00:05
おはようございます。
先送りせずすぐやる人になる、ポッドキャスト第741回ですね。
2月25日土曜日の9時52分です。
今日からですね、またちょっとやり方を変えようと思っておりまして、
なるべく週5を出そうと思っています。
あとでダッシュボード変えなきゃだけど忘れそうだな。
とにかく週5で出したいなと思っていて、
平日、日間とかもやめて、別に僕に休日、平日の何かってあんまないので、
週にとにかく4から5は出そうっていう方針にして、
わかんないんですけど、できるかわかんないですけど、できるとは思うんですよね。
で、取手出しに戻そうと思っています。
結局この予約にするというのはですね、僕は向かないんですね、やっぱり。
ブログもそうだったんだけど、
1週間前に書いて、貯めておいて出すみたいな理想とされるやり方があるじゃないですか。
あれが私は全然大嫌いで、うまくいった試しが正直言うとないんですよ。
モチベーションがですね、なくなっちゃうんですよね、そういうことをやっていると。
取ったものを貯めておくと、もう出したくなくなるし、
貯めておくんだと思っただけで取る気を失うんですよ。
直前にやるのが一番いいんですよね。
これはもうね、賛否ありまして、しかも賛だという人の方が少なめなんだけど、
僕はもう最近、そうじゃないと思われているかもしれませんが、
タスク管理とかも原則直前にやることを直前に考えて直前に記録するんだって思っているんですよ。
ノープランというのは多分そういうことなんですよね。
昔からその前日のうちにリストを作っておくというのが嫌で、
なぜならばそれは無駄になるんですよ。
翌日になってみると、ほんのわずかでもその通りにはならないという場面が
頻出してくるんですね、タスクシュートの場合には特に。
細かいって書いてあることが。
倉園さんが先日ジャジンワークという作業する会みたいなのでレクチャーされてたんですけど、
冒頭1時間レクチャーなんですけどね。
その中で他人に指図されるのが嫌いだっていうお話があって、
僕には当てはまらないんですよ。
ただ、そうはならないっていうのがわかっているから。
つまり前日の自分が、計画じゃないんですけどね。
タスクシュートになってくるともう、こうとしか今日の段階では予想できないぐらいなものであって、
03:05
確かにそれは嫌なんですよね。
ご飯は食べますし、でもご飯もお腹が空いてない時とかお腹壊す時とかもあるじゃないですか。
だからやっぱりその通りになるかどうかというのは、
その時になってみないとわからないものなんだなということを知るためにやっているようなところがタスクシュートってあるんですよ。
で、それがわかってくるとね、
前日とか前々日とかに計画をする気が伏せるんですよね。
タスクシュートの話をしようと思っているわけじゃないんで、
今日はこの辺で切り上げますが、
要はこの取りためておくというか、
タスクシュートの話をしようと思っているわけではないんですけども、
タスクシュートの話をしようと思っているわけではないんですけども、
今日はこの辺で切り上げますが、
要はこの取りためておくというのは、
つまりスムースな計画なんだと思うんですよ。
で、僕はこれ嫌いなんだということがわかってきたんですね。
他人の指図とかではなくて、
一応予約を入れるというのは何だろうな、
指図ではない感じが僕の中ではするんですよね。
予約は一応予約だと思うし、
予約を嫌う理由はないんですが、
アップされた当日の気持ちにそぐわないことを
やったことにもしたくないという、
結局これを取ったのが今2月25日土曜だと言いましたが、
2月27日の月曜日にこの内容をアップしたいという気持ちには
なってないことが多々あるんですよね。
なっていることもあるんだけど、
なってないことが多々あるんですよ。
だからその時自動的に上がっていると
僕はちょっと嫌な気持ちになるんですよ。
このちょっとの嫌な気持ちがある。
ところが蓄積型だと随時それが意識されるわけで、
だんだんこれをやるのが嫌になってくるんですね。
だからもうこういうことは一切やめようと。
どうせ落としても困るわけじゃないんですよ、私は。
これによって何だろうな、
これは私は半仕事というのかな、半分仕事。
つまりこれはブログなんかノートは、
先日大橋哲夫さんと喋ったんですけどね、
ノートはもう私にとってはほぼどうでもよいというか、
別にけなしてるわけじゃないんだけど、
ノートはつまり、今度WBCあるんですよね、
それこそ大橋哲夫さんの興味のないテーマなんだけど、
僕はめちゃくちゃ興味を持っているわけですね。
佐々木隆起が大活躍するといいんだけど、
あんまり投げないでほしいな、ロッテのためにぐらいに、
そういうこと細かいことまで、
毎日のようにプロ野球ニュースを、
しかもNHKの9時のと、報道ステーションの10時半のと、
さらに余裕があればその後のも見るぐらいな、
同じ話ばっかりずっと聞くんだけど、
06:01
全然飽きるということがなくてですね、
ああいう話はノートにアップする気がするんだけど、
別にいわゆるWBCが終わったらノートはたぶんすぐ休むと思うんですよ。
そのぐらいの感じ。
だからノートのことはタスクシュートにも上がってないんですね。
でもポッドキャストは上げてあるわけです。
こういう違いがあるんだけど、
でもポッドキャストを休むと仕事に収益的に問題かとか、
ビジネスが回らなくなるかというと、
それも別にないんで、
落としても何なら1週間休んでも別に構わないとも思っているんだけど、
週に5回はあげたいなという、この辺のスタンスがポッドキャストにはあるんですね。
これはもう僕の中では依頼だと思っているので、
この話もギフトモードのまなみで少ししたいんだけど、
今日はちょっと難しいかなと思っているんで、
