おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト第1096回をお送りします。
1096、間もなく1100には到達しそうですね。
まあ、もはや1100ってなんか全然霧の良い数字には聞こえないので、
次目指すとすると1万ですかね。でも1万いくかな。1万いくとなるとあと9000回行かなきゃならないわけですよね。
9000回近く。9000回ってのは、まあ年300回やるとしても300回できてないんだけど、
でも300回だとしてもあと30年かかるから、私80になっちゃうんですよね。
80になるまでこれ喋っている意味が果たしてあるんだろう。
まあ、そんなこと考えてもしょうがないんでやめますが、
11月26日火曜日の朝7時58分、少し遅くなりました。
何しろ寒いんでね、細々とした準備がやっぱり必要になってきまして、
今日は他にも細々としたやることがありまして、この時間になったわけです。
はい、お知らせがあります。
なんか全然関係ないことをお知らせしているようなんだけれども、
タスクシュート総決算、12月14日、何しろ私も主催者の一人ですからね。
だからすごく関係があるわけですね。
このポッドキャストの中身とあまり関係がないかもわかりませんが、
私自身がやっているという意味では、この3ヶ月チャレンジも、
ポッドキャストもタスクシュート協会も等しく関係があるわけで、
12月14日のタスクシュート総決算もぜひ来てくださいといったところですね。
オンライン参加もできます。
オフラインは東京で銀座でやりますので、
朝10時から16時まで、懇親会まで含めると19時まで。
昨日指摘されて改めてそうだよなと思ったんですけど、
そうなんですけども、最初からオンラインでも9時間ってなかなかないですからね。
いろいろとご準備していただいて、
なるべく長丁場にも苦しくならないように参加いただければと
参加される方はですね、思います。
もう1日あれですね、年末の1日はそれに費やしてみるといった感じです。
それなりに面白いお話もいろいろ出るんではないかと。
私も喋るんですけど、久しぶりにかなり長丁場で。
考えてみると、これは別として単独で長丁場で人前で、
それもそこそこ大勢の人の前でお話しするというのは対談とかではなくてね、
かなり久しぶりなんじゃないかと。
いったいいつ以来なのかも思い出せないレベルなんじゃないかと思うんですよ。
Xとか何でバズってんだって基本同じなんですよ。
医療モデルなんですよ、原則的には。
医療モデルっていうのは、ごく大雑把に2つの特徴を徹底的に備えている。
1つは、客観的に正しいとされるサービスを提供している。
1つは、2つ目ね、物質ないし身体を扱っている。
以上なんですよ。
目に見えるもの、電子顕微鏡とかじゃないと見えないケースもありますが、
いずれにしてもでも視覚に捉えられるところを扱っている。
物体だってことです。
物体なんですよ。
物体を扱っていて客観的に正しいとされるものを提供する。
そういうモデル。
必ずこれをやっているとは限らない。
これをやるとまずいケースがある。
なぜなら医療になっちゃうから。
医療行為は素人には許されていない。
だから医療モデルをライフハックとか仕事術とかでは扱っている。
僕はこの医療モデルを採用しないんですよ、3ヶ月チャレンジは。
これが3ヶ月チャレンジの最大の特徴であり、ほぼ唯一の特徴。
僕はやっていることはオンラインで対面で話をしているというのが
ワンオンセッションとか個別のアドバイスとかコーチングにそっくりだということは認めます。
オンラインカウンセリングと言われているものともいうそっくりになります。
ただし、これは私は医療モデルを廃していますから確実に。
なぜなら私は正しく有効な情報なり方法論なりを提供しませんと。
今後はっきり銘打とうかどうしようか考えているんですけれども、
はっきり銘打つとあまりにも不利っぽいかなと思って、
今のところはっきりは銘打ってないですけど、
基本的に必ず冒頭・後頭ではこれに近いことを申し上げます。
その必要が必ずしもないなという時もありますけど、
これをある程度以上ここに疑問を持たれるようなことがあれば必ずこれをはっきりと結構言います。
客観的に有効とされるメソッドなりメディスなりは絶対提供しません。
というか提供する能力が私にないのと、提供する意思も私にはない。
