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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
ノープランライティングというのを、
ノープランというとこれが出るようになっているんですね。
今日はCMから入るつもりはなかったんですけど、
まもなく4期のノープランライティング、書き上げ塾が始まります。
今期もまだ空きがあるんですけれども、
ノープランで書くというのが、
心もとない、何か書きたいんだけど不安だという人は、
ぜひ、書き上げ塾というのを気に留めておいていただければと思うんですね。
というのは、私ちょっと調べてみたんですよ。
様々な書く系の。
日本中の書く系を全部調べるとかは絶対無理なんで、
実にプランニング重視なんですよ。
今日このプランニングの話をしたいんですが、
それでは僕は思うに、
あそこに書かれている通りに書いている人なんて、
ほとんどいないか、文筆家じゃないなんて思ったんですね。
ライターの講座というのが圧倒的に多いんですけど、
アメリカに行くと習うんですよ。
ライティングの一つのスタイルですね。
パラグラフリーディングというのも読み方なんだけど、
やっぱりそういう書き方に基づいているという意味で習うんですけど、
あんな書き方はしませんよね、多分。
僕は絶対あんな書き方はできないと思うんですよ。
自分がノープランで書いているということをはっきり認識したのは、
実は書き上げ塾からのことなんですけど、
それ以前にしてもあんな書き方はしないですね。
あれは無理ですよ。
ノープランというのが心もどないと思われるのは当然かもしれませんけど、
ライティングプランみたいなものに基づいて、
本当にセーシスを決め、それに基づいて文章を組み立てていくという、
やり方でうまくいくというケースは、私はかなり稀だと思います。
特に物語をあれで書こうというのは、
ライター講談では小説とかは度外視されている感じはありますけれども、
エッセイとかもあれで書かれたら、
なんて言えばいいんですかね、
大変読みにくいものになるか、多分書いている方が苦しくなるって挫折するんじゃないかと思います。
何度も言いますが、今日はその話をするんだけれども、
その前に今期にあるにせよ、
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ノープランというものを気に留めておいていただくと、
なぜならばそこら中にないからなんですよね。
多分そうやって書いていないつもりなんでしょう。
どこかに絶対ノープランのところがあるはずなので、
ぜひノープランで書くというか、
そもそもプランニングで書けるのかという、
よく考えてみてほしいんですよね。
どの文章もプランニングするということは、
もう書き上がったって話になっちゃいますよね。
ある文章はこれから考えるから、
とりあえず枠組みよって言うんだけれども、
文章というのは繋がっているので、
途中、ものすごいワッと飛んだらですね、
構成としてはちゃんとしていますとか言われても、
読んでいる方は非常に衝撃を受けますよね。
ここから先なくなったじゃん、みたいなことになっちゃうので、
ここは話し言葉の場合はちょっと違うんだけれども、
文章って途中がありたら誰でも、
少なくとも普通に読んでいる人は気づいちゃうと思うんですよ。
ってことは書いている人がそれに気づかないはずないと思うんですよね。
この辺のことを一つ考えてみてください。
そのプランニングの話なんですけど、
プランニングってここ数日ですね、
意向対象という言葉を盛んに言ってきているんですね。
盛んに言ってもここ1週間で4日か3日かその辺ですけども、
タスクシュートって私にとっては意向対象だったんだと。
これはドナルド・ウィニコットっていう人の専門用語で、
お母さんの代わりにちっちゃい子がぬいぐるみとか毛布にしがみつくという、
そういうのを意向対象、お母さん代わりっていう意味なんですよ。
心理的な意味ですね。
ぬいぐるみがお母さんの代わりに世話してくれるはずはないので、
あくまでも心理的な意味です。
言うまでもなくこれは、親離れというものを案に示していますよね。
親から離れる気が全くないなら、意向対象なんかいりませんよね。
お母さんにしがみつけばいいわけですよ。
やっぱりいつまでもお母さんに甘えてちゃどうたらって言われたり、
今は甘えしないかもしれませんが、昔はそういうのって結構言ってたんですよ。
