1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. なぜ精神分析などを広めたがっ..
2025-09-09 43:43

なぜ精神分析などを広めたがっているのか?【1245】

相談を受けるすべての人が知っておいて損のないのが精神分析。
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f

サマリー

このエピソードでは、精神分析を広めたい理由について語り、タスクシュートとの関係を探求します。特に、精神分析的心理療法に対する理解やその普及方法について考察し、自己の体験を通じて得たことを共有します。このエピソードでは、精神分析の重要性とその普及に必要なリテラシーについて言及します。また、精神分析が抱える課題や、相談者としての態度がどのように影響を及ぼすかについても探求されます。精神分析の重要性と実践における禁欲や中立についての考えが展開されます。これは、欲望とクライアント中心のアプローチのジレンマに関連し、精神分析の側面からその負担に対する理解が求められます。このエピソードでは、精神分析が抱えるジレンマと対人援助の複雑さについて探求し、特に理想化と脱価値化がもたらす困難に対処するための精神分析の理解の重要性が強調されています。

精神分析とタスクシュートの関係
おはようございます。 朝っぱらから精神分析第1245回をお送りします。
9月9日、救急の日だとか言ってましたね、さっき。 車、火曜日。
7時52分です。 昨日ね、落としてしまったわけなんですけれども、
寝ちゃったんですよね。まあ急ぎの用事もあったのに、しかも寝たから、もうどこからどう見ても取る暇がなかったというわけで、
月曜日はね、極力落としたくはないと思っているんですよ。 同日と休んで、楽しみにされている方がごく少数とはいえいらっしゃるのに、月も休んじゃうとなると。
だから月は最日でも極力やってるんですよね。 金は最日、金の最日で最近ほとんど見かけないんですが、金が最日だったら休もうぐらいに思ってるんです。
月ですが、月の木金とかね、木はね、春分の日は木だったりしますからね。 休もうって思うんですけど、月はね、休まないようにしてるつもりなんですけど、
昨日はちょっともう、 久しぶりに娘の学校の弁当作りとかがあって、思わぬ疲れがあって、なんか気がついたらほぼ寝てたんですよね。
気がついたらベッドで寝てるって不思議なんですけど、でも気がついたらやばいっていう時間で、ババッと起きて着替えて速攻家を出て、
もはやこの収録をしているどんな余裕もなかったっていうか、もうなんかどこかにその時間があるはずがないような時間の使い方で、あれながら珍しい、かなり久しぶりに、そういう感じでした。
はい、お知らせなんですよ。このお知らせが今日のテーマとまた微妙に絡む前回の話と似てるんですけど、この番組ではいつも同じ話をしているわけだけど、
タスクシュート関連活用術の続編をやりますが、前回はトラウマの話をしたんですね。 いや、なんでタスクシュートの話でトラウマだよっていう話なんですけど、それを聞いてください。
もうめんどくさいんで、ここでいちいち説明してるとその話だけで多分番組が終わりますんで、それをそれで聞いてる方もどうかと思うんですよね。
ここでは違う話を聞きたいと思われてるんじゃないかと僕は思ってるわけで、とにかく24時間タスクシュートを使うんだけど、それを私は精神分析でできれば説明したくて、
ゆくゆくはあの話をですね、タスクシュート完全活用術なんだけど、ボコボコ精神分析っていう形にしていきたいわけですね。
ただそれはちょっと今やるとおかしいんで、タスクシュートを24時間撮る。今度はですね、もっと実践的にどう撮ってるかも合わせて説明し、その中で私がどのようにできればですけどね、精神分析を精神分析と言っていいでしょう。
精神分析に近いことを感覚的に得ているかという話をしようと。幸いですね、今回タスクシュート完全活用術で、私のあのかなり分かりにくい話がトラウマから始まって、コンテーニングの話が入ってるわけですよ。
ビヨンなんだけどね、コンテイン、コンテインドの話が入ってて、私あれはあのせっかく遠畑海人さんが、エデマで珍しいですよ、ビヨンの宇宙なんて引用元にあるっていうのは松木さんの本ですけど、まあまごびきに近いけれども、とにかくビジネス書にコンテインの図記が載ってるっていうのは、あれが出てきて私もですね、割と意を強くして、これがビジネス書に出るならば臨床心理師が書いたものでベストセラー作家だから許されるとしても、
これが出るなら出しても良かろうと思って出してるわけ。出したわけですよ。で、幸い数名の方から、あの納得できたっていうね、僕はちょっとそこまで期待しなかったんですよ。納得はされないだろう、理解はされてもって思ったんだけど、納得できたっていう話があったんで、これならいいと思ったんですよね。
続編でもっと詳しくやろうと思うように。納得できた方が数名ってことを考えても25名の方が受けられたんで、これはもっと緻密にやっていく必要があろうというふうに説明していく必要があるでしょうと思いまして、続編やります。
