1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 絶対音感と精神分析【1238】
2025-08-28 29:36

絶対音感と精神分析【1238】

私は音痴ではないつもりですが、絶対音感はありません。
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サマリー

このエピソードでは、精神分析とセルフカウンセリングの関連性が議論されており、その重要性や課題について触れられています。また、読書や概念の習得がメンタルケアにどのように活かされるかも考察されています。 このエピソードでは、絶対音感と移動度の関係が議論されており、精神分析における内的確信の重要性が強調されています。さらに、母との経験を通じたトラウマの影響についての自己認識も取り上げられています。 このエピソードでは、絶対音感と精神分析の関係が探求されており、人間の本能や認識の仕組みについて論じられています。特に、真実を求める欲求と夢の中の体験がどのように交差するかについての深い洞察が提供されています。

精神分析の導入
おはようございます。朝っぱらから精神分析、第1238回をお送りします。
8月28日木曜日、9時31分なので、ちょっと朝っぱらというには結構もう遅くなって、最近大体そうですけどね。
これもでも8月いっぱいまでで、だんだんだんだんこう正常化っていうのはおかしいんですけれども、
正常な時間、7時何分とかいう時間になっていくんではないかなというふうに思います。
ちょっと途切れましたね。今、AirPodsでやっていて、ネタに耳とかに触ると今のように一瞬止まるんだなと。
いろいろ優秀で、いやいや優秀すぎてですね。よく分かんなくなっちゃってるところもあります。
あと、ノイズキャンセリングが異常に優秀で、気がつかないんですよ。気がつかないって何が気がつかないかというと、自分の声が消えたなってことにふと気づくんですよね。
なんか適応がだとか言って、スーッと消していくんですけど、あれ、なんか自分の声聞こえなくなったなっていうふうになるとすごくしゃべりにくくなるので、
外部取り込みのノイズキャンセルっていうのが外部音を今取り込んでるんですけど、なんかさっきですね、やっぱり一瞬、あれ換気扇もう止まっちゃったんだっけって思ったんだけど、そんなことはなくてついてるんですよね。
でも消えちゃうんですよ。この消し方が、このAirPodsが超秀逸で秀逸すぎて、一部を取り込みつつも、いらないっていうやつだけを消すみたいなことをやってくるんで、
気がつかないんですよね。全部が消えるとシーンとなるから、そうかノイキャンかって思うじゃないですか。全部は消えないで、一部消えるからすごい驚きますね。
完全にライフハックネタなんだけど、どっかで書こうと思っております。
ちょっとマイクが変わったんで、もしかすると前の方が良かったという方もいらっしゃるかもしれませんけど、何しろこれだと涼しさが全然違うんで、これだったら絶対大丈夫って言えないんですけど、
この涼しさからしても前の状態に戻すのは不可能だろうという。
ここは本当に、だから最近視聴者数が減っているんでしょうかっていうのをちょっと懸念はしているんですけれども、
ここは本当に私の高年期障害が治れば、また元に戻すこともできるかもしれません。
この話で終わってはしょうがないので、今日はちょっといつものあれよりもやや裏テーマ的な話をしたいと思っています。
私のメインの仕事は今は、Jマスザキさんとのタスクシュート協会関連と3ヶ月チャレンジ。
この2つにほぼほぼ、あと時々本を書くっていうことに絞り込まれたわけですが、だから収入がちょっと怖いんですよね。
3つがでかいんだけど他はないみたいな感じになってきて、今までと全然パターンが違うんで、ちょっとそこに懸念を感じることあるんですけど、
でも3つあるしなみたいな。柱が3つあれば、でも3つ目の本は相当疑わしい、柱とはもはや到底言えないような感じになりつつあるんですけれども、
