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2024-04-24 49:47

今回は設定された締切を守る気がないワケ【GMV 969】

投影同一化とグッドバイブス。
00:00
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
はい、今日は4月の24日、水曜日ですね。
しょぼしょぼ雨が降り、ちょっと空気感も冷たく、嫌な感じまではいかないけど、
ちょっと今日出かけるしね、残念ですね。
もうちょっと良い天気だと、ルンルン気分で行けるとか、そういう非常に単純なものもあるんですけど、
まあまあ、いたしかたないというか、雨は雨でね。
私静電気とか苦手なんで、非常に良いっていう部分はあるんですよ。
あとガーデニングしだすと、まだちょっと今年始めてないんだけど、
やっぱり雨が降るというのは素晴らしいことでして、
まずなんといったって夏ね、水まかなくていいじゃないですか。
これがもうでかい。
で、これすっごい面白いことに、水まくのと雨降るのとでは、
農作物への影響が全然違うんですよね。
雨の方がずっと良いんですよ。
なぜなのかは、ミネラルがどうたらこうたらとかあるのかもしれないけど、
とにかくよく分かんないですが、
もう本当に今日みたいなしとしと雨が完璧で、
やっぱり叩きつけるような雨が横殴り降ると枯れますからね。
ここら辺がもう非常に、いや農業って大変だなって思うんですよね。
コントロールできない部分ですから、絶対に。
だからビニールハウス素晴らしいのかもしれないんですけどね。
もちろんガーデニングでビニールハウスやってられないんで、
お金もかかるしね。
しかも雨の恩恵はなくなっちゃうじゃないですか。
非常に難しいですよね、ここはね。
始めてもいないガーデニングの話で時間食うのはもったいないので。
あと千葉ロッテマリーンズが今連敗中ですね。
昨日ローキで負けた。
しかも1万試合目のロッテのメモリアルで負けると。
わざわざその日にローキをおそらくスライドさせてるのにね。
また全然関係ない話してますけど、
毎週日曜ローキだったんですけど、佐々木ローキね。
月曜になっちゃってるのは、月火曜か。
だったのはやっぱり1万試合目に合わせたんだと思うんですけど、
そこにわざわざ持ってきて負けるという。
相手ソフトバンクだったことはあるにしてもね、
いかんなという感じがしてますね。
相変わらずだなというね。
これもほぼほぼどうでもいい話。
ていうかこれ完全にどうでもいい話ですね。
20、まだ締め切りまだあります。
百日チャレンジ。
たぶん残りはもうほんと2、30名付近まで来てるんじゃないかと。
今季すごいなと思うのは、
発揮にもかかわらずほとんど新しい方。
もちろんリピーターって混ざっていらっしゃるんですけど、
ほとんど新規だなみたいな話を伺っていてですね。
Jさんの方からね。
すごいな発揮で新規ばっかりって。
なんかうまいことこの企画は皆さんのニーズに、
03:05
それこそニーズにね。
ニードじゃなくて。
ニードかもしれないけど。
マッチしてるんだなというのがね。
思います。
ぜひこの機会に。
私の方も新しい佐々木的企画をですね。
ちょいちょい出していこうかと。
これお高くないと思うんでね。
100日で6,000円なんで。
1日60円ってJさん書いてましたけど。
そういう何かの商法みたいなのをベースとして。
100日6,000円ってのはたぶん私はコミュニティ3回引きとしては、
ほんといいと思うんですよ。
テニススクールとかフィットネスジムとか行くと。
そんな金額ありえないじゃないですか。
3ヶ月行ったら一歩足がともう6万円とか10倍ですよね。
できるほど違うって言われればそれまでなんですけど。
そうは言っても普通に安いと。
これはね思いますので。
よろしければ。
私の方の3ヶ月チャレンジはさすがに。
3ヶ月6,000円ですってわけには。
僕もうほんとに死んじゃいますので。
資産家とかのボンボンとか。
昔よく漫画とかで資産家のボンボンでと書いてあって不運って感じだったんだけど。
今はそれの意味がよくわかりますね。
資産家のボンボンいいなみたいなね。
だって資産家って税金を収めなくていいお金持ちじゃないですか。
ここがやっぱすごいですよね。
お金を稼ぐということはお金を動くっていう記録が残っちゃうということで。
ここからいくばっかをお国に収めなければいけないわけですが。
資産っていうものはそこにすでにあるお金だから。
税金支払った後っていうことになってるお金だから。
そこから使うたびに消費税かかるにしてもですね。
税金基本取られることはないわけですよね。
動かさない限り。
これはやっぱり資産家のボンボンって言葉の意味が。
決してそのなんていうのかな。
大リーガーのボンボンとかではないっていうところがね。
稼ぐ金ではなく持ってる金であるっていうのの意味がね。
ようやくこの年になっても通説に。
昔の足立三郎の漫画を読んでいた中学校の頃は。
意味が全然わかってなかったね。
あ、金持ちなんだな。
先に読み進めて野球のところしか見ないみたいになってたんですけど。
今もよくわかります。
それが世間知を積むということなんでしょうね。
どうしても今日は脱線するな。
眠いのかもしれませんね。
100日チャレンジよろしく。
第8期よろしくお願いします。
合わせて第6期の3ヶ月チャレンジも4月いっぱいで。
申し込み一旦締め切らせていただくので。
まだ1ヶ月お試しコースはありますので。
最後のちょっと選挙じゃないですけどね。
最後のお願いに回ろうかと思っているんだけど。
今月ほんと首が回ってない。
まだちょっと首が回ってないですよね。
いろんな意味でね。
06:00
これももう合わせてお願いしたいなと思います。
残り一枠とさせていただいております。
それでですね。
本題に入りますと。
何が本題だったっけ。
