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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
もはや、こんばんはと言うべきですし、ないと言うべきなんだと思うんですけどね。
3回連続で夜収録になりました。
ほぼ戻ってきていて、一応、抗体キットではあるものの陰性反応になりまして、
これは大丈夫なんだけどなという感じではありますが、
いまだに家から出ていい日になっていないために、家におります。
そんで、ひげを剃りましたね。やっと剃った感じで。
俺、もう落ち武者みたいになっちゃってたんで、早く剃りたかったんですけれども、
私はバンドとかって、行ったこともやったこともないんですよ。
だから、バンドに対する間違ったイメージがあって、
まず、ひげぼうぼうみたいな、そういう人になりかけているなって感じで、
自分に全くしっくりこないんですよ。
人のを見る分には、別に特に何かを感じることはないんだけど、
自分のを見ると、違和感しかないっていう感じで、
剃って、なんとなく元に戻ったと。元には戻んないですけどね。
そんなこんなで、今日も一応収録まで焦げ付けた。
今日はちょっと難しさというものについて、
久しぶりにプラゾンさんとお話したので、
難しいって言葉が出るたびに、僕は一呼吸入っちゃうんですよね。
最初に、それ難しいですねってなんとなしに言った時に、
個人的に会話していて、いや難しくはないんですよって言われて、
結構私はそういう風にスッと入られるというよりは、
スッと入るという風によく指摘されるものですから、
それも誤解なんですが、あっと思ったんですよね。
それ以来難しいということを、プラゾンさんの前で、
いやもう誰の前で言った時もね、一呼吸入るようになっても
これは良い傾向かなとも思わなくはないんですけどね、
思うんですね。
難しい、例えばタスクシュートって難しいとかってよく言われるんですけど、
オリジナルの大橋裕都さんもさぞ並行されていると思うんですけどね、
難しいかねあれはって思うことってよくあるわけです。
例えば今私タスク管理の本を書いていて、
予定では出てなきゃいけない頃なんですけど、
6月になるという状態ですね。
なかなか難しい本になっちゃったなと、
こういう時は難しいで良いと思うんですけど、
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あの中にGTDの話も入れているんですよ。
私としては、多分すごいさらっと扱っているなと言われるかもしれませんが、
私としては非常に本格的に扱った、多分最初の本になると思うんですね、GTDは。
タスクシュートも出てきますけどね。
私なりに相当公平にというのかな、
公平というのは本当に上からで申し訳ないんだけど、
平等に扱った本なんですね。
GTDってこうだろうというのをようやく自分の中でははっきり言った本で、
というのは自分はあの本を書くのではなくて、
ようやくGTDというものをやってみて、なるほどこういうことだろうなと、
そう思っていろんなGTDのポイツールをね、
例えばオミフォーカスとか、例えばトゥディストとかを使ってみると、
実にしっくりくるんで、ほぼこれで違いないだろうっていうのを、
私そういう風にしてからでないとあまり書きたくないというタイプなんで、
気真面目って言えばそうなんでしょうけれども、
何て言うんですかね、面白くないだろうと思うんですよね、書いてても。
そういう風に書いてみて、これで当たりだろうと思ってやってるんですよ。
そうしてみるとですね、何らですね、特にタスクシュートとの違いって実は大してないんだなって思ったんですよ。
あるんですよもちろん、あるんですけど、
岩は何を重視するかの違いであって、
本質的には同じものを目指してるなという結論、私の中では至ったんですね。
こういう話を考えてみると、これ難しいかって思うと、何ら難しいと思えない。
ましてですね、実は担当の編集さんが面白いこと言ってて、
私にはGDDの方が取っ付きやすいですねとかってサラッと言うんですけど、
いやいやいやいや、同じだからっていうのが伝わってないよじゃダメだなと思ったんで、
そこでいろんなことを練り直してるうちに6月って話になっちゃったんですよね。
そこまで引っ張ったからといって、
分かるようになったのかって言われると困るんですが、
一方で分からないはずはないだろうと思うんですよ。
何にも難しいことはないと思うんですよね。
で、私は今やタスクシュートも言ってみればGDDだし、
GDDだって結局ちょっと変えればタスクシュートになっちまうっていう風に今は思っています。
依然として私はタスクシュートですけどね、
それはこういうことなんですよね、簡単に言ってしまうと。
