1. ライフハック時代の精神分析
  2. 「続けられる理由」はない【13..
2026-03-06 44:38

「続けられる理由」はない【1327】

再現性ではなく一回性。
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00:05
おはようございます。ライフハック時代の精神分析、第1327回をお送りします。
3月6日、金曜日、8時9分です。
この金曜ともなると、もうくたびれておりまして、
まあまあ、あんまり今日は天気も良くないし、あったかくもないしですね。
頭の中は全くまとまりをかいています。
これ多分、もう一回寝てから起きてからやった方がいいんではないかと思うぐらい、
あの、もう、なんかこう厳しい感じですが、
多分ここで寝て起きるとですね、次はセッションぐらいの勢いなんで、
そこまで行かないにしても、これを撮っている暇はなくなるので、
撮る場所もね、もうここは洗濯とかのための場所に変わりますんで、
どうしようもないんで、今ここ、あとは夜しかないんですよね。
これを来週からまたちょっとどうしようかを検討中といったところですが、
今日はこの流れでいこうと思います。
とはいえ、何を喋るかを全く考えていない。
ゲラの再考が今進んでおりまして、
これはちょっと土管工事的なやつでして、最後の最後の確認というやつですね。
参考はないんで、今時は。
再考しておりますけれども、
まあそうですね、この作業はアナログだなって思いますね、つくづくね。
なんだかんだ言って、僕は紙に全部打ち出して書き込むっていうのを最後はやるんですよね、赤字でね。
PDFでやりきるっていう人もいらっしゃるんだけど、
最終的には本って紙になって出てくるんで、やっぱり一度はプリントアウトしないとわからないんですよね、その見え方が。
電子書だけが、でも今は本当に紙そっくりの電子ペーパーも出てきてますから、
やっぱりちょっとこれはどうしようもないなと思いますね。
あんまりやりたい作業ではないんですけどね、
なんかこう紙の資源も結構無駄だし、気よく捨てるしかないですからね。
なんかこう、もったいないなって感じもするんだけれども、しょうがないかなっていう。
そんなんだったら、そもそも本出すのってどうなのって感じになってきますから、これからの時代は。
まあまあしょうがないかなっていう感じで出して、赤ペンを入れていくという、非常にアナログですよね。
やっててもつくづくこう、どうにもならないという感じしかしないですね。
それこそAIにやってほしい、最もある意味AI的な作業ではないだろうかって感じがするんだけど、
こればっかりはですね、なんかこう紙で目で見た時の感触ってのはやっぱり、
03:03
読者さんと全く同じでは全然ないですけど、相当近い感じっていうものがいるんじゃないかなっていう、
まあオカルトに近いかもしれないんでね、こればっかりは意見が相当分かれるところだとは思いますけどね。
ということを喋っていたのは何か意味あってのことではなくてですね、
何を喋るかが頭に浮かんでこないから、こういうことを喋っているわけですが、
そうは言っても、私はビジネス書作家というのが表向きの肩書きなので、
これはこれで仕事の話なんですけれども、
このポッドキャストの文脈からするとこれは野球の話に限りなくレベル的には近いなって、
文脈が揃ってはいない話ですよね。文脈が揃ってないといえばですね、
精神分析でそもそも文脈の揃った話はできるのか、文脈の揃ってない話はできるのかっていう、
よく枠を超えるって言い方するじゃないですか。
でも私はよく思うのが、枠を超えることはそもそもあるのかということを考えてしまうんですよね。
基本的に、もうこれは単純に原則という話ですけども、原理原則として、
サイキックリアリティしか扱っちゃいけないっていうのがあると思うんですよ。
だから私がよく、じゃあどうしたらいいのかに答えてないっていう話があるんですけど、
じゃあどうしたらいいかに答えるというのは、それがどういう答えであっても、
サイキックリアリティの域を超えないから、アドバイスの体をした解釈でしかないと思うんですよね。
だからまともにアドバイスみたいなことをするっていうのは、
ある意味円幕になっちゃうなっていうのが、私がアドバイスっていうことを基本的には避けたくなるわけですよね。
これは精神分析的に避けるべきだとか思ってるわけでは、もはや全くないんですよ。
私はあれを心理カウンセリングだとは思わないので、今では。
心理カウンセリングとほぼ同じ定をとっている心理カウンセリングとは別の何かなので。
これは定義上そうだっていう話で、これを言うといろんな誤解を招くことになるんですけど、
本当にこれは定義上そうだと思うんですよね。
ここでは心的現実しか扱えないという意味では心理カウンセリングなんですが、
心理カウンセリングという歌はないという意味において、心理カウンセリングではありえないと思うんですね。
このように相談は山ほどあるわけじゃないですか。
その相談を提供している人もどういうつもりで相談をしているのかっていうのは山ほどあるわけですよね。
私は戸原海人さんがこの詩のことを盛んに書きたかった気持ちが、私なりによく理解できる気がするんですね。
