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2024-04-25 43:06

3ヶ月チャレンジ!でやること【GMV970】

自己愛はすこしも自己を愛してくれない。
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
4月25日、木曜日、朝7時22分ですね。
この放送もついにですね、3ナインですよ。まだだけど。
3ナインが見えてきました。999回ですね。
1000回って普通は言うと思うんですけど、僕はもう全然999がビシビシ来るんで。
やっぱり松本玲司さんの漫画にすごい、あれ僕本当ね、コミックですけど最後読んだとき、えーって思ったんですよね。
そんな終わり方?みたいに正直になりました。
ものすごい期待してたんでしょうね、私何かを。何を期待してたのかは、もう幼稚園児だったから思い出すのが無理なんですけど、
本当最初読んだ、1巻読んだときの衝撃は絶大で、最終巻読んだときの失望ももうなんか、ちょっとしばらく立ち直れないぐらいな。
小学校低学年だったと思うんですけどね。いやもうそれはないよねっていう感じが、応じた記憶がありますね。
途中間中結構ですね、松本玲司さんの短編集じゃないですか。
だんだんだんだん不安になってきたんですよ途中から。いやこれなんか、すげえ終わり方実は期待できないのではないかみたいになったんですけど。
いやそれがもう本当的中した時の、いやもうあれは非常にこう、あれらしいし、大人になって読めば、
まあわからなくはないので、でもそれにしてもちょっと、昔あのイギリス文学会で非常にこう言うべきっていうセリフの
アンチクライマックスがまさにこのことみたいな感じがしましたけどね僕はね。
今ここで3-9をディスってても本当に全く何の意味もないので。ディスについてにちょっとロッテ弱いですね。
あの弱さはほんとやめてほしいっていうか、もう少し普通に戦うことができないのかという。
昨日はあのにほさんがちょっと炎上してしまって、いやもう厳しいなーっていう雨ザーザー降ってるし、
ほんと雨ザーザーな試合でしたっていう感じで、阪神の絶好調ぶりとコントラストを描くように厳しいなーっていう。
4月6ってことし全然厳しいなっていうのがもう多分これを聞いてる人もほぼ興味のないって話題だと思うんですけどね。
いや阪神羨ましいよねほんとっていう、今そういう心理状態。
これが私が一番、すごくどうでもいいけど悩みの種っていうか、僕がこれで悩んでてもヨシー監督が悩むべきことで、どうしようもないんですけどね。
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ヨシー監督がさぞ今悩んでると思うんですけどね。
私がもっと言うべきことは、サンチャレいよいよ1月いっぱいというのももう間もなく終わってしまう。
25日ですからね。ぜひ一枠空いてますから。
今日ちょっとねサンチャレのCMをしつつ本題に、本題もCMの継続で行こうと思ったんですけど、
久しぶりにタスクシュートを中心に何をサンチャレでやってるかを改めて聞き飽きてる方の多いと思いますが、
そもそもサンチャレに入ってくださっている方は聞いているということがありますからね。
最近話題に挙げている接触障害の本ですね。
僕は接触障害そのものを話題に挙げたいわけでは本当のところないんで。
接触障害の本、松木さんの本がですね。
私はあれ素晴らしいと思うんですよね。
本当わかりやすいとは言えないし、専門用語がそれこそ書き上げ塾でも4字塾語以上漢字連続はダメというところで、
8字とか平気でくるんでしょうがないですけどね、訳語らしい。
しかも松木さんは多分その訳語を絶対統一するべく最大限努力を払っていらっしゃるから、
そういう問題ではないんですけれども。
でも読みやすくはない。
だけれどもここまでかっちり、本当にこんなに丁寧に書いてくださっている方がいたんだなっていう。
だからといって一番最初にこれを読むとやっぱりよくわからなかったということはあるんですけど、
これに本当にある程度でも見えてくると、これがどれほど難しい仕事だなということが一つと。
書くモチベーション、多分どこから湧くんだろうっていうぐらい松木先生は書いていらっしゃるけど、
書くモチベーション多分ないと思うんですよ。
だから出てこないんだと思うんですよね。
なかなか非常にポジションポジションでいろいろ難しいことがいっぱいあるんだということが、
だんだん私は我が国の臨床心理解の難しさってものがね、
本当につくづく思い知ってきて、だんだんげんなりしてくるんですけどね。
僕関係者じゃないんだけど、だんだんげんなりしてくるんだけど、
でもこういう人もいらっしゃるんだなみたいな、すごい頑張ったんだなっていうことがね。
でも多分いろいろと他の周りの人からすると、彼にも言いたいことがいっぱいあるんだと思うんですよ。
