3ヶ月チャレンジの意義
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1182回をお送りします。5月13日火曜日7時37分です。
うん、早いですね。明日はこうはいかないんじゃないかなと。まあ月下後早起きすると、やっぱ疲れていきますから。
週5回学校ってのは多い気がしますよね。週4回にしてほしいなというのが、まあ勝手な願いでありまして、お知らせはありません、現在のところね。
あ、今週の土曜日にですね、また、今度はJ松崎さんも一緒なんですけど、厚さんと、
夫婦関係学ラジオの厚さんという方と、まあ夫婦関係絡みの話を、今度は3人なのかな、わかんないんですけど、ちょっとすることになっていたりしますので、
ポッドキャストでですね、まあ楽しみではないかもしれませんが、楽しみにしていてください。
はい、その厚さんともう、JJJのね、おとといお話をしていきまして、
このところでですね、私が相変わらずやっぱり言い淀むんだなと思ったことがありまして、3ヶ月チャレンジというのは何を目指すんだ?
これで、もう答えたところで、一言で答えたところで、大したことに、この話にはならないし、
誤解を招く気もするんですけど、まあやっぱり、この番組の方にはおなじみかもしれませんけど、改めてちょっと考え始めたわけですね。
やっぱりこういう、注入されると無意識が考える。まあ、僕はこういう風に考えてるわけですよ。
そんなことは本当は起きてないのかもしれないけど、とりあえずそういう風に考えてるわけですね。
だから注入すれば無意識が考えるってことが、ある意味一つの答えなんですよね。
投げかけておけば、勝手に何かが育つよねと。やっぱりね、植物と似てるんですよ。
羽を植えとけば、途中で勝手に何かが育つでしょうみたいなところが、3ヶ月チャレンジには。
分にありまして、精神分析というか精神力量と言いますか、的な考え方をどんどんどんどん種をまこうと。
で、あとは水と肥料をあげておいて、妥当な種であればですね、何か良いこと起こるんじゃないでしょうかと。
良いものが、花が咲くんじゃないでしょうかというのが、めちゃくちゃ無責任な言い方をすると、これが3ヶ月チャレンジとも言えなくはないんですよね。
僕はかなりこのことを信じていて、だからその当日もね、変容とどのような変化を起こすのか、それは分かんないんですよね。
何か変化は起こるでしょう。でもそんなこと言ったら3ヶ月チャレンジに参加しなくたって何か変化3ヶ月間あれば起きるわけですから、何の変化もなく人は生きてはいけませんからね。
だから変化はするに決まってますから、まあ毎日毎日毎秒毎秒変化してるわけですから、それを望ましい変化にするんじゃないのかって言われるんだけど、問題なのはその望ましいなるものを僕が知らないってことなんですよ。
で、僕が信じていることは、人間誰もそんなものは知らないってことなんですね。望ましい変化というのはどっちの方向に向かっているのかなどということを、私は知らないし、参加者の人も知らないし、
世界の誰も知らないっていうのが僕の信じているところなんですけれども、これを信じる信じないところに一つの価値観がありますよね。
僕は断然全く信じてないから、変容というものは起こすものではない。勝手に起きちゃうものであると。勝手に起きちゃうものなんですが、だからまあしなくてもいいんですよ、そんなことはね。勝手に起きるんだから。
だけれども、3ヶ月チャレンジでは望ましい変容を必死になって食い止めようとする力を緩めるというのが目標ですね。そういう言い方をするなら。
例えば、土中に種を撒きわして水やってます。肥料もやってます。しかし夜になるとなぜかその人は除草剤をその上から撒き散らし始めます。これをやめてみましょうねということですね。
あるいはもっと露骨にやる人によっては、雨が出てきました。そしたら石でガンガン叩き壊します。それはやめましょうねと。それも一つの変容なのかもしれないし、実は石でやるということにこそ大事な意味があるのかもわかんないんだけど、そこまでは人間、そこまでは期待できない。
そういうことまでを含めていたら本当に宗教になってしまう。だから多分目が出た方がいいとここは考えてですね。放っておこうねっていう。その放っておくってことが大きな意味でできなくなっているというのを放っておけるようにするサポートが3ヶ月チャレンジ。
変化に関する考察
