待望の雨と花の咲き始め
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
8月1日の朝7時50分です。火曜日ですね。
うん、これもまさにグッドモーニング感ありますね。
あのー、待望の雨がですね、降ったんですね。
えー、なんで待望かというと、非常に単純でして、私はガーデニングやってるんで、雨が降らないと花が咲かない。
普通は、このマリーゴールドとかは、例えばですね、特にうちはストロング系の苗買ってるんで、
何もしなくても基本的に花だらけになっていく、むしろ適化が大変っていうような花なんですけど、
今年はほぼ咲かなかったんですね。
昨日の雨で一斉に咲いて、この雨すごいんですよね。
だから待望になってしまうんだけど。
朝言う毎日水やりしてる。間違いなくしてるんですよ。
7月、ほとんど雨降ってなかったんじゃないですか。
二宮なんて、1ミリ降ったか降らないかの日が何日かあった程度で、曇りの日はあったにせよ雨降らないんですよね、全然。
これが昨日の雨でも、他にもいろいろ咲きました。
花咲かないと実がならないから、マリーゴールドとかは花だけだから別としても、
実野菜は今年はほんときつくて、毎年ミニトマトとか30個ぐらいは摂れるはずなんだけど、
今年はもう10個摂れてるかどうかぐらいな感じで、花がとにかく咲かないと実ならないんですよね、当然ですけどね。
葉野菜はいいんですよ、結構。
水やりさえしておけば、日照量でガンガン行ってくれるんですけど、葉っぱは。
実は一向に咲かないなっていう。
茄子とかほんと、ただ葉が生い茂ってるだけで、全然花がですね。
全く咲かなくはないんですけど、ほんとに少なくて、びっくりですね。
雨すごいなっていう感じです。
昨日だけで多分、先月咲かなかった分が一気にっていう感じで、ちょっと驚きました。
こうなるんですけどね、毎年この現象に驚かされていて、
全くこう、なかなか人工で自然をカバーするのはきついっていう、あるんだと思うんですよ。
そういう方法は方法で。
出荷はされてますもんね。
だけど、やっぱそうはなかなか、ど素人ではそうはいかないんで、
雨降ってさえくれれば、水まかなくったって良くなるわけですから、ほんとにありがたいわけですね。
特に夜降ってくれるのは最高なんですよ。
はい、まあそんな話ですが、
8月になってですね、私は夏が好きで、
今年は暑すぎるんですけれども、好きは好きなんで、
しかも50になったという話もしましたけど、先日。
これからバンバンやろうみたいに、すぐこういう変な紅葉感に包まれてですね、
仕事を増やしてしまうという悪い癖があるんですけど、
まあこれも、昨日そうなんですよ。
Good Vibesファクトリーでの収録
久しぶりに、久しぶりでもないんだけど、
グッドバイブスのファクトリーで、
TV収録というのをしてきたので、
そこでまたこう、グッドバイブス補充はですね、
グッドバイブス切れっていうのはもう僕にはちょっと実感としてないんだけど、
補給はある感じ。
これも変な話な気もするんですけど、
ネタ仕入れてきましたみたいなことがありまして、
しばらくいろんな話ができるんじゃないかと。
これもですね、結構期待が先行しすぎて、
これで補給したから30日いけるだろうとか、
無茶なことを考えないですけど、
よくて3日とかなんですよ。
これがネタはもっとあったはずなんだけど、
忘れていくんで、
気がつくとあれもうなくなってる気がするっていう。
これはグッドバイブスが切れるわけじゃないんだけど、
ポッドキャストで喋るかどうかとなるとまたちょっと違うっていう。
そんなに鮮明でない記憶を元に喋るわけにはいかない。
そして今日も必ずしも、
昨日仕入れてきたネタで喋るとも、
言うわけでもないというこの辺が不思議なんですよね。
補給って何なんだろうそれじゃあっていう感じはしますね。
そのグッドバイブスフォクトリーなんですけど、
これ最近あんまり応募かけていませんでしたけど、
募集ね。
初月無料ですから、
ちょっと試してみていただくといいんじゃないかなと思います。
先日の東京ライフ研究会でもちらっと申し上げたんですけど、
たぶんちらっと過ぎて忘れられてしまってると思うんで、
もう一回言っておきますが、初月無料なので。
そして初月無料にカコつけて、
どんどんサブスクに引き込んでいくみたいな手法もありますが、
別にあれは私は、
あれがあれでダメだとは思わないんですけどね。
テニススクールとかそういうやり方で普通にやってますからね。
だけれども全然そうじゃないんで、
やめようと思えば全然簡単にやめられてしまう回なんで。
しかも月々2000円なんで、
万が一月過ぎちゃったよとしても、
最大のダメージが2000円で済むと。
しかもそれは2ヶ月ですからね。
月あたり1000円で済みますんで。
サブスクリプションの意味と形
そういう手法っていうのは今後ネットで増えていくと思うんですよ。
サブスクに引き込んでいくみたいな。
でもなかなか難しいと思うんですよね。
だってそんなことは、
我々はネット時代以前から100も承知なわけじゃないですか。
入会料とか0円にしてサブスク同然のものに、
フィットネスジムなんかが最も上手いやり方してると思うんですけれども、
別に誰も来ないことを望んでるわけじゃないと思うんですよ。
来ない人って必ずいて、
それらの人によって支えられているというのか、
収益の割と柱になっている面もあるとは思うんですけど、
