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  2. 客観的ではない「方法」【1096】
2024-11-26 46:29

客観的ではない「方法」【1096】

医療モデルではないモデル。
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00:06
おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト第1096回をお送りします。
1096、間もなく1100には到達しそうですね。
まあ、もはや1100ってなんか全然霧の良い数字には聞こえないので、
次目指すとすると1万ですかね。でも1万いくかな。1万いくとなるとあと9000回行かなきゃならないわけですよね。
9000回近く。9000回ってのは、まあ年300回やるとしても300回できてないんだけど、
でも300回だとしてもあと30年かかるから、私80になっちゃうんですよね。
80になるまでこれ喋っている意味が果たしてあるんだろう。
まあ、そんなこと考えてもしょうがないんでやめますが、
11月26日火曜日の朝7時58分、少し遅くなりました。
何しろ寒いんでね、細々とした準備がやっぱり必要になってきまして、
今日は他にも細々としたやることがありまして、この時間になったわけです。
はい、お知らせがあります。
なんか全然関係ないことをお知らせしているようなんだけれども、
タスクシュート総決算、12月14日、何しろ私も主催者の一人ですからね。
だからすごく関係があるわけですね。
このポッドキャストの中身とあまり関係がないかもわかりませんが、
私自身がやっているという意味では、この3ヶ月チャレンジも、
ポッドキャストもタスクシュート協会も等しく関係があるわけで、
12月14日のタスクシュート総決算もぜひ来てくださいといったところですね。
オンライン参加もできます。
オフラインは東京で銀座でやりますので、
朝10時から16時まで、懇親会まで含めると19時まで。
昨日指摘されて改めてそうだよなと思ったんですけど、
そうなんですけども、最初からオンラインでも9時間ってなかなかないですからね。
いろいろとご準備していただいて、
なるべく長丁場にも苦しくならないように参加いただければと
参加される方はですね、思います。
もう1日あれですね、年末の1日はそれに費やしてみるといった感じです。
それなりに面白いお話もいろいろ出るんではないかと。
私も喋るんですけど、久しぶりにかなり長丁場で。
考えてみると、これは別として単独で長丁場で人前で、
それもそこそこ大勢の人の前でお話しするというのは対談とかではなくてね、
かなり久しぶりなんじゃないかと。
いったいいつ以来なのかも思い出せないレベルなんじゃないかと思うんですよ。
03:00
あれですよね、新宿だったかな。
先般、J松崎さんとの協調で話したんですけど、
確かにあれは人前で多くの人を前に話したんですが、
あれは長くなかったんでね。
出版記念パーティーってとうとうと著者が喋るような中身にならないんですよ。
長くはなかったんであれだったんですけれども、今回長いんですよね。
長く喋ります。どういう話をするかは一応書いてあるんですけれども、
あれに沿っているもののどんな話をするかはまだわからないところも多々ありますので、
よろしければぜひいらっしゃってください。
あるいは聞いてやってくださいといったところです。
では本題ね。
本題といってもこれもまだ何も考えてないわけですけれども、
昨日から生を取り戻すだったかな。
トーマス・オーグレンさんの最新の翻訳書を読んでいて、非常に素晴らしくてですね。
ややようやく久しぶりに松木さんそっちのけでこればっかり読むというタイミングがやってきてるんですね。
書いてることは、書いてるっていうか中身は松木さんの本と別に違いはないんですよ。
違いはないんだけど全然違うんですよね。
これが精神分析のいいところだなと思うんですよ。
フロイトの本、そしてクラインの本、藤山直樹さんの本、
川田海人さんの本、山崎孝明さんの本、
なんなら北山治さんの本ね、
土井武夫さん、そしてトーマス・オーグレン、ビヨン。
全然違うんですよそれぞれ。
同じ分野の話をしてるとは、用語も同じで分野も同じなんだけど、
今言った方々しかも比較的思考法も近い方なんですが、全然違う。
一人一人が全く違う。
ここがどのすごい面白いんですよね。
小説に似てますよね。小説ってジャンルはあるじゃないですか。
小説って相互に似てるじゃないですか。
何らかの理由で小説って似たものですよね。
例えば、なんだ何がいいかな。
例えば風と共に去りぬと、あんな華麗になった。
どっちも間違いなく小説ですよね。
そしてどっちも間違いなく恋愛を扱ってますよね。
どっちも間違いなく長編ですよね。
我々から見ればずいぶん古い話ですよね。
そして両方全然違いますよね。
似てるって感じがするとすると、相当独特の観点をお持ちだと思うんですよ。
読んだことがないってこともあると思うし、別にお勧めは全くしませんけれども、
全然似てないと思いますね私は。
これをさらにジャンルを絞って、日文字とあんな華麗になる。
06:01
どちらも不倫扱ってます。
全く違いますね。長さが違うとかじゃないですよ。