こういうのって本当ね、スマートにスムーズにはいかないんですよね。
この歳になるとよくわかる。そういうわけにはなかなかいかないんだなっていう。
でも多分もうね、本書く必要なんて全然なさそうなポジションですよね。
もうトップの方にいらっしゃったわけだと思うので。
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でも本書く。しかもきっちり体型だったように書く。
本当僕そういうモチベーションなかなか湧いてこないわけですよね。
なんかタスク集と対戦とか書くモチベーションってわからないですかやっぱりね。
何をお前が言ってるんだって言われるかもしれないけど、なかなかそういうの書こうっていうね。
20代だったら絶対もう危機として書きますよ。
でもこの歳になって、あとなんかね、これを書けば1000万入るけど、
今明日の物にも困ってますってならもうバリバリ書きますけど、
そうでないことをよく知ってるんで。
スキさんとか本当偉いなって思いますよね。
本が飛ぶように売れて30万部行きましたってことは絶対起きないわけだから。
それはもう誰の目にも明らかというのも申し訳ないんだけど、でも明らかなんてね。
本当に大変ですよねっていうことです。
結局、接触障害の本の話になっちゃいましたけど、そうじゃなくて3ヶ月チャレンジですね。
CMながらスタートしますけど、
5、6、7月の3ヶ月で何すんのかというとですね、
タスクシュートにカコつけて言えばこうですよ。
タスクシュートでたくさんのできないことが上がりますと。
昨日そうそう久しぶりに決まってるんですけど、1ヶ月に1回しかやらないから。
グッドバイブスTVというね、倉園圭三さんとやってるオンラインコミュニティのための動画配信サービスやってるわけですが、
その動画配信収録をしてきたわけですね。
ここでですね、これから告知しますけれども、
今度は時間がないからできないじゃなくて、
時間があるのにできない、やらないってことなのかもしれないけど、
でもやりたいこと、この非常に独特の矛盾。
やりたいのに時間があるならやれよって話になっちゃいそうなんだけど、
そうはいかないものってあるじゃないですか。
例えば本獲得、まさにそういうケースになるわけですけども、人によってはね。
時間があるのにできないことをどうするかという問題に直面したとき、
1つに3ヶ月チャレンジを私はお勧めできますと。
今はね、作ったからってことが言えるわけです。
とりあえずね、つまりタスクシュートをやっている。
タスクシュートじゃなくてもあっても何でもいいんですが、
タスクシュートにはやっぱりですね、3つの大事な区別があると思うんですよ。
1つはあり得た自分。
これがつまりローグってことですよ。
あり得たわけですよね。
例えば私はグッドバイブスを960何回もやったということで、
ごめんなさい、グッドモーニングボイス、
ポッドキャストを960回以上やったということは、
ポッドキャストを私が配信するというのは、
その質とかフォロワーとか、それがファイナンシャルにどうとかは一切抜くとして、
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とにかく配信はできた。
これは私がポッドキャストをやるというのはあり得た自分だったわけです。
で、もう1つ、このあり得た自分というのは、
もちろんいっぱいたくさんあるわけですよ。
毎度食事を取る。
これだって常にあり得たとは限らないわけですからね。
毎日寝られる、これもあり得たわけですよ。
あり得た自分でいる。
これがベースです、タスクシュートではね。
で、これはもうタスクシュートしなくても皆さん、当然あり得た自分いっぱいお持ちなんですね。
やったことなんだから。
で、次にこれと全く同じく非常に重要、あるいはもっと重要なのが、
あり得る自分ですね。
これは現在の実行できる行動ということです。
これがあり得る自分。
これは非常に狭い短い時間の中でたくさんの選択肢があり得ますよね。
今から私これ、正ちにやめてマリオRPGをしてもいいわけです。
あり得ます、あり得ます。十分あり得る。
寝ちゃってもいいわけです。これも凄いあり得る。
シャワー浴びてもいい。
ホイール行ってもいい。
色々あるわけですね。
あり得る自分ですね。
あり得る自分とあり得た自分で基本タスクシュートは構成すればいいんだけど、
ここにもう一つ、特に使い勝手残る、あるいはタスクシュート以外のツールでは必ず出てくる、
あり得ない自分ってのがあるんですよ。
あり得ない自分のリストってのがあるんですよ。
これはいつまで経ってもこれに手がけられないのに、
リストだけは膨大に、
昔、GDDという、
昔じゃない、今もある、
Getting Things Doneという仕事術では、
サムネイリストと呼んでるわけですね。