私なんかよくサブスクにこれ近いけれども、
やっぱ来てほしいんだなっていうのに、
敗者があるんですよね。
敗者さんって結構微妙だと思うんですよ。
重症になると来なくなるじゃないですか。
だから軽症のうちに定期的に来させたいというのは、
よくわかる気がするんですね。
私はこのGood Vibes Factoryはそれとは全然違うんだけれども、
サブスクに引き込むっていうことでは意味が全くないだろうなと思うので、
初月を試していただくというのはいいんじゃないか。
これで丸々一月分は全部試せますから。
そんなところで紹介しておきますね。
もう一つが8月17日の私がやる山の日のタスクシュートのセミナーですね。
こちらは先送りを極限まで減らすというタイトリングにしてみたんですけれども、
ゼロにするっていうのとはちょっと違うよっていう含みがありつつ、
減らすことはできますといった話ですね。
これでしばらく私はちょっと考えるところもありまして、
仕事を増やそうと思っている一方で、
しばらくわからないんですけど、
僕の言うことはあてになりませんが、
タスクシュートのセミナー単独はいいかなと。
この前月の7月にやったのと、
今月の8月にやるのの8月11日ですね。
金曜日山の日にやるので、
これお盆のど真ん中に近いところで、
ここじゃダメかなと思ったんですけど、
アーカイブありますから見ていただくとありがたいです。
これでですね、私がタスクシュートというもので何が言いたいのかというのを、
一応自分の中ではまとまった話が、
先日の東京来訪研究会のような話を、
自分なりに十分時間をかけて展開することができるなと。
これをやっとくことによってですね、
そんなにやっぱり私は思うに、
タスクシュート協会で言われていることと全く100%一致、
これはでも誰も100%一致ってしないもんなんですよ、僕が思うにね。
だから全く100%一致してないにしてもですね、
そんなにずれてるわけじゃやっぱりないなっていうのは、
先日喋ってても思ったので、これをまとめておいて、
ここでまとまっていることが今私の多分考えていることに一致しているので、
これ聞いてくださいみたいなのを言えるものを作っておきたいと、
そういうことだったんだなとここまで来てちょっと分かってきました。
11日よろしくお願いします。
でですね、今月からいろいろやっていくぞとか思ってるんだけど、
そんなにできるのかってことも急にできないじゃないですか。
あと冬になると全く同じ気持ちに慣れてない可能性もあるので、
そういうこと考えてもしょうもないのでやめますが、
とりあえず今はですね、やっていくことをいろいろ考え中でして、
そのうちの一つにやることをいきなり宣言するようでやめることを言っちゃうんですけど、
このGood Vibes編だの、100チャレ編だのっていうのは言うこともあるかもしれないけど、
毎週言うのはやめます。
なんでやることを言おうとしてやめることを言っちゃってるのかわかんないんですけどね。
つまり喋ってみるとですね、
Good Vibes編喋るぞって思ってたんだけど、
これはあんまないな、100チャレ編喋るぞって思ってたんだけど、
気がつくとGood Vibes編以来の何者でもないなっていうケースがポンポン出てくることがわかったんですね。
だからどういうつもりでやるということとどういうつもりでやりましたということはやっぱり一致しません。
一致しないので、事前にそうやって毎週月曜はGood Vibes編ですとか言うことができるほど、
自分の中ではですね、これはやっぱり形が、形がっていうかテーマを定めるのは無理がある。
これはいつもテーマを定めるのは無理があるよなと思いながらもこういうことをやってしまうのが人間なんですがね。
やっぱダメだなというか、そんなことする意味別にないんだなということを思い知ったので、
これを楽しみにされていた方には申し訳ないんだけど、やめはしませんが、
毎週何曜日は100チャレ編ですみたいなことはできないことがわかったのでやめます。
代わりにでも100チャレでは私はもっと今よりも活動はもっと充実させていきたいと思ってるし、
いけると思っておるので、その辺はちょっとこう、何て言うんですかね。
何て言えばいいんだろうな。
折り合いをつけるではないんですけれどもね。
フォローをしておくかな、フォローになるかなっていう、何て言うんですかね。
そういうところです。
今日はつまり100チャレ編にしようかGood Vibes編にしようかとか考えているうちにそういう結論に至ったということなんですが、
今日はですね、ちょっと普段この種の話はしようかなと思うこともあったものの、
割とですね、僕、Good Morning Vibesだった時代に割とうかつに喋ってたなっていうのも、
これもね、変な反省の仕方をするのは良いことにならないのでやめておきたいんですけども、
でもやっぱり避けるように避けるようになっている話題があるんですよね。
それは僕は必要なことだと後から振り返っても思うんですけど、
今日ちょっとそこを久しぶりに解禁っていうのがおかしいんですけれども、
ちょっとだけいじってみるかみたいな。
いじるはダメだな。
触れておこうかということを考えました。
これもたまたまなんですけど、
火事の事件と判決
つまり先日ね、電車の中で火がついた事件のことなんですよ。
一応判決が出ましたよね。
懲役23年だったっけかな。
浄化を犯した人に対する判決ですよ。