全く違うと思いますね。
でも小説じゃないですか。テーマ不倫じゃないですか。
そっくりであってもおかしくないですよね。
でも全く違いますよね。
それぐらい違うんですよね、精神分析って不思議と。
受けるインパクトが違う。
同じこと書いてるのにね。
しかもその両者同じような価値観に沿って同じような仕事をしてるんですよ。
しかもその仕事について書いてるんですよ。
なのに全然違う。
というのがすごい良いところだと私は思うんですよ。
これはね、間違いなく認知行動療法だったらそうはならない。
僕の知ってる限りだと。
よく似たものになってしまう。
まああの、かわいい話になってれば、
そっちが認知行動療法は今足りてないんだと思うんですよね。
いろいろ制約があって。
いずれ出てくると思っておるんですけれどもね。
そういうものを認知行動系で読みたいなと思っています。
誰か書いてくんないかなと。
これも外国が先かなと思うんだけど、
そうでなきゃいけない理由はないんですけどね。
実際僕の本読んでいても思うんですけど、
松木さんとか藤山さんの方が読みやすいんですよ。
理由簡単で、翻訳というものがネックになりがちなんですよ。
この精神分析っていうのは。
今回翻訳している人はすごい背景事情等も詳しい方が翻訳されていて、
たぶんすごい良い役なんだけど、
それでも翻訳は翻訳なんですよね。
文化の違いが如実に障害になってくるのが精神分析の特徴の一つだと自分は思いますね。
とにかく昨日ちらっと言ってほぼ取り扱えなかったんですけど、
週5と週1じゃまるで違ってきますからね。
週5だともうこういう話がバンバン出るんだろうな実際っていうのが、
週1だとそんなに簡単に出ないですよねやっぱりね。
今日はトーマス・オグレンの本を読んだ影響を受けてですね、
今まで松木さんとか転移とか長寺賀とかに、
長寺賀は別に松木さん、長寺賀って滅多に使う言葉ではないって、
でもしょっちゅう使うか。
でもそんなにすげー出てこないんですよね。
で、なんか最近長寺賀に偏ったなって思ってたんですけれども、
話が急に触れます。
まあこれもやっぱりね、読む本書いただけでこうなるっていうのが、
感覚印象というやつの違いが生み出す効果なんだと思う。
効果というべきなのかわかりませんけどね。
とにかく私は3ヶ月チャレンジ、このポッドキャストも同じなんですけれども、
で、医療モデルというものから離れたいっていうのがもう炎前とあるわけです。
炎前とあるわけです。
世の中は医療モデルがバズるんですよ。
これは僕がそういう見方をとっているからそう見えるんだろうけど、
09:01
Xとか何でバズってんだって基本同じなんですよ。
医療モデルなんですよ、原則的には。
医療モデルっていうのは、ごく大雑把に2つの特徴を徹底的に備えている。
1つは、客観的に正しいとされるサービスを提供している。
1つは、2つ目ね、物質ないし身体を扱っている。
以上なんですよ。
目に見えるもの、電子顕微鏡とかじゃないと見えないケースもありますが、
いずれにしてもでも視覚に捉えられるところを扱っている。
物体だってことです。
物体なんですよ。
物体を扱っていて客観的に正しいとされるものを提供する。
そういうモデル。
必ずこれをやっているとは限らない。
これをやるとまずいケースがある。
なぜなら医療になっちゃうから。
医療行為は素人には許されていない。
だから医療モデルをライフハックとか仕事術とかでは扱っている。
僕はこの医療モデルを採用しないんですよ、3ヶ月チャレンジは。
これが3ヶ月チャレンジの最大の特徴であり、ほぼ唯一の特徴。
僕はやっていることはオンラインで対面で話をしているというのが
ワンオンセッションとか個別のアドバイスとかコーチングにそっくりだということは認めます。
オンラインカウンセリングと言われているものともいうそっくりになります。
ただし、これは私は医療モデルを廃していますから確実に。
なぜなら私は正しく有効な情報なり方法論なりを提供しませんと。
今後はっきり銘打とうかどうしようか考えているんですけれども、
はっきり銘打つとあまりにも不利っぽいかなと思って、
今のところはっきりは銘打ってないですけど、
基本的に必ず冒頭・後頭ではこれに近いことを申し上げます。
その必要が必ずしもないなという時もありますけど、
これをある程度以上ここに疑問を持たれるようなことがあれば必ずこれをはっきりと結構言います。
客観的に有効とされるメソッドなりメディスなりは絶対提供しません。
というか提供する能力が私にないのと、提供する意思も私にはない。
提供する動機も僕にはない。
この3点があるので、つまりこれは医療モデルではありませんということですね。
それダメじゃんっていう人はこれを受けちゃダメなんですよ。
つまりそういうことなんですよ。
だからこれは事前には言っておこうと極力思ってるんですよね。
奥田がこれについて書いていて、やっぱりいいなって思うんですよね。
いいっていうか、非常にそうなっていくしかないよなっていう精神力度というものはですね。
そうなっていくしかない。
彼は説明と理解の違いっていうふうにここのところを書いていて、
私が言いたいことをもっと遥かに洗練された言い方をされているわけですけれども、
12:05
つまり説明というのはこれまでの古典的な解釈モデルなんですよね。
