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2023-07-31 42:13

現実がベスト【GMV821】

50歳になりました。

サマリー

グッドモーニングボイスの50歳は、東京ライフハック研究会でのリアル開催の意義について語っています。昨日の話の内容を振り返りつつ、LTの話やタスクシュートについて考察しています。また、甘え全肯定の発想についても触れています。甘えを肯定することで、自己と他者の関係が改善され、心の安定を持つことができると述べています。最初の段階では、顔を知らない人はいないと思っていたものの、実際には知らない人がいたことに気づき、現実についての見落としがあったことを反省しています。

グッドモーニングボイス50歳
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
7月31日、月曜日、朝7時、ま、8時ですね、まもなくね。
はい、えー、50歳になっちゃいましたね。
まあ別にその、50歳になったのは今日じゃなくて昨日なんですけれども、えー、
まあ、あの、全然全く関係ないのに信長が余儀るという、しょうもない話なんですけどね。
あ、そうか、なるほど、あの人より長生きしたんだなぁという感じがして、その割に何もしてないなという感じもするんですけど、
まあ、えーと、あれぐらいのことをするよりは何もしない方がマシだなと思っちゃうのが自分なんですが、
まあとりあえず、えー、少なくとも折り返し地点は過ぎたんじゃないかという感じはしました。
それになんかこう、イメージが40まではまだしも、50となってくると、そろそろこう、
もともとどんな、50代ってどんな感じだっけっていうのか、一切わかんない感じがします。
あの、なんか、ああ、そういうことも起こるんだね、みたいな、自分が50になることもあるんだよねっていう感じになっちゃってますね。
うーん、あの、なんかこう、一言で言って想像しにくい現象ですね、これは。
あの、当然なるに決まってるんですけど、死なない限りはね、なるに決まってるんですが、えー、不思議な感じがします。
で、不思議ついでで、実はこれ、当然忘れてたわけじゃないんだけど結構うっかりしてたのが、昨日東京ライフ研究会だった、東京ライフハック研究会だったわけですが、
えー、自分の誕生日とかぶってんなというのはどっかで意識したんですけど、まあどうでもいいやと思ってるところがありまして、
えーと、全然ね、あの、八丁彫りとかで、えーと、誕生日を迎えることになったわけですよ。
まあしかも午前中でですね、この午前中は結構ですね、あの、タスクカフェってずっと実は、えー、多分70回ぐらいまでは絶対午前中にやってた気がするんですけど、
午前中、都内に出て仕事するのは結構厳しいなということを、まあ暑いこともね、ありますね。
あの、これだけ暑いと厳しい、でも寒くても結構厳しいんですよね。
えーと、10時開始、9時半開場となると、私やっぱり朝の7時、まあほぼ7時ジャストぐらいにはもう家を出られる状態に近くないと、
4時には家出てないにしても、4時半にはもう駅ついてるぐらいですから、じゃないとこう間に合わないんで、2時間かかるんでですね。
えーと、八丁堀は東京駅からJRで一つだから、えー、一つではないか、でもすぐだから意外になんとかなるんですが、
そうは言ってもやっぱり東京駅まで1時間半はなんだかんだかかりますしね、
ドア2ドアで行けばまあやっぱり2時間弱ぐらいになっちゃうから、八丁堀の駅降りてから会場までとなるとやっぱり2時間は見ないとまずいわけですね。
まあそんなところに引っ越してる奴が悪いんですが、7時半、9時半会場なら7時半はやっぱり家出ないわけにはいかないですから、
それでもちょっきりぐらいですからね、余裕を見るとなんとやっぱり7時ってことになってしまうんで、
えー、まあ7時でしかも暑いとなるとですね、まあその前に庭に水を撒いておかないと、
これ家族の人にやってもらえばって言われるかもしれませんけど、このぐらいの暑さになってくるんですね。
えーと、家族の人が起きてくるのを待っていたのでは日出りになってしまうんですよね。
だから結局こう6時にもっと前に起きて水を撒き、飯を食って出発するとまあ7時ぐらいですよね。
そんな感じになってしまうわけですよ。まあまあ別にいいんですけどね。
東京ライフハック研究会
そして50歳になりましたと言ったところで、今日はせっかくなんで、昨日非常に盛り上がっていた東京来伯研究会。
これね、ベックさんが主催、北信也さんですね、主催で、私はまあ相変わらず得意の副主催みたいな感じなんですが、