まああれですね、つまり何が言いたいかというとですね、
判決云々は僕は専門家ではないので、
重いのか軽いのかみたいなことについては何も言及したいことはないんですね。
思ったのが、いろいろ思ったことだけはあるんだけれども、
まず何よりもですね、動機がよくあることなんですけれども、
やっぱりそんなにありきたりな動機なんだっていうのがまずありました。
お若いんでね、しょうがないとは言えないんですけれども、
要は彼女、9年付き合ったのかな、ちょっと曖昧なんで、
事実関係が不正確かもしれない。
絶望から犯行へ
でも長く付き合った彼女に振られて、
どっちが先か忘れましたけど、仕事のミスがいい理由で移動したと。
そのことに多分絶望して死のうとしたんだけど死にきれなくて、
ああいう感じになってしまったみたいなお話だったと思うんですね。
これ、別にですね、別にというのも変なんだけど、
それこそ私のと言ってしまうと、私のなんだけど、
3ヶ月チャレンジの方に入られてですね、
長く付き合ったパートナーに仕事のミスで人事異動って言ったら別れられちゃって、
もう本当に、だからもうどうしようもなくて血迷ってこんなチャレンジに入っちゃったんですよって方がいても、
不思議じゃないじゃないですか、と思うんですよ僕は。
まあそういう方はいらっしゃらないんですけどね、3ヶ月チャレンジには。
別にでも僕は不思議じゃないなって思うんですよ、はっきり言って。
昨日聞いてまずそれを思ったんですね。
何ならばJさんの100日チャレンジ、Jのじゃなくて僕のでもある100日チャレンジに入って、
ここでちょっと新規一転したくなりましたみたいな方がいらっしゃったとしても、
不思議ではないと思うんですよね。
本当絶望してるんでJさんの声を聞いて元気になりたいんですみたいな、
そんなレベルかもしれないじゃないですか。
どっちがどんなレベルかってレベルはないんですけど、
でもそういう話ってあるなって思うんですよね。
だから要するにですね、
例えばなんですけど、先日東京来博献集会で喋ったように、
レビューってものをちょっと考えてみてほしいんですよ。
私が喋ってる文脈でのレビュー。
私はそれがそもそも良くないことだと、
判定するのがおかしいっていう話をしてるつもりなんですね。
ある記録が残りますよね。
タスクシュートなんでね。
タスクシュートにミスをしました。
彼女が別れると言ってきましたと。
記録をしますよ。
私はするんですよ。
それは絶対に。
これは絶望的に悪いことだと思った人もいたわけですし、
僕も思ってしまうかもしれませんし、
20代なら思っちゃうかなと思うんだけど、
本当にそうなのかって考えることはおかしなことではない。
おかしなことではないんですよ。
これが現実を見に行くってことだと思うんですよね。
この判断をする前に、
タスクマにも開発者が付けたくて付けたのではなく、
そもそもそういう機能が当時求められる時代だったから、
今でも求められるんでしょうけどね。
○×を付ける。
ある行為なり結果なりは×だったと付ける。
付けられる能力は僕らにないでしょうという話を
私は30日の東羅圏ではしたつもりなんですね。
枕園慶三さんの受け売りですけど、
未来のことは分からないし、
4つ目はスルーしてもいいと思うんですよ。
未来のこと、自分のこと、他人のことは分からないんですね。
本当はもう1つあるんだけどね。
それはGood Vibes Factoryとか入ったりして聞いてくださいね。
3つ分からなければ十分じゃないですか。
この3つが分からなくて、
なぜある行為の判定ができるのかと評価ができるのかとできないですよ。
自分のことも他人のことも未来のことも分からないようで、
ある結果が悪かったとか良かったとかの判断ができるわけがないと思うんですね。
実際、5年付き合った女性が別れられて、
それはショックだと思うんだけど、
しかもその人はすぐ結婚してしまったと。
良かった可能性はかなり間違いなくある。
これは別にGood Vibesとか関東哲学とか知っておく必要はない。
仏教哲学とか。
無くたって、結婚した人はみんな言いますよ、きっと。
50代とかね、長年つれつってる夫婦ですっていう人は、
奥様であれ、旦那さんであれ、聞いたら絶対言うと思うんですよ。
その人と別れたのは良かったんだよと。
おかしなことじゃないですね。
絶望した人にしてみれば、
その人と結婚することは確定事項で、
それによってバラ色の未来が開けてたっていうことはあるんでしょうけど、
それは言ったってしょうがないことですけど、絶対イリュージョンですよ。
間違いないですよ。
今付き合っていらっしゃる方がいるって方にこれを言うつもりはないですよ。
そういう方はその未来通りだと思っておいてください。
でも別れてしまったら、その人とは別れて良かったんですよ。
絶望の判断と疑念
これは僕が思うに100%間違いないと思いますね。
そういう風に考えた方がいいとかではないので、
多分そうなんだと思います。
私もそういう経験がないわけじゃないんだけど、
今にしても間違いなくそうだったと言えますね。
不念どころじゃないですよ。
不念どころじゃないし、
結婚するしないみたいなこともあったんだけど、
結局そうはなってない。
明らかにそうであって良かった。
その人が良くなかったとかではないですよ。
そういう問題じゃないんですよ。
結局分からないんですよ。
まず第一にそれが絶望的なことなのかどうなのかというのを。
