おはようございます。働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト、1065回をお送りします。
10月8日火曜日、8時24分ですね。
昨日も早々に月曜日に落としてしまって、僕もね、本当にもう2000年より前のこと、1900年代の話ですが、
1900年代だよな、1998年とか99年とはいえね、2000年にはなってない頃とはいえ仕事してたんで、月曜日。
まあ、サザエ山商工軍とかっていうやつですかね。
ああいうのが全くわからないわけではないんで、月曜は落とさないように気をつけてるつもりなんですが、落とすんですよ、やっぱり。
月曜落としやすいんですね。土日明けなんで、朝バタバタ度が少しあるんですよ。
だからといって落とす理由は全然なくて、実際昨日もそれとはあんまり関係なかったんですが、とはいえ後手後手に回ってるうちに収録するタイミングが全くなかったわけではないですよ。
ノート書きましたからね、夜とはいえ。夜でもいいからアップすればいいんだけど、問題は月曜の朝じゃないですか。
だからどうも夜になっちゃうと、まあいっかみたいになってしまうところはあるんですよ。
これもね、僕やっぱ自分だから実感がまるで湧いてないんだけど、お楽しみにしていただいてる方には大変申し訳はないという気持ちはあるんですよ。
これはですね、僕の中では週間アスキー問題っていう名前になってるんですね。
とにかくね、週アスが週に2回出ることを楽しみに会社行ってたんで、私は週アスがある日はいけるんですよ、普通に。
変なもんですよね、こういうのって。週間アスキーを週アスって呼んでたんですけどね。
すごいあれすごかったんですよ、週に2回も出してくるという。
まあ雑誌ですからね、IT雑誌なんて月1でいいわけですよ、月に1回。
ただ問題なのはそういうことではないんですね。
これはもう、これがあるからいけるぜみたいなのってやっぱあるわけですよ。
週刊少年ジャンプ楽しみにして学校行く子みたいなもんでね、そういうことなんですね。
だからそれがもう合併号とかになると本当に絶望的な気分になって、合併号があるから休むみたいな。
佐々木が休んだ日は週アスが出てないみたいなね、そういうことがあり得たわけですよね。
だからその週アスのですね、もうすごい偉くなった方に1回だけエバーノートの回の時に
本当トップの方の人にお目にかかって、その週アス談議をしてたんですけど、
若干向こうはね、もうなんか鬱陶しそうだったんですよね。
これがすごい僕おかしいってまだ覚えているんだけれども、
有名な方なんで僕その人名前をフルネームで存じ上げてたんですけど、
はっきり言ってただ一方的に熱烈なファンが隅から隅まで週アスを読んでいるって話は、
向こうにとってはいい話なんだけど、聞いてて面白い話かどうかはまた別の問題。
お詳しいですねみたいな感じで、もうあからさまにっていうほどじゃないけどギリギリ、
なんか僕も多分こういうポジションの人が来ると面倒くさいんだっていうのを少し感じたんだけど、
でも割と迫っていくみたいなね、そういうことがありました。
そういうことを言いたいわけじゃなくて、ただ単にこれを毎日出すのは当然なんですし、
そんなに大変でもなんでもないんだけど、なぜかやっぱ落ちちゃうことはあるんだなっていうね。
これをだから週5やりますとかってなかなか言えない理由なんですよね。
週刊アスキーとかも普通に出るんだからやっぱ出せるんだろうと思うんですよ。
週刊誌がすごい大変って話は山のように聞くじゃないですか。
すごい大変なんだと思うんですけど、でも出るんですよね。
週刊アスキーそのものが出ることになっているのに出ませんでしたっていうのは、
僕はもう20年ぐらいは読んでたと思うんですけどね。
だから週末だらけになっていくんですけど、一回もなかったんですけどね。
でもやっぱり大変なんですよね、あれってね。
ここが面白いところだなって思いますね。
この週刊的に何かを確実にやるということが難しくなさそうでとても難しいことだというのかね。
なんでなのかわかんないけどそういうことはある。
なんでなのかなんとなくはだいたいわかってきてますけど、
今日はそういう話をするかしないかわかりませんがまだ何も考えてませんからね。
何も考えてないから落とす点ではないんですよ。
そういうことは何の関係もなく落とすってことです。
大変だからでもネタがないからでもネタなんてほとんどの日はないわけですからね。
