1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 行動によって私の価値は変わら..
2024-10-08 51:30

行動によって私の価値は変わらない【1065】

信用されたり失ったりするのを重宝しても恐れても仕方がない。
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サマリー

このエピソードでは、仕事や自己管理に関する心理的な問題を探求し、再現性や規則正しさの重要性について語っています。特に、AIに関する懸念や人間関係の視点から、どのように自己評価を保つかに焦点が当てられています。このポッドキャストでは、行動や信用に対する思い込みが自己価値にどのように影響を与えるのかを探ります。特に、炎上案件に対する反応や、過去の行動がどのように評価されるべきかについて考察されています。このエピソードでは、価値が行動によって決まるわけではなく、リソースが存在しないという誤解について深く掘り下げています。誤解や妄想性が思考に与える影響や、自分自身の信用や価値に関する考え方が明らかにされています。また、私たちの行動や価値がどのように変わるのかについて深く掘り下げており、愛されることや赤ちゃんの視点を通じて自己価値を再認識する過程も描かれています。このエピソードでは、価値が行動によって変わらないことについて考察し、人生の不変性と社会的な成功の相対性を探求しています。

心理的な問題の探求
おはようございます。働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト、1065回をお送りします。
10月8日火曜日、8時24分ですね。
昨日も早々に月曜日に落としてしまって、僕もね、本当にもう2000年より前のこと、1900年代の話ですが、
1900年代だよな、1998年とか99年とはいえね、2000年にはなってない頃とはいえ仕事してたんで、月曜日。
まあ、サザエ山商工軍とかっていうやつですかね。
ああいうのが全くわからないわけではないんで、月曜は落とさないように気をつけてるつもりなんですが、落とすんですよ、やっぱり。
月曜落としやすいんですね。土日明けなんで、朝バタバタ度が少しあるんですよ。
だからといって落とす理由は全然なくて、実際昨日もそれとはあんまり関係なかったんですが、とはいえ後手後手に回ってるうちに収録するタイミングが全くなかったわけではないですよ。
ノート書きましたからね、夜とはいえ。夜でもいいからアップすればいいんだけど、問題は月曜の朝じゃないですか。
だからどうも夜になっちゃうと、まあいっかみたいになってしまうところはあるんですよ。
これもね、僕やっぱ自分だから実感がまるで湧いてないんだけど、お楽しみにしていただいてる方には大変申し訳はないという気持ちはあるんですよ。
これはですね、僕の中では週間アスキー問題っていう名前になってるんですね。
とにかくね、週アスが週に2回出ることを楽しみに会社行ってたんで、私は週アスがある日はいけるんですよ、普通に。
変なもんですよね、こういうのって。週間アスキーを週アスって呼んでたんですけどね。
すごいあれすごかったんですよ、週に2回も出してくるという。
まあ雑誌ですからね、IT雑誌なんて月1でいいわけですよ、月に1回。
ただ問題なのはそういうことではないんですね。
これはもう、これがあるからいけるぜみたいなのってやっぱあるわけですよ。
週刊少年ジャンプ楽しみにして学校行く子みたいなもんでね、そういうことなんですね。
だからそれがもう合併号とかになると本当に絶望的な気分になって、合併号があるから休むみたいな。
佐々木が休んだ日は週アスが出てないみたいなね、そういうことがあり得たわけですよね。
だからその週アスのですね、もうすごい偉くなった方に1回だけエバーノートの回の時に
本当トップの方の人にお目にかかって、その週アス談議をしてたんですけど、
若干向こうはね、もうなんか鬱陶しそうだったんですよね。
これがすごい僕おかしいってまだ覚えているんだけれども、
有名な方なんで僕その人名前をフルネームで存じ上げてたんですけど、
はっきり言ってただ一方的に熱烈なファンが隅から隅まで週アスを読んでいるって話は、
向こうにとってはいい話なんだけど、聞いてて面白い話かどうかはまた別の問題。
お詳しいですねみたいな感じで、もうあからさまにっていうほどじゃないけどギリギリ、
なんか僕も多分こういうポジションの人が来ると面倒くさいんだっていうのを少し感じたんだけど、
でも割と迫っていくみたいなね、そういうことがありました。
そういうことを言いたいわけじゃなくて、ただ単にこれを毎日出すのは当然なんですし、
そんなに大変でもなんでもないんだけど、なぜかやっぱ落ちちゃうことはあるんだなっていうね。
これをだから週5やりますとかってなかなか言えない理由なんですよね。
週刊アスキーとかも普通に出るんだからやっぱ出せるんだろうと思うんですよ。
週刊誌がすごい大変って話は山のように聞くじゃないですか。
すごい大変なんだと思うんですけど、でも出るんですよね。
週刊アスキーそのものが出ることになっているのに出ませんでしたっていうのは、
僕はもう20年ぐらいは読んでたと思うんですけどね。
だから週末だらけになっていくんですけど、一回もなかったんですけどね。
でもやっぱり大変なんですよね、あれってね。
ここが面白いところだなって思いますね。
この週刊的に何かを確実にやるということが難しくなさそうでとても難しいことだというのかね。
なんでなのかわかんないけどそういうことはある。
なんでなのかなんとなくはだいたいわかってきてますけど、
今日はそういう話をするかしないかわかりませんがまだ何も考えてませんからね。
AIと人間関係
何も考えてないから落とす点ではないんですよ。
そういうことは何の関係もなく落とすってことです。
大変だからでもネタがないからでもネタなんてほとんどの日はないわけですからね。