これはベストセラーランキングが変わらないのに、売れ行きの総数だけ減っているっていう怖い現象が起きてるんで、どうがないよなとは思うんですけどね。
だって書店に行って本を買うというのって、もはやPRするメディアが損滅しかけているじゃないですか。
ネット上にある大量のやつはほぼ全てがAmazonに行きますよね。どこかの書店に誘導するっていうのは、よっぽどその書店のホームページとかしか考えられないと思うんですよ。
セルフカウンセリングの有効性
しかもそこ、注文できますけどね、行かなきゃならないっていうか、行ってほしいみたいなところがある。だけど書店にそもそも人が行っていた理由っていうか、この話してたらしょうがないんだけど、理由は雑誌なんですよね。
雑誌は毎週毎月更新されるから、あれが新しいから言ってたわけですけど、あそこがネットにとって変わられると人々が書店に行く理由を失うわけですよね。
本っていうのは毎週毎日どんどん新しくなるってものじゃないし、それはそれで良くないんで。雑誌しかないんだけど、この雑誌がもう頼みの綱だったんだけど、どうしようもなくなって、パソコン雑誌って今もあるのが不思議だぐらいな、MacFanぐらいじゃないかっていう感じがするんで。
本当にこれはもう厳しいよなと。でもあのね、オカルト雑誌のムーは相変わらず元気で、ムーを見ていると希望が湧いてくるなっていう、航空ファンとムー、鉄道ファン、航空ファン、時刻表とムーから、これがあるからこれだけだったらコンビニで住んじゃうよねっていうのがやっぱりちょっとどうにもならなさを感じさせられますね。
コンビニの存在もでかかったんですよ。一時だから私のようなビジネス著作家にもコンビニ棚に置いてもらえるようになりましょうねみたいな圧が盛んにかかってきたんだけど、あそこめっちゃちっちゃいじゃないですか。あんなところに置いてもらえるぐらいならもう左内輪なわけですよ。あそこにあってさえもはや左内輪ではないのが厳しいんですけどね。
はい、ダメだ話を戻す。裏テーマというのはですね、私はこのSAQ今度作んなきゃなと思いながらですね、今盛んに考えているのがセルフカウンセリングというものではなぜいけないのか問題。いけなくは全然ないですよ。私むしろ逆なんですよ。
セルフカウンセリングというものを広めることによって、そんなことは業界のことだから僕の知ったことじゃないって知っちゃうじゃないんだけど、セルフカウンセリングが広まれば定期のカウンセリング業界も潤うに違いないっていうのは私の持ってる印象なんですよね。
で、それが真逆だと考えられてるからセルフカウンセリングみたいなものは基本的に推奨されないのか、それともそもそも原理的によろしくないのかわかんないんですが、私はその3ヶ月チャレンジで基本路線はですね、基本路線だけでやれてるわけではないですけど、基本路線は精神分析のそれもなるべく本格的な本を読むことで、全然違うな、精神分析のなるべく本格的な知識を本格的に仕入れることが、
その人のメンタルに有効であるっていうこの仮説に基づいてずっとやってきていますね。だから、これもゆっぺーのお世話なんで、私一人だけの問題になるんですけど、ノラカウンセラーは全員精神力道の概念を仕入れるべきだっていうのが僕の裏テーマなんですね。
ノラカウンセラーは概念を仕入れるべきだし、一般にメンタルが難しくなってきた人も、まずはこれはもう精神分析と言い切っちゃうのあれなんで、一般のカウンセリングの本でもいいんだけど、でもなるべく本格的ないわゆるビジネス書も読むのはありだとしても、そこからもなるべく深入りしたほうがいいと思います。
それが自らのメンタルケアにほぼ確実に貢献し、そこででも足りなくなったらもうどうすればいいかはご本人で分かるはずですというのが私の裏テーマ。
これをムーブメントにしたいと思ってるけど、無理だろうなとも思ってるんですよ。僕は非正規ですし、この立場でこれを言うことに何ら説得力がないと思うんですけど、自分はこの線で行ったんですよね。
読書と概念の習得