毎月は難しいだろうなぁと思うんですよね。ベックさんがどのくらいの頻度でやりたいかってのもあるんで、
それになるべく沿いたいとは思うんですけど、毎月はダメだろうなって感じがしますね。
せいぜい各月、それは相当うまくいっての話で、まあ3月に一遍できればいい方だろうぐらいに思っています。
で、これちょっと油断したり体調を崩したりいろいろあったりするとすぐ1年ぐらいは経つものなんですよね。
だから年1ぐらいの開催になってて、まあそれもありなんじゃないかっていう気もしなくはないんですけれども、
せっかく昨日うまくそこそこ盛り上がったんで、これはちょっと頑張って何か考えていって、
そうですね、それなりに3ヶ月に一遍ぐらい開催できる形になるといいんじゃないのかなという感じを昨日は持っていましたね。
というのはその、まあリアルでの開催っていいと思うんですよ。人は結局リアルに人は外に出たいんだなと。
みんながみんなそうは思わないでしょうけど、トータルでいうとそうなんだなって昨日感じたんですよね。
何で感じたかというと、研究会でっていうよりは東京駅でなんですよね。いや本当に人いますね。
もう駅が満員電車みたいですよ。でしたね、昨日はね。
まあグランスター付近なんですけど特に。すごいなって感じがしました。何かの反動みたい。
もともと東京駅はあの丸の内口の方をすごい長く改修工事していて、渋谷みたいでしたけど、
それが終わってきちっとなってからは人どんどん増えるようになったなっていう印象はあったんですけど、
コロナ以前はあそこまでではなかった。混んでるなーって日曜日思ってたりしましたけど、混んでるなーぐらいだった。
昨日はもうなんかこう場所によっては身動きが全くできないなっていう、
あれですよ浅草の花火大会とか東京湾花火大会ってああいう感じなんですよね。
いった感じ。なんか人と接触していないギリギリのラインでみんなが動いてるみたいな感じの混雑ぶりで。
僕は別にそれが嫌だってことはそれほどないんですけど、
ああなると何が僕の場合困るかって、どこに自分がいるのかよくわからなくなってくるんですね。
あのもともと道に迷いやすい方なんですよ。
で目印になるものが非常に目に入りにくくなるから、この辺グランスタだなーみたいなことを思っているうちに、
どこを歩いてるのかよくわからなくなって、特にトイレとか行きたいとなるとやばいんですよね。
トイレの標識が見えないってこの状態だと、トイレどっちなんだみたいな。
あと急に方向転換できないじゃないですか。
何の話してるのかわからなくなってきたんでこのぐらいにしておきますけど、
そんな感じで、人は外に出たいものだということを少なくともある程度以上止められるとそうなるなっていうのを考えながらですね、
昨日は東京駅を歩いてみて、やっぱりリアルの開催もいいんじゃないだろうかと、
そういうなんかこじつけがましい結論ですが、そんな感じでちょっと考えてみた次第ですね。
東京駅でのリアル開催の意義
昨日、まあこれはもう今更、東羅圏で私が何を喋ったかというのは、
この番組でも散々喋ってるようなことを喋ったので、
何も繰り返すようなことでもないかと思うんですけど、
とはいえ昨日ですね、珍しいお客さんがいらっしゃいまして、
なんと私もべっくんのこともご存じないと、
しかも仕事も知らなくて、タスク管理もそんなに詳しくは知らなくて、
まあタスクシュートも初めて聞いたみたいなんですね。
これを懇親会の席で聞いて衝撃を受けたんですよ。
そういう方は来ないだろうという前提で喋っちゃってたんで、私もべっくんさんもですね。
そうなんですよ。それはだって何年かぶりに開催する昔流行った会ですから、
まさか東京来客研究会を知らない人が来ないだろうって思っちゃうんですよね。
一般的に言えば告知図とか他の告知方法であっても、
もちろん全然わからないけど、それにぶつかるということはあり得ないわけではないですけれども、
でもまああんまりなさそうだなと思ったんですけど、そういう方がいらっしゃったので、
やっぱり告知の仕方ってあるんだな、まだまだっていうのが昨日の大きな発見であったとともにですね。
私はあんまり自分が何を喋ったとかについての反省はしないんですけど、ちょっとこれは反省させられました。
あまりにも東京来客研究会にかつて参加したことがあり、周辺情報には詳しいという、
そういう方もすっごい昔第一回に来ましたとかね、
そういう方がやっぱりこの久しぶり開催というのはそういう傾向を生むわけじゃないですか。
生むんですよ。だから懐かしい顔ぶればっかりで、悪く言えばですね、
私が何話すか事前に分かっているような方ばっかりがいらっしゃるという感じなので、