たまにある日もあるんだけれども、その前にお知らせしましょう。
週末のCMしてても仕方がないんで。
今でもありますよ、週刊式はデジタルでね。
僕も読んでませんけど。
3ヶ月チャレンジ現在、これは最終的には告知をいたしますけれども、
確実に3チャレンジ体験してみたいという方は、
私としてはGoogleカレンダーの方の4回予約を先にやっていただくのが理想的だと思います。
そっちの方が安いんで、第一に。
第二に4回無料で体験できちゃうんで。
今から4回ギュギュ詰めじゃんって思われるかもしれませんけど、
回数はどうしても回数で金額判断されるとは思うんですけど、回数は大事じゃないんですよ。
大事なのは初回インテークとカウンセリングの世界で言うやつ。
つまり初回セッションでのやり取りに相当する感触をお互いが得られるということが大事なのであって、
それが3回か4回かってのは、4回詰め込もうと思えばまだできますから11月までには可能だとは思います。
ただ4回が3回になったからといって別になんてことはないんですよ。
そこはね、そんなに重要じゃないと私は思います。
重要なのは事前にやっておくことができる。
そしてあれは実質2万2千匹ぐらいな感じなんで損はないと思います。
あれを完全に事前のなくフルコミットでやるっていうのは、そういうのでも全然OKって方もいらっしゃると思うんですよ。
そういう方が区切りが良くていいとかね。
気持ちの問題なんで多分に何がどうするのがベストであるというのは、
金銭的云々を含んでトータルで考えていただくより他ないんですけれども、
そういうことはありますので、事前の申し込みに相当するGoogleカレンダーの初回4回お試しってやつね。
4回お試しセット、あれをお試しいただくのが一番無駄はないかなと思います。
第8期の募集を近々かけるということですね。
中身はもう繰り返し、でもあまりこのフォトキャストで言ってないけど、
週に1回の個人セッション、私とですね。
週に1回のグループセッション、これは土曜日を今度固定にして、
かつ、確約はできないんですけど、日曜とか平日、私が時間空いてるなと思うところに差し込んでいって、
その日程を事前に皆さんで共有するというのをやります。やるつもりです。
グループセッションに数回は参加していただかないと損だなって、
僕は最近思いますんで、グループセッションというのはイメージ湧きにくいと思うんですが、
結構大切だと思いますんで、これを少なくとも月に1回、計3回ぐらいはご参加いただくといいんじゃないかなと思います。
動画も配信しますけど、動画をあれ見るっていうのはですね、
僕らほんとこれに慣らされすぎているんですけど、情報をゲットするっていうのは悪くはないですけれども、
そんなに意味あるかなと思うんですよね。
大事なのは僕から情報を得ることなんかではないんですよ。
情報だけだったら、より正確で完成されたものが松木くにひろさんなり、
最近ではかなり砕けた内容で東方カイトさんの雨の日の心理学とか、聞く技術、
まあでも聞く技術とか言ったものから得ることは得られるんですよ。
なんなら動画だって、それこそ東方カイトさんがやっぱりアーカイブ配信とかで、
かなり込み入った精神分析、内面と実情と事情について語っていらっしゃいますから、
あれ聞いた方が正式の人ですからね。
情報を得るという意味では正確です。
ただし僕はそれがセルフカウンセリングという名のもと、
自分で自分をケアすることの代わりになるかどうかは、
すごい疑わしいと今は思っています。
別に精神分析受けるっていう必要性とか、
カウンセリング必要だって言ってるわけではないんですよ。
ただ先日山崎孝明さんって方もおっしゃってましたけど、
当事者研究というのは当事者の集いであることに意味があるんですね。
集うだけで意味があるかどうかも難しいところだと思うんですけれども、
ただ本に読んでそれの代わりになるかというと、僕は絶対ならないな、
本当に最近は思います。
これはAIにカウンセリングすることの効果論みたいな話なんですね。
未来の自分のために書く
僕は感覚的には否定的です。
非常に簡単な理由が1個あるんですよ。
AIは嘘をつかないから。
これはすごく僕の中では致命的に近いなと思うんですよね。
カウンセラーは嘘をつくかもしれないって僕らは思うことができるんですよね。
これが3ヶ月セッションからそのままストレートに入っちゃいましたけど、
これがもう超大事ですよ。
嘘をついてなくたって、嘘をついてるかもしれないって思うんですよ。
こいつを自分の心の中で宿してしまい、しかもそれを自分で克服していかなければいけないんですよ。
AI相手にこれと同質のことは多分まず不可能だと思うんですよね。
人はAIにどう思われようと思われてないんだけど、気にしないじゃないですか。
というか、AIはどうも思わないと思ってるじゃないですか。
これがダメなんですよね。
だからこのどう思われるだろうかっていうのは情報じゃないと思うんですよね。
どう思われるかを気にするっていうのは自分の心の動きですよね。
これだけ、これこそが大事だと思いますね。
今のはあくまでもどう思われるか問題にかかった話ですけど、
これで悩んでる方たくさんいらっしゃいますからね。
ちょっと前にしばしば話題にした、セミナーで質問するとバカだと思われる問題。
これだって周りに人間がいてこその話じゃないですか。
周りで聞いてる人はすべてAIです。
相談してるのもAIですって時に、質問したらバカだと思われるって絶対心配しないじゃないですか。
で、実はその背景でわかんないから、AIだって心を持ってるかも。
まあそうは思わないってことなんだけどね。
で、なんかねバカだと思ってるんじゃないかって心配することは、
論理的に不可能、原理的にっていうのかな。
不可能じゃないかもしれないっていう人もいるかもしれないけど、
僕は不可能だと思うんですよね。
それをAIだと知ってればね。
だからこのバカだと思われる云々っていうのは、
引き出す情報の内容とは何の関係もないんですよ。
でも僕はこっちの方が、