いつかやりたいことリストって言うわけですよ。
僕はそうは言わない。
あれはあり得ない私のリストって言いたいわけですね。
あり得た、あり得るだけでいいはずなんだけど、
人はですね、あり得ない自分というものを持ちたがるんですね。
あり得ないんだけど、あり得てほしいっていう、
そういうものを持ちたがるわけ。
これをタスクシュートの一つの重大な分岐点を使って、
たぶん2日目ぐらいに登場するんだけど、
このあり得ない自分があり得ないんだということを、
タスクシュートが告げてくると腹渡すわけですよ。
いや、あり得るだろうってことになり、
タスクシュートはそこで捨てられると。
僕はここで半数の人が、
この分岐点で別の道に一度は行っちゃうんじゃないかなって思ってます。
あり得ないぞっていうこの、
あり得ないですよってタスクシュートに言われるとカチンときて、
いや、あり得るよっていうことになり、
そこでタスクシュートとは別れる。
そういうことがここを何とかするってのはですね、
僕はここを何とかするのを一番のものに持ってきちゃいけないと思ってるんだけど、
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でもここをどうしても何とかしたいんですという方のために、
例えば3ヶ月チャレンジを用意するなり、
100日チャレンジはまたちょっと違う方法でね、
このあり得ない自分という部分をもう少しでも、
これは非常に王道ですよ。
あり得るように持っていきましょうねと。
例えば100項目を3項目にしましょうねと。
それを100項目にしちゃうっていう方も当然いらっしゃるわけですけど、
つまりあり得ないというものをですね、
あり得ると考えたようですよ。
だからどうしてもここで、
あり得ないということをご裸に告げるというのはダメなので、
あり得るようにしたいよねと。
それはそうなんですね。
ここからアプローチがさまざま出てくるわけです。
3ヶ月チャレンジの話をしたいので、
私はね、今日はCMをしたいわけですからね。
3ヶ月チャレンジとしてはどういうアプローチを取るのでしょうかと言うとですね、
これを私は精神力動的アプローチを取りたいですと。
精神力動そのものは私はここで適用できないので、
精神力動に関する知識を使って、
精神分析と言った方がいいんだけど、
もうちょっと広いんで実際にはね。
精神力動という知識を使って、
意外と実はあり得ない自分問題というのは、
私の考えでは高度科学的に言ってもいいし、
それこそハードルを下げるというのも非常にいい方法なんで、
だから100チャレンジは私はいい方法だと思いますけど、
それは100チャレンジでやってますからね。
あれ以上ハードルを下げるというのは無理なんで、
難しいんで、
もうあれはあと3つというところを1個にするしかないんでね。
しかも1分着手ですからね。
1分着手より短くするともう10秒着手とかになっちゃうんですか。
あるいは1秒着手とかね。
僕はそれはないと思うんでね。
3つを1分着手というのは良い塩梅だなと思うんですよ。
大体の人はそうは思わないと思うんですよね。
それはそれじゃあり得ない自分がいつまでもあり得ないじゃないですか、
という話になる。
あり得ないんだからいつまでもあり得ないんですけどね。
もう一つの僕はアプローチがあるというふうに思うんですね。
それがあり得た自分の扱いということになるんですよ。
これは大橋哲夫さんもですね、
非常に別種の方向性から来てるんですね。
ログについて彼はすごいログレビュー、ログレビューという話をされてた時期があったし、
おそらく今も彼の主要な方法論はそこにあるんだ。
僕はそれは近いんですよ。
近いんだけど私の場合は単にログの話をするんではなくて、
そもそもあり得ない自分っていうリストができたとき、
これを私は何て言うんですかね。
いろいろな分析的な用語を使うと抵抗なんですよね。
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抵抗というものにあっていると私は考えているわけです。
その抵抗というものがしかもやりたくないなというような気持ちになるんでしょうけど、
その理由はタスクが重たいからとかそんなところで済ませるつもりは私はないんですね。
それだったら3ヶ月もいるとは絶対思えないんですよ。
3ヶ月は最低でもかかると本気で信じているのは別に設定料金を上げるためではないんですよね。
それだけだったらもうちょっと違う方法を取ります。
3ヶ月抵抗というものから抜け出せない、あるいは3ヶ月間ずっと抵抗され続けるというのはですね、
だからありえなくなってしまうんですけど、そういう私を実現するのは。
ありえないにもかかわらずありえさせようとしているわけじゃないですか。
だからありえないっていうところでタスクシュートがありえなさを提示してくると腹が立つっていうのはまさにあり得ると思いたいってことですよね。
