1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 3チャレではゴールにも目標に..
2025-06-23 44:01

3チャレではゴールにも目標にも向かわない、その理由【1208】

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サマリー

このエピソードでは、3ヶ月チャレンジの有効性と課題が考察されています。特に、PRの重要性や心理的側面、目標設定の難しさが取り上げられています。3チャレでは、目標設定やゴールに向かうことが適切でない理由が論じられています。プレッシャーや個々の状況を無視した目標設定の問題点が浮かび上がり、それに伴う精神的な負担についても触れられています。また、このエピソードでは、サンチャレの進行に伴う他者との関わりや内面的な葛藤が深く掘り下げられています。自身の経験を通じて、対人関係や母親との関係が自己認識にどのように影響しているかが考察されています。さらに、理想としての完璧さと目標に向かわない理由についても論じられています。完璧な世界において、自身をどう捉えるべきかというテーマが展開され、理想に向けた行動を避ける姿勢が示されています。

3ヶ月チャレンジの概要
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1208回をお送りします。6月23日月曜日、8時21分です。
はい、今日も暑くなりそうなので、さっさと切り上げるわけにはいかないんですけれども、まあまあ、あんまり長くならないようにしておこうかなと思います。
このところ3ヶ月チャレンジ云々の話を続けてきたんですけど、まあ間もなく7月になりますし、しばらくはこのお話をね、していきたいかなと思ってます。
本当は一体どこでPRなりをすれば一番ベストなのかは、ちょっと私も、私あんまりその、多くの方が読んだり聞いたりしてくださるメディアっていうのを育てられてきてない人間なんで、
その辺をJ松崎さんに抱えてもらっておりまして、彼は気の良くガンガンやってくれちゃうんで、すっかりそれに依存しきっているわけなんですけど、そういう後ろめたさも若干無くはないんですよ。
まあまあ、できるだけ無い方がいいと思うので、できるだけ無くしていこうと思ってはいるんですけどね。
まあまあ、でもそういうことで、ここしかないぐらいな感じなんですよ、今ね。
ノードに書けばいいじゃんとかっておっしゃる方もいるんだけど、ノードに書くってここよりも今や効果低いんじゃないかって思えるぐらいなんで、ノードに書くならXに書く方がまだマシなんだけど、でも僕Xが長く続きを読むみたいなやつね。
読まないでしょやっぱりって思うんで、わかんないですけどね。
まあ私はちょっと正直、続きを読むがあったらもう基本それはスーッと流してしまいますから。
あれ結構読まれてる人って、読まれてるっていうのはつまり、続きを読むって言っておいてそれがもうなんかバズってる人って、僕はほんと超人的なライティング力だなって思ってしまうんですよね。
それぐらい僕はあそこの続きを読むをクリックする気とかタップする気には全然ならないんですよ。
だってちっちゃいじゃないですか字が。
これは僕が老眼だから言えないのか。
まあいいや。
てなわけで、3ヶ月チャレンジですね。
ビジネスとお金の課題
改めてPR、対外的PRをしたいと思ってるんですけど、一番多分ネックになるのはやっぱ75,000円というお値段だと思うんですね。
でもこれ僕が一括して先払い、まあ分割対応いたします。
今ストライプとのつなぎもね、やったり頑張ってしていて、ただああいうのって結構手数料バカにならないじゃないですか。
3.6%とか軽く書いてありますけど、3.6%っていうのは100万円の収入があった時にすでに36,000円は払ってますよってことですからね。
結構普通に収入を得たと考えるとしましょう。
で、消費税で100万円を設けた時、ざっくり計算、インチキ計算しますけど、まあ10万円払わなきゃならないですよね。
ほぼほぼ10万払わなきゃ。
さらに36,000円ってことになると、結局100万円の収入に対して、なんだかんだで85万円にピンポンってなっちゃうっていうのはですね、なかなかよろしくないと思うんですよ。
ただでさえそんなにビジネスがうまくもない私がそれをやっちゃうというのはね、よくないと思うんですよね。
3.6という数字に騙されちゃいけないんですよ。あっさりと。
まあでもね、とはいえ分割ってことになってくると、いろいろと難しいこともありますから。
まあでも分割だとしても一括だとしても、基本一括でいただいているケースが多いですよね。
で、そうなった時に、あれじゃんっていう途中で終わるとお前まるまる得するじゃんっていうのをね、私は絶対意識してるんですよ。
絶対意識するんですよ。
だから75,000円払ってもらって、最もいいのは1ヶ月目でやめてもらうことだよねみたいに思われているのではないかと思ってしまうんですね。
僕は全くそうは思ってないんだけど、これはビジネス上は信用されない話かもしれないわけですよね。
だからつまり、いや絶対そう思ってるよって言われた場合、どうにも言い返せないと言いますか。
