00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
6月7日か、7日金曜日、朝7時24分、少し早めですね。
今週はビシッとこう、5回7時半アラウンドでやってますね。
すごいな。
昨日ね、もはやこの試合、話しかしていませんが、なぜならば、
巨人戦だけはロッテの試合といえども、全国ネットで中継するからなんですね。
今年、巨人強いなと思いますね。
昨日、ああいう負け方をロッテがするっていうのは、割と相手強い時だと思うんですよ。
一昨日の試合みたいな無茶苦茶な試合になってくると、
もうほぼどうでもいいような展開なんだけれども、
昨日の展開見てるとやっぱ、あれは強いチームなんですよね。
厳しいものを感じました。
ロッテ、別に不調じゃないですからね。
直前11連勝とかしてたし、カードも7カード連続で勝ち越してたし、
巨人戦で1勝2敗で、
まあ、点差はでかかったんですけど、意外といい試合やってるんですよね。
でも勝てないっていう、やっぱ相手強いなって感じがしましたね。
今年、巨人優勝するかもなって感じがします。
まあ、まだ分かんないですけどね。
セリーグ混戦ですし、
もうこの種の話は多分聞いてて、
全く面白くないという方も多いと思うんで、
このね、あれですよ。
自分の告知の前にしてしまうことはよほど好きなんですよ。やっぱり。
告知をまずしようって決めているのに、野球の話を先にするというのは。
しかもこれ、別に僕はロッテの広報担当とかじゃないんで、
何の得にもなってないんだけど、
しかも応援って本当そういうもんですけどね。
勝ちはとにかく嬉しい。
ちなみに今、交流選定でやってるんですよ。
交流選定、意外と何も進展しないんですよ。
なぜならば、例えばなんですけど、
だいたいパリーグの方が例年強いんですよね。
ここのところちょっとそうでもないんだけど、
一時、極端だったんですよ。パリーグばっかり勝つんですよ。
それをするとどうなるか。
パリーグはずっと勝ち続け、セリーグの全チームはずっと負け続けると、
実はそれぞれのリーグの影響はほぼ何もないんですね。
要するに、そんな極端なことはないけど、
パリーグ全勝でセリーグ全敗だと、
やる前と全く変わらないわけですよ。
ですよね。お互いのリーグにおいての勝ち負け数は差がつかない。
で、パリーグだからロッテ応援してる私は、
ロッテ以外全部負けろって毎日思ってるわけですよ。
ところがパリーグ強いんで、結構いつも勝ってるチームが、
特に上位のパリーグのチームは勝つんで、
負けるとすごいダメージでかい感じがするんですよね。
要するにそういうことが起きます。
直接対決がなくなるってことね。
03:02
また野球の話してますが、
そういうわけで、いつも私はロッテだけが勝ち、
他のパリーグの全球団が負けること、
僕別にパリーグファンじゃない。ロッテファンなんで。
そういうことを願って交流戦を見てますが、
これはロッテの選手に、昔そういう話あったんですけど、
あまり本音言わない人多いですけど、
本音言う人はやっぱり、負けろって思ってたって言いますし、
そりゃそうだよなって思いますね。
つまり告知を今しようとしているわけですが、
6月16日の、違う16ではない。
22日の土曜日ですね。
この日にシローズさんという人と、
2点トレーナーさんとですね、
白い水と書いてシローズですね。
日本語の読み方だなって思いますが、
オンラインセミナーでダスクシュート、
これはもうイベントです。
シローズさんが行動主義的にダスクシュートを、
そういう話をされるのが多分好きだと思うんですよね。
行動科学的に。
私が認知みたいな言い方してますけど、
実は精神力動で説明しようとしているという2時間です。
それ面白いのかって言われるとどうかっていう気もしますけど、
面白いんじゃないかなと思いますけどね。
とにかくダスクシュートは何で機能するんだろうっていうですね、
ユーザー目線で考えていく、
そういう回になりそうな気がします。
合わせてじゃないけど、
翌日23日に14時から、
ダスクシュートを手帳術の回を、
これは渋谷でやります。
オンラインでも見られます。
アーカイブ配信もします。
フルパッケージってやつですね。
このダスクシュート手帳術の回は、
ライトニングトークを増やしていきたいと思っております。
ライトニングトークってね、
いろんな良さと難しさがあるんだけど、
とにかく手帳なんで、
手帳っていうのはやっぱりものすごくですね、
使う人の個性が出ますから、
出ざるを得ないんでね。
いわゆるなんていうんですかね、
フレームワークがデジタルのようにはないじゃないですか、
手帳なんて。
無視もできるし。
デジタルのすごいところって、
基本無視できないところですよね。
自由筆記みたい、
自由筆記はできるんだけれども、
結局それは自由筆記をするべく、
枠の中に書かなければいけないと。
そこがいいと思うんだけど、
そこが窮屈だっていう話もありまして、
しかもそこにフリーハンドで書くことは難しいですよね。
フリーハンド欄を作ってそこに書くことはできるんだけど、
そうなってしまうんですよ、デジタルって。
アナログはそうはならない。
ので、タスク集と手帳述というのはですね、
個性が出ます。
この個性をみんなでシェアしていきましょうと、
いった感じの会議も目指しています。
06:00
それだけではないですけどね。
14時から渋谷で開催。
手帳の話とか文具の話とか、
好きな方は多くいらっしゃると思うので、
ぜひこの会を活用してやってください。
29日には電子書籍のイベントをやります。