というのは、のの医者って全員同じ課題を抱えているはずなんですけれども、正規であれ非正規であれ、相談に乗ってるわけですよね。
06:04
相談に乗るということはそもそも定義状況ではないかって考えてしまう人と、相談に乗るというのはもっともっと現実的で実務的なことなんだよって考えてしまう人に絶対分かれると思うんですよ。
つまり完璧な相談というものはないわけですね。
ここで原理的にあくまでも原理的に試行実験として完璧な相談というものがあるとしましょう。
何でもいいんですよね。
例えばパソコンが動かなくなりました。
でも完璧な相談に乗るためにはそもそもその人の家に行って、その人のパソコンをありとあらゆる点から調べてみて、なぜ動かないのかの客観的真実というものを追求して、それによって答えをおもむろに出すというのが完璧な相談だと思うんですね。
でも実際にはそれはあまりにも無駄なことなんですよ。
実はそれはただ単にコンセントがつながってなかったということはあるんですよ、現実にね。
それだったら別にその人の家に行って、とことん真実を追求しなくても別にコンセント差しましょうねっていうことでいいじゃないですか。
で、どっちの方がいいかというとそれは後者の方が全然いいに決まってると思うんですね。
こういうわけだから完璧な相談である必要は多くの場合はないわけですよ。
でもそうすると相談というのはどういうことになるかというと、例えばある人が会社で上司にセクハラをされています。
上司はちょっと私からするとキモいおっさんでっていう話を聞いたとするじゃないか。
しかし実はその上司は存在していませんってことが起こりうるんですよ。
この場合、事実を追求とかを全くしないということはコンセントを入れてくださいとは全然違う意味で非常に困ったことが起きるわけですよね。
つまりパソコンが動きませんだってこの問題実はあるわけですよ。
いやパソコンは実は動いてます。これも私現に経験したことがあります。
その人が幻覚見てるって話じゃないですよ。
ただ動いていないという認識はそもそも定義を要するわけですよ。
パソコンって別に動くものじゃないじゃないですか。動き出すとか転がり出すとかそういうことはしないわけですよね。
あれはあくまでもメタファーなんで。
そうするとその人が言うパソコンが動かないとはどういう意味なのかっていう問題がそもそもあるわけですよね。
だから相談っていうのは実は完璧な相談っていうのは結局原理的になくて、
ただ私が大きく2派に分かれる、正規も非正規も含めて2派に分かれると思うのは、
サイキックリアリティだと考えて相談に乗る。
つまり哲学的に言うとすごく現象学寄りになる人たちと、
それはあくまでも現実のこととして扱う。
09:00
我々は知覚を通じて客観を扱えてるんだって考える。
私からすると、なんでここで一生懸命言うことになるんだって言うと、
私の感覚にはこれが全くフィットしないからなんですね。
私は世の中のものの見方、基本はその通りでは全くないけど、
基本はマトリックスの方だっていう側の人間なんで、
我々は夢を通じて現実に接しているんだと見る人間なんで、
逆感に直接知覚できているっていう認識が信じられないんですよ。
でも世の中ではそれで済んじゃうというケースもいっぱいあるわけですよね。
例えば車が起こなくなりましたって時、
あなたの夢思考においてはとかってやる必要は一切ないわけですよね。
多くの場合、直接車をいじった方が話は手っ取り早いわけです。
そうするとどうしてもお困りと相談には2波分かれると思うんですね。
心理カウンセリングというのは、
基本的には私はパイキックリアリティを扱ってるから、
なんでも扱えると思うんですよ。
なんでも扱えるかもしれないけど、だからといって、
例えば家に強盗が入りました。ちょっとカウンセリング受けますって。
それはダメじゃないですか。警察に電話しましょうってことになりますよね。
つまりやっぱりあるんですよ。どっかに線は。
これは今夢かどうかをそもそも検討している場合かっていう線がどっかにあるわけですよね。
なんでも心理相談、だから相談は相談のプロにって言うんだけれども、
でもなんでも心理カウンセリングに持ち込めばいいってもんではないと思うんですね。
で、やっぱり大きく分かれてくるのが、とはいえ現象学的には全部主観かもしれないけど、
とはいえそれはもう客観的ニーズとして置くしかないだろうっていう、
そういう話と全くそうじゃない話。
いかにもそれは心的現実だねって話。
だけど相談している人にとっては、
心的現実かどうかなんて別に重要じゃないわけじゃないですか。
だから結局これを取り扱いたいという気持ちは感覚で決めるしかないんですよね。
真実として分けるっていうにしてはボーダーラインが広すぎると思うんです。
このボーダーラインを取り合ってるわけですよ。
言ってしまえば。やっぱり正規か非正規かっていうのは、
正規の人がおっしゃってる相談は全部心理カウンセリングって言ってるのは、
サイキックリアリティであるならばっていう意味なんだと思うんですね。
だけどその線そのものをどこに引くかは当然人によって違うんで、
何が思ってサイキックリアリティで何を思って現実とみなすかっていうのは、
