リザレオブジェクツの影響
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1153回をお送りします。
ちょっと遅くなりました。3月11日火曜日9時45分です。 まあ今日は色々ございまして遅くなりました。
についてあれこれ喋っているとまた無用に時間をとりますんで、今日は昨日の続きで、続きなんかわかんないけどサクッととりあえずいきたいと思います。
はい。 あの昨日ですね、リザレオブジェクツ
つまり機械な対象と対象群だな。リザレオブジェクツですからね。対象群というものについてお話ししたんですが、
これが私のやっぱり精神分析へ誘うことになった一つの大きなきっかけなんですよ。
機械な対象。 私はやっぱり身内にそういう人がいて
ある日ですね、 あのこれもお話ししたことはあると思ったんですけれども
Appleの当時iMacの上の方にウェブカメラついてるじゃないですか。 あれがガムテープで塞がれてたんですね。
つまりあれが監視装置になったんですよ。 その盗人の目にはね。
目にはというかその盗人の世界ではですね。 だからそれが
塞がれていないと私の一挙手一投足が筒抜けになってしまう。 ここがちょっと不思議なんですけど。
だから魔力みたいな力を秘めちゃうんでしょうね。 だってそのパソコンのiMacの所有者は私だったんで。
いや私の日常が世間にさらされたところでね。 その伝えた人にとってはそこまで本当はプライバシーが暴かれるって本当はおかしいじゃないですか。
そういうことではないんですよね。 でこの塞ぐといったことが起きたわけですね。
でそういう話を聞いたこともあったし、 盗人からもいろんな話を聞いてたからああ
そういうことなんだというふうに理解したんだけど全く理解が及ばなかったんですよ。
なんなんだろうこれは。 その人が最初から割りつきね
行動がキーで、言うことが非現実、現実離れしたものばかりだというならばまだわかるじゃないですか。
ところがこれ以外の点では その人は至って正気で現実的で
なんら生活をするのに 困るところはないわけですよ。
ある意味では今の私の実家の母の方が年もいっちゃいましたし耳も遠いですしめちゃくちゃ困ったところがあるんだけど
当時の私の身内はなんらそこまで困るような人ではない。 だけどもすごく困るある面ではね急にそれが始まるみたいな感じなんですよ。
これは一体この 十分な知性でもってなぜこの web カメラをが
その人の生活をまして隣の部屋のねあのまで そのなかなか web カメラごときが何の壁を乗り越えて投資できるはずもないのに
これをそうまで迫害しするのか 説明を求めてもいっかな拉致がわからないんですね
全く聞き入れてもらえないつまりまあ 強固なも何を減ったくれもないですけどつまり
非常に頑固なマイナス系って感じなんですよ まあその web カメラは監視装置であるから監視装置なのであるみたいだ
だから私はこれをこのやり取りを散々してもう私知識が多少あったとはいえどうせ するべきなんて分かってなかったんで
頭ごたしにいやこれがそれの数ないだろう もう剥がすよって言ってる絶対ダメだみたいな
もう剥がしたら殺すとまでは言わないけどその勢いなんですよ 結局剥がせなかったんですけど恐ろしすぎてただこのマイナス系のその絶対的な何か
ですよね その人はでも例えばあの私の道ですけどね
8 例えば賞味期限の切れたものを食べたから必ずお腹壊すとかは思わないんですよ
つまり融通が全く効かないというわけでは決してないんですよね ある点において融通が全く効かなくなるのであって
物事には相対的な面がある時やか人によって物の捉え方が違うとか全部 共有できるんですなのに絶対剥がしたらダメだみたいになっちゃうわけですよ
犬は犬であるが犬であるの世界に入っていくわけですよ あれの言葉の意味がなんとなく感覚として持てているのは僕がそういう事例に数度接した
ことがあってその時の子動かしがたさときたら 尋常じゃないんで
それの意味がなんとなく伝わるっていう感じはしたわけですけどね それで
あの ビザレオブジェクツという話を機能散々したわけですけど要するにそれは
あの 近くというのはそういうところがある
我々が断片的なあるいはいろんな情報をね光情報音情報を組み合わせて 4つのそれっぽいあの現実世界に対するそこなぁですよねある意味ではね
また新しいこと言い出したんですけどパズルとか粘土とかいろいろ言ってますけど そのあっての僕はすごい
あの潜水艦のあのピコーンっていうやつで音を頼りに 敵がどのぐらい近づいていて魚雷がどのぐらい近づいていってあの
河口海二さんが好きな世界ですね沈黙の艦隊とかでやってですよ あれって現実近くの
できない世界だから深海とかにいるからね だからああいう風にしてあの位置情報というものをキャッチしていくわけじゃないですか
音を頼りにですね音を頼りに空間把握をしていくわけですよねああいう感じだと 思うんですよねでも近くってすっごい成功でこう見入ってるからち気づきにくいけど
結局それは情報を使って一つの私たちにわかりやすい 図式なりを作り出しているだけだと思うのでそこにやっぱり脅威
世の中には脅威がある私を無用に攻め立てる連中がいる そいつら私を監視しているっていう重いと
ほぼに何かこう web カメラでこっち見ていて感じ悪いみたいなものが組み合わせて 近くが8形成されると
その監視装置であって web カメラなのではないっていうそういう信念体験みたいなものと 連動してややこしいことが起こるわけですよ