これはもう私の主催とかでもなんでもなくて、
天老院カフェさんで招かれたので電子書籍。
電子書籍のイベントなんですよね。
私も電子書籍も単独で出してるのもありますんで、
実はそこそこ行ってるのもあるんですよ。
あるんで、よろしければ。
何の話を。
私は電子書籍それ自体の作り方とかの話はできないので、
私がするのは結局中身の書き方の話になってしまうわけですね。
これもどのぐらい重要あるのかな。
本の書き方そのものをお伝えするっていうのはですね、
文章術はまたちょっと違うんですよね。
何だろうこれは。
なんかこう、よくわかんないなっていうところもあります。
明らかに自分のやり方があるのはあるんですけれども、
何て言うんですかね、面白いなと思うんですけど、
これはもう別に批判とかなんでもなくて面白いなと思うのは、
目次を作るとか目次案を作るとかアウトライナーを書くとかね、
あるいはターゲット読者数を絞るとか、
一度もやったほどのないことばっかりなんだけど、
これらのことってなんかノウハウっぽいじゃないですか。
でも僕これ不思議だなっていつも思うんですよ。
それって本の作り方のごく一部じゃないですか、やるにしてもですね。
だから台割りを作るとか、
表紙からイメージするとかもいろんなのがあるんですよ。
私ももう100人ぐらい編集さんと話してきたので、
100人なんてもんじゃない、もっとずっと多いんですけど、
いろんな本当に密かなやり方を皆さん持ってますよ。
本当ね、表紙から逆算するっていうか、逆巻きするって言い方してたんですよね。
表紙からのイメージが逆に修練していって本を作るって、
まあその人書かないだろうって思うんだけど、編集さんだからね。
そういう話も聞くんですよ。
変わった顔と考えるよなって思いますよね。
私まず本のイメージすらできないので、
そんな方法論は私にはナンセンスというかありえないわけですよね。
考えることすらできない。
だから本当個性ってあるんですよね。
密かにしかもやってらっしゃるから。
こういうのをシェアしようって考え方もあるんだけど、
僕はあんまり最近そう思わないですよね。
こういうのってやっぱりあまりにもその人と、
これ精神分析の考え方なんだなって思うんですけど、
結びついてて参考にならないというか、
あと話してしまうとちょっと変質するんじゃないかなって思うんですよ。
本人の中で。
だから僕は絶対秘密にする領域ってできるだろうと。
09:01
できないとするとその人は自分を損ないかねないんじゃないかなって思う時があるので、
あんまりこれをシェアしたいとかシェアしていきましょうって話は今はしない。
しなくなったんですね。
喋っても別に減るもんじゃないじゃんっていうのは減るもんじゃないんですよ。
そうではないんだけど、記憶って面白いことに、
これ有名な話ですよね。
脳科学でアクセスするたびに記憶は変質するって言うね。
これは当然なんですよ。
なぜならアクセスした時の現実知覚ってものが、
記憶そのものに影響を与えずにはおかないから。
つまり非常にパラドキシカルな話なんですが、
記憶というのは思い出されない時ほど正確なんですね。
非常にトラウマの話と似てますよね。
アクセスしたのに変形されない記憶ってのは危険なものなんですよ。
これが僕はですね、
その人の奥底に秘められたノウハウは開示されにくいっていうものを意識しているんですね。
この話してもあまりみんなに明るい話題は提供できないんで、
話自体はあんまりしませんが、こういう場面でしか。
ちなみに今回は第998回ですね。
来るんですね、1000回ってものがね。
ちゃんとやってさえいればね。
次回は鉄道の話にしようかと思っているんですけど、
意味が全くわかんないと思うし、
僕って鉄じゃないからあんまり鉄道の話もできないんですよね。
そこは残念だと思っていたりもします。
中学時代には鉄の友達山ほどいたんですけどね、
彼らと疎遠になってしまったんで、
今どこにいるのかすらわからないんですよね。
名前はいろいろ出てくるんですよ。
ひらい君とかね、いるんですけど。
まあいたんですけどね。
ライオンズファンでもあったかな。
所沢のお住まいの人多かったですからね。
まあどうでもいい話に、
今なぜそっちに行ったっていう話なんですけれども。
そうなんです。
だからまあ、本の書き方ね。
不思議な編集さんが、
俺が書いちゃう編集さんっていうのもいるんですよね。
話を聞いて俺が書くみたいな。
これもね、ノウハウとして人にどうやったって伝えようがないじゃないですか。
編集さんに書いてもらってください。
これ面白いかもな。
でもやめよう。
書いてはくれないですからね。
普通の編集さんはね。
たまにそういう方もいらっしゃるというだけで。
そういうわけで、
なんだかよくわかんなくなりましたが、
29日ね、
お知らせしました。
さて、今日はですね。
今日は金曜なんで、
総合会みたいな、つまりぐだぐだ会なんだけども。
どこから行きますかね。
最近メラニー・クラインに凝ってるというか、
ほとんどメラニー・クライン読んでるんですよ。
初めてのメラニー・クラインとかも、
予約注文。
予約じゃないなあれは。
単なる注文をしてしまって、
これから読もうぜみたいになって。
12:00
クライン機質が高まってるわけですけれども。
あれはフロイトの、
僕から見ると一つのですね、
自分の娘以外では、
最も大事なお弟子さんの一人なんじゃないか。
いわゆる精神分析第一世代。
事実上フロイトと一緒にやってた世代ってのは、
もっと前からあるんですけどね。
ユングとかアブラハムとかジョーンズとか、
