2024-10-01 46:16

3ヶ月チャレンジでは何をする?【1062】

働くメンタルがあやしくなる理由は働く人の数だけある。
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サマリー

このエピソードでは、3ヶ月チャレンジにおいてメンタルを取り戻すことが重要であると述べ、多様なアプローチが提案されています。正規のカウンセリングとの関係や、個々のメンタル状態の理解が強調されています。3ヶ月チャレンジでは、メンタルを取り戻すための様々なアプローチについて話し合います。心理カウンセリングの重要性とビジネス書の役割についても考察され、各人が異なる理由でメンタルに影響を受ける様子が描かれています。3ヶ月チャレンジを通じて、メンタルヘルスや行動変容に関するさまざまな視点について議論されています。サポートグループや当事者の声の重要性が強調され、人々が話を聞くことの意義についても考察されています。行動変容を求める過程では、無意識の影響や自我の分裂が重要な要素として語られています。3ヶ月チャレンジの意義は、自己理解と他者との対話を通じて行動変容を促進することであると述べられています。

3ヶ月チャレンジの概要
おはようございます。働く人に贈る精神分析チャット、第1062回お送りします。
ついに、いやまだか。10月ですね、10月1日火曜日、朝8時34分です。
昨日はね、くたびれ果てて、午前中起きてもいないぐらいだったんで、また今日から仕切り直しという感じ。何も直しませんけれども、感じは感じなんですが。
今月は3ヶ月チャレンジ第7期現在進行中ですが、最終の3ヶ月目になるんですね。
ここからまた8期の募集などもかけさせていただき、やっていこうなと思っておりますが、
7期3ヶ月チャレンジから解消するみたいなことをいろいろ言ってたんですけど、事実上解消する気はほぼなくなりですね。
3ヶ月チャレンジでいいや、みたいになっておりまして、名前はね。
趣旨だけちょっとはっきりさせて、働くメンタルを取り戻す、これにしようと思ってます。
ほとんど全部、ポッドキャストも、ノートはあんまりちゃんと書いてないんであれなんですが、
なるべくこの線に沿って、タイトルは全部に統一するかわかりませんけどね。
働くメンタルを取り戻すっていうのが、私の今の仕事を一応表していると言えるなと思って、このタイトルにしようと思いますね。
働くメンタルを取り戻すというのは、
なんていうのかな。取り戻すんだから別に、私があの項のやる必要がないと言えばないんですよ。
取り戻すためにただ、これは欠かせないと思うのが、人に話すこと。
これには2通りあって、1対1で話すことと、1対1じゃなく話すこと。
1対2かもしれないし、1対多かもしれませんけど、いずれにしても1対1じゃないところで話すこと。
この2通りは私は必須だなと思うんですね。
働くに限らずメンタルというものを取り戻すってことをやるにはですね。
で、取り戻すってからには、本来持ってたっていう含みがあります。
もう一つ取り戻すというからには、取り戻した方がいいっていう意味も当然あります。
それが働き、機能していないと困るよねという含みが、少なくともどっかにはあります。
これ適用した方がいいのかどうなのか問題というのと、適用は搾取じゃないのっていう現代的な課題と絡んでくるんで、
じゃあ取り戻した方がいいのかっていう問いがあり得るとは思うんです。
でもまあ僕は必ずしもそれについて言いたいわけじゃなくて、
働くメンタルを取り戻すというからといってですね、
働かなければいけないとか、取り戻せば働き始めるとか、
まして働くメンタルを取り戻すことがお金を稼がなければいけないという意味では全然なくて、
とりあえず僕からするとですね、メンタルが取り戻されれば良しとしましょうと。
だからこれが目的になると思っております。少なくとも3ヶ月ですからね。
まあ短いという意味ですよ。3ヶ月で働くメンタルは取り戻すわ、新しい仕事は見つけるわ、
今までの年収の2倍ぐらい稼ぐわという、そういうものを全部は無理でしょうけど、
メンタルが戻ってくるというだけであれば、だけじゃないんですけどね、
一つの悪くない目的になるんではないかというのと、これは心の話なので、
だからといって行動がガラッと変わるって、だから行動変容を第一に置かないということですよ。
もちろん、希望された場合に行動変容は置いておきましょうとは言わない、
行動変容を目指す、簡単に言うと会社に行けるということが何より大事だというならば、
それについて検討はしましょうねっていうのはあるけれど、
基本的にここでは働くということとメンタルということを軸に置きたいと。
しつこいようで申し訳ないんですけど、これは多分私のコンプレックスも手伝ってね、
純金コンプレックスなんて言葉もあるんだけど、
働くメンタルの重要性
診療ないかとかではないのはもちろんのこと、心理クリニックとか心理カウンセリングをやるというものではないです。
前よりも、それはすごい軸になっているんだけど、前よりはそれの効果を絶対しは僕もしないで済むようになりました。
