2024-10-04 38:42

罵声を浴びるのは誰?【1064】

一人で抱えきれない時。
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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f
00:06
おはようございます。働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト、第1064回をお送りします。
10月4日、金曜日、9時32分です。ちょっと遅くなりました。
はい、お知らせ、お知らせですね。第8期の3カ月チャレンジを募集します。まだしてない。
あの、あれです。4回のGoogleカレンダーの予約を、予約できるやつね。
たぶんね、私のノートって言ってもわかんないかもしれませんが、
ノートで、私の活動ってこういう一覧だよってところを見ていただくと、その中にURL貼ってあるんで、そちらからお申し込みいただけます。
これをお申し込みいただくと、4回セッションを私としていただけるというサービスなんですけど、
これで、このお金をですね、3カ月チャレンジの第8期分に充当していただくことも可能です。
まあ、あのね、初回面接設定みたいなやつがやっぱり4回くらいは必要だって話も昨日しましたけど、そういうことです。
これをしておかないと、話が全く前へ進められないというか、まずはお互いの自己紹介みたいなところで1時間くらいは過ぎるんで、
そういうことをなるべくこう、なんて言うんですかね、でも自己紹介大事なんで、
自己紹介シートみたいなのに書いてくださいというのは全然ダメだと僕は思ってるんでね。
この種のことをやるときは特にそうで、初回までにこれに記入しといてくださいって言われれば、時短のためにはいいんでしょうけど、
このときの中身について整理しないということがカウンセリングとは違うんですけどね、やっぱり僕は整理しちゃ絶対ダメだと思うんですよ。
整理をしようとするプロセスでの引っかかりが重要な情報なんですね、お互いにとって。
だからどのように引っかかり、どこで言い淀み、何が言いにくくて、何は隠しておきたくて、というのがその場その場で発見されていかないとダメだと思うんです。
発見するのは私とは限らないわけで、お互い発見があるはずで、その発見をお互いが見知っていくというプロセスは欠かすことができない。
だから事前に提出していただくことは何もないんですね。
このことを三カ月チャレンジであんまり言ってなかったんで、三カ月チャレンジ向けになってしまうんですけど、申し上げておきますと、ワークとか私はやらないです。
次回までの宿題とかも一切ありません。
準備しておくことも何もないです。
とにかくその場に来て思いついたことをしゃべる。
そういう意味では自由連想とよく似ておりますけれども、Google Webセッションでも同じです。
03:01
事前に準備されるって方いらっしゃると思いますよ。
でも事前に準備をしろと言われないのにしなきゃいけない気がしてするということは、気を回してるってことですよね。
ドイ・タケオさんじゃないですけど、気ですよね、これはね。気を回すんですよ。
なぜ気を回すというのかっていうのも興味深いんですけど、一旦置いといて。
なぜそういうことをしたくなるのかについての発見があるわけですよ、ここには。
それをミスミス放置することはないと思うんですね。
事前に準備してくださいっていうことになってしまったら、それ事前に準備をするのは気を回したことにならないじゃないですか。
言ってないのに気を回してしまうというのはどういうことなんだろうと。
そういう気の回し方を会社でもするようだったら疲れないかなと思ってみるとか。
こういったことがですね、とても有意義だと僕は思うんですね。
だから事前に何かを指示するとかは僕は絶対やりません。
直前でも基本はやらないんですね。
大事なのは時間と場所だけ。
場所ないからオンラインだから。
場所ある方もいらっしゃるケースもありますが、場所ないオンラインですけれども、オンラインと時間だけ。
これを守れるかどうかだって大事なんですよ。
あるいはチェンジしたくなるってことは当然お互いにあるわけですよ。
その時の気の使い方もまた発見になるわけですね。
そういうことがですね、全部情報、情報といいますか、全部素材になっていくんですね。