精神分析の普及の必要性
続編もっとさらに詰めていきたいんですよね。でもそうするとタスクシュートが消えていく気がしますんですよね。でもそれはそれで、やっぱりタスクシュートと絡めることによって、精神分析直では興味が持てないという人にも刺さるのではないかと。精神分析直で興味を持ちたいという人はこの番組を聞くなり、それこそ4回セッションを試していただくなり、3ヶ月チャレンジにトライしていただくなりしていただいた方がいいと思うんで。
そこではタスクシュートを取っ掛かりにはして、ライフハックでもいいんですけど、でもライフハックって幅が広すぎて、ライフハックを取っ掛かりにしていると、そのライフハックに興味がないっていう人を、しかし精神分析に興味があるっていう人にとっては何かひどいものをお聞かせすることになるんで、だったらタスクシュートに興味があるかないかははっきりするじゃないですか。
そこを前面に出した方が私の立場としても、私のこれまでの活動からしても自然だろうと思うんですよね。そう思えるようになった。別にGTDでもいいんです。同じような話はできるんですが、私がGTDを広めたいと全く思っていないのに、それを使うのはいかがなものかとさすがに思うんですよね。GTDを通じて精神分析を広めたいわけですから、私。
精神分析を広めたいと言っても、精神分析を受けましょうとか精神分析家になりましょうとか、私受けたこともなったこともないのにそういうことも言えないんで、でも精神分析は広めたいというのをタスクシュートを通じてなら言って、私の立場上一部もしっくりくると。
そういうことで、この活動をなるべくこれから余裕がなくなっていくであろう中で、無理やりでも時間を作ってここにねじ込んでいこうと。やっぱりこのきっかかりがなくなっちゃうと、つまり私が精神分析の話だけをし始めると、タスクシュートで私と接して来られて、私に触れてきてくださった方を若干置き去りにするなという償いの気持ちがあるわけですね。
やっぱり僕はもう50過ぎてから償い一辺倒になり始めて、償わねばみたいなやや脅迫的な償いっていうやつになってるんですけど、でもやっぱり償いっていうのは人間的かなと思うんですよね。
割と動物は償わないと思うんですよ。償うというのは象徴的なものを理解していないと償う気。私の自分自身のヒストリーと関係があるじゃないですか。懺悔っていうのは結局過去の行いに対することをするわけでしょ。
記憶がなければ懺悔はしませんよね。悪いことしたって思わないわけですから。
これはやっぱり抑鬱ポジションにおける心象で、私は抑鬱ポジションにおける心象でやることは基本いいことだと思うんですよ。
抑鬱ポジションでやりたくなる心象って、つまり復讐とかリベンジとか一歩間違えたら処罰とか多罰とかそういうやつなんですけど、まあならないとは思わないんですけど、今や私はですね。
でも私としてはやっぱり抑鬱ポジションでやる行動はね、PSポジションに入るのは構わないと思うんですよ。
でもPSポジションに自分がいるという時には、極力動かないっていうのがいいかなと思っているわけです。
PSポジションとDポジションの話もですね、この次は入れたいと思ってはいるんですよね。
この後だけは世の中に広く広まっても広く広まってもいいと思うんですよね。
なのでコンテーニングの話ができたっていうのは一つの到達だなとタスクシュートの関連でって話ですよ。
コンテーニングの話だったらもう散々しまくってきましたけど、そうじゃなくてタスクシュートとの兼ね合いで。
タスクシュートセミナーの中でおかしくない形で浮き上がっちゃうんですよ、あれをやってるのに。
あっちだけが絡んだ感じがしない。絡めるってことが今の私のやるべきことだろうと。
絡まるものは、絡まらないものは無理やりやることはないんですけどね。
タスクシュート完全活用しか絡まないと僕は思うんですけど、タスクシュート完全活用とコンテーニング。
タスクシュート完全活用となるべくPSとDの話かな。
あるいはタスクシュート完全活用と象徴ですかね。
グリッドはちょっと行き過ぎだと思うんで、象徴ですかね。
この辺まで行けたら一つの到達点で新しい何かが見えてくるかもしれませんね。
続タスクシュート完全活用術、実践編です。私の実践編。
私はどういうふうに、面白くはないですよ。開始ボタンを押して終了ボタンを押す。
忙しいときは小さなシミュレーションをしながらそれをやってる。
忙しくないというか、もっとマクロにやるときは大分の時間の中でリピートタスクの中でプロジェクトっていう世の中で呼ばれてるものを回していく。
かなりJマスタキさんのタスクシュートクラウド2のデザイン思想設計に沿った使い方をあえて努力をして、これはJさんへの敬意という意味でですね。
私にとって必須だっていう意味ではちょっとないんだけど、敬意という意味もあり、これを活用しながらコンテイニングとコンテイニング。
そのコンテイニングの変形というものをですね。変形をお伝えしたいんですけどね。