やっぱりこれをしたからカウンセリングというものを日本でも受ける気になったわけですよ。だからこれをせずにいきなり自分一人でやってないで来なさいって言うんだけど、そういうふうにするにしては本格的すぎるのが一つと、やっぱ高すぎると思うんですね、お値段が。
1回当たりの金額が6、7千円から1万円というのも高いですが、それなら払えると思うんですよ、多くの人。でも週に1回ないし、2週に1回、毎月2万以上みたいな、これは払えないと思うんですよ。
今度の場合も払う気がしないと思うんですよね。でもそれは何でかっていうと、そこで何をしなければいけなくて、どうしてこういう値段になっているのかはさっき分からないからなんですよね、きっと。しかも正規は安全ですというのとか、構造をカッチリしてますけど、この構造カッチリが結構クセモノで、毎週定められた時間に確実に行くっていう、そして行ったら最後通わなければいけなくなるみたいな、
ある意味、一番日本人にこれがフィットしているのは実はお月謝なんですよね。藤山直樹さんがこれはお月謝じゃないんだよって書いてたんですけど、この辺はもうそろそろ妥協の余地じゃないかなと思うんですよね。お月謝にした方がまだ可能性を感じると思うんですよね。
ピアノのレッスンなら2週に一遍通って運満円でも、なんか本格的にやるならここでもやっぱ本格的っていうのが必要なんだけど、例えば私もテニススクールはさほど本格的じゃなくて、なんか近所のおじさんおばさん、ファミリーテニスで楽しくやってますみたいな、でも結構そういうところのおじさんはやたらうまかったりするんで本格的なんですけど、でもあれ結構高いわけですよ。
屋根付きインドアでクーラー付きじゃないと夏中でテニスなんかやってらんないんで、やるとかなりの値段取られるんだけど、高すぎると人々はあんま考えないんですよね。やっぱ面白いですね、保険効きますかとか誰も言わないじゃないですか、テニススクールで。なんだけど、カウンセリングだとそれを言われちゃう。
それやっぱりカウンセリングというものがものすごく医療行為だと思われてるせいであって、ものすごく医療行為だと思われてるから、いやまだこれだったら自分我慢。お医者さんだってお金の節約のために我慢する人っていっぱいいるんで。
私の上の世代とか本当そうで、うちの母もそうで、病院なんか行かないですもん。ちょっと調子悪いなーって言っても気合で治すとか言って本当に治しちゃうんで。あれがあるってことはですね、医療行為というものは節約可能だって思われてるって部分があって。でもうちの母はテニスとかにはあっさり行きますからね。つまりそういうことなんだと思うんですよね。
私はメンタル系の心理臨床がそっちに寄せるのはいろいろ問題もあるのかもしれませんが、ここはそっちに寄せるっていうのはありなんじゃないかなっていうのはよく思いますね。週1回読んでからポンとそれは思うようになりました。もし経営が難しいとかいう話があるなら、本来そうはならないだろうと僕は思うんですよね。
私はテニスの本なんか買ってたら絶対ダメで、うちの父がまさにそういう人間で、あの人本当に私に水泳、私水泳非常に得意だったんですけど、子供の時からやってたから。水泳ってことになると達人の泳ぎとかわけわかんない本買ってきて、絶対早くならない。泳げるようにはなりますけど、それだけでも大したもんですけど、でも早くはならない。あんな本読んでたって、泳がなきゃ。そういうもんなんで。
そういうことって心理臨床の世界にも思いっきりあるんですけど、多分最初はわかられないので、最初はやっぱり本でいいんだと思うんですよ。で、私は概念を取り込むっていうのがすごく大事だと思うんですよ。概念をいくら読んでも精神分析が分かるようになりませんって、また人をしょんぼりさせるようなことをいちいち書くのが彼らの不思議な性癖なんですけど、本を売るのが嫌なのかなって思うぐらいの性癖なんですけど。