これは僕の中ではですね、あの日にアツさんとお話ししている中でこれ思いつけば、この通り言うかどうかは別としてね、これ思いつけばよかったなと。はい、事後性なんですよ。そうなんですよ。こういうことはね、後から思いつく。なぜ後になると思いつくか。それは僕の考えでは私の無意識が勝手に考えてくれていたから。
だけども、無意識が答えを出すのには、それ相応の時間が1月か3日ぐらいはかかる。で、この3日かけて出てきた答えがアツさんが聞いていなければ直接の意味はなくなってしまうんですが、聞いているか聞いていないかに関係なくこの3チャレンジでは答える。
なぜかそれは皆さんの無意識にこういう戦が入り、それが皆さんの無意識の中で良い成果を出してくれると、僕がこれは勝手な期待ってやつですね。勝手に期待してるから。で、私はそういう無意識の力を信じてるってことですよね。このことも3ヶ月チャレンジというものの中には含まれるわけですよ。つまり無意識というものに信頼を寄せましょうね、もっとってことなんですよ。そういうことですよね、これはね。
意識的な変容を引き起こそうとしないということは、にもかかわらずそれが社会の役に立つと思っているということは、無意識的な、無意識なんでこれは完全に無意識ってところが非常に大事なんで、意識できない、わからない、気がつくこともない。しかし良い結果を勝手にもたらしてくれる。
だって私たち土中で何が起きてるか、NHK得意の土中のカメラみたいなのをやってない限り、あれが私はある種の精神分析の学科における一つの努力だと思うんですよね。土中カメラですよ。だから無意識の中で何が起きてるのかをモニターできるんだぜみたいな。でも私はできないから、そこまでやろうという気はないんですね。
そこは無意識でこういうことが起きているに違いないという、各種精神力動系、精神分析系の知見を使って、きっとこういうことが起きてるんだよね。上手いことやっておいてほしいよねと願っておけばよいぐらい。
願いますみたいなのだと、やっぱり宗教っぽくなるんで、願ってるだけなわけじゃないし、祈ってるだけなわけじゃないんだけど、でも私は祈ったり願ったりしてますね。この人にとって何事もうまくいきますようにみたいな祈りはしますね。すごい無責任かつ曖昧な祈りですが、世界が平和になりますようにのレベルとあまり変わってない気がしますが、
しかしですね、この種のことを真剣に望みながらことに挑んでいればですね、ちょっと違うんじゃないかっていうのもちょっとあるんですよね。そんなに劇的な違いが、ちょっとここで途切れたかなと思うんですけどね。劇的な違いというのがどうしてよく取り沙汰されたり問題になったりするかというと、
例えばこの3ヶ月チャレンジも3ヶ月と歌ってるわけですよ。3ヶ月と歌ってるということは、一応3ヶ月で成果が出ないということになると、看板に偽りがあることになってしまうんだけど、実際に3ヶ月で成果が出るはずがないという原理的なところも現実にあるわけですね。
つい先日、松木邦博さんのある症例、その症例も真実そのものを書いてしまうとプライバシーの問題が出てくるから、最近で言うと個人情報保護の観点から色々と変装を仕掛けてるとは思うんですけども、そうは言っても多分近い事実あったはずだと思うんですね。
ある症例で、大事なのはですね、この症例は私の目から見るとはっきりとした、先日もちょっと話したんですけどこの話もね、はっきりとした成果が上がってるけど、なんと12年かかってるわけですね。足掛け12年。
で、しかも本当は精神分析ではそれはやんないことになってるんですけども、期限最後にセットするんですよ。もう1年で終わると。で、これはつまり精神分析から心理療法にちょっとシフトチェンジしてるわけですね。心理療法ならそういうやり方あるんで。
だけども、その心理療法なのか精神分析なのかというそういう極めて専門的に高度な話は一旦置いといて、12年という歳月から見ると3ヶ月ってあっという間じゃないですか。48分の1ぐらいじゃないですか。だからあっという間ですよ。2%ぐらいですよね。
それで同じ成果が出るわけがないじゃないですか。だって方や精神分析の大科の方が12年かけてやっと一定の成果にこぎつけているのを、僕が3ヶ月やってどうなるっていう話なんですよ。