この全体的な心理的なねじれに近いと僕は思うんですよね。
倒作とまでは言いませんがねじれに近い。
なぜそれが起きるのかというと、例えばお母さんがのしかかってきてるからとかね。
そういうことは僕はあり得ると思っているわけですよ。
で、これは簡単な話にはならないと思うんですよね。
お母さんがのしかかってきている。
つまりお母さんがあなたを話したくないと思ってる。
例えばですよ、例えば。
これはもう精神分析なんかでおなじみですから。
ある意味架空の話としてでっち上げてるわけだけど、お母さんがあなたを話したくないわけです。
例えば口で何と言おうと、家から出したくないと思ってるとかね。
ここに力度って話が出てくるわけですよ。
つまりまず第一に力がかかってくる。
家から出す前にとして。
手を引っ張ってるような感じでね。
で、手を引っ張るという物理的で幼稚なやり方ではなく、大人はね。
もっと巧みで、ある意味非常にねじれたやり方を使うわけですね。
例えば家から遠く離れると罪悪感が感じられてくるとかね。
これは勝手に感じてるんじゃっていう言い方もできると思うんですけど。
まず分析的にはそうは考えない。
母親が感じさせようと、しかも無意識のうちにそういうことをしている。
無意識のうちに、あんた家から離れると罪の意識持てよっていう、そういうことをやる。
そうすると、家から離れる用事を実行するのがありえないことになるんですよ。
っていう話を3ヶ月間かけて、じっくりとその人その人の置かれた状況をフェアリングしながらですね。
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私の頭によぎった力動的なお話を、つまり松木さんの本とかですよ。
事例をお話ししたり、そこに書いてあることを私が理解した限りではお伝えすると、
それがどうして意味があるのかって言われるかもしれないですけど、
そういうものの見方もあるよねっていうことを検討してみると、
今まで全く考えつかなかったようなことが不意に見えてくるんですね。
これを僕は期待しているんです。
ついでに言いますと、こうやって出てきた話が非常にしばしば、
倉澤圭祥さんのGood Vibesで話されていることに類似しているというか、
告示しているというか、似てるんです。
同じじゃないですよ。似ているのと同じなのは違うんで。
同じじゃないんだけど似てるんですよ。似た話が出てくる。
というところに僕は、自分はGood Vibesを深く関わっていて、
精神分析の試験を3ヶ月チャレンジで、
特に乱用と言われても結構ですが多用している。
でも僕は精神分析をその人に直接応用するということはできないし、
するつもりもないし、
そもそもそれはカウンセリングだとは思っていないんだけど、
この頭をよぎった、連想させた話というものを、
私が参加者さんの話を傾聴する中で提示していくと、
一つの視点が開けてくるというケースが多いんですね。
少なくともこのタスクは重たいとか、
分割しないと手がつけられないとか言っているよりは、
僕からするとはるかに意味があるんですよ。
だからありえないことをまずやろうとしているときに、
実は母親がのしかかっていたりするわけですね。
ありえないことをやろうとするということは、
例えばそれを社会が強く望むみたいな、
英語の勉強みたいなのの場合もあるんだけど、
もう一段とややこしいことに、
例えば家から出るみたいな、
ちょっとこれはね、今のは分かりにくかったと思うんですけど、
例えば独立するみたいな、
でもこれは全然ずっと手がけられていないんだよと、
ありえないという感じがすると、
重たいタスクだという感じがすると、
なぜ独立が重たい、ありえないのかというと、
させんまいとする力がどこから働いているかという考え方も、
普通に教科書的にあるよということなんですね。
普通に教科書的にあるんですよ。
これはタスクシュートのプランとログとシミュレーションと、
いろいろいじっててもどうにもならない。
もちろん僕が考えるに、
2時間洗い出そうと、逆算しようと、ミッションを立てようと、
ほぼ無駄だと。
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別にこれはそれらの方法論をディスってるわけでは全くないです。
関係ないと言いたいだけなんですよ。
そういうことは関係ないと言いたい。
つまりそれは、まずなぜそれをやろうと自分がしているのかという話が大事なんですね。
洗うとかミッション立てるという話は、
これをやるというのは、あり得るというのが前提になってるじゃないですか。
これをやりたいのは当然であると。
なぜかは問わないじゃないですか。
散々私が言ってることではありますけれども、
例えば独立して新しいマンションを買おう。
