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おはようございます。働く人のメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト、第1070回をお送りします。
さっきですね、グッドモーニングバイブスとかって言ってしまって、もうなんか一番最初の名称じゃん、それと思ったんですけどね。リテイク今してるわけですね。
その方が、よっぽどスパッと言うには座りがいいですけどね。7月15…ごめんなさい。なぜ7月言ったんだろう。10月15日火曜日、7時52分です。
言い間違いが多い。分析的になりたくなるぐらい酷い言い間違いがさっきから多いですね。
まあ今、メッツ対ドジャーズを見ていたせいもあるかなと、ちょっと思ったりもしなくもないんですけどね。それを30分ぐらい見てたために、7時50分になっちゃったわけですね。
昨日はね、千葉ロッテが残念な、非常に僕からすると残念な、たぶんロッテファンが見てるとみんな残念なんじゃないかと思わなくもないんですけど、残念な負け方をして今シーズンは終了してしまいましたが、
私の別に日常はそれとは別次元で進んでおりますので、ちょっと心理的には終戦してしまった感はなくはないんですけども、結構長らくファンやってるとそんなもんなんですよ。40年来のファンなんでね。
40年やっててシーズン1位優勝は1回もないんじゃないかっていう、ないんですよね。あの日本一になった時はいずれも2位3位ですし、もうあとちょっとでねマジック3まで行ったのが井口監督の時代だったんですけど、ちょっとこう優勝してくれよって感じですけどね。
本当に難しいっすね。優勝というのは6球弾あると。まあまあいいや。はいえーと、知らせと言いますか、あのまだなおですね、一発告知ができてなくて、今日明日中に絶対やるぞみたいに思ってはおりますが、つまり先を振り捨てるわけですが、第8期の3ヶ月チャレンジ。
働くメンタルを取り戻すですね。働く心にしようかなーってもうずーっとここのところずーっと思ってますけれどもね。えーと、心にはスペースがありますが、メンタルにはスペースという感じがしないんですよね。これが象徴機能ってやつなんですけど。
心ってほら、心の余裕とか、心の広がりとか、空間的なものを非常に強く連想させるじゃないですか。しかも機能としては4次元的で、そこには時空があるんだけど、メンタルは時空いずれもない感じがするんですよね。
時は少しある感じがしますけど、空は全然ないですよね。メンタルというのはエネルギーを連想させますんで、エネルギーに広がりってあんまりないじゃないですか。エネルギーというのは瞬発的なパワーを感じさせられるんで、メンタルはそれに近い心の一つの機能のようなエンジンみたいな感じがするんですよね。
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メンタルを取り戻したいんだけど、心を取り戻せば自然メンタルはついてくるという風に私は思っているので、ちょっとメンタルよりは心にしたいけど、働く心を取り戻す、そうしたい感じはしますね。
まあいいや、8期の募集を公式にかけていきたいと思っております。最近私のそれこそメンタルはとても落ち着いているので、基本私はメンタルは落ち着いている方だと思うんですけどね、水面下で悪性の事態が時々進行するということはあるにせよ、表面的には落ち着いているので、
この方々ですね、私がまず想定させていただいているのは、表面的に問題はないんですが、人から見ると内心ではそう穏やかではないですっていう神経小水準なんだけど、内を探っていくと非常に難しいスペクトラムがそこに見えてくるっていう、
私自身の状態が長らくそうだったもんですから、ここを見ていきたいと。これを行動療法をされても行動はそんなに修正点はないはずなんですよね。行動も修正点が全然ないかというとそんなことはありませんけれども、それをやっているとキリがなくなってしまうのでむしろ辛くなっていくし結構ですね。
しばしばね、一時的に行動を修正することで乗り切れるってこともありますから、行動療法そのものがダメだってわけじゃないんですけど、ただ話題にしすることはないかなと。だってそこら中で話題になってますから、それでいいじゃんっていうところですね。
こっちは話題になっていないんですよね、あんまりね。そこをまず考えていきたいかなというのが一つの趣旨ですね。これでは伝わりにくいとはちょっと思いますけれども、とにかく精神分析的な事象っていうのは観点をとればですね、ある観点をとればそこら中で見えている、現実的に進行しているものなんですよ。
ただそれを全然話題にしなくなってきたというのが私が話題にしたいことです。話題にしないっていうこと自体がもう閉塞感を生むだろうと。そういうことですね。
例えば今、つい昨日あたり集中的に調べたんでちょっと話題にしたいんですけどそれこそ、心療内科と精神科の違いって僕ら意識してるだろうかと考えてみると、あんまりしてない気がするんですよね。私も先日なんか適当なことを口走った気がするんで。
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これですね、申し上げておきますけど再三にわたって、毎回警告、警告ってちょっとおかしいな。注意喚起をしておきたいんですけど、私のこれは正しい情報じゃないですからね。これはもう絶対に意識から外さないでいただきたいんですよ。別にこれを正しいと思ってやがると言って炎上するのは構わないんですよ。