例えば先送りの問題を何とかしたいとか、
人間関係をどうにかしたいとか、
パートナーに怒られるのが怖いとか、
会社で上司に叱責されると思うつらくて会社に行けないとかは、
全てどう思われるかということと深く関係があるのであって、
その時に息を6秒止めてアサーションできるかどうかといった情報は、
この情緒を自分でどうにかできるかどうかに比べると、
些細な問題のように私は思う。
だから情報を引き出すというのは、
つまり些細な問題だと私は思うんですよ。
今のは主題ではないです。
というか主題はまだ考えてないんですけれども、
今朝ですね、これが主題になる、きっと。
私の仕事のパートナーの大橋泰生さんから、
自分の書いた記事を教えてもらったんですね。
しごたのの記事でした。
これを読んで私が思ったのは、
どえらく慎重に書いてるなってことだったんですね。
で、なんで慎重に書くかっていうのは、
未来の私のためなんですよ、ある意味では。
未来の私のためというか当時の自分のためなんだけど、
これを読んだ時にすごく慎重に書いてる。
で、するとね、あ、助かったって思ったんですよ。
これがいけないんですよ。
信用と行動の影響
さっきのバカだと思われる問題と全く同じ、
というか同じなんですよ。
つまりこの慎重に書くことによって、
私はバカだと思われずに済んだってことなんですけど、
それに何の意味があるんだろうって思ったら、
百害あってってやつだなと思った。
一利ぐらいはあるかもしれないんだけど、
百害あって一利ぐらいしかないなって感じなんですよ。
一利もない気がする。
というか一利ないと言い切れた方がいいんでしょうけどね。
これ結局信用問題ってことなんですね。
で、ものすごくこれ手放しで称賛されてるじゃないですか。
信用を積み重ねるっていうのは、
いい意味しかないんじゃないですか。
このいい意味しかないやつっていうのは、
本当に要注意だと思うんですけどね。
炎上案件と自己評価
僕はもう半々ぐらいかな、
信用で仕事をするというイリュージョンですね。
イリュージョンというべきか幻想というべきか、
幻覚ではないからね。
見えはしない。
とにかくこれを炎上案件ですけど、
たぶんこれを書いたらね。
気にやむようでは仕事にならない。
というのは仕事しにくくなるってこともあるんですけど、
そもそも仕事をしたことにならないと。
だから当時の私が何を書いたかは、
しゃあないんですけど、
今言えるんだったらもっと大胆にやれってことなんですけど、
たぶん大胆には当時はやれなかったんだろうと思います。
それは自分の心の問題ですね。
読む人が全員AIなら、
ああは絶対書かないってことですよ。
読む人が人間だと思ってるから、
そして人間はバカだと思う。
これが大事なことだって思っちゃってるってことが問題なんですよ。
これはくだらないよねで済ませてもいいんですが、
くだらないよねと100回言っても、
我々はそれをくだらないとはなかなか思えない。
交通安全でこのお守りを持ってたから事故らなかったんだと
信じきっているような話で、
そのお守りを捨てるなんてとんでもないことなんですね。
しょうがないとは思うんだけれども、
それでもここをロジクルに詰めて詰めていこうとは今日思ったんですよ。
だからこれが今日のテーマになるんだ。
まとまりがあった方がフォトキャストもやっぱり受けはいいです。
上回とか言われてるやつは大体まとまりがいいですけれども、
私はそれはいいことだとは思わないんですね。
それってつまり情報だってことに近づくんですよ。
まとまりがいい情報を得た方が人は気持ちが良くてすっきりする。
例えば私もしばしば大人気のポッドキャスト、
コテンラジオっていうのを読んでまとまりがいいわけですよ。
あれは素晴らしく。
僕とは基本姿勢というか価値観が全く違う方々がきちっとやっているから、
これは人気が出るしすっきりもする。
でもですね、批判は全くないですよ。
好きで聞いてるわけだから。
例えば豊臣秀吉はなぜ大阪に大阪城を築城したかということを、
まとまりよく淀みなくすっきり説明されて、
わあすっきりしたってなるじゃないですか。
でも僕はすっきりするだけなわけですよ。
これが受けるのは間違いないんですよ。
僕がこのまとまらないぐじゃぐじゃしたのをもにゃもにゃとしゃべってるやつが、
皆さん聞いていただいて大変ありがたいけれども、
すっきりしない回はいっぱいあるはずなんですが、
それがいいんですよ、僕からすると。
そうじゃなければひたすら精神分析はないにせよ、
精神分析的力動療法とか心理療法とか認知行動療法とか、
最近でいうとスキーマ療法とかC-PTSDとかについてですね、
すっきりしたことをすっきりしゃべって、
聞いている方がみんなすっきりするというだけで終わってしまうんですね。
これはしかもそれの中に常に意識しておかなきゃいけないのが、
バカだと思われる問題なんですよ。
クズだと思われる問題でもいいですけど、
もうそのようなことばっかりになってしまう。
なんていうのかな、僕からするとここほんと3年ぐらいかな。
ほんとに3年ぐらいだと思う。もしかすると2年ぐらいかもしれないですよね。
自分は仕事をし始めたなと、心の底から思えるようになってきた。
つまりそれ以前やってたのは、私が仕事なので書いていたような、
ああいう感じだったんですよね。
仕事をしている感じがないんだけど、
あれこそが仕事だと今の方々が、
多くの人が信じている仕事なんですよね。
AIでも書けそうなやつ。
AIは書かないんだけど、ただAIでも書けそうなやつ。
すごく慎重で後の自分が困らないやつですね。
困ると思ってるんですよね。
例えばなんですけどね、仕事の記事ではないですよ。
昔私がVIVラタネをVIVラネタと書いてバッシングされたという、
これは結構な炎上案件だったんですよ。
あの時ラタネと書いておけば、
あの連載記事の仕事が今もあったかというと、
多分100%ないと思いますね。100%ないと思います。
つまり信用があることによって、
自分の仕事にプラスになるという思い込みは、