そうすると子供は心細いので、他のものをものとして持つと。
そういうのが指しゃぶりみたいに出るって話もあって、
この辺すごく精神分析的にだんだんすぐなっていくんだけど、
意向対象というものが大事な役割を果たしますと、
ミニコットという人が簡単に言えば言ったんですね。
子供は安心しますと。
安心毛布って言ったりしますからね。
スヌーピーのライナス君が持ってる安心毛布って言ったりしますからね。
安心というのは、私が何度か言っていい、この番組で言ってるのは万能感ってことだと。
この万能感は言うまでもなく、精神分析の本を読んでも両アンビバレントで、
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しかも極端にアンビバレントで困っちゃうんですよ。
万能感は悪いっていう風に読める本が少なからず結構あるんですよね。
つまり万能感などという、人間万能じゃないわけだから、
万能感などというものを諦めて、
自分の万能じゃなさというものを受け入れて人間頑張っていくんだっていう、
僕はこの話にしてしまうのは特にどうかなと思うんだけど、
ただこれはストイックな感じがしますね、非常に。
ただストイックな感じがするだけでは済まないんですよ。
ストイックな感じがするという、ただそれだけであれば、
ある意味世界観の違い、でもやっぱりここに行き着いちゃいますね。
問題なのはストイックな感じの方じゃなくて、
そこには客観が含まれちゃってるよねっていうことが問題なんですよ。
精神分析って絶対2者でやるっていうのがあるんですね。
第3者はそこに登場しない。客観的にとかっていう言葉はもうすでにアウトなんですよ。
客観的に見て赤ちゃんは万能ではないとか言っちゃダメなんですね。
万能感ですからね、あくまでも。
そして万能かどうかをなぜお前が判断できるんだ、判断できますが、
なぜお前は万能かどうかを判断できるんだっていうのはすごい大事な言葉なんですよ。
大事な考えなんですね。水槽の中にいるメダカに上から手で取り上げたら
身動きできないから、あんた万能じゃないっていうのはダメなんですよ。
そういう神様みたいなことをやっちゃいけないということです。
自然に生きている限り起こらないことを無理やり人工的に起こして、
最強じゃないとか言うっていうのは基本なしなんですね。
それって大体の場合は試行実験ですから、どんなに生きていくのに、
例えば生きていく上で優劣を競うみたいな話になった時、
お金もあります、健康です、力もあります、誰でも支配できますぐらいに強い人でも、
例えばその人を木星に掘り出したら死んじゃうとか、そういうのってナンセンスじゃないですか。
つまり万能というのは客観的に測定して万能度がどうかっていう話は
ここでは全然なされていなくて、基本的には母子はカップルですから。
そして赤ちゃんの側から見ると、そこに母がいるという概念はまだないわけですから、
だから万能感は維持できてるし、普通に生きている限りそれでやっていけるんだから、
赤ちゃんが万能というのはつまり泣いたり、ミルク飲んだり、笑ったりできればいいわけですよ。
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それも十分万能なんです。
しかもそのことに疑いを抱かず万能感を持ってやっていけば、
大体のことはグッドイナフだよねっていう話なんだと思うんですね。
でも万能感を諦めて、この話は間違いなくエリプスと関係があって、
お父さんにはかなわないよねっていうのを一旦受け入れた3歳とか4歳ですよ。
子が次にどうしていくかって話であって、
万能感を一旦諦めるという話は、自分が無力であることを思い知れってこととは違うんだけど、
ニュアンスがちょっとそういう感じになる部分があります。
あるんだけれども、私はミニコットが僕に感じるところでは修正っていう感じなのかな、
その方向性を若干修正した感じがあって、
もっとラディカルなのかもしれなくて、全く逆のことを言い出したという可能性も
僕が否定するわけにはいかないんですが、
でも万能感というもので生きていくんだと、
完全にそれがなくなったらまずいんだという言い方ですね。
つまりその人、欲打つになっちゃいますから、たぶん。
だけれども、人は万能感を壊したがりますよね。
お前万能じゃねえと、俺の方が万能だと。
この万能感の話が気がつくと優越感の話になっちゃうんですよ。
優越感の話になっていくと、競い合うって話になりますよね。
なんでエリフス的っていうかというと、