提供する動機も僕にはない。
この3点があるので、つまりこれは医療モデルではありませんということですね。
それダメじゃんっていう人はこれを受けちゃダメなんですよ。
つまりそういうことなんですよ。
だからこれは事前には言っておこうと極力思ってるんですよね。
奥田がこれについて書いていて、やっぱりいいなって思うんですよね。
いいっていうか、非常にそうなっていくしかないよなっていう精神力度というものはですね。
そうなっていくしかない。
彼は説明と理解の違いっていうふうにここのところを書いていて、
私が言いたいことをもっと遥かに洗練された言い方をされているわけですけれども、
やっぱりシティでかかった方が遥かに治るぜってことじゃ困っちゃうじゃないですか。
払ってるお金同じなんだから。あるいは払ってる保険とか税が同じなんだから。
だから私たちのこの国でも当然そういうことはあって、
妻の実家である北県横手市でも東京都千代田区でも同じ結果になるんですよ。
医者の力量変わんないんですよ。
でも必ずしもみんなはそれを信じてないですよ。
じゃなければ医者ランキングとかGoogleで星つけるとかする必要なくなりますよね。
だから社会主義的な医療モデルみたいなものって、
医療モデルってそういうところすごくあると思うんだけれども、
レストランの食べログランキングみたいなものとは実に相入れないんですよね。
あれはどうしたって富裕層が有利になりますよね。
星4.何とかのところに行ってる銀座の寿司屋さんとか、
ランチ2万円とか書いてあるじゃないですか。
めっちゃ高いだろそれって感じがしますよね。
だからそういうモデルとは相入れない。
僕がやってる3ヶ月チャレンジは相入れないんですよ。
私以外の人間が全く同じことをやりますとか、
そういうことは成立しにくいように最初からなってるんです。
だから精神分析は富裕層向けって言われることがあるんだけど、
私は必ずしもそうじゃないんだと思うんですよ。
子供の関係というものは結果富裕層向けっぽくなりますよ。
最初にそういうふうな形で始めたって面もありますからね。
ウィーンのフロイトという特殊な人間が始めた特殊な行動だったから、
そうなっちゃったんですよ。
いろんな事情があったって。
富裕層向けモデルになったのは私は結果であって、
たまたまだとまでは言い切れないけれども、
なっちゃってるしそういう形になりますけど、
母親という母母子っていうのはかけがえのないものじゃないですか。
それはしょうがないじゃないですか。
ウィリコットが言った通り、
世の中は学歴がなくたってお母さんはできるっていうのは一方で事実だけど、
他方で。
でもお母さんがしょっちゅう変わったんじゃたまったもんじゃないですよね。
私のお母さん5人いますみたいな。
人生で5回お母さん変わりましたみたいな。
そうはいかないじゃないですか。
自分の母親より出来がいい母親だからといって、
代わりになるかというとそういうもんじゃないと思うんですよ。
だから富裕層モデルっていうか、
機械的に代替が効かないという意味ではお金がかかっちゃうんだけど、
だって週に5回もそれなりの利用のある人を雇えばそういうことになりますよね。
しかしこれは母親モデルがベースになってるからそうなのであって、
お金持ちだけが受けられるべきサービスであるからそうなってるわけだとは言えないと思うんですよ。
話が少し脱線しかけてるんですけど、いくらか戻しますが、
母親モデルというのは正しい情報なりメソッドなり、
メリッスを提供するためのモデルではないと思うんですよ。
母親モデルというのは。
そうじゃなくて共同作業的な部分が極めて強いと。
だから説明と理解は違うんだっていうふうに、
僕田さんは一冊の本音でかなり強調されてるわけですけど、
私はあれは全くそうだと思うんです。
説明ってのは結局は客観的なものですよね。
そのことを書いてるんですよ。
あまりにも来ている人を客観的な立場に置きすぎると、
受け取った人は結局は因果的なものとか、
過去にこういうことがあったから、過去にこういうトラウマがあったから今こうなってるんですって、
それ因果じゃないですか。
でもこれはよく僕も喋ってて思うんですよ。
これ言葉を使うとこうなっちゃうんだけど、
久しぶりにあれですね、僕が最近お休みさせてもらってる
書き上げ塾ではのでから禁止になってるのは、こういうことがすごく関係があるんですよ。