そうそう。
昨日いろんな方とね。
何名かの方とお話ししたんですけど。
私、Good Vibesというのは東映ドイツ科のことだ。
っていうふうに最近頭の中で考えるようになったんですね。
頭の中でですけどね。
これを口走っても大していいことはなさそうなので。
倉園さんにすら特にいいことが起きないかなと思っているので。
私の中だけに収めておく理由はないんで。
しゃべるんですけど。
つまりですね。
Good Vibesっていうのは。
Vibesが伝わるっていう表現を。
僕これ多分音楽業界にいたことがないために。
いる自分のパーソナリティーでもないみたいなイメージが強すぎて。
Vibesが伝わるっていう意味を全く理解できていない気がするんですね。
もうGood Vibes。
クラウドの形状の文脈でしかこれを理解できてない。
それ以前Good Vibesって言葉があることを知らなかったんで。
そういう言葉があるんだなというね。
ことを知ったわけですね。
そのVibesっていう言葉を。
僕の中では大人のおもちゃ以外のいかなるイメージもないので。
しかもそれは僕は必ずしも縁のないものなわけですよ。
あんま興味もないしね。
そういうものはあるらしいぐらいな感じで。
それがこう全然違う意味で。
波動かどうかなるほどっていうね。
波動っていうとやっぱり宇宙戦艦ヤマトになってしまうのが。
僕の頭の中における語彙の問題なんですけどね。
波動って言えばやっぱりヤマトだよなっていう感じがしますね。
波動砲を発射しますよね。
それ以外のやっぱりないんですよね。
僕にとって波動って言うと。
それじゃないとすると量子力学しか考えられない。
波動ってあんま言わないですよね。波って言うんですよね。
でかいもんじゃないからね、量子なだけに。
なんか波動って言うとパワフルな感じがするじゃないですか。
話が全然一向に進んでないわけですが。
つまりグッドワイブスというのはですね。
認知の問題じゃないと。
心理学用語的に言うとそういうここが大事。
非常に大事だと私は思うんですね。
何かにつけて認知の歪みっていうのが好きなのは。
現代心理学の特徴の一種みたいなものなんですけど。
認知はよしとしよう、これは一旦置いておくとして。
認知じゃないっていうのはすごい大事だと僕は思うんですよね。
僕は少なくとも倉園さんほど一つ意識は分かってないと思うんで。
でもやっぱり一つ意識という部分があるんですよ。
だって精神分析の世界って完全に一つ意識はある程度ですよ。
09:03
倉園さんが言うのと全く同じ意味でとは言わないけど、
ある程度は一つ意識を完全に扱ってるんですね。
なぜならば少なくともウィニコット、ビオン、クライムもそうですよね。
対象関係論というものは観主観性というものにものすごくこだわるんですよ。
だから来ている人、ユーザーと最近言ってるんですけど、
ユーザーさんと精神分析科の間に主観があると。
観主観ですから間に主観があると。
ユーザーにあるとか、クライム側にあるとか、
つまり精神分析科の主観とユーザーの主観と2個あるっていうのではないんですよ。
みんなこれ2個あるのが常識だとでも思ってるじゃないですか。
そこに神の視点があるということをよく無視してますよね。
2個あるってお前どこからそれを言ってるんだって話なんですよ。
ちなみにものすごく大事なんですけど、
これはグッドバイオスの文脈とはちょっと違いますけど、
精神分析が全くの密室、これも本当考えてみるとそうだなとよく思うんだけど、
この全くの密室で大っきりで行われるってところはすごい大事なんですよ。
完璧にプライベートな空間に包まれていて、
さあどこでやってるのか我々は知らん、知らないはずなんですよ、誰も知らない。
誰も知らないということは客観はないっていうこと、ここはものすごく大事なんですよ。
観主観しかそこにはありませんよって言ってるわけですよね。
この2人のありさまを想像して、
いや私という客観から見れば主観が2つあるでしょうとか、
そこに2人の人がいるでしょうとかいうのはナンセンスの極みで、
まさにそれを否定するためにあのみややこしい設定は生み出されていると言っても、
まあこの辺ちょっとね、あえて言ってるようなところもある。
でもここはものすごい大事なんですね。
僕もねそう言われてみて気づいたんだけど、
でもそれって現代でやっちゃやばいんじゃないみたいな。
まあそうだよなと。
心理カウンセリングのある意味、一つの重要な重大なリスクであり、
発生が19世紀であったっていうか20世紀初頭ですけど、
あったことに起因しますよね。
今だったらいやそれ2人っきりでね、
例えば、しかもボーダー、まあやめよう。
とにかく男女が2人っきりでどこで会ってるのかもいつ会ってるのかも
誰も知らない空間が作り出されているということは、
男女だけじゃなくて男男でも女女でもですね、
大きな大きな問題を秘めているよねっていうことをあえて指摘されればですね、
それは大変だよなっていうことはありますわねここにはね。
いわゆるオープンではないってことですね。
この番組長く聞かれている方はなんとなく私が何を言わんとしているのか
イメージつくかもわからないんですけど、
パッと聞いただけではよくわかんないかなと思うんですね。
どちらの言い分がより正しいとかはないってことなんですよ、精神分析においては。
12:05
あなたは正気を書いてます。
私の正気の私の上から見ればねっていう言い方は許されないわけですよ。
どれほどその人のやっていることが世間一般から見てずれていたとしてもですね、
認知の歪みなどというものは私の考えではですね、
あんまり認められないかほぼ全く認められないわけです。
認知はどうせみんな歪んでるっちゃ歪んでるんですよ。
そういう言い方をすればね正しい認知というものがない。
正しい認知がないんだから認知の歪み本当はないんですよ。
だって正しいのがないのに歪んでるっていうその基準がないじゃないですか。
