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2024-12-25 48:58

仕事を先送らせる万能空想【1112】

心が弱ると空想に走る。
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00:06
おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト、第1112回をお送りします。
12月25日、水曜日、クリスマスの日です。
今日も朝からいろいろありまして、なかなかこう平穏な日というものはそうそうあるもんではない、というか平穏な日っていうこと自体が多分一つの幻想なんだろうと思わなくもありませんが、
なあ、何にもなく私は過ごしているようで、結構まあ私なりの私なりのですが、波乱万丈人生なわけですね。
まあそれはそれといたしまして、今日は寒いですし、クリスマス過ぎていよいよ正月が来ますんで、
私はこう年末年始に何か計画を、来年の計画を立てようなどとはもうしなくなって久しいし、今年はもう
通常運転にどれだけ近づけようかなぁと思っているもののですね、まあ私だけ通常運転してると変なんで、
ある程度は合わせてですね、まあ家族なんかにも付き合いつつ、実家なんかにも帰りつつ、
なるべくこのポッドキャストは欠かせないようにし、まあ聞く人激減しますけどねさすがに、今だってでも一桁に限りなく近づく日が結構あるんで、
タイトルがね、アルファ機能がうんたらとか、本当タイトル変えればいいんでしょうけれども、なかなか私はその変えたくないんですよね。
例えばまあいきなり本題にも近づいちゃってますけど、コンテイナーを心のキャパシティとかいうのは簡単なんだけど、
あるいはまあアルファ機能を無意識の思考とか言い直せばいいのかもしれませんけれども、それは別の言葉の意味になってしまった上にですよ。
そうなると私が喋っていることの何がおかしくて何が正確なのかが、もう誰も何も言えなくなる状態をある意味作るわけですよ。
そのために人は言葉を変えるっていう面もあるんでしょうけれども、いやそれビオンが言ってるのはそういうことじゃないよって言えるじゃないですか。
佐々木は間違ってるよと簡単に物を知ってる人からすればですよね。こうしておきたいんですよ、私としては。
こうしておかないとごまかしがいくらでも効くってことは、私は何も言ってないのと同じことになっちゃうと思うんですよね。
なんかこうなんか覚悟を決めるとかじゃないんですよね。
まあこの話も後ほどちょっとしようと思うんですけど、覚悟を決めるっていうとなんかいかにも大げさなんですよね。
いや佐々木のこことこことここがもうめちゃくちゃ間違ってますっていうのを言われるのを、専門家なんかにですね、言われるのを、多くの人は今ものすごく恐れていらっしゃるところがあるわけですよ。
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でもそんなのは、そうされたからといって困ることって実は何にも起きないんですよ。
うーんと、なんか心が傷つくような気がするだけなんですよ、これは本当に。
あの、おままごとのお茶碗が欠けたぐらいな感覚で見ておくべきことなんですよね。
あと深刻に捉えるべきだとか言われても、深刻に捉えてるかどうかは分かりようがないし、分からないわけですよね。
なんかこうね、本当に今の時代はすごいそこが強いんですよね。
私が子供だった時に比べても明らかにここの部分だけが強くなって、みんながこれを恐れるようになったわけです。
もともとみんな恐れてましたよ、もちろんね。
だけど以前に比べてもすごい強いんですよ。
この番組などというのは本当にですね、新橋の飲み屋で私が管を巻いてるのと何にも変わらないのに、それに対して専門家が何か言ってくるってだけでも面白おかしな話だと思っておくのがちょうどいいのに。
だってそうじゃないですか。
えっと、新橋の夜に働いてる人がね、例えば野球について間違ったこと言ってたら、横から野球選手がやってきてなんか喋ってくれましたって、面白おかしい話じゃないですか。
なんか人生それで積んだみたいに思うのっておかしいでしょ。
何にもそれと変わらないと僕は思うんだけれども、もちろん違いますよ。
形式も違えば、だからそうやってインフルエンスがとかって話を。
でもここでそもそも影響力とは言わずインフルエンスっていうあたりに、なんかやっぱりですね、人はわかってこの辺の話をねじ曲げてるように思えて仕方がないんですね。
もっと昔ながら普通の言葉で言えるじゃないですか。
佐々木昌吾という人間の影響力を鑑みればね、飲み屋の管を巻いてるのとは違うっていう言い方をしてみると何かがおかしいんですよ。
だからインフルエンスとか言い出すんだと僕は思うんですよね。
というわけで、恐ろしくもないことを恐ろしがってるとだんだん恐ろしくなってくるので、この話を少ししたいと思ってるんですけどね。
やめてですね、これマーケティングという言葉なんですね、やっぱりね。
広めるという意味ではあまり意味がないやり方ではありますが、アルファ機能はアルファ機能と言っておき、コンテナはコンテナと言っておくと。
ホールディングって言ったらやっぱりコンテナとは違うわけで、それも出どころがあるってことですよね。
出どころを参照すれば、こいつの言ってることは正確なのか不正確なのか、だいたい正確なのかだいたい不正確なのか、ある程度の決着点があると思うんですよ、ある程度ですけれども。
元がある意味、やっぱり世の中に広まってない、少なくとも日本では広まってない言葉だから、だからこそこの言葉は響かないという面もありますし。