まあそれはわかるようになったんですよ。これをどうしても言いたいんだと言わずに置いておいてもいいんじゃないかと思うんですけどね。どうせわかんないことはわかんないんでね。わかると思われるのがそんなに嫌なんだろうかっていうのもちょっと思うんだけど、精神分析はわかるようには確かにならないなって僕も思うんです。やれるようにもやるようにも結局なってないしね、受けたことがないわけですから。
しかしそれでも概念は取り込んでおくべきだと思うんですよ。まああのべきだって僕は言っててもしょうがないんですけどね。僕は取り込んでおくべきだろうと。だからエリフスコンプレックスは当然として、転移とか逆転移とか方位同一化とか、使えなかろうがわからなかろうが構わないから、まずこれを取り込んでおいた方がいいですって思うんですね。
そうするとある日突然、こういう話してるわけですよね。していて、しかもここでも口喋ってるわけじゃないですか。喋っていて、そして参加者さんと私が喋っていて、そういうことをやっていてもある日突然、あ、あれが転移なんだっていうことになる。
内的確信とトラウマ
その時に分かるか分からないかの差もやっぱ、経験的に見てあるなって思うんですよ。あ、先月のあれは間違いなく転移って言うべきだわ、と突然思う。転移って言うべきじゃないかもしれないけど精神分析の部屋じゃないか。でもだとしてもそういうしかないわっていう、この答えはどこにも載ってないわけですよ。それを多分分析家の人に聞いたって、そんなの知りませんよって言われるわけですよ。
だから答えは載ってないんですよ。でも内心の確信みたいなものが発生するんですよね。こいつがものすごく後々聞いてくるっていうか、その人とのセッションでものすごく聞いてくるんですよ。
私自身にとってももちろんありますよ。私のトラウマだったんだ。トラウマを素人が扱っちゃいけないみたいな云々の話もあるんだけど、そんなことを言っている人が多いんですよ。
トラウマを素人が云々に言ったって、トラウマは日々扱われているんですよ。扱われているのにただ目をつぶっているか、認識してしまうかの違いなんですよ。
トラウマを素人が云々に言ったって、トラウマは日々扱われているんですよ。扱われているのにただ目をつぶっているか、認識してしまうかの違いなんですよ。
無理じゃないですか。認識するときはしちゃうんで。ろうとだろうと何だろうと当事者は認識するに決まっているんで、いやあれトラウマだったしっていう。扱って良かろうが悪かろうがトラウマだったしってことになるんで。
こういうことを内的に確信するしかないんですね。
エビデンスはとか言われてもどうしようもないです。エビデンスなんかないんですよここにはやっぱり。これが最大の批判の的になるのは分かるんですけど今の時代ならば特に。でもやっぱないんですよ。
なぜならば自分で勝手に確信するものなので一歩間違うとしかもそれが真的現実ときてますからね。
真的現実なのかこれも真的現実っていうのは要するにあったことなのかなかったことなのかが分からないからなんですよね。
例えば私が母の証言等を状況証拠的に、だからエビデンスが状況証拠になっちゃってるんですけど、母の証言等を繰り返し聞いている限り、
暗闇で母親がずっぱだかの父親をバシバシ殴ってたのを私は見たんですが、それは大変私が母に対するイメージを大きく変えるきっかけになって、おそらくあれは事実あった話だと思う。
というか事実あったと思うんだけど、いやお前それは夢だよって言われれば、そうこうはないですよ。
ただ私はそれをきっかけにおそらく私が3歳だと思うの時のあれをきっかけに母に対する心象がガラリと変わったのは間違いない。
だから母に対してもっと恐れるようになり、同時にもっと虚勢を張るようになりましたね。
で、あの虚勢が私、虚勢ってのは虚勢不安の虚勢じゃなくて、唐い張りするやつ。この唐い張りが後の私の総的防衛の核になったんですね。
っていうのは川本ですよ、別に。エスラ本だし。
でもこれについて説明があるわけなんですね。
さらにこのことが間違いなくある種の参加者さんとの関係では影響を及ぼすんです。
及ぼしたなっていうことが後から分かる。後からでも何でもいいんで分かればいいんですよ。
分かることによって、そっか、だからあの人とはああいう話がああいう勢いでああいう風になされたんだっていうことに分かって、