ああいう人たちなんですけど。
フェレンチとか超非常に大事ですけどね。
でも私はやっぱりこう、
精神分析は結局フロイト、
アンナ・フロイトとメラニー・クラインっていう、
そういう三人が三角形みたいな感じを、
特に三角関係っぽさもあってね。
感じさせられる。
その一角であるメラニー・クラインが、
やっぱり僕にはすごく非常に大事な存在だっていうか、
重大な存在だって感じを与えてくる。
彼女が母子一体ってものをスタートさせた気がして、
仕方がないんですよ。
彼女は何と言っても資格がなかったせいなんだけど、
幼児を見ましたから、
幼児をどうやってカウンセリングするんだって。
だからプレイセラピーっていう発想が、
すごく彼女のところから、
豊かなものが広がっている感じがあるんですよ。
やっぱり何らかんだ言って、
フロイトは遡ると言っても、
エリプスコンプレックスじゃないですか。
まず大事にそれは、
男子って雰囲気をどうしても帯びてきますよね。
で、男子がお父さんをライバル視するってのは、
それができるぐらいの年齢に差し掛かっている。
で、やっぱりフロイトは、
カウンセリングをするにあたって当然なんですけど、
コミュニケーション、
言葉によるコミュニケーションというものから、
カウンセリングってものを考えていったから、
当たり前ですけどね。
最初やる人はみんなそう思うと思うんだけど、
プレイセラピーとかじゃないじゃないですか。
大人を相手にして、
お金もちゃんと払ってくれる大人っていう意味でね、
彼はプロフェッサーでしたし、
乳児と一緒にプレイセラピーから入るっていうタイプでは、
なかったと思うんですよ。
ただよく考えてみると、
フロイトの相手にした人は、
判目とか言っちゃうし、
つまり黙ってしまうし、
彼が意外に言葉にこだわったっていうのは、
やっぱり性格だろうなって思うんですよね。
いかにもさ、
サッと言っちゃったけど、
いかにも芸術療法とか、
遊戯療法とか、
催眠療法にフロイトが手を出したわけだから、
非言語コミュニケーションに行きたくなる理由は、
いっぱいあったと思うんだけど、
彼は言語コミュニケーションにすごいこだわりましたよね。
だから言葉が使える年以上にしか、
精神分析は最初やらないっていうような、
ある意味枷をはめたんだと思うんですよね。
そこでエディプス・コンプレックスっていうのが出てくる。
三者関係以上のものを意識できるようになってからこそ、
セラピーだっていうような感じがありますね。
そこをフラインはリッキーに変えていって、
カウンセリングとは二者関係であるぐらいのところに、
入っていったわけですよね。
リッキーにロボット。
15:00
そこにコミュニケーションというものは言葉に寄らなくても、
しかもエディプス・コンプレックスもあるし、
つまり2歳とか1歳でも嫉妬はするよっていう話を始めて、
しかも声の不正確だって言われると困るんだけど、
不正確ですからね。
私分析家じゃないの。
カウンセラーでもないし、
購入心理師とか臨床心理師じゃないですからね。
ロットでそこに入っていったわけですよね。
精神病の世界で言えば重度ですよ。
だから重症患者を見るっていうのも、
対象関係論のフライン派ではすごく大きな売りになっていくわけですよ。
だって困るじゃないですか。
家に言葉も理解できません。
現実見当が狂ってますっていう人を持て余すじゃないですか。
今でも持て余してる。
ぶっちゃけ言ってしまう。
で、それを見ますっていうわけですよ。
そして改善させられるんですっていうわけですよ。
例えば1歳児とか2歳児でも、
自分の体ばっかり触ってて、
よく分かんないことをやってる子を、
お父さんとお母さんのセックスを見たんでしょう、
みたいなことを伝えていくわけですよ。
解釈って言ってね。
どう伝えたのか知らないけれども、
ていうか多少は読んで知ってるんだけど、
でも具体的に本当に実際どう伝えれば伝わるんだそれっていうのは、
書いてあることを信じたとしても、
なんだかよく分かんない話もあるんだよね。
実際クラインに言わせれば、
解釈をしていくと子供はすごい安心した表情を見せるとかって、
書いてあるわけですよ。
そして安心して、
例えばですけれども、
ちゃんとお勉強をするっていう気持ちになっていくとか、
この話を読んだとき、
私は非常に感銘を受けたわけですね。
だって我々そっくりじゃないですか。
私なんかもそうですけど、
お母さんに屈辱的なことを与えられたから、
仕返しにファン座を見てやろうみたいなことやってると、
仕事が進まないわけですよ。
そうすると、
いやいや、それはこういう理由があって、
あなたは今ファン座を見に行きたくなってるんだけど、
安心して大丈夫だからっていうと、
なるほどなと思って仕事をする気になり、
3ヶ月チャレンジの告知文を書き出すと、
すごいほとんど何にも変わらない乳幼児って感じがするわけですね。
だから私はクラインって人はすごいと、
いつも思っているわけです。
ここのベースに母子一体ってものを置いた、
エディフスコンプレックスじゃなくてね、
お父さん出てこないじゃないですか、この場面に。
セックスは出てくるけどお父さんは出てこない。
この辺がいかにも部分対象関係らしさってあるわけですよね。
お母さん大好き大好き言ってるんだけど、
何がどう大好きなのかよくわからない。
あなた好きなのはおっぱいだろって話なわけですよ。
それなんだけどお父さんがそれを独占している。
こういうのってね、結構若にならなくて、
臨床例とかでもよく出てくるんですよね。
しかも男性とは限らなくて、