あなたは今こういう状態にありますという解釈をするというのは説明ですよ。
説明を与えている。
結局その説明は少なくとも正しそうだという、
ウィニコットがそこをすごい逆説的に言いましたけど、
だから奥田は明らかにウィニコットを踏まえているんですけれども、
そう思うんですけどね私はね。
解釈は私はあなたがこうこうこう思っていると思ってますってことですよね。
それはすごくすごく逆感的に正しいこと言ってるわけじゃないぞって言ってるんだけど、
それでも奥田はもっと先へ行きたいっていう話をしてるわけですよここでは。
それは結局何を目指すことになっているかというと、
母親と子供のモデル、母子モデルなんですよね。
相変わらず母子かよって感じですけどこれなんですよやっぱりね。
母子は体験をしているのであって赤ちゃん説明を受けてるわけじゃないですよね。
ミルク欲しいのねって言うかもしれないけどお母さんは、
ミルクが欲しいとあなたは思っているんです。
そういう説明を受けてあなたわかるでしょうみたいなそういうんでは全然ないじゃないですか。
そういうつもりもないじゃないですか。
ミルク欲しいのかどうかもわかんないわけじゃないですか。
共同作業だということですよ。
2人で理解しようと頑張るみたいなモデルなわけですよ。
医療モデルではないわけです。
2人で理解しようと頑張っちゃダメじゃないですか。
お医者さんと患者さんはこれまでの医療モデルにおいて、
これ虫歯かどうか2人で明らかにしていきましょうっていう会社なんで、
絶対誰も来なくなりそうじゃないですか。
そういうことではないですね。
C2レベルだからこうしますみたいな、
その客観的に正しいことをお医者さんは知ってるわけですよ。
もちろん今は昔と違って、
じゃあということですぐ針グサグサ刺してガーって削り出すっていうことは流石に乱暴にはやらなくて、
患者さんがどうするやるみたいな。
でもあれやると一択じゃないですか結局。
患者にはわかんないわけだから。
だからあれは医療モデルなんですね。
医療モデルというのは基本的に正しい情報を提供する。
正しい治療を提供するんですよ。
明らかにビジネスのメソッドなりコーチングなりも、
どんなにここをマイルドにしていても、
医療モデルであることに僕は変わりはない。
だって適応的な行動を促進するっていうことになってますからね。
促すということになってます。
促すからには促す方向がさっきり決まってるケースが多いわけじゃないですか。
しかもそこをマイルドに頑張りますっていう話をされてる方は、
だいたい力量があるんですよ。
だいたいこれだとちょっと悪口っぽくなる。
でもしょうがないですよ。
だいたいもっと簡単にやらないとバズらない。
15:00
バズるためにはもっともっと露骨医療モデルになるわけですよ。
例えばこうなんだろうな。
成功必ず成功する人のやってる10の習慣みたいな。
先に正解があるわけでしょこれ。
この10の習慣は正しいってことを言ってるわけですよね。
この10の習慣やるやつは成功するし、そうじゃないやつは失敗するよって言うわけじゃないですか。
これは医療モデルなんですよ実は。
そうと意識されていようといまい。
世の中は今医療モデルになりつつある。
世の中自体がですね。
学校は医療モデルに限りなく近いじゃないですか。
学校も一生懸命言いますけどね。
学校は力量がある人がいっぱいいるから、
ここを露骨にするよりはマイルドにしようと。
近くに穴の中に1984年とか書かせておけばいいっていうモデルは、
明らかに何かが欠落してるよねってのはみんなわかるわけですよ。
思いっきりこれをやらせてしまうと、
子供はみんなクイズ王になっちゃうわけですよね。
医療モデルってそういうもんですね。
クイズ王を育てるモデルになりかねないわけです。
それで絶対うまくいくんならばそれがいいんですよ。
でも医療モデルというのは究極的にはですね、
これだけで済むはずはないと思うんですよ。
古典的な医療モデルのことを言っていて、
現在の医者がみんなこうやってますって話ではないですからね。
現在の医者がみんなXでバズることばっかりやってますっていうわけじゃないですか。
でもかなりうまくいったことは確かじゃないですか。
やり方って決まっているわけじゃないですか。
誰がやっても誰が出しても効く薬は効くわけですよね。
そうじゃないと我々は結構困っちゃいますし、
そうだから割と安心して地域のかかりつけのお医者さんとかいう、
ここに特定の固有名詞入らないですよ。
地域のかかりつけの名医、ドクターブラックジャックのところに行かないと
この成果は得られんみたいなことになると、
その人のところに大行列ができるだけでみんな困りますよね。
でもそういうことって現実にはあるんですよ。
昔これは経済学の本で読んだ話なんですけど、
イギリスではお金持ちは密かに日本に旅行に来て、
目の精細な外科治療をやってもらう。
イギリスだと、基本的にはすごくイギリスには、
特に医療系とか福祉系はゆりかごから墓場までの国だから、
本当はどうかは知りませんよ。本に書いてあっただけですよ。
自分で住んでるところのお医者さんにしかかかれないのがあるみたいですよね。
代わりにすごく慈悲でかかる部分が少なくて済むんですよ。
代わりに特殊なお金持ちしかできないような治療はできないわけですよ。
