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精神分析の本、は何のために読むものなのか?【1340】
2026-04-13 42:50

精神分析の本、は何のために読むものなのか?【1340】

読んでもダメなものは、何のために書かれたのか?
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サマリー

このポッドキャストでは、精神分析の本を読むことの意義と、それが自身のビジネスコンサルティングや人生にどう繋がっているのかが語られます。筆者は、ライフハックと精神分析を結びつけたいという長年の思いがあり、自身の経験やJ.松崎氏のエクハルト・トールによる回復などを例に、精神分析がなぜ有効に作用するのかを考察します。特に、行動科学では説明できない心の動きを、精神分析、とりわけ対象関係論の視点から言語化しようと試みています。 精神分析の本を読むことの難しさにも触れつつ、特に藤山直樹氏や松木邦博氏の著作を手がかりに、専門家以外が精神分析を行うことの危険性を理解しつつも、それを自身の活動に応用していく過程が語られます。また、著者のビジネスコンサルティングと、精神分析家の育成における「手掛かりのなさ」という共通点も指摘されています。最終的には、精神分析の本を読むことで、以前は理解できなかった事例の意味が手に取るようにわかるようになり、それが自身の活動を精神的に支えていると結論づけています。

新学期と3ヶ月チャレンジ、そしてイベントの振り返り
おはようございます。ライフハック時代の精神分析第1340回をお送りします。
4月13日月曜日7時45分ですね。またしてもこの新学期というやつが始まってしまいました。
いやー厳しいなーっていう感じでございますが、まあまあ新学期が始まっただけではなくて、ゴルデンウィークも間近なので。
なのでというわけでは全然ないな。でもあの3ヶ月チャレンジの第14期の募集が残り現在2名様という形になっていると思っておりますので、お気軽にお問い合わせいただければと思います。
これはまあ新規募集ではないけれど、これまでご利用いただいた方の中で別に普通に再開できるものだと思っておりますので、もしよろしければ、それはしれっと再開していただければそれで全然問題ないんですが、気になるということでありましたらお問い合わせいただければ全然その辺は構わず大丈夫です。
あのーなんていうのかな、まあ私も切り上げてしまったカウンセリングをもう1回再開したいかというとなかなかそれはあんまないんですけれども、これはカウンセリングではないと思いますし、やること変わらないとはいえ中身は微妙に違ってきている気もしますから、ていうか中身は結構違ってきておりますからね。
あのー、まあ再開してみると結局のところあんま変わんないじゃんってことになる可能性もないわけではないんですけれども、あのー、まあなんでしょうかな、間を開けてみることによって、えーと、改めて要求したくなることも出てくるかもしれないっていう、それに答えられるかどうかわかりませんけどね、あのーそういうこともあるかもしれませんかな。
えーお問い合わせいただければ幸いです。
はい、えっと、で、まあイベントの方はつつがなく終わりまして、えーなかなか最終的には成功でありがとうございました。
あのー本の方はまだまだ実験的な、今日はこの、このような話をしていこうと思ってるんですけど、まああまりに実験的すぎて、結局のところは何やってるのかよく分かられてない気がするなあと思いながらイベントを終えてみてね、あのー、まあまあ改めて悩みが深くなってきたと言ってもいいと思うんですね。
ライフハックと精神分析の接続、そして個人的な回復体験
私はこのPodcastのタイトルがそうであるように、何とかこう仕事術と精神分析というものを接続していきたい、接続はできなくても、えーと関係というものを示しておきたいっていうのはあります。
まあこの中にはですね、極めて詩的なことを言うならば、まあ倉園恵同さん、久しぶりにこの名前出しますが、グッドバイブスで私は感化を受けてライフハック一変刀というところからまあ大きくカーブしたわけですね。
と同時に、これは全く偶然なんですけど、かなり近い時期、ほぼほぼ被ってる時期に、まあ今私が仕事を一緒にさせてもらってるJ.松崎さんという人が、まあ遠いドイツでほぼ鬱になっていたと、あれは鬱だと言って過言ではないと思うんですけど、彼がでもそっからこう、まあ彼ってそういう雰囲気を帯びてる人ですけど、不死鳥のごとくV字回復していくんですけど、
それは何でなんだろうって思った時に、彼はエクハルトトールという、これも自己啓発のですね、読み様によっては倉園さんとすごく酷似したタイプの自己啓発に触発されて回復してきたわけなんですよ、おそらくね。