それは何らかのミッションから出てきたように見えるかもしれないし、
そもそも私が昔からやりたいことだったんだと、
その人は言うかもしれないけど、
でもそれだけではないケースがあるってこと。
しかもそれはある種の人からすると、
お金のあるかないかを別にしてですよ。
マンション買うなんてできるわけじゃないですか。
手続きがめんどくさいとか、
いろいろありますよね。
一見したところ時間がかかりそうだとか。
でもそんなことができない理由ではない。
できない理由とやりたい理由が
同じところから来ているというケースがあり得るってことですよ。
もちろんそうじゃないかもしれません。
だからこれはそういう知見について検討するということがまず、
僕は思うに必要なんだってことですよ。
つまりあなたはお母さん、あなたはじゃないな。
ある種の話の中には、
母親から独立しようという意識があまりにも強い、
にもかかわらずどうしても出られないっていう
この絶望感が非常に強いとき、
例えば接触障害という表現となって
それが現れるわけです。
めっちゃ食べるとか全く食べないとか。
これはお母さんに対する強い抗議の現れだったり、
独立心の現れだったりするわけですよ。
私はマンション買いたいんだけど
もうここ3年も全く出かけられていない。
私は意識力が弱いし、
こういう手続きが苦手なんですよみたいな話を聞いたとき、
パッと接触障害の女性みたいなのが思い浮かぶことがあるんです。
これは話でっちゃりでますからね。
そういうような類似したことが起こるんだって話であって、
実際にそういうことがありましたって話ではないです。
でもこういうことは現実にもあり得るんですよ。
この話に私はミッションとか洗い出しとか
タスクシュートのシミュレーションは何の関係もないと思うんですね。
どういうふうに時間を確保しようと、レシピを完全にしようと、
マンションを買う手順をはっきりさせようと無駄だと思うんですよ。
なぜなら第一にその人はマンション欲しいとは全く思ってないかもしれないからなんですよ。
いやいや、私は本当マンション欲しいとここ10年思ってたんですよと言っても、
僕はそれを素直に受け止めるという気持ちにはなれないことがあるんですよ。
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そうは思えないなって感じがするんですね。
お金がないのかもしれない、金削がまず先でしょうって話ですらないんですよ。
そうではなくて、マンションを買うというのは
象徴的にこの家を出たいって意味してるんですよ。
例えば、結婚せずにこの家を出たいと。
でも本人はそんなことはさらさら気づいていないか、
もっと厄介なのは本人はそれを気づきたくないというケースがあるんですね。
なぜならそれ気づくってことは母の元を離れたいということを意味するのであって、
母の元を離れたいということを思うだけでも母は傷つくだろうということはその人はわかってるから。
だから私はそれが、例えば、
接触障害と心内中毒、心内依存症になっている女の子の話があったなっていうのが
ふと出てくるんですよ。
読んでるせいなんだけどね。
ふと出てきたときに、
なんかこれを伝えるのでも難しいじゃないですか。
マンション欲しいって言ってる人に
なぜこの話しなきゃならないんだろうって思いながら
あのですねっていう風に切り出すわけですね。
これがでもしばしば有効だ。
そのためにやったら読むことになってるんだけど、
そのために僕は多分やったら読んでるんだろうなと思うんですね。
あの、別に今時いっぱいありますから
マンション購入の手引きみたいなホームページみたいなのいっぱいあるじゃないですか。
本もいっぱいあるじゃないですか。
すぐそんなものが手に入りますよ。
分解したチェックリストが欲しいならあっという間ですよ。
だけれどもそうして動けるぐらいなら
ほっくに動いてると思うんですよね。
10年っておかしいだろ。3年でもいいですけどね。
しれっとそんな数字が出てきているということはですね。
絶対この人マンションなんて欲しいとは思えないっていうのがやっぱ来るんですよね。
そして、そしてですよ。あくまでもこれは類例なんで。
昔そういえば倉園圭三さんが全然パチンコなんてしたくないのに
朝の9時前から開店前からパチンコ屋に並んで
ずーっと閉店までずーっといたと。
その間も苦しくて仕方がなかったみたいな話されてたけど
なんだろうなそれってやっぱ思うわけですよ。
だってしたくないのに並ぶ。
僕じゃあしたくないパチンコのために起きることすらできない。
でもしたくないのに並べると。
つまり人ってのはしたいからそれをするとか
したくないからしないっていうわけじゃないんですよね。
こういうふうにおっしゃってる倉園圭さんに
タスクシュート進めてパチンコじゃないことをシミュレーションさせて
何の意味があるか。何の意味もないですよね。