ここもすごくクライン派の切り開いたところだろうなと。
女の子だってお母さんが大好きでお父さんに嫉妬する。
18:01
フロイドの考え方って、ペニス戦亡とか言っちゃってね、
お父さんを奪い合うんだって、
これはいかにも異性愛の世界ですよね。
三者関係の世界。
お父さんを奪い合うから女の子にとってはライバルはお母さんです。
でも2歳児だったら女の子だって逆なんですよね。
お母さんこそライバルなんですよ。
ライバルの姿もよくわかってないライバルなんですよ。
このほうがよっぽどですね、
いろんな言い伝えというのか、臨床の話というのか、
わかる気がするんですよね。
例えば、よく言うじゃないですか、
私お母さんがかわいそうで、
お父さんはね、お母さんを家で奴隷のようにこき使って、
召使いみたいにして、よくある話ですよね。
昭和のお父さんで終わって、
お父さん嫌いなんです、みたいな。
どこにもペニス全貌出てこないわけですよ。
出てこなくはないんだけど、でも出てこないわけですよ。
私お母さんが好きなんです、みたいなね。
で、ここにね、さらに臨床でややこしくなってくる話に、
うちのお母さん美人で、みたいなことを言い出す人もいるわけですよ。
そういう話、ちょいちょい出てくるんですよね。
で、お父さんはなんか訳もわかんない、
何の根拠があって、あの素晴らしいお母さんを独り占めしてるんだ、みたいな、
そういうことを訴えてくる女の人って、
結構臨床の話で出てきて、なるほどなって思うんですよね。
私はこっちの方が話として納得できる気がするし、
世の中でよく聞く話に近づいているように思うんですよ。
あのお父さんのことを、お母さんのことをないがしろにして、
すごくお父さんが気に食わないんだっていう話をしている。
私はこれは同一化だと思うんですよね。
お母さんがそう言っているとは限りないじゃないですか。
この話だけ聞くと、なるほどね、日本の男はダメだよね、みたいな話になるかもしれないけど、
僕はそうは思わないんですね。
男だからというよりは、まずこの話、一方的な視点を取ってますよね。
大事なのはここなんですよ。
だからその人の肩だけを持っちゃいけないって話じゃないですよ。
一方的な視点が大事だってことなんですよ。
ここが本当にね、私は世の中ではなぜかないがしろにされる、どっちかになっちゃうんですよね。
一つは結局そのお父さんダメだるんですよね。
昭和のダメ親父許せない論ですよね。天才バカ坊の世界ですよね。
これはよくあるんでもする。
こっちは他の人に任せときゃいいと僕は思ってるんで。
もう一つがですね、その、いやいやその人の一方的な見方なんじゃないの論。
実はお母さんは納得してるし、お父さんそんなにひどくなかったなんじゃなかったんじゃないの。
これはいかにもそういう可能性もあるし、
良識的なようだけど、これを言っても意味がない気がするんです。
なぜなら、でもそのお父さんもう亡くなってますとかね。
事実かどうかを最終的に知る手立てはないんですよ。
なのにここで事実はどうだったんだってことに肯定するのは、
結局のところあまり大した結果を得られる感じがしないんですよ、私の感じでは。
21:03
だからここで、最近で言うとカウンセリングだし、精神分析って観念が出てくるんですよ。
この人の一方的なものの見方だよね、それは。
で、その人はどうしてそういう見方をするようになったんだろうっていう、
ここに心的現実って言葉の意味が出てくるわけじゃないですか。
そういう事実は大してなかったのかもしれない。
お父さんは別に奴隷のようにお母さんをこき使ってなんかいなかったのかもしれないが、
その人はお父さんのことが気に食わず、お母さんを召使いのようにしていたように見えた。
なぜでしょうかっていう、ここがサイキックリアリティなんですよ。
この主観というものを見ていかなかったらダメだろうと、
僕はこれは常識的にこれをまず見るべきだって思うんですよね。
事実がどうだったか、客観的な事実がどうだったかっていうのは、
僕らは検事とかじゃないからわからんわけですよ、どうやったって。
調べる権利はないしね。
で、お父さんが本当にひどかったんだとしても別に意味ないんですよ。
事実としてはもうだいぶ昔の話だと。
唯一最も意味があるのは、本人がまだそれを一応根に持っていて、
しかも本人はそうだと信じきって、
この心理そのものに踏み込んでいくっていうのが分析的だろうと思うんですね。
あるいは臨床心理的だろうと思うんですよ。
さらにその上にここであれが出てくるんですね。
ちょっと待ってくださいね。この辺で一旦聞きます。
すいません。今何をしてきたかというと、
ゴミを出してきたわけですが、さっき何の話をしていたか。
そうそう。
ある種のエディプス状況なんだけど、まだはっきりとしてないんですよ。
ここのところが僕は大事だなと。
4歳児だってはっきりはしてないかもしれないけど、
だいぶ僕ら4歳の頃の記憶ってあるじゃないですか。
完全に無意識とは言えないじゃないですか。
さっきの話って2歳とか1歳に戻っていくんで、
完全に無意識だと思うんですね。そんなことがあったとしても。
ここにすごく厄介な問題があると思うんですね。
つまり、お母さんというものが大好きで、
女の子にせよ男の子にせよ、子供はお母さんと一緒にいたい。
これをお父さんという存在が、まだ意識できてないんだけど邪魔をしてくる。
つまり、一番最高に厳しいのはフロイトが問題にした
父母というカップルが私を疎外するってやつ。
要するに簡単に言うと家から出ろって感じですよね。
24:03
これは無滅的なものを感じさせても、しゃあないと思うんですよ。