象徴的投下物とその意味
起こるんだなぁって私は実体験したわけです これも長い闘争の歴史がありまして半年以上に及んだんでね
結局剥がせなかったんだけど買い替えることになっちゃったんだけど割と買ったばっかり でもなかったかでもまだまだ十分使える iMac がですね
あの だってね困るわけですよやっぱり
iMac にベタベタと必要もないものを貼られていき どんどん機能が低下していくというのはね
でででですね本当 象徴的投下物という言葉が世の中にある精神分析の世界にありましてあんまりこれは
ナルシズムとかと違って精神分析外に出て行ったことはないんで 多分耳新しい言葉だと思うんですよ
この象徴的投下物の前に私たちやっぱりまあ象徴ってのはややこしいんだけどことは 象徴ですけどすべてだと思うんですが
舞台象徴という言葉じゃないんだけど象徴できるものってのは当然ありますよね やや原始的な世界ではありますけど当然そういうのはありますよね有名なのは鳩は平和の
象徴ってやつで あとは平和の象徴ってのは鳩は平和イコールじゃないってことですよね
つまりあの例えばその鳩が死んじゃったら直ちに戦争が起こるとかそういうことは ならないですよね
鳩と平和の間には8なんていうんだろう間がありますよね だから具体象徴というものもまた言葉と全く同じように使える言葉ってそうじゃないですか
言葉というものは 実体そのものであることは絶対ないじゃないですか
私イコール佐々木正吾ではないですよ 佐々木正吾は他にもいるこういう使い方ができますよね
象徴っていうのは a と a を象徴しているものは別々のものだと 区別しているしかも大事なのはみんながそれをちゃんと区別しているそのみんなとは
それを使う人たちですよ 日本語なら日本語を使う人たち
だから平和という言葉とまあ中国の人たちもなんだけど 平和という情世界の状態は8関連して関連付けられているけれども
意味付けられているけれども同じものでは全くない でもそれを使っている人たちつまりこの3者関係があるわけですよ
使う人たち象徴するもの 象徴されるもの 象徴されるものがつまり大体の場合現実世界で象徴するものは多くの場合言語ですよ
つまり言葉で世界を記述してその言語の使用者というものは限定的な存在 日本人なら日本人みたいなそういうものです
これはもう今さら何かコーナーが言語学のなんか一番最初の方に書いてありそうな話です けど
で具体物でもう 何でもかんでもできるわけじゃないですけどあのできるわけですよ
ある時期になるとチョコレートは告白の象徴みたいになっているけど だからギリチョコみたいな言葉が出てくるわけじゃないですか
その同じものを同じように扱っても同じ意味にしないようにするみたいな わけが必要になりますね具体象徴の面倒臭いところはそこに何か言葉による説明を
加えないともうなんかこう安いチョコだから必ずしもそれは愛の告白ではないとかそういう わけにはいかないんで100円だからあのこれはギリですみたいなのは
何となくは伝わるかもしれないけど明瞭者花だ不明瞭になりますよね 勘違いされても文句は言えないみたいな頃ありますよねだから
同じものでないというだけでなく具体象徴というのは不便なんですよ だから言語象徴というのは素晴らしいわけですよね使いやすい非常
簡単に説明を追加できますからね 他にもいろいろなメリットありますけどそれは良いとして
だその便利な方じゃない世界の方がこの精神分析的世界なんで原始的世界でやや 病理的世界臨床からスタートしてますね
でこの 具体象徴といったものつまり波とは平和の象徴って言った時は
ものが生き物ですねこの場合は8 象徴しているわけですあのほら言語象徴でもちょっと具体象徴のように使い出しちゃうことって人間
あるじゃないですか 例えばセックスって言葉嫌だっていう人いるじゃないですか
それは象徴するものと象徴されるものの分離がその人の中できっちり言ってないんですよ なんかこうくっついているように感じられる部分があるので
8言語に直しているにも関わらず生々しさが残ってしまうみたいな感じがあって嫌だって ことになるんですよね
それはつまりいわゆる発達水準がどちらかというとまだこう 安定はいいのかなこれ難しいんですけどね発達水準が象徴水準の手前のところにあるとか
ある種のつまりまあ性的なってことだと思うんですけどこの場合は性的な話になると 水準が突然
非言語水準の方に引っ張られるという まあだから部分対抗みたいな話になるのかもしれないんだけどそういうことが起こりうるって
ことを8案に示している だからある種の言葉を使いにくいしある種のことは使うなみたいな感じで言葉
がありみたいな話が始まってみたりもしかねない それは記号ってものはもともとそうそのものを示さないというのをどこかで
扱い切れていないっていうことでもあると思うんですよ で記号はそうは言ってもまあ記号がそのものを表さないよね
セックスという言葉性行為そのものとは直接の関係はないじゃないですか 実際にジェンダーみたいな意味にもなってしまう
だけれども具体象徴はなかなかそうはいかないんですよ言語象徴と違って 具体象徴は私は病理型になりやすいと思うんですね
具体象徴の病理型が象徴投下物であるとまあなんかもう 教科書の説明みたいになってますかあの昨日
精神分析の理解と課題
を紹介した松木くにいろさんのパーソナル精神分析 用語時点からを読むと書いてあると思います書いてあった気がします
まあこれ教科書的に読むとそれの何が面白いんだって話になるかもしれませんが これは私にとってですねやっぱりもう一つ