すごい疑わしいと思います。
というか、これをどうやって納得するかなんですよね。
今でもあの連載を続けていられたかというと、
その可能性はない。
これはもう僕は確実だと思うんですよね。
あれをラタネと書こうとラネタと書こうと関係ない。
これが一つですね。
もう一つはもっと深刻。
果たして今書いていたいのかってことですよね。
これははっきり言明はさせませんけれども、
書いていたいから正しく書いておくべきだった論は、
一つも成立しないということだけは言えます。
だから、すなわち信用問題っていうのは、
実態が全然ないんだけど、
僕らが仮にですね、信用がある方がいいっていう風に思いたいんだったら、
そう思っとけばいいんだけれども、
いや違うな、思っとけばよくはないんだけれども、
途中をすっ飛ばしてまでこれにしがみつくことによって、
自分が払っているコストのデカさについて、
こういう言い方しか僕は今までしてないですけれどもね、
これがいやーってみんな言うんだけど、
嫉妬と承認欲求の関係
でもですね、そのコストのデカさってすごいよっていうことです。
つまりこれは私は支払うコストを減らしに減らしているから、
むしろ言えることなんですよ。
話を伺っていると、皆さんが払っているコストは、
僕の10倍ぐらいの感覚の人がいっぱいいらっしゃいます。
つまりそれだけ気を使っているってことですね。
でも私はその10分の1にしても払いすぎって思うんですよね。
10億円ぐらい払ってお茶1本買っている感じ。
本当はそれすらないんだけれども、
私今言いましたのはこういうことですからね。
結局その炎上案件というのはなぜ炎上したか、
その程度のことでラタネとラネタごときでなぜ炎上したか。
みんなが読む媒体で書いたからですね。
みんなが読む媒体じゃないところであれ書いてても、
いやいや佐々木さんあれ違いますよみたいなことを
たまーに教えてくれる人がいるかもしれない。
だって社会心理学の名前のタイポなどというものは、
どうでもいいじゃないですか。
どうでもいいレベルなんだけれども、
しかもその社会心理学者は有名人ではあるけど、
社会心理学を突っ込んでない人にとっては有名でもなんでもないわけですよ。
結局この種のことってあれなんですよ。
僕がこの指摘をされた人は、
若い学者さんか大学院生の方が多いんじゃないかなと思うんですけど、
面白くないんですよ。
いろんな意味で僕みたいな人間がそんなことについて
分け知り顔で書いているということを。
だからものすごくへこませたいんですよ。
死んでほしいとまでは多分思ってないと思うんだけど、
すっごいへこませたいっていう気持ちはあるんだと思う。
でもそれは僕がそこそこ読まれるメディアで書いていてこその話であって、
僕が読む人5人ぐらいのノートとかに書いている限り、
その人たちは多分気にも止めようがないんだけどね。
気にも止めないんですよ。
全然。
だってどっちでもいいわけですよ。
この人たちにしてみれば。
もともと僕に興味はないんでね。
だからこいつ分かってないわみたいなことを言いたいのは、
僕のためではないってことですね。
第一にね。
みんなのためでも別にないってことですよ。
とにかく自分の中の、
多分懲罰、
僕その人を批判してるわけじゃないですよ。
この気持ちはよく分かるって言ってるんですよ。
僕はね。
私はモテなかったから。
このことは散々言いましたね。
これは何を言いたいかというと、
モテたかったわけ。
モテたいっていうのも、
これもすっごい誤解されるんだけど、
モテたいというのは、
1人の彼女が欲しいって意味ですよ。
なんていうのかな。
これね、前に何回か指摘されたんですよね。
モテたいんですか。
それとも、
1人大切な女性が欲しいんですかって。
その問いを立てること自体が、
僕の気持ちが分かってないってこと。
言いたいことは分かりますよ。
でも、
その問いを立てるってことが、
もうなってないんじゃない。
僕の気持ちが分かってないんですよ。
僕の気持ちはそういうことを言ってるんではないんで。
モテたいということは、
1人の彼女が欲しいに決まってるんです。
僕の中では。
モテないから、
僕は一生誰とも何にもできない。
結婚もできなきゃ、
付き合いもしなきゃ、
セックスもできなきゃ、
デートもできないんですよ。
この絶望感を訴えてるので、
あって、
別にモテたいわけじゃないんですよ。
この絶望感というものを、
僕が仮に持っていて、
誤解のオンパレードなんですけど、
この絶望感の中に生きていて、
ある学者が、
有名な大学を卒業し、
人理学者としてやっていて、
年収も多そうで、
分かんないですけどね。
年収も多そうで、
奥さんにも子供にも恵まれていてですね。
で、
アインシュタインのことをニュートンと書いていたら、
バッシングしたくなりますよ。
めっちゃくちゃ。
なんていうのかな、これは。
リベンジに近いんだけれども、
つまりこれが、
嫉妬だって言えば嫉妬なんですけどもね。
これ嫉妬じゃなくて、
これを扇望という、
扇望は厳密にはこうじゃない気もするんですよ。
だから嫉妬と扇望の間みたいな感じなんですよね。
なんなんこいつって、
言おうと思うと思いますね。
あの苦しみを抱えていれば。
で、私が言ってるのは、
ラタネとラネタの件でバッシングした人がモテなかったってわけじゃないですよ。
大事なのはリソースだってことなんですよ。
いいおっぱいが欲しいんだってことなんですよ。
でもやっぱりこれだと批判してるみたいになりますよね。
そうじゃないんですよ。
みんないいおっぱいが欲しいんで、
いいおっぱいが欲しいってことを批判するところではないんですね。
で、いいおっぱいがもらえないと、
まあこの話は何度も何度も何度も言ってるけれども、
悪いおっぱいが襲ってきてるって思ってしまうんですよ。
この悪いおっぱいっていうのは、
誤解と妄想性
黒いおっぱいみたいなもんではないんですよ。
なんかね、
なんて言ったっけあの、
あれは、
もののけ姫でなんかすごいグワーっての出て、