これが僕は一番素材として効くと思うんですよ。
過去のことを整理しちゃいけないと思うんですね。
整理するっていうのも一つのやり方なんだけど、整理して伝えやすくしてしまったものを伝えるというのと、
伝えやすくなってないものを伝えるっていうのは話が全然違うんで、
整理して伝えやすくなってないものというのをその場で伝えようとすると、
いろいろな混雑があるはずなんですね、心の中。
この混雑が日頃もなきゃおかしいと思うんですよ。
だからこういうものを重視していきましょうといった回なんですね。
これはサービスなんです。
即興しかしないっていうことですね。
この即興しかしないために起きてくる現象が必ずある。
フィラーが多いっていうのも同じです。
えーととかあのっていうのがすごく多い人はコミュニケーション能力とか言い出すんですけど、そうじゃないでしょうと。
何か言い淀みたくなるようなわけがなきゃ、そういう言葉が常に出てくる。
つまり言葉を出すって時にブレーキがかかってるはずなんですよ。
そのブレーキ誰がかけているんですかというのは、
事前に淀みなくしゃべるための原稿が用意されていたのではどうにもならない。
どうにもならなくはないけど、その情報をミスミス一つ提示できないままに終わりますよね。
06:04
ご利用者さんにしてみればですね。
なぜフロイトがあんなに初期の段階で言い淀み、言い間違えなどなどを問題にしたのか。
そしてフロイトとブロイヤーっていう人もいたか。
いろんな方がみんな見たのはヒステリーでしたけれども、一番最初もヒステリーでしたね。
ヒステリーの人は何かこう、感目?言葉が捨てられなくなる。
つまりヒステリーにありがちな乖離なんですけど、身体というものが自分の自由にならなくなるわけですけど、
言い淀みってある意味身体が自分の自由になってないわけじゃないですか。
なぜ身体が自分の自由にならないのかと。
もちろんそれが身体的な機質系の問題であるならは別なんだけど、言い淀みって違いますよね。
あれは心理的な問題ですよね。
多いですよ。
多い方は多い。
で、淀みなく喋ればそれでいいのかというと、そうでもないですよね。
おかしいことってあるじゃないですか。
例えば私なんかがぺらぺらとですね、自分の失敗談をとうとうと淀みなく喋れるとしたら、なんかおかしいじゃないですか。
もっともっとありますよね。
なんかすごい悲惨なことに、なんかこの人全然他人事みたいに全く言い淀むことなく喋れてるんだけど、
これってどういうことなんだろうっていうのも重要な素材だと思うんですよね。
そういうことがあるから事前には何もお伝えしておかないし、ワークもないし、用意してもらうものもないです。
そういうこと、そういうサービスだとも伝えておいた方がいいかなと思ったので、この際伝えておきました。
3ヶ月チャレンジ。
今月末からスタートとなります。
このままの流れでいいと思うんですけど、今日も。
なぜ精神分析的と精神分析化でもなんでもない私がこれを言うのかというのを久しぶりに喋っておきたいんですね。
精神分析の精神力度でもいいんだけど、精神分析でいいですよね。
精神分析の概念には日常ですごい使い勝手のいい概念が割とたらふくあるのに、たらふくっておかしいかここでは。
あるのに全然それがナルシストぐらいなもんですよ。
本当はナルシシストだけど。
ナルシストぐらいなんじゃないかっていうぐらい抑圧とかもあるか。
でも抑圧はちょっと違うような気がするんですよね。
自我、自我もちょっと違うな。
自我って普通の言葉ですもんね。
すいません。
例えば排出、ないしは排泄。
これはすごい大事だと思うんですよね。
嫌な言葉かもしれませんけれども、やっぱり大事な概念なんですよ。
コンテインドとコンテナーっていうのも、最近になるまで僕もあんまりこのポッドキャストでさえ喋ってなかったけど、それぐらい聞かないじゃないですか。
09:10
ニードとニーズだって特殊な使い方ですよね。
ニードとニーズはこの際ちょっと置いとくにしても、やっぱりあれも別に難しい概念じゃないんで、とてもいい概念だと思うんですよ。
東映ドイツ科となってくると、これもめちゃくちゃいいんだけど、学術感が強すぎて何とかな違う言い方ないかなと思っちゃうんですけど、東映ドイツ科、排出、コンテナーとコンテインド。
他何かありますかね。
コンテナー、コンテインド。
まあいいや。こんな感じでですね。
使える、特に人間関係とかコミュニケーション、コミュ障とか言い出す前に、HSPとかいいんですよ。それはそれで。