たくさんの方のお話を伺ううちに、これはカウンセリングでなくても別にいいなと思えるようにだいぶなったということですね。
もちろん僕に正規の資格がないからということはもちろんあります。
私はのの医者以下ですからね。医者ですらないので。
のではあるけど、のの人でしかないんで。
だから何の資格もないってことはあるんですけど、
それよりもですね、別にこの働くメンタルというものを目指すにあたって、
心の病を仮定してそれを治すっていうプロセスについて、そこまでここで思い悩むことではないなって思えるようになったってことですね。
この話当然正規につなぐ云々が出てくるんだけど、
私はですね、現在のこの我が国の心理療法と心理クリニックの現状から、
密知らずの他人に近い私のようなものが正規につなぐなどといったところで、
それは結構力に余る話なんだなっていうのが分かるようになったんですよ。
で、これが分かってきてから、正規につなぐんではなくて正規の邪魔はしない。
だから多分正規の人たちはこういうことを言ったりやったりしてほしくないなってことはあんまり極力しない。
しないで済む分についてとかいう話ね。
私の仕事上せずにはいい、済まされないものは邪魔にはなるかもしれんけど、あんまりならないと思うんだけど、することはあると思うんですね。
で、この正規のカウンセリングと、しかし僕はバッティングする部分って、
私の仕事では実は誤解はされてるかもしれないけど、ほとんどないと思うんですね。
一つには例えば、これは多分ピンとこない可能性もありますが、
私は逆算というものをかつて進めたことは人にはないです。
本で書いたことすらほとんどないです。
そうは言っても、お前のやってることは逆算であるはずだという。
そういうように信じ込まれてしまえば、そうじゃないですって僕が一線化に言ったって無駄だとは思うんだけど、
逆算というものは私は心の底から何ら賛成していないんで、逆算は人には進めません。
つまりこの一つの方針だけで、私はいわゆる正規のカウンセリングとバッティングするはずはないと思っているんですね。
なぜならば、例えば一番多分、いわゆる心理カウンセリングと勝ち合う可能性があるとすると、
私がある目標を示し、そこに人を誘導しようと強く働きかけるケースにおいてなんだと思うんですよ。
この話も非常に無意識が絡んでくるとややこしくなるんだけど、でも常識の範囲内での話です。
なぜなら私は治療しているわけではないのと、専門的な言葉を使うなら精神病水準というだけの方とはここに入ってこないんでね、多分。
だから無意識に誘導しているみたいな話がことさら全面に出て問題になるはずはないんですよ。
これ聞いている方はですね、いろんなことを想定されるかもしれませんけれども、
そんなに想定するほど幅広い出来事がバンバンバンバンは起きないということです。
例えばですけれども、いや仕事できるようにならなければいけませんよねとか、
仕事、会社に行けるようにならなければいけないからこういう行動のプログラムを組みましょうみたいなのが、
僕が強く言ったりすれば、それはそのいわゆる心理カウンセリングの妨げに何らかの形でなるかもしれない。
でも僕はそういうことは言わないんで。
今年の目標をここに立てて、そこに向かって確実にうまくいく方法をやっていきましょうとか言わないんで。
言ったこと、かつて多分一人で言ったことは絶対ないと思います。
なぜならばと、僕はこの種の考え方が基本嫌いなんで、
自分が嫌いなものを人に勧めるのはもっと嫌いなんで、
まずこれを勧められるのは私腹が立つんですよ、多分ね。
だから絶対これをやるはずがないんですよ。
で、これがどうして心理カウンセリングと定食するのかというと、あるがままで良しとするからですよ、きっと究極的にはね。
価値的中立みたいな言い方もありますけど、中立は嘘だろうと思いますよ。
例えば、女性で、これは偏見かもしれませんが、女性で力道に近い方のカウンセラーで、
どちらかというと、そうだな、親子の課題というものをカウンセラー中心の、来談者中心のことをやってますという方は、
僕が考えるにですね、政治的に超保守派では多分ない。
わかんないですけどね、これで政治的には実は超保守派ですということもあり得なくはないけど、私はそうは思う。
だからその人が政治的に持っているものが価値的中立であるとは僕は信じないんですね。
価値的中立ということは、どの党との距離が均等であるって感覚になりますからね、イデオロギカルにね。
それはないと思うんですよね、別にそれの良いとか悪いとかはないですよ、僕だって全然ないです。
どっちかというとどっちみたいなのはあります。
だけれども、特別な支持政党があるとかそういうことはないし、もちろん政治的な話において、人に何かを勧めるということはないです。
私昔タスクシュートについては、自分なりのジョークでつまんないジョークかもしれませんけれども、
タスクシュートはバリバリの右翼がやっていらっしゃってもバリバリのマロキストがやってきても役に立ちます。
