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精神分析な観点を締め出すとなぜ「クリーン」な感じがするの?【1341】
2026-04-14 39:32

精神分析な観点を締め出すとなぜ「クリーン」な感じがするの?【1341】

生臭くない、ところで。
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00:05
おはようございます。ライフハック時代の精神分析、第1341回をお送りします。
4月14日火曜日、7時37分です。
えーとですね、この回の総数言うのをもういい加減やめようかなとなんとなく思っていて、なぜかというとめんどくさいんですよね。
忘れるし、間違うし。
ということで、わかんないですけど。
まあでもトータルの回数数えておくと何かと便利だなーっていうのあるんですけどね。
でもなんかね、AIって面白いんですよね。こういうの苦手なんですよ。
私が本何冊書いたか教えてとかって言うじゃないですか。
すっごい正しい答えを非常に簡単に、しかも非常に人間にとってめんどくさいことをやってくれる、非常に良いライフハックを考えついたぜと思ったんだけど。
だいたい言うたびに数違うんですよね。
なんか46ですとかね。
なんか63ですとかね。
なんかこう微妙な間違いじゃないじゃないですか。
あからさまに間違ってるんで。
ほんとこう、どうしてそうなっちゃうのかな、AIってっていうこの。
しかもしれっと全く違う数字を平気で言ってくるところが、なんかこう不思議だなーって思うんですよね。
まあいいや。
絶対こういうの間違うと思うんで。
まあ厳密にどう数えればいいのかって話はもちろんあるんですけどね。
お知らせと言いますか、3ヶ月チャレンジの第14期を現在もなお渋得募集中でして、お試しいただいたやつを受託できますということで、
お試しは4回セットなんだけど、1回で終わりにすればそれは無料で賄えますといった感じですね。
1回やってみて4回やりたくなったら、そこから25,000プラス税を支払いいただくと全部で4回できて、
さらにそれを3ヶ月チャレンジにしたければ、そこから追加分をお支払いいただければ3ヶ月チャレンジにも入れるので、
お試し分は丸々お得ですという、そういうかなりやろうと思えば相当試せるよっていうつもりでこの設定をしております。
なんかもう佐々木と喋っても何もなんないじゃんっていうことを1回4回の形で試せるという、
そのこと自体がそもそもあんまり魅力的になれないのかもしれないんだけれども、
最近ちょっとね、昨日本のミーティング、本の企画ミーティングをして何となく関係ないかもしれないけど、
ふわっとですね、エゴサをして、しかも自分に対して批判的なエゴサという、何のためにそんなことを急にする気になったのか、
もちろん気分はとても悪くなるわけですよ。いいことねえなと思うんだけど、
でも読んでいて、まあこれジェミニドだし、ちょっと創作入ってるんでジェミニなんで、
03:00
あのジェミニなんでっていうのはジェミニに対してあれですね。
でも明らかになんかAIって変な創作を入れてくるんですよね。
なんか例えば、嘘とはいう、嘘に近いな。
なんか佐々木氏は最近ラカン派の精神分析に凝っていて、
いやいやいやいや、ラカン派じゃなくてクライン派なんだけどっていう、
もうなんかそこがラカン派になってしまう、いかなる理由があるんだろうっていう、
まあ昔ラカンとか言っちゃったかもしれないですけど、対象Aとかね。
でもラカン知らないしね。
そういうわけで、なんでラカン派とかって言ってくるのかなっていう、
まあそういう批判があるのかもしれないですけど、それは大筋誤解なんで。
まあ別にね、炎上とかしてるわけじゃないから、探しに行かなきゃ気づかないレベルなんでいいんですけど全然ね。
でもまあそういうのを見て、ちょっとまた改めてですね、
まあ大体こういうふうに改めていいことあんまり起きてないんですけど、
まあでもちょっと改めて考えてみようかな、いろんなことを思いましてですね。
今日はその辺の話をちらっとして考えてしてみようと思ったんですけど、
精神分析って私がまず、なんか佐々木は専門かぶってるとかそういう批判があるようなんですけど、
ままごとやってるとかですね、まあいろいろあるわけですが、
それはそうなんだけどですね、逆に精神分析というものを何かですね、
そういうふうにして全く使い物にならないものにしちゃっているっていうのが、
私のこのムーブメントをしたい大きな理由の一つなんですよ。
もちろんビジネス上の理由はあるわけですよ、当然。下手だけど私は。