まあ言い返す必要ないんだけど。
私は3ヶ月続けてほしい。
でもそれだって結局、いやそれはだから継続してほしいからでしょうってことになるかもしれないじゃないですか。
お金って本当難しいなって思うんですよね。
継続はしてほしいですよ、そりゃ。
でもそれはお金のためじゃないって言っても、だったら取らないってことになっちゃうんで。
でもこれで取らないということに仮にしたとするじゃないですか。
私が大資産家とかでね。
そうすると、どうやって10人で割るんですかって話になってきますよね、今度はね。
まあ20人でもいいですけど、20人以上は無理ですもんね。
私、週20セッションはやっぱりほぼ限界。
これを言うと、じゃあなぜ21セッション取ってるんだとか将来言われても困る。
20と21はいいんですよ。
20と30がいけないんだって。
そこに線を決定的に引く意味って別にないんですよね。
20と21とか20と23とかはあんま変わんないんですよ。
20と30だからいけないんですよね。
ですが、30はさすがに無理だなと思うんです。
30を7で割ったら4以上になりますよね。
だから毎日4セッション以上絶対しなきゃならないっていう計算になってくるんで。
しかも休みは一切ないみたいなね。
それは無理なんで、今のところ私の能力では。
だから20が大体いいところなんですよね。
週6回やって毎日3回4回。
この辺がやっぱり妥当な数字だなと思いますね、私の現状からして。
マックス、最大限いけてここまでだろう。
なった時に無料にしてしまったら
目標設定の難しさ
エコヒーキーっていうか好きな人選ぶじゃないですか、絶対に。
それ育っちゃうじゃないですか。
なんとなく、なんとなくですよ。
あるいはマゾキスティックに僕がなった時、好きじゃない人だけ選ぶとかやりかねないじゃないですか。
なんかもうほとんど修行しますみたいな。
それもちょっと違うんですけどね、イメージとちょっと違うんですけど。
もうそういうことではないですよね。
もっとこう、なんだろうな。
よく治療的ナルシシズムって言うんですけど。
自分ならやれるみたいな気持ちになりたいためにそういうことをするって感じ。
これが近いですよね。
自虐的とは、自虐的な部分もあるんですけど。
マゾキスティックになる部分も僕の場合はすごく簡単になれるんですが。
でも、なんとなくそのやっぱりこう、自分ならやれる感を持ちたいっていう。
これは自信の無さの裏返しでもありますけど。
それはありますよね。
でもいずれにしてはあんまりいい感じじゃないですよね。
それだけが理由になった。
そういう理由はありますよ。
やっぱりいろんな気持ちがあるから、人の中には。
マゾキスティックな気持ちもあるし、犠牲感みたいなやつね。
自分がやれることを証明したい。むしろこれは逆ですよね。
ナルシスティックな気持ちもあるし。
でも無意識っていう言い方をしてしまえば、もう無意識は見えませんからね。
好きな人を選んでみたり、あるいは嫌いな人を選んでみたりしだすじゃないですか。
だからお金って大事なんですよね、結局ね、そういう意味ではね。
全員から完全に同一金額でなければならんという理由はもうないと思うんですけど。
無料にしてしまうということをすると、やっぱり人で選んでしまうっていう。
だから無料、先行者優先みたいな感じに徹底的にするしかなくなりますよね。
なんか1秒でもこっちの人が早かったからこの人みたいに、そういう話になりますよね、一方間違い。
それはそれで変な気がするんですよ。
まあでもお金いただいてるとしても、結局早い者勝ちであることに違いはないんですけれどね。
100日チャレンジとかは、むしろそのことをシビアに感じるんですよね。
あれやっぱり相対的にお安いし、たくさんの方がいらっしゃるんで、結構最後のあたりは早い者勝ち感が出てくるんですよね。
そうすると入れなかったっていう方がやっぱりウェイティングリストに待たれてると、
なんかもうちょっと増やしてもいいんじゃない、Jさんみたいになるわけですよ、はっきり言って。
こういう真理って働き出すんで、やっぱりいろいろと難しいなっていう感じがしますよね。
ちょうどいい塩梅が完璧に見つかるといいんでしょうけど、なかなかそういうわけにもいけませんもんね。
なので飛躍が感じられると思うんですけど、なので私は今のところ認知行動的なことをほぼやらないんですよ。
なんでそうなるのって思われるかもしれないんですけど、
いやお前認知行動分かってないでしょって言われると分かってないんですよ。
分かってないんですけれども、分かろうという気すらそもそもなかなか湧いてこないという事情があるんですよ。
なぜかって言いますと、私は認知行動とライフハックはお隣さんだって思っております。
認知行動と仕事術は仕事という部分に迫って言うと、かぶってくる部分が絶対に出てくるだろうと思ってます。
これをやるというのはどういうことかというのは、私は少なくとも仕事術とライフハックはもう20年やってきた人間なんですよ、ほぼ。
あれはですね、誤解を招くんで恐縮ですが、三チャレにあれを導入してしまうと、
これは認知行動両方の人には別に何も言うべきことも含むこともないです。
ただ事実として三チャレであれを導入する、そういうことを導入する、ライフハックでもいいです。