そうじゃなきゃ時間術じゃないでしょうっていう言い方はしていたことがあって、これは価値的中立だということを案に言いたいわけだけれども、
だってですね、時間をうまく使うということは左も右もないじゃないですか。
より多くのビラをより効率的に配りたいということについてですね、
ビラに何が書いてあるかは関係ないじゃないですか。
ちょっと右寄りのことが書いてあるからタスクシュートうまくいかないなんてことは僕はないと思うんですね。
これを価値的中立というと思うんですよ。
まあそれは政治的中立かもしれない。
で、私自身がだからといって超保守的なとか、バリバリほとんど空想的社会主義者ですみたいなことはないってことですよ。
だからといってね。
そういうもんだろうと思うんですよ。
病院ってのは極力そうであるべきだっていうのは当然だと思うんですね。
あなたはマルキストだから歯を治せませんとかいうのは、そういうことはあるのかもしれないけれども世の中にもですね、
普通はないだろうって思うんですね。
虫歯は虫歯でしょう、どっちの場合も。
で、治す義務はどっちにしたってあるでしょうと。
そういう話ですよね。
もちろんこれは簡単じゃない話が出てきます。
どうしても。
虫歯だったらいいかもしれないけど、それでも虫歯だって出てくると思います。
この人氏名手配犯なんだけど、うちにやってきて歯を治していいのかとかそういう話って、
絶対ないってことはありえないと思うんだけど、
まあ、普通はないだろう。
普通はあんまりないだろう。
だからここの話についてそんなに深刻に思い悩むほど、バリバリこういう話は出てこないだろうってことですね。
で、僕が考えているのは、その人があるがままであれば、たぶん働くメンタルぐらいは戻ってくる。
それも結構戻ってくる。
その人にとって十分な量はきっと確保されるに違いないという思い込みがあるんですよ。
これは信念なんで、ここに価値観中立でないのは確かです。
いや、人間なんて元々そんな労働狂みたいなことを言うんじゃなくて、
働くメンタルなんてものは元々は全然ないんだっていう主義の人っているかもしれないわけで、というかいるんで。
そういう人にしてみれば私の価値観は全然中立でもなんでもなくて、非常に偏見に満ちてるってことになるんだけど、
私はでも、働かなきゃいけないとは思わないし、
家事もやらなきゃいけないとは思いませんし、夫婦どっちであってもですね。
で、学校に行かなければいけないとも思いはしないんですよ。
ただ、学校に登校するメンタルぐらいはよほど条件がひどくなければですよ。
これについてもまたいろんな話がここでできちゃうんだけど、
普通に自分が言ったような学校に行くという程度であればですね、
学校でいい思いはあまりしなかった口だけど、そのメンタルぐらいは取り戻せると思うんですよね。
つまり本来備わっているメンタルというものは、そのくらいのことは私たちに現実的にやらせてくれるもんだっていう意味ですね。
これを僕は現実原則と言いたいんですけれども、
私は未成年の方は3カ月チャレンジ参加基準に定職すると思っているので、
不登校問題はここでは出てこない。やっぱり出社の問題ぐらいなんですよ。
出社の問題を僕は病理としては、だって私は会社って言ったことほとんどない人間ですし、
行きたくないというのは実に最もだと思うんで、
会社に行きたくないというのがいけないことだとは思わないんですよ。
メンタルを取り戻すアプローチ
ただ、多分メンタルが自然な状態にあれば会社には行き来になれるだろうぐらいには思っています。
ここまであんまり面白くもない話をしてきたかもしれないんですけど、
一応この働くメンタルを取り戻すという趣旨はそういうことでして、
どうやってやるのって話だと思うんですね。
で、聞くんですよ。ロジャーズ流に言うと警長ってやつですよね。
だからこういう時にカウンセリングっぽさは出ちゃうんだけれども、
これは心理療法をやっているわけではなくて、
ただ、我々は健常者であろうと、フロイト流に言うとかもしれないけど、
神経症水準からは多分逃れられないと思うんですね。
まして、結構仕事ってストレスになりますから、働くメンタルが取り戻されたとしてもですね、
だから会社に行って8時間だの、12時間だの仕事をするということになってくると、
またそれを失うという話になればですね、いくらもあり得ると思うんですよ、そんなことはね。
中でも一番、いや何が一番ってことはないんだな。
そうやって働くメンタルを失いそうになってきた時に、
それは別にですね、別にっていうか正規のカウンセリングに行くっていうオプションは一つ絶対あると思います。
で、もう多くの場合、まずそれが選択するっていう、第一にそこから入るっていうケースはあんまり多くなくて、
それはいろんな事情があって、ビジネス書でも読むといった可能性もあると思うんですね、結構ね。
ビジネス書とメンタル
この辺から私がしている仕事の位置づけが少し浮かび上がってくると思います。
つまり、この辺からビジネス書に以前僕言いましたが、パーソナリティ障害、人格障害が流行った時代があるんですね。
今でもビジネス書の界隈には、私も個人的によく知っている方が、
