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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
えーとですね、昨日の続きで、最後まで未だにグッドバイブスで解決できていない問題があって、お金の心配をしてしまうという。
当然するだろうって話も当然あると思いますが、そうではないんですよ、これが。
えーとですね、時間が足りないってよく言うじゃないですか。
で、もうこれは散々言い続けていることですけど、時間はなくならないんですよ。
で、時間が足りないというのは、2つ原因がありまして、1つはですね、締め切りが迫っているということをそういう表現で言い換えているに過ぎないんですね。
で、明日までの原稿を出さなければならないけど、あと100ページ書く必要があって、それはとても無理だ。時間がない。
で、この前の時間がないはですね、間に合わないと言っているんですよ。時間自体はあるんですね。
えー、例えばそうですね、1分後に電車が出発し、まだ家から出られない。家から駅まではどうやっても10分はかかる。アウトですよね。
で、これは9分足りないんですよ。それは間に合わないですよね。時間自体はなくならない。
で、大急いで駅に駆けつけた時には当然電車出発しちゃってますが、その瞬間に時間が消滅するわけではなくて、やっぱりそこに時間はあるわけですよね。
ただ間に合わなかったけど、電車にも。
これを機弁だという言い方をする人もいると思うんだけど、えーと、これはですね、私、ただ表現上の問題であって、締め切りに間に合わないってことはありますよね、当然。
けれども、私聞いていると時間がないと言っている人の7割方、締め切りに間に合わないということを意味してないんですね。
締め切り、人によってはですね、私の知っている人に5人はいるんですけど、ほぼ半分ぐらいに人というべきか引きこもりというべき人々がいて、えー、時間がないって言うんですよ、全員。
で、締め切り迫ってる仕事って何か一つでもあったら言ってって言うとですね、一つもない。
これはつまり、時間がないが、この人たちにとっては締め切りが迫ってるという意味ではないんですね。
時間がないんですよ。
締め切りは迫ってないわけですからね、締め切りがある仕事がないわけなんて。
で、そうするとこの心理って何なのかというとですね、焦りがあるという意味なんです。
つまり、時間がないというのは、時間がないんではなく、焦ってるんですね。
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例えばまあ、年を取る前にはっていう言い方をする。
割とこれはね、今仕方仕事を持っていらっしゃらない方がおっしゃるんですけど、年を取る前に何とかしたいっていう言い方なんですね。
これは、つまり焦りを意味しているのであって、タイムリミットについて本当は話してるわけではない。
大きな意味ではタイムリミットかもしれませんけれども、年を取る前に何とかっていうのはかなり漠然としているじゃないですか。
この漠然としている感じっていうのは、焦ってる時によく出てくる感覚で、必ずしもですね、具体的に何分足りないとか、何日必要だっていう話とは全く関係ないんですね。
私は一見多分他人から見ると不毛かつ過酷でしかないと思うんですけど、こういう人にもよくタスクシュートを勧めるんですよ。
なぜかというと、必要なのはタイムマネジメントじゃないんですよね。
必要なのは、私がよく思うんですけど、焦らないことだけなんですね。
焦っても焦らなくても同じなんですよ。人ができる作業量というのは。
だいたい焦らない方がいいですけども、常時焦ってる人はもう同じなんですね。
同じことを同じように同じ時間をかけてするんです。
しかも締め切りは来ないんだから、時間がないってことはありえなくて、時間に関してはですね、あるんですね。
あり続ける。しかも永遠にある。
私たちは現実から一歩も外に出られないので、現在から一歩も外に出られないと自分はよく思うんですが、いつまで経っても現在にいるんですね。
時間があろうとなかろうと現在にいて、未来とかに一秒たりとの足を踏み入れることはできない。
し、過去にも一秒たりとも戻ることはできなくて、常に現在にいさせられ続けると言ってもいいと思うんですよ。
