1. グッドモーニングボイス
  2. 精神分析ってなんなんだろう【..
2024-04-02 45:25

精神分析ってなんなんだろう【GMV 959】

飲食店にたとえてみると。
00:00
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
はい、4月の2日。いやー、やっとエイプリルフールってやつを出してですね。
この日ね、ほんと、あのー、8時、今17分なんだけど、ほんとこう、めんどっちい日だなと思ってて、
えー、告知とか、なんかやっぱしにくい感じがするんですよね。
うる、鬱陶しいじゃないですか。
いやー、これエイプリルフールでしょうとか、言われるだけでも鬱陶しいぐらいなので、
あの、そうでなくてもね、もうあのー、告知すれば一気にワンサが来るっていう場合はいいと思うんですよ。
そういう人たちであれば何と言われようと話題になってるで済むしいいと思うんですけど、
まあ僕ら言う、だから言われることはないと思うんですけど、
まあこの日に告知はしたくないなってのはやっぱちょっと、えー、馬鹿げてるけどありましてね。
あのー、4月の1日告知というのは、避けちゃうんですよね。
だからもう告知がこう、なんていうんだろう、なんていうのかね、えーと、
ちょっとこう、出番までまでみたいなああいう、舞台の袖みたいなところで待ってるみたいなことになって、
なんだこれって思っちゃったりもしたりする日が終わりまして、いやーめでたいと。
なんか4月1日って面白い日ですよね。年度始めにもかかわらず、
そしてなんかもっとこう、めでたいんだけど、非常に変な日。
ダウトの日ですから、要するになんかこう疑わしい日なんですよね。
なんかよくわかんない、この不思議な、誰があれを始めたんだろうって感じもしますけど、
まあまあ、特にインターネットで生きてると、ほんとエイプリルフールの日ってのは色んなことがある、
あのー、飛び交う日なので、なんかこう、告知に向いた日じゃないなーと思ってしまう。
だから僕いつもなんか4月2日に告知してるっていうニュアンスをね、自分でもっちゃうんですよね。
はい。
まあそれでね、4月の7日にタスクシュート手帳セミナーをやりますと。
これほど繰り返し言ってるのは、もっと来てほしいなっていうことでしてね。
あの、もう少ないとは思わないんですけれども、
でもリアルはね、ほんと難しいところにもありますから、
いや、リアルが難しかったのは過去の話で、コロナ云々ってのは過去の話で、
実際は全然難しくないはずなんだけど、
大阪ね、観光客の方とか、きのうも新橋、きのうじゃない、おとといか、
かき上げ塾で新橋を通るんだけど、
もうなんて外国人の集団だっていうぐらい、
なんかね、修学旅行ですかっていうぐらい、
もう改札は外国人集団であふれ返っていて、
コロナなんてどこ吹く風だと思うんだけど、
でもまあオンラインでセミナーが一旦できるという流れができると、
なかなか難しいわけですよね。
もっと昔だったらスイスイだっただろうっていう集客が、
意外とそうはならないっていう話をしててもしょうがないんで、
まあよろしくお願いしますと。
もっといらっしゃるはずでしょうっていう風に思っておりますんで、
これはね、実験的っていう風に僕も散々言っちゃってますしね、
03:03
実験的であることは確かなんですけれども、
これをぜひ私たちのプロジェクトとして、
2024年、これだけではもちろんないんですけど、
これは重要プロジェクトの一つなので、
私としてはぜひうまく持っていきたいと。
どう着地するかまではもちろん全然わからないにしてもですね、
まだそもそも手帳の最終形態が決まってもいないんで、
ここをまあ何とかしていきたいということで、
よろしくお願いします。
で、4月21日の方、これもね、
なんかこうまだ全然なんですけれども、
これから真剣に、
昨日はちょっと本当に、
なんかこうなんとなく流してしまったんですけども、
ぜひですね、4月20、
20何日だ?正確な日がすぐ忘れてしまうんです。
年齢のせいだということに今してるんですけどね。
えっと、4月の日曜日なんですけど、
21ですね。
Good Vibes スタッフシュートセミナー。
いやいや、プレミアム版ということでね。
先送りゼロ。
本も出したばっかりなので、
これを目指しましょうと。
でね、ちょっと僕も最近収支替えを、
あの、あちこちでね、
微調整をかけてるんです。
この種の微調整は絶対僕は必要だと思うんですよ。
方針の内転換となってくると、
例えばもうこう、
割り込みは絶対排除みたいなところから、
割り込み受け入れましょうみたいになっちゃった。
僕のその偏説は、
もうこれ偏説言われて仕方ないと思うんですけど、
微調整はね、しようと思うんですよ。
最近微調整してるのが、
こう、皆さんがよくおっしゃるところの、
自分の時間を確保したいってやつですね。
あの、あれはわかるんですよ。
よく、お気持ちはね。
ただ、タスクシュートでは、
まずタスクシュートではね、
そもそもその時間がどこにもないという現実が、
相当程度明らかになってるときに、
無理やり作ろう作ろうと思ってても、
辛いだけだっていうのがあったんですよね。
これは割とずっと言ってきてますね。
レッドバイオスでいうところの話で言うと、
例えば一つには、
自分の時間がないが怒りに変わってしまって、
さらにそこからリベンジを目論むってことになってくると、
話がもう全然大きく、
そしてこうなりやすいんでね。