だって、その影響でもなければ、あんなに言うことがらっと変わらないだろうっていうぐらいがらっと変わっちゃいましたからね。で、私はこれを単なる偶然の一致と見るタイプの人間ではないんで、まあこれを共通して何とかこう、えーと、まあ最近流行りの言葉で言いますと、好きな言葉じゃないんですけどね、言語化できないものかと考えたわけです。
で、言語化するっていう時に、これもすごくたまたまなんですけど、えーと、私がどうしてもさっぱり理解できない精神分析というものがありまして、で、チラチラといろんなところでいろんな形でいろんなあの、接触の仕方してたんですよ。
それこそ大学時代の文学系のゼミで、DHロレンゼミですけど、で、まあ2年間山ほどフロイトの話は聞かされたんで、あの先生今思えばね、フロイトゼミとかやっていたほうがよかったんじゃないかでぐらいフロイトの話しか考えてみるとしてなかったんじゃないかっていう気がする。
特に私にはね、私によっぽど必要だと思ったんでしょうね。ガン無視してた自分が不思議なんですけどね、頭悪いよねって思うんだけど、まあ頭はいい方じゃないんで私は、しゃーないんですよね。えらいを介して結局そこに行き着くみたいなことがよくあるんですよ、私には。
まあそれだけじゃないけど、その前からかわいはやお大好きだったし、あのかわいはやおは多分なんだかんだその前から、ほぼ趣味的に多分病んでたんですけど、ていうか病んでたんですけど、100冊ぐらいは読んでたと思う。100冊もあったのかって感じがするんだけど、かわいはやおしか読んでない時代ってありましたからね。大学2年の頃、大学にも行かず。やっぱ病んでたと思うんだよね。
まあそういうこともありまして、その後フロイトでしょ。フロイトには興味持たなかったんですけど、それもどうかと思うんですけどね。ユングにだけ興味持つっていうね。しかもユングの本はあんまり読んでたとは言えないんですよね。とりあえず読んだっていうぐらいなんですよね。かわいはやおしか読んでなかったんですね。僕の当時のキャパシティーでは、あれしか受け付けられなかったんですよね。
あれは専門的な本もいくらか読みましたけどね。100冊なかったかもしれないな。でもずいぶん読みましたよ。かわいはやおはね。で、後から振り返ってみると、ががろうじて抱えられてたって感じなんですよね。あくまでもね。
仕事術と精神分析のギャップ、そして自己啓発への疑問
で、それはそれとしてですね。なんでこの話をしてるのかというと、だからもともとそういうところはありまして、なんとかそっちの方向で説明しなきゃなとは思ってたんですよ。やっぱり仕事をしててもタスクシュートを使ってても、それはそれじゃないですか。
打つ状態になってなければ、別にタスクシュートでガンガンやれていても、打つ状態になっちゃったら、そのリストとツールとシステムが出来がいいとか関係ないんで、朝起きる、顔を洗うとか書いてあるわけですよ。見積り時間書いてあって、その見積り時間も正しいわけですよ。で、学校に行くまでの間にこれらのことをしなきゃいけないのは100%間違いないわけですよ。
だってパジャマ着たままじゃいけないんだし、着替えるとか顔磨くとか最低限じゃないですか。で、全部足してみると1時間前には起きなきゃいけないわけですよ。電車来ちゃうしね。っていうことは、よく出来たツールなんですよ。特に日本のこの現実を考えてみると、電車はほぼ帝国で来るんだし。
で、それはよく出来てるけれども、それは朝起きられての話ですよね。学校行く気になれての話ですよね。学校行く気しないし、そもそも朝寝床から出ないし、みたいなことになってきた時には、このツールが何かはしてくれないわけですよ。それは当然で、してくれちゃいかんのですよね。
なんかこう電気ショック打つぞみたいな。布団から3秒以内に出ないと何か100ボルト流しますみたいな。そういうことは許されないじゃないですか。10ボルトだって許されないじゃないですか。だからそういうことではない。そんなことをしたからといって、もうどうしようもなくなっちゃいますけどね、そんなことをして。無理やり人が布団からだけ出たとしてもですね。
で、そういうようなことがございますので、なんかやっぱりですね、仕事術をするためにはどういうものがいるのかと。それは専門のカウンセリングでいいんじゃないっていう話になると思うんですけど、そもそも専門のカウンセリングに行くと起きられるようになるんだろうかと考えてしまいますね。私のようなタイプは。起きられるとしたらなぜなんだろうかとも考えてしまいますね。
それで回復した私自身とエクアルトールで回復したJさんがいたから、この2つでなぜ我々は回復していったのか。私はJさんほど明快な機器を持ってきたわけじゃないんだけど、やっぱり非常に行き詰まっていたのは間違いありませんから。
そして回復させた啓発系と言っていますが、言われていることはよく似ていたので、これでなんで有効に作用するんだろうかっていうのを考えに考えていたときに、行動科学では全く説明できている気がしなかったわけです。