現象学がやってるようにですね、永遠の課題なわけですよ。
やるようによっては何でも、何だって主観ですからね。
独我論みたいな話になってきますけど、
でもそういうふうに言う人だっているわけじゃないですか。
目の前のお前が夢じゃないという証拠を見せろみたいな、
よくわからないことを言い出す人だっているわけですよね。
だからそういうふうに考えると、私は転移状況という言い方をするんだけど、
転移状況というものはビジネスコンサルにおいても重要だって私は考える。
それはマイノリティかもしれないけど、そういう考え方はできなくはないと思うんですね。
12:05
効果も私のそれこそサイキックリアリティですが、それなりにあるわけですよ。
で、こうなった時にやっぱり一気に対象関係論に僕は行っちゃうわけですね。
その途中経過のところに留まりたいとはあんまり思わないわけですね。
だから自分がこの何かができないということになった時には、
やっぱり母親との関係みたいな世界に、
母親との関係をまず疑うっていうんじゃないんですけど、
母親との関係みたいな、そこのところに要するにアンテナが反応しやすいというか、
それ以外のところにアンテナが非常に反応しにくいというべきなんですね、どっちかというとね。
やっぱりまずは母親だろうっていう風に考える。
だって最初の人間関係がそこにあるんで、
この人間関係はしかも人間関係以前の人間関係なんで、
まず覚えてませんからね、一番最初の母親との関係なんて。
お母さん最初何と言いましたかって答えられる人いないじゃないですか。
答えられるという世界があるのは知ってますが、
答えられないはずだと私は思うんで、
やっぱり一番ここが問題になるのは、
人間関係の一番最初の起点における関係を、
我々は誰も言葉で思い出して報告することができない。
ただそれは重大な記憶として残ってるはずなんだけど、
しかし言葉にはならないから、意識的に記憶想起もできない。
つまり全意識の中にはないっていうことだと思うんですよね。
で、それが大きな影響を及ぼしているに違いないと私は思うので、
やっぱりその話が出てきたらですね、
もう事さら聞かなくてもいいやって思ってるんですけど、
どうせ出てくるんで、出てきたら過敏に反応するっていう。
三者関係以降になってくれば、それは無理すればですよ。
5歳ぐらいの時の記憶って曖昧に決まってますけど、
でも無理すればやっぱりそれは、
もう一概かもしれない。だからサイキックリアリティなんですよね。
思い違いかもしれないけど、思い出すことができないわけじゃないから、
そっから先はまあ、特に言葉が通じている人とのやり取りにおいては、
そこから先はまあまあ、随時必要ならば検討していけばいいでしょうという感じがする。
だけど和紙関係というやつだけは、
もうずーっと通想低音って言いますけど、
ああいう感じがするんで、ずーっと流れちゃってると思うんですよね。
私の実感からすると。
だからもうこれを取り扱わないということは、
ていうか取り扱う日はどうせいずれ必ずやってくるであろうし、
そしてどう取り扱ったって、ある意味そんなにうまくいくはずないから、
なぜならばどうこじれてるのか分かんないけど、
こじれてることだけは分かるみたいな世界なんで、
扱うのがすごいややこしいんじゃないですか。
だからここしかないなと。
原因というならば、ものすごいざっくりですけど、
15:02
何の意味もないですけど、
例えば先送りする原因はと言ったら、
いや母子関係のこじれですし、
税務署に何かを申告したくないのはと言ったら、
やっぱり母子関係のこじれですし、
プレゼンの時頭が真っ白になっちゃう、
それは母子関係のこじれ。
そうじゃないですよ、もちろんね。
しかもこんなことを言ってても意味ないんだけど、
でも無関係だとは思えないっていうことなんですよね。
他は関係あるかどうかを精査できる感じもするし、
関係あることもあればないこともあるかもしれないと、
これが無関係だということは、
およそほとんどの場合はとても少ないだろうというか、
全くないんじゃないかという感じを抱くわけですね。
その時にやっぱり出てくるのは、
サイキックリアリティしかないじゃんってことなんですよね。
だって自分の母子関係はもはや、
最早期の母子関係はないわけですから、話をしてる人は。
で、最早期の母子関係がある人は、
サンチャレに来るはずがないんで、
当然未成年ですからね。
結局そういうふうな消去法で、
つまりこれは消去法なんですよね。
消去法で確実なところに手を当てていきたいわけですよ。
確実なところに。
これは確実だろうと言える、消去法的に。
原理的に排除できない原因だろうという原因という意味ならば、
原因でもいいんですけど、
意外と原因でいいんじゃないかなと思うんですよね。
それに対してするアドバイスってないじゃないですか。
母子関係をもっと良いものにしましょうとか言ったって、
全く意味がないし、
いいこともあったんじゃないでしょうかっていうのも、
あまり意味がないわけですよ。
だってそもそも何があったのか分かりませんって話をしてるのに、
いいこともあったんじゃないかとか言ったってしょうがないわけですよね。