そういうのは全部込み込みで、元の言葉を使っていきたいというところなわけです。
06:03
そうすれば間違ってるということが明確になりますからね。
参照して使う以上は、これがいいと思うんですよ。
修正が効きますから、訂正が入りやすいと、そういうことですね。
で、何を言っているかというと、つまり年末年始に特別やるってことは、何かをやらないってことはあっても、何かをやるってことはあんまりない。
箱根域でも見るぐらいなんだけど、それは良いとしましてですね。
2025年の第9期の3ヶ月チャレンジに向けては、1月に募集をかける、2月スタートですからね。
これもある意味平常運転なんですよ。
そこに年末年始がかかってくるというのであって、毎年こうなるんですね。
3ヶ月ずつ4回やるから、絶対同じ月に始まるんで、中途半端な時期に始めたからこういうことが起こってるんですけど。
つまり2月、5月、8月、11月というスタートになる。
その前の月が募集月になると。
1月、4月、7月、10月。
何かいい感じの月なんですよ。
最後の10月だけ本当に意味がよくわからない月になってますが、他は募集月としてはまあまあ妥当な時期かなと。
1月、4月っていい感じじゃないですか。
7月も人にもよると思うんですけど、まあまあかなと思うんですよね。
10月だけがよく意味がわからん月になってるんですよ。
11月スタートってあんまり世の中物事としてはない。
単なる冬季みたいになって、冬季って感じですね。
はい、それでもう7分経ってるんで、さっさと本題に入りますが、
さっきの話につながっていくだろうという予感を持ちつつ、さっきの話は出てこないかもしれませんが、
今日はですね、パーソナリティ障害にまた話を戻したいんですね。
やっぱり私は3ヶ月チャレンジと言い、ビジネスとメンタルというものが一番重なる部分がここにあるパーソナリティ障害というべきところにあるだろうと。
私は、これは私のものすごく勝手で恣意的なアレですが、
ある意味、なんかこうパーソナリティ障害と言ってしまうと強すぎるので、
その予備軍みたいな状態と発達障害ないしはHSPと言われているようなものも関係があるだろうと。
HSPも進行したり特定の方向に向かうと、やっぱり回避性障害といった辺りに近づいていくんではないかなと素人考えを持っているわけですよ。
で、このパーソナリティ障害はですね、私は愚図の人には訳があるに遡るんですね。
私にとってはお馴染みの本でして、これオススメをしてはいませんから買わないでくださいというのはちょっと営業妨害か。
09:00
買っても買わなくてもいいです。
で、リンダ・サパティンっていう人がどっちが書いてるのか厳密じゃないんだけど、
僕はサパティンなんじゃないかなと思いながら企画をしたのはね、どっちだかわかんないですけど。
とにかくこのパーソナリティ障害というものを彼らは念頭において、
プロクラスティネーション、つまり先送りというものをですね、するビジネスパーソンを6タイプに、性格上6タイプに分けたと。
例えば完璧主義的愚図人間というタイプを持ち出したんだけど、これは強迫性障害の人ですよ。
あるいはもうそのままそのものズバリなんですけど、心配症タイプ、心配症だから先送りしちゃうと。
これは不安性障害だと思います。案内し不安障害。
あるいは反社会性、これはそのままありますからね、反社会性パーソナリティ障害っていうのはあります。
で、回避性もありました。確かあったような気がする。
回避性と心配症が、やっぱりあのね、6タイプにするために、私は彼らをいじったと思ってるんですよね。
もしかすると当時はそもそもこの6タイプだったのかもしれないんだけど、パーソナリティ障害が。
特にアメリカでは、DSMを本当は参照するべきなんですけど、必ずしもDSMだけを参照するべきではない、しなければいけないわけではないし、
彼らはそうじゃないような風を装った面もありますから、
まずその、あと無相化タイプ、これはね万能空想みたいな話なんで、特にどのパーソナリティ障害とは言えないんですけれどね。
でもパーソナリティ障害に非常によく出てくるパターンではある意味自己愛的でもありますね。
ナルシシスティック、ナルシシズムのパーソナリティ障害。
こちらの番組ではナルシシズムというのは、うのぼれが強いぜ、イエイって話じゃないよって話は何回かさせていただいてます。
第一に、あれはナルシスの話ですね、ギリシャ神話のね。
ナルシスは、すごく優れていて美しくて、全く他に対して引いでたい若者って書いてあって、
彼がオレすげーぜって思うのは、うのぼれだろうけど日本人の感覚からすると、
あれじゃないんですよ、なんかもうすごいダメダメでイケてないんだけど、オレすごいぜって思い込んでる勘違い野郎とかじゃないんですよ。
引いれてるんだから、自分で顔を見て惚れ込むほど美しいんだから、
うのぼれてるかもしれないけれども、勘違いしてるわけではないんですよ。
彼は本当にすごいんですよ。
この話はもっと深刻なんですよ。
本当にすごかろうとなんだろうと、あの神聖に入ると人間社会で生きていくのはかなり苦しくなるよという教訓でもあるわけですよね。
というか、人間社会で生きてないんですよ、彼は。
自分の中に埋没していく、最後池に移った自分の姿を見て、そのまま惚れ込んで溺れるんだっけ、衰弱して死んじゃうんだっけ。
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衰弱するってのもすごい、もし衰弱するだったとすればですが、衰弱するってすごい性格ですよね。
