1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 152 目に見えない話がタブーに..

今日は、とある事件によって考えさせられた「目に見えない形而上の話がしにくくなることの弊害」について話しています。番組でお知らせした「いまここのボイストレーニング」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes20230805.peatix.com

サマリー

8月は私の誕生月ですが、目に見えない話の扱いがタブーになっていると感じます。これが続くと、人々は本来の価値や生きる意味について共有できなくなるのではないかと思います。目に見えない話がタブーになると、貴重な知恵が共有されなくなると考えています。

目次

60歳の誕生日
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま8月2日水曜日の午前2時55分ですね。 もう8月になりましたね。実は8月はですね、私の誕生日月でありまして、
あと半月ほどするとですね、もう一つ年を取ることになります。 昨年の今月ですね、去年実は官暦を迎えましてね、今私はちょうど60歳なんですね。
当時はですね、60歳になったばっかりの頃はさすがにちょっとね、まあ衝撃というか、あまり正直ね、いい気持ちはしなかったんですね。60歳かというね、別に大した意味はないんですけどもね。
でももう1年経って、ここからもう年を取ることに関してはですね、とてもなんていうのかな、もうあっさりしたもんで、もういいんじゃねっていう、そんな感じがしていますね。
だから何かこう、誕生日をどの頃にするというかね、期待して待つという感覚もなければ嫌だなと思う、そういう感覚もなくね、まあ淡々と、そっか私はこの月に、この日に生まれたんだなという、そのぐらいの感じになりましたかね。
1年経ってね。なかなかやっぱりこの10の桁がね、やっぱ上がるっていうのは、30、40、50、60っていうのはね、それぞれにこう、その年ごとにね、なんか私の中ではぐっと来るものがあったんですが、そういうものがもうなくなったなという、そんな感じがしますね。
ちょっとまだ70になってみないとわかりませんけどね。うん。で、今日はですね、ちょっと久々にですね、あの気になるニュースというかな、気になる事件がありましてね。
実は私はあまりこのブログとか、まあこのポッドキャストはも当然そうなんですけども、これまでもですね、まあ多分一度もこの時事ネタというのをね、取り上げたことがないんですね。うん。で、あのそうですね、グッドバイブスの本を出した当時ぐらいかな、2019年とか20年ぐらいのあたりに。
とあるね、ウェブメディアの方から、この時事ネタをね、グッドバイブスで切ってくれないかみたいな依頼もあったんですよね。これはそのグッドバイブス的に見るとどうなんだみたいなね。ずいぶん迷ったんですけどね。ちょっと私はお断りしたんですね。その話はね。
うん。なんていうのかな。この時事ネタというかね、そのニュースとか事件を見てそれぞれの人がどう思うかっていうのは、まさにね、いつもこの番組で言ってるように判断解釈意味付けの世界なんですね。これは良い悪いは別として、もうそうするしかない世界だと僕は思っています。まあ要は様々な意見があるわけですよ。で、これはもう本当に僕のね、個人的な所感なんだけども。
この一体他のメディアね、ブログもそうだし、このポッドキャストもそうなんだけど、それからウェブコンテンツとしてね、それを連載するような形もそうなんですけど。この一体他のメディアでね、この発信者の所感を一方的にこう述べられるというかね、意見を述べられるとどうもこの見てる方、読んでる方はですね、読者オーディエンスは反論できないわけですよ。その場で黙って聞いてなくてはいけないんで。
これはまあ前回お話ししたそのイライラするというかね、まさにこの攻撃されてる感じがしますよね。だからなんかそのようなこの感覚をまあ共感してくださる方も多くいると思うんですが、いや反論できずになんかイライラするみたいな人がね、この僕の発信した先にいらっしゃるかと思うとどうもなんていうのかなこう不毛な感じがするんですね。不毛だなというそんな感じがするんですよ。
まあだからこそこれをやるとね話題になったりね、まああえてそのこの何つうかな異論反論がね噴出することによって話題になって、それでまあちょっとこうアクセスが増えるとかね、グッドバイブスの知名度が上がるとかいうことにつながるのかもしれないんですけどもね。だからこそそうなるのかもしれないんだけど、なんとなく私はこれショーに合わないんですよね。
まあビビってるっていうのもなくはないんですけどもね、やっぱなんか不毛な感じがするんですね。なんかこう役に立ててる感じがしないというかね、そこをねあえて取り上げなくてもね、もっと穏やかな伝え方があるんじゃないかなっていうふうに、まあどうしてもねそんなふうに考えてしまうんで。