で、さっきのこの話と土中に種まく話が。土中に種まいたらもう待ってるしかないんですよ。それはもう3日で芽が出る、でも3日待たなきゃなわけですよね。なんか3秒で芽が出るとかなら話はわかんないかもしれないけど、つまり我々はですね、この感覚に慣れちってしまっていて、時間間隔が多分我々みんなおかしくなってるんですよ。
そんなに早く変わるわけがないのに、そういう速度でなければ、例えば作種だとかって話になっちゃうわけですよ。よく非正規がダラダラと、この話も聞き飽きてるかもしれませんが、非正規がダラダラと作種してる言うんだけど、正規だって大科の方が12年かけるわけですよ、ケースによってはね。
で、なんでそれは作種じゃないと言えるかというと、それは正規だからってことになっちゃうわけですよ。僕はですね、そういう悩みの断ち切り方、これはだから正規だからっていうのがずるいって言いたいんではなくて、そういう悩みの断ち切り方ができるわけがないと思うんですよね。
現代の我々はみんなおかしな時間間隔で生きてるんですよ。早く成果を追って、普通の意味で言ってもダメなぐらい早すぎるのに。だからもう、目が出るまでに1週間かかりますって言ってるのに、10秒で出さないと、作種だとかって言ってるのと変わらないレベルに入ってきてるのに、なおこれを早めようとしちゃうわけですよね。
成果のタイムフレーム
3ヶ月チャレンジを3ヶ月で終えなきゃいけないという設定をしたのは私なんだけど、ここにももう必然的に悩まなければいけない理由があるわけです。3ヶ月で成果見るのは、大原理的に無理だろう。力量的に無理とかじゃなくて、原理的に本来無理だろう。でも、これを6ヶ月チャレンジにしてしまったのでは何かがダメなんですよ。
それは現代のニーズにはやっぱり、私がやってるこの仕事を6ヶ月チャレンジじゃダメなんですよ。多分。わかんないですけど。でも何か違う気がするんですよね。6ヶ月チャレンジにして10万にするとか。一層値を下げなきゃならないくなるし、多分15万ですでは通らなくなっちゃうと思うんですよ。だから10万ですみたいな話になりかねないんですよね。
6ヶ月10万でさせていただくとなると、私も多分にやっぱりダメ、潰れてしまいそうなっていうか、キャパシティを超えてしまいそうに思うんで。それに6ヶ月かかりますっていうのは、それはそれで多分受け入れられないと思うので、結局3ヶ月にしなきゃならないんですよね。しかし6ヶ月だって本来足りないんじゃないんだろうかと考えつつ。
でも3ヶ月と看板で歌うのがまあ妥当なところであろうと。この悩みが正規になったから消えるっていうのはおかしいと思うし、なんかブリーフにするから消えるっていうのもおかしいと思うんですよね。この悩みは尽きるはずはないと思うんですね。
で、その夫婦関係学のアツさんと話していて、やっぱり思ったのはですね、いつまでも来るっていうことがそもそも、彼は良心的な方だから多分問題なんだと思うんですよね。しかしですね、このいつまでも来るのがいけないということになったらですね、いつまでも来るんでは解決してないじゃないかって簡単に言うんだけど、そのいつまでもってのが一体どのくらいの長さを言ってるんだろう。
なって思うんですよね。いつまでも9ヶ月とかね、短すぎる。だから12年っていうのを僕は念頭において考えてるわけですよね。しかもそれだって終結期限切ったわけですよ。
松木さんも同じようなことを書かれてたんですね。同じようなことを悩むんですよ、みんな。私は長くダラダラとやってしまっているんじゃないんだろうか。実は自分がお金に貪欲でとか、本人そんなことを信じてるのかなと思うぐらいなんですよね。誰もそんなことを信じないですよね。あんなこう、なんかスーパーストイックみたいな人が、金のためにわざわざ、しかもすっごいなんかね、こういう言い方はいけないんですけど本来。
私はそうは自分やってて考えないんだから、松木さんがそんなことを考えるとも思わないんですけど、まあ大変そうな方なんですよ。そうは言ってもね。あの人を辞めてしまった方が、で、キャンセルは事前に、松木さんのこれはシステムなんですけど、事前にキャンセルを連絡してきたところの会のお金は取らないと。
でも、絶対思うんですけど、松木さんという人はそういう人の気がするんで、枠は空いてんだろうなって思うんですよね。結構損失でかいですよね。プロイトのあのセリフじゃないですけど、8人で真っ赤なってる精神分析だとしたら、えっと、1人がずっと休んでたら8分の1が収入で打撃クラウンドゾーンみたいなやつですよね。自動車事故とか起こして、なんか200万とか損害分払ったのと変わらないことが起きるんだよっていうことを書いてるわけだけど、そういうことになっちゃう。
