00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今日は長くなりそうな予感があります。
これを聞いている方は、長さはすでに分かっているのですが、
喋り出しているこのタイミングでは、さっぱり分かっていないので、予感です。
一つには、今、清掃方面に降っている、
非常に鬱陶しい感じの雨があって、
こういうものが、僕は長く喋ってもいいような気持ちにさせられるというか、
なんかやっぱり、カラッと晴れていると、スパッと切るみたいなのが少しは入ってくるんですけど、
もう全く真逆な天気なんで、
これで雷とか鳴り出すと、また僕の心理がちょっと変わると思うんですけど、
今、シトシトシトシトっていうのがずっと続いている感じなんで、
この感じで自分の心境に合っているんですよ。
どうしつの原理とかって言うんですけどね。
僕の心理のベースってこういう感じなんじゃないかなって思うんですよね。
嫌いじゃないんですよね、つまりね、こういうのが。
まあ、それはいいんですが、何のお話をするかというとですね、
最近、倉園慶雄さんがですね、セッションの割引みたいなのを割となさっていてですね、
是非これを受けて欲しいなって僕は思っているんですね。
というのは、セッションを受けないと、どうしても言ってしまうと東映同一化が起きにくいんですね。
ぶっちゃけ相談とかお悩みいただくっていうのは非常にいいんですが、
あそこって相手の人はそこにいるわけにはいかないじゃないですか、当たり前ですけど、
メールとかフォームとかで送っていただいた内容に対して私たちが答えて、
これへの例えば反論みたいなのがその場ではできないですよね。
これをすることが言葉のやり取りじゃなくてですね、入っていくっていうんですよね。
入っていく必要がある、入れていくだな。
要するに自分の悩みとか困った状況っていうのは、
状況を丸ごと、この話を最近しているわけですが、
ぶち込まないと本当のところ伝わらないっていうことがありまして、
そこまでのじゃないやつはいいんですけど、やっぱりそこまでのやつっていうのが私は大事だと思うんですね。
だからそれをお持ちの人はですね、絶対そこに矛盾があるんですよ。
なぜなら東映同一化を使わなければ相談できないような悩みは、
相談しても無駄だっていう気持ちが絶対ないとおかしいんですよね。
相談しても無駄なんだ、こんな問題誰にも解決できないんだと本当に思ってたら相談なんてしないじゃないですか。
どこにも行かないですよね。
これの究極形の一つが引きこもりっていうことに、
それも社会的で圧倒的な感じの引きこもりってやつになると思うんですが、
03:01
そこから先が本当は問題なんだけど、この形式になっちゃうと最初から矛盾がありますよね。
その人がどこかに行くわけがないですから。
そういうことがですね、でもその矛盾した状況そのものが持ち込まれるのは、
やっぱり僕は最もこの種の仕事をする上での意義かなと思うんですね。
精神分析の用語なんですよ、東映同一化ってのは。
でも頻繁にそこら中で起こってるし、私もタスクカフェでも起こるんだっていうことはですね、
やっぱり知ったんですよね。
タスクカフェとかでも青橋哲夫さんとやっている人生相談じゃなくて、
タスク管理相談でも起きてしまう。
で、たとえそれが本当に全く分析ではないから、分析的なものと同じではないにしてもですね、
かなり酷似した現象が、しかも割と頻繁に起こるんですよ。
前にもお話ししたと思うんですけどね、タスクシュートを使ったって無駄なんですってことなんですよ。
要するにその人が持ち込んでいらっしゃるのは。
これだってやつなんですよね。
まさにここからなんですよ。
タスクシュートを使えばこうやって解決するんですよ。
以上であれば相談なんかしないんですよ。
タスクシュートなんて役に立たないんですってことが一番ポイントになるわけですよ。
ただそれを私が言われてもそうですねとは言わないじゃないですか。
話は平行線をたどるじゃないですか。
割り込みも多くてって言われれば、
じゃあ割り込みには割り込みの記録をつけることで対応しましょうと。
割り込みも多くてって言われれば、
じゃあ割り込みには割り込みの記録をつけることで対応しましょうと言うじゃないですか。
そうするとずっと割り込み割り込みになってしまうんですって言って自分の作業は全く進まないんです。
だったらこの作業を進める時間を修行の、修行の前に持ってきましょう。
修行の前は朝5時に来ても誰かがいる状態で。
話が微妙なんだけれども嘘だとは言えないですよね。