例えば、うつで今、うつと言われてお薬飲んでます。
それもそれでいいんですよ。
それとは別方面で考えていけることがあるだろうということなんです。
だって、薬飲んでただただ休みなさいと言われても、実際なかなかそうも難しいっていうこともあるわけじゃないですか。あるわけですね。
だから、そういう時に考える手がかりがいっぱいあるのに、何もそれを全然使わずに置くことはないと思うんですよね。
本に書いてあったりもするんで、まず出回ってない本ですけど。
ようやく出回るようになった本に書かれるようになったのが、最近で言う雨の日の心理学です。
東方カイトさんのね。
あれはそのまんま出てきてますね。今言ったような話が。
めったにないです。今までなかったと言っていいです。
あのぐらい知れ渡る本の中に。
もちろん昔はありました。今なくなっちゃったってことです。
僕らは、僕に言わせると柔軟の時代を生きてるんですよ。
もう何か心の調子を崩したら、何かよくわからない、どういう薬なのかもわからないような薬を飲んで、ただ大人しくしているしかないっていうようなことを、
そう言われるかどうかわかりませんし、またどんどん変わっていくと思いますけど、
少なくとも一時はそういうことしかなかった時代なんですよ。困るだろうというくらい。
で、誰とどんな話をすればいいんだっていうのがなくなってしまうじゃないですか。
その薬について聞いても、僕も飲んだことあるっていう人はいるかもしれませんけれども、結局のところよくわからないと言いますか。
だからこれはこれでそれとしてっていう話なんですよね。
もう一つ別の手がかりがいるんだろうっていうのが今私の言ってることなんです。
まして、かかってませんという、そういう鬱とかにかかってるわけじゃないです。
ただ仕事をしたり、家のことを片付けたりするのに非常に思うようになりませんという、
12:04
これは今までやる気の問題みたいなところにあったんですけど、さすがにそんなに単純にかかしていた人はいないと思うんですよ。
いや、全部それはやる気の問題だから、やる気さえあれば全部できるんだからってそういう人は少なかったと思うんですよ。
で、もう一つの万能感として時間の問題ってやつなんですよね。
時間さえあればできるんだ、これもデタラメなんですよ。
だから時間術ということになってしまったんだけど。
で、やる気と時間の問題両方解決する考え方として非常に流行ったのが行動習慣にこれを記す。
それはある程度効果は出ると思うんですけど、行動習慣、習慣の問題なんですと言ったり、
仕事を分解しましょうみたいな話にするというのはやり方の基礎としてはいいと思うんだけれども、
実際に悩んでいるのはそこじゃなかったりするわけですよね。
で、僕はそこでもう困惑したんですよ。
そこでないのは分かるんだが、どこなんだってことですね。
そこでないのは分かりますよね。
行動習慣をやっても会社に結局行きたくないことに違いはないし、朝起きにくいのは間違いないし、
習慣かもしれないけど、でもやっぱりものすごく辛いとか、できれば行きたくないとか、
そもそもこの習慣をぐるぐる回していて自分は幸せな気がしないとか、これが一番ありそうなんですけど。
そういう時、もはや何もなくなっちゃうじゃないですか。
ここまでですべてだということになると。
タイマーで5分ダッシュかけるのはいいんだけど、
なんかもう5分ダッシュかけてて虚しいわみたいになった時に、何にもそこにない人困ると思うんですよね。
虚しくてもいいからダッシュしましょうみたいな。
それは嫌じゃないですか。
虚しくない人はそれでいいと思うんです。
だけれども、虚しいと。
例えば家の用事だった場合とかですね。
家庭内はすごい冷え切ってると。
きちんと掃除するんだけどやっててもうなんか本当に腕が重いとかね。
これはやる気の問題じゃないですよ。
習慣の問題でもない。
習慣だったらしてるわけだから。
習慣的に。
時間の問題でもないですよ。
間に合ってるわけですから。
時間でもなく、習慣でもなく、やる気でもなく、タイマーでもなく、ライフハックでもないとすると。
つまりライフハックってのは一番いいのは食洗機が皿洗ってくれることなんですよ。
で、それはやらないってことですよね。ある意味では。
やらない。
それはやりたくないから。
で、やりたいことは何なのか。
何もありません。とかいうこと。