精神分析って、小人数長長話の究極形みたいなところあるから。と考えると、12年のうちにキャンセルを繰り返している人、キャンセル繰り返すから12年とかになるわけですけど、来られないんですよね、その人にしてみれば。でも、それもすんごい実は過酷じゃないですか。
作手とかダラダロとかって、よくどうしてそういう表現が簡単に出てくるのかという、ちょっと私ここのところに偏見があるかもしれませんけど、でもですね、恋って言うわけですよ。私のなんかまだオンラインだから非常にキャンセルが少なくて済んでるんだけど、行きたくないですよね。私絶対行きたくなくなると思うんですよね。だって行ったってはかばかしく進展しないし、でも必ず精神的にはすっごい辛くなるわけですよ。
変異性恋愛とかもそうですし、また全く逆にこのカウンセラーは怒ってるんじゃないんだろうか妄想みたいなのもあるわけ。そしたら怒ってる人のところに毎日毎日一歩間違うと行かなきゃなんなくて、先生怒ってるんじゃないですかみたいな。
先生はいや私怒ってませんよとは言ってくれないはずなんですよ、精神不適気では。あなたは私がまだ怒ってると思っているんですねっていう解釈に入る。これって全然怒られている恐れを抱いている人にとっては救いにならないじゃないですか。で結局この人はまた妄想が戻っていくわけですよね。
まあこんなことをですね、キャンセルしたくなるのは当然であってしたがってめちゃくちゃ長引くわけですよ。3ヶ月になってあっという間なわけですよ。先日ね5月11日のそのJ松崎さんのJJJの中でJさんが1時回3時回まで4時回までやったのかな。
1時回のお昼の冒頭でいきなりこう今すぐにあの完全燃焼するんだみたいなこと言ってたわけですよ。あの1時回で温めて2時回で燃え始めて3時回でバーニングとかやってるとあの気が付くと終わってるからっていうねそういうもんなんですよね。
事後性って本当によく言ったもんだなと僕は思うんですよ。ああしとけばよかったと後から振り返って思うのが私たちじゃないですか。3ヶ月ってまだ一瞬ですよね本当に。何にもしないで過ぎ去るのですが、それでは私の立場としては困るわけですよ。
3ヶ月で一定の成果を出さないと。ここにジレンマがあるんですよ。それは正規になったらなくなるジレンマじゃないし力量がついたらなくなるジレンマでもないし、要するにそのジレンマはこの現代社会のこの狂った時間間隔の中では多分消滅しないジレンマですよね。
このジレンマを解消することができたりすればもう問題は半ば解決したようなもんだ。8割方解決だなぐらいに思ってもそれも極端な言い方なんですけど日本人の好きなことわざみたいなもんなんですがしかしですねやっぱりそうなんですよ。黙っていられるんならもう解決ぐらいな感じなんですよ。
自己受容の重要性
私はよくこの番組で言ってる通り、もう全然彼女が全くできない病にかかっていたわけですが、あれ結局今できない時期なんだってことが本気で受け入れられていればその瞬間問題解決してるんですよ。その瞬間彼女ができるって話じゃないですよ。
そう考えちゃうからいけないんだけど、やっぱりそういうことはもういいんだって思ったらもうその場で少なくとも7割は解決するじゃないですか。他の人そういう人いっぱいいるわけだから。で、ひもての品格っていうね、この番組で時々取り上げてる本ですけど、まあ僕の心情にものすごい言い当ててくれていたような本が、あれを大学当時に読めばよかったんだけど出てなかったけどね。
問題が解決した後で読んだ本なんですけど、また自己勢ですよね。
まああそこに書いてある通りである男性が言ってるんですよね。他はいいんだと。出世できなくてもいいんだと。いい仕事につけなくてもいいと。何にもなくてもいい。ただ性愛だけは自分は満足したいんだと。いい女性と巡り会いたいんだ。これだけは譲れない。
あの心理にハマっちゃうんですよね。私もそうだったんですよ。なんであの心理にハマるのかなと。で、その著者の人が自分はアトピーだったからセックスできないと信じてたみたいなことを書いてて、あれも僕にはあったんですよね。やっぱり肌がこうだしなみたいな。なんかボロボロだしなみたいな。
