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引きこもるマザコンのその奥にある心【1343】
2026-04-16 51:08

引きこもるマザコンのその奥にある心【1343】

そもそも基底は欠損している。
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感想

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00:05
おはようございます。ライフハック時代の精神分析第1343回をお送りします。
えーと、4月16日木曜日7時56分。昨日と全く同じ時間のような気がしますね。
今日は寒くなりまして、本当にこういう季節は、どういう季節も困りますが、こういう季節は困りますね。
えー、ちょっとストーブが欲しいという、昨日はクーラーが欲しい感じだったんですけど、とにかくあの、連日何を着るか問題があって、私のように服に気を遣いたくない人間は本当に困るわけですが、えーと、お知らせは続けます。
第14期、迷いに迷っておりますが、まあ迷いに迷っているのは大した話ではないんですけどね、迷いに迷っている第14期ですけれども、えーと、まあでもそろそろ最終的なコース金額設定を固めたいなと、まあほとんど何も変えないのに固めたいも何もない、今最終的に悩んでいるのは月に1回セッションコースを作るかどうかなんですよね。
まあ、半ばこの3ヶ月チャレンジの趣旨には合わないなと思いつつ、でもなんかこう、本当に最後の最後で、えーと、レクチャーはですね、別にその、えーと、何人になってもある意味OKなんで、今の体系だったり形式だったら、レクチャーがメインに参加されたいという方がいらっしゃった場合、まあどのぐらいお安くさせていただくかってこともあるんですけれども、
まあ、接触点は保っておきたいよねみたいな話、セッションなしっていうコースはつまりコンテンツオンリーですよね。どうしてもあんまり僕作りたくないなっていうのがあっちゃってですね、まあ、レクチャーをうまく売れよっていう話もあると思うん、僕がそう思ってるんだけど、決着しないんですよね。
AIと話してても、だいたい押してくれるんだけど、でもAIって僕の気持ち組んじゃうじゃないですか。だから結局売りたくないのはわかるよみたいなノリになっちゃって、なんだよねーみたいな感じになって、何のこう、決断にも至れていないという、まあね、その、AIに責任はないんでね、責任の絶対取れない存在なんであれは、えーと、まあまあ困っておりますが、
それはそれとしてあと2枠はありますんで、あの、一応申し上げておこうと思います。まあでもね、えっと、次回は現行のこの私が想像している体制で中4期はいけばいいのかなというふうに思うようにもなってきました。何しろ、えー、実家、実家等、非常にこう騒がしくなってもきましたので、
03:06
あんまりこう、私がギューギューに仕事をしても、でも仕事をしないわけにもいかないし、まあ、その、むしろ物得になりますもんね、その、実家特に遠いんで、あの、家族で新幹線に乗るとなると、もうそれだけでも結構するんで、今後ますますそういうものの値段が、ホルムズ海峡をいい加減にしてほしいとみんな思ってらっしゃるでしょうけど、私もめちゃくちゃ思ってて、
移動するだけで金がどんどん出ていくって、本当にこう、話にならないので、困るんですけどね、まあみんな困ってるんで、それはしょうがないとも言えなくはないんですけれども、はい、えー、まあ本当にこう、困りますね、えーっと、ということで、本題に移っていこうと思うんですけど、久しぶりにというか、えー、何でもかんでも久しぶりですが、フェアバーンという人のロナルドフェアバーンですね、
読んでいて、あのー、何で、今フェアバーンを読み出したんだろうかと、自分思ったんですね、まあとにかく、今改めて読んでみると読みにくいんですよ、でも今とすることはやっぱり、昨日の話の延長線みたいなもんですが、よくわかるようになってるんですよね、もうかつてここら辺は全くわかってなかったんだけど、今ではここら辺は実によくわかるなと思うんですよね、で、
改めてフェアバーンを読んでみると、あーこれはメラニー・クライント同時代人なんだわっていうのもよくわかるんですよね、この対照関係論の整理のされていなさと、えー、言葉の使い方の古さね、非常にフロイトの時代、例えば精神神経症って、今となってはあまり意味のない言葉だと思うんですよね、いろんな概念の中に入り込んで、まあ今整理するからそう見えるんだけど、
精神病と精神経症の間を跨がっており、しかし必ずしもそれはボーダーとは言えない、なんか実に独特のこう、地図にすると、なんか古代の地図とかそうじゃないですか、え、中国って昔こういう半島なんだみたいな、そういう古代のですよ、なんか義、豪職とか分かれてるああいうやつとかを見ると、あ、こういうなんか感じなんだっていう、そういう、こう、今となっては現代地図になってしまってる私たちが、
私たちとしてはこの区分になるかっていうような区分が精神神経症みたいな、でも精神神経症みたいな言葉が最初の章にはバンバン出てきて、な、な、なんかね読みにくいんですよ、とにかく、今だったらここは分けて、かたや統合失調症って書くよねってところにも当然当たり前のように精神分裂病って書いてありますし、まあ当たり前なんですけど統合失調症という言葉はなかったわけですから当時ね。
まあフェアバーンは一言で言って、分裂一元論なんですよ、でもその気持ちは今思うとよくわかるわって感じがします、結局こう分類したからといって異なる名前をこっちはこういうカテゴリー、こっちはこういうカテゴリーって分けてみたところで、それは科学的だって言うんですよ、分ける人は絶対に、ちゃんと統計取りましたとか、Nはいっぱい見ましたとかって言うんですよ。