旋回して、わけわかんなくなっていく上に、
ダメージを自分が受けたり、
周辺との関係がおかしくなったりするから、
まずそこを、あの、
見つめ直しましょうね、でも、
手放しましょうね、でもいいんですけど、
いろいろあるわけですね。
いずれにしても、ストレートに、
自分の時間なくて困るから、
1時間確保するんだっていうようなのを、
ただストレートにですね、
ただストレートにそれを、
ご利用ししようとしたり、
時間製造機を作ろうとしても、
そういうわけにはいかないじゃないですか。
だからその辺の話は僕は、
今は微調整をかけてます。
自分の時間っていうのは、
私自身はですね、
自分の時間と他人の時間を分ける理由は、
そこにもないって思うんだけど、
でも現代社会で、
06:01
これほどこう、
自分主体、個人っていうのが言われてる中で、
ただそれ言っても、
やっぱりこう、
無理だろうなっていう風に思うようになってきたので、
ちょっと、
大方針は全然変化がないんだけど、
微調整かけて、
自分の時間の確保っていうのについて、
ちょっと考えましょうっていうのも、
やります。
やりますんで、
ぜひこの21日も、
せっかくプロジェクトを立てておりますんで、
このまま立ち消えになったらもったいないっていうのも、
ちょっと違うな。
それはおかしいんだけどね。
立ち消えにしたくはないですからね。
それにこう、
結構ここで、
なんていうんですかね、
やろうとしてることは、
多くの人にとっての、
多くの人が何とかしたい、
何とかできたらハッピーだっていう感じで、
いらっしゃる点と、
それなりにタスクシュートでも、
一つの答えが出せるし、
ネットワイプスでも、
そこに向けてのお話を、
倉園圭三さんが、
いっぱい用意してくださってるところなので、
そうはないって思うんですよね。
このそうはないって言い方もね、
いかにも弱いかなとは思うんだけど、
僕はやっぱこれ以上は、
なかなか確信が持てないんですよね。
そうはないだろうみたいな。
自分だったら、
いやこれは絶対いいよってことになるんだけど、
自分じゃない人が受けるものについて、
絶対素晴らしいですって言ったので、
非常に表面的なものを感じますんで、
そうは言いませんけど、
そうはないとは思います。
のでよろしくお願いします。
これはオンラインですからね、
基本的にね、
リアルで来るというハードルもないし、
いいと思うんですけれども、
こういうことも含めて、
よろしくお願いします。
手帳はね、
さっき言いましたけど、
完全オンラインって、
ちょっと僕はおかしいと思うんで、
あれほどリアルな感触というものが大事なものを、
すべてこう、
バーチャルの世界で扱うのはどうかなと思うんで、
リアルでやってるんですけど、
これも最終形態はわかりません。
リアルではどうかやっても、
やっぱりうまくいかないとなったら、
オンラインでやるみたいになっちゃうのかもしれないですけどね、
そうはしたくないというのは、
今の段階ではあるわけですね。
はい、えっとですね、
今日は2つ3つ話が挟まるんですけど、
僕のいつものパターンですね。
2つ3つ挟まるんですけど、
1つはですね、
ようやく自分は精神分析というものと、
自分の距離感みたいな、
これも変な言い方だなと思うんだけど、
わかってきた気はする。
精神分析というものが、
ようやく少し僕には見えてきたかなって感じがします。
今までのは何だったんだって言われると、
今までのでも、
そんなにおかしなことは言ってないなって、
ようやく思えるようになってきたわけですよ。
1つにやっぱり精神分析って特殊すぎるのと、
昨日も言いましたけど、
あまりにも世の中に分かられなさすぎですね。
精神分析ってまずどう捉えればいいかというと、
いろいろあるカウンセリングの1つの技法であると。
09:03
はっきり言ってフロイトの技法であると。
非常に伝統と、
歴史と伝統があるってやつですよね、まさに。
でも、だからそれじゃなきゃダメみたいな感じのものじゃないし、
カウンセリングじゃないものみたいにして語ることもないんですよね、別に。
だけどそう書いてないから、
よく分かんなくなっていたという感じなんですよ。
世の中に、例えばね、精神分析と比較して、
最近ヤフーの記事が僕やっぱり気になってたんでね、
ああいうことはよく話題になるわけですよ、結局。
大体ヤフーの記事ってのは精神分析じゃないと思うんですよね。
正式な認証っていうのは、
あれ、認知行動療法のことだと思う、
精神分析なんかは、あそこから見ても、
割と適視されてるのかもしれないんですけど、
横に並べて論じるのがそもそも、
似てるからといって横に並べて論じるのはおかしいと思うんですよ。
いわゆる認証の正式な、
たぶんCBTね、認知行動療法と精神分析と、
のの医者とヒールみたいなものは、
共通点はありますよ。
例えばそれらは全て人生相談としてくくることができるっていう人がいても、
それは責められないと思うんですよね。
でも、横に並べて論じるものではないだろうっていうのと、
どっちかがなくなればいいってものでもないだろうって思うんですよ。
例えばそれは寿司屋とラーメンを、
いやそれは両方飲食店だから、
寿司屋に統一するべきで、
ラーメン屋消滅するべきだっていうのは、
誰が考えても聞いただけでおかしいじゃないですか。
でもそれくらい違うものを、
真横に並べて論じつつあるときがあるわけですよね。
飲食店だと誰もが知ってるからここ大事なんですよ。