男の子とお父さんが競い合うのは多分、多くの場合、
昔は特に人間が最初に感じる嫉妬心みたいなものがそこにあるからっていう考え方なんですね。
結局どっちの話も、つまり意向対象の話であろうと、
父母対象の話であろうと、お父さんが競争相手の話であろうと、なんであろうと、
ことは分離なんですよ。親子の分離なんですね。
つまり親離れなんですよ。
私がタスクシュートを使って、意向対象としてのタスクシュートっていう言い方をした時は、
つまり親離れなんですよ、これ。
一番確実にですね、心理的にじゃなくて、
現実的に、最終的に親離れを必要とするのって多分、金稼ぐ時だと思うんですよね。
やっぱり私は金稼ぐというところで、どうしても拾んでしまうところがあったんですね。
バリント的な表現、中石沢さんだっけ、日本では。
とにかくバリントという人が言ったのが、北のヒルとヒロバットっていうんですよね。
多分専門用語になっちゃうんですけど、要するにそういうものが自分の前にドーンと立ち上がった時、
バッとそこに、それは面白いと思って、つまり金儲けってなった時に、
それは面白いと思ってパッと飛びつく人と、金儲けとか勘弁してくださいみたいになっちゃう人とパッと別れる。
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これをすごく新しいというか、挑戦的にいける人をヒロバットって言って、
ここで尻込みにしちゃう人を奥野ヒルっていう、
奥野っていうのはたまたまですけど、奥するってことですよね。
そこで怯むんですよ。
そういう時に要するにある種の機能が、つまりよく似てるんですよ。
マイケル・バリントという人が言ったのと、バリント、バリントと目に取っていった人が言ってるのが似たところがあって、
要するにバッといけるってことは万能感を持ってるわけじゃないですか。
失敗するかもしれませんよ。
でも万能感を持ってないと、やったほどのないことに向かっていけないですよね。
この種の話って、私は自分のやりたいことで起業するとかそういう話の時に、
何らかの形で出てきてるなってよく思うんですが、
とにかくパッと飛びつくことができる。
それに対して戻っていっちゃう。
お母さんの元に帰っていっちゃう人もいると。
すごく好きか嫌いか、いけるいけないが分かれるっていうポイントがある。
バリントはそこに戻ってきて、もう一回精神分析科と一緒に、カウンセラーでもいいんですけど、
そこでもう一回組織的対抗とか、組織的依存とか、
精神分析という保護的な安全な装置に戻ってきて、
ここでお母さん代わりを分析化してあげるから、
ここで万能感を取り戻してもう一回いきましょうっていう。
その時にカウンセリングがうまくいくと、患者はアクロバットを始めるみたいな表現を取るんです。
アクロバットというのはトンボ返りかな。
できもしなさそうだということが急にできるようになるみたいな感じですよね。
少し戻ってまたジャンプするみたいな感じですかね。
こういうことができるできないっていう、できないっていう風になった時に、
何かしらの病理が起こるみたいな考え方がこのウィニコットとかバリントの辺りのラインにある気がするんです。
私はお金儲けというのがやっぱり普通の成人にとっては重大だなと。
この話って全然精神分析じゃない方、精神分析じゃないと言い切れないのかな。
母子愛着理論みたいなのが、こっちは本当に子供の心理学みたいな感じで、
子供を観察して出てきている、精神分析で全然子供を観察してきている話じゃないですから、
母子一体とか子供の万能感とか言ってますけど、基本全部大人の話ですからね、ある意味。
子供の話も全くないとか、全く嘘だとかいうわけじゃないと思うんだけれども、
基本的にこれは全部比喩なんですよ。
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お父さんが憎いとかも比喩ですからね。
そういう原始的に自分の子供の頃の記憶を探ってみれば、
自分の頃の記憶を探ってみれば、それに近い感情を持ったでしょうと。
それが現在の会社で上司をお父さんに見立てて攻撃したり攻撃されたりしてるんですよっていう話をしているのであって、
あくまでもお父さんがリンゴの上に頭に矢を乗っけて、
頭の上にリンゴを乗っけて矢で刺したとか、そういうことが本当にあったっていう話は無論ないです。
ウィリアム・テルみたいな話ですね。
そんなことが本当にあったって話は全くないです。
あれはひどいじゃないですか。
お父さんが素晴らしい矢の名手だということを証明するために、