ライフハックを導入すると何が起きるか。
ライフハック的アドバイスを佐々木が佐々木の癖にしてくれないという苦情は何度もいただいているんですよ。
いやその精神力動的な話やめて、CBT的な話をしてくださいと。
なんならそういうアドバイスをしてくれりゃいいじゃんと。
逆算しないとかこだわらずに、いやこだわりますけどね、私はライフハックの時から2005年から2017、19年ぐらいまで逆算を一切廃してきたんですから、これでも。
言わなかったですよ。
僕の中が逆算万歳に近い状態の時に、逆算はダメですって言えないですよ。
僕みたいな大物で、大物ではないんですよ僕は。
言えないですよそんなこと。
そんなこと言ってただただ顧客を減らすということに特に意味ないじゃないですか。
来た方には順算を、順算という言葉は使わずに常に進めてましたけど、逆算を一切廃しましょうなんてそんなことは言えないですよ。
言えないが、私はそうしてきた人間なんですよ。
その人間がLiquid of Aceの個人コンサルやってますってところで、CBT的な話はしませんよ。
これはね、ライフハック的な話はしないですよ、極力しないです。
ほぼ全くしないです。
デリケートな話な、センシティブとも言えますね。
なぜか。
ここで目標を設定するとするじゃないですか。
なんでもいいんですよ、なんでもいい。
どんな目標でもいいんです。
ご飯食べましょうですらいいですよ。
お風呂入りましょうでもいいですよ。
センシティブだね、とても言いにくい。
こういう問題があるんですよね。
3ヶ月チャレンジに限った話だと思って聞いてください。
そしてそこでいう仕事術に関する話だとしてください。
ワークとか、だって目標設定すると次にはワークが出てきちゃうじゃないですか。
その、お風呂に入りましょうと。
いやいや、やめよう。
ベッドで寝ましょうにしましょう。
ベッドで寝ましょうってことにしました。
寝れましたか寝れませんでしたかっていうことを問わなきゃならない感じがしてきませんか。
で、ここからもうほんと0.1歩ですよね。
1週間のうちに何回あなたはベッドで寝ましたかって問いをするべきだと思いません。
これをやってしまった。
これを逆算と言いませんか。
いやそれの何がいけないのって言われるかもしれませんけど、相手の方はベッドで寝られないんですよ。
ベッドで寝られないと言ってる人間に仰ってる方に対してベッドで寝ましょうって私が言っちゃうんですよ。
これはベッドは一例ですよ。
何でもいいですよ。
何の気なしに多くの方がそれがいろんな名称あります。
いろんな名称ありますよ。
ここにカウンセリングって名称当てられてる時もあります。
僕はそれがカウンセリングなんだろうかって本当に思ってしまうんですけどね。
なぜ寝られないのかっていう話をなぜかすごく飛ばされるんですよね。
飛ばしたくない。
学校行きたくないとかはやめよう。
センシティブになりすぎる。
ベッドで寝られないだろうと、会社に行けないであろうと、
それこそ何だろうな。
何かのペーパーに空欄に埋められないであろう。
変わらないですよ。
そこにあるすごい僕のような人間がそれを言う権利も資格もないんですよ。
だから言えないですよね。
言いたくないとかじゃないんですよ。
だって私できなかったんだから。
そこが問題なんですよ。
書類には書けましたよ。
問題の所在
書類にかけりゃいいじゃんって話じゃないんですよ。
できないことがあるってことが問題。
書類にかけたってベッドで寝られないとつらいじゃないですか。
ベッドで寝られなくてお風呂に入れなきゃつらいじゃないですか。
できないことがある。
しかもそれはできることになってるってここの構図に問題があるんですよ。
実際の問題が。
私はそれは一番圧をかけない形で迫ってるのは実は精神力度だと思ってるってことなんですね。
もう平気で言ってるよね我々って思うんですよ。
夢を叶えましょうだなんて。
夢叶えられなかったらどうすんだよってですね。
いやいやだからこれ言うとセンシティブになっちゃうんですよね。
やっぱりね今時別に攻める気は。
ただ非難とか批判するべきことではないと思うんですね。
一生懸命それをやろうというふうに取り組まれてるんだから。
ただ私はごめんだってことなんですよ。
絶対に。
なんかねやっぱりここ固くなってしまうのは私がやれやれ言われて嫌な思いをしてきたんでしょうね。
嫌な思いしてくると思うんですけどね。
会社に行くのって当然だろうっていう。
ありましたからね。
やっぱり平成何年ぐらいなんだろうな。
平成十何年頃の空気としては。
こう行って大学出て会社に行くのなんて当たり前じゃんっていう。
でも私はその当たり前のことをやってはいたけど、
忌避してましたからね。
忌避って言うと、
陰で避けるんですよ。
ずっとそうしてるとどうなるかっていうのは、
誰だってある程度不安になるから。
まぁ結局行くんですけど。
行きたくないということにおいては、
僕はなかなかのものでしたから。
行ってた中では相当のもんだと思いますよ。
とにかくできないことがあるんですよ。
とにかく。
できないことをやらせるというのは、
ものすごいプレッシャーだと思うんですよね、私は。
つまりベッドで寝ましょうと。