前回ちつって言葉を使いましたね。胃袋も使いました。コンテナーは決して、コンテナって言っちゃうと我々は給食のコンテナみたいなもの、不変形なもの、形の定まったものを思い浮かんでしまうんですけど。
だからね、やっぱりペニスとちつって嫌なメタファーかもしれないけど、入ると形が変わるっていうのが非常にもうめちゃくちゃ大事なんですよ。
これがあるから私はタスクシュートの説明になるって直感できたわけですから。
タスクシュートというのはコンテナーとして見たとき、形が変わっていく。大きく動く。
その非常に生物的な部分、決してビーカーみたいにああいう無機質なものじゃない。
ああなったらうつ症状に限らなく近づいていくっていう固執って言ったりする。固くなるわけですね。固くなるんですよ、コンテナーが。
入ってはいるんだけど変形が効かなくなっていくっていう事態。
こういうふうにタスクシュートをしないようにしましょうね。
コンテインドは入れ物ね。ペニスに例えられるやつはタスクですよ。
タスクが入っていくと、タスクを入れる入れ物の形が変わっていく。
変わっていくじゃないですか。変わらない方がいいんだって考え方に囚われると逆算が始まるわけですよね。
ここももはやセミナーの中身に入り始めちゃってるんですけど、やめます。
なぜやめるか。やめないでほしいって思われるかもしれないけど、セミナーでしゃべるからいいだろうって話もあるんですが、そうじゃなくて。
ここはタスクシュートの話を控える。控えめにする。ゼロにはしないけど。
というのを目標にしているか。本題は別にあるんだよってことですよ。
ここでしか話せないことがあるんですよね。
精神分析をなぜ広めたいのか。そっちの話ですね。
こっちの話もさっきの話と僕の中では大した違いがないんですけれども、実際には。
精神分析的心理療法っていうのがありますね。
私は精神分析を広めると言っても、精神分析の正しい知識を情報発信するとかは全然考えてないんですよ。
そんなことは他の人がやればいい。精神分析がやればいいことなんですよ。
精神分析的心理療法の人がいるんだから。正規の人が正規正規ってこれほどおっしゃってるんだから。
そっちの人たちがやればいい話ですよね。
私がやることではない。私がやるのはこれを井戸端会議することなんですよ。
適当にこれについて言及する。
ダメだろうって思われるかもしれませんけど、そうではないんですよ。
これは正義とよく似てるんです。
正義の話は正しくないとできないってことになっちゃったら、左右両派があるだけでもうダメじゃないですか。
だって右から見れば左は大間違いだし、
左からの右なんていうのは頭が足りない人みたいな言い方をしている人いっぱいいるんですから。
知識人の方なんかでも。あれは良くないと思うんですけどね。
そんなことはいいんですよ。
つまり、左右があるということは井戸端会議するより他ないわけです。正解がないんだから。
正解がないということは言及するしかないと思うんですよね。
私は精神分析について言及するべきだと思っているので、
タスクシュートの実践方法
そうすることによって我々は相談する相談されるというものがもっと遥かに豊かになり得る。
そのためにはこれらを知っておいたほうがいい。
だから知るためには藤山直樹さんの精神分析の集中講義、精神分析集中講義、あれを読もうと。
しかしあれを読むのは骨が折れるし、あれだけを読んでも、
精神分析というのは精神分析ってそもそも何なのというのからの説明と外からの説明がいるんですね。
だから山崎隆さんの精神分析の歩き方を。
あれは精神分析の中のことはあんまり書かれてないんですけど、外のことが書かれてるんですよ。
精神分析と心理観戦、精神分析と心理旅行、精神分析とポスト。
ポストの本もできれば筆読に近いんだけど、一旦置いといて読む本増えるのは良くないんで。
精神分析の歩き方、つまり精神分析というものが、
タスクシュートって何ですかってなったときに、
タスクシュートというのはタスクの開始時刻と終了時刻を記録して、
見積もりの時間を出してリピートタスクをってタスクシュートの中にの説明してますね。
でもタスクシュート外から行くと、タスクシュートというものの他にタスク管理としてはGTDがあって、
精神分析の概念と誤解
マニアナの法則みたいなのもあって、何ならポモ泥テクニックみたいなのもあってってやると、
タスクシュートというものと類似の概念が相対的に説明されるじゃないですか。
特にこの両方がないと精神分析って何なのかが見えてこないという、
精神分析の心理カウンセリングの一種ぐらいに今の時代は思っておいた方が、
その言い方にも微妙にいろんな戦いがあるんですけど、
一旦脇に置いて、精神分析というものは横に並べるものは何なのか。
認知行動療法とかね、そういうふうに考えていくことによって見えてくるんです。
精神分析が一種の哲学的な言葉遊びみたいになっているように感じられている間、
あるいはフロイドというかなりエキセントリックで天体的なおじさんの編み出した、
特別なイデオロギーであるみたいに思っている人も間違いなくいる気がするんですね。
そういうことじゃないです、あれは。
あれは治療の技法だったはずなんです。