人の心の中では因果関係ってないですよね。
確かに私は昔アドピーだったから、
今でも甘いものは少し控えるようにしてるんですって言ってみると、
過去にアドピーだった、確かにそうなんだけど、
それから因果があって現在こうしてますっていう、
すごく外の人にも分かるような説明になってますけど、
僕の主観的な感覚の中では、アドピーだったという、
この過去形で表現される意識体験は今あるんですよ。
過去にあったっていう記憶が今ここにあるんですよ。
今ここにしかないんですよ。今ここに全部あるわけですよ。
0歳児だった私と5歳児だった私は、
同一のような意識空間みたいなのが中に入っていて、
時系列に並んでないんですよ。時系列に並べようと思えばできるけど、
その時系列だって結局空間的に並べるわけじゃないですか。
0歳児と5歳児っていうのは同じ線の上に置くわけでしょ。
線なり、まあ線だと思うんだよね、大体の人にとっては。
線の上に置くってことは、その線は同時に存在しちゃってるじゃないですか、既に。
線の上に置いているっていうのは、こっちが過去で、
例えば大体の場合は左側が過去で右側が未来になるんだけど、
その線が今ここにあるじゃないですか。だから空間的に線って、
線って空間のものじゃないですか、時間のものでは絶対ないですよね。
だから時系列ってものは空間的なもので、結局のところ意識の中にある以上、
それは同時にあっちゃうんですよね。
全ての過去の記憶は私の脳内に同時にありますよね。
あることができてないものは、全意識か無意識のところに
落ちてってるわけで、落ちてるとか浮かび上がってないから、
今ここにはないわけですよ。あるかないかのどっちかであって、
記憶が時系列に並んでるわけでは全然ないということです。
だからこの説明をされてしまうと、それがまたかもその、
過去にあなたはこうだったから、今こうこうこうなんです、
と私は思いますっていくら言われても、それは主観的な雰囲気というものを、
何て言うんですかね、異常しすぎるっていうような感じのことが起こるんですよ。
そうじゃないんですよね、っていう感じがするんですよ。
だから極力僕もですね、昔は結構質問責めみたいな、
あるテクニックなわけじゃないんだけど、
僕の性格みたいなところもあるんだけど、その質問責めみたいなのもあったんですけど、
もう極力廃止。できればどうしてって聞くのやめようって思ってるわけですね。
これは3ヶ月チャレンジの中で、
僕の基本的な気持ちの問題なんだけども、
どうしてって聞くってことは、やっぱり僕が虐待、他人になってしまうんですよね。
でもお母さんが子供にどうしてって聞いてるときは、
他人として本当に疑問だからってケースは、
ごく稀だと思うんですよ、特に幼児期には。
なんかこう、これは何とかなんだよみたいなことをどうしてそうなのって聞いてるときは、
別にどうしてそうなのかを知りたいわけじゃないわけですよね。
その子の気持ちを聞いてるわけですよね。
共同作業っていうのは、こういうふうにして進むべきものであって、
本人が辛さに向き合うとか、本人が辛さを克服するとか、
悪い習慣を乗り越えていくとか、
そういうことをやってるわけじゃないつもりなんですね、僕は。
それをやると、やっぱりそれは認知行動療法的にだんだんなっていく。
医療モデル的になっていくと思うんですよ。
自分が助っ放としてるとか、私が支えるとか、気持ちに寄り添うとか言ったって、
それはあくまでも外側からって感じがするんですよ。
そうじゃないだろって感じがするんですよね、僕は。
分析を読めばますますそういう感じがするんですよ。
絶対そうじゃないはずだと。
一緒に同じ状態に巻き込まれているっていうふうに考えないと。
だから、眠れないんですっていう人がやってきたとき、
寄り添おうと何しようとダメな感じがするんですよ。
たった週に1時間しかも。そうじゃなくて、
眠れないという状態がここに持ち込まれたんですよ。
これは2人の共同作業で、
2人で1人の人が眠れないという状態を何とかするということが、
できるかできないかのどっちかしかないんです。
この人が眠れないけど、俺は眠れてるっていうのは変なわけですよ。
赤ちゃんを抱えているお母さん、絶対そうじゃなくなるわけですね。
お母さんは赤ちゃんと一緒に寝るじゃないですか。
お父さんでもいいんだけど、全然。あるいは全然違う人でもいいんですよ。
おばあちゃんでもいいんですよ。一緒に寝るんですよ。