でもやってるし、自分が食うのにいくらかでも足しになってるから、それはそれでいいんですよ、これで。
ただ世の中では精神分析というか精神力度というか、そっち系の考え方をあまりにも全然採用してないから、
あまりにも見えにくくなってることがいっぱいあるんですよ。
っていうことをね、もっと言っていかなきゃだなっていうふうにやっぱり思いました。
なんかこれも誤解なんだと思うんですけど、精神分析というのは、
メルロポンティの減少学が難しいみたいな意味での難しさとは違うし、
それはちょっと誤解があるな、言い方に問題がありますね。
関東の哲学とかじゃないんですよ。そういう面もあるし、
難しいところまで入っていけばだんだんそうなっていくんだけど、
でも精神分析が難しくなっていくのは臨床が難しくなっていくところであって、
単なる精神分析の考え方そのものとか、
それを日常生活の底賢に見るという、目撃するという点では、
はっきり言って決して難しいものじゃない。
むしろそれをあえて封じ込めてるようなのが、私は現代社会的だなって思うんですよ。
いろんな理由があるんです、そこには。
で、今私が考えてるのが、
知的生産をなんとか精神分析で説明、
いや、なんとかとかはいらないんですよ。
非常に知的生産のあらゆるところに、実は精神分析の説明を介入させれば、
06:00
非常に容易に説明がつくことがいっぱいあるんだけど、
これが受け入れられないという気持ちの人にとって、
ひどくわけわからんことを聞かされている気になり、
しかもだいたい不愉快になるという、
おまけまでついてきてやりにくいということなんですね。
で、知的生産じゃないですけど、ライフハックとか、
人間関係、人間関係はもう敵面なんですけどね。
ライフハックと知的生産がちょっと違うのはやっぱり、
例えば昔、ライフハック大全を堀正竹さんが書かれたときに、
なんかこう、ちょっとした風呂敷の包み方みたいな、
これ知的生産には出てこないじゃないですか、やっぱり。
風呂敷の包み方とか、そういう生活のおばあちゃんの知恵みたいなのは、
やっぱりライフハックなんだと思うんですよね。
やっぱりライフハックは物とかガジェットとか生活とか、
物理的な方をカバーしているから、
私は知的生産よりは好きなんですよ、実際のところは。
やっぱり風呂敷包みができるようになった方が、
私にとってはノート術をマスターするよりも、
全然やりたいんですよね。
これはもう感覚なんで、感覚的な価値観なんで、
僕はそういう人間なんですよね。
どっちかっていうと、ガジェットの方が好きなんですよ。
どっちかっていうとね、金がかかるから、金ないから、
ノートとかひたすら走って、ソフトって金がかかんないじゃないですか。
これもソフト屋さんには申し訳ないんだけど、
アプリって安いじゃないですか。
だからやっぱりソフトな方向に行くとお金の節約にはなるんだけど、
僕はガジェットの方が全然自分自身の何かには大きく、
寄与するなって思っちゃうタイプの人間なんで、
やっぱり知的生産系の人間じゃないと思うんですよね、私はね。
そんで、ライフハックでも知的生産でもあるんで、見えるんでいいんですけど、
例えばですね、精神分析っていうのはどういう風なところに役に立つというか、
こういうものの見方を導入したらいいのにって思うかというと、
例えばですけど、私のもうだいぶ昔のことだからいいと思うんですが、
登校班ってやつが小学校の頃にあって、低学年の時にね、
うちの娘と同学年の、つまり小学校1年の時から、
いきなりもう不登校って子がいたわけですよ。
とにかく泣くんですよ、人前であろうと何であろうと。
母親が手を焼いてですね、でもお母さん偉くて、
いつもその子を手を繋いで学校まで行ってるんだけど、
行ってはUターンする、ただこれだけで4時間みたいな、非常に困るじゃないですか。
しかしですね、もう結論ぶっちゃけなんですけど、
これって、例えば規律政府対象とか、例えば行動両方とか、
いろんなものの考え方があると思うんですけど、
それは基本的には子どもが学校に行かないことが問題であり、
子どもを学校に行かせれば問題が解決するっていう、
そういうものの観点を取っちゃってますよね。
何が言いたいか、個人主義だってことなんですよね。
個人を見ちゃってますよね。子ども1人という、
その1人を見ようとしがちですよね、我々の時代は。
でもこれはね、よく言われる、
09:01
夫婦仲ってやつに左右されることがあるんです。
これは夫婦仲を見ていけばいいってもんじゃないですよ。
その子が学校行きたくないのは、その子が学校行きたくない理由が