人生相談の一種ですね。
100年前に考案された、ある意味ブルジョア人向けのめちゃくちゃ深刻にやった、
人生相談の一種だと私は思っているんですね、今は。
当時は、読む前はさっぱりそうは思っていなかった。
さっき言ったようなフロイドという天体的でエキセントリックなおじさんの、
ある種独特のイデオロギーを哲学化して、
ある意味それで自己啓発を始めちゃった、
やばい人たちの集団ぐらいに思ってたんですよ。
だけどなんか世界的に有名になれましたみたいなね。
この説明で、いやいやその通りじゃんっていう人すら、
詳しい人の中にいるかもしれませんが、
私はそれは今では同意できない。
あれはすごい大真面目にやった人生相談から出てきた、
心のモデルっていう感じがするんですね。
で、中でどういうことをやったかの説明が、
精神分析集中講義に集中的に書いてあります。
それを外から眺めるとどういう位置づけになるのかっていうのが、
日本では特に精神分析の歩き方に詳しく、
相談者とリテラシーの重要性
山崎貴昭さんの本に詳しく書かれています。
あれ以上詳しいのはちょっと現状を期待できる気がしない。
で、この2冊で大体のことは分かるはず。
2冊って言っても上下文があるんで、
集中講義は3冊になっちゃうんですけど、
多いんですよね。長いんですよ。
でも、しょうがないんですよね。これぐらいはいい。
プラスっていうのが嫌なんですけどね。
プラス可能ならば、ここまで読めばですね、
おそらく理解されると思われる、
松木邦博さんの不在論。
これを読めばですね、なんかこう、全体的に、
少なくとも井戸端会議は十分やれるようになるはず。
なんなら奨励堂羅かな、フロイトのですね。
フロイトの奨励堂羅は精神分析ではないって言われると思うんですけど、
確かにそうなんだけど、でもあそこに間違いなく
精神分析というものが生まれる最大のきっかけがあったと思うんですよね。
あれを読むと人生相談であるっていうのがよくわかります。
間違いないと思う。
で、なんでそういうものを私が、
人の本ばっかりじゃないですか。
自分の本を広めとけば、まだまた娘の
なんかよくわかんない研修とか
そういうお金を、要するに学費ですよね。
稼げるのに人の本ばっかり広めてても
ちっとも金にならないんですけど、
これをなぜ広めたいかというと、つまり私の仕事はそれなんだ。
今、私が思っている私の仕事は
基本的にはこれなんですよ。
というものに対するリタラシーが上がっていくこと。
なぜかというとですね、
人の相談に乗る、ないしは人に相談するということは
必ずここです。
ものすごく検討されてきた
難しい問題にぶつかるはずなんです。
私はぶつかっているんですよ。
考えてみると3ヶ月チャレンジとかやる
はるか前からぶつかってたんですよ。
ぶつかるたびにわけのわからない対処法になるもので
対処しようとして、
自らの傷口を広げていたように思うんです。
まず、みんなこれで楽になるし、
みんなこれで相談する相談されるということから
かなりのものが得られるようになるはずだと
僕の思い込みかもしれませんけどね。
そんなことにはならないかもしれないと
なるんじゃないかなと期待するわけですね。
それは何かプラスになるのかというと
私としてはそうすれば私の仕事が
今後ますますスムーズに
入門スムーズになってきたなと思うんですけど
でも最初はすごいカードル高かったんですよね。
なんで高かったかというと
誰もこうは思ってなかったんですね。
精神分析とか精神力量というものに
誰も何の期待もしていないようなところに
ボーンと持ち込んでもですね
よっぽど私の活動を見ていてくれる人でないと
全然ご興味持ってはおられない。
だから私はそういうつもりは
必ずしもなかったんだけど
このポッドキャストとかをやっているうちに
あの手この手があの手この手として機能するようになってきたんですね。
これはもう精神分析的に説明できるかもしれませんが
できないかもしれないけど
まさに氷壇から駒なんですよ。
なんで僕これをやろうとしたのかとかはわからなかったんですよ。
今思ってよくわかってないんですよ。あの時の気持ちっていうのは。
精神分析の課題と実践
でもこれならやってられるなと
喋ってるだけなんで。
倉園圭三さんがまさに正確に言ったんですよね。
あれだって喋ってるだけじゃん。あれが一番いいんだよって
倉園さんが言ってまさにそうなんですよ。
喋ってるだけなんですよ。これは何の準備もなく
倉園さん形から入るっておっしゃるくらい音質とか
収録環境とかにこだわられるんだけど
僕は本当に風呂場の前で今も風呂場の前にいるんですけど
喋ってるだけなんですよ。iPhoneに向かって。
でもこれなら私はやれるんですよね。
これ以上のこともこれ以外のことも私にはできないんだけど
これならやれるんですよ。でたまたまこれをやっていたら
私の仕事にこれなりに貢献してくれる
私の仕事の規模ならばという意味ですよ。
いわゆる先日ピボットに出されてもらいましたけど
ああいうことは私には無理です。あれはメディアの仕事ですよ。
これはメディアは作ってるけどギリギリ