絶対そんなの一つもやらないでパチンコ屋さんの前に並びますよね。
でもどうしてなんだろう。
27:00
これは意識で動いているわけじゃないって思わなかったら
答えは出ないですよね。意識の上でやりたくないわけですから。
だから意識じゃないところで動かされている。
これを精神力道っていうわけですよ。
そしてその意識でないところで人を動かし得る人ってのはやっぱり
非常に多くの場合憎しんであり、親なんですよね。
そうじゃないケースはありますけどもちろんね。
でもやっぱり家からただ出る。
遠くに旅行に行くとなんだか罪悪感がすごい湧いてくる。
すっごい悪いことしてる気がしてくる。
早く帰らなきゃという気がしてくる。
いやそれはあなたのお母さんがそう考えさせてるんじゃないですかって
考えるのはおかしくないと僕は思う。
そこでバンションを購入するっていうことの意味が追われてくると思うんですね。
バンションを購入するのってお母さんが言っただけでも
無理だってなった時に購入の手引き書買って何か意味あるかって話なんですよ。
つまりこれを理解するためにはやっぱり
こういうことに少しは知識がないとどうしようもないと思うんですね。
そういう発想自体を全く取らない考え方で
いきなりお母さん出てきませんよね。
でもそういうふうに考えてみると非常に意外なあり得ないリスト
つまりここにリストアップしているリストは絶対無理だって思えるのに
つまり何十日も何百日も全く同じリストセットが
永遠にただただ多数集図上に残っているのに
でもこれ絶対全部やった方がいいんだって思っているとすればですね。
そこにはよほど何かの
これも分析的な言葉ですけど
異動とかエースとか本能とか欲動があったら
欲動っていうのは欲に動くです。また蠢いているっていうべきなのかな。
そういうようなものが開在していると思わなかったら
分かんなくなっちゃうと思うんですよね。
何でそれをしたいんですかっていうことと
なぜそれはできないそんなにしたいにもかからずできないんですか。
時間をたっぷりあってもできないんですか。
大体ないっておっしゃるんだけど
あるでしょっていうのを多数集図は示してきちゃうんで
あるのにやってないよねってことになるんですよ。
そもそもあるのにやっていない上に対してやったからといって
何かねそれほどの成果がそこから得られるかっていうのが
それは絶対言わないけど
正直疑問だみたいなのも少なからず出てくるわけですね。
だからそれをやると私の人生万々歳なんです。
いやそれはあなた誰かに思わされてるんじゃないでしょうか。
そう信じ込まされてるんじゃないでしょうか。
しかもそう信じた上で
それらは実際はやりたくないんじゃないんだろうかっていうこと。
そういうふうにパッと考えて
パッとじゃないんですけど話を聞いていくうちに
その話の中でいろんな話出てきますからね。
30:00
伺っていってヒアリングをずっとしていくうちに
そういえば
ごく痩せるだけで人生は何もかもうまくいく
成績も良くなるし
友達もいっぱいできるし
っていうことを書いていた人いたなーみたいなのがいるんですよ実際にこれは。
あのすっごい綺麗な自分の姿が
鏡に映ってるのが見えるって書いてる人いたなーっているんですよこれ。
鏡に映っているのが見えるんですよ。
自分じゃない今よりも遥かに痩せて綺麗になった姿が映ってるのが見える。
だからいっぱい食べてしまうみたいな。
これって一体何なんだって感じがするじゃないですか。
でもなんか行きたくもないやりたくもないパチンコに並んで
一日中そこにいましたって話とそっくりなところがあるじゃないですか。
そして
やめようとしてもやめられない。
食べるのがやめられない。
そりゃ当たり前じゃないですか。
だって食べるのをやめたら我々は生きていくことができないから
この話は散々今週したからまあいいんですけど
食べるのはやめられないんですよ。
マスクシュートでよく出てくるじゃないですか。
あり得た自分を否定しようとする。
あり得た自分をですよ。
2時間ネットでYouTube見ました。
見ちゃいました。
それがあり得た私ですよ。
あり得た私を大事にしないんだったら
何が大事にできるんだろうっていうことを
やっぱりそこでは問われることになると思うんですよね。
あり得た自分っていうのは否定できないんですよ。
あり得ちゃったんで。
我々は食べたくなるわけです。
食べたくなる私を食べたくなれないようにしたいんだけどできません。
できないんですよそれは。
それができた暁にはもうまずいことになってるわけです。
空気吸いたくないみたいなこと言ってるようなもんだって。
だからYouTube見たいですっていうのは本能ではないかもしれないけど
限りなく本能に近いわけですよね。
1日中ヘドヘドになるまで疲れきって疲れてるのに見たい
っていうものをただゴロンとなって見るってめっちゃ本能的なわけですね。