そうすると時間がないことで焦るというのは、むしろただ焦ってるだけで、このことさえわかれば問題なのは時間がないことではない。
これと全く同じことが実はお金についても本当は言えるんですが、これがお金についてなかなか理解できてないんですね。
お金は物質的で無くなるという感覚が強いんですけれども。
で、前に、だいぶ前ですよね。
倉園健装さんのセッションを私受けたことがあるんですよ。
その時いきなり持ち出したのがこのお金がない件なんですね。
で、何と言われたかというと、今お金ないんですかと。
これはですね、私がタスクシュートで必ず最初にする質問ですよ。
今時間ないんですかっていうやつなんですね。
今お金なくはないんですよ。余裕がないんですね。
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私が言うことって結局タスクシュートで時間がない人と同じで、焦りがあるんです、ここには。
もっと余裕が欲しいという意味です。
時間も同じなんですよね。もっと余裕が欲しいんですよ。
ただ時間に関しては、常に完全供給料が保証されているので、もっと余裕が欲しいという言葉には実は意味はなくて、
それは気持ちの余裕ができれば自動的に全部手に入るんですが、お金はさすがにそうはいかないんですけど、結局同じことなんですね。
この話をした時に倉園さんにしてもらったのが、すごい余裕のある人たちのお話だったんです。
お金にね、少なくとも私なんかよりははるかに、その人はいっぱいいます。
そうした人たちは全て、私と同じかそれ以上にもっとお金が必要だと感じていると。
だからこのケースが私自身に当てはまるかどうかは分からないんだけれども、たぶん当然そういうことが起こり得るわけですけれども、
今の10倍稼いでももっとお金が足りないと思う可能性が10倍ぐらいあるってことです。
これは相当考えさせられる件で、結局今日雨ザーザー降ってますけど、私たちってそこに意味付けせずにはいられませんよね。
青空だったらいいのにとか思っちゃうじゃないですか。
青空が客観的な意味でいいとかそういうことではないですよね、これは。
意味をつけるんです、ここにね。
100人が100人ともあるいは1万人が1万人とも青空がいいっていうほど青空というのは絶対的にいいのかというとそんなことはとんでもないですよね。
もしこれがカンカン出りでずっと日出りが続いて水が不足しているってみんなが騒いでいて、
うちの庭もそうなんですけど雨が降ってるおかげでだいたいまともになってるんですよ。
これが10日くらい降らないといくら水まいてもだんだんダメになってるんですよね。
そうすると雨降ってほしいなって心の底から思うようになる。
これはそういうところで意味をつけちゃうんですよ。
晴れがだんだん嫌になってくることもあるのに、今雨が続いているから青空がいいと思っちゃうんですね。
お金の余裕っていうのも非常にそういう相対的なものであって、余裕があると思うか思わないかが決定的な意味を持ってしまって意味をつけちゃうんですね。
お金というのは時間も全く同じなんですけれども、締め切りという付いた手を立てるじゃないですか。
そうすると足りない感じがしてくるわけですよね。
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締め切り、例えば2日後にこれをしなければいけないというような締め切り。
これは人との約束である場合は事実そうなんですけど、それだけではないですね。
昨日タイムマネジメント系のセミナーをオンラインでしたんですけど、そこで話題になったことも基本は同じでした。
例えば今年中に何々をするという目標を立てたんだけど、なかなかそれに向かっていけているということになってないと。
そういうタイムマネジメントの方がむしろ多いぐらいじゃないですか。
そういう話が出たときはその人はやっぱり心理的には焦っているわけですよ。
今年中に例えばですね、そういう話じゃなかったけど、ごく簡単な話として英検一期を取らなければならないと。
だけれどもこのままいったら到底取れそうにはない。
なぜなら毎日勉強を先送りしているからって、これ話よく聞くじゃないですか。
これをタイムマネジメントの問題だということにするわけですよね。
しかし私は今忙しいと、タスクシュートやってて忙しいのは明らかで、どこにも英語の勉強なんかしている時間がない。