スタンデフェイド。
でもこれはねメディアの仕事ではないですよね。
なんかよくわからんやり方ですよね。
だからものすごく空発的にうまいこと見つけたんですよ。
動画やりますけどそのそのキンキン
動画は果たして動画はほら既に意図的なものがある
だって意図はあるんだけどこれは本当にふわっと始めちゃったんですよね。
なんとなくです。
意図はさっぱりわからないんですよ。自分にも。
しかしうまくはいった。
こういう空発的なものがないと多分私自分のこの仕事は
うまくいってないだろうなと思うぐらい
この仕事にまつわるハードルというのかな。
狭きもんですよね。
何がどう狭いのかわからないけど広くはなくて
今なにこれを再現させる方法って何も考えつきませんもん。
どうすればこれができるようになりますかって人に聞かれても
全然わかりません。
多分公認心理師になったほうが早いですって思っちゃいますね。
それぐらい無謀なやり方だと思うんですよね。
わからないですけどね。
実はやれば広がるのかもしれません。
ただ私がやっていることは精神分析を広めること
精神分析について言及できるようになっています。
精神分析について井戸端会議をすること
これが私たちの情緒的な不安や
例えば夫婦関係
ないし仕事ができないとか
身の回りのごく簡単な些細なことが
ものすごく滞るとかいった
ライフハックで解決しようとするのが
うってつけですぐできそうなんだけど
いつまで経ってもできないというのが
課題を抱えている方には必要なことであると思うんです。
精神分析にはいきなりここから
強烈にど真ん中なんですけど
精神分析には非常に重要で
かつヒント化っていうような重要な
法則がある
方針がある
匿名勤力中立と言います。
私が精神分析に関しては
まず相談を受ける人は
知っておいた方がいいと思うのは
こういうことが書いてあるからなんですよ
匿名勤力中立
無理。全部守ってたら
私のところに人が一人も来なくなります。
だって匿名ですよ。
誰かやってるのが基本わからない方がいいって言ってるんですよ。
これって結局どんなに私がマーケティングが下手であろうと
ブランディングが全然なってなかろうと
佐々木翔吾って名前は
いろいろ偶発的なことがあり
いっぱい出させてもらったり
一時的にはブログがバズったことがあったりしたから
人が来てるわけじゃない。佐々木翔吾とはこういう人間です。
佐々木翔吾はこういうことをやってます。
私は異様なほど暴露的じゃないですか。
そういうところがあるんですよ。私。
これがない方がいいわけです。匿名だから。
でもここで僕が匿名になっちゃったら
気はしないですよね。
1回1万円で相談してください。名無しです。
でも心理相談そういうところあるじゃないですか。
精神分析はしてあるわけですよ。精神分析って日本どこで
そもそもやってるんだかよくわかんないじゃないですか。
日本で流行ってなさすぎるんですけど
匿名の医者に行くかっていうことですよね。
自分の病気が深刻かもしれないと思えば思うほど
なんか聞いたこともない誰も知らないような
お医者さんのところに行って
何病にかかっちゃったんだけど行かないですよね。
だから匿名ってのは最初からめちゃくちゃ無理がある。
なぜフロイトは匿名とか言ったんだ。
クラインも言ってるんですけど。
彼ら有名ですけどね。
なぜ匿名とか言うありえないことを言ってるんだ。
で中立と言うやつですよ。
中立ね。
昔浅田真央さん人緑さんかなが
浅田真央さんの話をしていた時に
テレビ番組で笑い取ってただけなんですけど
やっぱりもうちょっと素直になるといいかなみたいなことに
素直であるってことが
ポーチングみたいななんかではすごく言われるじゃないですか。
素直になるといいと。
素直に指導者の言うことを聞きましょうねみたいな。
わかりますよ。
ライフハックだとしても。
でも素直である方がいい。
中立じゃないでしょうね。
私はこういうところで相談を受ける人が
精神分析を読み込むということによって何が起きるか。
自分は一体どうしたらいいんだろうっていう
本気で読めばね。
それこそ素直に読めばね。
中立ですから。
素直がいいって全然中立じゃないじゃん。
酔ってるじゃないですか。
なんで素直がいいんですかっていう話ですよね。
めちゃくちゃひねくれてる人はダメなんですか。
なぜあなたにダメだって言えるんですか。
あなた中立じゃないんですかって話ですよね。
でも一方で素直な方がいいですよねっていう
素直はダメだとは言えないじゃないですか。
中立なんだから。
中立って無理なんですよ。相談を受けておきながら。
この無理をこの人はなぜ強いてあえて言ってるのかっていうのに
復元する必要があると思うんですよね。
相談を受ける人。
で、禁欲です。
夫婦仲が良くありませんって
すごい辛そうで、すごい同情しそうになる。
人が女性だとしましょう。
私は女性に同情しがちなんで。
昔から欲しかったことの守りもありまして。
そうか。夫婦仲が良い方が良いよな。
禁欲はどこ行ったってことですよ。
私が夫婦仲が良くなってほしいなと思うのは欲望ですよね。
私。中立禁欲匿名。