お互い分かんないわけだから。
このお互い分かんないことをやってるっていうのが、
私毎回この話をしてるとき、
漠然とコナン君を思い出すんですよね。
つまり彼は話を聞いて推理に走ってるわけですよね。
しかもあんまり聞き込み調査みたいなのをして、
いやしてないわけじゃないんだろうけど、
なんかこう要するに、
推理の世界に近いところがあるということなんですね。
ミステリーとは違うと思うんだけどこれは。
でも推理論の重ねていくよりしゃあないところがあると。
その場にはただ座って二人で話をしてるだけだから、
現場に行って何が起きたのかを調査するということは不可能なんですよ。
だからアドバイスっていうのに向かないなっていう感じがするわけです。
そういう話だけでもできないことはないかもしれないけど、
もう一つがやっぱり私は全てが
転移状況の中に飲み込まれてしまっているので、
つまり私は相談するという行為自体が転移的であると思うので、
この転移状況という前提で話をすると、
アドバイスをしたってそれは父親からの攻撃だとか、
母親からのおっぱいだとか、
18:00
そういうことになっちゃうと思うんですよね。
ならないでただただそれを純粋なアドバイスだと言い切ることは、
できる時もあると思うんだけど、
すごい少ない感じがするんですよ。
これはやっぱり世界に対する一つの偏見ですね。
フィルターって言い方は私はおかしいと思うんだけど、
でも例えばメイドとサイドはだって視力が違うから、
世界をパッと見た時に、富士山をパッと見た時に、
やっぱりその白さは人によって、
人の数だけ白さは違う数だと思うし、
形がどれぐらい当客大気になっているかも、
やっぱり人によって違うと思うんですよね。
見てる角度も違うし、
つまりあらゆる人はやっぱり異なる世界に住む、
個々に孤独な世界に住んでいる人々なのであって、
情報を交換して共有できるくらいには、
共通言語が使えるにしてもですね、
違うものは違うんであって、
同じじゃないはずだと絶対に。
やっぱり僕は桜を見るたびに毎回思うんですよ。
この桜が、たとえばうちの子なり、
うちの奥さんにはどう見えてるんだろうなって、
思っちゃう人間なんですよね。
これを思っちゃう以上、
逆感的にこのようにする方がいいでしょう。
アドバイスってそういうことですよね。
とは言えないんじゃないだろうか。
どうしたってそれは、
何かがおかしなことになる。
何かがおかしなっていうか、
何かが偏ったものになるだろうと思います。
なのでやっぱりサイキックリアリティは、
あくまでもサイキックリアリティなので、
しかも相互に強い相談状態に入ると、
強い相談状態って何なんだろう。
強い相談状態に入ると、
相互の影響がかかってきちゃうんで、
もうアドバイスがアドバイスであるっていうことは、
ほぼないだろうと思うんですよね。
アドバイスはミルクか、アドバイスは怒りか、
アドバイスは攻撃か、アドバイスはコンテインか、
そういう側面がむしろ強まるだろうなって感じがしますよね。
そういう意味ではただ話を聞いたって同じなんですけどね。
だからやっぱりそうなんですよ。
ただ話を軽調とかって言うけど、
よく患者を聞くとかって言うじゃないですか。
そういう言い回しが正確であろうと不正確であろうと、
出てこざるを得ないのは、
やっぱり聞いているのが話だけではないからだと思うんですね。
アドバイスも同じで、
発しているのが発話だけではなくなっちゃうから、
発話だけにするってことが不可能になっちゃうから、
他の意味が、他の影響力がくっついてきちゃうので、
そこにもたらされてしまうので、
避けようがないと思うんですよね。
なので、あんまり関係のない話を、
21:00
昨日たまたまそういう話をしたから、
今日しますって話なんですが、
私最近動画発信できてるじゃないですか。
こういう時にアドバイスというものは有効でないなって思うんでね。
アドバイスっていうのは私になされるアドバイスってことですよ。
私長らく動画発信できてなかった。
こんなこと言ってて、
明日からできなくなるかもしれないですけど、
ただ勘どころをつかんだ感じがするんですよ。
そしてやっぱり勘どころをつかんでみるとですね、
なんか、なぜこれが今まではできず、
先週あたりからなんとなくできるようになったのかということにおいて、
何か再現性があって、
真っ当な言葉って全くないんですよね。
私の実感を正直に述べるならば、
間違いなく今までのアドバイスというものは不毛だったという感じがする。
第一にまず、
習慣化ってやつは全然違うなって感じがする。
何にも習慣化されてはいないんですよ。
習慣化だけなら言っとき、
何日連続で投稿とかできてた時代があったんですよね。
YouTubeの話ね。
あえてあれができるようになった理由を一つ述べるならば、
ピボットに一緒に出た戸田悟さんっていう人の存在なんですよね。
それが何かっていうと、
戸田悟さんがYouTubeをやってたってことなんですよ。
これはアドバイスじゃないですよね。
じゃあ戸田さんのYouTubeを見るようになると、
YouTubeができるようになるかというと、そんなことはないですよ。
戸田さんがYouTubeをやってた。
これは間違いなく大いに影響があった。