さらっといきますと、
これは依頼だと思っているので、
これを楽しみにしてますという方を、
10人は知らないですけど、
9人ぐらいは知っているんで、
しゃべるのは100%に近いですね、僕の脳内では。
本当のところは分からないですよ。
本当のところは分からないんだけど、
100%依頼者のためだと思っています。
視聴者のためですね。
視聴者の方のためだと思ってやっています。
だから自分のためとは思っていないんですよ。
この辺もギフトモードの話で、
僕の中でいちいち全部、
倉園さんが言う通りになっているかなんてないかを
チェックする必要はないんですけどね。
一応聞いている方の混乱があると、
余計な誤解があるとというのかな、
よくないので、一応しゃべっておきますが、
僕は自分のためだとは思って仕事はしていないんですよ。
こういうといかにも利他的な感じがするんだけど、
多分自分のためなんですよ。
このですね、私の中で自他の区別というのは、
世の中の人はどういう意識でいるのか分からないから、
私の話をするしかないんだけど、
自他の区別というのは、
私の中ではマトリックスなんですよね、映画のね。
映画のマトリックスなので、
他人というのは多分自分なんだと思う。
僕が知っている他人は。
だって例えば大橋哲夫さんってさっき言いましたけど、
大橋哲夫さんって私の脳内にしか、
私の脳内ではいないんですよ。
非常にわけわかんない話になるんだけど、
私が彼のことを完全に忘れているときは、
私の世界には彼は存在しないんですよ。
これは常識だと僕は思っているんですよ、ある意味。
そうではないはずですよ。
多分彼は私が覚えているとか、
目にしていないときだって、
いるに決まっているんだけど、
でもそれだって私に言わせれば、
私の空想でしかなくて、
本当はいないのかもしれないじゃないですか。
本当にいないと思ったら、いないですよ。
でも本当はいないと思ったら、
いないのかもしれないじゃないですか。
本当はこの世の中に、
09:00
私しかいないかもしれないじゃないですか。
多分そうじゃないだろうと思っているけど、
そうじゃないという確証を、
私は神様が何かにもらったことはないんですよ。
他人は外在するんだぞとか、
現実に生きているんだぞと、
そう信じてはいるけど、
信じているだけなんですよ。
知っているわけじゃないということなんですよ。
だから他人のためにやるということは、
私の中では自分のためにやるということと、
区別が結局はついていないと思いますし、
だから夢の中でもポッドキャストとか、
一生懸命撮っていたりしますからね。
それあれですよね。
誰のためなんですかねっていう話になったら、
わけわかんなくなっちゃうじゃないですか。
夢の中の視聴者は、
結局夢の中だから自分だから、
自分のためなのか。
それを言うと、
知覚というのはそういうようなものだから、
夢の中のポッドキャストは、
夢の中のポッドキャストだろうと、
現実のポッドキャストだろうと、
違いはないとも言えるから、
それは他人のためのものだとも言えるし、
そういうふうになるので、
ギフトモードっていうのは、
あくまでモードなので、
誰のためだからギフトと言い切れるものではないと、
思うんですよね。
あれですよ。
なんつーんだろうな、
こういうの難しいんですけどね。
だから他人がいないと思っているわけではないです。
ないですけれども、
いると確証を持っているわけでもないです。
ってことですよね。
こういうことを僕は、
いちいち考えながら、
物を書いたり喋ったりする人間なんですよ。
全部マトリックスだなっていうのから、
完全に逃れ出て何かをしているってことは、
めったにないんですよね。
これがまた完全に逃れ出ているときは、
大体いいことは起こっていないんですよ。
例えば目の前の相手がめちゃくちゃ怒っているとき、
みたいなときに、
まさにマトリックスであることを
ほぼ忘れて去っているんですけど、
この番組でよく、
私が繰り返し喋っている中で言うと、
返答タイムモードなんだけど、
あれのときにいいことは起きていないんですよ。
だいたいログでもないことばっかり
起こっているわけですね。
だから冷静になっているときは、
他者というのは、
自分のようなものだし、
自分というのはいるんだかいないんだか
わからないようなものだというのが、
私が冷静になっているときの感覚なんですよね。
ボットキャストなんて、
冷静になっているときしかやっていないから、
これが誰のためかなんてことは、
私にはわからないんですよね。
確証が得られないんです。
どんなに言われても、
本当のところをわからないな
という感じがするんですよ。
関係ない話をしているようなんだけど、
私の中ですっごい、
これについての確証が得られないことを
確証した事件として、
夢の中で太陽が眩しかったという事件が
あるんですよ。
夢の中で太陽が眩しかったという事件が
あるんですよ。
夢の中で太陽が眩しいって
どういう事なんだろうと、
檻に触れて思い出してしまうんですよね。
目を開けていられないほど眩しかったんですよ。
で、その太陽を見ているとき、
私は目は開けていないわけですよ。
光も当たっていないんですよね。
だから、眩しさとか、
なんていうんですかね、
12:01
目を開けていられないほどの眩しさというのは、
脳が作り出すものなんだなと思うんですよ。
これは、太陽が眩しくないとか、
太陽は実に眩しくないとか、
そういう事件があるんですよ。
太陽が眩しくないとか、
太陽は実在してないとかいう話ではないですよね。
そういうものなんだって事なんですよ。
私たちが見ているものは、
見ているという事が、
見えるという事が、
何かがあるって事を保証しないという事ですよね。
でも、これは常識だと思うんですよね、