06:23
あの根拠もこうです、みたいなのはその通りなんだと思うんですけど、でもやっぱりあの具体的に人と性した時にはそんなこと言ったってなって感じがするんですよね。
例えばホールディングとコンテーニングみたいなものって被ってるじゃんって思うんだけど、でもですね、なんつうんですか、自分この人と対している時はミニコットしか今は出てこないみたいな時にコンテーニングは合わない感じがするんですよね。
なんでなのかは、もう専門家でもない私にはなんでなのかはわからないんだけど、やっぱりニードと言うべきところとベータ要素と言うべきところはなんか違うんですよね。別にいいんですよ、でも相互に入れ替え可能だとは思えないんですね。
だからなんかやっぱり分裂一元論で見たいフェアバーンにこういろんな区分ってあんまり意味ないんだろうなっていうね。ヒステリーなんて分裂消失なんだよみたいな話になった時に、いや逆じゃないのかそれはっていう風に思わなくはない時もあるんですけど、
なんでもその分裂分裂へ分裂へと持っていくからヒステリーが分裂に見えるんだって、なんでもヒステリーに持っていきたい人の目からするとむしろ逆に見える、そういう言い方はダメなんですよ。ダメなんですけれども、でも結局それは誰かと対峙した時のその人に見える見え方がそれしかないからになっていくだけなんじゃないのかって思う感じっていう風に分裂一元論を見せつけられると。
でも例えば脅迫症の症状を見たり、例えばこうまあ男性の不能ですよねインポテンツみたいなのを見た時、いやここは奥に分裂症が潜んでいるんだっていうのはまあそうでしょうねっていう感じがしますよね。やっぱりなんとなくはわかる気がする。
ただし、あれはまだ第二次大戦終わっているかいないかみたいな時期で、またすぐいつ戦争あるんじゃないのみたいなノリもおそらくあった時代に、軍隊の中でいろんな人の分裂症質を見てきたフェアバーンのその感じ方としては、やっぱりそうじゃない感じ方をなんでするんだみたいになるんだと思うんですよね。
ああいう分裂一元論みたいな、なんかある不可解なスガスガしたみたいな、スガスガしくはないけど、私は分裂症質だからめちゃくちゃわかる気がするっていうことですね。ただ単にある意味では。
09:04
で、結局規定には分裂があるんだよっていう、だから分裂体制って言葉、彼しか使ってないような言葉ですよね。これもね、今でも妄想分裂ポジションですよね。
だけどそれはフェアバーンから取ったもんですから、クラインが。分裂の部分は。妄想分裂っていうのは正しいと思うんですよ、やっぱり。それだから後世の人間の方が正しいんですよ。でも、やっぱりフェアバーンは分裂体制という言葉を誰の力も借りずにつけたわけですからね。
このフェアバーンの文明譜でこれを見ると、また少しやっぱりこう、ある意味もっと正当的だよねって思うんですよね。だって彼は全部が分裂だってある意味言ってるわけだから、全部がとは言ってないんですけど、厳密には大半がと言ってるんだけど、でもああいう分裂一元論者みたいな人のとっての分裂的体制って言ってるものは、その妄想分裂ポジションといったようなものをですね、それは統合的に見て正しいものの見方だと思うんですけど。
PSポジションとかPSとDとかそういう風な観点から見たものとは、やっぱり一味違うと言いますか。こう、なんていうのかな、俺は醤油職人なんだみたいな人が考えているところの醤油職人なんだみたいな人が考えているところの醸造起醸油みたいなものと塩醤油ソース砂糖いろいろある中の起醸油ですよねって言ってる人の起醸油とは違うんですよね。
なんかね、やっぱりあのすごくこうフェアバーンの特有の頑固さみたいなものの、でもこの文脈においた時にこれの分かりやすさは段違いに良いみたいな、だから私のことを言われてるんだって思った時のフェアバーンという人からの説明ってのはもう善行すっきりしますみたいな、そういうことはあんまないじゃないですか。
クラインのとこは結局わかる、そういうふうに見るとそう見えるのはわかるみたいなのが多いんですよ。いろんな観点をとっていろんなその人を見て、しかも我がこととして見ているのとはちょっと違いますからね、クラインの場合多分。
ところがフェアバーンは多分あれば我がことになっちゃっている感じがして、全部これでもいけるんだよっていう感じで出してくる事例はいかにも分裂的なんで、そうするとこれをまさにこれにハマっている私みたいな人間のことを書かれている、まあそういうふうに思って読まなくてもただ読んでいくだけでいやそうだそうだ全くだって感じがするんですよね。
なぜならそれは私が分裂で見られると一番見えやすい人間だからなんだと思うんですよね。
今思うと私が寄ったカウンセリングでルームで脅迫的って言われたときはやっぱりそれはなんかこう、それはそうなんですけど脅迫っていう意味では私は大したことないし、なんかこうね、毎回毎回行っては帰ってきて行っては帰ってきてを繰り返すだけになっちゃうじゃんそれじゃっていう感じがやっぱりするんですよね。
12:10
あの分裂って様々なあるんですけど、やっぱり私はフェアワンのこのナラティブが一番しっくりきます。
で、そしてそれこそがまたボラスにつながっていくんですけど、だからフェアワンからボラスみたいなんですね。でボラス読むとめちゃくちゃわかりやすいんですよ。フェアワン読むとめちゃくちゃわかりにくいんですね。これがだから時代ってことだと思うし、整理されてないってことだと思うんですけど。
あのお母さんに対してやっぱりこう、なんていうのかな、書き方が独特だからピンとこなくなっちゃうんですけど、あれは正しいと思うんですよね。
つまり母親の打ち解けなさとか愛情不足みたいなものに直面した赤ちゃんは、母親を一つの悪い対象と見出す。この書き方が特殊すぎて、もっとこう、こなれば書き方があると思うんですけど、一つの悪い対象と見出す。
