2023-04-04 23:58

【763】グッドバイブス編 いい試みでも辛くなることはある

辛くなったら休みましょう
頭が回らないグッドバイブス
おはようございます。グッドモーニング・ボイスです。
おはようと称しつつ、15時35分ですね。4月の…えっと…今日は何時だっけ?4日ですね。
あの…なんて言うんですかね。
やんごとなき理由って常に、どうしようもない感じなんですよね。現在もこの時間になっちゃうのも。
日がこう…なんて言うんですかね。出す日とどうしてもずれていくっていう日々の感覚すら、ちょっと無くなりかけております。
体調が悪いとかではないんですけどね。
で、あの…
あ、今日はあれです。グッドバイブス編ですね。
それで、話そうと思っていることは山のようにあるはずなんだけど、どれ…何だったんだかまるで思い出せないという。
あの…この、よた話をしてなければ、たぶんでも20分ぐらいで話せる話なんだと思っているので。
ていうか、今もう20分ぐらいしかないので、どこかで強引に打ち切ることになっちゃうんだと思うんですけど。
まあ、そういう話で…そういうわけで、そういう状況でですね。
えーと、今ここに時間をとったんで、ここで話し切ってしまおうと思っています。
えーと、グッドバイブス編ですね。
で、何の話をしようかというのが、さっきから全く思い出…なんかね、30個ぐらいあった気がするんだけど、1つも思い出せないという。
変な状態なんですよ。
で、喋ってるうちに1個は絶対思い出すだろうと、たかもくくってるんだけど、まだ1個も出てこない状況なんですね。
あの…何ですかね、こういうのって。
頭が、いろんな刺激を受けすぎて、ちゃんと回ろうという、ちゃんと回れてないみたいな。
まあその、なんていうんですかね、グッドバイブスの話をするモードに全くなってないんですよね。
なんか頭はまだ、えーと、全然違う状態に、こう、慣れさせられてしまっているというか、そんな感じです。
はい。すみません、あの、ここに来てからですね。
とりあえずなんか飲み物を飲んでいないと、あの、くしゃみが止まらなくなるみたいな。
たぶんこれ、ハウスアレルギーというやつなんだろうと思うんですけど。
まあ今ちょっと違うところからこの情報は発信しているということなんですね。
で、えーと、なんだ。
そう、グッドバイブス編で、えー、なぜ私がグッドバイブスを今やっているかという話を前回第一回として、まあ、したわけですけれども。
休むことの大切さ
えーと、その続きでもなんでもなくて、えーと、毎度毎度思いついたことをグッドバイブスについて喋るというのが、えーと、このグッドバイブス編のテーマというか、方向性なわけですね。
で、あの、一番グッドバイブスで良かった話みたいなのと、前回したような記憶が、えー、うっすらとあるんですけど。
えー、今回はですね、えーと、まあこれは、えー、私のことというよりも、一般的に、一般的に言ってこの種の、えーと、アクションに取り組むときに、えー、一つこう、ぜひ覚えておいてほしいことがありまして。
覚えておいてほしいというわけじゃなくて、私がそういうのの専門とかを言うわけじゃないから、覚えておいてほしいのではなく、私たちが心がけておいたほうがいいなと、僕が勝手に思っていることがありまして。
えーと、それはですね、間を空けるというのか、間を空けるって人はこれを言うんですけど、そうではなくてですね、休むの大事だってことですね。
えーと、グッドバイブスって、なぜなのかわからないけれども、つらくなったら、えーと、これね、難しいんですよね。
えーと、つらいのを、えーと、踏みとどまる必要みたいなのがあることもあるんですよ。
本当はそれはつらさではないと思うんだけど、でも、まあ本人がつらいという表現で感じるものならば、そういうふうにするのがいいと思うし。
グッドバイブスの話ではないですね。僕が今ここでね、どんどん言っているのは、タスクシュートの話だったりするんですね、実は。
タスクシュートとかが僕がつらくなったら、即休むべきだって今は思うんですよ。
それはですね、理由はないに等しいんですね。
例えば、それでいいことがありましたと、仮にしてもですね、つらくなることってあるんですよ。
良いことが起きると消耗する