週に1回寝られましたかっていう問いそのものが、
ものすごい高圧的だと思うんですよね。
だから私はそれを当てたくないんですよ、絶対に。
でもこれをあるセッションの中で、
これを絶対言わないってことをやってるとどういうことが起きるかというと、
現に私は何回も言われてきてるんですけれども、
誰にって話じゃないですよ。
そういう気持ちになるのもわかるんですよ。
当然そういう気持ちになりますよね。
佐伯さんはそんなことすら言ってくれないのかと、
黙ってそこで見てるだけなのかってことになるんですよ。
目標設定の批判
そうなるしかないんですよ、これは。
で、そうなります。
3ヶ月チャレンジではそうなります。
そこで黙って見てるだけなので、
私がどういう目にあっても構わないと思ってるんだ、みたいな。
そう言われたことはないですけど、
結局そういう空気は流れざるを得ないです、これは。
どっちかを選ばなきゃなんないから。
自由に一回はせめて寝ましょうよっていうこのね、
めちゃくちゃ暴力…
うん。
めちゃくちゃ何的なんだろうな。
とにかくめちゃくちゃその人にとっては厳しいことを、
しかもその厳しさが何のためにその厳しさを言うのかが、
よく僕にはわからない厳しさを突きつけちゃうか、
それとも傍観者のようになって、
佐々木さんは本当に冷たいんだね、みたいな。
どうせ他人事だもんね、みたいになるか。
どっちも良くはないんですが、
それはだからその人が抱えている難しさが、
その場に現れるという意味で、
転移的なんですよね。
転移的だと素人が言うなって言われても、
やっぱり転移的なんですよね。
どっち選んだって転移的ですもん、これ。
やんなきゃいいじゃん、しか残んないですよ、あとはね、本当に。
これをやるのはやめればいいんだよっていう、
3つに1つですよね。
だから、やれと言う。
黙って見ていて、
傍観者的態度だという空気が流れる。
か、やんない。
で、私はこの3つの中では、
傍観者的でいることが最もマシだと思ってるんで、
傍観者的ではないんですけど、
あの、なんて言えばいいのかな。
まあ、偽善的ですよね、言うなら。
えーと、
この人毎日ベッドで安らかに寝られますように、
みたいな世界ですよ、はっきり言って。
そういう風にどれくらい真剣に考えられるかでしょうね。
で、それが何か意味あんのかって言われると、
でも私は、もしそう言われればですね、
こう言い返したいんですよ。
じゃあベッドで周囲に1回寝るのには何か意味あんの?っていう、
そこまで無理やりそれをやらせることにはそんなに意味あるの?
っていうのは言いたくなりますね。
だから私は、そのライフハックをやるんだけど、
それを、えーと、他人がそれを言わないってことですよ。
自分がそれを目標設定するのはOKだけど、
他人が人の目標を設定するのは、ごめんだと。
手を貸すのもやだ。
あの、一緒にやりましょうもや。
絶対それは僕は言いたくないですね。
それは自分がやりたいと思った時だけやるものですよね。
思います。
で、ましてそれを週に何回できたかを、
いや、必ずそういう話になってくるんで、
えーと、考えていきましょうとか。
できない時は紙に書き出しましょうとか。
3チャレのアプローチ
紙に書き出す?ですか。
って感じになりますよね。
そしてまた、えーと、自分ができていないことの証拠をそこで、
自分の目の前に置くことになりますよね。
それもなぜそうなのかが、完全としない中でですね、
自分がダメ人間だからだとかよくわからない理由によってしか出てこないですよね。
だってそれを真剣に探りに行くっていう作業は、
えーと、基本的にスルーされてるんですから。
私はそれは絶対に、えーと、0、1、2、だからその頃ですよ。
0、1、2というのは真相真理を探るって話になっちゃうんですよ。
覚えてないはずですから。
で、素人が真相真理を探るものじゃないっていう風に言われるわけですけど、
だって、それをしないってことは何もしないってことになるか、
それともその超強圧的なことをやることになるかになっちゃうじゃないですか。
あと残ってるのはそこしかないんですよ。
0、1、2歳の時に、これもね、難しい問題があるんですよ。
お母さんは安心できる状況で寝かしつけられていたんだろうか。
これ今度は社会問題に発展していきますよね。
それはお母さんのせいなのって話になるじゃないですか。
お父さんはどこ行ったのって話にもなるじゃないですか。
そもそも国の支援はちゃんとしてるのって話に当然になるじゃないですか。
当然になりますよね。
あるいはお母さんが精神的にまいっているんだったとしたら、
そのお母さんに対する精神的なケアはどうだったのって話になるじゃないですか。
その精神的なケアって何なんだよってことに今度はなると僕は思うんですよね。
そのお母さんには精神的なケアが不十分であったとして、
その精神的なケアというのはCBTなのか、精神力動的なものなのか、
それとも私のような野良カウンセリングでもOKなのか。
だって現実的には選ばないわけにいかないじゃないですか。
別にフェミニズムカウンセリングとかでもいいと思いますよ、もちろん全然全く。
でもやっぱり現実的にはどれかを選ばないわけにはいかなくなるじゃないですか。