これが時間がないですよね。
で、これは人との約束ではないと思うんですよ。
目標を自分で設定したっていうからには英検一期を今年中に取るという約束は自分との約束ですよね。
で、私はよく言っちゃうんですけれども、自分との約束って守ることができないんですよ。
なぜならそれは約束の定義からしておかしいんで、約束というのは人とするものです。
自分とするものではないですね。
だから自分との約束というものを守るというのは根本的に無理なことをやろうとしているので、
時間によっぽど余裕があっても多分できないと僕は思うんです。
で、多分する必要もないんですよ。
何よりもこれをやることによって1年後とか1年以内とかいう、
要するに何の必然性もない、必然性がないわけですよね。
人との約束には必然性が発生するけど、必然性のないタイムリミットを設けた上で、
現在の状況と照らし合わせると時間がないということになるわけですね。
この時間がないは作り出された感覚でしかない。
実際はあるのに他の人との約束は守れているわけだからあるんです。
それに時間ってなくならないからやっぱりあるんですけど、あるのにないという、
まあイリュージョンですよね。ないという心理状態を作り出してしまう。
これが焦ってるということだと思うんですよ。
で、これ今設定するって申し上げたんですけど、設定しちゃってるんですね。
自分でそこに締め切りを設けて、締め切りを設けた瞬間に時間を、
ある時間というものを枠で囲って逆算していくことができる。
そしてこの時間は何々使う、その時間は何々使う。
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全部勝手に決めてることなんですけれども、
そういうふうに決まってみると時間がないという事実が上がってくるわけですね。
お金も同じことができますよね。
何々この金額が使う、何々この金額が使うというふうに決めていくとないんですよ。
食費は10万円かかるとか、
高熱費は全部合わせて3万円かかるとか、
税金に払うお金はいくらだとか。
この中で必然性を持つものがあるとすると私の中では税金ぐらいのものなんですね。
他は極めて恣意的です。
これまで10ヶ月そうしてきたんじゃんというのは理由になってないと思うんですよね。
これまで10ヶ月そうしてきたかもしれないけど、
これまで1000ヶ月そうしてきたかというとそんなことはないんですよ。
だからお金に関しても勝手に今月の予算はいくらいくらっていうことを自分が決めているくせにですね、
何かそのこの設定に必然性を持たせてしまって、
で、ないってことになる。
これだったらいくらお金を稼いでも同じことは確かに起きるわけですよね。
税金も上がるでしょうし、
そもそも収入が増えるとですね、面白いことが起きて、
例えば、
そうですね、
なんかハンバーガーを食べるにしてもですね、
例えばですね、子供にハンバーガーを食べさせるということになったとしても、
収入が100万だったときはもう、
いや、なんかとにかくマクドナルドの100円バーガーだって食べられたら素晴らしいじゃないかって思うんですよ。
100万とかのときは。
これが収入が5000万とかになってくると、
いや、子供に添加物のあるハンバーガーなんて絶対食べさせられないでしょうって思うんですよ。
で、ここは譲れない線に切り替わるんですよね。
これはさっきのタスクシュートなり、英検一級なりと全く同じことが起こっていて、
勝手に自分で必然的であるというハードルを上に上げちゃうんですよね。
そしてやっぱりそう考えてみると、まだお金が足りないよねっていうことになって、
不思議とですね、収入が増えるとその厳しさが増す気がするんですね。
私、これは不思議だなと思ったんですよ。
私は自由業なので、しかもボンピツやってるので、収入の年収の上下って激しいんですね。
ヒットしたことがあるから余計激しさを味わったんですけれども、
さすがに20万部とか本が行くとですね、すごい上がるんですよね。
で、当然全く売れない年もありますから、そうするとすごい下がるわけですね。
で、そうなってみると面白いことに下がった時の方が余裕を感じるんですよ。
上がると余裕がなくなっちゃうんですよね。
上がるとですね、上がったってことは誰の目にも明らかになるじゃないですか。
私の妻にはもちろんのこと、私の娘にすらわかる。