その方々向けに喋っちゃいますよね。やっぱりそういう方が大体期待することは想像がつきやすいですし、
まさかね、本当、知らない方は来ないだろうと思ったんですよ。
ライファクトは何でしょうっていう感じの方だったんですけど、
ライファクトって何でしょうという方がリアルで東京ライファクト研究会というものに参加されるという、
想像がつかないんですよね、やっぱりね。名前がちょっとね、これがまだ東京仕事術研究会とかならばわからなくはないんですけれども、
東京ライファクト研究会となってくると、それこそ2010年の頃のライフハックという言葉を知っていた人の数、
私、読売新聞でライフハックについての取材って受けたことが、それこそその頃にはあったんですよ。
その読売新聞の人もライフハックって言葉実は私はよく分からないんですけどって言ってらっしゃったんで、
世間一般ではそんなもんだったんですけどね。でも今ってもう好きな人以外はみんなそうじゃないですか。
ライフハックが原理的にってこうだ、ああだとか言ってるのは本当にごく一部の、それこそ中核対核丸ぐらいな論争であって、
ほとんどの人にとってはほぼ全く意味をなさないディスカッションになりつつあると思うんですよね。
だからそういうふうにほとんど意味をなさない方が、わざわざ、しかも八丁堀に夏の暑い日曜日の午前中にいらっしゃる、
こうなかなか想像できなかったわけですよね。しかもその方はたまたまなんですけど、これは私が見知っているある方と、
なんか顔の雰囲気がちょっとね、あのそっくりだったってわけじゃないですけど、少し似ていらっしゃったんですよ。
そして何と言ってもこういう言い方をしてしまうと申し訳ないところもあるんですけど、
久しぶりにお目にかかった方、私も当然そうなんですけど、まあある意味10年ぶりくらいの方もいらっしゃるんで、
そういう人ってわけですよね、皆さんね。以前とは違うんですよ。歳をとってるっていうか、まあそういうことだからしょうがないですよね。
だから久しぶりに会うとやっぱりニュアンスが少し変わっているから、見た人だなぐらいに思っていて、それはそれで失礼かもしれないけど、それはしょうがないと思うんですよね。
かつてそういう会議の中で何百人と会っている方の中にこういう方もいたなみたいな、そういうイメージがあったために、
そういう人だろうと思い込んでしまうわけですね。イリュージョンですよね。意味づけかな。
だって知らない人は来ないはずだって思ってるわけだから、しかもちょっとでも知ってる人に顔が似ていた場合、これは知ってる人だろうということに、
もう何にも考えずですよね、それこそ。何の疑いも持たずそういうものだと思い込むっていうね。
そして実はそうではない。私の名前もご存知なかったので、やっぱりこれは絵がたい会だったかなというふうに昨日は思いました。
そういう方だからもちろんお若い、この場合ももちろんじゃないのかもな。
お若い方でしたね、でもね。
で、久しぶりだからせっかくなんで、頭がちょっとそっちに向かってホットになったから、
昨日の東京来伯研究会の話のなんだろうなと、僕がいつもこの番組で喋っている高点みたいなものを喋ろうかなと、
これもざっくりと思っているんですけれども、もちろんその方もそうでしたし、何名かの方に言わせてもですね、
昨日の話の振り返り
私が昨日喋ったような話はなんだかよくわからないと思うわけですね。
で、僕もちょっと事前の、でもな、与えられた時間が40分だったことを考えてみると、
その後LTの話も目白押しだったわけですから、無理だった気もしますよね。
1からヒストリーみたいなところから話を起こしていたら、今度はその、なんていうのかな、
その言うことはもう体験として知っている方からするとそんなに面白いわけじゃないじゃないですか。
1時間はやっぱ必要となると思うんですよね。
GTDとは何かみたいなところから始めるとなるのですよね。
そもそもどうしてそういうデビッド・アレンさんかみたいなところから話すとなると、
やっぱり40分でタスクシュートまで行き着けるかどうかだって疑わしいと思うんで、
あれはあれでしょうがなかったかなと今思うと思うんですよね。
メイクさんと私が別々に40分話さなくても、そういう方がいらっしゃるというふうに思っていればですね、
2人で90分なりを使えばよかったかなとも、後からは少し思ったんですけどね。
これが後悔というやつなのかな。後悔はしてる感じがしないんだけれども、戻れればそうした。
あ、そうそう、昨日ちょっとしたアクシデントがありまして、こういう時に僕はレビューというものをするんですよね。
思い出したんですよ。
ベックさんが僕がしゃべる直前に録画してなかったという、動画を配布するっていうね。