実はGDDの方がきちっと維持するとなると大変だぞっていうのがあります。
これはもう私の中で確実で、
あれの挫折率が高いのは、
ユーザーがタスクシュートより圧倒的に多いからと思ってもいいですけども、
あれでは挫折するだろうなって思いますね。
あれの挫折率が高いのは、
あれでは挫折するだろうなって思いますね。
あれはよっぽどきちっとやる、そしてどこをきちっとやらないと、
途中で投げ出してしまうことになるかがある程度わかってないと、
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その難しさは理解するためのものじゃないですよ。
維持するのがちょっと難しい。
タスクシュートの方が実は維持するのが容易な仕組みがいろいろ用意されてるんですよね。
それで、難しさというものなんですが、
しつこいようで恐縮なんですけど、
ずっと読んでたからね。
内谷ひろみつさんの本ずっと読んでたんですよ。
彼の言うことは難しいって有名なんですね。
で、読んでてわかったんですけど、
確かに理解しがたいと思うところが、
本とかを読んでいかないと理解しがたいと思うところがあったのは確かなんだなと思ったんですが、
別に読んでみると理解に苦しむようなことは何一つしてないんですね。
結局それをすると理解に苦しまれることになるだろうけど、
例えば一番有名なのがあれですよ。
前の先日も言ったとおり、
パーフェクトのピッチャーを8回で下ろして9回変えたと。
トータルで9回ではパーフェクトなんだけど、
2人でパーフェクトになっちゃったんで、
もうパーフェクトとは言わないんですよね。
これが一つでしょ。
もう一つは、
今年新監督やる辰波さんをレギュラーからいきなり外したみたいな、
そういう騒動がありましたよね。
これも有名ですよね。
中西のファンとかであれば。
あと、私も知らなかったんですけど、
ちなみに私、新木さんにエレベーターの番号をさせたことがあるんですよ。
知らなかったんですけど、これもね。
新井場コンビって有名な2U館ですね。
ショートとセカンドをコンバとして逆にしたという事件もありましたよね。
この3つは、
概ね理解に苦しむとされていて、
私も新井場っていうのはすごい舞いというので有名で、
私も日本シリーズで見ててすごいなと思って、
この2人のショートとセカンドを完成しているのをわざわざひっくり返すって何なんだろう?
どうしてそういう事をしたんだろう?というのが私も疑問というか不思議でした。
だからこの本を読む時は非常に興味深く読んでいたんですけど、
なるほどなぁと思って、
そういう勘で含めるように説明されていると、
何にも難しい事はそこにはないんですね。
至って分かりやすい、
8回でパーフェクトを殺すのはあれほどの理屈があったにせよ、
あったにせよ、
殺さなくてもいいんじゃないのかなとは思っちゃうんですけど、
それをやると賭けになってしまうみたいな話なんですよね。
で、辰波さんをレギュラーから外したというのも、
なるほどなぁと、つくづくなるほどなぁという話なんですよ。
別に意外と言えるような話では決してない。
どうしても私はずっと言われてきたせいなんですけど、
これがタスクシュートというものに入ってきちゃうんですよね。
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タスクシュートには、まか不思議なところは何にもないんですよね。
非常にこうごく普通で当たり前の事を追っていくとああなる。
なんて言うんですかね、奇策的だみたいな、そういうところは一切ないんだけど、
なぜかそういうふうに結果としては見えちゃうことって世の中にあるんですよね。
それをしかも難しいと称する。
サイン事情プラスこと、
サイン事業プラスこと、
サイン事業プラスこと、
サイン事業プラスこと、
難しいと称する。
サイン事情プラス、コサイン事情イコール1とかは難しいと思うんですよ。
だけど、これが難しいかなっていう感じは私はしますよね。
そういう難しさとは質が全然違いますよね。
言うなればタスクシュートなどというのは、理解に苦しむような産物じゃないし、
至ってわかりやすいツールだというふうに思うんですよ。
そういうふうに考えてみてくると、
難しいというのはそこにやっぱり、
もちろん理解するのに手間がかかるというのはあると思うんですけれども、
例えば私も今回、たかだか野球のコンバートの話に本を読んだわけだから、
手間がかかるというのはそれまでなんですよ。
パッと交代したのを見て、なるほどとは思わなかったという、
そういう意味でその通りなんだけど、
大した手間じゃないんですよね、本当に理解したければ。
本当に理解したいかどうかがここでは問われるとは思うんです。
タスクシュートにしても、結局本当に理解したい人ばっかりじゃないから、