ワントレとか書き上げ塾の講義とか少人数なんですけどもね、その場でこの私が何かを発言したそれに対してね意見を交わせる場であればそういう話はね結構してるんですけどもね。時事ネタみたいなことはそういうお話はよくするんだけど、やっぱりこの一体化のねメディアではちょっとやらないかなとこれからもやらないだろうなというそんな感じがするんですね。
ただちょっとね今回の話はまた別の意味でちょっとですね私は考えさせることがいくつかあったのでね、あえてちょっとここでお話しするんですけども、要はまあ昨日ですねえっと昨日その前からちょっと覚えてないんですがあるある程度その大きな話題になった事件の裁判が行われたんですね。
そしてその被告の男性がねえっと犯行理由を語ったんですけども、その中にですね、まあ要はここもねあえてそのどういう事件でどういう話だったかっていうのはね詳しくはあのあえて言わないんですけども、様々なこのきつい出来事にねこの遭遇していたとそのうちにこの自分には存在する価値も生きる価値もないっていうかね生きる意味もないっていう風に思ったんだっていうこれがまあ一つのね。
まあ犯行の動機だったっていうことだったんですけども、こういう言葉があったんですね。自分には存在する価値も生きる意味もないと言ったねこういう言葉でまあこれを聞いてですねまあ僕らの多くはですよそのまあ仮にねこの方と同じようなその状況に追い込まれたとしても多分その他の人にね多大な迷惑をかけるような行動はしないと思うんですね。
だからまあ僕らはこうして暮らしていられるんだけどもそのような行動はしないと思うんですね。犯罪行為というかね。でもよく考えてみるとこの事件のきっかけになったと言われているねこの自分の価値これについての見方はどうだろうっていうねこの問いを立てた時に私はすぐにですね僕は自分の人生を振り返ってみて多分何度となくこの存在する価値も生きる意味もゼロに近いなと感じたことがあるんですね。
そして当然今ねこのグッドバイブスを書き終えてこういう話をこういう活動をしているこの私としてはですねこれは完全に大きな誤解だなっていうふうにはわかっているんですね。
わかっているんだけども油断するともしかしたら僕はねまたこのようなことを考えてしまうかもしれないとだから改めてねいつもこの番組でお話ししていることなんですけども生まれながらに手にした私の価値はねこれは他の人と同じく何があっても変わることはないっていうことをねやっぱり自分に言い聞かせたわけですね。
そしてさらにですよこの価値私の価値というのはどういう価値かっていうここの部分もしっかりと思い直してねこの生まれながらに手にした私の価値というのは仕事や競技やね例えば結婚そういったものの人が作った仕組みの結果とは何の関係もないということねまずこれが1点。
そして2点目はこの価値はですね自分自身が私に下す評価もしくは他の人が私に下す評価これとも何の関係もないというねこの2つがとても重要なんですね。
じゃあ何かというとこの価値とはですね僕らを想像した作ったってことですねクリエーション僕らを想像した宇宙の真羅万象からのギフトなんですよねそして絶対に不変の真理であるということここをですね私はしっかりとこの確認し直しましたね。
この報道を聞いたときにねこれは変わらないと絶対に変わらないとここが重要なんですね何があっても変わらないなぜならばこれは真理だからです絶対に不変の真理だからです。
もう一発これに加えて自分の価値をどう見るかはね他の人の価値をどう見るかと完全に等しい。反対もそのままですね他の人の価値をどう見るかと僕の価値をどう見るかは完全に等しいっていうこの法則を忘れないようにしようということも心に刻みましたね。
つまり自分に価値がないと感じた瞬間に僕らは他の人のね他の人の価値もそのように見てしまうんですね。自分に価値がないなと思った。つまりこのように他の人を見るので他の人も自分と同じように価値がないというふうに見えてしまう。だから簡単に傷つけても構わないと感じてしまうんですね。
見えない価値の考え方
だからここではねそのように自分で認識をし直しながら本当に微力ですけどもねもっと多くの方がこの本来の価値というね私が言うところの本来の価値これを確信できるように努力したいなというかねもっと精進したいなともっといろいろ活動していきたいなというふうに思ったわけですね。
これが一つ考えさせられたこと。そしてこれに続いてもう一つ改めてこの目に見えない話の扱いというのについて随分と深く考えさせられたんですね。
要は僕らはね多分2つの価値を意識しながら暮らしていると思うんですね。少なくともね。一つは先に挙げたこの1番と2番というふうに挙げたこの人が作った仕組みの結果や成績これによって証明される価値ですね。
こちらはですね多くの場合その客観で判断できることが重要だから数値とか順位が根拠になるわけです。数値の中にはお金とかそういうものも入ってますよね。
それから結構外資系の厳しい職場であればここに10ランクのランク付けがついてるような感じもある。今10の何とかね10のAとか10のBとか5のCだとかっていうことがきっちりと分けられてるっていうこれがその僕らが認識している一つ目の価値ですね。