どれも選ばなくったって今と状況変わらんってことになるじゃないですか。
ここに起こるっていうことの意味ってあんまり私は信じられないんですよ。
ここに起こってるっていうのは、
我々が新橋で、私は大宮でしたけど、
あの課長さんみたいに言ってるのと大して変わらないと思うんですよ。
ていうか全く同じだと思うんですよ。
言ってましたから僕だって。
そりゃ言いますよね。
だって他にやれることないんですから。考えつかなかったしね。
で、ですね。
だから私はこれはやらないんですよ。
なぜならばこれをやることによってもうサンチャリに特化したということにしてですね。
そのセンシティブな話に突っ込むみたいなのは基本受け付けないものとして。
何ヶ月チャレンジで逆算的目標を作り、私がアドバイスをするという形をとります。
週に3回はベッドで寝ましょう。
次回何回寝られたかを検証しましょうってやりますね。
これが私は策手だと思うんですよ。
これをやることにより先払いですからね。
3回寝ようと思ったのに1回も寝られませんでしたっていう人か。
次来られなくなる降参は実に高いですよ。
で、キャンセルされますよ。
で、これは私のせいじゃないって思うことは、力道よりしび…
力道より仕事術系の方が…言い直しました。
力道より仕事術系の方が私が罪悪感を持たずに済む理由がいくらでも見つけられるからなんですよ。
つまり私はこれをやることは非常に私のお金を儲けたいということを優先するならば
容易にできるということなんですよ。
だからやりたくないんですよ。
だからここはね、いい子ぶってるって言われりゃそうなんですよね。
で、いい子ぶりたいっていう気持ちもあるんですよ、私の中には。
どうせ、だって母がああいう人だったんで人のせいにしてますけど、
でも母は第一子である私をめちゃくちゃいい子ちゃんにしたかったんですよ。
で、そういう自覚はなかったんでね、母にはあんまりね。
でもまあ自覚がなくもないんですよね。
昔の寺って行儀とかにすげえうるさいんで。
というか行儀しかない世界ですから、はっきり言って寺って。
儀式と行儀の世界なんで。
あれですよ、私ちょっとこれはピンとこないかもしれませんけど、昭和だと思って聞いてください。
今じゃ自分でもピンとこないんですけど。
土下座して毎晩お父さんお母さんおやすみなさいってやらされてましたよ。
めっちゃ厳しい雰囲気だったってわけじゃないですよ。
でもそうやってましたから。
で、寺の子ってそういうふうに育てられるところはあるんですよ。
家にもよると思いますけど、うちは相当ゆるい方だったと思います。
それでもこれ毎晩やってましたから。
朝の6時になったら仏壇に向かって一生懸命お経を意味もさっぱりわからないまま1時間唱えるんですよ。
その後で夜寝るときはそういう夜のお勤めみたいなのもあるんですよ。
30分くらいですけど。
で、そういう感じですよ。
一日中行事行事行事なんですよ。
だからものすごい私が苦労したとかそういうことじゃないし。
ただ私はこういう心理にはなりました。
世の中がこういうふうに子供さんを育てるのはいいですねって聞くと死んでしまえみたいに思うという。
いやーそんなにできてないですよみたいなことをさらっと言うけど。
まああれですよ。
頭をうんこのドブ犬を突っ込んでおけみたいなそういうノリにはなってました。
僕の心の中でね。
つまりものすごく感動的でした。
私はその行儀よくとか、いただきますがちゃんと言えるとかそういうものに対しては。
即興唾を吐き出すみたいな。内心でね。
そういうところを僕には育ちましたね。
ものすごく育ちました。
親の中にそういう気持ちがあったんでしょうね。
だって全然そういう感じにしませんもん。
今の娘に対してなんかこう。
うちの子はまあ学校の影響なんですけど結構行儀いいと。
なんかうちの母と厳しくしすぎてないみたいなことを言いますからね。
お前は全くなって感じがしますけどね。
もうせせら笑いたくなってしまうんですけども。
このおばあちゃんもともとそういう人なんだろうなって感じがします。
つまり無理ってそういう形で出るんですよ。
私はやっぱりこんなのはですね。
まさに毎日やってるかどうかのチェック項目に簡単になっちゃうんで。
絶対やりたくないなっていうのがありまして。
絶対やりたくないですよ。
1週間に何回ランニングできたかとか。
もうどこでもいいわけですよ。
そういうことではないと思うんですよね。
問題はできないと困るとされているものがそもそもできないと困るのかという問いを一つ絶対的に立てたいと。
安易に社会的長時間に乗っかるのをやめましょうと。
サンチャレの進行と気づき
もう一つがそれがどうしてもできないというのはどうしてなんでしょうねというのは。
素人だろうと苦労とだろうとちゃんと真相を見に行きましょうと。
これをやってる真っ最中にここに転移的状況ってものが現れてきてしまうんですよね。
本来僕はそれをサンチャレでやるとは思ってなかったんだけど、実はそういうことはサンチャレではやることになるんだということを痛感したんですよ。
これはもう曝露話に近いですけどね。
そうなるんだな。
もうこれはしょうがないんだなと。
やるしかないんだなみたいなそういうノリですよね。
やるしかないって感じなんですよねやっぱりね。