嘘だとは言えないから、
終わった後になると終電を逃しますと。
絶対にしぶとくこっちが頑張っても向こうも一歩も引かないみたいな感じでですね。
降着状態に入るわけですね。
ウィニコット、ここのところずっと喋っている精神分析科のウィニコットが
ドッグイズアドッグアイっていう永遠に続いていく状態っていう風にこういうのを規定していて、
私と倉園健さんが発泡塞がりって言ったのとほぼ同じなんだけど、
犬は犬である、は犬である、は犬であるってやつなんですが、
06:01
日本語で言えばですね、言う意味はないんですが、
つまり完全に出入り口がないよっていうことなんですね。
ここから始まるんですよきっと。
こうじゃないような相談ならなんてことないんですよ。
FAQになっちゃって、その問題はクエスチョンナンバー314だから、
こちらに回答がありますで済むんだと。
絶対それでは許されないというときになって初めて相談という、
精神分析で言えばこれを精神に持ち込んで分析と言うんでしょうけど、
分析じゃないなんて思わなくもないですよね。
分析じゃない気がします。
そうやってですね、持ち込まれてくると。
私が持ち込まれて、もちろん最初はですね、
それにはどうしたらいいんだろう、自分ならどうするんだろうって一生懸命考えるじゃないですか。
だんだんだんだんしかし無駄だなって気がしてくるじゃないですかやっぱり。
あの人何答えても無駄なんだなって感じがしてきますよね。
で、腹渡ってくるじゃないですか。
これがまず伝えられてきたことの一つですよね。
その人は怒っているわけじゃないですか。
タスクシュートなんかで解決できるものかって言いたいわけですよね。
で、お怒りなんですよ。
この怒りがまず僕に伝わってこないことにはどうしたらいいんだろう、
自分に伝わってこないことにはどうしようもない。
僕がイライラしてくると。
そのイライラがまさに東映ドイツ科の一つですよね。
で、もう一つあります。
これは状況そのものが僕に投げ込まれてくるんで、
状況そのものなんですよね。
感情だけが伝わればいいってことではないんですよ。
例えばそのイライラしているというのは状況が生み出したものなんですよ。
私の場合はそれは何答えてもこの人は納得してくれないという
ことなんだけれども、そうじゃなくて、
その人が持ち込んできているのは自分の置かれている状況ですよね。
会社の人たちは理解してくれないと。
やたら早くから来させて、やたら遅くまで働かせて、
しかも自分のことをやれというのにやたら割り込んでくると。
家庭は家庭ですごい面倒くさい状況にあると。
イライラするのは状況が作っている。
っていうこの状況そのものを私のところに持ち込んでいらっしゃっているわけじゃないですか。
その状況がその人の心理状態によって投影されて、
あるいは反映されてでもいいですけど、再現されていく。
このタスクカフェのある小さな空間の中に再現されていく劇。
劇化っても言うんですけどね。
あの演劇の劇ですね。
ここで再生されるんですよね。
そして私がその状況にイライラするというのは、
まさにその人が置かれている状況そのものがここでコピーされているわけじゃないですか。
そうやって私がだんだんイライラすると。
でも切れるわけにいかないですからね。
この切れるわけにいかないっていうのが、
精神分析では解釈以外のことを言ってはいけないみたいな表現を取りますけど、
09:00
なんとなく感じるものってあるじゃないですか。
私はフロイトの分析を訓練を受けたわけじゃないし、
大橋哲夫さんとタスクカフェでこういう方針でいきましょうねみたいなことを
綿密に打ち合わせるとか、こういうこと言っちゃダメですよねとか、
そういうことを事前に打ち合わせているとかじゃないけれど、
やっぱり切れちゃいけないとかってそういうのってあるわけですよ。
何か解決策を提案しようと。
無駄でも提案しようと。
だんだん無駄だなっていうことが感じられてくる。
犬は犬であるは犬であるは犬であるを
いつまでも続けていなきゃならないんだろうかって思ってくる。
こういう時にグッドバイブスみたいにね、
時間は無限にあるとか、
なんですかね、帯状の時間を考えちゃいけないとか、
考えるっていうようなこともするんですよ。
やっぱりグッドバイブスの話を聞く前でもですね、
やっぱりそういうことを考えるんですよね。
もうここはこの場が終わってもこの人に付き合おうみたいな、
何かですね、そういう吹っ切る何かが必要になってくるんですよね。
そういうのが一つ手に入るとまた少しスペースが空くわけです。