いないに等しいですよね。そこにね。
そこにいちゃダメだろって話に近いですよね。
そしてじっと耳を傾ける。
一体それが何になるんだとか思っちゃダメなんです。
何かにしようって思うのは欲望ですよね。
どうしたらいいんでしょうっていう風に聞かれたとき
禁欲と中立の重要性
どうしたらいいんでしょうねって感じになるはずなんですよ。
欲望がないならば、禁欲的なら。
どうしたらいいんですかって言われたとき
どうしたらいいか答えないと。
役に立たないやつだと思われるのは嫌だって思ったら
それは禁欲に反してますよね。
そして答えちゃうのはもっと禁欲に反してます。
中立にも反してますよね。
だから中立と禁欲っていうのは相談を受ける仕事をしている人は
みんな読んどっていいと思うんですよ。
どうして禁欲がいいのか。
でも自分の禁欲には慣れないんだけど
そうするとどんな害が起きるのかっていうのを
どうしてジレンマにぶつからないと
相談を受けるときには必ず発生するであろうジレンマに
耐えられなくなってしまうという問題があるわけです。
問題が起こるはずなんですよ。
タスクシュートのセミナーをやっていたときすら
すでにですね
めっちゃ理想を勝手されることが起こるわけですね。
佐々木さんの言うことなら何でもその通りだと思うし
ぴったりいつも来てくれるし
めちゃくちゃありがたいじゃないですか。
一人でも多くの満員にほど遠いときなんて
真っ先に申し込んでくれるし
理想化されるわけですよ。
理想化されると欲望が燃えますよね。
その人のためにいろんなことをしてあげようとか
安くしてあげようとか
何回も来てくれるんだから割引を用意しようとか
すべて僕の欲望ですよ。
フロイト読むのはめんどくさいんで
だから山崎隆さんの本なりホストなりを読みましょうと
金欲どこ行ったってことになるからなんですよ。
欲望が必ず猛烈に掻き立てられます。
ある種の人に
理想化される人には絶対なるはずです。
どんなに謙虚な人でもおそらくなるでしょう。
あなたほど素晴らしい人はいません。
世界でもこんな話聞いたことないですみたいなことを
言われてみれん。
東大での人からとか綺麗な女の人からとか
イケメンな男性からでもいいですよ。
めちゃプッシュされるわけです。
しかも自分が抑えてる分余計
そういう刺激を受けるわけですよ。
多くの人に来てほしいと思っても
全然その辺はあれですよね。
それこそブロックを外し合ってるっていう人もいらっしゃるでしょうけど
多くの人はブロック外せてないんで
ありがたいな、一人でも来てくれるのありがたいなってなっちゃうんですよ。
10人とかでも2人とかがずっと続いてると
3人目とかめっちゃ嬉しくなるじゃないですか。
気によくどこ行ったってことになるわけですよ。
それは欲望を掻き立てられてますよね。
自分を卑下したい欲望もダメなんですよ。
私ごときの話を2人しか聞いてくれないのに
あなたいつも聞いてくれて本当にっていうのは
欲望を剥き出してるじゃないですか。
いったら自己卑下的で自己犠牲的でも
それは欲望なんですよ。
自分を下げたいという欲望に沿ってますよね。
自分を下げたいという欲望に逆らえなくなってますよね。
だから気によくどこ行ったってことなんですよ。
中立じゃないですよね、その良い部分。
私の話はつまらないとか
私の話はつまらないようでも実はためになるかもしれません。
クライアント中心のジレンマ
中立って無理ですよね。
絶対に仕事をしようとしてる以上を。
なのにプロイトはよりにもよって
いっぺん位置で相談を受ける。
しかも極めて深刻な相談を受けるところで
中立、禁欲、匿名なんです。
彼が裁判年にもなってそんなことを言ってるというのには
よっぽどの理由があるはずなんですよね。
このよっぽどの理由を書いてある以上
守れはしなくても知っておいた方がいいと思うんです。
匿名と言いながら
集合ですよね。
集合って一度機動に乗っちゃえば維持できるかもしれないけど
最初から集合を受ける人なんかいるはずないじゃないですか。
匿名の人間に人生相談で。
毎日毎日来いってことですからね平日。
会社に来る前に絶対来いみたいな勢いですから。
あるいは会社終わったら絶対来いみたいな。
事務行かないで来てくださいってことになるわけです。
しかも禁欲的に、中立的に。
事務よりこっちの方がいいですじゃないですか。
事務行かないでこっちに来てください。
私はそれを望みませんがみたいなノリです。
頭おかしい人の言い分じゃないですか。
これはできてないけど私にはもちろん。
でもこれが必要だっていうのはよくわかるんですよ。
本当によくわかるようになったんです。
訳わかんないこと言ってるじいさんだと思ってたんですけど
訳わかったんですよ。
ただできるようになったわけじゃないしフロイドだってできてないです。
これも結局基本姿勢のことを言ってるんですけれども。
ここで精神分析では禁欲だ中立だっていうことを
例えば松木さんのような人が
禁欲とはとかスクリプトはとか
いかにそれが重要で
破る奴は精神分析なんかできるはずない
みたいな勢いになった時に
読んでいて私が考えるべきことは