誰かが。
私がやらなくたって結局いつかどこかで誰かがやることになる。
必ず。
対人関係の課題
だって1歳0歳の時にいろんな意味でいろんな難題に直面してしまうというお子さんはいっぱいいらっしゃいますから。
で私自身のことを話しますと、今でも残志と言いますかその名残が残っちゃってるんですけど。
これは昨日ですね。
ある方とセッション中につくづくそうだと思い出したんですけど、私彼女が欲しいってずっと思ってたって言ってるじゃないですか。
あれ僕にとっては自傷行為に近いことだったんで。
つまり必ずやらかすわけです。
やらかすというのはですね。
主観的な問題なんですよ。
やらかしたかどうかなんて問題じゃないんですよ。
問題なのはやらかすことに決まってるってことの方なんですね。
私はずっとやらかしてたんで。
つまり女の子に会うということはやらかすってことなんですよ。
だってもう最初に言うべき言葉でやらかしますから。
こんにちはと言うべきなのか、ようって言うべきなのか。
ようって言ったらやらかしだしこんにちはっていうのもやらかしですから。
もう一挙手一投足やらかしなんですよ。
だから僕は人と話した後で引きこもっちゃうんですよ。
一般的な人と話してる真っ最中に引きこもりだすんですよ。
これ克服するのに大変苦労します。
これは結局何を意味してるかというと母なんですよ。
母の責任じゃないんですけどさっきのようにめちゃくちゃ礼儀正しくいい子いい子に育てられていたので
やっぱり母が激怒するんであの人は簡単にね。
激怒するとめちゃくちゃ僕が気をもみ出すんですよ。
何が何でも母の機嫌を良くするために全知全能を使い始めちゃうんですよ私が。
自然と起こるんですよこれがね。
678ぐらいからは私はそれのプロみたいになっちゃってて。
つまりそれ以前からものすごいやってたってことなんだけど。
8歳ぐらいの時は母の機嫌を直すんだったら私に任せておいてくださいみたいなノリになって。
だから父がですねそれがそれをいいことにあの人は本当に能天気な人なんで。
平気で母の機嫌を踏みにじっていくわけですよ。
それを私があの全力でこう良くしていくと。
その時ついでに肌を掻くとこういうことが起きるわけですよね。
っていうか起きてたわけですよ。
別にうちの両親が悪いってわけじゃないですよ。あれ普通っす。
本当にあれは普通です。
うちのあえて言えばおじいちゃんが良くないですよ本当に。
あれは良くないと。あれは普通ではない。
うちの母とか父はあれは普通です。
とにかくそういう犠牲は起きる時は起きるわけですね。
私はこのままの感じをこの母対私の感じを分かっとけよって言われると困るのよ。
分かんないんだよ。分かんないんだよ。
私はその母を内的対象に持ちながら世の女性に相対しちゃうんで。
彼女たちの顔色を一挙手一投足私の行動と結びつけてしまうんですよ。
だからもうストローで水を飲むと相手の機嫌を損ねるし、
ストローを使わないと相手の機嫌を損ねるし、
やらかしの膨大なリストが溜まって、
家に行って酒を飲んでひっくり返って死ぬっていう感じがしていたわけですね。
この体験が1000回ぐらいあって、
多分1000回では効かないと思う。1万回ぐらいはあって。
この体験が今の私の心理臨床的な何か、
つまり3ヶ月チャレンジには非常に役立ってる気がするんですけど、
妄想かもしれませんけどね。
多分役に立つんじゃないかなっていう感じはするんですよね。
かきむしってましたから。恥ずかしさのあまり。
気づけよって感じがしますけどね。
そのかきむしりがアトピーだろうと気づけよという感じなんだけど、
全然気づかないですよ。
かきむしってる方はこれはアトピーだからみたいな。
恥ずかしいこととはまた別にみたいな。
本当に頭の中でそういう全く理解に苦しむ区別をかけてたんですよね。
今ならビオンのグリッドとかを使って、
この時の私はベータ要素満載だよなと。
いやもうそんな言われなくてもよくわかる。
体中がベータ要素に覆われてる感じなんで、かきむしり続けてるんで。
しかもボロボロになってボロボロボロボロ落ちていくんで何かがね。
落ちているもののいくつかは妄想で、落ちているもののいくつかは単なる皮膚なんですけど。
白質ってやつね。
別に何かに共感してほしいとか同情してほしいっていうことではないんですよ。
これが皆さん誰にでも起きてるんです。
こんなに明示的で目に見える形では起きてないでしょうけど、
これが起きるんです我々にはってことです。
これが起きる人と起きない人がいるんじゃないですよ。
誰でもこれが起きてるんですよ。
だからできないことって絶対あるはずです。何かしら。
それをできなくても困ってはいないでしょうけど、できてはいないはず。
そしてそれができなければいけない社会に生きていれば困ってるはずですよ。
私は彼女が作れないとか女の子と打ち解けて話せないということが困る社会に生きてると思ってできてなかったからめちゃくちゃ困ってた。
これができるようになるまでは何もできないと思ってたんですよ。
勉強だろうと会社勤めだろうと何もできないと。
幸いアホみたいな努力をしたおかげでできているフリができるようになって会社に行けるようにはなったんですけれども、