明快にあるのかもしれないし、並行してることもあるんですよ。
学校に行きたくない理由もあるし、夫婦仲も良くなかったりするみたいな。
ただ、そうやって頑張って頑張ってお母さんがやってたんだけれども、
結局その子は学校行くようにならなくて、
そしてですね、2年後にご両親はお別れしたんですよ。
私はそれをかなりご近所なんで知ってるんですよね。
私はあれを見た時に、そうか精神分析っていうものの見方を我々はしないのは、
端的に個人主義っていうことと、端的に社会が整備されてきたのでやっぱり、
戦後間もなくとかに比べれば今の社会ってめちゃくちゃ整備されてるじゃないですか。
だから適応した方がいいよねってみんな、なんとなく自然に思っちゃってるんですよね。
学校あるなら行った方がいいし、スムーズに行けるなら行っといた方がいいし、
行かないより行った方がいいよねってもう、どっちでもいいんだっていう建前と全く別に、
なんとなくもうそういうふうに信じちゃってるから、適応的であることはイコル良いことだし、
そしてその人自身が適応的かどうかは、その人自身の行動に現れてくるって、
僕らはみんな、なんかそんなの当たり前じゃんになっちゃってるんですよね。
だからまさか子供からすると、自分がいない間に両親が離婚することに決めましたっていうか、
ケンカめちゃくちゃしてますっていう、それが怖いから学校行かないって本人も当然思ってないですしね。
こういうことをでも追っていくのは失礼なことだし、現代社会では特にね、やりにくいんですよ、ものすごく。
だからみんなこの観点を捨ててるんですよね。捨ててないにしても封じてるんですよ。
で、見えなくなるんですね。で、見えなくなれば簡単ですから、見ないのは。
なんとかこの子を学校に行かせようってみんなが簡単に思えますから。
で、実際そういう働きかけしてましたから、うちの登校班でも。
まあまあ今日行ってみようよみたいなね、普通じゃないですかそれは。
親切だし、でもやってる人もそれでいいと思ってるんですよ。
大変なことがあるの?なんかあるの?みたいなことを聞くじゃないですか。
で、首振るわけですよ、子供は。大変なことはないわけですよ、学校自体には別にね。
だから子供が首振ってんのは本当なんですよ。周りの人の親切も本当なんですよ。
ただ、それは的外れなだけなんですよ。
こういうことが全然考慮されないのって何なのかなって思うんですよ。
そういう知見が100年前からあるにはあったのにも関わらず、不備だっただろうと、
分かりにくかっただろうと、気持ち悪かっただろうと、実際そういう見方ができるのに、
別に私が発明したとかじゃないんで、夫婦仲が良くなくて子供が学校行きたくないっていう、
こういう言い方をすれば何となくそういうこともありそうじゃないですか。
そしてそういう知見は、そういうものの見方は普通にあったのに、
なんか、いやそれはもう今専門家が見るべきことですからってことになって、
我々一般市民はそういう見方を一切取らないことにしました。
12:01
なんか変じゃない?っていう感じがするっていうことなんですね。
私が素人ながら遊んでいるとか、何かを真似して無理やり儲けているとかいうよりも、
まず、いやこれは儲けにはもちろんつながらないですけれども、
こういう観点が取れないと不便じゃないですか。やっぱり生きてて。
と思うんですよ。
いくらこの見方を取るのがやや危ういとか、少し失礼だとか、ちょっと生臭いとかいうことがあったって、
どう考えたってこっちが真実には近かったんで、
そっちが真実だとまでは言わないにしてもですよね。
もう一つ似たような、もう少しは込み入った事例があるんです。
しかしもう少し罪のない事例があるんですよ。
うちのこれから私も捨てに行って、さらにその網を回収するという嫌な仕事が、
生ゴミの日ってやつね。あるんですけど、ここ地方なんで、都会じゃないんでね。
これにカラスが、この季節本当にカラスすごくて、
あれほど頑丈に掛けてやる網を取ってですね、産卵させていきやがるんですよ。
でもカラスアホだなと思うのは、食べ物なんかもうないんですよ。ほとんど残飯なんてものは。
ここは高齢社会の地域で、すっげえ綺麗にみんな処理してくるんで、
残飯とかも、コンポートなんとかみたいなので、土とかにしてるんで、
みんなすごいんですよ。ガーデニングが。
全然食べ物なんかないから、産卵させたってみかんの皮しか出てきやしないのに、
なんかカラスはそこのところで超頑張ってやってきやがるわけですね。
もちろんめちゃくちゃ迷惑なんだけど、なんですよ。
まあとにかくね。で、これ産卵した時に、ある種の精神力動的なものが働くんですよ。