誰もが知ってるからそれは変だってわかるわけなんだけど、
この臨床の世界って誰もが大体知らないから、
これを変だと感じなくなっちゃうんですよね。
多分この番組聞いていらっしゃる方にしてみると、
変だって思われるかもしれませんが、
例えばですね、世の中で精神分析と認知行動療法と、
例えばですよ、まあいいや、
3ヶ月チャレンジと、
あるなんとか人生相談を横に並べるっていうのは、
おかしくないだろって思う人はいっぱいいると思うんですよ。
僕はそれはめちゃくちゃおかしいと思うんですよ。
それはもう伝統的なお寿司屋さんと、
おいしいラーメン屋さんと、
マクドナルドと横に並べて論じて、
まあ横に並べて論じますよね、ある程度はね、
食べログとかでも。
でもなんかね、食べログ越し4.0の銀座の寿司屋があるから、
なんか3.3のマクドナルドは消滅するべきだって、
なんかおかしいじゃないですか。
そういう論じ方は成り立たないと思うんですよね。
どっちが優れているっていうのも、やっぱおかしいと思うんですよ。
極論すると、
銀座の寿司屋があるから、
回転寿司は滅びるべきですっていう人は、
世の中にもしかするといるかもしれないけど、
普通妥当性を欠いてるなんて感じがしますよね。
それくらい僕は精神分析があるから野の医者いらないでしょうとか、
12:03
CBTと精神分析どっちに行くべきでしょうかっていう論は、
実は成り立ってねえって思うようになれたんですね。
そういう話では全くないっていうふうに思ったんですよ。
どっちに私は行くべきでしょうっていうのは多少ありますよ。
なぜかというと、それはあるじゃないですか。
今日は回転寿司に行くか、それとも銀座の寿司屋に行くか、
どっちに行くべきでしょうかっていうのは、
べきはないかもしれないんですけど、ややありますよね。
やっぱりこれからすごい大事なお客を接待しますっていう時に、
じゃあちょっと駅前の回転寿司っていうのは微妙だと思うんですよね。
いや、多分ダメだと思うんですよね。
行っちゃダメってことはないんだけど、合ってない感じはしますよね。
あえてそうするってのはあるんだけれども、
それはやっぱりあえてそうする話ですよね。
これと似てるんですよ。これと似てると僕は思います。
その人に精神分析が合うシチュエーションなり条件なりがあるんですよ。
で、ある人には野の医者に行っておいてもいいような条件というものがあるんですよ。
そっちの方がむしろいいぐらいだっていう時もあると思うんですよね。
これが成り立ってないっていうのがいかんわけですよ。
なんで成り立ってないかっていうと誰も知らないからですよ、本当に。
誰も本当に精神分析って特に誰も知らないからね。
私なんか銀座の伝統的な寿司なんて行ったことないですけど、知ってますもんね。
どういうところでおそらくあるだろうと。
間違ってるかもしれないけど、めちゃくちゃ大外しじゃないですよね。
行く気になっていけないわけでもないし、行く気になってないから行ってないっていうのが非常に妥当な感じがする。
精神分析はそれが全く妥当な感じがしないんですよね。
なんだかわかってない。中身もわかってない。
行くのが妥当なのか、行かないのが妥当なのかも想像もつかない。
これがおかしいんですよね。
これの状態が続いているから、いわゆる僕ら飲食店選べない状態に、つまり飲食店が選べない状態にあるわけですよ。
こういう時にタベログだけできてもダメなんですよね。
タベログが機能するというのは、僕らが飲食店というものをよく知ってるから、タベログっていうのは機能しやすいわけなんだけれども、
飲食店というものがよくわからないですと、ここに行ったら何ができるんでしょうかっていう状態で、タベログ機能しないと思うんですね。
そういうわけで、精神分析ガイドみたいなのがあったり、カウンセリングガイドみたいなのがあっても、必ずしも僕らうまく使えてない。
それくらい僕らにとって、この世界はようやく最近使う人が普通に出てきたぐらいな感じなんですよね。
たぶん、私が子供の頃、中学の頃とか、行くっていう人は一大観…あれですよ、告白みたいになってたし、
野の医者に通うみたいなのも、今に比べても全然現実的じゃなかったと思うんですよ。
それは都合をかわされるんじゃないかみたいな、そういうまた全然違う話にされてしまうみたいなところがあったと思うんです。
沖縄県とか一部地域はちょっと違うかもしれないけど、一般的ではないっていうのがそういう意味なんですよね。
15:05
これってつまり、精神分析がまず一番伝統的で歴史があるんだけど、カウンセリングだと見なされていないというか、そういうことすら知られていないっていうのが大きかったと思うんです。
やっぱり横に並べるんではなくて、オプションなんだと。銀座の寿司も夜中にあるんだと。
精神分析、今ある意味消滅しかかってるっていう噂もあるんで、銀座の寿司が消滅してほしくないじゃないですか。
自分行かないとしてもね。ここ大事だと思うんですよ、私は。
あるっていうだけでも意味があるし、やっぱり行く人は行くといいと思うんですね。
残念ながら精神分析ってそうは見なされてない気がするんですよ。
銀座の寿司って、僕よくわかんないですけど高いじゃないですか。
だから、いやあんなの行く人いるのっていう気持ちにもなるじゃないですか。
でも行く人はいっぱいいて、向こう1年間まで予約がいっぱいですみたいになってるんだけど、精神分析って一体何がどうなってるのかすらわからないみたいな感じがありますね。