息子が殺される可能性にリスクを晒されなきゃならないわけじゃないですか。
まさに父親の横暴もいいところで、でもああいうことって会社とかでもめちゃくちゃありそうじゃないですか。
上司の手柄にうまくいけば上司の手柄だと。
失敗すると部下がダメージ加えると。
非常にありそうですよね。
非常にエディプス的だということになるわけだけれども、
エディプスコンプレックスそのものみたいな感じになるんですけれども、
息子の立場からすればってことですよ。
あの物語自体はフロイトがそういうふうに解釈したような話とは違う話として読めばいいんですけれども、
息子の立場からそれを見れば全くお父さんはひどいわけですよ。
当たればお父さんが素晴らしいと言われて息子は別にしょうがされないし、
外れれば息子が死ぬんですよ。お父さん死ぬわけじゃない。
で、話がどっか飛んだ気がするんですが、
だからフリエモンとかなんですけれども、
お金儲けにバッといけるっていうのは、僕はやっぱりパッとボルビーを思い出しちゃうんですよね。
ボルビーという人が星愛着理論というのを言いましてね、
子供は少しずつお母さんから離れてちょっと遠くまで行く。
特に保育園とかでよく本当にこの光景見えますよね。
お母さんから離れてみんなと遊んでおいてって言ってもすぐには離れないけど、
ちょっと離れる。で、後ろ向くんですよね。お母さんいると。
そうするとまた少し離れて遊びに行くんだけど、しばらく経つと不安になって後ろ振り向くと。
だけれどもこれができる子っていうのはつまり、
お母さんがすごく安心させることができているっていう言い方もしますし、
だから前へ進むことができるっていうフィロバットっていうことと似てると思うんですよ。
このちょっと遊びに行くっていう対象をジェットコースターとかにしちゃえば分かりやすいんですよね。
乗れる人はつまりお母さんが心理的に後ろにいてくれて絶対大丈夫だから乗れるし、
乗れない子は結局お母さんのところに戻って行っちゃう。
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こういう子はすっごくお母さんが好きなようでいて、
お母さんというものをどこか信用してないみたいなそういう審議の話をするんですね。
で、このジェットコースターをお金儲けにしちゃえばいいわけですよ。
お金儲けの何が不安なのかとかではないんですよね。
自分がこれに手を出しちゃうと大丈夫じゃないんだろうかっていう不安がそこにあって、
自分は絶対大丈夫だって思えるかどうか。
そこに心理的なお母さんみたいなものが守られている感じがあるかどうかっていう話。
その心理的なお母さんというものの代わりにここに挑戦するときは、
リアルなお母さんを当てにできませんから。
何しろこれくらいやろうとしていることが海外に行って金儲けとかだった場合、
リアルなお母さんに当てになるわけじゃないじゃないですか。
やっぱり心理的な話ですよね。
私の場合は、ここで話が戻ってくるんだけど、
これからいざお金儲けの世界に行くぞってなったときに、
あるいは本を書く世界に行くぞってなったときに、
タスクシュートという意向対象がたまたまなんですけど、
いてくれたと。
ということはですね、ライフハックって全部そうだなとも思うんですよ。
結局大事なのは、僕はやっぱりここで、
自分は万能じゃないんだからなどということをですね、
思い知って欲打つポジションにすぐ行っちゃう。
自分結構ダメだけどみたいに気を取り直して頑張ろうみたいなんじゃダメだと思うんですよね。
そうじゃなくて、そういうふうに叩いて思い知らせたいという人が
いるかもしれないんだけど、そんなことはお構いなしに、
まあ行けるよねと思えるってことが大事で、
だから意向対象で万能感を維持したまま、
前のお母さんから離れるというのが大事かなと思うんですね。
タスクシュートっていうのは、私にとってはそういう機能を果たしたので、
つまりタスクシュートは仕事をやってくれるはずないし、
あれば誰でも仕事がうまくいくとかいうことでもないんだけれども、
多分大丈夫だろうと、この多分大丈夫だろうはいろんな時に大事じゃないですか。
多分大丈夫だろうと思えるかどうかで、結果が結構変わってくるんですよね。
その多分大丈夫だろうというものに、
意向対象がなきゃいけないというわけじゃないんだけど、
あるとうまく機能するケースが結構ありますということが、
僕はタスクシュート全域に概ね言えると思うんですよ。
全部のタスクシュートがお母さん代わりをしているって話ではないし、