まるで何か引きこもりっていうものを、自分の素晴らしさの中に引きこもってる、どこか部屋に引きこもってるとか、家に引きこもってるってわけじゃないですよ。
別に彼は自分恥じてないから、全然恥じる理由ないわけですから。
外に向かって自分を押し出せないって話ではないんだけど、でもすっかり家にこもってしまってる感じはあるじゃないですか。
だって自分で自分を見続けて死んでいくっていう話ですから、そこには自分しかいないんですよね。
空間的な引きこもりではないんですよ、あれは。心理的な引きこもりなんですよ。
すごくしさ的な話ですよね。ギリシャ神話ですから、心理学じゃないですから。心理学というか、フロイトアーのあそこからパクったっていうか、あれを参照にして作った言葉なんですよね。
ナルキッソス症みたいなことを言いたかったんだみたいなことを、慈山直樹さんが書かれてますけど、つまりそういうことなんですよ。
ナルシシズム症っていうのは、日本人はそれを自己愛と訳しちゃうんだけど、そういうことではないんですよね。
我々も本当はナルシス症と呼んどく、ナルシシス症ぐらいに呼んどけばいいんだろうけど、多分それだとギリシャ神話を民間伝承として共有していない日本人には伝わらないので、自己愛にしちゃったんですけど、自己愛だといよいよ伝わらない感じがむしろしますよね。
なんかうぬぼれていて、人を見下していて、結局そういうところはあるんです。出ちゃうんですけど、すごい嫌なやつだから、嫌な目にあいますみたいな話とはちょっと違うんだということですね。
それでまあ、とにかく万能空想に浸っているうちに、物事を先送りにすると。この辺に中核の問題があると思うんだけれども、だってある意味、脅迫性ってそうじゃないですか。
完璧主義って何をやってるかというと、自分の頭の中の完璧な理想の仕事ぶりっていうものにこだわっているから、現実の仕事が一個に進まないって話なわけじゃないですか。
それってつまり、自分の万能空想に浸ってるわけですよ。ナルシシズムの世界にいるわけです。そういう意味では、実はほとんどのパーソナリティ障害系の先送りといったものは、ナルシシズムと思いっきり関係があるわけですね。
で、私がなんでその話をしていて、GOODSの人には訳があるからスタートしたかというと、この私が思うに伝統的なビジネス書における一つの先送りが全部っていうわけじゃないですよ。
ただ先送りというものを考えるにあたって、あのGOODSの人には訳があるわけは大きな影響を与えたと私は信じてるんですね。つまり先送りというのはメンタルの問題であると。
このメンタルの問題というのは人格障害にとても近いところにあるメンタルの問題であると。そしてその人格障害というものを参照にした本はその後続々と私が見る限りね、続々と出版されたんですよ。
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先送りの本は当たるし、私も当てましたし、当てさせていただきましたし、ビジネス書の中で先送り本というのはもう一大ジャンルを形成している。ビジネス書というものだけで1階のフロア、5階のフロアなり6階のフロアなりを全面使っているような大型書店に行くと先送りコーナーというのはそれだけで3棚ぐらいは多い時だったらもう1列、1列というのはなんかこう空間の1列の棚をほぼ先送りが占めるぐらいなのかなと。
というような勢いがあった時にもあったんですよ。で、その中には少なからずこの愚図の人には訳がある、を僕は参考にしたと思ってるんだけども、そうではないと言われる可能性もありますけどね。いずれにしてもパーソナリティ障害のような性格類型みたいなものを扱っている本は山ほど、山ほどと言っていい、少なくとも数多く排出されたわけですよ。
だからその中にはもう脅迫性障害とか、不安障害とか、排斥性とか、間違いなくそれは仕事の先送りに直結するであろう性格の特性というものをピックアップし、あなたはそういう性格だから、この性格に合わせて行動を認知と行動を変えましょうねっていう認知行動両方的な両方がそこで同時にお勧めされていたんですね。
もうそれは、そういうふうにオブラートに包まずドストレートにそれを言い出すようになった本もビジネス書の世界観に出てきました。
つまり人格障害という名称をバシッと使って、ロックタイプとかではなくて、10類型かな、9類型から10類型をそのまま持ち出して、そしてそれをあたかもカウンセリングを受けられるような雰囲気で本の中でね、要するに読むセラピーですよ。
読むセラピーというのを私もKindleで出させてもらって、戸畑海人さんは読むセラピーみたいな漢字の、聞くセラピーかな、読むセラピーみたいな漢字の副題の本、副題だったかなんかの本を出されてましたけど、読むセラピーですよ。
つまり人格障害というものの類型の中で先送りのみならず仕事がうまくいかなくなります。
したがってそれをここでセルフチェックし、セルフカウンセリングして先送りを修正していきましょうと。こういった本は続々と出ました。
最近完全に下火になりましたけれども、一時続々と出ました。そして発達障害の本の中にも必ず先送りについては書いてあります。
そしてこれは自閉スペクトラムって言われればそうなのかもしれませんけれども、私が思うにこの自閉スペクトラムと言われている特徴は、
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発達障害と言わずともパーソナリティ障害のいくつかの類型の中でもまんま説明がつくような気がしてしまうし、
何ならある種の、そうですね、いわゆるIQの問題を扱っているような、いわゆる発達の遅れって言われている方、発達障害というよりは発達の遅れと言われている方にも