だからこの話をレビューにしてしまうのかと言われるかもしれませんが、
レビューにしてしまうんですよ。
だから今日私はこの話に触れてみることにするよと冒頭で言ったんですけれども、
同じような話を何も重大犯罪じゃなくて、
いくらでもありそうだなと思うんですね。
いくらでも僕はあり得ると思いますね。
で、それらのことは本当に分からないし、
僕はですね、だから平ら圏ではこう言ったんですよね。
その出来事が最悪だと思えたら、
例えば3連休があるから朝から自己検査をするぞって思ってたのに、
資格試験の勉強を朝から3時間するぞって思ってたのに、
なんか暑いなと思ってて気が付いたら、
5時間ゲームしてて、しかも頭痛がしてその後寝てしまいました。
最悪ですって思う前に、
もっとですね、
9年間付き合ってた人に振られて、
しかもそれが仕事の大きなミスが原因で移動までさせられて最悪ですっていうのですら、
多分間違ってますからその判断は。
間違ってるんですよ。
だからそれが最高だったと。
宗教みたいで嫌なんだけど思ってみてください。
そしたら無理ですよね。無理なんだと思う。
そこでどうすればそれが最善だと思えるのかという観点を見つけ出してくださいと僕は言いたい。
私は実際そうしてますから。
無理なことありますよ。
最近減ってきたんだけど無理なことなくはないです。
でも無理な時は最高だとは思えなくていいんですよ。
分からんと思っておけばいいんですよ。
最低だと思うというか最低だと判断するのを保留にしておけばいいんです。
最低だとしか思えませんという時には最低だとしか思えないということは分からないんだなと思っておけばいいんです。
分からないんだから結局。
私はそれまでの今までの自分の50年振り返ってみても最低だの最高だのという判断はほぼ全部土地狂ってたなと思うんですよ。
しょうがないんですよこれはでも。
分かるように僕らは作られてないんだと思う。
その時はそう思うんですよ。
だけれども実際に後から振り返ってみると決してそうではないし、
その時いろんな目隠しみたいなのにあってる感じで判断基準が狂ってるんですね。
だから土地狂ってると言ったのは別にそんなにずれてないんですよね。
確かに土地狂った判断をするんですよ。
だから分かってないんですね。
分かってないのを分かったものだとするからいよいよ混乱がひどくなっていくので、
分かんないものは分かんなくていいんですよ。
分かんなくても不幸にはならないです。
ここを僕らは多分誤解するんですよね。
分かんないと不幸になると思ってしまうから、
分かろうとしてしまって、しかも分かったことにしてしまう。
そして対外の場合それは最悪だという結論にするんですね。
最悪じゃないですかって言われるんだけど、
僕はこれセッションでですね、セッションとか対話とかいろいろやってますけど、
セミナーでのご質問、この審議会でのトラケの時もありましたけどね。
一度も誰一人に対して、
多分これはGood Vibes以前から一度もですね、
最悪じゃないですかに対して同意したことはないですよ。
同意圧力がすごいかかってきた時に、
言い淀んだり口ごもったりすることは何度かあったと思いますが、
いやこれはそれは最悪ですねって同意したことは僕はないですね。
一回もないと思います。
絶対そういうふうなことはすまいと思ってるんで、
したことないと思うんですよ。
もしかすると、昔、だいぶ昔ですけど、
気がついたら熱が39度くらいあった日がセミナーあったんですね。
これはうつらない病気だったんでよかったんだけど、
お腹の病気だったんですよ。
この時は錯乱してたから、
同意しちゃってた可能性ありますが、
そのぐらいですね、錯乱でもしない限り、
私が例えば漫画10時間読んでしまって、
そのあと12時間寝てしまって、
起きたら真夜中で最悪ですってのも絶対最悪だとは僕は思わないから、
絶対同意できないんですよ。
だってそんなのに同意できるわけがないですよ。
僕は今回聴役23年の判決をもらった人の絶望にも、
同意はしないですもん。
それは絶望的な出来事ではないと思うんですね。
多分それは絶望的な出来事ではないんですよね。
でも僕らはそれに絶望してしまう。
絶望するということはその前に判断が入っている。
この判断は絶望するべき出来事が起きたと、
自分はそういう絶望するべき、
それ以外の解釈は到底誰もしないであろうってその人は思ってるんだけど、
誰もしないであろう出来事に見舞われた。
だから絶望するっていう判断が入ったはずなんですよね。
その判断を疑いましょうねってことです。
他人の意見と重い刑罰
もっと現実を見ましょうと。
そうすると、もっと現実を見る過程の中で、
それにまず同意しない人がいるだろうっていうことに、
気づかないかもしれないし、そうは思わないかもしれないんですけど、
思い得るとは思うんですよね。
こういう時僕らは自然と人の意見を聞くところがあると思って、
居酒屋で愚痴るとかでも構わないと思うんですけど、
僕はそういうことをするべきだといつも思うんですけどね。
なんで居酒屋の愚痴って人に非難されるのかわからないんですよね。
あれ大体よく聞いていると、聞いている僕もどうかと思うんだけど、
自分の主観が絶対かどうかに対する不安から、
親しい人に同意を求めつつ何か聞いてるじゃないですか。
人はよっぽど思い込みが激しい人であっても、
人に聞くんですよ。自分の主観は客観でないってことは知ってるんで。