誰が最初にこれを片付け出すんだということで、
みんな知ってるんだけど、みんな何かに気づかないふりをするんですよ。
もちろん私もね。だから産卵されているんだけど、
誰かが片付けに行くまでは、誰も片付けにはいかないじゃないですか。
こういう、ある種ジリジリした罪悪感と何かが入り乱れたような時間があるわけですよ。
これって現代の世の中では、いやだったらこういうふうにすればいいでしょうとか、
それこそグッドバイブス的にリクエストがあるんだから答えていけばいいとか、
そういうような考え方でグッドバイブスを抽象しているわけじゃないですよ。
いろんな現代には考え方があるよねっていうことですよ。
そこは罪悪感がんばらなくていいよねということで、問題が解決されていくし、
それでいいじゃないですか。それでいいんだけれども、
私はだから精神分析とか精神力動なんていらないよねっていうのはわかるんだけれども、
しかしですね、ここには非常によくこの地域に住んで観察していくと、
実はいろんなことがこの中にはあるんですよ。
なぜそもそもカラスが開けようと思えば開けられるあんな網とかを使って、
15:00
それを今日当番である私が、今日雨降ってなくてよかったぜって思ってるわけですけれども、
雨降ってると悲惨なんですよね。
だって可燃ゴミで生ゴミがくっついている網を雨の中で折りたたんでいくという作業は、
しかしこれにはですね、深いわけが、いや深くはないんですよ。
しょうもないんですけれども、でもこのしょうもなさを果たして誰かが解決なる…
あ、すいません。今ちょうどそのまさにゴミを出してきたわけですよ。
8時だから。わかります?
こう8時付近なんですよ。この事件が起きるの。
で、カラスが生ゴミ超散乱させているのが、今やっぱりね、行ってみたら綺麗に片付いてるんですよ。
誰かが片付けるっていうか、わかってるんだけど、どなたが片付けてるかは。
ただここに、まあなんていうのかな、実に小規模なドラマがありまして、
この片付ける方はものすごい手際が良くて、ほとんど8日ぐらいは家の外にいるんですよ。
家の周りにいるので。
常に掃き掃除されていて、常にミニールの手袋をはめてるから、
こういうのに対してものすごく迅速に動かれる方なんですね。
で、年の頃は、ご高齢ではあるんだけど70は多分いってない。
私よりはだいぶ年上だけど、私の母親ほどではない。
で、すごい元気なんですね。
で、この方がおそらく声を潜めちゃいますけど、片付けてくださるんだけど、
ここにね、絶対この人が片付け始めると登場するもう少し高齢のおばあさんがいらっしゃるんですよ。
で、この高齢のおばあさん、あと私がやりますよ、いいですよっていうおばあさん。
人がやってるのを見るとそれを言い出すんですよ。
で、私はこれは一体罪悪感のなせる技なのか、何なんだこれって、
でも絶対自分が一人の時は出てこないんですよ。
で、この人はでも多分ですがご高齢で90前ぐらいなんで、
誰もその人にやってほしいとは思わないわけで、
かえってむしろみんなの罪悪感がさらに刺激されてしまう。
あの元気な、申し訳ないけどもその手際のいい方にやってほしいわけですよ。
と思ってるんだと思うんでね、周りの人は。
絶対私見てると思ってるんで。
私自身がそうじゃないとは言えないんでね。
私は車で送ったりして、これを収録したりして、
いるうちに起こる出来事もあるから何でもわかってるわけじゃないですけど、
ずっとそこじっと見てるわけにいかないです。
ちょっと離れてるから、うちからも。
ただ、絶対周りに家いっぱいあるし、みんな出してるから知ってるんですよね。
とにかくその綺麗にしてくださる方が出てくると必ず、
いいですよ、私がやりますよの人が出てくるんですよ。
で、何なんだろうと思ってたんですけど、
先日そのおばあさんとお話しする機会がございまして、
ちょっとね、先日って言ってもだいぶ前ですよ。
話をした時にわかったんですよ。
この人は、要するにそのお若いテキパキ動くおばあさんと話がしないんですよ。
18:03
すごく、私から見ればどっちも高齢のおばあさんだけど、
たぶんあの子、ご高齢の上の子の年配のおばあさんからすると、
ちょうど娘さんぐらいに相当するんだよね。
で、すっごい感じのいい方だし、
話しの思ってるのか知んないですよ。
すごい感じのいい方だし、そういう風に吐き掃除とかもめちゃ綺麗にやるし、
たぶん好きなんですよね。
自分の娘みたい。
で、ちょっと認知症入っているっていうか、まあまあ結構入ってるんで、
その認知症入っている方だから私と、
その人は私とはなぜか話が少し合うんですよ。