あんな感じなんですよ悪いおっぱいっていうのは。
恐ろしいものなんですよ。
この悪いおっぱいに襲われる恐怖みたいなものを、
刺激された時に、
なんかこう学者崩れというか、
学者未満みたいな、
佐々木みたいなやつが、
なんか最終学歴も大学で、
なってないわけですよ要するに。
こいつ超なってないわって感じなんですよ。
それは、
どこからどう見てもなってないんですよ。
売れる本を書いたからなってるとか、
仕事なのにちゃんとした記事書いてるからなってるとか、
そうは思えない絶対に。
そういうことじゃないから。
なってないんですよ。
なってないのにこいつはいい目を見てるらしい。
これもらしいんだけど、
もう知らないんでね。
らしいんですよ。
これはもう絶対、
ここはちょっとね難しいんですよね。
許せないって言っても、
この人ばしたからと言って、
自分にリソースがやってくるわけじゃないんでね。
でもこの種の誤解ってすごく、
僕らは絶やすくするんですよね。
ここはね、
なんて言ったらいいのかな。
あるリソースをがめてるように見える人たちを
罰したり、
消去しても、
そのリソースが自分に来ると、
あっさり思えてるわけではないって、
僕は思うんですね。
だけど罰したいんですよ。
この真理ってのは、
妄想性のところ、
また批判的になっちゃうな。
でも妄想性のところでは、
ほんとこういう風になるんで、
妄想性って僕は言ってるんですよ。
病気だって言ってるわけじゃないですよ。
僕らもみんな妄想性は持ってるからね。
僕持ってますもん。
持ってましたもん。猛烈に。
だから持てないときはね。
持てないってのはリソースがないってことですよ。
リソースがないって思ってるときは、
リソースがないとは思えないんですよ。
悪いおっぱいがあるになってしまって、
おっことぬしだっけ。
わかんないんだけど、
なんかああいう感じなんですよね。
なんかね、
ああいうアニメにするとほんとね、
リソースの欠如
難しいんですよね。
昨日そういう話したんですけど、
ある方と。
宮崎駿アニメは一番いい作品が
僕も一番ではない、
いい線いってる気がするんですけど、
なんかですね、
絵にしちゃうと、
絵じゃないって、
こう書き立てられる、
なんつうんですかね。
この悪意と圧倒される感じに圧倒されるんですよ。
でもこれはね、
そんなことを思うのは、
愚かだって思うべきじゃないんですよ。
よーく考えてみるべきなんですよ。
僕らはここで。
あるじゃないですか。
何度もここで言ってますけど、
痛ましい事件があります。
悪意全くないケースもあるんですよ。
本当に。
だから痛ましいなぁとしか思いようがないですよね。
本当僕だって、
自分がサウナの中に閉じ込められて、
なんか外から鍵かけて、
そのこと忘れてたからでは許せないと思いますもんね。
でもそこに悪意がないってことは、
事故ってことはね、
ありえちゃうじゃないですか。
でもほんと大変だし、
みんなその後も大変だし、
大変つらいわけですよ。
ここにでも本当のところ、
悪気みたいな奴がいて、
こいつ閉じ込めてやって、
苦しめてやるみたいに思うわけじゃないんだけど、
ダセェって言ってる方はね、
そりゃもう、
悪気みたいな奴を、
心の中に作り出すに決まってるじゃないですか。
だから赤ちゃんの気持ちに立ってみればですね、
悪いおっぱいというのは、
往々にして誤解の産物で、
いやお母さんはちょっと、
荷物を見てただけなんだけど、
でも許せないんですよ。
これの許せなさが、
僕のラネタラタネ問題に、
ぶつかってきてるわけですね。
でもそれは、
有名なメディアで書いてるからなんですよ。
こうして戻ってきて、
私が信用を失ったから、
ではないんだけど、
だから、
ここで書けなくなったとして、
今思うことはですね、
いやー、
いいんだよ別にそれで、
ってことなんですよ。
だったら、
何が怖かったのかってことですよね。
で、この、
その世にリソースがないことの、
怒りというのは、
現在もですね、
未来も、
永遠になくならないんですよ。
私が気をつけるとかは関係ない。
この世からそれがなくなることはない。
なぜならばそれは誤解なんで。
で、世の中から誤解を消すのは無理なんで。
誤解を消した世界というのを無双するのは、
できるんですけれども、
ものすごくクリーンな世界。
戦争とかもそうですし、
基本的にあれは全てリソースに関わる、
私は誤解だと思うんで。
誤解はするんですが、
っていうか誤解のない世界ってないんで、
でもこれが万能空想なんですよね。
誤解のない世界に住みたいという、
万能空想。
で、これは結果として、
必ず引きこもるしかなくなるんですよ。
引きこもるっていうのは、
いわゆるみんなが知ってる、
あの引きこもりではないですよ。
私は仕事の記事を採読して、
非常に良かったなと思ったんですよ。
これは引きこもった記事なんですよ。
これを知りたかったんですね、僕はね。
多分そうだろうと思って、
わざわざ送ってもらったんで、
読んだわけですね。
そしたらやっぱり予想通り、
引きこもった記事を書いてる。
つまり引きこもった記事を書いていては、
仕事にならないんですよ。
僕の中ではね。
他の人のことは関係ないです。
僕の中では、
だって自分が引きこもってるかどうかって、
自分にしか絶対分かんないんで。
部屋でうずくまってりゃ、
他の人にも分かるかもしれないけど、
普通にバリバリ仕事して、
外にも行って人と会って、
ああいう時にこう、
最初は次はこういう記事でいきましょう。
そんなバシング気にしなくていいですよ、
みたいな、
そういうやり取りは実際したからね。
あれは私たちの方が気をつけるべきでした、
みたいな感じで、
全然コーヒー飲みながら断章して、
記事をバリバリ書いてるのに、
引きこもった記事書いてるんですよ。
こっちが問題なんですよ。
で、なんで引きこもるかっていうと、
引きこもってる方が安全だからですよ。
そう信じてるから。
でも引きこもっているということは、
全然安全とは関係ないんだけど、
安全だと信じたいわけ。