むしろ炎上は時々してもいい、しないって結構してもいいと思ってるんだけど、何が言いたいかというとですね、これは井戸端会議だってことなんですよ。井戸端会議に正しい情報性、情報の正確性を求める人っていないと思うんですよね、やっぱりね。
私はよく便所の落書きって言われてましたけど、そこまで自虐的になることもないと思うんですけどね、インターネットの書き込みが。でもフェイクニュースとかって言い出すのは明らかにおかしいと思うんですよ。それ新聞じゃないでしょうと僕は思うんですよね。
そのメディアはインターネットって本当に人類新しく得たものなんで、それは便所の落書きなのかそれともニュースペーパーなのかっていうね、そういう不思議な議論もあり得ちゃうとは思うんですけれども、どっちでもないとは思うんですよね。
私やっぱりSNSは井戸端会議だと思うので、井戸端会議に正確性をどこまで求めるかと、まったく頭から完璧に的外れっていうのもどうかと思うし、意図的にフェイク流すっていうのもいただけないと思うんだけど、だからといってその情報に正確性を求めるなんてね、とは私はちょっと思います。
結局のところ、必要であるならば裏を取っていかなきゃならないでしょう、受信している側がですね。これ言ってもしょうがないんですよね、インターネットの世界では。でもこれは井戸端会議なんです。そこに僕は価値を見てるんで、井戸端会議が絶対正確じゃなきゃいけないっていうことになってしまったら、もうそれは井戸端会議でもなんでもないと思うんですよね。
何らかの意味でニュースだって報道になっちゃいますよね。報道とは絶対言わないと思うんですけどね。いずれにしても、なんで我々は、例えばですけど、あそこの診療内科いいよねとかって言えないのかってことですよ。だってあそこの会社さんいいよねって言ってるんですよ、現実に。で、その情報が正確かどうかっていうのはおかしいじゃないですか。そこが難しくなってきてる時代ではあります。
そこが難しくなってきてる時代ではあります。
だけれどもやっぱりそれは正確かどうかが大事なんじゃないんですよ。この種の情報交換を気兼ねなくするってことが大事なんですよ。で、できてないと僕は思っているんです。特にココロンがテーマになってるところで、それができてないと。それだけじゃないけど、僕はこの3ヶ月チャレンジの重要な価値の一つは、この種のことを平気でやるってところに意味を見ているわけですよ。
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そこが受け失われてしまって、ここでやり取りされている情報は正確なんですってことを目指そうとしてしまったら多分アウトだと思うんですよね。正確になったとしてもダメだと思ってるんですよ。情報の正確性などというのは、気軽に話題にできることの価値に比べると低いと僕は思います。
特に今の時代は正確な情報を真剣に手に入れようと思えば、比較的簡単にそれができる時代なので、情報が正確であることではなく人口に感謝すること。少々間違っててもいいから。で、それも意図的に間違ってるとか炎上するのが目的とかフェイクが狙ってるっていうのではダメなんですよ。そうじゃなくて、いろいろな会議ってそうじゃないじゃないですか。
なるべく自分たちにとって正しい情報を交換しようねと思ってるけど、それに最大のコストは払わないよっていう成り立ちですよね。すなわちそこに曖昧さがある。それがいいんですよ。
それこそが、それを目指すってのは難しいんだけど、昔は自然発生的にそれがたぶん成り立ったんだけど、これを心の分野に自然発生的に成り立たせようという、もしかすると無謀かもしれない試みを、なんでこれが無謀かもしれないのかわかんないですけども、考えてるわけです。
で、元に話を戻して診療内科と精神科ですよ。この2つを少なくとも普通の人がパッと分けられないってところがミソなんですよね。本当に。
歯医者さんと名医者さんと小児科医は分けられるんですよ、我々は。誰に習ったわけじゃないじゃないですか。学校で習いましたかね、名医者と歯医者と小児科医の違いについて。どういう時は内科に行って、どういう時は歯医者に行って。
多分習ってない。習った人もいるかもしれないけど習わなくてもそれはわかる。でも我々は心理カウンセリングと診療内科と精神科、ずっと会社に行くのが辛くなってきてもう本当にここのところ休んじゃってるという人が果たしてそのどれにいいかを自分で判断するのはかなり難しいはずなんですよ。
なぜなのかってことですよね。そしてこれについて正しい情報がそこら中に蔓延している。蔓延してるって言い方おかしいね。でもそこら中に正しい情報があって、我々はそれを口コミではそれを扱うことができ口コミというか井戸端会議ではこの話は出てこない。
これどういうことなのかってことがこのポッドキャストには関係が、というかこのポッドキャストはまさにそういう時のためにあるんですよ。なんでこれについて話題にできないのかってことですよね。ちなみに診療内科というのは内科です。心身症を扱うところだということになっているようです。