近い話はよく当てはまっているように見えなくもないなという気がします。集中力がないとかですね。もう少し長尻とやるべきことを先送りにするといった話ですね。
つまりこれはある意味、メンタルの心理臨床の世界では割とおなじみの現象なんだと思うんですよね。
で、それが起きる理由も、私は認知行動療法は治療のやり方なんで、認知の歪みを修正して行動を正せってわけじゃないですか。
それは未来に向かっていますよね。そしてまさにビジネス書とはそういうものですし、今の世の中の主流ももちろんそういうものです。未来に向かっていく。
私はそういうことをせずに過去に向かっていく。過去に向かいたいわけではないんだけど、結果としてそうなる。なぜならば、何度もこの番組ではお伝えしてますけれども、パーソナリティ障害にはそれだけの理由があると思うんですよ。
その理由は何かっていうと、心の機能というものが、つまり私はこれをビオンに習ってコンテナに例えたい。一番コンテナに例えると分かりやすくなる。
なんでコンテナに例えると分かりやすくなるかというとですね、現実というものの把握力が落ちるからなんですよ。
人間は直接の知覚というものを得意としないんです。もちろん太陽を見て眩しいみたいな、こういう直接知覚はしますよ、人間だってね。
トイレすごい臭いとかね、これは直接知覚ですよね。ほぼ物と物で知覚し合っていて、そこにこれといった象徴機能とかいらないじゃないですか。
眩しいっていうのは言葉に直してるけど、もう見た瞬間に目をつぶる、顔をしかめる、目を手で覆い隠すってことをやるじゃないですか。直接知覚の世界ですよね。
昆虫が触覚をひくひくさせているように、直接外界を知覚して自分の行動を制御する、という直接知覚の世界なんですよ。
本読むって全然違うじゃないですか。本読んで感動して泣いてる人もいるけれども、全然直接何を知覚して泣いてるんだか、他の動物にはまずわからないことをやってますよね。
我々は大抵、象徴世界で生きていて、全然直接知覚をしない生き方をしちゃってるわけですよ。
そのためには心の機能というものがどうしても欠かせないんですよ。
これがないと、物事をまず心に収納してからそれを取り扱うって、心に収納する心ってないわけじゃないですか、別にそんなものは。
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場所があるわけじゃないし。でも心の内と心の外というものはあるわけですよ、人間にとってはね。
それは脳の中じゃないですよね。脳の中に言葉を入れてるわけじゃないでしょう。これは物理的にって意味ですよ。そんなことできないじゃないですか。
脳で処理してるのかもしれないけれども、処理しているのと中に入れるのは違うと思うんですよ。
我々は心の中っていうものが意識されているじゃないですか、大概の人にはね。だから心の外は現実世界ですよ。
心の内に心の世界というものがあるわけですよ。これはもう、こうやって言葉で説明するより他、図で書いたりもできますけど、あの図は全て嘘をつくことになるじゃないですか。
コンテナーとか言ってなんかチューリップみたいなものを書くんだけれども、それはあくまでもコンテナーがそういう形をしてるわけじゃないってのはみんな知ってるわけですよね。
この機能を低下させるんですよ。
万能空想とかに浸ってると。つまりパーソナリティ障害というのは、精神病というのはですね、
この心の機能が低下してしまって、内側と外側がはっきり分けられなくなっていくというところから来る症状だということになってるわけですよね。
主に2つあるわけですよ。本当は3つぐらいあると思うんだけど、主に2つある。1つは基本的に迫害的な精神病ですね。迫害される精神病ですね。
迫害される精神病は、自分が苦しんでいる原因はすべて外側からやってくるんですよ。
人はこれを多席的って言うんだけど、その人にとっては心の内と外がないから多席も減ったくれもないわけですよ。
自席も多席も同じだってことになっていくわけですね。
だから奇妙なことはいくらでも起こるんです。原因がすぐわからないようなことっていっぱいありますから。ありますよね。
例えば何でだかわかんないけど腰が痛いって日はあるじゃないですか。
で、大概の人はそれは自分の身体における何かからやってくるんだろうと。記憶を探る。記憶を探るということは心を探ってるんですよ。
だけど心の内と外に区別がはっきりしない人にしてみると、この腰が痛いのは昨日なのかな。たった今ってことが多いんですよね。
たった今、後ろのモニターによって遠隔操作されて痛みを与えられているからだっていうことが平気でその人の頭の中では成立してしまうわけです。
で、その人は頭が悪いってわけじゃないんですよ。心の内と外がないってことはそういうことになるわけですよ。
外と自分が直結しちゃっているわけですからある意味。直結ってのもおかしいんだけども、つながってはいないんで。
だからこの変な苦しみは、そこにある換気扇からやってきている、流し込まれている電波とかある種の毒、ただしそれは物質的なものではない毒で。
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心理的だっていうのはどこかにあるんで。物質的ではない毒によって自分が苦しめられているからこんなに嫌な思いをしているっていうような。
これ迫害的な気持ちに、今話をすごく端折ったんですけど、ただこの種の話はこういうふうに語られるんで。
今私はどっちかっていうとその人の内面で何が起きているかを説明するよりも、普通に説明されている言葉をまんま喋ってみたんですね。こういうふうに語られるんですよ。