人が作った仕組みの結果成績これがその客観としてのね証明になるまさに証拠かなエビデンスですね。これが証明する価値これが一つ目ですね。そして2つ目これはなかなかもしかしたら自覚してないかもしれないんですが先ほど私が言ったように宇宙の死んだ場所からギフトされた絶対普遍の生まれながらにして他の人と完全に等しい価値ですね。
こちらは残念ながら目に見えないんですね。
科学でも証明できないしそれがどんな価値かをこの数値とか数式で表すこともできないわけでそういう類のものねつまり目に見えないものこれがどんどん基本ないものとされる傾向が強まってる感じがしたんですね。
この報道を耳にしてからですね。
目に見えないものそういうものは基本ないことにしておこうよっていうこの傾向が本当に強まってるんじゃないかと。
これは要はですね。
まあ刑事課と刑事状というふうに表すこともできますね。
刑事課というのは語幹で捉えられる形のあるものですね。
簡単に言うとですよ。
もうちょっといろいろ難しい定義もあると思うんだけど今日のお話具体であればこのぐらいの定義でいいと思います。
刑事課というのは語幹で捉えられる形のあるもの。
そして刑事状というのはその反対ですね。
語幹では捉えられない形のないものですね。
この刑事状の方ですよ。
こちらがですね。
本当にこうなんていうのかなないものにされているというかね。
多くのコンセンサス、僕らのコンセンサスによってここは基本的にもうあんまり扱わないようにしようというそういう感じかな。
理由は分かるんですよね。
これも多くの方がおそらく認識されていると思うんだけども。
この目に見えない話、一般に言うこの怪しいとされている話ね。
これにまつわる事件が数々ありましたよね。
これは日本だけではなくて世界各国でいつの時代も起こるんですけどもね。
この目に見えない話にまつわる悲惨な事件というのかな。
そして我が国でもですね。
これが国の統治に使われたことがありましたよね。
そういう時代がありました。
だから僕らはこれがそれほど遠い過去ではない。
割と最近そのような経験をしているので。
一種のアレルギーというかね。
拒否反応のようなものがやっぱり社会のコンセンサスになっている感じがするんですね。
なっている感じというかなってますよね。
おそらくね。
でも多分このまま行くとですね。
このメディアとかSNSでこの手の話は多分どんどん誤発とになる感じがします。
そして誰もね。
この生まれながらに価値マックスといった話ができなくなるんじゃないかなと思うんですね。
証拠がありませんからね。
そんな思い込みじゃんと。
そんなことに逃げてからこの結果が出せないんだよ。
みたいな話に多分なっていくんでしょうね。
しかもこれはね。
ちょっと年寄りじみた話になりますが。
昭和の時代というかな。
僕らが子供の頃。
そして20代ぐらいまでかな。
本当にいろんな分野の人がテレビに出ていたんですよ。
そういう意味ではね。
怪しい輩みたいなのもたくさんいたんだと思うんだけど。
ここが随分変わりましたよね。
随分とこのコンプライアンスみたいなものがあって。
とてもお行儀がいいというかね。
ちゃんとするようになった。
だから今はね。
もう多くの方が目撃されているように。
テレビでそのコメントを述べる。
いわゆるコメンテーターと言われる方々がね。
出演されるんですけども。
これはもうほぼ100%ね。
大学の教授とか。
もしくはシンクタンクと言われるね。
そういう組織の専門家みたいな。
そういう方々に限られていますよね。
これは要はですね。
刑事課の話しかしちゃダメよっていうね。
貴重な知恵の共有
多分暗黙の了解なんじゃないかなと思うんですね。
でおそらく先ほども言いましたけども。
この傾向はどんどん強まるでしょうね。
そして誰もこのメディアとかね。
SNSは微妙ですけどもね。
表だってというのかな。
これは要はですね。
この人にこの話をしてほしいというような人が。
誰も刑事上の話をしなくなるという。
そういう意味ね。
もう刑事上しかしないよみたいな人ではなくてね。
この人にこういう話してほしいよねっていう人でも。
もうできなくなってしまうということ。
これはどういうことかというと。
僕はですね。
ものすごく貴重な知恵みたいなものが。
その個人の心に秘められたままになってしまうんじゃないかという風に見ているわけです。
これはもう僕の経験からそのようにね。
強く感じるのね。
なぜかというと。
私はそのこの番組でもずっと以前からずっとお話しているように。
32歳からね。
IT雑誌の編集者になりましてね。
約8年ぐらい。
勤めたんですけども。
後半のそうですね。
3年目ぐらいからは編集長として。
この雑誌に携わっていたんですね。
そうするとテーマがITなんですけども。
もうそうですね。
名立たるそのIT関連の経営者の方とは。
ほぼ何らかの形で必ずお話をしたことがあるんですよ。
でその形というのは2種類あってですね。
一つは正式なインタビューね。
取材としてのその会話ですね。
