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2021-03-23 30:00

【GMV 344】MPが削られるとは?

やりたくないことに向かうとき
00:03
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えーとですね、昨日はタスクシュートとGTDみたいな話を珍しく久しぶりにやって、
多分どこにも落ちてなかったような気がするんで、続きをと思ってたんですよ、昨日は。
でも今日は全くそんなことを思わないので、それはやらないでですね。
今日そもそも撮っている時間が少しずれておりますが、これは学校が休みだからなんですね。
今、自分の頃になってくると卒業式というものはありますから、そろそろ終わりですからね、そもそも1年の年度末です。
ということで、ということでではなく、何の話をしようかと思ってたんですけれども、
でも昨日の話のちょっと続きっぽくですね、タスクとかいうもの、GTDってタスク管理とされてますが、
そういうものに必ずまつわる問題としてですね、これをどうやって片付けようと言うんだ、みたいなのがありますよね。
つまり飛びかかる気がしない問題。
で、これですね、頭の中でいろんなことを考えて分析を始めてしまうとハマると思うんですよ。
多分いつまで経っても手がつけられないということが予言の自己実現みたいになってて、自己実現していく気がするんですね、私は。
私、今この問題ではもう悩むことがなくなったんですよ。手がけようと思って手がけられないことって何もないんですね。
で、そうなってみると、あれについて考えることほど意味のないことはないと思うんです。
これ手がけるにはどうしたらいいんだろうっていうのはなんて言うんだろう。
その
なんて言うんですかね、これは。 扉を前にしてこの扉から入るにはどうしたらいいんだろうっていう悩みに近いものがあります。
で、入ればいいか答えにならないんですよ、この場合。
なんでもいいから工夫だったらいいみたいな感じで、例えばこう誰か人にお願いして代わりに開けてもらうとか
なんかですね、そこにはごくマイルドながら何かこう
精神的に難しいことが起こっている感じってあります。 なんてことないんだけれども、そこを回避したくなっている何かが起こっているような。
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だからいろんなそこについてのなんかですね 工夫種みたいなものができてくるんですよ。
ある意味ライフハックにはこういうところが起こり得る。 全部がそうなわけじゃないですけど、この扉を開けて中に入りたいと思っています。
ただしノブを回して普通に入るというやり方を選択してはいけません。 いくついろいろな入り方が考えられるでしょうか、みたいな感じがするんですね、あれ。
えーと、なんかですね、そこに本来存在していなかった難しさが出現した感じがするんです。
で、どうしてそんなことになるのだろうと。 最近そういうふうに考えるようになったんですよ。
この心理状態が生み出されるそもそもの理由って何なんだろうと。 で、一つが地図移動なんですよ。
これを開けて入ったことにより、相手が喜ぶのが嫌だっていうやつなんですよ。
これを仕事に持ち込むと大変難しいことって起こりますよね。 人のためにやってることなんですよ、仕事なんてものは。
しかし、これはあくまでも自分のためにやるか。 せめて自分のメリット51に対して相手のメリット49以下に抑えない限りはやれない。
っていう、もう常念みたいなものですよね。 これが働いている限り、ドアノブは容易には開けられないんですね。
問題なのは取り掛かる難しさではなく、 行為の困難さでもなくんですね。
そもそも本来それをやるのは感情的に嫌だという、 その前提の中で、しかしやらなければいけない。
だから難しいんですね。葛藤が起きているわけです。
で、これが昨日しゃべったジゾイド的な話なんですけど、 タスクをするにあたってやっぱりこう、
だから私はよくタスクシュートでも、 GTDですらそうだと思うんですけど、自分だけのためになるタスクを除外しましょうって話を常にしてるんですね。
自分だけのためのものはリストにアップしないでやればいいじゃないですか。 自分の楽しみなんですから。
これも先日、まさに先日ですよ。 ライフエンジンのところでまた無料でセミナーを開催させていただいたんですが、
そこでサムデイリストが、つまりいつかやりたいことがどんどんたまって、 悔しいっておっしゃるんですね。残念だともおっしゃってましたけど。