今のような時代となっては。
これを中世のヨーロッパで言ったら
ヤバいと思うんですよ。
どう考えても非常識ですよね。
ほぼ死刑になりそうな話ですけど、
今の時代、
認知で外在が実証できないなどというのは、
小学生でも知っているぐらいに思うんですよね、
ある意味では。
長くなりましたが、
そういうわけで、
週5でポッドキャストを
やろうと思っているという事ですね。
その週5の中で、
100日チャレンジ3の
ポッドキャストを
やろうと思っているという事ですね。
そのポッドキャストをやろうと思っているという事ですね。
その週5の中で、
100日チャレンジ3の
方向けというのが
1回。
あと、できれば3カード読者さん
有料向けが1回。
だから、
無料で出すのは
無料なんだけど、
一般読者向けさんは
3回という事になりますね。
今日は前置き的な話が
長くなるんですよね。
多分このポッドキャスト
長くなるなという、
これは勝手な予想ですけれども、
もう1つ
お話ししておきたい事がありまして、
これから話すのが
つまり、私は精神分析の話を
久しぶりにカチッとやりたいんだけど、
カチッとやる時間がなかったら
何とか
今週はずっと
その話をするとかにしますが、
この
私の精神分析の話っていうのは
本当は誰か
ちゃんとした人がきちんとやってくれれば
いいんですよ。
で、私は
遠畑階人さんが
オンラインでやってる講義も
10回全部見たんですよ。
お金払ってね。
で、
私からするとやっぱり
もっと専門的な話が
すごい面白かったんですよ。
面白かったんで別にディスってるわけじゃないんだけど、
さらに専門的な話を
できればもっと聞きたい
っていうのがあって、
またその続編も申し込んだんですけどね。
あっさり
あのー
こういう話を僕は
する人がやっぱり
必要だと思っているんですよね。
で、よく言うじゃないですか。
よく言うんですよ。
精神分析では素人がやっちゃダメだと。
分からなくはないんだけど、
えーっと
素人がもしやっちゃダメならばですね、
どうしてブログに
精神分析の話が
乗っかってたりするんだろうと
精神分析家だと言ってる方の
あるいはなぜ新書で書いちゃうんだろう
15:01
ってちょっとやっぱり
これは皮肉っぽくなっちゃいますけどね。
思うんですよね。
だって新書って1000円もしないじゃないですか。
もしですね、
あれがそういう
専門家だけが知っているべき話であるならばですね、
2万円とかにすればいいわけじゃないですか。
本だったらね。
そしてブログだったら
IDパスワードを書ければいいわけですよ。
少なくとも精神分析の
インスティチュートみたいな人。
研修中の人とか
訓練生みたいな人でなければ
ここにアクセスできないと。
今そうすることは簡単ですからね。
そして本も
入手しようと思っても
1冊5万円とかすればですね、
多分僕とかじゃ買わないです。
買えないですよね。
5万円を持ってないって話じゃなくて
そのように専門家しかアクセスできないもの
ということになっている上に
本で5万円もしたらですね、
私じゃ買えないです。
もちろんそうしたからといって
一般の人を完璧に排除はできないですよ。
5万円というのが
さらっと出せる人なんているわけだから。
でもそうすると
ごくごく少数の人しか
買えない本というものは
このように流通させることはできるわけだから。
つまり専門家だけのものに
することはできると思うんですよね。
これをこうするほうが
よほど
絶対にもし
これを一般の人がですね
喋ってもいけなくて
書いてもいけなくて
話題にしてもいけないものなのであればですね
こうすれば
話は早いんじゃないかなって
思うんですよ。
国際的なシンポジウムみたいなのも
あるわけだから
内部でのコミュニケートは
取れるわけですよね。
こういうふうに外部を完全に締め出した上での
外部内部のコミュニケーションというのは
取れると。
そして実際のところね
あの
なんていうのかな
精神分析を受ける人は
これはもう
一般の人なんだから
そういう人に文庫は開いておかなきゃならないんだけど
これ自体も値段は高いわけじゃないですか。
だから結局のところ
広げた
広げずに
患者さんを
患者さんにはオープンにするということは
不可能ではないと私は思うんですよね。
でもそうなってないんですよ。
現状。
現状で精神分析の本は
割と簡単に
いくらでもっていうことはないけれども
でも手に入れようと思えば
十分手に入り読めると。
その中で
これは
部外秘的とは言わないけれども
非専門的な人が
安易にいじってはダメなんだ
というニュアンスのことは書いてある。
私これはですね
なんかこう無理があるんじゃないかなっていうふうに
私みたいな人間は出てきちゃうだろう
それじゃっていう感じはするんですよね。
私みたいな人間が
こうやって出てきちゃってるわけですよ。
こういうエクスキューズがあるんだけれども
このエクスキューズはですね
18:00
僕はずっと読んでいるうちに
すごく精神分析的な
エクスキューズなんだということに
最近気づいたんで
今こういうことをわざわざ喋ってるんですね。
このなんていうんですかね
この
なんでそんなことわざわざ言ってんだという
ぬめぬめっとした感じを抱く方
いらっしゃると思うんですけど
それが私の中で言うところの
私の中で感じている
私の精神分析的な
ちょっと病気チックな部分だと
僕は思うんですね。
これを聞いて
どういうことを言ってんだこいつはって
思われるかもしれないけど
そういうもんだと思って
ちょっと聞いていただければと思うんですね。
だからこれを聞いて
まさにですね
こういう病気がだらっと
外に出ちゃったような
ものを聞いて
これを精神分析の教科書だと思う人は
絶対いないと思うんで
そういう意味でも