そういうことが往々にして、というか実に多いというのが最近の私の実感というかもう体感なんですね。
経験上、そういう訴えは山ほどある。
訴えにくいところにはもうその種の話。
15:00
訴えることすらしない。
このケースもとても多いですよね。
5分間ダッシュとか言われちゃうんで、もうそっちには行きませんみたいな。
私順調ですって言うと。
習慣化もできるようになりましたみたいな感じで。
なんかこう、行かないみたいな話になってくるわけですよ。
こうなってくると、もうなんか本当に人格改造と。
穏やかじゃない話にしかならないので。
なんかないかなと思っていたところにあったのが分析だったというわけですね。
例えば今みたいな話って。
そうですね、僕は職業上の偏りがあるとは思います。
僕は、僕の対面する、あるいはお話しする、させていただく人の偏りがやっぱりありますので。
どういう人が僕のところを、僕をそもそも知っていやすいかっていうのがあるんで。
佐々木翔吾って名前はビジネス書の世界などなどでおなじみになる可能性がある。
おなじみじゃないかもしれないけど。
少なくとも、そうだな。
まあいいや。
とにかくプロ野球の世界とかではないってことですね。
だからそこに集う人たちやそこに登場する人たちのパーソナリティというものに、
やっぱり偏りはあるはずなんですよね。
どっちかというとこういうタイプの人が多くなるみたいな。
そういうことはあると思うんですよ。
そういう中で見ていくとですね、今のようなお話は全て精神分析では一括に近い形で、
一括ではないけど、でもやっぱり一括に近い形で欲打つと捉えられているように思うんですね。
欲打つは打つなのかというと、欲打つは打つ病じゃないと思うんですね。
欲打つ的な状態が映像、映像かいけないかな。
何かこう慢性化してしまっているような、そんな感じがするんですね。
これは何なのかというと、やっぱり欲打つ不安を心に入れておきたくないという話というかパーソナルの、
何て言えばいいのかな、障害ではないんですけれども、
当然なんですけれども欲打つ不安なんか置いておきたくないと。
欲打つ不安って何よっていうことになると、
欲打つ不安というのは悪いことの原因は私にありますってことだと思うんですよね。
一番わかりやすいところで罪悪感ですね。
罪悪感というのは私が悪いんですっていうことじゃないですか。
で、どうして私が悪いことが不安なのかというと、
それは結果として未来とか結末に悪い影響、あるいは悪い結末を私が待っているからです。
それは不安ですよね。
どういうことなのか分からないけど未来は悪いことが起きるんです。
なぜなら私は悪いからですっていうこれ。
これをマイルドにした感じのものをずっと抱えていらっしゃる方というのが、
18:01
多分それこそ3ヶ月チャレンジないしは仕事術っていうものを紐解くんですよ。
メンタル的にはですね。
これを長く引っ張るんですよ。
こんなにわかりやすい言い方はしないと思います。
例えば、老後に悪いことが待っているとか、老後にお金がなくなるかもしれないとかね。
長く人生をし、もうちょっとありそうなのは仕事をずっと頑張っていって、
ああってなって終わったところで生きているんだけど、自分の人生は何だったんだろうみたいな、そういう不安とかね。
そういう不安ですよ。
だから私が悪いと言ったって、その悪さには別に悪いことをしましたとかそういうことではなくても、
あんまり良いことをできてませんみたいな、
そういった感じの罪悪感。
だからここの中には無力感、無能力感といったものが入ってきていて、
それが仕事術に興味を持つような方なので、多くの場合はね。
仕事術とか時間術に興味を持つような方なんで、私は例えば、この言葉多いな、
グズだっていうふうにおっしゃるんですよね。
私はグズだから仕事ができないんで、だから組織なりにしがみついているんだけれども、
もちろんそれは良いことではなくて、罪悪感もあるんだけど、
どちらかというと無能力感に対して絶望感があるっていう、絶望という表現は取りませんけれども、
これをすごくマイルドにした感じなんですよ。
言っとき前なら職場打つみたいな表現を取られた可能性があるんですけど、
私はそういう言い方をしてもいいと思うんだけど、
こういうのが職場だけに適応できるわけじゃないのとですね、
職場打つって結局それは、これがずっとこの番組で問題にしている、
それは症状の話を言ってるよねってことなんですよ。
職場で打つ打つとするっていう話しかしてないよねと。