ここで無理やりでも基準を持ってきたがるのが現代人なんですけど、
NOとか言い出したり、いろんなことを言い出して、
とにかく正しい客観的現実把握があるんだって言うんだけど、
哲学がそれを徹底的に18世紀から21世紀にかけて否定しきってきましたよね。
絶対それはないっていうのが哲学の立場ですよね。
私は基本そっちが正しいと思うんですよね。
基本そっちが正しいと思うんですよね。
やっぱマトリックスという映画はおかしいと思うのは、
なんかねあそこには本当の現実と偽物の現実があるみたいな顔をしてるところがおかしいと思うんですよね。
あれ最初見た時から非常に納得がいかんなここがって思ったわけですよ私は。
みんなが夢を見てると言ってんのに現実はあるっていうわけですよねあれね。
みんなが夢を見てるならば現実はないんですよ。
だから当然誰かが誰かに向かってお前は夢を見ているんだっていう権利はないはずなんですよね。
それを言っちゃってるんですよ認知の歪みっていう言葉をね。
だから歪んでるのは認知ではないんですね。認知ではないんですよ。
だからグッドファイブスっていうのは伝わってしまうっていうのがすごく私は大事だと思うんですよね。
この人は良い人だというふうに接してると相手は良い人になってしまうんですよ。
だからこの人は本来は悪い人なんだけど私の認知が歪んでて良い人に見えちゃって騙されてますという考え方はそもそもナンセンスなんですよ。
こういう世界の考え方を取れば。
大体において今のようにはならず、悪い人だっていうふうに。
この人は悪いことをしてるって考える。そうするとその人は悪いことをしだすんですよ。
これが影響って言うんではないんですけど、だからブラドンさん影響とかインフルエンスとは言ってないんですよね。
マイブスというわけですよね。悪いことをしだすというか、その人は悪い人になってしまうんですよね。
その人にとってはっていう部分があるんだけれどもどっちにしても。でも悪いことをしだすわけです。
だからその人は本来はいい人なんだけど私のその病んでる人の認知が狂ってるから悪人に見えてしまうっていうふうに人は言うんだけどそうではないんですよ。
そういう面が全くないとは言わないけど、そこをそういうことだけにしちゃわないってことですね。
15:03
しかもその影響の方は全然バカにならないというか、影響の方が重大だぐらいに思っておかないとこの話はわかんない気がするんですよ。
それを昨日僕は接触という一つのサンプル、よく出てくる事例を使ってお話をしたつもりなわけですね。
問題なのは接触障害が問題なんじゃないんですよ。
食を悪いものだと、それこそバイブスですね。
バイブスというのがこの場合ちょっと適切ではない気もするんだけど、人じゃないんでね、相手が食べるって行為なんで。
でも同じなんですよ、これは完全に。
過食というのは認知が歪んでるって言ってもいいんだけど、やっぱりですね、それは食べるってことを悪い行為にしてしまってるわけですね。
だから悪い行為になっちゃってるって、これがものすごく重大なポイントですよね。
東映ドイツカなんですよ。だから私はグッドアワイブスというのは東映ドイツカだと今口走ってみたわけですよね。
だからすごい接近しているところがここは確かにあると思うんです。
いわゆる精神分析的な考え方に一つ意識というものと非常に近しい関係がこの辺には間違いなく同じではないですよ、精神分析でグッドアワイブスは。
でもこの辺にはすっごい近いところがあって、看守観世っていうのは本当に一つの特徴なんですね、精神分析における。
現代カウンセリングは大筋看守観世を無視するというのはないと思うんですけど、
特にやっぱり精神分析はそこにはすっごい寄ってんなぁとは思うんですよね。
主観と客観というものは全然全く認めない考え方に近いんですね。
だから時間がかかるとも言えますね。
やっぱりどっちが正気だっていうのはないんだから、どっちに引き付ければいいって話にはならないわけですよ。
だからすごく誤解されているとされているのが、要はユーザーというか患者さんがやってきて精神分析かなる人がいて、
あなたを治してあげましょうって言って、呪文でも唱えるチチンブイブイのパーをやるっていうことになっちゃってると、
これは正しさがどっちかにあるっていう最も決定的な考え方であって、典型的な考え方であって、そんなことはありえないんですね。
どっちもある程度は狂ってるぐらいに思っておく。
まあこれは別にそういう言い方するわけじゃないんだけど、そしてそこが大事なわけでもない。
大事なのは看守観的であるってこと。
この二人の関係というものが良い関係で、生産的って言うんですけどね。
カップリングですからね、精神分析は。
まあ夫婦関係みたいなもんですよね。
その夫婦関係みたいなカップリングの関係が良い関係に、お互いの主観というもの、何て言うんですかね。
看守観的に良い関係であり、看守観的に良い状態になると人間は自ずと生産的になる。
人間同士は自ずと生産的になるので、良いものが生み出せる。
この体験を常常的にね、常常的にこの体験を経ると、
18:04
その人は他人というものと良い関係を自分が結ぶ能力を信頼できるし、
他人というものと何かコラボしたり、共同作業するということの意義というものを信じられるように。
だから信じられないっていう話なんですけどね。
信じられないから不毛なわけですよ。
例えばカップリングの関係がひたすら快感を得ることだけだったりすると、
そうするとものすごく盗作的な世界が始まるわけですよ。
セクシャルなことをするというのも全てが快感に向かうと。
快感以外の理由ではセクシャルなことは一切する気が起きないみたいになっちゃうと。
これを情緒の話に持ってくると、例えば会話とかをしていてもですね、
なんて言えばいいのかな、とにかく生産的な会話ってことができなくなっていく。
そういうものが言ってみれば、分析の世界で取り扱う何かなんですよ。
