おはようございます。ライフハックからの精神分析、第1276回をお送りします。
11月6日木曜日、朝8時3分です。
なんとなくですけど、本当になんとなくですけど、このやり方が板についてきたかなっていう風な感じをようやく持ててきました。
やり方がなんとなく見えてきたかなというような、そんな感じなんですけれどもね。
とりあえず、システムの概要が見えてきて、YouTubeとスタンドFMの両方にこれをアップするためには、
Zoomで録音するのが今の私には最適だなと思います。
ライフハックっぽい話なんですけど、Zoomって録音ファイルだけを最初から別にクラウドで取っておいてくれるんですね。
しかも、それが今の私の状態だけだといらない機能なんですけど、話者ごとに録音ファイルを分けてくれるんですよ。
だから、例えばこれ複数でやっていて、もう1人の方が質問者だとするじゃないですか。
あるいは聞いている方がみんな質問者だとして、5人とかいてですね。
そうすると5つ録音ファイルを作って、それをアップしないでほしいって言った場合、取り除く必要って一切ないわけですよね。
だから、それは非常にいいなと思いまして、このやり方にしてみております。
何て言えばいいのかな。
これを使う機会がどのぐらいあるかは分からないんですけども、
とりあえず、私の3ヶ月チャレンジでやっているレクチャーなりを外に出したいなと思った時とかに、
これはやっぱり不可能なんで、手で除去するなんてことは、音声だけ外に出すとかだったら、
音声ファイルが私の声だけを取っておいてくれるっていうことになれば、それはいいなと思いまして、
どのぐらいそれが使い物になるかというのは、またちょっと置いておくとしても、やってみようかなという感じを持ってます。
大元のところには全部入っちゃうんだけど、そっちは動画から音声を除去してしまえばいいんで、
それは今は割と専用ツールを使えば一発なんで、
非常に考えているいろんなことをですね、今考えてやっております。
ただこれは私の仕事というよりは、仕事ですけど今となってはね、この番組そのものも最初は趣味とは違いますが、
別にそういう趣味なわけじゃないんだけど、何のためにやってるのかよくわからないような活動だったんですけど、
ようやくそれが趣味を拡充させてるみたいな、その感覚でやれれば一番良かったんでしょうけどね。
今はさすがに趣味を拡充させてる感じではやってないですね。
はい、あともう一つお知らせで、11月8日、もうあさってですね、あさってに
センリーさんという方と認定トレーナーのですね、タスクシュート認定トレーナーのセンリーさんと、私とでセミナーやります。
で、もう20人は行くんじゃないかなと、あの無料のゲストの方、招きする方を全部合わせれば20は絶対超えるんで、
30近く行くんじゃないかと思いますが、にぎわってる方がいいところも、こういうセミナーはあるんで、よろしければぜひですね、ご参加いただければと思います。
まだあすあさってとお申し込みできます。
で、あのセンリーさんは、もうすでに早速スライドも用意してくださったんですけどキャンバーの方に、そういうことが私には絶対できないことなんで、
あのその辺もタスクシュートを使って時間をやりくりするというのが、あの徹底できる人なんだなというのを相変わらず感じさせられるわけですけども、
まあライフログ撮るような方にもですね、非常にいいお話になるんではないかと、私は何の話するかってすごい悩んできているわけですけど、
まあいいスライドを見ると、この辺のことをもうちょっと深掘りした方が面白いかもなぁと思ったり、急にするんですよね、そういうことって急に思いつくんですよ。
だからあんまりアジェンダってあげたくないんですけど、まああげちゃってますけど、当日若干変更はあるかもしれませんので、まあその辺はぜひ期待しておいていただければと心配せずにですね、思います。
はい、ということであさってね、時間ありましたら、時間なくてもアーカイブでも手に入りますんで、よろしければぜひご参加ください。
で、今日の本題はこちらなんですね。こちらっていうのが動画だから出せるんだけど、まあ別に動画見てない方も何ら問題ないです。
本をただ僕の横に顔の横にかざしているだけで、どっちにしてもこれはサムネイルかなんかにあげますんで、