これを否定しにかかると。
そういうことをしたがる私というものを罰したいんです。
っていうことをやるとですね。
すっごいまずいものを食わせるとかそういうことが起きちゃうわけですよ。
ものすごくおいしくもないものを食べてしまいましたと。
それがあり得た私なわけですよね。
そしてあり得ない私のリストというものに固執していく。
この構造を3ヶ月かけてそれこそ洗い出していきましょうということです。
だからそのリストが実行できるようになりますという結末に至るケースは
多くはないと僕は思います。なくはないと思いますけど。
だからそれが望ましいとは思えないので。
つまりこの場合最終的にマンションを購入できました。
お家から出ることができました。
33:01
けれども母との関係は悪くありませんってのは素晴らしい。
いい感じのハッピーエンドじゃないですか。
でもその場合マンション購入依然としてしたいかなっていうのは結構疑問なわけです。
マンションもうどうでもよくなりましたみたいになることの方が多い気がする。
私は結局あり得ない私に固執するっていうのは
そういうふうな結末に至るケースが今まで眺めていた中ではすごい多いんですね。
すごい多い気がするんですよ。
だから僕はタスクを分解するということに
最近興味が全然持てなくなってるわけです。
それを本当に本当にっていうのがここに厄介なんでね。
やりたいんならいいんですけど別に。
やりたくないっていうケースの方がむしろ多いんですよ。はっきり言って。
やりたくないんですよね。だってやりたくないじゃないですか。
Want to doとかMust doとかって言うんですけれどもね。
なんかね新しいプログラミング言語を学ぶとかそういう例々しく書いてあるんだけれども
でも私がやりたいことはマリオのRPGであって
それを作るための言語を学ぶことじゃないんだよっていうケースはいっぱいあるのに
なんかよくわからないんだけどやりたいことになっちゃってる。
やりたくもなんともないことって山のようにあるわけですよ。
それは非常に大事な参考資料になるんですよ。
あなたにそれをやりたくさせたのは何なのかっていうことと
やりたいにもかかわらず一向にも手をつけられないようにさせているそれは何なのか。
非常に多くの場合その二つは同じものだったりするわけですね。
母親だとは限りませんよ。これは一例なんでね。
そして母親ということになったとしても実の母親だとは限りませんから
全然違うものが出てくる。父親だったりね。
そういうことは多々あるんですよ。多々あるんですね。
だから話をうんと細かく聞いていかないとさっぱりわかんない。
ほとんどの場合さっぱりわかんないです。
一人一人全然違うんで現れ方が。
だってそれがいわゆる食べたくないっていう人とになる場合もあれば
パチンコ屋に行きたいのと食べたいの全然違うように見えるじゃないですか。
非常にしばしば、非常にしばしばでもないな。
でも時折、理由と構造とその動きはそっくりだけど
表面に現れる動きは全然違うんですよ。
パチンコ屋に行きたい、食べたくない、マンションが買いたい
どれも同じ原因だったりするんだけど
全然違うんじゃないですか。この三つは。
本人がそれが同じだと思うのは土台無理があるよね。
そういう話を月さんという方が非常にややこしい8文字熟語とかを使って
説明されているわけです。
自己愛、構造、愛とかね。
そういう言葉を使うことによって
ちょっと今の性格じゃなかった気がするんだけど
そういう言葉を使うことによって
人はどうしてそれを全てを逆転させていくのかということを
36:04
綿密に書いているわけですよ。
それを私は読むとものすごい何かこう
あーという迷路というものが
急に迷路じゃなくなったみたいな感覚を抱くんですね。
その時の感触が忘れられないので
何かにつけて読んでは何かにつけて喋るというのを
ただただここで繰り返して
もうすぐ999回を迎えようとしていて
正気かって感じも時々しますけどね。
一応正気のつもりなんですけどね。
いやーなんかでも999回目は鉄道の話でもしたいですね。
話がちょっとめちゃくちゃ飛んで
いきなり飛んだして恐縮なんですけどね。
別に鉄道の話が僕したいほど鉄じゃないしなっていう
999に何を話すかというのは
本当ずーっと悩むんですけれども
なんでそんなことに悩んでるのかよくわかんないですけどね。
でも1回しか来ないからね999って回はね
7777に倉園さんを呼べたのは
我ながら素晴らしいヒットだったっていう風に
勝手に思ってるんですけれども
999何を言えばいいかなーみたいなのはありますね。
誰かこれを聞いてる人の中に
銀河鉄道39マニアみたいな人いませんかね
そしたらその人と喋る
そういう会議することができたりする気もするんですけどね。
つまり3ヶ月チャレンジではそういう風にですね
入り口はあくまでも仕事があかどらないなんですけれども