それはですね、何かがもつれてしまったと思うんですね。 やりたいことがたまっているのが悔しいとは思えない。
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できないってことが悔しいってことだとは思うんですけど、 今すぐやりたいことが、今すぐやりたいと思わないならば、別にそれはやらなくてもいいわけです。
もうやりたいことではないわけですよ。 やりたかったことですよね。今すぐやりたいならば、やったらいいんですよ。
ただその前にやらなければ誰かが困るということは、 通常優先した方が多分生きていく上では良いでしょうと。
Good Vibesではもっと踏み込みますけれども、 私はタスク管理で言うならばこのレベルなんですよ。
でも結局やること変わらないと思うんですよね。 人からお願いされたこと優先でいい。
それがないなら、少なくとも緊急事態にないならば、 やりたいことをやればいい。
これでやりたいことのリストがたまっていくのが、 悔しくなる理由はないと思うんですね。
そうなるくらいならば、そのリストを作らない方がいいと思うわけです。
それは結局、やりたいことをやっておかないと、 これが第2に来るんですけど。
自分の人生のLife of Quality、生活モードかもしれませんが、 QOLとかって言うじゃないですか。
Quality of Lifeだね。QOL。
これをですね、出てくるんですね。
この種のことが出てくるということが、 多分私はですね、行動を取るのを難しくすると思うんです。
これは、つまり全部僕は一言で片付くと思うんです。
それをするのが嫌だということなんじゃないのかと。
QOLを下げるかもしれないようなことを先にするのが嫌だ。 ただそれだけなんじゃないのかと。
だから、もっとそれを言ってしまうと、 これをするのが嫌だってことだと思うんですよ。
それをするのが嫌だからできないんですよ。 嫌なことをするのはできないから。
あと残ってるのは選択肢としては2個しかないと思うんですね。
ある行動を取るべきだということになったと。
それをするのは嫌だと。
なったらですね、嫌じゃなくするか、 嫌なままやらないか、どっちかしかないんですよ。
嫌なまま無理やりやるか、どっちかしかないと思うんですよ。
あと残るのはやらないことであって、 こうなったらリストに載ってる意味は全くないですね。
やりたくないけどやるか、やりたくなってやるかしかないと思うんですよ。
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これがですね、いろんな言葉とかいろんな考え方を持ち出して、
さっきのドアノブを開けて入るための100の方法みたいな感じになってるだけであって、
つまりいろんな概念がそこに持ち出されているのであって、
実際に問題になってるのは嫌だってことだと思うんですね。
嫌と。
これは意味付けとイリュージョンで多分膨らんだと思うんですけれどもね。
たまたま昨日YouTube見て、朝から会社に行くともう精神エネルギーが、
これも新しいんですけどね、削りまくられると。
これも僕は同じだと思うんですよ。
この概念はわざわざひねり考案されたものなんですが、
嫌だってことだと思うんですよ。
何かいろいろなことをするの。
会社に行ってまず、おはようございますと言うだけでも精神エネルギーを削り取られるんですっていう話を
節々とされていたというか、こうしゃくしみたいにされてたんですけどね。
それは挨拶するのが嫌だってことだと思うんですよ、普通に。
しなきゃいいとは言いませんけれども、
そういうことはありますよね。
別にですね、それが何とかエネルギーがゲージとして減っていくとかいうふうに置き換えなくたっていいと思うんですよ。
なぜ置き換えるかというと、多分僕は挨拶するのが嫌だというのは、
あまりにも良くないんじゃないかという気持ちがあるからだと思うんですね。
そういうふうに思わなくてもいいと思うんですよね。
これは別にグッドワイブス的だとは思いませんけれども、
嫌なら嫌でいいんじゃないのかなと思うんですよ。
だからしなくていいってことではないけれども、しょうがないと思うんですね。
で、挨拶をするのが嫌なわけではなく精神エネルギーが削り取られるっていうことにするのって、
やっぱりさっきのドアノブの考案みたいな感じがして、
そうやってひねり出すことによってですね、
だんだん自分が直面している自体から離れていっちゃうんじゃないのかなと。
ここも二つに一つしかないと思うんですよ。
嫌だけど挨拶するか嫌じゃなくする。