かなり厳しいんで、この状況。
でもこれを要は暗示されるだけでも嫌ですよね。子供にしてみると。
だから私はよくこの種の状況で、
毒親という言葉は、まるで地図を見て、
いやこれは日本だねって言ってるのと似てる気がするんですよ。
それではどこにも行き着けないし、地図の役に立ってない。
毒親っていうのは、何の苦しみを指しているのかを言わないといけないって思うんですね。
親が悪かったって言うだけじゃ、親ってそもそもどっちの親だって話もあるんですよ。
そして何がどのように悪かったんだっていうのはすごく大事だと思うんですね。
全然毒じゃない親でも、これをやられると子供は厳しいっていうシチュエーションってあるってことなんですよ。
私が思うのは。
これに毒も善良もないっていう感じがするんですよね。
そういうよりも、遥かに細かく細かく見ていかないと、
ただただ水風呂に入れられたことがありますっていうだけじゃ十分ではないと思うんですね。
赤ちゃんにしてみると、水風呂運動員よりも遥かに前に、
例えばおっぱい一生懸命飲んでいる最中にいきなり殴られるとかね。
なぜならば赤ちゃんがおっぱい噛んだからみたいなね。
これ分かんないわけですよ。分かんないけどかなり破局的なものを感じるだろうなって思うんです。
一瞬にせよね。別にそうしちゃいけないという話でもないんですよ。
これをするから虐待だともとても言えないと思うんですね。
僕はそうは思わない。
これをされたことが私はきっとあるんだけど、それを虐待だとは少しも思わない。
ただ、当時の私は虐待以上だと感じた可能性はある。
つまり傷つくってこと。
この種の傷つきは避けて通れない。
例えばすごくおっぱいが飲みたい時にたまたま授乳はされなかった。
これだって赤ちゃんにしてみれば毒親以上ですよ。
飢え死にさせるつもりなんだろうかっては考えられないんだけど、
つまりそういうふうな恐怖を覚える可能性は十分あると思うんですよ。
そこに憎しみってものも生まれるじゃないですか。
だから我々はどんな親に育てられようと例外なく憎しみの感情って持つと思うんですよ。
そういうものを持たないで生きていくことは不可能な構造がそこにあると思うんですね。
これが、これがなんですよ。
このような出来事が長持た時に大きくなった時に大きくなった時に、
だって3歳か4歳になった時にね、
27:00
お父さんはお母さんをいじめているっていう考え方に発展し得ると思うんですね。
あ、あのお父さんがいたせいで私はミルクが飲めなかったんだと。
だってそういうことはあり得るじゃないですか。
たまたま私がすごいミルクを飲みたかったことにとりきりお父さんがおいお酒とか言ったとかね。
あり得るんですよ、昭和だったらいくらでもそんなことは。
で、この言葉のニュアンスやトーン、意味は分かんないって1歳時や2歳時、3歳時だって分かんないと思うんだけど、
おいお酒と言ったと、このトーンがもうなんか自分にとっては許しがたい。
男の子だったらもう完全に許せない。
自分の大好きなお母さんからミルクをもらうこの、要するにあれですよ、
一番最初に初恋の人とデートすることがついにできましたみたいな時に、
どこからなんかこう不良っぽいやつがやってきて、おいちょっとこっち来いみたいなことを言ってるって、
これぐらいもっと遥かに悪いんだけど、時代は。命がかかってるから赤ちゃんには。
だからこれぐらいひどいことが起きたんですよ。
だからお父さんを憎むんですよ。
これをですね、この感覚、感覚だけですよ。
今のようなシチュエーションは1歳、ただ僕が勝手に象徴的に作り出し、象徴ですよね。
作り出したでっち上げの話にすぎなくて、この感覚のもっと遥かにデートを邪魔された怒りみたいなもの、原型みたいなものを持って、
さあ13歳になった時に、お父さんって本当は大棒よねってお母さんが言ってる。
この感じとフィットしちゃうってことですよ。
これが東映同一化だと僕は思う。
というか反復でもいいですよ、これは。
つまりそういう出来事を反復しているかのように思い出してしまう。
出来事そのものは類似しても酷似してもいないんですよ。
似ても似つかないかもしれない、そんなのは。
だって受入中にお酒を持ってこいと言われ、
それと13歳になってお母さんが愚痴をこぼしてる。
全然関係ないかもしれないんですけども、関係づけます。
覚えてるのかっていうと、覚えてるのは無意識です。
だから関係づけるのは容易なんですよ、むしろ。
そのシチュエーションが何だったかが分からないわけだから。
そのシチュエーションはすっごい変形されやすいシチュエーションなんですね、元のシチュエーションは。
どんなシチュエーションでもそうですけどね。
記憶などというのはすぐ変形されるって。
で、このようにして次から次へと反復が起きますよね。
だってそういうお父さんだったらしょっちゅうそういうことはやっているじゃないですか。
何万回という可能性すらありえなくはない。
少なくとも何千回は行きますよ。
だってこのフォトフェスすらもうすぐ千回行くんだから、
千回ぐらい行くに決まってますよね、こういうことって。
多分1万回行きますよね、口頭でのやり取りみたいなものを全部含め。
1万回も反復されるわけですよ、このイラッイラッイラッっていうのがね。
30:01
あれですよ、漫画に、なんだっけあれ。
角を4つ描くと怒りになる、頭の上に。
まさにあれが1万回も繰り返されれば、
それはお父さんに憎しみをどこかで持ったことは確実だと言っても過言ではないでしょう。
こういう家は何億点とあるでしょう、地球上には。