ただし診療内科医という人はお医者様は日本では実に3桁です。だということのようです。今1000人ぐらいいらっしゃるかもしれませんけど精神科医は1万人単位なんでいかに少ないかってことですよ。内科医さんが診療内科医さんもやってるんです。これはおかしなことではないんですよ。
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だって地微科と内科ってある意味交換が効くじゃないですか。ユーザーからしてみればですよ。お医者さんはそういうことを言われると腹を立てるかもしれないけどユーザー側からすれば交換が効くってのは大事なポイントなんですよ。診療内科と精神科はどうなの?これを混同すると多分お医者さんはいい気持ちはしないと思います。でも一般の人にはその感覚はさっぱり理解できないものだと僕は思いますね。
例えばですけれども、ストレスで胃の調子がおかしい。これは診療内科だと思うんですよね。しかしですね、よく考えてみるとそれっておかしなことのような気がするんですよ。ものすごいストレスで全く食欲がない。これは精神科医な、精神科の範疇に入るんじゃないかなと。つまりこれは精神寄りなのか心身症寄りなのかの話なんですよ。
ついでに言うとお腹のことはもしかして内科医かもしれないじゃないですか。こういう問題が起こるからこの3つはあるんですよね。さらにその他に薬は出せない。もしかすると診察という意味での診察もできないのかもしれない。しかしながらストレスでお腹が痛くてって言って症例を診断されて薬が出るかもしれない。
少なくとも話を長々と聞いていただけない診療内科さんや精神科と違って心理カウンセリングは話を聞いてくれます。つまりどうしてこうなったのかとかどうしたらいいのかって話をしたければ簡単ではないかもしれないが、公認心理師さんのいる心理カウンセリングに通うといいわけですよということになってるはずだ。
ただしここは保険が聞きません。だから1万円する場合には1万円払わなきゃならない。それが診療内科なり精神科であればですね話は聞いてもらえないかもしれないけど3300円で済むっていう話ですよ。これはざっくりとね、ざっくりともしかしてちょっと値段は違うかもしれませんけどね。
この辺の話なんですよ。ちなみに薬も出ます。つまり公認心理師さんはお医者様ではないので薬は出せないんです。これもとてもとても考えようによっては不思議なんですけど、まあここを今追っていくと時間が50分になるのでスルーしてですね。
本題に今の前置きですからこれが井戸端会議なわけですよ。それ正確じゃないからっていう人がいてもいいわけですよ。全部間違ってるからいいわけですよ。だって井戸端会議なんだ。めちゃくちゃ大事なんですよ。これが話をする上でそんなことを気にしないってことが大事なんですよ。
気にしちゃうでしょ多分多くの人は。この情報正確だったから後でウィキペディア見なくっちゃと。ウィキペディアじゃダメかもしれないからなんか精神とか何とか時点を読まなくちゃ。読まなくていいだろうって話ですよ。井戸端会議でうちの子熱だしちゃってさっていう人がですね、家庭の医学読まなきゃとか、医学の専門書買ってきてからじゃないとあのおばさんに話しちゃダメだったかも。おかしいですよねそれは。このおかしさは何なのかってことなんですよね。
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まあ要するに本当のことを調べたければ調べてください。ただし、何で調べるのかって大事ですよ。何のために調べなくてもいいことを僕ら一生懸命調べて、SNSで恥をかきたくないから、ただそれだけの理由で何とか時点をひっくり返して、実はそのことほとんど誰も気にしてないのに、たまに炎上させる人だけが大喜びで何かを突っ込んでるというのに過ぎないのに、
僕らは何でそんなに無駄が大嫌いなこの社会において超無駄なことを一生懸命やってるのか。もしかするとあれなんですよ。便乗の落書きをするために心理学大辞典を引っ張ってるのかもしれないんですよ。
まあこれはですね、そういう観点に立てればそれで十分心の余裕が広がるんでいいんですけれども、心の余裕が全くない状態で全く同じことをやってるとき、何が進行してるのかということを意識しましょうという話がしたかっただけなわけで、それで17分を使おうとしてるわけですね。
すみません、今水飲んだんですけどね。日差しが強いせいで喋ってるとすごい急に喉が渇いてくるんだと。何を興奮して喋ってるのかよくわかりませんけど、井戸方大尉はね、興奮して喋るというのが大事ですからね。昔はきっとみんなもっと興奮して喋ってたと思うんですよね。
ガセビアを興奮して喋るんですよ。それ大事だと。ガセビアじゃなくてもいい、というかガセビアだと思ってちゃダメなんですよ。ガセビアかもなと思って正しいことを喋ってるつもりで興奮するっていうその心理状態をみんなで共有しましょうねってことなんですよ。
僕ら機械じゃないんで、正確なことばっかり喋ってるうちに自分の健康を失っていくんで、本当にこう、だからといってフェイクを喋るっていうのではないんですよ。何度も言うけど、狙ってフェイク喋ってるのも機械なんで、生身の人間はそういうことをしないってことですね。
本題に入ります、いい加減にしてですね。本題は転移なんです。今日は転移、トランスファー。トランスファーなのか、でも転移です、転移。とにかくフロイトがドーラの症例で見出した転移です。