だから一番極端な場合、みんながみんなそうだってわけじゃないし、
これがいけないってわけじゃないんですけど、
職場に行ったらコンサートじゃないか、わかんないけど、なんか飲みましょうと。
そして職場打つを吹き飛ばして、集中した気持ちでさっさと仕事をやってしまいましょうと。
極端に言うとこういうことになるわけですよね。
なんでこの欲打つ的な気分が来ているのかについての考察を、僕には避けて見えるんですね。
避けているようにしか思えない。
で、納得のいく考察が、職場なら打つになって当然でしょうみたいな、
職場は憂鬱なのが当たり前だみたいな論もあるんだけど、
それだって結局は出来事についてしか喋ってないじゃないですか。
職場に行く打つになる、それは当然みたいな。
そういうことだと、その気分に対しての手当てしかできないと思うんですよ。
なんでその気分になったのかがやっぱりいると思うんですよ。
21:02
原因を追求するのは無理だっていう論はあるんだけど、
私は結局でもここを諦めると打つでなくなる感じがするなという気がしてですね。
ここを諦めないことにしたわけですね。
そうするとマイノリティになってしまうわけですね。
この種の話はね、多分現代では完全に忌避されることになったなと。
少数値でも圧倒的少数じゃないですよ。
原因に興味ある人はいっぱいいるんで。
で、私はもうここを諦めるのはやめたんですね。
諦めるべきだっていう意見は重々承知してます。
みんな言うからね。
タイマーセットだって同じですよね。諦めるべきなんですよ。
だから5分でいいからダッシュしましょうという話じゃないですか。
重たい仕事があったら分割しましょうというのも同じですよね。
それが重たいと感じるのは諦めましょうと言ってるわけですよね。
まあそれはそれでいいとしましょう。
ただ私は諦めない側に入ることになったって感じですね。
決めちゃったみたいなところがありますね。将来は知りませんけど。
そうした時にコンテナーとコンテインドっていうさっき言った概念は非常に役に立つんですよ。
つまりコンテインドが絶望なんですね。
コンテナーというのはつまり抱えておけるってこと。
何でも一人で抱えちゃうって言うじゃないですか。
あれは心がっていう意味ですよね。
手で抱えてるわけじゃないですよね。
そういう絵にすることあるけどあれは比喩ですよね。
仕事を抱え込むっていうのは心の話をしている。
この仕事を私がしなきゃってことじゃないですか。
悲哀というものが抱えておけないという話を欲打つでは必ずするんですよ。
欲打つ不安を抱えておけないわけです。
悲しいなあというのを悲しいなあって思ってるのは辛いんで、外に出してしまいたくなる。
これが欲打つという問題なんですね。
抱えていればいずれは消化されていくと、
その辺は精神分析はここに楽観的な部分があると思うんですけど、
コンテナー、心のコンテナーが自分は仕事ができないとか、
自分はグズいというのを抱えておいて、
いやほんと辛いわとか悲しいとかいうのをさらに抱え続ければ、
ここで難しいんですけど、抱え続けて自己犠牲的になったり、
本当に絶望してしまったりするのはダメってことになってるんですよ。
だから一人で抱えないというのが大事なんですが、
二人で抱えましょうになるとカウンセリング受けましょうになるんですけど、
カウンセリング受けに行って、だから話をろくろく聞いてもらえずにっていうのは
いけないわけ、いけないと言ってはいけないかもしれませんけど、
この流れにはないわけですね。
抱え込むというのを手伝ってあげるというのがカウンセリングなんで、
精神力動的にはきっとそうだと思うんで、
抱えておけないというのは抱えておけないわけですよ、辛いから。
悲しいじゃないですか。今のような時代に、
私とろっこくて仕事全然できませんというのを抱えておくのは、
男女どっちであっても非常に辛いわけ。
この辛さを放り出してしまいたくなって、
24:01
つい放り出しがちになるというのが様々な問題になって、
問題というのは周囲との関係に問題を投げると。
これをパーソナリティ障害と言うんだ、みたいな理解の仕方がある。
で、僕はこれはやっぱり見るよなって思うんですよ。
一番多いのが普通に考えれば回避っていうことですよね。
なるべく回避する。
責任が起こりそうな場面とか、
怒られそうなシーンを回避する。
普通なんだけれども、悲哀を抱えたくないから回避する。