中でもですね、
彼がWebカメラのYouTubeをやってたんですね。
私それが面白いなと思って見てたんですよ。
なんとなくそれで釣られて買っちゃったんですよね。
割と高めのWebカメラを。
それはとても良い買い物だったんですよ。
ただその時はただWebカメラが3ヶ月チャレンジで主に
あとWebのセミナーやるんで使うようになったし、
全くそれはそれだけのことだったんですよ。
ところがあれを買ってからというものを
YouTube動画を発すると
Webカメラを買っちゃう人がいるんだここにって思ったんですよね。
思ったというか感じたんですよね。
そしたらYouTube動画を出すってことが
私の中で大きく意味を変えたんですよ。
でもそんなことはこれまでだってないわけじゃなかったんですよ。
動画を見てそれに影響を受けて
職を当てられて何か買うってことは決して初めてではない。
そもそもうちの奥さんが台所用品とかで
そういうものをちょいちょい買ってたりしてますから
初めてではないんですよ。
ないんだけどこの時は違ったんですよ。
戸田さんのことは時々雑誌インタビューなんかで
ご一緒させてもらったということがあったにせよ。
何かあるんですよねそこにはね。
これに再現性は何にもないと僕は思うんですよ。
24:00
ものすごいたまたま。
たまたまピボットに出るっていう話になった時
たまたまゲストでご一緒したのが戸田悟さんで
そして久しぶりに戸田さんと会って
戸田さんのYouTubeを見るようになり
そしたらウェブカメラの話が面白くて
買っちゃったらYouTube動画の投稿というものが
なぜかそれ以来続くようになっていくわけですよ。
しかもこれはそれだけではないんですよ。
その他にも話がアドピーの話だったっていうのが
大きいわけですよ。
それもたまたまあの時はアドピーの話が
ベータ要素と絡めて今なら出せるっていう感じを
持ったんですよね。
で、それもベータ要素についての
和月さんの話ずっと読んでたんだけど
たまたま藤山さんが精神分析の深み絵というのが
割と最近出されましたよね。
あれで夢隔壁の話をされていて
もう一回美音を読んでみて
前よりはだいぶ理解が進むようになったのと
ウェブカメラが届いたタイミングが
一致してるんですよ。
そういう風にして私はYouTube動画を
今までずっとなんかよく分からない理由によって
必ず飛んだしていたし
そもそもやっててちっとも面白いと思ったことが
なかったんだけど
いきなり面白くなったんですよね。
いきなり。
ここ3日ぐらいの出来事です、これは。
だから長く続くのかどうかは知りません。
ただこれは今までよくなされる
準備するとかバズるとか
習慣化になるとか報酬があるとか
いうこととはほぼ関係がないんだと。
あえてこれを僕に説明するなら
つまり僕の説明が
私が私にする説明としては
やっぱりこれは母子関係だなって思うんですよね。
これはやっぱり戸田悟さんというのが
私にとってこの時母親だったのだと。
移行対象と言うべきだと思うんですけどね。
間違いなく移行空間が
組めてるなと思ったんですよ。
私、戸田さん、ウェブカメラなんですよ。
これはしかも非常に象徴的なことに
そのウェブカメラを私は正面に置くことになってるわけですね。
ウェブカメラなんでね。
いつもこれを監視っていう人もいるわけですよね。
私の妹なんかはあれに
なんでそこにセットしてあるのに
そこにガムで貼るわけっていう
そういう不思議さはあるんだけど
非常にだからやっぱり私は母だなって思うんですよね。
うちの妹にとっての母なんだろうなと。
それ取り外せばいいじゃんって。
うちの妹に言わせると
取り外し方がわからんってことになるのかもしんないけど
だってセットしたの自分じゃんって思うんだけどね。
ガムで貼るわけですよ。
ガムで貼らずにそもそもそれ
USBに抜けばいいんだけどって感じがするんですけどね。
余計なことを言うと
また何を言われるかわかったもんじゃなかったから
昔の話ですからね。
しかし私は同じ
やっぱりここに母を見るんだなっていう
27:01
しかも私が見ているのは大変いいものなんですよね。
でもここに意向的三角関係があるのは
私の中ではもう確実なんですよ。
だからこの意向的三角関係があって
要するに可能性空間が成立したから
その中で動画を撮るという気持ちに
てか動画を撮ることが
要するに意義深い感じがするわけですね。
簡単に言うと。
私の情緒にとって。
この説明は何もなってないっていう
対象関係の専門家の人とか
これ聞いてて意味不明だっていう方は
別に全然それでいいんですよ。
そうだと思います。
正しいとは思わない。
ただ私が納得できる説明だってことなんですよ。
そして私はこういう説明に自分を納得させることが
動画を続けていく上では
とても大事なことなんですよね。
で、それまでになされてきた
山ほどのアドバイスがあるんですよ。
YouTubeを続けるための。
本とかも買うしね。
YouTubeやるなら今はこうしようみたいな。
2、3冊は絶対買うわけですよ。
別にそれはそれでいいんですよ。
もしかするとそれを買ったことは
何か今影響を受けているのかもしれないんですよ。
分からないんですよそういうことって。