とにかく福は内鬼は外。これは浜内さんのやつのyoutubeで言ってたのかな。自分の中に良いものを置こう良いものを置こうとやっぱりするタイプっていうか、まあ普通にそうしても不思議はないじゃないですか。みんながみんなそうしないですけど、この外に出すと大体ろくなこともなんねえじゃんっていう風に考えてしまいがちなタイプ。
あのあれですよ。よくさ、ほら、よくああいう風に外で振る舞えるよね。ある意味羨ましいわみたいなあの独特の態度。軽蔑してんだか羨んでんだかよくわからないような態度をとる人っているじゃないですか。自分は言うことできないわ。ちょっと恥ずかしすぎてとかって言って、なんだかこう、よく言ってんだか悪く言ってんだかわからないようなそのあけっぴろげというものが全く理解に苦しむという風に言う人の独特の態度。
これは結構グラデーションがありまして、もうなんかめちゃくちゃ裸踊りだって俺できるけど自分の心は明かさないからみたいなそういう人っているじゃないですか。なんかこうあけっぴろげというものを演技する。だからそれはそれがヒステリーの人の中に隠れするっていうような言い方までして、そのフェアバーンは何でも分裂に持ってっちゃうわけですよね。どこまでも分裂なんですよね。
外と内は違うだろう。お前絶対に内を見せてないでしょうっていうことを盛んにフェアバーンは強調しているわけですよ。で、それがこう南極に一人で行った時にも分裂しないで済むかとか飛行機事故にあってる時にも分裂しないで済むかとかそういう無理難題を人に突きつけてでも分裂というものは言わせたいわけ。何が言いたいかというと、外がそんなに荒れ狂っていて本人の心も一緒に荒れ狂ってしまうわけにいかないじゃないですか。
そうすると分離しますよね。この分離の極端なのが乖離ですよね多分っていうデジャビューとかそういうやつを言うんですけど、もう俺これ体験してないことにしちゃおうみたいな。いるじゃいるっていうか僕そうなんですよ。超然としちゃうってやつなんですよね。別に悟ってるわけじゃないくせに超然としちゃうわけですよ。
15:08
なんかもううわもうひどいこと起きたわみたいな例えばテストでなんか4つ赤点だわみたいになった時に変に超然としちゃうんですよ。なんかもういいやこれはもう現実にはそういうことが勝手に進行していることにして俺関係ないもんねみたいな。これ分裂なんですよこれは。内と外の分裂。内は常になんとか平成にいい状態にしておいて、外がおかしくなっても外は外、内は内だから鬼は外、福は内なんですよね。
浜内さんのそのyoutubeではそういうふうに表現されていたわけですよ。鬼は外福は内ってもう完全に分裂的態度なんですよ。まさにフェアワンが言っているやつなんですよね。内側に良いものを内側に良いものを溜め込み溜め込み安全に安全にだから私の愛は良いものだから絶対外には出さない。これって全然誰も愛してない人の態度に見えるわけですよ。でも結構この人は人を愛してるわけですよっていうものの見方によるんだけど。
つまり私はみんなのことが大好きですけど誰にも好きとは言いませんみたいなそういうなんかこう表と裏がえらい違う。内と外がえらく違う。そういうものが現れてくるわけです。でもそれは既定欠損の一種だというふうにフェアワンは言ってるわけですよね。
お母さんが素っ気なかったから。だから私がお母さん大好きとか言ってもフーンとか言われるのがすっごく赤ちゃんは傷つくから。だから赤ちゃんは優しいお母さんの顔とそれに対して愛をひたすら育んでいる自分ってものを心の内に秘めておいて。
外ではもうお母さんに合わせてお母さん私大丈夫だから何もしてくれなくて大丈夫だからみたいなそういうそ知らぬ態度というものを徹底的に取る。これ私なんですよ。だから私は心の中っていうものは非常にラブラブイチャイチャモードになっちゃっていてこれを誰か世間の人一人とはやりたいと思っていたからやたら女の子に声をかける人っていうのが登場するわけですが。
でこれうまくいかないんですよ。僕ほどうまくいかない人間は運が悪いかやり方がよほどしょぼいかのおそらく両方なんですがこれうまくいかないんですよ。やっぱりここでのラブラブイチャイチャモードのお母さんってめちゃくちゃ優しい人なんでそんな人いないんで現実にはこれを探して三千里歩いてもだいたい無駄足に終わるわけですね。
冬彦さんって知らないですよね。知ってる人もいるでしょう。マザコンドラマなんですけどあれあれは絵が気持ち悪く描かれるからあれをねもっとちゃんと描くべきなんですよね。あれを本当に優しいお母さんと本当に理想的な子供時代の自分というふうに描けばあのドラマあのドラマで大ヒットしたんだから余計なことやったんですけど。
絶対ああなんだけど外から見た場合はああなんですけど心の中を描かないとあれの意味っていうのは実は単にものすごく変な人になっちゃうんだけどああいう人はいっぱいいるはずなんですよ私が思うに。男の子なんですよあれは。
18:13
もちろん全員ではないフェアバンガー言うことをあのみんなのみんなそうなんだみたいなノリになっちゃっているんだけどそんなことはないんだけどあの大半はとは言わないまでもかなりの人はそうなんですよね。
あれは当然ナルシシズムの世界でナルシシズムってのはいや俺素晴らしいわじゃないんですよナルシシズムっていうのはこの私の心の中のこの対象とこの私の関係が素晴らしく荒らせ荒らしめたいなんですよね多分それが素晴らしくひどいっていうケースもないわけじゃないのは人間の複雑さですけどマゾキスティックなナルシシズムみたいなのがあると僕は思うんですが
とにかくこの内的対象のだから対象をうちに引き込むみたいなしかもそれが赤ちゃんの時代だからそれをだからねここでもまた混乱を招くんですよ取り込む取り込む言ってるんだ例えば部屋の中に自分のおもちゃをがっつり集めてるみたいな子供はちょっとあれかもしれないけど基本的には微笑ましいじゃないですか