たまにある日もあるんだけれども、その前にお知らせしましょう。
週末のCMしてても仕方がないんで。
今でもありますよ、週刊式はデジタルでね。
僕も読んでませんけど。
3ヶ月チャレンジ現在、これは最終的には告知をいたしますけれども、
確実に3チャレンジ体験してみたいという方は、
私としてはGoogleカレンダーの方の4回予約を先にやっていただくのが理想的だと思います。
そっちの方が安いんで、第一に。
第二に4回無料で体験できちゃうんで。
今から4回ギュギュ詰めじゃんって思われるかもしれませんけど、
回数はどうしても回数で金額判断されるとは思うんですけど、回数は大事じゃないんですよ。
大事なのは初回インテークとカウンセリングの世界で言うやつ。
つまり初回セッションでのやり取りに相当する感触をお互いが得られるということが大事なのであって、
それが3回か4回かってのは、4回詰め込もうと思えばまだできますから11月までには可能だとは思います。
ただ4回が3回になったからといって別になんてことはないんですよ。
そこはね、そんなに重要じゃないと私は思います。
重要なのは事前にやっておくことができる。
そしてあれは実質2万2千匹ぐらいな感じなんで損はないと思います。
あれを完全に事前のなくフルコミットでやるっていうのは、そういうのでも全然OKって方もいらっしゃると思うんですよ。
そういう方が区切りが良くていいとかね。
気持ちの問題なんで多分に何がどうするのがベストであるというのは、
金銭的云々を含んでトータルで考えていただくより他ないんですけれども、
そういうことはありますので、事前の申し込みに相当するGoogleカレンダーの初回4回お試しってやつね。
4回お試しセット、あれをお試しいただくのが一番無駄はないかなと思います。
第8期の募集を近々かけるということですね。
中身はもう繰り返し、でもあまりこのフォトキャストで言ってないけど、
週に1回の個人セッション、私とですね。
週に1回のグループセッション、これは土曜日を今度固定にして、
かつ、確約はできないんですけど、日曜とか平日、私が時間空いてるなと思うところに差し込んでいって、
その日程を事前に皆さんで共有するというのをやります。やるつもりです。
グループセッションに数回は参加していただかないと損だなって、
僕は最近思いますんで、グループセッションというのはイメージ湧きにくいと思うんですが、
結構大切だと思いますんで、これを少なくとも月に1回、計3回ぐらいはご参加いただくといいんじゃないかなと思います。
動画も配信しますけど、動画をあれ見るっていうのはですね、
僕らほんとこれに慣らされすぎているんですけど、情報をゲットするっていうのは悪くはないですけれども、
そんなに意味あるかなと思うんですよね。
大事なのは僕から情報を得ることなんかではないんですよ。
情報だけだったら、より正確で完成されたものが松木くにひろさんなり、
最近ではかなり砕けた内容で東方カイトさんの雨の日の心理学とか、聞く技術、
まあでも聞く技術とか言ったものから得ることは得られるんですよ。
なんなら動画だって、それこそ東方カイトさんがやっぱりアーカイブ配信とかで、
かなり込み入った精神分析、内面と実情と事情について語っていらっしゃいますから、
あれ聞いた方が正式の人ですからね。
情報を得るという意味では正確です。
ただし僕はそれがセルフカウンセリングという名のもと、
自分で自分をケアすることの代わりになるかどうかは、
すごい疑わしいと今は思っています。
別に精神分析受けるっていう必要性とか、
カウンセリング必要だって言ってるわけではないんですよ。
ただ先日山崎孝明さんって方もおっしゃってましたけど、
当事者研究というのは当事者の集いであることに意味があるんですね。
集うだけで意味があるかどうかも難しいところだと思うんですけれども、
ただ本に読んでそれの代わりになるかというと、僕は絶対ならないな、
本当に最近は思います。
これはAIにカウンセリングすることの効果論みたいな話なんですね。
僕は感覚的には否定的です。
非常に簡単な理由が1個あるんですよ。
AIは嘘をつかないから。
これはすごく僕の中では致命的に近いなと思うんですよね。
カウンセラーは嘘をつくかもしれないって僕らは思うことができるんですよね。
これが3ヶ月セッションからそのままストレートに入っちゃいましたけど、
これがもう超大事ですよ。