エクアルトールの言葉やグッドバイブスの言葉が報酬になったからまた元気になりましたっていうのはナンセンスの極みみたいな気がしたわけですよ。あれが認知良好的だとも思わなかったんですね。私は別に。
認知の歪みと言えばいいのか分かりませんが、そういったものはもちろんあったに決まってるんですよ、私になって。ただそれが倉園さんの、佐々木さんはあるがままでいいとか、そういった話、もともと私たちは、もともとは例えば一つだったって、今の私の感じではもともと少なくても母と私は一つだったっていうような感じがするというか、それは事実だろうなって思うんですよね。
で、その母との関係が非常に問題をきたしてくるということは、当然分離個体になってるからなんですけれども、分離個体になったからといって直ちに独立できるわけでも、独立精神旺盛になるわけでもないわけですよね。
分離個体になるということと同時に、独立精神というものをこの個体が宿していくっていうのは何なんだろうなっていう、倉園さんがしばしば、これは分離個体がいけないってわけじゃないんですけど、一つ意識とバラバラ意識っていうふうにおっしゃるんだけど、
このバラバラ意識っていうのは結局、今簡単に言ってしまいますけど、不適切に独立精神というものが壮的に作動してしまうっていうことなんだと思うんですね。こういう説明が私はね、みんなにいるとは思いませんが、私は欲しかったわけですよ。
で、手に入れていくうちにのめり込んでいったのが対処関係論だったと。つまりフロイトのフロイトとフロイト・クラインというラインの指定関係、ここから来るものにあったという話なんですよ。今私がしているの。
これは絶対仕事術で使えるというか使いたいというか使わないと困るんだことになるじゃんという、今は基本的にはメンタルの話はおおむね認知にお任せされていますけれども、認知行動ですけど、適応的な行動をとるためにそれの大きくネックになっている、非常にざっくり言いますよ。
詳しくないしね。ざっくり言うしかないんで、この番組では。適応的行動のネックになっているその人の認知の仕方。それは知覚をも歪ませる。精神分析でもそう考えますけど、知覚をも歪ませる。
例えばこの人は別に私に対して何ら怖い人でもないので、えらい怖く見えるとかそういうことが起きる。実際起きますし。そういうのを取り除いていけば、そして必要であれば睡眠導入剤とか、さらに必要であれば抗不安薬とかをそこに投入することで適応的になっていく。それは全然普通にあると思うんですよ。
ただ、私はね、他の人は知りませんし、全然それはそれで他の人がやる分には構わないと思う。私はやりたくない。そういうことは断じてやりたくない。どれもやりたくない。まず適応的に行動するなんてとんでもない。
そんなことができるぐらいだったら、私はすでにNTTドコモサービスで派遣社員やってた時に声かけていただいた時に、いや正社員やりますと言ってますよ。絶対に。1999年の段階で。今からもう27年以上前。それを一個打にせず蹴ったという私は、そもそも適応的に行動なんてしたくないわけですよ。
だから私は行動良好なんて断じてごめんだってタイプの人間で、そのための私の認知が歪んでいようとおかしくなっていようと、そんなことはあなたも知ったことじゃありません。あなたって誰だか知りませんが。そういうタイプの人間である私としては、もっと私のメンタルではなくてね、価値観にほぼ入っていって、
しかもその価値観というものと浄土が結びついている地点の、この話をしてもらわなかったら多分私は絶対納得しないタイプなんだと思うんですね。それ話してるのが、そういう話してるのは政治無粋しかないんですよ。
あとはもう自己啓発と宗教になっていく。宗教はいろんな意味で私はごめんなんですよ。それは世の中一般の人が宗教についてどう感じているかは知りませんが、私は家が宗教だったっていうことがやっぱり絶対的にでかいんですよね。
あれでもう一回何とかするのは私にはもう無理だなっていう感じがします。それが禅だろうとマインドフルネスだろうと、マインドフルネスは私は禅から来ている宗教的なワークだと思っておりますが、この認識も間違っているかもしれませんけれども、そもそも十分な興味を持つ、モチベーション自体は持ってないんです。
私はね、ああいうことならばうちでだんだん見てきた、やっていた。うちの父はそれを指導している人間だし、一定以上それを70年もやってるわけですからね。手に入れてきている人ですけれども、だからこそましてですね、私にあれで何とかなる気が全くしないので、やっぱり宗教というのは宗教的なスピリチュアル系の自己啓発も一切、
私にはやっぱり入って、入らせたいという気持ちになれないので、これしかないんですよね。精神分析しかなかったのです。だから精神分析なんだけど、この精神分析には重大なネックがあるんですよ。
精神分析の本を読むことの困難さと、自身のビジネスコンサルティングへの応用