ていうか私はそういう人の話をなぜか聞かされる立場だったりするんですが、
で、やっぱり話していて楽しいっていうのがチラッとお話になってくれたことがあるんですね。
チラッとなんだけど、お話になってくれたんですよ。
そっか、なるほどなと思って。
この人にしてみると、あのカラスが産卵させて吐き掃除が始まるというタイミングは見計らわれてるんですよね。
本人は話したくて入ってるとは思ってないと思うんですけど、
だからこれを無意識というべきかわかんないですけど、
でもこれを精神分析で見ないと、この問題を問題解決しちゃうと、
絶対に見えないまま拭い去られるんですよね。
モラルの話にしてもダメで、罪悪感の話にしてもダメな気がするんですよ。
罪悪感がないとできないんですよ、これ。
罪悪感はあるんですよ、間違いなく。
この人にさせてて迷惑かけて悪いなと、あの嫌な感じを持ってるんだけど、
持ってるからこそいいタイミングでスパッと出ていけるわけじゃないですか。
いきなり出て行きたくないのは一人でやりたくないのかもしれないし、
そもそもやりたいことなわけじゃないからね。
やりたいことなわけじゃないんだけど、
その人からすると話したくはあるわけですよね、そのおばあさんと。
だから私はこれを見た時に、現代社会ってこういう問題を、
基本は問題なのか知りませんが、無視してる。
結局あのカラスが産卵しないようにするガジェットは、
世の中に今いくらでもあるんですよ。
しかもこれをモラルの問題にして、
誰かが、だからそうそう今思い出したんですけど、
この方のご高齢の方の夫であるおじいさんが前にいらっしゃるんですね。
もう亡くなってますけど。
このおじいさんはこの網掛けに強く反対してたんですよ。
このおじいさんすごい私は好きで、
非常におじいさんでもやっぱり85は超えているって話だったんですけど、
当時からめちゃくちゃ隠蔽としていて、
そのおじいさんの意見って大体私は非常に納得がいくんですよ。
網掛けて網を当番札回して直すなんてナンセンスだと。
21:01
そういうんじゃなくて箱とかにしろよと。
その場に設置しとけばいいでしょうと。
この設置犯はいろんな理由があって却下されるんですけれども、
このおじいさんはこれを別に町内で一番偉いとかじゃないんですけど、
割と強めに主張されたんですね。
カラスののも見たい人が片付ければいいじゃないかと。
基本的にそうならないようにできるっていう話でもあったんですけど、
なんなら自分が作る。
この人なんでも自分で作れる人なんですよ。
なんなら自分で作るからと。
非常に評判のいい方でもあるんですね。
俺が片付けてやるからみたいな感じで、
私が片付けますよみたいな感じで言って、
中では一番最高齢ぐらいだからそういうわけにもいかないよねっていうのは、
その町内の話し合いであったわけです。
いろいろ難しいんですよ。
でも大事なのは、
私これはもう推理論の意気を出ないんだけれども、
一時このおばあさんが先ほどの高齢の若いおばあさんと話したい、
私がやりますよって後から出てくるおばあさんが、
徘徊して行方不明になっちゃったことがあるんですね。
認知症やっぱ入ってるんで。
時々あるんですよこの町では実際。
時々というか結構張り紙が出されてるんですね。
他の地域じゃちょっと個人情報丸出しじゃんかもしれないけども、
なんとかさんが行方不明になりましたっていう張り紙が出てくるんですよ。
家のプリントアウトでプリントしたようなやつが掲示板に貼られてるわけですよ。
このおばあさんも一時行方不明になられたんだけど、
その間におじいさんがいなくなったんですよ。
亡くなったんだと思うんですけどね。
どっかの施設とかに入られたのも知らないけどわからないですけど、
そしたらひょっこり戻ってきたんですよ。
で、私思うんですよね。
確かにこのおじいさんは私たちから見るといい人だし、
別に大坊とかでもないし、
なんでも自分でやっちゃうし、
あんな高齢になって屋根に登って庭仕事もやっちゃうんで、
80過ぎで僕絶対できそうにないことをやってんで。
でもこのおじいさんがいると、
娘のようなおばあさんと話す機会とかは永遠にないですよね。
だって網とかじゃなくて箱にするし、
カラス産卵させられないし、
罪悪感もあんまり刺激されないし、
いいことづくめですけど、話す機会はなくなりますよね。
だってこのおばあさんと若いおばあさんが話したいと思ってるかどうかは別の問題ですからね。
高齢のおばあさんの方は話したいと思ってると思いますよ。
ていうか話したいと思ってるんですよ。
あの人と話してるの楽しいって話を、
なんでか私なんかに喋ってるから、私が何かが知ってるわけですけど。