エクスキューズとして成立する
つまりエクスキューズしたいという気持ちが
僕の中にあるんだけど
エクスキューズしてまで喋りたいという気持ちも
僕の中にあると
そしてそれは
ある意味では
作り出されているような部分がある
ってことなんですよ。
まあいいや
そういう話です。
本題に入りますね。
今日お話ししたいのは
いろいろ
依頼っていうのかな
視聴者の方と
やり取りすることがありまして
やりあったわけじゃないですよ。
やり取りして
おおむねいいお話を聞くことができまして
この辺でちょっとですね
軽くまとめながら
私が今まで
どうしてもなかなか
理解できなかった部分についての理解が
もう少し先へ行ったんで
その辺までお話しできればと思ってるんですけど
まずですね
結局私が今
自分の
このポッドキャストもそうですけど
タイトルを先送りというので
ある程度まとめ始めているのはですね
これが
入り口になると思ったからなんですね。
そのことはどっかで喋った気もするし
どっかに書く必要もあるのかもしれないんだけど
まあとにかく
おいおい
随時一応そういうことについても
触れていこうと思ってるんですね。
なんでかっていうと
人は先送りするさまざまな理由を持っていて
でも多くの場合
この話はした記憶があるんだけどね
先送りというものは
なんていうんですかね
出てきちゃうんですよ。
いろんな
その人自身
なんていうんですかね
これはね
難しさとともに出てきてしまう。
例えば
やる気がしないとか
いう言葉もそうですし
あるいは時間がない
という感じもそうですね。
あるいは家に帰ってくると
ヘトヘトに疲れてしまっているとか
それこそですね
21:00
私やっぱりこれが一番
あるなと思うのが
環境としての母親がいない
そこにいない感じがする。
いないってことはないんだけど
いない感じがする。
そういったことが
先送りを生むんだけど
そんな話はさっき言った通り
新書いくら読んでも
ピンとこないんで
先送りはするっていう
そこが自分の目に入ってくるけれども
自分が本当のところ
どうして
何に困っているのかという話は
また別になってくる
ということがあると思うんですね。
だから誰に相談していいのか
分からないというふうに
私は思うんですよ。
先送りが最近あるなとか
最近ついついツイッター見ちゃうな
だから精神分析受けよう
ってふうにならないじゃないですか。
多分ならないと思うんですね。
私が今やっている
こういうポッドキャスト等で
やっている一つの仕事として
紹介はしませんけどね。
紹介はしませんけど
精神分析っていうものがありまして
精神分析家ってものもいますと。
必ずしもそれと100%同じではないというか
全然100%同じなんかじゃないんだけど
臨床心理師という人もいて
カウンセラーという人もいますと。
そういうものを利用する
先送りというものに
一見自分が困っている
その入り口に立ったとき
そういうものを利用していく方向もあるんです
っていう話をしたいんですよ。
というかできると思うんですよ。
ある程度はね。
そういうふうに持っていって
初めてそういう意識が
芽生えてくるっていう人も
結構いらっしゃると思うんですよね。
今のような時代には。
そのときに
公認心理師っていう
肩書きがどういう意味で
臨床心理師という肩書きがどういう意味で
それこそ精神分析家という肩書きは
どういう意味で
そしてですね
例えば倉園慶三さんのような
ワンオンセッションという
グッドバイブスの
っていうのは
こういう場合はどういう意味を持つのかというのも
当たりをつけるサポートが
私は
やっていて意味を感じる
っていう感じなんですね。
タスク管理でもいいんですよ。
ただこの場合
タスク管理もまた
入り口になる気がするんですね。
本当のその人自身が
どういうふうな問題を
問題というのかな
難しさに突き当たっているのか
事態を調べるというのは
タスク管理だけでは
だけでできる人もいるかもなんだけど
おそらくいないと僕は思う。
非常に少ないと思うんですよね。
そういうケースでは
もちろんそのカウンセリングを受けることが
答えというわけではないんだけど
カウンセリングってのは
その場合どういう効果を持って
どういう意味を持つのかというのを
について
先取りすることはできないんだけど
当たりをつけるサポートが
24:01
できることはできると思うんですよ。
言うならば
お腹が痛いからといって
絶対内科に行けばいいって
ものじゃないんですけれども
でも我々はお腹が痛ければ
そこで絶対治るとは思わなくても
とりあえず内科に行くっていう
選択肢があるじゃないですか。
この選択肢が
そもそもないっていうことが
多すぎるんじゃないかという話なんですね。
例えばお腹が痛いとなった時に
手帳買うってのはおかしいじゃないですか。
これは
ちょっと悪い立つかもしれないですよ。
前の日に食べたものとかを
細かに手帳につけて
何なら
食事の写真とか貼ってですね。
見てみると
ああ、こうだからお腹が痛いんだ
やっと分かったってことに
一ヶ月後になるとか
いうことになるかもしれませんけど
これをやるよりは内科に行った方がいいと
やっぱ思うんですよね。
何ならドラッグストアでも
このドラッグストアと内科に相当するものが
なぜか目に入りにくくなっていて、代わりにみんな手帳に行っちゃうというのが一つの現状の問題なんじゃないかっていう感じを抱いているんですね。
で、私は手帳側の人間として仕事を始めたっていういきざつがあるわけですよ。
今日お話ししようとしていたのはこういうことだったんですよ。
で、手帳でもいいかもしれないけれども、やっぱりこの場合は良くないだろうと思うんですよね。
それは手帳が無用ですって言ってるわけではないんで、先送りでなぜタスクシュートじゃなくて精神分析の話を始めちゃうんだって言われるかもしれないんだけれども、