どんなお金持ちでも。これが平等ってもんじゃないですか。
そして平等ってのは、つまり公認の方が決まってるわけじゃないですか。
どの地域の医者でも同じぐらいの力量を持っていて、
同じような設備が備わっているっていう前提があるから、
このシステムは信頼されてるわけですよね。
わかりませんけど、私はランカスター地方で医者にかかるより、
18:00
やっぱりシティでかかった方が遥かに治るぜってことじゃ困っちゃうじゃないですか。
払ってるお金同じなんだから。あるいは払ってる保険とか税が同じなんだから。
だから私たちのこの国でも当然そういうことはあって、
妻の実家である北県横手市でも東京都千代田区でも同じ結果になるんですよ。
医者の力量変わんないんですよ。
でも必ずしもみんなはそれを信じてないですよ。
じゃなければ医者ランキングとかGoogleで星つけるとかする必要なくなりますよね。
だから社会主義的な医療モデルみたいなものって、
医療モデルってそういうところすごくあると思うんだけれども、
レストランの食べログランキングみたいなものとは実に相入れないんですよね。
あれはどうしたって富裕層が有利になりますよね。
星4.何とかのところに行ってる銀座の寿司屋さんとか、
ランチ2万円とか書いてあるじゃないですか。
めっちゃ高いだろそれって感じがしますよね。
だからそういうモデルとは相入れない。
僕がやってる3ヶ月チャレンジは相入れないんですよ。
私以外の人間が全く同じことをやりますとか、
そういうことは成立しにくいように最初からなってるんです。
だから精神分析は富裕層向けって言われることがあるんだけど、
私は必ずしもそうじゃないんだと思うんですよ。
子供の関係というものは結果富裕層向けっぽくなりますよ。
最初にそういうふうな形で始めたって面もありますからね。
ウィーンのフロイトという特殊な人間が始めた特殊な行動だったから、
そうなっちゃったんですよ。
いろんな事情があったって。
富裕層向けモデルになったのは私は結果であって、
たまたまだとまでは言い切れないけれども、
なっちゃってるしそういう形になりますけど、
母親という母母子っていうのはかけがえのないものじゃないですか。
それはしょうがないじゃないですか。
ウィリコットが言った通り、
世の中は学歴がなくたってお母さんはできるっていうのは一方で事実だけど、
他方で。
でもお母さんがしょっちゅう変わったんじゃたまったもんじゃないですよね。
私のお母さん5人いますみたいな。
人生で5回お母さん変わりましたみたいな。
そうはいかないじゃないですか。
自分の母親より出来がいい母親だからといって、
代わりになるかというとそういうもんじゃないと思うんですよ。
だから富裕層モデルっていうか、
機械的に代替が効かないという意味ではお金がかかっちゃうんだけど、
だって週に5回もそれなりの利用のある人を雇えばそういうことになりますよね。
しかしこれは母親モデルがベースになってるからそうなのであって、
お金持ちだけが受けられるべきサービスであるからそうなってるわけだとは言えないと思うんですよ。
話が少し脱線しかけてるんですけど、いくらか戻しますが、
母親モデルというのは正しい情報なりメソッドなり、
メリッスを提供するためのモデルではないと思うんですよ。
母親モデルというのは。
21:01
そうじゃなくて共同作業的な部分が極めて強いと。
だから説明と理解は違うんだっていうふうに、
僕田さんは一冊の本音でかなり強調されてるわけですけど、
私はあれは全くそうだと思うんです。
説明ってのは結局は客観的なものですよね。
そのことを書いてるんですよ。
あまりにも来ている人を客観的な立場に置きすぎると、
受け取った人は結局は因果的なものとか、
過去にこういうことがあったから、過去にこういうトラウマがあったから今こうなってるんですって、
それ因果じゃないですか。
でもこれはよく僕も喋ってて思うんですよ。
これ言葉を使うとこうなっちゃうんだけど、
久しぶりにあれですね、僕が最近お休みさせてもらってる
書き上げ塾ではのでから禁止になってるのは、こういうことがすごく関係があるんですよ。
人の心の中では因果関係ってないですよね。
確かに私は昔アドピーだったから、
今でも甘いものは少し控えるようにしてるんですって言ってみると、
過去にアドピーだった、確かにそうなんだけど、
それから因果があって現在こうしてますっていう、
すごく外の人にも分かるような説明になってますけど、
僕の主観的な感覚の中では、アドピーだったという、
この過去形で表現される意識体験は今あるんですよ。
過去にあったっていう記憶が今ここにあるんですよ。
今ここにしかないんですよ。今ここに全部あるわけですよ。
0歳児だった私と5歳児だった私は、
同一のような意識空間みたいなのが中に入っていて、
時系列に並んでないんですよ。時系列に並べようと思えばできるけど、
その時系列だって結局空間的に並べるわけじゃないですか。
0歳児と5歳児っていうのは同じ線の上に置くわけでしょ。
線なり、まあ線だと思うんだよね、大体の人にとっては。
線の上に置くってことは、その線は同時に存在しちゃってるじゃないですか、既に。
線の上に置いているっていうのは、こっちが過去で、
例えば大体の場合は左側が過去で右側が未来になるんだけど、
その線が今ここにあるじゃないですか。だから空間的に線って、