フロイトは多分あの時お父さん役をさせられて、ドーラはこの人お父さんだわと思って、攻撃的な気持ちもなっちゃったわけですね。とにかくそういうことが起きたんで治療が中断して、うわ転移邪魔だわって最初フロイトは思ったと思うんですけれども、このうち転移こそが治療に役に立つんだ。
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こういうのって生身の人間ですよね。あずまさんですか、あずまひろきさんですか、言論の人が定性可能性とか、こういうふうに喋るんですよ。この曖昧なまま、曖昧なまま喋る。そしてこれを実際曖昧だなという不安を少し抱えるんだけど調べない。
このスタンスを頑張るっていうね、時々大きな失敗をして、でも本当は炎上しない方がいいんですよね。心の傷を負うほどのことじゃないってことなんですよ。あれって感じで、間違ってたっけみたいな感じ。これを繰り返すっていうのが僕は生身だって思うんですよね。
何の因果で僕らが、アカデミーからお金を1円もいただいてない僕のような人間がアカデミックなことをやろうと、わけわかんないままごとに性を出し、まあこれままごとだから、意向対象なんですけれども、そういう余計なことを言うことが大事だと思うんですよね。
ままごとだよねってことですよね。学者の真似っこしてるだけだよね。それがライフハックの醍醐味の一つじゃないですか。知的生産とか言ってですね、誰も読みじゃないってことですよ。誰も読みじゃないところの本が面白いんですよ。みんなが読んでる論文は実は誰も読みたくなかったりするんですよ。こういうねじれはどこにでも絶対あるんです。そこが一番上手に言えたのがウィニコットだと思うんですけどね。あの精神分析の世界ではってことですよ。
ブリトンとかもそういう話好きだったかと思いますけれども、そういう話も何の意味もなく混ぜ小銭にしていって、消費していって、だから多分学者の人たちが居酒屋でやってることなんだと思うんですよね。
コーチングって言葉を一昨日含めると4人の方が集中的に出るときに僕の何かが閃いてこうやってぐちゃぐちゃ喋り出すということなんですね。コーチングには定員は付きものですよ。
分かんないですけどね、コーチがお母さん役になっているケースは多々あると思うんですよ。コーチングの世界でそれをどう取り扱うのか分かんない。ただ、私はコーチングをたった2度ですよね。本当に回数として2回、これじゃ分かんないんだけど受けてみて、定員は扱われてないけど定員は発生するなとは思った。
その程度の知識は当時からあったんで、それは発生するに決まってるじゃないですか。今ここですよね。今ここで、だからフロイトとドーラはまさに彼らが存在したその現場で同時に父と娘になってしまった。もうその辺のことまでフロイトは書いてるんで、定員ってそこが大事なんですよ。
過去じゃないですか。過去の人間関係が今ここに再現されて、そして今ここの人間関係は過去の人間関係のある程度の再演なんですよ。実演と再演ってやつね。だからこれを精神分析は直接ダイレクトに取り扱う。
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僕はやっぱりいろんな臨床例を読んでるんですけど、最近ですね、サイコセラピーを独学するというサイコセラピストの失敗例を集中的にまず集めて、それを後で考察するという本を読んでるんですけど、そこに出てきてるのは面白いくらい定員を扱ってる雰囲気が少ないんですよね。
私はそれを読むと少しガッカリって感じになるわけ。定員を読みたいんでね。精神分析を読みたいんですよ、僕は結局ね。定員が扱われてない感じがする。しかもすごい短くブツッと切れるんで、あそこら辺にリアリティがあるんでしょうけど、もうちょっと持ってでもいいから何か作ってほしいなって思っちゃうんですけど、そういうものではないのかもしれないですけどね。
定員を扱ってる扱ってないっていうのがやっぱり精神分析らしさってものがすごく左右するんだなぁと、僕の中だけかもしれませんが思いましたね。
コーチングってものはですね、例えばなんですけど、お話にも出てくるし絶対出てくるだろうと思うんだけど、誰が受けてもそれは感じるだろうなと思うんですけど、誘導ってことを感じちゃいますよね。
誘導を感じるというのは、言ってみればそれは定員ではないかもしれないけど、定員の入り口に立ってるじゃないですか。誘導って言葉はまさに象徴機能ですよね、象徴ですよね、言葉ですよね。
実際には誘導というものを我々は知ってるわけですよ。例えばコーチの人に、モヤモヤしたすさきさんの心を整理して、あなたの本当の気持ちを探っていくっていう、言われなくてもそういう目的があると、本当はどう思ってるのかって方向に向けて誘導されている感じを抱くじゃないですか。
僕なら必ず抱くと思うんですね。誘導って言葉は絶対コーチの人は使わなかったから、あなたこれから誘導しますよとかって言わない、それは誘導という。誘導というのは、気づかれないように誘いかけて導いていくから誘導なわけじゃないですか。
これ誘導っぽいなあみたいに思うってことができるってことは、僕も曲がりなりにも象徴機能が使えるってことなんですよ。誘導って言葉の意味を全く知らない子供であれば、これには容易く乗ると思うし、しかもそれを誘導と考えることはできませんよね。