これがおかしいと思うんですよ。
銀座の寿司について語っててもしょうがないっていうところはあると思うんだけど、私はでも語ってるんですけど、精神分析について。
行きもしないのにね。でも自分が行きもしない理由もようやくわかってきた気がしますね。
なんて言えばいいんですかね。
そうやって野の医者とどっちがいいのっていうのがどうしてナンセンスかというとですね。
それはまさにラーメン屋と銀座の寿司屋どっちがいいのかっていう問いが、僕にはあまり意味のない話のように聞こえるのと同じなんですが。
手っ取り早いとかそれでもうまいとか安いとかはもろんいっぱいあるんですけれども、そもそも食べたいものが違うっていうのが大事。
ですよ、やっぱり。
精神分析っていうのは、これも山崎さんの言論をずっと聞いてて非常に腑に落ちたんですけど、それまでもそういうことは十分腑に落ちてたんですけどね、何なんだろうなこの違い。
喋れ、語られて知る違いなのかな。
精神分析というものの非常に特殊な部分はですね、フロイドがやんなくてもいいってところなんですよね。
意外にどの医者のカウンセリングってそれと真逆だと私は思います。
わかんないですけど、例えば今の段階ではこれを言ってもいいと思うんですけどね、グッドバイブスはやっぱりクラゾの形状にやってもらう必要があるんですよ。
少なくともクラゾの形状を公認の佐々木翔吾でもいいんですけどが、やるのと彼がやるのと、やっぱ彼がやるほうが全然いいのがグッドバイブスなんですよ。
フロイドの精神分析はほぼ逆に近いんです。
フロイドが厳にそれを言ってるんですよね。言ってたと思うんですよ。
私が言うようにやってください。でも私がやってるようにやる必要はないです、みたいなことを言うんですよ。
これはね、彼がこの組織のすごさだと僕は思うんですけど、よくわかってるんだろうなーって気がする一幕っていうのかな、話だと思うんですね。
18:10
ちょっとこれ英語で言われてた気がするんで、これ今のが正確かわかんないので、これを正確に知るには山崎さんの本なり藤山さんの本なり読んでいただきたいと思うんですけどね。
とにかくフロイドがやる必要がないというか、むしろフロイドじゃない人がやったほうがいいぐらいなっていうのは訓練の賜物だっていうのが一つありますよね。
もう一つは、あれの特殊性で、その人の個人性、個性みたいなものがある意味隠れているほうがいい面があるってことなんですよね。
精神分析が時々演劇に例えられるのはこれなんですよ。ここ本当にややこしいですよね。役者の個性がなくていいわけじゃないじゃないですか。
でも役者があまりにもめちゃくちゃ個性的だとある意味良くない面があるじゃないですか。
私、アンソニー・ホップキーズでしたっけ、こういうの本当に詳しくないからなんですけど、すべて彼が出てるとレクター博士に見えちゃう問題っていうのが起きたことがあって、
いやピカソレクター博士じゃんみたいな、それはお前が映画というものがわかってないせいだっていうことになるんだけど、
あのあれですよ、松剣さんが出てると全部暴れん坊将軍に見えちゃう人みたいになってしまってるわけですよ。
だからこれダメじゃないですか。こと精神分析は本当これダメなんですよね。
なぜならば精神分析っていうのは結局、これはすごい話を単純化して言いますけど、この番組聞いてる人にはもっと複雑な話でいいと思うんですけど、
この人お母さんだってずっと思っちゃうように持っていくわけですよね。
そうしてお母さんとの関係を新規巻き直しっていう言い方してましたけど、新規巻き直しすると、そうするとその人はお母さんの役をやってるわけだから、
やっぱりこれがブランクって話なんだと思うんですけど、その人はいない。その人自身がそこにはいない。
私のお母さんなんだという投影の度が強くなればある意味強くなるほど、このお母さんとの関係をやり直すという話が発揮できる。
これが精神分析ではすごい大事なわけですよね。要するに逆転移が起きるってことがすごく大事なんですよね。
だから間を開けない、回数をやたら増やす、非常に年数をかける、そして相手のことを知らない、お互いにね。
っていうのが大事だっていう特殊技法になるわけです。
だからフロイドが創始したからといってフロイドをやった方がいいっていう理由がどこにもないわけですよね。
ここにはある意味ではある意味では。こういう素晴らしいことがカムセラに言えますとか、こういう良い、ある意味宗教的ですよね。
素晴らしい価値観を、非常に凍結した価値観とか真理を知ってますと、これが宗教ですよね。
だからブッダが語る仏教とブッダの弟子が語る仏教はちょっと違うだけでなく、ブッダが語るほど良いのが宗教ですよね。
21:04
これはブランクスクリーンとかやってるわけでは全然ないので、実はブッダが喋っていない仏教の方がいいんですとか言うのはおかしいわけですよ。
そういうことはあり得ない。だけど精神分析はそこが真逆になるという非常に特殊な方法論であって、その技法を100年かけてブラッシュアップしてるからすごいんですよ。
でもこれはそういうものが必要としている人にとってすごいのであって、万人がみんながみんなこれを3年も5年も10年もかけてやんなくたっていいような話。
何て言うのかな、やんなくたっていいんですよね、別に多くの場合。
ただやることに、これによってしか達成できないような特殊な、つまり銀座の寿司っぽいんですよね、そういう意味で。
これは藤山さんが例えてらっしゃった話なんですけど、銀座の寿司みたいなものによく例えられるんだけど、高級な寿司屋みたいなところあるんですよ。