でもあれはできてるフリだったんで結局内心ではできてないと思ってたから、
女性社員とかと喋るとどうしてもおかしくなっていくんですよね私はね。
自己認識の探索
仕事の話しかしてなかったり、相手の女性上司だったり、私派遣だったんで正社員だったりすると基本的に向こうが上なんですよ。
こういう時僕はものすごく楽になれるんですよ。
これわかりますかねこの変な真理。
特に相手の上司の人が課長とかになると本当嬉しいんですよね。
課長で割と年配の人とかだと何て言うんだろうな。
何て言うんだろう。
やらかしが問題にならないじゃないですか。
例えば私は仕事ができるんですねって言われてその課長さんに言われるとそれが嬉しいって言ってたんですよ。
仕事ができるんですねに対する私の返しはやらかしなんですよ私の中で。
いやああみたいなのがこれもやらかしだからその笑い方なってないだろうっていう。
それ女性に好かれるという意味でですよ。
いやそんなことないですよこれもやらかしですから。
全部やらかしですから。
僕が自分のこのコア色で喋ってること自体がやらかしてる。
でも相手は課長なんでそこを多めに見てくれるんですよ。
これは仕事の関係だから。
私がやらかしているということに気づいていないこともあるし気づいていないと僕が思えることもあるし。
着目すべき点はそこじゃないからって言えることもあるし。
いや結局でも仕事はちゃんとやってるからっていう言い訳がこれが仕事はちゃんとやってるからって言い訳って普通の人は全然違う文脈で使うでしょうけど。
僕は女性にやらかしても仕事をちゃんとやってるからと女性の上司に納得される。
これでokっていう感じ。
私一時本当にそういう女性と結婚したら楽になれるかもって思ったことが一時ではなくて何百回とありますね。
ついに実現をしなかったんですけど。
不倫関係とかじゃダメなんですよね。
これは僕の何かの罪悪感に対する免罪証明書のようなものなのでダメなんですよそんなものでも。
不倫とかだと改めて自体を悪化させるじゃないですかある意味。
そうすると女性上司だったのにせっかくむしろ私のやらかしが問題になるじゃないですか。
気が利かないとか。
もう僕気が利かないとかになったら起死年齢が湧いてましたから。
気が利かない男とかが気が利かないのの塊のような男がここにいるわみたいなそういう感じになっちゃうんで。
だからこういうのって僕はですね僕のは極端だと思いますよ。
でも誰にでもあるんですよ絶対にと思います。
さっきの話と文脈上で言うといい子ちゃんでいるってことが女性にとって何ら魅力的でないってことが問題だったんですよ。
私のいい子ちゃんはすごい極限定空間じゃないですか。
お寺というところにおける子供がしかも坊主になったわけでもない子供が礼儀正しく非常に仏道修行的な意味で振る舞いがなっているということを
母親が評価してくれるってこの文脈めっちゃマザコンじゃないですか。
このめっちゃマザコンな状態をそのまま年下の女性とかにPRしても何にもならないっていうのは感覚的によくわかってたわけですよ。
だけど僕はそれ以外の振る舞い方がわかんないわけですよ。
いい振る舞いとしては粗暴な振る舞いとかめちゃくちゃな振る舞いとかならそれはいいんでしょうけど何やってもいいってならいいんでしょうけどそうは思えなかった。
いい振る舞いっていうのが僕何か文脈上何かがおかしい振る舞いになるかそれともやらかすかの両方同じことなんだけれども両方それしか選べなかったわけですよ。
なのに私は女性の起源を取りたいというこれはだから関係修復に向かう償い欲求っていうんですけど精神力道的にはつまり私はいつでも母の起源は取り戻せますっていうのは私のアイデンティティになっちゃってたから
女性を見るたびにそれをやっちゃうわけですよいつでも起源を良くしますからそれをするために 彼氏彼女の関係になりたかったわけです常時それができるじゃないですか
だからたまたまハマると付き合うってところにはなかなか行かないんですけどねこういう人間 はまたもハマるととても好かれるってことは起こるんですよだって常時相手の起源を取ろうと
既にしてるわけだからそれが私のアイデンティティになっちゃうわけですからね だけどぎこちないんですよね非常にねこれがね
だからそれをぎこちなくなくやれるように性的関係を先に作っておきたい この感じわかりますかね性的関係に入ってしまえばそれは母親との関係ではないのでそうすると
謹慎相関になっちゃいます 母親との関係ではないのでにもかかわらず許容された関係になるので私はいい
だから自分の肉体そのものがえっと周知するべきもの外すべきものだと思ったんで これが ok なら振る舞いはどういう振る舞いでも ok だろうという文脈に私の頭で変換されるわけですよ
だからそういうところからあの静的さリズムっていうものが私の中では上がってくるんですけど これもねなんかこの話が不真面目な話のように捉えられるのか
ても不思議なんですよねこれ以上真面目な話は僕はめっかりできないですね 僕からするとあの私は数学とか理科とか得意だったんであの
三角関数とかあんな冗談じゃんっていう感じがしたんですよ 考えれば絶対わかるでも私がなぜ静的にさリズムでこんなに女性を恐れていて