でもこの人は話し相手を選ぶんですよ結構。
私とかとは話したい。この若いおばあさんとも話したい。
でも誰とでも話したいわけじゃないんですよ。
で、おそらくなんですけど、
私このおじいさんとおばあさんが喋ってるの見たことないんですよ。
精神分析的じゃないですか、こういうのは。
そしてなんてことはないです、別に。
24:01
なんてことはないです。どこにも自見性はないしね。
さっきの冒頭でお話したような不登校の話に比べても、
どこにも深刻さもない。
でもこのおばあさんの立場になれば、
もうおそらく90前後のおばあさんが、
今生きてて楽しいことといったら、
この若いおばあさんと話すことだけだったというような感じになっている人にしてみればですね、
基本的に家から出てきませんし、
出てくるのも大義相なんで。
でもこのおばあさんが掃除してるときは走って出てきますからね。
前に目撃したんだけど。
やっぱり、なんていうのかな。
あったほうが良くないって感じがするんですね、こういう楽しみは。
楽しみだから、やっぱり。
絶対これがないよりはあったほうがいいと。
徘徊するっていうのは、
つまりここにいても面白くないってことなんじゃないかなって、
やっぱ思うんですよね。
訳があってのことだと思うんですよ。
訳もなく徘徊されてるわけではなかったと思うんです。
しかしですね、しかし、
ひょっこり戻ってきてるわけですよ、おじいさんがいなくなったら。
ひょっこりっていうのは、もちろん偶然に決まってますよね。
しかし、
これをつまり、一切見ないんですよね。
精神分析というのは、
関東のようなとか農技家のような専門家のものであり、
素人がそれを見に行くもんじゃないみたいな、
そういう考え方をとっておいて、
素人と一般市民は良い社会に適合していって、
みんなとスムーズに幸せに生きていればいいんだよっていう、
この観点には何かおかしいものを私は感じるんですよね。
罪悪感なんてないほうがいいじゃんっていうのは、
そうなのかもしれないんだけど、
罪悪感というのは、人をつないでるんですよ、いろんな形で。
絆っていうものの中には、僕は罪悪感ってあると思うんですよね。
仏教的にはそうじゃないかもしれない。
でも人間の日常生活は、そんなもんなんだと思うんですよ。
もっとこう、どうしようもないものだと思うんですよ、ある意味では。
そのどうしようもないものの中に、
幸せってあるんだと最近は思うんですよね。
情緒的な幸せ。
情緒的な幸せというのは、大層庶民的なものなんですよ。
あの、なんだっけ、くもはち、東海道中ひざくり家とかもそうですけど、
あの、五十三杉とかは違うね。
そうですけど、いい人いないじゃないですか、江戸時代の。
なんか嫌なやつばっかりだけど、
あそこに良さがあるわけじゃないですか、人間関係の。
それが嫌だというので、今のようになったわけですけれども、
そうだと思いますよ、私もね。
だけど、なんかね、今のようになったほうがトータルではいいと思うんですけど、
27:04
トータルでは、ごみは網かけじゃなくて、
私もこれから網の回収をする身としてはですね、
網じゃなくてボックスだと大変ありがたいんですよ。
で、罪悪感とかないほうがいいような気がするんだけど、
そう考えてもですね、このおばあさんの問題はライフハックじゃ一向に解決しないし、
社会を何か良くすることによっても何も解決しないし、
だってこのおばあさん自身が自覚もなく話し相手を選んでますし、
その話し相手として選ばれるおばあさんと確実に絶対にあらゆる意味でこの人にとって
正しいタイミングで話せるのはカラスが巻き散らした時の掃除の現場なんですよ。
あそこなら長時間絶対喋れるわけですよ。
掃除手伝ってれば。
いいですよ、もう私がやっておきますからっていうようなやり取りですよ。
常にね。
それ以上複雑なやり取りは彼女は望まないんですよ、全然全く。
私喋った時の感触からしても常にこのレベルだけで喋りたいわけです。
満たせないじゃないですか。
どうやっても満たす方法とかがない。
私、要するに若い人が話し相手になってあげるみたいな話も
学校とかでもよく普通になされるし平気でなされるし、
福祉的な話ですよね。
でも私は若い人と話すのはこの方は好きだと思うんだけど、
でもなんか私はあれとあれとは違う気がするんですよね。
もっとしっくりいってる気がするんです。
やっぱり。
なんか私が喋ってるのはわざと頑張ってるみたいになっちゃうんですよ、どうしても。
わざとっていうのも変なんだけど、
でも明らかに私と話すよりは楽しそうなんですよね。
若き例ってもんじゃないってことですよね。