でもう一つがそれが終わった後に。
一緒にお食事をしたりね。
もしくはその取材とかそういうインタビューは関係ない。
その別の日にね。
お食事に招いていただいたりとか。
それからそうですね。
そういうようなそのITの経営者の方たち。
もしくは役員クラスの人たちが集まるイベントの。
僕はファシリテーションみたいなこともよくやっていたんで。
そのイベントが終わった後の打ち上げとかでね。
大きな宴会場でいろんな方とその会話を交わすという。
そういう機会が多々あったわけです。
一方のこのインタビュー取材の方では。
ほぼほぼというか経営上の話は絶対に出てきません。
これはまずいですからね。
その経営者としてももちろんそのテーマがね。
そういう話にならないようになってますからね。
新サービスの話であったり。
インターネットの未来であったりね。
テクノロジーの話だったりっていうところに特化しますから。
まずこの経営事情の話。
目に見えない話というのは絶対に出てこない。
ところがですね。
このオフラインになった時ですよ。
プライベートなそのお食事とかね。
お家に遊びに行ったみたいなこともありましたね。
まぬかれて。
まぬかれてか。
確かその方も官力のパーティーだったんですよね。
そこに当時私は30代後半ぐらいかな。
そのぐらいで行ったんですけども。
そういう世紀ではですね。
この経営事情の話。
目に見えない話が山ほど出てくるんですよ。
もう名だたるその実績を残した人たちがね。
多いのはやっぱり直感の話だったかなと思いますね。
直感は間違わないんだよ。
倉澤くんっていうこういう話。
みんなねこういうITの時代になってくると。
インターネットの時代になってくると。
必死になって情報集めるよねと。
集めれば集めるほど間違うんだよ。
っていうような話をよくされましたね。
それぞれの方によってこの直感の解釈というのがね。
それぞれ面白かったんですけどもね。
要は直感とは何かっていう。
この話も面白かったんだけども。
これを割と刑事誌化に置き換えて話す方もいらっしゃいましたね。
これはね実は理屈が通ってるんだよみたいなね。
僕らが経験したことが熟成されていて。
これが直感みたいな形で出てくるんだという方もいらっしゃったし。
もっとぶっ飛んだ方もいらっしゃいましたね。
直感というのは僕らの中にまだないアイディアが出てくるんだよっていうね。
だから考えちゃダメなんだみたいなことをね。
まさにそのGood Vibesでよくするようなお話を直に聞いたこともありますね。
考えるというのはその過去に自分が経験したそのデータベースからしか答えを引き出せないと。
直感はそれを超えてるんだよね。
どうしてだと思うみたいなね。
で何ですかっていうと、
その人なりの目に見えない世界の話を楽しくしてくれるっていう方も多くいました。
それから運とか月とかね、流れみたいなことを結構思い知ってる方も少なくなくてね。
なおかつそれぞれ皆さんね、月を良くする方法とかね。
運気を高める方法。
もしくはこの良い流れに乗る方法みたいな。
それぞれ独自のノウハウみたいなものをお持ちでね。
それについてもいろいろ面白おかしく話してくれましたね。
確かある方はね、言霊というのが大事だよ。
倉澤くんとかって言っててね。
要は言葉ですね。
良い響きをする言葉とね、そうでない言葉があると。
例えば幸せとかありがとうとかね。
感謝しますとかってそういう。
要はこの番組でもよく言うこの愛から派生される言葉というのかな。
これはやはり言霊がものすごく良いと言われてるわけね。
こういう言葉を発していればいるほど運は上がっていくんだよっていうような持論をお持ちの方もいらっしゃいました。
反対にだからね、つまんねーなとかね。
ダメじゃんそれとか失敗するぞみたいなことを言っていればいるほど流れが悪くなるというね。
全くその刑事課の根拠はどこにもない。
目に見えない刑事上真っ直ぐな話ですよね。
こういうことを本気で言うんですよ。
これが面白い。
そしてそれを実際のビジネスの中で実践されてるんですね。
で、面白いことに成功もされてると。
こういう人たちがもしですよ、この今の時代にね。
いやいやこの手の話はもうやばいから。
口をつぐんでしまったらどうなるかってことですよ。
もう全くこの手のやつは何ですか。
秘儀みたいになりますよね。
秘密の話というかね。
もうその側近とかそのぐらいしかその手の話はね伝えきけないというか。
それがね本当に信憑性があるかどうかっていうのも大きな問題だと思うんですが。
中にあるかもしれないわけですよ。
そして僕が聞いた感じではね少なくなかったんですね。
そういうようなことを言ってる方はね。
一人二人とかだったらそういう人が特別なんだなと思うんですが。
結構やっぱりこの大変なんですよね。
やっぱり経営っていうのはね。
僕も自分でやったことはないんだけども。
それこそみんな皆さんですね。
身を切るような思いその命を削ってやっているわけ。
そういう人たちが本気で信じているノウハウっていうのが。