ビザレオジェクツ 身内が言い出したビザレオジェクツの理解は結局精神分析以外
全く理解が届かなかったんですよ 書いてありますよ dsm とか icd には
atm が監視しているなどと言い始めるみたいなそういう妄想燃料とか関係燃料みたいな ものが特徴的である投稿失調症はねって書いてありますがどうしてそうなるんだって
のはほぼ書かないのがあの理あそこの流儀なんでなんでそういうことを言い出すんだってば なりますよ絶対原因を探ってもあまり意味はないとか言われてもそうは言っても知り
たくなるじゃないですか だから私はそれを知りたくなって十数年かけてわかったのが結局
ビザレオジェクツという言葉ここに行き着くまではあここやっと出てきたわーというもの を読むまではですねそしてそれがかなりわかりやすい形で書いてくれていたのが
藤山直樹さんなんですよね 彼はちょいちょいこれを取り出しては非常にこれをですねなんか伝わりやすい雰囲気で
松木さんとはまたやっぱりいろんな意味で違うんですよね 印象例を引きながらフワッとしてるんだけどわかる感じがする
わからない時はわからない時なりにわかる感じがする あの辺は名人芸だなぁって私は思っちゃうんですけどね
それでその それともう一つがその象徴投下物象徴投下物というのは病理です具体象徴病理じゃない
あとは平和の象徴ですと病理じゃないでしょ みんなやってることですよねでもそれは具体象徴じゃないですか
あとはどう見ても言語じゃない だけだからこれは病理じゃないんだけどこれが病理っぽいものになると象徴投下物っていう
物なんですものなのに投下なんです同じになっ同じということは つまりかとは平和である
平和の象徴であるじゃなくてかととは平和を 平和なのであるみたいな後が死ぬと戦争になるのであるみたいな
術的世界って割とそうですよね だからなんかお札みたいなものってそうじゃないですか力を持っちゃってるじゃないですか
あともお札というのは何かの象徴ではない あの例えばお札というのは杏山の象徴とかそういうふうに使いますけどこの札が
破れるともう竜山しますみたいな話になってくると怪しいわけですよ 病理型に近いってことになるわけですよね
だから具体象徴が病的になると象徴投下物化していく 象徴投下物になってしまって感じがする
てか多分そう書いてあったと思う それはどういうことなのかというと私のアドピーなんですよ
これがねやっぱりわかるようになったのは本当に最近で あの
まあ40年かけてようやく理解したって感じですよね もっとわかりやすいところにヒステリーっていうだからヒステリーって言葉やっぱりなくすのは
いかんのじゃないかと僕なんか思っちゃうんですけどねヒステリーというのは例えば 視野共作みたいな表紙身体症状を概ねさすんですよ心理的な
だから今でいう心身症というのは昔はヒステリーという いうヒステリーイコール心身症全部とはいうのは大きなは誤解ですけど誤解というかそういう言い方
はできませんけどでも身体症状を伴う心理障害 精神障害みたいなものが
ものがあったらヒステリーってのはとりあえず疑ってみることはできたと思うんですよね 視野共作が質問症つまり言葉が発せなくなるみたいな
そういう だけどこれはですね
もう何も言いたくないっていう人っているじゃないですか 夫とは口を聞かないみたいなこの番組でも盛んに取り上げてますけど
そのうちに口が聞けなくなるわけですよ 夫とは口を聞かないだったらはまだそれは象徴的ですよね
具体象徴的ですよね 嫌な人と口を聞かない私
でか口を聞かないというやり方でその自分の意思というか自分の気持ちをある意味そこ は代弁させているだからやっぱり象徴なんですよ
鳩に平和を代弁させているわけじゃないですか 代弁というのは多分に象徴的じゃないですか
ちょい代弁されるものと代弁するものって関係そして代弁する人っていう関係が 口聞かない嫌悪感を伝えているわけですよ
私はあなたが嫌いだという代りに口を聞かないという 象徴的行為によってそれを伝えているわけですよね
そのうちにでも家が聞けなくなった 夫とは口を聞こうとして無理だ
こうなると鳩すなわち平和ですみたいな世界に入っていくわけですよ 象徴と象徴されるものの間の空間特別
別々に扱うべきものですよね鳩と平和とか あのし
なんだろうな まあなんでもいいんですよ赤信号と止まれとか赤信号じゃなくてもいいわけじゃない
ですか止まれって書いておいてもいいわけですよね だからその象徴と象徴されるものは別々のものなんです
それはイコールではないというふうに思ってなければいけないんだけどさっきも言い たいに具体象徴イコール化しやすい
標語的になりやすい だから最初は口を聞かないつもりだったのかもしれないけどいずれに口が聞け
なくなってしまうという事態が進行する そうなってくるとそれは完全に意識化できてですね無意識とは言い切れないかもしれない
けどかなり無意識で行われている部分もあるわけですよ つまり
象徴と象徴されるものがくっついてしまっていてその間に私が象徴しているっていう 意識が
開催できなくなっているわけですよねこれをヒステリーというんだと私の理解では思うん ですよ
象徴と病理の理解
だからお母さんが8買い物に行こうとするとなぜかこの前足の発作が起こるみたいな 近くにいてほしいという気持ちというものが前足という病気によって代弁されてしまってる
わけですねしかもその子が意識的にできないじゃないですか前足の発作意識的には起こせ ないんですよ