線って空間のものじゃないですか、時間のものでは絶対ないですよね。
だから時系列ってものは空間的なもので、結局のところ意識の中にある以上、
それは同時にあっちゃうんですよね。
全ての過去の記憶は私の脳内に同時にありますよね。
あることができてないものは、全意識か無意識のところに
落ちてってるわけで、落ちてるとか浮かび上がってないから、
今ここにはないわけですよ。あるかないかのどっちかであって、
記憶が時系列に並んでるわけでは全然ないということです。
だからこの説明をされてしまうと、それがまたかもその、
過去にあなたはこうだったから、今こうこうこうなんです、
と私は思いますっていくら言われても、それは主観的な雰囲気というものを、
24:02
何て言うんですかね、異常しすぎるっていうような感じのことが起こるんですよ。
そうじゃないんですよね、っていう感じがするんですよ。
だから極力僕もですね、昔は結構質問責めみたいな、
あるテクニックなわけじゃないんだけど、
僕の性格みたいなところもあるんだけど、その質問責めみたいなのもあったんですけど、
もう極力廃止。できればどうしてって聞くのやめようって思ってるわけですね。
これは3ヶ月チャレンジの中で、
僕の基本的な気持ちの問題なんだけども、
どうしてって聞くってことは、やっぱり僕が虐待、他人になってしまうんですよね。
でもお母さんが子供にどうしてって聞いてるときは、
他人として本当に疑問だからってケースは、
ごく稀だと思うんですよ、特に幼児期には。
なんかこう、これは何とかなんだよみたいなことをどうしてそうなのって聞いてるときは、
別にどうしてそうなのかを知りたいわけじゃないわけですよね。
その子の気持ちを聞いてるわけですよね。
共同作業っていうのは、こういうふうにして進むべきものであって、
本人が辛さに向き合うとか、本人が辛さを克服するとか、
悪い習慣を乗り越えていくとか、
そういうことをやってるわけじゃないつもりなんですね、僕は。
それをやると、やっぱりそれは認知行動療法的にだんだんなっていく。
医療モデル的になっていくと思うんですよ。
自分が助っ放としてるとか、私が支えるとか、気持ちに寄り添うとか言ったって、
それはあくまでも外側からって感じがするんですよ。
そうじゃないだろって感じがするんですよね、僕は。
分析を読めばますますそういう感じがするんですよ。
絶対そうじゃないはずだと。
一緒に同じ状態に巻き込まれているっていうふうに考えないと。
だから、眠れないんですっていう人がやってきたとき、
寄り添おうと何しようとダメな感じがするんですよ。
たった週に1時間しかも。そうじゃなくて、
眠れないという状態がここに持ち込まれたんですよ。
これは2人の共同作業で、
2人で1人の人が眠れないという状態を何とかするということが、
できるかできないかのどっちかしかないんです。
この人が眠れないけど、俺は眠れてるっていうのは変なわけですよ。
赤ちゃんを抱えているお母さん、絶対そうじゃなくなるわけですね。
お母さんは赤ちゃんと一緒に寝るじゃないですか。
お父さんでもいいんだけど、全然。あるいは全然違う人でもいいんですよ。
おばあちゃんでもいいんですよ。一緒に寝るんですよ。
一緒に寝れるかどうか。起きちゃったら自分も起きちゃうんですよ。
こういう状態なんだと思うんですよね。
これが奥田が言いたかったことの一つだと僕は思うんですね。
という話を説明的にしちゃダメだ。でも私眠れるからみたいな。
一層ダメなわけですよ。あなた昼寝過ぎたから今眠れないのよとか言われても困るわけ。
27:00
そうじゃなくて、一緒に寝ると、寝るためにはどういうことができるのか。
2人で私たちが2人とも寝れてないこの理由、理由じゃないな。
2人とも寝れてないこの状況の理解を進めていけば、
眠れるという状況を作り出せるんじゃないかみたいな
共同作業がなかせないわけですね。
これがもっともっと話が厄介で深刻になっていくわけですよ。
でもそれはトータルで決まることだと思うんですよね。
トータルで決まることだと思うんです。
その場にある現象だけを何とかすればいいってものが、
医療モデルがそれに限りなく近いんだけど、
だから医療モデルというのは現在のこの瞬間における人が訴えてきている症状というようなものを取り除く。
眠れないっていうならまさに客観的にですね、
眠れるための眠り薬を出すんですよ。
医者は自分が患者が眠れてるか眠れないかということで自分まで苦しむ必要はない。
これこそが医療モデルの優れているところだし、
私たちがこのモデルを非常に好むところでもあるんですね。
だから私が見る限りですね、
Xを見るとすべからく医療モデルがバズることになってるわけ。
そこでは症状が細かく書かれていて、
その症状に対応するメソッド、有効とされるメソッドが書かれていて、
なるほどなと感心されればバズると、
こういう構造になってるはず。
この構造が人気を博している限りにおいては、
さんちゃれは安泰だというふうに僕はなんとなく感じて、
なんとなく少し安心しているっていう面もあるわけですね。
何で安泰かというと、この医療モデルはあらゆる問題を解決するはずはないからなんです。
医療モデルがいろんな問題を解決してくれればしてくれるほど我々はありがたい。
だって私だって医者行きますもん。