それをお伝えしているうちに徐々に進展していくことがあるんですね。
この説明も、メタファーがいるなどうしても。
相対音感ってあるじゃないですか。異動度称法ってやつね。
私なんかがよくやってるわけです。私は相対音はあるんですよ。そこそこ真っ当だっていろいろ言われているんですね。
だけど絶対音感はないわけですよ。だから私がミとか言うと、うちの娘がラとか横で言うわけですよ。
ラが正解、ラが正解。うちの娘は絶対音感があるんでラが正解なんです。
でも私にはミにしか聞こえないわけです。だからファがドだから。ファがドに聞こえる。
ヘチョウチョウになってるんで。だから異動度称法になっちゃってるわけですよ。
で、でですね。確かにこの種のことは教えて理解できることでは、教わって理解できることではないんですよ。
私だって横にずっと娘がいてもですね、一方に絶対音感が身についてないわけですよね。
相変わらず異動度称法で謳っちゃってるわけですよ。
これが精神分析は本で読んでも分かったことにならんっていうこととよく似てるなとよく私は思うんですね。
でもですね、娘と一緒に牛運年一緒に生きていて、あの子は3歳4歳の時の妙に徹底した訓練によって絶対音感が身についたんですけど。
解釈と信じること
バイオリンを弾く関係上ね、バイオリンってどこがドだかわかんないという異常な楽器なんで。
ピアノはそうじゃないじゃないですか。目で見てどこがドだかは一目瞭然なんだけど。
バイオリンってそうじゃないんですよ。私もびっくりしたんですけど。
こんな楽器どうやって扱えばいいんじゃって思うんですけど。
あのウンターとかもそうなんですけど、あれは指のところにポッチがついてて、一応どこが何なのかわかるわけですよね。
多分目視でやってないと思うんですけど。でもわかるわけですよね。
バイオリンはさっぱりわかんないんですよ。そこに指板つけてる人もいらっしゃるんだけど、まあそれは色々あるわけですよね。
だから絶対音がいるということになるんです。音聞いただけでその音がなんだかがわかんなきゃいけないってことですよね。
そういう訓練をリトミックとかでするわけですよ。それで私はすでにそれを聞いていてわけわかんなかったわけですよ。
リトミックの先生が電子オルガンで鳴らすんだけど、うちの子がいきなりミーとかって言うんですよ。
それも正しいんですよ。
で、移動度である私は音1音聞いただけじゃわかんないわけですよね。
しかもそれをキーを変えてきやがるから、何やってなんかさっぱりわかんなくなるんですけど、なんかラ、シャープとかって言うわけですよ。
絶対これ怖いわっていうふうに思ったんですけど、つまりメロディーが流れるからどれがドなのか、いわゆる蝶々ならファがドみたいな。
ファがドっていう言い方がそもそもダメなんだけど、ファがドだわってわかるんだけど、わかんないじゃないですか。
だから私がラとか言ってるとミーとかって言われちゃうわけですよ。
言われちゃうんだけど、これを言われて、最初はですね、うちの娘も容赦なかったんで、
それがどうしてラに聞こえるんだとかって言い出すんだけど、
いやそれはあなたが絶対オンだからであり、あなたを絶対オンにした時に私は金払ってるからねって思わず言いたくなるんですけれども、
相手が4歳とかだと言わないわけですが、
最近は優しくなってきてですね、そっとですね、私がドレミーとか言ってるとソラシーとかって言うわけですよ。
そっと横からスッとですね。
あれがだから解釈なのか直面化なのか、何が言いたいかというとですね、
私はだんだんですね、絶対オンが少し入ってきたんですよってこと。
今で頭の中に全くなかった絶対オンが入ってきてるんですよ。
これは明らかに娘のこの直面化的な教育による効果なんですよ。
なんとなくこう自分がミーっていう風に言いたくなった時にラーって言いたくなるんですよ。
それが正しいかわかんないですよ、僕には。
そこが問題なんだけど、でも明らかに今までは全くないものが出てきているんですよね。