これも私はウッドバイオスと似たところだと思いますね。
で、ポエド・イツカというのは要するに、この人は悪い人だというか、
もうちょっと分析流に言うと、この人は私にとっての悪いお父さん。
よく似てるなあって思っていると、
だんだんだんだんその人はその人にとっての悪いお父さんそのものになっていき、
悪いお父さんと全く同じように振る舞い始めると。
精神分析家とかがですよ。
つまり相手が正常であろうと何であろうと、
どんどんどんどんそういうふうに振る舞うようになっていき、
言動もそっくりにだんだんなっていくと。
これは認知の歪みじゃないですよね。
現実を作り出してますよね。
なんでそんなことをするのかというと、
我々の大脳は現実を映し取るカメラなんかじゃないから、
我々は現実を正しく見るとかいうことをするためにはですね、
現実をある程度自分に合わせて作り変えていかないと、
正しくなくなってしまうからなんですよ。
これ非常にごく当たり前の話なんだけど、
すごいわかりにくいですよね。
なぜなら我々は現実は正しい現実というものがあり、
カメラというものがそれを実写すると言っても思ってるからなんですよ。
カメラは実写するのかもしれませんけど、
目は実写しないんですよ。
目はそこに私流のものの見方というか、
大脳らしいそこに変形を絶対に加えずには、
ものを見ることができないんですよね。
だって、例えば私は虫がダメだ、虫嫌いだっていう人は、
虫ってものに悪いとかいいって意味は全くないじゃないですか。
だからカメラは虫の悪さっていうものに感知しないわけですよ。
写真に撮って虫が写っていると花が写っているとカメラにとっては同じなんですよ。
だけども人間の脳はそうではない。
虫だと悪いように見るわけですよね。
ということは、いわゆるどこにもないんだけど、
どこにもないっていう言い方はちょっと極端だな。
とにかく我々は感知できない、
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客観的現実というものとは違う現実を脳は作り出しているわけですね。
これは脳が作り出しているというのは、現実世界そのものを作り出しているという意味ではなく、
私たちがものを見るっていうのはいつでもそうなんだけども、
ものすごくよくできたVRはおかしいな、この場合。
でもVRに近い。
現実というものの素材を使って何かを作っているぐらいな感じなんですよね。
それを現実だと言っているわけですよ。
そうすると当然そこに2つのものがあるわけだから、
ずれますよね。
このずれを何とかしたいわけですよ。
このずれを何とかするために脳はですね、
というか私たち人間は現実の方を作り変えていくという能力を持っているんですね。
これが投影同一化ですね。
したがって、ある程度は私が見ようとしているように現実を作っていっちゃうんですよ。
だからバイブスが良いとか悪いとかいう話になっていくわけですよ。
作るんだから、ここはちょっと難しいところなんだけど、
作るんだったらですね、少なくとも悪く作らないほうがいいよねってのが私は
クラゾンさんのお話の収穫だと思っているんですよね。
作るんだったら悪く作らないほうがいいんだけど、
我々はついついいろいろな諸事情から悪く作るということを
ある種の特に自分の苦手なテーマにおいてはやりやすいと。
例えばクモは悪いっていう風にすると、
クモは悪くなっていくんですよ、私たちの世界では。
その人の世界だったら。
それがね、オカルドっぽく聞こえるかもしれないんですけど、
人間関係では普通に起こるんですね。
で、ただ人間関係で起こるっていうやつはですね、
いやあなたのことはひどい人だと思ってるから、
ひどいこと言うと相手もひどいやつになっていくっていう話が
なんかね、今度はつまらん話に聞こえると思うんで、
私は昨日はサンプルとして接触障害、
これはだから松木国弘さんがやっぱりすごいんだと僕は思うんですけど、
接触障害に徹底的に東映同一課で解説していくと。
あの考え方が臨床ですっげえ役に立つのかって、
つまりユーザーさんを良くするのにそこまで役に立つのかって話は
また別にあると思うんだけど、僕はいい考えだと思うんですよね。
でもやっぱりね、僕らの生活では役に立つと私は思うんですよ。
なぜなら我々もしょっちゅうあれやってますからね。
あれほど盛大にはやらないけれども、
まあかなりあるんですよ。
で、我々がやってるってことなんですよ。
接触障害の患者さんがやってるっていう話が
僕にとって一番大事なのではなくて、
そういう話を参考にすると全く同じことを私たちも、
例えば食事についてではなくてもやる。
で、接触という話になった時にはやっぱり、
食欲というものに悪いっていうレッテルを張りたいわけですよね。
それは、その人が痩せるっていうのを
一つの人生の指針にしてしまったから、
空腹は素晴らしい、空腹感も素晴らしい、
24:01
食欲は歓迎されないっていう、そういう素朴なところから始まっている。
だけども、だんだんだんだんそれがですね、
自分の人生を良くするためには、
ずっと空腹でいなきゃいけないんだみたいになっていって、
食欲というものがもう非常にこう、
つまり食欲というものに、
屈服させられる屈辱的な私みたいな考え方がそこに現れると。
そういう考え方を持っちゃうとですね、
食というものに対してバッドバイブスを送るわけですよ。
これは認知の歪みでは済まないってことなんですよね。
食欲がその人にとってただ悪く見えるだけでは絶対ダメで、
本当に悪いものにしなければいけない。
そこでまず食欲というものに名称を変えて、
過食という名前に切り替えるわけですね。
こうして悪いものになる。
しかもそれを社会の他の人たちも、
その過食という言葉を受け入れることによって、
人間の食欲そのものが何か悪いものであるかのような扱いを受け始めて、
リアルがどんどん変わっていくわけですね。
