円になってしまえば、
3ヶ月で300円になってしまえば、
3ヶ月で300円になってしまえば、
3ヶ月で300円になってしまえば、
浪費劇があろうとなんだろうと、
全然利用できちゃいますから、
そして私の負担が、
全体の負担が増えますよね。
3ヶ月チャレンジ全体にのしかかってくる負担というものが、
おそらく増えますよね。
だから、
高けりゃいいってことはありえないんだけど、
安けりゃいいってこともありえないんですよね。
これ無料だったら、
多分崩壊すると思うんですよね。
私がすごい資産家だったという、
前提を持っての話ですよ。
それでも無料だったら崩壊するだろうな、
って感じはするんですよ。
だから、やっぱりどこかに設定するべき水準というものが、
あるはずで、
そこのところに、
行動が、
36:00
行動が鍵を握っている、
行動家ですね。
行動家というのは、やや能動的になる種の行動を、
例えば、
分かっていて略物依存になっている側面がある、
分かっていて略物依存になっている側面がある、
分かっていてひたすら引きこもっている、
分かっていてひたすら引きこもっている、
これも十分あり得る話ですから、
無意識だけが引きこもりに関与している、
とは言えないと思うんですよ。
あるいは、
分かっていてひたすら回避コードを取る、
みたいな、
ちょっとコアモテそうな、
ちょっと厳しそうなっていうのを、
全部回避していくみたいなね。
この話、
最近話題になっているHSP的な話と、
どうしても絡んでくるじゃないですか。
そして、
話を、
パーソナリティの話に戻しているんですけれども、
結局この、
例えばコーチングは、
僕知らないんですけど、
1対1でセッションするという、
コーチング的なものの中で、
必ずその人は、
つまりどういうことでも困っているのか、
ということと、
その人はつまりどういう人なのかっていうのは、
どういうアプローチでも絶対すると思うんですよね。
行動だけにいくら目を向けますって言ったって、
パーソナリティに一切目をつぶるってことは、
絶対にできない。
パーソナリティに一切目をつぶるってことは、
普通に考えて無理なんですよ。
むしろそれができたら極限ですよ。
やっぱり、
電車に乗れません。
でも電車に乗って会社に行かなきゃならないんです、
っていう話が、
コーチングなのかセラピーなのか、
何なのか分からないですけど、
来るとするじゃないですか、
そういう方が。
そういう方が来談されたとした時に、
ただただ電車に乗るようにしましょう、
っていうので、
世の中にもあるのかもしれないですけど、
逆にでもひたすら語りを
してもらうっていうのもまた、
ある意味すっごく
極端だと思うんですよ。
ある意味精神分析ってちょっとそういうところありますけれども、
ひたすらひたすらあなたの
生い立ちとかに興味を持ってもらう。
いや、私は電車に乗りたいんだよ、
みたいな、そういうことが
起こりうる世界だと思うんですよね、
分析の世界ってのは。
でも、
つまり行動化の病気ですと
言っておきながら、
精神分析的アプローチを取りますってからには、
それなりのやっぱり、
ものの見方があるはずじゃないですか。
このそれなりのものの見方は、
私はそういうアプローチを
取ろうと取るまいとに
関わらず、
みんな知っておいたらいいっていう立場ですね。
これが今私が、
自分が自分に化している
方針なんだなっていうことを
最近知ったわけですね。
だからその繋ぐとか、
そういう方には
お勧めできるとかできないと言うとか、
アセスメントはしない、
というかできないとか、
治療行為ではないとか、すべてが
この精神分析を知るってことと、
やっぱり関係があったんですよ。
それは後から気づいたんですけど、
完全に。
排出って言うんですよね。
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なんか話がまるで、今から話し始めるみたいになるんだけど、
排出って言うんですよ。
つまり多析ですね。
普通の世の中の言葉で言うと、
人のせいにするってこと。
これが無意識に起きてしまうというケースが、
精神病水準って呼ばれているケース。
精神病って意味じゃないですよ。
水準っていう場合です。
私だって多析はします。
だから私にも精神病水準はあるわけですよ。
で、
多析ってすごく難しくて、
一見したところ、
人のせいにする、他のせいにするってことになってくるんですけど、
よく言うところのですね、
例えば天気がこうだと頭痛がするっていうのは、
精神分析的には
多分に多析的に見えるところがあるわけです。
排出って言うんでしょうけどね。
あの、