あの、ポッドキャストだけの方でもあれです。藤山直樹さんの本、今日は紹介します。
岩崎学術出版社から出ている精神分析という営み。大変表紙僕はこれいいなぁと思うんですよね。
どう考えても専門書であってビジネス書とかじゃないですけどね。藤山直樹さんが書いた精神分析という営み。
で、副題がですね、この副題に非常に意味が、もうどっちかちょっとタイトルでもいいんじゃないかぐらいな、生きた空間を求めてっていうタイトルなんですけど、
あの、この本確かにそういう本なんですよね。最初に読んだ時には副題はほとんど意識の片隅にも入ってませんでしたけど、
今改めて考えてみるとこの副題は全く完璧だなって思うんですね。
まあ、専門書っていいなって思っちゃうんですけど、僕が今何をしようとしているかというと、この本の紹介がしたいわけではなくてですね、
紹介をするんだけど、したいことは精神力度を広げたいというよりは、
世の中のそこを賢にばらまいておくぞっていうのが僕のやろうとしていることですね。なんか悪事みたいなんですけど、
そういうわけじゃないつもりなんですけどね。とにかくこう潜ませておこうみたいな。
今って認知行動療法、CBT、Cognitive Behavioral Therapyですかね、が主流ですよね。もはや今が絶頂と言っても過言ではないぐらいです。
まあ基本的にはカウンセリングに2回行けばどっちかがCBTである可能性が普通はほぼ確実だろうと。
狙って違うところに行くのは別ですよ。だけど知らずに行けば、それをやっている治療がCBTである可能性はもう圧倒的に高い。
精神力度にぶつかる可能性に比べればですね、もう全然10倍以上は高い。上に精神分析にぶつかる可能性と比較すれば、
もはや1対100を超えて精神分析にぶつかる可能性は適当に言ったらないなって感じが僕はしますんで。
リキド系である可能性はまだしも精神分析そのものである可能性はないと思うので、CBTにあたる可能性に比べればですね、本当にあれですよ。
僕もガラガラガラガラ、連発なんてガラガラガラガラ回すやつあるじゃないですか。吹く引きの。ほとんどティッシュだったりするじゃないですか。
まあそれ価値の問題になっちゃうんだけど、価値の差はないですよ。言いたいことはそうじゃなくてガラガラやってティッシュが出る可能性と
ハワイ旅行があたる可能性の差ぐらいはCBTにあたる可能性が高いぞという話をしています。
CBT以外の可能性だってありますよ。時々商品ケアだったりするじゃないですか。そのぐらいの可能性でCBT以外にあたる可能性は十分ありますけど、
CBTにあたる可能性はポケットティッシュです。昔はポケットティッシュはそのぐらいバンバン配られていたわけですよ。消しゴムとかでもいいんですけどね。
今じゃそんなことはないですよね。わかんないけど。でもポケットティッシュはやっぱ普通に白い球が出るとポケットティッシュが赤か知らんけど。
ほぼ見たことのない青い球とかは精神分析とかはハワイ旅行よりもあたる可能性は僕は低いと思うんで。精神分析そのものはですよ。
精神分析的心理療法とかならば別ですけど、精神分析そのものにあたる可能性っていうのは僕はゼロだろうと。ほとんどね。
ただ本といってあたる可能性はハワイ旅行ぐらいに思っていただいて差し支えないんじゃないかと思いますね。
そのぐらい圧倒的にCBTのこの時代ですから、もうその世の中に広ませておくみたいなことをやっても別にいいだろうっていうね。そういう感じを僕は抱いているわけですね。
この本なんですが、初学者には何かとか聞いたこともよくわかんないっていう方に何があった時、この本がおすすめだとは僕は思わないかったんですよね。
でもそうでもないんではないかって話をなんと驚いたことに2回、3ヶ月チャレンジで話してるうちにね、2回たれてそっかって思って思い直してみて今読み直しているんですよね。
わかんないですよ、もう僕には。何がわかんなかったのかが、何がわかんないのかって難しいじゃないですか。わかってないときは何もわかんないから。
で、わかってくると何がわかってるのかはいくらかはわかるんだけど、そうすると本当に何がわかんなかったのかなって考え始めると、なんかどれも嘘くさく感じでくるんですよね。
で、とりあえずこの本でまず冒頭からいきなり、いわゆる何もわかりませんっていう人の読む本になってないんで、冒頭からいきなり藤川直樹さんが本当か嘘か知りませんが殴られるシーンから始まるわけですよ。