このたまたまね目に見えない方に経営事情の方に分類されている。
そしてそれをですねポロッと口に出そうものなら。
なんだこいつやばい奴じゃんみたいなことで叩かれるとしたらね。
もうその情報として発信する意味が全くないですよね。
本当に無用な議論に巻き込まれるだけで。
何が嬉しくてそんな議論にね。
わざわざこの自分で勝手でなくちゃいけないんだっていうことになって。
多くの人はこれを静かに心の中に秘めて。
そしてそれをものすごく信頼してね。
大事にしながらそれを活用していくでしょうね。
目に見えない話の封印
こういうものの中にもしですね私がお話しているような価値マックスといったものだったり。
それから愛そのものであるといったものだったりね。
これがもしさっきの言霊とイコールであればね。
こういうものが完全に封印されていくわけですよね。
だって自分でねこれは真理で。
そしてこれはうまくいくとそれを知っていればね。
わざわざその炎上覚悟で危険を犯してシェアする必要はなくなりますよね。
だから僕は久しぶりにねこのことについてすごく考えさせられたんですね。
本当にこのままでいいのかなというそういう感じ。
そんなことをね考えていた時にですね。
ふとねあるとある本を思い浮かべたんですね。
この本というのが実は書き上げ塾のね。
私がやっている書き上げ塾の第一期生の稲葉君という方が書いた本なんですね。
これは確か書き上げ塾の本としては最初に出版されたと思うんですが。
国会というゲームのルールという本なんですね。国会というゲームのルール。
これはなんとですねもう発売から3年経っているんですが。
3年次必ず何冊か売れるロングセラーなんですよ。
タイトルがいいのかねと思うんですけどもね。
おそらくタイトルがキャッチだったと思うんですよ。
国会というゲームのルールというかね。
そしてジャンルとして国会という多くの人が興味を持つジャンルでもあるので。
それで売れていると思うんですが。
この内容がねとても面白いんですね。
要はこの稲葉君という方は昔から政治に興味があって政治ブログのようなことをやってたんですね。
今国会で何をやってるかみたいなレポートと、
それから自分のちょっとした意見みたいなそういうものをブログにあげてたんだけども。
要は彼の中に一つの願いがあって。
もっとみんな政治の話を軽い気持ちでできないだろうかっていうね。
ここが出発点なんですよ。
でもやっぱりこれもねさっきのその刑事上の話と同じように。
どうしてもこのイデオルギーが対立したりね。
それからその批記の正当が異なったりするとちょっとこの嫌な感じの言い争いになったりするケースが想定されますよね。
そうするとやっぱりねよほどのことがない限りこの飲み会とかね。
友達の席、友達が集まる席とかでこの政治の話をポッと切り出すのってのは勇気がいるんですよね。
そこで稲葉君は考えたわけです。
これをゲームのように見ることができないかと。
で実はその国会というのはね細かくルールが決まっていて何日目にこういう審議をして何日目にその決意を取る採決を取るとかね。
委員会を開くとかっていうその日程みたいなものとかその手続きみたいなものが細かく決まっていて。
実はその与党と野党はねこのルールの中でものすごい駆け引きをしながらそのなんていうのかな。
ゲームのような競技というかバトルをしてるわけですね。勝った負けたをやってるわけですよ。
でそのルールをルールをしっかり認識した上で野球とかねサッカーを観戦するようにそのイデオロギーとかそういうのは置いといて今こんな場面に突入してるねみたいな話だったらそういう飲みの席でもできるんじゃないかというね。
そういう仮説を立てましてね。でそのように国会を見られるようなこのルールブックを作ってくれたわけです。でここが見どころだよみたいなね。
なぜここで野党が技法戦術をするのかとかね。なぜここでこういう委員会の運営をするのかみたいなところに全部その駆け引きの意味がある。
それはルールをルールに乗っ取ったね一つの競技のような世界なんだっていう本なんですよ。でこれをね僕はパッと思いついたのね。このことを考えてるときにね。
だからなんかその刑事上の話をするときにルールと言ったら変だけどもこのなんだろうね玉石根高の中でちょっとここは表現難しいんですけどもね。
怪しいものとそうでないものの見上げ方みたいなのが割とはっきりしてるといいんじゃないかなっていうような感じがしたんですね。
でこれはもう完全にその今日の時点ではね私の個人的な見解に過ぎないんですが僕は実はこの子供の頃からこの刑事上の話にはものすごい興味がありましてね。
もう5、6歳の頃からこの手の本ばっかり読んでた感じがするんですよ。
過去の研究と衰退
で特に20代30代かなこのあたりにも本格的にこちらの世界にねどっぷり使ってそれこそこちらの世界にもできるだけこの刑事上の話をね数値化しようとかね価格の根拠を持たせようみたいな動きも実はありましてね。
特に1940年代ぐらいまでかなこのあたりまでは割と活発にこの辺の研究っていうのをね。
そのそれこそ今というその大学の教授のような方がね真面目に取り組んでいたんですよ。