他人の意見も客観じゃないんだけど、
少なくともですね、自分の主観だけで判断するのは危ういんだなってのはどっかで知ってるんで。
多分どんな人でも知ってるんで。聞くんですよ。
だから聞くべきだと思うんですよね。
それは絶望的だという風に決定する前に。
これは意味付けですからね。もっと言うと決めつけですからね。
絶望するべきだっていうのは、多分僕が思うにグッドファイブスとか全然興味ない人でも、
60のおじいちゃんとかに聞いたらですね、
それは全然絶望することじゃないっていう風に絶対答える人たくさんいると思いますね。
だからということはどういうことかというと、その人聞いてないってことだと僕は思うんですよ。
聞いてないってことは、つまり現実を見に行ってないんですよね。
現実というものが、こう言ってもなかなか上手い言い方じゃないなと思うんだけど、
現実というものがほぼどうでもよくなってしまっていて、
自分の思い込みの方が遥かに大切になっている。
これも僕らの大変不思議なところなんですよね。
だってその思い込みのせいで絶望しているのに、
そっちの方が現実より大事だと思い込んでいるんだから、
考えるによってはとっても不思議な現象。
でもそういうことは起きるんですよ。
この辺の話はこの辺でいいとして、
喋っていると暑くなるんで、少し灯を開けたんですが、
もう一つが、これもしょうがないとは思うんですけどね。
昨日の報道を見ていて、報道ってそうするしかないよなと思ったんですけど、
すでに判決が、僕から見ると重いんですよ。
重すぎるってわけじゃないですよ。
僕は専門家じゃないからわかんないけど、重いなとは思ったんですよ。
亡くなった人がいらっしゃらないですからね、現段階では。
だから良いって話ではないですよね。
良くはないから有罪だったんだから。
だけれども軽くはないと思うんですよね、懲役23年というのは。
私が子供の頃は、人が死んだ場合に死刑になるか無期になるか、
懲役15から8年くらいだったんですよ。
だから今現場使って流れがあると思うんですよね。
亡くなった人がいないけど、23年ってすごい重いなって感じがするんですよ。
これ2年とかではですね、誰も納得しないだろうなと思いますけど、
自分だって自分から巻き込まれて2年とかでは納得できないかもしれませんけれども、
先送り、ここで先送り出すんですけどね、先送りする人がよく言うじゃないですか、
10何日間も何もしなかった、いやもっと違うな、もっとシビアだな。
3日何もしなかった、大変もう酷い状態で、
100チャレも100日チャレンジとか参加されてる方でもない、
毎日投稿しましょうねとJさん言ってますよね、言ってるんですよ。
参加している人はここの100日チャレンジで1行でも投稿すればもうそれで万々歳ですよって言ってるんだけど、
3日も投稿できませんでしたっていう方がいらっしゃってて、
もうこれでは合わせる顔がないから100日フェードアウトしそうだったんだけど、
恥をしのんで投稿しますみたいな方がいらっしゃるんですけど、
3日って3日じゃないですか。
23年に3日分取り戻しますみたいな、取り戻さなくていいんだけど、
3日なら取り戻せるじゃないですか。
2年とかにこれがなったら、僕はわかんないですけどね。
でも2年、有罪でどっかに留め置かれたらその間自分の生活ピタッと止まりますよね、たぶん。
よっぽど親しい人がいらっしゃらない限りピタッと止まってしまって、
その2年分に世の中進んじゃうわけじゃないですか。
大変ですよね、2年だとしても。
23年ですからね。
1日1日計算していくとすごい数字になっちゃうなと。
だから私はそういう計算は一切しない方がいいと思いますけど、
3日とかでも世の中一般の人は結構ですね、3日もサボってしまった。
取り戻さなければって思うわけじゃないですか、3日。
だから私は簡単に原罰確定するのはもにょっとはするんですよ。
あんまりそっちのことを詳しく考えられないんで、
引用しちゃうんですけどね。
こういう話があるたびに僕が考えてしまうのがあれですよね。
反省させると犯罪者になります。
あれはGood Vibesと同じとかじゃないんですけど、
すごくやっぱりですね、
自分の感覚とある意味近いんですよね。
で、原罰化の話について書いてあって、
つまり原罰化の傾向が進んでるわけですね。
私の実感としてもあるんですよ。
ただ彼が書いていて、
反省させると犯罪者になりますの、岡本さんの著者さんが書いてるのが、
事実を見れば日本の少年や成人による殺人事件の件数は、
先進国の中では断トツに低く一向に増加していません。
どうしてこの事実は、もちろん増えてなかろうと増えていようと、
関係なく原罰化するべきだっていう意見の人がいても、
不思議だとは思わないんですけれども、
この人も書いてるんですが、ちょっとアイロニーがあるんですが、
言い方は悪いですが、日本人は人を殺さないことで有名なんです。
しかも日本は未遂も殺人件数としてカウントしています。
これは不思議なカウントの仕方だなって思います。
こうした事実があるにもかかわらず、刑罰は重くなる一方です。
僕はやっぱり合理的でないものをちょっと感じるんですよね。
なんとなく感じるのは、事実がどうだかは分かりませんけど、
賭博行為と内面への反省
その事実がどうだかは、罪を重く、というか罰を厳しくしておけば、
この種のものが減るんじゃないかっていう発想がある気がするんですよ。
でも一向に増えていないものの罰をどんどん重くしているというのは、