まだ堪えられるぞみたいなね。
タスクシュートンの利点とかそういう人にしゃべるじゃないですか。
これはそういうプランニングするものじゃないんですとかですね。
ノープランみたいなのはこういうところで出てくるわけですよ。
この話はちょっと後ほどできればいいなと思ってるんですけど、
プランニングするものじゃないんです。
事前に書いてある通りに実行できなくたって、
割り込みっていうのを書けばそれでいいんですって言っても、
それで意味があるんだろうかみたいな疑問を投げられるわけじゃないです。
実行する前から。
実行してみてから理解しようって言っても、
そもそも実行ができないんだって話をされたりもするわけですね。
当時エクセルベースであったら、
このエクセルのそもそも経線が目にチラチラして、
それも非常に自分はこの種のツールを使いにくくするみたいな話をされてくると、
例えばそれがADDですね、自分は。
こういう話は何度か実際あったんですよ。
お一人だとかじゃないんですよ。
多分私の知っている限り2桁は絶対言っていると思います。
こういうふうにいろんな経線でタスクがどんどん書き込まれていくと、
それは誤解なんですけどね。
集中がむしろ乱されるんだと。
来んなよみたいな感じがしてくるじゃないですか。
これを言ったらまずいなっていうのがあるわけですよ、でも。
ここを頑張って土俵際でこうやって、
つまり際なんですよね。
もうスペースはないんです。
際で頑張るっていう、絶対諦めないで踏みとどまろうみたいな感じになっていくと、
やっぱりその人の置かれている状況なんだなっていうことなんですよ。
そのことには当時はっきり意識していたわけじゃないけど、
なんとなくやっぱり伝わってくるものがあって、
この人こそ土俵際でこらえているに違いない。
っていう感じってやっぱり伝わってくるんですよね。
これがセッションで伝わってくる大きな意義だと思うんです。
対面しているからね、やっぱり力がかかってくるわけですよ。
12:03
こっちに圧力が。
で、なんでこの人はこういう圧力をかけるんだろうと。
どうしてこんなことを言うのにタスクシュートを使おうとするんだろうと。
ここまでして、朝の土曜日の朝にわざわざ土俵際に来て、
無駄ですっていうことを伝えることが全てなんだろうかっていう風に考えると、
そんなはずはない気がしますよね。
そうしているうちに手詰まり感になる。
答えはないような気がする。
相手の人がつまり陥っている状態のもう一つっていうのが、
怒りなんですよね。
怒りの他に無力っていうことなんですよね。
これがやっぱり私が発見しなければいけない、
そしてパーソナルなものでなきゃいけない。
無力感とか無力って抽象的な表現ですよね。
さまざまな無力があるじゃないですか。
その人の無力ってものを私が認識して、
自分の心の中で何を言うか分からないような感じがする。
その人の無力ってものを私が認識しないといけないんですよ。
その人が無力感を抱えている。
もう無駄だとこんなに言ったけど結局何も伝わらないんだと。
その人一生懸命タスクシュートの無理なところを伝えてきて、
それでおしまいなんだと。
虚しいなって感じが漂ってくるじゃないですか。
これを私が理解するってことがその人に期待されてたことなんですよね。
そこがドッグイザドッグイザドッグですよね。
もうどうしようもないなと。
多分こういうことっていっぱいあると思うんですよ。
世の中の中にもね。
絶対精神分析の中だけで起きていることなんかじゃなくて、
全くタスクカフェの中でもちゃんと起こるんですよ。
対面で少なくとも真面目に答えていれば起こるはずなんですよ。
僕がその場で軽い欲打つ症状みたいになっていく。
無駄だなーって感じに捉えられていく。
なんかここのずっと先の方。
もうずっと先ですよ。意識もしてないですけど。
自分死んだ方がいいんじゃないかなみたいな。
そういう風に思いっかねない。
だから欲打つと起死年齢っていうのはやっぱり罪悪感から来るんだと思うんですよね。
無駄なことを自分はやってきたんだと。
そういうことを思い知らされるみたいな感じ。
ってことはつまりそれがその相談に来られている人の状況に対して
心の底で一番実感していて悩んでいらっしゃるそれですよね。
つまり俺はこんな会社とこんな家庭を持って人生を無駄にしているんだという
そういう気持ちを伝えにいらしているわけですよね。
その媒介としてタスクシュートがあって
タスクカフェという場があったと。
そういうことなんだと思うんですよ。
ここで終わるわけにはいかないじゃないですか。
15:02