で、著者さん面白いことを書いてて、そういう関係になった女性にいやアトピーだったんだあなた。気づかなかったって言われたと。こういうもんなんですけど、でもそれは大抵が納得できないんですよね。自分の主観としてはこれほどひどい病気にかかっていて肌もこうぐじゅぐじゅだから見た目もひどいしみたいになるんだけど、相手は気づかなかったりするんですよ。
セックスしてもね。これはびっくりなんですよね。本人にしてみると。だから性愛これだけはって言ってるのに、アトピーこれだけはかけ合わさってるわけですけど、なんでこれだけは絶対解決しないといけないと思ってるのかなと。
今これを聞かれてる方でね、同じように悲惨な状況にあって、くぐり抜けたやつとそれはいうことだよって思われるかもしれないんだけど、くぐり抜ける前に必ずどうしてもとても無理だと思われるかもしれないけど、でもやっぱりですね。私は心理カウンセラーがすべてそれを言ってる。ほぼほとんど少なくとも長くかかるんだということを理解している人はみんなが言ってることとして。
この問題が解決しなくても構わないだろうっていう心理状態に入れる瞬間がありまして、それがないとなんかですね、具体的に実態的にも解決しないような気がするんですが、ここ逆転させられないんですよね。恐ろしすぎて。
彼女ができなくて困ってる私は、できなくてもいいんだが結局先に来たんだけど、できなくてもいいんだと思ったらもう本当に永遠にできないような気がしたから、やっぱりできてからできなくてもいいんだになろうとしちゃうんですよね。この順番が逆なんですよ。
自分で引っ張ってるってことなんですよ。つまり問題の解決はすぐ目の前であるんですよ。これはクラスノフェイゾーさんのグッドバイブスですよね。今すぐ直ちに価値マックスだと信じることができますと、彼は持って言うんですよね。
彼の核心の根拠になっているのは、要するに借金で夜取り立てに来られて、バチンコのギャンブルばっかりやっていて、価値マックスとかって信じる根拠が何もなかったじゃないですか。でも、その時に価値マックスだと思えないんだったら、結局のところは人は何かを成し遂げたから、東大出たから、借金ないからとか、1億稼げるようになったからとか、何々だから価値があるになってしまうじゃないですか。
価値マックスは価値ゼロのどと、社会的にはね。てか、価値マイナス1万ぐらいでも価値マックスだと思えるのが先に来ないと、やっぱりダメなんですよね。ところがこれは、時効に来るんですよ。時効性なんですよ。私も、あのグッドフェイスを読んだ時、これは良い発想だなと思ったんですよ。悟ってから価値を理解するとか、そういうのではなくて、だって結局仏教でいうところの、人はみんな悟ることができるんだからってことは、
一切は空でいいってことだから、自分のががなくてもいいってことだから、だったら、ががありまくりで煩悩ありまくりの今だって、結局同じことじゃないですか。一切は空なんだったら、結局それは空だってことじゃないですか。気づかなくてもですよね。
まあそういうような考え方って大乗の中にもあるような気がするんですけども、とにかくそういうことなんですよ。価値マックスなんだから、価値マックスだと信じようとしない場合と価値マックスなんだと。だから、だったら早いところをさっさと信じてしまったほうが、つまり、あの倉野さんの発想の僕はとってもユニークなところは、そこで言われている内容そのものではなくて、内容と自分の関係というものについて、
現代社会のニードニーでね、答えてるところだと僕は思ってるんですよね。しょっちゅうそういうこと言ったり思ったりしてます。つまり、一切空だとか、今ここだとか、一つ意識だとかは、他の人が明らかに言ってることなんですよ。
彼が思いついたのかもしれないし、考えついたのかもしれないし、誰かに教わったのかもしれないし、どこかで読んだり聞いたりしたのかもしれないし、それを思い出したのかもしれないんだけど、そこは大事じゃないんですよ。大事なのは、今すぐそれを自分に適用していいって言い切ったところなんですよね。もちろん、そういう発想だって地球広いんで、地球の裏側とかで言われてるかもしれないんですけど、なかなかこれはね、今までの宗教と自己啓発でもなかなか言われてないんですよね。
何をしてから、修行してから、行き着くんですけれども、彼はそうじゃないって言ったわけですよね。今どういう状況にあるのかと、ガチMAXで、自分は完全無欠で、不幸になることは絶対なくて、今ここで一つ意識なのは事実なんだってところから入ったわけですよね。