すべてライフハックが何の機能も果たしてない、
毛布でしかないっていう話ではないですよ、これは。
でも計画表を立てるのだとか、アウトライナーで思考の整理をするとかいうのは、
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言うほど、そこを一生懸命ライフハック的には言うんだけど、
言うほど現実の仕事の役に立つかというと、どうかと思うんですよ。
けれども、1章、2章、3章とかも、
くじ案とか企画案とかを作っておくっていうことが、
自分の万能感を保持するのに、だから心許ないっていうことを最初に言ったんですね。
ないと心許ないというのは、ライナス君から安心毛布を取り上げたら、
ダメなんですよ。お母さんのところに帰りたくなっちゃうじゃないですか。
あれがあるからスヌーピーと遊んでいられると。
同じようにアウトラインで作っておいたから書き出すことができるみたいなのは、
書き出してしまえばアウトラインはいらないんですよね。
そういう心理的な作用があれにあるんだとすると、
私が考えたのは、特に計画、プランニングと言われているものは、
あれはですね、仕事をうまくやるためのものというよりは、
やっぱりエリプスなんだなって感じを僕は抱くんですよ。今は特に。
前々からそんな印象ってちょっとあったんだけれども、
あれはお父さんと戦うためにお母さん代わりに使うっていうのが、
一番意味としてフィットする、私の感じにはしっくりくるなと。
そもそも計画って自立への道って感じがあるじゃないですか。
この計画通りに行けば俺はもう万全だっていうのって、
つまり親がこういうふうに敷いた道じゃない道を自分は行くぞっていう感じがあるじゃないですか。
どんな組織でもそういうところってあると思うんですね。
この計画通りに行けば自立してやっていけるみたいな、そういうものが。
それって思いっきりこう対象だと思うんですよ。
つまりプランニングっていつでもそうなんですけど、
ただただ現実がこうなりますよっていう、そういう青写真じゃダメですよね。
このまま行けば赤島志倉ですっていう、ただ計画、
未来の予想みたいなものを立てても全然ダメじゃないですか。
やっぱり計画っていうのはそこに自分の理想みたいなものを勝手に盛り込んでるところがあって、
つまりミニコット的に言うと、自分の中のものでありながら、
自分の外のものでもあるみたいな言い方がちょうどぴったりくると思うんですよね。
いい計画って特にそういう傾向がありますよね。
現実のものであると言わんばかりだけれども、
実は自分の内面をただ反映したものでもある、
そういうものじゃないと意向対象ってものにはなれないと思うんですよ。
特に個人的な計画、私も思いがあるんですが、
小学校1年もっと前、朝7時に起きるみたいな、書くわけですよ。
僕書いた記憶あります。恥ずかしいじゃないですか、あれ見られると。
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恥ずかしいってのはどういうことかっていうと、甘えがあるってことだと思うんですよ。
恥ずかしいと言うからには、まず一つに私のものであるっていう意識がありますよね。
3歳の頃はなかったと思う。
4歳か5歳にそういうものを作ったとすると、
私って意識がはっきりあったわけですよ。
自分と他人というですね。
これは私の計画なんだと。
私の計画だということはですね、
親の計画通りには生きていないぞっていう、
そんなことをはっきり反抗的に意識したとかではないんだけれども、
つまりそういう意味になっていきますよね。
なんで恥ずかしいのかって言うと、
よく考えていくとですね、
それでは通じないっていう認識を、
特に人に攻撃されるってことを恐れてるんですよ。
親とかでしょうね。
実際そういう親御さんだっていなくはないと思いますよ。
お前そんなの全然なってないよみたいに言われる計画を立ててですね、
そんな7時に起きられるわけないじゃないかとか、
朝ごはん7時半とか勝手に書いてるけど、
用意してるのはお母さんだぞとかって、
恥ずかしいじゃないですか。
恥ずかしいっていうのは、
現実にそれが通用しないよっていう意味じゃないですか。
この現実に通用するしないっていうのがお父さんなんですよ。
エディプスなんですよ。
お父さんが家のことを全部決めてるって話ではないですよ。
そこに言ってくるのっていうのは要するに、
競争というものがそこに行われていると。
どっちが強いのか、どっちが権力持ってるのか、