で、多析的でよくわかんない話してるなって思っちゃうんだけど、そういうことではないってことなんですね。
多析的ではないんですよ。自責も多析もないわけです。自打がないんだからほとんど。心の内と心の外がなければ自打なんてないですよ。
自打ってほとんどないので、ここに多析いうのは意味がない。ただ、外から迫害されているっていうのが主な訴えになっているケースは、
どっちかっていうとこういう感じ。もう一つが、全部が自分のせいになっちゃってるというケース。これも心の内と外がないので、外側の事件が全部自分に原因があるっていう。
これがつまり精神病性を打つっていうように時々診断されているやつなんでしょうね。非常に極端になってくると、ガザ地区で人が死んでるのは私のせいだみたいになっていくわけです。
内と外がないっていうのはそういうことになっちゃうわけですよ。もうちょっとマイルドなところでも、私は会社中の人に憎まれているんだけどそれは全て私の責任なんだっていうような話になっていくわけですよ。
内と外がはっきりしないので。だから内と外を分けて、その内と外というもの、内側で何が起きているのは内側で起きていることだけに限定できるとか極限できるとか
いったことが心の機能のとても重要な、おそらく一番重要なものの一つで、この機能を説明するのにコンテナーということは役に立つんですね。
コンテナーというものとコンテンドっていうものをセットに考えると、コンテンドが他といえばコンテーナーが自分ですよね。逆の場合もありますけどね、もちろんね。
逆のことも説明できるし、内と外を分けられるし、2者がそこに関わってくると。だから多席とか剥害ってものも説明できるんで、このモデルは優秀なんですよ。
で、このモデルで人格障害的なものも説明したいわけですよ。パーソナリティ障害、人格障害と言われているものは何をやっているかというと、分けられるのに分けるのをやめようとするっていう障害なんですよ。
分けられるんですよ。彼らは、彼らはというか私もそうだったんだけど、コンテナーは分かってる、持ってるんですよ。これは外で起きてることではないってのは知ってるんですよね。
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だから腰痛になったり肩が痛んだりすると、昨日何々をしたってすぐ思う。決して外から何かひどい光を浴びせられているから今痛くなってるなどとは考えない。
つまり内と外を分けられる能力はしっかり持ってるんだけど、それを都合に合わせて売却し、時と場合によってはそのわざわざ、なんて言うんですかね、わざわざ捨てに行こうとするっていうか、その現実把握力の一つじゃないですか。内と外を分けるというかね。
自分の身体に原因があるのか、戦争は私に原因はないのか、会社の人がみんなが不機嫌なのは不景気だからであって、私に責任がある、ないっていうのはそもそも論じる必要がないというのがスパッと分かるというのは、これは全部無意識でやってるんですよ。
普通はこれを自意識でやってるわけじゃないんですよ。考えればわかるでしょって言った時にすべてに結論が出てるんですよ。だから考えるっていうのは多くの場合アルファ機能がやってくれてるわけですよ。無意識にやってくれてしまうわけですよ。無意識の思考って私が言いたくなってしまうのはアルファ機能と言わずにですね。でもそれだと違う話が始まっちゃうんでアルファ機能と言っておきたい。コンテナーという異常をね。
で、内と外を分けるわけです。そして、だから自然にそれは起こるわけです。その人の中ではね。結論はすでに出ているわけですよ。なんだけど、これが現実というものと生きていく上では時々都合が悪いので、時々これをやめる。そして万能空想というやつを作り出してですね。作ってるんですよ。要するにあれば。
しかもそれを現実だと思い込もうと頑張るというか、それを現実でもあるかのような風を装って、そっちに合うように行動をして現実を修正しようとする。多分これがパーソナリティ障害っていうようなものなんですね。つまり行動の病ってされるのはそういうことなんですよ。行動が自分の空想に使えてしまっているから話がおかしいというか。
他の人から見るとなんだか奇妙な偏りのある行動が多く見えるわけです。例えばそのうちの一つがパーフェクトってやつなんですよ。私のこのパーフェクトな空想は現実に対して優先されるべきであるって思ってしまうわけです。これって分けているのに混ぜてるじゃないですか。
現実じゃないこと知ってるわけですよね。私のパーフェクトな現実というものはすでに今の現実ではないと。だったら今の現実に合わせて動けばいいんだけど嫌だと。今の現実はなっとらんから私のこの理想の素晴らしい現実を実現するために私は行動するよと。この人はすなわちパーフェクショニズムっていうものになった行動になっていくわけですよ。
だから他の人はもうそれでいいですって言ってるのにダメだダメだって言って仕事は辞めずに脳筋がどんどん遅れてでもパーフェクトを目指す。なんかおかしいんだけれどもその人のやってることはさっき言ったような迫害性の分裂病みたいなのではとは違うわけですよ。別に電波がとか毒がとかは言ってないわけですよ。
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そんなに迫害妄想も持ってない。ただなんか変だよねっていうのはあるわけですよ。行動に訴えることによって自分の万能空想みたいなものに使える。万能空想を現実に押し付けようと頑張るわけですね。で、それが例えばパーフェクトっていうものでなくて回避っていう形を取ることもあるわけです。