多分そうなんですよね。動画配信もするよっていうことになってたと思うんで、
当日ご参加いただけなかった方に向けての収録が必要になってしまうのではないだろうかっていう、
つまりベックさんのパートが抜けてるんですよ、録画から。
僕、やっぱりですね、完全にお任せだったから、
その辺、いつもクラソの傾像さんとGood Vibesでやってる時も、
基本的にクラソさんにオールお任せになっちゃってるんで、その辺は。
すごい、ある種ちょっと罪悪感が小さくくるんですけど、
僕は本当に機材も持ってなければ、かつてやったこともないし、
やり方が全くわかんないわけじゃないんですけど、
多分僕は、詳しい人から見るとド素人丸出しなんで、
あんまり余計な手出しをしないでおこうと思ってるところがあるんですよ。
この動画編集、動画収録、動画編集、それから動画配信という点についてはですね、
その点も昨日ある方から、これから私どもYouTubeやらないとみたいなことを言われたんで、
ちょっとこれは話のノリだったと思うんですけど、
TikTokがいいかもみたいなことまで出ちゃったんで、
僕自分がTikTokやるイメージは、もう全くわかないんだよねと思ったんですけど、
ちょっとでも昨日TikTokを調べてみましたね。
どこをどうやれば僕がこれがやれるかっていうのが、
割と真剣に考えてみたんだけど、
女子高生踊ってるなぁみたいな、
それだけでは確かになかったんですけども、
ある意味でももっとある意味際どい世界なようにも見えますし、
なんか僕がね、あと短いんですよねTikTokって。
だからなんかこう、それこそガーデニングとかならいいような気がするんだけど、
ガーデニングって時間の流れが遅いんですよ。
なんか15秒とか何も起きないんですよね。
水まいてるだけみたいになってしまって、
15秒とか30秒とか、長くても1分いってないあの動画の中でタスクシュートの話って、
もうどうなんですかね。
まあまあ、できなくはないかなっていうのは少し思ったんですけどね。
なんでTikTokなのかっていうのを昨日話として聞いててすっごい面白かったんで、
興味を持ったんですよね。
興味は持ったんだけど、いやどうかな。
タスクシュートと甘え全肯定
少なくともまだ全くイメージが自分の中では湧いていませんが、
50になったからちょっと土地狂おうと思ってもいるので、
土地狂ってなんかやるかもしれないってのはありますね。
何の話をしてたんですかね。
だからそう、ベックさんが収録、録画できなかった。
こういう時に僕は以前から言っている、
まずこの出来事に、正直僕はショックをあんまり受けてないんですね。
僕が忘れたわけじゃないし、丸投げで済まなかったなとかは思ったんですけど、
見てるとかなり複雑なんで、しかもYouTubeとかじゃないですよね。
Zoomでもなくてリバータイドなんとかっていうやつで、
なんかすごいなって思ったんだけど、
僕それベックさん以外が使ってる人見たことないんですよ。
だからこれなんかライフハッカーだなとは思ったんですけど、
それだけを思っただけで、
自分はあの会場で、
例えばどうして誰一人としてですね、
マイクの近くに来るとかなんとかしないのに、
声はちゃんときちっと拾えてるのか。
これはやっぱりかなりお高めのものを使ってないと無理だと思うんですよ、収音系で。
私はそういうものに手を出すお金がそもそもないので、
マイクはもう安っちいやつしかないんですよ。
だからiPhoneあるんですけど、
iPhoneも10から全くバージョンがアップされていないので、
僕は今の段階ではこういうことはできないなと思いながら、
やっぱり財力の差を感じた次第でもあるんですけれども、
その時に結局私は反省しないしPDCAもしないので、
Xさんが忘れたというのに対して、
次回から忘れないようにしようという発想は持たないようにしているんですね。
この発想を持つためには、
ここからいきなりグッドモーニングボイスっぽさが一気に出るんですけど、
というか精神分析みたいな話をしてるんですけど、
この発想を取るってことは一つには甘えを否定するってことになりますよね。
これを否定しない形を取りたいんですよ。
もちろん否定したっていいんですよ。
否定するという甘えっていう考え方もあるからね。
だけれども、私はまずは甘えを一切否定しないっていう原則からいきたいんですよね。
なぜならば、これも人を甘えさせると自分を甘えさせられるっていう話。
ピンとこないと。
聞くたびに、ああなるほどなと思ったけど、
次の瞬間からピンとこなくなるという方がほとんどだと思うので何度も言いますが、
人の甘えを否定するということは、