どっちが偉いのか、どっちが優秀なのか、どっちが優越なのか。
いつしかですね、
これ最初は万能感で作ったものだと思うんですよ。
俺はやっていけるぞと。
やっていけねえよって言われてるっていうのが恥ずかしいってことですよね。
で、その時に必ず自分ってものが現れてますよね。
そして、もし恥ずかしいと思うならば隠しますよね。
つまり秘密ってものがそこにあります。
秘密ってものがあるということは、
他者は攻撃してくるかもしれないという恐れや不安ですよね。
その芽生えがあるはずなんですよ。
かなり強烈に。
意識的にですよね。
無意識には多分それ以前から絶対あったと思うんだけど、
意識的にはまさにそういう時に現れてくるんだと思うんです。
で、これこのまんまライフハックやるような年になってもあると思います。
私が私の計画を作ったと。
その通りにいかない。
罪悪感を持つ。
これ同じだと思うんですよね。
4歳児の時の話と。
思えば親は自分に対して支持的でなかったと。
ひどくこういうものを見ては嘲笑ったと。
この嘲笑われる感じが、
例えば上司とかそういう人たちにも投影される。
何なら私とかにそういうのを感じる人もいらっしゃるでしょう。
タスクカフェとかで。
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私に見せたくないっていう話。
結構後から聞きましたもん。
須貝さんに見せるとこんなタスクシュートだからダメなんですよって言われるのが怖いと。
これお父さんですよね。
完全に。
僕が男だからじゃないですよ。
これを言う人が誰であろうとお父さんですよ。
要するに。
自立して頑張っていかなければならないということは、
そいつの評価とか批判を跳ねつけられるようにならないと言う考え方があるんだと思うんですね。
もちろんこれはグッドワイブスで言うところのバラバラ意識ですよね。
間違いなくそうだと思います。
だからこの万能感というものが危険に晒される。
その危険に晒されたくないと思えば思うことですね。
ここがダメっていうかここが難しいところなんですけれども、
ここがうまくいかないところなんですけれども、
万能感というものを徹底的に保持したければ、
本当は世の中というものを信頼するっていう、
倉園圭道さんのグッドワイブスの通りなんだけれども、
外してそういうふうに意識が働かない場合、バラバラ意識の場合、
この計画表を強化するっていう考え方になるんですよ。
ここで多分ノープラントカードは受け入れられないとか、
タスクシュートじゃ物足りないっていう、
つまりお母さんがタスクシュートを受け入れられないとか、
ノープラントカードは受け入れられないとか、
タスクシュートじゃ物足りないっていう、
つまりお母さんが頼りにならないよっていうことなんだと思うんですね。
もっと強固な意向対象が必要だよという、
そういう感じを抱くんだと思います。
このまま奥のフィルですよ。
僕ジェットコースターダメなんだよっていうことなわけですよ。
でも例えばジェットコースターに乗っても、
絶対に上から落ちてくる恐怖感を味わわない薬とかがあれば、
いけそうな気がするじゃないですか。
お母さんというものをもっと強いお母さんにするんですね。
自分を守ってくれるのをもっと強化するわけです。
そうすると、例えばそれが自立という話になった時、
起きる7時半朝食とかいうのだからダメなんだと、
そういうざっくりした子供っぽい計画表だからダメで、
もっとお父さんにウーノでも出ないような、
すげえ計画表にしようと。
6時39分17秒起床みたいな。
こういうふうにして、このやり方でいけば、
自分はお金も儲けられるし、
寸分たがわず行動にも無駄がないように作られている。
こういうニュアンスが生まれてくるんですよね。
つまり未来を、今はまだ未来を自分がコントロールできて、
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現実をコントロールできていないが、
未来になればあなた方の首輝から脱して、
上司かもしれないし、文句言ってくる誰かかもしれませんが、
とにかくそういう人からの、要するに支配から脱して、
未来になれば私が思った通りにコントロールできるようになる。
それだけのものがこの計画表にちゃんと書いてあるというようなものを
描きたいということになるんだと思うんですね。
だから私は、そうか、なるほど、タスクシュートが物足りないと、
物足りないって不思議だなと思ってたんだけど、