嘘をついてなくたって、嘘をついてるかもしれないって思うんですよ。
こいつを自分の心の中で宿してしまい、しかもそれを自分で克服していかなければいけないんですよ。
AI相手にこれと同質のことは多分まず不可能だと思うんですよね。
人はAIにどう思われようと思われてないんだけど、気にしないじゃないですか。
というか、AIはどうも思わないと思ってるじゃないですか。
これがダメなんですよね。
だからこのどう思われるだろうかっていうのは情報じゃないと思うんですよね。
どう思われるかを気にするっていうのは自分の心の動きですよね。
これだけ、これこそが大事だと思いますね。
今のはあくまでもどう思われるか問題にかかった話ですけど、
これで悩んでる方たくさんいらっしゃいますからね。
ちょっと前にしばしば話題にした、セミナーで質問するとバカだと思われる問題。
これだって周りに人間がいてこその話じゃないですか。
周りで聞いてる人はすべてAIです。
相談してるのもAIですって時に、質問したらバカだと思われるって絶対心配しないじゃないですか。
で、実はその背景でわかんないから、AIだって心を持ってるかも。
まあそうは思わないってことなんだけどね。
で、なんかねバカだと思ってるんじゃないかって心配することは、
論理的に不可能、原理的にっていうのかな。
不可能じゃないかもしれないっていう人もいるかもしれないけど、
僕は不可能だと思うんですよね。
それをAIだと知ってればね。
だからこのバカだと思われる云々っていうのは、
引き出す情報の内容とは何の関係もないんですよ。
でも僕はこっちの方が、
例えば先送りの問題を何とかしたいとか、
人間関係をどうにかしたいとか、
パートナーに怒られるのが怖いとか、
会社で上司に叱責されると思うつらくて会社に行けないとかは、
全てどう思われるかということと深く関係があるのであって、
その時に息を6秒止めてアサーションできるかどうかといった情報は、
この情緒を自分でどうにかできるかどうかに比べると、
些細な問題のように私は思う。
だから情報を引き出すというのは、
つまり些細な問題だと私は思うんですよ。
今のは主題ではないです。
というか主題はまだ考えてないんですけれども、
今朝ですね、これが主題になる、きっと。
私の仕事のパートナーの大橋泰生さんから、
自分の書いた記事を教えてもらったんですね。
しごたのの記事でした。
これを読んで私が思ったのは、
どえらく慎重に書いてるなってことだったんですね。
で、なんで慎重に書くかっていうのは、
未来の私のためなんですよ、ある意味では。
未来の私のためというか当時の自分のためなんだけど、
これを読んだ時にすごく慎重に書いてる。
で、するとね、あ、助かったって思ったんですよ。
これがいけないんですよ。
僕はもう半々ぐらいかな、
信用で仕事をするというイリュージョンですね。
イリュージョンというべきか幻想というべきか、
幻覚ではないからね。
見えはしない。
とにかくこれを炎上案件ですけど、
たぶんこれを書いたらね。
気にやむようでは仕事にならない。
というのは仕事しにくくなるってこともあるんですけど、
そもそも仕事をしたことにならないと。
だから当時の私が何を書いたかは、
しゃあないんですけど、
今言えるんだったらもっと大胆にやれってことなんですけど、
たぶん大胆には当時はやれなかったんだろうと思います。
それは自分の心の問題ですね。
読む人が全員AIなら、
ああは絶対書かないってことですよ。
読む人が人間だと思ってるから、
そして人間はバカだと思う。
これが大事なことだって思っちゃってるってことが問題なんですよ。
これはくだらないよねで済ませてもいいんですが、
くだらないよねと100回言っても、
我々はそれをくだらないとはなかなか思えない。
交通安全でこのお守りを持ってたから事故らなかったんだと
信じきっているような話で、
そのお守りを捨てるなんてとんでもないことなんですね。
しょうがないとは思うんだけれども、
それでもここをロジクルに詰めて詰めていこうとは今日思ったんですよ。
だからこれが今日のテーマになるんだ。
まとまりがあった方がフォトキャストもやっぱり受けはいいです。
上回とか言われてるやつは大体まとまりがいいですけれども、
私はそれはいいことだとは思わないんですね。
それってつまり情報だってことに近づくんですよ。
まとまりがいい情報を得た方が人は気持ちが良くてすっきりする。
例えば私もしばしば大人気のポッドキャスト、