一緒に寝れるかどうか。起きちゃったら自分も起きちゃうんですよ。
こういう状態なんだと思うんですよね。
これが奥田が言いたかったことの一つだと僕は思うんですね。
という話を説明的にしちゃダメだ。でも私眠れるからみたいな。
一層ダメなわけですよ。あなた昼寝過ぎたから今眠れないのよとか言われても困るわけ。
そうじゃなくて、一緒に寝ると、寝るためにはどういうことができるのか。
2人で私たちが2人とも寝れてないこの理由、理由じゃないな。
2人とも寝れてないこの状況の理解を進めていけば、
眠れるという状況を作り出せるんじゃないかみたいな
共同作業がなかせないわけですね。
これがもっともっと話が厄介で深刻になっていくわけですよ。
でもそれはトータルで決まることだと思うんですよね。
トータルで決まることだと思うんです。
その場にある現象だけを何とかすればいいってものが、
医療モデルがそれに限りなく近いんだけど、
だから医療モデルというのは現在のこの瞬間における人が訴えてきている症状というようなものを取り除く。
眠れないっていうならまさに客観的にですね、
眠れるための眠り薬を出すんですよ。
医者は自分が患者が眠れてるか眠れないかということで自分まで苦しむ必要はない。
これこそが医療モデルの優れているところだし、
私たちがこのモデルを非常に好むところでもあるんですね。
だから私が見る限りですね、
Xを見るとすべからく医療モデルがバズることになってるわけ。
そこでは症状が細かく書かれていて、
その症状に対応するメソッド、有効とされるメソッドが書かれていて、
なるほどなと感心されればバズると、
こういう構造になってるはず。
この構造が人気を博している限りにおいては、
さんちゃれは安泰だというふうに僕はなんとなく感じて、
なんとなく少し安心しているっていう面もあるわけですね。
何で安泰かというと、この医療モデルはあらゆる問題を解決するはずはないからなんです。
医療モデルがいろんな問題を解決してくれればしてくれるほど我々はありがたい。
だって私だって医者行きますもん。
お医者さん行きますもん。
歯医者さんも行ってますもん。定期的に。
あそこで一緒になって状況を理解しましょうでは困るんですよ。
だからお医者さんには行きますし、何なら人間読とかも受けるんで、
提供極めてることそれ自体はいいことなんですよ。
ただ大体私あれですからね、冒頭でお知らせしたように、
タスクシュートを提供するときは思いっきり医療モデルですからね。
このタスクシュートで行けますと。
これは他の人よりもやや原理主義的に僕は客観的に正しいみたいな態度を取りますからね。
そうした方がいいと思ってるんで、医療モデルにおいて。
これは私の主観ですし、本当はEvernoteとかGTDの方もいいんで、
ここは言うべきでないと思っているんですよ。
ここは意見が違う人も多くいらっしゃるかもしれませんけど、
そんなことはユーザーが決めればいいことであって、食べログであって、
ランキングはユーザーがつけるものであり、提供者側は自分の出してるラーメンが世界一だと思って出すべきだと。
世界一じゃないかもしれないけど、地域一だぐらいに思って出すべきだと。
私はそう思うんで、タスクシュートが絶対ですみたいな態度を取るわけですよ。
これは私が医療モデルの態度を取るときは、
こうでなきゃいけないぐらいには思っているってことなんですよ。
このタスク管理とか時間管理とかどうしたらいいんでしょうか、タスクシュートいいんでしょうかって言ったときに、
2人で一緒に理解していきましょうみたいなモデルは僕は採用しない。
ここでは。だから医療モデルはこうであっていいと思うし、こういうもんだと思うんですよね。
ただしこの医療モデルというものが、あらゆるジャンルのあらゆる課題、
あらゆる困りごと、あらゆるお悩みを解決するはずがないと思う。
第一、医療モデルは医療そのものでも全域をモラできてないじゃないですか。
絶対全ての病気を治せるわけじゃないじゃないですか。
現に私は治んない病気を抱え込んでいたんで、アトピーというね。
アトピーは現在の医療モデルで感知はさせられないんですよ。残念ながら。
まあ相当いい線いくんで、私が子供の頃とは全然違うしよっぽどマシですけれども、
でも虫歯だってそうじゃないですか。
虫歯の治療ってあれは、結局のところ歯削ってるんであって、
歯から虫歯菌だけを除去して、歯を元の状態に戻せるわけじゃないですよね。