まずやってる人が見たことがないという本当の意味では、精神分析家ってまだ私は直接見たことが一度もありません。精神分析的心理療法家なら、それだって数少ないけれども何人かとお話しさせていただいたっていうレベルで、精神分析家となってくるとゼロです。依然としてゼロです。大変困るよね。これはこれで。
で、しょうがないので本を読みます。本を読んで分かるようにならないとか書いてあるんだけど、だって本を読む以外にアプローチができないんだから本を読むしかないじゃないですか。今はYouTubeもありますけど、YouTubeだってだいたい見れますからね、対象関係論で。
もうちょっとこうなんとかならないのかっていうのもあるんですけど、ちょっとですね、読んでみたりはしてますよ。結構繰り返し見たりしてます。やっぱ本の方がなんとかなりますね。
で、結局のところ私は精神分析的ビジネスコンサルとかいうどこにも認められないものを勝手にやり始めちゃっているんですけれども、ちょいちょいこのポッドキャストでは言ってますけどね。
私にとっての指標は読んできているこの対象関係論系の本、ほぼ松木邦博さんか藤山直樹さんの本で、しばしば山崎隆明さん、遠畑海人さんの本がそこに入ってきて、海外で言うとミニコットの本はちょろちょろ読んでいて、オグデンの本が3冊ぐらい読んでいて、ビヨンの本が2冊ぐらい読んでいて。
でもその他時々違うタイプの人の本を読んでますが、この本を読んで前に読んだ時よりも理解度が上がっていたら、私は何かしら有効なことができているということにしてます。そんなのは嘘かもしれないけど、そういうことにしてます。
だってこれしか指標がないんで、誰も言ってくれないんで、私のこのセッションがうまくいってますよとか、自分自身の概要をかみつまんだりすれば、多分AIは言ってくれるんでしょうけど、AIは何なんだろうな。
AIの言ってることは私には合理的に聞こえるんですけれども、何も評価してもらってる気はしないんですよね。気持ちは悪くはない。善意も感じなくはない。
でも結局そこには何意もないはずなので、っていうのはやっぱり僕大前提として持ってるんで、結局これは私の心の中のグッドオブジェクトが反応しているに過ぎないと思うんですよね。ある意味虚空を相手にしている。今も僕の喋ってるこの漢字は意外と虚空を相手にしている漢字なんですけど、虚空感が強すぎるAIは今のところ。
まあでも永遠に原理的にそうなんじゃないのかな。だからスーパーバイザーとかとは全然違うものに感じられる。私には。やっぱりですね、情報ではないんだと思うんですね。私に必要なものは。情報は必要なんですけど。まだあれだったら本読んでる時の方がですね、納得感が高いんですよね。
ただ本は、私の言い分は本は聞いてないわけですよ。本が喋ってるだけなんで。これを読むことで私の理解度が上がったということはおそらく私は何か精神分析的におかしくないことが、おかしいことはしていてもおかしくないことの成分は増えているんだろうと。
プラス、ビジネスコンサルをやっていて続いているということは、そこで顧客満足度の成分は少なくとも激減したりはしていないんだろうみたいなそういうニュアンスなんですよね。これがですね、これってめちゃくちゃありやふやしじゃないですか。
そこに持ってきて、藤山直樹さんとさっき言ったように松木邦博さんの本を、私はほとんどその唯一の手がかりにしているようなもんなんだけど、あの二方は二人ともこれを分析家以外の人がやってはダメです。決してやってはいけませんって書いてるわけですよ。危険だし無謀だし無理ですって書いてあるわけですよ。
著者としての苦悩と精神分析の類似性
しかしそう書いている人たちの本しか手がかりがないわけですよ。というのが私のこのポジションにおける重大な問題なわけですね。誰に聞くこともできない。上手くいってる感じがするときはまだしも、でも1週間前セッションが上手くいってる感じがするなんてことは皆無なんですよね。
3年半にこれからなっていくことをしているんですけど、3年半って本当に心理臨床の世界であっという間なのかもしれないけど、やっぱり40ヶ月にわたって、1年50週だと仮にしまして、2000週間にわたって毎週毎週勝率にして、5勝5敗いって5勝5敗みたいな。
ひどいときは3勝7敗みたいな世界に。これで上手くいっているっていう感じを持つのは至難の技ですよね。そして、もうこうなったらしょうがないからまた藤山さんの本読もうって書いてある、読むといきなり書いてあるのが、分析会以外の人がこれをやるのはダメですみたいな、無理ですみたいなことが書いてあるわけですよ。
だからですね、何にもサポートがねえなって感じがします。この世界は私の世界には実はつきまとってる問題で、本ってそうなんですよね。本ってもう本当に嫌な意味での裸の王様を著者やらされるんですよ。