コテンラジオっていうのを読んでまとまりがいいわけですよ。
あれは素晴らしく。
僕とは基本姿勢というか価値観が全く違う方々がきちっとやっているから、
これは人気が出るしすっきりもする。
でもですね、批判は全くないですよ。
好きで聞いてるわけだから。
例えば豊臣秀吉はなぜ大阪に大阪城を築城したかということを、
まとまりよく淀みなくすっきり説明されて、
わあすっきりしたってなるじゃないですか。
でも僕はすっきりするだけなわけですよ。
これが受けるのは間違いないんですよ。
僕がこのまとまらないぐじゃぐじゃしたのをもにゃもにゃとしゃべってるやつが、
皆さん聞いていただいて大変ありがたいけれども、
すっきりしない回はいっぱいあるはずなんですが、
それがいいんですよ、僕からすると。
そうじゃなければひたすら精神分析はないにせよ、
精神分析的力動療法とか心理療法とか認知行動療法とか、
最近でいうとスキーマ療法とかC-PTSDとかについてですね、
すっきりしたことをすっきりしゃべって、
聞いている方がみんなすっきりするというだけで終わってしまうんですね。
これはしかもそれの中に常に意識しておかなきゃいけないのが、
バカだと思われる問題なんですよ。
クズだと思われる問題でもいいですけど、
もうそのようなことばっかりになってしまう。
なんていうのかな、僕からするとここほんと3年ぐらいかな。
ほんとに3年ぐらいだと思う。もしかすると2年ぐらいかもしれないですよね。
自分は仕事をし始めたなと、心の底から思えるようになってきた。
つまりそれ以前やってたのは、私が仕事なので書いていたような、
ああいう感じだったんですよね。
仕事をしている感じがないんだけど、
あれこそが仕事だと今の方々が、
多くの人が信じている仕事なんですよね。
AIでも書けそうなやつ。
AIは書かないんだけど、ただAIでも書けそうなやつ。
すごく慎重で後の自分が困らないやつですね。
困ると思ってるんですよね。
例えばなんですけどね、仕事の記事ではないですよ。
昔私がVIVラタネをVIVラネタと書いてバッシングされたという、
これは結構な炎上案件だったんですよ。
あの時ラタネと書いておけば、
あの連載記事の仕事が今もあったかというと、
多分100%ないと思いますね。100%ないと思います。
つまり信用があることによって、
自分の仕事にプラスになるという思い込みは、
すごい疑わしいと思います。
というか、これをどうやって納得するかなんですよね。
今でもあの連載を続けていられたかというと、
その可能性はない。
これはもう僕は確実だと思うんですよね。
あれをラタネと書こうとラネタと書こうと関係ない。
これが一つですね。
もう一つはもっと深刻。
果たして今書いていたいのかってことですよね。
これははっきり言明はさせませんけれども、
書いていたいから正しく書いておくべきだった論は、
一つも成立しないということだけは言えます。
だから、すなわち信用問題っていうのは、
実態が全然ないんだけど、
僕らが仮にですね、信用がある方がいいっていう風に思いたいんだったら、
そう思っとけばいいんだけれども、
いや違うな、思っとけばよくはないんだけれども、
途中をすっ飛ばしてまでこれにしがみつくことによって、
自分が払っているコストのデカさについて、
こういう言い方しか僕は今までしてないですけれどもね、
これがいやーってみんな言うんだけど、
ここまで考えることができれば、
引きこもった記事を書くということは何にもないってことがわかるじゃないですか。
まるでこう横たわってる赤ちゃんがですね。
どうせお母さん、僕を愛してくれないんです。
っていうポエムみたいなものをやれないですけどね赤ちゃんにはね。
頭の中で思い浮かべていたからといって、
これが引きこもるってことなんだけど、
こうやって引きこもったからといって、
その赤ちゃんにとってプラスにもマイナスにも何もならないじゃないですか。
ただただそう、そういう、何て言うんだろう。
何て言うんですかね。
ただただそうあるがままなのに、
何かそこに遮蔽物、心の遮蔽物のようなものを作って、
どうせもういいんだみたいになってる。
この状態と僕が引きこもった記事を書く心理状態も同じだってことですよ。
これが象徴水準ってことだと思うんですよね。
具体水準では全然違うんだけど、
象徴水準で同じことをやってるということがわかればですね。
私は赤ちゃんじゃないんだから、