このパーフェクトやってる人は自信家ですよね、どっちかというと。自信がない人の場合は今度は回避していくわけですよ。自分の万能空想という素晴らしい世界があると。ちょっとタイプ違うんだけど。やっぱりなんか素晴らしい世界があるわけですよ。ここで生きていきたいと。
例えばそこには私との言うことを阿吽の呼吸でやってくれる異性とかがいて、性的にも何的にも絶対自分を傷つけることはない。絶対自分を傷つけることはないんですよ。だからそのような人間はいないので、空想上の異性になっていくわけですね。
空想上の異性とか、空想上の猫と一緒に平和な世界で暮らそうと。でもそれは空想だって知ってるんで、現実の世界はそうではないひどい人とか無神経な人とかずさんな人とかがいて、ひどいこと、ひどいことではないんだけど、とても嫌な感じになっていくと。
そこで完璧主義の人みたいにそれを正していくんじゃなくて、それを全部回避するという格好をとるわけですね。やってることはちょっと変わるんだけど、自分の万能空想に使えて、自分の行動を修正していくという、行動に訴えることで空想を現実化していく方向を目指してる点では同じなんですよね。
だけどこれは空想と現実の区別は決してついてないわけではないんで、ついてるので、なるべくこの万能空想に合うように現実界を変えていくために、例えばVRの力を借りるとか、買い物は絶対Amazonで済ますとか、だから回避性と言いながら、実は回避性の人はお金をふんだんに貯めなければならず、そういうところに葛藤が生じるわけです。
だってお金をふんだんに稼ぐためには、現実世界に出てかなきゃいけないじゃないですか。回避ばっかりしていたらお金なくなっていきますから、お金を手に入れなければならないので、万能空想のために、実現のためにはたくさんのお金がいると。そうすると回避ばっかりしてらんないんだけど、回避しながらお金を稼ぐ方法はないだろうか。
例えばデイトレードっていう発想が、しかもたくさん儲けられるって可能性があったりするわけですよ。あるいはちょっと危ないやり方だと炎上商法みたいな、炎上商法って傷つくから、できればですね、やっぱり傷つかないブログで稼ぐみたいな、寝てる間にもお金がゲットできる。
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回避性っていう人が、修繕度と全然違うんだけれども、ものすごく物欲志向的に見えてくるのは、そういうところから来るんだろうと思うんですね。そしてここには、最近時々人格障害では、平発みたいな感じで、僕はいうふうに書くのは非常に話をまた難しくするなと思うんですけど、愛着障害みたいなのもありますみたいな話もあって、そりゃそうなんですよね。
ここで言ってる例えば、絶対自分を傷つけない異性っていうのは、私にとっての良いお母さんってやつですよね。良いおっぱいですよ。良いおっぱいと悪いおっぱいを除去した良いおっぱいだけのお母さん。つまり異性と言っているようで、それは家族なんですよね。しかも家族の理想的な部分だけを抽象化して抽出した存在なんで、現実には存在しないんですよ。抽象的で空想的な存在なんですね。
簡単に言うと、自分の親の悪いところを全部削り落として、良いところだけを強調して作り出した別人格って感じですね。それは運命の人って表現されたりもするんだけど、運命の人というよりは空想上の人なわけですね。
こういうふうにいろんなパターンが現れるわけです。回避性とか不安症とか脅迫性とか、あるいは自己愛性といったところはすごく似てくる。これの組み合わせみたいな感じになります。
私が3ヶ月チャレンジでまず意識するのはこのモデルなんです。モデルですよ。こういう人たちって意味じゃないし、これらのアセスメントをするってわけじゃないんだけど、コンテナーの機能を持っていて、自他の区別はついていて、空想と現実というものもはっきり分かれているんだけど、何か万能空想を持つ。これは多くいらっしゃいますよ。今の時代。
何に万能空想を持つかというと、さっき言ったような万能の素晴らしい世界というものを作り出す。そのために必要なものもまた万能空想的にものすごく万能に使えるもの。それはつまりお金ですね。お金が万能的であるというふうに考えるようになるわけです。
この空想上の空想を現実化するためには莫大な金がいるんで、そして金さえあればこれができるし、それによって全人生は好転するであろうと考えるようになるわけですよ。ここで一つの重要なコンテナーの2つですね。少なくとも2つの機能をとても弱めている。
一つは現実と空想の区別をわざわざつけられないように自分を持っていって、VRというものの力を借りるということはそこに見もしない異性の見もしない綺麗なおっぱいが目の前に触れるような感じがする。将来はそうなるでしょうね。
これ男性だけが望んでいることじゃないですもんね。女性も望んでいる。私はこれは母親、やっぱり理想の母親像ってことだと思うんだけれども、視覚的になったり聴覚的になったりするっていう部分も強化されていく。もともとあらゆる映画とかで強化されているんですよね。これはね。だから強化されていくでしょう。
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そうすると現実と空想の区別をつける能力というものは、場合によっては低ければ低いほどいいわけですよ。高ければ高いほどいい時もあるんだけど低ければ低い時もいい。つまり都合に合わせて低下させる。これが現実把握力を一つ弱めますよね。で、もう一つ弱めるのが持ちこたえる力ってやつですよ。