別にこの歳になって何ら私は絶対オンかを身につけたいというモチベーションはないわけですが、
楽器やらないし、ましてバイオリンなんかやるはずもないし、ないんですが、
でもそれはやっぱりあれなんですよ。
なんか幼児のうちに教育しないと絶対オンを身につかないという説があって、
多すぎに正しいと思うんですよね、脳っていうのの傾向から考えてみても。
仮想性の話をしてるんですが、でも明らかに仮想なわけじゃないですか、結局。
だって私は今までできなかったことが内面的に変化を起こしたわけだから、
それは間違ってるのかもしれないけど、そもそも間違ってようと出てこなかった。
私の異動度情報は強かったんで、異動度絶対みたいな。
だからシャープに弱いんですけど、全部発見になってしまうんですよね。
なんだけど、出てくるということはやっぱり仮想性ってあるんだ。
この仮想性にある意味欠けてるわけですよね。
結局精神分析であっても、CBTであっても、仮想性が信用できないんだったら、
脳が固定化したものだったら、多分そんなこといくらやっても無駄なわけですよね。
だけど、仮想性があるから、ある種のことで決まって罪悪感を抱いていて、
ある種のことでは決まって人が迷惑そうな顔をして、
私って本当にダメな奴だわっていうふうに、私の異動度のように固定化した観念の中で、
絶対そういう時にはそれ以外の解釈がある。
自然と湧き上がるものがそれしか考えられなかった人が、
私が横からぐじゃぐじゃ言うという、東洋同一化側とか、戦亡側とか、
南国関係側とか、母子関係側とか、母親の内在化側とか、
古式な長寺側とか、原始的な現行系側とか、何とか言ってるうちにですね、
不意にそういうふうに入ってくるようになるっていうのが狙いなんです。
ここのところに、じゃあそういうものは何でそっちの解釈の方を採用したいという気になるんだと。
今までだってずっと自分式の考え方、私の異動度商法でやってきたのに、
どうして絶対音感の方を頭が採用しようという気にわずかにせよなるのかというと、
それが美容部が言った真実を愛する気持ちが人にはあるからっていうことになるしかないだろうと思うんですよね。
結局、嘘でも本当でもどっちでもいいわけじゃないですか。
生きていく上で私の場合、絶対音の方がそれは正しいんですが、
正しい音感、つまり音の震えの波長としてそういうラベルをつける方が正確なんだけど、
そんなことをするメリットは私には何もないわけですよ。
だからメリットだけで言うならば、別に真実を愛さなくてもいいんだけど、
でもメリットがどうであろうと真実を愛しちゃうという鉄格子みたいなことを言うんだけど、
美容部の裁判年の時にはあんまり出てきてないと思うんですけどね。
経ですよね。経はノーイングで、だから真実に近づこうとすると。
邪魔をするのがノー経とかマイナス経とか、要するに嘘で塗り固めてしまう。
でも嘘で塗り固めたってそっちを信じたい人はいっぱいいるわけじゃないですか。
世の中には詐欺師の人は親切だったみたいな話があるようにですね。
騙される方が幸せなんですよ私はっていう人だって、極端ですけどそういう方の言い方が。
極端であってもそういう方はいらっしゃるわけですよね。
私の肉親もそうですけれども、
パパは私に酷いことを言い、酷いことをやり、私の人生を悪しき棒にねじ曲げるために格作をずっとしていたという、
絶対的に私にはそうは見えないんだけど、
でも彼女はそれを信じてるってのは、もちろん信じてしまうような心性にあるからなんですが、
でもそれを信じていたいからですよ、やっぱりね。
信じていたいんですよ、いろんな事情がありまして。
これは専門家にアドバイスされたから確実にそう言っていいと思います。
直面化させちゃダメです、もうあのレベルに入っている人はっていうね、そうだろうなって思うんですよ。
まあどうせそんなことをする気にはならないんですけど、いきなり殴られたらおかしくないぐらいの雰囲気はあるんだよ。
だけれども、やっぱり信じていたいことってあるわけじゃないですか。
で、それが病理になると言うんだったらやっぱり本当のことを知った方が、