ここで終わるということだと本当に悲しいんで
ここから何とかしなきゃいけない。
その時にですね。
グッドバイブスっていうのも私の中では一つ大きな対象と
これを対象と僕は言うんだと思うんですけどね。
対象として現れてきてくれたんだけれども
その時はないんでどうやっていたんだろうと思うと
やっぱりタスクシュートだったんですよ。
私の場合。
タスクシュートにこういう相談を受けるという時間を
私はここで持ったと。
そういうことを書くんです。
それは一体何になるんだって言われると思うんですよ。
これがノープランなんですよ。
ノープランライティングの4期はまだ一箱あるんで
ここでCMをするのは強引ですが
今僕がこうやって喋るじゃないですか。
ノープランから連想してノープランライティングのことを
5秒前は全然意識してなかったんですよ。
不意にパッと思いついて今喋ったんですよ。
こういうことがあると僕は思うんですね。
つまり私たちは万能感ってここで何度も話してますけど
万能感をまず失っちゃダメなんですよ。
ドックイズはドックイズはドックだと失いかけるわけですよね。
お前が言ってることは無駄だったんだぞと
タスクシュートを5年も6年もやったけど
全然伝わらない人もいるんだぞということを
しぶとくしぶとくしぶとく言われて
圧をかけられてくると
無駄だったのかもしれないって思いそうになるじゃないですか。
完全に万能感を失いそうになるんだけど
ここで自分がタスクシュートを使うことで
万能感を取り戻すんですよ。
それ万能なのかって話になるんですけれども
ここなんですよね。
万能なのかというのはですね
事前に決まっているはずがないじゃないですか。
最前線で私が戦争だと思うをしてください。
最前線で何ができるかっていうのは
分かるはずがないじゃないですか。
万能感を持ってやるというのは
何とかするってことですよね。
グッドバイブス流に言うならば
現実なら何とかなるってことですよ。
何とかするために何でもできることはするわけです。
そのためには万能感を維持していなきゃどうしようもない。
その時打破するべきは
行き詰まりな状態
ドックイザドックの状態
これを自分は何とかできるはずだと
回転させたり裏から見たり何でもいいんですよ。
とにかく何とかしようとする。
何とかしようとするってことができるっていうことは
万能だってことだと思うんですよね。
タスクシュートを使うんです。
私の場合はですね。
タスクシュートを使うことで
ここに全く新しいものを書く。
かつて既にプログラムされていた
こういう人が来たらこう答えますという
18:01
自動機械みたいなんではなくて
そんなものが生きてないじゃないですか。
生きているんだから何とか自分ですると。
その時に真っ白なんですよ。
真っ白なところに一行書くわけです。
新しく起きたことをですね。
こういうことがつまり
遊べるってことなんじゃないかと思うんですよ。
例えば切れてはいけないんですよ。
だけどもう切れちゃうかもしれないじゃないですか。
タスクシュート使うのやめたらどうですかとか
言っちゃうかもしれないじゃないですか。
これをかわいい羽生さんが
影の露呈って言ったりするんですけどね。
影の露呈によって
もしかすると破滅を招くかもしれないんだけど
もしかするとうまいこと
いくこともあるっていうような事例を
集めてくれていらっしゃるわけですよね。
で、影が露呈するわけですよ。
もういいやと。
お前好きにしたらみたいなことを言っちゃうと。
でもこれもいろんな言い方がありますよね。
今私が言ったみたいな。
で、相手がどう言ってるかなんてわからないですよ。
本当のことはわからないので。
でもここは白紙なんですよね。
真っ白なんですよ。
真っ白だぞっていうことを
タスクシュートは教えてくれるわけですよ。
何書いてもいいんだよと。
何書いてもいいってのはどういうことかというと
私は何をしてもいいんですよ。
だからできるだけのことができるじゃないですか。
既に書かれたことをやるだけだったら
それはもう完全に何かにコントロールされている。
つまり親にコントロールされている子供ですよね。
タスクシュートは親になっちゃってるわけじゃないですか。
そうではないんですよね。
タスクシュートは環境を供給してくれているだけであって
何かをするのは私じゃないといけなくて
ここのところででも
万能感を失えば失うほど
急速にですね
アンチョコばっかりになっちゃうんですよ。
そういうことって多々起きるじゃないですか。
プレゼンの時には
例えばこう
右手から入りましょうとか