お医者さん行きますもん。
歯医者さんも行ってますもん。定期的に。
あそこで一緒になって状況を理解しましょうでは困るんですよ。
だからお医者さんには行きますし、何なら人間読とかも受けるんで、
提供極めてることそれ自体はいいことなんですよ。
ただ大体私あれですからね、冒頭でお知らせしたように、
タスクシュートを提供するときは思いっきり医療モデルですからね。
このタスクシュートで行けますと。
これは他の人よりもやや原理主義的に僕は客観的に正しいみたいな態度を取りますからね。
そうした方がいいと思ってるんで、医療モデルにおいて。
これは私の主観ですし、本当はEvernoteとかGTDの方もいいんで、
ここは言うべきでないと思っているんですよ。
ここは意見が違う人も多くいらっしゃるかもしれませんけど、
そんなことはユーザーが決めればいいことであって、食べログであって、
ランキングはユーザーがつけるものであり、提供者側は自分の出してるラーメンが世界一だと思って出すべきだと。
世界一じゃないかもしれないけど、地域一だぐらいに思って出すべきだと。
私はそう思うんで、タスクシュートが絶対ですみたいな態度を取るわけですよ。
30:02
これは私が医療モデルの態度を取るときは、
こうでなきゃいけないぐらいには思っているってことなんですよ。
このタスク管理とか時間管理とかどうしたらいいんでしょうか、タスクシュートいいんでしょうかって言ったときに、
2人で一緒に理解していきましょうみたいなモデルは僕は採用しない。
ここでは。だから医療モデルはこうであっていいと思うし、こういうもんだと思うんですよね。
ただしこの医療モデルというものが、あらゆるジャンルのあらゆる課題、
あらゆる困りごと、あらゆるお悩みを解決するはずがないと思う。
第一、医療モデルは医療そのものでも全域をモラできてないじゃないですか。
絶対全ての病気を治せるわけじゃないじゃないですか。
現に私は治んない病気を抱え込んでいたんで、アトピーというね。
アトピーは現在の医療モデルで感知はさせられないんですよ。残念ながら。
まあ相当いい線いくんで、私が子供の頃とは全然違うしよっぽどマシですけれども、
でも虫歯だってそうじゃないですか。
虫歯の治療ってあれは、結局のところ歯削ってるんであって、
歯から虫歯菌だけを除去して、歯を元の状態に戻せるわけじゃないですよね。
理想を言えばそっちじゃないですか。
なんかセラミックだろうとなんだろうと、私セラミックの歯が1個あるんですけど、
代わりにセラミック埋めますっていうのは本当はそうじゃないだろうってことですよね。
だから医療モデルっていうのは決して完璧じゃないんですよ。
まして医療モデルで例えばですけど、
夫となんかこうセックスの相性良くないですっていうのに対して、
平気で医療モデルらしきものを提供しますが、
僕はそれはないだろうって感じがやっぱするんですね。
どう考えたってすれば、もちろんありますよ、バイアグラみたいなやつとかね。
でもそうじゃないだろうって感じが僕はやっぱするわけですね。
で、もっともっともっとややこしくなっていくわけですよ。
先日も非常に悲しい事件が、あの動画流さなきゃいいんだけどなテレビって僕思うんですけど、
あれ見てるとこっちまでなんかこう気持ちが落ち込んでくるんですけれども、
池袋でね、上級国民が何たらかんたら言ってましたけど、
ああいう話だったわけじゃないですか。
医療モデルで何がそんなにいっぱいできるかって感じですよね。
自分のかけがえのない妻子がよくわからない事件で亡くなりましたが、
どうしたらいいかっていうのに対して、成功するための10の習慣のうちの1つ目を習慣として取り入れれば解決するのか、そんな問題みたいな。
しないですよね。
あれでせいぜい私ができることとしたら、早くうちの親父に免許返納させようみたいな。
これすら簡単じゃないですよ。
これすら簡単では決してないですよ、やっぱり。
あの世代の人たちというのは車大好きだしね。
結構もう余生はすべて車につぎ込んでもいいと思ってるんじゃないかぐらいの方もいらっしゃるわけだから、
33:00
免許返納させる10の方法で事足りるなら、こっちがそれを知りたいよっていうぐらい簡単じゃないんですよ。
こんな問題すら医療モデルだとパチッと解決できるようで、そうではなくなってくるので、
だからもっと複雑になってくるわけですよね。
なんとなく会社に行きたくないとか、朝日が昇るのが暗かったりすると起きる意欲をなくすとかいうのはですね、
この代わりになんか熱いシャワーとコーヒーとかそういう、なるほど医療モデルみたいなものはですね、
適応できにくいと思うし、多分それで納得ができないっていう人が当然登場すると僕は思うんですよ。
もともと医療そのものの世界ですら完璧じゃないわけだから、そのモデルを医療以外の分野に適応しているわけですから、
これによってあらゆる問題が解決しますというふうに歌っている段階で微妙な気持ちにさせられるっていうことがあると思うんですね。
だから僕は3カ月チャレンジというところ、このポッドキャストでもそうですけど、
医療モデルを廃止するというか、医療モデルを持ちいない。
そうするとDoFatに対する答えはないってことに、何をしたらいいんでしょうへ対する答えはないってことになる。
何をしたらいいのかってことは、正しい方法や正しい行動があるっていうことですから、