高級な寿司屋って結局、それよりだってここのラーメンの方が安くてうまいじゃんみたいなのあると思うんですけど、あそこじゃないと満たされない思いみたいなのもきっとあると思うんですよ。
僕、経験がないからわかんないですよね。つまりそれを横に論じる意味ないと思うんですよ。
いや同じ飲食店でしょうとかって無理やり言うからわけわかんないことになって、正式のか野の医者かみたいな、しなくていい議論が始まっちゃってるわけですよね。
しかも、これも藤山さん言ってますけど、野の医者撲滅したところでそっちに栄えないわけですよ。
だってそうじゃないですか。ラーメン屋がこの日本から全国から一掃されたからといって、銀座の寿司屋がその分繁盛するってことは多分ありえない。おかしいと思うんですよね。そういう議論は成り立たないと思うんですよ。
だから横に論じるものじゃないっていうのと、やっぱり存続はしてほしい感じが僕は非常にするんですね。どうせこれは商売がたきでもなんでもないんですよ。
ただ、もっと知られる価値はある気がする。なんちゅんだろう、行かなくても銀座の寿司屋を知っているっていうのは日本人にとっては悪いことじゃない気がするって感じ。
ほんとこれに近いですね。私の今の中では。そして、それはなくならないでほしいなって感じはする。でも別に、もしかして一生私行かないからなくなっても困ることはない。
まさに精神分析ってそういう感じが僕はしますね。今はね、ああいうところがないと困ってしまう人っていて、そこはgood vibesでは代替にならないんじゃないかな。
単純にその人生に悩みがありますとかではない気がするんですよね。行く必要としているというのかな。行く人にとっての意味っていうのは。逆もまたそうなんだと思うんですよね。
good vibesで、値段の問題ももちろんありますよ。時間の問題もあります。行って非常にいろんな意味で良くなりましたで良くなりましたって人が、でも精神分析の方が良かったんじゃないかっていうのは意味がない気がするんですよ。
24:11
そういう比較はない気がする。やっぱり今日は本当にね、ちょっといい感じのハンバーガー屋、これがgood vibesとしてですよ。で、すごい満足したと。いやいや君それ間違ってるよと。銀座の寿司屋行きなさいと。なんかね、おかしい気がするんですよね。そうではないと思う。そういうことではないと思うんですね。
なんかね、これはあれですね。本当難しいんですけど。あれは本当こう演劇を習いに行くっていうのとはイコールでは全くないけど、そういう感じがするんですよね。
演劇を習いに行く人が求めているものというのがですね、例えばですよ、非常に変な例になりますけど、これからあの私、そう私昔そうだったからね、彼女と付き合うのすごい下手だから、もっとこう恋愛モードにおいて愛を熱烈に語る演技ができるようになりたいんですみたいな人と、それ演劇を習いに行くって話は根本的に違うじゃないですか。
なんかそういう感じ。でもそのそういうことができるようになりたいっていう欲求もあるわけじゃないですか。あると思うんですよ。だからそういうことなんだと思いますね。今のはわかりやすくはなってない例のような気もしますけどね。
で、えーと全くずれた話で2つ目に入るんですけど。でね、その精神分析的な話っていうのは今後も私は趣味でね、趣味で続けていくと、もはやあの、いやこれはだからメンタルに良い効果はあると思うんですよ。ただそれはもうそれこそ演劇を見に行っても良い効果がありますっていうのに割と近い気がするんですね。
私は精神分析について語るという、その一つのたてつけを用意してみているわけですよね。精神分析だけじゃないから心理療法全域について語ることによって、その人とのその人の仕事上の問題等が光が当たるように、その人の意識の中で光が当たるようにして自体を変化。
もしくはできれば改善していくっていうのが3ヶ月チャレンジの、3ヶ月チャレンジ今月これから募集スタートするのでこちらもよろしくお願いします。ですがそういうことなんです。私がやってるの。
仕事術について語ると仕事ができるようになるかもしれないよね。みたいなのにちょっと近い。すごく遠回りな方法に思われるかもしれませんけど、こうやらなければならないようなケースも僕はあると思っているんですね。
で、今から言うのはこれはまさに精神分析のずっとこの話してこなかったんですよね。して一つにはこれは割と精神分析の中で致命なこういうの良くないですよね。精神分析ってのはやっぱり特殊だと僕の思い込みが強いから別にありきたりの話も結構入ってるんだけど。
27:08
なんかこうありきたりの話はスルーするっていう変な癖がつくんですね。あれは本当色眼鏡が最初から色眼鏡を通してしか見られないものみたいになっておりますが、銀座の寿司屋ってある意味そうですよね。何かと今日は銀座の寿司屋ですけれども。
アンチッタかな。ドイツ語なんでもうダメ。思い出せない。日本で言うとあれはいないいないバーが近いと思うんですけど、依存の話に近いんですよね。
精神分析の面白いなぁと思うところは、フロイトの考え方とか子供の目線っていうのがすごく入ってる。入りすぎてるっていう批判はよく出るのはよくわかるんですよ。何でもかんでも親子関係で説明すんなよみたいな家族関係とかね。それはそうなんだと僕も思うんですよ。