その扱い方は非常にタスク管理的でも
仕事術、いわゆる仕事術的でも確かにない気がします。
でも私はほとんどの場合これしかない
という風に今思うんですね。
ありえない自分のリストっていうこれ
これは長自画で説明してもいいんですけれども
ありえないっていうことの意味は何なのかと
母親から離れるってことはありえないって思わせられている。
でもその時にだからありえないリストができてしまうわけですよ。
母親から離れるリストができちゃうわけですよ。
だって自立したいというのは人間の食欲に匹敵するぐらい
本能的な動きなんで
人間はやっぱり自立を求めないと
成人個体は生きていけないじゃないですか。
大概の場合その頃には今の時代と違うんで
親御さんというのはその他界しているわけですよ。
だから自立心が全然ない個体が進化上生きていくのは
極めて困難かほぼ不可能だったわけですよね。
ということはつまり自立心って出てきてしまうわけです。
自立はありえないって思ってる人は
39:00
その自立するためのリストはありえないリストになってしまうわけですね。
だからタスクシュートで言うありえない私っていうものが
ここに自立心として現れる。
でも自立がそもそもありえないって思うってことは
例えばたくさん食べるのはありえないって思ってるようなものであって
本人を非常に苦しい立場に追い込むわけです。
こういう構造をいちいち考えていって
しかもそれがどういう自立を妨げられているっていうのは
非常に抽象的で幅広すぎるんで
だからそれが食べたくないとか
とっても痩せてきれいになりたいというそれはセットなんですよ。
とっても痩せてきれいになれば何もかもうまくいくっていう風に
信じてしまったがために食べたくないという
倒作した欲求が出てくる。
人間は食べたくなるのが当たり前で
食べたくないというのは本能ではないので
その食べたいという気持ちに対しては
貶めるという手段がどうしても必要になる。
ろくでもない欲望だっていう。
だからジャンクフードを食べる。
そういう話になっていった時に
何がありえない自分のリストで
何があり得た自分のリストなのかっていうのは
そこにものすごく大事な参考資料として
残ってくるはずだと思うんですね。
ついでに自己愛好状態とか何とかいう言葉を
口走ったんでついでに言うんですけど
松木さんはよくこの欲求は
サディスティックだっていう風に書いてるんですね。
つまり病理好状態とか何とか言うんですけど
そういうナルシズムみたいな
自分の食べさせたくない
痩せれば万能的に何でもうまくいくんだ
っていう風に考えた一連の
まるでその人の天然の性格になっちゃったみたいな
そのあたかもって
アズイフパーソナリティとかって言うんですけど
それはものすごくサディスティックで過酷だって書いてるんですね。
僕はこれすっごいですね
タスクシュートっていうのかライフハックっていうのか
仕事術で重要な概念だって本当に思うんですよ。
サディスティックだっていうのは本当に大事な指摘で
一見甘いこと言ってるけど甘いですよね。
あなたは思春期の女の子で
痩せてきれいになってみんなに知恵を増やされて
王子様みたいな男の子と結婚できてみたいな
なんだか言って絡めとっていくんですよね。
だから食べちゃダメだ。
で食べるんだったらジャングフードだけ食えみたいな
そういうものすごく過酷な要求をしてくる
あの甘い調子でね
なんかねそういうのって
なんかものすごくあれそれ
なじみ深いなそれっていうね
痩せているにもかかわらずジョギングしろみたいなね
でもそうすればあなた幸せになれるからみたいな
そういう非常に気色の悪い
そして意地が悪い
そういう自分っていうものが
自分の中で構造を持ってくるっていう
それを描き出しているわけですね。臨床例使って
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すっごい読み込み始めて面白くなってくると
すごい引き込まれるところがあるんだけど
これはやっぱりあれでしょう
大体痩せてなきゃダメだみたいな顔を
ビジネスショーでもすぐするし
2時に起きろとかねもうちょっとマイルドで
5時に起きろとかね寒くても夜暗くても
5時に起きて英語の勉強しろと
そうすればあなた本当に幸せになれるからと
万能的にお金も儲けられて
素晴らしい人脈が築けて
すっげー似てるなって僕は思うんですけどね
すごいサディスティックなことを言いますよね
そういう風にね、もし私の言う通りにできなかったら
あなたも路頭に迷って道端のゴミみたいなものを
拾って食べるだけの人生に終わるけど
それでもいいのっていうような
そういう気色の悪さがある世界が
よくよく僕は連想に浮かんでくるわけですよ
こういう話が3カ月チャレンジでは
飛び交ってます
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