ある種の逆転がそこにあったんですよ。私はそれは非常に画期的だと思いました。私がでも分析でやってることも、分析家が分析でやってることとか、私がサンチャでやってることも、結局このジレンマを抱えてるということ、つまり早く成果を出さなきゃいけない。成果を出すには、この何倍もの時間がかかるのは現実である。おそらく真実であるっていうのはジレンマになりますよね。
3ヶ月で成果は出ないが、3ヶ月で成果を出さなきゃいけないってことになってくると、出るということを確信しきって、その場に臨むより他、しょうがないんですよね。出るんだと、というか出てるんだということを確信しきって考えてみると、どういうことが言えるだろうみたいな、こういう発想を取るより他、仕方がないんですよ。
事後性の探求
出てからにしましょうって言うんでは、たぶん3ヶ月なんかじゃ全然ダメだし、そもそも出てからにするってことは原理的にありえないんです。彼女を作ってからどっちでもいいことにしましょうってことはありえない。作るのが先に来ちゃうと運が良くですね。私は絶対作ることの価値というものがあるっていう観念からむしろ逃れられなくなっていく。
だからやっぱりこの種のことは手放したければ、その事実が現実を自分が享受する前に、その事実に気づくより他ないんですね。だから自分で一生懸命、種まいた上から助走台をまいて、その上から重い石をくっつけて、さらにシートをやって、目が出ないなっていうのはやめるしかないんですよ。
これをやる限り時間がかかるに決まっているんですよね。というか時間がいったら経っても目が出ないわけですよ。この目が出ないように自分でしてるってことに気づきさえすれば、ただ気づいた瞬間に目が出てくるわけじゃないんだけども、だから目が出てから気づきたいんだっていう、目が出てからシート取りたいんだっていうのは順番が逆なんですけれども、これが我々がなかなかできないことですよね。
で、たまたまなんかの表紙に助走台を巻くのを忘れてて、シートも風で飛ばされていたら目が出てきました。あ、そういうことだったんだと後から気づくんですよ。これが事後性なんですね。今日は事後性の話になっちゃったな。
で、ついでに事後性ついでになんですけど、昨日ユングの話を投入してきたじゃないですか。あれこそまさしく事後性ですよ。あれんなものは事後にしか気づきようがないですよ。おそらくご当事者の方は事後にすら気づくのが非常に難しいと思うんですよね。
3台4台かけて、この願望というのかな、どうしても果たし得なかった物作業が3台かけて物作業を悪するしました。そりゃないだろうと思うと思うんですよ。損失して苦しんだ人にしてみれば、対象を損失して苦しんで人にしてみれば。
子供が失った対象を回復したところで何になるんだって思うじゃないですか。しかしそういうことは現実にはいっぱいあるんですよ。でも現実自体言うじゃないですか。私の子供に夢を託すって。あれ結構現代では批判されるんだけど、夢があるならお前が叶えろみたいに言われるんだけど、私はあれは心ない発想だなと思うんですよね。
ここにもやっぱり現代的なものがあるんですよ。その主体とか個人とか個体に過度に何かを詰め込もうとするっていうところがあると思うんですよね。そして結局それは急ぎすぎってことになるんですよ。10秒で目が出ればいいってもんじゃないと思うんですよね。つまり。
しょうがないですよ。ある程度は。今はもうね、1時間の動画を1秒でAIが作ってくれますし、これがもう0秒で作ってくれるようになるのも時間の問題でしょ。だからどんどんどんどん早くなっていきます。待てないということが当然起こります。これはもう受け入れるしかないんですが、しかし待たなければ得られない成果というか、待たなければわからないことって必ずあるんですよ。
成果はいくらでも短縮できるかもしれないけど、だからといってそこで自分が望んでいることが何で何が満足されたのかに気づくにはやっぱりもっと遥かに長い時間がかかるんです。しかもここを早めるということ自体が倫理上矛盾しているんですよ。
早ければ満足できるわけじゃないのに、実際の成果を早くしてしまう。そうすると不満がむしろ募るんだけれども、このことには早ければ早いほど気づきにくくなっていくっていうジレンマが我々の中にあるんですね。
私は実際には、だからこれも2つあるんですけど、父は作家になりたかったんですよ、坊主とかじゃなくてね。小説家になりたかった。この父の対象喪失ですよね。結局無理やりのように坊主にならされて。