でも夫でもダメだってことでもあったわけですよね。
夫ではダメだったから徘徊したのかどうかはわかんないですよ、もちろんね。
究極的には。
私はそうだと思ってるってことですけどね。
ただ精神分析というのはこういう見方を開いてくれるんですよね。
だからこれは専門家のもので、
なんか一般市民には関係のないものでっていうのが私にはめちゃくちゃしっくりこないんですよ。
ものすごく一般市民的なものに見えるんですよね。
行動科学なんかよりもずっと。
なんかこの問題をAIが解決するっていうのはすっごくしっくりこないんですよ。
この人がAIを使っているって想像もない。
スマホだって使ってるって想像ができないんで。
だからいなくなられると徘徊されると見つけられなくなっちゃうんですよ。
スマホ持ってないから、このご時世でも。
どうせ私は詐欺にしか会わないからっていうのは私の母の言い分なんですけれども。
私がスマホ持ってたって詐欺の鴨にされるだけだからっていうのが私の母の言い分なんですけど。
なんか非常に狭められた認知機能の人には世界がどう見えてるかというのが、
30:04
私たちは全く違うものの見方しかしていないような気がするんです。
あまりにもスマホとかAIとかを使って認知を広くとってしまってるんで。
だって私たちは世界中の人と隣の人みたいに今やしゃべれるじゃないですか。
無料でテレビ電話で気がつくとそうなったじゃないですか。
こんなことは20年前だってなかなかピンとこないことだったと思うんですけど、
今じゃもうほとんど常識じゃないですか。
ライフハックではそれこそiPadで大画面でずっと実家の情勢と自分の家をつないでいて、
まるで隣に住んでるみたいだっていうふうにおっしゃってた方がいたけど、
それはだからいい話としてですよね。
だけどそういう私たちはこの人間の互換の認知機能を遥かに超えた認知が
認知的世界に常識的にもう住まわってるんで、
そうじゃない人が一体どういう世界に住んでるのかなんて、
だんだん本当の意味で、昔は自分らもそうだったはずなんだけど、
電話とかいうやつでお金すっごい高くかかって、
ダイヤルかけて電話してたのだって私は十分覚えてる時代の話ですからね。
せいぜいプッシュ本ですからね。プッシュ本って言葉がまだありましたからね。
でも今はそうじゃないですよね。
だから当然さっきのような迷惑とか罪悪感とかそういったものに非常にこう、
そういうのがもう綺麗にクリーンに払拭したいしできるような時代に入りつつあると思うんですよね。
そうしてその中にはあった、罪悪感の中にはあったこうある種、
こういう言葉になっちゃいますが、嫌な言葉だと思わなくもないんだけど、
心の交流みたいなやつ、情緒的交流みたいなやつがやっぱあるんですよね。
ないっていう世界は私には無理があるなって思うんです。
よくできた人はそうじゃないかもしれないし、
非常に知的な人がこんなことをやるとも思わないですけど、
そして私は何と言ったってライフワーク界隈にいたんで、
いやいやっていう言葉で全然違う良い解決策で解決してしまうんですよね。
解決できてしまうんですよ。やろうと思えばですね。
本当にずっとそういう感じがするんですよね。
ATMで後ろに長蛇のレースができました。
後ろの人がどうしても気になりますっていう世界が嫌だから、
スマホの中で講座管理をするんですよ。私もそうしますもん。
それはやっぱりそうですよ。あそこに並びたいと思わないし、
並ばせたいとも思わないですよね。
やっぱりあそこに交流があるよねっていう、
33:00
そういう形でしかコミュニケートできないっていうコミュニケーションがあるよねっていう、
あるいはそのぐらいの能力で頑張っているっていう人にとっては、
その方式が奪われてしまうというか払拭されてしまうと、
どうしてもこの柔らかくてマイルドで、
そしてややわざとらしい会話になってしまうんではないんだろうかって感じがするんですよね。
だからどっか行っちゃうんじゃないんだろうかっていうか、
どっか行っちゃってる理由は違ったのかもしれませんけれども、
どうしても私にとってみればですね、
非常に感じの良かったおじいさんと一緒にいてもしょうがないよなと思うのは、
よくわかる気がするんですよ。
この話の中には実は町内会長とか自治会とかの話がふんだんに詰まってるんですよ。
詰まってそうな感じがするじゃないですか。
そこの人間模様はめちゃくちゃドロドロしているというか、
生臭いと言いますか、非常に前近代的と言いますか、
なんですよ、本当にね。
で、もう救いようがないって言えば、救いようがないって感じがするんですけれども、