そういうものがすごくウケるじゃないですか。
誰が決めてるんだよってことじゃないですか。
全部親の言う通りにやるんだったら
自分そこに行ってやる必要って別にないですよね。
研修では必ず紙を用意しなさいとか
スライドのここの文だけは読み出さいとか
全部あらかじめシナリオが決まっているほどいいっていう風に
なぜかするっていうことがあるじゃないですか。
それはその人が万能でないってことを
さっさと認めなさいということになって
つまり弱いってことを認めなさいってことになりますよね。
こういう場合はどうしたらいいでしょうとか
そういうものが手に入れば手に入るほど
万能だという風になぜか誤解されるんですけど
手に入れば手に入るほど万能じゃなくなるということですよね。
それだったら
自分が別にそこで何かを発揮する必要がないわけだから
いらんってことになってしまいます。
そうじゃないですよね。
逆なんだと思うんですよ。
何にもいらないはずなんですよ。
何にもいらないっていうのが不安だっていうのは
21:02
万能感がないっていう証拠だと思うんですよね。
不足感だけがあると。
何にもいらないっていうのが
一番意義に決まっていると思うんです。
何にもいらないという時になって
さっきの東映ドイツ課がグーって押し込まれた時に
実は一番ポイントがあるわけですよね。
だって相手は本当に悩みをそこに持ち込んでくれているわけだから
万能感ってものがあるとすれば
一番活気するタイミングがそれじゃないですか。
FAQを読めば済むような事態しか来ないんだったら
ある意味自分は死んでいるようなものですよね。
そういう場面においては。
めちゃくちゃ退屈すると思うんですよ。
どうすればいいのかが分かっている答えだけが
常に持ち込まれてきて
私であろうと誰であろうと構わなくて
要するにヘルプガイドみたいなものがあって
検索用語を入れれば答えが出るっていうんだったら
そこに誰も生きていなくてもいいじゃないですか。
そうじゃないとやっぱり思うんですよ。
この場合、もちろん一つ意識的な話に
グッドバイブスもなっていくんですけれども
私がやってたこともまさにそういうことになっていくんですけれども
一つはやっぱりそこにノープランだということです。
必ずパーソナルなものが持ち込まれるから
例外だけがやってくると言ってもいいぐらいです。
確かにここのパターンはパターン見えたものはありますよね。
よく同じようなことがあるというのはその通りです。
タスクシュートの限界みたいなものを指摘され
タスクシュートの無力というものを指摘され
そこで答える答えというものは全否定されていくと。
まずここからですよね。
こうならないんだったら
要するにパターンがそこにあるということになってしまう。
全く同じことが再生されていくだけということになってしまう。
そうじゃなくてその人のパーソナルなものがそこに出てくる。
どんなものかは分からないけれども必ず出てくるんです。
朝本当に5時に始まる会社なのは非常に珍しいですからね。
その人だけがどうしても断れない割り込みみたいな話も出てくる。
これは非常にですね、僕が一つの発見したことなんですけどね。
その人だけが断れない割り込みってあるんですよ。
こういうのはやっぱり対面で話していかないと絶対出てこないんですよ。
割り込みって言ってしまったらもう分からないです。
その人だけが断れない割り込みってものがあるわけです。
例えばですけれども、これはもう例えばですけれども
その人はただたまたまある上司からの頼み事を
引き受けることに全存在意義を見出しているというケースが結構多いんですよ。
最初にその会社で良くしてもらったとか
あるいは入れてもらったということもあり得ますよと。
完全にイリュージョンなんですけれども
その人の頼み事さえ聞いていれば自分はこの会社にいられるって
無意識に思い込んでいるっていうケースがあって
24:02
その人からの割り込みがないとその人はもう不安で不安でしょうがないんですよ。
こういうことってあるんですよ。
こういうふうになっていけばですね
私はその人に一気に共感できるじゃないですか。
だってそういうことってたくさんあるじゃないですか世の中に。
例えば私なんかもイリュージョンかもしれませんけれども
2004年、5年頃に帰国して仕事なかったわけですよ、何にも。
アメリカに行ったところで行くつもりだったんですけど
100%行くつもりだったんですけど
サイトベージュだったんですけど
そこで生きていけるという保証も何も見通しも一切なかったんですよ。