便意というのは、過去にそういう経験をしたな俺っていうことと深い関係があるわけですね。で、敏感な人ならば、敏感でなくてもある程度敏感ならば、これはちょっとやっぱり誘導っぽいよねみたいな、コーチングってのはそういうことをするんだよねみたいに、少しこうやって引く引く斜に構え始めますよね。
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で、敏感なコーチならば、これを気づかれてしこいつ斜に構えだしたなって気づくはずじゃないですか。逆転移に近いことが起きるわけ。逆転移そのものではないかもしれないけど、これは逆転移的なものが起こるわけですよ。
昔そういえば、自分も先生に誘導されて、学校の先生とかにね、「お前本当は勉強したいんだろう?」みたいなね、「お前本当は野球部入りたいんだろう?」みたいな、そうは言わないにしてよ。学校の先生って結構露骨にそれを相手子供だと思ってやりますからね。
お前は本当は勉強がしたいんだよみたいなことをやるじゃないですか。そしてやらしいなこいつって思うじゃないですか。子供だって当然ね。そういうことを私も今思われてるに違いないとコーチの人思うじゃないですか。思うかもしれん。
その時に逆転移という概念をコーチの人が知ってたら果たしてどうするかなって思うんですよ。私なんかはね。果たしてこのコーチだけじゃないですよ。ライフハックの人っていうのは少なからず意図的か無意識ってことはないな。
薄々自分で感じながら絶対誘導しますよ。だから目標設定しましょうとか、あなたの本当にやりたいことを明らかにしましょうってのをやりたがるわけですよ。だってそれやってくれないとやりにくいじゃないですか。
僕はそれはサンチャレでは基本絶対やりたくないと。ちょっとねこれは堅くなった。これをやりたい人とはやりたいと思います。でもこれをやりたくない人とは基本やらない。僕がやりやすくなるっていうのは意味が全くないんで、最終目標を設定しましょうとかってやりたくなるんですよ。
そうすると現地が撮れる感じを抱いちゃう。だいたいお客さんそれ好かないに決まってると思うんだけれども、でも成果が出ればそれはそれでまたいいわけじゃないですか。あなた部屋を片付けたいって言ったじゃないですか。あなた本当は部屋片付けたいって思ってるわけですよ。部屋片付けましょうよみたいなね。
こんなに露骨なやり方をする人はさすがにいないと思うんだけど、これをやりやすくなるっていうことはあると思うんですよ。目標設定というものをしちゃえば。だから誘導とか最終目標とかいうことが起こると思うんですね。これに警戒する気持ちは当然働くと思うんで。
いや別にあの、その時はそう言ったけどそれあんたに言わせされただけだからさみたいな感じで、これ転移が起きてると僕なら考える。コーチングの人が転移って言葉を知っていて逆転移って言葉を知っていたとしたら、あなた今私に誘導されていると感じていますねとかって言うかもしれない。言わないかな。でもこれを言ったら実に精神分析的になるってことなんですよ。
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この方向性に優等することの良し悪しじゃないんですよ。ここに起きている人間関係では何が再現され、その再現がなぜ嫌だったり良かったり嫌なんだけど、なぜ嫌なのかなってことを意識に上らせる、上らないわけですね。
でも、誘導っぽいっていうのはすでに上りかけてるじゃないですか。だから意識に上らせる上で、象徴機能は非常に大事なんです。これが、誘導、誘い、もう吐きそうみたいになったとするじゃないですか。その嫌悪感めっちゃ強いじゃないですか。私のような、この講師の人ちょっと誘導してるよねみたいなのとは全然違いますよ。もう吐きそうみたいになるっていうことはですね、これは深刻なわけですよ。
この吐きそうになってるのに目標設定も減ったくりもないと僕は思うんですね。だからここに治療的であるのか、それともビジネス的と言っておきますか、ビジネス的であるのか。そして私はですね、認知行動というものはコーチングの人も結構知ってる人多いんじゃないかと。定員なんかに比べるとはるかにご存知の人が多いんじゃないかと思うんですよ。
だから目標設定して、あなたは何が片付けを阻んでいるのかを一緒に考えていきましょうみたいな感じで。わかんないですよ。僕の勝手な推測です。やりそうだなと思ってるだけです。あなたが片付ける上でネックだと思ってるその行動と認識を修正していく。
これはわかりやすいというか、非常に健全な水準でできますよね。心理療法に使われてるんだから、どこか病理と関係があるはずなのですが、基本的には健常者でも全然いける。
ゴミ屋敷とまでは言わないが、その様相を提示しつつあります。あ、そうですか。じゃあ床に物を置きたくなっちゃうのは何でなのかを考えましょうねみたいなのってのは、果たして病理を扱ってるのか健康面を扱ってるのか定かではない。しかし定員は明らかに無視されてますよね。
いやなんかその様子誘導っぽいなみたいなのは、この場合あんまり問題になってないじゃないですか。でも何々この人を目標とか設定させて吐きそうなんだけど。これはなかなか深刻ですよね。伝説。誘惑って言葉がこの世にありますが、誘うってことは、ある種の猛烈な嫌悪感を引き起こすというケースは起こるわけですね。