つまり無意識に起こしてしまうということは完全にべったりくっついちゃってるわけですよ ね
寂しいってなるともうヒューって胸がいい始めるみたいな寂しいっていう言葉で表せばいい のに寂しいって言葉であれば他の使い方もできるわけじゃないですか
その子にとってお母さんがいなくなるイコール前足の発作なわけですよ 前足の発作というものはお母さんがいなくなることと投下になってしまってるわけですよね
これは象徴的投下物ではないと思うんですけどそういう病理です だから具体象徴が行的になっている
完全に病気になってしまってますからね本人にとっても都合がとても悪いわけですよ だから最初はここから入ったのって正しかったと思うんですよね
精神分析というあれは心理カウンセリングですからねカウンセリングはやってきて フロイトのような人がおじさんがやってきてもしかするとお母さんがいなくなると前足の発作が
起こるんじゃないっていうふうに言ってあげることでつまり その子にとっては前足の発作お母さんがいなくなることはイコールなんだよ
医者にとってはそうじゃないから 医者にとってはその前足の発作という現象とお母さんがいなくなるという現象は別々に
扱うことができますよという解釈をしてあげることによって意識化するわけですよ そうするとあこれはお母さんがいなくなると寂しいから前足の発作ということによって
お母さんがいなくならないように自分はしてたのかと気づくことができれば 距離が取れますよねそうするとその発作いらなくなるじゃないですか
いてほしい時はいてほしいと言えばいいんだということに気づければ つまりこれが意識化だし解釈というものの効果なんですよ
このこれを伝えることが解釈なんて えっとじゃあどうしたらいいですかっていう問いはここには僕はないと思うんですよね
あんまりねもちろん人によってあるのかもしれないけど つまりアドバイスみたいなものだけどここを自覚するとアドバイスって不要になるん
じゃないかなっていう感じがするんですよ だからじゃあどうしたらいいんだろうっていう問いが立つということは実はまだその解釈が
不十分か不完全か性格かのその辺なんじゃないかという感じが私はやっぱり どっちかというとしますね
自分が仕事をしていてもやっぱりそういう感じってあります ここでどうしたらいいのかという問いが出てしまうということそれ自体がね
まだその意識化というものに至ることができるような 8やり取りができてないってことなんだろうなという感じがするそもそもやっぱり
共通理解人間の共通理解の基盤みたいなものって基盤と言ったらいいのか 共通理解できることってあるんで寂しいから
全速の放送起こるんじゃないと言われたら納得する子もいるじゃないですか しない子もいるかもしれないしない子もいると思いますけど
納得する方がいるということはそれは共通理解 人はそういうことを理解できるって言う
その何かがありますよね信頼でもいいんだけど だけどもこれを下手なやり方をするというかあまりに唐突にあったりあまりに共和的に
やったりするとトラウマにやっぱりよると思うんですよ 傷つくじゃないですか
いやそれは君甘えてるんでお母さんがいなくなるから全速放送起こるんだろうみたいに 言ったら嫌じゃないですか相当でしかもその子がお母さんと
べったりであるものすごくべったりでありたい子でしかもそのことを恥ずかしいと思っ たらこれやられると結構痛いですよね
だからここは やっぱり案外があると思うんですよ
少々強く言っても大丈夫なケースや人もいると思いますし関係もあると思うんだけど やっぱりよっぽど遠回しなところから始めなきゃなんない
何なら下手なことは一言も言えないみたいな 全然違うやり方であの
昔お母さんと一緒にいた時の話を聞こうかみたいになっていく可能性もいっぱいある と思うんですよねそれはそれで当然
わかんないわけですよそこそれをどの辺から入っていくことができるか 断頭直入に入れば効果が増すとも限らないじゃないですかこの種の話っていずれにして
もその象徴されているものと象徴しているもの 効果になったらおかしいということですよね
象徴というの象徴3者関係がなきゃいけない フロイトが言うところにエディプス関係ですよね
エディプス三角がなきゃいけないわけですよ いつもいつも
正常というものはいつもそうなんですよ私たち人間にとっての正常とは3者関係なんですよ その後は的間と私見ている私って関係がなきゃおかしいんです
近くと近くしている主体と近くされているもの こういう3者関係で世の中成り立ってるんですよ人間という生物においてはですよ
早いとかだったら違うんだけどそんな主体とかいらないんですよそんなものはね ソナーみたいな光景とかいらんわけですよ
敵が近づいてきた気配とかで逃げるにしかずなんですよ ボヤボヤと分析とかしていたら食われるんで
生きてる世界が違うということですよ直接近くの世界に我々は生きていないし そうする必要もない
必要があるときはそうするんですけどね我々もあの有名な話あるじゃないですか ヘビは3ヘビの光景を見る前にすでにヘビに対する対処というものは身体はなし
という近く以前の近くみたいなものがあるわけですよ 逃げようとするし
えっと血圧をとかあの血管を収縮させるとかいろいろやるわけですよ ヘビというものがもうその光景に入ればですね
その後でヘビを見るってことができるっていう 近くは後から遅れてやってくるわけですよ人間の近くはあの
あれですよ 簡単に言うとダウンロードするのに時間かかるわけです
絵が構成すぎて そういうことをやってるうちに噛まれるということが起こるから