で、大橋さんが仕事を一緒にやってくれることになって
それで生きているわけじゃないですか。
だから厳格義じゃないですけど
大橋さんからの仕事さえやっていれば自分は生きていけるんだって
思い込むじゃないですか、心のどこかでですね。
で、そういう思い込みというものが強く作用する。
ということになってくると
例えば彼からの仕事が一切なくなると
偉い不安になったりするでしょう。
今はしないですけど
人生はっくらになるんじゃないかみたいな考え方を持つじゃないですか。
これとその会社の中である特定の上司の人からの
依頼が来なくなると不安で仕方がなくなるから
何らかの形でその人からの何かが来るように考えて
こういうふうなことをずっとしていると
タスクシュートって偉い機能しにくくなるんですよ。
で、そういうのに対して
でも自分は忙しいという意識も強いから
意識上ではですね、強いから
いろんな割り込みで自分は仕事ができなくなっていて
大変だっていうことを持ち込んでいるようで
実はタスクシュートにはきっかけがないんですよ。
そういう発見は僕はタスクカフェでは結構何度もしました。
言わないですけどね。
これは精神分析とかなら言うべきなのかもしれませんが
タスク管理の話ではこんな話はしませんけれども
要するにこの人はタスクシュートが機能したら嫌なんだ
困るんだっていうことがわかるわけですよ。
この人に対してはタスクシュートが機能したら嫌なんだ
困るんだっていうことがわかるわけですよ。
この人にとってはある意味で会社で他の仕事をするっていうのは
あまり意味のないことで
ただ特定の上司の人からの仕事の割り振りが来て
それをやってその上司に評価されるってことだけを求めていきたいわけですよ。
そういう人にしてみればタスクシュートみたいなものが出てきて
仕事がどんどんどんどん進んでいくというのは
一見いいことのようで決していいことじゃない。
それこそ無意識の中にある非常に
要するに言ってみれば
罪悪感をかきたてるようなことなんですよ。
こういうのって直面して自分がそれだと知ると
人にもよると思うんですけど
ある程度罪悪感が湧く可能性はあるじゃないですか。
27:00
そんな風に自分が会社に勤めているっていうことに
罪悪感を感じるってことはあると思うんですよ。
だから当然そういうのはあまり意識したくないですよね。
一方では仕事をどんどん行なすっていう
自分でありたいっていうのが絶対あるので
でももう一方ではそれをどんどんやっていくということには
強い不安があったりするので
だから全然違う話を持ち込んでくるし
そういうところに巻き込まれて私がさっきみたいに
だんだんよく打つぽくなっていくと。
実はだから最初の行き詰まりの話はどうでもいいんですよ。
この話ってそうだったじゃないですか。
最初の行き詰まりの話って実はどうでもいいんですよね。
本当に問題を解決したいと思ったら
その人が解決するべき問題は間違いなく罪悪感の方です。
で、私はそれもちゃんと映されたじゃないですか。
最初の話の中でタスクシュートなんてもう
自分でやりたいと思ったら
罪悪感みたいなものを抱きそうになってるでしょ。
私はちゃんと罪悪感が伝えられてきてるんですよ。
こういう話が多分精神分析なんだろうと。
精神分析的ってやつなんだろうと思う。
これは1回や2回のセッションじゃ無理で。
何度か話を少なくとも何度かその人と対面で
こういう力を押し込められていくっていうのを
繰り返さないと無理で。
自分でやりたいと思ったら
こういう力を押し込められていくっていうのを
繰り返さないと無理で。
そういうものを繰り返されているうちに
その方の独特の、まさにその人のパーソナルな
個人的な罪悪感というものが伝わってきて
で、なんて言うんですかね。
そういうことなんだっていうのは何となく分かるんですよね。
この場合にはタスク管理なんで
何となく分かれば十分だと思うんです。
これを何とかするっていうのは
何だとこの少なくともタスクカフェではですね
思えるんですよ。
さすがにそこまでタスクカフェでやるようなことじゃないな
っていう感じがする。
それがでも伝わってくるっていうのが
大事な点なんだと思うんですね。
なんでこれがタスクシュートで
私が何とかしてきたかっていうと
一つ意識に向かえるからだと思うんです。
こうやって書いていくじゃないですか。
これはタスクシュートやってる人にはすぐ分かることですが
そもそもある人が
そういう非常に込み入った個人的なことを
持ち込んできましたというタスクは書かないんですよ。
多くの場合。そういう時間はタスクカフェって書いて