僕がこれをプレエディプスコンプレックスみたいな言い方をするんですけど、
クライーンの世界では、結局のところ女の子であれ男の子であれ、
お父さんを憎みお母さんと一緒にいたいという願望を持つようになる。
この願望がですね、非常に突拍子もない話を聞くって思うかもしれませんが、
職場で白い目で見られる恐怖というものと、僕は結びついていると思ってるんですよ。
職場で白い目で見られるっていうのは、
まず文字通りに考えてみてほしいですね、こういう時は。
人は象徴を使うのが得意なので、職場で白い目で見られると、
何を見しているかわかるでしょうって言うかもしれないけど、
厳密に職場の人たちの目が真っ白にはならないじゃないですか。
非常につまらんことを言っているように思うかもしれませんが、
象徴って難しいよってことなんですよ。
いつも僕はここの今週よく言ってましたね、
恋人にフラれたら恋人がいない元の状態に戻ったと誰も思わない。
いなくなった恋人という悪い存在が発生したかのように我々は捉える。
つまり我々は象徴機能を確かに持っちゃいますが、
それを十分に使いこなせるには程遠いところにいるんですよ。
すぐ象徴が具体象徴になってしまう。
つまり、物になっちゃうわけですね。
何かが存在しないっていうのが一番我々は得意じゃなくて、
何かが存在しているってことにしちゃうんです。
存在するものは基本物なんで、結局それは物があるってことになってしまう。
ありもしないものがあるってことになってしまって、
精神病状態、近づくわけですよ。
白い目で見る。目が真っ白にみんななるのか。
100人いる会社だったら100人とも目が真っ白になって、
彼らの白い目が私たちを見ているのかと。
仮にそうだとしてそれが何だというのか。
真っ白い目で見られれば不気味かもしれないけど、
それ自体によってたちまち私たちが破滅したり死んじゃったりすることはないじゃないですか。
傷つくことすらないですよね。
倉園圭三さんのGood Vibes流に言うと、どう傷つくんですかって話なんですよ。
なんでこういう象徴、具体象徴に直すような言い方をするかというと、
我々は象徴というものがよくわかっているようでわかってないから。
白眼視されるとか、白い目で見られるとか、みんなに鬼没だと思われるとか、
いろんな言い方をされますけれども、いじめられるでもいいですし、
バカにされるでもいいですよ。
何が起きているのか、すごい大事なんですよ。
ここから先を考えられないということは、
怖すぎるという、夜がつかむ世界に入りかかっているという話だと思うんですね。
33:08
なんで白眼が怖いのかというと、
それは一番近いところで妻弾きにされる恐怖だもん。
仲間外れにされるってことですよ。
ここのところで、仲間外れの話をさっきまでしてたっていう話を思い出してもらいたいですね、クラインは。
お母さんと私、仲間。お父さんは仲間外れ。
でも、この力関係が狂って、赤ちゃんの目から言わせるとね、
狂って、お母さんとお父さんが仲間。
私、仲間外れ。これほど恐ろしいことはないってことなんです。
でも、この体験はみんなしてる。
たぶん全人類がしてる。しょうがないよね。
だって、もともとのカップルは不母だったんですから。
いくらそのことを赤ちゃんが理不尽だと思っても、やむを得ません。
生まれる前からのカップル、そっちにあったんでね。
だから、どっちをやってもダメなんですよ、ある意味では。
私とお母さんが仲間ってやっても、結局仲間外れにする。
つまり、特にそういうことをよくするのが、
家庭環境がある種不和だったりすると起こりやすいじゃないですか。
お母さんと私が仲間、お父さんは仲間外れ。
最近で私が盛んに読んでるね、女性が書くコミックエッセイに、
ほぼこれ出てくるなって感じがします。
いいよ、もうお父さんと別れようよ。みんなで家で暮らそうよって言ってんだけど、
でもお金があって言って困っている。
お金に支配されているみたいな話なんだけど、
だからこれは社会問題とみなされてるんだけど、
その前に、この仲間外れに人をするっていうことによって正義を通したら、
いつか正義が通った時に、自分が仲間外れにされる恐怖ってものと
戦わなければなりませんよっていう話を誰もしてない。
精神分析家なら絶対するんだけどな、ここでっていう感じがする。
つまりこの問題は嫉妬なんですよ。
嫉妬だというふうに最初に言った人は多分フロイトなんですよ。
ヒステリーというのは嫉妬の病ですからね。
嫉妬で人は水も飲めなくなる。
英語も話せなくなる。
イギリス人だったとすればね。
乖離が起きる。多重人格になる。
イブブラックとイブホワイトになっちゃう。
嫉妬ってすごいんですよ。
で、その嫉妬の原型の原型を探したんですよ。
フロイトはそれでエディプスコンプレックスに行き着いた。
あれは完全に嫉妬の話ですよね。三角関係の話です。
女を取り合う男2人の戦いです。
言ってしまえばね。
それがたまたま家族だったっていう話ですよ。
エディプス王ですよね。アジャセもそうです。
お母さんは私のことだけ見てくれて。
ただしアジャセコンプレックスの方が私は二者関係に接近してる気がしますね。
手塚治虫はジーワカ先生って医者にしてしちゃってたんですけれども。
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ジーワカっていうのは確か仏典では神科なんですよね。
アジャセ王に対して勇気あるなと思うんですけどね。
諌めるんですよね。すぐ殺されちゃうと思うんですよね。
古代インドで王様に文句言ったりすると。
その言葉が古ってて、アジャセ王に王よって言うんですよ。