つまり自分の心というものがあるんだけれども、
抱えて寂しいとか悲しくなるとか、
辛くなる、しんどいというのが起こってくるってのは知ってるわけだから、
抱え方は知ってるんだけど、抱えずに済むように済むように行動を調整していくのを回避って言うんだと思うんですね。
なるべく難しそうなことには手を出さないとか、
なるべく○○なことは避けるとか、○○な人はとにかく避けまくるわけですね。
HSPと呼ばれたり、
辞任している方にしばしばこういうケースっていうのは、
だから私はアセスメントするわけじゃないんで、
回避性障害ですねとかって思うわけじゃないんですよ。
ただそういうことを認識しておけば、
いろんな病名について考えていかなくても、
HSPでもあり発達障害でもあり、
今、うつっぽくて、かかってまっかい診療内科行ってますけど、
全部OKだと思うんですよ。
そういうのを否定するってわけにはいかないと思うんですよ、現代社会では。
全部OKなんだけど、一方で、
この回避性っぽいっていうことを認識しながら、
なんていうのかな、抱え込み方を検討していく。
抱えて潰れちゃわないように、でも放り出さないようにする。
放り出そうとしてしまうと、
もうしんどいからそいつで考えるのはやめるわってことになっても、
消えないわけですね。
自分が仕事が早くないとか、
そういう本当に早くないのかどうかは大きな問題なんだけど、
もうそう思い込んじゃってるんで、
これをコンテインドなんですよ。これがコンテインドなんですよ。
抱えてしまってる。自分はできないというのを抱えてしまってるんだけど、
抱えたくないので、抱える機能が十分発揮されていないと、
そういった状態が続くと、
例えばものすごく怒りっぽくなるとかね、
という行動の問題として現れるからパーソナリティ障害なんですよ。
怒りっぽくなるというケースもありますけれども、
排避性でなければ脅迫性としてすごく現れているっていうのが、
私が見がちな、
僕がよく受けるお話の中に出てくる。
脅迫は僕もよくやります。
具体的な答えをセットして、そこに向かって邁進することで、
27:03
この種の問題を解決する。
つまり、5分間ダッシュもそうですよ。
タスクの分解もそうです。
先にこういう具体的な自分の成果を定義するんだと。
分かりやすく記述できる、言語化できる、
そういうセットするんだと。
そうすることによって、
速度が追いつかないとか、何かとミスしがちだとか、
先送りしてしまうというこの悲哀。
悲哀なんですよ、ここにあるのは本当。
やる気がしないわけです。悲しすぎて。
自分はダメすぎて。
このままいっても未来は灰色だとか、
暗いとか、すごく攻撃されるとか、迫害されるとか。
とにかく自分がダメなせいで、
そもそも自分がダメだと思うってこと自体が辛いんで、
抑鬱不安は抜けないわけです。
抑鬱不安そのものが中身なんです。
中身すなわちコンテインドなわけですね。
これを抱えて何とか消化できるといいんですけれども、
それを物作業というわけですけど、
お葬式ってそういうことなんですよ。
誰かが亡くなってしまった。
私だったら娘が亡くなってしまった。
もう抱えておけないわけ。
だけども一生懸命こう祈ったりなんかして、
頑張って消化していくと。
潰れちゃわないようにし、
人の助けも借りて頑張って消化していくと。
その時に叫びたりになるとか、そういうのしないってことですね。
叫びたりになる代わりにリストびたりになるわけですよ。
脅迫症というのはね。
このひたすらリストを解消していくことで、
この暗い未来というものを回避しようと。
回避性と脅迫性というのはすごくよく現れますよね。
この世界では、この世界では現れます。
ビジネスショーの世界では、
この自分が自分に絶望するというのを何とかして避けるため、
非常に強く叱責されて、
自分こんなに怒られてやってられんみたいにならないようにするために、
ダッシュをしたりチェックリストを作ったり、
非常に細かく確実に漏れなくそこのところに万能感が出てきて、
完璧主義になっちゃうんですけれども、
そういうふうになりやすいんですよ。
この手法はね。
これがまた別の行動上の課題です。
だからやっぱりパーソナリティ障害。
パーソナリティ障害は行動の病とよく言い換えられているので、
一番大事なのは、
この悲哀を消化していくことなんだけれども、
悲しみを消化していくことなんだけれども、
これだけはやりたくないという、