これを何かこうあのその通りではあるんだけれどもクラインみたいにああいうのカニバリズムとか言うからよくわかんない何そのおどろおどろしくてグロテスクなのはって感じになっちゃうんだけど同じなんですよ飲み込みたいっていうのは赤ちゃんは飲むことでこれをなんていうのかな取り込むっていう精神的なものがイメージできない年頃だから飲み込む飲み込むことによってキスするのもいいんですけどね
好心とか好愛とか言ってなそういうことなんですよあれをカニバルみたいな言い方をするからなんかこうレクター博士みたいになっちゃうんだけどレクター博士はそうなのかもしれないんですけどそうじゃないだろって感じがするんですよねやっぱりねなんかもうちょっとこうほのぼのとしてるんですよそれを成人男性がやると全然ほのぼのとしてないんだけど内面はほのぼのとしてるんですよ結構ねこのほのぼの感は割と大事なんですよほのぼのとしてるからこそ
ホラーなんですよ
私はこの感じがですねあの昔埼玉県で連続幼女誘拐殺人というまた非常に痛ましい私なんかちっちゃい女の子家の父親だったからやっぱりこれがいかにあれかっていうのはもう本当になんていうのか痛切に感じられたし今回のあの京都の事件もねまああれは全然あの質があの傾向が違うものですけど大変痛ましい事件だなと思うんですけど
だからほのぼのとは内面がどれほどしてたって具体化してしまったらほのぼのほぼレクター博士ですよ確かにでもそうは言ってもこれを職人というふうに表現するのはなんかちょっとねぇって感じがするそういう意味ではフェアバーンの方が妥当性を感じるんですよね
21:01
なんかこうベッドで寝てたら屋根からミルクの洪水がザワーと降ってきたみたいな夢を見ている青年の話とかそうそれが正しいって僕思うんですよねそれはとても近いで
でそのごめんなさいあの内面ってのはですね
そのその頃に内面っていうのは厳密な意味ではおそらくないのでで私ここのところ3日連続でやってるつもりなんですけどそう聞こえもないかもしれないですけど
あのゴミ捨て場のおばあさんの話をしてみたりえっと昨日の話をしてみたり今日のこの話をしてるのもなるべく理論の話から少し離れて1330回あたりからちょっと苦労してやってるんですけど
リアルな我々にどこが精神分析は当たってるのかを言っておきたい言っていきたいわけですよ
今回冬彦さんだみんなは冬彦さんだと思ってないかもしれないけど男性の半数は言い過ぎかもしれないですけどかなりの数が今冬彦さんなんですよ
あれはあんな風にはやらない絶対もっと格好つけるし我々は社会的を良くするから
例えばそれがまあ私が最近出した本に寄せて言うとスマホなんですよ冬彦さんのお母さんはスマホなんですよ
だから今の人がそうなるのは男女合わせて相当の数に達すると思うんですけど非常にやっぱりフェアバーンが言うところのスキゾイド像は古典的すぎるんで
ボラスの言うところのスキゾイド像にものすごい接近してると思うんです我々は一般的にもはやこれを病理と呼ぶべきではないぐらい
一般市民の姿はもはや先進国ではこうなっていくだろうしこうなって当たり前だと思うんですよね
内面と外面を分けるじゃないですかある程度は内と外とか内面が外面が良いとか建前と本音が違うよねみたいなのはみんなある
このみんなあるがつまりフェアバーンが言うところのみんなそうだみんな分裂なんだみたいなノリなんだけどちょっとちょっと違う気もするんですけど
そうは言っても彼も役割4種類ぐらいに分けてるんですね
要するに純粋な分裂病精神分裂病って彼は言うんだけどスキゾフェルミアつまり統合主張症ですよね今これがあると
ここまでいかないように一生懸命防衛しながら我々は心の内の良いものを守ってるんですってこういうモデルなわけですよ
非常にシンプルなモデルな分裂異次元のこれしか説明しなくていいんだぐらいのノリになってるのが
いやでもそういう説明の仕方したら例えば境界性とかどうするんとか鬱的な話はどうするんとか出てくるんだけど
それも分裂でいけるんですよみたいなノリになっちゃってはいるんですけどね
戦時中ぐらいのノリだと考えてみてほしいわけですね
でもう一つがいわゆる今でいうところの今はそんなこと言わないかもしれないけど
小規の精神病水準の分裂消失なんですね
24:05
これはでもフェアバン流に言うと結構後半に見られるみたいなことになっちゃうんですよね
性格特性を通り越えていてただしこの人を明らかに精神病というわけにはいかないっていう
だから今でいうところの重度のパーソナリティ障害分裂消失のですね
分裂傾向の強いパーソナリティ障害をおそらく言ってるんだと思うんですね
これと分裂的性格っていうのを分けてるんですよ
この間は非常に境界線と神経症水準みたいな話なんだと思うんですけど
分裂的性格だからスキゾイドなパーソナリティを備えてる人
多分私のような人間を指してると
この辺でもう人口の7割ぐらいいくぜぐらいのノリがあるわけ
かつこれに加えて一過性の分裂的状態っていうのを加えるわけですよ彼はね
もっと軽いやつそれもやっぱ分裂で説明しちゃうわけですよ
一時的に脅迫的な様子がよく見られたり
一時的に性的に脅迫的になったり逆になったりするみたいな話なんですけど
それを確かに入れれば結構人口の大半をカバーしていけるのかもしれないなっていう
これを見ていけば精神病っていうのは大抵が精神的障害の問題だいたいわかるんだっていうのが
フェアワン流のものの見方なんでしょうね
でもこれは非常に現代には通じるなって思う
やっぱり現代というのは適応度を高めているように社会の設計変わってきてるし
代わりに逆に社会は適応ということに対してえらい厳しくなってるわけですよ
ここまでしてやってるんだから適応できて当然だよなみたいな
そういうところがちょっと現代社会の問題だと思うんですよ
だから何腹が増えるわけですよ
コンビニにどなってるもっと適応できるでしょみたいな