唯一、人の甘えを否定しても自分の甘えだけは否定しないっていうのは唯一ですね、
ジャイアンをエスカレーションさせる方法しかないですよね。
俺の甘えは全部認めさせろと。
俺様は偉いんだってことですよ。
他の連中の甘えは一切認めない。
これはですね、僕はよく話題にするのはやっぱり独裁国家の独裁者になるしかないんですよ、
これをやるためにはね。
他の方法は僕は成立しないと思うんですよね。
その独裁国家を自分の家族に限るっていう方法もあるんですよ。
だからそういうお父さんっていたわけじゃないですか、お母さんかもしれないけどね。
私の甘えは全部認めなさいと。
あなたたちの甘えは一つも認めませんか。
これはめちゃくちゃ暴力的な過程ができる、上がるはずなんですよ。
これが良いっていうならば、
まあまあそういう話もあるんだけど、
人間って不思議なもので、
これは現実原則としては認められないんですよ。
これをやってるとこの人正気じゃないんじゃないかなって疑われるんですよね。
ヒットラーの伝説みたい、伝記みたい、伝説はおかしいよね、
ヒットラーの記録みたいなものを読んでると、
彼の正気を疑ってる人ってどころどころで、
かなり身近で彼を支えていた人の中にもいますよね。
それでなくてもちょっと狂気っぽいみたいなことを、
ちらっと記録の日記みたいなところから出てくるっていうのはあるんですよ。
つまり、あの人は結局最終的に法的に自分の言うことは全部正しいっていうのを認めさせるところまで持ってきましたけど、
あそこまで行っても周りの人から見ると、
これのよしよしを僕が喋ってるわけじゃないですよ、
いいとはとても思えないけど、
あそこまで持ってったとしても周りの人は彼の正気を疑うんですよ。
つまり、家庭の中で私の甘えは絶対ですが、
あなたたちの甘えは全部ダメっていうのをやると、
多分強靭扱いなんですよ、実質的には。
だから僕これ人間の面白いところだなと思うんですよね。
自分の甘えだけを認めるってことはできないようにできてるんですよ。
だから他人の甘えを否定したらダメなんですよ。
他人の甘えを否定した瞬間に自分の甘えも否定することになっちゃうんですよ。
甘えとはダメであるんです。
そうすると今まで甘えてきたこともあるはずなんですよ、絶対に。
生まれてきた子は甘えてますから。
全部ダメになっちゃうんですよ。
そうしたら強烈な罪悪感がどこかのタイミングで必ず襲ってきて、
あとはもう僕の感じでは欲打つ一直線感があるんで、
僕はこれは相当辛いと思うんですね。
だからもっと簡単な方法があるんですよ。
甘え全肯定とりあえず原則として。
そうしておけば少なくとも自分の甘えを否定する理由はどこにもなくなるんで、
この瞬間に非常に楽になれるはずなんですよね。
昨日もコメントかな、ツイッターからいただいたのかな、
プラン通りに守ることと記録
割り込み全受けっていうのはとてもやってられんって感じの、
そうは書いてなかったと思うんですけど、
なんかそういうようなのがあった気がするんですけど、
お気持ちはよくわかるんですけど、
これはですね、僕の観点では甘え全肯定のための、
もちろんこれはグラドノさんのGood Vibesから来ていると言えばそういう言い方をしてもいいんだけど、
僕もともと割り込みというものに原則対応するためにタスクシュートってあるって思っていたんですね。
人からの依頼って受けてすぐやっていても、
よくわからなくなってしまうことが人からの依頼なんでね。
自分がやりたいと思ったことではないから。
断続的に受けているとよくわからなくなるって話は会社なんかでもよく聞いていたので、
それを書き留めましょうと。
で、過急的速やかにやりましょうと。
これタスクシュートなんですよね。
で、タスクシュートせっかく持ってるんだから、
それをそのままタスクシュート上に適応させればですね、
割り込みを排除するとかっていう発想は、
僕は全然タスクシュート的ではないと思う。
自分が先に立てた計画を優先して、
割り込みを極力排除するんだっていうのも、
やろうと思えばそうもできますよね、確かに。
でも僕はそれは、なんつうんだろうな、
それって学校の時間割りっぽさの方が強いんですよね。
先にプログラムしていた通りに動けって話なんですよ。
僕それとタスクシュートは原理的には真逆なんじゃないかなって思うんですよね。
なぜなら記録をするってことに主眼を置いてますから。
プランを立てるということに比べればですね、
プラン通りに守るっていうことであればですね、
記録っていらないんじゃないかなって思うんですよ、究極的には。
プラン通りに守るだけでいいんであったら、
記録なんかしなくたってプラン通りにやってればいいわけじゃないですか。