今の難しかったじゃないですか。
いやいや、天気のせいでしょ。
間違いなくって話になるかもしれないじゃないですか。
でも、
夢の中で
悪天候が見舞われていて、
その人が頭痛がしていたら、
それは一体どうなんだろう、
っていう話なんですよ。
で、この場合、
多析じゃなければ実際に
多析じゃなければ
自責であるっていうのはおかしいんですよね。
その人にとっては、
天候が悪いという知覚によって、
頭が痛くなるという
知覚が生じるんですから、
そこに、
いや、それは自分のせいなのか、
天気のせいなのかっていう考え方を
絶対しなければいけないわけではないんですね。
でも、
我々はそうは
なかなか思わないので、
例えばある人が、
給料10万円なんだけど、
20万円のMacをちょっとローンで買ってねって言うと、
そいつのせいだってことになっちゃうんですよ。
ここに、
この人の中ではですね、
いや、でも新しい今度
着いた仕事で、
高性能のMacを
必要とするって言われたんだよ。
って言うと、
これは自責なの、
多析なのって話が難しくなるじゃないですか。
でも、世の中ってこういうもんじゃないですか。
そんなに分かりやすいわけじゃないですよ。
だから、
この件だけ取っても分かんないわけだと
思うんですね、僕は。
ただ、
その行動怪しいよねとは
思う人は思うでしょうよね。
でも、
この仕事を手に入れたから、
来月から給料が40万円ずつ
入るんだよってなると、
それならいいんじゃないのってことになるじゃないですか。
けれども、
その人のクレジットカードはすでにどのカードも
限度額いっぱいで、
10倍くらい持ってますってなると、
話が全然違ってきます。
でも、この種のようなことはですね、
話し込まないと分かんないんですよ。
ここまで話してくれないですよね。
初対面の人にここまでしゃべっちゃったら、
むしろ問題ですよ。
だから、行動に現れてしまうというのは、
結局、
例えば、
お金を使わずにいるっていうのは、
ある種の心の負担を
自分で抱えることになりますよね。
最近ちょっと
肌の調子も悪くなってきたし、
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仕事行ってられないなー
みたいになってきても、
それは体の苦しみでもあるかもしれないけど、
そこでもあえて会社に行くというのは、
心が頑張るって感じがしますよね。
心が頑張りすぎて、
体が壊れるってことも、
これは身体科なんだけれども、
でも心が頑張るってことになる。
でも、
あんまり切れないとなった時に、
いろんな出方があるってことなんですよ。
病気になるってのは、
世の中に受け入れられるじゃないですか。
だから体は率先しても、
病気になっちゃいました。
ご主人様休んでくださいと。
これ不思議な流れだけど、
そういうことはありえません。
会社に、
ちょっと今日は熱が高すぎてってことになると、
まあお大事にってことで、
普通はなると思います。
ただし、
今年これで100回目ですってことになると、
どうですかっていうのもありますよね。
そして、
まあまあこれに行ってしまおうと。
で、
病欠も何も出しませんでしたけど、
後から有給にしますってことになると、
これは、
許されるかもしれませんけど会社によっては。
をっていう感じの行動じゃないですか。
こういう行動化というものが、
その人の、
人格というものの、
難しさから来てる。
ただしこれはですね、
何にも分かってないわけじゃないわけですよ。
後から有給にしますとか、
っていう話になってくると、
決して精神病水準ではない。
現実圏と完全におかしくなってるとは言えない。
こういうただ行動に訴えるというのが、
すごく周囲から、
まあ俗っぽい表現でいうと、
浮くみたいなことが起こるかもしれん。
そういう話になっていったときに、
その人がですね、
いやなんかよくわからないんだけど、
会社で白い目で見られるんですとか、
なんか職場をてんてん取って、
とか、
なんか職場をてんてんとさせられるんですとか、
私はちゃんと真面目にやってるつもりだし、
休んだりはするけど、
それは有給で消化していますし、
っていうと、
本人の中ではそうなんですよ。
そんなにおかしな感じの行動になってないわけですよ。
だけれども、
なんかこう、
職場ではうまくいっていない気がするとか、
そういったことがあるわけですよ。
でも、
休みはちょっと取っちゃうんです。
私あんまり体が強い子じゃなくて、
残業が続くと調子がおかしくなるし、
おかしくないじゃないですか。
話としては。
だけれども、
なぜか、
何にも告げることなく、
いきなり箱根に行ってしまって、