本当に理解したい人には決してそんなに手間暇かかるというほどの、
理解に苦しむもんじゃないですけれども、
確かに理解に苦しむ、パッと見ではそういうことはあるのかもしれなくて、
その人が本当のところタスクシュートを理解しようと、
GTDを理解しようと、そんなことはどうでもいいと思っていらっしゃるならば、
2秒で理解するのはこんなんだろうなという感じは私もします。
そのぐらいの話なんじゃないのかなというふうに思うんですよ。
ある意味GTDにしても、どこも賢も簡単だとは思わないんですけれども、
例えば時間というものは実在しない、少なくとも私たちが思い描いているようなものではないというのは、
これは別に理解に苦しむような話ではないと思うんですね。
過去はすでにないとか、影響が残っているという話とは全然違うと思うんですよ。
過去が今そこにあるかどうかという話をしているわけではないわけですよ。
全く同じことを繰り返さないというのも、よく似ているように見えるとかいうのとは違うわけですよね。
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全く同じことを二度と繰り返さないというのは、多分ほとんどの人には受け入れられるものですごいレアなケースで、
ほとんど寸分たまらないようなことが稀に繰り返すことはありますけれども、
あれってむしろすっごい特殊な現象に感じられるじゃないですか。
無理二つのことが起こったぞみたいな、というぐらい普通は起こらないわけですよ。
このことを捉えてですね、理解しがたいとは思わないと僕は思うんですよね。
非常に理解しやすい話なんじゃないのかなと。
こういう話をなんでしているかというとですね、
この理解しがたいというのは結局理解したくないということだと思うんですよね。
私には思えるわけです。
要は、例えば価値マックスだとか信じたくないとかね。
これならわかるんですよ、そう言いたくないかもしれませんけれどもね。
実は私の価値は、例えば学歴分高くて佐々木なんかより価値が高いんだと。
同じように平等でマックスじゃ困るんだよっていう方がわかるんですよ、例えば。
価値マックスが理解しがたいんじゃなくて、受け入れがたいという話であれば、わからなくはない気がするんですね。
過去がないっていうのも過去はないじゃないですか。
でも受け入れられないっていう話ならばわかると思うんですよね。
この辺がごっちゃになるんだろうなっていう感じがします。
つまり、難しいか優しいか理解において難しいか優しいかじゃなくて、
受け入れることにおいて難しいか優しいかの話がしょっちゅう難しいって言葉の表現になってて、
そしてそれが当事者にもよくわからなくなるんだろうなって感じがするんですよね。
タスクシュートが難しいというよりは、タスクシュートというものを受け入れるのが難しい。
これでうまくいくっていうことを信じるのか、これでうまくいくって信じてしまうと、
世の中には時間管理においてうまくいく方法というものが存在し、
しかも自分はそれを受け入れられないからうまくいかないってことになってしまいますよね。
それは嫌だっていう情緒が働いたとしても別に不思議はないんですよ。
あれはやりたくない。しかし時間管理はうまくいかせたいんだけど、
どこかにうまくいかせる方法があり、しかも自分はそれを受け入れることができない。
そうすると自分だけ損することに、その人の感覚の中ではね、
時間管理をきちんとしたいと思っている人の中では、
損をしている。世の中には時間管理をうまく手薄くしようとやってやがるやつがいて、
自分だけそれができる方法しかそこに置いてあるということになっているんだけれども、
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受け入れなければならない。それは嫌だと。
それぐらいだったらあれは非常に得体の知れないもので、
実はあれに手を出している人もうまくいっていないとまでは言いませんけれども、
実はよくわからんものなんじゃないのかなぐらいにしておいたほうが、
私も安心だということはあるかもしれないなというふうに最近思うようになりました。
そんなことを最近初めて思ったわけではないんですけれども、
そんなこともここ数日でちょっと頭をめぐったかなという感じがしているわけです。
これ私が発表するとおかしいんですけれども、
今日はですね、タスクシュートクラウドの開発者であるJ松崎さんがお誕生日だそうでおめでとうございます。
お誕生日を祝してといいますか、タスクシュートクラウド2を出すぞというのを
打ち上げていらっしゃったので、私ちょっと考えたわけですね。
何を考えたかというと、あれをどう2にするんだろう。
私はSEじゃないんで、わかってないわけですよ、それこそ。