もはや食欲というものではなく、過食というものになるわけですね。
そしてさらにその過食という行為を取っている人は病気なので、
薬を使ってみたり、
カウンセリングを受けて治さなければならないというふうになると。
そして、いやそれはただの食欲じゃないですかっていう人を批判するという形をとって、
いやこれ放っておいたら大変なことになるでしょうと。
ほら吐いちゃったじゃないですか。
あなたこれ放っておいていいと思ってるんですかみたいな。
そういう人を悪者にすると。
これはもう認知の歪みではないですよね。
現実そのものがそうですよね。
過食というものは治さなければいけないですよねと、
みんなが納得し始めると。
だから最初に、
その痩せたいというのかな、
自分の食欲をコントロールしたいと強く願った人の、
その願いというものが、
それこそこう伝播していくわけですよ。
なんて言えばいいのかわからないですよね。
これをね、売物と言うべきなのか。
これを精神分析会では投影同一化と言うんですね。
悪いというふうに思ったものは、
悪く振る舞うようになっていく。
食欲というものが悪いというふうにされたので、
食欲は過食という名前に切り替えられて、
治療の対象になり、
それを放置するものは悪人であるという扱いを受けるように、
切り替わっていくわけですね。
そうして、なぜかどこかで世界が転倒したわけです。
だって僕らみんな食欲は持ってますよね。
自然のいいものだと。
これないと死んじゃいますから。
生きていくためには欠かせないものだと。
そういうところからスタートしていたはずなのに、
目がすくと食欲というものは、
悪いものに切り替わっていくわけです。
こういうことが起こるという話なんですね。
これは、その特定の人の認知がただ歪んでいるわけじゃないんですよ。
これは、そういうものに巻き込まれていく。
嫌悪なく巻き込まれていく。
巻き込まれないで頑張ろうとしている人は、
27:00
みんなの怒りを買って、
罪人みたいにさせられて、でも巻き込んでいくっていう。
その人を罪人にした瞬間に、
いや、俺は食欲悪いと思わないよっていう人は、
悪人にされるということによって、
その人の認知に変化はなくても、
現実は変えられていくわけですよ。
こういうものを、
2社間で徹底的に引き起こしておいて、
取り扱っていこうというのが、
党へ同一化を治療に生かすという考え方なわけですね。
これが精神分析なんだと思うんですよ。
ここには倒作があるわけですよね。
倒作って言葉を使っちゃうんですけどね。
ひっくり返ってるわけですね。価値が転倒している。
だって食欲ってのはもともと悪いものじゃないのに、
悪くさせられたわけだから、価値が転倒している。
そしてその食欲などというものを持っている私っていうのは、
ダメ人間だってことに、
その人の中でもなるわけですね。
だからそのダメな食欲を持っているようなやつに、
食わせるものはないと。
これでも食っとけということで、どんどん食べるものが
ダメなものになっていくわけですよ。
その人にとってはってことがここはあるんですけどね。
それこそジャンクフードであったり、お菓子であったり、
もっとひどいものをいつまでも食べさせられ続けるみたいな。
これは無意識がこうしているってことなんです。
だからどんどんひどいものを食べるみたいな話にもなるわけですね。
そしてそんな食欲などというものに振り回されて、
いっぱい食べるやつはダメ人間なんだから、
ダメなことをさせられるわけですよ。本人の中でね。
だから反社会的行動とか、非常に逸脱行動に見える行動をとっている。
それはその人の中で分割、
分割ってのもすごく分析的な用語ですけど、
切り離された悪い方の自分に与えられる罰なわけですよ。
だけどその罰は、実は与えている本人も受けることになっちゃうんですけれども、
結局そういうことがどんどん進行していく。
全てはその最初のボタンの掛け違いっていうのは、
ちょっとありきたりですけどね。
そういうところからスタートしていると。
これを私は別に自分のことを考えても、
自分と一緒に仕事をしている人のことを考えてみても、
これを訴えてくる方ではないのでね。
同じような話を、時間とお金とその辺ですよね。
セルフマネジメントってやつに対してやっている人に向かってお話ししたいわけです。
つまり、接触症というのを精神分析的に読むと、
それをちゃんと書いているのは僕には松木さんだけのようにも見えるんだけど、
これを読むということによって、
我々は全く似たようなことをライフハックという名のもとにやってるよね、
という話をしたいわけですよ。
だから何だとは言いたいわけではないんですね。
ただそれをやると、あなたの身の回りの人を、
単に悪く見るだけでは済まず、悪くさせていってしまう。
30:03
要するに悪人を作り出していくことになっていくと。
しかもあなたの周りに、あなたと一緒にいるときにおいて特にという事態を引き起こしますよという話なんです。
あなたの認知が歪んでいるから周りの人って悪人ばっかりで迫害されている気がする迫害妄想では済まず、
実際に迫害をされ始めますよと。
相手に迫害する気が全くなかったとしても、さっきのあれですよ、
過食を単なる食欲という人を罪に扱いするようにですね、
本当にその人というものがだんだん悪い人かのような振る舞いを実際にし始めるように行動し始めますよ、
これを行動かって言ったりするんですけれども、
そういうことを言いたいわけですよ。
私は自分の処分用柄ですね。
それが例えば時間が一番いいかな、やっぱりな、時間だとするじゃないですか。
そうすると私は時間を大切にしたいんですと、
それは素朴な考え方なのかもしれないし、実際素朴に聞こえるわけですよね。
でも私は食欲をコントロールしたいんですというのと、これは限りなく近いものがあるわけです。
タスクシュートを使うなり、何を使うなりしてもいいんですけれども、逆算でも何でもいいんですよ。