現実というものはひどいコンテンツがやってくる。コンテンツは入れ物ですね。いい入れ物ばっかりやってくるんだったら、そもそも万能空想なんていらないわけで、嫌な入れ物がやってくる。コンテナーである私のその入れ物の容器の内側をないしは内側を傷つけるだけではなく、そもそも破壊的に振る舞うような悪い異性とか悪いおっぱいですね。悪い母親とか悪い上司とかそういう悪い連絡がある。
まあこれ迫害妄想に近づくんですけれども、そういう悪い連中がいるものに対してコンテナーで一旦受け入れて持ちこたえるというか、そこで壊れないように頑張る力みたいなものもコンテナーはあるんだけど、母親はあの赤ちゃんがものすごい眠い時に泣いてもそれによって迫強的に怒り出したりはしないし、赤ちゃんがうんちしてもなんで私がこれの世話をしなければならないんだって。
思わずにお父さんでもいいんですよ別にこれは。母親というのは象徴的な言葉なんで。別にこれがベビーシッターでもいいんですよ。ベビーシッターの人がそのことによって激怒していたら仕事にならないじゃないですか。つまり持ちこたえる力というのがあるわけですよ。別にうんちを見て喜んでるわけじゃないんですよ。
でも持ちこたえる力というのも低下させますよね。だって万能空想の世界に生きられるなら、現実の嫌な部分持ちこたえる理由がないじゃないですか。
特にこの回避ってのはそれを意味しますよね。回避するというのは現実が嫌だってことですよ。だから回避するわけですよね。現実を避けると。
あの花瓶だという理由によって避けると。繊細さんみたいな話もあれば、えーと集中できないんだという理由によって現実に対応するのを避けるっていうやり方もあります。
いろんなやり方があるんだけれども、いずれにしてもこれは持ちこたえる力というのは低下させますよね。持ちこたえる力と現実と空想を分ける力というものを低下させる。
これが二大コンテナー力なんで、二大コンテナー力の力を共に弱める。これをやると何が起きるかというと心の力が弱っていくんではないかというふうに私は仮説として持ってるわけですよ。
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でもそれはその人が悪いわけじゃないというのが僕のもう一個の仮説なんですよ。つまり心のコンテナーの機能と力というものは原則まず生み落とされた瞬間から母親が強化していくしかないものなんですね。
ほとんどの場合、すぐに育ての親が変わるという肯定とかだったらちょっと違うと思うんだけど、ウバみたいなね。
普通の人はそういう人はいないんで多くの場合、まあお母さんになるよなと。だからこのお母さんがまず教える、現実と空想を分ける力というものと現実の苦しみに持ちこたえる力。
非常に簡単に言うとですね、裸だと寒いみたいのに大丈夫大丈夫って言ってくるんであげる。この間赤ちゃんを持ちこたえなきゃならないです。
くるまれるのは一瞬じゃ済まないんで。5秒だとしても5秒はかかるじゃないですか。5秒間持ちこたえなきゃならないですよね。
持ちこたえていれば事態は好転するっていうのを信じられるようになる力がいるんですよ。
5秒でもない時によっては1分ぐらいは持ちこたえていれば大丈夫にならせてもらえるっていうこれを信じられるようになる必要が、僕が生後10日ぐらいまでにはある程度は備わるだろう。
これを怠られると持ちこたえる力じゃないものが育っちゃうわけですよ。
例えば諦める力みたいな。赤ちゃんがですからね。こうならない方がやっぱりいいわけだと私は思うんですよね。
だからその人の責任じゃないと僕は思うんですよ。持ちこたえる力が足りないとかそういったことはですね。お金があるないなんて全然関係ないと僕なんか今は思うんですよね。
そりゃ貧困家庭の方が持ちこたえる力が強そうな気がみんなしちゃうと思うんだけど、そんなことはないって私は思うんですよね。
むしろ生後10日における持ちこたえる力は物質的に恵まれているか否かというよりはやっぱり世話を受けているかどうかによるところがずっと大きいと思うんですよ。
そこにあんまり金持ち貧乏というところじゃないよなって感じがする。だって全然お世話をしてもらえなかったお金がある家で育った人って今普通にいっぱいいますからね。
持ちこたえる力というものはその時持ちこたえたからという。自分持ちこたえているという自覚はないわけですから。
しかも持ちこたえておけば結果良くなるという保証もないわけですから。普通は良くなりますけどね持ちこたえていればね。
そういうことなんですよ。この力をアルファ機能も含めて象徴的に自分の置かれている状況を説明する力というものもいるわけです。
これも万能空想が使うと妨げになってしまう。今私にとって必要なのは例えばこの仕事を完璧に仕上げるということではなくて、
脳機に間に合わせること。これは現実からの要請です。
チキリンさんの本のタイトルじゃないんですけど自分の頭で考えるってことなんですよ。
でもこれは私は自分の頭で考えるのではなく無意識の思考によって考えるのであって、無意識の思考で考えるときには決まって他者の頭と自分の頭の融合形態のようなものによって考える。
42:14
だって脳機が迫ってるってのは自分の頭だけで考えるべきことじゃないじゃないですか。脳機決めたの自分じゃないんだから。
だいたいこういうことってみんなそうなんですよ。これを万能空想に走るというときこそまさに自分の頭だけで思考しちゃっているときに起こることなんですよ。
脳機なんか知らん。これは完璧に仕上げなければならんって。
それってなぜか自分の頭で考えちゃってるじゃないですか。