で、何度も言いますが、
僕はその人たちと全然、
思うところは何もないし、
今書いてって言われれば嬉しいけど、
書きたいかどうかはまた別だし、
今書いてって言われないことは分かってるんですね。
だから言えるんですよ。
結局のところ、
僕が考えている信用なるものは、
虚構なんですよ、完全に。
その虚構を守るために、
引きこもることが意味があるって、
思っちゃうってことなんですね。
思っちゃうってことなんです。
で、そのように思うことによって、
例えば、本を書く本数も減ってるよね、
みたいな感じがあるとするじゃないですか。
そうじゃなくて、
信用を失うと本が書けなくなるんだよと、
現にお前書けなくなってるじゃん。
そうじゃないです。
僕が書けなくなってるのは、
売れなくなったからであって、
信用を失ったからではないんですよ。
一冊一人の単価が上がってるし、
今本売れなくなってますし、
今後もこの流れは当分続きますし、
だから今後書けなくなるのは当たり前なんですよ。
引きこもりと自己評価
何もないんです、そこには。
理由なんて。
で、現に一番売れた本と、
二番目に売れた本のことを考えてみると、
特に一番売れた本は、
あれは一番信用をなくしそうな本なんですね。
それが一番売れちゃうわけで、
信用問題とは別に関係ないんですよ。
根付けとか潮流とか、
そういったもので本が売れる。
だからそこに前振りするのはどうかとは思うんだけど、
前振りするかしないかは関係ないってことですよね。
それと関係なく本は売れたり売れなかったりはします。
し、売れるように努力する理由は、
金銭的にも理想的ですね、結局ね。
だからいいおっぱい問題にこれも戻ってきちゃうんだけど、
みんな僕らが欲しがっているのはいいおっぱいなんです。
ただしそのいいおっぱいが欲しいっていうのは、
冗談じゃ済まないってことなんですよ。
すっごい切実なんです。
だから僕らは幻覚を作り出してるんですよ。
たぶん情緒水準、不祥水準で。
だからうんことかおっぱいとかっていうわけね。
いい母親とか悪い母親とかイラストも、
情緒水準に入ってきてしまって、
このことを言ってる意味それ自体がなくなる。
僕らはもののけ姫みたいな恐ろしいものとか、
オウムが起こってるシーンみたいなのを
完全にありありと見るわけじゃないじゃないですか。
バカだと思われるとかっていうのも、
バーカバーカって言ってるやつが目の前に現れるっていうわけじゃないじゃないですか。
そうじゃない。
もっと心の奥底で怯えている何かですよね。
それは具体水準に来てますよね。
それを言語化できてないですよね。
言語化。
象徴機能と言いたい。
言語化って言葉はどうしてもいい感じがしないんですよね。
なぜ言語化って言葉に直さなくてもいいからなんですよ。
水準を象徴水準まで上げていきたいわけ。
バカだと思われるということと、
悪いおっぱいがあるということは、
具体的にこうやって見るとすっごい違うでしょ。
バカだと思われると、
バッシングされるとか、
炎上するとかいう現象と、
悪いおっぱいがある。
僕は今、
もう死にかけているのにお母さんはいなくなったとすら思えないんだけど、
その水準、その言ってることって全然違って聞こえるじゃないですか。
しかし水準を上昇させていって、
象徴水準まで上げていくと、
このバカだと思われるということは結局のところ、
信用を失うとかでいいんだけれども、
信用を失うということは結局のところ、
自分があるがままの状態に戻るってことですよ。
私はただの川崎翔吾ですと。
なんか物を知ってる心理学のことがよくわかってる人間とか、
その心理学を使って、
人のビジネスのメンタルを生んでいる人間であるとか、
それによって心理的な連載をして、
一橋の者としている人間であるっていうことではないですってことですよね。
そういう資格を剥奪されましたってことですよね。
つまりただここにいるこの男ですってことですよね。
この状態が、
剥奪されたと思ってしまうわけですよ。
でももともとそれはないじゃないですか。
存在と自己意識
どこにも、実体として。
私は現にここにただいるだけじゃないですか。
昔から。
赤ちゃんもそうですよね。
おっぱいを今飲んでない。ただそれだけです。
お母さんを剥奪されたとか、
愛されて大事にされる自分が剥奪されたってことは本当はないですよね。
おそらく。
私にはそういうことは起きなかった。
ないだけです。
今は。
だけどそれを意識できるほど余裕がないので。
余裕が必要ですよね。子を意識するためには。
もうなんか死にそうだってなってんのに、そんなこと言ってられないじゃないですか。
つらいわ、熱出たとかそういう時がそうじゃないですか。
母親がすぐに飛んできてくれないということになると、
ダメかも、もう自分死ぬかもって赤ちゃんだと思っちゃうじゃないですか。
あるがままの自分の子の生まれた時に落とされて、
こうやっていて何にもできない。
ただそれだけですって思えないですよね赤ちゃんには。
同じことですよね。
これが象徴水準に引き上げた時の現象なんですよ。
同じことが起きてるんだと言えるわけですね。
ここまで考えることができれば。
心の遮蔽物と引きこもり
ここまで考えることができれば、
引きこもった記事を書くということは何にもないってことがわかるじゃないですか。
まるでこう横たわってる赤ちゃんがですね。
どうせお母さん、僕を愛してくれないんです。
っていうポエムみたいなものをやれないですけどね赤ちゃんにはね。
頭の中で思い浮かべていたからといって、
これが引きこもるってことなんだけど、
こうやって引きこもったからといって、
その赤ちゃんにとってプラスにもマイナスにも何もならないじゃないですか。
ただただそう、そういう、何て言うんだろう。
何て言うんですかね。
ただただそうあるがままなのに、
何かそこに遮蔽物、心の遮蔽物のようなものを作って、
どうせもういいんだみたいになってる。
この状態と僕が引きこもった記事を書く心理状態も同じだってことですよ。