しかも娘は当時わかんなかったけど、
例えば実家の両親とかわかるわけですよ。
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みんなシビアになるんですよ、面白いことに。
むしろ金をこっちに回せぐらいの勢いになるケースもないわけじゃない。
まあなかったけど、でもね、やっぱりシビアになるんですよ。
例えば今みたいな状況で本が全然出てないんですし、コロナになっちゃいましたっていうとみんな優しくなるんですよ。
だから非常にある意味楽になっていく面もあって、
この楽になっていく面ってつまんない小規模なことも含むんですけどね。
例えばですけど、もう本当に例え話ばっかりなんですが、
こういう時になるといいお茶とかコーヒーとかくれるんですよ。
使いかけのものも合わせてくれるんですよね。
で、僕が20万部ぐらい出ていた時には、うち寺やってましたからね、
ご供養しなさいとかって言われるわけですよ。
こういうことがいちいち起こるんですよね。
いろんなシーンで。
今のは全部例え話ですけども、でも確かにどんどん出ていくようになるんだなって思った記憶があるんです。
もちろん税金は高くなりますしね。
自由業でそういう復収入的な、僕の場合分泌は復収入じゃないけども、
いろんな所得が増えてくると比率はすごい上がるんで、
今とは全然違う楽になってたりもしたんですよね。
結局何が起こるかというと、このまま行くとこのまま行くっていうのはつまりですね、
いつまでも10万本20万本売れませんから収入下がっていくじゃないですか。
この支出のままだとすぐ足りなくなるなって思うわけですよ。
この考え方おかしいんだけども、2月3月とそういうことが続くと思うわけですよ。
収入は140万、支出は100万円みたいな状態が続くと、そういうことを考え始める。
で、もう当然これは下がれば同じことにはならないんですよね。
そうするとどっちかというと、上がったり下がったり、
今の140、100っていうのは全然全く実態と何の関係がない数字を出しましたけれども、
多分そういう人もいるだろうなとは思うんです。
で、結局その焦りというものは、そういう不足感というものと常にセットであって、
不足しているというのは必ず何かしらの設定を自分でしちゃっていることによります。
だから私はタスクシュートを使っていて、
常に最近出した本の中でも、
佐々木さん記録って何の役に立つんですか?でも言ってるんですけど、
なぜ未来に計画を立ててはいけないかとか言ってるかというと、
未来の計画っていうのは全部、特に時間を絡めると設定そのものじゃないですか。
予算ですよね。予算を作るということは、自分を恣意的な罠にはめるということになるからです。
予算を作れば予算に沿って足りないという感覚が作られますよね。
決してそれは現実の、現在のお金に対してないとか足りないって言ってるわけじゃないですよね。
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時間なんていうのは特にそうで、
締め切りを設定するから足りないというそのイリュージョンが発生するわけであって、
設定しなければそもそもなくならないものなんだから、
足りないという発想はおかしい発想で出てこなくなるはずなんですね。
ところがこれをやるんですよね、私たちはどうしてもやる。
セミナーとかでもそうです。1時間とか勝手に設定するじゃないですか。
そうすると1時間に対してあと3分しかないっていう感覚が出るじゃないですか。
このあと3分しかないっていうのは1時間という設定をしたから出てくるものですよね。
倉園さんとセミナーしていていつも思うんですけど、
大体押すわけですね。
その時に倉園さんが必ずおっしゃる、絶対毎回じゃないけれどもおっしゃるのが、
過ぎてしまって、時間的にまずい人は退散していただいてOKという、
退席していただいてOKですと。
僕も含めてって倉園さん言うんですよ。
さすがに僕は主催側だから僕も含めるってのはあれだなと思いつつ、
いや僕も含めるってのは僕がいなくなっちゃうのはあれだなと思いつつですね、
倉園さんは本気でこう言うんだよなって思うんですよ、毎回。
で、外してセミナーやってるとみんなそうじゃないんですよ。
全く違うことを考え始める。
今日はこの17時で終わることにしたから打ち切りますっていう感じなんですよ。