いやいや、これから作り直せば素晴らしいものになる、いろんなシステム上の有利さがあるんだという話なんだと思うんですね。
私はそこが見えてないからここが難しいという話になっちゃうんですけど、
私はタスクシュートに何かを追加するという点でいうと、もうほぼ何も追加することはないなってついつい思ってしまうわけですね。
ここに何かを追加すればするほど難しいものにすることになっていってしまうんじゃないかなと思うから、
2というのが非常に興味深くあり、つまり私に何が見えてないんだろうというのが気になるわけですね。
私にはタスクシュートというのを翌日分というのをほぼ見ることがないので、
もちろん過去分をほとんど見なくなる、もちろんじゃないんだけど、過去分をほとんど見なくなっておりますから、
今日の分のリストがあれば全てこと足りちゃうわけですね。
それが今、風邪ひいたからというか、オミクロにかかったからでしょうと言われるわけですが、
とんでもなくて、オミクロにかかろうとかかるまでの使い方は全く変わっていない。
これは一つの私の発見だったんですよ。
かかるという想定してなかったから、かかってみて、使ってみて、何にも使い方に変化が訪れないと思ったんですね。
つまり、もう自分にとってはある程度グッドバイオスのこの領域は理解できているんだなと思ったんです。
自分の状況、オミクロになっている方が自分の価値が下がり、自分の幸福度が下がっていると言ったら、
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グッドバイオス的じゃないじゃないですか。
今ここで、いつでも価値マックスで、好か不好かは状況に左右されないわけですから、
グッドバイオス流に言うと、オミクロになろうとなる前と、私の価値は変わらないし、
私の好不好の度合いも何ら変化しないんですよ。
QOLも全く重ならない。
であればですね、いつもとやることがそう違わないと思うんですね。
基本の基本の基本において、できなくなることはあれですよ。
外にはいけなくなったり、買い物にいけなくなるから、買い物とかしなくなったわけですけど、
それはできなくなったからであって、しちゃいけないからであって、
普段からやっていて、できてやれることは全部やるんですよね。
そうしてみると、何ら変わらないんですよ。
タスクシュートクラウドについては。
つまり私にとっては、追加する必要のある機能は一つもないということで、自然になるわけですよ。
そして今やっていることもそうなんですよ。
何ら変わってない。
全く変わってないんですね。
タスクシュートクラウドに関しても、変更点は一つもない。
もちろん日頃回っているタスクの、例えば散歩なんて代表的ですけど、絶対ダメですよ。
外出できないんですから。
もちろん削除しますけれども、それはどうでもいいことであって、
普段の使い方と特に変わるわけでもないわけです。
項目が変わるのであって、使い方変わってない。
こうして考えてみたらいいんですね。
ツーとは何が追加されるのか。
非常に興味深いわけですよね。
私が知るタスクシュートとは、やっぱり違うものがそこに見えているという事実があるわけです。
ここででも一つ思うことがあるんですよ。
一般的には私の言うことは難しいとされがちなわけですね。
他にいろんな、それこそJ.MASAZAKIさんと比較しても難しいと言われるんだけど、
私が使っている機能の方が少ないわけだから、
私が使っている使い方の方が多分シンプルと言うと価値観が入るので単純なんですよ。
単純だってことは簡単だってことだと私は思っちゃうんですよね。
2週間先のことは一切見ていないし、
そもそも先のタスクに関しては一切考慮していないわけですよ、私は。
これはなぜ難しく見えちゃうのかなと。
もっと優しく、とっつきやすくして欲しい、あるいはそういう解説をして欲しいと。
今回も担当さんに頼まれる単でやったんですけど、
読んでも読んでもですね、私が書いていることは非常に偉く単純で、
むしろ単純すぎるくらいに見えることの方に問題があるんじゃないのかなと思ったりもするんですね。
今回、図解というタイトルもあったので可能な限り、
図解していますし、図の方が分かりやすいというので、
私はそんなこともないんじゃないかと思うんですけれども、
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ふんだんに図を使っているわけで、
それもすっごくデザイナーの方がですね、
いろんなデザインにパッと見の感じを駆使してやってくださっていて、
言うことないんですよね。
これ以上どのようにとっつきやすくできるというのかと、
これ以上シンプルにできないじゃないかってむしろ思うんですよ。
これ以上シンプルにするということは、