これまで私が見聞きしたところによると、
王子がお父さんフォーを殺して王人に就いたという事件は、
これまで1467件だっけな。
インド人が好きな数字が出てくるんですよ。
1467件もある。
しかし、王子が王妃を殺したという例は一件も聞いたことがない。
本当かって感じがするんだけど、
それくらい古代においても母子の結びつきって強いんですよね。
お父さんを殺してもいいよねって話、結局しちゃってるじゃないですか。
どう考えてもそうじゃないだろうと思うんだけど。
宮崎アニメにもありましたよね。
いきなりお父さんを殺すシーンから始まるようなやつ。
お父王様のね。
とにかくそういう話ですよね。
だから、つまり地和賀さんは言うわけですよね。
これはおよそ王族のやることとは思えない。
ここですごい差別的なんですけど。
これは不可触先民のやること。
私は見るに絶えない。
だからこれを見せるんだったらまず私を殺してくれ、みたいなことを言うんだけど。
すげえ諌め方だと思うんだけどね。
安安王子は嫉妬に狂っちゃってるんで、
その瞬間に殺されかねないことを言ってる感じなんだけれども、
これで仏典の感じでは結局、お母さんは殺さない。
だからお母さんは殺せないんだなっていう感じを抱くんですよね。
これで正気に帰るみたいな話なんですよ。
逆に言うと、古代ではここまでは正気だったってことですよね。
この観点で完全にヒステリーに近い世界で、
それによって家庭内不和が結局のところ権力争いと結びついて、
殺しちゃうという恐ろしい世界なんですけど、
でもこれが古代では少なくとも清書の範囲だとある程度見なされてたんだろうなっていう話。
もうこれも暗示してますよね。
いずれにしても、カーストみたいな話と絡めてですね、
すごい、何て言うんだろうな、何しろ紀元前の話ですからね。
紀元前も紀元前で、紀元前で700年くらい前ですよね、あの話って。
でもそういう話なんですよ。
これは和形王国だったっけ。
で、こういうことがあるぐらい、
私たちはつまり仲間外れというものに対する、
正義と仲間ってものが同じになってしまってる。
要するに私は別にインドの話がしたいわけでも、
仏教の話がしたいわけでもなんでもなくて、
会社で仲間外れにされる恐怖との原型ってのは、
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たぶんエディプスなんだろうと僕は思っているんですね。
だからやっぱり思い出す必要がある。
やっちゃってると思うんで。
絶対やっちゃってると思うんですよ。
だって私だってありましたもん、
母にお父さんはほんとだらしがなくて、
そこら辺にちり髪を捨ててみたいなことを親かれる。
6、7歳だと思いますね。
少なくとも思い出してる限り。
この頃お母さん大好きだったら、
もうやっちゃうじゃないですか。
お父さんを白眼視する。
これが、これはさっきも言いましたが、
1万回とか10万回とかやってるはずなんですよ。
その後少女漫画とかにもよく出てくるじゃないですか。
なんかかっこいい男の子と付き合いだすと、
友達がみんないじめてくるみたいな。
あれで伝わるってことはですね、
あれをされるのがかなり辛いってのは、
我々は知ってるって話なんですよ。
これが会社でミスをするとか、
会社で誰かに優遇されるとか、
昇進するとか、
ありとあらゆるタイミングで
課題になってくるわけですよね。
つまり嫉妬するかされるか。
いずれにしても非常に厳しい。
この厳しさというものはですね、
同僚の目が真っ白になることではないんですよ。
お母さんに嫌われるってことなんですよ。
最終的な問題。
あるいはお父さんにかもしれない。
この場合お父さんに家から追い出される。
このカップルはもともとあったカップルだからね。
あなたはカップルにはなれないんだよっていう。
会社ってそうじゃないですか。
いざとなるとそういうことになっちゃうじゃないですか。
この会社は執行役員が作ったものなんだと。
このやり方気に入らないんだったら、
そこから出ていきなさいねっていう話。
これ通るじゃないですか。
本当は通らないんだけど。
だからコンプライアンスが生むって話になってくるわけですよ。
つまり家族というものが成り立ちで始まってしまったら
子供の立場はないわけですよ。
だから法ってものが大事だよねって話。
結局エディフスコンプレックスの兼ね合いで
出てくる話なんですよねきっとね。
でもこの話は社会学の範疇だと僕は思ってるんですよ。
僕が見たいのはそうじゃなくて、
主観性なんですよ。
だってお父さんに嫉妬されたなんて話は
絶対今関係ないじゃないですか本当はね。
この感情はただそういう出来事があったであろうということ
既にその問題は今解決されているっていう2点を結べば
ある程度十分だと思うんですよ。
この2点を結べばですね、今が問題なく
当時そういうことはあったっていうことさえ思い出せれば
自分の心は治まるんじゃないかって
フロイトはある程度は期待したんじゃないかと思うんですよ。
あれはトンチンカンだったかもしれないけど
フロイトは結局そういうことを
ドーラにお説教してるじゃないですか。
あれが良くなかったとは思うんだけれども
でも結局はフロイトの言ってることは妥当ですよ。
当時のドーラには納得できないでしょうけれども
妥当は妥当だと思うんですよ。
我々にとってはましてやだと思うんですね。
我々はあそこまで深刻な事態を
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今抱え込むべき理由はないと。