せいぜい伸ばしても10分なんですね。
で、その際にもう解散するなら全員解散じゃないと不公平だって考えるんですよね。
で、とはいえ17時以降に何か用事があるかもしれないから
ここで伸ばしてしまうのは良くないって考えられるんでしょうけれども、
僕はセミナーやっててですね、なんかね、両方あるんですよね。
ライフ系はどっちか時間にきっちりしようとされるんですけれども、両方ある。
両方やってみて、まあ伸ばしといたほうがいいよなと思うんですね。
時間はなくならないので。
あの時の感触がすごく似てますよね。
焦るじゃないですか、14時付近になってくると。
倉園さんだけ焦ってないという感じになるんだけれども、焦るわけですね。
あの焦りは人為的に作り込まれた焦りですね。
で、私はずっと付き合うことにしてるわけです。
その後何時になるか分からないことにしてあるわけです。
妻はこれを喜ばないですね。
妻はこれを喜ばないんですけど、僕はここに関しては妻にこの感覚に合わせられるようにしてもらおうと思ってるんです。
同じ理由です。
これをやっていても時間がないというイリュージョンが増すばかりで何にもいいことがないので。
この時間、例えばですけれども、とはいえ人には自分の時間があるからといって
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14時ちょっきりでセミナー打ち切って、その直後からは本を読む。
そういうふうに人間はできてないし、そうすることによって何にも得るところがあるような感じが僕はしない。
結局それはいつまでやってても必要なだけやればいいんだろうなと思ってるんですね。
これがガッチできなければ一旦コミットしない方がいいだろうなと思うんです。
これはちょっとラディカルなことを言ったんでこれぐらいにしますけれども。
要はこれを一度何かについて時間を使い始めているのならば、
そういう本気でやるっていうやつだけれども、本気でやりだしているならば、
よほどのことがない限りそこで数字上の時間に自分の行動を合わせるのだけはやめた方がいいんですよね。
それはあまりにも奇妙なんですよ。
それはまるで校庭に線を引っ張って、ここからそっちに行ったら足がもげますっていうのを信じちゃってるようなぐらい変なんですよ。
そのようなものは全くないのに、そこに何かが本当にあると思い込み始めようと、
みんなでしかもそれをする、集団幻想っていう言い方ありますけど、
全くそういう印象を受けるんですね。
これだけはやめようと思ってるんです。
だから僕は妻とは終わりの時間を約束しないし、
例えばどれほど妻が不機嫌になろうとかまわないから、そこはどこどこに行くことにしてるんですよ。
参加者の人が途中で退席するというのも、自分の判断でできるはずだからいいと思うんですね。
この辺もそうなんですけれども、
私たちは自分の判断でできるはずのことを、大人なら当然できるはずのことを思うばかりすぎることによって勝手に起こり始めるんですよね。
自分でやることができるはずだと思うとか、あるいは言われなければわからないとかいうことは、
当然そういう言い分はあると思うんです。
だけれどもそれについて論争する理由にはならないと思うんです。
そもそも私たちは他人のある意味、精神的ケアをしすぎてる気がします。
これはGood Vibesやるようになってつくづく思ったんですけど、
僕よく言ってたやつですよね。
怒らせないと。
怒らせないという問題は結局、怒られたくないからなんだけど、
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怒らせればいいと最近思うようになったんですよ。
恐れや不安を抱かないというところから来る一つの機械なんですけれども、
怒らせればいいんだと。
なぜなら僕は僕の感覚で動いているから、
今の倉園さんと一緒にやるセミナーもそうですけど、
17時に終わる予定だったのが18時半になりましたと。
1時間半オーバーしましたと。
奥さんが食事の支度云々で、あるいは参加者の人が他の用事があって、
本当は他の人と同じように聞きたかったんだけど聞けなかったって怒ったら、
怒ればいいと思うんです。
怒る権利はあるわけだから。
だけれども、こうこうこうこうこういう事情でこうなったんですという言い分は、
飲めるはずなんですよね。
飲めない理由は多分何もないと思うんですよ。