やろうと思えばできるっていう含みがここにあります。
パーソナリティ障害。精神障害とは違う。
精神障害の水準に入ってしまうと、
やろうとそもそも思ってもできないってことが、
コンテナ、心のコンテナがすでに壊れてしまっていて、
現実の意識ができなくなってしまうので、
というかしなくなってしまうので、
っていうふうに言ったほうがいいのかな。
30:00
あまりにも悲哀がでかすぎて、
さっきの私がそうなってしまえば、
そういうことが起こると。
池袋のあのなんか、
骨事故みたいなことが起これば、
そういうふうになりかねないと。
コンテナというものがもはや包み込んで、
これを消化するようなことは不可能だっていう状態になってしまったときには、
現実認識というものをやめてしまうので、
そんなことはなかったんだって思いたいじゃないですか。
そんなことはなかったんだっていうふうに思いたいというのが、
そう思わなければもはや生きていけないのレベルに入っていくと、
精神障害水準ってことになるんだと思うんですよね。
その手前です。
私たち自身が直面しなければならないのはその手前。
私たちが仕事十分できないとか、
うっかりしているとか、
適当なことを言って炎上するとか、
Amazonでランキングで星1が付けられまくったとか、
そういうことがですね、抱えようと思えば抱えられそうじゃないですか。
でも自分がダメなのかもしれないなっていう、
この本を書いていくにはもうふさわしくないのかもしれないとか思い始めると、
つまりこれは自責なんですね。
自責すなわち欲打つ不安ですね。
この欲打つ不安を抱えておけないということになると、
さっき言ったように回避する、あるいは脅迫的になって、
何でもバッチリやることによってこの課題を解決しようと。
本当はメンタルに抱えておけばいいんだけれども、
それを突き放して否認して悲しくはないと、
自分はできるんだということにして総力を上げる。
この2つのどちらかでもない場合に自己愛というのがやっぱりあるんでしょうね。
自己愛というのは例えば、
昨日あたりからずっとやってるんだと、
可愛い彼女の空想をしてこの子に慰めてもらうことで、
自体はOKな感じにする。
メンタルにこっちは向かってる感じが結構ありますよね。
その中間項目として、
すげえ高いiPhoneと、
すごい高いMacBook Proと、
iPad Proと、
総額100万円ぐらいかけて、
サブスクもいっぱいやって、
この体制を整えることで、
仕事は完璧に進めることができるようになるんだ、
っていうような自己愛の持ってき方もある気がします。
こういう世界って、
割と分かりやすいんですよ。
私は喋っててね。
イメージもしやすい。
万能空想を持つわけです。
で、これらを全部やれば、
この悲哀と、つまり自分はダメかもっていう、
この悲哀と向き合わずに済む。
代わりに散々をするという、
代わりにここが難しいんですよ。
じゃあそれ問題なのっていうと、
お金が私が月収300万ぐらいなら、
別に問題ないわけですね。
月収10万円ぐらいのくせに、
ローンで100万円の買っちゃいました、
ってことになると問題じゃないですか。
だから、脅迫性にせよ、
自己愛にせよ、
それが問題かっていうと、
問題かどうかは難しい。
社会的に見て。
今の社会だと、
33:00
まあね、36回ローンとかもありますから無理しで。
いいじゃん、別にそれでっていう。
それで仕事が少しはできるようになるかもしれないしね。
ただ、
精神分析とか、
対象関係とか、
そっち側の観点に立つですね、
この自己愛の世界、
つまり、かわいい彼女の空想でも、
バリバリ買い物をするでもいいんですけれども、
これをやると、
孤独になっていくという、
別通の問題が現れます。
行動の病というだけあるんですよね。
よくできてるんですよ。
よく考えてみると、
ここで仕事ができないとか、
遅いとかだったら、
いろんな人に助力を頼んだり、
協力をしていくっていう方が健全じゃないですか。
なぜめちゃくちゃ高速の
ガジェットに向かうかというと、
人に頼りたくないからなんですね。
つまり、
ガジェットに囲まれるということと、
そうだな、
カフェインに囲まれるということは、
人がいるということになるわけですね。
人だと、
結局のところ、
その人は、
協力はしてやるけど、お前トロいからな、
って思ってるかもしれないじゃないですか。
これが嫌なわけだから、
何を開始したいかっていうと、