しかし私は精神分析をやってないってことです。
これは超重要なんです。
ある種の心理臨床の人たちは
やりたいぜひやりたい
しかし私たちは精神分析ができない
精神分析的心理療法サポーティブセラピー
ポストっていうようなものができたんですよ。
だから私はポストの本を勧めたくなるんです。
それは説中案だよねと。
この説中はどうして許されるようになったんだろうか
っていうこと。これをやっぱり私は知っておくべきだと思うんですよね。
できなくてもいいから。中語は無理です。
それは無理ですよね。つまり
そこまで患者さんに負担を強いるからこそ
ここまで禁欲的なことを精神分析化を目指す
っていうのは分かるんです。
患者さんの負担は大きいじゃないですか。
毎日毎日1万円。毎週毎週週5日って
めちゃくちゃ大変。時間もかかるし
お金もかかるし。1分時間と精神分析貧乏みたいな
マック貧乏みたいなね。なっちゃうじゃないですか。
これだけの負担を患者さんに強いる以上は
精神分析の課題
最大級のものを
捧げる必要がありますよね。最大級のもの
というのは何かというと患者ファーストですよ。
最近の流行りの嫌な言葉ですよね。
クライアントファーストですよね。クライアントファースト
ということは分析家の欲望とかをそこで
全面に出してる場合じゃないわけですよ。
クライアントがど真ん中。クライアントセンターなんて当たり前なんですよ。
ロジャーズなんてフロイトからすると今更なのかもしれないんです。
クライアントセンターなんて当たり前じゃん。
患者中心に決まってるじゃん。
患者優先じゃん。患者が
全てじゃん。お前の思想的に
偏りとか素直なほうがいいとかそんなこと言ってる場合じゃないわけですよ。
素直なほうがいいとか
論外なんですよ。患者様が絶対なんですよ。
だとするとできることは何?中立的であること。
勤力的であることですよ。
私がこの患者さんに例えば
夫婦で骨育ての方針が
違うんですっていう話がものすごく辛くて
夫は好きなんだけど夫の言い分がどうしても受け入れられなくて
でも子供のことも可愛いしって言ってる人に向かって
もうそれはね
夫婦仲良くなるためのライフハックになるものとか
感情的な寄り添い方を教えて差し上げたいから
ぜひ教えて差し上げましょう。
だめじゃん。全然。クライアント中心はどこ行ったってことですよ。
それは相談を受けた人中心良好じゃないですか。
結局お前のなるし気分を満たそうとしてるだろうっていう
そういうことになっちゃうんじゃないですか。
あんたのなるし気分が気につくのが怖いんでしょうってことですよね。
そこでブロイトのように
あのお子さんが言うこと聞かないんですかね。
ただ言っていて
しかも週に5回も来てる人に
ただそれを言っていて
あなたはとてもお子さんが
この状況になって聞かないで
この状況になって聞かれていないのが苦しいんだと思うんです。
ふざけんなって感じじゃないですか。
1時間で1万円も払ってて。
下手すると月に20億円とか払っててこれですからね。
フロイトはバカだみたいに思うですよね。
思いますよね。変異が起きますよね。
こいつ何の役にも立たないって思いますよね。
ここで絶対に普通の人ならば
両親的な人なら傷つくはずなんですよ。
もっと言ってあげたいっていう気持ちに負けると思うんですよね。
役に立てるのかどうかも分からないようなラインパックとか
もっと寄り添ってあげたほうが
早くこの人は楽になるのではなかろうかって思っちゃうじゃないですか。
早く楽にしてあげたい。
それはお前の欲望だろうってことですよね。
なぜそれに従っていいと思っているんだと。
本当にそれで絶対に
夫婦なり家族なりお子さんなりにとって
それが100%間違いなくいいことだと言い切れるかって言うと
僕は絶対言い切れるはずがないと思うんですよ。
だから中立でなきゃいけないはずなんですよ。
それがいいか悪いかが究極的に分かってもいないのに
自分の気持ちを優先して
患者さんに何かを押し付けるということを
是としていい理由って一方ないはずなんですよね。
っていうことに相談を受ける人っていうのは
そういうジレンマに直面することになるんですよ。
週5は大変ですよねと。お子さん無権ですし。
週1回にしましょう。
それはお前の欲求だよと。
そうした方が相手がいいだろうと思って
自分の心が落ち着くんでしょうっていう。
そうやって心を落ち着かせていいと思ってるんですかってことになっちゃうわけですよ。
そんな風には言われないんですけど別にね。
週1にするの妥当じゃんってことになるんですが
妥当なものを選びたいという欲望が
既に禁欲的でないってことですよね。
別にだからここで僕は精神分析を読んでおきましょうと。
そうすれば精神分析なんて無理だってことが
分かるはずなんですよ。
そうすることによって
例えば自分は精神分析やってないしなって思えるわけです。
っていうことは
何かしらのリスクを取らなきゃならないなってことになるはずなんですよ。
ここでアドバイスをしてしまうとか
取ってつけたようなライフハックをしゃべっちゃうということを
やらかすということをするよねと。