これは多分人間っていうのは、それを習性と呼んだり習慣と呼んだりする人もいるんですけど、なんか僕は最近ちょっと違うものを感じるんですね。
えーと、どちらかというと無意識の抵抗みたいな言い方をしたいんだけれどもですね。
とにかく、すみません、お湯が必要なんですよ。
こういうことなんですよ、こういうことある意味では。
私がやっぱりですね、普段いるところと違うところに来たら何かが変わってしまう。
えーと、普段から何かは変わっているんだけど、生きている以上は。
普段よりもどうしても何かが大きく変わるんだけど、それが何でかよくわからんということもあるわけじゃないですか。
で、good vibesみたいなものへの取り組みとか、タスクシュートでもそうなんですけどね、生活全般に関わってくるじゃないですか。
しかもそこで良いことが起きているとなるとですね。
ここが変に聞こえるかもしれないけど、良いことが起きると僕ら消耗するんですよ。
結構ね。
なぜなんですかね、これうまく説明するのは、うまく説明したところであまり意味がないような日もするところもあってですね。
良いこと起きてるんだからどんどんやればいいじゃんって思うんだけれども、
良いことが起きているときは僕らは少し無理やっぱりすると思うんですね。
糖質制限によるアトピー治療と休むことの大切さ
それが生活全域に関わってくることとなってくると、休まずうまくいくときはそれでいいんですよ。
でもなんかこう辛いなーとかいう話になってきたときに、
いやここでタスクシュートで頑張ればここ切り抜けるべきなんだみたいな、今までよりいいんだからみたいに思うじゃないですか人って。
でも僕はそこで無理をしするのは、無理をしするより休んだ方がいいって思うんですね。
僕これを一番はっきり意識させられたのが食事療法なんですよ。
糖質制限でほぼ砂糖ゼロ、果糖ゼロ、小麦に関するようないわゆる黒糖系の類糖もゼロにしていて、
一気に良くなった時期が本当に驚くほどだったんですよ。
体中アトピーでかさぶただった感じで、発疹とかさぶたない場所は滅多にないみたいな人だったんだけど、
この糖質を完全カット、この話もあんまりしたくないんですよね。
この話をすると今悩まれている方はこれをしたくなるじゃないですか。
僕はこれはマイルドにやるべきだと思うんですね。
やるならば、やるにしてもね。他にもいろんなことが試せるから今は。
僕の時代は他に本当なかったんですよ。
僕が10代の頃っていうのは本当に薬塗りまくるか、怪しげな民間療法。
糖質制限も当時は非常に怪しげな方法だったんですけどね。
どっちかしかないぐらいの勢いだったんですけど、あとは祈るとか拝むとか、滝に打たれるとか、
本当そういう感じに近いところがあったんで。
めちゃくちゃ熱いお湯に浸かる温泉療法みたいなのもあったんですけど、
あれもどうかと思うんですよね。50度近いんですよ。
普通入れませんよね、あれね。苦しいから入るんですよね。話が脱線しちゃってるんだけど。
とにかく良くなったわけですよ。良くなってしまうと糖分取れなくなるじゃないですか。
これがどんなに良い療法だとしてもですね、やっぱりね、私は何回もリバウンド実は経験、
このリバウンドっていうのは普通ダイエットについて言うんでしょうけど、
これはダイエットにも感じられるんですが、僕は別に痩せたかったわけじゃないんで、
アトピー治したかったんで、リバウンドって言葉は自分の中では納得がいかなかったんだけど、
離脱とかリバウンドって言うんですよ。
食べると悪くなるじゃないですか。ものすごく罪悪感が募るんですよね。
修行に失敗したものが地獄に落ちるみたいな感覚になっちゃうんで、
あれはね、良くないと思うんですね。やっぱりね。どんなに良いことであっても。
だから、休むってのは大事なんだなというのを、
なんかですね、その糖質制限を通じて僕は学んだんですよね。
少々アトピーが戻ってきたとしても、糖質制限を休むみたいな。
で、こうしておかないとですね、激しく休んじゃう。激しく休んじゃうというか、激しくこう、
要するに反動が強烈にきて、必要以上に、普段絶対食べなかったような僕が、
甘いものを食べたい症候群になって、なんかモナカとか食っちゃうんですよ。
僕は糖質制限する前にモナカなんて嫌いだったのに、糖質制限があまりにも進行した時、