私はですね、ケースバイケースだと思うんですよね。
ずっと胃薬飲んでますってケースもあればですね、お腹が痛くなってもう放っておきますよっていう人もいるわけじゃないですか。
あるいは絶食すれば治ると思っている人とか様々だと思うんですよ。
で、そういった場合に意外と民間療法で良くなってしまうっていうこともあるでしょうし、
そしてそういうのは医者はダメだって言ってるっていうこともあったりするじゃないですか。
この辺の構造がですね、より遥かに入り組んでしまっているのが、今のその自己啓発という、何ならそういう世界と、
ライフハックって言われている世界と、いわゆる専門の臨床と言われている世界の入り組み方だと思うんですね。
そしてその前に立ち尽くして困るのは、それらを利用する側の人間なんですよ。
で、私のような人間でもあるわけですよ。私は利用する側の人間でもありますからね。
で、長くなってきたので、ここから本題の方にもうちょっと移っていきたいんですけどね。
27:05
話を繋ぐって難しいことなんですよね、こういう時に思うんですけど。
要するに話を転換するんですけれども。
そうして、いろいろ私は入り口のところで悩み立ち尽くして、すいません、困っちゃったので、
認知科学とか行動科学とかを最初漁っていったわけですけど、そのほうが直接役に立ちそうだったから、
先送りを繰り返している時には報酬の自分への出し方が悪いんだとか、
報酬の捉え方に問題があるんじゃないかとか、レバーをさっさと倒せばいいのに、
もっとちゃんと地図が正規学習というのかな、とにかく1回1回確実に出るようにすればいいのに、
いろいろあれだからダメなんじゃないかとか思って、自分への褒美とかいろいろやってみたんだけど、
どう考えても実に表面的な何かにしか私にはならないように思えた。
そもそも先送りしないということが私の最終目標でもなんでもないことがだんだんわかってきたわけです。
でも先送りが入り口であったことは確かなんですよ。
昔はひどいものでしたからね。
そんな風にしてあれこれあれこれ迷宮の中を探っているうちに一番最後にたどり着いたと今思っているのが、
まだこれが最後かわかんないんですけど、
私の中ではグッドバイブスが一つと、もっとあれの込み入っている話だと僕は思うんですけどね。
僕の魂惑というのはグッドバイブスのいくつかのあるいはいくつもの話と精神分析、中でも対象関係論というここに話を持っていかないと、
結局私は表面を撫でるような真似が繰り返されて終わっちゃうと、
これはタスクシューとか表面を撫でてるって話ともまた違うんでややこしいんですけど、
少なくともこの2つは僕には謎を解くには必要だったと。
謎なんですよね。
結局でもわかんなかったわけですから自分でよく。
だから必要だったんだなということが、
このポッドキャストであれこれ重複を重ねながら、重複は重ねるもんですけど、繰り返し喋っている話なわけですね。
対象関係論というのは知らなかったんですけどね、そんな言葉それ自体は。
メラニ・クラインって人は知ってました、アメリカで習ったからね。
30:00
ちょこっと枠で出てくる、つまりアメリカでの扱いはもう一つだったということは言えると思うんだけど、
留学2年目に割とがっつり話を聞いた記憶はあります。
女性の先生で対象関係論のことも今思えばもっと聞いておけばよかったかなと思ったんですけど、
詳しいというか興味ある人だったんだと思いますね。
あの人名前も僕も覚えてない。
でもまあそういうようなこともあり、そして日本でもそういう話好きだったから、
かじっている中に出てきてたのは覚えてます。
でもその話は何度かこのポッドキャストで言ってますが、控えてた。
ライフハックではフロイトという言葉すらも控えてた。
ユングしか出さなかったですね。
ユングも絶対セレンディピティとの兼ね合いのみで出してくるみたいな。
実にこうですね、後ろめたさがあったわけですね。
これを出すと、直感ですよ、これを出すと嫌悪されるって思ってました。
実際私はその感は外れてるとは今でも思ってなくて、
行動科学、そして認知科学、なんなら正式名称としては微妙なんだけど脳科学。
そして実際にそんなことを言いながらね、この辺を軸ですよって言っておきながら、
実際に私がしてたのは社会心理学。
なぜなら社会心理学じゃないとですね、やる気なんてものは扱えないんですよ結局。
こういう話をしてると1時間超えるんで飛ばしますが、
そうやってなるべく臨床を隠す。
臨床の中の面白いエピソードを喋るんだけども、それがフロイト由来みたいなことは絶対言わない。
本当に我ながら笑ってしまうんですけどね。
そうやって10何年も一番好きなものは封印して仕事をするっていう、
かなり僕はですね、ねじれがそこにあったんですよね。
でも今でもやっぱり話しにくいんですよ。
理由はさっき冒頭の方でもお伝えした通りで、
そもそも精神分析の世界ではこれを専門外の人がいじるのを良しとしない風潮が一方であり、
他方ではそもそも専門外のライフハック系の人、仕事術系の人、心理系の人すらも
明らかに精神分析というものを好かないという人が大勢いる。
つまりどっちに行ってもいい目を見そうな気がしないわけですね。
ライフハックの人にはフロイトっていうセックスばっかりのちょっとエログローナンセンスっぽい話になるんですねみたいな、
もう明らかに嫌がる人がいるのが分かっているところで話をしたくはない。
33:02
他方でわざわざ一生懸命頑張ってメラニー・クラインがとか言っても、
なんか素人がそういう話しちゃってるねみたいな風に言われないのかもしれないんだけど言われたことないからね。
言われるという恐れを抱きながら喋るんだからね。