礼儀正しさの塊みたいなことやってるのかはくら考えてもわかんなかったんですよ 考えればわかることとか答えがどっかに乗ってることだっていうのは
ママごとだと思うんですよね だから真剣に考えるべきことっていうのはやっぱりなぜ私は会社に行くことができないとか
私身体にかかることですねなぜ私はプールサイドでつま先立ちになっちゃうのかとか そういうことだと思ってるんですよ
今でもでこういうふうにして考えたいわけです 仕事ができないということについてですね
あの 週に何回何ができるかを逆算するため逆算しその
あの望ましい生活を送るためにはどうしたらいいのかのアドバイスっていうのは僕には 一切できないです今は
えっとしようとしてももうできないって感じがするんですよ ものすごく無理をしてはっきりってだから嘘をつかなきゃいけない感じがするんですよね
そこにあるな僕は本当のことは何もないって感じがしてますなぜなら私はしてないか ですね
私はタウンこれはクラザの県のそのグッドバイオスに近づくんですけど今この世の中 今6月で天気もいいのであーから中ですね雨どこ行ったんだよって感じですね
庭を見ていますと 空を見ていますと世界は完璧だなって感じ
あの誰だっけ ワーズバースの子みたいですねこれを言ってるねなんかねあの
完璧な世界の認識
この世はすべて 朝7時ってやつですよあれはワーズワースじゃないけど名前忘れた
うーん とにかくそうですよねいばりが泣いていて世界は完璧だっていう
あれはちょっとキリスト教入ってますけどね神が作り保ったものだからってところがある でしょう
私にそれはないけれど まあ世界は完璧だって感じがしますね
世界は完璧だということは自分だけ例外だってことにはできないと思うんですよ 自分も完璧なんだろうなって思うしかないんですよ
私の感覚では私自分が完璧だと思ってないですよ そのなんだろう女の子に全く受け入れれなかった自分の体は汚いとかあったってその残響があるんで
青空見ていたり8目の前のこの紫色の味さえ見るほど 自分というものを肯定的に僕は見られないんですけど
でも多分世界がこういう意味で完璧なら自分は完璧なんだろうな 少なくともここに
これから訪れるべき理想みたいな理想世界みたいなものが私の脳内で作り出したやつが ですね
これより立派なものになるっていうのが私には全然理解できないんですね だから目標はないです
だって完璧なものをより良くするとかって僕には意味がよくわかんない 完璧なものがずっと完璧なままなのに
より良くする理由がどうより良くするできる要素がないだろうと思う ただ何をすりゃいいのかがわかんないくて困るってことは
いやの世の中の養成所 発生しますよね世の中が理想社会に向かっているとかいうわけじゃないですよ
世の中を言うか人間社会っていうのは完璧なんでしょうけどでもあの 人間世界は完璧かもしれないけど人間社会としてはやっぱりあのね
いきなりミサイル撃たない方がいいだろうとかありますからでもそれを実現するの だってえらい難しいじゃないですか
だからあの困り事って起きるんですよどうしてもね 多分この困り事はどこか視野が狭まってるから起きる困り事なんでしょうけど
この視野の狭まりがないとえっと 社会活動なんて多分はできなくなりますから
視野は狭いままなのがしょうがないとして だから世の中の手続きとかですね
やっていくしかないわけですよでそれが意外とできないんですよ だから
確定申告の準備とか私やる気全然しないし えっともうこれは毎回12月になったら
一気にガーッとやって辛い思いをしようということに決めているわけですよ 6月にあれをやるのは私にとっては
あれだな偽善だなって思うようになったのでやめることにしたんですね 時々ありますよ時々思いついたように時々あるのはあれはいいんですけど
毎日少しずつやるとか言ってる私は嘘つきなんで なるべく嘘は少なくしこれは他の人は関係ないですよ
僕がこれをやると虚偽だって思うんですよ 何かから逃げてるだけだっていうふうに思うんですね
あれをやるんならファンザ見てる方がまだしも私にとっては生き方としても圧倒だって 感じがするんで本当にあのやんないんですけれども
やりたくないとかではなくてやるべきではないってやらないんですけど だから理想に向かって何かするってことは絶対やらない
です3ヶ月チャレンジではねしかし えっとアドバイスが欲しいですというのはいいんです
行動を避ける理由
そして私は出せないという空気が流れるしかないんですよ これが東映ドイツか
大量の東映ドイツかないしてい逆転入れという言葉を使うしかないんですよ それを使わないとしたとしても結局は同じことを言ってるだけなんですよ
私がこんなに困ってるのにあなたはそこで黙って見てるだけだと よくカウンセラーの方絶対言われてるし思われてるっていうことを
苦労されていると思うんですよそれでいいんだと思うんですよ もちろんそれに対して何かを提示するという学科があるのは当然であってそれはそれで
いいんですよ でも
ページしないという学科があるのもまた当然であって 私は提示しないという方向なんですよね
今日はなんかちょっと切って強めに言ってみたわけです 結局すぎてるし今日はこれぐらいにします
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