コンビニの店員ちゃんとやってるよみたいなそういう話になっていって
もちろんせっかくなんて論外だっていう感じになって
カスハラだとか何ハラだとかいろいろ言われるが
つまり不適応についての説明を全部ハラスメントにしてるということは
ある意味自己責任なわけじゃないですか
社会に間違ってるところはないんだっていうノリがここにはっきりありますよね
だから一歩間違うと政治とかでも野党の人は怒ってばっかりいるみたいな
ああいうのは良くないみたいな
国会までもが適応すべき社会みたいになっていくわけですよ
論戦する場所なかったかもともとっていう感じがあるんだけど
自分が見たくないものは全部悪みたいなノリになりかねないわけですよね
一歩間違うと
そういう意味で適応というものはすごく求められる
そうするとウィニコットもここの説明を違う言葉でやってるわけですが
偽りの事故が当然増える
我々はやっぱり外面というものを調整していかないわけにいかないので
人前で変にニヤニヤしてるとか僕がよく怒りがちだった現象なんですけど
27:04
それは心の中でお母さんとイチャイチャしてるからニヤニヤしちゃうわけですよ
あれはおかしなことをやってるように見えるかもしれませんが
おかしなことはやってない
ただそれを能面のように隠すべきなわけですよ
これがペルソナってユング派の一部かな
という言い方をある別の精神分析的なところでも言ってますよね
ペルソナみたいな外面みたいな感じですよね
この話はめちゃくちゃわかりやすいじゃないですか
そこら中にありますよねこういう話は
ただこの話の奥底に既定欠損的なものを見る
つまり取り込んだ母親との関係
具体的な母親との関係はむしろ良くないから
こそこうなってるわけですよね
これは非常に大事なところで
いやー佐々木さんお母さんそんなに優しかったんですかじゃないんですよ
逆なんですよ
うちの母はツンデレなんですよ言うならば
でツンしか見えないわけですよ
だから怖いわけ
でデレの時があるわけなんだけど
こっちを取り込むわけですよ私が
あの哺乳瓶の蜂蜜入りミルクと一緒にグイグイ飲み込んだ時に
いいお母さんぞってのをどんどんどんどん取り込んでるわけですよ
本物のお母さんは素っ気ないドライなんですよ
私に甲冑とかかぶせて
リーフは違うとなんかそんなに戦争好きじゃなくて
なんか救助を絶対守れみたいな人なんだけど
でもなんか下馬棒を持って
国会議事堂で文句言う私とか結構好きそうな人なんですよ
この辺が非常にこう
男子に期待する何かってものがあるわけなんですよね
下馬棒を持ってねあのところに私が行ったらね
すぐ大怪我して帰ってくることになるわけですよ絶対に
こういう分裂っていうのはどんな人にも確かにあるものではあって
それは赤ちゃんにしてみればですね取り込むわけですよね
取り込んだ時何が起きるか
アイデンティティがはっきり死もしないのに
これがまあフェアバーンが多分言いたかったことなんだ
アイデンティティがはっきり死もしないのに
どんどんどんどん母親
それもそういう良い理想的な母親で大量に生み出してしまえば
実際的にその人の心の中は
99対1ぐらいで自分なんかないですよね
自分とはいい母親だになってしまいますよね
ここがめちゃくちゃ私はやっぱり大事だなと最近思うんですね
じゃあ一体
じゃあ一体ですよこのこう説明だけ言えば
私といい母親を投影した女の子とデートしたかったんですよね
で済みます
一見これは正しいんだけど私はこれは
意味足りないって思うんですよね
そうじゃないと思うんですよ
規定は欠損したままになっていた
規定欠損があるにせよ
つまり規定欠損って言い方が
フェアバーンに言わせると納得ができないでしょう
そうじゃないだろう分裂体制だと
そしてそれはデフォルトだと
あらゆる人に共通しているんだと
多分僕はフェアバーンが正しいんじゃないかな
30:00
欠損している規定と
欠損してない規定があるなどという
その発想自体が既に分かってない証拠だと
フェアバーンは多分ラディカルなんですよかなり
フェアバーンは相当自信持ってたと思うんで
だから彼は結局いかなる意味でも
ロンドンのアカデミーみたいに所属することなく
個々の人をやっていて
だからすごい独特のポジションなんですよね
ある種の日本人愛の好きなんで
フェアバーンの本だけは何か依然として
現代高端写真書からボンとあるんですよね
結構不思議なんですよ
一冊だけ昔からあるんだよねフェアバーンは
っていう感じなんですよね
すっごいフェアバーンの言葉が
人名が有名なんてことは全然ないじゃないですか
でもやっぱり個々の人みたいな
俺は誰ともと遠くまんぞうみたいな
そういうノリが
つまり彼は非常に分裂的ですよね
思う僕が
でもやっぱり分裂体制というものに
規定を見るっていうのは
私は安易に規定欠損とか言うよりも
楽しいんじゃないかな
もちろんそれは非常にきめ細やかに
赤ちゃんの世話をする母と母親と
うちの母みたいな母親と
さらにはもっと問題があるお母さんが
いっぱいいる中で
その規定の状態がみんな同じです
っていうのは乱暴だとは思うんですけど
欠損のない規定があるかっていう
それをフェアバーン絶対認めないわけですよね
いやいやいや南極に一人で行ってみとか
そういう無理なことを言うんですけども
例えばたった一人で
船の中で転覆してみろと
ロビンソン・クルーソーみたいになっちゃってみろと
絶対に幻覚とか見始めるだろうと
言いたいわけですよね
現実がめっちゃ過酷な時
心もそれに付き合って
心の中も暴風ですでは
心というものは現実と対峙しなきゃならないんだから
どこか現実離れした平静さが必要でしょうと
つまり心の中は福は内で
鬼は外になるだろうと
それはすでに分裂ではないかと
いうことを言ってるわけですよね
で太平洋横断78日間かな
まさに大西洋だ
まさにそういう話の実記録があるんですよ
公開日誌になっているんで