ただおそらくほとんどないなと。
重要だったのはピボットとトダさんと
Webカメラだなと。
しかもそれはしばらくそれを
Webカメラを入手してから
しばらくは少なくともYouTubeを始めてないし
YouTubeを始めるために買ったわけではないんですよ。
そもそもね。
しかもそれは3ヶ月チャレンジで
ちゃんと使ってるし役にも立ってるし
所定の目的達してるわけですよね。
あのセミナーもしましたしね。
つまりそういう、どういうことなんだこれは。
でもこれはそういうことなんですよやっぱりね。
だから私は信じないんですよ。
再現性って言葉を絶対に。
これと全く同じことを他の人がしても
まず確実に動画をやるようにはならないだろうと。
よくメタにって言うじゃないですか。
しかしメタに、例えば尊敬する人
そもそもこの場合のトダ・サトゥルさんは
メタにどういう存在なんだ。
私は意向的な母親だって思うんだけども
意向的な母親ってなんだよってことなんですよね。
ライナスの毛布なんだけど
ライナス君が毛布手に入れたからって
動画発信とかしないでしょ。
あの時代ないけど
あったとしても関係なさそうじゃないですか。
意向的な母親が手に入ったからといって
動画発信するということにはならないんですよ、当然。
だからメタとかはこの場合全く意味をなさない
むしろ僕は全く逆だと思うんですよ。
もっともっと具体的にいかないとって思うんですよ。
具体的だったから私は動き出したわけですよね。
だから私は3カ月チャレンジが
自分にとっては重要な
唯一のとは今は
考えないようにし始めましたけど
重要な
欠かすことがほぼできないライフワークで
これはワンワンワンセッションしか基本
ワンワンセッション抜きでは
語れないものなんだとは思うんですよね。
30:02
なぜならば
抽象化できないからなんです。
母親というものとの関係って抽象化できないんですよね。
ものすごく生み出の
ものすごく具体的なものなんですよ。
なんかあったんですよ。
再創期
そのなんかはみんな違うんですよ。
ということが言いたいわけですね私は。
再創期の母親との関係っていうのは
よく写真とかでなんかお母さんすごいニコニコ
妖にニコニコして抱っこしてますけど
あれは唯一その人と母親との関係だけを表していて
絶対あれとは全く違う関係っていうのがあるはずなんですよね。
お母さんやたらウィンタするとかね。
私だって何回か叩かれてると思うんだけれども
でも何回叩かれたかなんて分かんないし
何回叩かれたかも人によって全く違うじゃないですか。
叩かれたことなんかないって人もいるわけじゃないですか。
ガンダムでアムロが言ってたじゃないですか。
殴ったなみたいな軍隊にって言ってるわけですよ。
父親って僕に手を挙げたことがないのにっていう
あれすごいいいセリフだなって僕は思うんですよ。
だって軍隊の中のセリフですからね。
アムロが軍人でないってことをよくよく示してますよねあのセリフはね。
しかもあれは宇宙空間で戦争する時代だから
大罰とか絶対禁止されてるはずなんですよ。
ちなみにこれはよく誤解されてる気がするんですけど
旧日本軍って確か大罰禁止してたはずですよ。
建前としては。
だから殴ってる人は全員軍紀に違反してるんですよ。
でもめちゃくちゃ殴ってるようになってましたけど
まあいろんな理由があるんだと思うんだけど
多分でもあれはダメなんですよね。
ちなみにどっかのあれは本当ではないのかもしれない。
でも文書に残ってるんですよね。
戦国時代の何かこう
どっかの版でも確か大罰って禁止されてたんですよね。
なんかそういう話を読んだことがある。
まあデタラメかもしれないけど。
とにかく思ってる以上にそういうことに対しては
うるさいんですよ人ってのは結構ですね。
別に殴りたい放題ザゼとか
それでいいと思ってる人ってほとんどいないんだと思うんですよね。
実際にどうするかはまた別としてね。
なので絶対うちの母は私を叩いたことは絶対あるんですけど
すごい躊躇したろうなと思うんですよね。
でこの躊躇も全部私は知ってるだろうなと思うんですよ。
そういうことと戸田さんとの関係っていうのはですね。
ちなみに戸田さんは戸田悟さんですからね。
私は佐々木翔吾で正しく悟るですからね。
これは私がyoutubeやるのに十分関係があるんですよ。
こんなことって再現性ないですよ。
全然どこにも全部偶発的なものです。
しかし偶発なんだけど偶発に違いないんだけど
どっちかっていうと偶発っていうよりは具体的だってことなんですよね。
体験は決して抽象的にはなされないじゃないですか。
33:01
めちゃ具体的じゃないですか。
でもベータ要素であってはダメなんですよね。
ベータ要素はあるじゃないですか。
もちろん戸田さんとお話しした時は
基本的に嫌な気持ちには一切ならないんだけど
その辺の方はすごいなと思うんだけど
でもベータ要素がないなんてことはありえないと思うんですよ。
久しぶりにしかも2回か3回しか会ったことのない人と
久しぶりに会うと。
しかも向こうは大物ですからね。
そういうことを意識すればやっぱりベータ要素っていうのは
入ってきちゃうわけですよね。
覚醒数字上がってましたもん私。
普段よりも明らかに。