発達障害と仕事術を掛け合わせるといったことも書いていらっしゃる方がいる。
もちろんHSPの人が会社に行ってどうすればいいかを書いている人だって知り合いにはいませんけどいる。
こういう話はだんだん正規の心理カウンセリングの人に絡んでくると思うんですよ、当然。
で、僕は中にはですね、そういう人の中にはそういうビジネス書はよろしくないっていう人もいるかもしれないけど、
でも考えてみても欲しいと思うんですよね。
10万だ、20万部だって売れるということは、そうだという風な意識で困っていらっしゃる人は世の中に100万単位ではいうにいるだろうと。
その100万単位の人を正規の心理カウンセリングだけで賄えるかっていうと、それは現実的じゃないと思うんですね。
第一、金額的に現実的じゃないと思うんですよ。
その中には4回の心理カウンセリングに通うのだって経済的には厳しいっていう人は大勢いるわけですよ。
ハブ。少なくとも1人はいると思いますね。
だから全部心理カウンセリングさえいれば課題は片付くというわけにはいかなくて、
よっぽど原理主義的に正規というものでなければいけないという人にしてみると、
だったらそれらの人は賄いきれないかもしれないけど、それでもビジネス書だったら害にしかなくないからない方がいいっていう方も、
非常にこれは極論ですけど、いるかもしれないとは思うんですね。
でもそれは現実的にそうはならないだろうなと思うんですよ。
それは私の体験で自分のアトピーが治らなかったからといって、
民間療法が存在しない方が良くて、正規の医者が治せない病気は治らないまま患者はいればいいということにはならないと思うんですよね、やっぱりね。
し、それで納得する人はいないと思いますね。
で、治そうとしますもん、やっぱりね。
この方法が怪しげな方法であろうと、少しでも効果があれば、やっぱそっち行きますよ、確実に。
私は本当にもう、そういうやりとり自体したことがあります、民間の人と。
これね、効果はあるかもしれないけど、少しなんですよ、言うんですよ。
あなたのアトピーね、それね、少しは良くなるかもしれないけど、全く良くならないかもしれません。
しかも高額ですと、まあまあ、そこそこね、包買ではなかったり、そこそこ。
それでもいい?って言うんですよね。
いや、あの、みんな辛いのわかってるから、こういうのでも飛びついちゃうんですよね、みたいな。
売ってる人がですよ、これ言うんですよ。
でも僕買いました。
で、少しは良くなった気がします。
この辺に、かたしてそれに正規で直せるなら別ですよ。確実に直せるなら別だけど、正規でもしかすると悪化することもあった私のような立場からして、これに正規が何かを言ってくることがあるのは当然あるとしても、良いことなんだろうかとは思います。
だからここに純金コンプレックスって言葉の意味があるわけですね。
正規のものが直すべきであると。
それは正解があるか正解がないかって話なんだけれども、
身体のことですらこうなのに、心のことはましてやだと思います。
だから正解はないんだと思うんですね。
ただこの正解はないというのはすぐに自分に戻ってきちゃうんですよ。
じゃああんたどうやってるのってほどになるじゃないですか。
自分の方法が正解だと信じてもいないのに、何にもできないじゃないですか。
メンタルのことだし。
で、さぐりさぐりになるわけだけれども、これってなんか私の好きな世界の何かに似てるなと思うんですね。
野球の監督と似てるんですよ、これは。
野球の監督のやり方に正解はないわけですよ。
正解があるんだったら、毎年毎年貝に沈んでるチームの監督のやってることって明らかにおかしなことだってことになっちゃうじゃないですか。
しかもですね、優勝した同士の監督の言い分が違ってたりするんですよ。
それはしょうがないですよね。チーム事情が違うし、球団の資金力も違うし、いろいろ違うわけだから。
だからここにはいろんな話ができるんだけれども、一旦置いとくとしてですね。
今日はダラダラ喋っているんだけれども、私の中ではそれなりに明快なものはあるんですよ。
ただこれやっぱ上手く伝えるのが困難なテーマなんですよね。
要は何が言いたいかというと、ビジネス書で健常な人が自分のメンタルの長ないしを疑うのはあるいはそこで解決したいと思うのは当たり前であり、
この流れをせき止めようとしたり、ぶっ潰そうとするのは非現実的だってことです。
そして一旦不調なり、何らかの病理のマイルドなバージョンなんじゃないかと考えた人が、
正式な心理医療とか精神医療の正式な病理とされているものにそっちを参照しようとするのは当然だってことです。
みんながするってわけではないですが、当然するだろうと思うんです。
したがって、例えば自分が落ち込んで、たぶん一番今多いのはこのパターンの一つだと思うんですね。
行く気がしないとか、体が動かなくなりました。
それが身体の不調によるものでないとなったら、うつを疑うってのは当たり前ですよね。
だからうつとは何なんだろうっていうふうな本を読み始めるというのが当然だろうと思うんですね。
その時に、うつということを疑うんであれば診療ないかってことになるのかもしれないけれども、