辛くて辛くて、モナカとか気が付くと2個ぐらい食ってて、振り返すんですよ。
めちゃくちゃなんかこう、おかしくなってるなーって感じがしたんですね。
で、こういうふうにタスクシュートとかならないですけど、
体にそこまでダイレクトに働きかけませんから、
タスクシュートとプロジェクトに対するアプローチ
グッドバイブスもこういうふうには僕はならないと思うんだけど、
辛くなってきたら離れるとか休むとか、そういう話もあるんですよ。
昔グッドバイブスのコミュニティの中でもちょっと出てきたことがあったような気がするんですね。
これは私は大事なことだと思ってます。
私自身もこういうのをやる時はいつもそれをレフォルトで組み込むんですね、自分に。
ここ行きにくいなと思ったら一旦もうそこで止まって、しばらくそれは放置しておく。
いずれはこの取り組みをトータルで続けている限り、
いずれは自動的にこれは入ってくるはずだぐらいに思っておくんですね。
それは根拠があんまりあるわけじゃないんだけど、
これは僕はタスクシュートでデフォルトで組み込むっていう考え方で学んだことなんです。
タスクシュートをやり続けている限り、
必ずこの問題には行き着き、必ずその課題には再チャレンジすることになるから、
今克服できないようなことは放っておけばいいんですよ。
それをあえて頑張るシーンみたいなのもなくはないんですが、
別にあえて頑張らなくても多分うまくいくんですよね。
そこで焦るということは、焦るケースって多いと思うんですが、
多分やっぱりそれは不安があるんですよね。
自分自身に対する不信感みたいなのがあって、
自分はここで妥協してダメになるんじゃないかみたいな、
そういう不信感があると一層辛くなるんですよね。
だからこの種のことをやるときには、
こういうことは念頭に置いておくほうが僕はいいんじゃないかと思うんです。
やっぱり精神分析とかカウンセリングもそうなんだけど、
通院や治療に対する苦しみと休むことの大切さ
離れちゃうっていうことは起こるんですよ。
普通のお医者さんだってそうじゃないですか。
ずっと通うのが大変な病気のようなものは、
通い続けてないと良くならないって言われるから頑張るんだけど、
なんかもう頑張りきれなくなってくるみたいなことは起きるわけですよね。
休むと罪悪感が募るから、
一層次回生きにくくなるとかそういったことが起こるものなんですが、
これは割とあるあるなんですよ。
休むと相手の人があいつもうダメになったなみたいな、
そういうふうに思われる。
大体そんなことはよくあることなんで、
通うほうほど通われるほうは気にしないものなんですが、
通うほうはあんまりそういうことが自分一人しかやってないわけですからね、
ある意味自分にとってはその人だけのケースしかないわけだから、
気になってしまうんですよね、どうしてもね。
前に精神分析の本を読んでいるときに、
この種の話を読んだことがあって、
必ず精神分析ではドタキャン、
ドタキャンというのは分析の一種とみなすので、
それをキャンセルとみなさないんですよ。
だからドタキャンであろうとも、
断りを入れたキャンセルであろうとも、
それどころか精神分析科のほうのケースが極端な場合は、
事情のように思えたとしてもお金はいただくと。
これは設定に対する料金なのであって、
人生相談じゃないんだみたいな話がありまして、
これは僕は最もだと思うんですね。
一つには、もしお金を払わずにですね、
分析やっているぐらいですから、
人生上つらい悩みみたいなのがあるわけじゃないですか。
そういうのを抱えつつ、
分析の当日になって、
やっぱり今日無理だってなっていけなかったとして、
その回お金払わないと、
次の回すっごい生きにくくなる人って出てくるじゃないですか。
ものすごい罪悪感で、
絶対分析科の先生超怒っているわと、
そんなところ行かれないじゃないですか。
だけどお金払ってあればですね、
なんかその分すごい損したような気がするかもしれないけど、
この種の罪悪感が無縁でいられるはずなんですよね。
キャンセルポリシーについて考察する
お金払ってるんだから、
たとえドタ研したとしても、
ある意味先生得したんだから、
行けばいいよねっていう気持ちになれそうじゃないですか。
この差はでかいと思うんですよ、すごく。
そうやって休むっていう手もなくはないと思うんですね。