しかし、これでないと会話できないっていうか、会話の機会そのものがないよねっていう。
だって実際にあのおばあさんをほとんどお見かけすることが、
まあ立ち上がるのも億劫だって感じ。
でもかけてくるんですよ、雨の中を。
そのゴミが散乱しているとき。
ただし、その人が掃除をされているときに限るんですよね。
絶対に掃除を永遠にしてたいだろうな、そのときだけはっていう感じがしちゃうんですよね。
話ここで終わっても全然いいと思うんですけれども、
今日はこれから忙しいし、雨も回収しなきゃならないしね。
私がタスク集となり、知的生産というよりはやっぱりライフハックなんだよなと思うんですけれども、
ライフハック時代の精神分析という名称で、ボラスっていう人のを呼んで、
ようやくその可能性が見えてきたなって感じがするのは、
ライフハックに精神分析を当てたいわけでは今言ったような理由で全然全くないです。
全然全くないです。
なんかこう、新しいビジネスを、それはしなきゃいけないからしますけど開拓するっていうような話の中にあるらしいけど批判されている中ではね。
でもこの批判読んでよかったと思うんですよ。こういう話をしようという気になった。
そうじゃなくて、日常生活にぽっかり空いているものの見方があるっていうことなんですよ。
夫婦喧嘩をする、したいのかもしれないんですよ。
他に本当にコミュニケーションの手段を持っているかって話なんですよ。
夫婦喧嘩じゃない方がいいでしょうっていうのはわかるんですよ。その通りだと思います。
だから愛情の方がいいでしょう。表現できるならその方がいいでしょう。
36:03
でも私はさっきの不登校の話という、つまり彼は彼なんだけれども、小学校1年の彼は、もちろんそれは愛の問題ですよね。
愛の問題なんだけど、他にどうしようもないじゃんっていう感じがするんですよね。
その子にしてみれば、学校行かないという風に言うしか、両親に喧嘩させない手段が彼にはなかったじゃないですかっていう気がするんですよ。
他に周りの人に何ができたかっていう、しかも周りの人が精神分析っていう観点を取らない、
もっとクリーンなものの見方しかしない。もうちょっと言うと、もうちょっと言いますよ。
両親のセックスっていう問題を無視したがる。
なんで私たちはこういうものを無視することによって、コミュニケートというものがクリーンになるとでも思ってしまうのか。
どうしてセックスは気持ちが悪いのかと思っている人がこんなに多いのか。
家の外ではする装置っていうものがあんなに繁盛するのか。
家の中でそれをしているのは見たくないというのはどうしてなのかと。
結局のところ、両親はセックスをしたからその子はできてるわけじゃないですか。
これを直視したくないんですよね、結局。
だから生まれてきた方が清門で、何とかこの二人が破綻しないように、
この社会の中で自分が逸脱行動とされていることを無視ですよ、全部。
取ればいいのかと。
だってやっぱりさっきのおばあさんとおじいさんにしても、セックスはしたでしょうね。
でも一緒にいるのも嫌だから、認知機能というものがあんなに狭まった時に、
どこに行ったか人が見つけられないほど遠くに行っちゃうわけじゃないですか。
どうしてここを我々は無視したがるんでしょうね。
家に発見して連れ戻すっていうことにプリントアウトして総力を上げるっていうことはするのに、
どうしてここを見たがらないんだろうっていうのが、見たがらないんです。見たくないんですよね。
ここをことさら無視したいんですよね。
脳根もかしこもそういうふうに見えるんですよ、私には。
例えばマインドフルネスみたいなものの中にも、あえてぐらい、わざとぐらい出てこないですよね。
このインターパーソナルで生臭さがない、なんかクリーンですよね。
そしてなんかクリーンな人間関係っていうものの中で、
扱われないようにしているものに戦いの火種がいっぱい残ってますよね。
どうやってこれをするのか、あるいはしないのかっていう、
この欲望があるにも関わらずないふりをすると何が起きるのか、一切考慮されないですよね。
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不思議なぐらいに、本当に不思議なぐらいに。
で、セクハラっていう言葉だけは言うんですよね。
だからこういうことを問題にするということが、いかに危ないことかっていう、
まさに私はそういうふうに批判どっかでされてるらしいです。
ごチャンネルとかで、ジェミニによればですね。
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