個々の理由とアプローチの違い
たぶんここに絶対的な正解などというものがあるとはとても思えないんですね。
そもそも、うつだということが明らかになりましたというケースが最初からパッと来ないと思うんですよ。
うつかもって思うのが自然じゃないですか。
会社にもいきなりいけなくなるというケースもあるんだけれども、そうじゃなくて、かったるいなと思うってことも多々あるじゃないですか。
しかし、かったるいなと思うということを言ってしまうと、今度は95%の人はそう思っているかもしれないから、
それは病気じゃないですってことにもなりかねないじゃないですか。
ここに線を引くのは実は困難だろうと思うんですよね。
だってかったるいな、でもそんなのみんなが言うことだから病気じゃないやと思って言ってるうちにうつになりましたってことはあるわけじゃないですか。
そしてそれはならない方がいいに決まってるじゃないですか。
ならない方がいいに決まってるというのはでもどういうことなのかなと、
私が考え、私の乏しい知識で考えましてですね。
考えて考えて人の話を伺ってるうちに、これは価値的中立じゃないんだってことですよ。
結局言った方がいいって言ってるっていうのも当然じゃないですか。
うつにならない方がいい、早めに対応できた方がいいってことは前と同じ行動が取れた方がいいってことになりますよね。
でも私はそれは嫌なんですよ。
だから私は逆算的プログラムを取らないんです。
この種の行動が取れた方がいいという行動はないって思うんですね。
人は結婚した方がいいとは思わないし、離婚した方がいいとも思わないんですよ。
その辺は中立なんですよ。
行動についてはですね、自分は全部が全部じゃないですよ。
例えばめちゃくちゃ夫を罵声するのも構わないとは思うんだけど、しない方がいいような気がするんですね。
だから中立じゃないんですよ、私は。
中立じゃないけれど、行動としてはなるべく中立に中立に寄せるようにしてるんですね。
じゃないと行動を誘導しちゃうじゃないですか。
僕のような仕事をしてる人間は特にそうですけど、出なくてもしちゃうじゃないですか。
娘が学校に行った方がいいと思ってたら、行くように誘導しちゃうじゃないですか。
で、私一人したくないってことなんですね。
逆算しないと言ってるの。
ある行動を取った方が別の行動を取るよりもいいことだとは、私は抽象的には信じてない。
具体的にはありますよ、そりゃ。
やっぱり、年寄り前ひどいって言いそうになりますもんね、やっぱりね。
そういう事件があったんですけど、つい最近も。
ハンマーで殴る。
しない方がいいだろうって思いますよ、普通に。
普通にってこの普通はなんだって話にもなってくるんだけど。
でも行動の白黒に、少なくとも白と黒とは言えないだろうとはさすがに思うんですね。
かなりひどい事件でも、やっぱりそこにグレーなものは絶対あるだろうと思いますね。
そういうふうに思って掘っていくとですね。
やっぱり私が一番ギリギリ言えるのは、メンタルを取り戻すって事で、それは逆算じゃないのかと言われると。
つまりメンタル取り戻すというゴールを置いて、そこから逆算プログラムじゃないのか。
今日の話のセンターはここですね。
フォーカルポイントはここです。
そのメンタルを取り戻すと、働くメンタルを取り戻すというゴールを設定しちゃったら、
そこに至るものは逆算じゃないのか。
でもこれは違うんですよ。無理なんです、そんなこと。
できるんだったらやりますけどね。
働くメンタルが取り戻ったのはこういう状態ですという記述ができない。
記述ができない以上、そこを逆算もできないわけです。
こういうステップを踏めばそのメンタルが取り戻せますなどというのは僕は嘘だと。
佐々木は無理かもしれないけど、私ならできますという人がそれを提示してくれるかもしれないけど、僕はそれは信じないので、
そのようなものは記述できないと思うんですね。
言葉に表すことは不可能だと思うんですよ。
し、そのようなことを逆算のステップを踏めば、誰もが同じような結果を得ることができるなんてますます信じられない。
人の話を伺っていると、やっぱりつくつくそう思うんですよね。
みんな違う。ものすごく結構違うんですよ、みんな。
なんで働く気がしないのかの理由が違う。
一見似たような話のように聞こえるかもしれないですけど、例えば給料が安すぎるとかね。
そういうケースはありますよね、もちろんね。
でもみんなが同じことを訴えるわけじゃないんですよ。
給料は十分もらってると。
ただ仕事をする気にならないとか、会社に行く気がしないとか。
もちろんそこに人間関係が関係していることは大いにあり得ますし、実際そういう話もあります。
でもはっきり言って人の数だけあります。
だから逆算できる一般界があるはずがないんですよ。
タスクシュートの使い方が何らかんだ言って究極的にはユーザーの数だけあるのと同じことでして、
正しい使い方というものは、僕は理事だからここはないとまでは言わないけれども、
例えば正しい使い方はなくても間違った使い方あるっていう不思議な言い方があるんですけどね。