でもことごとくね失敗しましてねその取り組みがね。
でまぁ今に至るという感じなんだけどもまさにまさにこの衰退していったということですね。
学術という世界からはどんどんどんどんその弾かれていったようなそんな感じ。
でも僕はやっぱりそんな中でもやっぱりねこの話この手の話には興味があって。
まあそうですね特にさっき言った20代30代ぐらいまではねもう本当に読み漁っていたんで。
一応ですねこの見上げ方みたいなものはそれなりに身につけたつもりなんですね。
そしてこのグッドバイブスでも当然ですが多くのその部分はこの刑事上に引っかかってますよね。
ここもなるべくそのように見えないように工夫して話をしたりね文章を書いたりしてるんですが。
どうにもやっぱりそこを避けているとですね本質に迫れなくて。
僕はそこを分かっていてねなんとなくこのうまく平安になれているんだけども。
僕がその話をしないから受講者とかねセミナーにいらっしゃった方に伝わらないみたいなことが結構多く起こったような感じがしていて。
僕は次第に次第にここを解禁していったんですね。
さっきのその経営者の人がねもうそういう余計な話はしないからみたいな感じでこの自分の中だけに秘めるというやり方は僕の立場では良くないなという感じがしてね。
情報をお伝えする仕事をしてますんでね。
そこをまあこの解禁していきながらもその若い頃に身につけたですね。
ある種のその国会の国会というゲームのルールのようなこの刑事上の見上げ方みたいなものをねそれなりに学んでいったと思っているので今日はねちょっとそれを3つあげてみようかなと思うんですね。
こういうことをやりながらだんだんここも大丈夫なんじゃないの話してもっていう風になったらいいなというのがね多分僕が今日お伝えしたいそのテーマなんですね。
で3つあげてみました。
もっとあるんですけどもね。
でもここを多く捨てしまうとややこしくなってしまうんでできるだけもう削ぎに削ぎ落としてこの3つをね感じられるかな。
この3つを受け取れるようなメッセージであればね。
それほど警戒しなくていいんじゃないかなというそんななんつーかな一つの目安というのかな。
これをちょっとねえっと私なりにですよ。
これは本当に個人的な僕はそのように見ているというねそのぐらいにとっておいていただくのがいいかなと思います。
私がね絶対に正しいわけではないのでね。
僕はこのようにして見分けているというそういう話ですね。
これが3つありましてえっと一つ目これが一つで対等であるということですね。
目に見えない話の評価基準
その話の文脈が基本的に一つで対等であるんだよというところに向かっているかどうか。
だから私もこのグッドバイブスにおいてはですねこの一つで対等であるというのは絶対に揺るがせないものだなと思っていますね。
これは逆に言うとどういうことかというとその話自体が分断を生んでいないかってことですよね。
一つはねでもう一つはその話が除列を生んでいないかっていうことです。
この分断と除列が入ってくるとですね一つで対等でなくなるんですね。
例えばその善と悪に分かれるとかね救われる人と救われない人に分かれるとかあるいはその話を分かっている人は偉いんだけどそうでない人は愚かみたいなね。
これ除列なんだけどねこの辺をよく見てみるといいんじゃないかなと思いますね。
一つで対等であるということそして分断と除列を生んでいないということねここが重要かな。
だって宇宙の死んだ場所が一つであるならばねそこに分断や除列が本当はあるはずがないんじゃないのっていうのが僕の感覚なんですね。
これが一つ目そして二つ目これはですねその話自体が僕らに平安をもたらすかもしくはその穏やかな心をもたらすかね。
それとも逆にね恐れや不安をもたらすかこの違いが大きいですね。
だから中にはこの目に見えない話その話の中にね恐れや不安が含まれているものっていうのもなくはないんですよね。
でもおそらくですね私はいつもこの本来の自分と偽りの自分というような話をするようにですね恐れや不安というのは僕らがその目に見える方の世界ね経時過の世界つまり私は体であるというこの認識を持った途端に現れると思っているので
そこが形のない世界経時常になった時にその恐れや不安が残っているはずがないと思うんですね。
だからこの目に見えない話の中にまだこの恐れや不安が入っている何らかのその要素が入っているということはどうもここの二つのねなんていうのかな間にあるものなんじゃないかなって感じがする。
これは後でお話ししますけどね。
えっとあるそのなんていうのかな僕らがある傾向を持ってこのような話を捉えるとねそうなるんですけどもね。
まあここもですねここはもう本当感覚でわかるはずなんですねその話が怖いかって思うかそれともそれはすごく平安で穏やかだねと思うかこの二つの違いですね。
ここも僕はよく見分けるようにしていますね見極めるようにしています。
3番目がえっとこれはですね何かの犠牲を要求していないかってことですね。
要は今の生活を営めないような変化を求められるというのは僕の中ではちょっと違うかなという感じがしています。