ほとんど紙にただリストを書いているだけになっちゃいますよね。
そのぐらいのところまで来ている感じがするんですよ。
ここであえて難しいと言われているのは、
どの点だったろうと。
機能が追加されるということは増えるということなわけですから、
増えることによってなぜどのように優しくなるんだろうということをですね、
やっぱり私に見えていないところがあると思うんですね。
もちろんなんとなくはわかりますよ、なんとなくはね。
でも私はそれについてつい考え込んじゃうところもあるからいけないのかもしれませんけれども、
例えば未来予想図を描くって難しいことなんじゃないかなと、
今回も私GTDにおいてそこはどう考えてもコアじゃないと思うので外しているんですけど、
例えばナチュラルプランニングフロー難しいと思うんですよ。
やるのは簡単ですよナチュラルプランニングフローで。
だけどそれをタスクに組み込んでしまうと話はややこしくなると思う。
そして本質的な話からは遠ざかると私は思うんですね。
マインドマップを描いて聴観的に見る。話はわかりますよ。
だけれどもマインドマップを描いて聴観的に見るとタスク管理がわかりやすくやりやすくシンプルになるかならないんですよ絶対に私が思う。
そしてそれはやっぱり私が思うにはどうしても余計なことでしかないんですよ。
長期的な方向性にあるタスクが沿っているかどうかそれについて考えるだけでも難しいことじゃないですか。
で、その長期的な想定になるものは果たして正しく長期的に想定できているのかどうかって気になりませんか。
私は気になるんですよ。
マインドマップを使えばどうして未来の予測が正しくできるようになるのかというのは私の中では釈然とした説明を聞いたことはないし、多分長期的に考えるときにもやっぱりそういう考え方があるんですよ。
私は気になるんですよ。マインドマップで書けば正しくなるんですって言うなら、それはそれでいいんですけど、私にはそう簡単には信じられないんですよね。
マインドマップを使えばどうして未来の予測が正しくできるようになるのかっていうのは、私の中では釈然とした説明を聞いたことはないし、多分そういう保証は誰も別にしてるわけじゃないと思うんですね。
さらに言うならば、そもそもそれが正しい想定だったと仮にしてですね、その正しい未来の想定に沿って、この現在のタスクというものがその未来に近づくための行為として間違いなく正しいタスクなんですと、
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保証してくれるものは一体何なんだろうって思うと、そんなのはあるわけがないと思うんですよね。
今日、折島3.11じゃないですか。何度も何度も言うようなんですけど、これによって未来が変わってきていっぱいいたと思うんですし、大変なことだと思うけれども、私もそう多少は影響をこむっているわけですね。
そして予測はできなかったわけですよ。つまりそれ以降の未来想定は一切が狂っていたわけですね。あれマインドマップを使っていれば想定できたっていうのはやっぱり話としておかしいと思うんですよ。
で、そういうことが気にならないのかなっていうのは私は気になるんですね。
自分があからさまに非常に重大な影響を受ける未来予測というのを成し得ない未来予測のツールを使って、そしてそれは未来予測ができるツールなりやり方なりだということにしてしまって、それを元出にして、それを参照する対象にして今からやっていくことの評価をする。
私はそれは非常に難しいことなんじゃないかなって思います。仮にできる人がいたとしてもですね。そこに手を出すと、もう紙面に限りがあるところじゃなくて何百ページと書いても限度があるだろうと。だから私は一切省いたんですね。そうすると非常に単純なものになります。そういうことをせずに済みますからね。
非常に単純なものになったのを見て、これは難しいって話になるとすると、どうしてそういうこれが難しくて、未来の方針に対照して現在のタスクに価値があるかないかを判断できるはずがないと思うんですよ。
私がやっている程度のことが難しいとしたらですよ。私がやっている程度のことが難しいとすれば、そこでやろうとしているナチュラルプランニングでもマインドマップでも何でもいいんですけれども、これによって未来はこれだけの結果になるはずだからこの行為には意味がある。
ちょっと考えるだけでいかに難しいことをやろうとしているか、すぐわかると思うんですよ。これからゆうちょ銀行の株を買います。買って1万株買っておけば1000万以上になりますけど、1.2倍になるから1200万になりますという未来が描けましたと。だからこの株を今買っておくのが正しい行動なんです。
これをやろうとしているわけじゃないですか。これ簡単じゃないっていうことをみんな知ってますよね。これが簡単なら私はとっくにやってますよ。