それによって減っているわけではないんじゃないかなって感じを抱かされてられるんですね。
そしてこの人はこの本の主題が、反省させてはいけないっていうことだから、
当然、原罰化というものにも賛成しないんですけれども、
基本的に私は原罰化の方向に反対です。
理由は、重い罰を与えても人は良くならないどころか悪くなるばかりだからです。
しかし、仮に私が被害者の立場になり、私にとって大切な人が殺されたら、
おそらく私は加害者を殺したいと思うでしょう。
ずるいと思われるかもしれませんが、
支援者の立場と被害者の立場を一緒にして論じることは不可能です。
そういうことだったと思うんですよね。
僕もそう思うんで、あんまりこの種の話に立ち入りたくないんだけれども、
昨日たまたまテレビで漠然ともんやり眺めちゃったから、
この話をしているわけですね。
その、いわゆる原罰化のこともそうだし、
罰そのもののことも別に詳しく論じたいという気も、
今日も詳しくなんかしても論じていなくて、
レビューの話なんかにしちゃってるわけだけれども、
この岡本さんもよく書かれているんですが、
もっと内面に目を向けようねっていう話なんですね。
出来事に話がどうしても浮かっちゃうじゃないですか。
昨日もそうだでしたけれども、
電車の中で火がぼーっと燃えている、
ああいう出来事にしか僕らは目を向けないですよね。
ほとんど。
メディアは、特にテレビというのは視覚メディアなので、
内面って難しいと思いますけれども、
やっぱりですね、内面ってものが、
この種の問題の問題だと思うんですよね。
基本的には。
だって、はっきり言って、
ある人がですね、タスクシュートをつけているある人が、
5時間漫画を読もうと、100時間ゲームをやってようと、
そんなことは他の人にはどうでもいいことですよね。
本人がそれはもうとんでもないことだ、
罰だ罰だって思うかもしれないけど、
それはその人がある意味勝手に思っていることなんですよ。
僕らはそれについて、
実はどうこう思うかってほとんどないと思うんですね。
他人がですね。
だから問題なのは内面だけなんですよ。
それが問題だと本当に思うんであれば、
この本の中で岡本さんはもう一つ、
野球部の賭博問題というのを取り上げていてですね。
これは結構僕はですね、
例えば今回の長役23年みたいな話に比べれば、
めちゃくちゃ軽い話だと思うんですよ。
でもここで取り上げられている通りにですね、
結構テレビとかに入ってしまうと、
同じぐらい深刻な問題として取り上げられちゃうんですよね。
そしてみんながなんかよくわからないんだけど、
関係者がショックだショックだという話を始めてですね。
その賭博行為を反省しろっていう話になっていくんですよね。
これは刑事罰を加えられることはほとんどなかったりするので、
高校の野球部とかですね。
刑事罰が加えられないんだから、
反省を求めるしかないっていうような、
なんていうんですかね。
人の欲求みたいなのに火をつけるんだと思うんですよ。
で、やっぱり書いてることは同じで、
どうして賭博行為をしたのかについては、
誰もあんまり問おうとしないと。
とにかくそういうスポーツマンとしては、
絶対に許されることではないんだから、
深く反省しなさいとしか言わない。
これって僕はよく、
もっとさらに遥かに軽い話だけど、
レビューで、レビューという時にみんながやってることと、
共通する感じがするんですよね。
どうして5時間漫画を読んでも全然いいと思うけど、
5時間も読んだというのが良くないというなら、
なんで読むことになったのかって話を、
人はあんまり好まないんですよ。
だから私はそこをしつこく聞くことになるんですね。
会話とかの機会があると。
だから僕の対話のお客さんは増えないのかな。
でも、とにかくそういう機会があれば、
セミナーの懇親会で、
先日も全くそういうことに遭遇したんだけど、
メディアの報道と心理アプローチ
どうしてそれをそんなに良くないと思うならするのかという話だけしか、
僕は興味がないんですよ。
興味がないというか、
そこしか興味の持ちどころがないかなって思うんですよね。
僕自身これは十分にやれてる話ではなくて、
先日の、その昨日のね、
グラドノさんとのファクトリーのテレビ収録みたいな場合でもですね、
やっぱりスタッフさんはどうしてそう思うんですかっていうような質問を、
割と繰り返し繰り返し問われるっていうことがあって、
つまり内面への目の向け方が甘いよってことなんですよ、これは。
だけど僕らはなぜかね、
これを好かないところがあるんだと思うんですね。
どうして電車に火をつけるんでしょうってことなんだけれども、
あのー、
それは、
5年間付き合った人に振られて絶望したからですって答えるかもしれないんだけど、
僕はそれではやっぱり全然甘いと思うんですね。
事が重大だというなら余計甘いと思うんですよ。
どうして絶望するんでしょうってやっぱり問うていくしかないと思うんですよね。
で、この種の問い合わせを人はなんだか知らないけれどもっていうか、
なんかよくわかるんですけどね、
すごく嫌がるところがありますよね。
もうそれ聞かないでくれるみたいな。
とにかくこれは悪いことなんだから、
よくする方法を教えてくださいと。
これは僕はほぼこの通りに言い換えされたことが何回もあります。
そして、それは僕の聞き方に問題があるんですよ、間違いなく。
もっと偉大なカウンセラーとかかな、