体はその前に体勢を整えてしまうわけですね まあそういうあの
なんとか有名な脳科学では必ず出てくる なぜかヘビっていうまあヘビ怖いでしょうね人間はよっぽど
私が脱線してますけれども えっとつまりそういうふうに具体象徴というものが出てきたらこれも要注目なんですよ
私はアトピーというのがまさに具体象徴の病理型だったわけですね 私はアトピーを出すということによってまあ肌が難しいですでもやっぱり私が
アトピーになるということによって 母親に対する抗議というものを強く含んでいたわけですねこれはね
アトピーとナルシシズムの関係
あのさっきのように口を聞きたくないから口を聞かないみたいな非常にシンプルな例だと いいんですけど
私はそれなりに複雑なんでやっぱアトピーとかって複雑な病気なんだなって思うんですよね これはなかなか難しかったわけですよね
これの話の流れの中で例のあのこれはでも日を分けた方がいいかな アトピーの場合の話にちょっと今は見留まろうと思うんですけど
要するにですね 色々ありすぎて簡単じゃないですけどまず肌が綺麗でなきゃいけないっていうね
そういうその私の母と私が母子でですね共通して持ってしまった あの認識というものがあったわけですよ
まあこれはナルシシズムですよね 私の肌はいつも綺麗でなければいけないっていうのってナルシシズムですよね
肌がツヤツヤで人に見せびるかしたいとかそういうことではないですよ ないんですけれども結局これは私だけの世界っていうものがあったわけですよ
その肌がいつも綺麗であるとか健康的であるというのは誰が知ってるんだって私しか 知らないんでね
大半は服着て覆ってるわけじゃないですか だから私はいつもそれを気に病んでたわけですよ
まあそれは多分親が気に病んでたんでしょうね この辺がちょっとカサカサしているとかブツブツしているとか
変に気に病んでたんですよ すっごい細かく指摘されたとかではないですよそんなにわかりやすい話じゃないですよ
ただ気に病んでたんですよ母はおそらく その気に病み方もあまりいい気に病み方じゃなかったんですよ
考えてみればあの肌の病気などというのはそれが何か他の病気 つまり肌ってそうじゃないですか割と象徴的に機能するでしょう
何かが悪いからそれが肌に現れるって言うじゃないですか 例えば寝不足が肌に現れるって言うじゃないですか
ああいう象徴的な代弁をしていく世界というものが あの我が実家はある意味大好きだったんですよね
あの知的を気取ってるとそういうことが起こるわけですよ この意味は何かって問いたがるからだからそういう肌がプツプツになると何か悪いものを
食べたとか寝不足なんじゃないかとかいろいろなことを言い出すことによって肌が肌 というもののセンサーとしての役割を過剰に評価してしまうわけですよね
そういうことがあったわけですよここには2つの問題があって 若い私にとってはってもですよね
一つはその過剰に意味を持たせてしまった肌の状態というものはそもそも えっとそれ自体が問題であるもっと悪い問題をそこに含んでいるという
どこもかしこも綺麗であることが私の健康というものを象徴している これがくっつくのはもうあっという間じゃないですか
つまり健康なら肌もツヤツヤだっていうそういうねこれってはマイナス系以外 マイナス系そのものなんだけど私病
弱だったからってかこのこれもマイナス系で私は病弱だと思い込んでいただけが実にややこしいな そうなんですよでも
母との関係と育て方の影響
病弱だと思い込んでたから だから肌はいつまで経っても良くならなかったそうなりますよね
そうなっちゃうわけですよ象徴的透過物的だと 効果なんで肌が悪い健康ではない私は健康ではない肌は悪い
このぐるぐるが永続してしまうわけですねこれがまずしかもこれは話の半分ですよ もう半分あるんだな
もう半分が8母はこの肌に対して憎しみを向けるまあこれは当然かもしれないんだ けれどもうちの母親らしいと攻撃性を向けるわけですよ
いつまで経っても良くならない私はいつまで経っても息子を健康にさせられない なんという病弱でペン手間がかかる面倒くさい息子なんだろう
できれば無きものにしてやりたいぐらいなそういう怒りが向くわけですよ 理不尽なんだけどシャーないんですよねやっぱりあの時代ってまだまだ今のほど
この ai 何も教えてくれませんし a ないですしね なんか分厚い家庭の医学とかいうそれほど項目があるわけでもないのにあたら分厚い
まあ項目いっぱいあるんだけどいい本なんですけどアドピーとか書いてあっても あのお医者さんに行きましょうみたいな意外と役に立つようで立たないという非常に難しい
でああいうものを大量に読むわけ 家はね知的を気取ってるから新聞も朝朝日朝夕撮って朝日と毎日ですよ
でそれを穴の開くほど読むわけですよ そしてイラン知識を大量に何か納豆のぬるぬるを肌に塗るとかでことばっかりやるわけですよ
ね 偏向に健康にしていこうとするいつかどこかで逆転してるじゃないですかってかもう
あからさまに盗作的ですよ 偏向になれば肌が良くなるだったはずに肌を良くすることが健康であることだ
10日になっちゃって肌を良くすること肌を良くすることに修身するわけですよ 私の病気は様々だったりするわけ
腰連筋感染症だったり期間支援全速だったり 扁桃腺が腫れてみたりお腹を下してみたり
本当に行こうでも考えてみるとこれらの病気ってどれもあんてはいいのかな なんてことないじゃないですか子供がいかにもかかりそうなただ時代は昭和
しかも私田舎にいたんで病院もすごい ヤブの極致みたいな呼び者がいたんでね