この欲打不安を開始したいわけですよ。
結局は、そういう人に
ずっと助力を頼んでいると、
未来に悪いことが待っている可能性が、
否定できなくなっていくわけですよ。
iPad Pro Maxとかを買えば、
未来が明るいかっていうと、
大変微妙なんですけど、
そこは多分、
想的に乗り切ってしまうんですよね、私たちはね。
いや、これを買えば絶対いけるはずだぐらいに、
無理やりでも思い込まないと。
つまり、
自分の悲しみの感情を否定するということが、
非常にこう、
なんていうんですかね、
この種のパーソナリティ障害には、
おなじみで付きものなんですね。
万能空想に浸るというのは、
感情の否認なんです。
現実の否認ではないんだけど、
仕事でミスしたという話に対して、
ミスしなかったとか、
このミスはそもそも存在してない、
ってなってくると、
これは、
現実検討の問題になってきて、
精神病水準というしかないところに、
入ってくるんだけど、
いや、そんなミス存在しなかったしとか、
10月1日は会社にそもそも行ってないしとか、
現実を否認し始めるというのは、
危険なことなんですよ。
でも、私たちは、
現実の検討さえついていれば、
大丈夫だって思いがちじゃないですか。
だから、
自分の感情を否認する上では、
OKだって思っちゃうんですよね。
本当はすごい辛くて悲しいのに、
いや、辛くも悲しくもない。
俺にはiPadがある、
みたいになってしまうと。
これは、こういうとなんか本当に、
冗談みたいに聞こえるかもしれないんですけど、
僕は一番多いんじゃないかな、
ぐらいに思いますね。
普通に、普通に多い、
持っていき方、
情緒の持っていき方、
というか、情緒を持っていかない感じがするんですけれども、
つまり、
味わわれないというか、
抱えられていない感情は、
36:01
もはや存在しないんですね。
そうして、
神的空間って言うんですけれども、
抱え込むべきものを、
抱え込まないコンテナは、
著しく狭くなる。機能が弱くなる。
本当に、
そこに残っているのは、
何にも抱えない。
だから、
非常に憶測的なんだけど、
めちゃくちゃ怒りっぽくて、
周りの人をやや困惑させる人っていうのもいらっしゃいます。
あんまり多いタイプじゃないですけど、
家の中とかではよく見かけますね。
めっちゃ怒ってるわけですよ。
お父さんとかが、
それこそお酒を飲んで、
めっちゃ怒るわけです。
本当は自分が仕事で失敗して悲しいとか、
なんか自分のこう、
なんて言えばいいのかな、
下らなさを思い知らされるとか、
なんか同僚のちょっと上の先輩から、
お前気が利かないよね、お前って、
みたいなことを言われて、
すごい傷ついたとか、
そういうことがあった時に、
全然抱えておけないから、
お酒を飲みながら、
奥さんとかお子さんとかに、
めっちゃ罵声を投げるみたいな、
そういうのって割とあるだろうな、
昔はいっぱいありました。
抱えておけないということは、
誰かに抱えさせるんですよね、無理やり。
そのやり方の一つが、
つまり、
誰かに抱えさせるんだけれども、
誰かに抱えさせているんだってことは、
分かっているんだ、本人には。
現実検討能力がないわけじゃないですから、
分かっているから、
分からなくしたいわけですよ。
そこでお酒とか、
万能空想といったものが、
欠かせなくなっていく。
何か、何かがいるわけ。
でもそこでいるものは、
全部物なんですよ。
人だと指摘してくるから。
そこを分かち合うというのは、
それがだから、
職場の愚痴みたいなやつなんですけど、
あれは、
ある意味健全だと思うんですよね。
少なくとも、
周りに物しかないですとか、
当たり散らす家族しかいませんというよりは、
マシな気がする。
だけどあそこ反論されることあるじゃないですか。
愚痴の場面みたいな。
だいたい聞いてくれるけど。
だからそこで、
お酒と反論付きっていうのでも、
いいって言うんだったら、
まだいくらか抱え込めてるってことだと、
思うんですよね。
割といっぱい抱え込めてるのかもしれない。
それを全然抱え込めなくなると、
えっと、
他の人の要望でね、
あんたカウンセリング受けてきなさいみたいな、
それ言われることないんですけどね、
今はあんまりないような気が、
僕はしますが、
そういうケースは当然あります。
そうすると、
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