そのタスクカフェ3時間でやって
例外的なものだけどイベントだからあるんですよね。
今でもかき上げ塾だったら4時間っていうのは
かき上げ塾4時間で済ませてしまうんですよ。
多くの場合はですね。というか、普通には形式上はそうやって済ませてしまう。
タスクカフェの時間なんだ。
これで1つ私は心のスペースを作れるから
30:00
タスクカフェをやっているんだっていいんですよ。
ここに1つ意識見えたものが出てくるんですけどね。
タスクカフェと自分が1つになっていく感じが
自分の中ではっきりできますから
一行書いてそれを実行してその中にいるだけで
でももっと違うんですよ。ここでタスクカフェを中断するんです。
そういう方が来た場合。私はやってたってことですよ。
みんながこれをやるとか
でも明らかに違うものが入ったっていう感じが
やっぱり私の中にあったら
中断するんですよ。タスクカフェを一旦。
そしてその人との時間というものを再度スタートするんですね。
中断スタートです。割り込みじゃないですか。
形式上は割り込みと呼ばれているものと
これは完全に一致する。
何が起きるかというと
タスクカフェの中に異空間みたいなものが現れるんです。
心理的な話ですよ。異空間みたいなものが
現れる。
僕とその人の関係の中だけで
ここで構築される何かが現れる。
これがいいんですよね。
こうすることでその人と一体になれる。
どんなにその話が理不尽な感じがあって
自分をうつっぽくするものであろうとも
こうやって交流が起きているこの空間では
さらにプチ空間が現れて
この人のためだけに交流というものを作るんだ
タスクシュートの上ですることによって
とってもその人に向かって
フォーカスできるんですよ。
神聖詩というとちょっと気持ち悪いんですけれども
デートの途中ってそういう感じになるんですか。
余計なものは入れないみたいなのって起こるじゃないですか。
そこまでいかないんですけど
そういうのに準じたような空間が
そこに僕の森林の中だけでは現れて
この空間においては
この悩みのためにできることは全部やろうという
一つの方向性がはっきり固まるんですね。
そうすると自分がちょうど全く万能になった感じ
その空間の中では少なくても
完全に万能になれた感じが起こるわけです。
やっぱり一番これにそこまで行かないんですけど
そこまで行くと気持ち悪いけど行かないんですが
準じているのは母子関係だろうと思うんですよね。
母と子供。
その空間の中では母は子供のために万能じゃないですか。
万能つったって一つ一つのやることがすごいっていう話じゃなくて
そうではなくてそのためにできることは全部やるっていう
その方針みたいなものですよね。
万能はやっぱり感なんですよね。
そうやって当たれると。
そのために私はタスクシュートにここに辞書を書くと。
これと全く同じことをその人に伝えられれば
ことは解決すると思うんですよ。
33:00
例えば何が起ころうとその人にとって。
これを伝えるのは困難ですよ確かに。
だけれども結局これが東洋で追いつかってやつなんだと思うんですね。
相手が私に完全に投げ込んできた状況の苦しみというのがあるんだけれども
それも私は結局踏みとどまれます。
なれますと踏みとどまれる。
どうしてなのかというとこれがタスクシュートというものが
さっき土俵際って言いましたけど
際に一つ空間をもう一つ踏みとどまれる場所を作れるから
そしてそれは常にできるから
最後まで結局負けてしまわずにやれるのはこういうことがあるから
だから私はいつも言うわけですよ。
タスクシュートを計画表にしては絶対ダメだと思うんですね。
だって計画表にするってことはこの空間はないってことじゃないですか。
よく時間割って言いますよね。
私あれが良くないといっつも思うんですよ。
小学生じゃしょうがないですけども
中高で一貫して大学になってもしますよね。
しょうがないんですけれども空間がないんですよね。
何時になったら休憩。何時になったら算数。
何にもここに遊びがない。
遊べる時間がないって話じゃないです。
自由がないって言うんですかね。
こうなったらこうなっちゃう。こうなったらこうなっちゃう。
事前に全部決まった通りにそういう風に動いていくしかない。
しょうがないんですけどね。公平性を担保するためなんて。
でもタスクシュートは断じでするものじゃないんですよ。
だって公平性を担保する必要が全くないですからね。
非常にパーソナルなものなので必ずそこに空間を作れますと。
だからタスクカフェは何時に終わるとか決まってます。