クライアントさんにね。で、そのクライアントさんに殴られるんだけど殴られる直前には恐ろしいと感じてないんですね。
だけど殴られた直後に恐ろしいって感じるっていうこの不思議な、普通は殴られる前に恐ろしいって感じるよねっていうことを書いてるわけですね。
で、それが考えられなくなるってことなんだっていう話をされていて、まあ要するにこれは専門、必ずしもこの時藤山さんが精神分析家だったかどうかわかんないんだけど、
そうは言ってもそういうことには十分、危機感とか知識とかが十分働いてもいいはずなのに全く働かなくなってしまっている。
で、そこが伝えられたいことなわけですよ。で、私このスローモーションってタイトルもとても込み出しなんですけど、いいなスローモーションのように殴られる。
なんかそういうことってあるじゃないですか。ものすごく恐ろしいことが起きた時って、なんかそれがスローモーションのように起きて、で、なんか事実に自分巻き込まれているんだけど、
観察者みたいになっちゃっていて、なんかこう殴られるのに余計もしないでただ殴られてしまうみたいな、そういうことを書いてらっしゃるわけですけど、
僕はその例よりこの直後に出てくるですね、同じような事態なんだっていうことになっている、
ある女性のクライアントさんがずっとこうわかりやすい話をして、それを理解十分行き届くからそれを普通に解釈していくんだけど、
ちっとも事態が進展していないっていうか、手の震えを訴えてくる人なのに、手の震えは1年通い続けても一向に止まる気配がないっていう、
なんかまずいことが起きているような気がするって話の方が、私は非常にこの本の中ではですね、強いインパクトを持っているんですよね。
未だにこの話を僕は一つの教訓にしようとしているところがあるんですよ。
まんまは使いませんよ、もちろん。そもそもこのエピソード自体理想の可能性が十分高いですし、まんま書けないですからね、臨床例。
で、私の体験したことじゃないんで、臨床例とか私は持ってないわけですから、臨床できないんだから。
なんですけど、この話はでもですね、いわゆる相談系の個別支援している人間としては、すごい身につまされるものがいっぱいある話なんですよね。
この一つの事例を持って大量のことを一気に伝えてくるというのが、藤山さんの本の真骨頂だと僕は思うんですよ。
この一つの事例で伝えてくることが実はたくさん詰まっているんですね。
いろんなことがここに込めることに成功しているというか、自由的に話が伝わってくる。
この辺が他の本にはなかなかないことなの。ないわけじゃないんだけど、でも藤山さんは突出してそれがやっぱりすごいなって感じがするんですよね、藤山さんの事例っていうのは。
これから読むと、ここにいろんなことがすでに書いてあるんだなと。
それって全部は伝えきれないじゃないですか。一文では一文しか書けないわけだから。
一文に意味が2つも3つも4つも入ってたとしても、書いてあることは一文なんで。
っていうその制約の中でですね、たくさんの話がここから伝わってくるっていうのが実現できている感じがするんですね。
まずいかにもありそうなことが起きているんですよ。
一見すると精神分析とか精神力道ならではのことのようにも読めるし、そう書いてあるんだけど、実際にはこれは相談という出来事の中ではこういうことは外してありがちだということが書かれてるんですね。
その中に潜んでいる、我々がいかにも諸学者ゆえなのか、諸学者であろうとなかろうとなのかわからないですけど、ありそうやりそうな失敗の羽根がそこら中にこのストーリーの中にある感じがするんですね。
殴られるのもそうなんだけど、殴られるっていうのはさすがに何ていうのかな。
ここに問題があるんだけどすでに。殴られるっていうのは避けようとするじゃないですか。
普通に考えると。こういうことは起きてほしくないな、正直言って。いくらなんでもなって思うじゃないですか。
何をしているにせよ相談を受けていて殴られるのはごめんだなって思うじゃないですか。
だからこれはそれこそ無意識みたいなことを言うならばですね、密かに避けると思うんですよ。
無意識だったとしてもね。だから意外と殴られずには済むと思うんですよね。
でも女性のような欲打つ状態っていうのか打つ症状なのかわかんないんですけど、