メンタルヘルスの課題
僕はあの言い方も何か非常に疑わしいものの言い方だと思うんだけれども。
タスクシュートは一旦僕はここでいろいろ喋っているとややこしそうなんて置いておくとしてどうせ主題と関係ないですし、
働くメンタルを取り戻すのはこれはもう人の数だけありますね。
だからどうしても僕らは打つなら打つ、発達障害なら発達障害、HSPならHSP、何でもいいんですが、
それって何なのっていうことを調子が悪くなればなるほど調べに行きたくなるはずなんです。
そうでないと行動変容だけになってしまうんですよ。
そして実はここに最大のポイントがありますよね。
それがいいと思われている。
つまりメンタルがどうだって行動が良ければいいんだよっていうのが非常に現代的なんですよ。
私はそれはものすごい厳しいって思うんですよ。
僕の例で言うならばそういうことはあり得ないけど、
肌が見た目ツルツルピカピカならそのピカピカの下がめちゃくちゃアドビーですごい痒くて肺変でもいいんだっていう話、
これをもって治療とするんだって話になりかねないと思うんですよね。
学校に行っているならばその人はメンタル的には不登校そのものの状態でも
学校に行ってさえいればそれでいいんだっていうのが僕は行動変容の怖いところなんですよ、僕にとっては。
これは偏見だと思いますよ、行動変容というものに対して。
ただそういうふうなニュアンスに引っ張られてしまうという点については偏見ではないと思う。
つまり例えばそうですね、夫婦仲は完全に冷え切っているにもかかわらず、尋常的にはね。
だけれどもお金の力で表面的には十分取り繕えてますというのはいくらでも考えられると思うんですね。
私はそれは嫌だってことなんですよ。
要するにもう明らかに奥さんはこの家にお金が、この家の大金持ちだとしましょうね。
半分しかないなら家出て行ってるなっていう状態。
夫も奥さんを繋ぎ止めておけると言ってしまいますが、お金を持ってるからやってるけれども、本心ではもうさっさと離婚してこの女には美体値も渡したくねえと思ってる。
でもいろいろめんどくさいから毎月100万円お小遣いあげてますみたいなそういう状態。
これがいいとは全然思わないんですよね。
でも行動というものが成立していればOKだっていうのは、要するにそういうことを意味しちゃうんじゃないかと思うんですよ。
私が、戸畑海人さんも書かれるし、すごく慎重に書いていらっしゃるけれども、あれにはですね、原理的に多分僕のこれはこだわりなんでしょうね。
原理的に同意できない意見がありまして。
うつが結局のところ、人の心というもの、うつうつとした心。
でもこれを言うと結構変になるな。
やめます。やめますけど、同意できないものがあります。
つまり今言ったような話に近いんですね。
それは確かにおいしいものをいっぱい食べれば心は元気になるとかあると思うんだけど、私はそれも多分に同意できないんですよ。今やね。
僕が恵まれてるのかもしれないんですね。物質的には。物質大事だぞってことなのかもしれない。
おいしいものをお腹いっぱい食べればうつにならない。
ならないというのはやっぱりだめだな。信じられない。
少しは元気になるかもしれない。
さっきのあれですね。石鹸だったんですけどね。ある種の石鹸洗うとアトピーが少しは良くなるってやつね。
少しは元気になる気がするのかもしれないけど、そうは思えないんですよね。
だから僕は力動にしか期待しないところがあるんですよ。
他の方法が効果ないとかいうことはないんですけれども、そこがだから純金問題になってくるんですよ。
つまりですね。認知行動両方であれ、行動両方であれ、最近で言うとスキーマ両方であれ、ポストであれ、新聞的心理両方であれ、ポストであれ、ナラティブであれ、分かんないだろうって思うんですね。
もちろんハームリダクションみたいな依存回復の運動にしても分かんねえだろうと思うようになりました。
それが効いてるかどうかなんて分かんないよね、と思います。
ただ、聞くことは結構あります。
どうしてもこの話になってこういう風になると最終的に人は抽出ってものをしたくなる。
どれが効いてるのって言いたくなる。
その問いが間違ってるって僕はもう今思うんで。
だからサンチャレで何をしているのかをうまく説明できないのは当然なんですけど。
だってサンチャレの何がいいのの何がが僕は信じてない。
精神分析の何がいいのは少しは信じてますけれど、でも信じてないんですよ。
ある人が精神分析を受けてちっとも良くなりません。
統合主張症の人ね。
そういうケースはあると思うんですよ、当然。
で、試験クリニックさんというところに行って前世両方やったら良くなりました。
治りました。
精神分析なんか良くならないじゃん。
前世両方の方がいいじゃん。
で、表示者は思いますよね。
私はどっちも信じないんですよ。
前世両方が治した。どの要素が良かった。
そんな話は僕は信じないけど、精神分析では治せなかった。
当事者グループの力
そこにはいい要素はなかった。
というのも信じないし、精神分析なら治せるっていうのも信じない。
じゃあ何を信じるのかっていうことなんだけれども。