書いてるときはずっとよくわからないおだてに乗って書くしかないんですよね。でも最終的な評価は常に売上だけなんですよ。売上が悪かったらあれほど褒めてくれていた編集さんが二度と一切返信は連絡はしてくれないんですよ。
仮にそういうところに空気を読まずに僕が連絡しても、実に事務的なものが帰ってくるか、ほぼ帰ってこないかのどっちかになるんですよ。でも私は著者なんで、書店の状況とか現在の売れ行きとかリアルタイムでようやくポス、まあいいや、そういうものがあるんですけど、書店で私の本が何時何分に売れたみたいなやつね。
知らないし、売るための営業戦略とかマーケット戦略とかも知らないんだけど、でも売れ売れ言われるわけですよ。著者は出版社さんから頑張ってくださいみたいな。何を頑張ればいいのかと。何をどう頑張ればいいのかと。Xに死ぬほど投稿すればいいのかと。
死ぬほど投稿しても、別にいいんですけど、死ぬほど投稿するのは。結構忘れるしね、モチベーション上がんないじゃないですか。投稿するために10冊ずつ売れるなら死ぬほど投稿しますけど、投稿しても全然Amazonの順位はダダ下がりになっていく一方なのに、投稿して、別に僕はそこをそんなに気にしてるわけじゃないけど、フォロワー数は確実に減っていくわけですよ。
何をこれはしているんだ俺はっていう気になるじゃないですか。別にしたいっていう強いモチベーションを持ってないのにですね。
投稿することによって私の収益が1ミリも増えない。1ミリは増えるか、Kindleが今あるからな。紙の本の分の収益は増えないんですよね、これによってね。
非常にモチベーションを保つのは難しい仕事で、これも非常にある意味私の精神分析的なビジネスコンサルというものとそっくりなんですよ。
このどこに頭を叩いても確かな返事は決して返ってこない。唯一、よくここも似てますね最近のね、AIだけがなんか大真面目に考えてくれていて、正しいような答えは出してくれる。
ただやっぱりAIはいつも通り、これはなんか自分のグッドオブジェクト、内的な良い対象が反応しているだけのような気がするっていう感じがして、結局アドバイスを全部却下してごめんね、ハートみたいな感じで、
誰に何を謝って言い訳しているのかもさっぱりわからないようなことが行われるわけですね。だってなんて言ったって、著者は結局は書くことしかできない人間なんですよね。
僕は少なくともそういうタイプなんですよ。なのにこう、オールインワンみたいなことが求められているわけですよね。ある意味では。
全部やれみたいな。営業もやりましょう。編集も企画も全部やりましょうみたいな。一方は違うと。
どういう風な経緯でこの本を書き、どういう風な理由であって、だからどういう人たちには向いて、それは基本的には出版社のマーケティングとか部門とか、本屋さんがやることじゃないですかっていう感じがするんだけど、
なんかもう勝間和哉さんのような著者が、書く努力の5倍、売る努力をしなさいみたいな。5倍?5倍もする?あれの5倍なんかやってたら死んじゃいますから、僕みたいな人間は本当に。
心完全に折れるだろうなって感じがするんで、やっぱりそれはパーソナリティだよなと思う。偉いなと思いますよ、ものすごく。そういう意味ではめちゃくちゃ尊敬します。
これの努力の5倍の売る努力ができるなんて、僕には多分死ぬかそれをやるかと言われても悩むと思う。そのレベルになっちゃう。売れることとか売る努力をしている人が癒やしいとか品がないとかは思わないんですよ。
ただただ抜かないと、何のエネルギーも見えてこないっていうのかな。枯れた井戸を何度も何度も持ち上げているような感じ。カランカランカランカランカランみたいな感じ。売りたいという気持ちが心の中に、そういう気持ちが液状のものとしてあるんだとすると、2滴とかしかないんじゃないかって感じがするんですよね。
だからどこへ行っても、どこの塔を叩いても正解が見えてこないんですよね。売る努力をしましょうだけなんです。どういう努力か売る努力なのかがよくわからない。
SNSしか考えつかないじゃないですか。でもSNSをいくらやっても売れるようになってはいないわけですよね。そして私の本に何の興味もなさそうな有力な人たちに本を送って、お目汚しにどうぞとかって言うわけですよ。
気が利いた人は読んでいようといまいとさらっと上手いこと言ってくれるんだけど、そのようなことはめちゃくちゃありがたいですよ。めちゃくちゃありがたいけど極めて悪いですよ。普通はそんなことは起きないわけですよ。なかなかね。
精神分析における「虚空」と「シャドーボクシング」
まあ全然全く精神分析の話になってませんが、でも私にとっての精神分析はこれと告示したところがあるということです。虚空に向かって何が正解なのか全然見えてこないままひたすら虚空に向かってシャドーボクシングするみたいなそういうニュアンスなんですね。
仮にそれが上手く、しかも精神分析の世界って嫌な世界で、ある意味似てるんだよな。だからな。精神分析の世界って上手くいったと思ってる回は失敗ですみたいなことを平気で書くんですよね。大物が。