倉園さんとかもそうかもしれないけど、
巧みな人ならもっとこううまくやるだろうなって思うんですけど、
やっぱり僕問い詰めてしまってるところがあって、
そこがいけないんだと思うんだけど、
とにかくこれを本当は僕が問い詰めるんじゃなくて、
自分をするしかないと思うんですよね。
自分で聞くしかないと思うんですよ。
どうしてそれをしたのかと。
それは悪いことをしたというんじゃなくて、
ただどうしてなのかっていうのを詰めていって、
明らかにするしかないと思うんですね。
これだけが僕はレビューだと思うんですよ。
だから最善だと思ってみてください。
その最善だという観点を取るためには、
どういう観点があるかを見つけてくださいっていうのも、
同じことなんですよ。
そして、もしその観点が見つからないんだったら、
分からないということにしておきましょうという。
そうすると、多分意識の奥の方でですね、
分からないことは分かろうとするっていう力が働くから、
どうしてなのかが分かってくるはずなんですよ。
そうしてどうしてなのかを分からないといけないと思うんですよね。
だいぶ前だったけど、
うつっぽくなった時に起き上がることもできないんだけど、
ずっとネットで発言こまちを読んでしまうんです。
っていう話を聞いた時に、
僕はまずそこだったんですよね。
その人と直接話をする機会があった時に、
どうしてなんですかねっていうそこなんですよ。
なんで発言こまちをずっと読んじゃうんだろうと。
僕はその答えを僕に求めるってこともあるのかもしれないけど、
答えは僕には分からないですよ。
なんとなく想像がつくところはあるけれども、
それは答えじゃないですよね。
その人にしか分からないんですよ。
自分のことも人のことも分からないから、
当然分からないわけですね。
すぐには分からないことが多いんですよ。
なんでなのかと。
僕に対するその時に言い訳を喋っちゃうケースも多々あるんだけど、
当然それでは十分じゃなくて、
この十分じゃないっていうのが大事なんですよ。
それなりの答えならば出てくるんだけど、
十分な答えっていうのはなかなか出てこなくて、
結局どうしてなんだろうということなんです。
反省させると犯罪者になりますって話も、
賭博行為をしましたと。
どうして彼らは賭博行為をしたんだろうっていうのだけが
大事だと思うんですよ。
だけが大事だと著者さんは言ってるわけですね。
反省させるんではなくて、
お前たちのしたことはスポーツマンらしくない行為で、
ひどく人から見ると嫌な行為だから反省しろって話になっちゃうと、
ものすごくそれが表面的になっちゃうんですね。
本人、高校生が、
しかも野球部で甲子園に出るみたいな人たちが、
怖くいいぜって思ってやってるわけはないんですよ。
悪いということは、
少なくとも見つかれば相当な制裁が加わるってことを、
知ってるやってる人もいるに違いないですよ。
だからこそ、
なんでそれでもやるんだろうっていうのを、
クリアにすることが大事だって話で、
私は全くその通りだろうと思うんですよね。
ここ、そういうことは一切することなく、
多分一切することないんですよね。
これからはお前たちは厳しくみんなに見張られてるからなと、
賭博はもう今後1秒もやっちゃダメで、
ひたすらストイックに野球だけやって、
毎日過ごせってことを強要すると、
何が起きるかっていう話なんですよね。
賭博をついというのかな、
十分良くないというか、
少なくとも相当バレるとやばいことになるというのを、
分かっててもやらざるを得なかった。
これが先日の東京ライフ研究会のキーワードなんだけど、
やらざるを得なかった子どもたち、
子どもですよね、に対して、
これを強要した後、
その内面で何が起きるかは、
皆さん怖くないですかっていう問いかけなんですよ。
私はこれも最もだと思うんですよね。
だから、ある種の行為をしたということについて、
最悪ですよねって言われた時に同意できないんですよ。
全然それには同意できないんですよね。
そんなことはほぼどうでもいいことだと思うんですよ。
それを最高と評価するか最悪と評価するのかといったことは、
なぜそれをすることになったんだろうってことの方が、
はるかに大事だと思うんですよね。
だから昨日の報道でもそうだったし、
当然なんだけれども、
いかにこの電車内で火にまかれることが恐ろしいかとか、
恐ろしいですよね、そりゃね。
どんなことをしたのかを十分分かっているのかという話をしてるんだけれども、
それを岡本さんは23年間どっかに閉じ込めて、
ひたすら反省させようとしても、
反省しないじゃないですかっていう話をしていて、
そして何よりもその人どうしてそれをしたんだろうって話が全然出てこない。
昨日少しだけそれが出てきたのが、
この種の犯罪をしている人は孤独なので、
心理療法的なアプローチが必要ですっていう、
本当に字幕みたいな感じで、
一番ここが大事だなと思ったんだけど、
そこはすごく心理療法的なアプローチも大切ですっていう、
とってつけたようなものに見えてしまうんだけど、
これしかここで言われている大事なことはないような気がするなと思ったんですけどね。
メディアって難しいのかもしれないです。
そういうことを言うの。
でもやっぱりそこをかぶせるようにですね、
孤独な人は世の中にいっぱいいるんですけど、
そういう人は日々頑張って生きているんです。
だから孤独というのは理由にならない。
これはですね、そう言わなければならないのもわかりますし、