とにかく何かをツールを使ってでも時間をコントロールしたいんです。
タイムマネジメントですよねって話をしたときに、
これに反対する人ほぼ周りの人にいないはずなんですよ、今時はね。
ところがここはさっきの食欲を過食と言ったように、
集中を例えば過集中と呼んでみたりして始まるんですよ、ちゃんと。
素朴に存在している単にそれがないと困るような欲求に悪者のレッテルを張り始める。
例えば休日は休みたいとか、仕事をいっぱいしたからゴロゴロしたいというのもだらだらしているとか、名称を変更していくわけですね。
そしてそれはあたかも、あずいふなんですけどね。あたかもって言うんですけどね。
あたかもそれが問題行動であるかのように捉え始めて、周りの人を巻き込んでいくわけですよ。
巻き込まれていく人はいっぱいいますよね。行動を分析して改めましょうとか、
さまざまな話が、だって本書いちゃうじゃないですか。私とかも書いちゃったじゃないですか。
タイムマネジメントの本みたいなやつをですね、書いていく。
本になる。本になるというのは現実というものや社会というものが巻き込まれているわけで、決してこれは認知の歪みではないわけです。
最初は認知の歪みから始まったかもしれない。タイムマネジメントしようという認知の歪みだったかもしれないけど、もはやそれはそうだとは言えない。
タイムマネジメントは正しいことだとなり、タイムマネジメントをしない奴はダメ人間だとなっていき、
実際そういう扱いを受け始め、医療もそっちに合わせ始め、ビジネスショーとか本屋さんとかでそういう展開が動き出すということは、現実がその認識に従って動いているわけですよ。
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だからこれは東洋へドイツ化なんですよ。私に言わせるとですね、接触というものが東洋へドイツ化であるならば、これも東洋へドイツ化だと思うんですよ。
過集中とかいう表現は、僕には東洋へドイツ化に思えるんですね。
集中はもはや悪いものにされたわけです。ただの集中が、悪い集中という言葉に切り替わったわけですよ。
良い集中というものがあるかのような、これもあたかもあるかのような世界というものができていき、
そうして過集中というものが起こるということにさせられて、私のようにもういい加減それは嫌になって、それには反対しますと言うと、
私は何かとっぴなことを言い出している。悪人までは言わないまでも、ものすごくずれた人間のように扱われたり、あるいは仕事越されたりするわけです。
ちゃんと現実は動くので、決してこれは認識が間違っているとか、認知が歪んでいるだけではなく、それこそ背先こそ認知が歪んでいるんだぐらいにさせられていくわけですね。
これが東洋へドイツ化なんです。過集中というものを治療しようとしないものは悪であるというような振る舞いを押し付けられるわけです。
最初私はそういうつもりはないわけですよ。いやいや、過集中っていうのをただやめませんかって言うだけなんだけど、いやダメだみたいな感じで、
奴は理解できていない人間だということになって、良くても脳が足りないぐらいな感じになって、そういうふうに扱われるわけですね。
そうすると私の認識なりが一切変化しないということそのものが、すでに何か治療するべき対象であるかのような感じにはなるわけですよね。
だから私明らかに書ける本の数が減ってるじゃないですか。ちゃんとそういうふうになるわけですよ。
たとえ私という人間にいかなる変化があるけど、なかったとしてもこの現象は進行する。だから単なる認識の修正という話だけではここには進まない問題、問題というのかな、影響というものが及んでいくわけです。
いろいろぐわーっと話してきたんですけど、例えばなんですけどね、今回4月30日示明というなかなか過酷な書籍原稿締め切りがあるんですけど、これも私は一応受けたわけですけれども、
この話すると結構驚かれるので、私がむしろ驚くんだけど、締め切りを守る気は僕は一切ないわけですね、今の段階では。
それはつまり僕からすると、これも東映ドイツカの話として僕は捉えているので、4月30日締めというものがいいんだというのに僕は同意できない。
それの提案するというのも同意できない。だから一緒に仕事しなきゃいいじゃんっていう話なのかもしれないけど、僕はそうは思わない。
つまりこういうのが今の世間一般では全く認められないんでしょうけど、私の考えではこれは全然おかしなことは言ってないはずなんですね。
36:08
これはもう過集中の話にそっくりだなって僕は思っているんですよ。
この締め切りというものは、締め切りを破るっていう方だけがですね、まるで井戸みたいに扱われるわけですね。
お前サボりたいんだろうとか、遊びたいんだろうとか、そんなことを言っていたらもう仕事する気、みんな失うじゃんみたいなものすごく極端なところに行くわけですよ。
食べ放題食べていたらもうカロリー食ばっかり食べるよねみたいな、そういう雰囲気を持っちゃうんですよね。
逆が全然考えられてないわけです。食事というものもとことん絞り込むほどいいんだみたいになって、ものすごくエスカレートしてるわけじゃないですか。
コントロールを手放すことに対する恐怖は絶大なのに、コントロールすることに対する危険性は全然マイルドなわけですよね。
締め切りをここに設定するというのはもう完全に、それこそやりたい放題なわけですよ。
締め切りを設定したい日に設定しちゃうみたいな、子供じみてるって子供じみてるわけですね。
どう考えたって30日というのは、お父さんハワイに行きたいんだけどっていう感じなんですよ。
ハワイにも行きたいし、ディズニーランドにも行きたいし、デブ島にも行きたいし、ついでに火星にも行きたいからみたいなノリなわけですよ。
こっちの方が大人っぽいってことになりかねないわけですね。
締め切りを設定する方は絶対全で、それを破る方が絶対役みたいな世界。
これは完全に僕は過集中とか過食とかなんでもいいんですけれどもね。