なんかもう聞きもしない中傷連日打つだけみたいなね何がやりたいんだお前はっていう 内射
佐々木とか言うんですよその医者はいいですけど つまりあの
そういうところで肌はどんどん悪くなっちゃったわけです まあこれは
非常に物質的な世界における投影ドイツかでしょうね 母は私に悪いものを投影していた
しょうがないんですけどね自分悪いと思いたくないですもんね 第一子の息子でしかも出来が良いとされている
息が良いとされていただけて別に出来が良かったわけじゃないような気がするんだけど まあいろいろあるわけですよ
坊主も賛成となるとつまり3代目になってくるとやっぱり最初から優遇されている わけですよね坊主の世界みたいな
初代は大変ですよね満州から引き上げてきて天皇制が絶対だと思ったのにわから なくなった
これから仏道修行の道に行くとか言ってあの家族路頭に迷っているのに山の中に 籠っちゃったわけですよそれが初代なわけです
それがまあでも低欲何とかかんとか坊さんに慣れてうちの家が2代目でしょ その3代目でまともな生まれながらにしてまともに坊さんになれそうで
馬鹿ではないとだから異常に持ち上げられるわけですよ だからうちの母がそんなプレッシャーを感じてたと思わないんだけどやっぱり
陰陽に今思えばですね陰陽にあの人自身があの dv 一家に育てられたということもありまして
陰陽にそういうね私をこう変な感性物に従うというしかも私坊主にもなってないんだ けどね
したがるというのがあって一番ネックになってたのが病弱ってことだったんだけど 今思えばここにすべての悪いもの集約させた結果なんだろうなあれはと思うんですよね
考えてみれば無茶苦茶なことやってましたからね まあ坊主になれるぐらいの頭あったというのがあるんでそこ心配されてなかったんですよね
思えばそれは大きな子さんだと思うんだけど心配されてなかったんですよ あと体さえ強くなればという話だったんですよ
だけど子育てをするというのはまあいろいろなアレがあるし思った通りに全部行くはずがない んで
私なんか思った通り勉強したらすらしなかったんで母のね だから母としてはこういうふうであってほしいというのがあるんだけどならない
ならない悪いもの良いものと悪いものスプリッティングして悪いものはお前の子育てが悪いんだ なってないんだってあの時代平気で言われる者
うちの母はその dv な家に育ったんでそういうの絶対受け付けない ある種の異常な反骨精神みたいながあったわけですよ
つまりお前のせいだってなると次の次の瞬間には家私のおじいちゃんですけど 絵がバンバンバンバン飛んでくるっていうしかもそのおじいちゃん酔っ払ってるっていうおじいちゃん
だって絶対これは受け入れられないと だから私は絶対悪くないの世界に入るわけじゃないですか
そうすると全部証拠が悪いになるんだけど 証拠が全部悪いは彼女には受け入れがたいわけですよ
象徴性と健康の意味
正午はいい子ってことになってるしまあそうであってほしいよね であのすごい頭も良くて将来坊さんだったら素晴らしい
なってないんだけどすごい頭がいいっていうのも何か何かのおはじきで3つと5つが あると8つになってあのこれが6と5個になると11になるのが3歳児でもわかった
みたいな繰り上がりがわかるって話ですね そういうことでしかないんですけどだらない話なんですけど
とにかくすればいい子ってことになって私は悪くない 正午はいい子ででも問題がないわけじゃないこの問題どこに置いてやろうかってことになる
わけですよね そうするとこいつ体がなってないってことになるんだけど体がなってないって微妙じゃない
ですか 話が深刻になりすぎるそうするとセンサーとしての肌に頼るんですよ
こういうことなんだと思うんですよね 思えば肌だけじゃもちろんないですよ
そのセンサーみたいな位置乗載するっていう点ではいつも同じだった ただそれが肌に残ったわけですね
つまり一つにはその肌をセンサーとして使っているうちに センサーというものは象徴でなければいけない
代弁でなければいけないのにセンサーが健康そのものを意味するようになったというの が一つと
象徴投下物化したというのが一つともう一つがその母のまあおじいちゃんに対する 嫌悪感なんだけどこの嫌悪感を私の肌によりによってぶつけると
だから石のなんか石鹸みたいなゴリゴリこすって血だらけにするして あーすっきりみたいなよくわからないあの詐欺スティックなものが現れてきちゃったわけですよ
これで肌良くなるはずないですよね二重にわけのわからないものを背負わされていた わけだから私の肌
だからあの悪化の一頭を辿ったわけですよね ここに何かこっち薬を塗り込むということをやるというもなんだかわけわかんないことになって
いくわけですよ なんだかわけわかんなくなっていったわけですよしかも地元の矢部医者だったし本当にあの地元
酷かったんですよねこの歯が動いていて悪いんですって言ったら隣の歯抜くみたいなね 今だったらもう完全に訴訟ものなんだけどそんな本だったんですよ昭和55年ぐらい
昭和60年の手前ぐらいの時はまだそこからなんかいろいろ変わっていった気はします けどね
そういう話なんですけれども何が言いたいかというとハンナシーガルが ハンナシーガルっていう有名な精神分析の人があの
バイオリンを弾くということがこの人にとってはマスターベーション意味するから バイオリンを人前で弾くなんてとんでもないと言って
8顔を赤くして怒るこういう話っていうのはそれだけを聞くと非常に非常にわかりにくい 思うんですけど今のような構造を持っていてつまり象徴するものと象徴されるものというのは