何時に始まるのも決まってます。
ここで言うべきことも決まってます。なんだけれども大体ですね。
ここにタスクシュートというものがある。
ここに空白の時間を必ず用意できるというツールがある。
これは何で空白の。もともと空白じゃんって言われるのはその通りなんだけど
決まり事が全てあるということが分かっていて
毎日繰り返していることも大体こうなっているということが分かっていて
タスクカフェというのは9時頃に始まって12時に終わるというのが分かっていて
そうやっているにも関わらず
必要とあらば空白の時間がポンと作り出せる
ということを伝えられるんですよ。自分に。
こういうことを自分に伝えることがタスクカフェの特徴で
割り込みがどれほどあろうと
家でどういう状況になってしまおうと
依頼がさせられようと何とかなる
万能だってことなんですよ。
プランニングがカチッと固まって時間割になっちゃってたら
万能じゃないにもはなはだしいじゃないですか。
万能なんだってことはここに空白が作り出せるっていうこと。
空白が作り出せるということ。
万能なんだってことはここに空白が作り出せるっていうこと。
空白じゃなかったところに空白が作り出せるってことが
36:00
万能だってことなんですよ。
この万能は人と共有できるんですよ。
人のために万能になるわけだから。
一つ意識的じゃないですか。これは非常に。
非常に難しい問題が持ち込まれて
タスクカフェの時間はオーバーしてしまうかもしれないけど
ここにポンと空白の時間をその人のためだけに作り出せる。
万能じゃないですか。
そうなれますよっていう
これはメッセージを伝えるためのものだと思うんですね。
だいたいもうこういうところで
全部終わると思うんですけれどもね。
このメッセージというものは
このままの形じゃ伝えられないし
多分相手の人は納得しないんだと思うんです。
だけれども
同じほど大変じゃないかもしれないけど
一旦相手の状態が分かって
なお私がこれを言うということはですね
相手の人から見てみればですね
タスクジュート始める前のことだとこれは思うんですけど
一つの可能性を見出せますよね。
相手の人にしてみれば
こういうことはそんなことがうまくいくと思えないけれども
もしかするとこういう方向で
なんとかなるのかもしれないと思えるじゃないですか。
思えるかもしれないじゃないですか。
そういうふうに思えるということはですね
その人自身が万能だということの可能性を
見出せるってことじゃないですか。
さっきまで最大の問題になっていたのは何かというと
その人の状況とか割り込みじゃないんですよ。
割り込みだったら今のやり方で実は何とでもなるんですよ。
問題になっているのは
可能性がないっていうその人の思い込みだったんですよね。
イリュージョンだったんです。
だから抑鬱感があって自分無力だからね。
そして実は罪悪感もあったと。
特定の上司の仕事しか実はしようとしてないという
そういう自分に隠している罪悪感みたいなものもあったと。
それだってそれを含めてですね
込み込みでタスクジュートってものは
実は救い出せるんですっていうことになるはずなんですよ。
さっき言ったじゃないですか。
私が大橋さんからの仕事さえやってればいい
っていうふうに思うようになることは
十分簡単にできることだと。
だけれどもそのタスクカフェという場は
大橋哲夫さんと一緒にやって作った場ですけれども
そこに異物空間をボンと僕が作り出して
その人のためだけに行為をすると。
そういうことをしちゃうと。
ある意味ではこれは
大橋さんと私の取り決めに対する
若干の違反みたいになるじゃないですか。
そういうこともしちゃうと。
そういうこともやってしまっても
現実的に私たちは万能だから
なんとかなりますというメッセージも
同時にかなり間接的にですけどね。
39:01
伝えられますよね。
かなり間接的にですけど、本当に。
その人がこのメッセージを受け止めることができれば
特定の上司からのじゃないところで
普通に仕事をしていても十分
その方が絶対本当にいいんですけど
その人の心の中ではそうはなっていないので
十分仕事がその会社でやっていけるという感じは
持てると思うんですよね。
これも万能感ですよね。
こういうことをこのタスクシュートに書き
追加する一行が可能にしてしまうという
そういう心理状態を
セッションというものはですね
伝える唯一の手段なんじゃないかという風に
思うので
倉澤さんが今ひどく
ディスカウントされているセッションを
受けに行っていただいたらいいんじゃないかな
ということなんです。