何回も僕読んでるんですけど
確かになるんですよね
非常に心の安定している
そんなに海にボンボン出ている
一人きりになるのが大好きな人が
分裂的でないとはとても思えませんが
でもやっぱり魚が飛んでいく夢みたいなもの
幻覚ですよね
見ちゃっていて
非常にこうなんていうのかな
幻覚に飲み込まれたら死んじゃうじゃないですか
ほぼ確実に
しょっちゅう出てくるんですよ
嵐のど真ん中でまどろんでいくっていう
ダメだ寝てばダメだみたいな
手を動かすんだみたいなことを書いてるわけですよ
もう海は荒れ狂ってるんだけど
人の心ってのはやっぱり
むしろそうなると閉じていくわけですよね
33:01
眠いとかじゃないですよ
もうこれに上がっても無駄だってなったら
心はやっぱり閉じていっちゃうわけですよね
外界と無縁ですと
要するに極端な乖離が起きるわけです
起きる
それはヘアバーンの言う通りなんだな
っていう感じはする
それとこれとは違うんじゃないか
って感じもするんだけど
でもヘアバーンに言わせると
心というのは分裂しているんだっていう
そういうノリがやっぱり
最初も言いましたけど
誤解かもしれませんが
そして適当ではないと思いますが
清々しいと
私なんかちょっと思ってしまうわけですね
やっぱ自分はピンとくるんですよね
非常にね
外と内
今夢なのか現実なのか
夢を見ていても
明石無明石無って言って
これは夢だこれは夢だっていうのに気づけたら
すごくやっぱり自分は充足感を得るみたいなところがあるので
そういう心と現実の
現実近くと心
そして心と真相真理の分裂みたいなのは
私にとってはおなじみなことなので
日常はそういうものの一種だと思っているので
もちろん私は脳面のようだとか
顔なしのようだとか
超然としていたりとかはないんで
極力情緒が外に出るように出るように
努力はしてますが
確かに世の中一般の人に比べると
僕の情緒の表出っていうのは
非常に下手だしぎこちないし
こなれてないなっていうのは
思うところは思うんですよ
だいぶマシにはなってきた
本当に10代の時は僕は
本当に脳面ってよく言われてたんですよね
それはいいことだぐらいに思ってましたから
やっぱり内と外なんて分かれていて
当たり前じゃんぐらいに思ってたんで
脳面とか言われて
嫌な気はしなかったんです
今はそれじゃダメだなってやっぱ思うんで
3カ月チャレンジとかやっててもそうですけど
やっぱり心と心を交流させるっていうのを
仕事としている以上は
ぎこちなくてもいいから
表出しないとっていうのはあるんで
中と外が一致するはずはないですけど
繋がっているんだっていうのを
常に閉ざせばいいとかは絶対思わないんですけど
でも知らず知らずのうちに
内面が後ろに奥の方に下がっていってしまう
気がついたら起きてるっていうのが
私みたいな人間に日常的に起きるので
どんなシーンでも起きちゃうんですよ
ある意味ではね
だからこれを起こさないように頑張ろう
みたいなのはあるんですけれども
規定は欠損していくものなんだぐらいなのは
やっぱり話ちょっと戻すんですけど
母親というものの部分対象ですね
例えばおっぱいだけ切り
だからこれ職人みたいな話になるんですよね
そうではないんですよね
もっとガリッパリって感じなんですよね
そういう人もいるかもしれないけど
グーって感じで部分対象を心の中に
グーっと取り込んでいく
飲み込む何かを飲み込むじゃないですか
36:00
好きな食べ物でいいと思うんですよ
僕バナナとか好きなんで
いかにもじゃないですか
甘いおっぱいですよね
食べるわけですよ
かじるって感じじゃないんだよね
やっぱ飲むって感じなんですよね
これを飲んだ時に
この母親の部分的にもうっと取り込んで
そしたら母親はそっけなくなるわけですよ
赤ちゃんだからそういうふうに見えちゃうんですよね
飲んだからそっけなくなったんですよ
理にかなってるわけですよそこら辺は
ドライになったでもいいんだ
だっていいものはもう取り込んじゃったから
っていう感じなんですよね
例えばフェアワンが描いてるんだけど
画家とかがある種の画家は
すごい絵を一生懸命描くと
描いたらいいものは全部自分から出ていって
あーってなっちゃって
もうなんか魂抜けないふうになるってやつですよね
本人は絵描いて疲れたぐらいに思ってるかもしれないけど
そうじゃないいいもの全部出しちゃったから
私の中にいいものはない
つまり何ていうのかな
何ていうのかっていうか
後進期ってやっぱりそういう具体水準なんですよね
象徴までいけてないから
具体的に何かを取り込んでるじゃないですか
母親からいいものを
おっぱいといいものを
優しい母親を取り込んでる
これは情緒と具体が
混ざり込んじゃってるわけですよね
鳩は平和の象徴ってやつですよ
だから鳩は食べられませんっていうのは
おかしいでしょっていうのが
松木国寛さんが描いてることなんだけど
鳩食べちゃったら戦争になるとか
それはおかしいだろうと
おかしいんですけど
最近あの日食寄存をすると
罪になるとかならないとかいう話
されてますよね
物理に象徴を持たせるということは
やっぱり私は
なんていうのかな
慎重であるべきだと思います
別にああいう法律ができることには
違和感があるとか不合理だとか
ファシズムだとかは思いませんけど
具体に象徴を持たせるべきでは
基本的にはやっぱりないと思うんですね
心というのは具体物じゃないので
やっぱり私はそれは
母親のいいところを取り込んで
いいものを出してしまうと
自分が空っぽになるっていうのは
確かに何か非常に面白い発想だし
人間らしい発想だし
微笑ましい発想でもあると思うけど
未熟でもあると思うんですよ
私そうなる
本書き終わった後
魂抜けちゃうんですよ
しかもこれも起こるんですけど
なんとなくその本は
どうでもいいものに感じられてくると
自分が元気になってくるんですよ
わかります?