あとでそれを有給扱いにしようとする、
みたいな行動になっていたりする、
という話があったり、
なかったりなわけですね。
こういうときに、
その絵が、
訴える相手が、
絶対カウンセラーじゃなきゃいけないのか、
絶対コーチングであったほうがいいのか、
ということは、
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おそらく言えないんですよね。
そしてこういう行動を取っていく、
理由についての、
物の見方、捉え方も違うんです。
結局この行動は、
心に抱えきれないから、
行動として現れているんだっていうのは、
松木くんひろさんが書いている、
精神分析的な物の見方なんですよ。
これはそうなんですよね。
これが、箱根に繰り返し行くことで、
気分が良くなって、
そこから報酬を得ているから、
その行動がやめられなくなったんだって言うんだったら、
行動量、行動価格的ですよ。
どっちかだって分かんないじゃないですか。
話聞き込んだって分かんないかもしれないし、
少なくとも話聞き込まなければ、
分からないと思うんですね。
どっちであるかということよりも、
大事なのは、
このアプローチを取ったら、
どのように話を向けていくかは、
変わっていくよねってことが、
大事だと思うんですよ。
この心で、
普通ならってのはおかしいんだけど、
でも心で抱え込むべきだっていうふうに、
社会では思われている。
心で抱え込めないんだったら、
家族とか周りの人と一緒に、
そういう苦しみを抱え込んでいくべきだって、
考えられているけど、
そういうことを一切しないっていう人が、
いらっしゃるとする。
例えば、最近本当会社ひどくてっていうふうに、
思われている文化があればですね、
一緒にそれを共有するっていう人が、
周りに現れていておかしくないんだけど、
そういう人はいないとか、
そういう愚痴をしんばして言っても、
全然ダメだみたいな文化が強くなってくると、
みんなこの苦しみみたいなものは、
個々人が抱え込むことになっていくわけですね。
そうすると、抱え込めないって事態が、
発生し得るわけですよ。
抱え込めなくなった行動が、
必ずしも問題行動として、
現れる限りなんですよね。
そういう人はもしかして、
すげえレイントレーダーとか、
福祉してお金を徹底的に儲けるようになって、
会社をさっさと辞めるかもしれません。
これは問題行動でも何でもないですよね。
ただし、
これは回避的な人格というものを、
作り出している感じっていうのは、
あるわけですよ。
ここにはお金に対する万能感も、
当然ありますよね。
こういう話になってた時に、
行動を見ていくっていう考え方。
その人の認知を見ていくっていう考え方。
で、力度を見ていくっていう考え方。
それぞれによって、
その人の問題っていうのが、
どのぐらい問題なのかに対する、
判断も変わると思うんですよ。
多分、
精神力度みたいなものの見方を取ると、
レイントレーダーになりました。
すごい稼げるようになりました。
っていうところに、
問題を見る気がするんですよね。
もちろん治療に勝手に行くってわけじゃないですよ。
でも、
問題は残ってるなっていう印象を抱くと思うんですよ。
一方で、
それが、
行動を見る気があれば、
全然問題ないわけだ。
それで生活できるようになっている。
お金も稼げている。
むしろいいことなんじゃないかってことがあって、
問題は一切ないはずなんで、
見方もできると思うんですね。
で、
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問題をわざわざ見に行かないほうが、
いいことももちろんあるわけですよ。
余計な治療しないで、
すぐ終わりだから。
だけれども、
そうやってデイトレードで
90億円くらい儲けたから、
何もしなくてよくなったんだっていう人が、
その後10年間、
一歩も外へ出られませんってなった時に、
本人が苦しいってなったら、
ちょっと違う見方が
必要だったってことになるわけですね。
そういう時にも、
自分は、
力動的なものの見方っていうのが、
どうしてもやっぱり、
自分のものの見方に、
こういうところに問題を見ることが、
そもそも難しくなってるからと思うし、
結局そういう時にですね、
話がこうやって一周してるんだけども、
3ヶ月チャレンジっていうのは、
オンラインだし、
接触点を増やすことはできるし、
そして、
治療はしないんだけれども、
アセスメントもしないんだけれども、
でもこういう観点だけは
持っておくっていう、
コミュニティなんだよな、
っていうのの意味なんですよね。
そのことを、
考え中って感じですね。