つまり私はこの生活をそのままにねその目に見えない世界そこの話を取り入れられるというのかなこの人生この生活の中にね。
目に見えない話を受け入れる姿勢
いやでもダメですよとそこにいてはダメなんですよもっと生活を変えてくださいみたいなことが入ってくるとどうだろうなというそんな感じがします。
これは私がですねまあ尊敬するというかあったことはないんですけどもね。
インドの賢人でラマナマハルシュという方がいらっしゃいましてね。
まあ私は本を読むだけなんですけどもこの方はですねえっと神話という話をよくするんですね神のがですね。
これに対してえっと子がとかね生がみたいなものがえっと神話ではないもの。
つまりこれが本来の自分と偽りの自分だと私は思っているんですがこの神話を探求する神話探求という話をねよくされるんですよ。
でこの方はインドに住まれていてまあアシュラムというねえっと弟子が集まるような施設にもいいたりするんだけどもそこに来る人たちにね。
よくその山にこもって修行する必要はないとそれからこのインドのアシュラムに来る必要もないんだと。
今あなたがいるその場所で神話を見つけられないとしたらあなたの中にはそれがないということにならないかいというこういうお話をするんだよね。
僕はこれこそがすごいその通りだなと思います。
何かやっぱりねこの山にこもれとかねえっと今の仕事辞めてアシュラムに来なさいみたいなことがその必須だとするとね。
一体何を見つけに行ってるんだっていうところの疑問は僕も本当にその通りだなという感じがしますね。
まあこの3つなんですよ。
一つで台頭であるかそれからその話自体がね平安で穏やかなものであるか。
そして何かの犠牲を要求していないか。
この3つを抑えておけばねそれほどこのね刑事上の話というかな目に見えない話に警戒しなくてもいいんじゃないかなというふうに思います。
先ほど言ったこのポイントというのはねこれは人が自分たちの都合を投影していないかにあるんだと思うんですよ。
この目に見えない話にね。
要は僕らが自分たちの都合を投影してその物語を作っていないかっていうことですね。
要はこのさっき挙げたような様々な事件とかそれから国の当時とかもね。
これはおそらく多分個人の都合を投影しているだけなんじゃないかなって思うんですよ。
だからさっきね一つ目に挙げた一つで対等であるの逆ですね。
その話がさらに分断を生んでいるということはどうもそのなんていうのかな人の感覚としてこいつら悪にくくりたいとかね。
そういう願望これが投影されている感じがしますよね。
そして序列がそこにあるというのはやっぱり人の感覚この支配したいとかねコントロールしたいみたいなことが投影されている感じがしますよね。
だからこれはものすごくやっぱりこの人が作ったもの的なんですよこの辺の話が入っているということはね。
だからこのある種ね単純にねこれ人っぽくないかっていうこの感覚を信じていいんじゃないかなというふうに僕は思いますね。
これは多分僕らの中にねえっとあるんだと思うんですよ。
これ人っぽいよねっていうなぜならばねえっと今でもですよ今まさにそんな時代そんな時代の今でも結構大きな企業がこのビルを建てるときにね自沈祭ってのをやりますよね。
これはなぜそれからもうすぐお盆ですよね。
多くの方がこの先祖のお墓参りに行きますよね。
これはどうしてそれからえっと今でも変わらずお正月には初詣に長打の列ができるじゃないですか。
だから多分僕らはですねこの表だってさっきの国会の話じゃないですけどもなかなかねこういう話をしなくなっているというのは事実だと思うんですね。
こういう話をする相手っていうのは慎重におそらく選んでいると思うんだけどもでも多分僕らはこの目に見えないものを知っているんですね。
だからこの知っているという感覚をしっかりと持ちながらだからこれやっぱねここの感覚が薄れてしまうと
余計にですねこの怪しい方のところに惑わされる可能性というのは高くなるのかもしれませんよね。
しっかりとこの感覚を僕らは知っているんだと言ってそしてさっきのようなね一つで対等であるかとその話が平安で穏やかか。
そして僕らに何かの犠牲を要求していないかみたいな視点を持ってねこの知っているものとしてそこを照らし合わせる。
自分が知っているものとそのね交わされている話伝わってくる話がどんな風にこう響き合ってるかリンクしてるか。
そこが矛盾していないかみたいなことをね心で確かめるというのが多分一番のいいその見分け方になると思うんですよね。
だからそんな誰本当はこれ誰にでもわかる話なんじゃないかと僕は思っているんだけどもね。
これをあえてしない世界というのはものすごく不自由な感じがしますね。
なんていうのかなこの閉塞している感じと言ってもいいのかな。
だから今はねこの反応のようにそれは危ないそれは怪しいみたいなことを言われてしまって。
そしてその反対側この刑事化だけに特化するのがものすごく賢明な姿勢になっているというね。
でもなんか僕はですね今まあ様々な問題いちいち上げませんけどもね色々怒ってますよね。