別に引きこもった記事を書く必要はないんだってことまでいけるわけですよ。
つまり、後先考えず好きに書けばいいって言うたったそれだけなんですよ。
それは結局どういうことかというと、
後先考えずお母さんのおっぱい欲しいって思っとけばいいってことなんですよ。
赤ちゃんの水準まで戻ったとしてもね。
赤ちゃんに結局できることはそれしかないんだから、それでいいわけですよ。
これがどいたけおさんが言う、愛されたいと願ってる状態。
赤ちゃんは愛されたいと願っとけばいいわけ。
それが甘えなわけですね。
私もそうなんですよ。
記事書いて、この記事が面白いと思ってもらえたらいいなと思っとけばいいわけです。
後先考えず。
それがどう思われるかとかを意識せず、その時たぶん一番いい状態になれるし、
実際にできることはそこがマックスなんですよね。
後でやってしまっていいことは何一つ起きない。
現に私はそのようにして慎重に慎重に慎重に書いていたんだけれど、
当時はでもしばしば炎上したし、しかしその炎上があろうとなかろうと、
たぶん今の状態に変化はないし、今の状態に変化があってほしいとすら思ってないですね。
必ずそういうことを僕らは考えがちですよね。
必ずと言っていいほど考えがちです。
現在の3ヶ月チャレンジの方がいらっしゃるというのは、
私にとってすごい非常にかけがえのない感じがするから、
だから慎重になりやすくなるわけですよね。
これらのお客さんを失わないようにしようみたいになるわけですよ。
しかし今までもずっとそうしてきて、
今3ヶ月チャレンジにいらっしゃっている方を考えてみると、
それは以前からずっと私のところのやり取りしてきた方ではないんですよ。
タスクカフェとかにゼロじゃないけれども、
でもパーセンテージから全体で見るとほぼゼロに等しいんです。
タスクカフェの時とか、その頃に僕がやってた心理的なメンタル的なセミナーって、
毎月のようにやってた時代があるんだけど、
そこにいたメンバーと今いらっしゃるメンバーは全然一致しないんですね。
一致しなきゃダメじゃないですか。
もし信用を積み重ねてくるということが全てであるならば、
一致しないというのはダメだと思うんですよ。
だけど一致しない、現実は。
だからそれは信用を積み重ねていると、
信用を失うと逆を失う論っていうのは、
あなかだ微妙なものだ、というか丸々嘘だって言ってもいいと思うんですよね。
僕は5、6年前からこの信用を積み重ねるというのは一切やめにして、
過去の記事を読む、読み返すというのも基本的にせず、
とにかく今書く、今喋るということが全部にしておいて、
昨日何を喋ったかとか、第何回で何を喋ったかは完全に忘れてしまうんですね。
現にそうです。僕は先週喋ったこともほぼ全部忘れてます。
こうなるんですね、このように特化していけば。
さっきみたいに送られてくれば読みますけれども、
自分から自主的に読み返したり、
整合性を取るということは一切やらないようにして、
そうすると理論上、僕が当初、昔2013年頃心配していた事態が進行するならば、
どんどん顧客が減っていかなければ、リクスに合わないですよね、このやり方だったら。
そうはならない。理由はわかりませんけど、理由考えないことにしている。
ただ、だからといって、そういう恐れがゼロになったわけじゃないんです。
だから、さっきの記事を読み返した時に、どこかホッとしてしまったんですね。
これが僕が克服するべき何かなんですよ、間違いなく。
慎重に書いておいてよかったと。
何度も僕が言及していますね、カウンセリングについて、
カウンセリングとはこういう風になるかもしれないみたいな書き方をする。
なるはずであるみたい。影響を与えないわけにはいかないだろう。
この書き方こそ、引きこもった書き方と言うべきだと思うんですよね。
わからないから、私はわからないことについては書きませんよと。
常に今、称賛される書き方なんですよ。
僕はこの潮流がすごい嫌で、読んでいて、何にも読んでない気になってくるんですよ。
これをやられると。
何にもこの人は責任を取る気がないんだなっていう感じしかしないんで。
だから、まあいいんですよ、それは。
怖いってのはよくわかる。怖いから怖いことはやらないですよってことなんですね。
それはそれでいいんです。
私たちが怖いのは最もなんで。
それはやっぱり、ママがいなくなるというのは恐ろしいことなんですよ。
しかし、どんなに気をつけていても赤ちゃんにできることはないんですよ。残念ながら。