これはよく画家がやっちゃうらしいんですけど
傑作をそこら辺にポイって置いて
でまた新しいのを描き始める
みたいなことが起きるわけですよね
つまり脱価値化してるわけなんですよ
あれはいいものをすごい出したと
だから自分はもう抜けてしまって
もう自分には何も残ってないってなるんだ
それじゃあ生きていくの大変じゃないですか
でしばらく経つと
あれは大したことなかったよねと
だからまだいいものは自分に残ってるねと
このシーソーゲームみたいなものが
起きちゃうわけですね
39:00
ここら辺はフェアバーンすごい上手いな
って感じがします
描き方といい
多分自分に身に覚えがあるんだろうな
って感じがやっぱりします
こういうことはクラインも描いてるんです
クラインはほんとすごい人ですからね
天才だろうと思うんですけど
でもクラインが描いてるのと
フェアバーンが描いてるのは
やっぱちょっと違うんですよね
フェアバーンは分裂一元論者みたいな人ですから
分裂原理主義者みたいな人なんで
このことが切実に迫ってくる描き方を
やっぱりしているし
すごく重大事なんですよ
ある意味では彼にとっては
別に画家がポイって捨てるとかは
いいじゃないですか
そうしたければ
そうすればゴッホはなんか
どんどん自分の絵を
ただでどんどん配ってたらしいですけど
彼は分裂的っていう感じはあんまりしませんけどね
でもまあそういうところって
あるんだろうと思うんですよね
これをでもフェアバーンが言う通り
フェアバーンがこれ言ってるわけで
これも言いたいんですけど
我が子にやるのは大問題だろうっていう風に
言うわけですよ
自分のいいものを
お母さんからずっとそうじゃないですか
子供を産むってのは
物理的な行為でもあるから
自分からいいものを出した
もう私は空っぽだと感じてしまうお母さんは
結構いると
でそういう人は
いい子ってのが我が子という対象として
そこに出てきてるから
この子のもうこの子を良くする
この子を良くするってこと以外に
何にも興味がなくなってしまう
非常に説明としては
どこにでも見られる現象だなと
でも逆もあると
つまり自分の中にいいものを取っておきたいと
でも子供は出てしまったと
大したこと
これ本当に問題がありますよね
こんなのは大したことじゃないんだと
いいものはまだまだ私の中にあるもんね
っていうこういう
物理的に象徴を捉えると
こういう倒作が起きるわけですよ
でいかにもありそうなことだな
という感じがするんですよね
しかもこの中間もあるじゃないですか
いいものは確かにこの子はいいもの
私から出たらいいもの
しかしこの子は私のものだ
だって私のものだから
いいものだし私のものだと
だからこの子について
すごく世話をまめまめしくはするけど
絶対この子の好きにはさせない
こういう態度ってありますよね
ちなみにこれは
私はさすがにそれは
なんとかせずに
基本そうならずに住んでる
それはラッキーだったとも言えるんですけど
本についてこれやる人っているんですよね
あの本は俺のものだみたいな
俺がいいと言わないことは絶対許さない
そういう会社がダメみたいな
そういう話ってよく聞きます
これはさっきの
我が子はいい子であるけれど
我が子が我が子の好きに
自由に生きることは許さないみたいな
その態度がものに対して適用される
フェアバーンはこのぐらいであれば
まあまあ罪はないだろうっていう
困る人も出てくるかもしれないけど
子育てのことに比べれば
42:01
なんてことはないみたいな
書き方してるんですけど
いろんな形で
彼は何を言わんとしているかというと
分裂消失一つで
こんなにいろんな世の中の事情を
説明できるんだぞって言いたいわけです
一言論じゃんって
そういうところあるじゃないですか
一つ一つ
いやそれは脅迫的
それは過干渉とか
いろんな人が分けてくれてるのに
いやいやいやいや
それは見方が浅いみたいな感じで
これは全部実は分裂という一元に
説明を回帰することができるんだぞ
っていう確かにでも
ボラスにも実はそういうところを
感じるんですよね
彼はもっともっともっとバランス取れてる人ではあるけれども
私はボラスは結局のところ
一言論を持ちつつ
様々な現象を説明する派
これが実は
それって科学の世界では常識かもしれないけど
心の世界ではこれをやろうとして
しくじるっていうことがものすごくあるんですよ
なぜそうなるかは
私はビヨンが教えてくれてるって感じがするんですよね
一言に持っていくには
そのようなナラティブは通らなくなる
やっぱりフェアバーンは
フェアバーンも何かどうこう言うつもりはないんですけど
フェアバーンはナラティブなんですよね
でもそれはしょうがないと思うんですよ
ビヨンは元高生の人ですから
ここまで材料が出揃ったってところで
改めて考えてみるとってことができた人だけど
明らかにフェアバーンはめちゃくちゃ手探りですからね
よくこれでここまで来れるよねっていうぐらい
しかも彼は交流の少ない人ですから
さっき言ったとおり
イギリスでもエジンバラとかに住む人って
そういう感じなんですよね
階段がよく出てきそうな雰囲気に
なんか人だと離れたところに家がポツンとあってみたいな
いや知らないですよ
本当はそうじゃないかもしれないけど
雰囲気そういう雰囲気は確かにある人で
だからなんかこう
えらい独特の理論が
独自理論ができちゃうみたいな
それ一歩間違うと分かるんですけども
錬金術士みたいなところは確かにある人なので
だから一元論
錬金術って結局一元論じゃないですか
最終的には超合金ができるみたいな世界じゃないですか
それにちょっと近いんだけど
でもものすごく分裂型の人間として見ると
この人から学べるものって多いなっていう感じがして
これがやっぱりいわゆる妄想分裂ポジションと
分裂体制って言ってるものの微妙
本当に微妙なほぼ全く同じ