それがもっと嫌だということは認められないので、
しかも嫌じゃなくすることは断固として拒否したいので、
精神エネルギーが削り取られることになっちゃうんじゃないのかと。
タスク管理の話でもよくこれ出てきますよね、MPというやつで。
先日フランスのKezoさんがぶっちゃけ相談でMP回復する方法をしゃべってくださったので、
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それはぜひ見ていただきたいんですけど、
MPが満タンであっても1であっても、多分嫌なタスクには取り掛かれないと思います。
つまりそのMPというものは何かを意味してないし、
しかもMPでタスクが実行できるわけではないですね。
すっごくイメージするもの、イメージなんですけど、
おぞましい上司から振られたやらなくてもいいような仕事がやって5時間ぐらいかかりそうで、
それ終わった後通常業務をしなきゃなんだとなりました。
朝9時、MPは100です。
どうですかね、スッとできるんだろうか、MP100なら。
多分こういうことを言うんじゃないですかね。
これをやろうと思うだけでMPが削り取られるんですとかって言うんじゃないですかね。
つまりそれはやれないってことですよね。
やれないということを異なる表現を使っているに過ぎなくて、
これはですね、例えば昔私もタスクシュートのワールドでいろいろあったわけですけれども、
この方法論みたいなやつね、さっきのドアノブを開ける50の方法を考案していたわけですけれども、
そういうことではないなと思うんですね。
厚森のしずえさんみたいな人が頼んでくれることに映像上すれば取り掛かりやすくなるということは若干はあるかもしれませんね。
でも多分私たちはそういうことで仕事をしていくのは無理があると思います。
ものすごく子供騙しっぽくなっていくので。
だってドアを開ける50の方法は全部子供騙しっぽくなりますよね。
1個か2個、天才的な人が現れるかもしれませんけれども、
49個とか50個とかいっぱいあれば1個ぐらい役に立つ可能性があるよねというので作った書籍みたいになりかねないと思うんですよ。
そういう理由で買ってくださるという方もいらっしゃるし現に。
ある意味ことてんみたいなものってそういうものであると思うんですけれども。
普通に考えるとやっぱり普通にただ入れば一番いいわけです。
だって楽ですよね、それが一番。
朝から精神エネルギーが挨拶するたびに削り取られていく中で、
もう100あるうちの7ぐらいなところから仕事が始まりますって考えるだけでも厳しいではないかと思うんですよ。
これを考えるメリットって全くないんじゃないですか。
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ゲーム化っていう言葉も流行ったんですよ。
当然流行りますよね、ライフハックであれば。
でもゲーム化っていうのは裏表あると思うんですね。
ゲームっていうのはそもそもそういうものじゃないですか。
今やってるうちで流行っている、私はやってないんだけどほとんど、
あつ森というやつは平和なゲームですけれども、
それでもですね、鉢に刺されたりはするわけじゃないですか。
ゲームは表裏がなければゲームじゃないですよね。
これも昨日YouTubeで、昨日YouTubeよく見たな、
将棋やってたんですが、将棋はゲームですが、
もう本当にですね、これは勝てそうだと、
僕ちょっと分かんないですけどレベルになると将棋も、
これはこの人勝てそうだっていう人が逆転されて負けていくというのが
YouTubeで早送りで表現されてたんですけど、
ものすごいうなだれてましたよ、その人。
負けた人ですね。勝った人は羽生さんだったと思うんですけれども、
すごいなと思いました。なんていうんですか、野球で言えば
8対0ぐらいで勝っているのが、8回9回で逆転されていくみたいな、
そういう感じですよね。野球もゲームですよね。
これ見ると本当に死にたくなるような感じになるじゃないですか。
もうこんなことが起こってしまったら絶望的だみたいな。
あれ、僕よく思うんですよ。
世の中からゲーム的な要素のあるものを全部取り除いていったら、
人の絶望って半分ぐらいになるんじゃないかなと思うことがあります。
これ前にもどこかで喋ったことがあるんですけど、
人はゲームの方が深刻になる生き物なんじゃないかなと
よく思いますね。
ゲーム化って、一時すごい面白いのは僕もライフハックで
生き生きしてた頃に思ったんですけど、
怖いんじゃないかなむしろと思うようになって、
私はタスク管理にゲーム要素を入れるっていうのは