しかも自分の頭だけで作り上げた世界の中で自分の頭の中だけの結論を他者が考えた世界に押し付けようと頑張ってるわけですよ。
これをですね私は原則避けるべきであると思うんですよね。私たちはこれをやりがちなんですよ。
自分のコンテナーの力が弱れば弱るほどこうなりがちなんですよ。
気がつくと例えば不安で不安障害とか不安と脅迫性が混ざったような感じになるとあれなんですよ。
自分が炎上して何か間違ったことを言うと悪寒が家にやってきてどこか住所を調べ上げて今の時代ですからね。
呐りつけられたり場合によっては切りつけられたりするんではないかみたいな。
完全に万能空想が暴走し始めてるじゃないですか。
何かを他人と一緒に考えてないですよね。
ひたすら自分の思考と夢の世界自分だけの夢の世界の中で起きている最悪の現実というものこれはつまり空想界なんですよね。
現実と空想を分けられてこの人はそれが万が一にもっていう表現を使うことによって空想であるってことは知っているっていうのを踏まえつつも現実にそれを押し付けようとするわけですよ。
現実にそのようなことが起きてはいないし起きる兆候も予兆もないんだけどいやそれでもそういうことが起きては困るので私はそれに対して予防線を張るべきなんだっていうのはこれがまあ不安障害的な感じもするし脅迫性障害的な感じもするんだけれどもいずれでなかったとしてもそういうことをやり始めてはいますよ。
明らかにそれは思考というものをすっ飛ばそうとしている。他の人と一緒に考えるべきなんですよ。なぜならば交差点ってのがやっぱり僕どうしても信号と交差点なんだけどあれこそまさに人間社会ってもんだと思うんですよね。
空想の共有をしているんで他は止まってくれるだろうっていうことが信じられなければ交差点なんて渡れないんでね。そういうふうにみんなの夢が共有されているっていうのが我々の現実把握の仕方なんですよ。
これでいや万が一止まってくれなかったら最悪のことを考えて渡るべきだってことをやっていたら多分その人は交差点等分渡ることはできなくなる。都内ではもう全然道歩くことも本当はできないはずなんですよ。だからそんなことはしてないんですよね。本当は常に私は最悪の事態を想定しているとおっしゃる方いらっしゃいますけど大体それは真実ではないと思うんですよ。
45:20
だって常に想定してるんだあんなにビルでいっぱいのところを歩いてたら上から人降ってくるかもしれないじゃないですか。そういうニュースって時々全くないわけじゃないですよね。上からクレーン車が降り落ちてくるかもしれないし、それって回避できないですよ。
もう歩いてる瞬間に一定の範囲内から走っても間に合わないし落ちてきているんだったらですよ。ということはずっと上見て歩いてなきゃいけないはずだし、そもそも歩道を歩いちゃまずいだろうっていう渋谷とかだったらね、多分そういうことになると思うんですよ。
で、それを言うんだったら家にいてもダメですよね。だって直下型地震とか常に最悪を想定するんだったら僕はダメだと思うんですよ。日本に住んでるだけでも怪しいもんだと思うんですよ。そうはやってないと思うんですよね、人はね。
つまりそうやってないということは、やっぱり都合のいい時だけ空想を持ち出してきて、都合のいい時だけ現実原則にのっとるということをやっている。そしてそれをやるたびにですね、僕らは現実と空想というものを分けるという力を見失って、そして空想を持ちこたえる。
つまり直下型地震が来たら仮設住宅で持ちこたえるとか、これは持ちこたえるわけですよ。持ちこたえるという力も少しずつ失って、代わりに万能的に使えるもの、つまりお金なんだけど、というものを検討する。私がもう一つ万能的に使えるものだなと思うのがですね、愛を捨てるってことだと思うんですよね。
だって人と一緒に暮らしたいとか、好きな人と何かをしていたいっていうのは、必ず愛ってものがそこに介在しちゃうじゃないですか。いざとなったら他の人が亡くなって、あるいはすごく苦しい思いをしている時でも外国に逃げられるっていうのは、やっぱりその万能空想的に生きていくっていう上ではなかなか重要な力だと思うんですよ。
だから愛を捨てられるってことと、しこたま稼げるっていう、一生困らないだけ稼げるっていうのが、まさに万能空想そのものであって、持ちこたえる力っていうものに頼らないと、使わないといったやり方だと思うんですよね。
で、もう一つが他の人との象徴機能を使って夢を共有しないってことですよ。人を信用しないってことですよね。もしかするとこいつらは赤信号でも平気でぶっぱなしてやってくるかもしれないって思うと、交差点で車がないタイミングのみで青信号でも渡るっていうことをしなきゃなんなくなるはずなんですよ。そうじゃないってならどっかで信じてるってことになるわけですよね。
だってこれ運転してるのが、それもよく言う話ですが、ボノボチンパンジーだったらすごい頭が良くて間違いなく赤だ、止まらなきゃいけないってことも学習したってことができたとしても止まらない可能性は大いにありますよね。
48:08
象徴機能を機能しない心ってのは心ではないのかもしれない。そういうことになるわけですよ。だから象徴機能を機能させて現実と空想を分けて万能空想の世界を現実に押し付けないようにして他の人と夢を共有して現実原則に乗っ取って嫌なことに持ちこたえるっていうことをやるための力というものを少なくとも現実る方向を、
取った時にはその後でそれをUターンさせるという習慣を身につけるっていうのをやっていかないと、仕事の作業プリっていうようなものはなくならないだろうなと思うんですよ。
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