クラインはもうフェアバーンという人が
分裂体制といういい概念を発見してくれたから
我々はそれを用いようみたいな
当然それは同じものってみんなしてるけど
微妙にそうだろうかっていう感じが
妄想ってわざわざつけたクラインは
統合的にものを見てると思うんですけど
妄想分裂とは決して
フェアバーンは認めないんじゃないかなっていう感じが
それは全くどうでもいい
完全に我々からすると
45:00
素人の興味本位の話になりますけれども
でもやっぱり
現代社会っていうのは
引きこもれる社会じゃないですか
そして人との交流を減らせる
いいものは自分のところに置く
自分が人を好きだという気持ちを
下手に踏みにじられるぐらいなら
下手に恥をかかされるぐらいなら
自分が人を好きだという
空想の世界の中に生きている
それをAIなりバーチャルなり
あるいはアバターなりが
実体化してくれるかのような
知覚刺激を与えてまでくれる
ってなったときに
果たしてそういう生き方が
デフォルトみたいになってきたとき
規定が欠損しているっていう前提を
むしろ持っているならばですよ
母親というものを心の奥底に置き
母親成分99.9%でできているのが規定にあって
とはいえ母親で全部できていたらおかしいんで
絶対統合されきらない何かみたいなものが
一番ベースのところにある
私たちのような人間が
私なんかその話はよくわかるんで
つまり公演で私がデートしたいと思ってたのは
私の心なんじゃなくて
母の心なんじゃないだろうかって思った
見たときに私は
確証はないですよ
私祖母知らないんで
母方の方は話したこともほぼないんですよ
ないかもしれない
でもいやー
母と祖母
そっかーって感じですね
このナンパしまくってたのは
俺じゃなくて母かって
考えてみた時の方が
私はめちゃくちゃ納得がいくんですよね
私がそこまで女の子好きだっただろうかというと
その理想の母親像みたいなものを投影して
でもなんでわざわざ公演
私のような人間はむしろ
家の中でパソコンの中で
美少女ゲームやってる方があってないか
わざわざなんで外に行ったって考えた時に
母って考えてみるとですね
異常に私には納得感がむしろ高いんです
私のその規定にあるものが
母親成分でできているとすると
あの女の子と手を繋ぎたかった
つまり自分の母親
私の祖母と手を繋いで歩きたかった
っていうこの気持ちは
母のそれかと
母はその時にえらい寂しかったかと考えると
めちゃくちゃ納得がいくんですよ
実家からえらい離れて住んで
戦後間もなくですからね
母が生まれたのは
しかも今や生まれた土地は
日本領ですらない
そういう人結構いるんですよ
あの世代にはね
貧乏でめちゃくちゃ貧乏で
家に借金取りが押しかけてきて
とてもじゃないけど母親と公演で
お弁当食べてる余裕のなさそうな家
あの家に行ってみて私
つくづく思ったんですよ
梅塚蔵のホラーマンガばっかりあるんですよ
48:00
暗い家でね
なるほどっていう感じが
母はホラーマンガ好かないんですよね
でもなんかこうえらく明るくして
公演でランチとかをしたがるんですよ
あんまり似合いもしないところがあるんですけどね
あれは母なのかなと思うと
あんなに私がナンパしていたのが
わかるような全然合ってないじゃないですか
全然服もおしゃれじゃないし
ただただ声をかけていく
変に切実じゃないですかそれって
この切実さは
うちの母が持っていた切実さなのかと
ちなみにお父さんはディーブヨットで
もうめちゃくちゃ酒を飲んで乱暴するという
テレビドラマにまんま出てきそうな人だったらしいですね
当然お父さんのことは嫌いですね
でお母さんと仲良くして
お母さんと一緒にって言うんでしょうけれども
お母さんそんなことやってる余裕は
どこにもなかったわけですね
結局離婚したわけでもないですし
借金返さなきゃならなかったでしょうしね
そういうふうに考えていくと
既定欠損っていう
欠損してるのが既定なのであるっていう
そしてそれは
自分成分はゼロってことはありえないにしても
非常に自分というものが乏しい中で
母親のおっぱいだの母親のお尻だの
母親の体だの
そういうバラバラ
人間みたいなものが
うようよいる中で
ふわっとなってる
さらにその下は
下はですね
それをだから
引きこもりというよりはもう
わからなくなっちゃうので
そこまでいってしまうと
引きこもるっていうのは
やっぱり私の世界に引きこもるなんですけど
その下は
私の世界というようなものすらありませんから
そこで私と言ってるのは
おそらくは母親の部分対象でしょう
そういうようなものとして考えてみると
母親の部分対象が統合していく先にあるのは
母親の母親だろうなと
いうふうに考えるんですよね
それはもう永遠の女性みたいな話になっちゃっていて
私だって祖母の顔すらも浮かべられませんから
これが私の心だと
心の少なくとも
ある重要な部分を形成していると考えて
初めて見えてくることっていうのが
やっぱりいくらかあるんですよ
これは私の
あの長い
アトピー死のその前だなと
だから私がアトピーになったとされているのは
一切反と言われてるんで
親に聞いたところによると
ゼロ歳の時アトピーじゃなかったんですよね
アトピーじゃなかった時の私の心にあるのが
これなんだろうなという
それはもちろん何の記憶もないです
話を聞いた話を統合していくことしかできないんですよ
ただ私は飲み込み型だからなっていう
飲み込みが早いとも言われましたね
飲み込み型の人間だから
なんでもかんでも飲み込むんで
まさにフェアワンが言うんですよ
あらゆる対象を飲み込もうとするのが
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分裂消失の特徴であるという
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