過覚醒しちゃうわけじゃないですか。
それはアルファ機能がやっぱり
フル活動頑張ってしてるんだけど
やっぱり鮮明に記憶に残ってるってことは
若干幻覚に近づいている部分があるってことだと思うんですよね。
夢思考に十分慣れてないから
やっぱりその時変にドギマギしていたり
十分考えられてなかったり
ただひたすら合図打ってたりしてるわけですよ。
全部それは
アルファ要素化されきってない部分が
いろいろあったということだと思うんですよね。
そういうふうに現実に遭遇してしまう
その遭遇の仕方は
やっぱり私が母に遭遇し
母に叩かれたりするっていう経験で
明らかに赤ちゃんだった時の私は
それにやっぱりトラウマを受けますから
ウィニコット的ですけどね
対象としての母親じゃないですか
殴るというのも一つの環境供給と
言えなくはないかもしれないけれども
やっぱりそれは同時に
コンテインであるとも思うんだけど
環境の失敗でもあると思うんですよ。
だから環境の失敗であるということと
コンテインであるということは
必ずしも矛盾しないと思うんですよね。
当然私は少なくともその後
母の顔色を伺うということを
よくやるようになっちゃったから
それは偽りの事故そのものですよね。
本当の事故のものをやるようなことではないですよね。
ケアする私でもいいんですけど
つまり私はその頃から
対象としての母親が現れるから
対象としての母親の機嫌を損ねないように
対象としての母親用の私っていうのを
作り出すわけですよね。
これは分裂ですよね。
ミクロに決まってますが
ミクロですが
ミクロにせよ何にせよ
そういうことは起こるわけですよね。
この分裂が私を分裂した分弱くするから
少なくともエネルギーの統合が
ある程度失敗するので
当然YouTubeやるっていった時にも
エネルギーの収集が
かかりにくい部分が出てくるわけですよ。
やっぱり私はこれを母子関係で見るわけですよ。
で私は大筋間違ってないわけですよ。
なぜならば
やっぱりアトピーについて
言及するということは
どんなにこだわりはもうないんだけど
なくなったから治ってんだけど
でもどんなにこだわりがないと言っても
36:01
どこか告発めいてるわけですよ。
どこかリベンジめいてるわけですよ。
つまりあれは母子関係がなかったら
そもそもあのYouTube動画の最初の一本
最近で言うところの最初の一本
アトピーということになってた皮膚炎みたいな
あれはなかったはずなんですよ。
それを言いたくてその前に
そもそもサンチャレとはっていうのを
取ってるのが私のやり方なんですけど
だからあの中で私これからずっと
サンチャレのPRとタスクシュートの話と
アトピーみたいな話を
折り混ぜて出していきたいわけですよね。
でそういうのだって
どれかに統一するべきだっていうような
アドバイスってあるわけじゃないですか。
これがいかに的というか
筋が悪いかっていう
つまりそれは何ていうのかな
アドバイスとしてなってないとかじゃなくて
私の現実世界に全く入ってこないんですよね。
例えば3ヶ月チャレンジだけに
特化した方がいいとかいうのは
真っ黒すぎて意味が全然わからないわけですよ。
私にとって大事なのは
ウェブカメラと戸田悟さんと
私の異向的三角関係であって
こういうのはその人に対しては
通じないと思うんですよね。
アトピーに関する母親に対する
かつての酷訴状明た気持ちの
残骸みたいなものに対する処理であって
そういう気持ちが
私の3ヶ月チャレンジというものの活動と
深く関わっているのであって
私はあくまでも対象関係論と母子関係という課題から
基本的に外に出ないということは
どういうことかというと
ここで扱うのは心的現実だという
というかここで扱ってしまう以上
それは心的現実なんですというのが
ここにおける重要な枠組みなのであって
この枠組みに取り立てて意味はないんですけどね
だってどうせそうなっちゃうって話をしてるんで
で、例えばですよ
例えばここでこういう枠に対する重大な違反
オグデンがあるアメリカの分析家の人の話として書いて
心理カウンセラーなのかな
何かの手続きのやつを代わりに取ってきちゃったんですって
福祉士なのかな分かんないな
とにかくアメリカにもそういうのはありますからもちろん
ソーシャルサポートみたいなやつね
で、そういう人が手続きみたいなのを取ってきちゃうと
そしたら相手の人が精神病水準の人なんだけど激行したと
つまり自立性を一切剥奪されるということには
やっぱり同意できないだけの健康さがあるんだみたいな
そういうふうにオグデンは書いてたんですけど
あれが枠を超えてしまうということですよね
しかし枠を超えても激怒するということを考えると
やっぱりそれは定義というふうに捉えることもできる気がするんですよ
だから枠を超えるってことはそもそもできないのではないだろうか
というふうに思うんですね私は
どんな事実だって手続きを仮に取っちゃうということだって
やっぱりエナクメントとして捉えられるわけじゃないですか
39:02
やっぱりお母さんは私のやることを先回りしてやっちゃうんだと
私何回かそれを聞いてそれはひどい話だと思いますけれども
宿題という宿題を全部親が勝手にやっちゃうみたいな話って