そういう世界に多分そういう人が生きていらっしゃる。
だから私は子供に付き合うという気分で受けるわけです。
こうなってしまった以上はね。
こういう風な今時代にあるわけだし、業界内の様々な展開とか、解釈はいろいろありますよ。
ただ私との関係においては、つまり主観的な関係ですよね。
この二者関係においてはそういうものが起こると。
だったら付き合っておこうと。
なんかうまくいかないことがあるかもしれないしないかもしれないけれども、
これはとりあえず付き合っておくわけですよ。
ああ、愛にも行きたいね、火星にも行きたいねってことですよ。
それでいいんです。
これがわからないんだという話になってくるとするとですね、
それはよっぽどがんじがらめになっているんですよ。
客観だと思っているんだろうけど、ここに客観はないですからね。
ここには観主観しかない。
私はここで暴露してるから、
あたかもその、またあたかも、
二者関係であったものが一般関係のように見えるのかもしれませんけれども、
本来あそこは密室に近い。
私とその編集さんだけの関係の中で、
相手の人がそういう世界から持ち出して設定した一つの何かであって、
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私はもうそれを締め切りというふうには見なしていないわけです。
で、これを言うから、他の人はどうしてもブルブルってなってしまうわけですよ。
それは、言ってしまえばこれでブルブルってなるってことはですね、
皆さんダイエット中だってことなんですよ。
食欲、食欲に任せて食べちゃっていいの?大丈夫なの?みたいになってるんだけど、
普通に食事をしている人にしてみれば、
食欲で食べていけないと思う方がよっぽどどうかしている。
つまり、ここで私はだから締め切りがどうであろうと、
寝たいとき寝るし、やりたいことやるしってやると、
いや、それやってると私なんかもう何もしなくなってしまいそうで恐ろしいですっていうのは、
いかに自分の自信というものを信じているかってことなんですね。
痩せなければ人生は破滅だみたいなのを信じているんですよ。
時間というものを徹底的にコントロールして、
自分というものを徹底的に今しめて立志しておかなければ、
私なんてものは何もしなくなり、何もできなくなり、
のたれじんでしまったり、もうむちゃくちゃなことをしだすんだっていうのを信じちゃってるんですよね。
これを信じるとそうなるんですよ。
何度も言いますがこれは認知の歪みではないので、
投影同一化が動いていくので、そう信じればそうなるんですよ。
実際に食べるというのはろくでもないことだ。
だからそのろくでもないことをやろうとする人は、ろくでもないものを食べるって信じていると、ろくでもないものを食べだすんです。
そういうことが起こるってこと。
これをその人の認識が間違ってるんだって考えるのはおかしいと思うんです。
みんなそれに乗っかっちゃうんで、
あの人ろくでもないものをなんかもうお腹に詰め込んでいる、
いやまずいです、病院に行ってほしいと思いますみたいになるじゃないですか。
病院でさらにそれを診断しだすじゃないですか。
そういうことが進行をちゃんとするじゃないですか。
私たちの、それなのにもかかわらず、その人の認識だけが、その人の言ってる通りじゃないですか。
私はおかしくなってるからおかしな食べ物をたくさん食べてしまうんです。
おかしいですよね。みんなもおかしいですね。
だから正常にするために病院に行きましょうっていう風になってるじゃないですか。
その人おかしくないじゃないですか。
その人は正しく現実を認識していますよね。
それはその人が現実を作り変えたからですよ。
僕はそれにとことん乗っからないというだけでもグッドバイブスだと思うんですよ。
そうするとどうしてもその締め切り設定は無理ですよという話をして、
ただ私はあなたの企画は引き受けましたからねっていう話をして、
相手がそれでOKだ、締め切りは4月30日ですって言い張るのであれば、
それはなんて言うんですかね、それに私は巻き込まれたくはないわけですよ。
その締め切りを設定してしまうと。
ただその人を私は異常だとはみなしたくないわけですね。
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私はそのものすごくタイトな締め切りですがっていう言い方を必ずするんだけど、
そんなものは認めないわけです。
こういう風に展開しておかないと、
私はその人をものすごくタイトな締め切りを決めてくる鬼のような編集団みたいに
そうは思いませんけど、そういう風に見かねないじゃないですか。
そうするとその人は鬼のような編集として動き始めるんですよ。
私に対してね。
たとえ私に対して何も言わなかったとしても、
無言という形で私に対して非常に鬼のような態度を取るっていうことをしだすんですよ。
私にとってはですよ。
いやいやそれは客観的にはっていうのは認められないですよ。
これは感主観的な問題なんです。
2社間だけに起きることなので他の人に対しては起きません。
他の人に対しては先生おっしゃる通り1年でも待ちますみたいな。
対価だったらそういうことはあり得ます。
私に対しては違うっていうことはあり得るんですよ。
それはダブルスタンダードだとか言うのはダメなんですね。
ここには2社関係しかないんだからスタンダードはもともとないんですよ。
ダブルもヘッダクレもないんです。
だからこれはこれでその人が正気であろうとする限り、
正気であろうとしてるんですよこれは。
その人は狂気ではないと。
もしそれが狂気だと証明するんであれば
そこに閉め切りを設定するのは狂人であるってことになっちゃうわけですよ。
私はそうはしてほしくはないんですね。
その人は正気だと思いたい。
しかし4月30日じめというものは認められない。
こういうことは起こるということなんですね。