これはあえて言うならば僕はこの刑事上の話をね目に見えない話をそぎ落とした結果と見てもいいんじゃないかなというねそんな見方もできるような気がするの。
だからもっとね安全な形でねさっき言ったようなこの人の遠いが混ざらないようなもう限りなくその真理に近い形そのような形でこの目に見えない話というのを取り戻さないとね。
この今起こっているね様々な問題というのは根本的には解決できないんじゃないかなと私は考えているわけですね。
なんていうのかなこの目に見えない話というのは僕らにとって一つのなんていうかな余白とか余裕とかね。
そしてまあ言い方悪いですけどもある種のその避難所というかな僕がいつもホームと言ってるようなこの帰る家というかそういう唯一安心できる場所みたいなものを提供してくれる機能もあるような気がするんですよ。
そしていつもねお話ししているようにこの私とは何かの答えですよね。
これがものすごく重要な気がしますね。
これがその刑事課だけの解釈でね肉の塊なんであると。
そして科学反応によってもしくは電気信号によってこの生命を維持している一つのちっぽけな生物なんであるというこの解釈これが一つの刑事課の解釈なんのかもしれないんですけども。
本当にそれで僕らはですね今回の事件のようなねその生きる価値を見失ったときに立ち直ることができるんだろうか。
元のね生きる記憶を取り戻せるんだろうかっていうところはやっぱりこの刑事上の目に見えないところの力を借りるしかないんじゃないかなというふうに僕は今回改めて思ったわけですね。
だからですね過去の教訓というのはねやっぱり生かさなきゃいけないと思うんですよね。
だからやり方は慎重であるべきだと思います。
だから私もですねそのできるだけ抵抗のない形でね。
そしてなんとなくこの刑事課から刑事上のその橋渡しができるような形が一番いいと思うんですよね。
ここが完全にやっぱり分断されていてもどっちかの世界の話しかできないよっていうのではなくて緩やかになんていうのかな。
だとしたらそれもなんとか納得できるかもねみたいな感じで橋渡しをしたいというのが一つ私がそのグッドバイブスの活動の中でね。
まあ密かにというか心にいつも秘めている思いでもあるわけですね。
まあでもとは言ってもですねあまり怖がらずにね。
今日私がいろんな人が口をつぐむんじゃないかみたいな話をした後にねこういうことこういう話をするのは本当に勇気がいるんですけどもね。
だからこそその勇気を持ってですよ。
ボイストレーニングのプログラム
この刑事上の話目に見えないものの話をねこれからもその躊躇せずにねしていきたいなというふうに改めて決意しましたと。
そういうお話でした今日はですね。
で自分でねこの話をしておいてなんともこの告知に結びつきにくい話題だったなと今実感してるんですけどもね。
めげずにお伝えしますと今週末の5日ですね土曜日15時から今ここのボイストレーニングというのをやります。
でこれはですねもう本当に目に見えない話しかしないそういうプログラムになっています。
まあ歌というのはですねおそらくこれもね両方の解釈があるんですよね。
体をこのように使い腹筋をこのように使い整体をこのようにするというねこの目に見えるやり方で歌を良くしていくという方法もあるんですが私のボイトではねえっとそこを一切いじらない完全に目に見えない刑事上の話だけでこの歌を良くしていくというそういう捉えをしています。
そしてこれはもう私はねもう実績というか実感というかねエビデンスを持っているつもりでいますというのもこれまでね56曲の歌が歌われたんですね。
つまり延べでえっと56のその課題曲が歌われたんですけどもこのうちおそらく私の感触では98%ぐらいかなは確実に歌が良くなってるんですね。
なのでえっとおそらくこの受講された方はこの話をねえっと納得して聞いていただけると思います。
確実に良くなるんですよ。
そのぐらいこの刑事上のパワーっていうのはねあるという実感ができるね一つのイベントでもありますんでね。
今日の話を受けて本当だよっていう感じで思われた方もねぜひご参加ください。
私たちの持つ価値
じゃあ今日はですねえっとメインの話というよりもその一段階前のねえ私の価値は他の人と同じく何があっても変わることはないというねこれをしっかりとですね自分に言い聞かして。
僕らは人が作った仕組みの中でねいろんな結果評価成績みたいなものと一緒に暮らしています。
その価値というのも否定はできません。
でも僕らが生まれながらに持っている宇宙の死んだ場所の創造層からギフトされた価値というのはね最初から最後までそして私と他の人すべて等しくマックスこれは変わらないんですね。
だから何かあって苦しいなときついなと思った時は必ずこの価値を思い出してね。
そして本来の自分に耳をすませて俺はどうなんだいやお前は価値マックス大丈夫だよっていう風に言ってもらえるようなね心を作りたいですよね。
そのようにしていい1日をお過ごしください。
ありがとうございます。
46:00

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