タスクシュートとか、
ライフハックとか、
そういう系のセミナーでこれは成立しないですけれども、
例えば、
どんな事情があってもお金はいただきますみたいな、
そういう話にはなかなかなりませんが、
でもそういうふうに看板を掲げている方、
多くいらっしゃいますけどね、
それはある意味妥当なものだとは思うんですよ。
お金を払う行く行かないみたいなものには、
必ず意味がありますのでね。
意味があるというのはつまり、
こういう取り組みの場合は特にですけど、
潜在意識とか無意識でとか、
そういうことを考えていくから、
急にいけなくなるのは偶然じゃないと考えるわけですよ。
たとえそこに事情というものが差し挟まっていたとしても、
その事情は誰が作ったんだろうってやっぱり考える必要がありまして、
例えばグッドバイブスというもので、
わかりませんけれども、
セッションとかもあるわけじゃないですか。
それだってキャンセルが入るのかどうかはわからないし、私は。
そのキャンセルについてどういうキャンセルポリシーなのかも
僕は知りませんけれども、
多分何かそこには意味はあると思うんですね。
行動の裏には必ず理由がある
キャンセルをするにしても、
時間をずらすにしてもですね。
あんまりその意味を深読みするっていうのも、
深読みしすぎるっていうのも良くないと思うんだけど、
意味が全くないことって、
その種のことでは滅多にないと思うんですよ。
僕はマッサージとか、
散髪でさえそうだと思うんですよね。
急に散髪に行けなくなるときには、
絶対そこには理由がある。
もちろんそれは仕事が長引くとか、
そういうふうに表面的にかつ、
でも分かりの良い理由もあるんだけど、
もっとそこには深いわけがあると思うんですよ。
今髪を切られたくないわけみたいな。
そこを一生懸命、
掘ることもあれば、
全然そんなことを構ってられない場合もありますけれども、
訳もなくそういうことが、
反自動的には起きないと思うんですね。
僕は、
大橋さんと大橋製造さんと、
ずっとタスクカフェやってたので、
そのことはよく分かるんですよね。
100回とか、大橋さんやったから、
普通やっぱり途中で挫折するじゃないですか。
フェードアウトしていくじゃないですか。
で、大橋さんは100回続けてるけど、
100回、確か相当怒られてた方がいらっしゃるんですよ。
あと80回ぐらい。
それってすごいことだなって僕は思うんだけど、
でも100回って方は僕は、
いらっしゃらなかったと思うんですね。
これはやっぱり僕は、
なんて言うんですかね。
わけがあるというか、
それなりの理由があってのことだと、
大橋さんと大橋製造さんと、
それなりの理由があってのことだと、
タスクカフェに参加する意味
僕なんかはやっぱり、
そういう風に見ちゃう癖もあるので、
思うんですよね。
100回、
主催者が続けても、
それに付き合わなければいけない理由はありませんが、
例えば、毎回参加申し込みされてるんだけど、
必ずキャンセルするみたいなね。
僕はもうこれは、
それはキャンセルポリシーに基づいて、
他で取ったり取らなかったりだったと思うんだけれども、
僕はこれを見ていて、
実にやっぱり人ってのは真理だって思うことが多かったんですよ。
申し込んでこないとかいうのは、
これでもう参加したのも同じなんだなって感じを抱くように、
私はなりました。
つまりこの人にとってはタスクカフェに申し込むけれども、
やっぱり来られない。
っていうのがタスクカフェなんですよ。
非常にこう、
タスク管理みたいな話では、
だって分かりにくくなっちゃうんですけどね、むしろこういう話って。
でも、本人の身になってみるとね、
やっぱり絶対そこにあるのは、
すごい抵抗や、
克服や、
ドラマがあるわけですよね、要するに。
分かんないですよ、そんなドラマがあるのかないのか知らないですけど、
そう安いわけじゃないセミナーに申し込みをすると。
お金払ってないにしては。
申し込みをすると。
申し込むからにはやっぱり、
職場でうまくいかないこととか、
何か打開したいテーマとか、
それこそ、
いつもプロジェクトが遅れ気味になるか、
なんかあるわけじゃないですか、多分ね。
大橋さんの顔が見たいとかなのかもしれないけど、
そういう理由ならばむしろ、