そこがですね、さっき途中でお話しした面白くもない話に戻っていく。
一つは話を聞いてもらうってこと。
もう一つはみんなに話を聞いてもらうってことですよ。
当事者グループってのはグループなんで、
当事者が話を聞くってのはでかいだろうなと思うんですね。
だったら当事者グループだけでいいじゃんっていう。
その聞きについて山崎孝明さんっていう精神分析家が訴えてらっしゃるんだけど、
精神分析的心理療法家が。
こう言わないとよくないとおっしゃるようなので、
精神分析的心理療法家の山崎孝明さんって方が書かれてるんですけどね。
当事者というものに飲まれてしまうぞという危機感。
僕はこれも実現はしないだろうなと思うんですけれども、
でも当事者グループというものがパワーを持つのは当然だろうなと思うんです。
で、当事者が話聞いてくれるんで。
それはでかいですよ。
アトピーの人が、私アトピーだった時代に、
アトピーのグループに行って自分のアトピーの大変さを訴え、話通りますもん。
それだけで良くなるだろうと。
石鹸と同じぐらいにはね。
十分あり得ると思う。
でも僕は行かなかった。
行きたくもなかった。
これ、こういう心理も人間にはありますね。
ここに行けるようになるというのを、3ヶ月チャレンジみたいなものは、
一つはサポートできるかなっていう。
だから私は正式の邪魔にはならないと思うんですよね。
正式に行く気がしないというメンタルはあるんですよ。
だって歯医者にすら行きたくないじゃないですか、私たちは。
歯医者に行きたくないというメンタルは当然あります。
Good Vibesのクラゾンさんは出してくる理由ないんだけど、
彼が公的に喋ってたからいいと思うんですけどね。
歯医者の扉のところまで行って引き返してきた。
押すことなく引き返してきたっていうエピソードを語られてました。
そういうメンタルはありますよね。
よくわかりますよ。
僕だって帰りたくなることあります。
これが心霊内科の扉となった日にはね、
そりゃ行きたくないと思う人がいらっしゃるのも無理はないと思うんですよ。
つまり、繋がってないってことなんですよね。
放置されすぎていると思いますね。
発達障害なのかどうかは分からないし、
うつなのかどうかも分からないし、
HSPなのかどうかも分からないけど、
とにかくそういうことに、そういうところに書かれてある辛さはあるんです。
それ自体はどういうことなのかの説明を一切してもらうこともできないまま、
会社にもう一度行けるようになるために、
この薬を飲んでゴロゴロしてましょうっていうのが、
人が聞いて、なんつーのかなというイメージなんですけどね、これはね。
なんかもうちょっとないのって思いますよね。
思うことはあると思いますね。思う人もいると。
だから3カ月チャレンジというのは、そういうものではないけど、
事情グループではないですけど、そういう面は持ちたいと思ってるんですよね。
つまり、働くメンタルが怪しくなってきた当事者が、
働くメンタルが怪しくなってきた人の話を聞いてくれるっていうところ。
3ヶ月チャレンジの意義
そこに行けば話をできる。
だからといってそこに行って話をしたいかというと、この値段でもありますし、
それはまた別の話。
でも私はやっぱ思うんですよね。
大学時代、究極的に私はよくモテなかった話しますけど、
モテなかったっていうのも、モテないにも程があるレベルでモテませんでしたが、
私、ヒモテの品格を読んだ時、やっぱり非常に感動しました。
これが当事者グループってもんだと思うんですよ。
話を聞いてくれるところがあるのはすごい良いことだし、
話を聞くことができることすら良いことなんですよ。
人のモテない話聞いたってしょうがないじゃないですか。
モテないのに困ってるわけだから。
彼女が欲しくて困ってるのに、どっか行って頑張れよって話であって、
彼女ができませんっていう男の話をお互いでしていて何になるのかと。
でも僕は違うってことが今ならわかるんですよ。
今ならばそこに行って話しろって昔の自分には言いたくなる。
聞きゃしないですよ絶対に。
ここに3ヶ月チャレンジの難しさもあります。
もちろんそれだけではないつもりなんですけれども、
それこそ仕事術もありますしね。
ただ話をするってのは大事なんですよ。
一つだけこの話を少しは具体化するためにやや簡単にするとですね、
欲打ち気味になってますという人がいるとするじゃないですか。
その人はある行動パターンを持っているはずなんです。
会社と家の往復かもしれませんし、週末に特定の人と会うかもしれない。
でもその人には行動パターンがあるはずですよね。
で、その人がもし欲打ち的であるならば、
必ずいつしか話は一周して戻ってくるものなんですね。
私はこうじゃなかった例は幸い3ヶ月チャレンジでは知らないんです。
3ヶ月のうちに必ず一周はする。
最初はわーっと、これも大事なんですけど、
取り留めのない話が放散的に行われる。
これはですね、相手の人が話をまとめる能力がないとか、
知的に不足しているとかいう話では全然なくて、
頭が僕なんかより全然良かったりするんだけど、