何でもかんでも親子関係で説明すりゃいいってもんじゃないと思うんですよね。依存みたいな話は特にそうで、それは親がなんとかなのかもしれないけど今の問題はとにかくアルコールを絶つことでしょうっていうのは間違いない。それはそれでそうだと思うんですよね。
例えば文化的なものは絶対にありますよね。アメリカの方がずっとギャンブル依存の人が多い。だって家事の合法ですからね。この差はでかいですよね。日本とアメリカを比較した場合、親子関係のこじれで全部説明しようとすることはおかしいんだけど、親子関係にフォーカスをするといろいろ見えてくるものがあるっていうのもまた事実なんですね。
だからそれにこだわってるってわけじゃないんですけど、やっぱあれはフロイト技法なんだっていうことはあると思うんですね。いないいないバーってまさに子どものやることじゃないですか。子どもはすごくやるんですよ。子ども持つとわかるんですよね、ああいうことって。だから私自明感があったんで今までこの話しなかったんですけど、なぜいないいないバーが依存と絡むのかっていうことなんですけれどもね。
この番組でも前にちらっと言ったと思うんですよね。私もちょっとショックを受けたことがあって、アメリカに行ってたときなんですけれども、ある施設の、要するに授業ですよ、の一環でお邪魔したことがあったときに、私よりは全然年上のおばあさん、おばあちゃんがね、非常に不思議なところにずっとたたずんでるんで、話したんですよね。
話したんですよ。で、あれですよ。私はお母さんが帰ってくるのを待ってるのというね、ちょっと胸を疲れるような気にさせられる。3歳児なんですよね。3、4歳児の人ってそうじゃないですか。お母さんが帰ってこないから、ここで待ってるのってね、非常にこう思うところがあったわけですよ。
で、あのぐらいの年頃になってくるとやっぱりそういう別離ってものをね、僕なんか結構なぜか意識した方なんですけど、だからほろっとさせられるんですけど、非常にこうね、別離がやっぱり怖いわけですよね。一時、例えば、お母さんがスーパーに行ってくるからっていうのが別離になっちゃうわけですよ。で、分かんないわけですから、何が分かんないか、コントロールができないってことなんですね。
30:19
で、ドイツにはイナイナイバーの、なんか似た遊びなのか分かんないですけど、糸巻きっていうのがあるらしく。えーと、つまり、行って帰って、行って帰ってっていう遊び。イナイナイバーと似てるじゃないですか。
イナイナイバーも結局そういうことだというふうに、精神分析で解釈してたのを読んだことがあるんですけど、そうだと思うんですよ。つまり、お母さんが見えなくなった。見えなくなるってことは、いなくなるってことですよね。で、目つぶれば見えなくなりますけど。で、いや、いるんだっていう。つまり、行って帰って、行って帰ってくるわけですよ。
一時的な苦しみをここで、えーと、こらえなきゃならないっていう事態が、人は必ず発生する。こういう話って、ウィニコット的にすごく出てきますよね。あの、要するにそういうことなんですよね。環境だと、お母さん環境なんだ、空気なんだって思ってる。赤ちゃん最初はそうですよ。生まれてすぐのゼロ歳児の、特に初期の頃はどうしてもそうなる。お母さんと。極端な話、お腹の中にいるときはそうですよね。お母さんとはまさに環境ですよね。
どこに行ってもお母さんと一緒、絶対に。なんだけど、あの、いつかそのお母さんというのは実は環境ではないという恐ろしいことに、この話がね、何人かの方に疑問だって言われて、びっくりしたんですよね。これを僕、疑問の意地ないし難しい話をしてるつもりはないんですよね。お母さんにお母さんの事情があるのよっていうのは、子供傷つきますよ。それは絶対にね。
だって、嫌ですよね、それは。お母さんにお母さんの事情がある、えーって感じじゃないですか。そうは子供は絶対思いませんから。あの、いやお母さんにお母さんの事情があって、これからはこの新しいお父さんと一緒に暮らすことにしたから、あなたとはバイバイって言われたらどうしますかって話ですよ。めちゃくちゃ傷つくじゃないですか。でも、男女の別れ話って全部こうですよね。
男女がくっつくときというのは、この人はもう私のために一生よくしてくれるんだろうって思ってたのに、いや、俺新しい女が好きになったからじゃあねって、これまさにそうじゃないですか。でも、そういうことはめちゃくちゃ起きてるし、今でも満タイで起きてると思うんですよね、そんなことは。なぜこういうことが起きるか。それは相手の男なり女なりは環境ではないからですよ。対象だからですね。その人にはその人の事情があるからですよ。
いやー、あれ、嫌な話ばっかりですよね。ドラえもんの6巻の最後の巻。あのドラえもんが帰ると、突然そんなこと言う。で、お母さん、のび太くんのママが言ったじゃないですか。ドラちゃんにはドラちゃんの事情があるのよ。これがまさに環境というものが対象化した瞬間ですよね。
ああ、ドラえもんは帰るんだ。未来の国に帰る事情ができると帰るんだみたいな。私、あれ一回起きるとのび太くんは一生のトラウマになると絶対思ったんですけれども。つまり、環境としての母親は対象になってはいけないわけですよ。でも、絶対、もともと対象なわけだから、環境じゃないわけだから、対象になる日は来るわけ。スーパーに行くっていう、しかも一人でね。
33:22
いつもならば一緒に行ってたのになぜ置いていくんだと。まあ事情があるんでしょうね。それはね。だから事情があって一人で帰ると。その辛さを克服するために、この条件を繰り返し作り出しちゃうという人がいるっていう話を先日ね、言論で。これはいいと思うんですよ。有料のところでしゃべってたけど、これは多分ネタバレとか山崎さんに迷惑かかるってことはないと思うんでいいと思うんですけど。