そんなことをするぐらいなら誰も絶対文句が言われそうにないBFスキナーの話をしている方がはっきり言って気が楽なんですよね。
そして、例えばですけど出版社の人にもBFスキナーのこういうスキナーボックスというのがありまして、
でもそんなことだったら私でも知ってますよって言われたときにはそれに近いこと言われるんだけど、
実はこの話と、例えばそうだな、認知心理学でいうところのアホダンスっていうものがありまして、
目が輝いてくる、編集さんは絶対に。
ここにフロイトがオーラルキーとか言ってますとか絶対目が死んでいくんですよ。
絶対じゃないんですけどね。話は合わせてくれるんだけど、書くならちょっとエログロの方はやめてくださいねっていうことをやんわりとは絶対言われる。
そこを押してまで、どうせ専門の人もよくは言ってくれず、編集さんもいい顔してくれないものを無理矢理出すほど子供じゃないよねって自分は思ってたわけですよ。
これがすごくありました。
もっと大人な態度として、ネズミがレバーを倒す頻度を表にまとめたものを出す方が。
なぜこれがそんなにいいんだろうなっていうのがどうしても心の中にありました。
ネズミがレバーを何度も倒す、それを人間に当てはめれば仕事が進むっていう話は、
どっかね、なんつうんですかね、そういうコラムがあるのはいいけどっていう感じは拭えなかったんですけどね。
なぜかこういう話の方が今の時代には特に2010年付近には圧倒的にこの話をしている方がみんなが嬉しい。
そしてこの正規強化みたいなスケジュールを自分に組めば、
例えばハーフマラソンとか毎日走ったご褒美というその報酬が、
例えば単に走った後に飴玉舐められるっていうんじゃなくてね、
走った後には例えば筋力がこんな風に増強するんですというのがデジタルに出て、
なんなら自動的にそれがクラウドでエクセルに飛ぶみたいなのを受ける。
ものすごく受けがいい、こっちの方がね。
フロイトのオーラルキーが云々、スーダン受けがいい。
そしてBF好きな協会とかも別に僕に文句言ってこないわけですよ。
36:00
僕は精神分析学会に文句言われたことはなんかないんですけどね。
こういうごく単純な事情があって、結局僕はずっと良くて、良くて、
ダニエルカーネバの話をしてたわけですよね。
確率論と認知のエラーみたいな話、あれも受けるわけですよ。
そしてあれとタスクシュートは一見相性が良く絡めやすく見える。
まあそれはイリュージョンなんですけどね、はっきり言ってしまうと。
という仕事をずっとやってて、ピークに達していたんですよね。
クラゾンさんがそこに、ふといきなり僕の目には、
ご本人の中では全然違うと思うんですけど、
いきなりグッドワイブズという全然全く違う方面からパーンと出されてきて、
ショックを僕は受けるわけですけれども、びっくりするっていうのがまず第一ですね。
そしてこれは今までと全然違う話が始まったっていう。
ただそれが世の中を石鹸したとか、カツマブームみたいなクラゾンのブームが起きたってわけじゃないから、
別に僕が仕事をここで急転させる理由はあんまりなかったと思うんだけど、
僕自身がもう疲れていたっていうのがありますね。
疲れていた、うんでいたっていうのかな。
飽きていたっていうのが確かにあります。
もうネズミのレバー直しはいいだろうってことですよね。
もうなんならダニエル・カーネマンのヒューマン・エラーももういいだろうって感じがしてたわけです。
そうするとでも一つの話がなかなか本題に入ってないんだけど、
勇気が必要になるじゃないですか。
今まで封じて封じて封じてきたフロイト的な話をすると。
もう忘れかけてもいるしね。
全然僕の2017、18年コロナがちょうど来る頃に、
別に対象関係論が急に市民権を得ましたとかはないわけですよ。
ライフハックの界隈でも全然そんなことはない。
多分今僕はもう気にしてもいないし、
モニターもしていないからわかんないですけど、
多分僕がこの種の話をして、
嫌悪感を持っていらっしゃる人はいらっしゃると思うんですよ。
それはよくわかるんですよね。
今はなんてことはないんだなっていうふうに思うようになりましたけど、
当時はそっちに舵を切る勇気とかは全然なくて、
僕は大変臆病な人間ですから、
全然なくてですね。
グッドバイブスもはなはなかけ離れている感じだったんで、
それこそもう遠い恒星とか惑星とかの世界で、
昔はタブレットとペンタブレットのガジェットのライフハッカーのような人だった方が、
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遠い恒星に行っちゃったみたいな感じで、
でも遠い恒星の話は私は嫌いじゃないから話を聞きにはいくけれども、
それがどうなるかは全然わからないというところに入って今こうなったわけですね。
大変良いことだったと思うんですけどね。
一部これを聞いていらっしゃって面白いと思っている方にはやっぱり良いことが起きたんだと思います。
ただ、私の中ではその転換に合理性は何もなかったとは言えるんですよ。
ただ、いろんな行き詰まりとともに、
運でいたっていうのがあったのはありましたね。
逆の果てにというのはおかしいけど、
その今行き着いた先にひとつになんとなく見えてきたものが、
言葉に直すとまた唐突なんですけどね、
東映同一課ってやつだったなって思っているんですよ。
この言葉を出してみても思うんですよね。
東映同一課っていうのは専門家だけが知っていればいいっていうふうに僕には思えないんですよ。
ネズミのレバー倒しと同じくらいには少なくとも、
世の中の人は知るべきだと思っちゃうんですよね。
もちろん精神分析である言葉が一人歩きしたときに、
どんな結末が待っていたかっていうのは、
特に専門の人たちを慎重にさせるだけの十二分の理由はあると思いますよ。
ナルシシズムとか。
明らかに誤解の産物人みたいになっちゃってるから、