話が放散するのは、その話はかつて一度もではないかもしれないけど、
かつてあんまり他の人にはまとまった形でなされてこなかったっていう証拠なんですね。
私だってアトピーの話を人にすれば放散的になります。
肝手だった時代の話をすれば放散的になると思います。
間違いなくなります。
あ、こういうこともありました。ああいうこともありました。
聞いて欲しいんでね。で、誰も聞いてくれなかったんで。
大量に溜まってるわけですよ。
大量に蓄積されていて、しかもそれをまとめてわかりやすく説明するっていう意味はないから、
だって僕が持てなかった理由をある人にまとめてわかりやすく説明する必要ってないじゃないですか。
してもこなかった。その必要もなかった。
それをいきなり話し出すと、どんな人でもその話は放散的に拡散的にしかできないんですよ。
この拡散的な話をするっていうことが普通に起こります。
そして、ということはその話は聞き手を必要としており、しかもその聞き手は当面登場しなかったって意味ですよね。
で、それが終わると一周して戻ってくるんですよ。最初のお悩みに。
この一周して戻ってくるというのを精神分析という世界では何週もたぶんするんですよ。
そのうちに2年が経過したとか。
もう最近読み飛ばすようになっちゃったんですけど。
あ、2年ね。ふーんみたいな。ダメなんですけどね。2年も経ってるんだから。
で、僕の場合3回チャレンジだから2年は経たないですけど容易には。
行動と無意識の関係
2年も経ってるのに、同じ話をぐるぐるしてるのに、なぜその人は自分が悩んでもいるのに行動を変えていないのかという問題があるじゃないですか。
2年の間には人の行動って変わりますよね。環境も変わる。自分も変わる。
最近私はちょっと身体が老化している感じをするんだけどとにかく変わる。太りもする。痩せもする。病気になることもある。
いろんなことが起こるのに、なぜ同じ行動パターンが維持されているのか。
そしてその行動はなぜ辛さを生んでいるのに維持されているのか。
さらにその話は子供の時からもしかすると反復しているのに反復しているという話に舞い戻ってきてしまうのかと。
合わせて全部考えてみればですね、その人のある分裂があると考えるのが自然じゃないですか。
その人は自分自身で綱引きをしているっていうのが自然じゃないですか。
その辛さやその状態から抜け出したくて、抜け出す方向に常に自分の中の全ての自分が、これがだから自分の中の他者性って話と絡むんだけど、
一致団結して協力して一つの方向に向かっていれば、普通に考えればその方向に行けるはずじゃないですか。
例えば夫婦などがよくありません。奥さんと仲良くしたいです。
自分自身の全ての自分が総力を上げて、2年にわたり奥さんと仲良くしようしようとしていれば、するでしょ。仲良くなってるでしょ。
なってないならば、別れるなりなんなりしてると思うんですよ。
そうじゃなくて、2年間の間ずっと仲良くしたいと思いながら、ほとんど口も聞いていない会社と家の往復です。
この行動が繰り返されていますってならば、その人分裂していらっしゃるんですよ。
っていう話は必ず3ヶ月の間に1回は、1回は一周はすると思う。
その時に行動変容を求めないということに僕は意味があると思うんですよね。
やっぱり一周しました、行動は変わりません。なぜなのかというところに行き着くことが大事だろうと思うんですね。
これは人に話を聞いてもらわないと出てこないものだと思うんですよね。
なかなかね、行動が繰り返されているっていうのは半分は無意識ですから、綱引きってそういうことです。
3ヶ月チャレンジの意義
意識してそこから抜け出そうとしても抜け出せない行動パターンを持っているというのは均衡しているってことですから、
その均衡させているもう半分はほぼ無意識ですから、ここで綱引きが行われている。
このもう半分の自分の言い分というものを聞いてあげましょうよっていう話で、聞いてあげる人が必要なんですよ。
それがつまり私が思う当事者グループであったり、3ヶ月チャレンジであったり、私だったりするわけですよ。
このやり方に正規の邪魔はないはずだって思うんですよ。正規のところに行くっていうことであれば行ったらいいと思いますし、
薬の方がいいと思うならば飲んだらいいと思うんです。
ただ、それによって行動変容というものをして辛いままだっていうことになれば、おそらくその分裂は残っているから、やっぱりこの問題はもう1回必ず同じところに戻ってくる。
つまりどんなツールとか薬とかプログラムとかでは解決しない問題があって、そこに傾聴っていう耳を傾けてくれる人間が必要だと。
ここまでくれば、それはAIでは大体できないんじゃないかと思っている僕の気分がいくらかは理解されるんではないかと思うんですよ。
AIで大体できるなら、3チャレンジいらなくなっちゃうとは思うんですけれども、そういうようなことを最近すごく考えるようになったのかなと思うんですね。
それは人の話を伺ったからなんですよ。
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