簡単に参加できると思うんですよ。
でも、そうじゃなくて、
もっとなんかもう少しシリアスな悩みがありまして、
申し込まれたと。
で、もちろんそれはキャンセルをすればですね、
お金は全額返ってくるとか、
払わずに済むかもしれないけど、
払わなければならなくなるリスクは、
いずれにしても犯すわけですよね。
だって最初から申し込まなければ、
そういうリスクは一切犯さずに済むわけで、
そういうことをする。
そして、こういうものに参加しようと思って、
しかも、最初タスクカフェは朝早かったですからね。
スタートが9時とかだったんで。
9時渋谷で開始みたいなのに参加するとなれば、
8時には渋谷にはいないわけにいかないじゃないですか。
これ遅刻するってまた別のオプションがあるんだけど、
最初から遅刻するぞって思ってる人って少ないと思うんですよ。
だから毎度毎度遅刻する人には、
それなりのまた何かがあるんですよ。
僕はその人が遅刻して、
同じように遅刻してくる場合、
この人にとってのタスクカフェとはこういう意味を持つんだって、
よく考えながら、
接するようにさせてもらってました。
すっごくやっぱりそういうので、
出てくるんで。
8時に渋谷にいるとなると、
僕の場合とかだったら、
5時には起きて身近くして出発ぐらいの勢いですよ。
6時には家絶対出て、
6時半の電車には乗って、
朝食を渋谷で取って、
やっとギリギリみたいな時もありましたからね。
最初の頃はですね。
だんだん時間遅くなったんですけどね。
だからこういうふうにいろんなことがあるわけです。
こういう心理的葛藤を経ても、
絶対この人はキャンセルもしない、
欠席もしない、遅刻もしないで何度も来るって方もいらっしゃるわけですよ。
だいたい同じような時間にはもうその席にいますみたいなね。
これもタスクカフェなんですよ。
一方では、
悩みに悩んだ挙句なのかわからないんですけど、
申し込んででもしばらくすると、
やっぱり今回は無理でしたってことになるわけですよね。
これって本人にとっては一定のリスクを何か犯すことになる感じがするじゃないですか。
この辺が僕は面白いと思うんですね。
こういう取り組もうとするけれども辛くなるとか、
取り組んでいるんだけれどもやりきれないとか、
そういうのがいろいろ
自分の欲望と矯正されている、
葛藤を抱えながらの取り組み
あるいは自分に矯正しようとする力のある種、葛藤みたいなものだと思うんですね。
だから途中申し上げた通り、
いいことがどんどん起きるということは、
この葛藤の中のどっちかの言い分に、
かなり自分をフォーカスさせ続けているわけですから、
もともと葛藤があるところに対して、
押し切る力の方に自分が加担するみたいな、
例えば私は何々すべきだっていうのは、
この番組でも何回かお伝えしている通り、長寿画なんだけど、
長寿画にぐっと寄っていくと、やっぱり消耗するじゃないですか。
逆もしっかりだと思うんですよね。
今まで長寿画の言いなりに散々なってきたのに、
長寿画の言い事を一切聞かなくなるみたいな、
それで人生一気に好転するかもしれないし、
休みの大切さと調停
そうすると、いやもう長寿画なんかいらないんだって感じになるかもしれないけど、
長寿画は消えてなくなるわけじゃないんですよね。
だからある意味では隙を伺ってるというのか、
それも変な言い方なんだけど、
そういうことはあるわけで、
だから何が理由で、どういうところから自分が辛くなるのかわからないんだけど、
やっぱり時々は、
調停というものをしてあげる必要があるんじゃないかと思うんですよね。
その調停のきっかけに、
休みってものがあるし、
その休みが毎度毎度続くということには、
一見何の意味もなさそうなんだけど、
実はすっごく意味があるのかもしれない、
というようなことを念頭に置かれると、
置かれた方が僕はこういうものを活用するときにはいいんじゃないのかなというふうに、
お休みすることをお勧めするわけではないんですよ。
ただ、どうしても辛いなみたいな、
辛いはずないんだけどなみたいに思ったときこそ、
こういうことを考えてみてもいいんじゃないかなというふうに思うわけです。
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