我々人間にとっては自然と見分けがついているから あのそこが不思議だとは思わないんですよ最初はね
なんかこれを取り扱いなどって不思議だよねって思っちゃうかもしれない 例えば我々はよく寝ることによってエネルギーをチャージするとか
バッテリーを象徴に使ってるわけですよね エネルギーをチャージするって
そんなコンセントに寝てる間つなぐわけじゃあるまいしないわけじゃないですかそんなことは 理由ですよなんだけど
いつしかそれが実体感 実体となっていきその距離が取れなくなってしまうんですよ だからあの
我々ライフハックの世界でも mp とか言ってきて mp を測る方法とか言い始めるわけです そんなものはあるはずがないんだけどあるような気がしてくるんですよね
面白いんですよこの辺って正気の人でもそうなると まして具体象徴を使いまくって
精神分析の魅力
あの病んでると私など b がそうだったみたいにですね どっちが先にあったのかがだんだんわからなくなってくるみたいな
だから本当に鳩鳩というものを傷つけては絶対まずいような気がするとかいうことが 実際に起きて感覚として起きてくるしその延長線にはもう何点ですかね
8 だからあれですよね例えばですけど会社に行って怒られるということは絶対あってはならないことだ
みたいになるわけですよ 私が尊敬しているこの上司はに絶対嫌われるようなことがあってはならないとかそういう
ことが起きるわけですよそこではもう何が象徴で何が象徴されているのかを本人は全く だってそうですよね
あのババレイ子さんが書いてましたけれども召使いの人がみんな知ってることを私だけは知らない そして夫はどっかに出かけていくと私はなんかもう
喉のあたりが締め付けられるようになって全然声も出なくなるんだけどこういう これは一体何の病気なんだろう
に不意にもほどがあるっていうふうに思うかもしれないけれどもしかし知らない人に とってはそしてその現象と自分に起きる現象
喉が締め付けられて声も出ないってこの現象と それが何を意味しているのかという発想自体を持っていなかった場合
喉の病気じゃないですかイコールそれは喉の病気じゃないですか しかしどっかでは知ってるからこそやっぱりそれは地美科に行くんで自備
イン効果に行くんではなくて自備イン効果にて喉治してくださいとは言わないわけですよ 例えば一晩寝て朝になるとなぜか治ってるみたいなことが起こるから
気がつくとフロイトのところに行くと つまりそれが真因であることをなんとなくあの時代ですからね
フロイトのところに行くなんてもしかすると魔術師のところに行くぐらいなノリだった と思うんですよ
でも地美イン効果に行くよりは魔術師のところに行った方がマシだと思うということは なんかその人は知ってるってことですよね
象徴的行為の理解
夜をヨットが行くたびに何かメシスカイの態度がおかしくなって私喉痛くなるんだけど 喉の何の病気なのかしらこれっていうのは確かに
鈍いかもしれないけれども我々はやっぱりそれぐらいは鈍いんだと思うんですよ 気がついてない同じような事象に悩まされている可能性はいっぱいあると思うんですよ
ただ今の時代今日はいってもまず地美科に行くべきなんですよ つまり先に真因を疑うよりはこれはよく今度15日に一緒にさせていただく山崎
さんがおっしゃるんですけどまず体の方を真面目に疑えとどっちかというと体の方の 性設備が体制も整ってるからだってことですよねこれは体に何でもないということが
になったらそこで初めて えっと
この象徴的な話に移っていけばいいわけですよこれは何を象徴しているんだろうと 今これになったらどういう意味なんだろうとちなみにややこしいのはですね
お腹下すっていうことがよくある時にそうであるように本当に両方である原因 可能性はあるんですよね例えば寂しくなるとついラーメンを囲むみたいなことをやる人はどっちが
原因だがわかんないじゃないですか 寂しさでお腹下してるのかラーメンの食いすぎなのかわかんないわけですよね
これが行動として混ざってくるので やっぱりこの辺なんですよねカウンセリングってものをやるのはあの整理をつけていき
えっとこれこれはこういう可能性があるこっちはこういう可能性があるというのを整理を つけていって
でこれを疑ってみたらどうだろうって私他人の方が少なくともその人がそれを分かろう という気がある他人であればですね
他人の方がわかってくれる可能解き明かしてくれるっても変ですが自分が気づきにくい ことに気づける可能性は高くなる
専門家ならなおのこと高くなるでもこれは絶対専門家なら気づけるとか そういう話ではないのでやっぱり簡単に失望したり絶望したりしてしまっては
まずいんだろうなって思うんですよ くっついてしまうと
くっついてしまってるんであとすなわち平和ですの世界になってしまうと ヴァイオリン演奏イコールマスターベーションですって世界になってしまうともはやわからない
他人にはそれは分離するべきであるっていうのはわかりますよ でもなんでそれに象徴させているのか相変わらずヴァイオリン演奏とマスターベーションって
越に入るとかいうことなのかなと分離してみて初めて何かが少し見えてくるにしても そんなに明快にわかるような話ではないですよね
象徴的投下物というのはあの 具体具体象徴の病理型というのは
病的な具体象徴というのはその分かりにくいなぁって思いますね わっすごくこうあからさまに奇妙な感じがするという意味では奇妙な感じがします