失敗だと思ってる回ももちろん失敗なんで、なんなんだこの仕事をやってる人たちの。こんな指標の中で何をやってることになってるんだろうってなったときに、私にとっての指標は藤山直樹さんの本を読んだとき、例えばですよ。
意味がわかった。前よりも。それは正解と成功とみなす。それはセッションの関係ないだろって言われるとそうなんですけど、でもセッションをして何かを理解していなかったら、あそこから先に理解度が進まないんですよね。というのは確かにあるんですよ。
例えばさっき、いつもそうなんですけど、毎日そうなんですけど、苦し紛れに精神分析という営みを読んでいたら、セルフカウンセリングっていうですね、また興味深い一説が飛び込んできてですね、こうやって適当に読むんですよ。
セルフカウンセリングの説に書いてあるのが要するに、プレエディパルの水準の、だからどうしてそういう人がそもそもプレエディパルの水準って非言語水準ってことじゃないですかっていう、そういう人がちょっと外傷的なことがあって欲打つ状態になって会社休むようになったからだったと思うな。適当にしゃべってますからね。
でも大体大筋正しいと思う。会社休むようになったから精神化を通じて私のところにやってきたって、もうこの段階で私はそんなことってあるかって感じがしちゃうんですよ。
第一にプレエディパル水準って要するに4歳児以下ですから大きく見積もっても、まあ平で6歳児以下、絶対会社員できないだろうって感じなんだけど会社員してるわけじゃないですか。
でそのプレエディパル水準の何かを抱えている人が何か外傷的なトラウマみたいなことがあったからなんか自分のペニスは回っていると言っているみたいなことを言ってで藤山直樹さんのところに行ったっていうんだけど精神化とかなかなか行かないと欲打つ状態になったから精神化に行きそこから精神分析に回されるっていうこと自体があんまり現実的にそんなこと起こるのかな本当にみたいになっちゃうんですよね。
でも週1回って書いてあったからこれは精神分析で心理療法ねっていうことで週1回っていう意味がパッとわかるようになるんですよね。
パッと読み取る落としちゃうんですよね。
週1回なんだっていうことがこれほどある意味重篤に見える話なのに週1回なんだっていうところでここに意味がちゃんとあるんだっていうことを認識できた段階で私は自分の3ヶ月チャレンジがある種の成功用文を
加えたって感じを持つことはできるんですよ。
これが私の今のやり方なんですね。
セルフカウンセリングとプレエディパル水準の理解
プレイリプス水準の人が最初はすごく先生が黙って見てくれているからといって超元気になってきたと。
よかったよかった感があるんだけどそれは1、2ヶ月のことでだんだんキャンセルとかを始めるようになるわけですね。
なんでかっていうと怖いんですね藤山直樹さんが。
なんで怖いかっていうと虚勢不安があるんですよね。
この辺がフロイトなんですよ。
私はこの辺の説明を読んだ時も意味不明だって思ったんですよ。
何言ってるのか全然わかんない。
カウンセリング来ていて先生が黙って見守ってくれているから元気になって会社に行けるようにまたなりました。
よかったよかった。
いいじゃんそれでって感じがしちゃうんですよね。
普通にカウンセリングの話を読んでるだけだとするなら。
ところがその後に週に1回通い続けてそもそもなんでその状態で通い続けるんだろうっていうのも昔はわからなかったんですよ。
今ならわかります。
だからやっぱり一応私の3ヶ月チャレンジはいい方向に向かってるんだろうっていうのは
これはなぜこの人が続けてるのかも今ならわかるんですよ。
そしてキャンセルが増える。
これは3ヶ月チャレンジではいろいろ予防策を打って起きないようにしてるんですけど
自分は起きないようにしているがそういうことが藤山さんがさらっと書いてるけど起きている。
キャンセルしてる人二度と来なくなりますよ。
キャンセルしてるんだけどちょいちょい来る。
なんか理由をつけてはキャンセルするようになったと。
これはもういらなくなったって考えるのが自然だと思ってたんですよ昔は。
ところが今だったらこれは何度かんどと理由をつけて来ない。
藤山さんが怖い。
つまり行きたいんだけど怖くて行けなくなってるっていう心理状態が書いてあることが明快にわかるようになったんですよね。
これが以前は明快にわからなかったことなんです。
これ非常にだからこう読みによってはわかりやすい事例として書かれてるんですよ。
おそらく偽装が入ってるし作り話に近いかもしれないんですよね。
でも昔はすっごいリアリティがあるように思ったし全然意味はわかんなかったんですよ。
なんでこの人キャンセルするんだろう。
来なければいいじゃんって思ってたんですよね。
虚勢不安と精神分析的解釈の重要性
だけどキャンセルしながらも来るうちに厳しいセッションが続くと。
つまり虚勢不安で怖いお父さんを目の前にして