東映同一課だって世に知られてしまえば、
どうせろくな結果にならないのかもしれないんだけど、
それでも誰も知らない方がいいっていうふうには僕は思わないっていう感じですかね。
そんな議論は散々なされてきたんだろうと思うんですけど、
僕はなんとなく一人ポツンと言ってるから、
こういう気楽なことは言ってられるんでしょうけどね。
でもやっぱり知っていた方がいいと思うんですよ。
難しい概念ではないような気がするんです。
最近までわからなかったくせに難しくないっていうのもどうかと思うんだけど、
それはいろんな事情が重なってると思うんですよね。
取り込み同一化っていう、これも専門用語ですけどありまして、
でもこれは一般に同一化って言われてるものと同じだと思います。
ドラえもんでのび太くんがターザンの映画を昭和の後期か、
よくああいう映画だかドラマだかやってたんですよね、ターザン。
そうするとのび太くんは永遠にターザンになった気持ちになっちゃうわけですよ。
ああああとか言うわけですよ。そしてジャイアンにかかっていって負けると。
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つまり、同一化しちゃうんですよね。
今思い出したんですけど、やたらと小学校時代に、
僕の肩とか背中とかをつつぎ回す、ろくでもない奴がいたんですけど、
彼は北斗の剣とかにはまってたわけですよ。剣士郎になっちゃってるわけですよ。
で、やたらとつつくわけですよ、人の体をね。めっちゃ痛いんですよね、あれね。
これが取り込み同一化です。つまり彼は剣士郎とかを取り込んじゃうんですよ。
明日の城とかを取り込んじゃって、やたら人を殴る奴もいましたね。
そういうことです。
で、この取り込み同一化ってのは結局、誰かに自分が取り込んでなっちゃうわけだけど、
その反対が投影同一化なんですよね、考えようによっては。
多分そういう理解で僕は間違ってないと思うんです。
私、倉園さんとお話したことがあるぐらいなんですよ。
投影っていうのは不思議な現象で、オカルトでもないのに、
人間って投影ができるって不思議だと思いません?みたいなことを聞いたことがあって、
彼はそんなことはないっていうふうにさらっと答えてくれて、
アイコンを見た時にそのアイコンがその人だと思っちゃうっていう、
そういう投影の仕方って人間はごく普通にやると。
そう、私もごくよく知ってる大橋さんですら、
あのアイコンを投影しちゃってる部分がありますから、
人間投影ってすごい簡単にできますよね。
考えてみると取り込み同一化が、つまりケンシロウに自分が慣れたり、
明日のジョーに簡単に慣れる、ここは僕不思議に思わないんですよ。
オカルトでも全然ないと思うんですよ。
どこにでも見られる。
昔、ほら、あのなんだっけな、うちの親父なんかでもそうですよ。
なんかね、三船敏郎が演じている変な喧嘩とかに酔っ払うとね、
なっちゃってるんですよ。
アホかと思うんだけど、そういう薬剤家とか僕見ないからなんですね。
本当にアホなんじゃないかって思うんですけれども、
そういう人って結構いますよね。
取り込み同一化っていうやつですね。
逆もできるわけですよ、簡単に。
自分のある部分を外に投影してしまうと。
相手のある部分を自分に取り込むことができるなら、
当然これはできますよね、人の能力から考えて。
ここに二つあるんですよね。
一つは自分の悪い部分を外に投影してしまうと。
これが投影同一化の一番原始的な形態で、
投影同一化なんて言わなくても、
投影とだけ言っているケースが多い気がします。
これがよく倉園さんがグッドワイブスの中でもお話しする、
こうやって自分の嫌な部分を他人に投げてみてしまうと、
他人が怖くなる。
本当に嫌だと思っているのは自分の中の部分なんだけど、
それを他人に見て自分が迫害されていると思う。
これが東郷視聴書ではよく見られる迫害妄想の
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一番僕が思うにしっくりくる説明かなと思います。
恋愛中とかは必須ですよね。
これ必ず起こるなって感じがします。
自分の気分が悪い時、恋人に連絡しようとして、
LINEかなんか送ると。
もう既読スルーになっていた。
既読スルーってそもそも意味をつけすぎだろうと思うんですけど、
既読したからスルーしているとは限らないんだけど、
とにかく既読スルーだと見出して、
もともと気分が悪くなっている自分を
良くしてもらおうと思ってLINEを送っているんだけど、
その気分が悪い自分の気分というものを
相手の恋人に投影してしまう。
そしてこの恋人がこんなに冷たい奴だから
自分はこんなに落ち込むことになるんだと。
その原因と結果を逆転させてしまうんですよね。
自分の気分と相手の存在、相手の性質というものを
同一にしてしまう。
これが一番普通によく見られるし、
我々多分みんな身に覚えがある
投影同一化だと思うんですよ。
しょっちゅうやりますよね。
最近これは気づいて、
そうか、いろんなところに書いてあったな、
こういうことかと思ったのがですね、
この投影同一化じゃなくてですね、
自分の良い部分を人に向かって
投影しまくるという方がいらっしゃるんですよ。
これ、さっきの投影同一化で
悪い部分を人に投影するケースとは違って、
それって悪い人のやることじゃないようなので
みんな放っておいちゃうんだけど、
結構本人には毒手でして、
これはGood Vibesでもあんまり
クラゾンさんがおっしゃっているわけじゃない、
たぶん1話セッションでは出てきていると思うんですけどね。
一般にこの話をするほど
一般的には見られない。
ただ、一定数いらっしゃって、
特にカウンセリング中は
よく出てくるんじゃないかと思うんですよね。