それはやっぱり象徴水準に入ってないわけですよ。誘導だなって思えるってことは、ある程度自分の感覚の中の抵抗感みたいなものとか嫌らしさが感じられるなっていうのとまた別に切り離してあるわけですよね。
鳩は平和の象徴と言いますけど、鳩を見た瞬間にもう核兵器手放さないといけないだけとかって思わないじゃないですか。つまり具体的な鳩が平和の象徴であるってこととは結局は切り離せるわけで、切り離せるから象徴なわけですよね。
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でも具体化していって具体化していって具体化していくということは切り離しきれないっていうことになっていくわけで、だから夜はつかむってのをよく出しますけれども、ベータ要素って言い方を僕は最近はまだ覚えちゃったから言ってますけれども、
つまり象徴水準と具体水準が切り離せなくなっていくときにはその人にとって何か深刻な経験が絡んできてるんではないかなと考えるのがやっぱり自然だと思うんですよね。
そうしたらその象徴使えなくなるので、あれやこれやその周りの方面からどうしてそういう具体水準のままになっている記憶やら経験やらがその中に残ってしまったんだろうっていうことを考えていく必要があると思うんですよ。
なんかね、目標設定させられているうちにわかりませんよ、わかりませんけれども、なんか極めて、例えばその目標に一旦設定した以上、毎朝雪が降ろうと、見ぞれが降ろうと、外に行ってランニングシャツ着替えないと無知で撃たれるとかね、怖いじゃないですか。
めっちゃ話が違ってきますよね。
これが象徴水準というものにたどり着けなくなる大きな理由になると思うんですよ。
なんか何この設定させられただけでもうなんか体の震えが止まらなくなりました。体の震えというのはつまり身体水準ですよね。
これも先日お話をある方としたんですけれども、結局全然自分は気づかなかったんだが、気づかなかったんだけど気がついたらこういう話って僕は一人や二人ではないんですよね。
やっぱり仕事術とかそっち系のセミナー行ってると何回か伺う機会があったんですよ。
全く気づかなかったところで水炎になってたと。
静かな臓器って言われてますけれども、本当に問題がないとなかなかつまり人間毒とかそういうので調べて初めて数値で気づくぐらいな臓器っていくつかありますよね。
私も肝臓と腎臓でいくつかそういう危険水準に入ってないんだけどその手前まで数値来てますよ。
全然実感のしようがない。痛くもなければしこりみたいな、そもそも臓器感覚を持たないようなところの話が進行しますよね。
ストレスと水炎ってすごい関係があるってネットで適当に検索してほしいんですけれども、書いてあったりするわけですよ。
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で、結局これってさっきのあれですよ。診療内科に行くか精神科に行くかそれとも内科に行くかって話で、普通内科に行っちゃうじゃないですか、僕ら水炎って聞いたら。
なんか脂っこいものばかり食べてるのかなとかよくわかんないことをとりあえず考えるわけですよ。酒飲みすぎかなと普通にそういうことを考えるわけです。
だけどストレスで炎症が起きやすいですって話になった時に、でもストレスで酒をいっぱい飲むからなんじゃないのみたいなことを考えたりも、僕ら結局するわけですよね。
心の問題が僕らの時代はもう体の問題になってるわけですよ。ものすごい勢いで。
僕らはそれこそあんまり意識しない水準でそういうことが猛烈に進行してるわけだと僕は思うんですね。
薬っていうのは精神科のお医者さんで処方してもらえる薬っていうのは脳と神経に作用するわけじゃないですか。脳と神経ってものじゃないですか。
身体じゃないですか。心じゃないじゃないですか。脳と神経は決して。だから薬で問題が解決していくんだって考え方っていうのはつまり心というものはスルーされるってことじゃないですか。
水塩というのは水蔵じゃないですか。ものじゃないですか。それが正常な状態と異常な状態は数字で測れるってわけじゃないですか。それもまたものじゃないですか。心じゃないじゃないですか。
だから私たちは心で心を取り扱うというのが今すごく遠のいたっていう意識をみんなが持ってるんで、これを体で表現するっていうのが今やなんていうのかな。
流行りというのは変なんですけれどもね。でもやっぱりそういう傾向というか潮流というものがはっきり生まれて、心理的な不調は身体表現を取る。
あるいは行動にする。だってそうしないとケアしてもらえない。手当てしてもらえない。手当てしてくれるお医者様がそもそも存在しないかもしれない。
するとしても正規がどうしたとか非正規がこうしたとか民間療法がどうしたとかわけのわかんないことに巻き込まれがちなので、それだったら身体が表現するのに任せるか、そこを待つか、あるいは身体的に表現するか、いずれかをやらないとねっていう。
小畑海人さんはまさに書いてた通りなんですよ。背病には血流だって言うわけですよ彼はね。
彼は胎温計擦り術って彼が名付けてるやつでね、学校に行きたくないとなったら胎温計を、もしストーブとかで温めると熱が40度とかになっちゃって、どう見ても40度ねえだろってことになったり、病院に連れてかれたりして大変なことになると。