私がそのこのポッドキャスト言ったように8大学時代は女の子に声かけてばっかりいたというのは つまりお母さんはどこにいるんだろうの象徴的行為だったわけですが誰もわからな
そんなことは当にも同じでだってや年頃の大学生ならまあちょっと サッカーおかしいけどまぁそういうもんでしょって通っちゃうじゃないですか
だからわからんのですよねこういうのってやっぱりやっぱわからなかったんですよ でお母さんはどこにいるんだろうつったってあのね
お母さんは2歳の時なくなりましたってなるともかくお母さんは実家に行くとピンピンしてる わけですよ
ピンピンして手術してるわけですよ 一体佐々木君がお母さんを求めるって何なのって話になるじゃないですか
これだからいいおっぱいを求めてるって話なんですよね いいおっぱいを求めてるというのはまあその非常に極端に言うと私は情緒的には母に見捨て
られたっていう感覚を持ってたってことなんですよ それもかなり通列に持ってたってことなんですよ
いろんな意味でもあるんだけど知的なる沈むみたいなところもあってうちの母は 非常にさっきも言った通り
なんか知識人を気取りたいようなところがあったから知的じゃなきゃダメだ 心母が知的じゃないわけですよあんまり本人知的だと思ってるからこういうと傷つきますけどね
だから私は理想化した母親というもの非常に知的な女性っていうふうに捉えたんですよ だからあの当時は私はですねよく世の中で言われている
自分より学歴がある人は好きになれないんじゃないか論てが全然僕じゃなくて 自分よりは頭良くないとダメだなぁみたいなのがあったわけですよね
こういうところからもっと気づくべきだったんだよねやっぱり当時はああいうそういうの 先進的でいいねぐらいなノリだったから
わからなかったわけですよ私は母にもっと知的であって欲しかったんだということがわからなかった わけですよ
母にもっと知的であって欲しい母が何ら知的でないことがどうして見捨てられ不安になるのか というとこうなりますよね
母はまあ長寺が的に知的な人間がいい まあ要するに母から見ると自分のお父さんは職人の飲んだくれの暴力親父だったからああいう
親父はもうほんとダメだとなんか大学院出ていてなんか それは母の全くの妄想なんですけどね
すごいこうものすごく教養豊かな知識人みたいな感じのお父さんが良かったってこと になってそれを息子に託したわけですね
だから私は当然母は知的だと思っていたし自分も知的でなきゃいけないと思ってだから えっと知的な母親であって欲しかったけど母は知性に何の興味もないわけ
ですよ なんかこう松本成長の悪いやつらとこういうんで私は読書家だからとかって平気で言ってる
ようなところがあってまあ非常に今思うとお茶目でいいんですけれども まあそういう人だったからね
私はそこに絶望したんだと思うんですよね この人はあの私のために知的なお母さんにはなろうという努力を一切払ってくれ
ないんだと かってですけどあのいわゆる高知的なるシズムの世界ですけど
どうにもなんないですよね子供の感覚ってそういうもんだからこれを携えたまま 自分が思春期を迎えた頃に知的な女性というものに異様に憧れてそれと一体化したい
でただお母さんを求めてるんですよ自分家にはいなかったお母さんということですね こういうのが
積み重なって組み上がって練り込まれているうちに私はその ひたすら行動化したわけですよね
まあいわゆるナンバするみたいなアプローチとした女性にアプローチするという行動化に なっているわけですよね
これはそういう女性と一体化するということこれがセックスになるんだけど 一体化するということがえっと私にすべてを
ハンセンは私に決定的に欠けているものといっ 8を結びつくということを象徴していてしかもその象徴が完全に行動の中に
8一体化してそれこそ同一化して象徴的投下物と物じゃないんだけど 効果行為になっていたために非常に病的な現れ方をしたんですよ
病的ですよねどう考えても数が多すぎでも数が多すぎるというのはその この意味がはっきりわかればやめられるじゃないですか
誰もこれを僕に指摘してくれなかったからやめられませんでしたが その解釈も非常に妥当性を書いた解釈ばっかりだったんでもうちょっと勉強しようみたいな
それは全然正しくないわけじゃないかもんだけど めちゃくちゃ間違ってる一番でやっぱり接近してくれたのが4年の時のゼミの先生で
フロイトを読めっていうこれもね その先生は知的すぎて僕には高度すぎたんですけどさっきにするフロイト読みなさい
フロイトフロイト読んでどうするわけっていう感じですよね でもあれは正しかった
つまり正しい解釈というものは ここに空撃をつけてくれるんですよ
あなたが欲しがってるのは理想的な母親でこの理想的な母親というのは絶望的に手に 入らなくてあなたはそれによって
かなり欲打つ感がひどくなっているというふうに解釈してくれれば しながって必要なのはその理想的な母親なんだけどそれはいないよね
それは性欲ではないですよっていうそういう解釈をしてくれればですね あの行動はいらなくなるんですよねあの行動ではそれを埋めることが不可能だったということに気づければ
それで良かったわけですよ まあ私はアホなんであの
自己認識の深化
じゃあ8なんか大学に行ってわけわかんないことを研究している女性だったらいいのかも っていうふうになってそっちの方に非常に魅力を感じるっていう
現象にただ苛まれることにそのもなったんですけどの辺がやっぱり僕はこれを システリーと言ってくれれば話はわかりやすかったんだけどなと思うんですよね