一定数なんですよ。
そういうことを癖みたいになっている方がいらっしゃるんですね。
で、周りの人からすると
悪いことされているとは思わない。
自分が理想化されてくる感じ。
自分をよく言ってくれるんで。
ただ、その人は自分をかなり卑下する形になります。
僕はこの先送りと入り口って散々言ってますけど、
の一つの大きなパターンとして
これがあるなと思うんですよ。
なんかむやみやたらと周りの人を持ち上げて自分を下げる。
それが癖みたいになっている人がいるんだけど、
これは良い部分を自分から投影する
投影同一化の一つのパターンなんだなと。
よくそういうのを意識して読んでみるとですね、
精神分析の本を読んでみると
いっぱい出てくるんですよ。
これを伝えるだけでも
かなり助かる人いるだろうと
思うんですよね。
なんかね、伝えわりにくくなってしまっているんですよ。
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鬱とか言われたりケースとしてあるし、
多分鬱になるんだと思う。
そんなことをやってればね。
でも問題なのは鬱かどうかは問題ですけど、
じゃなくて、この投影同一化の
心理的な習慣ですよね。
例えば、わからないですけど、
クラゾノさんのイメージでちょっと喋ってるんですけど、
例えばクラゾノさんのところにワンオンセッション行って
クラゾノさんは本当に素晴らしい人だと
こんなことを全部教えてくれて本当に素晴らしいのに
自分はどうしていつまで経ってもこんなことでグズグズしているんだろう
って思うっていうのがこのパターンなんですね。
わかりにくいんだけど、
フロイトノデシのメラニ・クラインという人が
自分の良い部分というものを
これクラインじゃないのかな?
クラインのさらに仲間の人たちがいるんですけどね。
クライン派の人たちの誰かが特に強く言ったのかもしれないですけど、
今のような形でどんどんどんどん自分の良いところを
人に向かって投影して投影して
自分が空っぽになってしまうと。
空虚感がそこに生まれるっていう
これがですね、また独特の描き方をするんですよね。
うんこ出しすぎてお腹が空虚になるみたいな。
つまり赤ちゃんはそういう風に最初
身体の具体的な感覚と情緒が
混ぜこぜになってるってことをあれで表現したいんだと思うし
そうなんでしょうけれども
なんかわかりにくくなってるわけですよ、かえって。
もっと成人の霊をバンバン出してくれればいいんだけど
赤ちゃんのおっぱいを吸って
母親から良いものを取り込むみたいな。
これもだから良いものを
こういう人もいるじゃないですか。
それこそさっきのクラゾノさんの霊ばっかり出してますけど
しかも実霊ではなくて空想なんですけどね。
まあいると思うんですよ。
クラゾノさんからどんどん良いものを取り込んで
俺クラゾノになったからみたいな気持ちになっちゃうと。
これ取り込み同一化なんですよね。
これは母親のおっぱいから吸い取るっていう言い方をするんですよ。
メラニー・クラインのような人たちは。
対象関係論の中で特にちょっと
1960、70年に特にこういう説明で
推していっていた時代があったんでしょうね。
いやもう一つ意識で
私のこの話を聞いてくださいみたいな感じで。
要するにケンシロウになっちゃう人と変わらないわけですよね。
この逆をやる人がいるって思います。
この逆をやる人は
よく今ではうつってただ言われちゃうんだけど
この逆をやるという心理的な
悪習慣に近いと思うんですよね。
やめないと
どうしても何の話を聞いてもどういうところに行っても
同じような欲打つ的な
気持ちに苛まれた
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結果として先送りなんですよね。
先送りはもうその場合大した問題じゃないと僕は思うんです。
だから入り口なんですね。
タスクシュートのセミナーとか
100日チャレンジのようなところでもいらっしゃいます。
周りの人はみんなタスクシュートでどんどんやっていて
先送りもなくなっているのに自分と来たらみたいな話
周りの人が輝いていて
自分の空虚感というものに苛まれる
自然と起きちゃうんだと思うんですよ。
自分の中の良い部分を他人に投影する
他人に見てしまう
そして自分の中には何もないような感じに苦しめられる
このパターンで例えば家に戻ると
何にもないと
自分はダメだみたいな
なんと言ってあげると良いのかが
非常に困難な感じがして
実際にこういう方とお話をするじゃないですか
私なんかがね。そうすると
ヤサキさんはもうお嬢さんの面倒を見ていらしてとか
やたら持ち上げてくれて
私はそれよりも簡単な仕事をしているのにとか
という話をされてしまうわけですよね。
自分からなかなか出られなくなるという
投影同一化の通常言われているのの
逆のパターンというのが
私が最近すごい新しく発見した
私自身にあまりないですからね
私はもう少し傲慢なことをやっちゃうんで
自分の悪い部分を外に出して
良い部分を人から吸収するという
これをやると統合主張症でいうところの
気をつけなきゃなとは思うんですけど
普通にやりやすいんですよ。こっちの方が
普通の赤ちゃんはみんなこれをやるわけですね
うんこの方は全部鬼ヶ島に投げておいて
自分もモタロウみたいになって
良い気持ちになると。この方が分かりやすいじゃないですか
この逆をわざわざやるというのは
何か事情があったんだと思うんですよね
こういうことで
精神分析のその中のいくつかの考え方というのは
すごくですね実はタスクが進まないとか
先送りが繰り返されるとか
夜になってもSNSがやめられないといった話に
私は役に立つとやっぱり思うんですよね
だからこれから色々やっていきたいなと
そんな風に思っているわけです