でもするんですよ。
そしたら失敗になりますよね。精神分析としても。
失敗は必要だとミニポッドみたいな人が言い出すんですよ。
精神分析下でありながら。
そういう失敗は精神分析下はするよね。
禁欲中立が常に守れるわけじゃん。守れるはずないじゃん。
いつもいつもクライアント中心、クライアント優先
クライアントが何もかもクライアントのために動くなんてことは
実際には無理だよね。
赤ちゃんが中心でゼロサイズなんだから
赤ちゃんのそばにぴったりで赤ちゃんの欲求を
満たしてあげるような母親のように
あるいは父親のようにあるいは馬のように
そういう風に精神分析下は
動くべきだけど無理だよねっていう。
あれはよく分かる。だってうちの父親が坊主だ。
心霊さんが真夜中にノノノノノノみたいなの
やんないですけど、でももっとひどいですからね。
ガシャガシャガシャみたいな。
よしよしこんな話聞いてくださいみたいな感じで。
寝っばっかりなのに酒飲んで。
話すことはわけわかんない話なわけですよ。
心霊さん中心ですから。
24時間坊主に私欲があっちゃダメですからね。
そんなこと言ったって寝たいじゃないですか。
だから無理なんですよ。
無理なことを求められる仕事になっている。
構造上です。だからそこにはジレンマがある。
土台につけたいと思うでしょ。
うちの親父も土台につけたりしてます。
でも話は聞く。あの失敗が必要なんですってことすら
精神分析の中にはあるんです。
精神分析とジレンマの理解
こういう失敗は必要なんです。
だから知っといた方がいいと思うんですよね私は。
理想化されて持ち上げられるじゃないですか。
セミナーでラスクシュート万歳でヒカキンさんは素晴らしいですと。
人がいきなりどっかブログとかで
佐々木バカだ死ねみたいなこと書いてあるわけですよ。
こう書いてないんだよ。もっと厳しいですよ。
ある意味僕の内立の一番厳しそうなことが書かれていて
なんか自炎上してるわけですよ。
なんなんって思うじゃないですか。
これが理想化と脱価値化なんですけど
こういう目にあったときに
こういうことが起きたときに
こういうことを引き起こさないためにも
困った人の対処法というぐらい確保しておいて
とてもあなたを持ち上げる人は危険ですから
あまり深入りしないようにしましょうって。
絶対ダメだろそれじゃって僕は思うんですよね。
それじゃ何にもならないじゃないですか。
やっぱりこの時何が起きたかぐらいは
認識しないと。これを危ないから
君子綾之に近寄らずじゃないですけど
危ないから近寄らないライフハックをいっぱい徹底させる
ということは対人援助はしたくないですって
言ってるようなものじゃないですか。対人援助したくないのに
どうしてライフハックを進めたくはなるんだっていうような話に
実は矛盾した問題に自分の中で
ぶち込まれているはずなんですよね。
ジレンマの中に最初からいるだろうってことですよね。
素直に聞けない人は最初から来ないでくださいって
言ってるんだら別ですけど
誰でもいいから来てくださいって言っておきながら
対人援助を起こす人は嫌ですっていうので
最初からジレンマを抱え込んでるわけですよ。
このジレンマについてのいろいろ詳しい説明がある
精神分析というものを知っておくことによって
このジレンマというものに真正面から向き合うという
仕事は自分にはできないんだなぜだろうっていう風に
考える必要がある。
必要にいつかとか。不可能じゃないです。
やってることが全然違うことになってしまいますよね。
ライフハックでもなんでもないですよ。
メディアに露出とかもできなくなりますし、匿名だから。
なぜ自分はこれは無理なんだろうっていうことを
理解することによって対処法じゃないものが
出てくるわけですよ。
どうしても怖くなくなっていくわけですよね。
これで何かを書かれるということによって
起こることって何なんだろうと。
理想化と脱カチ化ってそもそも違うことなんだろうか
っていう風に考えられるようになっていくわけですよ。
そうすれば不快かもしれないけど
それともそんなに恐ろしかったり
危ういから近寄らないようにしておこう以外のことが
十分検討できるようになるはずなんですよ。
そんなことを検討するために精神分析なんて
知りたくないかもしれないですけど、私が言いたいのは
最初から抱え込んでいるジレンマについて
知っておいた方がいいはずです。
対人援助の複雑さ
どうしてかっていうと、その種のジレンマこそが
相談者が抱えているジレンマなんですよ。
それは部屋片付けたいに決まってるし、
夫婦仲良い方が良いに決まってるし、
夫婦で子育てについての意見が合ってる方が良いに決まってるし、
人の話を素直に聞けた方が良いに決まってるし、
終わったことについてくよくよ悩んでてもしょうがないことは
わかってるし、ネガティブに管理かえるよりは
ポジティブ思考の方が良いってこともわかってます。
松木国宏さんが書いてました。
だけどっていう言葉がすぐに出てくる。
このだけど以下を聞くのは相談を聞く人です。
その究極的な形の一つが精神分析ですよね。
43:43

コメント

スクロール