普通に生きていけば間に合わないってことは起きるんですよ。
だから私が普通に生活をするということは絶対に動かしたくはないわけです。
普通に生活します。
会わせるためにどっか東京のアパホテルにでもこもって書くみたいなことはしないんですよ。
私は決してね。
そうするとそれにあってしまうじゃないですか。
そして万が一にも間に合おうものならばですね。
その人は朝先に対してこういう閉め切りを設定するというのは
いいことなんだってことになる。
転倒策が起きるわけですよここで。
ただ私はその人に対して
いやあなたの考え間違っているから認知を改めたいとも思わないわけです。
あなたの考え間違っているから6月30日に死なさいみたいなわけにはいかないと思うんですね。
それはそれでおかしいと思うんですよ。
あるがままっていうのはそういうことではないと思うんですよね。
だからその2つをやろうっていうのはどこかに客観的な正しさがあるっていう縛りがあるんですよ。
そういうことをしたくなるのであれば。
私はそういうことはしたいと思わないので。
その人にはここがちょっと難しいんですけどね。
グッドバイブスって言うと
さも東映ドイツ課でグッドを送るかのように。
そして私がグッドだというイメージを持ってバイトはグッドに振る舞うみたいな感じになりかねないんだけど。
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そういう面もなくはないと思うんですけど。
ここは僕はちょっと難しいなと思ってます。
僕は何にも送らないでおいたいっていうのが本当のところです。
私はその人に対していかなるイメージも持ちたくない。
持ったイメージがいいとは限らないんで。
どっちかというと東映ドイツ課は悪く起きやすいんですよ。
悪く起きることが9割9分悪く起きちゃうんですよ。
人間でそういうところがあるんですよね。
東映ドイツ課は防衛ですからね。
何を防衛しているかというと発狂を防衛しているわけですよ。
私の考えが狂っているんだ。
だから現実とはすごいずれてしまったんだ。
もうダメだっていう風になるのが人は嫌なんで。
私が思っている通りなんだ。
4月30日という締め切りは絶対正しいんだって思いたいわけですよ。
設定している以上はね。
すっごくあなたずれてますよって本気で僕が爪に詰めて
作家仲間とかはしないですけど動員とかして
いかに間違っているかを詰めれば
ありましたよね。原塚さんでしたっけ。
フェルマーターとかっていう。あれもどうかと思うんだけど。
フェルマーターって音楽記号ご存知ですか。
真ん中に点があって周りに線が。
半ペンみたいなやつですね。半ペンみたいな書いて真ん中に点書くみたいな。
フェルマーターって記号なんですけど何を意味しているか。
周りで一人の人間を囲んで徹底的に締め上げると。
フェルマーターというそういうことが
起こってたんですよねみたいな。笑い話にも
なんないようなひどい話なんですけど。
フェルマーターやってお前なんで4月30日に締めとか
設定して頭大丈夫みたいなことを
やればその人欲すわんぐらいにはなっちゃいますよね。
一歩間違えば。だからそういうことを
しないということはその人別に
間違ってるわけじゃないってことなんですよ。
設定するのは構わないんです。
ただ多分間に合わないんです。
そういうことは受けるべきではないっていう話には
僕はなんないと思っているんですね。
本が出るから本が出るからと僕は思っているので。
これは認識の問題だとみんな思うんだけど
そうじゃないってことなんですよ。
これは投影同一化なんですね。
正しいんだと信じたいわけですよ。発狂したくないですから誰もね。
精神病だと言われたくもない。
頭おかしいと言われたくもないんですよ。正しい。
それはそれでいいんです。
だから間に合わなかったやつは悪だと。
私は正しかったんだから正しく出せなかった。
育きというこの無能な物書きが悪い。
これも私は認められないんですよ。
そういう世界は私は作り出す気は冒頭もないし
作り出す気もないんですね。
どっちも成立しない世界にしたいというわけで
この締め切り美というものは
存在しないも同然という扱いに
私の中ではなるわけです。
でも間に合うように書こうという気を
どっかに持つってことはしますけどね。
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非常にここは言葉で説明するとややこしいんですよ。
やることは非常に単純なんですけどね。
単純じゃないですか。
食欲に合わせて賛同の食事をとる。
だから嫌なんでしょうね。
何か指針が欲しくなる。
ものすごく空腹でガツガツ食べるやつの
気が知れないと思いたいとかね。
指針が欲しいわけですよね。
お金を全く使わない生活とか
物を全然持たない生活とか
ありきたりの生活を毎日送っていて
ありきたりの人生に終わるという
このことが耐えがたいという
一つのそれは既に価値観だと思うんですよ。
非常に過剰にタイトな締め切りというのは
まさにそういう印象を人は持って
当然だと思います。
そこを責める気はないんで
それはそれでいいんですよ。
責めない人間が無能と切り捨てられる世界というものは
私は別にそっちに合わせようという気も
全然ないので。
それをするはずがないんですね。
そうすると何か違うものが出てくるはずなんですよ。
その編集さんが非常に
グッドだと思いたいわけではないんですね。
ただいかなる投影も
極力避けておきたい。
どうしても投影するならいい投影にしておきたい。
そういう風にすれば
彼女は私に対して決して悪いことはしない。
これが多分ご加グッドバイブスだと思うし
これは全く投影同一化だと思うんですね。
投影したものに同一化していくから
投影同一化なんですよ。
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