自分が立てたプランが絶対に正しいんであれば、
そこをご利用するのが一番正しいです。
これは甘え全否定なんですよ。
甘えの肯定
だけど自分の甘えは全肯定。
これがですね、私は人間社会で暮らしていくのは
はなはだ生きにくいやり方だというのがさっき言ったことね。
ほとんど発狂しているように見えかねない。
会社でこれやったら結構そう見えると思いますよ。
私、朝自分が立てた計画が絶対ですから。
社長からのご命令とか受け付ける余地ないですからとか言ったら、
これの人変わってんなーって思われる。
良くてそのレベル。
多分、そんなんでは済まないと思うんですよね。
でも僕はこれを何としてもやりたいんだっていう
発想を持つってこと自体がですね、
かなり正気から、人間社会のっていう意味ですよ。
これが本当に正気か正気でないかって話になってくると
分かりにくいんだけど、
例えばアリさんとかそうしてるかもしれないんだけど、
人はこの概念では生きてないと僕は思うんですよ。
人ってのは面白いんですよ。さっきも言ったけど。
法律を作ったら王様もそれを守らなければいけないと
考えるのが人なんですよ。
これがエディプスコンプレックスってものの
主要な要素だと思うんですよね。
エディプスは最後に自分の父親殺して王様になって
自分のお母さんと結婚したという
罪悪感に苛まれて自分で目を潰すじゃないですか。
そういう神話ですよね。
これがよくよく現れてると思うんですよ。
俺だけは例外っていうのを
自分、あの人はなぜか王になってもできないっていうね。
法の下に平等なんですよね。
非常に不思議な生き物ですよね。
話が逸れているんですけれども、逸れてはいないのかな。
だから私は甘えというのは法の下に平等だと思うので、
人を甘えさせるということが、つまりそうじゃないんだよね。
そうじゃないんだよね。
人の甘えを肯定できれば、自分の甘えを否定する理由は
甘えを拒否するときの影響
一切なくなると言いたいだけなんですね。
だからその行動っていうのは、その副産物みたいなものであって、
割り込みというのかな、急に来た依頼に
うまく対処できなくてもいいんですよ。
急に依頼が来たということが悪いことじゃないって思えれば
十分だと思うんです。急に人に依頼してもいいんだ。
いいと思うから受けるわけじゃないですか。受けるんですよ。
そうすると自分も急に依頼することができるんですよ。
そうすると病気になったり死にかけたりしたときに大変甘えられる。
この発想を持っておくことによって、
余計な不安を抱かなくて済むようになるだろう。
いったところなんですよね。
その途中の話ですよね。
割り込みというものを全受けしていたら大変なことになるじゃないかと。
ここなんですよね。
ここは僕はですね、本当に大変なことになるのかどうかを一度
それをどうしても嫌だというならば検討してみるのがいいと思うんですけれども
本当は検討よりもいいのがやっぱりやってみることなんですよね。
なぜならこれは別にすぐやめられますからね。嫌になっちゃったら。
要は全受けしてみるという。全受けするのはありえないっていうのって
空想上で考えているわけじゃないですか。
だからこの甘えを拒否するときには僕らは必ず空想を持ち出すんですよね。
空想を持ち出すし、精神分析を部分対象を持ち出すんですよ。
人を部分的に切り出すんですよね。他人のこと。
必ずそういうことをやってるはずなんです。
想像上の悪い出来事を拒否したいと思うときって
なんかひどいことを頼まれてそれをノーノーとやって
ひどい目にあって屈辱的だみたいな全部想像なんだけど
その時に相手のイメージみたいなものが出てくるとすると
収録のミスに対する考察
それは相手の部分的な一部ですよね。
部分的な一部っておかしいな。
自分が勝手に作り出している一部分ですよね。
それって自分の反映ですよね。
このことをよくよく僕ら考える価値があると思うんですよね。
悪い他人ってのは往々にして自分が作り出した自分の一部分なんですよ。
だからこれをどんどん作り出せるってどういう意味なんだろうって言うのですね。
私が、それこそ北さんなりが収録を忘れた時に
本当どうしようもないなってもし思っちゃったとするならば
その北さんのイメージって私のものですよ。
その北さんはリアルにいる北さんとは別のはずなんですよ。
だいたい僕の中ではちょっと彼はもっとヒゲがないんですよ。
ヒゲなかった頃のベックさんのイメージの方が僕は強い。
ヒゲないんですよ。
なんかもっとスッキリした感じの人で。
で、その人がしょうもないことをしているイメージを持ちがちなんですよね。
想像なんてそんなもんなんで。