ママがどう動くかということを、思念でどうにかできない。
だからこそ僕らはオカルトに走るんですね。
思念でどうこうしようとしちゃう。
首が座ってない、はいはいもできない。
まあできたとしてもですけれども、その状態で親をコントロールできるわけがないですよ。
できることとすると泣くしかない。
そして泣くは必ずやってる。
すでにやるべきことはやってるんですよね。
非常にここはわかりにくいんですけれども、
僕はグッドファイブスで、倉園圭造さんがすでに最強の存在で、価値マックスで悪いことは何も起きず傷つくことは決してないって言ってるのは、
ものすごく僕は常にこの文脈で考えます。
何も自分ができなかった虫の娘も見ましたから、はいはいもできなかったあの時代について考えます。
価値マックスで傷つけられることは決してなくってのは本当だろうかといつも考えます。
通常の観念じゃ無理ですよ。
でもそれは通常の観念だから無理なんですよ。
僕はこれと合わせて、アマゾンのヤノマミ。
この種のことを言い間違えるんですけどね、僕はね。
ヤノマミって人間のことらしいんですけれども、
女の子が身こもると。
なんかやっちゃって身こもるわけね。
その時に育てられないとなると森へ返す。
シロアリに食わせるんですね。
そういう風にやるんだそうですよ。
まあ要するにその地域における我々の言葉で言うところの忠誠なんでしょうね。
そうじゃないけどねどう見ても。
もちろんその女の子は泣いてるんだけど、しかしそのやり方というのは多分そこの世界においては良いんですよ。
良いことなんですよ。
先日ジェイマスザキさんが蜂の巣にとって良いことは蜂にとって良いことだって話をしてたんだけど、
それと全く同じ話だなと。
結局この種の話は宗教的になってきますよね。
しょうがないと思うそれは。
これはカウンセリングの範疇じゃないし、ましてビジネス書の範疇じゃないと思うんですよ。
でもしゃあないと思うんですよ。
だって僕らそういう部分もありますから。
だって我々は不死の存在とかじゃないじゃないですか。
いずれ実存的に最も厳しい事態にも直面しないわけにはいかないんです。
ちょいちょい直面しそうにはなってますよねすでにね。
死にかけたことって50年も生きてれば僕は3回あるんだけれどもありますよね。
そういうことを言っててもそういうことを考えてもしゃあないじゃんっていうのは簡単なんだけど、
でも50年で3回ですからね。
15、6年に1回もあるってことじゃないですか。
今後もっと増えますよね。
私のこの年齢とこの身体からして。
だからしゃあないんですよ。
そういうことについても全く触れずに置くとか全く考えずに置くってことはできないと思うんですね。
つまり蜂の巣にとっていいことは蜂にとっていいことなんですよ。
あの矢のまみだったかな。
あのとにかくその南アマゾンの部族はテレビで見たときは同じようなことを言ってました。
森は広いんだと。
その言葉に何か意味あるかなこういう時って思うんだけど。
森は広いぞと。
人は森のことを全て知ることはできないんだっていうようなことを言ってたんですけど。
まあ森にとっていいことは人にとっていいことなんですが。
そうじゃなかったら森で生きていくなんてことはできっこないじゃないですか。
森の方がでかいんだから。
だから森に返すんですよ。
この話どういうことかっていうと結局僕らが個体としてですね。
えっと恐れて引きこもっていても何にもできないということだと思うんですよね。
恐れてなくて大胆になったからといって。
世に言うところのすげーことができるってあれじゃないと思うんですよ。
大谷翔平の今回のポストシーズンみたいなあんなわけにはいかないんですよ。
それが残念だって言ったりもしばしば聞くんですけど。
私はもうそうは思わない。
これはごじゅうすぎたからなんだと思いますね。
藤沢みたいになりたいというふうに全然思わない。
むしろそうでなくて本当に良かったと思えるようにはなってるんですよね。
同時に何か私が守んなきゃいけないっていうほどのものは何にもなくて。
ここでただ喋ってる。
これやめさせることできないじゃないですか。
視聴者がずっと0、毎日0になったらやめますけど。
ならないんですね。
だからこれでいいんですよ。
前に言ってたことと違うとかはものすごく些細なことなんです。
だって私ファースト。
これ今ここで誰もいませんよここには。
今日はねたまたまなんですけど本当に誰もいないんです。