でも本当はいいんですっていうことがあって、つまり我々は、
絶対音感と本能
多分現実は本当のことで、本当のことを当てにして生きてますからね。
やっぱり食べた夢とかを見てずっと見ていたら、栄養不良でおかしくなっちゃうわけじゃないですか。
本当に食べたのか、夢で食べたのかを区別できることは大事ですよね。
でも食器のことを考えれば、夢で食べたものが本当だと信じている方がある意味節約にはなるじゃないですか。
でもやっぱりそれがどこまでものさばるがまずいですよ。
真実を愛するというのは結局生きていきたいってことであって、
自立とか依存とかいう話もすべてこういう話につながっていくんでしょうけれども、
そういう意味で、やっぱり異動土よりは相対音感よりは絶対音感の方が真実に近いわけですよ。
で、そっちを採用したいという、これはもう本能と言ってもいいのかな、
生理的な欲求があるから脳は繰り返し正しい音程について横からすっと差し込まれると、
そっちを採用したいなっていうふうに思うんでしょうね。
思わないんだったら私は思ってないんです。
自意識の上でも自我の上でも別に異動土でいいじゃんって思ってるんで、
なんの苦労をして正しい音がどうせ絶対音感持ってる人なんて圧倒的に少数で、
人間誰もそんなことで困ってない。音楽やってる人は別でしょうけど、
うちの娘ですら音楽で食っていく気はないわけですから。
まして私はないわけですよ。だからいいんですよ。
これも情状の使い方とかも同じだと思うんですよ。
精神分析でやってることってあの絶対音感をすっと差し込むような作業なんだろうと、
繰り返し繰り返しあなたはこういうことが言いたいんですね、
こういうことがやりたい、そこには真実でないものが混ざるんだけど、
そうすると脳が、脳がというか心が真実をつかみたいという本能が弱くなっていてもやっぱり動き出して、
それがその人の観点を自発的に変更させていくという、
変更させようとしてよくあるような、よくはないかもしれませんけども、
よく非正規で叩かれているように思いっきり頭から説教バンバンして、
少年道路みたいにフロイトがやったみたいにしちゃうと、
だいたい何来、これといって見るべきものはないので、
だからそれはやっぱりそうですよね。
私にしてもそうで、どうとか言ってるのはそれは身でしょ。
ここ、ここ、ここだから身でしょって。
昔の牛の娘はまさにそうやってたんだけど、
絶対それに私はそうだねって言うかもしれないけど、そうしようぜっては思いませんでしたし、
そういうものですよ。
娘との関係が良好であり、かつそっちが正しいことが分かりきっていても、
自分が修正しようと、修正できると思ってないんでね、
精神分析の実践
修正しようという気にはなってないわけですよね。
こういうことが私は心理臨床の現場で起きることだと思うんですよ。
この人にとってはそれは妄想であろうと、万能空想であろうと、
ナルシシズムであろうと、知ったことじゃないわけですよ。
俺はこの味方に固執してやるぞっていう、そういう意識が強くあるんだと。
もちろんそれは無意識に言ってくれる。
もう一つは、この味方を手放すと言われても、
いざとなるとできるんだよっていうこと。
こっちの方がよりリアル、リアリティが感じられますよね。
おそらくそうだろうな、自分だってそうですから。
青年期が怖いっていうのもそうでしたから。
侵入ですってAIは言うし、その通りだと思うんだけど、
侵入だよな、これは。
結局のところ指先から母親の出席が入ってくるのが嫌なんでしょうっていうのは
分かるようになったから触れるようになったんですけど、嫌ですからね。
嫌だというのが抜けない。
で、できれば触らずに済まそうとする。
夏などに静電気除去グッズとかがないかな、この辺にとかっていう風に。
コンビニに行くとふと静電気除去グッズを探している自分がいますね。
つまり異動土消法が抜けないってことですよね。
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