リアルな彼のリアルな行為ではないものを僕は頭の中にこしらえ上げて
そこに、要するにそこに攻撃を加えようとする。
これも甘えなんですけどね。
これが甘えを認めようとしないっていう態度であって
これって自分がやってみるとつくづく思うんですけど
人にやってるつもりでいるんでしょうけれどもね。
私なんかもそうなんでしょうけど
実際はどう考えても自分で自分を攻撃してるようなもんなんですよ。
自分が作ったした空想の人を自分の頭の中で自分の心の劇場を使って
自分のエネルギーでバッシングするんだから
痛みを持つのも当然自分の心だと思うんですよね。
これを分裂と僕は言うんだろうと思うんですけれども
こういうことをしかもした挙句に
この段階で既に自分にダメージを食らいますけれども
その上、いつか自分が収録をミス
僕とかいかにもしそうなことなんだけど
いつか自分が収録をミスしたときに
与えた分の罰だけ自分も食らうことになるじゃないですか。
これ私は2回損する。最低でもですね。
本当は2回じゃ済まないんだけど
最低でも2回は損すると思うんですよね。
ここで彼が収録をできなかったということをですね
僕の言い方をするならば
それが現実的にベストだったんだと
今すぐにそう、あの時ですね
すぐにそう思えなかったとしても
思えるんだけど
思えなかったとしてもですね
そう思っておくことで
少なくともまず心の中に
キタさんを作り出してですね
そいつに攻撃を加えるという
よくわからないことをしなくて済むわけです。
これだってやったって相手にはダメージ効かないんですよ。
僕は決して気の強い人間じゃないんで
そんなことをですね
リアルのキタさんに文句言ったりはしないんですよ。
心の中でこれをやると
心だけがダメージを受けるじゃないか。
相手はダメージを受けないわけですよ。
何にも得することはない気がするんですよね。
それによって現実が改善されるわけじゃないですし
プロ野球選手の鳥谷さんが
この人は電動入りして2000本アンダー打ってるんですけど
怒りを覚えたことは
野球場ではないっていう表現を取っていらして
これはすごい簡単にできないことだけど
すごい正しいなって思ったんですよ。
頭にレッドホールを受けようと
受けちゃった後で怒っても
何にもならないっていうような表現なんですけど
これはすごいですよ。
2000本もアンダー打つ間には
よっぽど危険なことが起きますから
野球場ってのは。
僕はやっぱりこれは
彼は別にグッドバイブスとか
甘えという文脈で
喋ってたわけじゃないんですけれども
怒ってもいいことは起きないっていう
そういう言い方なんですけど
あれはすごいなって思って
僕はそれに比べると
頭部にレッドホールって
一歩間違えたら死にますからね。
北さんが収録取りそびれたということについて
これが現実を見に行くってことになると思うんだけど
何にも別に僕にダメージは受けないはずなんですよね。
だからこれで腹を立てるっていうのは
相当ずれてると思うんですよ。
何にも僕が感じるところはないと思うんですよ。
別に。
そのことそれ自体でニュートラルに見るならば。
ニュートラルに見るならば
まずその出来事に対して
私が何か動揺すらする必要はないと思うんですよね。
だったら
それを次回以降改善するための手立てとかを
特に打つべき理由っていうのもないじゃないですか。
僕はそういう観点を取った方がいいと思うんですよね。
こういう観点を取っておけばですね。
私が次回以降収録を約束しておきながら
忘れましたって時に
心の中で攻撃してしまった時に比べて
ダメージは遥かに少ないと思うんですよ。
ほぼないだろうなって感じがします。
ほぼないかもしれないけど自分ごとになってくると。
でもやっぱりほぼないだろうなって感じがするんですよ。
僕だったらもう一回取って
それを配布しますよね。
だって別にそれでいいわけですか。
絶対に八丁堀でやらないといけないってことに
僕の分はあるわけだから
いいと思うんですよ。
ここまで考えて
ここまでは考えてないか。
昨日の懇親会の時に思ったんですよ。
いやだってあれだよな。
何にも事前情報をご存じない。
北信也さんの名前もご存じない。
彼をベックと呼んでることも知らない。
なんなら関係ないですけどJ松崎さんの名前も
大橋烈夫さんの名前もご存じない方がいらっしゃったという前提で
ベックさんがもう一回取ればですね。
その人にとってはるかにいいものができますよね。
僕はそれの方がいいと思うんですよね。
取ってしまったら多分そのまま廃止しちゃうと思うんですよ。
普通の人だったら。
でも取ってなかったんだから。
少なくともこれらのことについて
何か事前の知識を追加してですね。