これが象徴水準ってことだと思うんですよね。
具体水準では全然違うんだけど、
象徴水準で同じことをやってるということがわかればですね。
私は赤ちゃんじゃないんだから、
別に引きこもった記事を書く必要はないんだってことまでいけるわけですよ。
つまり、後先考えず好きに書けばいいって言うたったそれだけなんですよ。
それは結局どういうことかというと、
後先考えずお母さんのおっぱい欲しいって思っとけばいいってことなんですよ。
赤ちゃんの水準まで戻ったとしてもね。
赤ちゃんに結局できることはそれしかないんだから、それでいいわけですよ。
これがどいたけおさんが言う、愛されたいと願ってる状態。
赤ちゃんは愛されたいと願っとけばいいわけ。
それが甘えなわけですね。
私もそうなんですよ。
記事書いて、この記事が面白いと思ってもらえたらいいなと思っとけばいいわけです。
後先考えず。
それがどう思われるかとかを意識せず、その時たぶん一番いい状態になれるし、
実際にできることはそこがマックスなんですよね。
後でやってしまっていいことは何一つ起きない。
現に私はそのようにして慎重に慎重に慎重に書いていたんだけれど、
当時はでもしばしば炎上したし、しかしその炎上があろうとなかろうと、
たぶん今の状態に変化はないし、今の状態に変化があってほしいとすら思ってないですね。
必ずそういうことを僕らは考えがちですよね。
必ずと言っていいほど考えがちです。
現在の3ヶ月チャレンジの方がいらっしゃるというのは、
私にとってすごい非常にかけがえのない感じがするから、
だから慎重になりやすくなるわけですよね。
これらのお客さんを失わないようにしようみたいになるわけですよ。
しかし今までもずっとそうしてきて、
今3ヶ月チャレンジにいらっしゃっている方を考えてみると、
それは以前からずっと私のところのやり取りしてきた方ではないんですよ。
タスクカフェとかにゼロじゃないけれども、
でもパーセンテージから全体で見るとほぼゼロに等しいんです。
タスクカフェの時とか、その頃に僕がやってた心理的なメンタル的なセミナーって、
毎月のようにやってた時代があるんだけど、
そこにいたメンバーと今いらっしゃるメンバーは全然一致しないんですね。
一致しなきゃダメじゃないですか。
もし信用を積み重ねてくるということが全てであるならば、
一致しないというのはダメだと思うんですよ。
だけど一致しない、現実は。
だからそれは信用を積み重ねていると、
信用を失うと逆を失う論っていうのは、
あなかだ微妙なものだ、というか丸々嘘だって言ってもいいと思うんですよね。
僕は5、6年前からこの信用を積み重ねるというのは一切やめにして、
恐れと大胆さ
過去の記事を読む、読み返すというのも基本的にせず、
とにかく今書く、今喋るということが全部にしておいて、
昨日何を喋ったかとか、第何回で何を喋ったかは完全に忘れてしまうんですね。
現にそうです。僕は先週喋ったこともほぼ全部忘れてます。
こうなるんですね、このように特化していけば。
さっきみたいに送られてくれば読みますけれども、
自分から自主的に読み返したり、
整合性を取るということは一切やらないようにして、
そうすると理論上、僕が当初、昔2013年頃心配していた事態が進行するならば、
どんどん顧客が減っていかなければ、リクスに合わないですよね、このやり方だったら。
そうはならない。理由はわかりませんけど、理由考えないことにしている。
ただ、だからといって、そういう恐れがゼロになったわけじゃないんです。
だから、さっきの記事を読み返した時に、どこかホッとしてしまったんですね。
これが僕が克服するべき何かなんですよ、間違いなく。
慎重に書いておいてよかったと。
何度も僕が言及していますね、カウンセリングについて、
カウンセリングとはこういう風になるかもしれないみたいな書き方をする。
なるはずであるみたい。影響を与えないわけにはいかないだろう。
この書き方こそ、引きこもった書き方と言うべきだと思うんですよね。
わからないから、私はわからないことについては書きませんよと。
常に今、称賛される書き方なんですよ。
僕はこの潮流がすごい嫌で、読んでいて、何にも読んでない気になってくるんですよ。
これをやられると。
何にもこの人は責任を取る気がないんだなっていう感じしかしないんで。
だから、まあいいんですよ、それは。
怖いってのはよくわかる。怖いから怖いことはやらないですよってことなんですね。
それはそれでいいんです。
私たちが怖いのは最もなんで。
それはやっぱり、ママがいなくなるというのは恐ろしいことなんですよ。
しかし、どんなに気をつけていても赤ちゃんにできることはないんですよ。残念ながら。
ママがどう動くかということを、思念でどうにかできない。
だからこそ僕らはオカルトに走るんですね。
思念でどうこうしようとしちゃう。
首が座ってない、はいはいもできない。
まあできたとしてもですけれども、その状態で親をコントロールできるわけがないですよ。
できることとすると泣くしかない。
そして泣くは必ずやってる。
すでにやるべきことはやってるんですよね。
非常にここはわかりにくいんですけれども、
僕はグッドファイブスで、倉園圭造さんがすでに最強の存在で、価値マックスで悪いことは何も起きず傷つくことは決してないって言ってるのは、
ものすごく僕は常にこの文脈で考えます。
何も自分ができなかった虫の娘も見ましたから、はいはいもできなかったあの時代について考えます。
価値マックスで傷つけられることは決してなくってのは本当だろうかといつも考えます。
通常の観念じゃ無理ですよ。
でもそれは通常の観念だから無理なんですよ。
僕はこれと合わせて、アマゾンのヤノマミ。
この種のことを言い間違えるんですけどね、僕はね。
ヤノマミって人間のことらしいんですけれども、
女の子が身こもると。
なんかやっちゃって身こもるわけね。
その時に育てられないとなると森へ返す。
シロアリに食わせるんですね。
そういう風にやるんだそうですよ。
まあ要するにその地域における我々の言葉で言うところの忠誠なんでしょうね。