妻で独自の判断で、まだ終わらないんだなと思って、
娘とお風呂に入るなり食事をするなりできるわけですから、
これをできないと思うということは、
ひどく見下している感じがあると思うんですよ。
だから僕は怒られたくないという理由によって、
ありとあらゆるケアをしておくというのは、
非常に相手を子供扱いしている上にバカだと思っている気がするんですね。
時々あるじゃないですか。
すごく行き届いたサービスというものをされることが、
あれされると私非常に気持ちが落ち着かなくなるんですよね。
ホテルとかがそうじゃないですか。
何かちょっと暑いと冷たいお茶が出てきて、
いいところに行くとですよ。
ありとあらゆることをしてもらえる。
あれをやっているとすごく落ち着かなくなっている。
自分の能力が全然ない人みたいに思えてくるんですよ。
何でもできるわけじゃないですか。やろうと思えば。
冷たい飲み物を買ってくるなりなんなりということは。
あれとよく似ていて、
ありとあらゆることをモンパかろうとするのって、
相手はどこが何にもできない人だと思わないと、
本当はですね、想像力が十分働かないと思うんですよね。
本当に何にもできなければ働くんです。
うちの子が赤ちゃんだった時のことがそうなんで、
あのように本当に自分で歩くことすらままならない
という子のことになれば、
あれとあれとあれとあれをしようというのがすぐ出てくるんだけど、
うちの奥さんにそんなのが出てくるはずがないんですよね。
そんなの出てきたらおかしいですよね。
だから参加者の人もみんな同じで、
怒るということはですね、別にいいと思うんですよ。
自分が自分の感覚で動いている限りにおいては。
で、この相手が怒っても構わない。
つまり、説明十分すれば納得されるはずであり、
十分説明をしても納得されないとするならば、
多分今は接触しない方がいいんですよ。
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これは距離を置いた方がいいとか、
婚輪際に付き合いをするべきではないとかいう意味ではないんですよね。
またちょっと違う意味だと思います。
今はすれ違っておいてもしょうがないぐらいな感じかな。
それでうまくいくはずなんですよね。
これでうまくいくと思っていればですね、
焦らなくてすごいようになるんです。
途中でお話ししたお金の話が近いんですけれども、
コーヒー、僕が収入状態が良くなってくると、
周りは僕に対して当然お金に関してはシビアになってくるっていう話をしましたけど、
つまりそういうことで流動的なんですね、私たちの関係って。
その流動ってのは機械じゃないってことですよね。
お金のようにいくらいくら払うというふうに決めているとか、
親が子供にはいくら毎月出すぐらいが妥当とかそういうことによって、
相手の状況とは何の関係もなくくれたり、
要求したりするっていうことにはならないはずなんで、
そこは融通ってものが必ずあるじゃないですか。
その融通が結構人の状態を変えていくので、
だからなんですね。
勝手に設定しちゃいけないと思うんです。
勝手に設定するってことは、
つまり融通が全く効かないという方向に自分で自分を追いやることになっちゃうので、
だから何時何分に終わるとか、
いついつまでに何をするっていうことを極力やめることによってですね、
自分の心に焦りを生まなくなる。
この焦りがもし全く生まれなくなったらですね、
時間とかお金が足りないとかないという感覚も多分消滅すると思うんです。
現に私は時間は消滅してるんですよ。
もう足りないとかないと思うことは全くないんです。
もう間に合わないだけなんですよ、存在するのは。
間に合わないというのは事実あることですからね。
それと同じようにお金がならないんですね。
手元に支払うべき現金がないですってことはなかったわけですよ。
お金もそういう意味では時間と全く同じように捉えていいはずなんだけど、
お金は先読みをしちゃう。
これをやめられるようになったら多分、
もう一つやっぱりですね、風景が良くなるだろうなと思うんですね。
ちょうど今見ている雨が鬱陶しいという感触を全く持たなくなるような感じになれば一番いいわけですね。
私の目にはどうしてもうつうつとして暗いっていうのが昔ほどじゃないんだけど含まれていて、
これがまさに意味付けなんだなって見ていて思います。