今ではもう極力自分ではやらないんですね。
理由は簡単で、今言ったような事情があります。
つまりそれはいい時はいいかもしれないんですよ、モチベーションのために。
でもいい時だけであればゲームの意味って全くないんですよ。
いいことが起きた時だけひたすらファンファレがなるゲームって
多分全く意味がないんですよ。
以前この番組で言いましたけど、私は娘に特に学校のテストは
100以外は全部捨てればいいってよく言うんですよ。
シュレッダーにかけちゃえと。
100だけ大事にしてるということは、それの図る意義ってなくなっていくんですよ。
ゲームも全く同じで、
失望する状態があるからこそ喜びがあるわけじゃないですか。
将棋というのは逆転して勝った方は
嬉しいですよ、そりゃ。
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でも逆転して負けた方は、それはもう大変落ち込みますよね。
冗談ごとでは済まなくなってくるじゃないですか。
ただでさえ、仕事の管理をするツールに
さらに一要素を付け加えて、冗談ごとで済まない失望感を
味わいうる、そうすることによってモチベーションが高まりますが
味わいうるというのは、私は
苦痛を増やすようなものなんじゃないかと思うようになったんですね。
だから
ただやれば一番いいと思うんですよ。
それができにくくなっているのはやりたくないからだと思うんですね。
やりたくないことはあるわけじゃないですか。
この世には様々。
人によってはドアの棒を触るということ自体が
私だって冬の静電気が激しい時期には
これゲームになっちゃいますもん。
なんとかの手袋をはめているときは開けられるとかになりやすい。
それはライフハックですよね、ある意味。
だからそうなっちゃうことはあるんですが、
やりたくないんだから
二つに一つだと思うんですよ。
やりたくなるようにする。
これは多分いろんなgoodvibesのメンタルハックみたいなもので
解釈次第というのとはイコールじゃないと思うんですけれども
という考え方に持っていけば葛藤が解消されるみたいな
話はいっぱいブログにもぶっちゃけ相談にもありますし
多分そうやっていくのが僕は一番いいと思うんですね。
ないしは嫌なまま頑張る。
か、やんない。
こうなるんだと思うんですね。
これがライフハックも
ある意味ではメンタルハックなのかもしれないんですけれども
これを
なんていうのかな
それを嫌だという以外の
それができないという
何かこう
それらしい概念みたいな
ものが
ますます事態を混沌とさせるのではないんだろうかと
そういう風な気がします。
ゲーム要素みたいなものを入れたときは
多分損をするのは
失われるのはメンタルパワーみたいなものであったり
あるいは時間であったりするんだと思うんですけれども
そういう観点じゃない方がいいと思うんですよね。
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もっとリアルに接近していって
現実ならなんとかなりますから
リアルに接近していって
やりたくないんだと
あの課長を喜ばせたくないんだと
そこまでいった方が解決の糸口ははっきりしてくると思うんです。
MPが削られるという話になると
満タンにすればできるのかという話になってきて
おそらく満タンにしてもできないと思うんですね。
課長がって話しても難しいかもしれないんですけれども
そこはだからあれなんですよね。
本当は課長を喜ばせるために
この仕事をするわけじゃなかったりもするかもしれないじゃないか
あるいは課長に抱いている、これが最大だと思うんですけど
意味付けが正しくない可能性がありますよね。
死状最悪の人みたいな
死状最悪の人だとそれ以下はいないってことになるレベルですけれども
私はその話を時々言葉の上げ足取りみたいなもんですけれども
言うんですけどね。
奥さんとかに死状最悪と言うけれども
例えばこの間犯罪をしたあの人はどうなるっていう話をするんですけれども
怒られますけどね。
ただ僕らの意味付けって激しいんですよ。
ここまで言ってしまうっていうのは
ここまで思ってしまうみたいなのがあります。
どうしても言葉で意味をつけるから
今日のこの寒さではもう外に一歩も出られないとか
そういう風になるんですよ。
これを言っちゃうと一打と寒く感じるっていう
変な現象が起きます。
僕はきっと起きちゃってると思うんですよね。
精神ゲージが削り落とされていくんだと。
そういう情景を
脳内に持つとですね。
挨拶するたびに本当にゲージから減っていっちゃうんだと思うんですよね。