長く休職していたみたいな。調子が良するにすごく落ちたみたいな。
これもすごいよく聞くような話じゃないですか。
でもその人はすでに知的に高度だし、情緒的にも生き生きしているようにも感じられるし。
話もちゃんとするし、話はわかりやすい。要するに何が言いたいかというと、
古典的に言うところの神経症水準で、しかも機能は高いと。
ごくごく真っ当にやれている感じがする女性がやってきて、
そこで語られている話というのもごくごく真っ当であって、何らおかしなところはない。
だけど手の震えが止まりませんという、藤山さんのこの書き方からすると些細な症状なんですね。
この些細な症状を取るために精神分析を1年もやって、
大企業に勤めているようだけどお金がすごい裕福なようでもないのに、
1年も続けているっておかしくないかって考え始めると。
考えてみると解釈は、解釈ですから精神分析だから、
要するに相談内容はわかりやすいし、相談されていることにも応えているし、
その辺すごく懲りに凝っていろいろと伏線張ってあるわけですけど、藤山さんが。
つまりその女性は別に藤山さんの言うことをまんま鵜呑みにするような人ではなくて、
ちゃんと考えているようだし、考える能力もあるようだし、
しっかりと受け答えもして、自分の状況に照らし合わせて、
現実見当も十分にして、どんどん良くなっているようだと。
でも手の震えが止まらないわけですよ。
しかも手の震えを止めるためだったら、何もそんな手間かけなくても良さそうなわけじゃないですか。
飲みたくないかもしれないけど、ドーパミンに関わる薬をちょっと飲めば、
あっさり止まっちゃうかもしれないわけじゃないですか。
一体これは何なんだろうってことになるわけですよね。
そんなに深いところまでしっかりと現実見当もできていて、
何もかもがうまくいっているように見えているのに、
手の震えが止まりませんから今日も来ましたみたいなわけじゃないですか、結局は。
なんだか密かにそれについて訴えてきているわけですよね。
要は訴える素材が欲しいから手を震わせているようにも見える。
これだと先日話したドーラ症例みたいな、ヒステリーみたいな話になっていくんだけど、
要は何であったとしても、何かここに来たくなるわけがあるんだと。
この辺がだから、癖物なわけですよ。
何が癖物って、相談をされる側っていうのはですね、
例えば非常に単純なところでお金をずっと取っていたいって絶対なくはならないはずじゃないですか。
もちろんめちゃくちゃ忙しい場合は別かもしれないけど、
ギリギリでやっと解雇できてくれてますみたいな、何なら私みたいな、
私よりも厳しい方だって、別に公認の心理師さんの中だっていらっしゃるとは思うんですよ。
もっとお金使うかもしれないんだし、子ども私立に入れますみたいな話とか、
あるいは子ども偉大に入れますみたいな話だったら、
うちの子は偉大にはいけそうにないから、その辺は安心なんですけど、
安心しちゃいけないんだけど、お金いるじゃないですか。
だから手の震えが止まらない人がですよ。
ただそれだけのことで、手の震えが止まらないってのはあんまりいいことじゃないかもしれないけど、
手の震えが止まらないだけだったら、その人がいきなり殴り出したりはしそうにないじゃないですか。
しかも話はよく伝わってくるし、話しているっていうのはですね、いいじゃないですか。
例えばずっと沈黙されるとかに比べると、いいじゃないですか。
つまりそういうクライアントさんが来ていて、気持ちよく話しているという状態が続くっていうのは、
良くないじゃないですか。
だからうっかりすると、そういう良くないことに巻き込まれていっちゃうわけですよね、きっと。
そんなことは、ザラにありそうだ気がするんですよ。
ちょっと油断していると、そうなりそうですよね。
そうなんていうことの性質から考えて、
上手いこと言っている感じがして、しかも自分にはこれといった危機的な状況はないと。
それ自体が危機的な状況なんだけど、危機的な状況がないということになってくると、
別に搾取ってことをしなくたって、向こうは自発的に人が来るわけだから、
お金も時間もやたらとかかっているっていうことの割には、
この些細な症状を取りたいだけなんだろうかっていう疑問は、
やっぱり浮かばなければ、浮かばさせないようにすれば、
全然目をつぶってしまえると思うわけですね。