うちのおじいちゃんそういうところは気のいい人なんだけど自己愛の強い人だったから、私は絶対に正しい。お前は坊主になるんじゃってことで坊主にさせられてしまったわけですよね。
でも抵抗してグレて北海道とかに行ってみたりいろいろして、そこで小説を書くとか無駄なことをしていたわけですよ。
私が今から読んでも、これで小説家にはなれないねって感じがするんだけど、父なんかは、でもその原稿を後生大臣にまだとっておいて、私に今さら読ませるというね、これぐらい自己愛の強いところがあって、やっぱりね、いいだろうって感じなんだけど。
どう考えても時代遅れでしょってか、それはしょうがないんですけどね。この人が60年前70年前に書いた小説が今時代にフィットして、いや村上春樹顔負けですみたいな。
うちの父なんかは自分は村上春樹顔負けのものはいつでも書けるぜぐらいにまだ思ってますけど、まあ無理ですよ。
で、それはいいんですけど。で、小説を私が本を書いて出してるじゃないですか。これが時期に取り返されるというか、私はそのユング的だなってやっぱ思うんですね。これはもうプライン的じゃないですよ。
自己認識と満足感
今なんで自己愛自己愛言ったかというと、うちの父の万能空想ですよね。あんなですね、なんかもう昔の原稿用紙みたいな、今時あんなの誰も受け取っちゃくれませんよね。
みみずののたくったような字で、一発の作家のような顔をして書いてるわけですよ。これが本になったら、まあ古田川賞確実だなぐらいに思ってるんですよ。心の奥底ではね。万能空想ですよね。
でも完全に失われてますよね。明らかにどう考えても無理なのは現実に明らかですよね。対象喪失が起きている。彼はワークスルーしきれてないから私にそれを読ませる。しかし私は作家なんですよね。
もちろん父に言わせれば、お前のような本を出す奴は作家でもなんでもねえってことになるでしょうし、だいたい書いてるのはなんかよくわからないハウツーものみたいなんじゃないか。あんな安っぽくて淺白で浅いとか言いつつ書いた奴を全部読んでいくところがうちの父の病理なんですけど。
そしてこの間出た先送りゼロも一生懸命批判するわけですよ。それをメールで送ってくるとかね。もうめんどくさいから読まないんですけどね。なんか横文字が多すぎるとかね。なんかいろいろ書くわけですよ。一橋のことをね。非常に万能感強いなと。この人はワークスルーしきれてないなここはと。
ただそこがあんまり周りの人に有害な形になってないところはやっぱり立派なもんだなと思うんですよね。そこが坊主なんですよね。だからあの人は本人がどういうつもりでいたかわかんないんだけど、あの私のおばあちゃんが言った通り、いやーあれはね、坊さん以外に何もできないよっていうあれ正しいんですよね。周りの人はよく知ってるんですよね。
その人から坊さんの職業を取り上げちゃうからなかなかうちの宗派もいっちゃってなぁと思うんですけれども、まあそういう人なんですよ。で結局のところしかしうちの父のニードは私が例えばスピードハックスとかを出すことによって満たされてるんですよ。ものすごく変わりましたもん。私が本を出すようになってから。私に対する態度が。結局こういうことってあるんですよ。
別に夢を私に固くしたとは思わないんですよ。うちの父は決してビジネス書が書きたいと意識的に思った瞬間はないでしょう。どっちかっちと得意じゃないですしね。
でもまだレッツノートで一生懸命文書書いてるんで、いやーもう本当に人間の喪失した対象というもの、それを取り戻すということの苦労は並大抵ではないし、こだわっちゃうんだなあっていうのを思うんですけれども。まだあのね、コーボガイドみたいなの、コーボガイドのネット版ですけど、どこに投稿するか一生懸命考えてるし。
まず形式を合わせることはワードで私がやってあげてるんですけど、でもレッツノートもかなり旧式なんで、時間がかかってかかっちゃわないんですよね。しかもうちの妹がそのレッツノートを持ってっちゃうということをしちゃうし、なんかもう本当にいろいろありますけれども。
まあ見ていて本当に何とかしてあげたいんですけど、今更ね、でもね最新のMacとか買っても多分使えないでしょうしね。難しいんですよ、本当に。毎晩毎晩電話かかってきて、今日このファイルってところの差っていう全く同じような話をずっとしてますから、もう本当に無理だって思うんだけれども。でもまだ2万字とか書きますからね。終年だよねあれは。