審議委員長の話の中では時々出てくるわけですよね
絵とか作文とかお母さんが書いて
ほら満点でしょすごいでしょみたいな
よく分かんない展開が起こるわけですよ
要するにそういうことに対する怒りなわけじゃないですか
でもそれは私にはやっぱり東映ドイツ課だろって感じがやっぱりしちゃうし
もちろんそれはダメに決まってるけれども
ダメに決まってはいるけれど
それをやっぱりサイキックリアリティではなく
リアルだからダメなんだって言った場合には
私はカテナって感じがどっかするんですよね
いやそれはサイキックリアリティじゃないだろうかと
そうするとサイキックリアリティじゃないリアリティって
この世にあるんだろうかって思うわけですよ
私が昨日少し研究したけれども
あまりエディプス三角形みたいな話とか
父親みたいな話を出さないっていうのも
これと関係があるわけですよね
結局心的現実の世界というのは
どこまで行ってもある種ナルシシズムの世界ですから
ちなみにこれも関係ない話なんですけど
よく自己愛的な怒りの排除とか
自己愛的な怒りの否認で
それを合理化するために
例えば家に綱に留められるとか症状が出ちゃうとか
そういう話を藤山直樹さんがされていて
すごいやっぱり藤山さんは本一冊書く中で
母と娘 母と息子 父と息子 父と娘を
ちゃんと全部取り揃えるように設計してんだなっていう
だから読んでいくと
ほとんど今時出てこなきゃいけないような事例
例えば墓守娘みたいな形で説明されるような
娘さんが家に縛り付けられてしまうみたいな事例ってのも
ちゃんとこういうところで
自己愛的な怒りの否認みたいな話で
いきなりパッと正面から出てきて
しかもそれをそういう文脈では書かないもんだから
後にならないと分かんないんですよね
その辺すごいなって思いますね
やっぱりプロっぽい仕事って感じがします
基本的にこれ一冊読んでおけば
現代の家庭環境のトラブルみたいなものは
実は揃ってるんですよって
全くそういう立て付けを
全面に打ち出してないんだけど
やっぱりそういうふうに
さすがに偶然そうなってるでしょうって感じはしないんですよね
猛羅的なんだけど猛羅性は言ってないみたいな
私がここで言いたかったのは
否認されない自己愛的な怒りって
そもそもあるかって感じを持っちゃうんですよ
そもそも怒りで自己愛的でないものって何なんだろう
ちなみに自己愛的な怒りってのはつまり
怒ってもしょうがないってやつですよ
そして怒ってるのは自己原因だってことなんですよ
例えばビューって風が吹いて
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うわ寒い腹立つみたいなことってあるじゃないですか
でも風に腹立てても意味ないじゃないですか
そして寒くて怒ってるのは
自分が外を歩いてるからなわけですよね
でもそうじゃない怒りって
果たしてあるのかって感じがするんですよ
怒ることに意味がある怒りってあるかと
だから我々はつい怒ってもしょうがないとか言って
怒りを否認するんだけど
それがつまりある意味では非常に広く捉えれば
自己愛の怒りを否認してると思うんですけど
しかし自己愛の怒りを否認しない人って
あんまりそうはいないじゃないですか
ちょっと面白くないことあると
すぐに電車の中で激怒の声を上げる人って
やっぱ注目浴びちゃいますよね
みんなイライラしてることあると思うんだけど
だからイヤホンしてノイキャンして
好きな音楽の世界に入って
つまり私はそれは母親との関係を取り戻してると
そういうふうに思うんですけどね
やっぱりだから私はどこにもかしこにも
それを見ようとしてるんですけれども
というか見るんですけれども
なぜならそれを見ることによって
見ることによって自分の仕事が進んでいるとしか
思えないからなんですが
いろんな意味で
やっぱりこう自己愛の怒りって
普通に否認されてしまうし排除されてしまうし
怒りはみんな考えてみると
自己愛的なものだとしか思えないし
なんですよね
なんでこの話をしたかというと
藤山さんがそのことを書いてるのを
今朝読んだからなんですが
なんとなく話の脈絡を失いかけているんで
そろそろやめようと思うんですけど
そういうわけでですね
今はYouTubeが一応続いている
今ゲラーですごく忙しくなったんで
そういうこと言うと忙しくない時なんかないんだけど
WBCも始まりますし
今日から台湾戦ですしね
そういうようなこともあって
続くかどうか分かんないんだけど
でも非常にしっくりくるようにはなったと
しっくりくるようになった理由は
多分他もあるんだが
あるんだが
そうそうマイクロソフトのコパイロットとの
再契約をしたっていうのも大きいんですよね
なぜコパイロットがいるんだ
っていうのに対しては
非常に答えにくいんですよ
ただ絶対いるっていうか
少なくとも今コパイロットを解約したら
すぐ私は動画やめちゃうだろうな
っていう自信だけはあるんですよ
そこにコパイロット毎回使ってるのって言うと
全然そんなことはないんですよ
必然性というのは
とても具体的なものだと
私は言いたいんですよね
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