つまり、こういうことを克服しなければいけないって思う人はいらっしゃるわけですよね。だから、克服するために同じ条件を繰り返し作り出すというのはフロイトが考え出したことなんですよ。これが依存について考え出したんですね。彼がね。非常に彼らしい考えだとは思いますし、そういうことって起こるじゃないですか。本人はそういう気はないんですけれども。
なんでこの人は同じことを繰り返すんだっていうのを説明として、僕はこれはすごい良い説明だと思う。なぜなら子供これやるんですよ。子供これ確実にやります。男の今の子はやんないのかな。僕なんかね、散々やらったりやらされたり。子供の友達っていうのは大したもんですよね。
例えば僕が高いところが苦手だとか、僕運動とか苦手だっていう感じだったんですよ。そうすると、お前これ飛べみたいなね。結構強めの子が強めにそういうこと言うんですよ。なんかこう4段から飛べみたいな。飛べないんなら突き落としてやるみたいな。あれは、なんつーのかな。いいとは思わないですよ。別にそれほど。いいとは思わないけれども。あれは結局愛情なんですよね。子供なりにやっている。
つまり克服しろと。飛べるからって言いたいわけですよ。それが少々子供なんてガサツで乱暴なやり方になる。で、男の子これね、結構低学年の時、いや高学年でもだな。やらされてますよ。僕なんかね、よくそういうもののターゲットになってたんですけど。でもね、やっぱなんか愛情を感じる。当時も感じてたんですよね。そういうことなんですよ。で、できないことってあるじゃないですか。やっぱりね。絶対できないことってあるんですよ。
クラスの3が1Gジャンプだみたいな話されてたように。僕も1Gジャンプちょっと無理な気がするんだけど。できないことってあるんだけど。そうするとできるまで繰り返しそれが提示されてきますよね。で、それってわざわざ作り出している条件ですよね。お前これやれみたいなことを言うわけだから。できるまでやれみたいな。そういうコーチとかもいたりするじゃないですか。これがロイドの言うところの依存なんですよ。
だから同じようなシチュエーションを気がつくと繰り返していると。本人嫌だ嫌だ言ってるのにこれをやってしまうと。で、やめられないと。同じような行動パターンを繰り返してるよねと。
36:06
精神分析で一番カウンセリングでもそうだな。一番よく出てくるのがこれが僕はでもこれも問題なのかなと。ダメンズとか言われてるやつですよね。僕よく詳しくないんですけどもね。これはそういう話によく登場します。でも被弾されもするでしょうね。やっぱりね。
でもわかる気はするじゃないですか。やっぱりこういう、何て言うのかな。離別とかこういう人との関係を克服するためにあえてそういう人と繰り返し関係してはうまくいかない。うまくいかないんだったらやめとけばいいのにっていう感じなんだけど。本人はそこに挑戦という意識が入ってる。無意識にですね。無意識に挑戦してるためにやめられないんですよね。
だからやめられないんだよっていうふうによく言うと思うんですけど、まさにやめられない。これで全部の依存が説明できるとは思わないですけど、非常にこれはですね。見ていて非常にわかる感じがするなという。変な話ですけど漫画とかで時々ですね。あなた片付けが苦手なの?そうなの?って言っていきなりガチャーンとお母さんが斧をひっくり返してさあ片付けなさいみたいな。ギャグに近い漫画なんだけれども。
私はですね。繰り返し散らかして掃除できないませんみたいなことを言ってる人を見るたびにこのシーンが思い浮かぶんですよ。そういえばね。いないいないバーなんですよね。これは結局あのこのぐちゃぐちゃなこの状況が私には何らかの意味でトラウマなのでこれを克服せねばならんみたいに思う人が部屋をぐちゃぐちゃにするという癖がつくんですよ。
多分そういう解釈は解釈ですよ。これは所詮ね全然違うのかもしれないけどこういう解釈は僕は結構妥当だと思うことが多いです。本当にあの人間関係で多いんですよね。反復脅迫というのはこういう文脈ででこの話ってあのダメかな。この話をしてもちょっとややこしくなるだけかもですけど。この話って東映ドイツカにまさにピッとするじゃないですか。
えっとつまり同じシチュエーションを作り出すために同じ振る舞いをすることによって相手を同じような存在にし自分は同じような目に合うんですよ。つまりえっと私はどうせ人に嫌われるんだという信念を持っている人がえっといろんな人とわざわざ付き合うわけですよ。
しかしその人たちの前に行ってでもあなたも親しくなったらどうせ私のことなんて嫌いになるでしょうね。こういうこと言う人っていっぱいいますよね。でこれを言ういやいやそんなことないよって絶対言うんだけど言ってくれるまではこれをやめないわけですよね。
いやいやあなたは私のことどうせ嫌になるいつか嫌になる私嫌なこといっぱいやるからずっと言われていればだんだん嫌になってくる。そして東映ドイツカが起きるわけですよ。あなたもやっぱり嫌な人になってしまったと。でもこの人がやりたいことは本当はこういう人間関係を克服したいわけですよ。
39:06
克服するために言ってみればシミュレーションしてるんですね。シミュレーションして同じ条件を作り出し今度はこれを克服できるだろうかってやってるんで相手にそれをさせられた人にしてみるといい加減にしてくれってことになっていつものパターンに入ると。