で、これは私によって一応ワークスルーされたんだけど、本人にしてみれば、いやそれはだってそんな自分が書きたいわけでもないし、大したことのない内容だし小説じゃないし、そもそも書いたの息子だし俺じゃないしってことになるんですが、やっぱり僕はそうではないと思うんですよね。
この形しかありえなかったし、この形がありえたんだから、これで満足するべきなんですよ。ナルシズムの誰だったっけ、本。別にこれはもうオススメでない本なんで、タイトル思い出せなくてもしょうがないと思うんですけど、ナルシズムの本があって、その中にあるんですよね。
アルコール依存症の人が、もう家帰ってくんなと奥さんに厳命されている。もう二度と飲んだら絶対家に入れないみたいなことを言われている。病棟の方でも酒を持ったまま入ることは絶対許しませんみたいな。そして酒瓶を手から離せなくなっている。病院の近くの公園に行って雨も降ってきたと。悲惨ですよね。
で、どうしたもんなんだろう。もう死ぬしかないんだろうかと考える。手にはワイン瓶があって手放せない。でも妻は家に帰ってくることはもう許さないという。病院にも戻ることができず、公園には雨が降ってきている。
ふと思いつくんですよ。死ぬしかないのかなと思った次に思いつくんですよ。あれ、俺酒やめてもいいんじゃない。僕が言いたいのは、まあそういうことなんですよ。
普通の人なら当然酒やめてもいいでしょう。でもこの人だって何度も何度も禁酒とか断酒とか、日本人じゃないから柱に張ったりはしてないかもしれませんけど、そういう決意とかはしたはずなんですよね。神に誓ったこともあると思うんですよ。そういうことではないんだと思うんですよね。
やっぱり酒のない人生を送ったって構わないんだ。でもこの人はそういうことに気づけないんですよ。私がいや一生童貞でもいいんだとは思えなかったように、一生アトピーでもいいんだとも思えなかったようにですね。
表の品格っていう本を興味ある人は読んでみてください。そういう男の人がゾロゾロ出てきます。いやダメだろう。性愛だけは譲れないだろう。金がなくても出世しなくても、天外孤独でもいいが性愛は譲れないだろう。
これは他に何もなくてもいいけれども、ワインだけはダメでしょ、寝放せないでしょって言ってる人となら変わらないじゃないですか。やっぱり多かれ少なかれ、もっと柔らかいけども、三ヶ月チャレンジにいらっしゃってる人の言い分を詰めていくとそこに行き着くんですよね。
これだけは譲ることができないと。事後では困ると。この対象喪失だけは先に得て、他のことはいいから。人生で他のことは妥協できるけど、この点だけは諦められない。うちの父が結局小説家なるものになることが諦めきれてなかったようにですね。諦めきれないものがあるわけです。
坊主以外の何者でもない、約50%から1000%くらい坊主であると。周囲の人間全員そう認識してるんだけど、でもクビになった瞬間小説を書き始めるわけです。そういう諦めきれなさみたいなものが実は持ってる。持ってるというか持ってると辛い。
夢に対する気づき
それはでも、種を植えて、上からブルーシート被せて、さらに除草剤巻いてるようなものであって、芽は出ないっていうことに気づかないわけにはいかないと思うんですよね。でも気づきましょうとか気づかせるってことを他の人がしたところで無駄なんですよ。明らかじゃないですか。叫べればいいのは。あらゆる人が大合唱のようにその人に言ったと思うんですけど、彼はやっぱり気づかないですよ。夢を見てるわけですよね。
夢を見てる人に罪はないんですよ。蔵野圭三さんのお言葉ですよ。夢を見てる人に罪はないんですよ。だって夢見てるんだから。寝てるんだから。起きて気づかない間は気づきようがないんですよね。夢の中では気づけない。
そして先日、山崎孝明さんとのイベントで、夢見心地というそういうタイトルの藤本勝さんの漫画の中でですね、お前脅迫性なんだぞ気づけよと夢の中で夢の小人に、某人間みたいな小人に言われるわけですよ。こんなのお前の妄想なんだと妄想の中で言われるんですよ。
あれがやっぱりカウンセラーの仕事だと思うんですよ。で、すかさず山崎さんに一言言われたんですよ。これをやるにはラポールが必要でしょうと。つまり信頼もないのに夢の中に入っていくのはダメでしょうっていう話ですよね。ということはラポールというのは相手の夢に入っていいという許可を得るってことになりますよね。