理想を言えばそっちじゃないですか。
なんかセラミックだろうとなんだろうと、私セラミックの歯が1個あるんですけど、
代わりにセラミック埋めますっていうのは本当はそうじゃないだろうってことですよね。
だから医療モデルっていうのは決して完璧じゃないんですよ。
まして医療モデルで例えばですけど、
夫となんかこうセックスの相性良くないですっていうのに対して、
平気で医療モデルらしきものを提供しますが、
僕はそれはないだろうって感じがやっぱするんですね。
どう考えたってすれば、もちろんありますよ、バイアグラみたいなやつとかね。
でもそうじゃないだろうって感じが僕はやっぱするわけですね。
で、もっともっともっとややこしくなっていくわけですよ。
先日も非常に悲しい事件が、あの動画流さなきゃいいんだけどなテレビって僕思うんですけど、
あれ見てるとこっちまでなんかこう気持ちが落ち込んでくるんですけれども、
池袋でね、上級国民が何たらかんたら言ってましたけど、
ああいう話だったわけじゃないですか。
医療モデルで何がそんなにいっぱいできるかって感じですよね。
自分のかけがえのない妻子がよくわからない事件で亡くなりましたが、
どうしたらいいかっていうのに対して、成功するための10の習慣のうちの1つ目を習慣として取り入れれば解決するのか、そんな問題みたいな。
しないですよね。
あれでせいぜい私ができることとしたら、早くうちの親父に免許返納させようみたいな。
これすら簡単じゃないですよ。
これすら簡単では決してないですよ、やっぱり。
あの世代の人たちというのは車大好きだしね。
結構もう余生はすべて車につぎ込んでもいいと思ってるんじゃないかぐらいの方もいらっしゃるわけだから、
免許返納させる10の方法で事足りるなら、こっちがそれを知りたいよっていうぐらい簡単じゃないんですよ。
こんな問題すら医療モデルだとパチッと解決できるようで、そうではなくなってくるので、
だからもっと複雑になってくるわけですよね。
なんとなく会社に行きたくないとか、朝日が昇るのが暗かったりすると起きる意欲をなくすとかいうのはですね、
この代わりになんか熱いシャワーとコーヒーとかそういう、なるほど医療モデルみたいなものはですね、
適応できにくいと思うし、多分それで納得ができないっていう人が当然登場すると僕は思うんですよ。
もともと医療そのものの世界ですら完璧じゃないわけだから、そのモデルを医療以外の分野に適応しているわけですから、
これによってあらゆる問題が解決しますというふうに歌っている段階で微妙な気持ちにさせられるっていうことがあると思うんですね。
だから僕は3カ月チャレンジというところ、このポッドキャストでもそうですけど、
医療モデルを廃止するというか、医療モデルを持ちいない。
そうするとDoFatに対する答えはないってことに、何をしたらいいんでしょうへ対する答えはないってことになる。
何をしたらいいのかってことは、正しい方法や正しい行動があるっていうことですから、
その正しい行動を取ればあなたの問題あるいは不能あるいは課題はきれいに解決しますと、きれいじゃなくても解決しますという話をすることになるわけですよね。
DoFatに対する答えは。
それはないんですよ。
ないというのが僕の基本的な姿勢というか、モデルとは言わないかな。
でも基本的な方向性。
そのようなものがあるわけがないっていうのをまず最初にコンセンサスとして入れてしまわないと始まらない。
というか始まらないんですけどね、なかなかね。
でもこの状況を私が正しく理解してそれに対する答えまで提供するというのでは全然なくして、この状況を2人で体験していく。
ここが一人じゃないってところがミソなんですよ。
一人でやるのはそうでなくても簡単じゃないのに。
だって状況がなんだか分かってないのを、何ていうのかな、他人目線ってものが入らない中でやるって大変じゃないですか。
赤ちゃんが一人でミルク飲めるようになるのはならないんですよ、はっきり言って。
だけどもう一つもう一つ別の問題があって、今の時代は。
医療モデルが提供されてるんで、世の中的に。
それも良しとされてるんで、普通に医療モデルに飛びつくじゃないですか。
自分に何か問題がある、苦労があると思ったらどうしたらいいのか教えてくれるところに普通に行くじゃないですか。
こうして僕らはますます困り勝ててると僕は思うんですよね。