物足りないってのはこういうことなんだなと、
わかんないですけどね、その通りに言う人ばかりじゃないと思うんですが、
多分こういう真理はあるんだと思うんです。
一見したところGTDとか、
本当はGTDってこういうものじゃないような気がするんだけれども、
GTDでタスクシュートを補強するみたいな言い方が見たことがあるんだけど、
こういうことなんだと思うんですよね。
自立というか、父親より例えば弓の腕前を上げるっていうようなことのために、
考えつくことを全部ここに盛り込んで、盛り込むためには洗い出すってことになりますよね。
毎日10時間弓の練習するみたいな、そういう計画を立てるわけですよ。
そのためには睡眠もギリギリのところまで短くすると、
そういう意味でタスクシュートを使うならば、
例えば6時間まで睡眠削ったけどまだ大丈夫そうだと、
5時間にしてみようみたいな、そういうふうにタスクシュートを使うとすれば、
このログというものの意味が全く違ってくるじゃないですか。
ギリギリまで縮めるとどこまで縮められて、
未来の時間をどういうふうにできるんだろうみたいな話になっていくと、
これ全部空想ですよね。
ということはどういうことかというと、意向対象じゃないですか。
まさに親離れを今しようとしている。
ご自身にはそういう認識はないともちろん思います。
私にだってなかったですからね、タスクシュートが意向対象だなという認識は。
でもやっぱり保持したいものが何かって聞いたら万能感だと思うんですよ。
自分は結局やれるんだという感じ。
やれるんだという感じを持つためにここまでする必要は本当はないんだけれども、
ここまでする必要があるような気がしてくるんですよね。
それが、倉園さんがリスクヘッジって昔おっしゃってたんですけど、
未来のことを不安を抱えたまま考え始めるとどうしても無駄なリスクヘッジを
どんどん増やす羽目になるっていう。
そういうものをタスクリストとかに載っけちゃうとやることが異常に増えてしまって、
それが全部未来に起こりそうなまずい問題に対処するということで、
時間を延々と費やすことになっちゃうと。
実際そう非常によくなるんですけれども。
それは今の私の感じている文脈ではですね、
自分が万能でない、私はジェットコースターに乗れませんと、
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お金儲けもできませんと、人に挨拶するのも苦手だし、
宴会芸とかもダメだから組織で働くことができませんと、
全てアタッチメントでお母さんが後ろにいなくなった感じがするので、
遠くに遊びに行くなんてとんでもないっていうところから来るんだとするとですね、
だからここに武器が必要だと。
わかりませんけど、GTD++++みたいなやつとか、
タスクシュートスペシャルみたいなのがあればですね、
未来が自分の弱いところを克服まで含めた、
完璧な未来予想計画みたいなものが自動的に組み上がっていくと、
毎日そのリストを実行していくだけで、
自分の損なわれてしまった万能感が回復する、
そういうための強化プログラムみたいなものになるべきだと。
私、実はそういう青写真を見たことがあるんです。
さすがに来伯界はそういうものが発達するんだなと思うんですけど、
Ganttチャートみたいなものにそういう未来計画を立てていくんですよ。
横軸に長く月日が書いてあって、
縦軸に強化プログラムを書くわけですね。
例えば、中国語の勉強みたいな感じで、
ひかず百日って言ったら、バーっと百日が横にドットっていうのかな、
方眼紙のマスが埋まっていくような、
バーっと埋まっていく。
縦から見ると、例えば7月18日、金と書いてあったら、
中国語の勉強と筋トレと朝活と、
ブログを書くのと、YouTubeの編集をするのと、
もちろん会社にも行くしってのがバーっと並ぶと。
これを自動的にタスクシュート的に並べて、
過去、そのやった時間、ここまでやるっていうのは本当に凄まじいことで、
絶対に私は実現できるツールってものが機能する感じはしないんですけれども、
例えば朝活をやるんだったら、朝のセクションになるじゃないですか。
朝4時から7時ってところに入って、順番もカチッと決まっていて、
そこに入る見積もり時間みたいなものも、
11分とか13分とか、過去の記録から推して無理のない数字になっていて、
全部1日の中にピタッとはまったときに、
寝るべき時間もちゃんと妥当な時間に眠れて、
自分が日々強化されていくと。
これがつまり、私が思う移行対象というものなんだと思うんですよね。