でも病院、学校休むことができるっていうぐらいには熱高くならない。36度9分とかじゃダメなわけですよ。そこでこう、人が見てないところで猛烈な勢いで胎温計を擦って37度3分とか37度4分とか病院に連れて行かれはしないが、学校休むには十分な熱量をそこで程よくアップさせる技術を磨いたのだみたいなことを書いていて、
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要するに面白おかしく書くわけですけれども、これが心の問題を、心の問題なんですよ。要するに学校行きたくないという、彼が話盛りそうな人だけれども、超優秀な人ですけど、超優秀な学校行ってみたら自分は全然ボンクラだったということがわかって、すごく落ち込んで死にたくなったから学校行きたくなくなったっていうことを書いてるわけですね。
だけれども、学校に休むには自分は健康すぎたので、病気にならなければならない。ここがまさに心の問題を体で表現するっていう、体で表現できてないから、胎温計を擦る術になったわけですけれども、この例を見てもわかる通り、あれほど適応的に、適応度が高そうな人、大学の先生にもなれる、ベストセラー作家にもなれる、兄弟出身で、
臨床心理師のスーパースターみたいになりつつある、河合ハヨンさんの孫ですかな。こういう経歴の持ち主でさえも、やっぱりですね、ヘビースモーカーだし、体温計擦る術の名人とかになっていくわけですよ。これぐらい僕らは、心というものが扱いかねている。
だって、大概の人は、あの人の半分も適応的じゃないじゃないですか、世の中に。僕なんかもうひどいもんで、体温計擦る術だったら彼よりもはるかに僕の方が上手かったと絶対に思うんですけれどもね。それくらい僕は学校行きたくなかったんで。
サボりにサボってましたから。でも、東方海人さんもサボりにサボってたらしく、東方さんは妹さんがこいつ死ぬだろうと思ってたらしいんですよ。あまりに病気しすぎるということで。それぐらいだから目につくぐらい休んでたってことですよね。
で、東方さんはそのお母様がですね、エビデンスの提出を求めたと。それは本当にひどいことだっていうふうに書いているんですけれども、要するに本当に熱があるのか、お前の体は本当におかしいのかのエビデンスを出せみたいなことを言ってくるわけですよね。
まあこれも冗談なんですけど。これは非常にひどいと。そうじゃないんだと。要するに治療してあげるんだと。相手が嘘ついているのが分かっていたとしても治療してあげるんだと。それがケアってもんでしょうっていうふうに彼は書くんだけど、僕も全くそう思いますね。全くそう思います。
ちょっと話がこじれてるんですけれども、だからコーチングの人に誘導されてても大体の人は乗ってあげるんですよ。誘導ね、はいはいってことで、僕ちょっと英語でトーイックで850点は取りたいんですよね。それを目標にしますよみたいな。乗ってあげてるわけ。
で、そうしているうちにコーチングの人もメンツを潰されることなくですね、ちょっと別に批判しているわけじゃないですよ。こういう心理状態になるってことなんですよ。これは覚えがあるでしょう。先生のメンツを立てる時の子供の心理ってこうなんですよ。
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で、先生は子供をケアする立場かもしれないが、子供は先生をケアしてあげないとやっぱり先生ってのは成り立たないと思うんですよね。だから最近すごく学級崩壊の話を聞いたとき、いやーそれは子供ひどいよねと思うんですよ。
小学校1年の子がめちゃくちゃ学級崩壊させていくっていうのはですね、やっぱりケアをしてあげようという気が全くない。ケアをしてもらおうという気しかないという時に起こるややこしい事態なんですよね。
そういう時はどっかでその先生をケアしてあげる、つまりコンテインしてあげる人たちが別途必要になると思うんだけど、そういうものが構造的になぜか低迷してしまったり機能不全に陥ると学級が崩壊して先生は学校に行きたくなくなるって事態を。
つまりそれがいつもながらにおいていつもながら起こる孤立、孤立というかコンテインドが投げ出されてしまっているわけですよね。
ホールディングする存在がないと、コンテインディングしてくれる存在がないと、コンテインドが排出された話になっちゃっていると。
それは多分その学校のお子さんたちが良い生活はしているのかもしれないけど、何らかの意味でコンテインディングされてないんでしょうね。
普通は返すんですよ、コンテインっていうのは。子供であれば特に僕は返すと思うんですよね。
子供っていうのはそういう意味ではよく何でかは知らないがよく分かっている子が多いなってよく思うんですよ。
コンテインされているっていうコンテインが必要な大人を必ずコンテインしてあげるっていうことをするように見えるんですよね。
これがなんとなく僕は鍛えられるってことかなと思うんで、サンチャレは大体僕はみんなにコンテインされて何とか何とかやってるわけですよ。
逆じゃないんだと僕は思うんですよね。
ここを逆だと考えるっていうのはおっぱいの図で赤ちゃんをおっぱいに吸い付くことでおっぱいをコンテインしてあげているってそれを無視しているように見えるんですよね。
お母さんは赤ちゃんをコンテインしてるに決まってるんですけど抱きかかえてるのはお母さんだから。
でもお母さんがおっぱいを受入するときに赤ちゃんがそれを飲まなければ結局のところおっぱいを飲ませてあげたいという気持ちはそのまま排出されたまま放置されてしまうじゃないですか。