その正しい行動を取ればあなたの問題あるいは不能あるいは課題はきれいに解決しますと、きれいじゃなくても解決しますという話をすることになるわけですよね。
DoFatに対する答えは。
それはないんですよ。
ないというのが僕の基本的な姿勢というか、モデルとは言わないかな。
でも基本的な方向性。
そのようなものがあるわけがないっていうのをまず最初にコンセンサスとして入れてしまわないと始まらない。
というか始まらないんですけどね、なかなかね。
でもこの状況を私が正しく理解してそれに対する答えまで提供するというのでは全然なくして、この状況を2人で体験していく。
ここが一人じゃないってところがミソなんですよ。
一人でやるのはそうでなくても簡単じゃないのに。
だって状況がなんだか分かってないのを、何ていうのかな、他人目線ってものが入らない中でやるって大変じゃないですか。
赤ちゃんが一人でミルク飲めるようになるのはならないんですよ、はっきり言って。
だけどもう一つもう一つ別の問題があって、今の時代は。
医療モデルが提供されてるんで、世の中的に。
それも良しとされてるんで、普通に医療モデルに飛びつくじゃないですか。
自分に何か問題がある、苦労があると思ったらどうしたらいいのか教えてくれるところに普通に行くじゃないですか。
こうして僕らはますます困り勝ててると僕は思うんですよね。
36:01
自分でその状況について共同作業で理解しようとしてくれる人が基本他にいないっていう理解ではなくて回答とか薬が提供されてしまう。
しかも提供している人はその薬を作った人とか作り出している人とかですらないケースが多々あるので、何で効くのかとか知らないで提供するってことも起こるわけですよね。
なぜそのメソッドなら効くのかが必ずしも十分理解されていないままメソッドは提供されるってことが、だって成功してる人の10の法則ってその人が成功してるかどうかは別の問題じゃないですか。
その法則が提供されてるんだけど、良さそうだという理由によって提供されてるわけですよ。
だからよく眠れている人が必ず守ってる8つの習慣っていうものをホストしてる人がよく寝れてるとは限らないわけですよ。
ということすらあるんで、私たちはこの時代においてはこの医療モデル外のモデルというものを探すのにそもそも苦労しなきゃならないという状況にあるんだと自分は思うんですね。
だからここは遵守しようと思ってるんですよ。
ブーファットって言われるのは全くそう思うんですよ僕も。
まして僕はそういう世界から来ているから佐々木さんなら良い方法知ってるでしょうって思われるのはわかるんだけど知らんのですよ。
この知らないってのはすごい大事だと思うんですよね。知らないのに情報とかメソッドとかメディスンとかコーチングが提供されるという状況には僕らは確かに取り囲まれてるんですよ。
だから知らない上にこの状況に取り囲まれていて、しかもそれらを採用せずにいるってものすごいきついじゃないですか。
普通に考えても。だからそれをやる意味は高いと思うんですね。非常に逆説的ですけれども、それをやる意味はきっと間違いなく相当あると思うんですよ。
他の人も全然同じ状況に置かれていて、習慣なり方法論なりを誰も提供してくれてないっていう世界ならば、みんな普通にもう少し抑鬱的なところに留まるっていう感覚が育つと思うんだけど、僕らそれが全く育ちにくい状況にあると思う。
で、そうなってくると、こんなに良い方法が周り360度囲んでくれてるのに、どれをも採用しないて、アホなんじゃないかっていう感覚を持ってなきゃならないわけですよね。
僕なんかめちゃくちゃ持ってるわけですよ。アホなんじゃないか俺って思うんだけど、でも散々見てきて、散々考えてきて、そうではないんだと。そういう方法があるはずがないんだという、まあ原理的にね、そういう方法があるはずがないんで。
だから絶望しちゃいけないっていうのがしかも同時にあるわけですよ。ないのか、残念だ、もうなんか諦めようみたいになっても困るんですよ。この狭間のところに自分を、なんていうんですかね、こう、歩かせ続けるみたいな、そういうことをやっていかないといけないんですよね。
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この母子一体っていうのはですね、母子とも意味不明のところに置かれているわけです。だから常に他人目線ってものが、せっかく2人いるんでね、母親は母子一体なんだけど、でも自分が眠れないってなったとき、赤ちゃんが起きて自分が眠れない。赤ちゃんはそもそも眠れない。
この眠れないには違いがあるんですよ。この違いっていうのが、つまり他者が存在することの意味なんですよね。あれです、夢を見ている夢見る人と夢を解釈する夢見る人と、2人の夢を見てるんだけど、違う見方をしてるっていうことはあるわけですよ。
だからそこには寂しさが出てくるわけですよね。母子は分離もすると。母子は一体なんだけど、母子だから分離もできるわけですよ。他者にもなれるわけです。完全に他人になっちゃ絶対ダメなんですよ、ここで。
ここで完全に他人になる、そういう方法論を提供しますという話って、ここに僕がラポールっていう昔流行った言葉が必要だと、基本的信頼とでも言いますか、母親的信頼とも言いますか、だってすっごいやだと思いません?