お前もう社会で使い物にならないからここ来んなとか言われることを恐れてるわけですよね。
それを解釈だからこういう時にしかも藤山さんのほんのいいところは
松木さんはここは書かない。
多分彼は書かないと思うんですけど
私はこういう水準の患者さんには言語的な解釈
特に定義解釈は控えるべきだと考えているっていうのをさらっと書くんですよね。
別に書いても全然不思議はないですけど
僕は松木さんはそういう書き方は後の考察とかでは書くかもしれないけど
さらっとこういうところに入れてこないなっていう感じがするんですよ。
あれが入ってくるとやっぱり非常に参考になるし
ここはやっぱり控えるべきだと考えられるわけねっていうのが分かるじゃないですか。
分かるんですよ。
以前は全然分かんなかったんですよ。
なぜ定義解釈を控える?そもそも定義解釈って何なの?っていう状態だったんで
言語的な定義解釈ってどういう意味だっていうところで
既に意味不明だったんで
それが分かるようになってくると
これを控えるということの意味も何となく控えるとあえて言う
つまり普通ならするでしょっていう
そこには塩梅があるんだけど控えると
私控えれてない気がするなみたいなことも
余儀はないんですよね、当然。
今なら余儀るわけですよ。
控えるべきなのかなみたいな
でも控えりゃいいってもんじゃないような気もする
とかそういうことが一応考えられるようになるんですよね。
幻想の世界と移行対象の理解
で、だからこれは結局のところ
原稿形が押し付けられている
ファンタザイングっていうのかな
P.H.T.A.N.Tですよね
普通はF.N.Tですけど
ファンタジーは
プファンタジーですよね、ローマ字的に言うと
それを見ちゃう、見ちゃうっていうか見ないんですけど
そういう幻想の世界に入ってしまう
だから恐ろしいんですよね
2歳児がお父さんとお母さんのセックスを見て
自分だけはひどい形で排除されている
もう自分いらないんだみたいな
そういう社会から抹殺されるんだみたいな
そういう恐怖
これを藤山直樹さんとのセッション中に
なんとか来るので精一杯みたいな人には
そういう話をしてもむしろ辛いだけなので
しないみたいな話ですね
で、そうなった時に
でもなぜか不思議なことに
その次の回にはちゃんと元気になって
来られるようになってきたと
で、その理由を聞いてみたら
なんか本をひたすら読んでいると
しかもカウンセリングの本を読んでいる
さっきの私のかわい早尾みたいなもんですよ
で、それをセルフカウンセリングと読んでいると
これですよね
この話がセルフカウンセリングという
商題になってるわけですけれども
説タイトルになってるわけですけど
このセルフカウンセリングっていうのは
藤山さんは藤山さん大筋
ウィニコットの概念は必ず
臨床中出してくるんで
移行対象ですよね
あるいは移行的三角形みたいな
そういう説明なんですけど
大事なのは
移行対象っていう言葉は
必要かもしれないけど
プレイリプスを脱しつつあるってことですよね
三角形を脳内に
脳内はいけないか
心内に心の中で描けると
これまでは原稿形に直面して
原稿形を見ちゃっていて
つまりパーソナルなものにできない
外省的体験というのは
どうしてもインターパーソナルなものになっていくわけですね
そのセッションの空間に持ち込まれてしまう
というかそのセッションの空間で展開されてしまう
考え方というものを心の中に保持できないので
つらいので
社会から排除されるとか
インターパーソナルな展開とセルフカウンセリング
要するに両親
イチャラブしている両親に排除される
っていうのに重なっていて
それをさらに
その空間 分析空間
心理カウンセリングルームに持ち込んで
結局のところこのカウンセリングルームからも
自分は排除されるっていう
そういうことを
空想するっていうか
空想するというよりは
実現してしまおうとするわけですよね
子供ってそうなんですよね
心の中の空想を
心の中に留めておけないので
実現しちゃうわけですよ
つらいっていうのは
つらいっていうのを心の中でつらがるっていうのが
成人だとすると
つらいよって言っちゃうのは子供じゃないですか
そして
そのつらさに対応できれば親が対応できる状況ならいいんですけど
対応できないと
我慢しなさいみたいなことになって
だんだんつらい状況そのものが
親子関係の現実の中で
実現していきますよね
子供の心の中にあったはずのつらさが
あっという間に親子関係の中におけるつらさに
展開していってしまいますよね
これがインターパーソナルな
っていうやつだと思うんですよ
人間関係の中で
その人の心のシナリオが展開されると
それをセルフカウンセリングによって
収めるということは
出来分のところその人はまた
心の中に収めることができるようになると
つまり親
両親がイチャラブしているのは
違いはないんだけれども
いや違うんですけどね