ベックさんならそういうことは余裕でできると思うんですよね。
僕なんかより全然上手にできると思うんですよ。
これをやれという話ではないんだけれども
多分なさるんじゃないかなって思ったんですよね。
これが収録し忘れたことがベストだったっていう意味になるんですよ。
これは僕のアサジエみたいなもんかもしれないんだけど
少なくともこう考えることで
いやあいつ本当収録しなくて
どうしようもないよねっていう話を頭の中でするよりは
特に意味がない
それこそ分析的とかに考えなくたって
この方が健全なんじゃないかなって感じが
どっちにしても収録をしておくという現実はなかったわけですよ。
これだけはもう確実じゃないですか。
ピクミンの巻き戻しみたいにして
現実を巻き戻すわけにはいかないので
取れなかったものは取らなかったので
取らなかったものは残ってないわけですから。
結局それについて
いくらでも後悔はできますけれども
よりベターだったという現実を作り出すことはできない。
そしてそれが本当によりベターだったのかどうかっていうのは
今のように考えてみると割と疑わしいと思います。
だから私は反省と改善というのは
無理があるなって感じがしますね。
現実ってのはそういうもんじゃないよなっていう
現実についての見落とし
もっともっと複雑性と多様性に満ちてるので
観点を少し変えるだけで
全然違うものが見えてきてしまう。
本当にだから最初に申し上げた通り
昨日の最初の段階では私はまだ
9時半、10時、10時半、11時の段階で
顔を知らない人はここにはいないって思ってたし
そのことに疑えるような観点も一切なかったんですよ。
でもそれは事実に反してたわけですよ。
イリュージョンを見てたわけですよね。
完全に、完全にですよ。
みんな顔見知りだと。
どこで見たのか、申し訳ないんだけど
名前と顔が完全に思い出せないって方は
いらっしゃったんですが
初めて、少なくとも私のこともベックさんのことも
知らない上に初めての人がここにいるっていうことを
その可能性は十分あったにも関わらず
全く考えなかったわけですね。
すでにその段階で現実について
何か相当の見落としをしているにも関わらず
しかも私これいくらレビューしても
改善することはできない気がするんですよね。
これを反省しても
また10年後とかにやったときに
全くそういうある種の
あり得る前提で一切考えることもないまま
進行させていく。
それは過去の記録を読んだから
分かるようなことじゃないと思うんですよ。
あと来た人の名簿と写真を
全部見直すなんてことはできないですしね、そもそも。
だから何が自分が
そこでどんな意味付けを一気にしてしまって
どんな空想をするか分かったもんじゃないのに
現実が始まってみないとですね。
始まってみたとしても分からないのに
その場合の最善の対策というものを
事前に打つことができるって考える方に
やっぱり無理がある気が非常にするんですよね。
私のレビューごときでそんなことができるとは
私自身についてはもう
かすみほども信じられませんからやらない。
で、やらない方がいい結果が生まれる可能性すら
あるんだったらますますこう
やりたくならないよなっていう風に
私だったら思うわけですよ。
だからちょっと
web3にはお手数なんだけれども
私はですね
別にこれ必須だとは思わないんですよ私は。
私の部分だけでもいいんじゃないとかって
言っちゃうんだけど。
昨日と全く同じものを
再度収録する必要とかは
全く全然むしろそうじゃない方が
やっぱりいいと思うし
あれよりいい現実っていうか
撮らなかったことがベストであり得たというのは
嘘ではないと思うんですよね。
撮ったことによって
撮ったという現実はないんで
やっぱり撮らなかったという現実は
別に悪くはなかったと思うんですよね。
どう考えても昨日のトラケンそのものが
このことをほどさら問題視していた人も
僕の見た感じいたわけではないし
いらっしゃったわけではないし
撮らなかった現実
あれと内容として
あの内容を含むものを
撮るってことは
可能だと思うんですよね。私じゃできないですよ。
私は言い話できませんから。私じゃできないから。
やっぱこれはベックさんがやっていただくより他ないんだけれども
幸いにして
お家に帰っても
機材は揃っていますし
しかも今度は一切の前提知識がない方が
いらっしゃるという前提で
やっぱりこういうふうに考えるってことと
ことができ得るってことと
リアルな現実ってすごいなってことを
組み合わせていこうとすると
今の私としてはこの辺かなって感じがします。
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