そうじゃないけどねどう見ても。
もちろんその女の子は泣いてるんだけど、しかしそのやり方というのは多分そこの世界においては良いんですよ。
良いことなんですよ。
先日ジェイマスザキさんが蜂の巣にとって良いことは蜂にとって良いことだって話をしてたんだけど、
それと全く同じ話だなと。
結局この種の話は宗教的になってきますよね。
しょうがないと思うそれは。
これはカウンセリングの範疇じゃないし、ましてビジネス書の範疇じゃないと思うんですよ。
でもしゃあないと思うんですよ。
だって僕らそういう部分もありますから。
だって我々は不死の存在とかじゃないじゃないですか。
いずれ実存的に最も厳しい事態にも直面しないわけにはいかないんです。
ちょいちょい直面しそうにはなってますよねすでにね。
死にかけたことって50年も生きてれば僕は3回あるんだけれどもありますよね。
そういうことを言っててもそういうことを考えてもしゃあないじゃんっていうのは簡単なんだけど、
でも50年で3回ですからね。
15、6年に1回もあるってことじゃないですか。
今後もっと増えますよね。
私のこの年齢とこの身体からして。
だからしゃあないんですよ。
そういうことについても全く触れずに置くとか全く考えずに置くってことはできないと思うんですね。
つまり蜂の巣にとっていいことは蜂にとっていいことなんですよ。
あの矢のまみだったかな。
あのとにかくその南アマゾンの部族はテレビで見たときは同じようなことを言ってました。
森は広いんだと。
その言葉に何か意味あるかなこういう時って思うんだけど。
森は広いぞと。
人は森のことを全て知ることはできないんだっていうようなことを言ってたんですけど。
まあ森にとっていいことは人にとっていいことなんですが。
そうじゃなかったら森で生きていくなんてことはできっこないじゃないですか。
森の方がでかいんだから。
だから森に返すんですよ。
この話どういうことかっていうと結局僕らが個体としてですね。
えっと恐れて引きこもっていても何にもできないということだと思うんですよね。
恐れてなくて大胆になったからといって。
世に言うところのすげーことができるってあれじゃないと思うんですよ。
大谷翔平の今回のポストシーズンみたいなあんなわけにはいかないんですよ。
それが残念だって言ったりもしばしば聞くんですけど。
私はもうそうは思わない。
これはごじゅうすぎたからなんだと思いますね。
藤沢みたいになりたいというふうに全然思わない。
むしろそうでなくて本当に良かったと思えるようにはなってるんですよね。
同時に何か私が守んなきゃいけないっていうほどのものは何にもなくて。
ここでただ喋ってる。
これやめさせることできないじゃないですか。
視聴者がずっと0、毎日0になったらやめますけど。
ならないんですね。
だからこれでいいんですよ。
前に言ってたことと違うとかはものすごく些細なことなんです。
だって私ファースト。
これ今ここで誰もいませんよここには。
今日はねたまたまなんですけど本当に誰もいないんです。
行動と価値の関係
ただただ洗面所の前に麦茶の空きかけの麦茶を置いて。
さっき洗ったヒゲ剃りがあって。
でアンカーノにくっつけて。
48分も経っちゃったこのiPhone15の前でただただただただ喋ってる。
誰が聞いてるという。
証もなくただただ喋ってる。
そんだけのもんなんですよ。
この等身大以下になることは未満か。
なる?ないし。
ここで出現しようと。
それこそなんかこうね。
知らんけど。
時々炎上する。
性的にどうのこうのっていうことを言われて。
ものすごくコメントをいただこうと。
あるいは本がすごい売れてね。
ケンスさんみたいに売れて。
そんなには売れないか。
そういうところまでいって。
佐々木翔吾じゃないiPhoneみたいになれたとしても関係ないじゃないですか。
僕の身長1ミリも増えないし。
1ミリぐらいは縮むんですけど。
最近2、3ミリ縮んで妻に怒られたりするんですけどね。
そんなもんですよ。
これが等身大じゃないですか。
やっぱりそれは生まれた時からそうだし。
生まれた時なんかひどいもんだったし。
本当に首も座ってないんですからね。
でも多分その時から変わっちゃいないし。
全ては周囲任せで。
うまくいく時はうまくいくっていうのはあくまでも社会的にって意味ですけどね。
あるいはせいぜい生存的にうまくいく時はうまくいくし。
やばくなりそうになったらやばくなりそうになるし。
そしていずれは死んじゃうし。
というのは変わらないんですよね。
変わった試しがない。
それによって何かは変わらない。
世の中はもちろんのこと。
私自身もきっとですね。
だって世の中ってこうしている間にもいろんな出来事が個人にとっては降ってるんだけど。
全然変わらないじゃないですか。
見た目は。
これが宇宙とかになると本当に全然変わらないじゃないですか。
この話をしてもどうしても僕らは宗教哲学みたいな話は役に立たないって思われるんだけれども。
でもしょうがないんですよ。
そういうことにも僕らは関わっちゃっていると思うんですよね。
だからその視点で見ると損とか得がないっていうたったそれだけのことなんだけれども。
それに対して僕らが引きこもってみたところで。
得られる安全なんていうのは多分何もなく。
そして大胆になってみたからといって。
得られる利得なんていうものはおそらくほとんど何もないんだと思うんですね。
利得がないなら引きこもってる方がいいっていうのはだから。
理にかなってると思うんですよ。
ただ僕はすっごいそれは何て言うんだろうな。
なぜなのかは知りませんが。
まあでもなぜなのかはだいたい今言った通りですね。
死んだようになってしまう。
そしてそれがですね。
無理だなって思うんですよね。
ずっとそうやって生きていくのってすごい大変だなって思うんですよ。
そうですね。この辺で堂々巡りですね。
51:30

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