私はもう本当にありとあらゆる悩みがあり、ありとあらゆることをあなたにお話ししてきましたと。ああわかった、でも俺他人だからさ、みたいな、すっごいやじゃないですか。それだったら何にも言わない方がはるかにマシですよね。
だから僕はこの、なんて言えばいいのかな、この種の話がですね、単純医療モデルを単純に適用できるはずがないと思うんですよね。それができますと言っている話っていうのは、そこにあまりにも酷いナルシシズムが実はあるんだろうと思うんですよ。
いや俺に任せておいてくれと。だからあなたの苦しみ全部言って、みたいな。大丈夫、いい方法提供するからさって。これ本当に善意の人ならそれでいいですけど、でもそれもどうかと思いますけどね。何よりも問題なのは、これほど自分を全部さらけ出させておいて、提供されなかった時の、その時の気分ですよね。
相手は私の弱みだけは全部知ってるみたいな状態がそこに出現するわけですよ。これほど納得のいかない話は僕はないと思うんですよね。だからここら辺があれですよね。ちょっと久しぶりですが、信田沙耶子さんが言った、どんな人支援であれカウンセラーでなくたって、およそ人を助けますよっていうのを商売にしている人は、そこの権力構造にもっと敏感であろうよっていうことですよね。
あの方がよく強く強くおっしゃってたのは。そういうことは当然あるわけですよね。本人がどれほど善意だから、善意だから意識はしないんですけど、ここだからよく話題に出るんですよ。ただ僕はここは、そうは言っても、それは確かにめちゃくちゃ重要だけども、そうは言ってもここは環境整備の話であって、ここだけにいつまでも肯定してるっていうのもどうかと思うんですよ。
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基本的信頼は、だきゃ絶対困るんですけど、こういう仕事って。基本的信頼がある意味、仕事の2割5分ぐらいは確かに占めるんですけれども、基本的信頼を全部にしちゃダメだと思うんですよね。ラポールさえ成立すれば、それだけで問題解決するんですよじゃないと思うんですよ。やっぱり。
眠れないという赤ちゃんを、私は本当にあなた愛してるから抱っこしてあげるから寝よう、でも寝ないってこともあるわけですよ。だからここがですね、たぶんそれで寝るケースもいっぱいあると思うんだけれども、だからこの基本的信頼っていうのはめちゃくちゃ大事なんですよ。
ここでやっぱり、いやいや、子守唄のいい奴を聞かせるYouTubeでしょじゃないと思うんですよね。それじゃ全然基本的信頼じゃないじゃないですか。どうでもいいことになってしまう。そうすると、たぶんその人はそもそも弱みをそこで出せないという事態が発生するんですよ。
この種のことは途中でちょっと言いましたけど、トータルで関係があると思うんですよ。基本的信頼とメソッドは分けられないんですよ。ここを分けられるというのがある種、医療モデルってやつなんですよ。だからプラシーボ効果についての測定をするわけですよね。
お医者さんは白衣で薬を手渡した方が効くんだそうです。たぶんそうですよね。虹色の薬を機械が持ってくるよりは効きそうですよね。手で渡された白いカプセルとかの方が。知らないけど。つまりそういう事なんですよ。
だけども、とはいえその薬は睡眠導入剤だから、やっぱり誰が飲んでも誰が手渡しても同じぐらいは効くはずなんですよね。
ここを分けたんだというのが僕は医療モデルだと思うし、そこを分けるというのが大変便利なんですけれども、でもやっぱりここが分けられない世界ってあるというのが私の感じるところで、ライファックというのかビジネスコンサルタントみたいなもの、コーチングでもいいんですけど、非常に微妙なところにある。
僕は医療モデルほぼ無しにしたい。無しにはできないんだけど、ほぼ無しにしたい。これは俗人性が極めて絡むものでありたいと思ってですね。つまり佐々木翔吾以外の人間がこれと全く同じことをしても全く違う効果になるだろうと。
良い悪いではないです。もっと良い効果を出せるケースもあるのかもしれないけど、ただ同じものにはならないだろうと。そこが最大のポイントなんですよ。つまりコピーできないってことですよね、一つにはね。
コピーできないだけでもすでに医療モデルとして破綻してるじゃないですか。どう考えても医療モデルっていうのはコピーできないでは許されないので、大磯で歯医者に行かれるのと浅樫で歯医者に行かれると思ったら治り方が全く違いますとか、むしろ悪化しますみたいに困るんで、コピーは効くんですよ。他の人がやってもいいんです。
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それが認定モデルであり、やっぱり医療モデルなんですよ。でもこの3カ月チャレンジは全くそういったものではない。他の人が入ってみて潜入取材してみて全く同じようにやると似たようなものになるかもしれないけど、多分全く違ったものになるんですよ。
私が例えば本を書いているかどうかが違う効果を生むし、本を書いている冊数も違う効果を生むし、かつて書いてきた本が思いっきりライフハック寄りだったかそうでなかったかというのも違う効果を生む。だから非常に俗人性の高いものであり、それこそ一期一会的なものになってしまうんですね。そこのところに意味を見てるんです。
冒頭で申し上げた通りですね、母親ってのは代わりが利かない。母親の学歴が高いか低いか、教養があるかないか、愛情に満ちてるかどうかっていうことだけで全ては測れない。うちの母親の代わりに東大が出ていて本当に優しくて、怒らなくて子供の心にも非常に理解がある。だからといって僕がよく育つとは限らないってことですよ。
ご視聴ありがとうございました。
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