その方の中では。
挨拶したくないの方がよっぽど楽だと思うんです。
こういう風に思っておいた方が話も現実的で
そこからはやっぱり
遠ぬいていってしまうと
いつまでも本来なかったものはそこにさらに加わって
苦しまなきゃならないような気がします。
昨日も似たようなお年どころだったんですけど
だからですね。だから私は
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ゲーム要素も何も一切付け加えずに
タスク管理やるんだったらタスクシュートは
良かったと思うんですね。やらないっていうのは私もあると思うんですけれども
やるんだったらタスクシュートって
悪い方法ではなかったと思うんですよ。やったことを書く。
だけだから。
タスクはできるから。昼寝とかを書いてもいいので
これはなんか冗談みたいに聞こえちゃうと思うんですけど
私はすごい大事なことだと思っているんです。
黙ってただ書くと。
余計な意味をつけないで極力。言葉で表現している段階で
意味ついちゃってますけど、でも言葉をなるべく
素朴にただ書くと。
昔じゃないですね。去年もそうでしたが
避難所生活ってあるじゃないですか。私考えたことがあって
避難所生活になったら結構困るなと思うんですよね。
やっぱ体が弱いっていうイリュージョンが強いし
都室制限も長らくしてたから大変ありがたいものだと思うんですけど
カロリー高めのものが出ますよね。多く。
厳しいだろうなと思ったんですよ。
その時にまた同時に
よく何者かになるって話が
一時ちょっとホットだったんで、何者かになったとしても
私が結局やれることはこのタスクシュートにある
リストの通りだ。
避難所生活みたいなところに行った時仮設住宅とか
何を最も大事にしなきゃいけないのかというと
今あるこのリストができるかどうかだと。以来私はサムデイなど
目標達成リストなどは一切考えないことにしたんです。
一番大事なのは今やってることなんだと思うんですよ。
食べてお風呂入って寝る。
これができなくなり得る時がやっぱり
一番私が真剣に考えなければいけない時で
やっぱり私の祖母が亡くなった時にも同じことを思ったんですよ。
最後はやっぱり園芸ができなくなる。
ここがやっぱり人間にとって一番きつい。
物を食べると肺に入っていってしまう。
だから物を食べることもままならなくなる。
ここに来ると私のタスクシュートのリストの
一番ベースだと思っているものまで浸食されていってしまう。
そうすると生きていくということがもう困難になっていく。
ここに、この前にいる時は
常にやっぱりこれを大事にすることだと思うんですね。
こういう時にMPHP言わないと思うんですよ。
27:00
サムデイリストとか。
何であっても頑張ってやるしかないわけじゃないですか。
頑張って眠るしかない、眠りにくい環境であってもですね。
何者かになって
すごく快適になったとしても
やっぱり何かがすごい自分のお金を狙っている人
気になって夜も眠れない。
同じですよね。人が悩むことって結構。
だったらこの現状のリストというものを
大事にしたらいいかなと。
それって結局は今ここを
最大限に生きる
みたいな感じになるのかなと思うんですよ。
これが昨日の話の落しどころなのかなと
いう感じがします。
チゾイドだというのは結局
課長のために時間を使うのが怖い
ってことだと思うんですよね。MPを使うのが怖いってことだと思うんですよ。
そこ出発点にしてしまうと
常に一緒にいるのはアレクサだけがいい
っていうのは、僕も分からないではない年代の生まれなんですよ。
でも多分
さっきの感じから言っても、今ここにある
リピートタスクというもの、中でも一番大事なのは
最終的にやっぱり人によって
人と一緒にやってるからできることばっかりですから。
一人ではできないですからね。
自分が世の中に一人になってしまったら
とことん無意味になることばっかりになっていくので
最終的には、というよりは最初の出発点が
チゾイドでない方がいいだろうなと。
そう感じません。
ゲージとか
現実に関する情報が
数値化されている世界に住むというのは
UFOの中にいる感じがするじゃないですか。
だんだん現実から近くするものが情報に切り替わっていく感じってあるんですよ。
孤独な方向に向かって。
多分
全部をそれで包まない方がいいんだろうなという風に思うんです。
多分、それを全部をそれで包んだら
行動に全力を尽くすんだってことは
かなり困難になるような気がします。
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