それが間違ってるというわけでも全くないんだけど、
これを結局言っていけないってことはないんですよね。
これを言っても言わないのも、それはテレビの側で決めることだし、
もっと言うと、その多分言ってる人だって言わされてるのかもしれないし、
なんとも言えないんですけれども、
これを言うということは、
なんていうかな、この主張になってしまうと、
つまり、孤独な人は、
なんつうんですかね、
こういうことをやるというのかな、
というか、その前に十分絶望しているんだけども、
とにかく絶望していても日々頑張って生きていかなければならないみたいな、
そういうふうに聞こえかねないじゃないですか。
そう言いたいわけじゃないと思うんですけどね。
だからせっかくですね、
心理療法的アプローチって言葉が出てきたんだから、
これってつまり、人に相談しろって話ですよね。
だから、孤独に頑張ったらまずいんじゃないかっていう、
せめてそういう方向に、
なんつうんですかね、
報道できないかなっていう感じを、
僕がそれを言うのはちょっと変なんですよ、本当はね。
報道は報道で、それはそれなんですよね、結局ね。
なぜかならば、被害感情の側から伝えなければならないので、
加害者のための心理アプローチとかが必要かっていう問いが、
背景には意識されているとは思うんですよ。
さっき岡本さんの引用した通りなんですよね。
被害者感情に沿った立場と、
加害者感情に沿っているわけじゃないんだけど、
の立場とは相入れないものがあるんですよね。
でもメディアではそれをほぼ同時に扱っていて、
しかもどっちかと言えば当然、
被害者側に沿って報道するのが当然ですから、
加害者側の立場への理解
99対1以上の差があるので、
だからこそあれなんでしょ、
心理両方的アプローチって言葉が出てきたら、
つかさずそれにかぶせる形で、
しかしそんなことは許されないってことを、
わざわざ言わなきゃならないってことなんだと思うんですよね。
でもそればっかりやってると、
僕らの立場はある意味どっちでもないじゃないですか。
傍聴席の話の中でも、
私もいつ巻き込まれるかわからないからっていう形で、
当然被害者側の立場として傍聴しているっていうのを強調していたし、
そう思う人がいるのも当然なんですよ。
しかもそれをピックアップして、
絵で写すというテレビの立場も当然なんですよ。
でも僕らあればっかりやっているとですね、
加害者側と同じことはしないにしても、
加害者側と同じ立場に立つことはあり得るわけじゃないですか。
そういう観点というのが、
両方の立場を考慮する重要性
やっぱりどっかにないとおかしいなっていう気はするんですよね。
長年連れ添ったパートナーに、
あんたの仕事のそのやり方では将来食っていけるか不安だから、
あなたとはもう縁を切るって言われて絶望しましたって立場に立ち寄る人は、
私だって含めていっぱいいるじゃないですか。
最近のこの本の売れてなさの堕落と来たら、
そしてまだタスクシュートじゃないけど、
作曲リボンでベストセラー出してた頃は、
それだけってちょっと家建てたらすぐ全部お金なくなっちゃうような、
そんな状態のくせに、
最近は売れもしない不安ゼロになるとかいう本を出して、
やっぱり売れなかったし、将来は不安だから、
もう娘連れて実家に行きますみたいな話になって、
僕が絶望するって別におかしなことではないですよね。
絶望しないですけど。
で、こういう立場は立ち寄ると思うんですよ。
常に必ず電車の中で火に巻き込まれる可能性の方を、
高く見積もらなければならない理由なんてないと思うんですよね。
僕はどちらかというと、
この愛車側の絶望に近い立場の方に立つ人の可能性の方が、
どっちかと言えばですよ。
電車の中に閉じ込められて、
ジョーカーに噴した人に遭遇してしまう可能性よりは、
高いんじゃないかと思うんですよね。
さっきの話も合わせて思い出してほしいんですよ。
先進国中では日本はダントツにこの種のことが起こることの低い国ですから、
外国行っている場合はまた別かもしれないけど、
だからでもどっちにしても、
長年連れ添ったパートナーにいきなり立ち去られる可能性の方が、
可能性だけ考えるなら、まだ高いと思うんですよ。
その時にやっぱり思い出してみる必要が、
思い出してみなくても心のどこかで思い出しちゃうと思うんですよね。
世間一般というのはその時どういう風に考えるのかと、
そういう絶望的な時にでも、
やけになったり、自暴、
爆発したりするのは決して許されることではなくて、
そういうのに耐えて毎日を必死になって生きている人がいるんだから、
あんたもそうしなさいってこと。
こういうメッセージってどう響くんだろうって感じがしますね。
どっちかといえば、
結局そういうことなんですよね。
だから私はレビューした時にそれがどういうことであれ、
このレベルより遥かに低い時こそ特に絶望しないことですよね。
絶望するぐらいだったら、
現実に絶望する必要があるのかどうかを、
誰かに問い手出してみたらいいわけですよ。
それが多分絶望に値しないってみんな言うんだけど、
それに多分納得できないんですよね。
なんでなんだろうってその時に考えたらいいんじゃないかと思うんですよ。
なんで絶望を自分は従ってるんだろうと。
従ってるっていうのは言い過ぎかもしれませんけど、
でも結局絶望の方を選択してしまってるんだろうと。
これを問い手出すのは七面倒臭いって思わない方がいいと思うんですよ。