あるいは社会が自分を占め出そうとしているのは
間違いないんだけどそれも違うんだけど
社会が自分を占め出そうとしているという
構図を心の中に
描くことができるようになると
これがつまり
意向的三角形が心の中に保持できる
エディフス水準に
入っていくっていう話なんだと
でこれが
精神分析の理解と週1回のカウンセリング
これはまあとりあえずそれは
そういう話として書いてある通りにただ
喋ってるだけなんで
ポイントはこの違いが
展開することが精神分析ではすごく
大事だとあるいは精神分析的
心理療法ではすごく大事だと
いうことがなるほど手に取るように
わかるんですよね
これがわかったからできるようになるって話じゃないですよ
またこれと全く同じことが
起きるなんてこともないしただ
わかるということは
多分自分もそういう
体験をセッションを
通じて経てきているから
やっぱりわかるんですよね
読んだだけじゃわからなかったんで別に僕
賢くなったわけじゃないんで
知識が増えただけじゃやっぱわからないんですよ
転移解釈は
AIとかに聞けば内容についての
説明をしてくれるんだけどそういうものを
読んでも意味がわからなかった
多分これを聞いても意味わからん
っていう方いっぱいいらっしゃると思うんですけど
そりゃそうなんですよ
だってこれわかるように説明されたことなんて
僕らないんで
頭の良し悪し関係ないし
知識の拡充すらも不十分なんですよね
いわゆる用語辞典も
結構
まだまだ施設用語辞典が
ものすごい人によって
岡野健吾さんとか松木コニヒロさんのような
ものすごい人によって
奮闘努力によって
一人の人が
変算したものがあるっていう程度ですから
たまったもんじゃないわけですよね
手ずるがないんですよねこの世界は
本当に
この手ずるがない中ででも
そうか一向的三角形が
結べるようになるというのは確かに
なぜなのなぜじゃあ
移行対象とライバル関係、そして本を読むことの意義
その人はそれ以前の段階でも
エンジニアとかできちゃうんだろう
とか会社員とか
俺会社員勤まらないんだけどなっていう感じは
するんですけどでもそりゃ
一向的三角形が結べた後の方が
外省的体験
というものに対して
なんとかできるっていう
精神状態を
発揮しやすくはなりますよね
その前の段階に
比べれば辛い状態で辛い日って
叫びたくなってしまう
あるいはもうそれに近い状態を
そのままに実現してしまうというよりは
辛いけれども
この辛さはこうでっていうことが
心の中で描ける人になった方が
それは楽ですよね
辛いことに違いはないんですけどね
でもそれはその方が多分
多くの場合においては
おそらく対応しやすくなるだろうな
っていう話
それを実現するために
精神分析というものが営まれる
的に心理療法
ここで1週間って話が出てくるんですよ
1週間
そもそも放置されるから
1週間週に1回でだめだ
っていう話を藤山さんは
だめだというのは語弊がありますが
誤解を招きますが
週に4回と週に1回では全然違うんですよ
っていう話を彼はするわけですが
週に1回だからセルフカウンセリングが
必要になっちゃうんだよねっていう
話をここに盛り込んで
そう繋がるわけねと
いうのが
全然わからなかったわけですよ
私には
それが非常によくわかるようになったんですね
この週に1回だから
その
藤山さんがそこで書いているように
風ならば
かわいいはやおの本
公開してくれと
藤山直樹のライバルにもなっている だってそうですよね
一緒に1回とはいえ カウンセリングルームに行って
カウンセリングルームに行けない時には 本を読んで自分を慰める
この2つの関係はライバルだから つまりこれは父親がいるとも言える
母親でもあり父親でもある そういうのが要するに異行対象というものなんだと
異行対象に性別ってないですから
多くの場合母親代わりですけど 父親代わりでもありますよねみたいな
そういう話が手に取るようにわかる
手に取るようにわかるようになったからって ただ本を読む楽しみが増えたって程度ですよ
でも手に取るようにわかるのと 全くわからないのは
何かが確かに違うんですよ
何かが確かに違わないと 精神分析の本って
どれ1つ取っても意味が全くわからない
みおちきりなパズルを無理やり 解かされているようなものになっちゃうので
そうじゃなくなっているということが 多分私の3ヶ月チャレンジというものを
精神的に支えているんだろうなというふうに
この話はしょっちゅうしている気がします
しょっちゅうしている話ですけれども
そしてそこには非常にある意味 この世界らしい逆説があるんですよ
本を読むだけじゃダメだからね ということがその本に書いてある
一体この本は誰の何のための本なんだろうなって
つくづく思うのが精神分析の本なんですよ
この辺が私にはある意味とても面白い
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