私なんかがそうですよ。
母が何であろうと。
母なんてもう80近いおばあちゃんなわけであって
つまりその当時のことが許せなかったとか許せた
それは50年前の幼児だった私の感情の話なんですよ。
でもこれが邪魔をする。
つまりいろんな私に対して
面倒な影響を与えてくるということは
実際は起こってしまうんですよね。
今更そんなことに煩わされたくないというのは
当然だとしても起こってしまうんですよ。
そういうことってきっと。
だからしゃあないので思い出して
一つ一つ感情処理していくある意味では。
これは修正浄土体験とか言ったりするんですけど
名前はともかくとして
つまり今白眼視されるということと
ありにあったとしてですね。
その時私が家から追い出されるかもしれないと感じた恐怖と
恐らくそういうことはあったんですよ。
それは親父が追い出すぞと言ったわけではないですよ。
そういう雰囲気を勝手に感じ取るってことね。
だからサイキックリアリティって大事なんですよ。
心的現実というのは大事なんです。
ここで少なからぬ人が
事実がどっちだったんだって言い出せないですか。
それほど大事じゃないことはないと私は思うんだよね。
事実はこの場合大事ではないですよ。
これは必ずあるはずの情緒なのであって
事実がどうであれそういう情緒は生まれる。
生まれないと人類としては困るんだろうなっていうのが
少なくともプロイトの見解なんですよね。
全人類はエディフスコンプレックスを体験すると。
オッドランクがさらにエキセントリックに先を行き
大体子宮からさ外に出てくるのは辛いじゃんって言って
出生外症という考え方を取ったんですけど
これだったら確実ですよ。
出生外症を経験していない子供など一人もいない。
なぜなら出生時にそれが外症になるって言ってんだ。
なるんじゃないかなと私は思わなくはないです。
ただ外症という言い方は妥当じゃないだろうな
という気がするんですけど。
ただそうは言っても子宮の中が心地よかったです。
外に出る時は辛かったですってことはあるでしょ。
だから外界というものは厳しいもんだっていう風に
人生の一番最初に感じてしまうということは
当然起こり得ることだと思うんですよ。
そういう発想を持った人がこの世にいたということは
つまりオッドランクだって現実って厳しいよなって
思ってるってことなんですよね。
これですよね結局白眼視の一番厳しいのは。
だって家の外に出されたからって
じゃあ家の外で生きていくよって言うんであれば
別に問題ないわけじゃないですか。
お前家の外に出すぞというのが虐待であるっていうのは
家の外が厳しいという既に前提が共有されていて
こそのことですよ。
つまり白眼視が怖いっていうのは
実はこの感覚に基づいているかもしれないってことですよ。
白眼視って結局そこにいられないってことでしょ。
いたたまれないとか居場所を失うって言うじゃないですか。
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でもそこに居場所がなくたって
私にはこっちに居場所がありますっていう人にとっては
実はなんてことはないわけで
外に行ってみたら赤ちゃん
これが赤ちゃん次第でちょっと気難しさみたいなものを
最初に選択するポイントになるのかもしれない。
外に出てすぐにニコニコしているというか
最初は泣いてますけどね。
でも割とすぐニコニコしだす赤ちゃんと
しばらく気難しい赤ちゃんとはいて不思議はないですよね。
人間のパーソナリティから考えてみると。
結局そういうことってあるじゃないですか。
転校しても転校した先で人気者になっていく子もいれば
転校してはうつうつとしてしまうっていう子もいて
老人も同じじゃないですか。
昨日私買い物に行って
なんかものすごいツヤついて歩くのも大事そうなのに
めちゃくちゃ明るくてやだら笑っているおじいさんがいたんですよ。
で、それからしばらくして、老人の多い地域なんでね。
もう明らかに気難しくなってて
このまま一生気難しいままだぞっていう
これはしょうがないですよね。
パーソナリティにありますよね、我々は。
多分その人に起きている現実は大して違わないんですよ。
だから私はよくそこのところでも
クラドノさんのグッドバイブスというか
グッドバイブスのクラドノさんの言ってる通りだなと思うんですよね。
現実は我々を幸福にしたり不幸にしたりするように一見見えるんですが
そんなことはないんです。
だって我々は出生時に体験することはおそらくみんな同じ。
子宮から引っ張り出される。
これをどう解釈するかっていうのは赤ちゃん次第で割と違う。
しかし赤ちゃんがそれまで経験していることって
多分ほとんどみんな同じです。非常に類似して。
だから多分あんな小さい時から脳もまだ未発達の頃から
なぜか心の何かみたいなものはあり
結局は出来事を我々はそんなに早い段階から解釈し始めてしまう。
外が寒かったとか暑かったとか厳しいとか
親が優しそうだとかなんだとかいうことが
一切理解できるその前の段階からすでにそれは始まってしまっている。
だから我々のように長寿でしまった後で
会社の人がどう扱ったこう扱ったっていうことを言い出すのは
ごく当然のことなんだけど
おそらくそれは真実には反するんですよね。
だってまず間違いなくそうじゃないですか。
同僚の目が白くなったかどうかにした問題ではないはずなんですよ。
ここをそんなにまで重視しようとしているところに
これは所詮全てよた話だと思っていただいて結構なんだけども
でも一瞬嫉妬っていうキーワードをよぎらせてみると
心が落ち着くかもしれません。