全然誰もコンテインしてくれないってことになるじゃないですか。
書写ってのはそういうものなんですよ。
物を書いたら読者が必要で読者がいない書述ってものは結局のところコンテイニングされていない全くケアされていないコンテインドみたいなもので大体もう書く気を失いますよね。
普通に考えてみればこれもそうですよね。
これを聞くことで朝が行けるんですって言ってくださる方はいらっしゃるんですけど会社会社とかにこれが僕がコンテイニングされてるってことなんですよ。
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してるってことでは決してないんだと思うんですよね。
だから毎日毎日喋ってられるってことなんですよ。
この関係を全部見放してしまったら何にも生まれなくなってしまう。
だから不毛って言うんでしょうけれども。
こういう構造はどこにでもいつもあるすぐにコンテナーとコンテインドは包まれるものと包むものはすぐ逆転してるし同時多発的に起きるっていうか同時交換的に起きるんですよ。
コンテインする人はコンテインされる人だしコンテインされる人はコンテインする人なんですよ。
この関係がいつでもこう転移的に転移と逆転移ってのは本当に役割交代がどんどん激しく起きるので。
そこを意識するだけで意識できるようになるだけで、日常のケアは相当量まかなえるはずだと。
私は東方さんは雨の日の心学でそういうことを書きたくて転移の話までされているんだと思ったわけですね。
そして私もそういう話が結局そこら中でできるようにするためにこうやって井戸端回帰的にするっていう実例を無理やりやってるわけですよ。
別に転移って言葉を使わなくてもいいんですけれども、私はだからやっぱりコーチングというようなものは転移だと思うんですよね。
この観点を僕が取るからこのポッドキャストは精神分析的なんですよ。
いやコーチングは絶対CBT的ですよって言うんだったらそれはその通りですよ。
まったく昨日石場総理がそれはその通りですみたいな独特の言い回しで言ってたけど、そういうことですよ。
コーチングはCBTですよ。
大概の場合、特に洗練されてるやつはそうだと思う。
でも僕はあれを精神分析的なものだと考える。
そうすると誘導っていうのは全く気にならなくなってくる。
誘導はされるんですよ。誘導されるということをコンテーニングしてあげるんですよ。
そうするとそのコーチの人の腕は確実に上がっていくと僕は思うんですよね。
これを僕らの世界ではだんだんだんだんそういう観点を取らなくなりつつあると思うんですよね。
よく言うじゃないですか。打選が投手を鍛えるとかそういうやつですよね。
要するに打選が投手を育てるとか。
投手コーチを打選がするはずはないんですよね。
だから打選が投手を鍛えるとか育てるとかそういう話っていうのは、
こういう二者関係ってものがそこら中で試合をやる相手がいなければ勝つことは絶対できないんで。
そういうふうに見なかったら単なる情報交換とか単なるティーチングになっちゃうわけですよね。
コーチングとティーチングの違いっていうのはコーチングの人たちが強調されるだけあって難しいところだと思うんですよ。
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だけどあれはやっぱり認知行動両方っぽくなればなるほど、認知行動両方っぽくなるんだけれども、
そこのところに間違いは絶対ないんですけどね。
でもそれだけの観点ではないと思うんですよね。
それだけの観点だとするとむしろティーチングに近づくという感じがするんですよ。
正しく物事を進めてしまう。そうじゃないような気がする。
だってね、体温計を37.4℃に名人芸のように上げる。
どこにも正しさがないじゃないですか。完全にやってることはおかしいんだけれども、
これを子どもがやるとして、そういうことをやらないようにしてあげましょうみたいなのは、
僕はどうしてもそれはきついだろうって思うんですよね。
人は歪であったり歪んであったりしてようやく切り抜けられるシーンがたくさんあるし、
人はその歪になったり歪んだりする能力を持ってると思うんですよ。
37.4℃にできる名人芸みたいなのってあるわけですよ。
何の役にも立たないようだけれども、それがその子を生き延びさせるのにとても重要な要素になってくる。
分かっていて親を持ってあげるっていうことが、人間社会ってものを何と言うんですかね。
何とかするために。私、矢地北道中読んでていつもそのことを思うんですけれどもね。
江戸時代って今よりは遥かに過酷なんで、性格全然良くないんですよ。矢地さんも北さんもね。
これでもやっぱり生きていくってことはこういうことだろう。美しくも何ともないし、スマートでも何ともないわけですよ。
美しくも何ともないですよね。37.4℃に体温計をするってのはね。
私は中学・高校で何を学んだかって言うと、やっぱり体温計の操作を学んだなと。
それを通じて人間操作ってものを学んで、操作してあげる人たちの優しさってものに触れるってのが、やっぱり欠かせないとまでは言いませんけれども、
まあでも今私が喋ってるようなことを喋れるようになったのはそういう経験のなせる技なんだよなと。
戸畑さんの読むたびに、あれは印象によく残っておるわけですよ。