これってつまりこれをカウンセリングでやってまさにこれがさっき言った精神分析の特殊性なんだけどこれはですね永遠にそれをやらないという人格者であってはできないんですよ。
だから人生相談というのかなお悩み相談室というものはいろんなパターンがあって当然なんですね。特に精神分析は特殊なんですよ。どっちの方が優れてるとか早く終わるとか言っても比較の対象として意味を出さないんですね。
これをやって本当に疎ましく思うという状態を再現させてくれしかもそこで本当に嫌になってしまってくれるんだけれどもそこで何かが起こるような訓練を受けている人ってある種の訓練をやっぱり受けなきゃならないじゃないですか。
天才的にそれがいきなりできちゃう人もいるかもしれないけどそれに頼ることはできないですよね。精神分析みたいに組織化するとなってくると。だからこういうダメンズを選ぶような女の人にはダメンズになってくれる人が必要なわけですよ。
しかも精神分析の中でダメンズになるという人は、セックスはできないわ、デートはできないわ、でもダメンズにはなってくれるわっていうのをできなきゃいけないわけですよね。しかもそれは無意識にできなきゃいけないんですよ。意識的にこれやるとわざわざらしくなりますからね。そして多分意識的にはやらないです。
意識的にはこの人は恵まれなかったからすごく私は良い男性になってあげようみたいなことを思っているくせにダメンズになっちゃうみたいなそういうことを実現できないといけないんですよね。実現したことには気づけなければいけないわけですよ。そういうことをいろんな条件をどんどん追加していくとこういう訓練するのには金も時間もかかりますよねっていうことになっちゃうわけですよね。
だから金も時間もかかるんですよ、精神分製品というものはきっと。
そしてこれはそんなやり方しないでしょうっていう流派ができて当然ですよね。
全部が全部このやり方になってしまったらおかしいと思うんですよやっぱり。どう考えてもそんなやり方してらんねーよなっていう人が別の流派を作ると。でもその流派を作った人はもっとこう自分の能力とか自分のやり方というものに頼むところ頼むっていうこれはですね立心弁に寺じゃなかったかと思うんだけどちょっとよくわかんないんですがある程度こう自分の腕に自信があるっていうのかな。
だからフロイト的ではないわけですよ。フロイトみたいに俺が言ったようにやってくださいね。でも私がやるようにやっちゃダメですよみたいなこういうよくわからんことをいうタイプでは多分ないと思う。だから全然違うものが出来上がるわけですよね。そういう人はいっぱいいますよね。
42:15
カリスマっぽく、えっと自己啓発系でカリスマっぽく人を導いていけたり、あの元気づけたりできる。それはそれでいいんですよ。それと精神分析は違うことをやってるってことですよね。だけどお悩み相談とか人生相談みたいなくくりで見ると同じになるからえっとよくわからなくなってしまうってことだと思う。でさっきのですねこのいないいないバーのやつですね。
これは本当僕も考えるところあります。同じ状態を作り出すことで自分の弱点とか苦手を克服するっていうその文脈になんていうんだろう。意識の上ではハマってませんよもちろん。意識の上でそんなことはしない。それに意識の上でそれをしてるぐらいだったら大した話ではない。
意識でそれをやってしまう。例えばお母さんとの別離がとてもつらかったというのが無意識の中に入り込んでしまっていてそのためにお母さんとの別離儀式みたいなシミュレーションを繰り返し設定させては別離がやってきてあーつらいってなってしまうっていうそれをそういう人間関係を繰り返し繰り返し実演してしまって。
外から見るとね実際本人に寄せればおそらく私はどうも上手い良い人と巡り合えなくてすぐに捨てられてしまうという傾向があって私の性格に問題があるんでしょうかみたいな話の持ってき方をするんだけど実際に起きていることはそういうことではないってことなんですね。
私はこれはですね実は経験があるのでわかる感じがするんですよね。この番組でも何度も言いましたけど私はモテなかったってわけですよ。でもこれ僕はですね多分反復脅迫が全部じゃないですよ。でも反復脅迫があったに違いないと思うんですよね。
わざわざ自分に冷たくするような人のところにわざわざ言って。頭からしかわかんないですよこれは。本人はこういう人は素敵だと思ってそこに告白しに行くみたいに思ってるんですよ本当に。それ以外何も考えてないつもりでいる。特に大学生なんてそんなもんですよ。みんな他の人だって多かれ少なかれそうなんで僕のが少々どうこしてただけなんで。
僕はそういうふうに思ってやってるつもりだから気づきようがないんですよね。そんなこと気づかないですよね。でも今思えば私は確かにそのお母さんを待ってる系の人に過剰に共感しやすい傾向がある。
分かんないですよね。だからと言ってどうして自分がモテないのかっていうのとどう結びつくのか。でも私は結びつくなーって感じが私優大の直前ぐらいに気づき始めたんですよね。その頃にはもう終わってしまったことであり、これを16、7の私に教えてくれる人がいてほしかったぐらいに思っている話なんだけれども。
45:08
よく言うんですけどね、精神分析は事後的に事態を理解することが多い。事後的もいいところなんだけど、後から分かってもしょうがないじゃんって感じなんだけど、でも後にならないと分かんないことっていっぱいあるわけですね。
45:25

コメント

スクロール